背教者ユリアヌス(上) 辻邦生

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本日の読了本も図書館本です。  おとぎ話、神話、ファンタジー、叙事詩、英雄伝、そして歴史物。  KiKi の読書嗜好はこれらのジャンルに偏っているようなところがあるのですが、日本人の書いた歴史物の中でもかなり大きなインパクトをもってその存在を認知しつつ(何せ文庫本3冊なので・・・・・ ^^;)、でも所詮日本人が書いた西洋史ものなんだよなぁというミョウチクリンな懐疑の目を向けつつ、長い間ず~っと気になっていた本の第1巻(上巻)を読了しました。

背教者ユリアヌス(上)
著:辻邦生  中公文庫

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ローマ皇帝の家門に生まれながら、血をあらう争いに幽閉の日を送る若き日のユリアヌス。  やがて訪れる怒涛の運命を前にその瞳は自負と不安にわななく。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、久々に「本らしい本」を読んだ!  そんな感じです。  あ、もちろんこれまでず~っとこのブログで取り上げてきた本たちが「本らしくない本」だと思っているわけではないんだけど、ある意味で気楽に楽しく、まるで日常会話を楽しむが如く読めちゃう本だったのに対し、この本はどこか居住まいを正して読まなきゃいけない本っていう感じです。  でもね、それは「読みにくい」とか「わかりにくい」とか「格調が高すぎる」ということではなく、ものすご~く引き込まれるし、スラスラ読めちゃうんだけど、でも何かが違うんですよね~。

ま、これはひょっとしたら久々に小さな活字の本だったから・・・・・なのかもしれないんですけどね(笑)  最近では老眼鏡のお世話になっている KiKi にとって、活字が小さいというのは中身はともかくとしてそれだけで正直「うへぇ~!」っていう感じがするんだけど、この本もご他聞にもれず、そんな本なのです。  これで KiKi の心の中に「前から気になっていた」というフックがなかったら、「無理!」と最初から読むのを諦めてしまったかもしれません。

でもね、最初のうちこそは字の小ささに若干辟易としていたのですけど(何せ、目が悪くなってきたところへもってきて、KiKi の読書タイムは基本的にはお布団の中、寝る寸前なので ^^;)、10ページぐらい読み進めたところでもうそれは「気にならないこと」「瑣末なこと」になってしまいました。  それぐらい引き込まれて先へ先へと読み進めていくことができました。

塩野七生さんのファンである KiKi にとって「ローマ物」「ルネサンス物」というのはそれだけでキャッチーなわけですが、同時に「背教者」っていう言葉自体が興味をそそるんですよね~。  KiKi はね、例えば美術とか音楽の世界の中で「宗教」、特に「キリスト教」には結構早い時期から興味を持っていました。  でもね、興味を持ちつつも「洗礼を受けたい」とか「クリスチャンになりたい」とは思ったことがなかったんですよね。  いえ、「思ったことがない」というのとはちょっと違っていて、「思わないでもないけれど何かが『これは違う!』と囁き続けていた」というのが正確なところだったのかもしれません。  

今回、この本を読んでいる中で KiKi は自分が感覚的に感じていた「何かが囁く『これは違う』」の根本に何があったのかを確信することができたように思うんですよ。  まあ、それは以前から「一神教の1つの限界」みたいな感じで認知していたこと・・・・ではあるんだけど、キリスト教(に限らずほとんどの宗教がそうだと思うけれど)の持つ「排他性」という一面。  そして、「信仰という言葉を隠れ蓑にした思考停止という状態」。    

KiKi は決してこの物語の中の大司教エウセビウスを糾弾するつもりはないんだけど、迫害の歴史があろうが何であろうが、信仰や教義を守るという大義があろうが何だろうが、その方法論において「排他」という匂いがすること自体が KiKi にはどうしても受け入れられないんですよ。  でもね、これはキリスト教側だけがもっていた問題なのかと言えばさに非ず。  そもそも論としては、古い時代の宗教側において、新興宗教であるキリスト教に対して「胡散臭いもの」という考え方による迫害があったからこそ、身を守るために捻り出された処世術とも言える訳で・・・・・・。  要するに「人間の考え出した思考の限界」みたいなもの・・・・だと思うんですよね。  

そういう意味ではユリアヌスが出会った名教師リバニウスの一言が、KiKi の持ち続けている漠然とした想いを格調高く素晴らしい日本語で語ってくれちゃっています。  曰く

人間が到達した最高の真理でさえ、われわれはなおそこに、それを疑いうる余地を残さなければならぬ。  もしわれわれが真理を唯一無二のものと信じて、それを疑うことをしなければ、われわれは間もなく真理を絶対視するあまり、それを再度検討する機会を失うに至る。  それはあたかも完全に無謬なもののごとく罷り通り、人々は最後にその前に跪拝するようになる。  だが、人間の手になるもので無謬なるものがありえようか。  否である。  われわれが唯一無二と信じうる真理でさえ、それは人の手になるものである以上、無謬ではありえない。  諸君は問うであろう、では、真理とは、人間が拠って立ちうるものになりえないのか、と。  たしかに一見すれば、謬りを含んだ真理とは、語の矛盾以外の何物でもない。  だが、それが真理として究められた以上、あくまでも真理性を主張することができる。  否、あえてその真理性を擁護しなければならぬ。  だが、諸君、同時に、諸君はその真理が、さらに一段と高い真理に進みうる道を、そこに開いておかねばならぬ。  実にこの道こそ、真理の中における懐疑である・・・・・

KiKi はね、哲学者になれるほどには1つのことを突き詰めて考える根気も勤勉さも持ち合わせてはいないんだけど、昔から何よりも嫌い・・・・というより、耐え難いと感じていたのは「思考停止」という状態なんですよね。  だから常に「今自分が知りうる知識の中で最善は○○だと私は考える。  でも・・・・・」という考え方をしたい人間なんですよ。  そんな KiKi にとって1つの恐怖はとある宗教に帰依することによって、教義だとか真理という言葉に自分の思考が遮られる事だったりします。

もちろん人は何らかの行動を起こすに当たって、自分の核になる「考え方」、つまり「自分はこれが正しいと思ったから・・・・・」は必要だと思うんですよ。  でも、その核になる「考え方」が膠着してしまうことはいいとは思えないんですよね。  膠着することによる安心感というのはものすご~く危険なことだと思うんですよね。  

この上巻ではまだまだユリアヌスが何を「自分の核とする考え方」と捕らえているのか、なぜ彼が「背教者」と呼ばれるようになったのか、彼が「背教者」と呼ばれることを潔しとし、それでも守りたかったもの、信じたかったものが何だったのかまでは描かれていないけれど、ある意味でヨーロッパ史を築き上げてきたベースにキリスト教の台頭という事実があるだけにこの先の物語に興味を持たずにはいられません。  

 

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2010年5月25日 17:42に書いたブログ記事です。

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