ニーベルングの指環が象徴するもの その2

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さて、今日も昨日に引き続き「指環が象徴するもの」です。  アルベリヒによって「富と権力」「屈従」という意味づけ・価値を与えられた指環は一旦はヴォータンの手に渡ります。  指環の持つこれらの価値に魅せられてしまったヴォータンはうっとりしていて他のことは何も目に入らない、耳に入らない状態です。

身包みはがれた状態のアルベリヒはやっと拘束から逃れたその時、この指環に呪いをかけます。  「俺に1度は無限の力を与えた黄金よ、今度はその魔力で、お前の所有者に死をもたらせ!  指環を得て、心楽しむ者はなく、そのまばゆい輝きを浴びて、幸せを味わう者もいない。  それを持つ者は、不安に魂を蝕まれ、持たぬ者は、欲心に身を灼かれる!  誰もが我が物にしようと欲するが、誰もそのありがたみを享受することはない。  それを持っていたところで利得はなく、反対に持ち主は破滅へと駆られるのだ!  死神に魅入られ、恐怖に脅え、命ある限り満たされぬ欲望を抱えて、指環の主人は、指環の奴隷となってやつれ果てていく。  この呪いの効き目、俺から奪われたものがこの手に戻るときまで絶対に変わることはない!」

いやはやすごい呪いをかけたものです。  こうして指環が持つ意味づけ、価値はさらに飛躍的な進歩を遂げます。  「富と権力」「死」そして「指環への屈従」。  それにしても・・・・。  絶対的な権力者になれるはずの指環を持っていたアルベリヒなのになぜヴォータンに屈しなければならなかったのでしょうか??  確かにヒキガエルなんかに化けて見せるのはお馬鹿だったとは思うけれど、つかまってからヴォータンに指環を奪われるまでにはそれなりの時間があったわけだし、指環を持っている間に「絶対的な力」とやらいう最終兵器を行使することを何故考えなかったのでしょうか??  あの状況でそれでも指環だけは死守できると踏んだ読みの甘さ??  自分の愚かさを嘆くばかりで思考停止に陥った???

 

  

KiKi は何となく・・・・ではあるのですがここにワーグナーの社会批判・・・・のようなものがあるように感じます。  つまりラインの黄金は「愛を諦めた人」によって指環(=資本)に姿を変え、それを持つもの(=アルベリヒ)を富ませることができました。  一見、この現象は指環を持つものが絶大なる力を持ったかのように見えるわけだけれど、それは本質的にはその者の力ではなく指環の力であり、人(=ここまでの登場人物すべて)はその指環の力を指環を持てる者の力であると錯覚し、それを持つことを、持てる者になることを欲します。  そしてその人間の欲の中で指環は次々と所有者を変えながら富を生み出していきます。  事実、物語の中で指環はこの後次々と所有者を変えていきます。  でも、彼らは本当に所有者なのでしょうか??  ひょっとしたら保管者、一時の管理人に過ぎないのではないか???

ワーグナーがこのオペラの台本を書いていた頃(1852年に完成したとされています)、ドイツではマルクス・エンゲルスの共産党宣言(1848年)が高らかに謳い上げられました。

今日までのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である。  
自由民と奴隷、都市貴族と賎民、領主と農奴、ギルド親方と職人、要するに抑圧者と被抑圧者は常にたがいに敵対し、ときにはひそかに、ときには公然と、たえず闘争を続けてきた。 

・・・・・・ しかし、ブルジョワ階級の時代である我々の時代は、階級闘争を単純化したという特色をもっている。  全社会はしだいに敵対する二大陣営、直接に対立する二大階級、すなわちブルジョワ階級とプロレタリア階級に、わかれてゆく。 ・・・・・  共産党主義者は、今までのいっさいの階級秩序の暴力による顚覆を通じてのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。  支配階級は共産主義革命を前に恐れおののくがよい。  プロレタリアは鉄鎖以外に失うものを何ももたない。  うるものは全世界である。  万国のプロレタリア、団結せよ。
(山川 世界史総合図録 より転載) 

 

このオペラは必ずしもこの共産党宣言の趣旨を受けたものではありませんが、こういう社会状況、こういう思想状況のドイツで生まれた台本であることだけは確かです。  「ヴォータン=政治家」、「アルベリヒ=ブルジョワジー」、「ミーメ=プロレタリアート」という社会構図がこのオペラにはくっきりと描かれているように思います。  それを証明しているのがヴォータンとローゲがニーベルハイムにおりていったところで流れる音楽・・・・というか効果音です。  あのトンテンカンテンという何かの製造工場を思わせる音、そして薄暗い地下という環境。  アルベリヒは言います。  「財宝を増やして隠すには、ニーベルハイムの暗がりが都合がいいのさ。」  アルベリヒの築き上げた世界では誰しもが顔を持ちません。  隠れ頭巾で身を隠している(会社には直接出てくるわけじゃない)資本家、そこで隷属的に働いている顔のない(組織の歯車として働く取替え可能な)労働者たち、そして財宝を隠す暗闇(どこともなく吸い込まれていき、労働者には決して平等に配分されることがない富)。

「ラインの黄金」のニーベルハイム冒頭の場面や、「ジークフリート」のファフナーの欲望の洞窟前の場面で繰り広げられる、隠れ頭巾を巡るアルベリヒ vs. ミーメの争いも象徴的です。  あれは資本家と労働者の闘争です。  要はできあがった製品はその製造にあたって資本を出した者の物か、労働力を提供した者の物かという命題がさりげなくあからさまに提示されているように感じられます。      

アルベリヒとヴォータンはともに「権力」「力」への欲望にとらわれています。  でも彼らが求めているものは少し違うと思うのです。  アルベリヒが求めているのはひたすら「現代的資本主義」、もっと言えば「拝金主義」です。  対するヴォータンは「資本主義」を理解し「資本がもたらす力」を欲していますが、彼の支配する世界には同時に「契約」の概念が持ち込まれます。  つまり「契約≒法」とでも言いましょうか・・・・。  さらには「愛」の概念も持ち込まれます。  つまり「愛≒福祉」とでも言いましょうか・・・・。  ただ、ヴォータンは全知全能の神ではありませんから常に迷いがあります。  そしてそれらの概念が衝突する矛盾点、究極の選択の場面で常に迷い、引き裂かれ、先送りをしようと試みています。

 

さて、ところがそんな力(=資本)も、それを使って何らかの社会活動をしようとしない者の手に渡れば、何も生み出さなくなってしまいます。  さらには別の意味づけ・価値が与えられてしまうことさえありうるのです。  何故なら意味づけ・価値(○○主義)は人間が作り出した概念に過ぎないからです。  

 

その3へ続く

 

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 私も、ニーベルングの指環については、とても意味深く思っています。この指輪とは、愛と金力・資本力の問題を扱っています。私達は、神話の世界と現実の世界は違うと思っていますが、現実に、現在の日本人の行動様式を確定する価値観とは、男女を問わず、このラインの黄金の問題が示すとおり、愛とお金という二つのカテゴリーの中に、全ての日本人の意識は含まれてしまうのです。そして、この資本主義社会の中で起きてくる様々な社会現象は、この愛とお金の問題であるラインの黄金によって顕されているのです。たとえば、株式投資をしてお金もうけをする中高年や、その資金を政治活動をする政治家も、また若い水商売の女性達も、全ての日本人の行動様式を決定してしまうのは、愛とお金であるラインの黄金の価値観から来ており、そして資本主義社会の犯罪も、愛とお金の原型であるラインの黄金から発生していると捉えることができるでしょう。日本人が自分が何の価値観や物差しで生きているのかと言ったら、愛とお金の問題に全て入ってしまうのです。ですから、ラインの黄金の問題とは、現実に起きている問題であり、神話が現実であるということに気付かないだけのことなのです。

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