2010年7月アーカイブ

ずいぶん長いことクラシック音楽関連のエントリーを書いていませんねぇ。  最後に書いたのが今年の6月の頭。  っていうことは約2カ月というもの、ひたすら「読書感想文」と「Lothlórien_山小舎通信」ばかり書いていたっていうことになります。  この間、決して音楽から遠ざかっていたっていうわけではないんですけど、何だか最近またもや「ながら聴き」モードに入ってしまっていて、なかなかエントリーを書こう!っていう気迫で音楽が聴けないんですよね~ ^^;  まあ、その一端を担っているのは昨今の暑さのせいでもあるんですけど・・・・・。  でも、まだまだご紹介していない素敵なクラシック音楽は多々あるわけでして。  ま、てなわけで本日の KiKi の1曲は夏にはピッタリ(?)のこの作曲家の音楽です。

シベリウス 交響曲第2番 Op. 43
Bis BIS-CD-1697/1700 演奏:Osmo Vänskä(Cond) & Lahti Symphony Orchestra 

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このCDはね、昨年の秋ごろ、購入したものです。  当時 KiKi はシベリウスの「クレルヴォ交響曲」のCDを探していて、その選択肢の1つに挙がっていたのがこのボックスセットだったんですよね。  因みにこのCD、交響曲のみならず管弦楽曲だけにも留まらず、室内楽曲からピアノ曲、さらには歌に至るまで網羅しているというお得感があふれ出ているCDです。  BISレーベルって通常は「ちょっと・・・・と言うかかなり(お値段が)お高め」という印象があったんですけど、そのレーベルがこのお値段でこんなボックスセットを出したというだけで食指が動いちゃったCDなのです。

そういう意味ではせっかく「クレルヴォ」のために購入したCDだったはずなのに、その時から今に至るまで「クレルヴォ」の Review を書いていないんですよね^^;  で、久々にクラシック音楽関連のエントリーを書くためにも今日の1曲はシベリウスと決めた時点では「今日はクレルヴォを!」と思っていたのですよ。  でも、ことクラシック音楽のエントリーに関しては「のだめ企画」っていうやつも細々と遂行中で、ふと気がつくと次に聴く予定になっているのが、第2番交響曲じゃありませんか!!  ま、個人的には KiKi はシベリウスの音楽の中では比較的演奏される機会の多い2番は実はあんまり好きじゃないんですけど、企画のことも考えて本日の1曲をこちらにしたっていうわけです。

デルフィニア戦記第3部 動乱の序章Ⅰ~Ⅴ
著:茅田砂胡  中公文庫

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リィとの一騎打ちに敗れたナジェック王子が敵軍の手に落ちたことで意気消沈するタンガの陣に、国王ゾラタス率いる援軍が到着した。  迎え撃つデルフィニア国王ウォル・グリーク。  両国の王を将とした大軍が国境の砦をはさみ対峙する。  パラストを加えた大華三国は三つどもえの戦乱に突入してしまうのか。  (文庫本Ⅰの裏表紙より転載)

「タウは銀山也」タンガ王ゾラタスに届けられた知らせは、デルフィニアに強奪されたタウ東峰が宝の山だと告げていた。  この密告こそ、タンガ挙兵を誘うべくウォルたちが仕掛けた罠であった。  しかし、鬨の声はデルフィニア西方、パラストから挙げられる。  微妙な均衡を保つ大華三国が、ついに動乱の時を迎えようとしていた―。  (文庫本Ⅱの裏表紙より転載)

グラハム卿ら西部領主たちが反旗を翻した。  身内の裏切りによりウィンザに出陣していた国王ウォルの軍は大敗、ラモナ騎士団も壊滅する。  タンガ・パラスト両国はデルフィニアに宣戦布告し、ウォルは囚われの身に...。  しかし、この一大事に何故か王妃リィは姿を消し、残された人々は国王救出に奔走する。  (文庫本Ⅲの裏表紙より転載)

国王を人質にして戦端をひらく―愚劣だが確実な作戦を用いてなお、敗北を喫したタンガとパラスト。  デルフィニアの突出をくいとめなければ滅亡するのは...。  かくして恐怖に戦く両国王は二国再連合とスケニア、さらにファロット一族を巻き込んでの起死回生の策に出た。  (文庫本Ⅳの裏表紙より転載)

隣国の版図拡大をおそれるタンガ・パラスト両国王。  彼らは、デルフィニア王妃暗殺を秘かにファロット一族へ依頼した。  暗殺集団の威信をかけ最強の術者を送りだすファロット一族―  コーラル城の華やかな喧噪に紛れ、巧妙に、精緻に張りめぐらされる暗殺の罠。  リィに最大の危機が迫る。  (文庫本Ⅴの裏表紙より転載)

うんうん、さすがに「内乱記」から「近隣各国とのすったもんだ」になってからのほうが面白いなぁ。  と言うのも、基本的にこの物語、ウォルの敵になる相手が小物すぎるきらいがあると思うんですけど、それでもさすがに相手が近隣王国の王様となってくると、少しは期待が持てそうな雰囲気が漂ってくるんですよね~。(まだ、定かではないんですけど・・・・)  それと同時にこの第3部ではウォルの本当の意味での愛妾問題とか、バルロやナシアスの恋の物語なんかもでてきて、特徴(個性)の乏しかったウォルを取り巻く人々の本質・・・・みたいなものが生き生きとしてくる感じがするんですよ。  あ、一応お断りしておくと基本的に KiKi は恋愛小説みたいなものはあんまり趣味じゃなくて、恋愛シーンにときめいたりすることは皆無なんですけどね(苦笑)。  

そうそう、そして第2部から登場したシェラも少しずつ興味深いキャラになってきています。  そしてシェラが無意識ながらもその一翼を担っていたファロット一族がなかなかいい味を出しています。  

 

デルフィニア戦記第2部 異郷の煌姫Ⅰ~Ⅲ
著:茅田砂胡  中公文庫

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デルフィニアの内乱に勝利し、ウォルは再び玉座に即いた。  黄金の戦女神とたたえられたリィもまた王女の称号をもって白亜の宮殿に迎えられた。  それから三年―平穏だった王都に暗雲が立ちこめる。  リィをつけ狙う不気味な暗殺者。  不可解な公爵家の挙兵。  陰謀を察知したウォルの決断とは。  (文庫本Ⅰの裏表紙より転載)

騎士バルロが出撃する。  叔父マグダネル卿を討つために―!  サヴォア一族の内紛とは王家失脚を企む卿と、その陰謀を阻止せんとするバルロの対立だったのだ。  卿の背後にはデルフィニアを狙う隣国タンガとパラストが蠢いていた。  この国を揺るがす危機をウォルそしてリィはいかに乗りきるのか。  (文庫本Ⅱの裏表紙より転載)

国王の下には押しかけ愛妾が出現し、王女にはタンガの皇太子との縁談が持ち込まれた。  暗殺の次は策略か!?  日頃は剛胆なウォルも無敵のリィも、敵国の謀議に激怒した。  この事態に抗すべく両者の婚姻がデルフィニアの国を挙げて敢行される。  が、厳粛な式の最中、急を告げる使者の叫びが聖堂に響きわたる。  (文庫本Ⅲの裏表紙より転載)

なんだか呆気なく読めちゃうんですよ。  で、読んでいる間つまらなかったり苦痛だったりするわけじゃないんですよ。  まあ、楽しいか?と問われるとそれも微妙なんですけど・・・・・。  でもね、読み終わった後で何かが残るかっていうと何も残っていない・・・・・そんな不思議な物語ですねぇ。  読んでいる間誰が誰だったかわからなくなるっていうことはないんです。  でも、読み終わった後で思い返してみると、ウォルとイヴンとバルロとナシアスの誰がどこでどうしたのかは思い出せないんですよ。  まあ、かろうじてウォルは王様なのでそれなりに特殊なイベントもいろいろあって区別がつきやすいんですけど、イヴンとバルロとナシアスは正直なところこんがらがっちゃう・・・・・ ^^;  

で、物語の筋とは別のところで思ってしまうのです。  こんなまるで同好会みたいな、仲良しクラブ的な人員体制(人格集団とでも言うべきか?)で1国の中枢に関わり、国を動かしていていいんだろうか??ってね(笑)  そういう意味ではシェラ(リィを暗殺しようとしている女装の男性)の感覚はある意味でとっても説得力があると思うのです。  曰く、

「この王宮は化け物の巣だ。」

まあ、化け物かどうかはともかくとして、やはりある種の異常性を感じずにはいられません。

 

何となく・・・・・読了した1冊ずつで Review を書くのがちょっとしんどいなぁと感じていたので、とりあえず第1部の「放浪の戦士」の残りを一挙に読み終えてしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

デルフィニア戦記第1部 放浪の戦士Ⅲ & Ⅳ
著:茅田砂胡  中公文庫

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緒戦の大勝利に沸く兵士たち。  しかし国王の陣幕だけが重く沈んでいた。  軍を解散せよ、さもなくば―敵は養父・フェルナン伯爵を盾にした露骨な脅迫にでたのだ。  大義か?  ペールゼン侯爵の専横に屈するのか?  苦渋の選択を迫られたウォルは逆転を賭して、バルドウの娘に伯爵救出を託したのだが!?  (文庫本Ⅲ裏表紙より転載)

流浪の国王ウォルとリィの率いる軍勢は王都コーラルの目前に迫った。  だが、救出すべき父はすでに亡く、王座奪還の目算も潰えた。  欲するは父の敵の首ひとつ―!  同胞相討つ内乱を避け、わずかな手勢で城に乗り込むウォルの運命、そしてデルフィニア争乱の行方は?  第1部放浪の戦士篇完結。  (文庫本Ⅳ裏表紙より転載)

今回の2冊の中の最大の山場は養父・フェルナン伯爵の臨終の場面でしょうか。  前2冊のこのままの筆致で進むと本当に「デルフィニアおとぼけ合戦物語」となってしまいそうなこの物語の中で、このシーンが描かれることにより、ようやくこれが「おとぼけ合戦」ではなく「戦記」であることが納得できた・・・・そんな秀逸な場面だったと思います。

相も変わらずリィの超人的な働きにより堅固な守りで有名な北の塔からあっさりと伯爵を救い出すことができたものの、日も差さない牢獄での半年以上に及ぶ幽閉生活 & 度重なる拷問により「身体はかろうじて動いているものの生きているものの匂い」を失ってしまっていた伯爵と養父を助け出すことを第一の目的としてここまで前進し続けてきたウォルの再会はそれだけで感動的になるのはお約束のところへもってきて、ここにリィの言葉を借りれば

伯爵はたいへんな頑固者で、人がいなくてもウォルのことを陛下と呼んで態度を崩さなかった。 (中略) 今が最後の機会なんだよ。  ウォルとあの人を親子として会わせてあげられるのは今しかないんだ。  

というような何とも切ない親子関係という伏線があり、さらにはこれまたリィの言葉を借りれば

俺を引き取りさえしなければ、俺に関わりさえしなければ、父上はこのようなことにはならなかった。  スーシャの領主として安泰に、幸せに暮らしていられるはずだった。  -伯爵にはこの声が聞こえないか?  ぼくにはずっと聞こえていたんだ。  (中略)  伯爵。  今の自分の有様をちょっと見てごらんよ。  ひどいもんだよ。  (中略)  ウォルがこれを見たらどうなると思う?  自分のせいだと嘆きに嘆いて使い物にならなくなるよ。  (中略)  これが最後だ。  言わなきゃわからない。  臣下としてじゃなく、父親として、息子にこれからどうすべきかを言わなきゃいけない。  

という状況の中、結局表面的には臣下として姿勢を貫きつつも、リィに語るという形でリィを介在して心情を吐露する伯爵の姿には崇高なものを感じました。  そしてずっと秘め続けてきた伯爵のホンネ

二度と息子とは呼ばぬ。  己に誓いを課した以上、騎士たるものが破るわけにもいかぬ。  だがな、小戦士。  甘いとお笑いになるかもしれんが、わたしはいつも、できるものなら、息子と呼びたかったのだぞ。

さすがにこの場面では目頭が熱くなりました。  うんうん、こんな親子だったからこそ、その後ウォルの血統疑惑が再浮上した際のウォルの一言

王冠も王座も今さらいらん。  だが、俺にもひとつだけ譲れないものがある。  欲しいのはペールゼン(ウォルの反対勢力の頂点にいるヤツ)の首ひとつだ。

がこの物語での情景描写以上に凄みをもって迫ってきます。

    

連日の暑さによる夏バテか、はたまたギービヒ家の居心地が良すぎて長期滞在中に熱射病対策でヘンテコな飲み物と一緒に忘れ薬をしょっちゅう飲まされているのか定かではないのですが、今年に入ってから3度目の「Siefgried_iPod 記憶喪失」が発生しました。  KiKi は160GBほぼ満タンまで様々な音楽データ & Podcast を入れて持ち歩いているのですが、こうも記憶喪失が頻発するとデータ更新に躊躇してしまいます。  と言うのもね、持ち歩いている間に何らかの操作ミスか何かでデータが消えちゃうんじゃなくて、充電 & 更新を兼ねてPCに繋ぐと消えちゃうんですよね~、これが。  一体何がどうしてどうなっているのか、KiKi にはさっぱりです。

しかも・・・・・です。  何故かはわからないんですけど、iTunes が既に登録済みの Siegfried を認識できなくなってしまうというおまけつきなので、この事態が発生すると iPod の初期化からやり直しで、その後 iPod の名付け(Siegfried)をし、さらには転送データの選択(これをするためには、iTunes に iPod を接続し、音楽データと Podcast 別々に転送したいデータ1つ1つにレ点を振る。)をし、音楽データと Podcast のそれぞれで更新ボタンを押してデータが転送されるのを待つという一連の作業が必要になるんですけど、初期化からレ点打ちまでに凡そ40分強の時間を要し、さらにはデータ転送にPodcast で1時間、音楽データでは数時間を要するのでとにかく手間がかかるんですよね~。

購入当初は少しずつ、少しずつデータを iTunes に読み込ませ、何週間もかけて作業をしていたから特にこの作業に不満も鬱陶しさも感じなかったんですけど、手持ちのCDを全て iTunes に認識させてしまった今となってはこの一連の作業が苦痛で苦痛で・・・・・・。

う~ん、この Siegfried を購入した時点ではほぼ全ての手持ちの音楽データを持ち歩けるようになったと喜んでいたのですが、こういうトラブルが頻発すると160GBも持ち歩けることを喜んでいいのか?甚だ疑問に感じるようになってきました。  出歩いている時間内に160GB分全て聴き通すことができるわけじゃないんだから、やっぱり必要最小限を持ち歩けるもっと重さ的にも容量的にも軽いタイプの iPod にしておくべきだったのかなぁ・・・・・・。

 

昨日から KiKi は大阪にいます。  過去には出張などでこの季節に大阪に来ると何とも言えない熱気に圧倒されるような気分になったものでしたが、今年は東京 & 群馬も猛暑のため、そんな風に感じることもなくスンナリと(?)暑さの中に溶け込んだように思いました。  とは言うもののやっぱりこの暑さにはバテバテなんですけどね ^^;  ま、そんな中、ホテルの夜長に読書をすすめた KiKi の本日の読了本はこちらです。

デルフィニア戦記第1部 放浪の戦士Ⅱ
著:茅田砂胡  中公文庫

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卑劣な陰謀によって偽王の濡れ衣を着せられ逃亡する男・ウォル。  異世界から落ちてきた少女・リィ。  孤独な魂の邂逅からはじまった旅に志を同じくする仲間たちが結集、国王軍が結成された。  だが、首都コーラルを目指し進軍する彼らを待ち受けるのは、敵の大軍と悪辣な罠なのだ―。  (文庫本裏表紙より転載)

この第2作も移動の新幹線で読み始めたのですが、これまたあっという間に読み終えてしまいました。  今日の帰りの新幹線で読む本がなくなってしまって、しまったぁ!っていう感じです(笑)

やっぱりウォルとリィの夫婦漫才チックな会話が笑わせてくれますねぇ。  この第2冊ではそこにもう1人、ウォルの旧友イヴンが参戦し、おとぼけ合戦という雰囲気が満載でタイトルの「デルフィニア戦記」は実際のところ「デルフィニアおとぼけ合戦」という意味だったのか?と勘違いしてしまいそうな雰囲気です。  戦記ものにありがちなハラハラ・ドキドキという高揚感は極めて薄く、クスクス・プッ・プフフというお笑いのノリで読めちゃう本っていう感じです。  これには登場人物(特にウォル側の人間が揃いも揃って見目麗しく、ありえない強さを誇り、高潔・実直を絵に描いたような人たちばかりというできすぎ感も一役買っています。

それにしても・・・・・

逃亡から帰還した途端にこんなにもすごい味方がゾロゾロとできちゃうウォルをよくもまあ「偽王疑惑」なんぞで更迭できたもんだという「そもそもの設定」に関する???が頭の中を渦巻きます。  まあ、言ってみれば短期の民衆心理操作(大衆心理操作と言うべきか?)だけにはそこそこ長けていた改革派の皆さんっていうことなんですかねぇ・・・・・・ ^^;      

 

ここのところちょっと思考停止気味の頭に喝を入れるようなタイプの本ばかりを読んでいたので、久々に気楽に楽しめる軽め(?)の物語を読みたくなってきました。  たまたまこれから暫くの間出張の予定が立て込んでいるので移動中に読めちゃう本 & 持ち運びに便利な軽い本を読みたくなったということもあるんですけどね。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

デルフィニア戦記第一部 放浪の戦士Ⅰ
著:茅田砂胡  中公文庫

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男は剣を揮っていた。  黒髪は乱れ日に灼けた逞しい長身のあちこちに返り血が飛んでいる。  孤立無援の男が今まさに凶刃に倒れようとしたその時、助太刀を申し出たのは十二、三と見える少年であった...。  二人の孤独な戦士の邂逅が、一国を、そして大陸全土の運命を変えていく―。  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、こういう本はサクッと読めちゃいますねぇ(笑)  作りはいかにもいかにものRPG風。  Final Fantasy シリーズやドラクエシリーズの大好きな KiKi にとって、これは決して嫌いなタイプの物語ではありません。  このお話の冒頭で異世界から急に現れたリィを見ていると Final Fantasy X のヒーロー、ティーダを彷彿とさせます(笑)  ま、決して嫌いなタイプの物語ではないんですけど、好物か?と言えばそこは微妙なところです。  まだまだ第1部の第1作目、物語は始まったばかりだし、この文庫本では第1部が4冊、第2部が3冊、第3部が5冊、第4部が6冊という全18冊の大巨編(?)の1冊目なので、登場キャラ紹介という色彩が強くなってしまうのはある種仕方ないことだとは思うんです。  でもね、そのためだとしてもちょっとキャラばかりが立ってしまっていて、世界観に説得力みたいなものが現段階ではあまり感じられないような気がするのがちょっとだけ不満なんですよね~。  でもまあ、それはこの後の17冊に期待すべきことなのかもしれませんが・・・・・。

恐らくメインの登場人物となるであろうウォル(デルフィニアの元王様) & リィ(異世界から迷い込んだ超人的な戦士 & 男か女かビミョーな存在)のやりとりがボケとツッコミっていう感じがして、どことなく関西風。  かなり厳しい闘いのシーンが連続する割には、厳しさ & 激しさ とか 切迫感 & ハラハラ感 よりもその前後で発生する彼らの会話の妙味(ほのぼの感とも言える ^^;)で読まされてしまった1冊っていう感もなきにしもあらずです。  まあ、はなっから位を追われた不遇の王様、ウォルが負けるはずがない(憤死なんていうことはありえない)という大前提のうえで描かれている物語という香りがプンプン匂っているので、尚更会話の妙に目が向いてしまうのかもしれませんけれどね。  

 

緑の競演

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この3連休はとっても、とっても、と~っても暑かったですねぇ。  KiKi は例によって例の如くLothlórien_山小舎で過ごしていたのですが、長雨の季節を通り抜けた先で待っていたのは熱射病の季節っていう感じで、正直なところ身も心もかなりゲンナリとしているところです。  何せ水分と日光を十二分に吸収した植物っていうやつはなんともまあ元気と言いますか、威勢が良いと言いますか・・・・。  Lothlórien_山小舎の周辺は「緑の競演」とも「緑の狂騒」ともいえるものすごい状況が続いています。

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こちらLothlórien_山小舎の裏庭とでも言いましょうか、秋には紅葉のとっても美しいエリアですが、手前の石の部分を除くと緑の草 & 木 がそれこそモコモコと湧いているかのごとく茂っています。  畑仕事やらシイタケ栽培やら何やらでまったく手入れができていないわがLothlórien_山小舎の庭に至ってはこ~んな感じ(↓)です。

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まあ、この写真だけではいかに雑草がものすごいことになっているかはわかりにくいかもしれませんが、とにかく足の踏み場もない・・・・という感じで雑草が我が世の春(夏?)を謳歌しています。

一時期は悲惨なことになっていた畑エリアはこんな感じです。

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手前側の真ん中よりちょっとだけ右の青々としているエリア。  そこは雑草畑です。  アップに耐えられるような景色ではありません ^^;

さて、前回のLothlórien_山小舎通信ではいくつかの野菜の出来具合等々をお話したかと思うのですが、今週末もしっかり収穫できましたよ~。

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まあ、これらに加えて大根やらかぶやらも取れたのですが、そちらはあまりにも見栄えがよろしくないということと、近い将来別のエントリーを作ることになるだろうと思われるので今日は割愛します。  で、まだまだ収穫には至っていない別の野菜の生育状況をお話したいと思います。

まずはトウモロコシです。

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右の写真の毛みたいなのがモコモコしているところに実がなるはず・・・・・です。  去年はここまでいく前にタヌキの襲撃を受けてしまったので、これを見ることができただけでも感激!です。  続いてご紹介するのはエダマメです。

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う~ん、かなり貧相・・・・ですねぇ。  絹さやは今年は大豊作なんだけどなぁ。  同じ豆類でも何が違うんだろ??  で、さらに同じ豆類からインゲンの様子がどうなっているか?と言うと・・・・

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こちらはまだまだ小さい(・・・・と言うか細い)けれど、順調に育ってくれれば来週には食卓にのぼるかもしれません。  う~ん、楽しみ♪  豆類ってスーパーで買うにしても一袋にちょっぴりしか入っていないので、いつも寂しいなぁと思っていたんですよね。  でも自家製だと「もう沢山!!」って言いたくなるほど食べられるのが嬉しいのです。

KiKi はね、子供時代、自分の家の食事に物足りなさを感じていました。  お皿の数(おかずの量)が少なかったわけではありません。  店屋物が多かったわけでもありません。  逆に KiKi の実家では外食というのが異例中の異例の出来事で、うなぎとお寿司以外で外で食事をするな~んていうことがあったらその日もしくは翌日のお天気を本気で心配してしまう・・・・・それほどまでに外食ということをしたことがなかったのです。  じゃあ何に物足りなさを感じていたのか??  それは食卓の色でした。  スーパーに行けば今よりはまだまだ少なかったもののそれでもとてもカラフルなお野菜の並んでいる時代に育っていたのに、KiKi の家では生野菜が食卓に並ぶことはありませんでした。  卵料理もさほど頻度高く並ぶことはなく、一番多かった献立は「ごはん & 味噌汁 & 煮魚 or 焼き魚 & 野菜の煮物 & ぬか漬け」というセットでした。  これって味とか栄養という点では何ら問題のない(逆に健康的なぐらい)献立なんですけど、食卓の上の色が茶色系に統一されちゃうんですよね~。

KiKi は大学生活から自炊を始めました。  最初の2ヶ月はそれこそ有頂天になって「今日からカラフルな食卓にするんだ!」と勢い込んでいました。  毎日彩りをあれこれ考えながらサラダを作り、ヨーグルトのソースもあれこれ試し、わざわざミキサーまで買い込んでとにかく「カラフルな食卓」を目指して奮闘しました。  ところが・・・・・です。  長年飼い馴らされてきた胃袋というのはなかなか自己主張が激しいもので、たった1ヵ月半で KiKi の「カラフルな食卓プロジェクト」は潰えました。  食べつけない生野菜には「うさぎじゃないんだから・・・・」とうんざりし、お醤油の香りが恋しくなり、干ししいたけを戻す香り、切り干し大根の匂い、大豆の歯ごたえ、そしてぬか漬けの味に渇望し、ふと気がついた時には KiKi のアパートの食卓のメインカラーも茶色系に取って代わられました ^^;

ま、てなわけで(ってこの本の内容をご存じない方にはどんなわけでなのか、さっぱり見当もつかないでしょうけれど 苦笑)本日のKiKi の読了本は「ぬか漬けつながり」のこちらです。

沼地のある森を抜けて
著:梨木香歩  新潮文庫

 

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はじまりは、「ぬかどこ」だった。  先祖伝来のぬか床が、うめくのだ―  「ぬかどこ」に由来する奇妙な出来事に導かれ、久美は故郷の島、森の沼地へと進み入る。  そこで何が起きたのか。  濃厚な緑の気息。  厚い苔に覆われ寄生植物が繁茂する生命みなぎる森。  久美が感じた命の秘密とは。  光のように生まれ来る、すべての命に仕込まれた可能性への夢。  連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。  (文庫本裏表紙より転載)

う~ん、この物語は KiKi にとってはかなりビミョーです。  恐らく梨木さんがこの物語で語りたかったことは「ぐるりのこと」のそこかしこで匂わしていらした、生命の神秘と命をつないでいくということに対する1つの視座みたいなものなんだろうと思うんですよね。  そしてそこに絡めて生命の連鎖という我々個々人がどうこうできるわけではないストリームの中での「個」、「個体」とは何か? ということに対するこれまた1つの視座みたいなもの・・・・・。  それは漠然とは感じられるんですよ。  でもね、何もそこに「ぬかどこ」が出てこなくたって・・・・・・・(ため息)

家宝とまで呼ばれる「ぬかどこ」を相続した久美がぬかどこの世話を始めるあたりまでは、かなりゆったりした気分で読み進めることができたんです。  でも、そのぬかどこの中にある日突然卵ができちゃったり、その卵から男の子やのっべらぼうの女の人が出てくるあたりから、何となく気分はホラー調へ・・・・・(実は KiKi はホラーというジャンルが苦手なのです ^^;)  そしてそのぬかどこがどこかの島の泥からできているとか、そのあたりでほぼ精神的にはギブアップ・・・・・。  (いえ、一応、読了はしましたけれど・・・・・)  

さらには、メインの物語の間々に挟まれている「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」I~III がこれまた難解で・・・・・。  いえね、これ単独で読む分にはちょっとした「異世界ファンタジー」って言う感じで興味深いんだけど、間々に挟まれているだけにどう読んだらいいのかわからない・・・・と言うか。  まあ、恐らくは久美の一族の出てきたシマ、沼地を人間目線ではなく、別の目線で見たときの風景・・・・・のようなものなんだろうとは思うのですが、要するによくわからない・・・・・ ^^;   

 

ぐるりのこと 梨木香歩

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梨木作品に戻ってきました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ぐるりのこと
著:梨木香歩  新潮文庫

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旅先で、風切羽の折れたカラスと目が合って、「生き延びる」ということを考える。  沼地や湿原に心惹かれ、その周囲の命に思いが広がる。  英国のセブンシスターズの断崖で風に吹かれながら思うこと、トルコの旅の途上、ヘジャーブをかぶった女性とのひとときの交流。  旅先で、日常で、生きていく日々の中で胸に去来する強い感情。  「物語を語りたい」―創作へと向う思いを綴るエッセイ。  (文庫本裏表紙より転載)

このエッセイ、KiKi は好きですね~。  ただ読みやすいか、読みにくいかと言えばかなり読みにくいエッセイだと思うんですよね。  話が大きく飛ぶのは梨木さんの特徴・・・・・でもあるからさほどの戸惑いはないのですが、KiKi もこのブログでやりがちな()カッコ書きでの追記・・・・・がかなり多く、その()部分があまりにも長かったりするので、1つの文脈を2度、3度と読み直してみないと何の話だったのかわからなくなってしまった・・・・・ということも多々あって・・・・・。

ただね、これは論文ではなく、文学作品でもなく、エッセイであることを考えると、KiKi にとっては許容できる範囲の文脈の迷いなんですよね~。  逆に1つのことをああでもない、こうでもない、こっちの観点から見ると○○だけど、そう言い切っていいものだろうかと逡巡する姿勢そのものに、誠実さのようなものを感じます。  特に今回のこのエッセイで梨木さんが徹底的に拘っていらっしゃるのは自分は「わかったつもりになっている」けれどその実「何もわかっていないのではないか?」という想い、「物事を単純化、明解化することは悪いことではないけれど、今、誰もが思っているほど本当に正しいことなのか?」という想いがあるように感じられるからです。

イマドキの書き物は言い切り型の作品が多く、それはそれでその作者の立ち位置・主張がわかりやすいのでストレスを感じないですむ・・・・・のは事実ですが、自分がちゃんと物事を考えることができているのか?に拘っている KiKi にとっては、言い切ること ≒ 物事の単純化 ≒ 巧妙な思考停止の罠 に見えなくもなく、時々不安になったりもするのです。 

「自分の立ち位置を確たるものとしたい」

これは KiKi の永年の1つの目標でした。  特に仕事において「命じられたことを遂行する立場」から「ある立ち位置から判断をし、部下に実行を指示をする立場」に変わりつつある頃から、ぶれない視点を持ち、あるべき方向性を明確にし、確実にスピーディーに、自分以外の人間に実行を促せる人間になるためには必須のことだと考えていました。  仕事のうえではこれはとても必要なことだった(と信じている)し、ビジネスの世界では所詮、目指さなければならないゴールの核にあるものは「継続企業」 & 「利潤追求」 但しコンプライアンスは意識して・・・・・という観点を際立たせればよい、ある種シンプルなものだったと思うんですよね。  でも、そのある種の「物事の単純化」「合理的判断」の癖が、世界情勢だとか政治を考えるうえでは弊害になっているように感じ始めたのが40代の初め頃でした。

単純化するうえで切り捨てているもの、その切り捨てたものに関して「必要なし」という烙印を押したことにより深く考えなくなってしまっている自分に気がつきました。

 

 

  

夢十夜 夏目漱石

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梨木さんの「家守綺譚」を読んでいたら、何となく、何となくぼんやりと頭の中に浮かんできた映像のようなもの・・・・・がありました。  ちゃんとした像を結んでいなかったので、それを「映像」と呼ぶにはちょっと躊躇があるんですけどね ^^;  そしてそのぼんやりとした映像もどき・・・・・を見つめていたら「夢」「夜」というようなキーワードが頭の中を飛び交い始めました。  そうしたら無性にこの本が読みたくなってきてしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

夢十夜
著:夏目漱石 絵(版画):金井田英津子  パロル舎

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「こんな夢を見た」で始まる、夏目漱石の幻想的文学「夢十夜」。  作品の世界をさらに盛り上げるモノトーンの版画入りで収録する。  (Amazon より転載)

この本はね、KiKi が絵本の世界に嵌り始めたとき、いわゆる「子供向けの絵本」とは別格のものとしてガブリエル・バンサンの絵本とかを集め始めた頃、目に留まって入手した1冊です。  おさえたトーンの色調と版画という手法独特の朴訥さと、そして「夢十夜」という文学作品世界の持つ一種独特の雰囲気が相まって、文句なく「大人のための絵本」と言い切れる本の1冊ではないでしょうか。  ま、時に金井田さんの絵が雄弁すぎて、・・・・と同時に KiKi が文字から連想する絵とは異なったりもして、それがちょっとうるさく感じることもなくはないのですが、漱石による厳選された言葉で描かれた世界とそれを読んだ金井田さんの感じた絵画的風景の両方を楽しめるという、お得感が満載です。

ただ、この作品に初めて接する方にはできれば文庫本とか、文字だけの世界を堪能していただきたいなぁ・・・・とも思います。  青空文庫みたいにテキストのみの媒体で・・・・・。  日本が誇る明治の文豪、夏目漱石の世界は、可能であれば映像には頼らず、じっくりと言葉を読み返しながら、何とははっきりとは言い難い、でも着実に失いつつあるように感じられる「スローで深い日本人の感情の襞」のようなものを味わうのが王道のような気がします。

 

ちょっと間が空いてしまいましたが、久々にLothlórien_山小舎通信をしたためておきたいと思います。  まずは以前こちらのエントリーでお話した KiKi の仏壇に関してのご報告です。

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まあ、揃えたお道具がお道具なので、貧相・・・・・であることは否めないのですが、とりあえず何となく格好だけは整ったって言う感じでしょうか(笑)  基本的にはこちらの設置場所はLothlórien_山小舎なので毎日お参りというわけにはいかないのですが、山小舎に滞在中はきちんとお花も生けてお参りさせていただいています。  ついでに・・・・・と言っては何ですけど、留守中の山小舎の安全もこちらの仏様に託しています ^^;

次に例のシイタケ栽培の経過報告もしていなかったですよね。  実はもうだいぶ前(梅雨入り直後)に伏せておいたホダ木をこんな風に立て懸けてみました。  ま、見様見真似・・・・ではあるんですけど、こちらも何となく格好だけは整ったような感じがしませんか?

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ま、実はここまではもっと以前に終わっているお話の事後報告・・・・・みたいな感じなんですけど、ここからは先週末のLothlórien_山小舎のオハナシです。  入梅して、気温もぐっとあがった今日この頃、ようやくLothlórien_山小舎の畑も少しずつ収穫期を迎えることができました。  まずはこちら。

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KiKi の大好物の絹さやです。  ここへきてようやく収穫できるようになってきました。  時期を同じくして収穫できるようになった別の野菜がこちら。

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きゅうりです。  KiKi はぬか漬けを作っているので、きゅうりは必需品。  これから暫くの間はスーパーで買わなくても自前のきゅうりでぬか漬け & サラダができることが理想なんですけど、どうなることでしょうか。  先週末の日曜日のこれら2種類の野菜の収穫量としてはこんなもん(↓)で、まだまだっていう感じであることは否めないんですけどね。

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今年の初物のきゅうりと絹さやは早速日曜日の朝食のテーブルに並びました。

2010_Jul16_065.jpgのサムネール画像

お味の方は・・・・・

う~ん、新鮮であること、野菜らしい匂い(香りというべきか)があるのが嬉しいですねぇ。  スーパーで買う野菜ってどことなく標準化されている・・・・・というか、匂いがなくなっている・・・・・・というか、それぞれの野菜の個性みたいなものが感じられないと思うんだけど、自宅の畑で採れたばかりの野菜にはわずかながら・・・・・ではあるものの、その野菜特有の臭みみたいなものが残っています。  

家守綺譚 梨木香歩

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家守綺譚
著:梨木香歩  新潮文庫

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庭・池・電燈付二階屋。  汽車駅・銭湯近接。  四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多・・・・・  本書は、百年前、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ掉さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。 -綿貫征四郎の随筆「烏蘞苺記(やぶがらしのき)」を巻末に収録。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi はね、昔から1つの憧れの立場(職業ではない)、生き方、立ち位置というものがありました。  それは明治時代の書生さん。  未だ何者でもない、何を成しているわけでもない、ある意味頭でっかちで一文の得にもならないようなことをああだこうだと考えている、この物語の中の「精神労働者見習い」みたいなポジショニングの人間。  お金はないけれど時間だけはたっぷりとあって、若さとわけのわからない自信と焦燥感を持て余しているようなそんな人間。  でもね、そんな言ってみれば中途半端なポジションに何故自分が憧れているのか、どうしてもうまく説明できない・・・・・そんな風に感じていました。  そしてこの本を読んだときに感じた最初の想いは「ああ、ここにその答えがあった。」というものでした。

日がな一日、憂いなくいられる。  それは理想の生活ではないかと。  だが結局、その優雅が私の性分に合わんのです。  私は与えられる理想より、刻苦して自力で掴む理想を求めているのだ。  こういう生活は、私の精神を養わない。

さっきは少し、自分に酔い、勢いを付けなければ誘惑に負けそうだった。  だがそれは大変失礼な態度でもあったと帰ってから分かった。  言葉足らずですまなかったと思っています。  私には、まだここに来るわけにはいかない事情が、他にもあるのです。  

現代的な合理的な価値観からすれば「何者でもない」とか「何も成していない」というのは、ある意味でとても怠惰な生き様・・・・・とも言えるかもしれない。  けれど・・・・・・。  自分が「精神を養う」という意識を薄れさせて世俗的な目的意識のみに突き動かされて生きているのが、それこそどうにも性分に合わない・・・・・・のだと。  そして書生という立場にその真っ只中にいる人というある種身勝手なイメージを重ねているから、憧れているんだと思った次第です。

  

今日も梨木作品を読み続けています。  どうやら KiKi は上橋作品同様に梨木作品にも嵌ってしまったみたい・・・・(笑)  多分、そこには同世代を過ごし、同じようにイギリス文学に傾倒してきたという一方的な親しみと、Border ということを常に感じながら時を重ねてきたという共通点、そして、物事の思考の仕方に垣間見える共感(但し、梨木さんのほうがず~っと深いんだけど・・・・)みたいなものがあるように感じます。  上橋作品はどちらかというと読んでいて「やられた~!、  参った!」と感じつつ楽しめる(Joy)なのに対し、梨木作品は「そうそう、あ、それよ!  私も感じてた。  こういう風に言語化できるんだ、なるほど~」っていう風に腑に落ちるっていう感じでしょうか。  ま、それはさておき、本日の KiKi の読了本はこちらです。

エンジェル エンジェル エンジェル
著:梨木香歩  新潮文庫

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コウコは、寝たきりに近いおばあちゃんの深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。  夜、水槽のある部屋で、おばあちゃんは不思議な反応を見せ、少女のような表情でコウコと話をするようになる。  ある日、熱帯魚の水槽を見守る二人が目にしたものは―  なぜ、こんなむごいことに。  コウコの嘆きが、おばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶を呼び起こす...。  (文庫本裏表紙より転載)

女の子は誰もが子供時代は純なもの、美しいもの、優しいものに心惹かれ、自分こそがそれを体現したものになるんだ・・・・・と無意識のうちに思っているようなところがあると思うんですよね。  でも、時を重ねている中でそんな自分の中の秘めた目標と現実のギャップに否応なく気がつかされるんですよ。  思っていた以上に不純で、醜くて、意地悪な自分という現実に。  それを認めたくはないけれど認めざるをえず、必死で言い訳しようとするんだけど言い訳になっていないことに気がつき、「ごめん」と言いたいのに言えない自分。  多かれ少なかれ誰もがそんな苦い想い出を心の奥底のどこかに封印しているんじゃないでしょうか?

コウコの寝たきりのおばあちゃん、さわちゃんもそんな1人。  寝たきりになってボケちゃう年代になって、それでも残っている想いは女学生時代に封印した天使になれなかった自分、「ごめんなさい」と言えなかった自分、封印してしまった醜い自分に落とし前をつけるということ・・・・・だったような気がします。  

娘時代の自分のワガママの余韻を放つ、物置の中に眠っていた現代の価値観からすると「サイドテーブルとしての格も落ちれば実用的とも言えない」テーブルを目にし、娘時代の自分の悪行と切っても切れない関係にある「コウコ」という名前、そして天使の名を持ちながらも案外獰猛なエンジェルフィッシュの所業を目にするという3点セットによって、さわちゃんの心の奥深くに封印されていた「苦い思い出」とそれに対する「謝罪の念」が表出してきた・・・・・そんな物語だと思います。

 

ここのところ梨木さんの本を読んでいる KiKi ですが、彼女のエッセイの中には時々「たのしい川べ (原題:The Wind in the Willows)」について言及されている箇所があります。  KiKi も子供時代には2,3回は読んだことがあるこの本。  でも、最近ではどんな物語だったかはっきりと思い出すことができません ^^;  このブログのそもそもの企画「岩波少年文庫全冊読破計画」も最近ではサボリ気味・・・・ということもあり、せっかくの機会・・・・ということもあり久々に手に取ってみることにしました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

たのしい川べ
著:ケネス・グレーアム 訳:石井桃子  岩波少年文庫

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人里はなれた静かな川べで素朴な暮らしを楽しんでいるモグラやカワウソたち。  わがままで好奇心旺盛なヒキガエル。  小さな動物たちがくりひろげるほほえましい事件の数々を、詩情ゆたかに描いた田園ファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

そうそう、こんなお話だった!!  読み進めていくうちにこの本を初めて読んだ小学生の頃に気持ちが少しずつ戻っていくようで、なんだかくすぐったいような、甘酸っぱいような不思議な感覚でした。  出てくる動物の種類は違えども新美南吉の本を読んでいるときと同じような、著者の小さな動物(命)に寄せる暖かい眼差しに気分がホンワカしてきます。  と、同時にこの本は「自然賛歌」の本でもあり、「家賛歌」の本でもあるように感じます。  「田園ファンタジー」という言葉がいったいいつ頃できて、市民権(?)を得たのか、そしてそれが意味するものが何なのか、正直なところ KiKi にはよくわからないけれど、ポコリ、グブリ、ボコッというような水音が今にも聞こえてきそうな自然描写に思わず頬も緩みます。

イマドキの感覚からすればこの物語の主人公は「波乱万丈ヒキガエル」になりそうなところですが、実際のところは穏やかにゆったり(?)と日々を過ごしているネズミ君とモグラ君。  実際、訳者の石井桃子さんがこの本を始めて翻訳されたときの邦題は「ヒキガエルの冒険」というタイトルだったのだそうです。  (日本に初めて紹介されたのは中野好夫さんの抄訳で「たのしい川べ」だったらしい)  でもね、KiKi にとってこの物語の主役はどう転んでも、やっぱりネズミ君とモグラ君なんですよね~。

  

今日も KiKi はLothlórien_山小舎に来ています。  つい先ほどまでは庭に出ていたのですが遠くから雷がゴロゴロと鳴り始め・・・・・と思ったらあっという間にまるで東南アジアのスコールのような大雨が・・・・・。  大慌てで洗濯物を取り込み、濡れた身体を拭いてお茶をいっぱいいただいている間にその雨は通り過ぎ、今は夕方の日差しがまぶしく鳥たちが姦しい・・・・・ ^^;  何だか変なお天気ですよね~。  ま、この時間になってしまうと虫たちも大活躍し始めるのでそのままあがって PC に向かっています。  で、せっかくならば昨晩読了した本についてのブログ更新・・・・・と。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

春になったら苺を摘みに
著:梨木香歩  新潮文庫

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「理解はできないが、受け容れる」それがウェスト夫人の生き方だった。  「私」が学生時代を過ごした英国の下宿には、女主人ウェスト夫人と、さまざまな人種や考え方の住人たちが暮らしていた。  ウェスト夫人の強靭な博愛精神と、時代に左右されない生き方に触れて、「私」は日常を深く生き抜くということを、さらに自分に問い続ける―  物語の生れる場所からの、著者初めてのエッセイ。  (文庫本裏表紙より転載)

「理解はできないが、受け容れる」  さらっと書いてあるこの言葉は人間にできる最大限の寛容の精神の行動パターン。  KiKi もね、もっとずっとず~っと若い頃は「人は言葉を操ることができる知的な動物なんだから、心をこめて、時間をかけて、じっくりと話し合うことさえできれば分かり合えるはず・・・・  今は時代が忙しすぎて時間をかけてじっくりと話し合うことができないのが問題」だと思っていたようなところがあります。  でもね、ある年齢を過ぎてからそれが幻想に過ぎないということに気がついたんですよね~。

だいたいにおいて「分かり合える」と思うこと自体が不遜・・・・というか、自意識過剰なんじゃないか?  そんな風に感じ始めたのは、このエッセイの中で著者が経験されたのと似たような海外の人たちとの接点を持つ機会を得てからのことでした。  でもね、当初はそれでもしつこく「いやいや、食文化も精神文化も異なる国の人たちとはなかなか分かり合えない部分も多いけれど、似たような食文化・精神文化のアジアの人たちとなら・・・・・」「いやいや、やはり国が異なれば似ているといっても限界があるから、同じ日本人同士なら・・・・・」「いやいや、世代が違うと体験してきた文化レベルが違うから日本人の同世代人となら・・・・・」というように少しずつ、少しずつ、そのエリアが狭まっていきました。

でも、今の KiKi は「同じ国に生まれ、同世代で、同じ地域で似たような環境で育ってきた人であってさえも、分かり合えるというのは錯覚にすぎない」とさえ思っています。  あ、別にその努力を放棄しようと思っているわけではないんですよね。  ただ、「分かり合えるはず」という思い込みは危険なもの・・・・・と捉えているとでも言いましょうか・・・・・。 

この本を読んで最初に感じたこと。  それは著者の梨木さんは KiKi とは違って「分かり合いたい」という気持ちは強いものの、どこかで最初から「それは幻想である」とわかってしまっていた人のような気がしました。  どちらかというと不器用で、常に「一般的」と呼ばれる何か・・・・とはほんの少しだけ距離を置いてきた(というより距離感を抱えていた)人だったんじゃないか?  ある種、現代の普通の日本人社会にどこか違和感を持ち続けてきた人だったんじゃないだろうか?と。  そして、そこから這い上がりたいが故に、諦め切れないが故に、生き様として「深く生きる」という方向性を志向されていらした人だったのではないか?と。

   

りかさん 梨木香歩

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「からくりからくさ」の前日譚という位置づけの「りかさん」。  たまたま「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」を入手してしまったため、この本を読んでいる途中でそちらに寄り道し、少しだけ間があいてから続きを読み進める・・・・という読書法(?)になってしまったこの本ですが、途中で何ら戸惑うこともなく、なんとか読了することができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

りかさん
著:梨木香歩  新潮文庫

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リカちゃんが欲しいと頼んだようこに、おばあちゃんから贈られたのは黒髪の市松人形で、名前がりか。  こんなはずじゃ。  確かに。  だってこの人形、人と心を通わせる術を持っていたのだ。  りかさんに導かれたようこが、古い人形たちの心を見つめ、かつての持ち主たちの思いに触れた時――。  成長したようことその仲間たちの、愛と憎しみと「母性」をめぐる書下ろし「ミケルの庭」併録。  (文庫本裏表紙より転載)

市松人形を目にすることがほとんどなくなってどのくらいになるのでしょうか?  実際 KiKi も子供時代には市松人形をもっていなかったし、KiKi の子供時代がおそらく「リカちゃん人形」のハシリの時代だったと思うんだけど、 KiKi もようこと同じように「リカちゃんが欲しい」とねだった(≒「市松人形を欲しい」とはねだらなかった)ことを懐かしく思い出しました。  KiKi の子供時代であってさえも古い(格式のある?)お宅とかおばあちゃんが同居しているお宅でこそたま~に見かける不思議な人形が市松人形だったんですけど、最近ではめっきり見かけることがなくなったように思います。

でもね、市松人形って「リカちゃん」よりももっとず~っと長い歴史があって、日本人にとっては親しいものだったはずなんですよね。  「リカちゃん」と同じように着せ替え人形でもあったし、「リカちゃんハウス」と同じように、そしてこの物語のりかさんと同じようにお仕度(いわゆる専用の食器、履物等々のお道具類)もあって、ついでに「お裁縫」の練習台という使われ方もしてきたお人形なんですよね。  ある意味では「買ってきた洋服を着せ替えるだけ」という感もなきにしもあらず・・・・の「リカちゃん」以上にもっともっとず~っと日本の女の子の日常に近しい存在だったもの・・・・・だったはずなんですよね~。

そんなお人形であるだけに、恐らく KiKi が子供時代にやっていた「お人形遊び」よりも、もっとず~っと深いところで持ち主の女の子と密着していた存在だっただろうと思われるし(少なくとも KiKi は自分のお人形の洋服を自分で仕立てたことはただの一度もなかったし 苦笑)、そうであるだけにこの物語の主役「りかさん」が話すことができるという設定には現代の女の子の「お人形遊び」でのお喋り以上に深いものを感じます。

 

KiKi はE-Bookoff をよく利用し、ここで送料無料になる1,500円以上分の本を注文しています。  このショップが気に入っている理由は自分が欲しいと思っている本を検索し、在庫があればすぐ購入できるのみならず、もしも在庫がない場合には「入荷通知メール」をもらえるようにしておくと、その本が入荷した際にメールをもらえること。  実店舗の(会社組織は別みたいですが)BookOff もよく利用するのですが、いつ入荷するかわからないというのが最大の難点で、定期的に通わないと入荷時期を逃してしまうし、定期的に通うと、本屋さんやCDショップからは手ぶらで帰ってきたことのない(^^;)KiKi の習性ゆえに、探していた本とは別の本をついつい購入してしまい、ふと気がつくと当初予定していた目的本が入荷する頃には「予算不足」ということになって臍をかむ・・・・ということが起こりがちなんですよね~。  

ま、そんなこんなで、梨木作品を読み続けようと思っていた矢先にこの本の入荷通知を受け取った KiKi は早速発注。  入手してしまった以上、どうしても読まずにはいられなくなって、「りかさん」を読んでいる途中で急遽、こちらに着手し、昨日読了しました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
著:内山節  講談社現代新書

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かつては、日本のキツネが暮らしている地域では、人がキツネにだまされたという話は日常のごくありふれたもののひとつだった。  それも、そんなに昔の話ではない。  キツネに悪さをされた。  キツネに化かされた。  そういった話は、いまから五十年くらい前の二十世紀半ばまでは、特にめずらしいものではなかった。...  ところが一九六五年頃を境にして、日本の社会からキツネにだまされたという話が発生しなくなってしまうのである。  一体どうして。  本書の関心はここからはじまる。  そのことをとおして、歴史学ではなく、歴史哲学とは何かを考えてみようというのが、本書の試みである。  (新書本裏扉より転載)

このタイトルが今の KiKi にとってキャッチーだった理由のひとつは、5月に上橋菜穂子さんの「狐笛のかなた」を読んだときに感じた

「太古からの日本文化の中でお狐さまとはどんな存在だったのだろうか?」

という疑問、そして、

神社とかお稲荷さんで「お狐さま」を何度も見かけているくせに、日本人の文化の中で「お狐さま」はどんな存在だったのか、「お狐さま」にどんな想いを抱いてきたのかに関してはまったくと言っていいほど無知であることにあらためて気がつかされた

という想いがあったから だと思うんですよね。  で、内山さんの著作リストを見ていて、このタイトルに目が留まり、「そういえば昔語りには狐にだまされたっていう話がいっぱいあったなぁ」と今更ながら思い出し、さらに、新美南吉のお話には「ごんぎつね」といい、「てぶくろを買いに」といい、狐がたくさん出てくるなぁと。  ところが、実際のところ KiKi は野生のきつねというのを自分の目で見たことがなくて、見たことがあるのはTV番組(ネイチャー番組系)で紹介されるキツネの姿か、図鑑や本に掲載されている写真か絵だけなんだよなぁ・・・・・と今更ながら思い至ったのです。  

昔語りにあれほど頻繁に出てくるキツネ。  神社やお稲荷さんでも石像や木像を数多く見かけるキツネ。  日本人とキツネの間の関係って昔はかなり近しいものがあったはずで、「だます」「だまされる」はともかくとして、その近しかったはずのものが映像か作り物の像だけになってしまったのはどうしてなんだろう?  KiKi はLothlórien_山小舎付近の林や森の中でも未だに「キツネ」には遭遇していないんだけど、それはなぜなんだろう??  環境破壊の一つの例なのかもしれないけれど、それだけではない「何か」がそこにあるような気が漠然としていました。  でもそれが「何なのか」はまったくわからない・・・・・。  ま、そんなときに出会ったこの本のタイトルだったわけです。  

        

せっかく梨木香歩さんの世界に「裏庭」で戻ったので、もう1冊、続けて読み進めてみることにしました。  てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

からくりからくさ
著:梨木香歩  新潮文庫

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祖母が遺した古い家に女が四人、私たちは共同生活を始めた。  糸を染め、機を織り、庭に生い茂る草が食卓にのる。  静かな、けれどたしかな実感に満ちて重ねられてゆく日々。  やさしく硬質な結界。  だれかが孕む葛藤も、どこかでつながっている四人の思いも、すべてはこの結界と共にある。  心を持つ不思議な人形「りかさん」を真ん中にして―。  生命の連なりを支える絆を、深く心に伝える物語。  (文庫本裏表紙より転載)

なんとも美しい装丁の本ですよね~。  文庫本の装丁でこんなにきれいなものは「梨木作品」特有の現象(?)のような気がするのは気のせいでしょうか?  昨今ではLOHASだのスローライフだのという言葉が大流行で、表面的にはこの物語で描かれている世界に誰もが目を向け始めているかの如き風潮が跋扈しているように感じているのですが、その世界とここで描かれている女性4名の暮らしは似て非なるものだと思います。  何ていうか、「根っこがある」「ない」の違いのようなものを感じます。

KiKi はね、現代のブームのようになっている LOHAS や スローライフ にはかなり懐疑的なんですよね。  話にちょっと大きな飛躍があるかもしれないけれど、昨今の風潮になっている LOHAS や スローライフ にはどこかマリー・アントワネットのプチ・トリアノンに設けられた「王妃の村里」(ル・アモー)みたいな雰囲気を感じずにはいられないんですよね~。  素朴さ、自然とのふれあいをファッションにしてしまっているとでも言いましょうか・・・・・。  そこに悪意がないのはアントワネットさんも、現代人も同じだとは思うんだけど、なんと言うかそこに「必然性」・・・・みたいなものが感じられず、単なる「非日常イメージ」の異形っていう感じがして仕方ないんですよね~。  かつてはその対象が「ブランド物」だったのが、「LOHAS や スローライフ」に変化しただけ・・・・というような気がするんですよね。

それに対し、この物語に出てくる4人の女性、その中でも特に蓉子さんの生活はもっと「必然性」に根ざしていて、生き方そのものに浮ついたものが欠片も見受けられず、そうであるだけに「澄んだ美」のようなものが漂います。  そしてその「澄んだ美」は梨木さんの美しい文体・自然観と相まってまるで静かに流れる「弦楽四重奏」のような落ち着きを醸し出しているように感じます。

 

2010年6月の読書のまとめです。  6月から1ヶ月の目標読了数を15冊に変更してみた(それまでは10冊だった)のですが、今月は1冊足りなかったみたいです ^^;  ま、いたずらに冊数をこなすつもりはないので、いいんですけど・・・・・。  

う~ん、今月はちょっと児童書が少なかったですねぇ・・・・・・。

 

6月の読書メーター
読んだ本の数:14冊
読んだページ数:3625ページ

裏庭 (新潮文庫)裏庭 (新潮文庫)
う~ん、これはなかなか難しい本ですねぇ・・・・。  まず構成の仕方という点では KiKi の大好きな作家の1人、M. エンデの「はてしない物語」風。  庭という異世界を構成しているという点では、P. ピアスの「トムは真夜中の庭に」風。  「秘密の花園」の匂いもあれば、「不思議の国のアリス」の匂いもあるし、「ムーミン」から登場人物だけちょっと拝借・・・・という感じで、他にも古今西(東西ではない)の子供時代から馴染みの「数多の物語」の残り香が香るお話だと思います。  でも、それらの物語と決定的に違うのは、この
読了日:06月29日 著者:梨木 香歩


森は生きている (講談社青い鳥文庫 (76‐3))森は生きている (講談社青い鳥文庫 (76‐3))
良書だと思います。  とても考えさせられる内容の本です。  でも・・・・・・。  どことなく「川は生きている」の2番煎じ・・・・・という感もなきにしもあらず・・・・です ^^;  結局は「治水」と「森林」の関係に話が落ち着いていってしまうところが、正直なところちょっぴり期待はずれでした。  とは言うものの、スサノオノミコトが「植林の神様」だったというのは、日本人でありながらギリシャ神話や北欧神話ほどには日本神話に親しくない KiKi にとって、「へぇ! x 10」 ぐらいのインパクトがあり、そのお話を知る
読了日:06月29日 著者:富山 和子


道は生きている (講談社青い鳥文庫)道は生きている (講談社青い鳥文庫)
こちらは「自然と人間シリーズ」の中の1冊と言いつつも、昨日読了した「川」とは異なり、長い歴史の中で人間が築いてきた、言わば人工物の「道」のお話です。  人間はどうやって道を築いてきたか、道は人間に何をもたらしてきたか、人間と道はこれからどのように関わっていくべきかということが、これまた難解な言葉を排し、具体的な例を挙げながら綴られています。 あとがきによれば著者の富山和子さんは「交通の研究」を長くされていらしたとのこと。  「川は生きている」のあとがきで書かれていた川とは地図に描かれた1本の線としてとら
読了日:06月24日 著者:富山 和子


川は生きている (講談社青い鳥文庫 (76‐1))川は生きている (講談社青い鳥文庫 (76‐1))
この本は副題として「自然と人間」が冠され、この「川は生きている」と「道は生きている」「森は生きている」の3冊でシリーズ化(?)されている中の1冊です。  対象年齢は小学校中級以上。  ま、そんな対象年齢が設定されているだけに活字は大きいし、ひらがなは多いし、本当にあっというまに読み終えてしまうのです。  もっともこれだけひらがなが多いと正直大人にはちょっと読みにくい観があるんですけどね(笑)。  
読了日:06月23日 著者:富山 和子


戦争という仕事戦争という仕事
この本で語られていることは、すでに読了した「創造的であるということ」の上、下2巻で語られていることとほとんど大差はないなぁというのが率直な印象です。  ただ、それを新聞連載のエッセイとしてとても短い文章で小気味良く、難解な言葉を廃して(これは「創造的であるということ」とも共通することですが・・・・)書かれているので、あとがきも含め333ページの比較的重量感のある本のわりにはサクサクと読み進めることができます。 内容的には KiKi がずっと抱え続けてきたいくつかの命題にある種の目線を与えてくれる本だし、1
読了日:06月21日 著者:内山 節


里の在処里の在処
どうも都会の人というのは田舎を「自然を愛でる場所」「慌しい都会とは異なりゆったりと時間が過ぎる場所」「癒しを求めて行く場所」というプロトタイプで見過ぎているような気がします。  でも実際の田舎暮らしっていうのは「自然を感じながら自然と折り合いをつけながら自然を体感する場所」ではあっても「自然を観賞する場所」ではないし、「ゆったりと時間が過ぎる場所」でもないし、観光ならいざ知らず、暮らすともなれば「癒しがどうしたこうした」な~んていうことを考えていられるほど悠長な世界ではなく「今、この時にやらなければならな
読了日:06月17日 著者:内山 節


「創造的である」ということ〈下〉地域の作法から (人間選書)「創造的である」ということ〈下〉地域の作法から (人間選書)
う~ん、こちらもなかなか読み応えがありました。  読了して第一の感想としては、「ああ、この人のものの考え方と KiKi のものの考え方はかなり似ているところがあるな。」ということです。  多分問題意識の持ち方とか、「人間って何?」とか「人間の理想的(?)な生き方ってどうよ?」みたいなある意味一文の得にもならないことをああじゃこうじゃと考えるところも、その命題に対する自分なりの立ち位置の導き方も学者さんである内山さんのほうが理路整然とはしているけれど、かなり似ているような気がします。  ついでに「ごちゃごち
読了日:06月17日 著者:内山 節


「創造的である」ということ〈上〉農の営みから (人間選書)「創造的である」ということ〈上〉農の営みから (人間選書)
KiKi がLothlórien_山小舎での暮らしを指向し始めた頃、KiKi はいくつかの疑問を自分の中に抱えていました。  その一番核にある問題意識。  それは「自分はいったい何をやっているんだろう???」というものでした。 そんなときに再読したのがミヒャエル・エンデの「モモ」でした。 当時はまだまだ整理できていなかった読後感を行動レベルで突き詰めていった行く手にLothlórien_山小舎がありました。 でもね、KiKi は内山さんのように1つのことを突き詰めて考える「哲学者的」な根気には欠けるために
読了日:06月16日 著者:内山 節


万葉集入門 (岩波ジュニア新書)万葉集入門 (岩波ジュニア新書)
この本はね、KiKi がLothlórien_山小舎に居を構えて以来、いつかは読んでみたいと思っていた本の1冊です。  「Lothlórien_山小舎」と「万葉集」。  その接点がどこにあるかっていうとね、日本最古のこの歌集には「東歌」というジャンルがあるんですよね~。  「東歌」というのは万葉集の巻十四の一巻に収められていて、238首あるんだけど、そのすべてが作者不明。  まあ、このこと自体は万葉集の全歌数のほぼ半数が作者不詳であることから、不思議でもなんでもないんだけど、その東歌のうち、国が銘記された
読了日:06月13日 著者:鈴木 日出男


文化人類学入門 (中公新書 (560))文化人類学入門 (中公新書 (560))
たまたま上橋菜穂子さんに出会って、強烈にインスパイアされて、そしてその上橋さんのもう1つの顔が「文化人類学者」であるということを知らなかったら、決してこのタイミングでこの本を手に取ることはなかっただろうなぁと思うんですよね。  でもね、同時に思うのは恐らく KiKi は人生の中のどこかでこの本には手を出していただろうなぁ・・・・・ということ。  この本こそ、KiKi は高校生の頃に読んでおきたかったような気がします。  KiKi がやりたかった学問は実はこれだったかもしれない・・・・・と思うんですよね~。
読了日:06月11日 著者:祖父江 孝男


銀のスケート―ハンス・ブリンカーの物語 (岩波少年文庫)銀のスケート―ハンス・ブリンカーの物語 (岩波少年文庫)
(再読)この本はねぇ、子供の頃学校の図書館で読んで、当時はまだオランダという国のことをよく知らなかったんだけど、小説なのか、オランダ紹介本なのか、はたまたオランダ旅行記なのかよくわからない(^^;) ようなところがあるこの本を読み進めながら、想像力をたくましくしていたことを思い出すんですよね~。  と同時にこの本の中でも紹介されている「ハールレムの英雄」というお話(1人の少年がふとしたことで見つけた堤防の水漏れを大災害を予防するために自分の手でふさぐというお話)は、今となっては記憶が定かじゃないんだけど、
読了日:06月10日 著者:メアリー・メイプス ドッジ


ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)
カエサルの残した「ガリア戦記」や「内乱期」以前の物語にも章を割いているのが塩野さんのこの「ローマ人の物語」の楽しいところではないでしょうか?  どちらかというとシニカルな目線を持っていらっしゃる(・・・・と KiKi は感じているのですが)塩野さんの真骨頂なのが「カエサルと金」、「カエサルと女」の章だと思うんですよね。  KiKi はね、人の持っている本質的な部分っていうのはそれが「仕事」に於いても、「私生活」に於いても、「恋愛」に於いても共通して表れると思っているんだけど、そういう観点でこの2つの章を読
読了日:06月07日 著者:塩野 七生


ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫)ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫)
カエサルの残した「ガリア戦記」や「内乱期」以前の物語にも章を割いているのが塩野さんのこの「ローマ人の物語」の楽しいところではないでしょうか?  どちらかというとシニカルな目線を持っていらっしゃる(・・・・と KiKi は感じているのですが)塩野さんの真骨頂なのが「カエサルと金」、「カエサルと女」の章だと思うんですよね。  KiKi はね、人の持っている本質的な部分っていうのはそれが「仕事」に於いても、「私生活」に於いても、「恋愛」に於いても共通して表れると思っているんだけど、そういう観点でこの2つの章を読
読了日:06月02日 著者:塩野 七生


ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)
カエサルの残した「ガリア戦記」や「内乱期」以前の物語にも章を割いているのが塩野さんのこの「ローマ人の物語」の楽しいところではないでしょうか?  どちらかというとシニカルな目線を持っていらっしゃる(・・・・と KiKi は感じているのですが)塩野さんの真骨頂なのが「カエサルと金」、「カエサルと女」の章だと思うんですよね。  KiKi はね、人の持っている本質的な部分っていうのはそれが「仕事」に於いても、「私生活」に於いても、「恋愛」に於いても共通して表れると思っているんだけど、そういう観点でこの2つの章を読
読了日:06月01日 著者:塩野 七生



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