介護日記の最近のブログ記事

ようやく帰宅

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昨年は3月の大雪で三日間の孤立生活を余儀なくされたダーリン & KiKi。  山小舎暮らしは快適な部分も多いけれど、大雪だけは何とも云い難い不便な生活を強いられます。  元々が雪国育ちではないダーリン & KiKi にとってあの三日間の生活は二度と体験したくないものだったし、今では3つの不動産管理を抱えてアップアップしているし、そのうちの1つ、老人ホームへ入居するまでじぃじ & ばぁばが暮らしていた我が実家はゴミの山でこれまでそれらのゴミに全く手を付けることができずにきていたので、今年の冬は避寒を兼ねて、KiKi の実家の大掃除をすることにしました。

ま、てなわけで1月の17日に群馬から沼津へ移動し、そこから大掃除の日々が始まりました。  大掃除と言えば掃除機と雑巾をイメージするだろうけれど、実際にそれらが出番を迎えたのは2月の後半になってから。  それまではひたすら家中のゴミをかき集めては廃棄する作業にわずか2日の休みを除くと没頭せざるをえない日々でした。  

元々物を捨てることができない世代であるところへもってきて、我が家の場合掃除とか整理整頓と言う言葉とはおよそ相性の良くないじぃじとある時期から認知症を患い料理を除くとすべての家事を放棄していたばぁばの2人暮らしだったため、ゴミと大事なものがそこかしこに混在している凄まじい有様で、大切な書類とDMの類が束になってあっちの押し入れ、こっちの抽斗と分散放置されていました。  そのうえ老後はいくつもの趣味に邁進していた2人らしく、あっちには日本画、こっちには水墨画、さらに向こうには写真のネガ、そのまた向こうには使用済みと未使用のプリンターインクが混在し、転がっています。

それらの一つ一つを「これはゴミ」「これは取って置くもの」と仕分けながらごみ袋に詰める作業はやってもやっても終わりが見えない凄まじさで、当初2ヶ月の予定で帰省していたのですが、2月の半ば頃には「これは2ヶ月ではとてもじゃないけれど終わらないのじゃないか??」と思ってしまったほどでした。  それでも何とか2月の25日頃にはゴミ捨てを一段落させ(一段落したのではありません。  一段落したことにした・・・・です)、ようやく掃除機と雑巾の出番が到来しました。

何年も掃除をしていなかった家の掃除というヤツは思っていた以上に手強く、「その作業も1ヶ月では足りなかったんじゃないか?」と思い始めた矢先、今度は埼玉県に住む親戚から訃報が届きました。  ばぁばのお兄さんの奥さん(KiKi の叔母さん)が亡くなったとのこと。  お通夜やお葬式に今では参列できなくなってしまったじぃじ & ばぁばの名代として、KiKi が参列せざるをえないわけですが、当然喪服なんていうものは持ち歩いていません。

急遽予定を変更して3月17日に群馬に帰ってきました。  当初の予定では20日過ぎまで沼津にいて、帰路東京に寄って、それから群馬に帰宅する心づもりだったのですが、東京行きもキャンセル。  お葬式に参列した後、その足で東京に向かい、それから群馬に帰ることに予定変更しました。

  

KiKi は社会人時代、外資系の会社で仕事をしていたので、勢いどことは言わないけれど外銀がメインバンクになっています。  外銀をメインバンクにしておいたのにはいくつか理由があって、その1つには円貨の預金があれば、海外へ行った時に通常のキャッシュカードを使って現地通貨を下ろすことができるということがありました。  嘗て外銀をメインバンクにしていなかった頃、アメリカへ出張した際に、到着したのが夜遅くで、空港の両替カウンターがしまっていたので、「ホテルで両替すればいいや」とそのままホテルに直行したものの、そのホテルでは両替を受け付けておらず、翌日の朝、銀行の場所を聞いたら車でしか行けない所にしかなくて、ものすご~く困ったことがあったのです。

まあ、それ以外にも平残がある一定金額を超えていたら銀行手数料が無料になったりとか、外国株(所属していた会社の株)の配当金なんかも現地通貨で口座に置いておいてレートの良い時を見計らって円転できるとか、いくつかのメリットがあったので、そうしていました。  その後山小舎暮らしになった際も、その外銀であれば毎月「Bank Statement; 入出金明細と預金残高」を郵便で送ってくれるので記帳のことを考えなくてもよい便利さからメインバンクはそのままにしてあります。

KiKi のメインバンクが外銀だったので、じぃじがそれに触発され(?)たのか、少しでもよい利回りを狙ってか外貨預金を作る気になったことがあったみたいで、同じ銀行の同じ支店で外貨預金を作ってありました。  そんな中、昨今の円安を迎えました。

ある日、老人ホームへじぃじを訪ねていくと、このタイミングでその外貨預金を円転したいと言います。  年齢の割には頭がしっかりしているじぃじだけに円転を考えるタイミングとしては実にグッド・タイミングです。  ところがここで問題が発生します。  今となっては歩行困難であり、昨年末と今年の初めに狭心症の発作を起こしたじぃじです。  こんな寒い時期にその外銀まで出かけることはできません。  因みにその支店は東京にあるし、今じぃじが住んでいる群馬県には支店さえもありません。

そのうえ、我がじぃじの場合、何年か前から片耳は完璧に失聴、残された片耳も面と向かってゆっくりと、滑舌よく、しかも大きな声で話しかけない限り、相手の言っていることが聞き取れません。  電話を通してだとさらにその難聴具合はエスカレートし、今では KiKi が電話しても会話が成立しないぐらいの耳の遠さです。  ですからよくある「電話取引」な~んていうのは望むべくもありません。  ご本人確認の会話ができないのですから・・・・・。

そこで仕方ないので、その外銀のカスタマー・センターに電話をして色々相談し、委任状のフォーマットを老人ホームに送ってもらって、その書類を自書させました。  内容としては豪ドルの普通預金の円転 & 本人のその銀行の円普通預金口座への入金と米ドルの定期預金についていた自動継続契約の取り消しの2つです。  本人は外貨を円転したうえで円の定期にしたいと言っていたのですが、その外銀では運用の話になると本人のリスク許容範囲の面談なしでは定期は組めないことを KiKi 自身が知っていたので、それはムリであることを半分ツンボのじぃじに時間をかけてゆっくりと説明したうえでの2種類の委任状の作成でした。

ところがその委任状に銀行印を押すという段になって、もう一つ問題が発生しました。  じぃじは印鑑を10個ぐらい持っているのですが、どれが取引印か覚えていないと言います。  仕方ないので、その印鑑全てを一時預かり、KiKi が代行手続きに行くことにしました。  たまたま例の解散総選挙があったので、未だに東京都民である KiKi は選挙のために上京しなくてはいけなかったので、その時についでに・・・・・ということにしたわけです。


今、後悔していること

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今日は読書関連エントリーを2つも書いたので、当初の予定ではPCに向かう時間はそれでおしまい・・・・とするはずだったのですが、別にやろうとしていたことでかなり行き詰まってしまったので、再び今、PCに向かっています。  実は今、か★な★り 後悔していることがあるんですよね~。

実は今、いつもお世話になっている Bear's Paw さんのサイトで「夏のセール」をやっています。  (今日が最終日)  で、セール初日に KiKi は以下の3点のキットを購入しました。

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最初の2つはじぃじ & ばぁば用(老人ホームのお部屋のインテリア)に、最後の1つは自宅用です。  デザインも素敵だし、Bear's Paw さんの布選びに間違いはないので、セールなのをいいことにまとめ買いです。  で、意気揚々と作り始めたんですけどね・・・・・・。

刺繍そのものは何とかできているのでいいんですけど、問題はその前、刺繍糸の糸通しなんですよね~。  よくよく考えてみれば刺繍っていうやつは刺繍糸の複数本どり(この作品では3本どり)をするわけですが、通常1本の糸さえ針に通せない KiKi に3本の糸が通せるはずもなく・・・・・。

パッチワークの時は以前にもご紹介したこの糸通し(↓)を使っていて、何のストレスもなく作業できていたので、自分が針に糸を通せないことを忘れていたのが敗因でした。

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しかも刺繍って言うヤツは刺し始めと刺し終りに糸を絡ませる作業がある分、普通に縫うよりも針に糸を通す頻度が高い!!  糸通しの度にストレスをため、そのストレスを抱えたまま作業をするので肝心の刺繍の時にはどこかしら雑になっちゃうし、刺している時間より針穴とにらめっこしている時間の方が多いし、という有様で一番左のピンクの壁掛けのクロスステッチ部分を刺繍するだけで1週間以上を要してしまいました。

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昨日は我がばぁばの8x回目のお誕生日でした。  アルツハイマー型認知症を患っているばぁばは、当然のことながら自分のお誕生日な~んていう記憶もどこかへ置き忘れてきてしまっていて、誕生日だから何なんだ?っていう感じなのですが、同居介護を断念したことに心の中のどこかで罪悪感を抱き続けている KiKi としては、本人に自覚がないからといって無視することもできず、同時にじぃじの気分転換も兼ねて・・・・ということで、お誕生日の1日前、7月18日に Birthday Lunch を企画しました。

主役はばぁばなわけですから、本来ならばぁばが好きな物(和食系)を食べさせてあげたい気持ちもあったのですが、思いあたる和食系のレストランは前橋にあり、じぃじ & ばぁばが暮らす太田市の老人ホームからはちと遠い。  じぃじだけならそのぐらいの距離もなんのその(以前、前橋のバラ園に連れ出した時にも寄ったお店でした)なんだけど、長時間の移動はばぁばの突然の気分の変化に対応するのはかなり大変なので、じぃじがお気に入りの太田市のステーキハウスに連れ出しました。  我がじぃじは齢90なのですが、結構こってりした食べ物が好きで、どこへ連れて行っても完食・早食いで「健啖家っていうのはこういうのを言うんだろうな?」と思わせてくれます。

さて、前回バラ園に連れ出した際も、当初の予定としてはじぃじ & ばぁばの2人とも・・・・ということで企画していたのですが、当日老人ホームに迎えに行ってみるとばぁばは「頭が痛いしフラフラするから行かない」の一点張り。  結局、その日はばぁばはお留守番でじぃじだけ・・・・ということになってしまいました。  老人ホームへ向かう車中では

「今回も同じことを言われたりされたらどうしよう??  何せ今回は主役だし・・・・」

と心配していたのですが、一昨日は近来稀に見る「ご機嫌な日」で、実にスンナリと車に乗ってくれました。  よしよし、今日は無事に終わりそうだ・・・・・と甘い期待を抱いた KiKi がバカでした。

    

ようやく読書関連エントリーも一段落したので、今日は毛色を変えて6月第1週に頑張った「じぃじの留守宅管理」のお話です。  じぃじ & ばぁばが住み慣れた静岡県の家を離れて、KiKi が暮らす群馬県の老人ホームに入って、早いもので約1年(厳密にはちょうど1年になるのはまだだけど・・・・)。  その間、ダーリン & KiKi は何ヶ月に1回というスローペースではあるものの留守宅管理のために群馬県⇔静岡県の往復をしています。

メインの目的は庭の雑草取り & 植木の管理と家の中の整理なんですけど、行く度に何らかの問題が持ち上がっています。  今回行ってみて最初に直面した問題は玄関とは別にもう1つある出入口(勝手口ではない)の鍵が壊れていることが確定した事でした。  

敢えて「確定」と言っているのには訳があって、実は前回訪問した際にも鍵をかけておいたはずのそのドア(引き戸)が鍵の解除をしていない状態でも簡単に開いてしまうという現実には直面していました。  ただ、その時には実家滞在中に同じように鍵をかけてみたところ、外からは開けられなかったので、「ひょっとしたら鍵をかけたつもりだったのが KiKi の勘違いだったのかもしれない」と思ったということと、その時の滞在予定日数はほんの2~3日だったため、何か手立てを講じるには十分ではなかったのです。

今回はそんな心配もあったので最初から1週間の滞在を予定し、もしも本当に鍵が壊れているなら、何かしら手立てを講じようと心の準備をしたうえで実家に向かいました。  到着して、荷下ろしよりも玄関のドアを開けるよりも何よりも先にまずそのドアを引いてみると案の定というべきか、何と言うべきか、やっぱりその引き戸はあっさりと開いてしまいました。

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そこで早速、KiKi 自身は面識がないものの、じぃじ & ばぁばが家の一部をリフォームした際にお世話になったと聞いたことがあったような気がするとある方に連絡してみました。  ま、その方を特定するのもなかなか大変だったんですけどね。  何せお名前をチョロッと小耳に挟んでいた程度。  お店がどこにあるのかさえ知らなかったのですから・・・・。  うろ覚えのお名前(苗字のみ)の記憶と、実家にあった職業別電話帳、そしてじぃじの古い住所録の3点セットで「この方に違いない!」とあたりをつけ、お邪魔してみるとビンゴ!!

お話に伺った翌日には早速駆けつけてくださり、「ドアごと交換するしか手はないんでしょうか?」とおっかなびっくり尋ねる KiKi に笑顔で「いや、何とかできると思うよ。」と仰ってくださいました。  しかも、最終的な補修ができるまでの応急処置として角材のつっかえ棒まで持参してくださいました。

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敷島公園 バラ園

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昨日はじじ・ばば孝行のため前橋にある敷島公園バラ園を訪問する予定にしていました。  老人ホームの食事が口に合わないといつもこぼしているじじ・ばばに美味しいお昼を食べてもらって気分転換のバラ園散策としゃれこむ予定でした。

狭心症の手術で2度の手術・入院をする前までは2人を連れ出してもどちらかと言うとじぃじは手がかからず、認知症のばぁばの面倒だけ見ていればいいようなところがあったんだけど、あの入院以来じぃじは足がすっかり弱ってしまったので、念のために老人ホームから車椅子を借り出すことにしていました。

お昼ちょっと前に老人ホームに迎えに行くと、しっかり身支度を整えて、カメラを首から下げてペットボトルのお茶まで買って準備万端整っているじぃじに対し、ばぁばは姿も見せません。  聞けば「頭が痛いうえにフラフラするから寝ていることにする」と言っているとのこと。  ばぁばの「頭が痛い」「フラフラする」は口癖みたいなもので、出かける際に愚図る時の常套手段であることは百も承知なんだけど、2人を連れて歩くと正直なところかなり大変でもあるし、認知症患者は無理強いすると興奮したり暴れたりということもあるので、無理には引っ張り出さずホームで留守番させることにしました。

じぃじのリクエストでお昼は天ぷら定食を食べ(相変わらず完食!  因みに KiKi は食べ切れずダーリンに少し手伝ってもらったぐらいの量があった)、敷島公園に向かいました。  ここのバラ園は全国的にも有名なだけあってものすごい車 & 人の量で、バラ園に一番近い駐車場は満車で「第3駐車場」へ行けとのこと。  可能ならバラ園の門の前でじぃじだけでも車から下ろしたかったんだけど、ダラダラズルズル動く車列 & 地元老人ホームの送り迎えの車で門の前はごった返していてとてもじゃないけど下ろせるような状態ではありませんでした。

なかなかじぃじを下ろす場所を見つけられずにいると本人曰く「大丈夫、歩けるよ。」とのこと。  内心、「気持ちだけだろうけどね・・・・。」と思いつつも、そんなじぃじのプライドも大事にしてあげなくちゃいけないので、とりあえず第3駐車場へ向かいました。  まあ、車いすも借りてきているし・・・・・。

ところがこの第3駐車場からバラ園へ向かうためにはかなり低めではあるけれど歩道橋みたいなものを渡らなくちゃいけないことが判明。  階段部分では車椅子は使えません。  どうしようか?と悩むダーリン & KiKi に「大丈夫、休み休み行けば歩ける!」と主張するじぃじ。  一応、その言葉を尊重し、休み休み歩いていくことにしたけれど、その「休み休み」の頻度が異様に高い・・・・・(苦笑)

10歩歩いて一休み、20歩歩いて一休みという感じでなかなか前へ進みません。  こんな状態でばぁばまで連れていたら、認知症故にひたすら「我が道を行く」状態のばぁばと牛歩の歩みのじぃじの間でダーリン & KiKi はばててしまっただろうと思わずにはいられませんでした。  そして、そんなこんなで何とか無事にバラ園に到着しました。  普通だったらあちこち見回していただけるパンフレットやら何やらをゲットするところなんだけど、どこか足元がおぼつかないじぃじがいると、ひたすらじぃじのペースに合わせて進むことになるので、そのままバラ園会場へこれまた休み休みしながら進んでいきました。

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元気だったころはじぃじ & ばぁばはよく「写真旅行」に出かけていたし、今回もじぃじはしっかりデジ一を持参で来たのでせっせと写真を撮るんだろうなぁ・・・・と思っていたらどうも様子がおかしい。

バラにカメラを向けはするものの、何度もカメラをひっくり返しながら眺めています。  最初のうちは又「絞りをどうする」とか「ホワイトバランスをどうする」というようなことを考えているのかなと思ったんだけど、そうでもなさそうです。  仕方ないので近づいて「どうしたの?」と聞いてみると、シャッターが下りないとのこと。  ついこの間電池は充電してあげたばかりなので、「そりゃおかしいね・・・・」と言いながらチェックしてみると何とCFカードが入っていません ^^;

そう告げると「そう言えばこの間ホームで藤の花を観に連れて行ってもらった後で、カードを抜いてプリンターに差し込んでそのままだったかもしれない・・・・・」とのこと。  仕方ないのでじぃじとまったく同機種を持っていたダーリンのカメラをそのままその日のじぃじ用に貸し出しました。

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バラはちょうど満開(逆に言えば蕾はもうほとんどない)で、なかなか見応えがあったけれど、正直なところあまりノンビリと「バラ鑑賞」とはいかず、ちょっと進むと置いてあるベンチごとに休憩をするじぃじに合わせてノロノロと園内を進みました。  

「そこ、足元、平らじゃないから気を付けて」

「ロープ、見えてる??  杖が引っかかっているよ」

「そんな所に杖を置いたら、落ちてっちゃうよ。  預かるからその間に写真撮って。」

と、じぃじ観察がメインみたいな状態です。

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辛うじて KiKi がバラ鑑賞 & バラ撮影ができるのはやっとの思いで辿りついたベンチでじぃじが一休みする一瞬の間だけ・・・・。  しかも気持ちだけは急いていて、動ける気満々のじぃじは5分と休まずに次のベンチへ向かって移動を始めるので、メイン通路からちょっと離れたところにあるバラを鑑賞しようと思うとベンチとの往復を走り回る羽目に陥りました。

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日曜日、NHKスペシャルで標題の番組を観ました。  KiKi の母(ばぁば)は認知症を患っており、昨年半年ほど同居介護をしたのですが、その間、ばぁばの徘徊には何度も悩まされたので KiKi にとってこの問題は他人事ではありません。

それにしても実際に長期にわたって行方不明という方が約1万人とはものすごい数です。  我が家の場合は行方不明になっても最長で2時間ぐらいで何とか見つけ出して家に連れ帰ることができていたので、そういう意味ではラッキーだったけれど、一歩間違えば1万人分の1になっていた可能性もあったかもしれないと思うと心底ぞっとしました。

番組では群馬県館林市で保護された認知症を患った方が7年間もどこの誰なのか判明しないままであることが紹介されていました。  その後、昨日のニュースであのNHKスペシャルの番組をきっかけにその方の身元が判明し、ご主人と再会を果たされたと報じられており、ほっとするのと同時に、TVの力の威力を感じました。

でもそれは逆に言えば、TV以外には認知症で行方不明になった方を探し回っているご家族とご本人を結びつける仕組みがこの国にはないことを示してもいます。


警察は、届けが出された全国の行方不明者の情報をオンラインのシステムで共有しています。  警察関係者によりますと、このシステムには、行方不明者の名前や住所、生年月日のほか、身長など体の特徴も登録できるようになっています。しかし、このシステムは、まず名前で検索する仕組みになっているため、今回の柳田さんのように警察が「エミコ」という違う名前で検索した場合はそれ以上、調べることができないということです。

また、家族から提供を受けた顔写真や服装などの情報は、登録する仕組みにはなっておらず、そうした手がかりがあっても別の警察本部がシステム上、確認することはできないということです。(← この背景には「個人情報保護法」の影響もあるらしい KiKi 追記)

ことし4月、大阪市内の施設で暮らす男性がNHKのニュースをきっかけに行方不明になってから2年後に兵庫県内の74歳の男性と判明したケースでも男性の写真などの情報は兵庫県警の内部で共有されただけで大阪府警には伝わっていませんでした。  警察関係者は、「システムで共有されている情報は膨大で、同姓同名でも数百件の検索結果が出ることもある。  事件性が薄いと判断された場合、一件一件確認作業を進めるということはほかの業務との兼ね合いで集中的にできないのが現状だ」と話しています。

そのうえで「断片的な情報で検索しても効率よく絞り込めるよう、情報の登録や検索の方法について、システムの見直しが必要だ」と指摘しています。  (NHK NEWS WEB より転載)

3月16日に転んで左足の靭帯損傷というハプニングに見舞われ、それ以降ずっとPCとはほぼアクセスできない(KiKi のPC部屋は2階にあるんだけど、この怪我のため階段の上り下りができない 涙)毎日を過ごしていました。  未だに痛みが取れず、足にはサポーター、歩くときは松葉づえという状態です。  そんな状態により、動き回ることが著しく制限されるうえに、ただずっと座っているというのもかなり疲れてしまうため、結果的に寝っころがったり椅子に座ったりを繰り返す毎日です。  ま、てなわけで、生活のペースが乱されっぱなしで、読書も思いのほか進みません ^^;  そんな中で3月に読了した本をご紹介しておきたいと思います。


2014年3月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:0ページ
ナイス数:36ナイス

随筆 宮本武蔵随筆 宮本武蔵
読了日:3月31日 著者:吉川英治

宮本武蔵 08 円明の巻宮本武蔵 08 円明の巻
読了日:3月25日 著者:吉川英治

宮本武蔵 07 二天の巻宮本武蔵 07 二天の巻
読了日:3月23日 著者:吉川英治

宮本武蔵 06 空の巻宮本武蔵 06 空の巻
読了日:3月22日 著者:吉川英治

宮本武蔵 05 風の巻宮本武蔵 05 風の巻
読了日:3月19日 著者:吉川英治

宮本武蔵 04 火の巻宮本武蔵 04 火の巻
読了日:3月2日 著者:吉川英治

読書メーター


2月半ばから怪我をした3月半ばまでは大雪のためにのんびり読書をしている暇もなく、ようやく雪かきが一段落し、自分の愛車が動かせる状態になったところでの今回のハプニング。  つくづくついていません。  せっかく始めたお茶のお稽古にも行けなくなってしまったし、ホント、散々な2月、3月でした。  しかも月末近くにはじぃじが再び狭心症の発作を起こし、入院・・・・な~んていう事態まで重なってしまいました。

手術が必要だったので家族の同意書への捺印という手続きが必要で、松葉づえをつきながら大慌てで病院に駆けつけました。  病院の入り口では KiKi 自身が通院患者と間違われ、


「いえ、私は付き添いで、患者は私の父です。」


と言うと、病院職員さんも唖然としていました。  本来なら付き添いのはずの人間までもが車椅子に乗り込み、親子で仲良く車椅子に乗った姿には病院のスタッフさんも、父に付き添って来てくれた老人ホームの職員さんも、更にはダーリンまでも誰もが苦笑・・・・・。


Lothlórien山小舎の本棚はPCと同じ2階の書斎スペースにあるので、PCにアクセスできないのと同じ理由でこの本棚にもアクセスできない日々を過ごしています。  もちろん図書館にも行けません。  結果的にご覧のとおり、電子書籍1色の読書と相成りました。  読みたいと思っている本があるんだけど、いつになったらその本に自力でアクセスできるようになることやら・・・・・。  PCだけは2日ほど前にダーリンに階下に運んでもらったので、このエントリーは何とか書いているけれど、次のエントリーがいつ書けるのか?は今のところちょっと不明です。


2013年も今日で終わり

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とうとう2013年の大晦日を迎えました。  思えば今年は KiKi にとっては波乱万丈の1年でした。  忙しいという意味では仕事をしていた時期の方がはるかに忙しかったけれど、ある意味でそれは「習い性」のようになっていたために年末を迎えても 「あれれ?  今年も終わっちゃった??」 という感じだったんだけど、今年はしみじみと「やれやれ、何とか無事に終わったか・・・・・」という感じが一入です。

たまたま29日に従兄弟家族がじぃじとばぁばのお見舞いに老人ホームを訪ねてくださったので、そのご案内とばぁばケア担当として KiKi もじぃじ & ばぁばのご機嫌伺いに行ったんだけど、久々に心を許せる親戚との再会による喜び あ~んど 普通の会話ができるわずかな時間を持つことができた安心感から、これまで神経張りつめ状態だったものが一挙に弛緩した感じ(苦笑)です。

それにしても今年のバタバタは今思い出しても KiKi にとっては試練と呼んでも過言ではないほどしんどいものがありました。  その中でも極め付けだったのはやっぱり「別人と化したばぁばと直面したこと」でした。  我が母でありながら母ではなくなってしまった老婆の姿はあまりにも哀しく、あまりにも痛々しくて、そんな姿を毎日、毎時、毎分見せつけられるのは言葉にできないほど辛いもので、KiKi の事前の介護生活に対する覚悟(KiKi なりに考えに考え抜いて、かなり厳粛に覚悟をしたつもりだったんですけどねぇ・・・・ 苦笑)なんちゅうもんは鼻先で笑っちゃうほどちっぽけなものだったと思い知らされる日々でした。

そんな両親を「老人ホーム」に預けることになったわけですが、そのことは実は KiKi の中で「しこり」のようになって重く淀む苦い思いとの葛藤の日々の幕開けでもありました。  それをようやく「これで良かったんだ」と思えたのはじぃじの不安定狭心症による入院という事態が勃発した時でした。  じぃじの入院自体は一大事だったし、最初の病院で手当てができないと告げられた時は KiKi の心臓の方が凍りつきそうなほど肝を冷やされたけれど、転院先で無事治療が進み、その病院へ毎日通っていた1か月間は「安心してばぁばをお任せできる状態にあって本当に良かった♪」と心の底から感じました。


今日は X'mas Eve。  早いもので今年も余すところ1週間余りです。  思えば今年は介護、介護、介護の1年でした。  昨年末のばぁばの大腿骨骨頭骨折とそれに伴う入院中の認知症悪化から始まったダーリン & KiKi の介護生活は今にして思えば素人のドタバタ・アタフタに過ぎなかったようなところもなきにしもあらずでした。  でも入院に伴う認知症の悪化というやつは KiKi の想像や事前の覚悟を遥かに上回るハイ・スピードでばぁばを別人に変えてしまいました。

今年の前半はのべつまくなしの「ゴハン攻撃」やら暴言・暴行の数々、さらには徘徊に悩まされ、いわゆるフツーの生活ができないことに精神的に追い詰められ、「このままではこちらが先に倒れてしまう」と何度も思わされたけれど、そんな KiKi を見かねてか、じぃじが「老人ホーム入居」を自発的に決意してくれて、何とか KiKi の精神的な危機を乗り越えることができました。

そして「じぃじ & ばぁばの老人ホーム暮らしもようやく落ち着いたか?」と思われた矢先の先月末、今度はじぃじが突然胸部の痛みを訴え、老人ホームの提携先の病院へ・・・・・・。  診断は狭心症とのことで、早速その病院でカテ手術・・・・・となったのですが、造影剤を入れて見てみたら血管が細くなっているところが3や4つではなく10も20もある様子・・・・・・。  心臓をとりまく大きな3本の血管の全てであっちもこっちも細くなってしまっていました。  しかも「老人性動脈硬化」まで併発しているため、その病院ではどんなに努力してもカテが通せない・・・・・・。  4時間半もの手技だったのに結局その病院では何もできないまま慌ただしく転院が決まりました。

心臓を動かすためにポンプをつけたうえで、夜の10時過ぎに救急車で何もできなかった執刀医の先生から薬剤師さんまでもを乗せての大移動となりました。  KiKi もその救急車に同乗した(ダーリンは自分の車で移動)のですが、何の役にもたたない素人ですから末席に座らざるをえずじぃじの足しか見えないポジションで、ひたすら不安な時間を過ごしていました。

ところで、KiKi 自身、過去には救急車に乗せられて病院に行ったことがあるのですが、この日の救急車はその時とは大きな違いで、本当に「そこのけ、そこのけ」というモードでかっ飛ばしていました。  信号があればいきなりサイレンの音が大きくなり、そのうえ拡声器で救急隊員さんが「○○の車、左に寄って!  対向車、そこでストップ!  動かないで!!」と叫びながらの搬送でした。  その緊迫感がなおさら KiKi の不安を駆りたてました。

そして転送された先の病院でドリルの先頭にダイヤモンド・コーティングがなされているという特殊な機械で血管を掘り進め何とか1本目のの血管にステントを入れていただきました。  この手技も4時間に及ぶ長丁場でした。  でも3本のうち手がついたのはまだ1本のみです。  先生のお話では最低でもあと1本は通しておく必要があるとのこと。  但し、造影剤のアレルギー反応の心配もあるうえに、じぃじの年齢ということもあって、2本目の手術は後日・・・・・ということになりました。


冬本番 & じぃじ退院

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11月の末からず~っと入院していたじぃじですが、ようやく本日退院できることになりました。  11月25日に入院し、退院の今日は12月19日ですからほぼ1か月病院暮らしをしていたことになります。  その間、認知症を患うばぁばは1人で老人ホーム暮らしでした。  教員をしていたじぃじは出張とか当直ということもほとんどなく(それでも若い頃はたまにはあったらしいけど)、とにかくじぃじと離れて暮らしたことのないばぁばなだけに、「どうなっちゃうことやら??」とダーリンも KiKi もかなり心配していたんだけど、幸いなことに(?)短期記憶がまったくダメなため、じぃじともう1か月近く離れていることに気がついていない・・・・・ ^^;  そのため特に不穏になることもなく、問題行動が激しくなることもなく、当初の心配をよそになんとか平穏な日々を送ることができていたようです。

さて、昨年は年末からず~っと介護同居のためLothlórien_山小舎を離れ、静岡県は沼津の KiKi の実家で過ごしていたダーリン & KiKi。  そのため今年は薪ストーブの薪のストックがそろそろ危うくなり始めていたのですが、ようやく昨日、待ちに待った薪材の山が到着しました。

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4t 車いっぱいの薪材(ようするに伐採木)です。  明日からでもストーブに投入できる、割られて乾燥も十分な薪も売っているんですけど、それははっきり言ってかなりお高い!  暖を取るため・・・・という目的があるといえども、「燃やすだけのものにそんなに大枚を払っていられるか!」というようなお値段になってしまうので、我が家では常に薪材を購入し、自前でこれを玉切りにして割って乾燥させて使っています。

今年は乾燥させた薪材のストックがもはやつきそうなので、乾燥が不十分な薪をストーブにくべることになってしまう(← これ、仕方ないことではあるけれど、ストーブにとってはあまりよろしくないことなのです)のですが、まあそれは致し方ありません。

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ようやく到着した薪材なので、では早速本日から薪割り作業の開始!と意気込んでいたのですが、どうやらそれはしばらくお預けになってしまいました。  その原因はじぃじの退院のお迎え・・・・・・・ではなく、今現在、この景色(↑)がこ~んな感じ(↓)なんですよね~。

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え?  何が何だかわからない??  いえいえ、これ、こんもりと雪を被った薪材の景色なんです。  因みに窓から外を眺めてみるとこ~んな感じです。

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何だか一足早い、X'mas Tree みたいでしょ?(笑)



老人ホーム探しのあれこれ

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さて、「深夜の家から閉め出され事件」あり、当然のことながら休むことなく続けられていた「のべつまくなしのゴハン攻撃」やら「ばぁばの家出捜索事件」やら「コンセント抜きまくり事件」やら「何でも拒否 with 暴言・暴行」やらに悩まされ続け体力・気力の限界に陥ってしまった KiKi。  じぃじからのリクエストを真剣に考え、「もはや同居介護はムリ。  施設入居をしてもらうしかない。」との結論に至りました。  そこで、まずはインターネットで「老人ホームの検索」から開始しました。

数か所のDBを当たってみたのですが、それら複数の検索システムでわかったことの1つは世の中に「介護付き老人ホーム」は数あれど「認知症受け入れ可」とおおっぴらに謳っている施設となると数がぐ~んと減ってしまうことでした。  それに加え、「夫婦部屋あり」となると更に数が減り、しかも「空き部屋あり」となると悲しくなっちゃうほど残りません。  KiKi たちが施設探しをしていた約3ヵ月の間で結果的に「体験入居候補」に挙げることができたのは群馬県で2軒、静岡県で1軒しか残りませんでした。(見学だけだったらかなりの数を訪ねてみたけれど・・・・・)

そしてもう1つわかったことは、施設入居する際にも「介護保険認定」というのは結構大事で、「要介護度」によって月額の利用料金に差があるということでした。  いずれにしろ入居先を最終的に決めるまでにはじぃじの「要介護度」をはっきりさせておく必要がありました。  まあ、老人ホーム探しを始めた時点ではじぃじの「介護保険認定依頼」は済ませてあり、後は結果待ち・・・・・という状況だったんですけどね。

さて、この老人ホーム探し。  まずは当たりをつけるためにネット上の検索システムを利用し、資料を取り寄せ、さらにはまずはダーリン & KiKi が下見に行き、KiKi たちの一次審査を通った施設に入居当事者となるじぃじ & ばぁばを連れて行き、その施設が静岡県ならまずは見学したうえでじぃじが「良さそう」と思えば「体験入居」へと進める手法をとり、その施設が群馬県なら往復の都合もあるのでいきなり「体験入居」という形で選別をしていきました。  

あちこち連れ回されるばぁばはこの「老人ホーム探し」の度に不穏になったり、抵抗したり、泣いたりと一悶着を起こし、途中から ダーリン & KiKi は「早くどこかに決めてくれ」という心境になったのですが、そんなばぁばの様子にはまったく無頓着なじぃじはまるで旅行気分で楽しんじゃっていました。  実際、ばぁばのお見舞いに来てくれた親戚の人にパンフレットを見せながら

「いや、実はなかなかこれ(老人ホーム探し)が楽しいもんなんですよ。  あっちこっちへ行って、旅行みたいなもんでね。」

な~んていうことをのたまわっていました(苦笑)  この発言には若干 KiKi も危惧感を抱きました。  旅行だったら常に「いずれ家に帰る」ことが前提になるわけだけど、その時やっていることは「終の棲家探し」なのですから・・・・・。  「そこで暮らせるかどうかを判断するための体験入居であることをわかっているのかしら??」ってね。

         

老人ホーム探しのきっかけ

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さて、とにかく日中たまの一日であってさえもばぁばを預かってもらえる当てもなく(実際には1軒だけ可能性のあるところはあったけど)、四六時中ばぁばの周辺行動に悩まされ、気分転換をする余裕もない日々を送っていた KiKi。  そうこうしているうちにあれこれ自分なりの考えに没頭していた様子だったじぃじが「話がある。」と言ってきました。  ようやくばぁばを週一ぐらいの低頻度ででもあの気に入らなかった施設に預かってもらう決心がついたのか?と思いきや、じぃじの口から出てきたのはまったく別のセリフでした。

「あのなぁ、あれから更に色々考えてみたんだけど、やっぱりあのデイ・サービスに預けるのはどうしても気が進まないんだ。  他の施設は今の段階では受け入れてもらえないのもわかっている。  そのうえ、私の介護保険の認定結果が出たとしても、あのケアマネが言っていたみたいに『自立』かもしれないだろう??  仮に『要支援』が出たとしても、やっぱり自宅での生活はもう無理になってきていると認めざるをえないところまできていると思うんだ。  そのうえ、お前たちだってお前たちの生活があるのに、もう何ヶ月もここにいてもらっているし。  特に○○さん(ダーリン)には本当に申し訳ないと思っているんだ。」

「で、考えたんだけど、元々『いずれは老人ホームに』と思っていたのはお前も知ってのとおり(← これはKiKi が就職活動を始めた頃から、じぃじとばぁばの口癖でした。  「お前には迷惑をかけない代わりにお前も独立した以上は親に甘えるな。  いずれ自分たちは老人ホームに入る。」と言い続けていました。  じぃじが70代の頃は2人で老人ホームの見学にも行っていました。)だし、そろそろ本気でそうすべき時になったと思うんだ。」

「そこで・・・・だ。  もう私は自力でホームを探すのは困難になってきているから、そこはお前たちに助けてもらって、色々調べてもらって、その中からいくつか候補をあげて欲しいんだ。  最後は俺が決める。」

とのこと。  ものすごく正直に言ってしまうとこのセリフを聞いた時、KiKi は少しホッとしました。  両親と同居するのがイヤだと思ったことはなかったし、ばぁばの相手をするのが嫌で嫌でたまらない・・・・とまでは思っていなかったけれど、「普通の生活(夜は眠れて、ごはんの支度はしかるべき時間にするだけでよくて、洗濯ものも突然の雨でも降らない限りは普通に取り込めて、探し物に追われることもなく、家出したばぁばを探し回ることもなく、携帯やPCも普通に充電できる生活)」を1日でも送ることができれば・・・・というのが当時の KiKi の最大の希望でした。  

もしもじぃじ & ばぁばが老人ホームに入ってくれたら、KiKi はその普通の生活を送りながら介護生活をすることができるようになるのです。  そうなれば、もうかなり「病んできている自覚」がある自分の精神状態を立て直すこともできるし、そうなって初めて今よりももっともっと「優しい気持ち」を持つことが容易になるような気がしました。  でも、同時に自分の親を老人ホームに預けることに対する後ろめたい気持ちみたいなものも湧きあがってきました。  だから即答はせず、少し考える時間が欲しい旨をじぃじに伝え、その日の会話はそれで終わりました。

たまたま父方の親戚に KiKi の叔母にあたる方を「特養」に10年以上預けていたいとこがいました。  そのいとこや、母方の祖母をずっと自宅介護していた叔母、更にはついこの間まで自宅で同居していた95を超える叔母を持ついとこなど、介護経験のある親戚筋に色々と相談してみました。  経験者は皆、口を揃えて言いました。

「デイやショートが使えないなら、施設利用を考えた方がいい。  KiKi ちゃんが肉体的・精神的に参っちゃったらそれこそ本当にどうしようもなくなるんだから・・・・。  まして、認知症という病気はどんなに献身的に介護しても良くなることはないんだから・・・・・・。  施設に預けたからって親を捨てたことにはならないよ。  預けっぱなしじゃそう言われても仕方ないようなところもあるかもしれないけど、時々顔を見せてあげられるならそれでいいと思う。」

「お父さんの希望が2人一緒がいいというなら、その通りにしてあげた方がいい。  お父さんだけでも面倒をみたいという気持ちはわかるけど、それはある意味では KiKi ちゃんの自己満足のようなもの。  そして2人一緒がいいというのはお父さんの自己満足のようなものだけど、同じ自己満足ならどっちを優先すべきかは明らかでしょ。」

というような趣旨のご意見でした。  そうこうしているうちに、上記の95を超えた叔母(当時は入院中)が亡くなり、両親の名代として葬儀に参列した KiKi は否応なく、親戚中の人たちと久々に再会することになりました。  その叔母とじぃじが唯一生存していた姉弟だったため、かなりの数になるいとこたちから両親の最近の様子を聞かれ、報告し、結果、様々なご意見を拝聴することになりました。  

さて、ちょっと話は横道に逸れますが、この叔母のお通夜に参加した日、お通夜が終わるなり可能な限り早く帰宅したダーリン & KiKi は家から閉め出されてしまいました。  出かける前にじぃじには

「できるだけ早く帰ってくるけど、玄関のカギは空けておくか、ドアチェーンだけは外しておくかしておいてね。」

とお願いしてありました。  もちろんじぃじはそれを守る努力はしてくれていたようでした。  でも我が家には「必殺! 戸締り確認人」たるばぁばがいます。  夜になると、「戸締り、戸締り」とブツブツ言いながら、そこかしこの戸締りを数秒おきにして家中を歩き回っています。  じぃじがわざとかけずにおいたドアチェーンを閉め、それでもそのことを忘れ、確認に次ぐ確認に歩き回っていました。  もっと言うなら、じぃじから「今日は、KiKi たちが夜遅くに帰ってくるから、ドアチェーンは空けておくんだよ。」と何度言われても、数秒後にはその話を忘れちゃって毎日のお努めに励んでいました。

その日 KiKi たちが帰宅し、予想していた通りに閉め出されたことがわかり、何とかドア・チェーンを外してもらおうとドア・チャイムを鳴らしたり、電話をかけたりと思いつく限りの行動をとってみたのですが、残念なことにそれらの音はツンボのじぃじには聞こえません ^^;  そしてドア・チャイムの何たるか、電話の何たるかを覚えていないばぁばは聴力こそ問題ないものの、いつものようにそれに応答しようとしないのみならず、じぃじに「何かが鳴っている」ことを伝えることさえもしてくれません ^^;  時は夜の9時半過ぎ。  ご近所の手前、大騒ぎをするわけにもいきません。  

寒空の中、1時間以上戸外での待機を余儀なくされた ダーリン & KiKi。  この事件が「じぃじ & ばぁばの老人ホーム入所」を KiKi に最終的に決心させる出来事の1つになりました。  ばぁばと一緒に外出しない限り、家にさえ入れないことがままある生活な~んていうのはどう考えても耐え続けられそうにはありませんでした。     


失敗に終わったデイ・サービス以外のところのデイ利用を検討したものの、軒並みアウトになるという事態に直面した KiKi。  我が実家のあるエリアでは道を走ればそこかしこに「デイ・ケア・センター」なる建物を見かけ、すれ違う車も1割ぐらいは「在宅介護」とか「デイ・ケア・センター」というような介護系の言葉が書かれたステッカーが貼られているのに、これはいったいどういう現象なんだろう??  ダーリンの「お義母さんの要介護度と認知症の話をしたら、向こうは明らかに嫌そうな顔になった」という言葉も気になり、少し自分なりに情報を集めてみようと思い立ちました。

KiKi の実家のあるエリアはちょうど KiKi が小学生になるぐらいの頃に県が開発した大々的な新興住宅地でした。  つまり老年人口が年々増していっているエリアで、本当の意味で「老々介護」をしていらっしゃるお宅もかなり散見されました。  例えばお隣のお宅だって KiKi と同い年のお嬢さんと妹さん、そしてご両親という家族構成だった家なので、今ではご両親(うちのじぃじ & ばぁばと比べると年齢は7歳ほど若いけど)がお2人だけで暮らしていらっしゃいます。

聞けばお隣の御夫婦もそれぞれ「要介護1」「要介護2」の御夫婦なんだそうです。  でも、少なくとも認知症は発症されていらっしゃらないし、KiKi の目には「普通のお年寄り」に見えるご夫婦です。  「要介護1」の奥様は庭仕事が趣味で、毎日庭仕事に精を出していらっしゃるし、お買い物だってお天気さえよければほぼ毎日自転車でスイっと出かけていきます。  でもお隣はご夫婦揃って「要介護認定」を受けていらっしゃるので、お昼は毎日介護保険の「給食サービス」を利用され、週に2回は「お風呂掃除ヘルパー」に入っていただき、さらには奥様が通院される曜日にはご主人は「デイ・サービス」に行かれていました。

実家の2階の窓からご主人がデイ・サービスのお迎えの車に乗られる姿を何度も見ているのですが、ご主人は自力歩行、杖なし、誰の見送りもない中お1人でお迎えの大型バスに乗り込まれます。  お迎えの方に「お世話になります。」と声をかけ、お辞儀をなさり、バスの乗り口の段差もゆっくりではあるものの自力で登って行かれます。  そして夕方の帰宅の際もやはり同じく自力でバスの段差を降り、見守りのスタッフさんに「お世話になりました。」と頭を下げ、さらにはその車が見えなくなるまでお見送りまでしちゃうというホントに普通のおじいちゃんです。

そしてこのご夫婦から得た情報(個人的な感覚に基づく情報だから信憑性は微妙)によれば、少なくともこのご主人が通われていらっしゃるデイ・ケアセンターには我が家のばぁばのように自力でフラフラと動きまくるタイプの方やちょっと見れば認知症とわかるようなお年寄りはいらっしゃらないとのこと。  車いす等で自力では動けないような方はかなり見受けられるとのことでした。  そしてお隣の奥さまのご紹介で3ブロック先の同じく「老々介護」をなさっているお宅の御主人をご紹介いただきました。  そして、この方のお話に KiKi は慄然としてしまいました。

      

さて、なんだかんだとあって結局失敗に終わったはじめてのデイ・サービス利用。  とりあえず他の手立てを考える時間もなかったため、とにかくこの時緊急に必要だった「ダーリン & KiKi たちが数日間 Lothlórien_山小舎に帰宅する間の2人の日常生活の面倒をみてもらう」ために自費でヘルパーさんを雇うことにしました。  自宅に他人が入ってくることにばぁばが抵抗を示すことはわかっていたのですが、この初回のヘルパーさんとは特に大きな問題を起こすこともなく、無事に留守を乗り切ることができました。  

トンボがえりで Lothlórien_山小舎から実家に戻ったダーリン & KiKi。  でもこの時の診察から今後も2ヶ月に1度はダーリンの通院のために定期的なLothlórien_山小舎への帰宅が必要であることが確定していました。  そしてそれ以上に主介護者である KiKi 自身の精神衛生状の負担軽減を考えると、やはり介護から解放される時間は必要です。  そこでばぁばを預かってくれる別の施設(デイ・ケアセンター)探しが始まりました。  ケアマネさんに紹介していただいたこじゃれた施設(← このインフラへの拘りはじぃじが譲ろうとしない)の中から、じぃじのお眼鏡にかなった2つの施設の利用を検討し始めました。  早速ケアマネさんにその2つの利用が可能かどうか打診してみました。

するとそのうちの1つに関しては定員オーバーのためムリとの返事が打診の電話をした時点で返ってきました。  ケアマネさん曰く、我儘なじぃじの強い要望もあるためとりあえず利用できそうな施設情報を先方の状況を確認しないまま KiKi 達に連絡をしてくれていたらしいのです。  でも紹介した以上、利用できるかどうかの確認が必要なのでじぃじ達が見学をして歩いている間にケアマネさんから現状確認をしていただいていたとのこと。  そして2つのうち1つに関しては

「現在既に要介護度の高い認知症の患者さんを数名預かっており、その方たちのお世話で介護スタッフの手はいっぱいで、当面預かることができるのは要支援もしくは要介護度の低い人限定になっている。」

とのことでした。  KiKi は比較的素直に額面通り、この言葉を受け入れたのですが、ダーリンの反応は違っていました。  ダーリン曰く

「もちろん嘘を言っているとは思いたくないし、ひょっとしたら要介護度の高い人はたまたま目につくところにいなかっただけかもしれないけれど、少なくとも見学にいった際に、スタッフがかかりきりになっているような人はいなかった。」

と言うのです。  そしてもっと極め付けだったのが

「何て言うか、あそこは普通のお年寄りの集まりっていう感じで、あそこだと確実にお義母さんは浮いちゃうというか、その場の雰囲気を壊しかねないっていう印象だったんだよな。  でも、逆に言えばそういう雰囲気の所だったからお義父さんは気に入ったとも言えるような気がするんだけど・・・・・。」

でももちろん、それはダーリンの個人的な感想なわけで、誰も正面切って「要介護度の高い認知症患者は受け入れ拒否しています」とは言っていないわけです。  必要以上に懐疑的になっても仕方ない、まだ先方に断られたのは1軒だけなんだから・・・・・・と考えるように努めました。

それから数日後、ケアマネさんから連絡があり、もう1軒の受け入れ状況に関する報告を受けました。  どこか歯切れの悪いスタートにじっと我慢して聞いていると、何やら長々と喋ってはいたけれど要するにそちらの施設もばぁばの受け入れはできないというお返事であることがわかりました。  更にはじぃじが拒否した施設以外で今のところばぁばの受け入れを前向きに考えてくれている施設が見つかっていないということも判明しました。

そこで KiKi は思い切ってケアマネさんに聞いてみることにしました。

「あの、要するに最近ではあちこちにデイ・ケアの施設を見かけるけれど、今現在、どこもかしこも満員 もしくは 要介護度の高い人を受け入れる余裕がない。  例外は先日失敗したあそこだけというのが現状ということでしょうか?」

するとケアマネさん曰く

「もちろん永久的にそうだということではありません。  でもご理解いただきたいのは要介護度の高い認知症の患者さんはどうしても目が離せなくなってしまうので、どこの施設でも人員との関係で受け入れられるキャパシティというのが出てきてしまうんです。  そのキャパを超えてしまうと、今通っていらっしゃる方にも、更にはお母様にもちゃんとサービスができなくなって、両方に危険が及んでしまうことにもなりかねません。  何かあってからでは遅いのでその危険性を施設は嫌うんですよ。」

もちろん仰ることは頭では理解できるし、ばぁばから目を離せないことは毎日毎日目を離せずに疲れ切っている KiKi には骨身に沁みています。  でも逆に言えば、この事態は KiKi が何とかじぃじを説得して、あの失敗した施設に通ってもらう以外にはデイ・ケア利用の道は断たれてしまったのとほぼ同義です。  

    

さて、「え? そうだったの?? 介護保険」のシリーズ・エントリーはだいぶ時間が空いてしまいましたが、久々にこのトピックに戻りたいと思います。  因みにこのシリーズで書いたこれまでのエントリーの一覧はこちらです。

え? そうだったの?? 介護保険 その1
え? そうだったの?? 介護保険 その2
え? そうだったの?? 介護保険 その3
え? そうだったの?? 介護保険 その4

さて、ようやくばぁばの介護保険は認定が下り、様々なサービスが使えるようになったと一安心したのも束の間、物知らずだった KiKi が思い知らされたのは、「同居家族が1人でも自立なら生活支援系のサービスは一切受けられない」という事実でした。

わが家の場合、齢89のツンボのじぃじはこの時点では介護保険認定を受けていなかったので「自立」、まして住民票こそ移していないもののダーリン & KiKi が実質同居という形だと利用できるサービスは実質的には「デイ・サービス(日中預かってくれる)」、「ショートステイ(お泊りさせてもらう)」、「訪問看護(自宅に訪問看護士さんが来て、医療的なサポートをしてくれる)」、「訪問リハビリ(自宅に理学療法士さんが来て、リハビリ体操をしてくれる)」ぐらいとのこと。  

ばぁばの退院からほぼ1か月。  たまたまダーリンの通院のためどうしてもLothlórien_山小舎に帰宅しなければならなかった KiKi たちは自分たちの留守中のじぃじ & ばぁばの生活を何とかすることを考える必要性に迫られました。

まだリハビリ継続中のばぁばの足のことを考えると、本来なら日常生活の中で何かと注意が必要なばぁばを余所へ預けることは躊躇われました。  でも「家事ヘルパー」さんの助けを得られないとなると辛うじて「自立」のじぃじには1人で何とか1週間ほどの生活を乗り切ってもらって、ばぁばはどこかへ預けてじぃじの負担を軽減するぐらいのことしかできません。  そこでケアマネさんと相談の上、「お泊り付きデイ・サービス」を提供している会社にばぁばを預けてみることにしました。

とは言え、ばぁばの立場になってみると、それまで普通のデイ・サービスさえ利用していなかったのがいきなり「お泊り」までついちゃうわけですから、不安定になることが十分予想されました。  これはあまりにもハードルが高すぎます。  そこで、まずはその会社が提供する「お試しデイ・サービス」を受けてみることにしました。

この「お試しデイ・サービス」の朝はできるだけばぁばを刺激しないように、ダーリン & KiKi & じぃじの3人でばぁばを施設までお見送り。  とにかく1日預かってもらって、帰りは施設の方に自宅まで送っていただきます。  これは肝心要の「お泊りデイ・サービス」の際には施設の方に送り迎えをしていただく必要があるので、その前に「どのくらい記憶に残るか?」は定かじゃないものの施設の方 & 施設の車に慣れてもらうことを意図していました。

ところが、いざ施設に着いてみるとじぃじがそこの雰囲気が気に入りません。  スタッフさんにばぁばを預け、とりあえず暫くはじぃじにもばぁばに付き添ってもらって、KiKi & ダーリンが施設の事務スタッフさんと事務手続きの打ち合わせを2階でしているところに、見るからに不機嫌そうなじぃじがふらりと現れました。  そして

「あの人がもう帰りたいと言っている。  このままだと興奮状態に陥り、こちらにもご迷惑をおかけするから連れて帰ろう。」

と言い出しました。  「やっぱりそう来たか!」と内心は思いつつも、「どうしても連れて帰りたいならそれはいいけど、来週からの4日間はどうするの??  お母さんを預かっていただくところがないと24時間お父さん1人で介護が続くことになるし、家事全般、全てお父さん1人でやらなくちゃいけなくなるのよ。  お母さんはお風呂だって介助が必要だし、着替えだって今はもう1人じゃうまくできないのよ。」 と説得にかかる KiKi & ケアマネさん。  「だいたい、今日はお試しなんだから、そのお試しさえも遂行しないでどうするの?」と聞くと、無言です。


ようやく「じぃじのひざかけ」のキルトトップが完成し、昨日はキルトラインを描いて、今日は朝からしつけがけ。  何とか当初の予定からは4日遅れでキルティングにとりかかるところまで進みました。  今回はキルティングラインを描くにあたって、つい先日、いつものベアーズ・ポーさんで購入したこちら(↓)の「マーカー&消しペンセット」のマーカーを使ってみました。

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一応余り布でちゃんと消しペンで消えるかどうかテストはしてみたんですけど、この「じぃじのひざかけ」に使われている全ての布で試したわけじゃないので、本当にちゃんと消えるかどうかちょっと心配・・・・ ^^;  でも、これまで KiKi が使ってきた「チャコエース」(↓)だと、時間がたつと消えることは消えるんだけど、まだキルティング作業中でも勝手に消えちゃうので、作業の途中で何度も何度もキルティングラインを描き直さなくちゃいけなかったので便利なような不便なような・・・・・だったんですよね ^^;

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ベアーズ・ポーさんのサイトによれば今回購入させていただいた「マーカー」であれば

室内の湿気ぐらいでは消えないし、もちろん時間が経っても消えない。  消したい時に専用の消しペンでなぞると魔法のようにきれいに消える!という夢のようなグッズ。

とのこと。  これで4日の遅れが取り戻せるかも(?)しれません。

  

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ま、いずれにしろ、とにかく今はキルティング作業に邁進するのみ!です。  



でもねぇ、今、KiKi のアトリエの窓の外には半端じゃなく美しい紅葉が見えているんですよね~。

  

さて、今日は「え? そうだったの?? 認知症」シリーズのとりあえず最後のエントリーです。  そのトピックは言わずと知れた「徘徊」です。  幸いなことに我がばぁばは排泄のトラブルは入院中を除くとほぼ皆無(何度か失敗した気配はあるけれど、ちゃんと自分で始末できていた)、いわゆる異食(本来食べ物ではないものを食べる)といった類の周辺行動はありませんでした。  これらがなかったことが KiKi にとっては救いと言えば救いだったんだけど、それでもこれまでお話してきた「寝かせてもらえないこと」「何でも拒否症状 with 暴言 & 暴力」「のべつまくなしのゴハン攻撃」、そして前回お話した「家中のコンセント抜き歩きプロジェクト」と今日これからお話させていただく「徘徊」だけでもアップアップでした。

さて、「徘徊」です。  ばぁばの場合、幸いなことに出かけたきり行方不明になって1日以上帰ってこないというほど重度の徘徊はありませんでした。  多くの場合、2時間も探し回れば見つかる所を歩いていて、何とか連れ帰ることができる(但し、その連れ帰り担当はダーリンでなければダメ)程度で事無きを得てきたので、徘徊で本当に苦労されていらっしゃる方と比較すれば大したことではありませんでした。  でもね、頻度と言う意味では結構何度もあるうえに、やっと見つけても KiKi が連れ帰ろうとすると「何でも拒否症状 with 暴言」が発動されるのでこれにはかなり悩まされました。  

多くの場合、ばぁばの「徘徊」の原因を作るのはじぃじでした。  生憎その現場に居合わせたことがないので、きっかけが何だったのかはわかりません。  ただ後でじぃじから聞いて類推するに、ばぁばが何かを話しかけたのにツンボのじぃじには聞こえなくて返事をしてもらえなかった(or トンチンカンな返事が返ってきた)というようなことが繰り返されてばぁばが被害者意識を募らせたか、何かのきっかけで我儘 & 頑固なじぃじに怒鳴られたとかいったことが原因だったようです。  いずれにしろ


「そんなに私のことが嫌いで迷惑なら、出て行きます!」


という捨て台詞を吐いて、家を飛び出していることは確かでした。  同居中、実家の2階は基本ダーリン & KiKi のスペース、1階はじぃじ & ばぁばのスペースだったのですが、多くの場合この喧嘩はダーリン & KiKi が2階にいてじぃじ & ばぁばが1階で2人きりの間に発生しました。  そして、ダーリン & KiKi が事件発生に気がつくのはばぁばの金切声と玄関のドアが開いて締まる音によって or 自力で何とか解決しようとしたじぃじがばぁばにはついていけず、諦めて家に戻って報告にくるかによってでした。

前者であればばぁばが家を飛び出してから捜索活動までにさほど時間がかかっていないうえに、 KiKi たちは家を飛び出す前に2階の窓からばぁばがどちらの方向へ向かったのかを確認したうえで追いかけることになるので、比較的スンナリと見つけることができたのですが、後者の場合は手を焼きました。  何せじぃじが見失った場所から捜索活動を始めるしかないわけですが、そこからじぃじが家に戻ってくるまでの間のロスタイムがかなり大きいうえに、しかも既に見失ってしまった場所にまず誘導されるので、そこからどっち方面へばぁばが向かったのかその手がかりがまったくなくなってしまうからです。

こうなるとダーリン & KiKi はとにかく闇雲に探し回るしか手がありません。  ばぁばの場合、常に同じコースを歩くのではなく、家を中心に全方向に向けて歩き回るようなところがあったため、「当てをつけて探す」という手法が取れませんでした。  そのうえ、何か本人なりの目的があってそこへ向かって出かけているつもり・・・・・というよりは、怒りに任せて家出をしてほっつき歩いている状態なわけですから、そこには法則性もへったくりもないのです。

しかも ばぁばは昨年の12月末に大腿骨の骨頭骨折をしているわけですが、その後のリハビリを担当した理学療法士さんからも「期待以上の回復力・抜群の基礎身体能力」と太鼓判を押されたほどの回復を見せています。  そこに怒りモードの追い風を受けて、こちらが走らなければ追いつけないようなスピードでぐんぐん歩いていくのですから、ようやくそれらしい姿を遠くに見つけてもあっという間に後ろ姿が小さくなり、視界から消えていきます。

   

昨日、作業停滞中のお話をさせていただいたばかりの「じぃじのひざかけ」ですが、何と、今日、つい先ほど、キルトトップが完成しました。

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もちろんあのエントリーを書くことによって、モチベーションを少し取り戻したっていうのもあるんだけど、それ以上にここ何日かはお天気が良かったことがこの作業の進捗に大きな影響を及ぼしていたみたい・・・・・ ^^;  今となっては老眼に鞭打って(というほど激しいモンじゃないけれど)、チクチク作業をしている KiKi にとって部屋の明るさというヤツはチクチク作業にかなりの影響を及ぼします。

手元が明るくて針目が見やすいというだけで、スピードが全然違うんですよね~。  今日はこれからこの縫い終わったキルトトップにアイロン掛けをする予定。  気分が乗ればそのままキルト綿と重ねてしつけがけまでいくかもしれないけれど、あまり根をつめると又、五十肩になっちゃうかもしれないから、そこは様子を見ながら決めようと思っています。  


このエントリーで進捗状況をお伝えした「じぃじのひざかけ」ですが、作業が停滞しております ^^;  予定では昨日までにキルトトップを縫い終え、今日からキルティングという心積もりだったんですけど、まだキルトトップができあがっていません。(涙)

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このキルト、ベアーズ・ポーさんのレシピではばぁばのひざかけの「オールド・ファッションド・キルト」同様に「同じ布が近くに来ないように、全体に散らすようにすると良い。」とあったんですけど、個人的には濃い紫のチェック柄の布がそこかしこに散っている配置はイマイチ好きになれなかった(何気にそこだけ浮いちゃうような気がした)ので、キルトのど真ん中にクロス(十字架)の模様を描くように配置することにしたんです。  

そしてその順番が崩れないようにピースの束を作って番号札まで作って順次ピーシング作業をしていたつもりだったんですけど、繋いでいる過程でどうやら繋ぎ順(左右と言うべきか)を間違えちゃったみたいで、4段目と5段目を繋ぎ終わって全体を眺めて初めてその誤りに気がついちゃった・・・・・ ^^;  で、一度繋いだ所を解く作業をしたら、これが縫うよりも時間がかかるんですよね~。  しかもせっかく一度は繋いだ所を解くわけですから、何気に後ろ向きな気分がドヨヨ~ンと沈殿してきて、さらに時間がかかるという悪循環に陥ってしまいました。  

しかも前回進捗状況をお話した日に既にひいていた風邪が未だに抜けず、ここ何日かは朝寝坊ばかりしていたので、そのしわ寄せは全てチクチクタイムに寄っちゃって、それまでの半減ペースでしか作業が進んでいません。

ま、てなわけで、現在5段目と6段目を繋ぎ中。  全部で9段構成なので、キルトトップの完成度としてはようやく半分ちょっとまで進んだ程度という体たらくです。  こんなんで「クリスマス」に間に合うんでしょうか??  しかも今日は午後から山を下りてお買い物にも行かなくちゃいけないし、ピアノの練習だって新曲(ショパンのバラード)にも手をつけちゃったから、午後はチクチク作業に割ける時間はほとんどありません。  

でも Lothlórien_山小舎ではもう薪ストーブが大活躍している季節に突入しているんですよね。  

2009_Nov02_004.jpgのサムネール画像

それを考えると、やっぱりできるだけ早く仕上げてあげないとなぁ・・・・。  

ああ、それにしてもしつこい風邪です。  毎日風邪薬を飲んで、早寝遅起きを徹底しているのに、どうもスッキリしません。  この風邪が抜けてくれると身体も気分ももっとシャキッとして、そうすれば色々なことがチャッチャと進むようになるのになぁ・・・・・・。  第一、風邪っぴき状態ではじぃじとばぁばのご機嫌伺いにだって行けないのでホント困ったものです。 

さて、ここまでの「え? そうだったの?? 認知症」シリーズのエントリーでは、ばぁばの認知症介護の現場で発生した「寝かせてもらえないこと」「何でも拒否症状 with 暴言 & 暴力」、さらには「のべつまくなしのゴハン攻撃」の3つについてお話させていただいてきました。  残るは2つ。  今日は「家中のコンセント抜き歩きプロジェクト」についてです。

ばぁばは認知症に罹患する前は「実によくできた主婦」でした。  何をするにも「やりっ放し」「出しっ放し」「点けっ放し」という欠点を持つじぃじを補佐して、片づけをしまくり後始末を恙なく終え、点けっ放しの電気を消し、出しっ放しの水道の栓を閉めて歩くということを文句の1つも言わずに黙々とやっていました。  この結婚以来50年位続けてきた「生活維持活動」は認知症に罹患してもどこか根本にあたる部分だけは残るようでして・・・・・・(苦笑) 

もっとも片付けに関して言うなら昔なら「あるべき場所に戻す」ことができていたのが、今では行き当たりばったりでたまたま目についた押し入れの中に突っ込んでみたり、冷蔵庫やら食器棚といったばぁばが「入れ物」としか認識できなくなってしまった「箱もの」の中に押し込むようになってしまったので、同居介護を始めた KiKi にしてみれば「出しっ放しのままにしておいてくれた方がよっぽど楽」だったりもしたわけですが・・・・・。  そして「点けっ放し」に関して言うなら、KiKi が入浴中の浴室の照明を消されちゃうわけですから良し悪しという感じだったわけですが・・・・・・。  

そしてその「点けっ放し」を放置できない習慣の延長線上に突如として出現したのが、「家中のコンセント抜き抜きプロジェクト」でした。  例えば充電中の携帯電話然り、例えば Windows Update やバッテリーリフレッシュ真っ最中のPC然り、例えば光通信のルーター然り、例えば家族が観ている真っ最中のTV然り、例えば稼働中のエアコン然り、例えば炊飯中の炊飯器然り、例えば洗濯中の洗濯機然り・・・・・。  とにかくコンセントが差さっているのを目にすると片っ端から抜いて歩くのです。

ばぁばが手をつけなかったのは(と言うよりは実際はコンセント自体が見えなかったから手を出さなかっただけだろうけれど ^^;)冷蔵庫のコンセントぐらいのものです。  傾向としてはパイロット・ランプがチカチカしているコンセントはとにかく気になって仕方ない。  ばぁばなりのロジックによれば


「火事になる」


とのことで、何度説明してもコンセントが差されたままであっても安全であることを理解しません。  

ダーリン & KiKi が同居介護をしていた約半年、最初にめげたのは「寝かせてもらえない」ことでした。  そして次に精神的に滅入らせてくれちゃったのは「何でも拒否症状 with 暴言 & 暴力」でした。  知り合いやらご近所さん、親戚の方たちなんかに

「ご両親も KiKi ちゃんには感謝されているわね~♪」

な~んていうことをよく言われたものですが、実態は「感謝」なんていう言葉とは程遠い・・・・・。  何せ、何でも拒否しまくりのうえ、時に暴言や暴力が飛んでくるわけですし、そこまでいかなくても口癖のように言うのは「意地悪された。」、「嫌なことばかり言う。」、「ほっといて!」の3拍子。  別に感謝して欲しいと思っていたわけではないけれど、こちらの善意が悉く通じない相手との共同生活というヤツは「じゃあ、勝手にしろ!」という気分をもたげさせるには十分すぎるわけでして・・・・。

そんなささくれた気分でいる時に、「ご両親も~」みたいな発言を聞かされるとその方に悪意がないことは百も承知なんだけど、正直な所かなり複雑な気分になります。  そのお一人お一人にわが家の生活実態を説明する気力もなければ、ばぁばがそこまで壊れてしまっていることを宣伝するのも悲しすぎるわけで、適当に

「はぁ。  だといいんですけど。」

みたいな受け答えをすることになります。  すると、これまた善意丸出しで

「絶対、そうよぉ~。  そうに決まっているじゃない。  あなたにも生活があるのに大変よねぇ・・・・。  偉いわぁ。」

なんていう念押しまでされちゃうと、返す言葉にも詰まります。  「偉くなんかないよ。  だって今日も『じゃあもう勝手にしろ!』な~んて思ったぐらいだし・・・・・。」と思い出し、自己嫌悪に陥ります。  そして、同居していなかったらできていただろうあれこれが否応なく思い出され、情けなさや焦燥感を感じたり、何をしてあげても感謝されるわけではないことを逆に思い知らされ、その事実に少なからず傷ついたりもします。  でも介護の実際はそんな個人的な想いに浸っている余裕はありません。  だいたい「お茶をゆったりと飲む」ことさえできなかったりもするのです。  今日はそのお話です。

先に挙げた2つに追加で KiKi を滅入らせてくれちゃったのは、「朝から晩までのべつまくなしに続くゴハン攻撃」でした。  要介護4の認知症患者は満腹中枢も正常には機能していない(?)ので自分が食事をしたか否かは覚えていません。  だから、最初のうちはばぁばのこのゴハン攻撃は 「何かを食べさせてほしい」という意思表示だと思っていました。  でも、しっかりと3度の食事はしていたので食べ過ぎでお腹を壊してもいけないと思って、このセリフを聞くたびに「ふわふわのお煎餅を2枚ぐらい」 とか 「りんごを一切れ」とか、いわゆる「おやつ」を出したりしてみました。  それでも結局

「ごはん、ゴハン、ご飯」

と言い募ります。  これが食事から30分とか1時間以上経過しての発言だったらまだいいんだけど、たった今ご飯を食べ終わり、ようやく食器のあと片付け終わって「さてお茶でも一服・・・・・」と椅子に座りかけた時なんかにもやられるわけです。  そこで仕方なく

「朝ごはんは今、食べたのよ。  忘れちゃった??  お昼ごはんまではまだ4時間以上あるから、しばらくはご飯のことはお休みにしない?」

な~んてことを言ってみるわけですが、返ってくるのは

「私は食べていませんよ。」

という返事か

「あら、そうなの。  じゃあ、もうちょっとしたらお昼の支度をしなくちゃね。」

のどちらかで、「食べていない」という時はとにかく何かを食べさせなければ治まらないし、「もうちょっとしたら」という時は、そのもうちょっとが1分と立たないうちに経過して、また

「今日のご飯は?」

と言い続け、これがエンドレスで続きます。  これにはほとほと参りました。  でもね、そうこうしているうちにこの「ゴハン攻撃」にはいくつかのバリエーションがあることに気がつきました。  「今日のご飯は?」で終わってしまうことが多いんですけど、ごく稀にそれにもう少し長いセンテンスが続くんですよ。  それはね、

「今日のご飯は何を食べたいですか?」 

「今日のご飯は何人ですか?

「今日のゴハンはもう仕掛けてあるんだったかしら?

というようなもので、まるでお母さんが子供や亭主に問いかけているような雰囲気なんです。  この時点でばぁばは全くと言っていいほどお料理ができなくなってしまっていたし、仮にばぁばに1人で食事の支度をさせてみると、冷蔵庫に入っているもの(時には食材そのまま)をテーブルに並べてボンヤリしているのが関の山だったので、KiKi は無意識のうちに「ばぁばにはもう食事の支度はできない」→「食べさせてあげるのが当たり前」→「ばぁばも食べさせてもらうのが当たり前だと思っている」と決めつけていたようなところがあったんだけど、どうやらばぁばはできる・できないは別にして「食事の支度をして食べさせてあげたい。」と思っているのではないか?  そんな風に思い当りました。  多くを忘れ去った記憶の残骸として「主婦のつとめを果たさなければ」という意識だけは残っているんだ・・・・と。  

自分がもう料理はできないことは忘れていて、仮に上記の質問に「今日はトンカツがいいかな。」「今日の食事は全部で4人よ。」「ゴハンはまだ仕掛けていないからよろしくね♪」と返事をしたとしても、それが実行できるわけではないけれど、それでも「何かを作って食べさせたい」という意識だけはものすご~く強いのかもしれない・・・・。  そうだとしたらとにかく何かを作ってもらう(一緒に作るというべきか?)のが一番かもしれない・・・・・。


我儘なじぃじ

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じぃじは大正生まれ。  7人兄弟の末っ子です。  戦争体験があるうえに子供時代に住んでいた池袋のお屋敷は東京大空襲で焼け落ちてしまったので人並みの苦労はしてきているのですが、それでも父親(KiKi の祖父)がお金持ち(但し早世)だったため、静岡県は興津なる町(西園寺公望の別邸やら井上馨、伊藤博文の養子の博邦、松方正義らの別荘があった所)に別荘を持っていたので復員後に帰る家はあったし、その別荘という名前のお屋敷にもお手伝いさんがいたりした、いわゆるお坊ちゃん育ちです。  金持ちの末っ子で年長の兄弟とは親子ほども歳が離れ、お手伝いさん付きですから当然のことながらかなりの我儘です。

祖父が金持ちだったとは言え、本人はしがないヒラの教員だったし、祖父の遺産はその大半が戦争で失われてしまったため、KiKi が育った環境は決してお金持ちのそれではなく、いわゆる普通のサラリーマン並みの生活でした。  でも、じぃじは独立するまで「お坊ちゃん」として育てられた人なので、どこか金持ち趣味的なところがあります。

その金持ち趣味が顔を出すのはまずは食べものです。  着る物や時計・靴といった装身具系、車というような道具系にはまったく拘りを持たない人で、スーパーの安売り製品や大衆車で満足できちゃうんですけど、食べ物に関してはちょっとうるさいんですよね。  キャビアやらフォアグラといった高級食材に対する拘りはないけれど、お茶なんかはスーパーのお徳用とか玄米茶は論外だし、コーヒーもインスタントはダメ。  紅茶も日東紅茶はダメだし、ティーバッグも許せない。  牛肉は輸入肉は論外で黒毛和牛の切り落としならOKみたいな感じです。

そんなじぃじなので、当然のことながら老人ホームの食事が口に合いません。  現在入居している老人ホームは体験入居の際から「食事が口に合わない」と言っていたのですが、認知症を患い要介護4のばぁばと一緒に入居できる環境だったために「食事はそのうち慣れる・・・・」と言って自分で複数の候補の中から選択した場所であるにもかかわらず、KiKi が訪問するたびに文句を言っています。

さて、そんなじぃじの所に、実家で暮らしていた頃に資料を集めた中の1つの老人ホームからお手紙が届きました。  当時、その老人ホームは満床で受け入れてもらえる余裕がなかったため、候補から外されていたところだったんですけど、たまたま今回空き部屋ができたので、勧誘のお手紙を実家に送って下さったのです。  現在、実家は留守宅になっているので、郵便局に郵便物の転送依頼を出してあります。  結果、老人ホームにその手紙(宛名は KiKi 宛)が転送されてきたわけです。

そのホームは住み慣れた静岡県であるうえ、じぃじの大好きなエリアでもある「伊豆高原」にあります。  そして同封されたパンフレットには静岡県ならではの駿河湾で採れた魚のお刺身やら天ぷらの写真が載っていました。  そんなものを見ちゃった暁にはじぃじの我儘癖がムクムクと頭をもたげ、いてもたってもいられなくなっちゃうこと間違いなしです。  そして案の定、前回 KiKi がばぁばのひざかけをお届けしに老人ホームへ行った際に、「ここを見てきてくれ」とのたまいました。


さて、退院して以来、とにかく夜も寝なければ昼も寝ない(つまり昼夜逆転ではない)で、家の中を徘徊して回るばぁばでしたが、これ以外にも「え? そうだったの??」となってしまったことが多々あります。  その中の1つは「何でも拒否症状」です。  しかもこれ、静かに拒否するだけならまだしも、時に暴力(と言っていいかはわからないけど)や暴言がついて回ります。

ばぁばの最初の KiKi に対する暴力はお風呂の中。  退院して2ヶ月ほどは毎日お風呂介助をしていたのですが、その際にとにかく気に入らないこと(しかもこれに法則性のようなものがないだけにタチが悪い)があると、盥を投げつける、お湯をぶっかける、石鹸を投げつける、叩くと様々なことをしてくれました。  さっき法則性がないと書いたけれど、そもそもお風呂に介助者がついてくることが気に入らないのですよ。  でも、大腿骨を骨折して人工骨頭を入れたばかりのばぁばは、とにかくお尻をついてしゃがむことが禁じられていました。  でも、お風呂という場所はしゃがむ機会のやたらと多い場所なんです。

特に我が家の場合、じぃじもばぁばも、何十年というものお風呂の椅子を使ったことがありません。  洗い場でしゃがんで体を洗って80年以上の人生を過ごしてきました。  だから、せっかく介護保険で調達したお風呂グッズの用途を理解しません。  ばぁばにしてみると介護用シャワーチェアーなんぞは洗い場を狭くした邪魔くさいもの以上でも以下でもないのです。  そのうえ自分が骨折した記憶がないから、どんなに説明してもシャワーチェアーに坐ることを拒否します。

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KiKi としてはお風呂場でしゃがんでから再び立とうとした時に変な力が足にかかって、お医者さんが仰っていたように人工骨頭が外れちゃって再び手術な~んていう辛い思いはさせたくないし、ましてあの看護婦さんたちとの攻防戦を繰り返すのは御免こうむりたいわけで、何とかこの椅子に座ってもらおうと言葉を尽くすのですが、ばぁばにしてみるとこれまでの自分なりのお風呂流儀を踏襲したいうえに、とにかく指図されることが気に入りません。

結果、手近なところにある洗い桶をひっつかんで投げつける、石鹸(ボディシャンプーの類は使わないので、「♪牛乳石鹸、良い石鹸♪」を使用)をひっつかんで投げつける、意味不明のことを叫ぶと大騒ぎです。  体に触れると嫌がることはわかっていたので、KiKi は決してばぁばの身体には触れなかったので物を投げつけられるだけで済んだけど、それでもとにかく拒否が凄いんです。  KiKi が睡眠不足からくる貧血でぶっ倒れた日、じぃじがお風呂介助を交代してくれました。  でもじぃじは「体を触られることを嫌がる」ことを理解しておらず、無理やりこのシャワーチェアーに座らせようとばぁばの肩に触れたらしいんですよね。  要するに力づくで座らせようとしたわけです。  すると、こちらには強烈なピンタが飛んできたとのこと・・・・・ ^^;

時は2月。  正真正銘の真冬です。  毎日、毎日 KiKi はお風呂介助が終わるとなぜかずぶ濡れになっていて風邪をひきそうでした。  これでばぁばの動きからほんのちょっとの間でも目を離しても大丈夫な状態だったら、一緒に裸になってお風呂に入っちゃったほうがよかったぐらいです。  でも、オチオチとお風呂につかっていられる状態でもなかったため結局はこちらは洋服を着たままお風呂介助エプロンを装着してのお風呂介助でした。  さて、ようやく入浴が終わると、今度はそのずぶ濡れ状態のまま、次のお仕事が待っています。  それは着替え介助です。

ばぁばはボタンを留めたり外したり、ファスナーを上げたり下げたりといった着衣の動作にはまったく問題がありませんでした。  ところが問題は別の所にあって、その第一が「何をどの順番で着たらいいのかわからない」ということがありました。  要するに「はい、じゃあまずはこれを着て・・・・・  次はこれね」と順番に手渡していけば1人で洋服を着ることができても、すべてを1人でやらせようとすると、本来下に着るべきもの(たとえば下着)を何かの上に着ちゃったり、目につくところにじぃじの衣類なんぞが置いてあればそれを着ちゃったりとメチャクチャでした。

そのうえ、お風呂介助が必要だった時期は骨折した側の足が上に上げられないので、パジャマのズボンを履くにしろ、靴下を履くにしろ、足を通すところまでは介助が必要でした。  ところがこれが気に入らない。  こちらはずぶ濡れの体を拭く余裕もない中での着替え介助なので、できるだけさっさと着替えさせたいのに、意味不明のお喋りをしてなかなか着替えようとしてくれなかったり、ようやく着替えが始まってもすぐ手が止まっちゃったりもして、とにかく時間がかかります。  そのうえ、ズボンや靴下の足通しの介助をしようとすればそれを拒否するうえに、日によっては足蹴(骨折していない方の足で)が飛んできます。  ばぁばに蹴られて鼻血が出たこと数度・・・・・。

幸い、もう若くはないとは言え、まだまだ反射神経がさほど衰えていない KiKi は辛うじて足蹴をかわすことによって鼻血程度で済んだけど、あれ、当たり所が悪ければどうなっちゃったことやら・・・・・。  しかも悲しいのは鼻血を流している KiKi を見ても、自分が足蹴を食らわせたことは一瞬のうちに忘れちゃっているので


「あら、あなた、どうしたの??  鼻血が出ているわよ。  何かにぶつけた??  綿はどこだったかしら・・・・・。  大丈夫??  少し横になった方がいいんじゃないかしら??」


な~んていうことを実に心配そうに言うんですよ。  のど元まで


「何かにぶつけたんじゃなくて、あなたに蹴られたの。」


と出かかるんだけど、その事実を突きつけたところで反省するわけでもなし(だって自分が蹴った記憶がそもそもない)、こちらの言うことを信用するわけでもなし、ただ単に


「私に意地悪なことを言うイヤな人」


という印象だけを残す(不思議なことに何をしたかとかどんなことが起こったかという記憶は一瞬のうちに消えちゃうのに、「あいつは嫌な人」「この人は優しい人」という記憶だけは残るんですよね~、これが)ことになるので、半分涙目になりながら


「大丈夫、大丈夫。」


と答えるしかありません。  この涙、蹴られた痛さ、他でもない自分の母親から蹴られたというショック、その認識のない母へのショックといろいろ入り混じった涙なんだけど、何かにぶつけた痛みか何かだと勘違いしているらしいばぁばは、涙をふくためのタオルを手渡してくれたり、背中をさすってくれたりとやたら優しかったりします。  その姿が逆に哀れで、止まりかかった涙が又噴出してくるので文字通りこちらは全身びしょ濡れです (苦笑)


さて、ここで退院して以降のばぁばの日常生活の様子をすこしお話しておきたいと思います。  認知症の人の生活って実際に同居して一緒に暮らしてみないとわからないことがいっぱいあります。  昨年の12月のばぁばの緊急入院まで、KiKi は時折実家に帰省してはじぃじとばぁばの様子をそれなりに注意して観察していたつもりでした。  

でも、ひょっとしたら KiKi が訪ねた際にはある種の緊張状態でばぁばの症状が隠されていた部分があったのかもしれません。  もっとも、じぃじの話によれば入院前と退院後のばぁばでは別人のようになってしまったということだし、入院初日に看護婦長さんが仰っていたように KiKi の目から見てもばぁばは入院生活により一挙に認知症が悪化したとしか思えないところもあるんですけどね。

さて、入院生活中、ばぁばは数多くの問題行動をしでかしちゃったわけですが、これにどんな理由があるのか?を考えてみると「自分が思っているような排泄ができない」ということがきっかけになっていることが多かったように感じられました。  考えてみれば「排泄」という行為はある意味で人が人として生きるための根幹にある行為とも言えます。  何もわからない赤ちゃんならいざ知らず、オムツや尿取パッドで用を足すというのはある意味では屈辱的だし、昔はトイレのことを「はばかり」と呼んでいたように、どこか羞恥心と密接に関わる行為でもあります。

どんなに小さな子供でもトイレに入っているところを覗かれるのはイヤなものだし、まして見つめられている中で用を足すな~んていうのはせっかく出そうだったものも引っ込んじゃうということは自分にあてはめてみても容易に想像できることです。  ですから KiKi はある意味では自宅に帰って、使い慣れたトイレで、自分1人で用を足す(その後水洗で流して処理をするところまで含めて)ことができるようになればばぁばの問題行動は激減するのではないかと期待していました。

確かにあれほど繰り返された「おしっこ問答」は必要なくなったし、トイレと居間は隔離されているから不快感も激減したし、用を足す際には個室に籠ることもできるので羞恥心を刺激することもなくなったわけで、その部分では落ち着きを取り戻したのは事実でした。  でも、「排泄」の問題が解決しても次の問題が勃発するということがあっという間に表面化してきました。

その第一が屋内の徘徊でした。  せっかくじぃじとばぁばの居室を1階に移したものの、かつての自分の部屋が2階にあったということもあってか(でも、その家が自分の家であることさえわからなかったりもするんですけど・・・・・)、とにかく歩き回るんですよ。  

「階段は危ないからできるだけ使わないでね。」

「何で?」

「足の骨を折っちゃったこと覚えてる??  左足の付け根のあたりは、まだ痛いでしょ?」

「そうなのよ、何でこんなんなっちゃったのかしら?  歳をとるっていや~ね。」

「痛いのは歳をとったからじゃなくて、足の骨を折っちゃったからよ。  今はまだ完全には治っていないの。  だから階段で又転ぶと大変なことになっちゃうでしょ。」

「そうね。  わかりました。  階段は使わないようにします。」

そう言った30秒後には又、階段を上ったり下りたりし始めます。  退院してから3日ぐらいは我が実家の階段には手すりが装着されていなかったので、危なっかしいことこのうえない。  ダーリンがホームセンターで手すりを購入してきて、間に合わせに装着するまでは四六時中目を離せませんでした。

  

さて、半ば病院から追い出されるような形で退院することになったばぁば。  入院中にお願いした介護保険の認定調査を終えるや否や、その翌日にはあたふたと病院を後にしました。  KiKi は事前に約束していた退院時刻の2時間前には病室に行ったのですが、既に全ての荷物が雑然とビニール製の大袋に投げ込まれ、その荷造りの仕方にも「早く出て行ってくれ」と言わんばかりの気配が充満しているようでした。

「お忙しい中、荷物を纏めておいてくれたんだから・・・・」とできるだけ善意に解釈する努力はしてみたんだけど、家に帰って尿取パッドから紙オムツ、着替え、バスタオル、洗面用品といったものが全てゴチャマゼなうえ、順不同(尿取パッド10枚の上に歯ブラシ、紙オムツ5枚の上に着替え1着、尿取パッド10枚の上にバスタオル1枚、紙オムツ10枚の上にコップ・・・・みたいな感じ)に詰め込まれている様子から、いかにも投げ込んだという雰囲気が伝わってきて、とても悲しい気分になったことを覚えています。

ただ、「ばぁばが最後にしでかした事件のことを考えると、文句を言えた義理ではない」と思わざるをえず、結局は深々と頭を下げて「本当にお世話になりました。  入院中はご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。」と挨拶していました。  その気持ちに嘘偽りはないものの、お会いする看護婦さんやヘルパーさんたちが皆一様に晴れ晴れとした表情で、これまで以上ににこやかな様子なのにも何気に傷ついていました。

もちろん「退院を祝う」という気持ちがそこになかったとまでは思いません。  でも、これまでのアレコレからどうしても卑屈な気分になっちゃって、心の中で「厄介払いができてよかったですねぇ」と悪魔の KiKi が囁いているのを止めることまではできませんでした。  そしてそんな自分にも自己嫌悪。  でも、そんなことをゴチャゴチャと考えている余裕はありません。  いざベッドから降りて車に向かうとなったその瞬間から、病室の備品を持ち帰ろうとしたり、訳の分からないことを口走るばぁばを興奮させず、人様にご迷惑をかけさせず、転倒させずに誘導するだけでどっと疲労感が襲ってきました。

リハビリに関しては、まだあと2ヶ月ぐらいは続けた方がいいと言われていて、この時点では介護保険認定も下りていないということもあって、訪問リハビリを受ける資格の問題もあるため、週に2回、病院のリハビリ室に通うということで打ち合わせがしてありました。  と同時に退院後の執刀医の初診断(これが医療保険でリハビリを受けるために必須だということを後で知った)を退院の2日後に予定していると通達されました。  ばぁばの執刀医の先生は週一でその病院にいらっしゃる先生だったので、そのスケジュール自体は理解できたのですが、あと2日で診断だったらそれまで入院させておいてくれてもいいのに・・・・という想いが KiKi の頭をかすめました。  

でもまあ、その2日の間に又、ご近所の病室に不法侵入して用を足すようなことが起こったら目も当てられません。  病院から言われることは全て「はい、はい。」と受け入れ、病院が組むスケジュール通りに動くことが KiKi の中では当たり前になりつつありました。  それに輪をかけて手を焼くのがじぃじの対応で、これまでの病院のやり方に心底怒っていたじぃじは「もうこんな所には来たくもないし、1時間といたくない!」なんぞと我儘なことを言います。  まだまだリハビリでお世話にならなくちゃいけないのに、どこか喧嘩腰なじぃじをできるだけ急かして車まで連れて行きました。

車のドアを閉めた瞬間、誰にも聞こえる大きなため息を1つ。  自宅に帰り着いて、お茶を飲んで、じぃじとばぁばを新しい部屋に誘導して二人きりになった瞬間に、ダーリンが

「お疲れさん。  それにしてもすごい溜息だったなぁ。  車に乗った時。」

と笑いながら KiKi に言ったぐらいです。  

       

さて、齢88のじぃじの付き添いのまま、何とか継続されていたばぁばの隔離病棟入院生活。  ダーリン & KiKi はその間、午前と午後の2回(それぞれ2時間ずつ)のお見舞い(実家と病院の往復の移動を合わせると3時間半ずつぐらい)を続け、その合間合間に役場へ行ったり、地域統括支援センターに行ったりしつつもばぁばの帰宅準備のための大掃除 & お部屋の引っ越しに取り掛かりました。  

ばぁばの入院までじぃじとばぁばは2階の和室に和布団を敷いて就寝していたのですが、無事帰宅となっても階段はできるだけ使わない方がいいし、まして大腿骨を骨折した人は和の生活はもうできないと病院から言われていました。  そこで1階の空き部屋(と言っても色々な物が雑多に置かれていた)を退院後の2人の寝室と決め、そこに KiKi が子供時代に使っていたベッドを入れたり、昼間に過ごす部屋にゆったりしたタイプの椅子を新たに購入したりと大改造です。  同時に家中の段差という段差を調べ上げ、後日打ち合わせすることになるリホームの資料を作ったりと大忙し。

そうこうしているうちに、ばぁばのリハビリは着々と進み、ようやく病室にポータブル・トイレを入れるまでに回復してきました。  例の尿取パッドを使用中の「おしっこ問答」には誰もが辟易とし始めていた頃だったので、病院の理学療法士さん & 作業療法士さんから

「そろそろ、お部屋にポータブル・トイレを入れましょう。」

と言われた時には、ようやくこれであの「おしっこ問答」からは解放されると家族一同、ほっと胸をなでおろしました。  でも、そんなに事は単純ではなかったことをあっという間に思い知らされることになりました。

多くのことを忘れちゃっているばぁばなわけですが、変な(?)ことは覚えているんですよね~。  その筆頭が「これまで自宅で使用していたトイレは水洗だった」ということでした。

ポータブル・トイレが病室に運び込まれた時は、それを持ってきてくれた作業療法士さんにも丁寧にお礼を言ったし、「これで尿取パッドとはさよならできるわね?」と声をかけられると曖昧に頷いていたばぁばでしたが、今度はそのポータブル・トイレが自分の寝るベッドの脇に置いてあること、用を足した後に流す水道栓がついていないことにすさまじい抵抗を始めました。

もちろん、相変わらず自分が骨折をしたことも、手術を受けたことも、術後のリハビリのために入院中であることも忘れちゃっています。  そしてそのトイレで用を足すことを拒否します。  とは言え、ばぁばの病室は相変わらず看護婦さんが言うところの「隔離病棟」です。  「療養病棟」のトイレからはもっとも距離のある部屋にいる以上、まだそこまで通うことができるほどには回復していません。

少しだけ幸いだったのは以前の「おしっこ問答」では「今はまだ歩けないという話」と「尿取パッドを装着中という話」、更には「尿取パッドは優秀だ」という3つの組み合わせを全て理解しないといけなかったのがポータブル・トイレに変更になったことにより後の2つは言わなくても済むようになったこと(要は話のポイントが以前よりシンプルになったということ)・・・・・ぐらいでしょうか?

只、その代わりに今度は

「水はどうやって流すの?」

「このトイレは水は流れないの。」

「じゃあ、出しちゃったものはどうやって始末されるの?」

「ヘルパーさんか私がちゃんと片付けるから心配しないで。」

「いやよ、そんなの。  私はちゃんと水が流れるトイレに行けますから・・・・・。」

という会話にとって代わられただけ・・・・・だったんですけどね。  以前の「おしっこ問答」では1回につき30~1時間だったのが、今度の「おしっこ問答 Ver 2」では20~30分ぐらいに短縮されたことぐらいが良かったこと・・・・・だったでしょうか?(苦笑)  

ま、てなわけで、せっかく病室に運び込まれたポータブル・トイレは唯一の利用者にその利用目的を最後まで理解されないまま、病室に置かれていることになりました。  一応、家族が「おしっこ問答 Ver2.」の末に使用を促すことにより、ちゃんとその役目は果たしてくれましたけど・・・・。  ただ、ばぁばが病室にあるポータブル・トイレの存在を最後まで理解することができなかったという現実が次の大事件の遠因となったのも確かなことでした。


さて、散々だった KiKi の付き添いから1夜あけ、長距離ドライブ直後の初めての病院泊まり、夜中から明け方にかけてのばぁばの大乱闘で1時間ちょっとしか眠れず、挙句かなり手厳しい言葉を立ち聞きしちゃって気分はドンヨリ、重い頭痛と重い体を引き摺った KiKi を次に襲ったのは、執拗に繰り返される「おしっこ問答」でした。  

手術が終わるまでのばぁばはベッドに括りつけられたままの日々を送っていたのですが、事排泄に関しては比較的落ち着いていました。  と言うのも、小の方は尿道カテーテルが入れられ、本人に何ら自覚がないままに排泄終了となっていましたし、大の方はオムツでそれなりに(と言うよりこれもそこそこ凄まじかったけど ^^;)抵抗は示したものの、回数が圧倒的に少ないうえ、ばぁばの場合異食もなければこねくりまわすといった問題行動もなかったため、介護者の負担がさほど大きいものではありませんでした。

ところが手術が終わり尿道カテーテルが外された時から、介護家族は一日に何度も、そしてこれが始まると30分~1時間ぐらいはこれ一色となってしまう「おしっこ問答」に振り回されることになりました。  ばぁばの手術は大腿骨骨折ですから、手術直後は当然のことながら自力でトイレに行くことはできません。  ところが、肝心要のご本人は、自分が骨折したことも、手術を受けたばかりであることも、今はまだリハビリの初期段階で1人では歩けないことも覚えていません。  記憶にあるのは問題なくトイレに行くことができていた自分だけです。

まだリハビリの時間以外は動き回ること自体を禁止されていた初期の頃(ちょうどこれが KiKi の付き添い時とタイミングが重なりました)、尿取パッドを使用していたのですが、とにかくこれを理解することができません。  

「ここはトイレはどこ?」

「あのね、トイレはとっても遠いから今は行けないの。」

「どうして?」

「あなたは足の骨を骨折しちゃったから、まだ歩けないのよ。」

「骨折?  どうして??」

「転んじゃったらしいわよ。」

「何で?」

「さあ、夜中だったから、寝ぼけちゃっていたか、暗くて何かに躓いちゃったか・・・・。」

「じゃあ、おしっこはどこでするの?」

「今はここでするしかないの。」

「ここってどこ??」 (あたりを見回しトイレを探す素振り・・・・)

「ここよ。  このベッドの上。」

「いやよ!!  だってビチャビチャになっちゃうじゃない。」

「大丈夫。  今はこれを着けているから。」 (尿とりパッドの実物を見せる)

「これ?  これを今、私は付けているの?」

「そう。  これはね、生理のナプキン、覚えてる?  その何百倍もパワーがあって、あなたのおしっこの3回分ぐらいはちゃんと吸収してくれるの。」

「そんなもの必要ないわよ。  私はトイレぐらいちゃんと1人で行けますから。」

「あのね、ここのトイレはもの凄~く遠いし、今はまだ1人じゃ行けないの。」

「どうして?」

「あなたは足の骨を折っちゃったから、まだ歩けないの。」

「でも、おしっこしたい時はどうすればいいの?」

「今はここでするしかないの。」

「ここってどこ??」

「ここ、ベッドの上」

「嫌よ!  だってビチャビチャになっちゃうじゃないの。」

「大丈夫、これが全部吸ってくれるから。  これを今付けているのよ。  これ、生理のナプキンの何百倍も吸収してくれるから、ベッドは絶対に汚れないの。」

「へぇ・・・・・そうなの凄いわね。  で、ここはトイレはどこ??」

(以下上記を繰り返すこと20回以上)

少しでもばぁばの心配(濡れたベッドの上に横たわる自分のイメージ)を軽減しようと、本来だったら必要のないビニール風呂敷を準備してお尻の下に敷いてみたり、オムツのTV CM みたいに尿取パッドに水を吸わせて見せたりとありとあらゆる手段で納得させようとしても、尿取パッドの優秀性を一時的に納得することはできても、全体の理解にまでは及びません。  「自分が骨折した事」「今は歩けないという事」を忘れちゃうから、オムツの話に納得しても今は自分がトイレに歩いていけないことを忘れちゃう、骨折のことを思い出させた頃にはオムツの強力さの話は忘れちゃうという繰り返しです。

挙句、

「そんなにおしっこに行かせたくないんなら、我慢するからいい!」

と金切声をあげる始末。  そんなばぁばに手を焼いて、「どうすりゃいいんだ?」と途方に暮れていると、又々看護婦長さんが病室に顔を出しました。  ばぁばの拘束紐がしっかり結ばれているのを確認すると、

「KiKi さん、ちょっと・・・・・・。」

と又病室から呼び出されました。  背後から「トイレ、トイレ」と叫ぶ声が聞こえるなか、ばぁばは放置で KiKi は仕方なしに婦長さんに連れられて病室を出ました。  内心、「こんな状態で放っておいていいんだろうか?」と気が気じゃないわけですが、昨晩の大騒ぎ、今朝がたナース・ステーションで立ち聞きしたことがありますから、冷や冷やものです。


ちょっと暗いエントリー(KiKi の介護生活の思い出話)が続いているので、ここいらでもうちょっと前向き(?)な話題を1つ。  つい先日、ばぁばのひざかけが完成してプレゼントしたお話をさせていただきました。(完成時のエントリー喜ぶばぁばのエントリー)  で、ばぁばにひざかけをプレゼントした日にはおまけのお話が2つほどありました。  そのうちの1つはもう間もなく、別のエントリーでお話することになると思うので今日はちょっと横に置いておきますね。  で残りの1つが今日のこのエントリーの主題です。

実は・・・・ですね。  先日、あのキルトをばぁばにプレゼントした時、その場に同席していた同じ老人ホームに入居しているじぃじがその様子をじぃ~っと無言のまま見つめていました。  でね、そのじぃじの眼差しが実に雄弁で、と~っても羨ましそうにしているんですよね。  で、暫くは無言状態に耐えて(?)いたんだけど結局黙ってはいられなくなったらしくて、口を開いたんです。  何を言うのかな?と思えば

「最近、だいぶ寒くなってきたから夜、足元が冷えるんだよ・・・・・。」

なんぞとぼそっとのたまうのです。  ま、何気に「自分にも何か作って欲しいなアピール」をしているっていう感じでしょうか(笑)

わが家の場合、本来なら年長の父が何事も優先になってもおかしくないはずのところが、じぃじは「要支援1」だし頭もしっかりしているし、とりあえず自力歩行もできれば食事も問題なしという状態です。  対するばぁばは「要介護4」でアルツハイマー型認知症で、問題行動も結構激しく・・・・・ということで、どうしても何事も母優先になっちゃいます。  そういう意味では実に可哀相な爺様なんですよね~。(苦笑)

でも、KiKi だって決してじぃじのことを忘れていたわけでも蔑ろにしていたわけでもありません。  実はいつもお世話になっているベアーズ・ ポーさんの夏のセールの際にあの「オールド・ファッションド・キルト」と一緒に「お昼寝キルト Ver. 5」(↓)を同時購入させていただいていました。  これはこの「お昼寝キルト Ver.5」をじぃじ用にと考えてのことでした。 

 

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ただね、実はこれには裏話があって、その時から本当ならじぃじ用は同じショップの「チェックとストライプのキルトキット」(↓)がいいだろうなぁと思っていたんですよ。  ただ、その時点ではそのキルト・キットは Sold Out で販売停止中だったんですよね。  で、次善の策ということで選んだのが「お昼寝キルト」だったんです。  もちろんこの「お昼寝キルト」も、KiKi 個人としてはと~っても気に入っているものだからこそ購入させていただいたわけだけど、齢89の爺様向けにしてはちょっと可愛すぎるでしょ? (笑)


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ところが数日前、ベアーズ・ポーさんのサイトにお邪魔してみたら、この「チェックとストライプのキルト」が復活販売されているじゃあ~りませんか!  そうなると、どう考えてもじぃじ用のキルトは「お昼寝キルト」よりも「チェックとストライプのキルト」の方がよさそうに思えてきました。 

ま、てなわけで10月6日の夜に注文メールを発信。  そして今日、そのキットが到着しました。

    

さて、夜中のトイレ通いが原因で、病院から追い出されることになった付添人のじぃじ。  なんとかじぃじを傷つけないようにということで「体が辛いだろうから・・・・」とか「適度なタイミングで交代も必要だから・・・・」とか「今後の介護生活のことを考えたら私たちが倒れるわけにはいかないんだから・・・・」等々と言葉を選びながら交代を促すんですけど、なかなか首を縦に振りません。  「お前たちも沼津と群馬を移動したばかりで疲れているんだから・・・・」とか「私は軍隊時代にもっと辛いことを経験しているし、鍛え上げているから大丈夫・・・・」とか「どうせ家に帰ってもばぁばのことが心配で眠れないんだから・・・・」なんぞと言い募ります。  挙句、「私はもう共倒れは覚悟しているけど、お前たちに倒れられたらそれこそ大変なんだから・・・・」なんぞという訳のわからないことまで言い出す始末です。

そこで仕方なく看護婦長さんに言われたことをかいつまんで伝え、病院としては入院患者ではないじぃじの心配まではできないし、何かあった時には責任が取れないからと言っていることを伝えました。  それを聞いたじぃじはさすがにかなり傷ついた表情をしていたのですが、一応納得はしてくれて、その日の夜は試しに KiKi と交代することに同意してくれました。  まあ、その間も周りで起こっていることにはまったく無関心のばぁばが執拗に繰り返す「おしっこ問答」(この詳細は後日、お話します。)に悩まされ、頭は爆発しそうです。  

さて、いよいよ面会家族が帰るという段になると、ばぁばの激しい抵抗が始まりました。  じぃじが

「じゃあ、明日又、会いに来るからね。  今日は私は家に帰るけど、 KiKi が泊まってくれるから淋しくないだろう?」

と声をかけると、悲痛な声で

「やだ!!  置いてかないで!  KiKi って誰?  そんな人、知らない!!」

と叫びます。  娘のことがわからないばぁばしてみれば、じぃじに置いて行かれることだけが不安をかきたてる要因で、叫ばずにはいられないほどであることは頭ではわかります。  でも、KiKi にしてみればそれこそ群馬→沼津の移動の直後で、せめてこの夜ぐらいは家でゆっくり休みたいのが本音なのに、それに輪をかけての拒絶を耳もとで叫ばれると、そのショックたるや生半可なものではありません。  

最初に KiKi のことが判らなかった時のショックも半端なものではなかったけれど、この時の KiKi は半ば放心状態。  目の前にいる母は母であって母でない人。  見知らぬ老婆以外のナニモノでもありません。  そんな状態のばぁばを前に今度は一度は納得したじぃじが KiKi に向かって言い始めます。

「ほら、こんな状態だから・・・・。  交代してあげようっていうお前の気持ちは嬉しいし、病院の言っていることもわからないじゃないけど、やっぱり付き添いは私じゃなきゃダメだと思うぞ。」

と半分諦めたような、半分勝ち誇ったような口調です。  再び「付き添い交代議論」を繰り返し始めている KiKi たちを尻目にばぁばは

「みんなで私を捨てようとしている!  私のことが嫌いになったんですか!?  だったら私はどこか他所へ行きます!!」

と叫び続け、ベッドから降りてこようとします。  くどいようですが、ばぁばは大腿骨を骨折し、この時点ではまだまだちゃんと歩ける状態ではありません。  でも残念ながら認知症に侵されたばぁばの脳は自分が骨折したことも、手術を受けたばかりであることも、リハビリの最中であることもすぐに忘れてしまうのです。  その為、家族全員が揃って面会している時間以外はベッドに拘束されていました。  ふと目を離した隙に骨折していたことを忘れてベッドから降りようとして、又は歩き回ろうとして再び転ぶようなことにでもなったら、目も当てられないからです。  でもこの2度目の「付添人交代議論」を KiKi たちが繰り広げている間は家族全員が病室に顔を揃えている状態だったので、拘束が解かれていました。

この議論には積極的には参加していなかったダーリンがベッドから降りようとするばぁばを必死になって押しとどめようとしたのですが、「火事場の馬鹿力」とはよく言ったもので、どこか遠慮のあるダーリンよりも必死度で勝るばぁばの力の方が上をいっています。  慌てて議論を中断し、加勢に加わるじぃじ & KiKi。  でも3人掛かりで押さえようとすればするほどばぁばの興奮度はそれに比例してアップしていきます。  家族の場合、ここで力づく・・・・とはどうしてもいかず、宥めたりすかしたりしながらベッドの上に居続けさせよう、興奮を鎮めようとするわけですが、とにかくベッドから降りること以外には何も考えていないばぁばには太刀打ちできません。

そしてこの大騒ぎに気がついた看護婦さんが数人、病室に飛び込んできました。  そして KiKi たちの目の前で暴れるばぁばを押さえつけ、ベッドに括りつけました。  もちろんばぁばの悲痛な叫びはそれまで以上に激しいものになり、病室は修羅場と化しました。  ばぁばの叫びがすすり泣きに変わった頃、じぃじが看護婦さんに向かって KiKi に対するよりもさらに勝ち誇ったような口調で

「もうこの人(ばぁば)には娘のことがわからないんです。  だから付き添いは私じゃなければダメなんです!  しかも娘は長距離移動で疲れているんです。  私は疲れていません!」

と言い募ります。  本来ならここで KiKi が何かを言うべきだったんでしょうけど、KiKi 自身はつい先ほど耳もとで叫ばれた「KiKi って誰?  そんな人知らない!!」ショックの延長線上にあって、目の前で起こっている全ての出来事が現実とは思えないまま、ただひたすら茫然としていました。  すすり泣き続けているばぁばの背中を機械的に、ほとんど何の感情も湧かないまま撫で続けていました。  その後、看護婦長さんとじぃじの間で何事やら会話が交わされていたのですが、すべてが無声映画みたいな感じで KiKi の耳にはほとんど何も届きませんでした。

     

さて、完全看護のはずの病院から終日の付き添いを依頼(というより命令?)されてしまった KiKi。  ここで大きな問題が発生しました。  何せ、ダーリン & KiKi は緊急事態ということでとにかく取るものもとりあえず・・・・という状態で KiKi の実家に帰省していました。  つまり自分たちの着替えだって必要最低限のものしか持ってきていなかったし、何よりも自分の家の始末だって十分とは言えない状態で飛び出してきていました。  

冷蔵庫の中には生ものを含め食料品がいっぱい詰まっている(何せ山小舎暮らしでは近くにお店がないから、どんなものであれストックが必要なんです)し、一応水道の水抜き(← これ、山小舎暮らしだと冬には絶対に必要です。  これをちゃんとしておいたって水道管が凍り付いて後日色々なトラブルが発生したぐらいですから)だけはしてきたけど、気になるところは一杯あります。  更に、税金や社会保険関係だってこれまで村役場に直接納税に行っていたからこのままいつ終わるとも知れぬ介護生活に突入しちゃったら「滞納 → 延滞金」となっちゃうこと確実だし、更に更にダーリンの通院予定日だって控えていました。

当然のことながら KiKi たちの移動には我が愛犬のノルンちゃんもご同行なわけだけど、ワンコグッズ(餌とかおしっこシーツとか)だって我が家には在庫がいっぱいあるのに実家に運んだのはほんのその一部です。  これらはもちろん実家付近でも購入可能だけど、餌なんかは一応「賞味期限」みたいなものもあるので、みすみすその在庫の全てをゴミ箱に捨てちゃってもいいやと思えるほどにはダーリン & KiKi はお金持ちでもありません。  冬越えするための最低限の畑仕事だってまだ残っていたし、とにかくこのままなし崩し的に実家に居続ける前に、何はともあれ一度は自分たちの家に帰らなければいけませんでした。

もっと言うならこの時点でダーリンは通院している病院から過去に心筋梗塞で入れたステント部分の血流を確認するために一度検査入院を考えた方がいいと勧められていて、それをどうするかも相談しなくちゃいけませんでした。  その準備の一環として通常の通院(これは薬をもらうため)以外にもいくつかの「通い検査」の日程も既に組まれていました。  つまり、ダーリン & KiKi は可能な限り沼津にいることはできても、このまま沼津で即同居と決められる状態にはありませんでした。

ところがばぁばが入院した病院はそんなこちらの都合には全く頓着せず、「何はなくても付き添いだけはしてもらわなければ困る」という勢いで迫ってきます。  結局この時は齢88の爺様が付き添いをすることになりました。  実際問題として、ダーリン & KiKi は群馬へ行かなくちゃいけないし、爺様は1人では生活できない人だし、そうじゃなくてもばぁばのことが心配で夜もろくろく眠れないじぃじは自分からその役目を買って出てくれました。

正直なところ、年寄りにそんなことはさせたくなかったけれど、状況が状況(つまり物理的に付き添いができるのはじぃじだけだった)だし、じぃじ自身もばぁばの側にいて様子を見ていた方が安心できると言うし、何よりもばぁばはもはや KiKi のことを忘れちゃっているわけで、見ず知らずの人間だとばぁばが思っているKiKi が付き添うよりはじぃじが側に居てくれた方が落ち着くことも確かです。  ま、てなわけで、それから約1週間、ダーリン & KiKi はLothlórien_山小舎に一時帰宅し、じぃじが付き添うことになりました。

   

さて、ここまでは「介護保険」に関してあれこれ綴ってきたわけですが、そして、これまでお話してきた以上にこの後もこの介護保険に関しては「え? そうだったの??」と思うことが満載なわけですが、ここでちょっと寄り道してこの「介護保険申請」と並行して発生していた事件についてお話しておきたいと思います。  よく「介護家族の孤立化」という話を耳にしますが、KiKi 自身がそれを最初に痛感したのが今日からお話する事件(?)と介護保険申請手続き上で発生したあれこれ(その1、 その2、 その3)が同時発生したことにより追い詰められた気分に陥ったことが原因でした。

このブログでは何度もお話しているように、KiKi の介護生活はばぁばが自宅台所で転倒し、大腿骨骨頭骨折という大怪我を負ったことから始まっています。  帰省翌日にばぁばの入院した病院を訪ねた KiKi は嫌になるくらいたくさんの書類を渡され、それに署名・捺印し、色々な人から色々なことを聞かされと大忙しでした。  その中で病院がしきりに強調していたのは

「ここは完全看護の体制を敷いている病院ですから、ご家族の付き添いはご遠慮いただいています。」

ということでした。  我が家の場合、これはある意味では願ってもいないシステムでした。  大正生まれのじぃじは家事一切ができない昔気質の人です。  ばぁばがいなければご飯も食べられなければ、洗濯も掃除もできない、自分の着替えがどこにあるのかさえ正確には把握していない、そんな人なんです。  しかも「片づける」ということが昔から苦手な人で、どんなものでも出したら出しっ放し、やり始めたらやりっ放し。  その面倒を見ながら・・・・となると毎日お見舞いに行くのが精一杯。  とてもじゃないけれど付き添いな~んていう洒落たことができるような状態ではありませんでした。

しかも・・・・です。  これまでの KiKi は帰省しても自分にあてがわれた部屋かリビングにいることが多く、ましてじぃじとばぁばの寝室の押し入れの中だとか、洋服ダンスの中なんて覗いたこともなかったんですけど、いざばぁばがいないということでそれらを空けてみたらビックリ仰天!  何事もキチンとしていたばぁばだったはずなのに、洋服ダンスの中の洋服はメチャクチャだし、押し入れに至っては「ここはゴミ入れか?」というように雑多なものが詰め込まれ、ものすごいことになっていました。

ま、てなわけで、お見舞いに行かない時間には家中の大掃除に着手し、たまっていた洗濯物やら洋服ダンスに押し込まれていた「最後に洗ったのはいつ?」というような衣類を洗濯したりと大忙し。  買いだめしたまま仕舞い込んで変色しちゃっているお砂糖だとか、ペットボトルに色がついちゃって見た目もドロドロになっているお醤油やらを廃棄処分したりと、とにかく休む暇もありません。

それでもばぁばの手術が終わるまでの数日は忙しいながらもそこそこ普通っぽい生活ができていました。  それはたまたまばぁばが入院した病室がナース・ステーションのお隣の個室だったこと、更には尿道カテーテルを装着されていたために、この後発生する「おしっこ問答」に煩わされることがなかったからです。  ばぁばが緊急入院したのは12月27日の夜でした。  その病院では整形外科の先生はすべて「通い」の先生で、特に大腿骨骨頭骨折の処置ができる先生は週一でその病院にいらっしゃる先生でした。  年末年始を挟んだというタイミングの悪さも手伝って、手術予定日は1月4日になり1週間余りは痛み止め以外には手を下すこともできないまま時間を過ごさざるを得ませんでした。

  

このエントリーでもお話したように、今日は午後からできたてほやほやの「オールド・ファッションド・キルト」を引っ提げて、じぃじとばぁばのご機嫌伺いに行ってきました。  今日はお天気が悪かったので、「黄昏症候群」の傾向もあるばぁばはご機嫌斜めである可能性がとても高かったのでそれなりの覚悟をしての訪問だったんですけど、とりあえずお迎えの第一声は比較的明るかったのでほっと一安心。  で、早速あのできたてほやほやをプレゼントしました。  すると・・・・・


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見てください、この満面の笑み!!  広げちゃってポーズをとって写真におさまろうとするなんてこれ以上の表現はないだろうというぐらいの喜びの表現で、こちらが嬉しくなっちゃったぐらいです。  本当、久しぶりにこの笑顔を見られただけでも、このキルトを作った甲斐があったというものです。


もっとも・・・・・・・・


帰りしなに、


「じゃあ、○○さん。  今日プレゼントしたひざかけ、寒いときには使ってね♪」


と声をかけた時には


「はぁ?  プレゼント??  ひざかけってどれ???」


とのお答え(因みにキルトは丁寧に畳んでベッドの上)だったので、使ってもらえる可能性は限りなくゼロに近いかもしれません(苦笑)     

やっと完成しました!  ばぁばのひざかけ、「オールド・ファッションド・キルト」です。  途中、汗まみれになって手が止まったり、五十肩(?)で完成が危ぶまれたりと色々ありました。  でも、できあがってみればそんなことは遠い昔の空の下(つい最近の出来事もあったけど・・・・・)。  何はともあれめでたい!!  今日の午後はこれを引っ提げて、じぃじとばぁばのご機嫌伺いです。


ま、てなわけで、あくまでも記録としてこの完成をお祝いし、お披露目しておきたいと思います。  では行きますよ。  まずはドラムロール。  そして


  パンパカパ~ン!!





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以前のエントリーにも書いたけど、シンプルな四角つなぎに落としキルトというジミも地味。  何のひねりも細工もないキルトです(苦笑)  でも大事なことは本格的な寒さが襲ってくる前にプレゼントするということだからこれはこれで良しとすることにしましょう。

    

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椅子の背もたれにひっかけるとこんな感じ。  布の配置はもっと何とかなったんじゃないか?と思わないでもないけれど、まぁ、さほど悪くもなさそうだから、これも又良しとしておきましょう(苦笑)  

これを畳んで(↓)


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100円ショップで購入したラッピング袋に入れて(↓)プレゼントの恰好が整いました。  東京だったらオシャレなラッピング用品が佩いて捨てるほど売られているけれど、この辺りではどこへ行けばそれらが入手できるのかさっぱりわかりません ^^;  ベイシアだとかカインズホームを訪ね歩いてみたけれど見つけられず、結局カインズホームのお姉さんに教えてもらった売り場候補地が100円ショップでした。  

「80歳を過ぎたおばあちゃんへのプレゼントにこの袋?」と思わないでもなかったけれど、そこはまあ仕方ありません。  田舎暮らしが身についてくると「あるもので間に合わせる精神」がどんどん鍛え上げられます。


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さて、ばぁばはこのプレゼントを喜んでくれるでしょうか??  何事であれ「プレゼント」と言えばその瞬間だけはそこそこ喜んでくれるだろうけど、一瞬の後にプレゼントされたことは忘れちゃうんだろうなぁ・・・・。  そして最大の難関は使ってくれるかどうかなんだけど、そこは期待しすぎると悲しくなっちゃうこともあるだろうから、できるだけ淡々と事実だけを受け入れる心の準備はしておかないとね。        


申請手続きだけで介護家族をイライラさせてくれちゃったばぁばの介護保険。  それから1週間、どこからも誰からも何の連絡も入りません。  まあ、ばぁばの場合、大腿骨骨頭骨折後のリハビリという用事もあるし、認知症の問題もあるわけで、更には入院代支払いで家計が破綻するということでもなかったために、入院が長引いたからといって問題があるわけでもなかったからいいんですけど、いったいいつになったら退院日程が決められることやら・・・・・・。

そしてそこから更に3日ほどが過ぎ、病院から帰宅してみると我が家の留守電にメッセージありのランプが灯っていました。  留守電メッセージは件の「認定調査の役場委託先」からで、認定調査の日程についてお話したいとのこと。  「家電ではなく携帯にと、申請書にも書いたし、窓口でも念を押したのに・・・・・。」とここでも又プチ・イラ!(苦笑)  でもまあ、これは役場の怠慢かはたまた委託先のうっかりかは定かじゃないから・・・・・と自分を納得させます。  とは言っても、KiKi のプチ・イラの矛先は当然あのあんちゃんに向けられていたわけですが・・・・・・(笑)

そして、留守電メッセージをいただいたのが金曜日の夕方、折り返し電話をできたのが月曜日の朝一とここでロスタイム2日。  そこからようやく認定調査の日程の打ち合わせが始まったのでした。  結果的に認定調査の日程は KiKi が病院から「いつでも退院OK」というお話をいただいてから2週間後でした。

認定調査に来ていただいた方はさすがにこういうケースを扱いなれていらっしゃる方で「役場から来ました」な~んていう無粋なことは一切仰らず、「○○さん、お久しぶりです。  入院されたと伺ったのでお見舞いに来ました。」と名乗ってくださり、最初は警戒心丸出しだったばぁばも笑顔を見せるようになり、穏やかなムードで本人との面談は終了しました。  基本、「ええかっこしい」のばぁばは調子よく調査員さんと会話をします。  ただ、自分の苗字は忘れちゃってるし、自分の誕生日も答えられないし、調査員さんが来る直前には「私は誰?」「私の名前は?」「この人(じぃじ)はあなたの何?」と予習をしてあったのに、じぃじのことは「お兄さん。」  KiKi のことは「お友達」と紹介するお惚けぶりを発揮していました(苦笑) 

ばぁばとの面談が終了すると調査員さんは病室の外に KiKi を呼び出し、ばぁばとの問答がどのくらい正確だったのかの確認やら最近のばぁばの様子の聞き取り調査をされました。  その後、病院の看護婦さんからも聞き取りをされるとのことでした。  そのうえで最後には「できるだけ早く認定結果が出るよう、善処させていただきます。」とまで仰ってくださいました。  あの役場のあんちゃんではなく、この人と直接申請手続きができれば良かったのに・・・・・と思ってしまうほど、介護家族を安心させる術をお持ちの方でした。

そしてその認定調査の翌日、ばぁばは無事(?)退院。  後は認定結果を待つだけとなりました。

ばぁばの退院の翌日、既に「地域包括支援センター」の計らいで決まっていたケアマネさんとの打ち合わせがありました。  本来なら認定結果が出てからケアマネさんが決まるというのが正規の流れなんですけど、我が家の場合はあの役場のあんちゃんを除くと関係者の誰もがその緊急性を認識してくださって対応していただけたのには本当に助かりました。  そしてそのケアマネさんに認定調査の状況をお伝えし、認知症というよりは「大腿骨骨頭骨折」の関係で必要となる「お風呂グッズ」のお話やら、自宅改修(バリアフリー)のお話などを進め、最後に再び「認定調査」のお話に戻りました。


1月7日、ネットからダウンロードした申請書フォーマットに必要項目を自宅で記入し、町役場の「保険福祉課」に足を運んだ じぃい、ダーリン & KiKi。  対応に現れた窓口職員は20代後半ぐらいの、いかにも世間知らず、いかにもお役所人間という「福祉」という言葉とは見た目およそ相性のよくなさそうな兄ちゃんでした。

提出書類を一瞥したこの兄ちゃん、開口一番、こう言ってのけました。


「手術されたばかりなんですよね。  じゃあ、退院日程が決まったらもう一度申請に出直してください。  この保険の趣旨は自宅生活を送れるようになるまで回復した時に「介護認定」することになってます。  手術直後はどうしても重症なように見受けられ、介護認定が必要以上に重くなって限られた財源を多く拠出することになりますから。」


えっとですね、KiKi も落ちこぼれながらも会計人としてその兄ちゃんの社会人生活の倍以上の時間を社会人として過ごしてきた人間ですから、言っていることはわかります。  でもね、物には言い方ってモンがあると思うんですよね。  制度の財政事情の話なんていうのは、はっきり言えば「他人事」の間はそれなりに大事だけど、当事者ともなればそれより大事なことが出てきちゃうんです。  しかも・・・・・です。  ばぁばが入院しているのは人工骨頭を入れたことによる要するに「整形外科」分野で、介護認定が必要なのは「認知症」の方なんですけど・・・・・・  そう思った KiKi の頭に病院の看護婦長さんの言葉やら、地域統括センターの方の言葉が蘇ります。

「役所は渋るかもしれない・・・・。  病院が申請するようにと言っていると言え。  骨折が申請理由ではなく認知症が問題なんだと言え。 etc. etc.」  そこでちょっとムッとするのを必死で抑え、できるだけ穏やかな声音で KiKi が口を開きます。


「あの、仰ることはわかるんですけど、病院からも地域包括支援センターからも、早く早くとせかされていますし、第一母の場合は整形外科の手術ゆえの問題と言うよりは認知症の・・・・・。」


するとその KiKi の言葉が終わらない前に、まるで遮るかのように


とにかく本来退院されてご自宅に戻られてから『認定調査』というのが正しくて、申請書によれば認定調査の場所は病院となっていますから、調査員を病院に送ることは送りますけど、それは退院スケジュールが決まってからです。」

「財源は限られているんですから。」


とまるで保険金詐欺をしようとしている人間に対応しているかの如く一方的かつ高圧的です。  しかも、KiKi が口を開きそうな気配を見せる度にこの決まり文句を声高に言い募り、KiKi に次の言葉を発する暇さえ与えようとしません。  そのあまりの高飛車な態度に思わず感情的になりそうなのを、「これもばぁばの今後のため。  お役所と喧嘩してもいいことは1つもない。」とぐっとこらえました。  そんな2人のやりとりを半分ツンボのじぃじはオロオロしながら見守っています。  この時ほど KiKi は「じぃじの耳が聞こえなくてよかった」と思ったことはありません。  こんなやりとりをちゃんとじぃじが聞き取ることができていたら、KiKi より先にじぃじの方が


「あんた、そんな言い方はないだろう!!  こちらは病院や地域包括支援センターに言われて手続きに来てるんだ。  そもそも人を保険金詐欺扱いするとは何事だ!!」


と怒鳴って大ゲンカをしていたことでしょう。

この時、KiKi は思いました。  公務員たる者、公共の利益を守るのが仕事ですし、限られた財源の中で住民サービスを行うのは大変なことだと思います。  とは言うのもの、仮にも「保険福祉課」な~んていう名前のところに配属された人は、もうちょっと人間的に成熟していただかないといらぬトラブルを生むなぁ・・・・・と。

  

先日このエントリーを書いて以来、どうも気分がモヤモヤとしている KiKi。  何にモヤモヤしているのか?と言えば「認知症介護現場の実際」がほとんど社会的には理解されていないような気がすることに端を発しているような気がしてきました。  KiKi 自身もこのLothlórien_Blog に「介護日記」というカテゴリーを設けてわずかばかりのエントリーを書いてきたけれど、どちらかと言えば「愚痴」に近いようなエントリーばかりで、どんなことが起こり、どんなことをして、その時にどんなことを感じ、どんな風に自己嫌悪に陥ったのかを文字にする時間的余裕も精神的余裕も持ち合わせていませんでした。

世の中には「認知症」について書かれた本や「介護生活」について書かれた本が数多く存在しています。  KiKi 自身もそういう本には何冊もお世話になったし、実際の介護生活で役に立った情報をいくつももらったのは事実です。  でも、それらの本に共通していたのはどこか「綺麗事」が書かれていたなぁということでした。  我が国では高齢化の進展とともに、認知症の人数も増加しています。  65歳以上の高齢者では平成22年度の時点で、7人に1人程度とされているのだそうです。  でも残念ながら決して他人事ではないこの認知症と向き合う生活がどんなものなのかについての情報はまだまだ足りていないように感じます。

介護疲れから主介護者が亡くなったケースもあります。  献身的な介護の末に限界に達し、被介護者を殺めてしまうケースもあります。  心中と言う痛ましい決断を下すに至ったケースもあります。  介護の実際を経験したことのない方の目から見れば「なぜ?」「追い詰められる前にできることがあったんじゃないの?」と思われることも多いのではないかと思います。  でも、KiKi 自身も手こそ下さなかったけれど心の中では何度もばぁばを抹殺したくなったし、何もかも投げ出して逃避したいと考えたことが何度もありました。  そこには KiKi の弱さがなかったとは言いません。  でもその時は「そうしなければ私がばぁばに殺される」とさえ感じていたのも又事実です。

認知症の症状は人によって千差万別なところがあります。  そういう意味では KiKi が経験・見聞してきたケースはほんのその一例で認知症に罹患された方全てにあてはまるわけではないし、認知症介護の現場で起こる出来事はそれこそケース・バイ・ケースです。  でも、認知症患者を抱えた介護家族は多かれ少なかれ、「まさか?が休みなく継続する日常」を、「終わりの見えない希望がないとしか思えないような生活」を送っているのは事実です。  ですから今後このカテゴリーでは綺麗ごとは極力排し、その実際がどんなものなのかを、KiKi の記憶が鮮明なうちに、しかもじぃじとばぁばを老人ホームに預けることによって、かなり精神的に落ち着いてきた今、できるだけ赤裸々に記述しておきたいと思います。  これは今しかできないことのような気がするのです。

今日はまずその第一弾。  介護保険に関するお話からです。

  

今日、定期巡回先の「介護ブログ」にお邪魔してみたら、この記事に関する憤りのエントリーを拝見しました。


朝日新聞デジタル (認知症とわたしたち)家族の責任、どこまで 徘徊中、線路に...遺族に賠償命令


このデジタル新聞が閲覧できない方のためにこの記事の概略をまとめると以下のような感じです。


2007年12月、愛知県に住む当時91歳の男性が、JR東海道線の共和駅で、列車にはねられて死亡した。  この男性は要介護4の認知症を患う方。  身の回りの世話は、同居する当時85歳の妻(要介護1)と、介護のために横浜市から近所に移り住んだ長男の妻(長男は仕事のため別居中)が担っていた。

この男性には過去に2度ほど徘徊した実績(?)があった。

事故当日、ディ・サービスから帰宅した男性と男性の妻・長男の妻は3人でお茶を飲んだ。  その後、長男の妻が玄関先を片付けに行き、男性の妻がまどろんだわずかな間に男性は外出。  その外出中の事故だった。

JR東海は、男性の妻と、横浜市で暮らす長男を含めたきょうだい4人に対し、振り替え輸送の費用など損害約720万円の支払いを求め、名古屋地裁に提訴した。

判決: 死亡した男性には「責任能力がなかった」とし、遺族のうち男性の妻(要介護1の85歳)と長男(事実上の介護監督者)の2人には「事故を防止する義務があった」として賠償責任を認めた。  男性の次男・次女・三女は遠くに住むなどの事情で、家族会議に参加しないなど、介護に深く関与していなかったから責任を認めなかった。

遺族代理人の畑井研吾弁護士は「介護の実態を無視した判決だ。  認知症の人は閉じ込めるか、施設に入れるしかなくなる」と批判。  長男らは名古屋高裁に控訴した。


これ、本当に考えさせられます。  ばぁばの言動を間近に見てきた KiKi には認知症患者が他者に何らかの損害・危害を悪意なく負わせるリスクはとても高いことがよ~くわかります。  そういう意味では介護家族の責任は重大です。  でも、だからといって徘徊癖のある認知症患者を外に出さないようにするためには、記事中にある弁護士の発言にもあるように、閉じ込め(厳重施錠; 普通の鍵かけレベルでは追いつきません!)、抑制(行動を制限されたことにより家中で暴れまわることさえありうるので、下手をすれば動き回らないように何かに縛り付けることだって想定せずにはおけません)、つまり施錠・監禁するか、認知症病棟への入院しか打つ手がなくなってしまいます。

24時間、365日、一時も目を離さずに監視するな~んていうのは実際問題としては不可能なんですよ。  例えばちょっとトイレに行ったその間・・・・とか、ちょっと台所で仕事をしていたその間・・・・・とか、そんなちょっとした隙間時間に思ってもいなかったようなことをやらかしちゃうのが認知症患者でもあるんです。

記事によれば判決では「ヘルパーを雇うなどの在宅介護を続けるうえでの方策もとっていなかった」とあったのですが、認知症の患者の中には自宅にヘルパー(≒ 他人)が入り込むことを極端に厭う症状を表す人もいます。  我が家のばぁばはまさにそんな人で、同居介護期間中に KiKi たちがどうしてもLothlórien_山小舎に数日帰らなければならないことがあった時、やむを得ず「自費ヘルパー(≒ 介護保険の適用外で全額自己負担)」を雇ったのですが、逆にヘルパーさんが家へ来るとそのことに憤り家出をしたな~んていうことが2回ほどありました。

仕組みがあるのにそれを利用しないのは怠慢みたいな論調という印象があるんだけど、仕組みがあってもそれを利用できないケースも実際にはあるのが認知症介護の現場です。  KiKi も要介護4の母と要支援1の父を抱えた介護生活の間、ケアマネさんに勧められた「ディ・サービス」、「ショート・ステイ」、「訪問リハビリ」、「訪問ヘルパー」とあれこれを試してみようと試みたけれど、結局じぃじ & ばぁばの拒否にあい、結果的にどれも利用することができませんでした。

本人が慣れるまで我慢すべきだという意見もあるだろうけれど、本人の拒否を無視した無理強いは結局、「暴言・暴行」の原因となることも多いし、我がばぁばの場合はそれが「家出」にもつながっていました。  「家出 → 徘徊」という負のスパイラルを考えると、「嫌がることは無理強いできない」という結論もありうるわけですよ。  

それにね、もっと言うならケアマネさんという介護現場の最前線にいらっしゃる方の立場であってさえも「試してみたけどこれはダメでしたね。  もっと別のことを考えてみますね。  じゃあ、今日はこれで失礼します。」で終わっちゃう部分もあるんです。  でも介護家族はそれで「やれやれ。」じゃないし、ましてや「じゃあ、今日はこれで・・・・・」とはいきません。  うまくいかなかったことはさっさと忘れて、被介護者(しかもそういうサービス失敗直後だと感情的にも半端じゃなく不安定)を抱えて日常生活を何とか継続させる孤軍奮闘が続くのです。


ばぁばと私

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昨日、とあるエントリーにある方からコメントを頂戴しました。  そのコメントを拝見して、改めて KiKi が意識せずに心の中で強く抱き続けている願望に気が付いてしまったような気がしたので今日のこのエントリーを記録として残しておくことにしました。

このブログでは何度もお話しているように KiKi の母(以後、ばぁば)は昨年末に自宅の台所で転倒し、大腿骨骨頭骨折という大怪我を負いました。  年末と言うこともあり、新年の予定をたてるためにKiKi が実家にたまたま電話をしてみたら、その電話に出たじぃじからいきなりその事故の話を聞かされました。  電話をした時刻は既に午後3時をまわっていたのですが、その日の早朝(それも午前3時頃)、ふと目をさましたじぃじは隣の布団に寝ているはずのばぁばの姿がなかったので、心配になって階下の台所に行ってみたのだそうです。  そしてそこで見つけたのは台所で蹲り「痛い、痛い・・・・。  寒い、寒い。」と言って泣いているばぁばだったというのです。  そこから約半日、ばぁばはずっと台所に蹲り、腰痛持ちのじぃじはどうしようもない時間を延々と過ごし続けているとのことでした。

しかも、朝の6時近くになって「トイレに行きたい。」と訴えるばぁばを何とか助け起こしてトイレに誘導しようとしたものの、立たせようとすると大声で「キャ~、痛い。」と叫び頑として動こうとしないのでどうしようもなかったこと、結局その場でいわゆる「おもらし」をさせるしかなかったこと、更にはその時に何とか下着を脱がせたものの、着替えさせようとするとまた痛がって叫ぶので下半身丸出し状態で台所に蹲り続けさせていることなどを伝えてきました。

冷静に考えれば、じぃじ1人ではどうしようもないことだけは明白なのに、それでも何一つ手を打っていない(KiKi に連絡することさえ忘れている ^^;)じぃじ。  でも、Lothlórien_山小舎から我が実家まではどんなに急いでも4時間弱はかかってしまいます。  まさかそんなに緊急に実家に向かうことになるとは想定外だったので、その電話を受けてから支度をして出かけるともなれば5時間はかかるでしょう。  そうこうしているうちにその日の夜を迎えてしまって、もう誰のヘルプも受けられない時間帯に突入してしまうことが想像できました。  

そこで何かと渋るじぃじをとにかく説き伏せて、町役場の福祉課にヘルプを求めて、最低限でも着替えをさせて寝かせるところまではしておくようにと伝え、それから大急ぎでダーリン & KiKi は帰省準備にとりかかりました。  そして、関越 - 東名とかっ飛ばし御殿場あたりを走っていると KiKi の携帯が鳴りました。  ちょうど KiKi がハンドルを握っている時だったので大急ぎで車載の携帯電話転送装置(正式名称を知らない ^^;  携帯電話とナビがブルートゥースで繋がり、車載スピーカーとマイクでハンドル操作をしながら電話できる装置)を操作し、電話に出てみると母が担ぎ込まれた病院の看護婦さんからの連絡でした。

聞けば渋々ながらも町役場の福祉課に電話をしたじぃじの要請に応え、地域統括支援センターというところの職員の方たちが実家を訪問し、その方たちの判断で救急車が呼ばれその病院に運ばれたとのこと。  母は大腿骨を骨折しており、そのまま入院・手術となること。  今は睡眠薬と鎮痛剤で穏やかに寝ていることなどが報告されました。  翌日、病院に伺うことを約束してその日はとにかく実家に直行することに決め、さらに車を走らせていると今度はじぃじから電話がありました。

とりあえず、病院からの電話で状況は把握していること、今日は病院には向かわず実家に直行すること、KiKi は実家の鍵を持っていないので申し訳ないけれど起きて待っているか玄関のカギを空けたまま先に休むか、じぃじの判断で決めて欲しい旨を伝えました。  でも、何せ相手は半分ツンボですからなかなか話が通りません。  それでも辛うじて最低限の用件だけは伝わったことを確認し、ようやく人心地。  私たちが実家に辿りついた時刻は午後8時をまわっていました。


昨日、 KiKi & ダーリンはじぃじとばぁばが体験入居をしている介護付き老人ホームへ行きました。  先週のはじめにその老人ホームから KiKi 宛に契約書のサンプルが届き、できれば7月中に契約を結ぶことをお勧めしますとのお手紙付きのメール便でした。  そこで25日にそのサンプルを持ってホームを訪ねじぃじに考える余裕を与え30日に結論を出すと言うことで一旦は帰宅したといういきさつがありました。

そして25日にその話をした際のじぃじの意向としては契約そのものは結ぶ方向で、ただ料金の支払いプラン(月払い、年払い、終身契約の3種類があった)のどれを選ぶかを考えるという趣旨の発言をしていたので、KiKi としては契約を済ませる気満々でじぃじとばぁばの戸籍謄本やら身元引受人となる KiKi の印鑑証明やらという必要書類を取り揃えホームに到着したのですが、ここでまずひと騒動が発生しました。

じぃじと顔を合わすやいなや

「前橋のホームに移りたい。」

と言い始めます。  たった5日の間に何が起こったことやら・・・・・。  昨日は昼食を外でとる予定になっていたので、とりあえずその話はおあずけとし、まずはばぁばを居室に迎えに行き外出しました。

そして予定していたレストランに着くとすぐ、KiKi はとりあえず前橋のホームに電話です。  じぃじは自分が行きたいと言えば相手は文句なく受け入れてくれると安直に考えているところがあるのですが、少なくともじぃじが予定している部屋が未だに空いているのかどうか、その確認だけはしておかなくてはいけません。

電話をしてみると、とりあえず元々じぃじとばぁばが体験入居をした部屋はまだ空いているとのこと。  但し、その後もう一部屋1人部屋の空が出たというご連絡をいただき、じぃじを連れて見学にも行き、その後意思表示をしないままにしていた1人部屋の方はもう別の入居者が決まってしまったというお話でした。  そこで、無理を承知でホームの方に

「今日中に結論は出すので、とりあえずその夫婦部屋を押さえておいていただけませんか?」

とお願いすると、そのこと自体はスンナリとOKが出ました。  ただ、1人部屋が空いて見学に行った際にそのホームのケアマネさんからも言われていた

「じぃじとばぁばの体験入居後に入居された認知症の方2名が帰宅願望が強く、現段階では介護スタッフ2名がそのお2人につきっきり状態で、同時に介護スタッフの方1名が体調を崩し離職されたため、人員体制が万全ではなくなってしまった。  仮にじぃじとばぁばが入居したとしても、ばぁばのケアには若干の不安がある」

というお話を繰り返されてしまいました。  本来なら空き部屋を抱えているよりは誰かに入居してもらって収入を増やしたいところだろうに、何度も何度もこの話を繰り返されるということは、本当に現段階ではそちらのホームではばぁばのケアには何某かの不安を抱えているということが推察されました。  特にそのホームに体験入居した際に、じぃじと散歩に出たばぁばは「帰宅拒否」という問題を起こしてスタッフさんにかなりの手間をとらせた前科持ちです。

              

今日、KiKi は現在じぃじとばぁばが体験入居中の老人ホームに顔を出してみました。  本当の目的はそこに正規入所するかどうかの相談 & ホームから KiKi 宛に届いた契約書見本の数々をじぃじに見せて判断を仰ぐことでした。  もちろんその話はちゃんとしてきたし、じぃじもちゃんと趣旨を理解して30日に再度 KiKi が訪問するまでに結論を出すということで落ち着いたんだけど、今日のエントリーは別のお話です。

実はじぃじはそのホームに碁盤と碁石を持ち込んでいました。  そのホームに入居されていらっしゃる先輩入居者の方がじぃじと同じ2段の腕前で、入所後はその方と囲碁を楽しむ機会もあるだろう・・・・・・ということで持ち込んだものでした。  じぃじの自宅には脚付の立派な碁盤が2つもあるんだけど、さすがにそれは狭いホームの部屋ではちょっと邪魔くさいということで、KiKi が貰い受けたものと同じ卓上用の碁盤(かつてじぃじの碁会所で使っていたもの ↓)を選んで持ち込んでいました。  碁石の方は囲碁の世界では正規とされている蛤 & 那智黒石の碁石、碁笥はじぃじのお姉さん手作りの鎌倉彫の碁笥です。

2013_Jul17_002.JPGのサムネール画像

ところがせっかく持ち込んであったそれらを持ち帰って欲しいとのこと。  まぁ、持ち帰る(と言っても沼津の家ではなくLothlórien_山小舎に・・・だけど)のはいいとしても、せっかく碁打ち仲間もいるのにどうしたんだろうと理由を尋ねてみると、どうやらそのホームにいる碁打ちの方とは馬が合わないらしい・・・・・・。  週に1度の「お買い物ツアー」の際にその方が見せた横柄な態度に腹が据えかねた・・・・・というような事情があったようです。  じぃじ曰く、「ああいうタイプの人間と長時間顔を突き合わせているのは精神衛生上よくない」とのこと。  ま、てなわけでユーキャンの初級・入門講座に入門したばかり、シチョウの何たるかで早くも躓いている KiKi の手元に、又1セット、碁盤・碁石・碁笥が増えてしまいました ^^;


この3連休、ダーリン & KiKi は主のいなくなった沼津の家へ来ています。  今回ここへ来た目的は、先日の老人ホーム入居の際に運びきれなかったじぃじ&ばぁばの荷物を運ぶため あ~んど じぃじがこれから貯金の残高管理をするために申し込んでおいたインターネットバンキングの必要書類を受け取るためです。  何せ、老人ホームの所在する群馬県にはじぃじのメインバンクの支店はありません。  今まで常に銀行窓口で用事を済ませていたじぃじ(キャッシュカードさえ使ったことがない!)なので、老人ホーム入居後にそのてのことをどうすればいいのか、主体的に方策を考えることさえできません。

いわゆる「お小遣い用口座」はかねてからじぃじが持っていた郵便局の口座にすることにして、そこに資金移動をしたりキャッシュカードを作ってもらったりという作業は入居前に完了していたのですが、残念なことに老人ホームの経費を精算するための銀行口座のインターネットバンキングの申し込みの方はちょっと申し込みのタイミングが遅かったため、IDやらパスワード、その他セキュリティ関係の書類を入居前に受け取ることができませんでした。

荷物を運ぶだけの用事だったら何もこんなに急いで沼津へとんぼ返りする必要もなかったんですけど、銀行の書類だけは発行されるのが申し込みから7日~10日後、送られてくるメール便の取り置き期間が1週間ということで、このタイミングで帰ってくる必要があったのです。  連休なので、下手をすると今週の火曜日以降にずれこむことも覚悟していたんですけど、昨日その受領が完了。  これでいつでもLothlórien_山小舎に帰ることができる体制になったんですけど、連休時の沼津→群馬の移動は渋滞に巻き込まれること必至なので、あさって、火曜日に戻る予定になっています。

さて、その移動のために群馬→沼津への移動をした先週の金曜日、じぃじ &' ばぁばのご機嫌伺いと持ってきてほしい荷物の最終確認のため老人ホームに寄ってみました。  すると開口一番じぃじが口にしたことは

「やっぱりここのメシはどうしても口に合わない。  1日に3度のことなのでどこまで我慢できるか自信がない。  それにせっかく食堂に近い部屋になったということでここにしたのに、夏の間だけは昼食は食堂ではなくて(サンルーム状態のお部屋なので温度が上がり過ぎるらしい)入口近くのホールに変更になっていて、そのホールが遠い。  お買い物ツアーで連れて行ってもらったモールは悪くないんだけど、それ以外の日に行くところがない。」

と文句ぶーたれ状態。  挙句、

「あの前橋のホームが良かった。」

な~んていうことを言いだす始末です。

前橋のホームを諦めてこちらにした理由は 

1. 空き部屋が夫婦居室一つしかなくてその部屋がそんなに広い部屋ではないため、ばぁばと四六時中その狭い部屋で顔を突き合わせているのがしんどかった

2. その夫婦部屋は北向きの部屋で黄昏症候群の症状もあるばぁばが朝、お日様を浴びないのはあまり好ましくないという判断(by じぃじ)があった

3. そちらのホームで個室が空くのを待つという選択肢もあったものの、そちらの個室にはお風呂がついておらず共同浴場みたいなところを使わなければならなかったんだけど、それがじぃじには気に入らなかった

ということだったはずなんだけど、そんなことは頭からすっかり消え失せて、自分が行きたいと望めばそこのホームに空き部屋が2つできて、間取りも南向きになり、お風呂もついちゃうような勢いで都合のいいことだけを考えているじぃじに唖然・・・・・・。  年寄りの身勝手もここまでくると呆れ返ってしまいます。

      

7月9日。  最初の一晩を老人ホームで過ごしたじぃじとばぁば。  その様子を見がてら、じぃじからリクエストのあったTV(2台)の調達をして、ダーリン & KiKi は老人ホームへ向かいました。  

Lothlórien_山小舎の電化製品のほぼすべてを調達した「ヤマダ電気 渋川店」に8日のうちに立ち寄った ダーリン & KiKi。  じぃじとばぁばは番組の録画をするな~んていう器用なことはしない(というより今ではもうできなくなった)人達だし、イマドキの若者が欲しがる多くの機能は全く必要ありません。  実際、沼津の実家ではパラボラ・アンテナさえ設置していなかったので、Lothlórien_山小舎でBS放送ばかりを堪能していたダーリン & KiKi は見たいTV番組が全くと言っていいほどない状態でこの半年を過ごしていたぐらいです。

店に入って開口一番、ダーリンが口にしたセリフは

「32型のTVを2台、現金で購入します。  一番お買い得なTVはどれですか?  機能には全く拘りません。」

というものでした。  すると店員さんは

「在庫を確認の上、ご案内しますので少々お待ちください。」

とのこと。  暫く待つと「お待たせしました、こちらです。」と展示してある中から1台のTVの前に連れていかれました。  そこには「大特価」の文字と一緒に「お1人様1台限り」「限定5台」の文字が書かれた POP がついていました。

「お1人様1台の商品なんですけど、せっかくお2人でいらしていただいたので、お1人お1人で1台ずつという形にさせていただければこちらが今、一番お買い得です。」

とのこと。  LED Aquos (型式までは記憶にない)なんだけど1台あたり35,000円ちょっと。  2台で71,000円ぐらいという破格のTVをオススメしていただきました。  確認すると限定5台のうち、残っている在庫数も何とも都合の良いことにカッキリ2台とのこと。  8日のうちに支払いを済ませ、9日の午前中に取りに来るということで「お取り置き」をお願いしました。

そして、その2台を KiKi の愛車のFit に載せて、最初の一晩を老人ホームで過ごしたじぃじをまずは訪問しました。  一人ぼっちの苦手なばぁばがじぃじの部屋にいる、もしくは、ばぁばの部屋に2人でいることを想定していたのですが、居室のドアをノックするとじぃじが1人きり。  ちょっと唖然。 

「あれ?  ばぁばは?」

と聞くと、

「知らない。  多分自分の部屋で昼寝をしているんじゃないか??」

とのこと。  ここへの到着直後にあれだけ「一人ぼっち」に抵抗を示していたのに、ちょっと肩透かしを食らった気分です。

「夕べ、寝る前は大丈夫だった??  ばぁばは別の部屋で寝るのが嫌だって愚図らなかった??」

と聞いてみると、そこは案外簡単にクリアできたとのこと。  まずは一安心です。  

さて、問題はTVです。  TVの初期設定には結構時間がかかるだろうなぁと思っていたのですが、ホームに到着後の運搬から初期設定まで、全てスタッフさんが対応してくださり、あっという間にじぃじの部屋のTV設置が終了しました。  ああいう所の職員さんはたいしたものです。  それぞれの居住者が、バラバラなTVを持ち込むだろうに、説明書も見ないでちゃっちゃと設定してくれちゃいます。

「お母様の部屋の設置はどうしましょうか?」

と聞かれたので

「昼寝中らしいので、寝ているようなら起きてから設置してやっていただけますか??  起きているようだったらすぐ設置しちゃってください。」

と言うと、介護担当スタッフさんに様子を聞いて、設置しますとのこと。  その後、昨晩もじぃじはあまり熟睡できなかった(どうやらばぁばのことが心配で寝付けなかった模様 苦笑)という話やら、初日の感想やらを聞いていると、介護スタッフに付き添われたばぁばがじぃじの部屋に登場しました。  昼寝をしている もしくは 一人ぼっちの部屋で寂しそうにして暗い顔をしているばぁばを想像していたんですけど、登場したばぁばは自宅でもごくごく稀にしか見せなかったような明るい笑顔で

「あら~、お珍しい。  あなた方いらしてらしたの??」

と言います。

「あら、○○さん。  こんにちは。  そうなの、たった今こちらにお邪魔して、○○さんはお昼寝中だって伺ったので、お目覚めになった頃にお部屋をお訪ねしようと思っていたのよ。」

と言うと

「私は昼寝なんてしていませんよ。  すぐに訪ねてくださっても良かったのに。  でも、わざわざ来ていただいたの?  悪いわねぇ・・・・・。」

と言います。  そこで

「○○さん、あのね、今日はTVをお届けしに来たの。  これから○○さんのお部屋でこちらの方に(とスタッフさんを紹介しつつ)設置してもらおうと思うんだけど、ご迷惑じゃないかしら?」

と聞くと

「あら、あなた、TVを買ってくださったの。  悪いわぁ。  (父に)ちょっと、こちらがTVを買ってくださったそうだからお代をお支払いしなくちゃ。」

と言います。  こういう会話だけを聞いていると認知症であることをまったく感じさせないばぁばです。  挙句、TVの設置をお願いしたスタッフさんに

「じゃあ、私の部屋にご案内しますね。」

な~んて言って、スタッフさんと一緒にじぃじの部屋を出ていくばぁばです。  決して自力では自分の部屋に帰ることができず、お部屋にご案内するのはばぁばではなくスタッフさんの方になることは目に見えているけれど、そこは KiKi もスタッフさんも心得たもの

「じゃあ、○○さん。  ご案内してさしあげて。」

「よろしくお願いします。  僕を連れて行ってください。」

と応じます。                   

7月8日。  予定していた「介護付き有料老人ホーム」への入居の朝を迎えました。  今回は、じぃじとばぁばの当面の生活用品(+ PC と じぃじが老人ホーム入居後の暇つぶしのために入会した通信教育の教材)と、ダーリン & KiKi の衣類他沼津へ持ち込んだ様々な荷物、そして人間4人とワンコ1匹という大量の輸送物資がありました。  全部並べてみるととてもじゃないけど1回で運びきれる量ではありません。

結局じぃじの碁盤 & 碁石とか水墨画の画材とか礼装用の衣服等は別途取りに戻ることにし、同時にダーリン & KiKi の荷物もPCと衣類以外は沼津の家に残し、通常なら持ち運ぶ野菜類のストックも冷蔵庫に残しての移動となりました。  もともと他にもいくつかの事務手続きを残していたので1週間以内にダーリン & KiKi は群馬⇔沼津の移動をしなければならなかったのです。

さて、これまで体験入居やら何やらで何度も家を空ける経験を積んできたばぁばですが、どうやらこの日の荷物の多さ、ものものしさには若干の不安を覚えたようで、出しなギリギリに抵抗を試み始めました。  こんな時は無理強いしてもいいことはないので、一旦は片付け終わったお茶セットを再度出し直し、ばぁばの気分が変わるのを待ちました。

もっと手こずるかと思いきや5分ほどでニコニコしながら外出支度を始めてくれました。  

道中もずっとご機嫌で老人ホームに3時過ぎには到着。  まずは職員さんの案内でばぁばの居室に向かいました。  そこまではご機嫌だったばぁばですが、部屋についてベッドが1つしか置かれていないことに気が付いた途端に表情が変わりました。  ここに自分一人が置き去りにされると感じたようで、「帰る、帰る」と言い始めました。  ばぁばの対応はスタッフさんに任せ、じぃじの部屋に向かおうとすると、KiKi の手をぐっと握りしめ「どこへ行くの?  どうしてこんなことをしなくちゃいけないの?」と尋ねてきます。

「おじいちゃんのお部屋へ行くのよ。  一緒に行く?」

と尋ねると

「行く。  1人じゃ嫌だ。」

と言います。  施設長さんの先導でじぃじ、ばぁば、ダーリン、KiKi 、そしてスタッフさんという大学病院の教授回診よろしく大行列で移動します。  その間、もっと大騒ぎするかと思っていたのですけど、硬い表情のままばぁばも素直についてきました。

そしてじぃじの部屋に到着。  じぃじの部屋とばぁばの部屋はフロア違いでほぼ同じスペース、調度品の類も間取りもほぼ同じなんですけど、ばぁばの部屋は角部屋のために出窓がついていて開放感があるのに比べてじぃじの部屋は窓が1つだけで、ちょっとだけ閉塞感があります。

前回、ここへ見学に来た際、ばぁばの部屋はまだ改装中だったのですが、出窓がついているということでじぃじがかなり気に入っていて、ここへの入居を決心した1つの要素になっていました。  てっきり自分がこの出窓のある部屋、ばぁばはもう1つの部屋(結局じぃじの居室となった部屋)と言うのかと思っていたら、その居心地の良い部屋はばぁばの部屋にするとのこと。  思わぬところで「愛妻家ぶり」を発揮するじぃじです。

  

明日はいよいよ入居予定日

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今日は七夕。  KiKi が昨年の12月以来居候(?)している実家の地区の子供会では七夕に因んだ催しが開催されていました。  でも我が家の場合、七夕もへったくりもあったもんではなく、介護介護そして又介護の1日を過ごしておりました。

ま、そんな1日ではあったものの、今日という日は KiKi にとってはとても感慨深い1日でもありました。  と、言うのもね、今日は「七夕」というよりは「じぃじとばぁば、最後に実家で過ごす日」という意味合いの方が遥かに重要度が高かったのです。  このことが意味するのは「ダーリン & KiKi が自宅(≒ Lothlórien_山小舎)に明日は帰ることができる日」ということであり、「ゴハン攻撃を受ける最後の日」ということでもあります。  さらに言えば「家中のコンセントの状態確認最終日」でもあるし、「徘徊ばぁばを探し回る最終日」でもあります。  明日からは夜中に寝室に乱入されることもなく、探し物に追いまくられることもなく、稼働中の洗濯機がいつの間にか止められることもなく、たった今干したばかりの洗濯物が湿ったまま取り込まれることもなく、不思議な破壊活動に唖然とさせられることもなく、etc.etc.

とにかく明日は長距離ドライブが控えています。  今日は早めに就寝したいと思います。  今日、もしも短冊に願い事を書くとするならば・・・・・・




今日ぐらいは朝までゆっくり寝かせてください。




これに尽きる七夕の夜の KiKi でした。  

  

病んできちゃったのかな?

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認知症を患うばぁばが日に何度も何度も「ゴハン、ごはん、ご飯」と口にすることは以前このエントリーでもお話しました。  そしてこの「ゴハン攻撃」の背景にあるのが自分がお腹が空いた(≒ 満腹中枢が侵されてしまっている)という部分もなきにしもあらずとは言え、それ以上に一家の主婦として、妻として母として、家族に何かを食べさせなければいけないという義務感の残照みたいなものであるということもそのエントリーではお話してあります。

そんな義務感は残しているばぁばだけど残念なことに「お料理」はもうできず、魚を焼いてもらえば真っ黒焦げ、味噌汁を作ってもらおうとすれば鍋のサイズ、水の量、だしをどうやってとる、具をどうする、味噌をどれぐらいという一つ一つのプロセスで躓き、その躓きの度に情緒不安定に陥ります。  とは言っても、KiKi が作るご飯をただ待つというのはどうしてもプライドが許さないようで、結果的にこの「ゴハン攻撃」が始まるとどんな形であれ一度台所に一緒に立つというプロセスを経ないことには治まりません。  要するに食事の支度以外の行動のほとんどがばぁばの「ゴハン攻撃」により中断されます。

それでもそうそう台所ばかりに立ってもいられないというのが普通の人の日常生活であることも又事実です。  時にばぁばを台所に放置な~んていうことも発生します。

一昨日、ばぁば & ワンコの散歩から帰宅した直後の KiKi はまさにそんな感じでした。  暑い中を歩いたので汗はいっぱいかいているし、喉は乾いているし、ついでに言えば時間も4時半過ぎ。  KiKi の感覚では夕飯の支度にはまだちょっと早い時間帯でした。  (因みにダーリン & KiKi の2人生活での夕食;但し仕事を辞めて以降 であれば7時頃が標準でした。  それを沼津で暮らすようになってからはじぃじとばぁばに合わせて5時半から6時頃に変更しています。  おかげで KiKi は夜中にお腹が空いて寝付けないというトラブルを現在抱えています。)  

帰宅直後から相変わらず「ゴハン、ごはん、ご飯」と言い続けるばぁばに

「今日のご飯は4人ですよ。  おかずはサーモン・ムニエル。  今、散歩から帰ったばかりで少し休憩が必要だから、もうちょっとしたら支度を始めるので、その時はお手伝いをお願いね♪」

と言い聞かせ、一応

「はい、わかりました。  ゆっくり休んでください。  じゃ、その時に声をかけてくださいね。」

な~んていう一見まともな返答を受け麦茶を飲みながら一服していると、再びばぁばが姿を現しました。

「今日のご飯は何を食べますか??」


又かい・・・・・・・ ^^;


そして、又同じ問答を繰り返すこと4~5回。


じぃじとばぁばの3軒目 & 4軒目の体験入居も無事終了し、沼津に帰ってきたのが26日。  無料でお部屋のお取り置きをお願いしていた箱根のホームのお取り置き期限を明日に控えた今日、じぃじがようやく結論を出しました。  環境的にはダントツトップの座を走っていた箱根は断念し、ダーリン & KiKi のイチオシホーム(こちら)を選択するとのことです。

体験入居を終了しLothlórien_山小舎へ向かう車中で「環境と言う面では箱根がトップ、利便性という面では今回の前橋がトップ、ケアの質という面では KiKi たちのイチオシがトップ。  箱根の環境で前橋の利便性があってケアがイチオシであれば言うことないんだけどなぁ・・・・。」と相変わらず夢物語みたいなことを口にしていたじぃじでした。  

どうやら最後の最後まで、つい先日体験入居をしたこちらにするか、はたまた KiKi たちのイチオシホームにするかで迷っていたようなんですけど、結果的にイチオシホームを選ぶに至ったのは、ばぁばの認知症の症状が最近になって更に進行していることが起因しています。  はじめて「介護付き老人ホーム」の体験入居をしてみた頃には夫婦部屋への入居に強い拘りを示していたじぃじですが、直近の体験入居中、ばぁばの帰宅拒否というこれまでにはない事態に直面。  その後も日々悪化している夕方から就寝前の徘徊、不穏行動に同室でかなり悩まされ続けたようです。 

じぃじとばぁばの3軒目の体験入居も前半戦を終了しました。  昨日は前橋の「住宅型老人ホーム」から「介護付き老人ホーム」へのお引越しでした。  同じ系列、同じ敷地内のホームのため、21日に2人を「住宅型」の方に送り届けた際に、引っ越し時は何かあれば駆けつけるけれど、特段問題がなければホームの方にお手伝いをしていただき、引っ越しということで段取りしてあったので、KiKi はLothlórien_山小舎で待機していました。  特に連絡もなかったのでとりあえず放置しておいたのですが、それでも2人の様子が気になって仕方ないので午後3時頃、「住宅型」の方での2人の様子を電話確認してみました。

ホームの方のお話によれば案の定、ばぁばは「戸締り用心、火の用心」ということで夜の徘徊を敢行したみたいですが、とりあえずスタッフさんのご尽力で無事部屋に戻り、他の入居者の方のお部屋への家宅侵入罪は犯さず二晩を過ごすことができたようです。  ただ、滞在2日目に、じぃじとお散歩に出た後、帰宅(帰ホーム?)を拒否し、じぃじがばぁばを置いて1人で帰ってくるという事態が発生したとのこと。  スタッフさんがばぁばのお迎えに出向き帰宅を促すも拒否。  結局、じぃじとスタッフさんが連れ立ってもう一度迎えに行ってやっと帰宅したということでした。  

まぁ、たった2日の体験入居ではスタッフさんとも馴染んでいないわけで、さらに言えば認知症のばぁばにしてみれば「見知らぬ人」の説得なんぞに耳を貸すはずもなく、致し方ありません。  無事に帰ったのであれば結果オーライです。

ちょっと意外だったのは、どうやら昨日は「住宅型老人ホーム」の方にボランティアのバンドの方が生演奏にいらしたらしいのですが、それを見物に行ったじぃじ(ばぁばは部屋にこもりっきりだったらしい ^^;)はマイクを向けられ、そのバンドを伴奏に歌を歌ったのだそうな・・・・・。  そして部屋に戻る際にスタッフさんに語ったところによればじぃじは歌を歌うのは結構好き(但しカラオケは好きになれず)で、生バンドをバックになら実は大好きなんだと語ったとのこと。  娘でありながらじぃじにそんな好みがあることをつゆ知らなかった KiKi は思わず、


「は?  父がですか??  歌を??  本当に???」


と何度も聞きかえしてしまいました。

そう言われて思い返してみると、確かにじぃじは KiKi の記憶でもカラオケにはただの一度も行ったことがないし(職場での宴会のことまでは知らないけれど)、最近では家で歌を口ずさんでいるのさえ聞いたこともないけれど、KiKi の子供時代にはよく風呂場で歌を歌っていたなぁ・・・・・と。  へぇ、歌が好きだったんだ!  初めて知ったよ!(苦笑)  いやはや、じぃじとばぁばの老人ホーム体験入居、KiKi にとっても今まで知らなかったじぃじとばぁばの一面を知る貴重な経験になっているみたいです(苦笑)

さて、そんな中、KiKi は?と言えば、昨日も読書と音楽三昧の一日を送っていました。

     

昨日から KiKi は再びLothlórien_山小舎に来ています。  と言うのも、つい先日(と言っても6月の半ばですけど)ダーリン & KiKi が見学に行った前橋にある老人ホームに体験入居してみるとのこと。  しかもこのエントリーでお話した「介護付き」と「住宅型」の両方を2泊ずつ試してみたいとのことだったので、彼らをお送りするために沼津を後にしてきました。  じぃじはダーリン & KiKi の強い勧めもあるため、私たちのイチオシのこちらのホームの空き部屋もせっかくの機会だから見学してみたうえで、今月末まで無料お取り置きをお願いしている箱根を選ぶか、はたまた前橋にするか、いやいやこの際 KiKi たちのオススメに従うのかを決める腹積もりのようです。

その結論は随分前に(KiKi たちが前回沼津に帰ったらすぐに)出してあったのですが、じゃあ「体験入居の申し込みを・・・・・」な~んていうことを考えていた矢先にじぃじのお姉さん(KiKi の叔母さん)が亡くなったとの知らせが届き、それどころではない状況に暫し陥っていました。

因みにこの叔母さん、肝っ玉母さんを絵に描いたような人で、あの時代に離婚して歯医者をしながら女手一つで息子3人を育てあげ、1人は医大へ、1人は教育大へ、そして最後の1人は経済学部の博士にまで仕立てあげた傑女でした。  その気の強さ、思ったことはポンポン口にする闊達さ、甥っ子・姪っ子への教育の厳しさからも有名で、その実の息子達を含む KiKi のいとこたちの下馬評(?)では、「殺しても死なない」「百歳は軽く超えるまで生きる」と言われていたのですが、結局98歳で亡くなりました。  

元々心臓に持病を抱えていたのでそちらが原因か?と思ったんですけど、最終的には腎機能の低下に人並み外れた生命力を誇っていた叔母も耐えきれなかったとのこと。  じぃじとばぁばの名代としてお通夜のみに ダーリン & KiKi は参列したのですが、最期はほとんど苦しまなかったということなので、そんなところもあの傑女に相応しい最期だったんだなぁと感慨深いものがありました。

いずれにしろこれでじぃじの兄弟(上から3人が男、真ん中にその叔母さん、その下3人が男という7人兄弟)はじぃじ1人を残し、皆さん鬼籍に入られ、末っ子のじぃじがただ一人の生き残りとなってしまいました。  1人残された形のじぃじはもっと落ち込むかと心配だったのですが、自分が末っ子ということもあり、比較的冷静にこの事態を受け入れたようでした。  兄弟が亡くなった直後なだけに「体験入居」をもっと後に延長するかどうかの判断を仰いだ時も、箱根の仮押さえの期限の方を優先させるために今のうちに予定していたスケジュールは全てこなすとのこと。  ま、てなわけで、昨日から前橋のホームでの体験入居となりました。 

一昨日、ダーリン & KiKi は群馬の老人ホーム、4軒目の見学に行ってきました。  こちらのホームはLothlórien_山小舎から下道を使って1時間ぐらい。  じぃじとばぁばの老人ホーム入所後に KiKi たちが訪ねるのにはまっこと都合の良いホームです。  しかも・・・・です。  こちらのホームへ向かう途中には KiKi たちがこれまでもたま~に使っていた超大型のショッピング・モールがあるんですよね~。

これまではそのモールまではちょっと遠いうえにそれよりも小振りのモールがもっと近くにないわけじゃないから、よほど必要に迫られない限りそのモールには出向かなかったんですけど、実はそのモール、KiKi の大のお気に入りなんです。  と言うのもね、これまで群馬県で見つけた中では2番目に蔵書が充実している本屋さんがそのモールの中にはあるんですよ。

もっと言うなら、そのモールとは別に同じようにLothlórien_山小舎からそのホームに向かう途中には群馬県で恐らく最大(?)の老舗の本屋さんもあって、そういう面からすると KiKi にはまっこと都合の良い立地のホームです。  でも、じぃじとばぁばにとっては終の棲家になるわけですから、そんな KiKi のお買い物の都合を優先するわけにはいきません。  気を引き締めて見学に行って来ました。

こちらのホームはネットで見つけた時からその「ゴージャス感」に圧倒され気味だったんですけど、写真と実物は違うから・・・・・と気後れしがちな気分を奮い立たせロビーに入ってみると、写真と実物に大きな乖離はまったくない、実にゴージャスな雰囲気を醸し出している施設でした。  まるでリゾートホテルみたいです。

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でもまあ、ロビーとかエントランス・ホールな~んていうのは人間で言えば顔みたいなもの。  肝心なのは居室です。  そして案内された居室がこちら(↓)です。

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ひ、広い・・・・・。  右側のベッドの向こうに扉が開いている奥はウォークイン・クローゼットです。  で、この位置で回れ~右!ってしてみると

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狭いながらも(公団サイズの畳で4畳半って感じでしょうか?)和室がついています。  手前左の白いところはミニキッチン(↓)です。

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和室部分だって公団サイズの畳で4畳半というと狭っ苦しくかんじないでもないけれど、三和土の部分に板の間がある分、さほど手狭感はありません。  まあ、家具なんかを置いちゃったら途端に閉塞感が出てきちゃうだろうけど・・・・・・ ^^;

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箱根のホームと比較すると環境では負けちゃうけど、ホームの比較的近くに河があって、その河川敷はお散歩コースによさそうな雰囲気です。

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そしてここがじぃじにとっては居心地が悪くないだろうと想像できたのは、距離にして800mの所に比較的大きなショッピング・モールがある町に位置するホームであるということでした。  停留所の場所までは確認できなかったんだけど、ホームに一番近い停留所からは前橋行きのバスも出ているのだとか・・・・・。  利便性というポイントでは箱根を大きく上回っています。    

じぃじとばぁばの終の棲家探し。  まだまだ「これ」といった決め手に欠ける(というよりはじぃじの気持ちの踏ん切りがつかないと言う方が正しいかも? 笑)ため、引き続き KiKi & ダーリンの下見の旅は続いています。  先週の水曜日(5日)には熱海にある老人ホームの見学に行ったのですが、ここは KiKi & ダーリンがどうにもこうにも気に入りませんでした。  何が気に入らないって、あそこだとばぁばが必要とするケアはどう考えても受けられそうにないという印象だったんですよね。

うまく言えないんだけど、例えばじぃじやばぁばが寝たきりになっちゃったら、恐らく床ずれ防止のための体位変換とかはしてくれそうだし、排泄トラブルが発生するようになったらオムツ交換はしてくれそうです。  そして独力でお風呂に入れなくなったとしたら恐らく週に1~2回はお風呂にも入れてくれるんじゃないかと思うんです。  でも、今のばぁばが徘徊しそうになったら見守り・声掛けとか、興奮状態に陥ったら何はともあれ「ウン、ウン」と話を聞いてあげるというようなケアは望めそうにない・・・・・そんな感じでしょうか?  要するに認知症患者に対するケアという面ではノウハウをちゃんと持っていないんじゃないか?  そんな感じがしちゃったんですよね~。  

なんせ、ちょっと見認知症患者とは思えない態度がまだまだとれるばぁば(しかもこの日は近来稀に見る安定・穏やかなばぁばだった)とほぼ自立のじぃじを見て、このホーム担当の営業さんが仰ったことが

「お父様はお歳とは思えないほどしっかりされていらっしゃるし、お母様も認知症とは言え拝見する限りでは物忘れが激しいだけみたいですから、こちらが提供させていただくケア・サービスとしてはお食事と洗濯、お掃除・・・・・ぐらいですかねぇ」

というセリフ。  今まで老人ホームを何軒も見学しているけれど、こんなセリフを吐いた人はこの人しかいなかったので、正直 KiKi は一瞬唖然としてしまいました。  認知症患者の受け入れを公言しているホームではたいていの場合

「3か月ぐらいはお母様の様子を拝見させていただくことになると思います。  認知症の方はその方によって症状が違いますから、どんなケアが必要なのかはその方によって異なりますし、対応の仕方によっては進行が抑えられることもありますので・・・・・。  (場合によってはご希望のお部屋から移動していただくことをこちらからご提案させていただかざるをえないケースもありますので、そのことに関してはご承知おきいただければと思います。)」

↑ ()内は、この類の言葉があるケースとないケースに分かれます

というような対応がほとんどなんですよね。  老人ホームでのケア≒寝たきりの人の身体ケアというような捉え方をしていることがアリアリと伝わってくるような担当営業さんだったんです。  

まあ、担当営業さんな~んていう人はじぃじとばぁばにとっては今後の生活の中でさほど顔を合わす必要のない方(この熱海の老人ホームはそういうタイプ; 全国展開しているホームで営業さんは施設に常駐しているわけではなく、見学希望者がいる時だけ、どこかの本社ビル?からそのホームに来て案内・営業するという形だったみたい)だから、認知症に理解がない方でもいいと言えばいいんだけど、こういうのって会社の教育・姿勢の表れだとも思うわけで、そういう面では不安が残ります。  

とは言っても肝心要なのはケア・スタッフさんがどういう方たちか?ということになると思うんだけど、見学で訪問したのがウィークデーのお昼時(お食事の試食付き)だったにも関わらず、スタッフの数がこれまでに見学・体験入居したどのホームよりやたらと少ないんですよ。  たまたま今現在、そこのホームは比較的自立度の高い人が多いホームだった(?)からかもしれないんだけど、KiKi としてはあそこにばぁばを預けて安心とは言い難い印象でした。

  

ばぁばの Project 進捗会議

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頭のてっぺんから足のつま先まで「介護の日々」にどっぷりつかっている KiKi です。  でも、これでもかつては落ちこぼれながらも会計人として何十人という部下をもち、同時に部門横断のプロジェクトを仕切るビジネス・ウーマンだった時代もあるのですよ。(← 遠い目 ^^;)  ま、てなわけで、今日はその時代の経験をもとに(?)ばぁばが現在遂行中の様々なプロジェクト(別名:問題行動)の状況を進捗会議風にまとめてみたいと思います(笑)。

Project 1: コンセント抜き抜き活動推進プロジェクト

こちらのプロジェクトのプロジェクト・スコープは防災、特に火災から大切な家を守ることです。  さて、こちらのプロジェクトの進行状況はいかがなものでしょうか??

ばぁば(以下 ば):  はい。  毎日何度も何度も家じゅうのコンセントというコンセントを見回り、刺しっ放しのコンセントがあれば、片っ端から抜いて歩いています。  ですから、火災から大切な我が家を守るという当初の目的は達成できていると思います。

KiKi(以下 Ki):  確かに、ばぁばが見回りを済ませた部屋ではほぼ完ぺきにコンセントが抜かれていることが毎日確認できています。  でも、冷蔵庫だけはなぜか例外みたいですね?

ば:  あら、そうですか?  私は知りませんよ。  

Ki:  逆に運転中だったエアコンのスイッチを切らないままコンセントを抜いてあったり、Windows Update の真っ最中のパソコンのコンセントを抜いてあったり、充電中の携帯電話のコンセントも然り。  光通信のルーターのコンセントも然り。  これらはほぼ確実に抜かれているみたいですね。

ば:  だって電気配線が邪魔だし、赤いランプがチカチカついているから「危険」でしょ。  昔から赤は「危険」、「止まれ」と決まっています。

Ki:  なるほど。  確かに世の中の節電ムードには著しい貢献をしているし、火災から家を守るというスコープに沿って誠意を持って活動していただいていることはよ~くわかりました。  でも、エアコンはスイッチを切ってからコンセントを抜かないと壊れちゃうし、PCも然り。  携帯電話はまぁいいとして、光通信のルーターなんかはあのコンセントを抜いてしまうと、電話がかけられないし、誰かが家に電話をしてきても電話が繋がらないから前にもあったように「何かあったんじゃないか?」と心配して大騒ぎになっちゃいますよ。

ば:  知らない、そんなの。  面倒くさい。  騒ぎたい人は騒げばいいんじゃないの?

Ki:  ・・・・・・  どうやらこのプロジェクト、スコープの設定に問題があったみたいですね。  火災から家を守るのも大切なことですけど、現代社会に適応した「文化的な生活」を維持することも大切ですから、スコープの見直しをしましょう。

ば:  「文化的な生活」って何ですか?  そんな難しいことはわかんない!!

Ki:  まぁ!  KiKi としたことがこれはしくじりましたねぇ。  そうですよね。  「文化的な生活」な~んていう曖昧 & 人によって解釈が分かれるような言葉はちゃんと定義しなくちゃいけませんよね。  では、このプロジェクトのプロジェクト・スコープの設定に関してはちょっと Project Owner である KiKi に預からせてください。

ば:  なんだかよくわからないけど、いいようになさってください・・・・・。  はぁ、面倒くさい。

Ki:  ・・・・・・・・。


認知症患者の多くの事例としてご飯を食べたことを忘れてしまうという症状があります。  我がばぁばもご多聞に漏れずその症状が出ています。  特にここ2~3か月はそれが激しくなってきています。  満腹中枢をやられていることにより、お腹がすいているんだかいっぱいなんだかわからない・・・・・・という以上に母の様子を見ていると、長年やってきた「主婦業への拘り」みたいなものが感じられるような気がしている今日この頃です。

つまりどういうことかって言うとね、自分がお腹が空いているような気がする上に食事をした記憶がないという以上に、自分以外の誰かに主婦として何かを食べさせなければならないという強迫観念にも似たようなものに駆られている・・・・・・  そんな雰囲気なんですよね~。

それを証拠に先日もじぃじ、ばぁば、ダーリンそして KiKi の4人で外食をして帰宅するや否や、ばぁばは台所で何やらゴソゴソ始めました。  台所で1人でゴソゴソやること自体はばぁばの癖みたいなものでもあるので、とりあえず好きなようにやらせておいたら、何の前触れもなくいきなりダーリン & KiKi の部屋に乱入してきて

「食事の支度ができていますからどうぞ!」

と半ば怒りながら言い放ち、出て行ってしまいました。  何事か?と状況が呑み込めないままダーリン & KiKi がダイニングに行ってみると冷蔵庫にあるもの(調理済みのもの、未調理のものごたまぜ)を無造作に並べた食卓が目に飛び込んできました。  

「食事って・・・・  今日はみんなで一緒に外食したでしょ?」

「私は食べていません!」

「食べていないの?  じゃあお腹が空いているの?」

「いいえ、私はお腹いっぱいですから結構です。  あなた方はお食事まだでしょ?」

「ううん。  せっかく支度してくれたけど私たちは食事は済んでいるのよ。」

「そう仰らず、遠慮なさらずどうぞ。」

「・・・・・・・・」

こういう時は反論してはいけません。  仕方ないので無造作に並べられた食材の中からダーリンがゴハンとおしんこと佃煮に手を出し、食べ始めました。  そしてその食事の支度とやらをした当のばぁばはダイニングに隣接する自分たちの寝室に引きこもりベッドに倒れ込んで何やらブツブツ言っています。  近づいてみると

「私はこんなにフラフラで、頭も痛いのにどうしてみんな私にこんなことばっかりさせるのかしら。  もう嫌、こんな生活。」

といつものお決まりの繰り言を繰り返していました。  当然のことながら外食を済ませてきたばかりなわけですから、誰一人としてばぁばに食事の支度をしろな~んていうことは言ってもいなければ思ってもいません。  逆に食事とも言えないものを並べられた食卓を前にこちらは茫然としているわけですが、ばぁばにはそんな周囲の困惑なんちゅうもんは beyond her imagination なわけです。

    

体験入居 2軒目

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今週はじぃじとばぁばの「介護付き老人ホーム」体験入居の2軒目が遂行されました。  Lothlórien_山小舎から約4時間のドライブを経て群馬→沼津の移動をしたのが26日。  1日だけ実家で休憩(?)をいただき、28日から今日までの3泊4日をこのエントリーでお話した箱根の老人ホームで過ごしていただきました。

じぃじの拘りの「夫婦部屋」があるのが自立フロア、介護度の高い人向けのフロアが介護フロアと分かれているホームだったわけですが、先方のご厚意で最初の2泊を自立フロアの夫婦部屋で、最後の1泊を隣り合った個室の介護フロアで過ごしてみることになっていました。

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エントランスを入ってすぐのロビーは明るく開放的。  目の前に広がる「旧華族の庭園」が素晴らしい!!  季節柄、今回は新緑が美しくLothlórien_山小舎を彷彿とさせるものがあったわけですが、紅葉の季節はこれまた見事だということで、もしもじぃじとばぁばが本当に入居することになったら、KiKi も楽しみが1つ増えるというものです。

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先般、体験入居をした群馬のホームではリハビリ室は独立したスペースだったんですけど、こちらの施設ではそのロビーに付随するかのようにリハビリスペースが設けられています。

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こちらの施設では「標準型」としては1人1人が個室に入り、夫婦部屋は室内に行き来するドアがある形だったんですけど、じぃじに依存しているばぁばはいきなり個室では不穏になってしまうことが想定できたので、こ~んな感じ(↑)で2つの部屋のうち1つにベッドを並べ、もう1つの部屋をリビング感覚で使えるようにレイアウトしていただいていました。(↓)

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TV画面に映りこんでいるのがじぃじと施設の「入居相談室」の方です。  

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群馬のホームで1番のネックだったのが「居室から食堂までの距離」だったんですけど、こちらは各フロアにこのような(↑)食堂があります。  これだったらじぃじも食堂までの距離を問題にすることはないことでしょう。


昨日から KiKi は再びLothlórien_山小舎に一時帰宅中です。  今月は初旬にじぃじとばぁばの群馬県にある老人ホームへの体験入居があったので、比較的短い間に沼津→群馬の移動が2度あったことになります。  前回の帰宅時に用事をまとめることができなかったのはもう何か月も前から予定されていたダーリンの病院通い(検査とか診察とか色々)が21~23日の3日に分けて入っていたのと、Lothlórien_山小舎に置いてあるグランド・ピアノの定期調律の時期だったということ、更に更に、KiKi の愛車の Fit の車検やら自動車税の納付(というより納付書の入手)やら、固定資産税の納付書の入手といった様々な用事があったからです。

こういう時、住民票の置いていない場所への長期滞在というヤツは様々な問題を生じます。  その最たるものが税金関係とか年金保険料関係とか国保関係で、常識ある大人の義務に関わる問題です。  特に KiKi の場合、相変わらず住民票は東京にあり、東京からLothlórien_山小舎に郵便物の転送を依頼してあるので、そこから更に沼津へとなると話がどんどんややこしくなってしまう状況です ^^;  そろそろ住民票を群馬に移そうかな?と思っていたところで発生した母の入院騒動だったので、現時点ではまずは転出届をださないことには何ともならない東京に行っている暇がありません。

今日の午前中にピアノの調律は無事終了。  明日にはこちらのディーラーさんが Fit の車検のために車の引取りが予定されています。  自動車税の納付も終わった(← これが車検の際の必須条件でもある)し、ダーリンの通院第1日目も無事終了しました。  問題は東京のマンションの固定資産税の納付書が未だに届いていないことです。  ここに滞在を予定している26日の午前中までに届けばいいんですけどどうなることやら?です。

ま、それはさておき、ほんの2週間ほど前にここに来たときはさほど目立たなかったのですが、今回Lothlórien_山小舎に到着して KiKi の目に飛び込んできた風景はこ~んなもの(↓)でした。

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あれ?  こうやって写真で見るとこの悲惨さはあんまりわからない???  もうちょっとアップにしてみましょうか??

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「これはどこの草原ですか??」と聞きたくなっちゃうぐらい、庭一面が雑草に覆われています。  


体験入居 その後の顛末

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じぃじとばぁばの群馬県にある老人ホームの体験入居。  当初の予定通り1週間はちゃんとそこで過ごすことができていたので「これは脈アリか?」と期待していたのですが、結論からすると×がついてしまいました。

ホームにお迎えに行ってLothlórien_山小舎に向かって車を走らせ始めた時点でばぁばの方はもう体験入居をしていたということさえ忘れてしまっていたので、感想もへったくりもないわけですが、×印をつけたのはじぃじの方です。  

ホームでの介護スタッフの対応とか居室の雰囲気には大満足だったものの、問題はお食事でした。  体験入居をした部屋(≒ 現在空室になっている入居予定居室)からお食事をする食堂までの距離がメチャ遠いとのこと。  腰痛持ちのじぃじにとってこの距離の移動がどうやらかなり苦痛だったみたい・・・・・ ^^;  1日に1回だけの移動ならいざ知らず、3度3度の食事やおやつの度にここを行ったり来たりするのがどうしても辛いとのこと。  

そんなことを言っている一方で、ホームの近くに散歩する場所がほとんどないな~んていう発言まで出てくるので、正直何が何だかよく分からなかったりもするのですが、無理強いするわけにもいかず、結果的にKiKi が Lothlórien_山小舎から通い易く認知症ケアにも定評のある老人ホームへの入居という思惑はおじゃんになってしまいそうな雰囲気です。  

ま、本音の部分では恐らく要支援1で頭の方も年齢の割にはしっかりしているじぃじにとって、入居者の大半が認知症だったり要介護度の高い人だったりするあたりがネックだったのだろうとは想像するに難くない雰囲気なんですけど、それでもばぁばだけを預ける気分にはどうしてもならないようで、あくまでも夫婦部屋への入居に拘り続けています。

要介護4で認知症が日に日に進んでいるばぁばと要支援1のじぃじとでは必要としているサポートには大きな違いがあるわけで、じぃじの欲求を満たそうとすればそのしわ寄せは当然のことながらばぁばのケアに出てきてしまうし、ばぁばの必要性を満たそうとすればそのしわ寄せはじぃじの欲求との乖離という形になってしまうことは、ちょっと考えればわかりそうなものなのですけど、そこは「老人性我儘」「老人性頑固性」が邪魔をしてか、どうしても認めたくないじぃじです。


昨日、天日干しをしてせっせと「じぃじとばぁばのお迎え準備」をしていたLothlórien_山小舎。  2つのベッドのうち1つは問題なく組み立てられたんだけど、残りの1つは金具(を止めるネジ)が行方不明なため組み立てたくても組み立てられませんでした。  昨日はその買い出しに片道20分ぐらいの所にあるカインズホームへ夕方からお出かけでした。  う~ん、今回は体験入居だから KiKi 達がLothlórien_山小舎で過ごすことができる時間は限られているわけで、本当だったら「お買いものタイム」に時間を使っている余裕はあんまりないんですけどねぇ・・・・・ ^^;

ま、とは言うものの、お医者さまから厳重に禁止されているのにまさか和式布団でばぁばを寝かせるわけにはいきません。

結局、組み立てることができたベッドと同じような金具(というかネジ?)は見つけることができなかったんだけど、とりあえず金具を木の板に彫られた溝に固定するためのいわば棒みたいなもので、止まってくれさえすれば上からの力には何とか耐えられるだろうということで、「六角ボルト」なるものを購入してきました。

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そして今朝からベッドの組み立て & 設置に着手しました。  本来ならじぃじとばぁばの滞在部屋は1階にしてあげたかったんだけど、同居してずっと暮らすならいざ知らず、滅多にあるかないかの「お泊り用」です。  Lothlórien_山小舎の1階はだだっ広いLDと KiKi & ダーリンの寝室(和室)しかないので、ベッドを設置するには不向きです。  結局、ベッドとそこそこ相性が良い部屋となると、2階の洋室(これまでTVを観たりゲームをしたりする以外では、キルトを広げてしつけをかける時以外には使ったことがない)しか残っていません。  そこなら2階のトイレも近いのでそこで良しとすることにしました。      

久々のフツーの生活

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両親の「介護付き有料老人ホーム・体験入居」も4日目に突入しました。  預けっぱなしというのも気が引けるけれど、かと言ってむやみに顔を出せば帰巣本能に火を点けることになるのは明らかなので、とりあえずじっと我慢の子を己に課している KiKi です。  つい先ほど、一応ホームに電話をして様子を聞いてみたのですが、ある種当たり前の「家に帰る」発言はあるし、認知症患者特有の夜間の出歩きはそこそこあるものの、極めて穏やかに過ごしているとのこと。  ちょっと一安心です。

ホームの方のお話によれば、食事は完食。  睡眠もちゃんと摂れていて、とりわけ問題視せざるをえない問題行動もないとのこと。  今日の午後はじぃじのお楽しみ、近所のショッピングモールへのお買いものツアーに参加することになっているとのことなので、まあ今晩までは平穏に過ぎることは間違いないようです。

一方、KiKi はと言えば久々のLothlórien_山小舎ですこぶる平凡なフツーの生活を満喫しております。  ばぁばの5秒おきの「ご飯は何を食べるんですか?」「ご飯は何人ですか?」のエンドレスな質問を受けなくても済むというだけで、こんなにも気持ちが穏やかになるのか!と思わずにはいられません。  (ゴメンね、ばぁば <(_ _)>)

音楽鑑賞もしたい放題(実家ではばぁばのハミング以外の音楽とは遮断されていた)。  好きな時間にお風呂に入ることができる(実家ではじぃじとばぁばのお風呂タイムに合わせ、尚且つ間を開けずに入らないとばぁばが不穏になった)。  同じ話を1日に何十回も聞かずに済む。  それだけで人間の気分というのはここまで解放されるのかと親不孝者の KiKi は久々の介護休暇を満喫しています。  ま、何をしているというわけでもないんですけどね(苦笑)。

    

両親の体験入居スタート

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連休の真っ只中、5月5日から11日までの1週間、我が両親の「介護付き有料老人ホーム・体験入居」が始まりました。  できるだけ「上り車線」を避けるため(あ~んど 都内を抜けずに済ますため)、我が実家のある沼津から東名で御殿場を経由し、富士五湖道路に須走から入り、河口湖を経て中央高速、圏央道、関越と高速道路を乗り継ぎ、北関東道を通るルートでした。  出発前の唯一の懸念は中央高速の小仏あたりから八王子までの渋滞で、何とかここを午前中には通り過ぎたいと考え、朝の9時半に実家を出発しました。

ところがどっこい、御殿場っていう所は観光地でもあり、この日も御殿場インターで早くも渋滞に巻き込まれました。  本線は結構車がスイスイ流れていたんですけど御殿場インター出口は長蛇の列でした。  しかも・・・・・です。  インターよりかなり手前から車の行列ができていました。  ダーリンと KiKi とそれぞれがそれぞれの車に乗り、ダーリンの車に我が両親、KiKi の車に愛犬ノルンと分乗してのドライブだったのですが、最初にこの行列に気が付いたのは KiKi でした。  もっとも行列最後尾につける位置で気が付いたのならまだ良かったんだけど、「あれ?  ひょっとしてこの行列は??」と気が付いた時には最後尾からちょっと前に進んでしまった位置でした。  そして思わずブレーキを踏んだ KiKi の脇をダーリンがかっ飛んで前に進んでいきます。

今更最後尾にバックするわけにもいかず、仕方なく KiKi もそのまま前進し、非常識にも割り込ませていただけるスペースを探しました。  心の中で「わざとじゃないんです。  ごめんなさい。」と謝りつつも同じことを別の人がやったら腹が立つんだよなぁ・・・・・な~んていうことを考えつつ、心優しいとあるドライバーさんの前に割り込ませていただきました。  この場を借りてお詫びします。  ごめんなさい<(_ _)>

そして御殿場の街の中を須走に向かって走る道中も渋滞。  こんな所でモタモタしていたら中央高速はどんどん混雑していくのに・・・・と気持ちは焦るものの、どうしようもありません。  それでも KiKi の車に同乗しているのは「良い子のノルン」だけだからまだ良かったけれど、ダーリンの車にはあの集中力のない「認知症の母ちゃん」が乗っているわけで、ダーリンにも心の中で謝ります。  「大変だろうね。  ゴメンね。」

須走インターを入ってしまうと思いのほか車は流れ始め、中央高速の「談合坂」までは比較的スムーズに進みました。  そして談合坂でのプチ休憩を済ませ再び本線に戻るとあっという間に渋滞エリアに突入しました。  「ゲッ!  もう始まっちゃったの???」って言う感じでノロノロ、トロトロと進みます。  八王子インターまであと5kmという地点で携帯が鳴りました。  ダーリンからです。

「あのね、お義母さんがちょっと胸がムカムカするって言ってるんだ。  だから、圏央道に入って最初のSAで休憩するから。  こっちは八王子まであと4kmぐらいなんだけど、そっちは??」

「こっちはあと5㎞。  大丈夫そう??  排気ガスがすごいかもしれないけど、窓を開けてあげて。」

「うん、わかった」

「じゃね。」

こうしてこの電話からかなりの時間がたって、ようやく圏央道の狭山SAに到着しました。  もっと痛々しい状態になっているかと思ったんだけど、SAで休憩している母は顔色もさほど悪くなく、ニコニコしていました。  

「ちょっと疲れちゃったね。  大丈夫??」

と尋ねる KiKi に

「何が??  私は大丈夫ですよ。」

ともはや胸がムカムカしていたことも忘れちゃっていたみたい(苦笑)

この後は特にこれといった渋滞にもあわず何とか群馬県は太田市にある目的地に到着しました。  到着時刻は3時50分ぐらい。  実に6時間半ぐらいのドライブとなってしまいました。  通常、Lothlórien_山小舎と実家の行き来には4時間弱ぐらいかかっているので、2時間半は余計にかかっている計算です。  (高崎からこのホームまでの距離とLothlórien_山小舎までの距離は同じくらい)

でも到着早々、やっぱり疲れ切っちゃった母はそのまま体験入居の部屋のベッドへ直行です。


父の介護認定、判定出る

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我が家の場合、父は89歳。  左耳は完全に聞こえず右耳は辛うじて聞こえるもののかなり覚束ない状態で、人様とのコミュニケーションにとかく困難を伴います。  さらに前立腺がんの疑いがあり(癌研を含めいくつかの医療機関で受診したものの、父の年齢を考えてかお医者様は誰も明言しない)、ついでに背骨が曲がってしまっていて慢性の腰痛持ち(時々自力で立てないことあり)でもあります。  認知症の症状こそないものの、歳相応のボケはあり、しょっちゅうメガネがなくなったり、水道は出しっ放し、電気は点けっ放しという困ったチャンでもあります。

それでも自力で電車にも乗れるし、買い物にも行ける(但し腰痛がひどくない日限定)し、金銭管理もそれなりに(決して完全にとは言えない)できるので母の担当のケアマネさんには「恐らく介護認定の判定は自立。  運が良ければ要支援1が取れるかどうかという状態ではないかと思われます。」と言われていました。

これで母がそれなりにしっかりしているのであれば何も問題はないわけですが、残念なことに要介護4という判定を頂戴してしまっている認知症患者です。  いかに父が「歳の割にしっかりしている、年の割にお元気」ではあっても、何らかの生活支援がなければどこをどう突いても2人だけでの生活は成り立ちません。  そして巷で言われる「老々介護」が成立する状態でもありません。  

ところが現行の介護保険制度では同居人の中に1人でも「自立」の人がいると、「医療支援」は受けられても「生活支援」は受けられないとのことで、今年の2月にどうしても KiKi がLothlórien_山小舎に1週間ほど帰宅しなければならなかった時、所謂「家事ヘルパー」さんをお願いしたのですが、「全額自費扱い」になってしまいました。

又、ここへきて「介護付き有料老人ホーム」への入居を検討し始めているわけですが、多くのホームでは「自立」の人は「要支援・要介護」の人よりも月額利用料がお高い(介護保険による補填がないため)ということもあり、ホームに入居するにしろこのまま在宅でヘルパーさんをお願いしたり、給食サービスを利用するにしろ、父の介護度をはっきりさせる必要が出てきました。  そこで3月になってから父の介護認定を依頼していたのですが、昨日ようやくその判定結果が通知されました。

  

認知症を患って以来、母の日常会話のトピックは数パターンに限られるようになりました。  今日はその中の1つに関してお話してみたいと思います。  毎日毎日、3度の食事の度に、そしてその食事の間に1分おきぐらいに何度も何度も繰り返される言葉の中にこんなものがあります。


ここ(KiKi の実家)は静かでいい所ねぇ。  自動車がブ~ブ~いわないわねぇ。  車があんまり通らないのかしら??  (最後のフレーズはごくたまに、「道から少し引っ込んでいるからかしらねぇ。」というものに変わります。)


まあこの話は食事中のみならず、KiKi のチクチクタイムに KiKi に張りついている時、お茶の時間、散歩中と場所と時を変えて何度も何度も繰り返されるので KiKi としては1日に恐らく50回ぐらいは聞いている言葉です。  実際 KiKi の実家の辺りは結構静かな場所なので、結果的に KiKi の返事は


そうね、静かね。  いい所よね。


とか


そうね、いい所に住んでいてよかったわね。


とか


そうね、いい所ね。  ところでここは誰のうち?


という3つのパターンしかなくなってしまいます。  (因みに最後の1つはここが自分の家であることを最早忘れてしまっている母に何とか記憶を探ってもらいたい一心でたま~に発してみる問いかけです。)  さて、この極めて変化に乏しい会話をしている中で、どうしても KiKi に理解できないことがあるんですよ。

それはね、


ところで、その自動車がブ~ブ~いう所って、一体全体どこのこと?


というものです。

    

昨日、修善寺に引き続き今度は伊東にある老人ホーム2軒の見学に行きました。  今回ももちろん両親と一緒の見学ツアーです。  修善寺でとりあえず「介護付き有料老人ホーム」を見学しているので、昨日のメインは「居住型有料老人ホーム(要するに介護保険を利用して外部から介護サービスを受けることはできるけれど、ホームには潤沢に介護してくれるスタッフさんがいるわけではない)」の内覧会参加でした。

このホーム、実は KiKi とダーリンは KiKi のお誕生日に見学に行っていて、その際に4月の末に内覧会があり、館内の見学といつもそちらで提供されているお食事をすることができるというお話を頂戴していました。  ま、てなわけでせっかくの機会でもあることだし、老人ホームをいろいろ見学したいという父の希望もあったしということで出かける運びとなりました。

そしてついで・・・・と言っては何だけど、KiKi とダーリンが事前にお邪魔した際にもご紹介いただいた「系列の介護付き老人ホーム」がその施設から目と鼻の先にあるということだったので、そちらにも予約を入れて見学させていただきました。

で、今日のエントリーはメインの「居住型有料老人ホーム」のお話ではなく、もう一つの「系列の介護付き老人ホーム」のお話です。

こちらの施設、とにかく豪華!!  入り口を入ってすぐの食堂(メインダイニング)がまず凄い!!  海が一望できるその場所の雰囲気は「老人ホーム」というよりは「豪華ホテル」といった趣です。  しょっぱなからビックリさせてくれちゃうわけだけど、でもね、本当の意味で KiKi をビックリさせてくれちゃったのはそこではありません。


昨日、とにかく「介護付き老人ホーム」というやつを実際に見てみたい(しかも認知症入居可 & 夫婦部屋あり)という父の希望により修善寺にあるとあるホームに見学に行きました。  もちろん両親も一緒の見学ツアーです。

インターネットの情報やら事前に頂いていたパンフレットなんかではかなり好印象だったホームです。  でもでも、こういう所は分譲マンションなんかと一緒で実際に行ってみて全体の雰囲気やら何やらを含めて検分してみないことにはネットやパンフレットでの印象だけで良し悪しを判断するのは超危険!です。

ナビに誘導されて到着したホームの入り口の雰囲気は・・・・・・「悪いわけじゃないけれどちょっと期待外れ」というものでした。  決して印象が悪いというほどではないんだけど、つい先日訪れた群馬のホームが「期待以上」だったうえに、その印象が強く残っている状態ではどうしても見劣りするような気がしてしまいました。

とは言っても、外観だけで判断するのはもっと危険です。  何はともあれサービス内容やホーム全体の雰囲気の方が重要です。  事前に電話で「見学予約」を入れた際に「夫婦部屋はあるものの現在は満床状態」であること、「待機している方がいらっしゃる」ことは分かっていました。  そしてその電話では「待機人数が何組なのか」までは即答していただけなかったので、仮にここが父のお気に召したとしてもすぐに入居できるわけではありません。  

そして現在夫婦部屋が満床ということは、そこに居住されていらっしゃる方がいらっしゃるということで(当たり前ですが ^^;)、当然その夫婦部屋のモデルルームみたいなものを見学することもできません。  だから案内していただけたのは現在空き室になっている1人部屋と後はいわゆる公共スペース。  食事をするところとか、体力増強マシーン・スペースとか、介護付きお風呂といった場所のみでした。

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父の方はいただいた書類を片手にかなり真剣にあちこち見学していたのですが、認知症を患い集中力が著しく欠如している母はすぐに飽きてしまい(ついでに何故自分が今ここにいるのかはわかっていない ^^;)窓から外を眺めているだけ・・・・・・という状態でした。


有料老人ホーム探し開始

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ちょっとブログの更新が滞ってしまっていました。  この間あれこれ色々あったのですがとてもじゃないけどブログを更新できるような時間的・精神的余裕がありませんでした。  そんな中、今日、ブログの更新ができているのは今、 KiKi がLothlórien_山小舎にいるから!な~んですよね(笑)。

前回までの介護関連のエントリーはひたすら母に振り回されている KiKi の愚痴っぽいものが多くて、このままだと母は「とんでもなく手間のかかる迷惑婆さん」みたいだけど、あれらの出来事は決して嘘でも誇張でもないけれど、それでもと~っても可愛い瞬間もあるんですよ♪  そんな時は KiKi も「うんうん、大丈夫。  これならまだまだ一緒に頑張れる」と思ったりもするんです。  でもね、KiKi よりも先に父の方がギブアップ気味・・・・・(苦笑)  本人自体「まだまだ元気!」という状態でもなく(かと言って差し迫ってどこかが深刻に悪い状態と言うわけじゃないけれど)、最近では腰痛が激しくて自力で起き上がれなかったことが数回あったりもして、「できれば二人でどこかの介護付き老人ホームに入りたい。」と言い始めました。

ま、てなわけで4月の半ばから KiKi には日々の家事・介護に加えて「有料老人ホーム探し」というタスクが課せられたのでした。  とりあえずはインターネットで様々な情報をゲットするところから開始しました。  とは言ってもねぇ、何せ自分の人生の中でこのタイミングでこんなことを調べることになろうとは思いもよらなかったから、最初のうちは戸惑うばかりでどんな基準でどんな視点で施設を見極めなくちゃいけないのかわからないことばかり・・・・・・。  

幸い見つけたこちらのサイトは か☆な☆り 熟読させていただきました。

老人ホームを探すために我が家の場合何が最初の分岐点になるかっていうと、父母の家のある静岡県で探すか、はたまた KiKi が暮らすLothlórien_山小舎のある群馬県で探すかというポイントがあります。  KiKi の希望としてはホームに預けっぱなしというのだけは嫌だから、できれば群馬県で入所してくれると嬉しいんだけど、年老いた両親に暖かい静岡県 → 寒さの厳しい群馬県に移住を求めるのは酷かなぁ・・・・・な~んていうことも考えました。

もちろん静岡県には両親の家があるわけだから KiKi たちが移住して同居するなり静岡県の有料老人ホームを探すという考え方もあったんだけど、12月の末からここまでの4か月近くを沼津で過ごしてみて分かったことは、もしも沼津の家に移住したとするとマイ・ダーリンの老化を自動的に促進することになるなぁということでした。  Lothlórien_山小舎であればダーリンはやることが一杯あって(最初からそのための東京→Lothlórien山小舎移住だった)、体を動かす機会も必然的に多くて、実に健康的な生活をしていたんだけど、沼津だととにかくやることがない・・・・・。  

母の通所リハビリの送り迎え、父の通院の送り迎え、お買い物、犬の散歩以外の時間はナンクロに耽っているかPCでスパイダーソリティアをやっているだけ・・・・・と言っても過言ではない状態でこれに加えて母が手を入れたやたらとしょっぱい味噌汁を飲んだり、父がスーパーで山と買ってくる「佃煮」系の食べものを食べる機会も増え、「このままじゃいけない!」と思わざるを得ない状態なんですよね~。

それでなくてもダーリンと KiKi はちょっと歳が離れているため、ダーリンはもう「じいさん領域(≒ 年金受給世代)」に足を踏み入れているわけで、多忙なサラリーマン時代を終え、ようやく時間的余裕が持てるようになって、体もそこそこ動くこの大切な時期に KiKi の両親の介護だけに付き合わせていちゃいけないよなぁ・・・・・と感じることも多くなってきていました。

  

これは母が言っているんじゃない。  病気が言わせているんだ・・・・・と頭では分かっていても感情がそれに追いつかず KiKi をこれ以上ないほどに傷つけ凹ませる母の言葉に直面することが介護生活の中では頻繁に起こります。  今となっては日常茶飯事となっている母の発言の中に


もういや!  こんな生活。  死にたい!  もうこんなところにいたくない!!


というものがあるのですが、時にこの言葉に尾ひれ、背びれがつきます。  最近頻繁に発生するその尾ひれ発言の一例は?と言えば


何で私の平穏な生活に土足で踏み込んでくるヤツがここにいるのよ!  私はこういう落ち着かない生活が嫌いなのよ!!  まったくかっぺ(注: 田舎っぺ)は、ホント頭にくる。  人んちへこっちの都合も考えずに勝手に来て、私にわけのわかんないことを色々させるんだから!!  ホント、私はかっぺは大嫌い!!  もう私はこんなところ出て行く!!!


というものがあります。  ここで言う「平穏な生活に土足で踏み込んでくるヤツ」とか「かっぺ」とか「人の都合を考えずに来ているヤツ」というのは KiKi & KiKi のダーリンのことです。  もちろん母にはそれが自分の娘 & 娘婿であるという記憶はまったくなく、ついでに言えばもう何か月も同居しているという記憶もありません。  

このての発言が発生するのは多くの場合朝。  ただでさえ介護疲れを日々感じている中で、それでも気力を振り絞って何とか今日も笑顔で乗り切ろうと思っている矢先にこんな言葉を頭から浴びせられるのは、天使でも神様でもない生身の人間である KiKi にはやりきれないものです。

怒っちゃいけない。  母が言っているんじゃない。  病気が言わせているんだ。  母は混乱して不安なんだ。  底知れない恐怖を感じているんだ。  そりゃ、自分の家にいきなり知らない人間がいたら誰だって不安になるし平穏を乱されたように感じるはず。  我慢、我慢 とは思うのです。  でもそれが上手くいく日もあれば、腹が立って仕方なくてどうしても今日は母に優しくなれそうにないとさらっと流してあげられない日もあります。

認知症を発症している人はある意味でものすごく繊細で、自分の周りにいる人の反応を恐々と見ているようなところがあるので、こちらが笑顔になれない状態で姿を見せることはあまりよくないという部分もあれば、そうやって何気に顔を合わせることを避けていると、「避けられている」ということは確実に母には伝わってしまうという部分もアリで、どうすればよいのか途方に暮れてしまいます。  そんな時には介護生活をほっぽり投げ捨て逃げ出したい衝動にかられます。


沼津の観光

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3月25日にあちこち観光したらその日の夜が平穏だったことに気を良くした我が父ちゃん。  立て続けに別の場所にも観光に行こうと言い出しました。  まあ、KiKi にとっても夜の睡眠が安心なのは願ったり叶ったりなので、ホイホイとそのお誘いに乗ることにして、今度は3月28日、沼津の観光地に出向きました。  ダーリンはこの日もドライバー。  労われているんだか、働かされているんだか、やっぱりわかりません ^^;

まず向かったのは千本松原(沼津市の狩野川河口から、富士市の田子の浦港の間約10kmの駿河湾岸に沿って続いている松原。  千本松原とはいうものの、実際には現在30数万本以上の松があるらしい)・・・・・・を作った人と言われる山城延暦寺の乗運上人の弟、長円(後、増誉上人)をたたえて里人が開いた庵の進化形、乗運寺なるお寺です。

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お寺の境内にはこんな像まで建っています。  これ、松を1本1本植えている乗運上人のお姿です。  そしてこのお寺にはこ~んな有名人のお墓まであります。

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え?  誰のお墓だかわかんない??  しかもこの犬は何だって??  このかわゆいワンコは KiKi の愛犬ノルンです。  そして青いジャンパーの後ろ姿はこの日もドライバーのマイ・ダーリン。  それにしてもでっかいお尻ですねぇ。

  

え?  そんなことはいいから、誰のお墓かって??  


これ、歌人の「若山牧水」のお墓です。  若山牧水さんは千本松原をこよなく愛していらしたそうで、千本松原内にもこ~んな石碑が建っていたりします。


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え?  相変わらず邪魔なものが写っていてよく見えない???


じゃあ、これでどうだ!!!



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やっぱりよく見えませんかねぇ。  これ、一応若山牧水さんの歌碑なんですけどね。





幾山河  越えさり行かば寂しさの  終(は)てなむ国ぞ  今日も旅行く 

 【歌意: いったい,幾つの山河を越えさって行けば寂しさが果てる(終わりを迎える)国なのだろう,今日も旅路を行く】



な~んていう句が彫られています。


今年のお花見

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実際にお花見に行った日からはだいぶ遅れてしまったけれど、介護生活の傍ら、比較的母の様子が安定している日にお花見に行ってきました。

12月の末からず~っと病院と実家の往復のためにアッシー(古い? 苦笑)をしてくれているダーリンは KiKi の実家の近くの観光地に全くと言っていいほど行ったことがありません。  ひたすら労働だけを文句の1つも言わずこなしてくれているダーリンへの慰労と、ついでに言えば家に籠りがちな母の気分転換も兼ねて、このあたりの「花見の名所」、三島大社に行ってきました。  (因みに行ったのは3月25日のことでした ^^;)

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当日は生憎のお天気だったので写真写りも暗めだけど、ちょうど「ほぼ満開」の桜の中、大社さんを散策しました。

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母が今の KiKi とほぼ同じ年齢だった頃、KiKi の両親は町が主催する「写真サークル」なるものに参加し、日本中のあちらこちらへ一眼レフを抱えて出かけて行っては写真を撮りまくり、たま~に帰省する KiKi に得意気にそれらの作品を見せびらかして(?)いたものだったのですが、今ではそんなに熱心だった写真にもまったく興味を示さず「面倒くさい」「アホらしい」と言って見向きもしません。

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まあ、そんな母の気分に左右されていても仕方ないので、母の様子から目を離さないようにしつつも KiKi は自分のペースであちらでパチリ、こちらでパチリ。

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さすが歴史ある神社だけのことはあり、なかなかの大木揃いです。

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ついで・・・・と言っては何だけど、いずれ我が実家のある町の「徘徊ネットワーク」(認知症等で徘徊する老人を町じゅうを走り回っている「介護関連事業者の車」で探して家族に連絡してくれるサービス?があるらしい)にいずれ登録するために、記念撮影と称して母の写真もパチリ。

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大腿骨骨頭骨折にもめげず、その後の玄関転倒事件にもめげず、抜群の身体能力を誇る母は杖1本で砂利道もなんのその。  この日(この時間は・・・・と言うべきか?)は超ご機嫌でした。

 

母、再びの自宅での転倒

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昨晩、10時頃。  父、母に続き KiKi も入浴を済ませ、ダーリンが最後のお風呂を堪能していた(この順番、決してダーリンが軽視されているというわけではありません。  我が両親は極端な熱風呂好き。  この2人の後では我がダーリンはとてもじゃないけどお湯に浸かることができないというので、KiKi が熱風呂をぬるくする緩衝剤の役割を果たすと言うことで落ち着いた順番です。)まさにその時、階下でドスンという大きな音がすると共に母の「キャー!」という叫び声が響きました。

大慌てで階段を駆け下りると階下は真っ暗。  まずは両親の寝室に飛び込んでみたのですが、そこに2人の姿はありません。  我が家の照明はスイッチのみではなく、電燈からぶら下がっている紐でも点けたり消したりすることができるタイプ。  慌てていた KiKi は壁のスイッチを操作するも電気が点かないことで尚更慌て、さらに言えば真っ暗な中ではどのあたりに紐がぶら下がっているのかも確信が持てないため、気持ちはますます焦ります。

寝室と前回母が骨折した台所では母の姿が見つけられなかったので次に飛び込んだのがトイレです。  するとそこには父の姿。  ということは少なくとも母の所在はトイレではありえないわけで、お風呂でダーリンといきなり遭遇しての叫びだったとしたら、ダーリンが何か言っている声がしてもおかしくないわけで、次はどこを見るべきか必死で考えました。


「お母さん、どこ??」


と呼びかけても返事はありません。

1階にはまだ他に2部屋あるんですけど、その2つの部屋に通じるドアには簡易的な鍵がかかっているのを確認。  残るは玄関です。

そして玄関に駆けつけ壁スイッチを点灯すると玄関の三和土(たたき)の所に尻もちをついてうなだれている母の姿を発見しました。  それを見つけた瞬間、KiKi の背筋を冷たいものが走りました。

何度もお話しているように我が母は昨年末、台所で転倒し大腿骨骨頭骨折という大怪我を負い、現在リハビリ治療中です。  たまたま先週の金曜日はリハビリと同時にレントゲン診断を受けていて(但し例の家出騒動のあった日なので、母本人はお医者さんとは会っておらず、レントゲン室にも理学療法士さんに連れて行ってもらった)先生から期待以上の回復具合なので、次のレントゲン診断は半年後でOKと言われほっとしたばかりだったのに、再びの転倒事件です。

もしも人工関節がこの事件で損傷していたら・・・・。  もしも今度は左足を骨折していたら・・・・・・。  いやそれ以外に何か別の怪我でもしていたら・・・・・・・。  悪いことばかり思いつきます。

何はともあれ、そのまま玄関に坐りこませているわけにはいきません。  とにかく立たせてみて大声をあげるようであれば救急車です。

 

在宅介護生活が始まって約2ヶ月。  「病気なんだから仕方ない」「病気が言わせてるんだから我慢、我慢」と可能な限り優しい気持ちを持ち続けたいとは思うものの、時として「それはこっちのセリフだよ(涙)」と言いたいことが起こります。

昨日は KiKi の神経を思いっきり逆撫でしてくれちゃう事件が3連発で勃発しました。  現在我が母は大腿骨骨頭骨折による人工関節の手術後のリハビリを受け続けています。  入院中は毎日あったこのリハビリ。  退院以後は週に2日、火曜日と金曜日に病院内にあるリハビリセンターに連れて行きます。

ところでこの母、大の病院嫌いです。  そして大の薬嫌いというおまけもついています。  今回の入院前までは病院のびょの字でも口にしようものなら泣くわ喚くわの大騒動で、アルツハイマーの初期症状が出た時も病院のお世話にはならず、ついでに宥めたりすかしたりしてようやく連れて行ったたった1回の診察で処方された薬も飲まずという前科があるなか、現在の「要介護4」まで症状を悪化させたという経歴持ちです。

だからリハビリに連れて行くのも実は一苦労で、「足の運動に行くのよ。」「病院の中にあるリハビリセンターという所に行くの。  でもお医者さんに診せるわけじゃないのよ。」「この足の運動をさぼると寝たきりになっちゃうかもしれないのよ。」と言葉を尽くして説得してようやく連れて行くという状態でここまでは何とかほぼ皆勤(2回ほどサボりあり)で通っていました。

ところが昨日はこれまで以上の抵抗があり、これに加えて父との口論があり、もはや毎日の定例行事となりつつある「もういや!  こんなうち!!」という捨て台詞付きの家出をしてくれちゃいました。  母の家出は多くの場合父との口論が原因で、父が声を荒げて叱りつけると出ていくというパターンなんですけど、齢89歳の父はリハビリ治療中の母の歩くスピードにはまったくついていけない状態で、喧嘩をしては母の家出があり、そうなると KiKi へのSOS要請というのが最近の定例パターンです。

昨日もまさにそのパターンで階下から「あんた、どこ行くの?!」という父の声が響き、それに続いて「KiKi!  又、あの人、出て行っちゃったよ!!」との呼び声が・・・・・。  大慌てで外に出てみると昨日はそれでもまだ姿が見える所を歩いていたからいいものの日によっては家の近くのすべての四つ角で周囲を見回しても姿も見えないな~んていうことがままあります。  

いずれにしろ昨日は姿が見えるのでとりあえず母を追いかけ、ちょっと離れたところから「あら、○○さん(母の名)、どこへ行くの??」と声をかけると「知らない!  ほっといて頂戴」と怒鳴り返してきました。  こんな時は事を急いでもいいことはありません。  つかず離れずついていくと多くの場合は途中で何に怒っていたのか忘れてくれてスンナリ連れ戻すこともできるのですが、昨日は認知症患者とは思えないほど怒りモードが持続していました。

くどいようですが、母は大腿骨骨頭骨折で人工関節を入れ、現在リハビリ治療中の患者です。  家からあまり離れすぎて何かあっては大変です。  そこでもう一度ちょっと離れたところから「あら、○○さん(母の名)、どこへ行くの??」と声をかけてみたら、「病院に連れて行くって言うから嫌なの!  だからもうあんな家には帰らないの。  私は病院に行くくらいなら死ぬからいいの。」と言います。  そこでいつもの口説き文句、「違うわよ。  ま、確かに病院の建物には行くけどお医者さんの所へ行くわけじゃなくて、病院の中にあるリハビリセンターっていうところへ足の運動に行くのよ。  これまでもず~っと行っていたし、そこに通ったから今○○さんはこんなに歩けるようになったのよ。」と言ってみました。  すると「嘘よ!  医者に診せるって言ったもの。  それは嫌なの!!」とこうきます。

「誰がそんなこと言ったの??  ホントよ。  お医者さんに診せに行くんじゃないのよ。」ともう一度繰り返してみたものの、けんもほろろです。  ついでに「うちの人たちはみんなで私に嘘を言う。  だからもう嫌なの!!」と超ご機嫌斜めです。  放っておくわけにはいかないけれど「うちの人全般」が敵という意識に凝り固まっている間ははっきり言って手のつけようがありません。  幸い、母の家出騒動と同時に家を出たのは KiKi のみならず KiKi のダーリンも一緒だったため、「うちの人」のようでありながらも「他人」のようでもあるダーリンに母との併歩を任せ、とりあえず KiKi は一旦姿を消すことにしてみました。

      

KiKi の介護生活はまだまだ始まったばかりです。  始まったばかり・・・・にも関わらず、最近どうしても考えてしまうことがあります。  それはまっこと身勝手な考えであることは百も承知なんですけど、我が身のことです。  我が身の身の振り方と言ってもいいかもしれません。


このままゴールの見えない介護生活をしていていいんだろうか??


もちろん、KiKi は1人で大人になったわけじゃなくて、ここに至るまでには、両親の恩恵ってやつを計り知れないほど受けてきています。  だからある意味では当然親の介護は KiKi の義務でもあるわけで、良い子の KiKi は「これが真っ当な人生、あるべき姿」と思ったりもするんですよ。

でもね、その一方でどうしても考えてしまうんです。  20代から50代に至る30年間をかけて築き上げてきた KiKi 自身の生き方とこんなにも隔絶された時間を過ごしていていていいんだろうか?ってね。

KiKi は以前この連作エントリーでも書いたように、自分の城で自分のグランドピアノで音楽を奏でたり、長年かけて集めてきたCDコレクションで音楽三昧の生活をするために、深夜残業も厭わず、必死で仕事をして稼いだお金をそんな人生の準備のためにつぎ込んできました。  でも、今、ここ実家での介護生活の中ではグランドピアノとは完璧に隔離されています。  KiKi のこれまでの人生の中でピアノに触れない日々を3か月以上続けたのは大学入学のために上京してからしばらくの間だけでした。  

先日、このエントリーでお話したiPod ドックスピーカーを購入して、せめて音楽鑑賞だけでもできる体制を整えたわけですが、環境の準備ができたと言えども、KiKi が音楽鑑賞をしているとそこに悪意なき邪魔者が登場します。  半分ツンボで音楽を解さない父や認知症で自分が何をしているのかちゃんと理解できていない母が登場し、音楽をかき消すような音量でペチャクチャと喋り始めます。

読書中も状況は変わらず、KiKi の読書スピードは右肩下がりに落ちる一方です。

   

自分のためのお買いもの

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相変わらず実家で介護生活を続けている KiKi です。  実家とは言え大学入学以来、この家で生活をしてこなかった KiKi。  当然のことながらここには KiKi の馴染みのモノは全くと言っていいほどありません。  子供時代にピアノの練習で使っていたアップライト・ピアノが辛うじて「馴染みのモノ」と呼べるものではあるものの、もう何年も調律も整音もしていないから、まともな音も出なければ鍵盤のリアクションも半端じゃなく悪いうえに、KiKi がこの家に住まなくなって以来、物置台と化している始末です。  とてもじゃないけど「弾いてみよう」な~んていう気分にさせてくれる代物ではありません。

こんなブログを書いていることからもお分かりのように KiKi のもう一つの趣味はクラシック音楽鑑賞です。  池袋のマンションにはもはや総数何枚になったのかよくわからない CD コレクションがあり、かつてはそのCD視聴記録みたいなブログを書いていたわけですが、そんなCDコレクションは持ち運びには凡そ不便極まりないわけです。  でも、世の中の進歩のおかげでこ~んな優れものが登場し、CDコレクションの全て・・・・・とはいかないまでも9割がたは持ち運びができるようになりました。  ま、てなわけで今回の実家生活に際してもこの iPod を持ってきたのですが、大失態を犯していることに気が付いたのは今年の1月中旬のことでした。

iPod そのものは持ってきたものの、充電コードを持ってくるのを忘れています!!  さらには KiKi の実家にはステレオ・コンポな~んていう洒落たものは今ではなくて、iPod で音楽が楽しめるとは言うものの、それはイヤホンを通してだけ・・・・・。  部屋を揺るがすような大音量な~んていうのはハナから望んでいないけど、KiKi の普通の生活(東京のマンションでもLothlórien_山小舎でも)ではお料理をするとき、PCで何か作業をするとき、チクチク・タイムとすべてのシチュエーションでBGMが流れていたのに、それと遮断された生活を送ること約2か月半。  そろそろ禁断症状が出始めてきました。

介護生活することに不満はないけれど、自分の人生を彩るために長い時間とそれなりの投資をしてきた音楽生活を捨て去ることなんて KiKi にはできそうにありません。  ま、てなわけで、介護生活に入ることがなければ必要なかったこ~んなものを衝動買いです。

    

先日、こちらのエントリーを書いてからちょっと間が空いてしまいました。  今日はその続編です。

このエントリーでもお話した通り、人生初の「保険福祉課」のあんちゃんとのお世辞にも芳しいとは言い難かったやりとりの後、母が入院していた病院の婦長さんに役場での顛末をお話し、それでも母の性格(人様のお世話になるのはプライドが許さない)を鑑みると退院後に自宅に認定調査に来てもらうというのはどう考えても無理な相談で、入院中に認定調査をしていただく形が望ましいことを伝え、役場にいつ再申請に行くべきかアドバイスをお願いしました。

病院側は入院中の母とそれこそ四六時中接しているわけで、母がどういう状態なのか(認知症の進行具合と母の性格の Mix 技がどんなふうに現れるか)を熟知されているため、KiKi が入院中の認定調査に拘る理由を深く理解してくださり、退院可能(≠ 退院予定日)となるタイミングで事前にお知らせいただけることになりました。  

そしてその約2週間後、主治医の先生(認知症ではなく大腿骨骨頭骨折の執刀医)から「おうちの受け入れ態勢が整えば(≒ 父と二人暮らしなら NG、もしも KiKi が家にいられる状況がしばらくの間でも作れるなら)、いつでも退院してもよい」というゴー・サインが出るとすぐに婦長さんからその旨のお話がありました。  そして「介護保険の再申請に行ってください」とのこと。  そこでその翌日、再び役場の「保険福祉課」に足を運びました。

行ってみると窓口に出てきたのはあの「財源発言・福祉という言葉とは見た目およそ相性のよくなさそうなあんちゃん」でした。  あの日のイヤ~な思い出が頭をよぎりましたが、できるだけ何事もなかったかのように声をかけてみました。

「あの~すみません。  先日、こちらにお邪魔して退院日程が決まったら再度申請に来るように言われた○○の家のものですが、病院から『もういつでも退院できる』と言われたので認定調査のお願いに来ました。」

すると、このあんちゃん。  KiKi が提示しようとする書類を確認することもなく

「あ、そうですか。  退院予定日はいつですか?」

と問い返してきました。

「いえ、あの、認定調査は自宅ではなく病院でしていただけるようお願いしていて、先日お出しした書類にもそのように記載して提出しているんですけど。」

すると

「退院が決まらないと認定調査はできないことになっています。」

ときます。  

「そうは仰いますけど、もしも明日にでも退院してくれと言われたら今日中に認定調査に来ていただけるという意味ですか?」

と聞き直すと、

「それは無理でしょう。  役場の人間が行くわけではなく、役場の委託先が行くんですから。」

「じゃあ、退院予定日の何日前にお伝えすれば、確実に病院で認定調査していただけるんでしょうか?」

「何日とは言えません。」

「あのですね、先ほども申し上げたとおり病院からはもういつでも退院できると言われているんです。  でも、諸般の事情があって自宅で認定調査を受けるとなると色々問題が発生するので病院で認定調査をお願いしたいと申し上げているし、先般提出させていただいた書類にもその旨記載しました。  逆を言えば、認定調査の日程が決まらなければ、こちらは退院予定日を決めることもできないんです。」

「あ、そうなんですか。  じゃあ仕方ないから病院に調査員を行かせます。  ご苦労様でした。」

とこうきました。 

「あの、すみません。  で、今日お願いが完了したということで、認定調査はいつになるんでしょうか?」

「それはこちらでは判りません。  役場の人間が行くわけではないんですから。」

「じゃあ、こちらはどうやって認定調査の日程がわかるんでしょうか??  同じ申請書で、認定調査の際には家族の同席必須ということでお願いしています。  そしてその日程が決まらないと先ほども申し上げた通り、病院と退院予定日をいつにするかの打ち合わせができないんですけど。」

だ~から!、役場の委託先からそちらに連絡が行きます。」

「だから」にやたらと力を入れてそう仰るわけですが、「役場の委託先が来る」ことは上記の会話の中で聞きましたけど、日程を誰が教えてくれるのかはこの時初めてこのあんちゃんは口にしているわけで、力を入れて「わからん人だな」扱いされる覚えはありません。  ムッときたのを必死で抑え、

「そのご連絡は、申請書にも書いておきましたけど、自宅ではなく、私の携帯にお願いしたいんですけど。  今はまだ母も入院中で、家族は毎日病院に行かなくてはいけないので、留守がちなので・・・・・。」

「はい。  分かってます。  ご苦労様!

相変わらずの「物には言い方ってモンがあるんだろ!」的な口調・態度にゲンナリしたものの、とりあえず用件は済んだとホウホウの体で役場を後にしました。

 

ヘルパーさんの報告

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昨日は、KiKi がLothlórien_山小舎に4日間帰宅していた間に臨時でお願いした「家事ヘルパー」さんの報告日でした。  この「家事ヘルパー」さんをお願いするに当たっては、よせばいいものを父が事前に母に「家事ヘルパー」をお願いすることにしたことを正直に話し、案の定「そんな必要はない」「知らない人が家に入るのは嫌だ」「そんな人を頼まなければならないほど私の存在が迷惑なら私は家を出る」と大騒ぎ。  始まる前から拒絶姿勢が強烈だったため、どうなることやらと心配していたのですが、結果、何事もなく恙なく(?)お仕事をきっちりとやっていただくことができたようでした。

Lothlórien_山小舎に帰宅中、何度も電話を手に実家の番号をダイヤルしかけてはやめておいた KiKi。  万が一のことがあれば、あちらから電話が入るだろうし、状況がわからない中で自己満足のために電話を入れ、それが逆に悪い結果をもたらさないとも限りません。  せっかくの介護解放日と言えども、離れてみれば離れたであれこれと気をもむ自分に呆れること数十回 ^^;

事前の打ち合わせ(母が拒絶姿勢を強烈に示した日)の際、「ヘルパーですと名乗られると猛烈に拒絶される可能性がありますから、できれば私の友だちと名乗っていただいて、『退院されたと聞いたのでちょっと寄らせていただきました。』みたいな雰囲気で初めて頂ければ、基本、『ええかっこしい』の人なので、気持ちよく対応してくれると思います。」とお話しておいたのですが、案の定、ヘルパーさんの報告書によればそんな風に名乗ったらにこやかに迎えてくれたとのこと。  そしてその後も拒絶は一切なかったとのことでした。

4日間は毎日、11時半から1時までと夕方4時から5時までと1日に2回、入っていただいたのですが、かなり経験を積まれたベテラン・ヘルパーさんを配置していただいたおかげもあって、その合計8回の訪問で食事の準備とお掃除をしていただきました。  「洗濯はどうするの?」と聞いたら父が「洗濯はいい!」と譲らなかったのでお願いしなかったのですが、これまた想像通り、この4日間は着替えもせず、KiKi が群馬に向かう前と帰ってきた後で、あらたな洗濯物が洗濯かごに入っていることもなく、ヘルパーさんの報告書には「御主人、○○さん(母の名前)、共に着替えができていないようです。」と書かれてしまいました。

  

徘徊できない小心者 ^^;

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今朝、まだお布団の中の KiKi の所に父があわくって飛んできました。  曰く、早朝からもはや日常茶飯事となっている口論の末、母が家から出て行ってしまったとのこと。  父も頑張って追いかけたらしいものの、驚異的な身体能力を持つ「骨折母ちゃん」には追いつくことができず、途中で見失ってしまったと言うのです。  

一昨日、群馬→沼津の遠距離ドライブ(約4時間半)の末、夜の9時前に到着。  その後入浴介助やら何やらで就寝時刻は日付が変わってから、その翌日も早朝(6時前)にたたき起こされ、蓄積疲労で起きるに起きれなかった KiKi の盲点をついての「母ちゃん家出事件」の勃発です。

まだまだ寝ぼけ状態の KiKi ではあったものの、今では自宅が分かるような分からないようなの母のことですし、もっと言えば「要介護度4」の認知症患者なわけで、「要介護度4」と言えばこのエントリーでもお話した通り、「野外への徘徊」が起きるレベルということですから、惰眠を貪っているわけにもいきません。

KiKi よりも先んじて外へ飛び出していくダーリン。  そしてその後を追う父。  出ていきがてら「お前は家にいてくれ!」と叫んでいます。  仕方なく玄関まで出かかったのを家に戻ると玄関のカギを父がガチャッと閉める音がしました。  一瞬、「何も玄関の鍵まで閉めなくたって・・・・・」とは思ったんですけど、戸締りには人100倍ぐらいうるさい母に連日連夜「鍵は閉まっているかしら」と言われ続けている条件反射 あ~んど これで連れ帰った時に鍵が開いていたらそれはそれで一悶着起こることは想像できたため、とりあえずそのままにして KiKi は2階にあがり窓から外をず~っと見ていました。


「どこへ行っちゃったことやら・・・・・・」


家で待っているというのはそれはそれで気が気じゃないわけで、なかなか落ち着きません。  自宅玄関に続く道路を必死で見守るものの、母の姿はいっこうに現れません。


今日も KiKi はLothlórien_山小舎で過ごしています。  今日の予定は「今年の味噌作り」で、今部屋の中は大豆の煮える甘い香りがプ~ンと漂っています。  2ヶ月間、山小舎を空けたことによる「水回り事件」は相変わらず多発しており、今日は久々にここLothlórien_山小舎で洗濯をしようと思ったら洗濯機が記号だらけのエラーメッセージを表示してストップしてしまいました。  よくよく見てみると水道栓が壊れてしまっており給水ができないことによるエラーだったみたいです。  洗濯機のある洗面所は定住している時であれば電熱ヒーターを入れっぱなしで凍結対策をしているのですが、今回は沼津に移動する際にその電熱ヒーターを電源から切ってしまっており、このエントリーでも書いたように、屋内であっても零下だった今年の冬はこちらの水道栓も乗り切れなかったようです。  (当然水抜きはしてありました。)

ま、それはさておき、今日は母の介護保険申請の際に発生したあれこれを整理して記録しておきたいと思います。

KiKi の母親は昔から大の病院嫌いでした。  元来、健康なたちの母はいわゆる「大病」とは無縁の人生を歩んできた人で、入院経験も通院経験も全くと言っていいほどありません。  それでも普通の人間ですから風邪をひいたりお腹を壊したりということもごくごく稀にあったものの、そういう時は病院のお世話にはならず、売薬のお世話にもならず、睡眠と気力だけで治してしまう・・・・・そんな人でした。

それでも認知症の初期症状が表れはじめた時、一度は病院に行ってみたそうです。  そこで処方された薬はアリセプト。  薬に対する病的なまでの心理的抵抗を捨てきれないまま、それでも数日はその薬を服用してみたそうですが、薬には効能があるのと同時に副作用もあるわけで、母の場合は「吐き気」「手足のしびれ」「眩暈」といった症状が出た(と自己申告している)とかで、「こんな薬を飲み続けていたら生活していけない!」と言って医師には無断で服用をやめてしまったのみならず、その後通院することすら拒むようになってしまいました。

今回、「大腿骨骨頭骨折」で救急車に乗せられ、有無をも言わせずに病院に搬送されたことにより、ついでに内科の診察も受け、一応認知症のお薬を出してもらっている状態ですが、要するに「認知症の主治医」がいない状態でここまで来てしまいました。  これに加えて両親ともに古い時代の人間なので、「人様のお世話になる」ことに抵抗がある世代です。  「介護保険保険料」こそ支払い続けていたものの、「介護保険対象者」となることも拒み続けてきました。

今回の事故が発生し、KiKi が病院に駆けつけると、婦長さんが KiKi の所に来て「KiKi さん、ちょっとお話があります。」と病室から KiKi を呼び出しました。  婦長さんのお話は大略すると以下のような趣旨のものでした。

今回の入院中に恐らく母の認知症は悪化することが想定される

退院後の父母の生活のことを考えると介護保険認定をできるだけ早期に受けておくことを強く勧める

病院は認定調査には全面的に協力する

役場は認定調査を先延ばししようとするかもしれないが、もういつでも調査に来てもらえると病院が言っていることも伝え、できるだけ早くプロセスした方がよい

退院後、自宅での療養生活は基本的には無理だろうと思われる

その時介護保険認定がないと選択肢はぐっと狭くなる     etc. etc. etc.

同時に、母の入院の際にお世話になった町の「地域包括支援センター」の担当者の方からもお電話をいただき、同様のアドバイスを頂戴しました。  ま、そんなこともあり、父を説得し、ようやく家族の総意として「介護保険申請しよう」という結論へたどり着きました。


敵は身内にあり

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初めてのデイ・サービスが失敗に終わった翌日、父が KiKi のところに来て語り始めました。


曰く、「昨日の所は何となく雑然としているし、プライベート空間がなさすぎる。」

曰く、「ちゃんと個室があって、談話室みたいな所がある場所がいい」

曰く、「あそこだと玄関からフラフラと出て行ってしまいそうで安心できない」

曰く、「シティ・ホテルぐらいの設備のある場所がいい」 etc. etc.


要するにお世話になる当事者である母もさることながら、その身内である父があの施設はどうにもこうにも気に入らなかった様子です。  父にしてみれば長年慈しんできた大切な母を預けるわけですから、その場所の環境や雰囲気に父の価値観をベースにした強い拘りがあるのは理解できます。  もちろん可能な限りそれは尊重してあげたいと思う気持ちが KiKi にもあります。

とは言うものの・・・・・です。  環境や雰囲気が父には気に入らないだろうなということは薄々分かっていたもののその施設で「お試し」してみようと思ったのには理由があります。  母の場合、今の状態は放っておかれることに対して著しい不安反応を示すんですよね。  

父はどちらかと言えば一人遊びが得意なタイプですが、母は一人遊びが苦手な人です。  さらに言えば今の母の状態はどこにいても誰といても、常にそこは見知らぬ場所、見知らぬ人で健常者である私たちには想像できないほど深い不安を抱えている様子が伺えます。  実際のところ、父は「老老介護」と言いつつも母の感情の起伏についていけなくなると、すぐに母とは別の部屋に避難し、1人読書に耽り始めてしまいます。  その間、母がヒステリックに文句を言い続けていても聞く耳を持ちません。  (← と言うより、聞こえていないと言った方が正確かもしれませんが ^^;)  で、その間、母が何をしているのかには殊更無関心を装います。

放置された母は不安に耐えかねて、家庭内徘徊を始め、結局 KiKi の側にへばりつきます。  こうして1日の大半の時間、KiKi は同じ話を繰り返し繰り返し聞かされ、それなりの返事(決して母の言うことは否定せず、時には嘘をつきながら母の不安感を増長させないよう細心の注意を払った返事)をし続けます。  これ、たまの1日とか1日に数時間だったら決して苦痛にはならないんですけど、毎日毎日、お布団の中にいる時間以外はず~っと続けられるとやっぱり精神的に消耗するんですよね~。

そんな母の状態をよく察してくださっているケアマネさんが、その施設を紹介してくださったのは、少なくとも今回「お試し」しようとした施設であれば、プライベート空間はない代わりに一人ぼっちになる時間が少ない施設だという理由がありました。  要するにスタッフさんの誰かが常に側にいて(その施設に預けられている要介護の人はどんなに多くても8人ぐらい)、それなりの対応をしてくださる施設だったのです。


今日は両親にとっても KiKi にとっても「生まれて初めてのデイ・サービス」お試し予定日でした。  昨日の KiKi の予想を見事に裏切り、家を連れ出すところまではもはや日常茶飯事となりつつある「ちょっとした抵抗程度」で事なきを得、何とか先方に辿りつくことはできました。  でも問題はやっぱり発生し、結果的にこの「お試し」は失敗に終わってしまったのでした。

まあ下見に行った時から、KiKi も少しは危惧していたんです。  どこか田舎をバカにし(何せ夫婦2人して戦争さえなければ都会生まれ・都会育ちのシティ・ボーイ & シティ・ガールだった)、どこかこじゃれたものを好み、どこかすましたようなところのある KiKi の両親。  これに対し、今回のデイ・サービス提供会社はどことなく垢抜けなく(別の言い方をすれば田舎の普通のおうちっぽい)、野暮ったい(新築住宅のモデル・ルームのような小奇麗さに欠ける)ところやら、そこに集まっている要介護の人たちとは母の性格を抜きにしても、浮いちゃうところはなきにしもあらずかなぁ・・・・・と。

そしてその危惧が現実のものとして浮上したのが今日の「お試しデイ・サービス」でした。  最初のスタートはそんなに悪くはなかったんです。  皆さん「朝の体操」をされていらっしゃるところに出しなのスッタモンダでちょっと遅れて到着した我が母は、誰に強制されることもなく音楽に合わせて自然と体操を始めました。  しめしめ、これならうまくいくかも・・・・・・とちょっぴり安心し、母の見守りは父に任せ KiKi は契約関係の事務処理のために別のお部屋に移動しました。

話は変わるけど、介護保険関係の様々なサービスって嫌になるぐらい書類手続きが多いんですねぇ。  KiKi はかつての仕事柄、契約書な~んていうものは見慣れているし、ついでに言えばどこにチェックポイントがあるのかを経験的に知っているため、ご丁寧な説明をして頂いている間、実はあんまりそちらは聞いていなくて、さっさと項目名を見ながらきちんと読んで押さえておくべきところ、だいたいどんなことが書かれているか読まなくてもわかるところを分類して、要所要所で質問しているうちに署名・捺印の時間に辿りつくという感じで、山のように提示される契約書を見てもビビることは皆無なんだけど、あれ、そういう仕事の経験がなく、普通の暮らしをしてきた、しかもお年寄りで目も悪くなり根気も長続きしなくなってしまった人が見せられたら、それだけで嫌になってしまうはずです。

この制度を実際に必要とする人々の置かれている現実的な状況を考えると「もうちょっと何とかならないのかしら?」を思わずにはいられません。  巷に決して少なくはない老老介護のお宅で、介護者が主婦だったりすると、あの書類の束に精神的苦痛を感じ、それだけで「もう嫌だ!」ということにもなりかねないんじゃないかなぁと感じます。  実際、KiKi の父親は元教員で、現役時代には書類を読むことには長けていた人(ついでに言えば趣味は読書)だったけれど、書類の束を見せられるとその瞬間に「もう、いらん!」と手ぶりで拒否し、あとは知らん顔で全て KiKi にお任せ状態です。


今月の最終週、KiKi はどうしてもLothlórien_山小舎に帰らなくてはいけない用事があります。  しかも今回は1泊2日な~んていう短期ではなく4日間、実家を留守にしなくてはいけません。  そうなると、認知症の母と半分ツンボの父の2人きりが実家に残されることになります。  そして母は今となっては家事一切ができません。

もっと言えば、家事はおろか自力で着替えも?なら、入浴だって介助が必要。  さらに、母の話し相手として本人のやる気はともかくとして父ではまったく「お話にならない」状態であることも明白です。

そうなると2人の生活が成り立つ公算は限りなくゼロ(0)に近いわけで、どうしたものかと1週間ほど前から担当のケアマネさんと相談をしていました。  そして、あれこれ検討していただいた末にケアマネさんからは「お泊りサービス付きのデイ・サービス」にこの4日間、母のお世話をお任せするというプランが提案されました。  

介護生活が始まってから約半月、母を在宅で介護してきたわけですが、介護の実際は KiKi の当初の予想をはるかに上回る大変さで、正直なところこの「終わりの見えないタスク」に KiKi 自身がどこまで持つのか、悲観的な想いが去来することもままある昨今、KiKi の精神的安定を保つためにも「介護から解放される時間」というのも確実に必要です。  そういう意味でも「今後も週に1日ぐらいはそんな日があってもいいなぁ」と感じていたし、何よりも差し迫った必要性にも突き動かされ、可能であればその提案に乗ってみようということで父とも合意が取れました。

ただ、退院以来、ずっと在宅で介護を続けてきた母がこの「デイ・サービス」に対してどんな反応を示すのか未知数なわけで、「安心して・・・・・」という状況とは程遠いのが実際のところです。  (← 杞憂かもしれないけれど・・・・・ ^^;)  しかも KiKi の母親の性格は一言で言ってしまえば「かなり面倒くさい人」で「ええ格好しい」ではあるものの、「人の好き嫌いが激し」く、人様と良好な人間関係を築くのが極めて不得手な人間です。

さらに言えば、これも認知症の典型的な1つの症状と言ってしまえばそれまでですが、もともと無趣味な人間だったところに輪をかけて最近では全てにおいて無気力で、「○○をしてみない?」と何かを勧めても帰ってくる返事は「面倒くさい」「アホらしい」「そんなことをして何になるの?」という否定形ばかり・・・・・。  そんな状態で介護施設でどんな時間を過ごすことになるのか、不安は尽きません。  

ま、てなわけで何はともあれ「お試しデイ・サービス」なるものを経験してもらうことになりました。  で、明日がその「お試しデイ・サービス」の実行予定日として予定されています。

 

着替えのできない母

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最近では早朝から家の中を歩き回り、前日の夜に大騒ぎの末に味噌汁を KiKi に作らせ、納豆をお皿に盛っただけの状態で「朝食の準備ができました」とふれまわり、すぐに食堂に顔を出さないとアカラサマに不機嫌になって大騒ぎまでする母が、今朝は珍しいことになかなか起きてきませんでした。  「母が起きて来ない≒ まともな朝食の準備ができる」 という奇妙な法則が成り立つ昨今の我が家。  でも、こんな些細なことが大いなる喜びにさえ感じられ、ちょっぴりホクホク気分だった KiKi でした。  でも、「あじの干物」を焼いている真っ最中にこれ以上ないほど不機嫌な表情で食堂に姿を現した母を目にした瞬間、思わず手にした菜箸を取り落としそうになってしまいました。

まず頭はいつも以上にボサボサで、着ているシャツは昨日別の人(父)が着ていたもの。  おまけに下半身は半分以上ずりおちたズボンといういでたち。  その状態で何やら意味不明のことをブツブツとつぶやきながら、出現です。

「おはよう。  どうしたの?」

と声をかけると、どことなく苛立っているような声で

「足が痛いのよ。  どうしてこんなになっちゃうのかしら!!  まったく歳をとるっていや~よね。」

そりゃ、脚の骨を折って手術したんだから、痛むのは当たり前でしょ・・・・・ と言いたい気持ちをぐっと押さえ

「あら、今朝は足が痛いの?  でもまあ、怪我をしちゃったから仕方ないかもね。  歳をとったからじゃないわよ。  骨を折っちゃったこと覚えてる??」

「え?  私骨を折ったの?  何で??」

「転んじゃったらしいわよ。」

「転んだ??  どうして??」

「さあ、私はその場にいなかったからどうしてだかわからないけど。」

「どこで??」

「うちの台所・・・・・って聞いてるけど。」

「えぇ?!  うちの中??  何でかしら??」

「さあ、夜中だったらしいから、寝ぼけていたか暗くてよく見えなくて何かに躓いちゃったか、貧血でも起こしたか・・・・・。  あなたは覚えていないの?  (あなたが覚えていなかったら誰も「何でか?」は知らないんだけど・・・・・・。)」 

「覚えていないの・・・・・・。  いや~ね。」

「それはさておき、あなた、何着てるの??」

「え?  そこにあったのを着てるけど、何か変???」

「まあ、めちゃくちゃ変ってこともないけど、何となくそのシャツ、お父さんのだと思うんだけど・・・・・。」

「え?  これ、そうなの??」

「それにそのズボン。  もうちょっと上まで上げたら??  (と言いながらズボンに手をかけるとパジャマのズボンの上からズボンを履いていることが判明)」

「着替えた方がいいんじゃない??  ベッドの所に赤いシャツがあるから、それを着ましょうよ。  一人で着替えられる??」

「大丈夫です。」

「じゃ、私、今お魚を焼いている最中だから、一人で着替えてね。」



そしてその30分後、ようやく起き出してきた父が KiKi のところに来て


「私のシャツがないんだけど、知らないか??」

「え?  今朝、お母さんが着ていたから着替えさせたんだけど、あの黄色いポロシャツのことでしょ??」

「いや、下着のシャツ。  黄色いポロシャツはある。」


さては・・・・・・・・・・


「お母さん、ちょっといい??  ごめんね、ちょっと赤いシャツの下に何を着ているか見せてくれる??」  (・・・・・・・と覗く)


「お父さん、あったわよ。  あのね、お母さんが今着てる。  どうする??」

「そうか、じゃ、まあいい。  別のシャツを着るから。」


こうして一番外側だけは何とか体裁が整い、1日が終わろうとしていました。  そして恒例の入浴介助タイムがやってきました。  今、母は左足を自由に上げ下げすることができないため、入浴前には左足の脱衣に関しては KiKi の手助けが必要です。

      

要介護4

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今年に入って早々に申請を出していた母の介護保険申請。  ようやく今日申請が認可された旨の連絡をケアマネさんから受けました。  本来なら介護保険認定が先でその後ケアマネさんが決まるという順序になるはずのところ、うちの母のケースでは大腿骨骨頭骨折という事件があり、その際に地域包括支援センターのお世話になったといういきさつがあったために、介護保険認定よりも先にケアマネさんが決まっていました。

又、実際のところも、お風呂グッズの調達やら自宅の改修工事の見積もり等々、母の退院と併せて「見切り発車」で動き始める必要があったということもあり、役所の手続きを呑気に待っていられる状況でもありませんでした。  この役所絡みの部分では正直 KiKi の神経を思いっきり逆なでしてくれちゃう出来事が多々あったりもしたのですけど、それは又別の機会にお話ししたいと思います。

何はともあれ、これでようやく「介護の体制」が本式にスタートします。  そして、その際に評価された母の「要介護度」が4。  因みにこの介護保険の要介護度判定(?)ですが5段階評価で、4というレベルは上から2つ目に当たります。  ネットでこの「要介護度4」を調べてみると、こんな説明に行き当たります。


要介護状態区分4

最重度の介護を要する状態。

日常生活を遂行する能力はかなり低下しており、「入浴」「排泄」「衣服着脱」 「清潔・整容」の全般にわたって全面的な介護が必要な場合が多い。  その他、 「食事摂取」の見守りや部分的な介助が必要で、「尿意」「便意」が見られなくなる場合も多い。  「毎日の日課」「生年月日」「直前の行為」「自分の名前」など理解全般にわたって低下が見られ 「物忘れ」 「まわりのことに関心がない」ほか、「昼夜逆転」「暴言・暴行」「大声を出す」 「助言や介護に抵抗する」「野外への徘徊」「火元の管理ができない」といった問題行動が増えてくる。


我が母の場合、幸いなことに今のところ「排泄」に関しては退院以来、大きな問題は起していない(小さなものならなくもないけど ^^;)のですが、「入浴」は1人ではさせられない(これは人工骨頭を入れたため、お風呂でお尻をついて座ることができないため)し、「着替え」は目の前に次に着るのはこれと出してあげないと妙チクリンな格好をしても平然としているし、洗濯はしないのでお風呂に入る際にこそっと下着から何からを交換しておかないと何日でも同じ服を着ている状態です。

食事に関しては、料理らしい料理はもはやできなくなっており、冷蔵庫の中に何かを作って置いておけば食べること自体はちゃんとできるのですが、ここ何日かは食事をしたか否かの記憶はかなりぼやけてきているようです。  それでいて、長年主婦をやってきた習慣からかはたまた幻聴からかは定かではないのですが、台所には何かの強迫観念にかられて立ちたがる反面、例えばお味噌汁1つ作るにしても、だしをどうやってとるのか、具をどうするのか、味噌をどれくらい入れるのか、いえそれ以前に味噌がどこにあるのかもわからない状態で、その苛立ちからか KiKi に当たり散らすという極めて傍迷惑(ゴメン、母よ)な日々です。

薬はこちらがちゃんと管理してあげない限り規則正しく飲むことができないし、上記の「毎日の日課」以降の記述は「野外への徘徊」と「火元の管理ができない」の2つを除けば全て当てはまります。  「野外への徘徊」がないのは幸いだけど、「家庭内徘徊」は激しくて、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、深夜や早朝にステルス戦闘機の如くに音も立てずに枕元に立っていて、ウロウロするだけならまだしも、家じゅうの色々な物を本来あるべき場所から、信じられないような場所へ運んで知らん顔ということが日常茶飯事です。

「火元・戸締り」に関しては神経質に過ぎるほどにきちんとして(?)いて、家中のコンセントを抜きまくり(エアコンのコンセントさえ!)、パイロットランプがついている電化製品は片っ端からコンセントを抜いて歩きます。  おかげで何度PCがバッテリー切れに陥ったことか・・・・・・(ため息)  戸締りを人に確認させること日に50回ぐらい・・・・・・。  妙なところだけはしっかりと意識が残っている反面、それに振り回されるこちらはたまったものではありません。     


介護生活が始まって約1か月。  それまで実家に帰省してもお客さんだった KiKi には見えていなかった我が家の問題が少しずつ見えてきたように思う今日この頃です。  

KiKi の父親は数年前に「突発性難聴」を患い、入院してステロイド点滴を受けたりと手を尽くしたものの治療の甲斐なく、左耳の聴力を失ってしまいました。  父が突発性難聴に罹患した頃は母もまだしっかりしていて、認知症の明らかな症状は出ていなかったのですが、母の認知症が始まった頃とほぼ時期を同じくして、今度はそれまで問題がなかった父の右耳に今度は「老人性難聴」が始まりました。

一時は「補聴器」をつけることも検討したらしいのですが、補聴器が拾ってしまう雑音ばかりが耳に入り、それが神経に触るということで、結果的に補聴器をつけることを断念したようです。  で、父母二人の生活の中で、片方は聴力に問題あり、もう片方は記憶に問題ありという状態でここ2~3年を過ごしてきました。

こういう生活がもたらす帰結として、「会話が成立しない」という現象がどうやらあったように思われるんですよね。  母が何気なく発する問いかけが父には聴こえません。  それでも何か話しかけられた気配を察していれば「何?」と問い返したりもしているのですが、母の方は父の耳が遠いことを覚えていないので、言い方を変える(音量を変えるとか、言い換えるとか)な~んていう高度な技(?)は使えません。  そこでまったく同じ調子で同じ言葉で同じ問いを繰り返すのですが、やっぱり父には聴こえません。


介護生活_お風呂編

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介護生活が始まって、KiKi が直面した最初の難関は「入浴」です。  幸いなことに認知症で一次判定「要介護4」の母も、入院中はともかく退院して以来排泄関係に関しては今のところ大きな問題を起していません。  でも母の場合、認知症と言うよりは「大腿骨骨頭骨折」という大事件の治療直後のため、「お尻をついて地べたに座る」という行為が全面的に禁止されています。  (この動作をすると人工関節が外れてしまうことがあるらしい・・・・・)  ところがお風呂という場所は、洗い場での動作といい、浴槽内での動作といい、その全てに於いて「お尻をついて座る」という動作がついて回ります。

ところが、この動作が禁止されているということを何回説明しても認知症の母はすぐに忘れてしまいます。  結果、入浴には常に介助が必要となり、これは齢88の父には当然のことながら遂行することができません。  更に言うなら、今回ケアマネさんとの打ち合わせで導入した様々な介護用品が我が家のお風呂には設置されているのですが、そういった新しい道具に対する親和性は著しく欠くというのが認知症の1つの特徴でもあるため、それらの道具を1人で使いこなすことを要求することは不可能と言っても過言ではありません。

因みに今回母のために我が家のお風呂に登場した新しい道具とは以下の5点です。

  浴槽内滑り止めマット

0090000000342.jpg  浴室設置の手すり

0130000002872.jpg  シャワー・チェア

0160000001222.jpg    洗い桶設置台

12734258.jpg  浴槽内椅子

このうち、「浴槽内滑り止めマット」だけはお風呂にお湯を張る際に設置しておきさえすれば特にこれといって使い方を介助する必要性はないんだけど、もともと「シャワー・チェア」を使っていなかった母にとっては、浴室に入ったら洗い場ではしゃがまずにこれに腰をかけるという一見単純そうな動作であってさえも、都度都度説明しない限り実行することができません ^^; 

ただでさえ「シャワー・チェア」に慣れないところにもってきて、この介護用のシャワー・チェアと洗い場の床面では距離が離れすぎていて半端じゃなく前屈みにならない限り「盥(洗い桶)」には手が届かなくなってしまうわけですが、その問題を解消するための「洗い桶設置台」もここにお湯を入れた洗い桶を乗せて目の前に置いてあげたうえで「じゃあ、この洗い桶を使って」と都度都度言ってあげない限り、習い性となってしまっている「洗い場直座り」を自然としてしまいそうになります。

  

ついに始まった介護生活

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ちょっと休眠化しているここLothlórien_Blog です。  そのいきさつはこのエントリーに書いた母の入院に端を発しています。  幸いなことにその入院の直接のきっかけとなった大腿骨骨頭骨折の方の手術は成功し、その後の経過も良好で、リハビリの先生(理学療法士さん)のお言葉を借りれば「素晴らしい基礎身体能力」とのこと。  

実際あれだけの大怪我をした割には、今では杖をつけば背筋もピンと伸びて、かなりのスピードで歩けるし、リハビリの最中にいきなり頼み(のはずの)杖をひょいと振り上げて何かを指し示したりしながら自力で歩いているし、もっと言うなら入院中は病院のベッドの両脇にある柵(と呼んでいいのかわからないけれど)を自力で乗り越えベッドから降りてトイレを探してフラフラとお散歩(しかも無事故!)しちゃっていたぐらいでした。

でも問題なのはこの入院中に認知症の方がさらに進んでしまい、自分が骨折をしたことも覚えていないし、自分の苗字も分かったり分からなかったり、つれあいの名前も覚えていたりいなかったり、同居していなかった KiKi のことともなれば娘であることを認識するのは10回に1回ぐらい(正解率1割 ^^;)、名前は最初の一文字をヒントで与えない限りまったく思い出せないという状態です。

入院中、もっとも困ってしまったのは排泄の問題で、入院当初から手術当日まではおしっこの方は尿道カテーテルで出してもらっていたので本人には何ら自覚がなかったんだけど、ウンチの方はいわゆるオムツだったんだけどこれに対する抵抗には物凄いものがありました。  それでもウンチの方は回数が少ない分、後になってみればトラブルも大したことはなかったんだけど、いざ手術が終わりリハビリ病棟に移ってからはその尿道カテーテルも外され、尿とりパッドに変更になったら、これに対する抵抗が半端じゃありません。  

そもそも自分が骨折したという自覚がない(記憶がないと言うべきか?)んですよ。  でも、羞恥心とか自尊心だけは半端じゃなく残っているから

「ここはトイレはどこ?」

「あのね、トイレはとっても遠いから今は行けないの。」

「どうして?」

「あなたは足の骨を骨折しちゃったから、まだ歩けないの。」

「骨折?  どうして??」

「転んじゃったらしいわよ。」

「何で?」

「さあ、夜中だったから、寝ぼけちゃっていたか、暗くて何かに躓いちゃったか・・・・。」

「じゃあ、おしっこはどこでするの?」

「今はここでするしかないの。」

「ここってどこ??」 (あたりを見回す素振り・・・・)

「ここよ。  このベッドの上。」

「いやよ!!  だってビチャビチャになっちゃうじゃない。」

「大丈夫。  今はこれを着けているから。」 (尿とりパッドの実物を見せる)

「これ?  これを今、私は付けているの?」

「そう。  これはね、生理のナプキン、覚えてる?  その何百倍もパワーがあって、あなたのおしっこの3回分ぐらいはちゃんと吸収してくれるの。」

「そんなもの必要ないわよ。  私はトイレぐらいちゃんと1人で行けますから。」

「あのね、ここのトイレはもの凄~く遠いし、今はまだ1人じゃ行けないの。」

「どうして?」

「あなたは足の骨を折っちゃったから、まだ歩けないの。」

「でも、おしっこしたい時はどうすればいいの?」

「今はここでするしかないの。」

「ここってどこ??」

「ここ、ベッドの上」

「嫌よ!  だってビチャビチャになっちゃうじゃないの。」

「大丈夫、これが全部吸ってくれるから。  これを今付けているのよ。  これ、生理のナプキンの何百倍も吸収してくれるから、ベッドは絶対に汚れないの。」

「へぇ・・・・・そうなの凄いわね。  で、ここはトイレはどこ??」

(以下 上記の問答を繰り返すこと約30分から1時間  家族の間ではこれを「おしっこ問答」と命名 苦笑)

てな感じで、これがおしっこの度に繰り返されます。  少しでも母の精神的負担を減らそうと必要ないのにビニール風呂敷を準備してお尻の下に敷いてみたり、オムツの宣伝みたいに水を吸わせて見せたりとありとあらゆる手段で納得させようとしても、「自分が骨折した事」「今は歩けないという事」を忘れちゃうので、オムツの話に納得してもトイレに自力で行くと言い張り、骨折のことを思い出させた頃にはオムツの強力さの話は忘れちゃうという繰り返しで、ほとんどエンドレスの会話を何度繰り返したことか・・・・・。

ウンチに至ってはオムツであることにまず抵抗、次にそのオムツをヘルパーさんに取り替えてもらうことにさらに抵抗。  挙句の果てに、「ウンチは我慢する」と言い張り、便秘になる始末・・・・・。

リハビリが始まり、ある程度歩けるようになると今度は室内に設置するポータブル・トイレに変更になったんだけど、それが部屋の中に置きっぱなしであることにまず抵抗し、次はその排泄物を水で流すことができずヘルパーさんに捨ててもらうことになることに抵抗し・・・・と排泄行動絡みのトラブルを数え上げたらきりがないぐらい・・・・・。  そしてこの「排泄トラブル」の度に興奮状態に陥り、その興奮状態と比例して認知症の症状が増々悪化するという負のスパイラルに突入していきました。

この排泄トラブルは母にとって精神的負担が余りにも大きかったとみえ、挙句の果てには「もう嫌だ、死にたい。」「殺して。」な~んていう言葉を何度も何度も繰り返すようになり、それを口にする度に肩を震わせながら涙を流している姿は見ていて本当に辛いものがありました。

  

newyear1.gif


年が明けてもなかなかブログ・エントリーを書けない日々が続いており、かなり遅ればせながらの New Year Message となってしまいました。  今年も昨年同様、可能な限り本を読み、音楽を聴き、日々のできごとを綴っていきたいと思っていますが、今のところちょっと暗雲がたちこめております(涙)

と言うのも昨年末、年も押し迫った12月は27日にもともと認知症を患っていた母が台所で転倒し、左大腿骨頭骨折という、寝たきりになりやすい大怪我(?)を負い、その翌日から病院と実家を往復する日々が続いています。

ようやく昨日手術が終わり、来週からはリハビリが予定されているのですが、大腿骨骨折というだけでも大事なのに加えて、母の場合認知症がこれに加わるためあれやこれやとてんてこまい状態が続いていて、とてもじゃないけれど今のところブログ・エントリーを書き記す時間的 & 精神的余裕がない状況です。

かと言って、ここまで続けてきたブログをクローズするのも何だかものすご~く勿体ないなぁと感じる「欲目」みたいなものも残っているため、とりあえずは一段落するまで「お休み宣言」をしておくのみとし、可能な限りブログは続けていきたいなぁと考えています。

又、こういう状態になってみると自分の息抜きの場というのも確かに必要なわけで、これから始まる「介護の日々」を綴る新しいカテゴリーも作ってみて、いわゆる「介護記録」みたいなものも残しておこうかなぁ・・・・と。

ま、てなわけで、これまでと比較するとかなり不定期更新のブログとなってしまうことは必至ですが、皆さま、今年もよろしくお願いいたします♪ 

  

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