バッハ マタイ受難曲 第2部 Part 1

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本日のエントリーは昨日に引き続きクラシックブログ共同企画「勝手に**の日 - 聖金曜日には、"受難曲"を」に参加しています。  今日はクリスチャンの皆さんの間ではとっても意義深い、聖金曜日。  イエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架に架けられて亡くなった日を記念(?)する大切な日です。    

さて、昨日に引き続きバッハのマタイ第2部を聴いていきたいと思います。  昨日の第1部でイエスがユダの裏切りによって捕縛されてしまいました。  第2部はイエスが連れ去られたことを嘆く劇的なアルトのアリアから始まりイエスの死までを描きます。  聖書のマタイによる福音書の第26章57節から第27章66節までです。  (第1部は第26章1節から第26章56節まで)  CDは昨日と同じリヒター盤です。

バッハ マタイ受難曲 BWV 244
ARCHIV POCA-9027/9 演奏:リヒター指揮 & ミュンヘン・バッハ管弦楽団 & ミュンヘン・バッハ合唱団 & ミュンヘン少年合唱団 & ヘフリガー(T)、エンゲン(Bs)、ファーベルク(S)、フィッシャー=ディスカウ(Bs) 他 録音:1958年6~8月

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さて第2部の導入部。  アルトのソロが「ああ、いまやわがイエスは連れ去られぬ!」と半ばイエスの運命を察知して嘆きの歌を歌うのに対し、合唱部分はもう少しお気楽・・・・というか「どこへ行っちゃったんだろうねぇ、一緒に探そうか?」というような軽い感じ・・・・^^;。  これってある意味では大衆の「無関心という罪」を表しているのかもしれません。  第1部の終曲のコラールで「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ。」と訴えたわけだけど、人間はは忘れっぽい生き物だし、直接自分に危害が及ばないことには無関心を装うことに長けている生き物でもあるわけで・・・・。

そして最高法院での裁判の場面へ。  KiKi はこの場面の証人たち(アルト & テノール)の証言が何だか最近の TV のトーク番組でペチャクチャ喋っているタレントさんたちの姿とだぶってしまいました。  そしてエヴァンゲリストの静かな詠唱。  「しかしイエスは黙り続けておられた。」  この2つの対比が何とも滑稽に聞こえてしまいます。  そしてそれに続くテノールのレチタティーヴォで「私たちも迫害の中ではイエスに習って沈黙を守ろう。」と歌われ、さらにはそれに続くアリアで「忍べよ、忍べよ! (中略) 神はわが心の無実をばはらしたまわん」と切々と訴えてくるんだけど、その音楽そのものには胸を打たれるんだけど、KiKi にはそんな風に耐え忍ぶなんていうことはできそうにないなぁ・・・・(失笑)。  それに神様が無実をはらしてくれるとも思えないし・・・・。  ところでこのアリアのバックのオルガンは何とも言えないほど美しいと思います。  バッハのオルガンと言えばあの♪チャリラ~♪で始まる聴く者を圧倒せずにはいられない「トッカータとフーガ」が有名だけど、こんな風に静かで控えめな演奏も悪くない・・・・と思わず聞き惚れてしまいました。

さて、裁判は佳境に入ります。  ここで KiKi の印象に残るのは大祭司の「諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。  どう思うか。」という問いかけに対して大衆が口を揃えて(合唱)歌う「彼は死に値する!」の部分です。  ついさっきまでは「無関心の罪」を犯していた大衆が今度は易々とその場の雰囲気に呑まれ、物事を考える力を無くしたかのように叫ぶ姿は現在の私たちの世界でも頻繁に目にする風景です。  ああ、どうしてここに「12人の怒れる男」のヘンリー・フォンダがいなかったんだろうか??(← いや、ちょっと違うか ^^; )  でも、そんな彼ら大衆の行き着く先の行動が、イエスに唾したり頭を殴ったりして「誰が殴ったのか当ててみな。」とは何とも情けない & 幼稚極まりないとしか言いようがない。  これだから陪審員制度って怖いんだよなぁ。  話は大きく外れちゃうんだけど、KiKi は人が人を裁く裁判っていうのには様々なリスクがあるなぁと思っていて(決して否定しているわけではありません)、かつてアメリカで起こった O.J. シンプソン裁判(刑事の方)で陪審員制度の限界を見たような気分になりました。  これから日本が導入しようとしている裁判員制度は大丈夫なんだろうか・・・・?

えっと、話を「マタイ」に戻して・・・と。  「マタイ」を1度でも聴いたことがある人だったら、心を震わせないなんていうことはありえないだろう(と個人的には思う)「ペテロの否認」です。  「たとえみんながあなたに躓いても、私は決して躓きません。」と言い切っていたペテロにイエスが「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないと言うだろう。」と告げ、まさにそのとおりになってしまったというシーンです。  この場面の緊張感がこれまた素晴らしい!!  ペテロに扮するバスのプレープストルの声が若干震え気味で必死に関与を否定している様子がビシビシと伝わってきます。  又、エヴァンゲリストの歌声が1回目の否認よりも2回目が、2回目の否認よりも3回目が緊張感に溢れていて、そして「おりしも鶏が鳴いた~」のくだりではもはや諦念とも言える様な切実さ静けさに溢れていて思わず手に汗握る・・・・というような状態になります。

そしてあの至福のヴァイオリンのメロディに続くアルトのアリア「憐れみたまえ」です。  恐らくイエスの1番弟子を自負し、そんな自分に疑いを抱いたことすらなかったであろうペテロが師イエスに預言されてしまったとおりに3度もイエスを知らないと言ってしまった・・・・。  そんな自分に打ちのめされているペテロの心情を切々と歌うアリアです。  KiKi は生まれて初めてこのアリアを聴いたときには誇張でも何でもなく涙がこぼれてきてなかなか止めることができませんでした。  その前のペテロの否認のシーンでのぴ~んと張り詰めたような緊張感、そしてエヴァンゲリストの諦めとも聴こえる詠唱、そしてこの絶望・・・・。  もうバッハ先生に、リヒター先生に KiKi の感情を思いのままに弄繰り回されちゃった感じ・・・・。  でも、その弄繰り回しは不快でも何でもなく、KiKi がアメリカ人だったら「Oh my god!!」っていう言葉しか浮かばない・・・・そんな感じです。  

で、ここで終わっちゃったらこれは単に「情けない弟子ペテロの裏切りの物語」に過ぎなくなっちゃって、聴いている私たちはこのペテロの嘆きを傍観して「ああ、なんて哀れなペテロ・・・・。」と思うだけで終わっちゃうんだけど、バッハのすごいところはこのあとに「たとえ我、汝より離れ出ずるとも~」というコラールを挿入しているところだと思うんですよね。  このコラールにより、「これはペテロ個人のプライベートな問題ではありませんよ。  あなた方の問題なんですよ。  そして神の愛はそんな弱い人間に対して愚かしいまでに寛容なのです。」と言っているような気がして仕方ありません。

ところで、KiKi は昨日の記事の中で「ユダの人生って・・・・。」ということについてちょっとだけお話したんだけど、このペテロの人生も何だったんだろう?って思うことがあります。  確かに「オリーブ山での居眠り事件」と言い、この「ペテロの否認事件」と言い、この物語の中ではペテロは情けない私たち人間の代表・象徴みたいに描かれている部分も多い。  でも、ちょっと角度を変えて「何故ペテロは居眠りしなくちゃいけなかったのか?」とか「何故ペテロは否認しなくちゃいけなかったのか?」を考えてみると、そこにはそれがユダと同じようにそれが彼の役割・使命だったからとしか説明がつかない部分があるような気がするんですよね。  だって仮にもペテロはイエスの1番弟子であり、そんじょそこいらにいる KiKi のような一般ピープルとはどこか違わなくちゃおかしいわけで・・・・。  乏しい KiKi の記憶では、確かペテロの最期はローマへ宣教して色々迫害された末にあのネロによって逆さ十字架にかけられて殉教したとされていたように覚えています。  つまりもしも「すべてのできごとは神の御心のまま」になされているのだとしたら、彼はイエスの受難のときには一番弟子でありながらも情けない人間でなければならなかったし、彼がイエスと一緒に捕まってはならなかったし、彼が殉死する場所はエルサレムではなくローマと決まっていた・・・・ということなのかなと思ったりもするわけです。

何だか脱線ばかりしているなぁ・・・。  しかもこれって音楽の Review とは言えないような記事になっているしなぁ・・・・。  でもまあ、今日は聖金曜日ですし、「受難曲」を聴くときにもっとも大事なことはこの「イエスの受難物語」を自分がどう受け止めるのかを考えることのような気がするので、今回はこのままの路線で続けることにしますね。 ^^;

さて、こうしてイエスはローマ総督ピラトのもとに引き出されますが、それとほぼ同時にユダの後悔 & 自殺があります。  ここでのユダの「私は罪のない人の血を売り渡し~」はペテロの否認のアルトのアリアの直後なだけに印象に残りにくいんだけど、KiKi は聴いていて哀しくて仕方ない・・・。  それにしてもユダってば自分の裏切り行為がイエスの死を導くことになるっていうことの想像さえつかなかったんだろうか??  だとすると、ユダってとことん愚か(?)で哀しい人物だと思えます。  でもね、バッハはそんなユダにさえもこの「マタイ」では救いの手を差し伸べているような気がするんですよね。

と、言うのもここで挿入されるバスのアリア「我に返せ~」は長調で書かれているし、しかも引用されているのが「放蕩息子の帰郷」の説話なんですよね~。  これってマタイには出てこないお話で、この「放蕩息子」になぞらえられているのがユダであることは明白なんだけど、要はバッハはここで裏切り者のユダを父(神)は赦して抱きしめてくれる・・・・ということを言いたかったのではないかと思うんですよね。  長調で書かれているとは言え、決して明るくてうきうきするような音楽っていう感じではないけれど、安定感・安心感に満ちた音楽で、ペテロの否認のアルト・アリア同様に美しいヴァイオリンの旋律が際立つ音楽です。  

さて、今日もここからは少しピッチをあげて大幅にはしょっていこうと思います。  だってまだまだ先は長いんだもん♪  でも、ここで CD も2枚目から3枚目に交換しなくちゃいけないことだし、一旦この記事を終わらせて続きは別記事にしてアップしたいと思います♪

To be continued .........

 

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2006年4月14日 12:22に書いたブログ記事です。

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