以前から興味だけは持っていたものの、およそ定価で購入する気にだけはならなかったこの本。 たまたま自宅近所のブックオフで発見したので、手に取ってみました。 著者の青柳いずみこさんはピアニストであるのと同時に文筆活動でも結構活躍されており、KiKi が過去に定期購読していた「ムジカノーヴァ」という音楽雑誌やら、ヤマハフィーリングクラブから1ヶ月おきに自動的に送られてくる「音遊人(みゅーじん)」にも定例でエッセイを書かれていらっしゃるので、KiKi にとっては結構親しみのある(一方的に・・・・ではありますが ^^;)女性です。
ボクたちクラシック音楽つながり - ピアニストが読む音楽マンガ
著:青柳いづみこ 文春新書
どうして音楽を聴いただけですぐに弾けるの? オーケストラが鳴る指揮者とは? 海外留学、コンクール優勝は必須? 「のだめカンタービレ」「ピアノの森」「神童」はクラシックの世界への「開けゴマ!」 (新書本帯より転載)
第1章: 一回読譜したらとっととやるぞ!
第2章: 楽譜どおり弾け!
第3章: バレンボイム対ホロビッツ!?
第4章: コンクール派と非コンクール派
第5章: 留学
第6章: 指揮者の謎
第7章: コンサートで受けるプログラム
第8章: 音楽は人間が出る?
第9章: ピアニストは本当に不良債権か?
やっぱり「のだめ」の力はすごいものがありますねぇ~。 一応、いくつかの漫画を題材に青柳さんが音楽家の本音的なことをエッセイ風に綴った本になっているのですが、メインに扱われているのはやっぱり「のだめ」でした。
クラシック音楽関連の雑誌やら著名な演奏家の著作をいくつか読んでいる KiKi にとってさほど目新しい話題は書かれていなかったのですが、1つ1つの章で書かれていることに関しては「うんうん、そうだよね~」とか「そうそう、そんな話、どこかで読んだか聞いたことがあるよ」となかなか楽しくサクッと読み進むことができました。
読んでいく中で意外に思ったのは第1章の中の「初見と暗譜の方程式」のところで、「初見が得意な人には、暗譜が苦手な人が多い」と書かれていたこと。 KiKi は真面目にレッスンしていた頃にはどちらも得意だったんですよね~。 でもね、年齢を重ねるにつれ、どちらも苦手になっていった・・・・そんな気がしていたんですよ。 特に暗譜に関しては間違いなく大人になるにつけダメになっていきました。 で、これは記憶力の低下 もしくは 「あがる」という心理と密接に関連しているんじゃないかと思っていたんですよね。 前にもお話したことがあるような気がするんだけど、子供時代の KiKi はあがるというのが理解できなかったぐらいふてぶてしかったんですよね~。 逆に、どちらかというとステージの上では誰にも(まあ、ピアノの先生ですけど)邪魔されずにノビノビ弾けるから大好き♪ ぐらいに感じていました ^^; それが大人になってから、色気・・・・というか、人に媚びる(要するに「上手く弾きたい」とか「あそこの情緒をもっと出したい」とか「苦手なあそこをはずさずに弾ききりたい」とか、演奏前に余計な邪念が入る)ようになってから、突然ステージ上で頭の中が真っ白・・・・・な~んていうことを経験するようになったという自覚があります。
子供時代は暗譜って自然にできちゃうもの・・・・そんな感じでした。 だいたいにおいてピアノ曲って見開きページで終わる曲な~んていうのは本当に導入期だけで、練習中に必ず「譜めくり」という行為が伴います。 ところが音楽は続いているので、楽譜をめくるために中断するとその流れに支障を来すわけで、フレーズがぶつ切りになったり和声進行が中断されたりして要するにバランスが崩れちゃうんですよね。 レッスンの時は先生がめくってくれるからいいんだけど、自宅で練習している時はそのバランスの崩れが苦痛になったりするんですよ。 で、その苦痛がイヤだと思っていると、楽譜めくりのパートを自然と覚えちゃう・・・・・そんな感じでした。 それが知らないうちに広がっていって、ふと気がつくと全体が頭に入っている・・・・・それが KiKi の暗譜方法でした。 だから暗譜で苦労したことってあんまりなかったりするんですよ。 ところが、大人になってからは、譜めくりの部分だけは暗譜できているんだけど、そうじゃないところがなかなか頭に残らない。
挙句、頭に叩き込んだと思っていても演奏中に何かで気を反らせると、その瞬間にすべてが消え去る・・・・そんな風になっていったんです。 今もレッスン中に例えば家人が大きな物音をたてたとか、愛犬が走り回ったとか、誰かが訪ねてきて「ピンポ~ン」とか「ごめんくださ~い」なんていう音が耳に入った瞬間に集中力が切断されて(集中力が切れると言うより、コンセントをいきなり抜かれたような感じ)、先がわからなくなるだけじゃなくて、自分が何をしていたのかさえわからなくなったりするんですよね~。 極端なことを言うと、その物音が出た瞬間に手が止まって、場所を動かした覚えはないんだけどそこで指のある場所で和音を弾いても自分がどこにいるのかわからない・・・・そんな風に感じるようになってきたんですよね~。 (昔は、手が止まっても、その場で和音を弾くといつでも復帰できたんだけど・・・・・。)
初見に関してはシューマンの言葉が印象的でした。 曰く「初めて見せられた楽譜を弾いてページの終わりまできたとして、ページをめくらなくても、その音楽がだいたいどんなふうに展開していくか予測がつくなら、その人は音楽的だ」とのこと。 うんうん、確かに真面目にレッスンしていた頃はだいたい予測がついたような気がします。 でもね、KiKi が初見に自信がなくなったのは、やっぱり無調音楽とか変拍子の音楽が初見課題に出るようになってから・・・・・でした。
読んでいて若干身につまされたのはやはり最終章、「ピアニストは本当に不良債権か?」というところでした。 以前、このエントリーでもちょっとだけお話したけれど KiKi は一時は音大進学を考えていて、東京の音大の先生のレッスンを受けていたことがあるんですけど、いよいよ進路を決めるという時期になって「やっぱり音大進学はや~めた!」と思ったわけです。 KiKi にその決断をさせたのはその先生の「音楽に一生を捧げるのは素晴らしいことですよ。」というセリフにはたと考え込み「ピアノは大好きだけど、一生のすべてを捧げるのはいやだ!!」という結論に達したから・・・・だったけれど、やっぱり心の奥底のどこかで「音楽を選択するとツブシが効かないだろうなぁ」という計算もあったように思うんですよね。
KiKi はこの本にある以下の部分を読んだとき、なるほどとあの当時自分の考えたことに合点がいったような気がしたんです。
ホルヘ・ボレット(KiKi の愛聴するこのCDの演奏者)は、「私は自分の生徒に、きみたちはこの世でもっともまともでない職業を選んだとよく話します。 成功するチャンスはおそらく万にひとつでしょう。 こういうようなものに、それを承知の上で入っていくためには、誰でも、よほど並外れた才能がある人間か、あるいはよほど見当違いをしてる人間のどちらかでないとだめだと思います。」
日本の場合、大部分の音大生は並外れた才能があるわけではなく、勘違いしているわけでもないけれど、なんとなく。 「この世でもっともまともでない職業を選んだ」ということすら認識していないのではないでしょうか。
そもそも職業を「選ぶ」とか、この道に「入っていく」という感覚がないのですよね。 だって、気がついたときはもうピアノを弾いていて、それが人生のすべてだったわけですから。
(中略)
小さい頃から毎週レッスンがあり、ソルフェージュの教室にも通い、技術的にも音楽的にもクリアしなければならないさまざまな問題点があり、発表会や各種ピアノ団体のオーディション、学生コンクールなど目の前の目標を設定され、いつもそれに向かって邁進して(させられて?)きたわけです。
確かに・・・・・。 KiKi も「音大を受けようかなぁ」ということを考え始めた頃、正直なところ「その選択が職業選択とほぼ同義になる」とは考えてもいなかったし、「この選択が音楽の道に入っていく」ことなんだという意識はなかったように思うんですよ。 どちらかというと、ず~っと続けてきた生活のリズムの一環となってしまっている「ピアノのおけいこ」を続ける方便というか、すでに敷かれているレールの先にあるもの・・・・・だったように思うんですよね。 その KiKi に「この選択が音楽の道に入っていくことなんですよ。」と教えてくれたのが、例の「音楽に一生を捧げるのは素晴らしいことですよ。」の一言で、KiKi にとっては「他の道を捨てることなんですよ。」ということを婉曲的に表現した言葉に聞こえちゃったんですよ。 そこでハタと考え込んだ KiKi は「何故、今、自分の道を狭めなくちゃいけないんだ?」という疑問を抱き、結果的に得た結論が「ピアノは大好きだけど、一生のすべてを捧げるのはいやだ!!」だった。
逆に言えば、「自分には並外れた才能がある」とも思っていなかったし、「それが人生のすべて」だとも思っていなかったから「や~めた!」となった。 よくよく考えてみると自分が「音大に進むならこちらの女子高でいいんじゃない?」というススメに反発して、いわゆる受験校を選んだのは「それが人生のすべて」だと思い切ることができなかったからだし、ず~っとモラトリアムの穴に嵌っているからだし、明確な答えが見つけ切れていないからだったことを思い出したから・・・・・・だったような気がするんですよね~。 そしてその先にあった計算が「音大を選んじゃったらツブシが効かなくなる」という想い・・・・・・。
結果的に大人になってもピアノを捨てきれず、ピアノを弾くためにマンションを購入したり、Lothlórien_山小舎を持ったりしているわけだから、何をやっているのか自分でも分からなくなることが多いけれど、そして青柳さんもこの本の中で仰っているように KiKi ものだめの中に出てくる黒木君のセリフは大好きだけど、やっぱり KiKi は音大に行かなくてよかったんだろうなぁ。 だって、青柳さんも最後に仰っています。
大事なのは、ヴィエラが千秋少年に贈った「ボクはキミのパパにはなれないけど」「ずっと音楽でつながってる」という言葉です。
音楽でつながっているのは、一流の演奏家だけでしょうか? いいえ、違います。 (中略) 昔いっしょうけんめいけいこしていて、今は音楽を捨ててしまった人でも、またピアノを弾いてみたいなという気持ちさえ残っていれば、それはやっぱり音楽でつながっているんです。
社会的なヒエラルキーが架空のものとなってしまった現在、「上」をもっと個人レヴェルで考えるべきではないでしょうか。 自分の音を追い求め、自分のスタイルを追い求め、自分が響き合うことのできる作品を追い求め、自分の気の合う仲間を追い求め、自分なりによいところが出せる活動形態を追い求め、そうして本当に納得のいく演奏がいつかできたら、それはカーネギーホールでリサイタルを開くことと同じぐらいすばらしいことだと思うのです。
う~ん、なんてさわやかな読後感なんだろう(笑) そうそう、そうだよね。 これでよかったんだよね。
さて・・・・・と。
ピアノ・・・・・・ ピアノを弾かなくっちゃ! (笑)







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