ゴッドファーザー Part II

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ゴッドファーザー Part II
1974年 アメリカ 監督:フランシス・フォード・コッポラ


41BKZJ8HYYL__SL500_AA240_.jpgのサムネール画像    (Amazon)   

前作でファミリーの長となったマイケルは、新しいドンとして苦難の道を歩む。  それはちょうど海を渡った父ドン・コルレオーネが、一代でファミリーを築きあげた苦難の道のりと好対照だった...。

大ヒット作の続編は、若き日のドンと現在のその息子という、2つのストーリーがフラッシュバックする。  若き日のドンとして並外れた演技力を披露したロバート・デ・ニーロがアカデミー助演男優賞に輝けば、アル・パチーノは表向きは事業家として闇の世界を牛耳るドンを好演した。

74年のアカデミー作品賞ほか全6部門受賞。  銃声を消すためシーツでくるんだ拳銃から、鈍い発射音と硝煙がたなびくなど、衝撃的でしかし詩的な映像が見ものである。(アルジオン北村)

                                Amazon サイトより転載 
  

Part I の Review にも書いたことですが、あまりにも有名なこの映画と KiKi との出会いは意外にも遅く20代前半の頃でした。  その時見たのは「完全版」と呼ばれる特別編集版で、時系列の編集とキャラの個性を際立たせる追加映像つきのものだったので、KiKi にはわかりやすい作品に仕上がっていました。  その後、公開されたものと同じ編集の作品を観た際には頭の中に様々な情報がインプットされていたので、あまり戸惑うことなく作品を堪能することができました。  個人的には娯楽性の強い Part I よりもこちらの Part II の方が好きな作品です。  マーロン・ブランドが出ていないのはとても残念だけど・・・・。  でも、その代わりと言っては何ですが、ロバート・デニーロの名演技を観ることができます。  この映画を最初に観たときに、KiKi が感じたのは「この映画ってアメリカ版、平家物語だな~」ということ。

 

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらわす・・・・

 

祇園精舎の鐘ならぬ教会のオルガンの音・・・・ではあるけれど、この映画全編を覆っているのはまさに諸行無常の響きのような気がするんですよね~。  シチリア島に生まれたヴィト・アンドリーニがドン・コルレオーネになっていく姿と、自分に課せられた宿命を背負う形でその跡を継いだマイケル・コルレオーネの物語が交互に語り継がれます。  方や父親は孤独のどん底の生活からスタートし、少しずつまわりに人が集まってきて一大ファミリーを築いていくのに対し、方やその息子はその肥大化したファミリーを受け継ぎそれを何とか守り抜こうとするものの、少しずつまわりから人が去っていってしまいます。  ヴィトー・コルレオーネに対してファミリーの人々は畏れと同時に親しみも感じているけれど、その息子のマイケルに対しては恐怖心のみを抱いています。  この対比に諸行無常・・・とか盛者必衰の理を感じずにはいられません。


 

齢わずか9歳のヴィト・アンドリーニは父・母・兄という家族全てをシチリア島のマフィア、ドン・チッチオに殺され、命からがらアメリカ行きの移民船にもぐりこみます。  9歳の子供が誰の保護を受けることもできずに、言葉の通じない異国の地に向かわなくちゃいけなかったのですから、いくら命あってのものだねと言えども本当に寂しかっただろうし、辛かっただろうことは容易に想像できます。  芋の子を洗うような船の甲板から自由の女神を見つめるシーンは美しく、あのモニュメントが単なる観光地ではないことを、KiKi に教えてくれました。  そして入国審査(?)の際に行われた健康診断で天然痘であると診断され、エリス島に3ヶ月隔離されたヴィトー少年。  彼が隔離病棟の窓から自由の女神を眺めながら口ずさむメロディは本当に胸に響きます。

この原体験があるからこそ、Part I の老いたヴィトーの口癖が「家族を大切にしろ。」「家庭は平和か?」「家族を守ることができない奴は男じゃない。」になっていくのだと素直に感じることができます。  ヴィトーは9歳から結婚するまでの間、家族の中で暮らしたことがないのですから・・・・・。  だから結婚した後も奥さんのことをとても大切にするし、子供をこよなく愛します。  長い孤独の末にようやく手に入れることができた家族の有難さ、貧しいながらも肩寄せ合って助け合う生活に身も心も癒されたのだと思います。  又、そんな浮浪児同様だったヴィトーを長年面倒見てくれた食料品店のオヤジさんに対する感謝は今の日本人が他人に感じる感謝とはケタが違う重さがあっただろうと思います。  だからこそ彼は、ドン・ファヌッチというイタリア系のマフィアによってその店の自分の仕事を奪われてしまった際にも、自身の明日の生活の心配よりも何よりも先にそのオヤジさんのこれまでの懇意に対する感謝の気持ちを表します。  そしてそのオヤジさんが申し訳なさと不甲斐なさを感じながら「せめてもの・・・・」と言って差し出す食料品を受け取ることもしません。  多分、ヴィトーはコルレオーネ・ファミリーの会員証 No. 1 (そんなものはないとは思うけれど)はこのオヤジさんに与えたい・・・・そんな繋がりだったのではないかと思います。

ヴィトーにとって何よりも大切なものが「友情」「人間関係」「恩義」だったというのは裏返して言えば彼の長い孤独な時代への反動のようなものだったと KiKi は思うんですよね。  しかも当時は誰もが貧しかった、これもポイントです。  ヴィトーの時代には「お金では買えないもの」がファミリーの結束のベースにあったと思うんですよね。  さらにヴィトーが表の世界ではなく裏の世界で生きる、その生き方を選ばざるを得なかった背景には「レ・ミゼラブル」の世界がある。  彼の初期の悪事(窃盗 & ダンピング販売)は生きるために、食べるために、子供を養うために必要だった悪事なんですよね。  彼が最初に殺人に手を染めるのは、同じイタリア移民を食い物にする悪党(ドン・ファヌッチ)だったわけですが、彼のこの殺人のモチベーションは義憤です。  バックに大物がいるのをいいことに、弱いものいじめばかりしているファヌッチがどうしても許せなかったんだと思います。  しかもファヌッチには男気も何も感じられません。  次に殺害するは自分の家族を皆殺しにしたシチリアのドン・チッチオ(とその一味)で、まあ言ってみれば復讐劇だったわけです。  彼は「強者」のサイドではなく「弱者」のサイドに身を置いていたので、どちらかというと義賊に近いイメージがあります。  

又、物のなかった時代には人々は表裏に関係なく「物」を求めます。  戦後日本で闇市が流行ったのと同じ理屈です。  ヴィトーは学こそなかったけれど生活の中から「需要と供給の関係」を見出し、そこにビジネスチャンスを求めました。  「武士は食わねど高楊枝」なんていう言葉はヴィトーの辞書にはありません。  人は欲しいものは欲しいのです。  彼は人が欲しがるものをどんなルートであれ供給してあげれば、金と信頼を勝ち得ることを知っていたのです。  そして信頼の価値も。  「物」に満たされたら次に人々が求めるのは快楽です。  「禁酒法」を設定しようが「売春禁止法」を設定しようが「賭博禁止法」を設定しようが、呑む・打つ・買うはある意味で人間のしょうもない欲望であるのは事実なわけで・・・・・。  KiKi はヴィトーが麻薬取引に反対していたのはヴィトーの人となりと彼の知性を表すエピだと思うんですよね。  「麻薬は人を、ひいては人間関係を破壊する」ことを彼は知っていたし、いくらそれが金のなる木であったとしても、そして資力が物を言う時代に突入していることを感じつつも、彼は人間関係を破壊するものにはできれば関わりたくなかったのだと思うんですよね。  でも長男のソニーが殺され、麻薬ビジネスを望む他のマフィアとの全面戦争を避けるためには妥協せざるを得なかった。

これに反してマイケルは0からのスタートではありませんでした。  すでにコルレオーネ・ファミリーはNYマフィア界のトップにいたし、組織も肥大化していて構成員の数も半端ではないところからスタートしています。  そして「お金では買えないもの」の価値は薄れ、「金」が人間社会を支配する時代になっていました。  過去のコルレオーネ・ファミリーの行状に端を発する恩讐も丸抱えしなくちゃいけませんでした。  しかも敵は必ずしも外部にだけいたのではなく、ファミリーの中にはマイケルよりもはるかに年長の経験豊富な百戦錬磨のツワモノもいたし、危なっかしい無鉄砲なチンピラもいました。  おまけにその人たちはもうその日暮らしの貧しいイタリア移民ではありません。  彼らには生活するのに困らないだけの財産と家族という守るべきものがそれぞれにあるのです。  失うものがない人間は怖いもの知らずでとにかく力をあわせて突き進むだけでいいかもしれないけれど、守らなければならないものがある人間は策も弄せば用心深くもなるし、時にぞっとするような冷たさや攻撃性を示すこともあります。  だからマイケルは常に様々なことに用心を重ねなければならなかったし、疑い深くもなっていったと思うんですよね。  彼は常に自分の周りに壁を作り、相手を観察し、策を弄していなくちゃいけなかったのです。  生き残るために。  そして家族とファミリーを守るために。

映画中盤と後半で実兄のフレドが兄である自分を差し置いてのマイケルの活躍に嫉妬していたこと、自分も尊敬されてみたかったんだと訴えるシーンがあるけれど、これはフレドに限った感情ではなく、恐らくはヴィトーと苦楽を共にしてきた老獪なマフィア幹部の皆さんも同じだっただろう事は容易に想像できます。  マイケルは「自分がやらなければ誰が・・・」ぐらいの気持ちで、常に緊張を保ちながら頑張っていたわけだけど、仮にどんなにマイケルのことを認めていたとしても、人間というやつは心の中のどこかで「何であいつだけが・・・・」とか「俺だってその気になれば・・・・」と考えるだろうことは自然の摂理です。  

「仲間と言っても損得だ。  損得勘定での忠義だてなんだ。  パパが言ってた。  相手の立場で考えろと。  いろんな奴がいる。」

で、損得ということになると話はもっとややこしくなる。  ヴィトーの時代には「カーペット」やら「食料品」やら「アパートの家賃」ぐらいの話からスタートしているからまだまだ御しやすい世界だったと言えるけれど、マイケルの時代にはその資力で政治家を操ろうかっていうぐらいの金額の話をしなくちゃいけないわけで、ファミリー全員の生活費程度のチンケな話をしているわけではないのです。  生き馬の目を抜くような競争の中で巨大ファミリーを生かそうとするのは並大抵のことじゃないと思うわけです。  

そのうえ彼の周りには常に「死」の空気が充満しています。  父親の襲撃、最初の妻の憤死、兄の斬殺。  そんな中でファミリーを生かすために行った NY 5大ファミリーの粛清。  彼は自分では認めたくないんだけど、あの時点で頭のてっぺんから足の先まで血の海に浸りきってしまっているんですよね。  それから時を経て起こったマイケル & ケイの寝室襲撃事件。  どんなにもがいても逃れられなくなっている死の連鎖の中で彼の心はどんどん冷えきっていってしまいます。  四方八方を敵に囲まれているという極度の緊張状態の中で、実兄フレドの裏切りにあったマイケル。  この事件で彼の心は芯から凍り付いてしまったのだと思います。  自分の中に流れるコルレオーネの血を認識してこの世界に身を投じる決心をしたマイケルがその血に裏切られた瞬間です。  だから彼はどうしてもフレドのことが許せなかったのだと思います。  そのうえ、善と悪の狭間で苦悩しているマイケルの心を理解してくれる人を彼は家族の中でさえ見つけることができませんでした。  彼が愛し尊敬している母親との会話は噛み合わないし、最愛の妻には「あなたの子供を産みたくなかった。  だから中絶したの。」とまで言われちゃいます。 

「唯一確かなことは、"人は殺せる" ということだ。」

そう言ってのけるマイケルはもはや孤高の帝王です。  そしてすべての敵を抹殺しなくてはいれらなくなっているほど、精神的に追い詰められているのです。  でも彼が抹殺したのは敵だけではなく、自分の周りのほとんど全ての人間関係・・・・・でもありました。  唯一の救いは、それまでずっと反目を続けていたコニーと和解できたことぐらいです。

この作品で KiKi がもっとも印象深いと思うシーンはラスト・シーンです。  彼は1人で佇みながら昔を回想しています。  彼の回想の中ではまだソニーもフレドも存命で、マイケルはファミリー・ビジネスに否定的です。  それでも家族は家族で、1つのテーブルを囲んで食事をしながら自分の考えを語り合っています。  みんなの意見が全て一致していたわけではなかったし、ケンカも絶えない兄弟だったけれど、あの頃「家族」は健在だったし、皆が家族の誰をも愛していました。  その日はヴィトーの誕生日で、彼らはそのお祝いのために集まっていました。  父親が帰宅すると皆が部屋を出て父親を出迎えに行く中で、マイケル1人が食卓に取り残されます。  まるで今の自分の孤独な境遇を予感させるようなシーンです。  そして、その姿と独りぼっちで庭に佇むゴッド・ファーザーたるマイケルの姿が重なります。  彼はあの時何を見つめていたのでしょうか?  彼が血まみれになりながら守りたかった「家族」はそこにはなく、ファミリーを繋ぎ止めているのはマイケル・コルレオーネに対する恐怖心のみです。  

 

最後に、この映画ではキューバ革命前後のかの国を舞台とする陰謀の世界を描く時間帯があるけれど、あれは歴史を知っているとなかなかに楽しめるシーンだと感じます。  キューバでマイケルやハイマン・ロスが参加するミーティングに参加していたいくつかの企業は実在のものだし、あのミーティングの中でマイケルがキューバの旅行・娯楽産業を牛耳っているような紹介がなされていましたが、それもコルレオーネ・ファミリーではないもののとあるアメリカのマフィアさんだったのは事実です。  バチスタ政権下で、政府が対米事業に前向きで、資金供与や貿易制限の手を緩めていたのも事実です。  あのあたりはアメリカ巨大資本がキューバを食い物にしている歴史をそのまま映画に取り入れているなぁとちょっと感動しました。  Brunnhilde などは、「この流れの先にキューバ危機があるんだなぁ。」とちょっと感慨にふけりながらあのシーンを観てしまいました。  又、ハイマン・ロス殺害のシーンは JFK を観た直後・・・・ということもあって、ジャック・ルビーによるオズワルド殺害のシーンを彷彿とさせてくれました。

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2008年6月20日 18:48に書いたブログ記事です。

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