ゴッドファーザー

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ゴッドファーザー
1972年 アメリカ 監督:フランシス・フォード・コッポラ


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1947年、ニューヨークでマフィアの抗争が激化した。  敵対するタッタリア・ファミリーにドンを襲われたコルレオーネ・ファミリーでは、ソニーとマイケルの兄弟が戦いの中心人物となる。

マリオ・プーゾのベストセラー小説の映画化で、フランシス・フォード・コッポラ監督の名を一躍有名にした傑作である。  ジェームズ・カーン、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァルらの演技と、静かなタッチのなかに展開する凄惨な抗争描写が見もの。  以後のバイオレンス作品の手本となった。

ドン・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドがアカデミー主演男優賞を受賞したほか、作品賞と脚色賞も受賞した。  ニーノ・ロータによるテーマ曲も印象的である。(アルジオン北村)

                                Amazon サイトより転載 
  

あまりにも有名なこの映画と KiKi との出会いは意外にも遅く20代前半の頃でした。  (もちろんリアルタイムではありません。)  でも初めてこの映画を観たとき、20代になってから観てよかったと思いました。  それ以前の純粋で暴力と名のつくものはすべて毛嫌いしていた頃の KiKi にはまったく理解できない世界だっただろうなと感じたからです。  ついでに言うと、KiKi が最初に観たのが「特別完全版」という Part I と Part II を年代順に編集し直した、監督による追加映像入りの作品だったのがさらによかったと思います。  多分この「特別完全版」でヴィトーの半生を知らない状態のままこの Part I を観たら、いくら 20代前半に入っていた KiKi とは言え、マフィアを主題にしていることに対する嫌悪感がまず先にたってしまい、やはり冷静にはこの映画を観ることができなかったと思います。

さて、今回このタイミングでこの映画を観直してみようと思ったのにはいくつか理由があります。

1) NHKの衛星映画劇場で放映されることを知って懐かしく思い出だしたから
2) 先日観た映画が「許されざる者」で同じように「許されざる者」を描いたこの作品を観たくなったから
3) 2)よりもさらにちょっと前に観たのが「13 デイズ」と「JFK」でこの映画の年代・ストーリーとダブルところがあるから

さて、Review を書くにあたり、極力この作品(Part I) のみの感想を書きたいとは思うのですが、実際にはこの物語は Part I と II でひとつのお話となっていると思うので(Part III もそういう意味では一大叙事詩の一部だけど、さすがにちょっと間があいているのであの作品だけは別物として観ることが可能だと思います。)、ある程度 Part II を意識した書き方になってしまうだろうことを最初にお断りしておきます。

映画はヴィトーの愛娘、コニーの結婚式の日のコルレオーネ家から始まります。  初めてこの映画を観たときには知らなかったんだけど、マフィアさんの故郷・シチリアには結婚式の日の頼まれごとは叶えてあげなくちゃいけないという風習があるのだそうです。  でも、そこは一般家庭ならぬマフィアさんちの結婚式なので、頼まれごとがちょっと一般的ではありません。  最初に頼みごとをしてくる葬儀屋さんのリクエストはいきなり殺人です。  でも、このシーンで若かりし頃の KiKi が「おや?」と思ったのは、いくら殺人が日常ちゃめしごとのマフィアさんと言えども、ほいほいとそれを受けるわけでもなく、まして金で動くわけでもなく、コミュニティの一員としての認知(要するに信頼関係・仲間意識)に全てがかかっているらしいということ。  そして、何でもかんでも殺しちゃうわけではなくて、裁判所や警察という公の機関が公正に裁いてくれなくて(?)やるせなく思っている人の気持ちを救うために、「やりすぎない程度に相手を痛めつける」だけで終わらせようとするということ。

もちろん、だからと言って「暴力」や「復讐」を是認することはできないけれど、この映画を観ていて KiKi が初めて理解したのは「暴力」というのは「力」の一種である・・・・というある種当たり前のことでした。  色々な美辞麗句によって正当化されている「権力」も「力」なら「暴力」も「力」であるという、当たり前のことにそれまでの KiKi は本当の意味では気がついていませんでした。  否、暴力を毛嫌いするがゆえにそれに気がつきたくなかったのです。

 

 

この映画では、当初ファミリー(と言うかマフィアの世界)には関わりたくないと思っているコルレオーネ家3男のマイケルの心の軌跡が描かれています。  彼は「暴力」でのし上がってきた自分の家を嫌い(でも家族は愛している)、表の世界で生きていきたいと考えています。  これはひょっとすると移民2世の普通の考え方なのかもしれません。  1世に比べれば、普通の生活を送ることができるようになっているマイケルには、父親や兄弟を愛する気持ちはあっても、父親の生きていた歴史には批判的・・・・・とまでは言わないまでも、心のどこかで認めたくない気持ちがあったのではないかと思います。  そして、それなりの教育を受けてきたマイケルは心のどこかで思っていたと思うんですよね。  自分は「腕力」を使わなくてもこのアメリカ社会で生きていける・・・・・と。  それはイタリア移民の地位向上の歴史とも関わっているような気がします。  さて、そんなマイケルの気持ちをファミリー(マフィア)に向けたもの。  それは「愛する父の襲撃」をきっかけとした、自分の中のシチリア人としての血への目覚めと、決して正当とは思えない「権力」への絶望だったと思うんですよね。  

父親のヴィトーが襲撃され、彼が入院した病院に見舞いに行ったマイケルは父の病室の警護がもぬけの殻となっていることに愕然とします。  まるで「いつでも襲ってください」と言っているかのように。  そしてその警護を撤収したのが警察であることに疑問を感じます。  愛する父を守りたい一心で、たまたま病院に見舞いに来たイタリア系のパン屋の青年とともに、病院を警護しているマフィアの一員のフリをするマイケル。  刺客と思しき人間をやり過ごした直後のライターのシーンは秀逸です。  その場から逃げ出したい気持ちを必死で抑えながらポケットの中のライターを握り締めていたパン屋の青年は、手が震えてしまって自分ではタバコに火を点けることができません。  そんな彼のために彼のライターを使って火を点けてやるマイケルは、そのライターを見つめながら「普通の善良なる市民であるパン屋の青年」は震えが止まらないのに、自分は冷静であることを認識します。  そして、そこで初めて自分の血を意識したんだと思います。  どんなに意地を張って背を向けても自分の中には「ヴィトー・コルレオーネの血」が流れている・・・・・ということを。

そして、「父親を守りたい」というそのことだけのためにマイケルが出した結論。  それは一見粗野に見える(まあ、事実粗野だと思うんだけど・・・・)長兄のソニーでさえ躊躇する、父親の暗殺に与した警官 & 敵対勢力の殺害です。  その議論の中で彼は自分が今まで正しいと思っていた普通の世界に対する疑問を口にします。  「麻薬取引に関わるような悪い警官を殺して何が悪い。」  彼のモチベーションは社会正義のためなんかじゃありません。  麻薬撲滅なんていうのはどうでもいいことなんです。  ただ単に父親を守りたいだけなのです。  でも、相手は決して手を出してはいけないとマフィアさえも考えている国家権力の象徴たる警察です。  そこには何らかの理由が必要でした。  その理由は「悪」に結びつくイメージでなければなりませんでした。

でも彼は自分が決めたその殺害に及ぶその最後の瞬間で逡巡するんですよね。  殺害現場となるレストランでそこに事前に隠されていた銃を手にした瞬間、まるでマイケルの心の動揺を象徴するかのように列車の音が響きます。  それが静まり、ようやく冷静さを取り戻したマイケルはテーブルに戻ります。  でもその時のマイケルの表情はどことなく空ろで、彼の目は何を見ているのかよくわかりません。  ここで引き金を引いてしまったら自分はもう決して後戻りできなくなってしまうことにためらいを覚え、逡巡している間にまた響く列車の音。  目の前には父を殺そうと暗躍した憎い相手がいるんだけど、実際に武器をを手にして本当にその引き金を引くという段になって彼の心の中に迷いが生じているのがアル・パチーノの目の演技とこの効果音で増幅されます。  でも「自分が殺らなければ誰がやる?」  「殺らなければ殺られる。」 という想いが最後には勝って(列車の音も遠のいて行って)、彼は引き金を引きます。  マフィアの先輩に「2発ずつ」と言われたのに、同業者には1発、悪徳警官には2発というあたりに彼の迷いと怒りの程度が見え隠れするような気がします。

こうして「お尋ね者」となったマイケルはアメリカを脱出し、イタリアのシチリア島に潜伏することになります。  この映画を最初に観たとき、 KiKi はマイケルがシチリア娘に一目ぼれして、アメリカに残してきた GF 、ケイのことを忘れて結婚しちゃうのにはちょっと唖然としました。  「何てヤツだ!」って(笑)。  でも何回か観ているうちに何となくあのエピの意味がわかってきたような気がします。  きっと彼は引き金を引いた時点で「後戻りできない自分の運命」を受け入れ、善良なる一般市民であり、イタリア系ではない女性ケイのことを諦めたんだと思うんですよね。  ひょっとするとケイに惹かれたこと自体が彼のファミリーから、ひいては同朋のしがらみから脱出したいという願望の現われ・・・・という側面があったのかもしれません。  でも、あの事件で自分の身体を流れるシチリア人の、コルレオーネ・ファミリーの血を認識し、潜伏生活の中でヴィトーの生まれ故郷であるコルレオーネ村を訪ね、シチリアの歴史とそこに生まれた人々の根強い抵抗心、民族意識に触れたことにより、自分のルーツを、そして自分の中にも眠っていた同朋意識を初めて認識したのではないかと思うのです。  そして、その象徴が同じシチリア人の血を引くあの娘との結婚式だったのではないかと思うのです。  これはマイケルがファミリーに同化していくために必要だった「イタリア系」としての生き方への踏み絵のようなものだったのではないかと・・・・・。

ところがそんな新婦がコルレオーネ・ファミリーと敵対するマフィア勢力の謀略によって、自動車爆発事故によりマイケルの目の前で憤死してしまいます。  この事件でさらに同朋意識だけでは解決できない「信頼」「恩義」「裏切り」「不条理」の何たるかを身をもって体験したマイケルはファミリーの中の他の誰よりも「マフィアの中のマフィア」に成長を遂げます。  そして同時に「力」の持つ表裏の意味をも体得します。  

この映画でとても象徴的だと思うのは、結局ヴィトーの跡を継ぐのが大卒 & 戦争の英雄であるマイケルであるということです。  ヴィトーの長男のソニーは短気ですぐに殴る・蹴るという行動を起こすタイプで(でも身内にはとても優しかったりする)、どちらかというと現在の平和な日本に暮らす KiKi にはチンピラに見えなくもありません。  父親のヴィトーの時代には極貧の移民(難民に限りなく近い)ということで、教育を受ける機会もなく、生き抜くのが精一杯で「腕力」に頼るしかその道はなかったのだろうけれど、2代目の時代には「腕力」を振り回しているだけでは生き残れなかったということ、「頭脳」と「精神力」を伴わなければ生き残れなかったということが端的に表現されているように感じます。

恐らく現存するマフィアさんというのはこの映画のマイケルよりもさらにもっとスマートになってしまっているんだろうなと感じさせられます。  恐らくは傍目にはそれとわからないぐらいまでに・・・・・。  その傍目にはそれとわからない = マイケルが目指した「ファミリー・ビジネスの合法化」なんだと思います。  マイケルの時代は恐らくマフィアさんの過渡期だったのではないかと・・・・。  「腕力」の使い方にはまだまだ荒っぽさが目立ち、でもそれだけでは生き残れない・・・・・というような。  だから恐らく今も実在のマフィアさんの中で相変わらず「腕力」や「暴力」を振り回しているのは下っ端のチンピラさんなんだろうなと思うのです。  いみじくもトムが映画の中で言っています。  「流血(暴力)は金がかかりすぎる・・・・・。」と。  

ラスト近くでヴィトーとマイケルが食事をしながら語り合うシーンがとても印象的です。  「ソニーが跡を継ぐと思っていた。  フレドは・・・・。  お前にはさせたくなかった。  ・・・・ だがお前の時代は表へ出て人を操るべきだ。  コルレオーネ上院議員、コルレオーネ知事・・・。」  KiKi はこの言葉を聞いたときにあるドラマのセリフを思い出しました。  「正しいことをしたかったら偉くなれ。」  (by 和久さん@踊る大捜査線)  そんな父親に向かってマイケルは答えます。  「僕はなるよ。」  彼ら、マフィアの抵抗の歴史が政治と切っても切れない関係であることが示唆されています。  そして、実際のアメリカの歴史の中でも、例えば「JFK の大統領就任にはマフィア層の票が決め手になった」なんていう話の真実味も増します。  KiKi は決してマフィアを正当化するつもりはないけれど、彼らはそもそも自分たちの生存権を守るために生まれてしまった、アメリカの闇の部分であることは間違いないと思うし、資本主義という経済力がものを言う世界の中で、合法・非合法を問わず、金の力で権力を操る構図ができあがってしまっていることは否定できないと思います。

この映画は「家族愛」がテーマだとよく言われるけれど、KiKi はそうは思わないんですよね。  「家族を大切に」「家庭は幸せか」というヴィトーの口癖や「私はファミリーのために一生を捧げて来た」というセリフは表面的には家族愛・同朋愛に聞こえるけれど、これはシチリア出身で抑圧の風土の中である年齢まで育ち、着の身着のまま飲まず食わずで移民船に乗り込み、ようやくたどり着いた新大陸での暮らしも決して楽ではなかったイタリア移民の歴史を端的に表している言葉に過ぎないと思うんですよね。  この映画で扱われているもっと深遠なテーマは人種の坩堝、アメリカが抱えている「複雑な人種問題」であり、その人種問題をアメリカという国が飲み込んでいく過程で発生せざるを得なかった、そして資本主義という枠組みの中でその発生を助長してきた「アメリカの闇」なのではないかと感じます。  そしてその「アメリカの闇」は今も、かの地には暗い影を残している・・・・と感じます。  もちろん現代ではこの映画に描かれた時代のそれよりは、それと判別しにくくはなっているけれど・・・・・・。  そういう意味ではマフィアがマフィア然としていた時代の方が物事はシンプルだったのかもしれません。

ソニーの死を契機にヴィトーが召集する5大ファミリーの会合のシーンにそれがよく現れていると思います。  万が一マイケルの身に何かが起こったら例えそれが雷に打たれたせいであったとしても、この会合に出席している誰かを疑うというヴィトーの言葉は、好戦的なアメリカ人の本質をかなり鋭く揶揄しているセリフだと感じます。  又、麻薬ビジネスを展開するにあたりそのマーケットを「黒人」に定め、「奴等がどうなろうと構わない」と言ってのける人々の姿には未だに根強く残っている人種差別の意識を感じます。  もちろんそれが黒人迫害の歴史の真実だったとは思うけれど、イタリア移民にしろユダヤ移民にしろドイツ移民にしろ中東からの移民にしろ、自分たちも多かれ少なかれ抑圧された存在であると主張しているにも関わらず、黒人をその抑圧されている自分たちよりもさらに下位に位置づけ、自分たちが腕力に訴えてでも欲しくて欲しくてたまらない「生存権」「基本的人権」を彼らには認めようとしない。  こんなシンプルな矛盾・理論破綻はないと思うのですが、それが「自由の国アメリカ」が持つ本質の一部なんだと思います。  

映画のラスト、マイケルの変貌についていけないケイが恐怖に満ちた表情でマイケルを見つめるシーン。  あのシーンも象徴的だと思います。  マーロン・ブランドの存在感やアル・パチーノの演技力、脇を固めるキャストの豪華さに加えて、コッポラのちょっと耽美的な映像とニ-ノ・ロータの甘美な音楽で素晴らしい娯楽大作になっているけれど、KiKi はこの映画を観て「マーロン・ブランドかっこいい♪」とか「アル・パチーノ素敵♪」なんていう観方だけで終わってしまってはいけないと思うのです。  この映画を冷静に観ていれば、あのコニーと同じように「あなたは人間じゃない!」と感じ、ケイと同じように「恐ろしく信じ難いもの」を見つめるような意識になるのが本当なのではないかと感じます。  ただ、そこには決して御伽噺ではない現実の人間社会のおどろおどろしさと、誰もができれば直視したくない真実がある・・・・・のは疑いようがないような気がします。

 


 

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2008年5月20日 18:39に書いたブログ記事です。

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