2010年9月アーカイブ

せっかく「松岡正剛千夜千冊フォロー」のカテゴリーを作成し、その Index まで完成させた(これが半端じゃない冊数で案外大変だった!)のに、全然フォロー活動に着手していない KiKi。  これはある程度計画的に読み始めていかないと、冗談抜きでこちらの寿命が追いつきません。  まあ、それがメインの読書カテゴリーじゃないからいいと言えばいいんですけど、作っちゃった以上はせめて手がけるぐらいの前向きな姿勢が必要なのが人の世の良識っていうモンではないかと・・・・・ ^^;  で、あらためて作っちゃった Index を第1夜からじっくりと見直し・・・・・・と思ったら、その第1冊で引っかかってしまいました。  第1夜は中谷宇吉郎さんの「雪」だったんですねぇ。

で、そのままそこへ進むんだったらこの(↑)良識に沿った読書活動となったりもするわけですが、同時進行で「岩波少年文庫全作品読破企画」を遂行中の KiKi のこと。  ここで気がついてしまうわけですよ。  そう言えば岩波少年文庫に「雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集」っていうヤツがあったなぁ・・・・と。  ま、てなわけで、「そろそろ松岡さんフォロー企画にも手をつけなくちゃ♪」と考えた矢先に「岩波少年文庫企画」に寄り道です(苦笑)。

雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集
編:池内了  岩波少年文庫

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雪の結晶の美しさに魅せられた物理学者・中谷宇吉郎。  「雪の十勝」「雷獣」「立春の卵」「線香花火」「地球の円い話」「イグアノドンの唄」「湯川秀樹さんのこと」など、科学のおもしろさや科学者たちとの交流について語るエッセイ21編。  (文庫本裏表紙より転載)

この本の大元のエッセイを書かれた中谷宇吉郎博士って、以前 KiKi が同じく岩波少年文庫で読んで「しまったぁ~!!  この本はもっと早く読んでおきたかったぁ!!!!」と後悔(?)した「科学と科学者のはなし」の寺田寅彦さんのお弟子さんだったんですねぇ。  最初に「あとがき」から読んで、その一事をもってして俄然この本に興味を持った KiKi。  ついでに言うと、この本の後には「千夜千冊」の「雪」が待ち構えているわけですから、かなりの期待感で胸を膨らませながら、読み進めていきました。

が・・・・・・・・

正直なところ、中谷宇吉郎さんの文章には寺田寅彦さんの文章ほどには興味も感銘も受けなかったことをまずは白状しておきたいと思います。  これは偏に KiKi が根っからの理系人間ではないことに原因があるのかもしれません。  寺田さんの文章にはさすが夏目漱石の直弟子だっただけのことはあって、なんと言うか文系人間にも受け容れやすいある種の「語法」のようなものが備わっているのに対し、こちらの本はどちらかというとやっぱり理系頭脳の人の文章っていう感じがそこかしこに漂っているんですよね~。

もちろんすべてのエッセイからバリバリ理系臭が放たれているわけではなくて、ところどころにとても興味深い話も書かれていたりするのですが、どちらかというと、ものすご~くおりこうさんの男の子が優れた指導者の元でしっかりと纏め上げた「夏休みの自由研究 理科編」のレポートみたいな感じがするんですよね。  

寺田さんのエッセイをまとめた「科学と科学者のはなし」の方は、身の回りの様々な出来事に対して、どんな「科学者の着眼点」があるのかということを、本当に楽しく書いてくれていて「ほうほう、なるほど、なるほど。  それは気がつかなかったけれど、そう言われてみると知りたい!  知りたい!!  で、どうして????」と素人をうま~く導入してくれているようなところがあるんですけど、中谷さんのこちらのエッセイの方は、そこがある意味あっさりしていて、テーマありき・・・・みたいなところがあるように感じられるんですよ。  で、その後の実験過程とか物理の小難しい話みたいなところを丁寧に比較的平易な文章で書いてくださっているんだけど、テーマそのものに興味が持てないとその後に書かれていることはなかなか身を入れて読み進められないし、実験過程をいろいろ読まされても、実験って言うのは自分でやってみて初めて面白さがわかるようなところがあるから、何となく字面を追って終わってしまうんですよね~。  

 

薪ストーブの大掃除

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この週末、KiKi はずっとやり忘れていたこと(と言うよりやらなくちゃいけないと思いつつ先延ばしにしてきたこと)にようやく手をつけました。  その理由はここへきて急に冷え込みが激しくなってきた、Lothlórien_山小舎の気候だっていうのがあまりにも悲しいんですけどね(苦笑)。  ついこの間まで「あっついぃ~!!」と叫んでいたのに、いきなり初冬といった雰囲気の山の気候に慌てふためき、これはこれ以上の先延ばしは無理!とばかりに、ようやく重い腰をあげるに至ったのです。  それは「薪ストーブの大掃除」です。

とは言うものの、KiKi は薪ストーブビギナーなので、これまでに自力でやってみたことなど当然ありません。  約1年半前に薪ストーブ掃除はやったものの、その時は業者さん任せでした。  一応、その間ず~っと横に張り付いて手順を見てはいたのですが、めっきり衰えた記憶力では何をどうすればいいのかもはやオボロゲ・・・・というあまりにも情けない状況です ^^;  そこでまずはその1年半前に業者さんからいただいた小冊子をじっくりと読むところからスタートしました。

薪ストーブの掃除は大雑把に言って、ストーブ本体のお掃除と煙突のお掃除に分かれます。  小冊子を読む限りでは、ストーブ本体のお掃除は比較的簡単そうだったので、まずはそこから手を付けてみる事にしました。

薪ストーブ本体のお掃除は薪ストーブの分解から始まります。  まずは天板を外し、その裏側にこびりついた煤を落とすところから始めるようにとのこと。  ストーブを購入した際にサービスでいただいていた「メンテナンス・キット」なるものを使うと分解そのものは簡単そうで、KiKi でも問題なくできそうです。  

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↑ これが取り外した天板をひっくり返したところ。  まずはここにこびりついている煤をワイヤーブラシでこそげ落とします。  こそげ落とした煤は掃除機で吸い取りました。  ただ、普段からLothlórien_山小舎のお部屋掃除で使っている掃除機で煤を吸い取るのはちょっと悲しすぎると思ったので、かつて東京の自宅で使っていて新しい掃除機に買い換えた際に捨てずに取って置いたボロの掃除機を使用しました。 

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↑ そしてこちらが天板を外された薪ストーブ本体を上から見たところです。  次にするのが、この写真の手前側にある、半円形のカバーのようなもの(名前は忘れました)のお掃除です。  天板が煤だらけだったことからもわかるようにここも半端じゃない煤がついています。  そこでまずはこの状態のまま上から掃除機をかけ、その後それを取り外し(↓)、これはこれでもう一度丁寧に掃除機をかけました。 

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↑ この物体、いったいどんな素材でできているものかよくわからないのですが、結構ヤワイ感触の物体で取り扱いにはちょっと神経を使いました。

で、これを取り外した本体側がこちら(↓)です。

で、ですね。  これを取り外すとまあ色々なものが出てくるんですけど、覚悟していたとは言え、とっても精神衛生上よろしくないものが出てきました。  まあ、この下の写真はちょっと(と言うかかなり)ショッキングな映像なので、心してご覧ください・・・・・。

 

 

 

 

 

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↑ この写真の右端の方にあるモノ、何かわかりますか???  これは煙突から何かに惹かれて飛び込んできて薪ストーブの中で絶命されたスズメさんです。  1年半前、業者さんにお掃除していただいた際にも3羽出てきたのですが、今年もお約束どおり3羽出てきました。  しっかりスズメさんの形を残しているところから察するに、決して焼け死んだわけではないように思われます・・・・・ ^^;

で、そのスズメさんの上にチラっと見えている円形のものが次のお掃除のパーツです。

  

     

この土日、KiKi の自宅近くの BookOff では「105円商品を除きほぼ全品半額セール」をやっていました。  で、たまたまその数日前に見つけてあった、過去には持っていたけれどどこかで処分してしまっていて今は手元に残っていない「岩波少年文庫」の何冊かを、この機会にゲットしようと勢い込んで出かけてみたのですが、残念なことに既にどなたかが購入されたようで、棚には残っていませんでした。  で、代わり・・・・・と言っては何だけどいろいろ物色している中で見つけた1冊が本日の読了本です。

童話の国イギリス - マザー・グースからハリー・ボッターまで
著:ピーター・ミルワード 訳:小泉博一  中公新書

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イギリスはすぐれた児童文学の宝庫である。  伝承童謡の「マザー・グース」、動物を主人公とする「ピーター・ラビット」「クマのプーさん」、胸躍る英雄譚「アーサー王物語」「ロビン・フッド」、空想世界へと誘う「アリス」「ピーター・パン」など、実に多彩で層が厚い。  これらの文学はどのように読まれ、イギリスの人々の精神的バックボーンを形成しているのか。  英文学者が自らの体験をもとに二十二の名作を紹介する読書案内。  (新書本表紙扉より転載)

う~ん、これは KiKi としては失敗でしたねぇ~。  ろくろくこの解説(↑)を読まずに、本のタイトルと値段だけに惹かれて(何せ半額でしたから・・・・・)手を出したのが敗因でした。  一応大学で「英文学」な~んていうものを専攻していた KiKi にとって、これって単なる名作案内(それもものすご~く大雑把な)以上でも以下でもない本でした。  イギリスの22の児童文学を取り上げていて、著者のとりとめのない感想を書き散らしているっていう感じで、そこに魅力あるエピソードとか興味深い考察みたいなものがあるわけでもなし・・・・・。  まあ、「そういうお前のこのブログはどうなんだ?」と聞かれちゃうと痛いんだけど(^^;)、少なくとも「金をとっていない、個人の趣味ブログ」ということでお許しいただくとして・・・・・・ですねぇ。

著者のピーター・ミルワードさんと言えば「シェイクスピア研究」の世界では少しは(な~んていう言い方をすると不遜にすぎるかもしれませんが・・・・)有名な方で、KiKi の学生時代なんかにはちょっとした有名人だったので、「イギリス児童文学」に関してもう少し面白い考察が書かれていることを期待していたんですけどねぇ・・・・。  まして、いきなり最後にとってつけたように出てきた「ハリー・ポッター」に至っては正直なところ「????? ・・・・・・ ふぅ ^^;」っていう感じで・・・・・。  まあ、要するに今の KiKi にとっては時間とお金の無駄だったかな・・・・と。

扉に付された内容紹介のところ(上記参照)に「これらの文学はどのように読まれ、イギリスの人々の精神的バックボーンを形成しているのか。」とあるけれど、KiKi には「ピーター・ミルワードさんがこれらの本をどんな風に読んできたのか?」はおぼろげに伝わってきたけれど、「イギリスの人々の精神的バックボーンを形成しているのか。」に関しては全く読み取ることができませんでした。  

 

さて、本来なら「神曲 天国篇」をチャッチャと読み進めなければいけない(?) KiKi なのですが、実は難航しております。  しかも・・・・ですよ、第2歌の冒頭で、です。  そこに「小さな船に乗って着いてきた人は自分たちの岸を指して帰るように」という警告らしきもの・・・・が発せられているんですよ。  で、それが誰に対するどんな警告なのか、訳者の平川先生の注釈を読んでみると、です。

「神曲」3篇の中で地獄篇と煉獄篇は、描かれている対象が人間世界に実在する種々の相であるために、彼岸の世界という詩的設定にも関わらず、読書は比較的容易である。  しかし、天国篇には、第1歌の後半にもすでに現れたように、神学的宇宙観に基づく論議が頻出し、かつ実世界との往復がない、 (中略) これから先の読書は難しいから、力の及ばぬ者はなまじ自分に従ってくるな、という警告 (後略)

な~んていうことが書いてあったりするのですよ。  これははっきり言ってメゲます ^^;  ただでさえ煉獄篇後半あたりから辛さを感じている KiKi としては、「要するにあんたは『神曲』を読むにはあまりにも力が及ばない未熟者です。」という烙印が押されちゃったみたいな気がしてねぇ・・・・・。

で、昔から勉強に行き詰るとピアノに逃げ、ピアノに行き詰ると読書に逃げ、読書に行き詰るとクラシック音楽鑑賞に逃げてきた KiKi は、今まさにそれと同じことを繰り返しています。  ま、てなわけで本日の KiKi の1曲はこちらです。

モーツァルト ピアノソナタ第14番 K. 457/475
DENON COCQ-83689-93 演奏:I. ヘブラー(pf) 録音:1987年1月

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今日、この曲を聴いてみようと思ったのには実は2つ理由があります。  1つは上記のように「読書」でちょっと行き詰っちゃったから・・・・ ^^;  そしてもう1つの理由は、たまたま先日TVか何かで三枝成彰さんがのたまったのです。  「モーツァルトのピアノソナタは大人になれば弾ける・・・・」と。  まあ、ここで言う「弾ける」っていうのは「音楽として奏でられる」「聴かせる演奏ができる」というほどの意味だと思うんですけどね。  

そもそもモーツァルトのピアノソナタって「ピアノのおけいこ」では結構初期段階でおさらいする音楽なんですよね。  で、音型・・・・というか、楽譜面はさほど難解には見えないので、「音が拾える+α」ぐらいの演奏なら、ちょっと器用な子供だとできちゃうことが多いんですよ。  で、逆にロマン派あたりをバリバリ弾く頃になると、不遜にもちょっと馬鹿馬鹿しく感じちゃう・・・・んだな、これが。  ところが、その頃リトル・ピアニストは気がついていないのです。  実は「弾けていない」っていうことに!!!  これを綺麗に、そして深く聴かせる演奏をするとなるとがつく難物に早変わりする音楽なんですよね~、これが!!

で、大人になってから KiKi も何曲かはチョコっとだけチャレンジしてみたんですけど、初見→練習と段階が進むにつれて音楽が崩れていくんですよ。  あとあと考えてみると(もしくは録音しているものを聴いてみると)、初見が一番「音楽」らしかったりするんですよね~、これが。  だからある意味でモーツァルトのピアノ・ソナタだけは可能であれば手を出したくない音楽なんですよね。

 

で、ここで三枝さんの発言が登場です。

  

モーツァルトのピアノソナタは大人になれば弾ける・・・・・

 

モーツァルトのピアノソナタは大人になれば弾ける・・・・・

 

モーツァルトのピアノソナタは大人になれば弾ける・・・・・    と。

 

いえね、本当の意味は「モーツァルトのピアノソナタは大人にならなければ本当の意味で弾けるようにはならないが、それでも難しい」ということだってわかっているんです。  でもね、KiKi の頭の中では上記のフレーズが木霊しているんですよ、これが・・・・・ ^^; 

Norn Happy Birthday!!!!

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先日、こちらのエントリーでご紹介した、ブログパーツ「いくつになったの?」の今日の表示をご覧になりました???  

 

ノルンは9月25日生まれ
今日で
4
歳です♪
Happy Birthday!!
ヒトなら32歳くらい !
天秤座です

 

 

と表示されています。  そう、そう、今日は我が家の愛犬ノルンの4歳のお誕生日!!  ノル~ン、お誕生日おめでとう!!!

 

 

chirol_cake.gif  

 

へぇ、あなた、32歳(ヒトなら)になったんですか??  その割にはあんまり賢くなっていませんねぇ・・・・・ ^^;  

ま、てなわけで、本日はノルンのお誕生日祝いを盛大に(?)催したいと思います。  最悪の飼い主である KiKi はお誕生日プレゼントの用意がまったくできていない(^^;)ので、今日はいつもの倍くらいハグしてごまかそうかと思っていますけど・・・・・・(苦笑)  ま、せめてノルンの大好物の「豚耳」ぐらいは、今日は大奮発してちょっと大きめのヤツをあげようかな・・・・と。

 

 

 

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やっぱり今年も手抜きでしゅか~???

 

 

いえいえ、それじゃあまりにも可哀想だと思えばこそ、あなたの写真をアップで掲載してあげているじゃないですか!!(笑) 

 

 

 

 

LED電球

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今日もちょっと息抜きエントリーを・・・・・。  TV離れの激しい KiKi が比較的よく観ている番組の1つにBS日テレで放映中の「小さな村の物語 イタリア」があります。  この番組のスポンサーは東芝さん。  で、そのCMの中に最近ちょっと気になるCMがあります。  それは LED 電球のCMです。

でもね、KiKi が気になるのは、電気代80% Off だとか、電球の寿命が長いからゴミ削減というイマドキ流行(?)のエコ部分ではなく、このCMに出演している天海祐希さんが発する一言なんです。  曰く

 

 

この次電球を替えるとき、私は何をしているんだろ???

 

 

という部分。  ここを聞くたびに KiKi は思ってしまうのです。

 

 

・・・・・・・・

  

漢字パズル

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今日はちょっと息抜きエントリーを・・・・・(笑)  最近、KiKi がちょっと嵌っているパズルのご紹介です。  

漢字堂 10月号

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四字熟語や故事ことわざ、同音異義語に成句など、知っているようで知らない漢字の世界を、パズルを解きながら楽しんでみませんか?   「漢字堂」10月号は、ナンバークロスを中心に、スケルトン・アロー・しりとり・シークワーズ・ボナンザ・ブロック分割など、漢字パズルがギュギュッと46問!  どこから解いても楽しめる、解けばますます漢字の世界に夢中になる、楽しいパズル誌です。  もちろん、46問すべてにプレゼント賞品が付いています。  今回も、大型LED液晶テレビをはじめ、モバイルパソコンにデジタルカメラ、生活家電、ゲーム機にギフト券、コーチやブルガリなどのブランド品など、たくさん揃えてお待ちしています。  さあ、全問制覇をめざしてチャレンジしてください...!  (Amazon より転載)

実はね、この類のパズルに一番嵌っているのは KiKi の両親なんですよ。  たまたま数年前に父が突発性難聴になっちゃって入院治療を余儀なくされちゃった時、耳だけは問題があるけれどそれ以外はすこぶる元気な父のこと。  暇を持て余すと何を始めちゃうかわかりません。  実際、過去に別の病気で入院した際も、命に別条があるわけでもなく、体の方はそこそこ元気だった父はしょっちゅう病院を抜け出して、近所をフラフラとお散歩していた前科があったのです。  でもまあ今回は片耳が聞こえない状態ですから、いかに田舎と言えども車の音なんかが聞き取れなくて事故にまきこまれないとも限りません。  で、病室に縛り付けておくための苦肉の策として KiKi がこれと同じような「漢字パズルの雑誌」を数冊購入し、鉛筆と消しゴムをセットにしてプレゼント(?)したのです。

そうしたら、退院後もこれに嵌っちゃった父は毎月数種類のこの雑誌を購入してはせっせとプレゼントに応募してそこそこ何がしかの景品を当てちゃったりしているのです。  もっとも彼の一番狙いは「モバイルパソコン」と「TV」らしいんだけど、この2つだけは全然かすりもしていないみたいなんですけどね(笑)  でも、我が父ながら偉いなぁと思うのは、いつ訪ねていっても必ず全問ちゃんと解答して応募しているということ。  最近では父のこの娯楽に便乗して、ちょっとアルツハイマー症状を呈し始めている母までが「これ以上ボケを進行させないように・・・・」と同じパズルに取り組んで頑張っています。

で、まあ、最近では滅多に一緒に行動ができなくなってしまった(旅行とか)両親と話題を合わせるため・・・・ということもあって、KiKi も少しだけお付き合いをしているのですが、これが案外面白い!!!(笑)

神曲 煉獄篇 ダンテ

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さて、ちょっとペースダウンしてしまっていたのですが、ようやく「神曲 煉獄篇」を読了しました。  いや~、ここは結構辛かったです。  必ずしも面白くなかったわけではないのですが(とは言うもののおしまいの方は面白くなかったけれど・・・・ ^^;)、先日もこのエントリーでお話したように、そもそも KiKi にとっては「地獄」と「天国」はそれでもまだ馴染みのある概念なんだけど、「煉獄」っていうやつだけは正直「何?  それ???」っていう感じなんですよね~。  ま、とにもかくにも本日の Review はこちらです。

神曲 煉獄篇
著:ダンテ 訳:平川佑弘  河出文庫

51CzOuOd1VL__SL500_AA300_.jpg (Amazon)

二人の詩人、ダンテとウェルギリウスは二十四時間の地獄めぐりを経て、大海の島に出た。  そこにそびえる煉獄の山、天国行きを約束された亡者たちが現世の罪を浄める場である。  二人は山頂の地上楽園を目指し登って行く。  永遠の女性ベアトリーチェがダンテを待つ。  清新な名訳で贈る「神曲」第二部煉獄篇。  (文庫本裏表紙より転載)

まずは「煉獄って何?  どこ??」という疑問を払拭しておかないと、とにかく先には進めそうもないので、Wikipedeia で調べてみると、こんな説明が載っています。

煉獄(れんごく、ラテン語: purgatorium)とは、キリスト教、カトリック教会の教義のひとつ。

カトリック教会においては、神の恵みと神との親しい交わりとを保っていながら完全に清められないままで死んだ人々は、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化の苦しみを受けるとされており、この最終的浄化を煉獄という。  第2バチカン公会議以降の教会の現代化の流れにより、現代のカトリック教会においても煉獄について言及されることはほとんどない。

煉獄の教義は、教会の東西分裂以降のカトリック教会にて成立した。  このような経緯もあり正教会では煉獄を認めない。  またプロテスタント教派もルターを始めとして煉獄の教義を認めない。  古くは「浄罪界」とも訳される。

地獄は救いの無い場所天国は罪の一切無い場所と定義されるが、煉獄はキリスト者として罪の贖いを受けて救済を約束されていながら、小罪および罰の償いが残っているため、浄化を必要とする者のためにある場所と考えられている。  聖書に具体的な記述があるわけではないが、「マタイによる福音書 12章32節」において、後の世で赦される可能性が述べられていること、および、「マカバイ記 2の12章43節」において、罪を犯した死者のために執り成しの祈りを認めていることを根拠にしている。  カトリック教会は死者のための祈りのほか、死者のための施し、免償、償いのわざを勧めている。  煉獄における救済は、聖母マリアおよび諸聖人の執り成しによるとされる。  (Wikipedia より転載)

なるほどね~。  「煉獄における救済は、聖母マリアおよび諸聖人の執り成しによるとされる」から、ここにいる人たちはすすんでダンテに身の上を語り、現世に残された縁者の祈りを必要とするのでその言伝をダンテに託し、さらにはダンテ自身が最終的にはここでベアトリーチェに出会うという「神曲」のおおまかなコンセプトを決定づけているわけですねぇ。

それにしてもキリスト教の教義によって煉獄を認めたり認めなかったりというぐらいだから、キリスト教徒ではない KiKi にとってこの「煉獄」という概念がわかりにくいのも無理はないですよね。  だいたい、この「煉獄篇」の描写なんですけど、確かに地獄ほどは迫力がないものの結構「地獄まがい」のおどろおどろしい場面もあったりして、「地獄と何がどう違うんだろう??」と思ってしまう場面もなきにしもあらず・・・・・。  まあ、同時に美しい森があったり、清々しい風が吹いていたりもするので尚更のこと「正直よくわからない場所だなぁ・・・・」と。

そこでもう少しだけ「煉獄調査」を進めるために、敢えて「マタイによる福音書 12章32節」と「マカバイ記 2の12章43節」を(そこだけを)読んでみるとこんな感じです。

「マタイによる福音書 12章32節」
人の子に言い逆らう者は許される。  しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも許されることがない。  (新共同訳 聖書より転載)  

「マカバイ記 2の12章43節」
次いで、各人から金を集め、その額、銀二千ドラクメを贖罪の献げ物のためにエルサレムへ送った。  それは死者の復活に思いを巡らす彼の、実に立派で高尚な行いであった。  (新共同訳 聖書より転載)

う~ん、読めば読むほどよくわからん・・・・・・ ^^;  ま、いっか・・・・・。 

さて、現在 KiKi はダンテの「神曲」を読み進めているところではあるのですが、「煉獄篇」に入ってから急激に読書ペースが落ちてしまっています ^^;  キリスト教徒であろうとなかろうと、「地獄」という概念にはどこか引き込まれる要素があるのは、言ってみれば愚かな人間の「他人の不幸は蜜の味」的な野次馬根性が働くということもあるだろうし、ダンテ自身も気に入らないヤツはみ~んなここへ落としちゃっているためか、筆致がノリノリっていう感じがするんですよね~。  だから「地獄篇」は自分でもびっくりするぐらいサクサク読めちゃったのですよ。  これに対し、今読んでいる「煉獄篇」。  そもそもクリスチャンではない KiKi には「煉獄」っていうところがどういう所なのかよくわからないうえに、そこにいるっていうことがどういうことなのかも正直ちゃんとわかっていないし、ついでに「聖歌の一節」やら「聖句の一節」やらが出て来るとそれだけで何となく「ふぅ・・・・・ ^^;」という気分になってしまうのです。

ま、そんな中、せっかく「神曲 地獄篇」を読んだのでその印象が薄れないうちにこの音楽を聴いておきたいと思いました。  ま、てなわけで本日の KiKi の1曲はこちらです。

リスト ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」
EMI 0777 764882  演奏:シフラ(pf) 録音:1965年1月

51LKRZYoVTL__SL500_AA300_.jpg   (Amazon) 

この曲、リストの「巡礼の年 第2年イタリア S. 161」の中の1曲です。  因みにこの「巡礼の年 第2年イタリア」は全部で7曲からなり(後日補遺版の「ヴェネツィアとナポリ」で3曲が追加されます。)、その詳細は以下のようになっています。

1. 婚礼
2. 物思いに沈む人
3. サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
4. ペトラルカのソネット 第47番
5. ペトラルカのソネット 第104番
6. ペトラルカのソネット 第123番
7. ソナタ風幻想曲 「ダンテを読んで」

 

この曲はね~、「ダンテには手も出していない頃」から「リストらしい華やかでカッコいい曲だなぁ」という印象で何度も聴いてきた音楽でした。  ある意味で演奏会栄えのする音楽なので、結構リサイタルなんかで弾かれることが多いんですよね~。  CDではなくホールで生演奏を聴くと圧倒されること間違いなしの音楽だと思います。  

因みにリストはこのピアノ曲だけでなく、もう1つ別のダンテ絡みの音楽を残しています。  それは「ダンテ交響曲」。  この交響曲は間違いなくダンテの「神曲」3部作全体を音楽にしたものであるのに対し、本日の KiKi の1曲のこちらピアノ曲の方は「地獄篇」のみを音楽にしたものであるというのが定説になっているようです。  どうやらリストさんは「ダンテ」の愛読者だったらしい・・・・・(笑)。   

山小舎の秋支度

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ここ最近、Lothlórien_山小舎通信をあまり書いていませんでした。  何故かって言うとね、今年の夏はLothlórien_山小舎であってさえもものすご~く暑くて、正直何をするのも億劫になり、ついでに外に出るとあっという間に熱射病状態(山は都会よりも日差しが強い・・・と言うか、激しい・・・・と言うか、要するに厳しいのです)に陥り、はっきり言ってしまえば夏野菜の収穫とその始末(要するにお料理)、そして畑周りの草むしりだけで参ってしまっていたのです。  

ま、そんなLothlórien_山小舎ですが、2週間前はまだまだ暑くて汗だくになっていたのですが、先週末にはいきなり秋の気配が・・・・・。  特に朝夕の冷え込みはなかなかのものがあり、今では朝夕に限って言えば長袖を着ていないと肌寒い感じです。  

ここLothlórien_山小舎では冬の寒さが結構厳しいため、秋野菜は短期間で収穫できるものをせっせと作らなくちゃいけなくて、例年であれば9月に入ったら早々に夏野菜を処分し、秋野菜の準備を始めなくちゃいけないんですけど、9月最初の週はあまりにも暑くて「今年はまだまだだろうなぁ・・・・」とついつい高を括っていた KiKi。  ここへきていきなりの天候変化で大慌てです。  何せ熱射病怖さに秋野菜を作る準備がまったくできていないのですから・・・・・・。

ま、てなわけで今週末はいきなりの夏野菜処分です。  まだまだトマトもピーマンもナスも採れそうだったんだけど、これらの野菜はいい加減食べ飽きた気分なので威勢よく全部抜いてしまいました。  で、本日現在の畑はこんな様子です。

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明日はここに耕運機をかけなくちゃいけません。  お天気がもつといいのですが・・・・・。

さて、では畑はともかくとして、他のところはどんな感じになっているのでしょうか?  以降、ショッキングな絵ばかりになりますので、人の弱みを見たい悪趣味な方に限り(? 苦笑)、覚悟をきめて「続きを読む」をポチっと押してくださいませ♪

 

KiKi は最近ではほとんどTVを観ません。  学生時代はTVっ子と言ってもいいぐらいに TV、それもドラマをよく観ていたのですが、最近では年齢のせいかドラマが面白いとはあまり思えなくなってしまいました。  まあ、最近の KiKi の目から見ると「ドラマ」っていうのはいわゆる「お子ちゃまタレント」の稼ぎ場所みたいな印象があまりにも強いんですよね~。  そのせいか、オバチャマはなかなかついていけないのですよ ^^;  じゃあ、いわゆるバラエティ番組はどうかって言うと、今度はたくさんのタレントさんが出ていて、誰も彼もが同時に、違うことを、ワイワイガヤガヤ、何の統制もなく喋りまくっているっていう印象が強くて、ついつい老婆心ながら「もっと人の話を聞こうよ!」みたいな説教をTV に向かってつぶやいていたりして、それはそれで不気味な気がしちゃうんですよね(笑)。

ついでに言うと、昔だったらたいていの話・言葉についていけたものが、昨今の流行言葉に関してはそれが何を意味するのか分からなくなってきてしまっているということもあります。  で、ついつい僻み根性で思ってしまうのですよ。  「ああ、この国の文化は若者だけのものなんだなぁ・・・・・。」と。  そしてもう1つ。  KiKi がTVから遠ざかっている理由に、民放だとやたらCMが多いことも挙げられます。  民放の仕組からしてCMが多いのは頭では理解できているのです。  だからそれが悪いことだとは言い切れないのです。  でもね、正直疑問(?不安?)を感じてしまうのですよ。  毎日毎日、TVから流れてくるCMで「あれを買え~。  これを買え~。  新しいこれを知らないのは悪だ~」とばかりに洗脳され、実は自分にとって必要ないものを買わされちゃっているんじゃないか??ってね。

いえね、わかっているんです。  それが資本主義社会というものだし、国民の購買意欲の向上が景気の底上げに貢献していることや、今の豊かな日本のベースにあるっていうことは。  でも・・・・・・。  この「でも・・・・・。」が今の KiKi にとっては曲者なんですよ。  ま、てなわけで最近の KiKi はどうしても NHK にチャンネルを合わせがちなんですよね。  でね、そんな TV ライフの中、KiKi は面白い番組を見つけました。  今日はその番組のご紹介です。

現在、NHK Hi-Vision で毎週火曜日に放映されている「プレミアム8<文化・芸術> 世界遺産 一万年の叙事詩」という番組です。  9月7日(火)に第1回が、14日(火)に第2回が放送されました。  とあるサイトの情報によれば、9月中に第1回から第3回までの"古代篇"が、さらに12月以降になって、〝中世篇″と〝近代篇"が続くとのこと。  まあ、こんな風に飛び飛びに放映されるっていうのが、ちょっと不便・・・・・と言うか、12月に思い出せるかどうか不安になっちゃうのが難点なんですけどね(苦笑)

因みに過去に放映された2回分の内容はこんな感じです。

神曲 地獄篇 ダンテ

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さて、本日はようやくここにたどり着けました・・・・の、「神曲」です。  いや~、ここに辿りつく前に「チェーザレ」の Review を書いていた頃は「いつになったらメインの『神曲』にたどり着けることやら・・・・」とちょっと気弱になったりもしていたのですが(あの漫画の Review が大変だったということではなく、「神曲」自体が3冊組だし、比較的厚めの文庫本だしということで・・・・ ^^;)、ようやくたどり着けたというだけで感無量です。  そして、KiKi はこれまでの人生で3回ほど「神曲読破」に挫折しているだけに、ちょっと恐る恐るという感じで手に取りました。  でもね、今回は挫折しませんでしたよ~、まだ第一部だけだけど・・・・・(苦笑)  ま、てなわけで「神曲 3部作」の第1部、「地獄篇」の Review です。

神曲 地獄篇
著:ダンテ 訳:平川佑弘  河出文庫

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1300年春、人生の道の半ば、35歳のダンテは古代ローマの大詩人ウェルギリウスの導きをえて、生き身のまま地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出る。  地獄の門をくぐり、永劫の呵責をうける亡者たちと出会いながら二人は地獄の谷を降りて行く。  最高の名訳で贈る、世界文学の最高傑作。  第一部地獄篇。  (文庫本裏表紙より転載)

そう言っちゃなんだけど(ひょっとしたら不謹慎?)、面白かったぁ!!!!  「神曲」というタイトルからして「どこか説教じみた抹香くさい話なんじゃないか?」と思ったり、これまでにチャレンジした難解な文語調翻訳で「う~ん、よっぽど余裕がないとこれは読み終えることができない・・・・・(溜息)」という先入観があったりで、興味を持ちつつもどうしても読み進めることができなかった作品だけど、この平川版の「神曲」は「読み易い」「面白い」「翻訳日本語が美しい」の3拍子 + ギュスターヴ・ドレの挿絵のインパクトであっという間に地獄篇を読み終えてしまいました。  あ、因みにそのドレの挿絵はこちらのサイトで見ることができます。

ギュスターヴ・ドレの挿絵

以前にチャレンジした時はほとんど進まなかったせいもあって全く気がつかなかったんですけど、「神曲」ってコテコテ・キリスト教文学かっていうとそんなことはなくて、KiKi の大好きな「ギリシャ神話」とか「英雄叙事詩」とか「歴史モノ」と親和性の高い作品だったんですねぇ。  ま、そんなこともあり、やはりこの作品を本気で楽しもうと思ったら最低限 「聖書」、「ギリシャ神話」、「ホメロス;イリアス & オデュッセイア」、「古代ローマ史」の基本的知識は必須でしょうねぇ。  ま、これに追加でダンテの生きた時代のイタリア情勢も知っていればさらに面白いのかも!!  もっとも KiKi は凡そそのあたり(ダンテの生きた時代のイタリア情勢)の知識には疎いのですが、それでも微に入り細に入り付してくれている「注釈」のおかげで、とりあえず一読するには何ら不都合は感じませんでした。

また、この本では各歌の前に「平川さんの手による簡単なあらすじ」が付されているのも KiKi にとってはグッドでした。  

ずいぶん長い間絵本のエントリーを書いていません。  まあ、このブログはある意味欲張りすぎであまりにも多くのカテゴリーがあるために、「忘れた頃にやってくる」エントリーがやたらと多いんですけどね(苦笑)  たまたま普通の読書では「神曲」な~んていう長編に取り組んじゃったということもあって、今日はさらっと絵本のエントリーを書いてみることにしました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

大きな木のような人
作:いせひでこ  講談社

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パリの植物園で、植物学者と少女が出会う。  少女は植物の面白さに目覚め、心に何かが芽生えたことを感じる。  雄大な植物に囲まれた、小さいけれど感動的な出会い──。

作/いせひでこさんからのメッセージ
パリには2本の樹齢400年のアカシアがある。  その一本の大樹のある物語はすでに描いた。  もう一本の樹ははじめから植物園で大切にされ、樹齢を重ねていた。  私の足が、植物園に向かうようになったのは自然のなりゆきだった。  パリの大きな植物園を訪ねては、目が追いつかないほど、四季折々の樹や花や芽を観察することになった。  そんな春のこと、私は自宅裏庭のちっちゃな一角に、生まれて初めてひまわりのタネを蒔いた。  朝、昼、夕、毎日芽が出ていないかと庭の土におでこを這わせる姿は、まるでチャペックのにわか『園芸家の一年』みたいだった。(あとがきより抜粋)

担当者のうちあけ話
カバーや帯の惹句を考えるのはふつう編集者の仕事ですが、この絵本ほど、それが難しいと感じたことはありませんでした。  とにかく何を書いても、作品を表現するには物足りない言葉のように感じてしまうのです。  それは、いせひでこという画家が、歩いて、見て、聞いて、嗅いで、触れて、感じて、そして何度も何度も考えたこと、それを筆だけでなく、全身で表現しているからだと思います。  「大きな木のような人」は、独立したひとつの作品ですが、そんな作者ですから、これまで描いてきた作品と深いつながりが生じるのは必然です。  「ルリユールおじさん」の少女ソフィーが大きくなって、植物学の研究者として登場しているのを見て、私はゾクッとしました。  (以上 Amazon より転載)

KiKi の大好きな絵本作家は基本的には2人です。  1人は「ガブリエル・バンサン」。  そしてもう1人がこの絵本の作者「いせひでこ」さんです。  どちらの絵もものすご~く丁寧で絵を見ているだけで何だかウキウキワクワクしてくるんですよね~。  で、どちらの絵も半端じゃなく雄弁なんですよ。  この本は「ルリユールおじさん」と一緒に購入してもう何度も何度も読み返しているのですが、何度手に取っても飽きるということがありません。  だいたい、KiKi がLothlórien_山小舎暮らしを始めるに当たってある種背中を押してくれたのがこの2冊の絵本だったと言っても過言ではないくらいです。

KiKi はね、昔から海よりは山の人。  可憐な花よりも木の人だったと自分では思っています。  だから落ちこぼれながらも会計人としてお仕事に邁進していた時期であっても、年に何度かの休暇では必ず森林散策をしていました。  ま、同時に海外のビーチリゾートでのんびりするということもしていたので、「海よりは山の人」と言い切るにはちょっと矛盾がなくもないのですけど・・・・・ ^^;  それでもやっぱり「リフレッシュ加減」という観点から見るとやっぱり「海外のビーチリゾート < 森林散策」だったので、まあ「海よりは山の人」と言い切ってもいいでしょう。  でね、植物、それも木は眺めているだけで飽きない人なんですよね~。  だからこそ・・・・と言うわけではないけれど、初めて書店でこの本を見たときには、その表紙の絵だけでもとにかく物凄い、半端じゃない吸引力があって、ほとんど夢遊病状態でフラフラとこの2冊を手にレジに並んでしまったものでした(苦笑)。

 

ここのところちょっとチェーザレに浮気しちゃっていましたが、平行してこちらも忘れずに読み進めていました。  先日こちらのエントリーでご紹介した「ぼうしネコとゆかいな仲間」の続編です。  ま、てなわけで本日の読了本はこちらです。

ぼうしネコのたのしい家
著:ジーモン&デージ・ルーゲ 訳:若林ひとみ  岩波少年文庫

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「ぼうしネコ」の家にゆかいな動物たちが住みはじめて、まもなく1年になります。  つぎつぎと事件の起こった1年でした。  今晩は一周年記念のパーティーです。  家主さんからプレゼントが・・・・さて、何でしょう?  (文庫本扉より転載)

ネコの家での奇妙な共同生活が始まって1年の間に、ずいぶんと騒がしい事件が起きましたが、そのなかには、巨人に襲われたり、家を乗っ取られそうになったり、大雪の日に出かけたネコが凍った道で滑って町中をぐるぐるまわりつづけたり...。  いよいよ騒々しさをます11人の共同生活の1周年記念パーティーの日がきました。  (Amazon より転載)

うんうん、やっぱりこれは楽しい物語だなぁ。  この本で起こる出来事は Amazon から転載した上記(↑)にほとんど書かれているんだけど、とにかく台本調の書き方をしているので、まるで実際に目の前で起こっていることみたいにイメージしやすいんですよね~。  で、会話があまりにも生き生きしているのでついつい物語の世界に没頭しちゃうんですよ。  どうしてこんなに楽しめるのか、色々考えてみたんだけど、訳者さんがあとがきでも仰っているみたいにこの「ぼうしネコ」の家に集まっている面々はかなり変わっているとはいえ、でも誰もがどこかで1度会ったことがある人に感じられちゃうところだと思うんですよね。  

変なのは言ってみれば動物だから・・・・だし、かなりデフォルメされていたり、行動パターンが変だったりするからおかしく感じるだけで、言っていることや大事にしていること、会話の中でポンポン出てくるある種のキーワードみたいなものが、何となく馴染み深いんですよ。  もちろん物語を読んでいる間は、「ああ、これって誰それさんそっくり・・・・」と思いつつも、ちゃんとそれを言ったりしたりしているのはこの物語の登場人物動物で入れ替わっちゃうことはないんですけど、そうであるだけに何となくこの変な住民たちに妙な親近感を持っちゃうんですよね~(笑)

 

先日このエントリーでお話した、KiKi に「ああ、ダンテの神曲を本当に一度は読んでみなくては!」と思わせてくれた記念すべき第7巻に入りました。  本日の読了本です。  

チェーザレ 破壊の創造者(7)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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独裁者の青春。  世界はカオスであり、調和である。

中世ヨーロッパ最大の事件「カノッサの屈辱」。  イタリア文学史上最重要古典「神曲」。  皇帝と教皇が最高権力をかけて争った時代、生き残る者は頂点に立った者だけだった。  若き司教チェーザレはピサ大聖堂に封印された政争の真実を知る。  そして迫る次の教皇選。  チェーザレ・ボルジア、16歳のクリスマス。  

ついに漫画は歴史の新説を生んだ。  世界遺産ピサ大聖堂に眠る、中世ヨーロッパの真実を暴く衝撃の超美麗ルネッサンス絵巻。  (単行本帯より転載)

いやはや、今号は本当に読み応えがありました。  やっぱり今号の白眉は「新説(? でもないか・・・)カノッサの屈辱」と「チェーザレ vs. ランディーノ教授の『神曲』談義」ではないでしょうか?  世界史の授業で学んだ「カノッサの屈辱」とこの漫画で描かれる「カノッサの屈辱」では結構違いがあるのもなかなか新鮮だし(とは言えども、これに似た話はどこかで読んだことがある記憶はあるのです。  その時はこの解釈にはちょっと懐疑的だったんですけどね 笑)、ピサ大聖堂に安置されているハインリッヒ7世の墓を見、そしてダンテの神曲を読んで、こんなにも多くのことを考えたチェーザレに驚嘆したりと KiKi にとってはなかなか刺激的なエピソードが満載でした。

その話に入る前に描かれている降誕祭のシーン。  こちらも秀逸です。  KiKi はクラシック音楽も大好きで殊に40代に入ってからはいわゆる「宗教音楽」にもかなりやられちゃったクチなのですが、このシーンでは本当に多くの「キリエ」が絵から流れ出て、頭の中でリフレインしているような不思議な感覚に捕われました。  惣領さんのすごさを感じたのは、単にミサの雰囲気を精緻に映した描写をされているのみならず、その「キリエ」がキリスト教徒のみならず、ユダヤ人(ミゲル)、マラーノ(ユダヤ教を偽装棄教し表面上キリスト教徒となったユダヤ人;チェーザレの護衛の面々)、そして街の片隅でぼろをまとって恐らく亡くなった(?)と思われる貧民の上を流れていくという描写をされていることで、このシーンでは多くのことを考えさせられました。

 

さて、「チェーザレ」も現在発売されている単行本としては残り2冊。  ああ、まだまだ終わって欲しくないなぁ・・・・・。  と言いつつも、こちらの Review です。

チェーザレ 破壊の創造者(6)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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過酷な宿命。 されど、どこまでも華麗なる天才。

広場では模擬戦の祝勝会が開かれていた。  学生時代最後の思い出に仲間と興じるチェーザレ。  その頃アンジェロは真犯人の痕跡を見つける。

夜の闇は潜伏者たちの影を隠すのか、それともかすかな月明かりが真実を照らすのか。  そして、友との間を永遠に分かつ一撃が振り下ろされた。  (単行本帯より転載)

今号で再びこの時代の庶子というのがどういう存在であったのかを思い知らされました。  考えてみると不思議ですよね~。  日本ではどちらかと言えば殿様の血を残すことに重点が置かれ、いわゆる側室を持つことが支配者階級であれば言わば常識であったのに、海の向こうでは逆に正式な婚姻を経ていない男女間に生まれた者であれば、仮にそれがそこそこの立場の人であったとしても「人としての存在そのもの」が認められないとは・・・・・・。  確かにミゲルが言うとおり「それが教義」であり、その教義をベースにした信仰生活を否定しない以上「それがお前たちが望んだ世界」と言われてしまっても仕方ない・・・・とは思うけれど、何だか複雑な気分です。

もっとも KiKi がキリスト教という宗教をどこかで胡散臭いと感じるのはまさにそういう部分なんですけどね。  「あの当時は○○だった」とか反省するのはいいとしても、やはり「愛」を語る宗教の割には「愛のなんたるか?」みたいな部分に関しては首を傾げることが多いような気がしてしかたない・・・・・とでも言いましょうか。  KiKi は別にキリスト教の信者の方々を胡散臭いとは思わないけれど、宗教として見た時、KiKi 自身は信じられないと言うか、逆に聞きたくなってしまうのですよ。  「あなた方が言う愛って何??」ってね ^^;

ま、それはさておき、例の工場の放火犯がはっきりした今号。  わかってみるとあまりにも悲しい結末でした。  フィオレンティーナの中にそんな人たちがいたこと自体は、ジョヴァンニにとっては辛い話でもまあ KiKi にとってはある種どうでもいいことなんだけど、ロベルトやドラギニャッツォがそれに手を出した動機があまりにも悲しいなぁ・・・・・と。

 

今日はチェーザレの残り3巻をついつい一気読みしてしまいました(苦笑)。  やっぱりこの人物の魅力にはどうにも抗いきれない KiKi。  ま、まとめてエントリーを書くことも考えたのですが、漫画であるにもかかわらず、やっぱりかなり奥深い物語。  今日、明日にかけてやはり1冊ずつエントリーを書いていきたいと思います。  ま、てなわけで、まずはこちらから・・・・・。

チェーザレ 破壊の創造者(5)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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初めての実戦。  最後の青春。

中世の大学、そこは政治の縮図。  イタリアの支配を巡り対立するスペインとフランス。  ピサとフィレンツェの歴史的遺恨も再燃。  名門大学は模擬戦という名の代理戦争に沸く。  そしていつの時代も、若さは血を求める――。

チェーザレ暗殺を命じられた刺客がピサに潜伏した。  黒幕を探るチェーザレは、祭りの喧騒の中、自らの命を餌に危険な賭けに出る。  一方大学ではボルジア家の宿敵一派、フランス貴族のバリュー兄弟が帰還し、十字軍を模した大規模な騎馬試合が開かれることに。  政治、復讐、野心が入り交じり、熱き戦闘が始まる。  史実を精査し圧倒的な画力で再現される、中世の戦闘。惣領冬実の新境地――。  (Amazon より転載)

いや~、今号では絵の迫力にやられっ放しです。  物語としてはさほど進んでいないのですが、ピサ大学で催された騎馬試合の様子がこれでもかっていうぐらい丁寧に描かれているんですよね~。  実写版の大河ドラマ系やら騎士物語系の騎馬試合よりもはるかに迫力があります。  さすが、美大出身の漫画家さんですねぇ~。

それ以外にも読みどころはいっぱいあって、案外・・・・というか、やっぱり女好きなチェーザレの一面が描かれていたり、刺客との勝負で相も変わらずの肝っ玉を見せつけられたり、ミゲルやフランチェスコのちょっとした一言から「まったくもって何てヤツだ!」と思いつつもチェーザレを認めざるを得ない側近たちの心が描かれていたりと、チェーザレ・ファンである KiKi には美味しい設定(笑)が満載です。  後の彼を髣髴とさせる「戦う司教ぶり」は説得力に満ちているし、これだけでも今号を読んだ甲斐があるっていうものです。

結構笑えるのが、刺客に襲われた(というより誘い込んだ?)チェーザレを助けに現れたスペイン団の皆さんの1人(フランチェスコ)が「チェーザレ庶民の生活を知る;社会科見学」の過程でアンジェロに買ってもらった寄木細工のからくり箱を思わず踏み潰してしまった場面。  路面に転がっているのは、壊れたからくり箱 & ミゲルにとどめを刺された刺客さんという状況の中でのチェーザレ vs. アンジェロの会話です。

A: チェーザレ様!  ご無事でしたか?
C: これを見ろ!  せっかくおまえが買ってくれた箱をフランチェスコの奴が壊してしまった!
A: ・・・・・それよりも私は向こうの死体のほうが気になるのですが

ある意味で生きるか死ぬかの闘争真っ只中にいるチェーザレが時折見せるこういう子供っぽさが、実は彼はまだ16歳の少年であることを思い出させてくれます。  う~ん、いくら時代が違うとはいえ、「早熟」が求められる時代(階層?)っていうのはどことなく滑稽というか、いびつな感じがしますよね~。

今日も引き続き「チェーザレ」の Review です。  第4巻にしてようやくルクレツィア(チェーザレの妹)が登場しました。  もっとも彼女がこの漫画にもちゃ~んと登場してくることは第3巻の帯で既に予告済みだったんですけどね(笑)。  まあ、チェーザレを語る際には彼女に触れずに終わることはありえないので当初から「いつ出てくるんだろう??」と期待はしていたのです。  でも、ここまで完成された女としていきなり出てくるとは、さすがに想定外でした。  しかも彼女は齢11歳!!  う~ん、女性っぽい女性っていうのはやっぱり幼い頃から女なんですかねぇ~ ^^;  彼女と似たような(決して同じではない!)感覚を KiKi が持てるようになったのは20代も数年経た位だったような気がしないでもない・・・・。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

チェーザレ 破壊の創造者(4)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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1491年、11月。  フィレンツェの大富豪ロレンツォ・デ・メディチに見込まれたアンジェロは、各国から貴族や有力市民の子弟が集まる名門・サピエンツァ大学ピサ校に入学、一人の青年と出会う。  彼の名はチェーザレ。  スペイン出身で、父は教皇庁のナンバー2という名門貴族。  はるか昔、全ヨーロッパを支配し巨大な帝国を築いた英雄と同じ名を持つ青年は、のちに現代政治学の祖・ニッコロ・マキァヴェッリの名著『君主論』のモデルとなり政治の天才と謳われた人物だった......。  闇に葬られた若き英雄が、今甦る。超美麗ルネッサンス絵巻!

現教皇に死期が近づき、ローマでは次の教皇選を睨んだ戦いが始まっていた。  チェーザレは、ロレンツォとピサ大司教との協調を画策。  工場建設計画を立案し、ジョヴァンニを陰で動かすとともに、アンジェロを工事責任者につけ計画を進める。  そんな中、チェーザレの働きによりラファエーレとジョヴァンニの会食が実現。  両家の因縁は解消したかに見えたが、今度はピサに漂い始めた新たな陰謀の影が、チェーザレに近づいていた。  (Amazon より転載)

第1巻の終わりから第2巻の最初までは「世事に疎いアンジェロのための社会化見学」だったのが、今号では「庶民生活に疎いチェーザレのための社会科見学」っていう感じでしょうか(笑)。  企画:ボルジア、遂行:メディチの産業振興プロジェクトで問題が発生したのを機にチェーザレが工事現場視察(偵察?)に行くエピソードが楽しいです。  政治的なことには年齢を感じさせない「大人顔」のチェーザレが、工事現場視察をほっぽらかしてついでに出向くピサでのお祭り観光では、以前ダ・ヴィンチに見せたのと同じような子供の顔を見せてくれます。

たまたま今号にはルクレツィアの回想という形で、大学入学前のチェーザレの幼い姿も描かれているところから、ホント、お祭り見物で見せる好奇心に突き動かされたチェーザレの行動が何とも言えません。  ある意味、年相応とでも言いましょうか・・・・・。  こと政治が絡むと凄みさえ見せるチェーザレが護衛を巻くために屋根伝いに逃亡する際に見せる生き生きとした表情、アンジェロと並んで路上でプルーンを食べ残った種をプッと飛ばす種飛ばしに興じる様子、悪意なく潜り込んだテントで着替え中のダンサーに痴漢扱いされつつも好奇心には勝てずにいつまでも彼女たちの裸体に名残惜しげな様子、十字軍を題材にした芝居の筋立てに思わず口を挟んでしまう様子、屋台の的屋でのドタバタ騒動、寄木細工のからくり箱に真剣に取り組む様子・・・・・。  その全てがチェーザレにとっていかに新鮮な体験でいかに貴重なものだったのかが伝わってきます。

チェーザレの住む大司教邸ではナッツを暖炉にくべて破裂音がしただけで護衛がすっ飛んでくるのですから、この対比たるや凄いものがあります。  しかもその騒動にウンザリしたチェーザレが「何事もほどほどということか・・・・」といった直後のイベントなだけに、ついつい「あれ??  何事もほどほど・・・・じゃなかったんですか?」というチャチャをついつい入れたくなってしまうのは KiKi だけではないのではないかしら・・・・・(笑)。  

 

今日も「チェーザレ」の Review です。  実はすでに登場していたのですが、今号で改めて、はっきりと、マキァヴェッリが登場し、チェーザレの知己を得ます。  マキァヴェッリと言えば「君主論」。  「君主論」と言えば「チェーザレ・ボルジア」。  ようやくここで役者が揃った感じです。  今号の帯には元東京大学総長で学習院大学教授であり、なおかつ、マキァベッリ研究の第一人者である佐々木毅さんの献辞が記されています。  曰く 「史実の十分な考証を踏まえたこの作品において、私の最大の楽しみはチェーザレ・ボルジアとマキァヴェッリの出会いがどう描かれるかである。  チェーザレはどこまでマキァヴェッリのアイドルだったのであろうか。」と。  うんうん、それは KiKi も大いに興味のあるところです。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

チェーザレ 破壊の創造者(3)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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現代政治学の祖、マキァヴェッリ登場。  死期が迫る教皇。  次期選挙に向け謀略を練る枢機卿達。  ピサではまた1人、策士がチェーザレに近付く。  彼の名はニッコロ・マキァヴェッリ。  この2人の出会いは運命か、それとも宿命か。  (Amazon より転載)

KiKi が歴史上の人物の中でもっとも魅了されている男がチェーザレ・ボルジアであることは以前にもお話しましたが、同時に興味がありつつもまったくその正体が見えない男で、魅力的なのかどうかの評価さえできない人物の1人がチェーザレの腹心・ドン・ミケロット(漫画上のミゲル)です。  いわゆる「暗殺者」という形以外でドン・ミケロットについて触れた日本語の作品を KiKi は見たことがありません。  そういう意味で、この漫画でのミゲルの人物設定には非常に興味を覚えます。  チェーザレの影に常に寄り添い、ダークサイドの仕事を粛々とこなしていく人物。  そんな彼が「ユダヤ」という出自を持ち、あのキリスト教絶対の世界の中で改宗を拒み、チェーザレの傍にいるというその一点でのみ有形・無形の迫害からの解放を見出すことができると感じられるという立場の設定。  これは深いなぁと。  と同時にこれは惣領氏の創作なのかもしれないけれど、ミゲルはこうであって欲しいなぁと KiKi に思わせる説得力・・・・のようなものを感じます。

今号はチェーザレの半端じゃないリアリスト加減が良くも悪くも描ききれている作品になっているなぁと思います。  父親の教皇選に纏わる票集めでの動き方しかり。  プライドだけは高い猛牛(笑)、フランス団のアンリとの闘牛ごっこにおける本気モード突入後の弁論しかり。  決闘もどきの闘牛ごっこ後の教官からの説教後のつぶやきしかり。  企画:ボルジア家、遂行:メディチ家の産業振興プロジェクトでの人選しかり。  マキァヴェッリとの内密の取引しかり。  アンジェロへの評価(賢く素直、そのうえ行動力もあるのか・・・・  だがお前、その能力の使い道 間違えているぞ・・・・)もしかり。  そしてもっとも顕著なのが、スペイン団の中での会話でアンジェロについて語ったこの言葉でしょう。

(アンジェロを)信用などしていない。  奴は無意識に従っているだけだ。  ということはいずれ無意識に裏切る。  意思を持たぬ者など誰が信じるか!

思うにチェーザレという人は「人間とはどういう生き物か」ということに関して、齢16歳にして既にかなり多くのことを悟っている人なんですよね~。  現段階でアンジェロがチェーザレに憧れもどきの感情を抱きつつ賞賛しているような「いい人」ではないんですよ。  ただ、自分が思うように行動するために、人をどう扱えばいいのか(奴隷のように・・・ではなく、その気にさせるという意味で)を本能的に察知できる人。  だからこそミゲルの評価が出てくるんだと思うんですよ。

だからと言ってチェーザレは友人ではないぞ。  おまえがチェーザレをどう思おうが勝手だが奴をそこいらの貴族の子弟と一緒にはするな。  あれは野生動物のように頑強でずる賢い。  あまりあれのことを信用するな。  あれに傾倒すればするほど、お前はいずれチェーザレに失望する。

言ってみればアンジェロの美化した「いい人イメージ」でチェーザレに憧れるのはとっても危険なんですよね。  この漫画ではチェーザレが美形なだけに尚更です(笑)。
 

KiKi にしては珍しい漫画のエントリー3作品目の「チェーザレ 第2巻」の Review です。  このブログで漫画を取り上げる際にはそれなりに理由があって、最初の「ニーベルンクの指輪 (池田理代子)」は「KiKi の大好きなオペラがらみ」で、2作品目の「のだめカンタービレ (二ノ宮知子)」はこのブログの2つ目の柱「クラシック音楽鑑賞がらみ」で、そしてこの作品はこれからの課題になるのですが「ダンテの神曲がらみ」で取り上げています。  この第2巻でその「神曲」を一度は読まねばなるまいと KiKi に思わせたエピソードが出てきます♪。  ま、てなわけで本日のKiKi の読了本はこちらです。

チェーザレ 破壊の創造者(2)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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チェーザレ・ボルジア、 レオナルド・ダ・ヴィンチ、 クリストファー・コロンブス、ジョヴァンニ・デ・メディチ。  4人の天才達 運命の交錯。  華麗なるルネッサンス絵巻。  (Amazon より転載)

ず~っと昔、何かの本か雑誌で以下のようなお話に出会ったことがあります。  曰く、とあるパーティーでちょっとダサイけれど高名な文学者と、時代の先端を行くようなハイセンスな女性が出会った。  その女性は会話の中でとあるベストセラー作品の話題を出し、その文学者に感想を聞いたところまだ読んでいないという返事だった。  するとその女性は「まあ、先生。  あのベストセラー作品をまだ読んでいらっしゃいませんの?  早くお読みになるべきですわ。  発売されてもう何ヶ月にもなりますもの・・・・」と言った。  するとその文学者はそれを軽く受け流したうえでその女性に「ところであなたはダンテの『神曲』をお読みになりましたか?」と尋ねた。  まだ読んだことがないと答えた女性にその文学者は言った。  「早くお読みになるべきですね。  発刊されてもう何百年にもなりますから・・・・」  この話を読んだときから KiKi の頭の中に「いずれは『神曲』を読まねば・・・・」という想いが残るようになりました。  でもまあ、未だに読んだことがないんですけどね(苦笑)  で、そんな KiKi に再び「これは早く『神曲』を読まねば!」と思わせてくれたのが、な、な、なんと、この漫画でした(笑)

この第2巻ではチェーザレがコロンブスと接点があったり、レオナルド・ダ・ヴィンチと初邂逅を果たしたり、サヴォナローラが登場したりと、ある意味で読者サービス的なエピソードが満載なのですが、KiKi の興味をもっとも引いたエピソードはそれらではなく、別の2つのエピソードです。  その1つ目はアンジェロと出かけた社会科見学での途上でチェーザレが語る言葉です。  ピサの貧困地区の現実をアンジェロに見せたチェーザレは自分を抑えきれなくなって叫びます。  

本当に忌々しき問題はこの現状が彼らの招いたものではなく、教会 - ドメニコ会によって作られたものということだ。  この地域の貧者を悲惨な状況に追い込んでいるのはドメニコ会の連中だ。  奴らは神の名を巧妙に利用して貧者を救う術を隠している。  本当に彼らを救済しようと思うなら残飯を与えても意味はない。  本当に与えねばならないのは働く場であり技術を身につけさせることだ。  だが連中はそれをしようとはしない。  貧民が豊かになれば人々は地獄を信じなくなる。  地獄を恐れるからこそ神に救いを求めるのだ。  だから教会はその力を発揮できる。  つまり教会には恐れ苦しむ人間が必要不可欠なのだろうな・・・・・。  彼らから光ある未来を取り上げ与えるものはたった一欠片のパンのみ。  そして祈れと言う。  祈れば救われると・・・・・。  神に祈ることで救われるなら何故あの者達は毎夜飢えて残飯を漁らねばならぬのだ。  何故母親が生まれたばかりの我が子を水に沈め、殺さねばならぬのだ。  それを見ても彼らはただ祈れと言う。  祈れば腹がふくれると言うのか。  祈れば温かな寝床で眠れると言うのか。  聖職者の名を語るあのくずどもが!

これって決してチェーザレがイマドキの価値観で言う「いい人」だから・・・・という発言ではないと KiKi は思うんですよね。  KiKi がチェーザレという人間に興味を持ってやまないのは要するに「教会側」の人間であるはずのチェーザレが、当時の「教会の教え」を盲目的に信じるのではなく、そこに存在する矛盾を冷徹に見つめ、そのうえで「民心をいかに教会に向けるか?」を考える人ではないというところ。  このエピソードのような考え方をしているうちに、彼は「聖職者よりは政治家向きの自分」を自覚していくんだと思うんですよ。  そのうえで政治家としてのある種の「優先順位」というか、「価値観」というか、「立ち位置」をこういうエピソードの積み重ねによって確立していったタイプの人間だったんじゃないのかな・・・・・と。  そしてね、彼がもっとも凄いと思うのは、「政治家としての自分を生かすために教会の権威の利用の仕方を考える(≒ 民心掌握術)人間」だったんじゃないかなと思えるところなんですよね~。 

今日も現在絶版中の岩波少年文庫です。  正直、こちらの作品はさほど期待しないで読み始めました。  と言うのも、ドイツでこの作品が本として発表されたのが1980年、日本で単行本が出たのが1991年。  KiKi はもうすっかり大人になった年代だったわけですが、特にこれといってこの物語の評判を聞いたこともありません。  岩波少年文庫になったのが1997年・・・・・にも関わらず今では絶版状態なわけですから、そう言っちゃなんだけど「たいして売れなかった本らしい・・・・」という先入観がどうしても付きまとっちゃうんですよね~。  ま、そんな KiKi の本日の読了本はこちらです。

ぼうしネコとゆかいな仲間
著:ジーモン&デージ・ルーゲ 訳:若林ひとみ  岩波少年文庫

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プラム通りの大きな家に、帽子をかぶったネコがひっこしてきました。  ネコはこの家にただよう「不幸な子供時代」の雰囲気を取り除こうと、次々に陽気な同居人を探してきます。  その生活ぶりは・・・・  (文庫本扉より転載)

帽子の好きなおしゃれなネコが、一軒家に住んでいます。  このネコの家には、どういうわけか、奇妙なひとたちがつぎつぎと集まってきます。  寝ているうちに後ろ向きに歩く癖のあるラマ、発明好きのふたごの兄弟、切れた電球コレクターのムカデなど、全部で11人の共同生活ぶりを楽しく語ります。  ドイツで人気の人形劇の原作。  (Amazon より転載)

これは楽しい!!!  最初にさほど期待していなかった KiKi ですが、その期待(?)を見事に裏切ってくれました。  ドイツの童話ってどうしても「グリム」のイメージが強くて、こんな風にナンセンスで、こんな風に風刺の効いた物語を期待していなかっただけに、尚更楽しい物語だと思います。  訳者の若林さんもあとがきで仰っているように、「ドイツモノなのにどことなくイギリス風」というのが KiKi も大きく頷いちゃう感想です。

「ぼうしネコ」本人(?)もかなり面白い、愛すべきキャラクターだと思うんだけど、それ以上に笑えるのがこの「ぼうしネコの家」に集まってきたあまりにも個性的な面々です。  で、この居住者たちが人間の大家さんを振り回している姿が何とも言えず滑稽なんですよね~。  よくもまあ、これだけ変な人たち(生き物たち・・・・と言うべきか?)が集まったものです。

  

今日も引き続き現在絶版中の岩波少年文庫を読み進めている KiKi ですが、同時並行で久々にとあるお気に入りの漫画も再読しています。  KiKi はね、漫画世代に属する人間ではあるのですが、どちらかというと漫画というヤツをあまり好みません ^^;  漫画よりも文字と挿絵だけの本の方が子供の頃から好きでした。  でも、そんな KiKi でも大好きだった漫画が1つありました。  それは池田理代子さんの「ベルサイユのばら」でした。  フランス革命を描いたあの大巨編は KiKi が小学生の頃に「週刊マーガレット」という女性漫画誌に掲載されていたのですが、これが言ってみれば KiKi の漫画開眼の記念碑的(?)作品です。 

まあ、この作品と同時期に同じ週刊マーガレットに「エースをねらえ!」というテニス漫画が掲載されていて、この2つが KiKi にとっては結構嵌った漫画だったのですが、その後あまり興味をそそられる漫画には出会いませんでした。  大学生になった頃遅ればせながら「キャンディ・キャンディ」に出会い、「タッチ」に出会い、「ガラスの仮面」に出会い・・・・・・  まあ、そのあたりが KiKi の漫画遍歴と言っても過言ではありません。  池田理代子さんの作品も、「ベルばら」以降はリアルタイムでは読んでおらず、こちらは大人になってから「漫画文庫」で「オルフェウスの窓」やら「栄光のナポレオン」やら「女帝エカテリーナ」やら「天の涯まで ポーランド秘史」やらに出会いました。  そしてつい最近、「のだめ」に出会った・・・・  要するにこれが KiKi の漫画暦です。  で、そんな自分の漫画遍歴を見ていて気がついたのは、KiKi が好む漫画は「歴史モノ」か「音楽モノ」の漫画がやたら多いということです。  で、本日ご紹介する漫画もご他聞にもれず、「歴史モノ」の一品です。

チェーザレ 破壊の創造者(1)
作:惣領冬実 監修:原基晶  講談社 モーニングKCDX

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歴史の闇に葬られた人類史上、最も美しき英雄、チェーザレ・ボルジアの真実が甦る。  新鋭ダンテ学者・原基晶が監修。  世界的に最も定評のあるサチェルドーテ版チェーザレ・ボルジア伝のイタリア語原書を翻訳し、精査を重ね生まれた全く新しい物語。  (漫画本カバーより転載)

とにかく KiKi はこのチェーザレ・ボルジアという人物には半端じゃなく興味を持っていました。  過去に「歴史上の人物の中で誰が好き?」というような問いを投げかけられたとき、「チェーザレ・ボルジア」と答え、「誰、それ??」と逆に聞き返されたことの何と多かったことか!!  歴史の教科書にも出てこない彼の存在をどうやって知ったのかはもう覚えていないし、何にそんなに惹かれたのかは今もって定かではないんだけど、何故かこの男、KiKi の興味を捉えて離さないんですよね~。  で、高校生ぐらいの頃にマキャベリの「君主論」がチェーザレをモデルにして書かれていたりもするということを知ったときには、何だかマキャベリさんに妙な親近感を持ったことを今も覚えています。

とは言え、チェーザレ・ボルジアが実際のところどんな人物だったのかを紹介している本ってさほど多くないんですよね。  大人になって塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」が世に出たときは本当に嬉しかった!!!  思えば KiKi が塩野さんのファンになったのはこの「チェーザレ繋がり」があったればこそ!と言える様な気がします。

で、そういう意味では本来であればこの漫画のベースになっている「サチェルドーテ版 チェーザレ・ボルジア伝」をこそ KiKi は読みたいのですよ。  日本語にさえなっていれば!!!  でもね、生憎 KiKi はイタリア語はさっぱりだし、今からイタリア語を1から学んでまでして読もうというほどには若さもパワーもありません ^^;。  で、数年前にこの漫画を店頭で見つけたときに思わず衝動買いをし、以来、コツコツと1冊ずつ買い集めているのです。  なかなかゆっくりペースの発刊でいつになれば最終話にたどり着くのか、現在までに市販されている7冊が全体の何%を占めるのか、まったく知らないのですが、じっくりと丁寧に最後まで完成させて欲しい「大人の観賞に耐えうる漫画」だと思っています。   

クオレ アミーチス

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今日も現在絶版中の岩波少年文庫です。  KiKi が小学生の頃には「道徳の時間」にこの本の中の物語がテキストになったことがあったように記憶しています。  そんな記憶があるだけに、今回も「何となく説教臭いお話だなぁ・・・・・」と思ってしまうかもしれないという危惧を抱きつつ、この本を手に取ってみました。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

クオレ
著:E.D.アミーチス 訳:前田晃  岩波少年文庫

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小学4年の純真な少年エンリーコの日記に、「母をたずねて三千里」「フィレンツェの少年筆耕」「難破船」などの話や、父母の真情あふれる手紙を添えた、愛の物語。  百年間にわたって、子供たちに友情と正義とを訴えつづけてきたイタリアの名作。  (文庫本扉より転載)

う~ん、いい話だぁ!  確かに説教臭いと言えば説教臭いし、現代感覚からすると冗長に感じられるところもないわけじゃないけれど、それでもこの本の説教は KiKi には鼻につかないんですよね~。  それは根底に「人に対する尊敬」だとか「親子の間に流れる愛情(それもベタベタしたものではない)」だとか「自分を育ててくれた人・国に対する感謝」だとか、ちょっと眩しすぎるけれどそれでも可能であればそういう気持ちを自分も持ちたいと思わせてくれる、人間の根源にある「社会性への指向」みたいな部分の一番ピュアな形が描かれているからなんじゃないかしら。  「国のため、家族のために尽くす」というテーマのエピソードが数多く収められていて、「愛国心が希薄だ」という自覚がある KiKi にとっては、それが鬱陶しく感じられても不思議じゃないと思うんだけど、何故かこの物語だと突っ込みも忘れて「うんうん」と頷いちゃったりして、逆に自分を恥ずかしく思っちゃったりもするんですよ(苦笑)。  

もちろんそれには大人になった今の KiKi にはイタリアという国の成り立ちに対する理解・・・・・みたいなものがあるということも大きな一因だとは思うんですけどね。  今ではオシャレなファッションと美味しいフードばかりが注目されるイタリアだけど、この国の歴史を辿ってみるとホント、波乱万丈っていう言葉がピッタリで、1880年代であってもまだまだこんなオシャレとは程遠い世界にあったんだなぁ・・・・と改めて彼の地に思いを馳せることしきりです。 

この週末も KiKi はLothlórien_山小舎に行っていました。  でね、実は今、KiKi は東京の歯医者さんで歯の治療中なんですけど、たまたま土曜日に仮詰めしていたものが取れちゃって、そのままだとあまりにも痛いし、かと言ってそれだけのために東京に戻るのも癪だった(笑)ので、村の歯医者さんに応急処置をしていただきに行ったんですよね。  そうしたら、たまたまその日は村の小学校の運動会で、普通だったら開業中の歯医者さんも張り紙もなく休診中・・・・・。  で、途方に暮れていたらたまたまそこにひょっこりその歯医者さんがちょっとだけ帰っていらして、何とか応急処置はすませていただいたんです。  いや~、村の診療所っていうのはの~んびりしていますねぇ。  聞けば

「いや、村人はみ~んな今日が運動会だって知っているから、張り紙はしていなかったんですよ。  ワッハッハ。」

とのこと。  まあ、普通であれば村民しか来ない歯医者さんなのですから、KiKi のような余所者のためにわざわざ張り紙なんてするわけもなく・・・・・・(苦笑)  面白いものでこれが東京であれば

「休みなら休みとちゃんと書いておいてくれないと!!!」

と、ちょっぴり怒りモードに入っちゃうかもしれないところが、この村にいると

「いや~、余所者だから知らなくてごめんなさいね♪  これから又学校に戻られるんですか?」

とにこやかになってしまうのが不思議なところです。  ま、それはさておき・・・・・・

その歯医者さんと応急処置をしていただいている間に、色々お喋りしていたら耳寄りの情報をゲットしたのです。  それは

村の事業で今年の晩秋~初冬頃、光回線を引くらしい

というもの。  これは真偽のほどを確かめなくちゃいけません。  で、NTTに電話してみたら、電話窓口のお姉さんではまったく埒があきません ^^;  で、仕方ないので今日、月曜日に村役場へ行って確かめてみました。  すると・・・・・

まだ具体的な日程までは決まっていないのですが、11月~12月ごろに村民が使えるようにするため、現在NTTと調整中とのこと。  最終的に村民に開放できるようになったら「村役場のHPにアップします」ということだったので、今年の秋は毎日村のHPにアクセスして、即申し込みをしなくちゃいけません!!  ああ、やっとこれで、トロトロの ISDN 回線からおさらばできる可能性が・・・・・・。  嬉しいよぉ!!!!!

因みに、今回、KiKi は初めて村役場に足を踏み入れたのですが、案外若い職員さんがいらっしゃるのには正直、びっくりしました。  何せ KiKi がこの村に通うようになってから出会った人たちは皆さん KiKi と同年代か年長の方ばかりで、若い人って滅多にお見かけしなかったのですよ。  そうであるだけに、この村に光が引かれるなんて夢の又夢かと半分諦めかけていたんですよね~。  まして、KiKi は現段階では正規の村民ではないので、住民運動なんてできる立場じゃなかったし・・・・・。  

ああ、来年のお正月には、ここ、Lothlórien_山小舎でスイスイ繋がる光回線でネット生活を謳歌している自分の姿が今から目に浮かびます。  これで雪に閉ざされることがあっても怖くありません!!!(笑)  これがぬか喜びにならないことを祈るばかりです。

 

今日も現在絶版中の岩波少年文庫です。  こちら、往年の少女たちの愛読書の1冊だったように記憶しているのですが、そんな中、子供時代の KiKi には正直なところ、どこがいいのかさっぱりわからなかった物語です ^^;  ま、そんな物語を大人になった今、読み返してみて何か感じるものがあるかどうか?  それを確認してみたくて手に取ってみました。  はてさて、この選択が吉と出るか凶と出るか、請うご期待!というところです。

四人の姉妹 (上)(下)
著:オールコット 訳:遠藤寿子  岩波少年文庫

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父を南北戦争に送ったマーチ家では、メッグ、ジョー、ベス、エィミの四人姉妹が母を助けながら、貧しい中にも楽しい日々を送っていました・・・・・。  「若草物語」として愛され、読みつがれている、アメリカ児童文学の名作。  (文庫本扉より転載)

「四人の姉妹」というとどんな物語なのかご存じない方も「若草物語」と言えば、特に女性ならかなり多くの方が「ああ!、 あれ?」と思われるのではないでしょうか?  少なくとも KiKi が小学生だった時代には女子小学生にとっては必読本と言ってもいいほど人気の高かった作品ですね。  多くの友人たちが「私はメッグ・タイプ」「私はジョー・タイプ」と自分と姉妹の類似点を探したり、「誰それがいいよね♪」と評したりしていたものでした。  そんななか、KiKi も一応「必読書」ということで読んでみたことはあるのですが、正直なところ、どこがいいのかさっぱりわかりませんでした。  今回、この本を手にとって見たときも、正直なところ「う~ん、これはもっと後回しにしようなかなぁ・・・・・」と思ってしまったくらい、食指が動かなかった物語なのです ^^;

どうしてあの時代の KiKi にとってさほど面白い物語でなかったのかと言えば、友人たちが興じるほど KiKi には「私は○○タイプ」と言えるほど、自分が気持ちを寄せる相手を四姉妹の中に見出すことができなかったし、憧れて「○○がいいよね♪」と言える存在もいなかったというのが大きな理由だと思うんですよね。  もっといえば KiKi 自身が子供時代には「自分の家は貧しいか裕福か?」ということにはまったく無頓着だったし、いつも親戚のお姉さんのお古ばかりを着ていてそれが当たり前だと素直に受け容れていた身としては、ファッションにやたらと気を遣う姉妹の心理がまったく理解できなかったし、さらには自分を省みる際に常に「神様」が出てくるのもしっくりこない・・・・・ ^^;  要するに共感できるところが何ひとつなかったのです。

でもまあ、大人になった今であれば、ひょっとしたらマーチ家のお母さんとか、お隣のローレンスさんとか、いわゆる物語の脇役に当たる人たちに何らかの共感を得られるかもしれない・・・・・。  そう思いながら読み進めました。

 

黒馬物語 シュウエル

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今日も現在絶版中の岩波少年文庫の1冊を読みました。  この本は KiKi にとって懐かしい1冊です。

黒馬物語
著:A.シュウエル 訳:土井すぎの  岩波少年文庫

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つややかな美しい毛なみをもつ黒馬が、生まれ育った牧場やなつかしい母親のもとを離れて、ひろい世の中で体験したさまざまな出来事を語ります。  馬をこよなく愛した作者が熱い思いをこめて、人生のよろこびと悲しみ、愛と真実をつづった感動的な物語。  (文庫本扉より転載)

この物語を初めて読んだとき、KiKi はびっくりしたのです。  と言うのも、「馬の自叙伝」っていう感じで、とことん馬目線になって、馬の言葉(と言っても当然それは人間言葉 ^^; なんだけど、要するに1人称が馬なんです。)で書いている物語なんですよ。  でもね、物語冒頭が「わたしが~」で始まっているんだけど、最初は「わたし≒馬」とは思えなくて、そのすぐ後に「小さい頃は草が食べられないので」と出てきたとき、「え?  く、草??  そりゃ大きくなったって食べられなさそう・・・・」とまず思って、次に「あ、ひょっとして わたし≒馬 だったの?」って思って、もう一度冒頭に戻って読み直しちゃった・・・・・  そんな思い出があります。(苦笑)

いかに当時の KiKi が鈍感であったとしても、冒頭の文章が馬っぽい(?)、いかにも馬が言いそうな(?)、凡そ人間とはかけ離れた感性で何かを語っているのであれば、さすがの KiKi も「わたし≒馬」という公式がすんなりと頭に刷り込まれたと思うんだけど、そうじゃないところがこの物語の吸引力に大きな貢献をしていると思うんですよ。  物語最初の一文を引用してみるとこんな感じです。

わたしがよくおぼえている、さいしょの場所は、きれいにすみきった池のある、ひろびろとした、気持ちのいい牧場でした。  茂った木が何本か、池の上にしだれるように立っていて、池の深いほうには、トウシン草やスイレンが生えていました。  牧場の生け垣のむこうは、一方に、耕した畑が見え、反対側に、木戸をこえて、主人の家が見えました。  そして、家のわきには、道がとおっていました。 ・・・・・・・・

ま、こんな感じです。  ね、凡そこの文章から「わたし≒馬」という公式がすぐに成立するとは考えられないと思いませんか?  でもね、そうであるだけに、まだ幼かった KiKi にも「馬にも人と同じように気持ちというものがある」ということだけは、感覚的につかむことができたような気がするんですよ。

 

今月からは60周年記念の岩波少年文庫の現在絶版になっている物語を集中的に読んでいきたいと思います。  今日ご紹介するのは1996年に初版が発刊された日本の物語。  こちらも表紙の純日本風の絵柄に惹かれて手に取った1冊です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

あそびあいてはおばあさん
著:木島始 画:梶山俊夫  岩波少年文庫

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おかあさんの入院中、ちいさなカオルのさびしさをまぎらわしてくれたのはおばあさん。  もみじ焼きを作ってくれたり、手まり歌を歌ったり、そして不思議なお話で、カオルを幻想的な世界につれていってくれた。  (文庫本扉より転載)

この本の表紙も素敵なんですよね~。  千代紙や日本てぬぐいなんかにありそうな図柄が、なんとはなしに KiKi の和心をくすぐります。  よくよく眺めてみると、どことなくグロテスクだったり、ちょっと恐ろしかったりもするのですが、これが日本人が元来持って生まれているある種の世界観なんだと思うんですよね。  だから、そのグロテスクさや歪みのようなものの中に美を見出すとでも言いましょうか・・・・・。  今、たまたま NHK の朝ドラで「ゲゲゲの女房」というのをやっていて、妖怪大好き人間の水木しげるさん一家の物語の中で「見えないけれど、そこにおる」とか「怖いけど面白い」というキャッチフレーズ(?)が何度もくり返されているけれど、それにかなり近い世界観がこの挿絵にも、この物語にも流れていると思います。

そして、お年寄りがどんどん社会の重荷でもあるかのような扱い方をされているように感じられなくもない昨今、こういう物語が伝えてきた世代を超えた人と人のつながりに何となくほっとしたものを感じます。  ただねぇ、このおばあさん & カオルの遊び方と現代の子供の遊び方にはあまりにも大きな乖離があるので、こういう物語は今では廃れちゃうんでしょうねぇ・・・・・。

元来、子供っていうのは面白いお話を聞くことに目がないと思うんだけど、「面白い」という感性自体も時代とともに変わってきてしまっているのは、事実だと思うんですよね。  KiKi の子供時代はこの物語にあるような「おばあさんの昔語り」や「お父さんの思い出話」を聞くことがとっても楽しいことで、面白いことだったけれど、イマドキの子供たちはこういうお話にどういう反応を示すのかなぁ??  子供のいない KiKi には想像もつかないけれど、何となく・・・・ではあるんだけど、中学生になった KiKi が興味を示さなくなっていたのと同じような反応の仕方でイマドキの小学生、下手をすると幼稚園児であってさえも、この物語を捉えるんじゃないか?  そんな気がしました。

 

KiKi が「岩波少年文庫は侮れないぁ」と思うのは、素晴らしい文学作品を多く含んでいることはもちろんですが、こういう作品までとりあげているところなんですよね~。  なんせこの作品、漫画なんですから!!  セリフ抜きの 2~9コマ漫画で、風刺が効いているうえに上質のユーモアに溢れた作品なんです。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

おとうさんとぼく (1)&(2)
著:e.o.プラウエン 訳:上田真而子  岩波少年文庫

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ちょっとふとりぎみの「おとうさん」、人がよくて、少し子どもっぽくて、それでいて人情味ゆたか。  おかっぱ頭の「ぼく」、いたずらやけんかが好きな男の子。  この名コンビがくりひろげる日常生活の諸相を、愛情をこめて、単純明快な線で描き、たちまちベストセラーになったドイツ生まれのコママンガの古典。  (文庫本扉より転載)

これは本当に楽しい漫画だと思うんですよね。  どことなく「おとうさん」が「サザエさんちの波平さん」に似ているんですよ。  波平さんから「父親の威厳」をごっそりそげ落として、お茶目なところだけを残したらこうなるんじゃないかっていうような雰囲気なんです。  で、「ぼく」は「カツオ君」をもっと幼くして、ついでに「現代っ子ぽい計算高さ」をごっそりそげ落として、「やんちゃさ」だけを際立たせるとこうなるんじゃないかっていうような雰囲気です。

でもね、1巻の巻末にある上田真而子さんの解説を読むと、この著者の e.o. プラウエンという人の壮絶な人生に言葉を失うのと共に、ナチス支配下のドイツでそのナチスに睨まれつつも、これだけ愉快な作品を描いた著者の精神力と人間性に頭を下げざるをえないような気分になります。  もっとも、KiKi はそんなことを斟酌しながら読むべき本ではないような気がするし、純粋にこの普遍的なクスッと笑える人情話に身を委ねて、楽しませてもらうべき作品のような気がします。

読者が子どもであればきっと「ぼく」に感情移入して、「ああ、こんなお父さんだったらいいのに!」と羨ましく思うんだろうし、大人であればきっと「おとうさん」に感情移入して、「こんな風に童心に帰って子どもと遊べたら愉しいだろうなぁ。  でも、大人の分別が邪魔してこうはできないけれど・・・・・」と思うのと同時に、とは言いつつも、自分の子どもとの触れ合い方を思わず省みちゃうんじゃないかしら(笑) 

こちらのエントリーでご紹介した「針さしの物語」でメアリ・ド・モーガンの世界に魅せられた KiKi。  ならば第2作のこちらは????ということで早速手を出してみました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。  (えっと因みに「針さしの物語」はエントリーとしては今日9月1日に書いているのですが、実は8月31日に静岡出張の際、新幹線の中で読了した本だったんです。)

フィオリモンド姫の首かざり
著:ド・モーガン 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

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世にも美しいフィオリモンド姫には、おそろしい秘密がありました...。  表題作のほか、若いさすらいの竪琴ひきとその妻の哀切な物語、民話風な楽しい話など7編をおさめた、幻想的で不思議な童話集。  (文庫本扉より転載)

こちら(↑)もあちらに負けず、とっても素敵な表紙 & 挿絵だと思うし、スタイル・・・・というか絵の格式のようなものがかなり似ているので、最初は同じ人(ウィリアム・ド・モーガン; メアリのお兄さん)の手によるものかと思っていたのですが、実はこちらの挿絵はウォルター・クレインという別の方の手によるものなのだとか・・・・・。  ちょっと興味をもって、ウォルター・クレインに関しても調べてみたんだけど、メアリ & ウィリアムのモーガン一家とほぼ同時代に、ウィリアムとほぼ同じような職業を経て、ほぼ同じような芸術運動に身を投じた人だったようです。  まあ、KiKi が調べた限りではこの2人の具体的な接点みたいなものは見つけられなかったんだけど、きっとモーガン家のサロンにはやっぱり彼も出入りしていてメアリとの接点もあったんじゃないかな?と思います。

「針さしの物語」でも書いたけれど、こちら「フィオリモンド姫の首かざり」は彼女が残した出版物としては2冊目です。  1冊目に比べるとさすがに中身がより充実し、多くの示唆に富み、より哲学的・・・・というか、人間描写に深みみたいなものが出てきていると思うんですよね~。  もともと彼女の作品は女性らしい感性にあふれた女性目線の物語が多いと思うんだけど、その女性たちがグリム童話集などの女性に比べるとより主体的で、自らが行動し、そして得られる「何か」をベースにした女性目線ならではの社会批判のようなものが色濃く出ているように感じられるのですよ。  

と、同時に兄を通じて親交のあったとされる、ウィリアム・モリスらの唱えた反物質主義的なユートピアへの志向に共感していたことも作品の性格を決定付けるひとつの大きな要素になっているんじゃないかなぁ・・・・・と。  それがクラシカルでありながら、どことなく現代的で、童話世界のお約束に従っているようでいて、「えっ!  そうなっちゃうの?」と思わせるエンディングを迎えたりする彼女の作品なりの個性を生んでいるような気がするんですよね~。

 

KiKi がまだ小学校低学年の生徒だった頃、図書館で本を選ぶときの選考基準(?)の1つは、表紙や扉絵の絵柄でした。  当然のことながら作者本人だとか、その作者の国籍だとか、どの時代に生きた人だったのかだとかということにはまったく興味がなく、表紙や扉絵がどれだけワクワクさせてくれるか?というのが重要なポイントだったのです。  まず最初に表紙や扉絵で10冊が3冊まで絞り込まれ、次に裏表紙や見開きページに印刷されたコメント(KiKi がよく本の紹介の下に「○○本裏表紙より転載」と書いているアレ)を読んで2冊に絞り込み、後はまあその日のインスピレーション次第・・・・・・(笑)  まあ、そんな感じでした。  本日の KiKi の読了本は当時の KiKi だったら1発で10冊からこの1冊に絞り込んじゃっただろう素敵な表紙絵 & 挿絵の1冊です。

針さしの物語
著:ド・モーガン 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

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美しさを鼻にかけて妖精たちの怒りを買い、鏡にも水にも自分のすがたを映せなくなった娘の話「みえっぱりのラモーナ」。  きゅうくつなお城の生活にいやけがさして逃げだしたお姫さまと、身代りの姫をめぐる話「おもちゃのお姫さま」。  地までとどく自慢の髪をすべて失った王妃のふしぎな話「髪の木」など、クラシックで幻想的な短編集。  (文庫本扉より転載)

メアリ・ド・モーガンは「お話し上手な女性」として多くの作家や芸術家にインスピレーションを与えた女性だったようなのですが、いわゆる完成された書物(出版された形で残された彼女の作品集)としては、今日ご紹介する「針さしの物語」と近々ご紹介することになる「フィオリモンド姫の首かざり」と「風の妖精たち」のみで、その3冊すべてが現在市販されているバージョンの岩波少年文庫よりも1世代前のバージョンのラインナップでは読むことができました。  (現在は「風の妖精たち」のみです。)

とってもクラシカルな雰囲気にあふれた短編集で、読みやすいと思うのですが、現在のバージョンでは3冊のうち1冊しか残っていないというのは、やっぱり「イマドキは流行らない物語」っていうことなのかなぁ???  個人的には超有名な「アンデルセン童話集」や「グリム童話集」「ペロー童話集」などと全く遜色が無いと思うんですけどねぇ~。  否、遜色がないと言うよりは、その系列にありながらもどこかに「ちょっと違う何か」が感じられる作品集のように思うのです。  なんて言うか、西洋の童話的なモチーフに寄り添いながらも、一種独特の雰囲気を持っているとでも言いましょうか??

 

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