ペガーナの神々 ロード・ダンセイニ

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今月から始めた「松岡正剛千夜千冊フォロー企画」。  昨日の第1夜に引き続き、今日は第2夜です。

松岡正剛千夜千冊 第2夜
ペガーナの神々
著:ロード・ダンセイニ 訳:荒俣宏  ハヤカワ文庫

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この世が始まるより以前のこと。  <宿命> と <偶然> が賭けをし、その勝者が絶対者の許に赴いて、こう言った - 「われのために神々を創れ」と。  かくて、この世のありとあらゆる存在が <宿命> と <偶然> のたわむれによって造られ、人間は <死> の猟犬 <時> に狩りたてられて神々に呪詛の言葉を吐きかける!  異境の神々の創造と黄昏を雄大に描いた表題作ほか、詩的イメージと神秘的美意識が結晶した「時と神々」を収録。  (文庫本裏表紙より転載)

昨日に引き続き、今日のこの本も幸いなことに KiKi の蔵書の中にありました。  このブログ、 Lothlórien を開設し「岩波少年文庫」と「神話・伝承」関係を読書カテゴリーの主軸に置こうと決めた時に、図書館で借りて読んだことはあっても蔵書が少なかったケルト系・妖精系の本を少しずつ集め始めたのですが、その中の1冊がこの「ペガーナの神々」でした。

なんて言うか不思議な物語ですよね~。  どことなくもや~っとしている世界観。  配置されている登場人物(と言っていいんだろうか??  ほとんどが神様なんだけど・・・・ ^^;)の階層だけはものすご~くはっきりくっきりしているんですけど、それ以外はもやもや~っとしているんですよ。  そのはっきりしている階層構造は簡単に言うとこんな感じです。

<マアナ=ユウド=スウシャイ> → < ペガーナの神々> → <地霊たち> → <人間の預言者> → <地球上に生きる普通の人間など>

こんなにはっきりした構造にも関わらず全体的にもやもや~っとしている一番の理由はそもそもこのヒエラルキーの中でトップに位置するはずの「マアナ=ユウド=スウシャイ」が冒頭でペガーナの神々を創る以外はこれと言った仕事もせず、スカアルという鼓手の叩く太鼓の音を BGM にただひたすらまどろんでいると言うこと!(笑)  ある意味で唯一絶対の存在であってもおかしくないポジションにいながら、ひたすら惰眠(と言うと言い過ぎかもしれないけれど)を貪っちゃっているのです。  もっともその「マアナ」であってさえしても絶対なのかどうかがはっきりしないのは、「宿命」と「偶然」の賭けの結果に従うだけの存在だということなんですよね。  

で、その「宿命」か「偶然」のどちらかのリクエストに従って「マアナ」は「ペガーナの神々(≒ 小さな神々)」を創造するんだけど、「宿命」が勝ったにせよ「偶然」が勝ったにせよ、賭け事による勝敗で「マアナ」への働きかけが行われたということは、世界創生の理由そのものからして曖昧だっていうことだと思うんですよね。  そうやって創られた神々もこれまたよくわからない神々で「戯れに」世界やら命やらを創り始めるんですよ。  で、この「戯れ」には「マアナが目覚めるまで」というタイムリミットがあって、もしも「マアナ」が目覚めてしまうと「モトイ!」とばかりに新しい世界と新しい神々が創造され、古い世界と古い神々を消し去ってしまうのだそうな・・・・。  だからペガーナの神様たちは押し黙ったまま手話で世界を創造するのだそうです。  で、挙句の果てに作者はこんなことまで言うのです。

数え切れないほどある下界と天界は、どれもこれもがこのスカアルの打ち鳴らす太鼓の音の谺(こだま)にすぎないのだ、とある者は言う。  またある者は、それら大地と星々とは、ちょうど歌声に眠りを乱された人が不思議な夢を結ぶのと同じことで、マアナがスカアルの鳴らす太鼓にうながされて結んだ、ただの夢にすぎないのだ、と言う。  けれど、どちらが嘘で、どちらが本当かは誰にもわからない。

この世が「マアナ」なるものの夢に過ぎず、「マアナ」が目覚めると共に消えてしまい、同時に神々も人々もすべてが虚しい戯れに過ぎないということは、ある意味で、約束されている終末にひたすらに向かっていくのが、神々と私たち人間とで行われる事々ということだと思うんですよね。  幻想的でもやもや~っとしていて全てが霧の中にあるような、薄絹ごしに透けて見えるような世界なんだけど、パステルチックなホンワカとしたやわらかさに包まれた世界というのとは全く異なって虚無感が支配している世界。 

もう1つ面白いなぁと感じたのはこの物語を流れている「時間の感覚」なんですよ。  「ペガーナ」の世界での時間進行は、地球の住人にとっては相当な年数が過ぎたとしても、「小さな神々」と「マアナ」にとってみるとそれは一瞬のことでしかないんです。  「今」という時間感覚しか持たない神々ということは、「現在が無限に続く」ということとほぼ同義だと思うんですよね。  で、「現在が無限に続く」ということはそこには「変化は存在しない」ということだと思うんです。

さらに面白いのは小さな神々が紹介されるんだけど、それがキブ(≒生命をもたらすもの)、シシュ(≒時をけしかけるもの)、ムング(≒ 死を司るもの)であるということです。  まあ、この間に生命の神秘の源である「水」と縁の深いスリッドも出てくるんだけど、この「ペガーナ神話」では「キブ、シシュ、ムング」が強く結びついて登場しているところがとても印象的です。  しかも「時」を挟んで「生」と「死」が登場するんですよ。  人間の一生を端的に表したこの三者が「変化」の象徴であるのと同時に、「マアナ」の眠りと覚醒によって永遠に繰り返される夢幻的な永劫回帰に対立するかのように直線的な動きだと思うんです。  この2つの相反するような「時間感覚」が全編を通じて流れていることで、そもそも「完全」なんていうものは存在しなく、所詮歪なもの、「確かさ」とは無縁なのがこの世界・・・・というような感覚を覚えます。

人間は神々によって「時」という猟犬をけしかけられ、「死」をもたらされるけれど、神々には「現在」しかない・・・・・。  だから人間は神々に翻弄されっぱなしなんです。  この神話に出てくる人間たちは神々(但し「マアナ」ではなく「小さな神々」)を敬いながら、この「変化」と付き合っていくために「世界の秘密」に近づこうとするんだけど、神々はそんな人間に罰を与えます。  常に「今」しかなく、「変化」とは無縁なペガーナの神々はある意味で人間的な「性格」を持ち合わせていないので、この罰は時に無慈悲にさえ見えるんだけど、それも虚無感をさらにあおります。

いずれにしろ、この物語のキモはこの世界の創世理由が<宿命> と <偶然> のたわむれによるという極めて曖昧なもので、そんな中で生きている人間は <死> の猟犬 <時> に狩りたてられて <生> を全うするちっぽけな存在に過ぎないということ。  そして「世界」は常に滅びゆくものとして意識され、神々も人々も「黄昏」に向かっているということだと思うんですよね。  そんな中、私たち人間は「変化」を意識するが故に「己自身の希い(ねがい)」に拘り、それを認められたいと欲する生き物であり、でもそれはある意味虚しい、所詮果たされることのない希いなのかもしれないということ・・・・・のような気がします。

読み方によってはとても厭世的なセリフに聞こえちゃうけれど預言者、ユン=イラーラの姿に KiKi はある種の真実のようなもの・・・・を感じました。

(人々は)ようやく、ユン=イラーラという者を見出した。  彼は羊の番をしながら日々を送り、ムングを恐れたことがなかった。  人々はこの者を市(まち)へ連れて行って、予言者にしたてあげた。  するとユン=イラーラは、沈んでいく太陽を見つめる海に向けて、一宇の高楼を建立した。  日々の暮れ方に、ユン=イーラーラは登頂へ登り、ムングへの呪いを叫びながら沈んでいく太陽を眺めた。  「おおムング!  その腕(かいな)もて太陽にはむかう者よ。  人間には呪われこそするが、まこと人間がなれに対して抱くその恐怖の故に、人間にあがめられ、畏れられる者よ、 (中略) 我はムングの貌にむけ、ムングへの呪いを吐きつづけるであろう」 (中略)  シシュは、ユン=イラーラの髪を白く変え、その塔には蔦を、またかれの四肢(てあし)には疲れを、それぞれ送りわたした。  (中略)  こうして、ユン=イラーラにとってはシシュこそが、ムングよりもずっと我慢ならない敵になったとき、彼はとうとう、キブの賜物たる疲れが自分を押しつぶす日がくるまではけっしてやめまいと誓っていた、あの呪いを - 太陽の沈む姿を見つめながら、日暮れのたびごとにムングへ送ったあの呪いを叫ばなくなった。 (中略) 「おおムング!  おお神々のうちもっとも愛らしい神よ!  おおムング、強く恋い慕われる神よ!  なれの賜物たる <死> こそ、われら人間の受くるもの。  弛緩と安らぎと沈黙と、それにもまして大地への帰還をもたらすもの。  キブはわれらに苦役と辛酸ばかりをつかわし、またシシュは、かれが世界に向けてけしかける時間(アワー)どもひとりびとりに託して、われらに悔恨(くやみ)を送る。  ヨハルネト=ラハイはもはや親しみを失った。  リンパン=タンとともに悦楽に興じることも、今はない。  他の神々に棄て去られたとき、人にはムングだけがある。」

最後に、この物語は読み方によっては現在地球上にある各種の宗教に対する、ある種の皮肉を内包しているように感じられました。  ギリシャ神話や日本神話の神様に比べるとはるかにいい加減な存在理由しか持たない世界観・神様たちだと思うけれど、それは神話創作そのものの動機の違いによるものなのかもしれません。  そんなことを考えながら読了した時、KiKi は「ダンセイニその人の宗教観はどういうものだったのだろうか?」ということにとても興味を覚えました。  先日途中まで読み進めたダンテの「神曲」などは作品の中にギリシャ神話の世界観も取り入れてはいるもののやはりキリスト教徒の作品であることが明らかだけど、ダンセイニのこの物語は原初の世界を描いているから・・・・という以上にキリスト教的世界観と汎神論的世界観との間で揺れ動いている、どことなく曖昧な宗教観のようなもの・・・・を感じました。  まあ、これってひょっとしたら現代人の宿命なのかもしれませんけれど・・・・・。

追記:  この本の訳者は荒俣宏さんだけど、彼が翻訳家として活動していた時代のペンネームは団精二(だんせいじ)というのだそうで、その名前の由来はダンセイニをもじったものだったとのこと。  今では半分タレント化しちゃったよくわからない博物学者(?)になっちゃって、個人的にはあんまり好きなタイプじゃないんだけれど、彼の翻訳家としての活動には結構お世話になっている KiKi なのです。 

 

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