グリーン・ノウの子どもたち L.M.ボストン

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今日はお正月の3日。  日本人という民族は不思議なもので、12月はいきなり「似非キリスト教徒」になって、クリスマスツリーを飾り、蝋燭でテーブルを灯していたかと思うと、それからわずか1週間とたたないうちに、今度は門松を飾り、お餅を食べ、神社にお参りに行きます(笑)。  もちろんそういうイベントを楽しむ遊び心まで否定するつもりはないんだけど、時折思うのですよ。  なんとまあ、ゲンキンな!と。   まあ、かく言う KiKi も日頃は宗教心の欠片も持ち合わせていないような生活をしていながらも、初詣ではしっかりとお願い事をしているのですから、ゲンキンな人間の1人であることに変わりはないのですけどね(苦笑)。  でもね、神社の厳かな雰囲気の中に身を置くと、何となく今の自分につながってきた先達たちの生き様に思いを馳せ、お屠蘇やお節をいただくと「日本人で良かった♪」な~んていうことをしみじみと感じたりもするわけで、そしてその先には「今年こそは!」という三日坊主になりがちなある種の未来展望なんかもあったりするわけで、自分の居場所、立ち位置の再確認という作業(?)を恥ずかしげもなくおおっぴらにできるイベントとして考えてみるとお正月というのもなかなか良いものだなぁと思ったりします。

そんな風に自分のある種のアイデンティティの確認作業をしている真っ只中、本日読了したこちらの本でもちょっと寂しい主人公が「自分の居場所」を見つけていました。  ま、てなわけで本日の、いえ、今年の KiKi の読了本第1冊目はこちらです。

グリーン・ノウの子どもたち
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

516I7abjlDL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

ひいおばあさんの家で、冬休みをすごすことになったトーリー。  そこは、イギリスでもいちばん古いおやしきのひとつ、グリーン・ノウでした。  グリーン・ノウでは、つぎつぎとふしぎなできごとがおこって...。   (単行本扉より転載)

何だか懐かしいなぁ、こういう物語。  CG映画にもってこいの派手な冒険こそないけれど、真の暗闇と古い家の持つ厳かさが醸し出す独特の威圧感と安心感がないまぜになったドキドキ感にあふれたとっても身近な(身近だった?)冒険の物語。  子供時代にこの本を読んだとき、KiKi は親戚のおばさんの家の持つ雰囲気を思い出しながら、この本に描かれた1つ1つを楽しんだものでした。  そのおばさんの家は戦前に建てられたもので、当時新築の現代風住宅に住んでいた KiKi にはあまりにも大きく、あまりにも広く、あまりにも静かで、一種の異空間という雰囲気満点の家でした。  どことなく暗くて、部屋に置かれた調度品の1つ1つに何か得体の知れないものが潜んでいるような気がして、皆が集まる居間以外の部屋に足を踏み入れること自体が冒険でした。  その家の調度品は中国っぽいものが多く(KiKi の父方の祖父は中国で税関吏(?)の仕事をしていた人だった)、決してグリーン・ノウの家にあるものと同種ではないんだけど、何となく子供の感性には「同じ匂いのするもの」と感じられたんですよね~。

最近のマンションとか、現代風建築の家ってたとえそれがどんなに高級な素材で作られたものであったとしても、古い家が醸し出すあの独特の雰囲気っていうのは、絶対に味わえないもので、それに触れたことがある人しかわからないと思うんですよ。  何て言ったらいいんだろう。  その家が見てきたいいこと、悪いこと、すべてがごったまぜになって、現在と過去が入り乱れて手を結び、静寂の中に記憶の欠片、一家の歴史と魂のようなものが息づいているような感じ・・・・。  お墓とかお寺とか神社が持つ雰囲気に共通した、馴染みのないよそよそしさではないものの、ちょっと自分の生活環境とは距離感のある感じ・・・・。  距離感を感じつつも連帯感も感じるような不思議な感覚。  

   

トーリーの心を惹きつけた絵の中の幸せそうな家族の肖像画という小道具がこれまた素晴らしいと思うんですよね~。  美術館でスポットライトを浴びて展示されている肖像画は現代の写真に通じる「見るモノ」というポジションにある、良くも悪くもポートレート的なものであるのに対し、家の壁に掛けられた古くからある肖像画っていうのはスポットライトも浴びていなければ、「見るモノ」というよりは「見られ続けているモノ」というポジションにあるモノだと思うんですよね。  それが親族の絵で、そこかしこに今生きている人、生きているうちに会ったことのある人の面影を宿していれば、それは尚更だと思うんですよ。  自分が主で「見る立場」にいたはずが、いつのまにか主客転倒して「見られている側」になってしまう。  相手がこちらを見ているからには、そこに何等かの意思や思いを感じずにはいられない。  その延長線上にホラーっぽいけれど、今はいないはずの人の存在を感じる・・・・。  

この物語の中のトーリーのように、それまでの実生活の中で自分の存在意義・・・のようなものを実感できずに孤独感、疎外感を抱え込んで生きている人間にしてみれば、存在していないはずの人の存在を感じることによって、逆説的に自分の存在を再確認できるようになるというのは、さほど不思議なことではないのかもしれません。  そしてこの感覚は本来なら生命を持たないはずの人形のような家具調度にも魂のようなものを感じる気持ちにつながっていくのではないか?  そんなことを感じました。

KiKi はね、子供時代にこの物語を初めて読んだときは、トーリーの寂しさって漠然とは感じていたものの、今ほど強くは感じられなかったような気がするんですよ。  それは KiKi 自身がそういう寂しさとは無縁の生活をしていたということもあるし、グリーン・ノウのお屋敷で起こる不思議な出来事にワクワクする気持ちの方が強かったし、どことなく幻想的な異国情緒たっぷりのお屋敷に対する憧れの気持ちの方が強かったから・・・・・ということもあると思います。  でも、それ以上にこの物語の最後の方で描かれるビルマにいる父親からの手紙に対するトーリーの反応部分を読み飛ばしていたせいもあると思うんですよ。

わずか7歳の少年が離れて暮らす父親からの久々の手紙を「前よりずっと親しみのないものに感じられ」、そこについでのようにぞんざいな字で書かれた義母からのメッセージ「おかあさまから、トートーへ(この呼び方がそもそも彼には気に入らない!)、よろしく」という文字を見て、その手紙を即座に火にくべちゃうとは、どんなに大きな不安と寂しさを抱え続けていたことでしょう。  憎み合うというほどの感情の発露があるわけでもなく、ただ折り合うことができない。  その寂しさは大人であっても処理にはちょっと手間取る感情だと思うのに、自分につながるものを感じていたい年頃の子供にとっては、いかにも自分が寄る辺ない身であると考えさせるに十分すぎておつりが来ちゃうものだと思うんですよね。

だからこそ彼はこの物語冒頭で

「ここは、ぼくの家ですか? --いくらかでも」

と聞かずにはいられなかったんだろうなぁ。  子供時代には KiKi はトーリーのこの言葉も読み飛ばしていたような気がするんですよね。  それは、KiKi 自身が自分が育っている環境を、家を、何の疑問もなく受け入れていたし、自分が受け入れられていると確信できていたから・・・・・。

この物語の中では一族の中で同じ名前を持つ人たちが何人も出てくるわけだけど、そのこと自体もトーリーが「自分が属するもの」を感じていくために必要な大切な要素だったんだと思います。  子供時代には同じ名前の人ばかりでややこしいなぁ・・・・と感じていたけれど・・・・・(笑)。  トーリーが絵の中に描かれた300年前の子供たちに逢いたい、友達になりたいと強く願ったのは、彼らが自分に理屈抜きでしっかり「むすびついているもの」だと感じられたから・・・・。  そしてそんなトーリーと心を結ぶことができたオールド・ノウ夫人もトーリーと同じ寂しさ、寄る辺なさを感じながら生きていた時代があったから・・・・・。  

そんなことを強く感じながら読み進めてみると、この物語、子供時代に感じた美しい描写の物語というよりは、実はとってもさびしい心の物語なんだなぁ・・・・とあらためて思いました。  と同時に幸いなことに KiKi はこのての寂しさとは無縁の子供時代を過ごすことができたけれど、同じような寂しさを抱えて生きている人間(特に子供)にとってはどんな物語にうつるんだろう??

 

追記: このエントリーは2011年1月20日、Dill さんのブログの関連記事にTBさせていただきました。

    

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Kikiさん、私もいま読んでいるところです。
久し振りに読み直すと、いろんな発見があるものですね。

私は、作者のBoston夫人の存在感を強く感じながら読んでいます。
彼女は、あの家で、どんな風にこの物語の世界を作っていったのかな、あの家で何を感じ、考えていたのかな・・・と。 
林望さんのエッセーなどで、彼女の人となりをちょっと知っているからなおさら気になるのかもしれませんが、あの家(数年前に、友人と行ったことがあります)で一人で暮らしていた彼女が、それなりに満たされていた(と思うのですよ、彼女のエピソードを読むと)晩年を送りながら、でもちいさい男の子といっしょに住むことを頭の中でイメージして物語を育んでいた、というのが、何と説明していいのか、心に深々と感じられます。

Kikiさんの書いていらっしゃる、トーリーの孤独感は、イギリスの一昔前の(今はよくわからないけど)Upper Middleの独特の生活スタイルと強く関係しているのじゃないかな、と感じました。 イギリスでは、Upper Middle以上では親子のつながりは薄いことが多くて、子供は早くから寄宿舎に入れられるし、子どもは「ちいさい紳士や淑女」だと考えられていたから、兄弟のいない子は、孤独なこどもが多かった。 だから、このトーリーみたいに、一人で遊んで、自分の中に、遊び相手を探し出す・・・その環境が、イギリスにこれほど豊かなファンタジーの世界を作ったのかもしれななぁ、と思いました。

思いがけずに忙しい新年になってしまって、
亀のペースになりそうですが、ゆっくりと読んでいて、終わったら、感想をブログにも書いてみたいです。 Kikiさんの次作の感想楽しみにしてます。


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