神の守り人(上)(下) 上橋菜穂子

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相変わらず「やめられない、止まらない」モードから抜けることができずに、まるでトリツカレタかのように先へ先へと読み進めている KiKi。  今回は(上)(下)2巻組なので、もう少し時間がかかるかと思っていたのですが、結局あっという間に読了してしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

神の守り人(上)(下)
著:上橋菜穂子 絵:二木真希子  偕成社

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ロタ王国建国の伝説にまつわるおそろしき神"タルハマヤ"とタルの民との秘密とは...。  王家に仕える隠密カシャルたちが遠い昔かわしたロタ王家との約束とは...。  タルの美少女アスラは神の子か、それとも災いの子か。  (Amazon より転載 上巻:来訪編)

アスラは自らの力にめざめ、サーダ・タルハマヤ"神とひとつになりし者"としておそろしい力を発揮しはじめる。  それは、人の子としてのアスラの崩壊を意味していた...。  はたして、バルサたちはアスラを救うことができるのだろうか。  (Amazon より転載 下巻:帰還編)

この物語を読み進めているとき、KiKi の心にはずっとある出来事が去来していました。  それは「9・11同時多発テロ事件」でした。  そして読了して、あとがきを読んだとき、この物語があの事件の1ヶ月前には書き上げられていたことを知り、著者上橋さんの心に浮かんだ物語と呼応するかのようにあの事件が発生したかのようなタイミングの妙に舌を巻きました。  とても残念なことに現実の世の中で発生したあの事件では「アスラ」のように「最終破壊兵器」を封印してしまえる勇気と胆力を持つ本当の意味で賢い人間はあらわれなかったけれど、この物語でははかなく幼い少女がそれをやってのけました。  深い物語だなぁと思います。

KiKi はね、何度かこのブログに書いているけれど、「正義とは立場が変われば変わるもの」ということを20代になってから漠然と感じるようになっていました。  ただ、それが確信に変わるまでにはそれから何年もの人生修行が必要でした。  それを邪魔していたのはある意味で自分の中で意識的に学んできたアメリカナイズされた考え方の枠からどうしても出ることができなかったからです。

大学生になったとき KiKi は ESS (English Speaking Socisty) というクラブに所属しました。  そのクラブに所属したのは中学・高校時代には「文学部の学生にだけはなりたくないなぁ」と漠然と考えていたにも関わらず、結果的には「英文学部」に所属した手前、せめて英語ぐらいは何とかモノにしないと何のための大学生活なのかわからない・・・・と考えたことがきっかけでした。  でもね、そのクラブで KiKi が得た新しい力は英語・・・・も少しはあったかもしれないけれど、それ以上に「論理的に物事を考える(Logical Thinking) 習慣」ということでした。

子供の頃から本が大好きで、音楽も大好きで、まあ言ってみればロマンチストで、母親からさえも「あんたは夢見る夢子ちゃんだから・・・・」と言われていた超「感覚人間」だった KiKi にとって、この論理的に物事を考えるという姿勢はとても刺激がありました。  ことに KiKi がESSでメインにしていた活動は Debate (ディベート)と呼ばれるもので、あるひとつの命題(例えば「日本政府は即刻年金問題に対処しなければならない」とか)に対して、2つの異なる立場に立って論旨を展開し、相手方と自分方のどちらがより説得力のある意見を述べることができるかを競う・・・・というようなゲームです。  

このゲームでは KiKi 本人がどう思うかには関わらず、「そうです、すぐ改革すべきです。」という立場か「いや、大きな問題がない限りにおいては現状がベストと判断すべきです。  改革にはこんなリスクがあるのですから・・・・。」という立場の両方にたつことを想定して論理を構築します。  一応トーナメントがあって、自分がどちらの立場でものを述べるかは試合開始前に決まりますから、本人の意見とは相反する意見であったとしても、そこでそれなりの「理屈」をもっともらしく述べなくてはなりません。  (ちなみにオウム真理教事件で一世を風靡(?)したあの上祐さんも大学時代にこの活動をされていました。)  でね、KiKi はこの Debate 活動をしている中で、2つの相反する立場にはそれなりの理由・正義というものが見つかるものだということを経験したのです。  

でもね、これはあくまでも学生のクラブ活動におけるゲームに過ぎなくて、これを実生活でどう生かせるか?を考えた時、自分なりの意見を論理的に組み立てられるようになる・・・・ということかな?と思ったのです。  実際の人生の中では常に何かを選択しながら生きていかなくちゃならないわけですし・・・・・。  その時に「何となくこっち」ではない人間、「こっち、なぜならば・・・・」という人間にならなくては・・・・・そんな感じです。  そうすると必要になってくるのが「物事の判断の基準になるものさし」や「自分の立ち位置を決める核のようなもの」だと思いました。  それを確立しなくちゃ・・・・と焦っていたのが20代だったような気がします。

そして20代の後半から KiKi は外資系(米系)の会社でお仕事をするようになりました。  KiKi が外資系の会社に自分の居場所を求めたのは、KiKi が社会人になってから数年は、まだまだ日本社会(特に会社組織)では男尊女卑があったし、KiKi が最初に入った会社では KiKi には「5年後、10年後に進歩している自分の姿のイメージが見えなかった」という理由が最大のものだったんだけど、外資系の会社に所属してみて初めて楽に呼吸ができるような気分になったし、学生時代に自分が経験してきたことが発揮できる「場」が得られたような気がしました。  

そして米系の会社というのはマニュアル類の完備の仕方がものすごいんですけど、それらを学んでいる際に感化されたことも多く、ビジネスにおける視点の持ち方、何かを判断する際のアプローチ方法、プロセスの構築の仕方、等々に多くの刺激を受けました。  当時の KiKi は「やっぱりアメリカってすごい!  こんな考え方をする国と戦った日本はアホだった。」ぐらいの感覚を持っていたような気がします。

そんな KiKi が30代の半ばごろ、ふと思ってしまったことがあるのです。  何がきっかけだったのかは今となってはよくわからない(多分、知らないうちに育っていった感覚だったんだろうと思うのですが)、「すべてが見えているわけではないのに、何らかの兆候だけから判断していくのは本当に正しいのだろうか?」とか、「すべてを知ることは決してできないはずだ。」とか、そういう「迷い」にも似た感覚を持ち始めたのです。  そして、色々なことを深読みするくせがついてきたことにより、「これはひょっとしたらプロパガンダじゃないだろうか?」とか「語られていない真実がありそうな気がする。」とか「じゃあ真実って何?」とか、そういうことを考える感覚が育ち始めました。

 

そんな過程を経て「正義とは立場が変われば変わるもの」という、20代のときは「感覚」に過ぎなかった想いが、「確信」に近いものに育っていきました。  そして発生したあの「同時多発テロ」や「北朝鮮による日本人拉致事件」の顛末が KiKi の物事の考え方をさらに大きく変化させました。

あの「同時多発テロ」が発生したとき、KiKi にはあのビルで仕事をしていた友人もいたし、事件の悲惨さに思わず目を覆いました。  でも、「悪の枢軸国」「大量破壊兵器」「無差別殺人との闘い」というTVから流れてくる言葉には嘔吐感を覚えました。  ああ、こうして対立軸の全体像が描かれていくんだ・・・・と。  

この物語を読んでいて、主人公バルサが戦うことになる初めての人間の女性シハナが得意とするタアルズ(遊戯盤を使う競技)の話が出たとき、KiKi がイメージしていたのは現実社会(特に外交の世界で)の中で起こっているさまざまな対立軸の絵だったし、その天才と呼ばれる彼女のこのゲームに勝つコツは何だ?という問いに対する答え、「自分が勝利する形をまず想像しておくの。  それから、自分の動きで、相手をその形へ導くのよ。  それだけ。」という言葉に現代アメリカを支配している、KiKi が背を向けたある種の精神を垣間見たような気がしました。  (えっと一応お断りしておくと、KiKi は決してアメリカ嫌いなわけじゃありません。  ただ、若かった頃は「アメリカ崇拝」が強かったんだけど、今はもう少し冷静になって懐疑的な目も持つようになった・・・・というだけなんです。)

米系の会社では何か改革を行うときや問題が発生したとき、対処療法的な対応はしません。  最初にすることは「あるべき姿」を描くこと。  そしてその「あるべき姿」と「現実の姿」を比較し(Fit-Gap 分析)、そして打ち手を考えます。  これは KiKi がいわゆる「論理的思考」の中でもっとも感化を受けた部分ではあるけれど、同時に自分が描く「あるべき姿」は本当に「あるべき姿」なんだろうか?という疑問の根っこを育んだ考え方でもありました。  その疑問から始まって KiKi は自分の傲慢さ・・・・のようなものに気がついたのです。  

ま、そんなこんなで、KiKi はこの物語を読み進めていく中でシハナが何をどう考えているのかは、手に取るようにわかる気がしました。  彼女の動き方・考え方はKiKiが20代後半から30代前半に必死で身に着けようとしていた考え方・対処方法にものすご~く似通っているのです。  と、同時に彼女の父親スファルが語る娘の姿「あれは、自信のかたまりのような娘だ。」「あれは、すべてが見えている気になっている」は KiKi が自分の中に見出した傲慢さと同じものです。  でも、彼女は悪意があるわけじゃない。  それが正しいと信じる自分なりの「ものさし」を持っているのです。  そこに「若さ」がスパイスをまぶしている。  そんなシハナの姿にも哀しいものを感じずにはいられません。

もちろんこの物語の中でもっとも悲劇的なのはアスラです。  か弱く、美しいものが好きで、実際は泣き虫の小さな女の子。  ある意味で善と悪を「自分に害をなすもの」と「自分に害をなさないもの」というものさしでしか測れない女の子。  そんな、本来であれば「弱きもの」が「最終兵器とも言える絶大な力」を持ってしまったのですから・・・・・。  そんな彼女が破壊神を「間違いを犯すはずのないカミサマ」と信じ、「カミサマが滅ぼそうとしたんだからやっぱりあっちが悪い」と考えるのは致し方ないことです。  でもね、これってテロリストの理屈とそっくり同じなんですよね。  そして、テロリストたちも生まれついてのテロリストっていうわけじゃなく、社会の中での閉塞感、虐げられているという想い、貧困、そしてそれを逆手に取った教育によって育てられていく・・・・・。

破壊神を自らの中に封印する直前に語るアスラの言葉には、テロリストたちと同じ種類の叫びがあります。  

「人の死を望む者は、醜い。  タルの民の哀しみや苦しみを思いやることもなく、踏みつけにして平気でいる。  あなたたちこそ醜い。  タルを殺せと叫ぶなら、ロタ人よ!  タルと同じ痛みと恐れを、味わうがいい。」

でも彼女は自分の中の自己矛盾に気がつくのです。  破壊神は血を求めていて、その力は幼い娘の力よりもはるかに大きいにもかかわらず、「自分は今、人を殺そうとしている。」と。  そして、「そんなものにはなりたくない!」という想いだけで、彼女は勇気ある決断をします。

小さな女の子に過ぎなかったアスラがその決断をすることができたのは、子供らしい時間を過ごすことができた「兄とのふれあいの想い出」と「赤の他人なのに、蔑まれる事しか経験してこなかった自分を抱きしめてくれたバルサの想い出」と「バルサとともに参加した隊商で女の子として扱ってもらった想い出」だったりするのが哀しいのと同時に、苦難続きの中で彼女が得た成長の証でした。

アスラとバルサの旅の様子を見ていると、あの「精霊の守り人」で母性のようなものに目覚め、あの「闇の守り人」で自分の中の闇と向き合い、あの「夢の守り人」の中で不幸を抱えている人が見ずにはいられない甘い夢を知ったバルサだからこそ、彼女の命を助けることができたし、彼女を抱きしめることもできたし、彼女を止めることもできたと感じずにはいられません。

だからこそ、最後のバルサのセリフが胸に迫ります。

「目ざめなよ、アスラ。  生きるほうが、つらいかもしれないけれど。  自分が生きていいと、思えるようになるまでには、長くかかるけれど。  それでもさ・・・・・。」

KiKi はアスラはこのバルサのセリフが聞こえていると思うんですよね。  でも、バルサが「自分は生きていていいんだ」と思えるようになるまでにかかった時間以上の時間がアスラには必要なのかもしれません。  そして・・・・・・

できることならサマド衣装店のマーサさんご自慢の人気商品、「春の野に咲くサラユのような、淡い紅色の衣」が身体にあわなくなる前に目覚めて欲しい・・・・と思わずにはいられません。  まあ、最悪、バルサが同じようにマーサさんからもらったきり、タンダの家の櫃に入れっぱなしになっている「秋の空のような淡い青色の地に、細い金糸で繊細な刺繍をほどこした、華やかだが品のいい衣」でもいいんですけどね(笑)

う~ん、今回も色々なことを考えさせられる物語でした。  どうやら KiKi は上橋菜穂子さんにベタボレ状態にされてしまったようです。  「貧困」「テロリズム」「信仰」「歴史」「普通の大切さ」「組織の動かし方」・・・・  あまりにも多くのテーマが含まれているこの作品も、大切に読み続けていきたい物語です。

最後に・・・・・

こんなファンタジー(・・・・と呼べないような気もしてきた)が日本で生まれたことを誇らしく思います。  ファンタジーといえばやっぱり英国モノがダントツの量と質を誇っていると思うのですが、私たち日本人がその邦訳ものを読んだとき、訳文による違和感や文化の違いから異質感を感じるのはある意味で仕方のないことです。  でも、この作品は日本人の著者が日本人のために日本語で書いた物語です。  一生ものの日本産ファンタジーに出会えた事を本当に嬉しく思います。     

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2010年4月16日 11:18に書いたブログ記事です。

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