許されざる者

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許されざる者
1992年 アメリカ 製作・監督:クリント・イーストウッド


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19世紀末のワイオミング。  かつて冷酷無比な殺人鬼として悪名を馳せていたウィリアム・マーニー(クリント・イーストウッド)は、今では改心して小さな農場で静かに暮らしていた。  しかし数年前に妻に先立たれ、まだ小さな子供2人を抱えての生活は決して楽ではなかった。  そんなある日、彼の元に若いガンマンが賞金稼ぎの話しを持って来る。  1人の娼婦を惨殺したカウボーイの首に、娼婦仲間たちが高額の賞金を懸けているのだという。  金のためにやむなくその話に乗ったマーニーは、昔の相棒・ネッドと共にビッグ・ウィスキーへと向かう。  ところがそこは悪徳保安官、ビル・ダゲットが牛耳る町だった...。
 
  

先だって「ショーシャンクの空に」の映画 Review を掲載してみたところ、とあるお客様からこの映画の Review をリクエストしていただき、たまたま2006年3月15日の NHK 衛星映画劇場でやっていたので観てみました。  この映画、過去に1度観たことがあったのですが、あまりにも深すぎてこの映画から何を感じたのかを自分なりに整理することができなかった映画だったことを思い出しました。  今日は頑張って(?)色々書き連ねてみたいと思います。

この映画、もちろん単体で観ても良い映画だと思うんですが、KiKi としてはできることならイーストウッドが出ていたクラシックな西部劇を観たうえでこの作品を観ることをオススメしたいと思います。  彼が過去に出ていた西部劇(勧善懲悪 & かっこいいアメリカ人のヒーロー)とは一線を画す作品でありながら、あの頃の西部劇のテイストは見事に再現しているという摩訶不思議な作品だと思います。

KiKi にとってまずとっても象徴的に見えたのが、彼のかつてのガンマン仲間であるネッド(モーガン・フリーマン)が黒人であるということ。  さらにその妻がかつての西部劇では悪の象徴的に描かれることが多かったネイティブ・アメリカンであるということ。  KiKi はクラシックな西部劇の持つ娯楽性は決して嫌いじゃないし、子供の頃は無邪気にも「か~っこいい!!」と憧憬の念すら抱いていたけれど、年を重ね色々なことが理解できるようになるにつれ、「アメリカの自己弁護正当化映画の最先端」をいくのが西部劇なんだなぁと思うようになりました。  (だから声高に批判しようとまでは思わないけれど・・・・)  過去の西部劇に出てくるネイティブ・アメリカンってどちらかと言うと、白人が苦労の末に敷設して町の発展に大いに貢献している鉄道なんかにゲリラ戦を挑むテロリスト的な描き方(悪の象徴)をしていることが多かったんですよね(笑)。  で、そんな無法者たちと戦う孤高のガンマン(善の象徴)みたいな設定。  物事を多面的に捉えることができなかった子供の頃はそんな風に善と悪が単純化された構図はとっても分かりやすかったし、絶対的な正義みたいなものを信じていられた頃には悪は根っからの悪と簡単に信じることができる物語に酔いしれているほうが楽だったし。

でも、大人になるにつれ、「絶対的な正義って何だろう?  そもそもそんなものがあるんだろうか?」と疑う気持ちが生まれ、世の中は善と悪が対立するっていうほどシンプルな構図ばかりじゃないことを知り、新聞やTV、そして映画の中に含まれる物事をいたずらに単純化するようなものの見方に疑問を持つようになるにつれ、善悪を見極める難しさについて感じるようになりました。  その想いを強くしたのはTVゲームに出てくるあるキャラクターのセリフでした。  

モリッド:    「そんな一本調子ではままならぬことも多かろう?」
スタイナー:  「ままなろうとなかろうと正しいことをする。  それが1番なのである!」
モリッド:    「ほう、お前さんは正しいかどうかを判断できると言うのだね?」
スタイナー:  「正しいか正しくないかは誰にだってわかろう?」
モリッド:    「ふぉっふぉっ  見た目に似合わずお若いの。」

ま、それはさておき。  この映画の物語の発端はワイオミングのビッグ・ウィスキーという町で発生したカウボーイによる娼婦への暴行傷害事件です。  で、その事件を担当したビル・タゲット(ジーン・ハックマン)という保安官が、この事件を裁判にかけることもなく彼の裁量1つで馬7頭分の罰金を支払うことでチャラにしてしまいました。  しかもその罰金は傷つけられた娼婦に対してではなく、その雇い主の男に支払うことにしてしまったのです。  この設定に KiKi は舌を巻きました。  まあ、悪徳保安官というのは相も変わらずのクラシックな西部劇の設定だけど、ここにはかつてのならず者が保安官という力を得、その力を一方的な価値観で行使するという何ともおぞましい姿が描かれています。  その後の彼の行動を見れば、彼は娼婦を蔑視するような人間であり、流れ者には必要以上に厳しく、「危険な銃をこの町には持ち込んではならない」という一見誰もがウンウンと頷きそうな標語と自分が得た正当化された力をもって町を独裁化している暴君に過ぎないことがわかります。

 

でも彼はあの時代、小さな町では絶対的ともいえる力を持った保安官なのです。  権力という正当化された力によって泣き寝入りを余儀なくされた娼婦たちは、一致団結して保安官が正当に裁いてくれなかった男を裁きたい一心で懸賞金をかけた「カウボーイへの復讐キャンペーン」を始めます。  冷静に考えれば、酔った勢いで女性の顔に傷をつけた暴行傷害は許しがたい罪だとは思うけれど、その量刑が死刑には到底なりえない・・・・・と法治国家に暮らす KiKi などは考えてしまうけれど、彼女たちは社会からその構成員たる1人の人間として認めてもらえなかったことに対する抗議の意思を持って、この一大キャンペーンをおっぱじめちゃったんでしょうね。  要はこの娼婦たちは法の網の裂け目からこぼれ落ちてしまった「弱者」の象徴みたいな存在だと思います。  だからひょっとすると彼女たちは本当にガンマンが殺されることを望んでいたかどうか・・・・は疑問のような気がします。  あのキャンペーンは今で言うところの認知広告に過ぎなかったのかもしれません。  「私たちにも正当に生きる権利があるのよ!」みたいな・・・・。  だからこそ、カウボーイの1人が「傷つけられたレディのために」と、保安官の判決では要求されていなかったもう1頭の馬を差し出したにも関わらず、それを受け取ることを当事者以外の女性がつっぱねる・・・・・。

でも、そんなキャンペーンの話が人の口から口へと伝わっていくにつれ、背ひれ、尾ひれがついていきます。  顔を傷つけられた女性の話は知らないうちに、「顔を切り刻まれ、目玉をえぐり出され、乳首を切り取られた ≒ ほぼ間違いなく死んだ」ことになってしまいます。  で、そんな誇大広告となってしまった話がこの映画の主人公、マーニーの耳にも届きます。

彼は本人が自分で回想しているように、若い頃にはいつも酔っ払っていて物事をよ~く考えるなんていうこととは無縁で、動くものなら必ず撃ち殺すというおよそお友達にはしたくないようなタイプの人間でした。  これってどこからどう見ても、どんなに彼の事情を斟酌してあげたくてもそれはちょっと不可能な「救いようのないほどの悪の権化」の姿ですよね。  でも、そんな彼は11年前に最愛の妻と出会い、彼女のおかげで酒をやめて(物事が考えられるようになった)、銃を捨て(暴力・殺戮からは足を洗った)、人里離れた荒地で自給自足の農業を営んで生活していました。  そんな男と彼を変えるほどの精神力をもった女性の接点がどこにあったのかはまったく不明・・・・ ^^;  まあ、でもそんなことはどうでもよくて、数年前にはその妻とも死に別れ、今はその妻との間にできた子供と3人、見るからに貧しい生活を送っていました。  そんな彼のところに降って湧いたように現れた「賞金稼ぎ」の話。

で、あまりの貧しさゆえに(プラス 不当に傷つけられた娼婦の仇を討つのは「正義」とも思えたんだと思う)、マーニーは「今度だけ」とばかりに再び銃を手に取る決意をします。  かつては颯爽と馬を駆り、ありえない強さで「悪」と戦っていたイーストウッドがその真逆のキャラを演じているのがなかなかの見ものです。  馬にはまともに乗れないし、銃の扱いも???だし・・・・。  で、その「賞金」をいただくためにかつてのガンマン仲間のネッドと、どこからどう見ても無鉄砲なチンピラにしか見えない若いガンマン、キッドとの3人の旅が始まります。

で、マーニーはその道中で過去に自分が殺した人々の顔やら、蛆虫が這い回っている妻の顔の悪夢に苛まれます。  ようやくビッグ・ウィスキーに到着したときには銃の不当所持ということで、あの保安官にコテンパンに叩きのめされ、何の抵抗もしません。  いくら生活に窮しているとはいえ、こんな状態ではおよそ「人殺し」なんてできそうにないマーニー。  雨に濡れて悪性の風邪(?)をひいたため & 内心の葛藤で伏せこんでしまうマーニー。  この仕事には正義があるかもしれないけれど、お金も欲しいけれど、自分は本当にあの地獄の世界に戻れるのだろうか??  そんなマーニーの心の叫びが聞こえてくるようです。

そんなマーニーが昏睡から目覚めたとき、彼が最初に見るのは顔に深い傷のある娼婦の姿でした。  マーニーは彼女が殺されたわけではなかったということ、あれは誇張された噂に過ぎなかったことを悟ります。  で、普通に考えればここでカウボーイを殺す正当な理由はなくなってしまうわけだけど、生死の境をさまよって蘇ったマーニーにとって、顔を傷つけられた1人の女性の深い悲しみがまるで自分のことのように感じられたのだと思います。  「生まれて初めてのように世界が美しく見える。」というのはある意味ではマーニーが感じたある種宗教的な神聖さ。  でもそんな美しいはずの世界で悲しみを胸に秘めて生きざるをえないこの女性への精神的な同化。  そして社会の弱者たる娼婦がその不当性を訴える術もないがゆえに、起こしたこのキャンペーンの意味を悟ったんだと思うんですよね。  量刑というような「比例報復」的な発想ではなく、こんな状態は裁かれるべきだ・・・・と。  ここに至りマーニーの心から迷いが消えたんだと思います。  彼は新たな「正当な理由」を見つけたんだと思います。

でも、マーニーの相棒のネッドにはそんな逡巡はありませんでした。  彼が過去にどうして殺し屋の道から足を洗ったのかはよくわからなかったけれど(歳という以外には ^^; )、彼は今回の仕事に赴くに当たってもマーニーほどの迷いは抱えていませんでした。  KiKi が思うに、彼が同行した唯一のモチベーションはかつて生死を賭けてともに戦った友を1人で戦わせたくなかった・・・・・それだけだったのではないかと。  ひょっとしたらネッドが殺し屋の道から足を洗ったのさえも、マーニーが辞めたから・・・・・という消極的なものだったのかもしれません。  でも10年という月日は確実に彼を変えてしまっていて、カウボーイを殺さなければいけないギリギリの段階になって、ようやくマーニーが旅の途中にずっと迷い続けていたのと同じ迷いを持ってしまったんだと思うんですよね。  そして何よりも彼に引き金を引かせなかったのは、彼にはどうしてもそのガンマンを殺さなければならない正当な理由が見つけられなかったこと・・・・ではなかったかと。  こうしてネッドは結局土壇場で自分の仕事を放棄してしまいます。

こうして暗殺団から抜けて1人妻の待つ故郷を目指すネッドだけがなぜか捕まり、残りの2人は無事(?)任務を遂行。  ところがネッドが保安官の拷問の末に殺され、さらし者にされるという事件が勃発します。  ここにもちょっと象徴的な意味を感じてしまうのは、殺されてしまったのが黒人であるということ。  よくアメリカでは黒人容疑者が白人の警官により殺されてしまうという事件が勃発するけれど、何となくそれを暗喩しているように KiKi は感じました。  そして、確かにネッドは暗殺団の1人ではあったけれど(そういう意味では有罪)、彼は結局カウボーイを殺す引き金を引くことはできなかったのに・・・・・(そういう意味では傷害罪であり傷害致死罪ではない)。  これもいわゆる量刑相場からしてみると不当に重い判決だったと言えるかもしれません。

この事件を知ったマーニーはここにも「正当な理由」を見出してしまいます。  要は、こんな不当な裁きがまかり通るこの体質こそが裁かれるべきなのだ・・・・・と。  ある意味ではマーニーにとっては力の亡者たるタゲットを殺すことだけが、彼の過去の殺人への贖罪だというほどまでの意識が芽生えていたのかもしれません。  自分には「法」とか「権力」という後ろ盾こそないけれど、「力」だけはある。  過去はただその「力」を振り回していただけだけど、今回は違う。  「法」や「権力」という後ろ盾があるのをいいことに、「力」を振り回しているあの男、タゲットこそ「悪」だと。  でも多分彼はその理論が破綻していることも認識していたんだと思います。  これは単なる自分の「復讐」に過ぎないということも・・・・。  そして「復讐」は何も解決しないということも・・・・・。  だからこそ、彼はこの最後の戦いを前に、ここ11年間と言うもの決して口にすることのなかった酒を飲む。

バーでの保安官 & 酒場の主人 他その他何人もの男を撃ちまくるマーニーの姿は、イーストウッドが過去に出演した西部劇での彼の姿にシンクロします。  過去の映像の中での彼は同じように強く、そしてヒーローでした。  彼の殺人には「正義」があり、彼は善の権化として描かれていました。  でも、そんな彼が今回演じたのが、ダークヒーローとも言うべき存在だったことにこの映画の価値が一番あるように感じます。  そしてラストシーンでもまるでクラシックな西部劇のように、1人馬上の人となって去っていくイーストウッドの姿を町の人たちが見送ります。  かつての西部劇では誰もが「感謝」や「憧憬」の表情を浮かべ、「カムバ~ック!  イーストウッド!!」と叫びそうなシーンですが、この映画で彼を見送る人々の表情はうってかわって重苦しいものでした。

娼婦たちがあのキャンペーンで訴えたかったメッセージと、ラストの大量殺戮の間にはいくつかの偶然が荷担していて、直接的な因果関係はないけれど、彼女たちが自分たちの鬱屈した思いをとげたいがためにこの町に迎え入れた男が、起こしてしまったこの事件に皆呆然としているように見えました。  そこには「復讐してくれてありがとう」という言葉もなければ、「私たちの気持ちを代弁してくれてありがとう」という言葉もありません。  そこにあるのは「なぜこんなことに?」という戸惑いとこの事件に対する恐怖心だけです。  で、一番の皮肉は、こんな犠牲を払ってまでしても、恐らく彼女たちの社会的地位が向上するきっかけにもならなかっただろうということです。  確かに独裁者のタゲットは死んだけれど、新しく別の保安官が赴任し、その保安官がタゲットほど独裁的だったかどうかはともかくとして、また変わり映えのしない毎日が営まれていくだろうということです。  でも、彼らの心にこの事件の陰だけは残るのです。  マーニーの行った殺戮はいったい何だったのでしょうか??

単なる勧善懲悪ではない複雑さがそこにはあると感じます。  又、ひとたび誰かの心に芽生えた復讐心(娼婦たちの怒り)が当事者の手を放れて、個人的には何の恨みもない者同士(チーム・マーニー vs. カウボーイ or 保安官)が、それぞれの正義を振りかざして殺し合う姿は「戦争」にも結びつきます。  この映画が訴えたいことが何だったのかは KiKi には相変わらず掴みきれないけれど、主人公の言葉だけはいつまでも胸に残ります。

「人殺しというのは、人間の過去も未来もすべて奪ってしまう・・・」

奪われてしまうのは、殺された人間のみならず、殺した人間も。  そのことを淡々と訴えている作品であるように感じました。

ある意味ではとっても宗教的な作品だと思うんですよね。  映画の開幕と終幕で映し出される夕日に照らされた貧しい小屋と一本の立ち木のシーンはあまりにも美しく、神聖な感じさえします。  そして「許されざる者」というタイトルは聖書の「復讐するは我にあり。(申命記32:35)」から来ていると思われるんだけど、そこに書かれていることを簡単に言ってしまえば「悪に報いるのは神の領域であって、人間はいかなる悪に対しても報復してはならない。」ということです。  つまりこの聖書の教えをベースにすれば「許されざる者」とは「自ら復讐する者」ということだと思うんですよね。  じゃあ、マーニーが「許されざる者」なのか?と言えば、彼もそうだし、キャンペーンを張った女性たちもそうだし、保安官という立場をフルに生かして「悪」と位置づけた人々に制裁を加えている保安官もそうだし・・・・・。  

ショーシャンクを観た後もそうだったけれど、この映画を観てさらに「罪」だとか「裁く」ということについて、もっともっと真摯に考えなければならない・・・・と感じました。

 

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