A.I.

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A.I.
2001年 アメリカ 監督・脚本:スティーブン・スピルバーグ


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時は未来。  不治の病に侵された息子をもつ夫妻は、人工知能をもつ少年型ロボットのデヴィッド(ハーレイ・ジョエル・オズメント)を家に迎えるが、やがて息子が奇跡的に蘇生したことから、デヴィッドは家を出されてしまう...。

故スタンリー・キューブリック監督の企画をスティーブン・スピルバーグ監督が受け継いで完成させたSFヒューマン超大作。  『鉄腕アトム』に『ピノキオ』、ついには『未知との遭遇』など、いつかどこかで見聞きしたことのあるドラマ展開だが、その中にスピルバーグは「母への愛」という、彼の定番ともいえるテーマ性を盛り込んだ。

また、中盤のロボット・ジャンク・ショーに見られる残酷味などから、人にあらざるものに対する憐れみの情を描きだしたともいえる。  ナンパ・ロボットに扮したジュード・ロウが好演。(的田也寸志)
                                 Amazon サイトより転載  
  


う~ん、何と表現すればいいんだろう??  正直なところ KiKi にとってこの映画はよくわからない映画でした。  地球温暖化の影響で世界中の沿岸地域が水没してしまい、人々の生活が現在とは大きく様変わりしていて、そんな環境で生き延びた人類(それも先進国に住む限られた人間)がそれまでと同様の生活をするために「労働の担い手」としてロボットが必要になったという設定はそれなりに興味を持てたんです。  で、その裏側で妊娠が認可制になって人口統制が行われるっていうのも恐ろしい世界ではあると思うけれど、さもありなんとそれなりに納得できます。  でもね、そこで出てくるロボットが今私たちが目にすることができている AIBO や ASIMO のようにメカメカしていなくってちょっと見ただけでは人間とは区別がつかない・・・・・というあたりからちょっといや~な予感がしてきたんですよね。  で、挙句の果てにウィリアム・ハート演じる博士(?)が「愛することのできるロボット」の必要性を訴え始めるあたりで結構ひいてしまいました。  「愛人ロボット」を何体も購入している研究者が出てきたあたりではこの世界観の異常さについていけなくなり、さらにウィリアム・ハートが「親として刷り込まれた人間を本当に愛し、その愛が永遠に続く子供型ロボット」製作を訴え始めるに至りすご~く正直なところ、空恐ろしくさえなりました。  そもそもすご~く単純に「愛って何??」というシンプルな疑問が KiKi の頭の中をグルグル巡り始めてしまったんですよね~。  

で、そんな博士にとある女性研究者が「もし人を愛することができるロボットを作るなら愛される人間にも責任が生じるのでは?」と問いかけるシーンを見た時には「ああ、これって人間がその叡智によって作り出した "もの" にもっと責任を持たなくちゃいけないんじゃないか?」という主張の映画なのかなと思いかけてちょっと気を取り直したんだけど、物語が進むにつれてどうやらそうでもないらしい・・・・・ということで又ついていけなくなり、「ピノキオ」の話が出てきてその子供型ロボットが人間になりたがり(彼は自分が愛されないのはロボットだからで人間になればママに愛してもらえると信じている)、ブルー・フェアリーを求めるようになって KiKi の混乱は極地に達してしまいました。  映像そのものは「ほぉ~」と思えるようなものがふんだんに盛り込まれていたのですが、でもねぇ・・・・・。  で、この Review はどちらかと言うとちょっと否定的な Review になってしまうことを予めお断りしておきたいと思います。

 

この映画の主人公デビッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)はそんな博士たちによって作り出された「代理子供ロボット」なんだけど、デビッドを演じるオスメント君自身はとっても可愛いんだけど、KiKi にはどうしてもこの子の存在理由そのものが受け入れがたいんですよね。  自分の本当の子供が不治の病に冒されて冷凍保存状態になって一緒に暮らすことができなくなってしまった夫婦が、その現実を受け止めきれずにその子供に代わる「愛すべき者」を求める気持ちは何となく理解できるんですよ。  でもデビッドは「愛されるためのロボット」じゃなくて、「愛することのできるロボット」であり「愛」という行為の客体じゃなくて主体なんですよね。  これって KiKi にしてみると論理のすり替え以外の何者でもなくて、もう理解不能な世界なんですよね~ ^^;  それにね、親が子供に対して抱く愛情っていうのは、自分の分身でもある 1人では生きていけないか弱い小さな生き物を庇護したいという欲求だとか、成長を見守る楽しみなどと切っても切れない関係があると思うんだけど、デビッド君はロボットだからご飯も食べなければ睡眠もとらないし、おねしょもしなければ病気もしないんです。  手がかからなくていいんだけど、ひたすらウルウルする瞳で親(と刷り込まれた人間)を見つめ、「マミィ」と鼻にかかった声を出すだけの存在・・・・・。  そんな存在に快感を感じるのだとしたらそれは親のサイドのエゴであって「愛情」とは別物にしか思えないような気がするのは気のせいでしょうか? ^^;  それにね、このデビッド君、「愛することのできるロボット」だったはずがいつの間にか(と言うか最初から)「愛されることだけを求めるロボット」に変身しちゃっているのでますますもって KiKi の頭は ??? 状態に・・・・・ ^^;

KiKi には子供がいません。  でも、その代理・・・・というわけではないけれど犬を飼っています。  この子が我が家の一員となった最初の頃は生まれてまだ 2ヶ月ぐらいしか経っていなくて、外見がコロコロとしていて目がぱっちりとしていて本当に可愛かったから「何て愛しい存在なんだろう!」と思えたというのは否定しません。  でもそれだけの存在だったら多分どこかで KiKi はこの子を鬱陶しい存在としか思えなくなってしまったんじゃないかと思うんですよね。  大きくなって態度もふてぶてしくなった最近のその子を見ていると、「ああ、あの可愛かったあの子はどこへ行っちゃったんだろ?」と思うこともなくはないけれど(笑)、でも今、KiKi がその子に感じている愛情というのは、毎日ご飯の世話をしたり、おしっこやうんちの片づけをしたり、体調のすぐれない日であってもお散歩に連れて行ったり、クシャミをしているのを見て心配したり、お腹をこわしているのを見てハラハラしたり、いたずらを見つけて叱ったり、少しずつ大きくなっていく姿を見守ってきた時間があればこその感情だと思うんですよね~。

とっても不思議だったのが、「ご飯を食べない」はずのデビッド君を食卓に座らせて人間の食事に付き合わせているシーンやら、眠らないデビッド君をベッドに寝かしつけるシーン。  これのどこが「愛情」なんだ???  そんなことをさせるためのロボットだったら、デビッド君じゃなくてもぬいぐるみだってよかったじゃないかとか思ってしまったりもして・・・・・。  デビッド君の一番の理解者になるスーパートーイのテディ君じゃダメだった理由がよくわからないし・・・・・。  (テディ君はちゃんと人間の言葉を理解するし、情緒の機微も理解する人間の大人顔負けのスーパーなトーイなんですよね~。)  で、挙句の果てに本当の子供が奇跡的に回復してその子とデビッド君の間に様々な確執やら事故が発生するに至り、テディともども森の中に捨てられちゃうデビッド君の姿を観て KiKi の怒りは頂点に達してしまいました。  人間のご都合主義もここまでくると甚だしい・・・・と。  で、「ああ、やっぱりこの映画は人間のご都合主義を批判する映画だったのかな?」と思い始めました。  でも、ご都合主義だとするとこのロボットの開発者のセンスを疑っちゃうんですよね。  だって、一時的な心の穴を埋めるための存在だとしたら、人間より寿命の長いロボットを作っちゃったりするのは設計ミスとしか思えないし、モノを大事にする心を重視するんだったら、1度インプットされた「親の刷り込み」をリセットできない(リサイクルできない)ようなモノを作っちゃいけないと思うわけで・・・・・(笑)。  で、ここで KiKi の思考は全然別のところに飛んでいって、「ひょっとしたらこれはペット虐待とか幼児虐待という現状に警鐘を鳴らしているシーンなんだろうか?」とか思っちゃったわけです。

で、捨てられちゃったデビッド君がそれでも「ママの愛」を求めてちょっと前に耳にした「ピノキオ」の話に希望を託して、ブルー・フェアリーを求める放浪の旅に出るんだけど、ここにファンタジーが絡んできたことでますます KiKi の ??? は大きくなってしまうんですよね。  さらにはジゴロ・ロボットのジョー(ジュード・ロウ)との出会いがあって、ロボット撲滅キャンペーンとも言うべき「ロボット惨殺ショー」のシーンに続くんだけど、そのシーンからは人間の罪深さ、残酷さみたいなものを感じるんだけど、「愛」とも「家族」とも「ファンタジー」とも相容れないものしか浮かんでこなくて、いったい何を描きたかった映画なのかチンプンカンプン状態に陥ってしまったのです。  それにその「ロボット惨殺ショー」の映像は正直観ていてあまり気分のよいものじゃありませんでした。  しかもそのシーンが無意味に長いような気もしたし・・・・・・・。  

で、ようやくそこを抜け出すことができたデビッド君はジゴロ・ロボットのジョー & テディとブルー・フェアリーを探して水没しちゃったマンハッタンを目指すんだけど、そこでデビッド君を待っていたウィリアム・ハート博士が「君は本物の人間だ。  いちばん本物らしく作った私がブルー・フェアリーだ。」などと言い出したのを観たときにはこの博士の狂気が恐ろしくて「これはテクノロジーに依存する現代社会への警鐘なんだろうか?」とか思ってしまい・・・・・・^^;。  で、そんなにとっちらかった状態でどんなエンディングを迎えるのかと思ったら、又、御伽噺の世界へ戻っていくし・・・・・・。  いったい何を言いたい映画なんだ???

別に KiKi は全ての映画に何らかの主張がなくちゃいけない・・・・とまでは思っていないけれど、やはり作品には何らかのテーマは必要だと思うし、エンターテイメントならエンターテイメントらしく「夢物語」を貫いて欲しいし、現状批判なら現状批判らしく中途半端な救いはないほうがいいと思うんですよね。  しかもね、この映画の場合、たった1日という限られた時間だけどデビッド君は彼が求めていた「ママの愛」を手に入れたかのように描かれているんだけど、あれだって「愛」って言えるんだろうか??と思ってしまうのですよ。  もちろん「自分だけのママ」と過ごす至福の1日こそ、デビッド君の求めていたものなのかもしれないけれど、あの後デビッド君がどんな生涯(・・・・と言う言葉をロボットに対して使えるのかどうかわからないけれど)を送ったのかを考えると、あれは人間のご都合主義の最たるものとしか思えないわけで・・・・・。  

「母子の愛」っていうのはある意味では普遍的な、そして深遠なテーマだと思うんだけど、この映画に描かれているのは断じて「愛」なんかじゃないと、KiKi は声を大にして言いたいです。  そして現代社会への問題提起でもなければ、人間批判・文明批判にもなっていない。  単なる娯楽作品にしては「不快感を伴う恐怖心」に満たされている映画だと思うし・・・・・・。  いずれにしろこの映画から KiKi が感じたのは人間の冷徹なるエゴとそんな罪深い人間を「それでも人間って素晴らしい。」と無理やり謳い上げちゃっている人間賛歌に対する居心地の悪さ・・・・のような気がして仕方ないんですよね~。  あれ?  ひょっとしたらこれって「人間とは何か?」がテーマの映画だったのかな??

 

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