りかさん 梨木香歩

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「からくりからくさ」の前日譚という位置づけの「りかさん」。  たまたま「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」を入手してしまったため、この本を読んでいる途中でそちらに寄り道し、少しだけ間があいてから続きを読み進める・・・・という読書法(?)になってしまったこの本ですが、途中で何ら戸惑うこともなく、なんとか読了することができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

りかさん
著:梨木香歩  新潮文庫

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リカちゃんが欲しいと頼んだようこに、おばあちゃんから贈られたのは黒髪の市松人形で、名前がりか。  こんなはずじゃ。  確かに。  だってこの人形、人と心を通わせる術を持っていたのだ。  りかさんに導かれたようこが、古い人形たちの心を見つめ、かつての持ち主たちの思いに触れた時――。  成長したようことその仲間たちの、愛と憎しみと「母性」をめぐる書下ろし「ミケルの庭」併録。  (文庫本裏表紙より転載)

市松人形を目にすることがほとんどなくなってどのくらいになるのでしょうか?  実際 KiKi も子供時代には市松人形をもっていなかったし、KiKi の子供時代がおそらく「リカちゃん人形」のハシリの時代だったと思うんだけど、 KiKi もようこと同じように「リカちゃんが欲しい」とねだった(≒「市松人形を欲しい」とはねだらなかった)ことを懐かしく思い出しました。  KiKi の子供時代であってさえも古い(格式のある?)お宅とかおばあちゃんが同居しているお宅でこそたま~に見かける不思議な人形が市松人形だったんですけど、最近ではめっきり見かけることがなくなったように思います。

でもね、市松人形って「リカちゃん」よりももっとず~っと長い歴史があって、日本人にとっては親しいものだったはずなんですよね。  「リカちゃん」と同じように着せ替え人形でもあったし、「リカちゃんハウス」と同じように、そしてこの物語のりかさんと同じようにお仕度(いわゆる専用の食器、履物等々のお道具類)もあって、ついでに「お裁縫」の練習台という使われ方もしてきたお人形なんですよね。  ある意味では「買ってきた洋服を着せ替えるだけ」という感もなきにしもあらず・・・・の「リカちゃん」以上にもっともっとず~っと日本の女の子の日常に近しい存在だったもの・・・・・だったはずなんですよね~。

そんなお人形であるだけに、恐らく KiKi が子供時代にやっていた「お人形遊び」よりも、もっとず~っと深いところで持ち主の女の子と密着していた存在だっただろうと思われるし(少なくとも KiKi は自分のお人形の洋服を自分で仕立てたことはただの一度もなかったし 苦笑)、そうであるだけにこの物語の主役「りかさん」が話すことができるという設定には現代の女の子の「お人形遊び」でのお喋り以上に深いものを感じます。

 

どうしてこの物語の「りかさん」は「リカちゃん」ではなく市松人形でなければならなかったのか・・・・・。  ここがこの物語のポイントのような気がするんですよね。  「リカちゃん」と「りかさん」の一番大きな違い・・・・・と言い換えてもいいかもしれません。  それは端的に言ってしまえば、「一代限りの女の子の遊び相手(≒ 使い捨てのモノ)」か「何世代かの女の子の遊び相手(≒ 人間の歴史を沁み込ませたモノ)」かの違いだと思うんですよ。

思い起こせば KiKi はいわゆる「核家族」で育ち、祖父母とも同居したことがなく、更には両親が2人とも東京出身だったため空襲ですべてを失ってしまったという家に生まれ育ちました。  そうであったために、「お雛様」にしろ、「着せ替え人形」にしろ、「母も使っていた」「祖母も使っていた」というような歴史あるものとの接点が何一つない中で育ちました。(洋服だけは親戚のお姉さんのお古ばっかりだったけれど・・・・ ^^;)  でね、今にして思うと KiKi の子供時代に市松人形を持っていたお宅というのはそんな家族構成の家ではなくて、お爺さん・お婆さんが同居していたり、先祖代々その家で暮らしていたり、家自体もそれなりの歴史を経てきた(築何十年、百年越えというような)お宅だったように思うんです。  

そんなお宅で何世代かの女の子の大切な友達だった人形ともなれば、そこには多くの想い出や記憶の欠片、時代の匂い、家族の積み重ねてきた時間の重さ・・・・・みたいなものを纏っていた一種独特の雰囲気を持っていたものだっただろうことは、文字で読む以上の説得力をもって KiKi にはヒシヒシと感じられるような気がします。  これがおもちゃ屋さんで自分のために新品を購入されたお人形となればそんな「歴史を積み重ねてきた匂い」のような風情は皆無で、そこに何らかの物語を感じるな~んていうことは夢物語以上でも以下でもないように思うんですよね。  

「――人形のほんとうの使命は生きている人間の、強すぎる気持ちをとんとん整理してあげることにある。木々の葉っぱが夜の空気を露にかえすようにね」

「気持ちは、あんまり激しいと、濁っていく。  いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取っていく。  これは技術のいることだ。  なんでも吸い取ればいいというわけではないから。  修練を積んでない人形は、持ち主の生気まで吸い取りすぎてしまうし、濁りの部分だけ持ち主に残して、どうしようもない根性悪にしてしまうこともあるし。  だけど、このりかさんは、今までそりゃ正しく大事に扱われてきたからとても気立てがいい。」

ようこのおばあちゃん、麻子さんのこの言葉にある「人形は人間の強すぎる気持ちをとんとん整理してあげることにある」ということは見た目こそ「子供」のお人形ではあっても、実はそのお人形と遊んでいる女の子(≒ようこ)よりも長生きで、何世代かの女の子が日々話しかけたり、食事の用意をしたり、着替えをさせたり、髪をくしけずったり、お道具を揃えたり、衣装を誂えたりして、知らず知らずのうちに歴代の持ち主が自分の感情をそこに深く込めてきた存在だからこそ為すことができる仕業であり、そうであるだけに愛情たっぷりと扱われてきたりかさんは気立てがいいと言い切れるんだろうなと思うんですよ。

日本には古来から八百万の神々の信仰があります。  KiKi の理解では、この信仰のキモはこの世に存在するありとあらゆるものに「神」とか「精霊」のたぐいの何かが宿っていて、粗末に扱ったり、年を経て供養してあげなかったりすると妖怪になって人に悪さをするようになるし、逆に常にそれらのありとあらゆるものに感謝の念を持ち続け、敬い、大切に扱い、年月の中で必要とされる供養を怠らないことを戒める考え方なんじゃないかと思うのですが、食べ物や生活用具や果ては道ばたに転がる石ころにさえその「神」や「精霊」の「心」のようなものが宿るという思想の先には、人の姿に似せてつくられた人形に込められた人々の想いの重さたるや半端なものじゃないなぁ・・・・と思わずにはいられません。

この作品の中のようこのように人形の声を聞いたり、りかさんを通じて人形が宿し、秘めている心を感じ取るというお話は現代的な価値観、合理的な考え方と比べてみるとあまりにも非合理的、証明不能ないかにも乙女チックな幻想のように感じられなくもないけれど、実はようこは人形を相手にしながらも、その人形の背後にある人々の歴史、その人々がとある場面で感じた強い感情と交信していると考えれば、麻子さんの言う

「人形遊びをしないで大きくなった女の子は、疳が強すぎて自分でも大変」

と語る言葉の重みがぐ~んと増すように感じられます。  人は誰もがもてあましてしまう感情を持つタイミングというものがあるわけで、それを1人だけで持ち続けていくのはとても辛く大変なことだと思うんですよね。  強すぎる想いを受け止めてくれる相手は人の成長過程ではどうしても必要な存在だと思うんですよ。  そしてその相手は人間であればベストだけど、「親」という近すぎる存在よりはちょっとだけ離れた「祖父母」というのはかっこうの相手だし、さらには多くの人を想いを無言のうちに受け止めてきた「人形」というのも次善策・・・・・なのかもしれません。

この物語にはりかさん以外にも多くの人形が出てきます。  りかさんというスクリーンを通してそれらの人形と交信することができるようになったようこですが、彼女が垣間見た人形たちの世界は、場合によると人間たちの世界以上に多様で、そしてにぎやかでさえあります。  でも中には静かな人形もいます。  冠という肩書きを無くしたままの雄雛も然り、ようこの家に居座ってしまった背守りも然り、かたく口を閉ざしたままの汐汲も然り、そして悲しい過去を持つアビゲイルも然り。  ようこはそんな口の重い人形たちの心を知りたくなります。  人形でありながら人間以上の心を宿したりかさんと、人間でありながら「りかさん」経由で人形の世界と交信する術を得たようこ(& 麻子さん)により、頑なだったそれらの人形の抱える想い(≒ その人形の持ち主であった人の心)を、時を越えて癒していく様子には思わず「ほっ」とため息をついてしまいました。  

読了して思うこと。  それは現代では当たり前になってしまった「核家族」という家族形態が無意識の中で失ってきたものは、目に見えているものよりもずっと深いものだったのかもしれない・・・・・ということです。  ひょっとしたら日本人の心の核・・・・のようなものは、大家族の中で、代々受け継がれていくある種古臭いモノや習慣の中で、育てられてきたものなのかもしれません。  そして意識する、しないは別にしてそのことに早いうちに気がついたようこのような女の子だけが、人間ばかりではなく、人形や自然、その他いろいろなものの雰囲気を敏感に感じ取ることができ、そこに自分を違和感なく融け込ませ慈しむ心を自然と滲ませることができ、心根の優しい誰からも「叶わない」と思われ慕われる「からくりからくさ」の蓉子のような人になれるのかもしれません。

 

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2010年7月 8日 22:38に書いたブログ記事です。

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