2011年4月アーカイブ

運命の騎士 R.サトクリフ

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「高山農園企画書づくり」のための読書に若干、時間をかけぎみの昨今ではありますが、同時進行でボチボチと読み進めていますよ~、岩波少年文庫。  昨年末に連続して読み続けていたサトクリフ作品はまだまだたくさん残っているので、合間の読書はそのうちの1冊でした。

運命の騎士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

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犬飼いの孤児ランダルは、ふとしたことから、騎士ダグイヨンの孫、ベービスの小姓として育てられることになった。  ノルマン人によるイギリス征服の時代を背景に、二人の青年騎士の数奇な運命と、生涯をかけた友情を描く。  (文庫本裏表紙より転載)

サトクリフと言えばローマン・ブリテン四部作(既読の「第九軍団のワシ」「銀の枝」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」)が出世作なわけですが、そこからは時代がぐ~んと下った11世紀のイングランドとノルマンディを舞台にした歴史ロマンです。  ものすご~く大雑把に言ってしまえば第一次十字軍なんかがあった時代、「荘園」と「騎士」の時代の物語です。  

「騎士の時代」と言われるとどうしても「アーサー王」とか「シャルルマーニュ伝説」みたいなちょっとロマンチックな様子を連想しがちな日本人(それともそれって KiKi だけ? 笑)に、リアルな「騎士の生活」を感じさせてくれる物語だと思います。  領主以外は大広間の暖炉の傍で雑魚寝しているとか、その暖炉の煙突ではしょっちゅう煙が逆流するとか、オシャレ感のかけらもない生活がいきいきと描かれています。

物語としては孤児のランダルの成長物語なんだけど、KiKi はこの物語を読みながらそんな若者の成長物語・・・・というよりは、先日読了したばかりの「「里」という思想」にあった「時間的普遍性」(いつの時代も通用する普遍性)の本質・・・・みたいなものを感じていました。  と、同時に物語に流れる人生観には私たち日本人がかつては持っていた「人生とはすなわち無である」という思想に通じるものも感じました。  そういう意味では「場所的普遍性(どこでも通用する)と時間的普遍性(いつの時代も通用する)の合わせ技」的なものを感じていた・・・・とでも言いましょうか。

 

防災無線で知らされること

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KiKi が住民票を置いている東京の居住区にもあるのかないのか、詳細は知らないのですが、KiKi はLothlórien_山小舎に来て初めて「防災無線」なるものを自宅に設置しています。  当初は「そんなもんはなくても生活できる!」と考えていたのですが(それに「そんなもん」がない生活を50年近く過ごしてきている)、今回の震災を機にアレコレ考えてみると、KiKi はこのムラで何か発生した場合、どこに逃げればいいのかさえ知らないことに思い至り、役場にお願いして無線機械を貸与していただきました。

さて、この防災無線。  大災害等の「いざ」というときだけに活躍するのか?と言えばさにあらず、立派な広報機器として機能していました。  地方都市にお住まいの方にとっては「何を今さら・・・・」というお話なのかもしれないけれど、未だに都民感覚( & 会社人間感覚)を引きずり続けている KiKi にとってはこれはちょっとした驚きだったので、かる~くお付き合いいただければと思います。

そもそもこの防災無線の貸与をしていただいたその日、基本的に自宅での設置は自分でやらなければいけなかったのですが(と言ってもやることは置き場所を決めることと、コンセントを入れるだけなんですけど)、KiKi はふと不安に感じました。  機械ものっていうのは設置した時には必ず試運転を行うものです。  設置したはいいけれど何かの不具合で受信機能がうまく働かず、肝心要の情報を聞き漏らしたらシャレにもなりません。  でもこれは「受信機」であって、「発信機能」もなければ「双方向通信機器」でもないわけですから、どうやって試運転をすればいいのかさっぱり見当もつきません。  そこで

「えっと、これ、正しく作動するかどうかはどうやって確認すればいいのでしょうか??」

と聞いてみました。  すると役所の窓口の担当の方曰く、

「ああ、明日の朝、7時10分に放送が流れますから、それが聞けなかったら機械を交換しますので、又役場に来てください。」

とのことでした。  

え?  防災無線なのに予定されている放送がある???  予定されている災害があるわけじゃないよね??  それってどういうこと??  

ちょっと狐に化かされたような気分で翌日を待ちました。  そして翌日、防災無線から流れてきたお知らせの内容は?と言えば、「村の歯医者さんの移転情報」でした。  確かにこれは大事な情報です。  突然歯痛に見舞われた際にあると思っていた場所に行ってもそこはもぬけの殻でどこに行けばいいのかわからなかったら、辛いし、悲しいし、モノも食べられません。  でも、正直なところ KiKi は「防災無線」という名前と「その情報の持つ性質」とのギャップに暫し、悩まされました。

その後、余震がらみの情報以外でこの無線から流れてきた話と言えば「乾燥注意報 & 山火事注意報(要するに火の用心という呼びかけ)」「選挙時の投票率発表」「税金・社会保険関係の納期限のお知らせ(ついでに自動引き落としの人への預金残高確認の呼びかけ)」「オレオレ詐欺の手口情報 & 警戒呼びかけ」「村のイベントのお知らせ」「悪徳(?)消火栓販売への注意喚起」とほぼ毎日のように何らかの情報が流れてきます。

 

「里」という思想 内山節

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先日、「むらの原理 都市の原理」という本を読んでいて、何となく思い出したこの放置本。  根っこにある問題意識は恐らくかなり似通ってはいるんだろうけれど、あちらは「むら」と「都市」を2項対立的に考察しているので、解り易くはあるものの、論点がどうしても画一的になりがちで、どちらの原理も少しずつ持っている社会についての考察までは踏み出せない一種の限界のようなものを感じました。  そのあたりを考察するためにはもう一歩踏み込んだ、もしくは俯瞰した視点の話を読みたいと感じたことにより手にした1冊です。

「里」という思想
著:内山節  新潮選書

603554.jpegのサムネール画像  (Amazon)

グローバル化された社会へ警鐘を鳴らす、未来へ向けた哲学的論考。

世界を席巻したグローバリズムは、「ローカルであること」を次々に解体していった。  たどりついた世界の中で、人は実体のある幸福を感じにくくなってきた。  競争、発展、開発、科学や技術の進歩、合理的な認識と判断―私たちは今「近代」的なものに取り囲まれて暮らしている。  本当に必要なものは手ごたえのある幸福感。  そのために、人は「ローカルであること」を見直す必要があるのだ。  (選書本裏表紙より転載)

ああ、これだ!!  KiKi が落ちこぼれながらも会計人として行き詰ってしまった、あの時期に感じたモヤモヤしたものが全てここに言語化されている!!  これが KiKi のこの本の感想です。  

KiKi は過去にも何度かこのブログでお話しさせていただいているかと思うけれど、長らくとある米系の会社で管理職のお仕事をしていました。  その時、いやというほど考えさせられ、又実行を促し続けてきた「グローバル・スタンダード」と呼ばれるもの。  これって確かにわかりやすいし、ある意味で経済的だし、合理性はあるし、ロジカル(論理的)だし、この発想に初めて触れた30代の頃、KiKi は一発でノックダウンされ「これはいいことずくめじゃないか!」とさえ感じました。  この考え方の底辺にあったのは著者が言うところの「場所的普遍性」の徹底です。  人が変わっても、東京でも大阪でも九州でもアフリカでも、同じ1つの基準を物差し(スタンダード)とすることによる、効率性には正直目がくらみました。  そう、まさに、目くらましされちゃったんですよね~。

で、そのスタンダードを実現するために、実業との折り合いをつけながら、監査的にも問題が発生しないように「職務記述書」やら「業務標準手続書」を作成したり、グローバル・スタンダードでプログラムされたコンピュータ・システムにつなげるために「業務改革」なんかを行っている最中は、それは刺激的で仕事も面白く、それこそ寝食を忘れて仕事に没頭していました。  でも、ある日気がついちゃったんですよね~。  人が変わってもOKということは、人を機械と同様にしか捉えていないということに。  そして多くの「標準手続」が完成するたびに、人は思考停止に陥り安くなることに。  そしてその結果として「無責任」のドツボに嵌っていくということに・・・・・・。  

Lothlórien_庭先農園始動

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春の遅いここLothlórien_山小舎ですが、ようやく少しずつ春めいてきました。

例年通り、紅梅が盛りを終えた今週、白梅が花をつけました。  もっともまだまだ花数は少ないんですけどね ^^;

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画面中央ぐらいに一輪だけついている花、見えますかねぇ~。  今日の段階でついていた花はわずかに三輪。  紅梅に比べていつも花数が乏しいのは、樹が若いせいか、ここの気候のせいかはちょっと不明です。

でね、びっくりしちゃったのは例年なら5月のGW頃に咲き始めるこちらが、今日は花開いていたこと!!

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こちらは桜でございます。  今にもほころびそうな花芽も結構ついていて、今年はひょっとすると白梅と桜が同時に鑑賞できるのかもしれません。

他にも

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ムスカリが咲き始め

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こぼれ種でそこかしこに花を咲かせるビオラなんかも咲き始めました。  

ま、てなわけで、例年よりはちょっと早めなんだけど、高山農園に引き続き、Lothlórien_庭先農園も始動させることにいたしました。

  

DASH村を観ていて感じたこと

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これまで秘密主義(?)を表面的には装ってきた日テレが、とうとう DASH村の所在地を公にしました。  そしてそれに伴い TOKIO のメンバーが DASH 村に対する想いを語った今日の「鉄腕 DASH!」の前半部分。  リーダーの福島入り & お世話になった方々との再会シーンは胸にじ~んと熱いものが広がっていく番組になっていたと思います。

10年以上という年月をかけ、TV番組のコンセプトに沿ってという作為的な部分がありつつも、地元の人たちと共に築き上げてきたものがあったからこそ生まれる「絆」とでも呼ぶべきものが確かにそこにはありました。  DASH 村が作ってきたのは集落という形にとどまらず、収穫物にとどまらず、構築物にとどまらず、時間と手間ひまによってのみ培われる、共同体意識・・・・・のようなもの。  私たちが合理性・効率性の名のもとに切り捨ててきたのはひょっとすると、「時間をかけることによってはじめて育まれる心の底からの人と人の連帯感」だったのかもしれない・・・・。  そんなことを感じました。  もちろんこれって都会での会社員生活でも、その組織に所属している間(期間・時間帯)は同じようなものを感じるものだけれど、ムラではもっと濃密なんですよね~。  昔の人が言う「同じ釜の飯を食う」は、単に食卓を囲むという意味以上のものがある・・・・。  そんなことを感じた次第です。

ネット上に流れている情報によれば(つまり真偽は確認していない)、TV局サイドからは場所を変えて「第2 DASH 村」を作る企画も出たりしたらしいのですが、TOKIO のメンバーがそれには絶対に同意できないと反対したため、その企画はなくなったとのこと。  確かに表面的な形だけであれば、土地のある所ならどこでも同じ(ような)ことができるかもしれないけれど、これまでの村に多くの人が注いできた多くの力は場所を変えた瞬間に切り捨てられてしまうわけで、これって一昨日のエントリーでもちょっと触れた「地力」と同様に、持続されることによってのみ守られるものであることを考えると、「何年かかろうと浪江の DASH 村を再建する」という彼らの決意にエールを送りたいと思います。

と同時に、命が何よりも大切で、今を無事に生きていることが第一義的にはとても大切かもしれないけれど、「命さえあれば何でもできる」はある意味で若者の理屈だよなぁ・・・・なんていうことも感じました。

先日このエントリーでお話した I おばあちゃんの「存在感」「居場所」は、ご本人がこのムラにいるからこそ、そしてこのムラで共に時間を過ごしてきた村人たちがいるからこそ発揮されるものであって、もしも万が一このムラにも何らかの大災害が襲ってきて、村人たちがバラバラに非難することを余儀なくされるようなことがあった場合、見知らぬ場所にポツンと放り出された I おばあちゃんは、本当に単なる「引退農家のおばあちゃん」に過ぎない存在になってしまうかもしれなくて、お世話される一方の人になってしまう可能性だって否定できないわけで・・・・・。  人はひとりきりでは生きられない・・・・。

そんなことを感じました。  

KiKi も老後をここLothlórien_山小舎で過ごすと決めている以上、TOKIOメンバーと浪江の人たちと同じように、少しずつ少しずつ、一歩ずつ、「時間をかけることによってはじめて育まれる心の底からの連帯感」・・・・のようなものを構築していきたいなぁとあらためて感じました。

 

野良作業シーズン・ガーデニングシーズンを迎えると、せっかく始めた今年からのチャレンジ、パッチワークキルトの作業時間が加速度的に減ってしまう KiKi。  それでも大枚はたいて始めた通信教育ですから、当然のことながら放置というわけにはいきません。  元々の予定では春から秋にかけてのパッチワーク時間は「夜」の予定だったんだけど、今年は厳しい電力事情という想定外(苦笑)のこともあるので、夜に作業ができるかどうかはかなりビミョー ^^;  老眼の進んでいる KiKi としては、まさかロウソクで針仕事っていうわけにもいかない(このあたりは徹底した現代人)ので、今から時間のやりくりに関しては頭が痛いです。

ま、そんな先行きへの不安(?)を抱えつつも、課題がどこまで進んでいるかを備忘録として記録しておきたいと思います。  「ステンドグラスのタペストリー」はここまで進みました。

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グレーの縁取りテープのまつり縫いに想像以上に時間がかかり、現段階ではお花 & 葉っぱ部分はしつけ糸で台布に縫い付けてあるだけです ^^;  それでも前回のコレ(↓)と比較するとずいぶん進んだように見えるでしょ(笑)  

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まあ、このままのペースだと現在しつけで止まっているところを全部ちゃんと縫い付けて、さらにはテープでさらなる縁取りをして、キルティングをして、そして完成形に至るのはへたをすると夏になってしまうかもしれません。  でもまあ、いかにここLothlórien_山小舎が涼しい所にあるとは言っても、真夏の炎天下での外作業は熱射病のリスクを伴うから、真夏の昼間に意外と進捗するのかもしれませんが・・・・・。  あ、でもその頃「キルティング」だったら、それはそれで暑っ苦しいなぁ・・・・・ ^^;

 

自分ではよくわからないまま「あんたもムラの一員だ」と言われ、有権者でもないのに「ムラの選挙」に結果的に参加してしまった KiKi。  いずれはこのムラで「ホンモノのムラの一員」として暮らすことを考えている以上、「本質的にムラっていうところがどんなもんなのか?」  それをもっとちゃんと考えておかなくちゃいけないなぁと感じています。  本来ならそこで暮らしながら考え、答えを見つけていくべきだとは思うけれど、やっぱり都会人の哀しさか、何らかのガイドのようなものが欲しいなぁと考えちゃうんですよね。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

むらの原理 都市の原理
著:原田津  社団法人 農山漁村文化協会

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むらと都市は異なる原理で...食と農は同じ原理で...四十年にわたる農村巡礼のなかに、都会育ちの著者が感受した異と同のハーモニー。

自立したむらの人間は権利を必要としないが、自立する条件のない都市では管理される事を拒めない。  だからよりよい管理を求めて権利を行使する。  むらと都市の原理的差異を明らかにし「すみわけ」を説く。  (以上、Amazon より転載)

この本に出会えたことをまずは感謝したいと思います。  KiKi が漠然と頭の中で思考しながらも、どうにもこうにも整理がつかなかったある種の問題意識に1つの視点を与えてくれた本だったからです。  この本に書かれていることは、KiKi がかつてこのブログでご紹介した、内山節さんの著作に書かれていたことと、根っこには同じ問題意識・感覚があり、それを別の切り口から切り出した本。  そんな印象を受けました。  

本書の構成は3章に分かれていますが、著者の「社会に対する視点のキモ」は第1章に集約されていると感じます。  因みにその第1章は1970年代に書かれた論考なのですが、KiKi には「古さ」のようなものは一切感じられず、どちらかというと「これまでそんなことを考えてみる事さえしなかった新しい視点」というように感じられました。

統一地方選挙の後半戦たけなわでございます。  今回の統一地方選挙で、KiKi は初めて「ムラの選挙」というものがいかなるものか、その様子を垣間見たような気がしています。  もちろんこれが初めての覗き見だったので断言することは危険だと思うのですが、それでも KiKi は「ムラの選挙と都会の選挙」の違い・・・・のようなものをヒシヒシと感じたような気がしています。  今日はそのお話をしてみたいなぁと思います。

まず KiKi は今年になってからはLothlórien_山小舎で過ごしている時間の方が圧倒的に長いのですが、それでも現段階では東京に住民票を置いたままにしているので、ムラの選挙の有権者ではありません。  今回の統一地方選挙でも投票日にはムラにいるので、2回ともいわゆる「不在者投票」を済ませています。  因みに KiKi が有権者である東京都では前半戦が「都知事選」、後半戦が「区長選 & 区議会議員選」でした。  対してムラの方は前半戦が「県議会議員選」、後半戦が「村議会議員選」でした。

まず最初の統一地方選です。  東京都知事選の投票を済ませた KiKi は選挙当日はムラにいました。  そして朝7時10分、防災無線が何事かを告げようと音を発し始めました。  

「今日は投票日だから、投票は何時から何時までというお知らせだろうなぁ。  それにしても早い!!」

と都会人感覚丸出しで耳を傾けてみると、選挙のお知らせは選挙のお知らせなのですが、単なる「投票は○時から△時までです。  皆さん、奮って投票所に行きましょう!」という内容ではなく、まずはその時間(つまり朝の7時現在!)での投票率の発表が始まりました。  くどいようですけど、選挙当日の朝、しかも8時前ですよ!  そしてもっと驚くことに、その段階でおらが村の投票率はな、な、なんと25%強!!!  4人に1人が投票を済ませていました。

そしてこの日、「選挙管理委員会からのお知らせは都合6回ぐらい放送されたのですが、お昼前にして投票率は50%をかる~く超えていました。  実はこの日、KiKi は高山農園の作業があったので、ムラの裏道を軽トラで走っていたのですが、9時前に畑に向かっているとき、今年田んぼをお借りしている I さんちのおばあちゃんが自転車を押しながら歩いているのとすれ違いました。  80を超えたおばあちゃんが朝9時前に自転車 & 徒歩で既に投票を済ませて帰宅されるところでいらしたのでした。  大変失礼ながらこれまでのお喋りからは決して「政治に興味があるとは感じられないおばあちゃん」だったのに・・・・です。

そしてその日の夜、最終的に発表になったムラの投票率は90%弱!!  対する東京都知事選の投票率は60%弱。  ムラで都の最終投票率を上回ったのは3時前だったように記憶しています。  でもね、この時 KiKi が感じたのは「お年寄りが多いだけに、投票を義務と感じる人が都会より多いんだろうなぁ」ということでした。

 

KiKi がLothlórien_山小舎生活を始めようと画策し始めた頃、会社の同僚や部下の多くから「何を好き好んで田舎で暮らしたいと考えるようになったのか?」という質問を多く受けました。  でも「何で?」と聞かれても正直なところ KiKi にはそれに応える合理的な解答の準備はありませんでした。  強いて言えば「土をいじる生活を子供の頃していて、若い頃はその世界から飛び出して広い世界(文字通り、日本国内ではなく他国を含めた世界)で学生時代に学んだことを生かしながら、自分にできることを精一杯やることに喜びを感じていたけれど、30歳頃から『老後』を意識し始め、最後はあの子供の頃の生活に戻りたいと感じるようになったから。」ということだったんだけど、そこから派生して「こんな生活」「あんな生活」と具体的な話を始めると、多くの人が「あ、要するに自給自足的な生活がしたいっていうことなんですね?」と締めくくりました。  でもね、正直なところ KiKi は都会の人たちが漠然と言うところの「自給自足的な生活」をしたいと思っていたわけではなかったし、その締めくくられ方には釈然としないものを感じていました。

だから・・・・と言うわけではないんだけど、冠に「自給自足的生活」という文字が躍る書物や雑誌などには正直なところあんまり興味がありませんでした。  何となく・・・・ではあるんだけど、そういう書物を目にしたり読むことによって、自分がLothlórien_山小舎で試行してみようと考えている生活までもがその「自給自足的生活」というプロトタイプに陥っていってしまうような気がして、それだけは避けたいというある種の抵抗感みたいなものがあって、意識的にそういう本を読まずに過ごしてきたのです。  

でも、今回「高山農園」のあれこれを考えるにあたって、もっときちんと「自分が何をしたいのか」を考えるためにも「農」とか「村」の生活に対する自分の立ち位置を明確にしたいという思いが募ってきたので、吾妻郡図書館から何種類かの本を借りてきました。  そのうちの1冊が本日の KiKi の読了本です。

今関さんちの自給自足的生活入門
著:今関知良  家の光協会

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脱サラ就農をした著者が教える、試行錯誤を繰り返しながらたどりついた自給自足方法。  自然の中でのお金を使わない豊かな暮らしを、イラストとともに紹介する。  (Amazon より転載)

もしも KiKi がこの本を図書館で見つけたのではなく、Amazon のこの紹介文を読んでいて・・・・ということだったとすると、恐らく KiKi はこの本を読んでみようとは思わなかっただろうと思います。  というのは KiKi は「脱サラ就農をしたい」と思っていたわけではないし、上記のように「自給自足的生活をしたい」と思っていたわけでもないし、まして、「自然の中でお金を使わない豊かな暮らしができると憧れていた」わけでもないからです。  KiKi がこの本を読んでみようと思ったのはこの本の冒頭、「はじめに」のところに著者本人が以下のような言葉を書いていたからなのです。

わたしたちは「自給自足的な暮らしをしたい」と考えて、農業を始めたのではありません。  (中略)  有機農業の農家は、ただもくもくと野菜を作っているだけではなかったのです。  どのようにしてよい土をつくっていくのか、どのようにして野菜を育てているのか、その苦労や喜びを消費者に語りかけ、また消費者も生産者の呼びかけに応えて畑に出かけ、ともに土に触れ、食べものといういのちの源を互いに見つめあっている・・・・。  それは生産者が作った野菜を、消費者がお金を払って買うだけという、売買関係だけのものではなかったのです。

この(↑)太字部分の記述が KiKi のアンテナに引っかかりました。  図書館で本を選ぶ際にパラパラっとめくったページにあったこの言葉を目にすることがなかったら、恐らく KiKi はこの本を棚に戻してしまっていたと思います。  何て言うか、自給自足的生活をするためのハウ・ツー本だったら KiKi には用はないからです。

 

昨日から本格的に「高山農園(仮称)」の企画書を作成し始めた KiKi。  村のHPやらいろいろなキーワードで調査をしている中で、高山村にある素敵な活動をされていらっしゃるNPOを発見しました。  そしてそのNPOが作成されたイメージアップ・ビデオ的なものもネット上で発見!!  作成されたのは上州高山・竹倶楽部さんです。   (左のリンクはHP。  ブログはこちら

 

まだまだ実質的には何一つ達成できていない KiKi たちだけど、しっかりとこの高山村に根を下ろし、多くの活動を実践されていらっしゃる方もいらっしゃるのですねぇ・・・・・・。  この村を愛するものとして何だかとっても嬉しい気分です♪  

笑ってしまったのが上州高山・竹倶楽部さんのブログの初回エントリーです。

あるのは山と畑と天文台。ここはいわゆる立派な『いなか』
いなか遊びがしたい都会人にはうってつけの場所のはず。
とは言え、実際遊ぶにはどうしたものか。

まさに、そのソフト部分がごっそりと欠落しているのがここ高山村のいいところでもあり、残念なところでもあり・・・・・ ^^;  たまたま KiKi が作成している企画書も当面は「高山農園(仮称)」なんだけど、夢だけはもっとデッカイ(今はまだちょっとお話できるレベルにはないんだけど)だけに、何だか同じようなことを感じてアレコレ考え実行している人がいるというだけで、嬉しくなってしまいました♪ 

寒さの厳しいエリアにある Lothlórien_山小舎も昨日はとっても暖かでした。  そして今日。  あまりの強風 & 昼前の地震でなんとなく建物が揺れているような感じが続いている中、先週稼働し始めた高山農園(仮称)では土木工事が行われました。

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満開の紅梅を愛でる暇もなく、今朝は田んぼに向かいました。  先日は全然水の気配のなかった水路を確保するのが本日の土木工事の目的です。

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とりあえず先週の段階(ジャガイモの植え付け後)でHさんがお得意の重機で水の上流部分を通してくれていたので、今日は田んぼまわりの水路作りです。

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スコップという笑っちゃうほどアナログな道具でせっせと溝を作りました。  こういう時、男手があると作業は格段に進みます(笑)

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せっせと掘っていた時は2つ上の画像状態だった水路に今日の夕方時点ではこんなに水が滲みだしていました。  うんうん、こうなってくるとだんだん「田んぼっぽさ」が醸し出されてきますよね~。

 

特定業界バッシング?

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KiKi は昔、飲料業界にお勤めしていました。  だから・・・・というわけではありませんが、今回の石原都知事のご発言には大きなショックを受けました。  正直なところをお話すると、KiKi 自身がその業界から去ることを決意した理由の1つには、まさに石原知事が今回仰っていたのと同じような思考を辿ったという部分もなきにしもあらずではあります。  でもね、それって KiKi みたいな個人が考えて自分の進退を考えるというレベルならいざ知らず、公権力がどうこう言う話ではないと思うんですよね。

自販機87万台、原発0.5基分 業界「節電に努力」 都知事は"不要論" 
清涼飲料水の自動販売機を停止させたら、どれだけ節電効果があるのか-。  東日本大震災の影響で、東京電力管内で電力不足が確実となるなか、自販機の節電をめぐる議論が起きている。  東京都議会では自販機の冷却機能を規制する条例制定の動きも出た。  一方、蓮舫節電啓発担当相は「経済活動に影響が出る」と条例制定を疑問視。  業界関係者らは、「すでに節電努力をしているのに...」と困惑している。

■条例案に戸惑い
きっかけは東京都の石原慎太郎知事が、10日の4選後に発した"自販機不要論"だった。  石原知事は「軒並み自販機が並んでいるバカな国は、世界中にない。  自分の家で冷やせばいい」とぶち上げた。  全国清涼飲料工業会によると、清涼飲料水の自動販売機は東京電力管内に87万台。  最大消費電力は約26万キロワットで、単純計算すると東電福島第1原発1号機の出力46万キロワットの半分以上に当たる。  条例で規制をかけようとする都議会民主党の案は、冷却機能を7~9月の午前10時~午後9時の間、停止させる内容。  6月の都議会に提出したいという。  だが、工業会からは条例案に戸惑いが出ている。  自販機には、午前中から午後1時に商品を冷やし、電力消費がピークを迎える午後1~4時の間は冷却機能を停止する「ピークカット機能」があり、7~9月の平日は、その機能が働いているからだ。  この間の使用電力は通常運転時の17分の1程度にまで落ちる。  工業会では、約20年前から節電対策も進めてきた。  照明を落としたり、断熱材を使用するなどして20年間で約60%の消費電力を削減したという。  担当者は条例化の動きに「節電に関する広報が足らなかったと反省している」と話す。  自販機メーカーや清涼飲料水メーカーからは、「省エネに取り組んできたのに、イメージだけで話が進んでいる」「ぬるいジュースは売れない」という声も出ている。

■さらなる削減へ
だからといって工業会や飲料水メーカーも、これまでの努力で十分とは思ってはいない。  清涼飲料最大手の日本コカ・コーラは15日、6月上旬から9月末にかけ午前10時から午後9時まで、東電管内の自動販売機約25万台の冷却運転をグループに分けて順繰りに2~3時間停止すると発表した。  ダイドードリンコ、サントリー、アサヒ飲料、キリンビバレッジもさらなる電力削減の方針だ。   日本自動販売機工業会によると、自販機による清涼飲料の売り上げは、全国で年間約1・9兆円にもなる。  経済規模の大きさに蓮舫担当相からは15日、こんな発言が飛び出した。  「経済活動に影響が出るものを権力で要請するのは国民がどう考えるか」

■「首都圏全体で」
ところが、これを聞いた石原知事は同日の会見で、「ばか言っちゃいけない。  工場止めるより自動販売機止めたほうがよっぽど国民の役に立つ。  そんなことも分からない大臣だったら悲しい話だな」とバッサリ。  「都の条例だけではこの国難は克服できない。  首都圏全体でやらないと」と、首都圏の9都県市で共通ルール作りを進め、国に導入を働きかける考えを示した。  知事は自販機だけでなく、パチンコ業界などの規制も念頭に置いている。  清涼飲料水業界、都議会、蓮舫担当相、石原知事...。  節電の必要性では一致するものの、自販機の規制をめぐる考えはすれ違いのままになっている。

◆財団法人省エネルギーセンターの判治洋一産業省エネ推進・技術本部長(電気工学)の話
「自販機は路上に冷蔵庫があるようなもの。  冷却機能を止めれば確実に節電効果はある。  しかし、一般論として冷却装置は起動したときに大量に電力消費する。  停止すればいいという単純なものではなく、全体のエネルギー使用の動きを見極めた上で、慎重に議論し、節電対策をとるべきだ」   (産経新聞4月16日(土)7時57分配信より転載)

いかに業界の努力があった・・・・とは言えども、自販機っていうのは目につきやすい存在だし、電気を消費しているのも事実だし、それらを稼働させなければ電力使用のそこそこの削減になるという事実は否定のしようがありません。  だから世の中で電力のことしか考えなくていいのであれば、まさに真っ先に廃止(撤去)すべきものなのかもしれません。  でも、この報道を見ていて KiKi が不思議で仕方ないのは「電力」という切り口以外では誰一人、何も声を上げていないことです。  マスコミ報道でも自販機1台の使用電力がどれくらい・・・・という話だけを繰り返しています。  考えなくちゃいけないことは本当にそれだけですか???

街頭インタビューでは自販機から商品を購入するお客さんだけにマイクを向けていて、「まあ、(自販機が)なくても我慢できます。  許容範囲です。」的な発言が取り上げられていたんだけど、皆さん忘れていませんか??  自販機がそこにあるっていうことは、あなたではない誰かがそこに商品を詰めたり、お金を回収したり、汚れをふき取るために暑い日も寒い日も雨の日も雪の日も台風の日も地震の日も作業をしているということを。  そしてその人たちはその仕事によって生活しているということを。  自販機は放っておけば自動的に物が詰まる便利な魔法の箱ではありません。  すでに87万台の自販機があるのだとしたら、その裏には1万人以上の雇用がそこにあるのだということを考えたことがありますか?

 

先日読了した「ホビット一族のひみつ」と一緒に図書館から借りてきた岩波少年文庫を読了しました。   KiKi はこと「岩波少年文庫」に関してだけは全冊読了、全冊コレクションを目標としているのですが、この本は未だに KiKi のコレクションには入っていません。  現在の絶版本はともかくとしてとにかく現在入手できる本に関しては早く全冊揃えたいところなんですけどね~。  因みにこの本は1980年に初版本が出たもののいったん絶版になり2003年に復刊したという歴史のある本です。  1度絶版の憂き目にあっているということは商業ベースで物を考えたとき、「ペイしない」という判断がなされたということの証左でもあると思うので、問題なく入手できるうちに購入しておかなくちゃいけません >_<  

思い出のマーニー (上)(下)
著:J.ロビンソン 訳:松野正子  岩波少年文庫

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養い親のもとを離れ、転地のため海辺の村の老夫婦にあずけられた少女アンナ。  孤独なアンナは、同い年の不思議な少女マーニーと友だちになり、毎日二人で遊びます。  ところが、村人はだれもマーニーのことを知らないのでした。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

ある日、マーニーは、無人のさびしい風車小屋でアンナを置き去りにし、姿を消しました。  彼女をさがすうちにアンナは、マーニーの思いがけない秘密を知りました...。  ドラマチックな体験をした思春期の少女の物語。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この本が未だに KiKi のコレクションには入っていない理由。  それは簡単なことで、今回が初読、つまりこのブログで「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶちあげるまで、そもそもこの本の存在を知らなかったことにあります。  コレクションって言うヤツは基本的にはその対象物に何等かの思い入れがあって、どうしても蔵書として取っておきたい!と感じさせる本が優先されるのは至極真っ当なこと。  存在さえ知らなければ「集めよう!」とは思わないわけです。  この企画をたちあげた際に KiKi は岩波少年文庫のリストを作成したのでその時に初めてこの本の存在を認識したわけだけど、未読だっただけに今日に至るまで相変わらず KiKi のDB上では「未所有フラグ」がたっているだけで「ウィッシュ・フラグ」も立たず、放置されてきました。

そしてこの本を読了した今、KiKi はDB上に大慌てでウィッシュ・フラグを立てるに至りました。  これは良い!!  すこぶる良い!!!

 

KiKi の大好きなアメリカのTVドラマに「ザ・ホワイトハウス(原題:The West Wing)」があります。  このドラマはホワイトハウスで働く人たち(首席補佐官とか報道官)の人間ドラマを描いたものです。  そしてこのドラマの中のバートレット大統領はマーティン・シーンが演じているのですが、この大統領はスピーチ上手という設定になっています。  大統領のスピーチというのは大統領ご本人が書いているのか?と言えばさにあらず、「スピーチ・ライター」という役職(?)の人が書いていることは、有名な話です。  

KiKi は大学時代、ESS(English Speaking Society)というクラブに所属していたのですが、そのクラブでの最初の活動はアメリカ大統領の就任演説をはじめとする超有名なスピーチを暗記し、発音矯正を受けたうえで檀上で発表するというものでした。  4年間のクラブ活動のうちの1回では、あのケネディ大統領の就任演説(とくに有名なフレーズは「国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問い直してほしい(Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country)」です。)を暗記しました。  このフレーズは大学生になる前から「日本語」で知ってはいたけれど、そして日本語であったとしても感嘆しちゃう言葉だと思うけれど、英語でこれを語った時のリズム感、そのリズム感によって増幅される感動・・・・のようなものには格別なものがあるなぁとつくづく感銘を受けました。  何て言うか、このリズム感に乗せられて「そうだ、そうだ!  みんなで問い直そう!」と思わず唱和しちゃいそうなムードを生み出すんですよね~。

このスピーチを書いたスピーチ・ライターはセオドア・C・ソレンセンという方です。  現大統領オバマ氏のスピーチ・ライターは、大統領就任時には若干27歳だった青年です。  「ザ・ホワイトハウス」という件のドラマの中で、スピーチ・ライター・チームを統括しているのが「広報部」というところでそこの長であるトビー・ジーグラー(リチャード・シフ)とサム・シーボーン(ロブ・ロウ)がバートレット大統領のスピーチ・ライターとして活躍しています。  ドラマの中でトビーが「リズムだ。  スピーチにはリズムが必要なんだ。」と言うシーンがあったと思うんだけど、これを聞いたとき、KiKi はあのケネディ大統領のスピーチやリンカーン大統領のスピーチ(「人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)」を思い出していました。

 

ここ2日ほどは「(仮称)高山農園プロジェクト」で忙しかったので、今日は久々にオウチ仕事に専念しました。  ユーキャンのパッチワークキルト講座の次なる課題作品「ステンドグラスのタペストリー」に取り組み始めました。  とりあえず今日の作業は水通し、ピースカット、型紙転写、そして最初のチクチク作業ライン付です。

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この写真ではよく見えないかもしれないけれど、この台布にバラの模様が鉛筆で描かれています。

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ほ~らね。  で、とりあえず外回りのリボン付は終わってさて次の作業へ・・・・・と思ったその時、あの地震に襲われました。  久々にここLothlórien_山小舎も震度4で本棚から本が数冊バラバラと落ちてきました。  まったくいつになったらこの地震は収まってくれるんでしょうか・・・・・。

群馬や東京で地震に遭遇している KiKi であってさえも心臓がバクバクしちゃうぐらいだから、東北~茨城にお住まいの方はホント心が休まる暇もない・・・・っていう感じだろうと思うと、やりきれません。  その後はTVに釘付け状態(原発が心配だったりもして)になってしまったので今日の作業はここまでです。

 

高山農園(仮称)始動?

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ここへ来て一気に春めいた雰囲気になってきたLothlórien_山小舎です。  この間、庭先で咲き始めたクロッカスをご紹介したけれど、今週末にはさらにいくつかの花々が咲き始めました。

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まだまだ桜にはちょっと到達できていないけれど、庭先の紅梅が今年も咲き始めてくれました。  紅梅が終わったころに白梅が咲き、それが終わる頃にようやく桜が咲く・・・・・というのがここの定番です。  朝晩はそれでもまだ寒いと感じることが多いのですが、昼間はかなり暖かく、そこかしこで農作業に励む地元農家の方々の姿を見かけるようになりました。

ま、そんな中、先日このエントリーで「今年は米作りにも挑戦してみる!」とお話している KiKi ですが、この企み、決して KiKi 1人で何もかもやろうと無謀なことを考えているわけではありません。  そもそもこの話には前段があり、いつもお世話になっている地元材木業者のHさんから、Hさんの持っていらっしゃる畑(昨年まではこんにゃく農家に貸していたらしい)を使って、このあたりではちょっとした名産(?)になっている「沢田の漬物」の原材料を作ってみないか?とのお誘いを受けていたことから話が始まっています。

今年からはかなりここで過ごす時間も増えることだし、地元産業の活性化に少しでもお役にたてるのなら・・・・・ということで、その話にはひとまず乗ってみようということになったのですが、その延長線上に田んぼの米作りという話があります。  米に関しての言いだしっぺは KiKi で今年の米作りを憂える気持ちから発したものであることに間違いないのですが、当然のことながらど素人の KiKi が自分ひとりの力だけで何から何までできるはずもなく、Hさんに協力をお願いしてやってみよう・・・・ということになったといういきさつがあります。

だから、結論からすると KiKi 個人としてはここLothlórien_山小舎の庭先の畑とHさんの地所で始める「漬物用野菜畑」と「2年ほど前から稲作を辞めてしまった I おばあちゃんちの田んぼでの米作り」という3つの野良作業を抱えるようになってしまったというわけです。  まあ、どんなことになってしまうのか正直怖かったりもするのですが、少しずつ仲間も増えてきたので、助け合いながらできればいいかなぁ・・・・と案外楽観的に考えていたりしたのです。

でもね、実は昨日まで KiKi はHさんちの畑がどこにあってそれがどれくらいの広さなのか知らなかったんですよ。  で、昨日はこの共同事業(?)の発起人たちの集まりがあってHさんちの畑を見に行くことになりました。  因みに発起人は KiKi と H さんを含め4名(内 ♂3名、♀1名)です。  で、連れて行かれた畑をまずはご紹介しましょう。

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ひ、ひ、広い・・・・・(冷や汗)  手前のこんもりと山のようになっているこげ茶色部分は堆肥の山で畑はその向こうに延々と広がる薄めの茶色部分です。

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見渡す限りの畑!!  で、実はこれでおしまいじゃなくて、この写真(↑)で写っているこげ茶色の端っこの向こうが1段下がり、そこにも畑がどどど~んと広がっています。  う~ん、これはひょっとしたらとんでもない事業(?)に手を出してしまったかもしれない・・・・・ ^^; 

 

たまたま吾妻郡図書館で発見した本書。  KiKi にとって決して素通りすることのできない「ホビット」の文字に文字通り吸い寄せられ、借りてきてしまいました。  もっとも・・・・・。  こうやって「ホビットの冒険」「指輪物語」に関連する本を読んでしまうと、もう何度も何度も読み返した本であるにも関わらずそこを素通りすることができなくなってしまい、「岩波少年文庫読破計画」がますます遅れてしまうことになってしまう可能性が高くなるといういわゆる「鬼門」みたいなものなんですけどね。  そう、「ヴァルキューレの騎行」のメロディを耳にすると「リング全曲」を聴かずにはいられなかったように・・・・(笑)  ま、いずれにしろそんなリスクを抱えつつも読了した本日の KiKi の1冊はこちらです。

ホビット一族のひみつ
著:D.デイ 訳:井辻朱美  東洋書林

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初めに言葉―ホビット―ありき  「ホビットの冒険」や「指輪物語」に登場する人物や舞台の「名前」に込められたヒミツとは...?  トールキンが創りあげた壮大な物語の世界を「ことば」というものさしを使って読み解く。  ビルボの性格、ゴクリの本性、サルマンの裏切り、フロドやガンダルフと旅の仲間たちがたどった運命はすべて、名前に隠されていた!  (単行本扉より転載)   

これは面白い本でした。  トールキンと言えばオックスフォード大学で古英語を教えていた言語学者である・・・というのはプロフィールなどでよく見かけていたけれど、あの名作「ホビットの冒険」と「指輪物語」の作者という印象の方が大きすぎて、彼のプロフィールなんていうのは読み飛ばしてきちゃったように思うんですよね。  そう、強いて言えばこれらの作品の中で彼が新しい言語を作り出しているという事実以上には彼の「言語学者」というプロフィールに目を向けたことはあまりなかったんですよ。 でもね、この本を読んで初めて彼がどうしてあんなに膨大な世界観の物語を描ききることができたのか、そのエッセンスみたいなものを垣間見たような気がしました。

残念なことに KiKi は「ホビットの冒険」にしろ「指輪物語」にしろ、瀬田訳の日本語版こそは何度も何度も読み返しているけれど、英語のペーパーバックの方は読み通したことがなくて、この本を楽しむためには英語版ともっと仲良くしておけば今回楽しめた以上に、何倍も何倍も楽しむことができただろうなぁとちょっぴり悔しい気分にもなりました。 

太陽の戦士 R.サトクリフ

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昨年末からの積み残し、岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品が全作読了できていないことを急に思い出しました。  たまたま先日「吾妻郡図書館」に行き、他の本も借りてきちゃったから必ずしもチャッチャと読み進めることができるわけではないけれど、やっぱり手がけたことはちゃんと完了しなくちゃいけません(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

太陽の戦士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

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片腕のきかぬドレムは、愛犬ノドジロや親友にささえられ、一人前の戦士になるためのきびしい試練に立ちむかう。  青銅器時代を背景に、少年の挫折と成長を描いた、サトクリフの代表作。  (文庫本裏表紙より転載)

青銅器時代という歴史の教科書でも比較的アッサリと(少なくとも KiKi の学生時代はそうだった)、あくまでも鉄器時代への通過点のように扱われ、想像・イメージするのが困難な時代が舞台です。  まあ、道具が違うだけで鉄器時代初期と文化的に大差はないのかもしれないけれど、それでも人間がどんな風に自然の中で自分の居場所を築いてきたのかがサトクリフの筆致で繊細 & 詳細に描かれています。

KiKi は以前からイマドキの「自分探しブーム」というのにシニカルなスタンスを持ち続けているんだけど、この本には「自分探し」な~んていう言葉は出てこないものの「生き抜くこと」「自分の居場所を作ること」の本質が描かれていると思います。  この時代の人たちが真剣に探っていた「自分の居場所」はイマドキのそれとは大きく異なり、それを見つけることができない ≒ 動物的な意味での死(精神的な意味では決してない)を意味することだということが言えると思うんですよね。  まあ裏を返せば現代社会に於いては「死とは直結しない淘汰がある」とも言えるわけで、それはそれで厳しいものがあったりもするわけだけど、イマドキはどちらかと言うと「個人主義」の弊害とも言える社会における自分の存在位置の不明確化 → 幻想(理想ではなく)と現実のギャップ → 根拠の薄い「できるはずなのにできない」という思い込み → 苛立ち という構造が透けて見えるような気がして仕方ありません。

KiKi はね、「夢見る事」を否定する気はないんだけど、「夢を持てなければ生きているとは言えないと考える症候群」とでも呼ぶべき強迫観念には疑問を持っています。  「生き甲斐」「やり甲斐」という言葉が安直に使われるけれど、そもそも「甲斐」ってどんなもの?と辞書を引いてみると、そこに1つの答えが書かれていると思うんですよね。

  

なんちゃって農家、活動始動

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ついこの間までここLothlórien_山小舎の気候(& 景色)はこ~んな(↓)だったけれど、ここへきて一気に春めいてきました。

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この写真のエントリーが3月26日、今日が4月6日。  わずか11日にして同じ庭から雪は姿を消し、こ~んな花々が咲き始めました。

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こうなってくるとそうそう家には籠っていられなくなり、KiKi のような「なんちゃって農家」もやらなくちゃいけないことが満載になります。  それにね、先日お邪魔したこの田んぼの大家さんのIさん曰く、今週末にはジャガイモの植え付けを始めるとのこと。  ここ高山村は寒い場所なので一般的な農業書(園芸書)に書かれている植え付けの時期っていうのはあんまり参考にならないため、いつも早すぎたり遅すぎたりとマゴマゴしている KiKi なのですが、この土地の農家としてここの気候と百戦錬磨を重ねてきた方が「他はともかくジャガイモはもう大丈夫!  早く植えたもん勝ちだぁ」と仰るのですから、KiKi もオチオチしているわけにはいきません!!  

てなわけで、昨日から始めましたよ~、畑の植え付け準備作業。  久々にコイツの登場です。

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去年コイツを持ち出したのはGW真っ只中だったことを思うと1か月早い始動です。

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耕して、耕して、耕して・・・・・・・、あ~コリャコリャ♪ っと

 

予定よりもかなり時間がかかってしまったけれど、ようやく「カテドラル・ウィンドウの小物ケース」ができあがりました。  この作品の作成中にあの震災が発生し、思わず手が止まり、ついでに言うともともとあんまり興味のない細工方法であるということ、KiKi にはパッチワークの精神に反するように思われるような布の使い方に抵抗を感じる等々で、なかなか作業を進めることができない作品でした。

あんまり熱心ではなかったということもあって、できあがりを見ると縫い目は荒いし、満足度の低い作品になっちゃっているけれど、ま、いいか・・・・ ^^;

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次は添削課題の「ステンドグラスのタペストリー」です。  これまた、KiKi 的にはあんまり興味のない作品なんだけど(^^;)今回は提出しなくちゃいけないだけにそうも言ってはいられません。  まあ、せっかく始めた2011年の新チャレンジでもあることだし、頑張ってみたいと思っています。

 

 

 

・・・・・とは言うものの、この作品、今までの作品以上にアイロンを多用するんですねぇ。  何だか複雑な気分・・・・・。  でもまあ、電力消費の比較的落ち着いている時期に作るんだから、気にしないことにしようっと!(苦笑)  

    

昨日、こ~んなニュースが流れました。

夏ピーク時 15%節電要請へ
東日本大震災の影響で、東京電力は、冷房需要が高まる夏場に、最大で1000万キロワット程度の供給不足に陥る可能性が高まっているとしています。  このため東京電力は、生活や生産などへの影響が懸念される計画停電を回避しようと、目標を掲げて節電協力を求める方向で検討を進めていることが明らかになりました。  このうち、一般の家庭に対しては、夏の電力使用のピーク時となる午後1時から3時の時間帯に、去年の同じ時期よりおよそ15%の節電を求める方針で、冷房の温度を28度以上に設定するなど節電対策を呼びかける計画です。  (以下略)

なるほどねぇ。  でもねぇ、そう言われても・・・・・。  

いえね、KiKi は協力する気は満々なんですよ。  でも、ここLothlórien_山小舎では協力したくても協力できる余地がほとんどない・・・・。  可能性があるとしたらPCを一切開かない・・・・ぐらいしかできることはないんですよ。  何せここではクーラーなんていうものはそもそも設置していないし、あの計画停電の発表以来ご飯は以前このエントリーでご紹介したご飯鍋で焚いているし、夏はともかくとして今の季節はお湯は薪ストーブで沸かしていて電気ポットは使っていないし・・・・・。  TVも朝晩のニュースぐらいしか今は観ていないし、照明だってぎりぎりまで使わないようにしているし・・・・・。  逆に言えば今も電源が入ったままの電化製品と言えば冷蔵庫だけで、その冷蔵庫ももとから最弱に設定したままだし・・・・・。  

まして KiKi の場合、今は東京よりはココの方がいることが多くて、東京の家もコンセントが入れっぱなしになっているのは冷蔵庫(こちらも当然弱)のみで、今年の夏は可能な限り(仕事がない限り)ここLothlórien_山小舎に居座るつもりでいるから、東京の家で節電できる余地もほとんどない。  前回の帰京からガソリンの消費を抑えるために、電車利用に切り替えている(これが思った以上にしんどかったりする ^^;)から、この夏に向けて何をどうすればいいのか正直サッパリ ?~>_<~? です。

あ!  1つだけ思いついた!!  洗濯機を使わないようにすればいいのかも!!  でもそのためには洗濯板をゲットしなくちゃなりません。  まさか、洗濯板まで売り切れな~んていうことにはなっていないよねぇ???  近日中に山を下りたところにあるホームセンターにでも見に行ってみようっと!!  夏場は水浴びを兼ねて洗濯板でお洗濯な~んて、案外楽しいかも?(笑)  でもねぇ、洗濯をする時間帯とこの東電さんが15%の節電依頼をする時間帯とはだいぶ違うんだよなぁ・・・・・。  かと言ってPCを開かないと仕事にはならないし・・・・・。  歩いて行ける場所にスーパーはないから冷蔵庫を切っちゃうわけにもいかないし・・・・・。  困った、困った・・・・・ ^^;

 

今回の各地の野菜の放射線汚染騒動から、もう少ししっかりと「食と農」に関して考えてみたいなぁと思って手に取った本の1冊です。

いのちをはぐくむ農と食
著:小泉武夫  岩波ジュニア新書

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1年間に農業に就く後継者が5000人を割り、食料自給率も40%を割った。  しかも、食品の安心・安全にも不安が大きい。  そんな日本の農と食に未来はあるのだろうか。  各地で活性化策をアドバイスしてきた小泉先生が、再生へのカギをにぎる取り組みを紹介してくれる。  小学生からお年寄りまで、しっかりと道を切り開いているよ。  (新書本裏表紙より転載)

震災が発生する前、多くの人たちが「食料自給率」を問題にしていました。  でもその時点では KiKi はこの手の本を読んでみようとはあまり思いませんでした。  それはこういうことに興味を持っていなかったから・・・・ではなく、考えても考えてもある種のドツボに嵌ってしまって、そこより先に思考が進んでいかなかったからです。  と言うのも、今の自給率の低さは問題だと思っているけれど、じゃあ何パーセントだったらいいのか?と考えると100%がいいとは必ずしも言い切れないと思っているところがあるというのも原因の1つです。  

安かろう悪かろうは問題だと思うけれど、安くて高品質のものであればそれが異国産のものであってもそれを取り入れることが悪とは言えないわけで、じゃあほどほどのところっていうのはどこなのか??  それを考え始めると、コレという妙案なんていうのは出てくるはずもなく、常に思考がぐるぐると堂々巡りをするだけでどうにもならなくなってしまうのですよ。  それにね、もっと言えば物の品質ってよく簡単に口にするけれど、正直なところその良し悪しっていうのが見ただけ、触っただけでわかる・・・・と言えるほど KiKi は物を見分ける力が自分にあると思っていません。  

子供時代に母の買い物につきあって野菜を見るときはここを見る、魚を見るときはここを見ると教わらなかったわけじゃないけれど、野菜は今では見た目だけは綺麗に作ってあったりするし、葉物なら水が霧吹きされていてシャンとしていて見分けがつかなかったりもするし、お魚に至ってはサンマとかアジみたいな一匹ものならいざ知らず、切り身になってしまっていたら何をどう見ればいいのか正直なところわからない・・・・ ^^;  国産物の方が鮮度という点では勝っているだろうとは思うし、鮮度が勝るということは余計な小細工をしていないという意味で安全かもしれないけれど、その「程度の差」がどれくらいなのか?となるとチンプンカンプンです。

 

今年は米作りにも挑戦

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昨日、KiKi は地元材木業者のHさんに連れられて、今年お借りすることになった田んぼを見に行きました。

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ひ、ひ、広い・・・・・・・ ^^;

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KiKi 「このうちどこを借りたの??」  Hさん 「うん?  全部」  KiKi 「ぜ、ぜ、全部???  あ、思わずよだれが出ちゃった」  Hさん 「嬉しいんかい??」  KiKi 「いや、武者震い??  恐怖??  よくわかんない・・・・・」

今回の震災 & 原発事故を見ていて、ちょっと落ち着いたぐらいのタイミングで KiKi が感じた身近な不安の1つ。  それは「今年の、そしてこれから数年間の米作りはどうなっちゃうんだ??」ということでした。  震災の被害地の多くは津波による塩害で多くの田んぼが傷んでしまっただろうし、原発の影響で地元を離れざるをえなくなってしまった多くの人たちが住んでいらした場所も「日本の穀倉地帯」だったと思うんですよね。  

因みにこのサイトの情報によれば

米生産量では、平成6年度(全国生産量1,196万トン)で最も生産量の多いのは北海道で95万トン、次いで新潟県が多くて78万トン、以下秋田県(68万トン)、 宮城県(56万トン)、山形県(55万トン)、福島県(54万トン)、茨城県(47万トン)、青森県と岩手県(各45万トン)と続いている。

とのこと。  まあ最新の情報ではないし、今回の被災地がこの(↑)生産量のうちどのくらいの割合を賄っていたのかまでは不明ですが、かなり多くの田んぼが被害を受けたと思われるんですよね。  となると今年の米作りはかなり大変なことになるんじゃないか?と考え、急遽おらが村の遊休耕田を遊ばせておくって法はないんじゃないか?と思ってしまったって言うわけです。

もちろん理想的には被災地が元の形になることを目指したいわけだけど、塩害っていうのは結構バカにできないし、塩害対策をしている間はなかなか生産活動には入れないだろうし、放射能被害の風評があまりにも定着しちゃった土地に関しては話はもっと複雑だと思うんですよね。  今であってさえもそれらの産地の野菜が売れなくなっちゃっているぐらいなんですから・・・・・。  

 

KiKi の大好きな作家、上橋菜穂子さんの文化人類学者としての著作があのちくま文庫から出ている・・・・ということを知ったのは恥ずかしながらつい最近のことでした。  彼女の文学作品から溢れ出ているある種のリアリティに常に心惹かれてきた KiKi は、そのベースにあるのはきっと「人が人としていかに生きているのか?」をじっくりと考察した文化人類学者としての顔があるからだろうと思ってきました。  彼女はきっと物語を書く際にもこの人たちは朝何時に起きて、まず何をして、食事は3度取るのか、その食事は誰が作るのか、行動するのは昼間か夜か、男の主な役割は、女の主な役割は、時間の観念はあるのか、通貨を持っているのか、死をどう考えているのか・・・・etc. etc.。  要するに「出産から墓場、さらには死後の世界まで」をきっちりと想定してから描いているに違いないと思っていました。  ま、てなわけで、そんな彼女の文化人類学者としての顔をちょっと盗み見したいという好奇心からこの本を手に取りました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民
著:上橋菜穂子  ちくま文庫

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独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然のなかで生きる「大自然の民」アボリジニ。  しかしそんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた、多くいる。  伝統文化を失い、白人と同じように暮らしながら、なおアボリジニのイメージに翻弄されて生きる人々。  彼らの過去と現在をいきいきと描く、作家上橋菜穂子の、研究者としての姿が見える本。  池上彰のよくわかる解説付き!  (文庫本裏表紙より転載)

「異文化交流」「異文化共存」。  あまりにも手垢にまみれた感のあるこの言葉。  それぞれの言葉が持つスローガンは高尚なものだと思うし、決してそれらを否定するものではないけれど、その実現となると絶望的なまでに多くの問題を孕むものなんだなぁ・・・・ということを改めて再認識しました。  極論すれば異文化が共存するために必要なことは「侵略なしの相互不干渉」しかないのではないか・・・・と。  だいたいにおいて「農耕民族」と「狩猟採集民族」が同じ道義で生きているはずはないし、「土地を所有する」という考え方がある民族と「土地はみんなのもので個人に属すものではない」という考え方がある民族が同じフィールドに立てば摩擦が起こるのは必至なわけで・・・・・。

KiKi はね、今Lothlórien_山小舎で大半の時間を暮らすようになってますます感じていることなんだけど、KiKi の都市的感覚だと KiKi の地所は境界線のここからここまでで、そこから一歩でもはみ出すことをすることは原則的にやっちゃいけないことで、もしも何らかの理由ではみ出して何かをせざるをえないのであれば、追加で土地を購入するなりそれなりの対価(借地料)を支払って初めてできる・・・・と考えるわけだけど、この村ではそのあたりの感覚はもっとおおらかです。  KiKi の地所と地続きの隣の地所が広々と空いていて、そこに今は薪の原材料となる材木を置かせてもらっているんだけど、それを事前に地主さんにお願いに行った際、当然 KiKi は何らかのお金で解決せざるをえないだろうなぁと思っていたんだけど、地主さんの反応は KiKi にとって拍子抜けするものでした。

「誰も使っていないんだから、遠慮しないでどうぞどうぞ。  お金?  そんなもん、いらん。  それより余っている土地も使って何か作ったら??  余らせておいても勿体ないし・・・・。  建物を建てられちゃ困るけど、必要な時は言うからそれまでは、果樹を植えるなり畑にするなりワンちゃんの遊び場にするなり、好きにしていいから。」

もちろん人様の土地に建物を建てるほど図々しくもないけれど、果樹なんて植えたら「ちょっとどけて」と言われてホイホイと対応できることでもないのになぁ・・・・と思うと、何だかおかしいやら、呆れちゃうやらだったことをこの本を読んでいて思い出しました。  でもね、その地主さんは「空いているのになぜ使おうとしないか不思議だった」と言いながら、あれやこれやと使い道の指南をしてくださったりもして、今はありがた~く畑にさせていただいているんだけど、彼らは土地を「所有する」という考え方は持っていて、それを「売る」という感覚も持っているのに、なぜか「貸す」という感覚だけはしっくりこないみたいなんですよね~。

 

先月はあの大震災とその後の計画停電による自主節電等々で、後半はかなりペースダウンした読書となってしまいました。  今月はそれを取り戻す(?)ためにも、通常通りの読書生活を送りたいなぁとちょっぴり反省です。

3月の読書メーター
読んだ本の数:13冊
読んだページ数:3445ページ

豊かさのかげに―「会社国家」ニッポン (岩波ジュニア新書)豊かさのかげに―「会社国家」ニッポン (岩波ジュニア新書)
ちょっぴり・・・と言うか、かなり賞味期限切れした内容の本かも。  
読了日:03月30日 著者:佐高 信


これからの防災・減災がわかる本 (岩波ジュニア新書)これからの防災・減災がわかる本 (岩波ジュニア新書)
この本を読んでいて初めて知ったことに、「ゲリラ豪雨の局地的浸水と、台風などで川が氾濫する際では逃げ方が違う。  局地的豪雨なら外に出るより2階に避難したほうが安全な場合もあるが、川の破堤が起きたときは、家ごと流されてしまうので、とっとと逃げたほうがよい」 ということ。  何が起こったらどう動くのが正しいのか、その判断基準さえ持っていないことに愕然としました。
読了日:03月29日 著者:河田 惠昭


地震・プレート・陸と海―地学入門 (岩波ジュニア新書 (92))地震・プレート・陸と海―地学入門 (岩波ジュニア新書 (92))
読了しての最初の感想は「う~ん、難しい!!  ジュニア新書と言えどもこれは侮れない」というものでした。  表紙の絵は可愛いし、本のスタートは架空の地底探査ロケットの旅のお話とバリバリ文系の KiKi にもついていきやすい本だったのですが、途中から融点分布やら音波やら磁気異常やらというはるか昔に物理の授業で習っただけで KiKi の人生にはまったく登場しなかったような言葉が頻発しだすにつれオロオロしだし、「リソスフェア」だの「アソスフェア」だのという専門用語が登場するに至っては「読み進めるのをやめようか?」
読了日:03月28日 著者:深尾 良夫


調べてみようエネルギーのいま・未来 (岩波ジュニア新書)調べてみようエネルギーのいま・未来 (岩波ジュニア新書)
今回、この本を図書館から借りて読んでみようと思ったきっかけは「原発を云々評論する前に、原発が必要とされてきたエネルギー状況をきちんと把握しなくては!」と思ったから・・・・だったんだけど、ひょっとしたらこの本を精読することにより、KiKi が何年も考え続けてきて未だに答えを得られずにいる問題に対する何らかの自分なりの考えがまとめられるかもしれない・・・・・と感じました。
読了日:03月22日 著者:槌屋 治紀


新版 原発を考える50話 (岩波ジュニア新書)新版 原発を考える50話 (岩波ジュニア新書)
基本的に著者は原発反対派。  だから記述の多くが「反原発!」という立場で書かれています。  そうであるだけに、この著者のこの本だけで何かを考え、結論まで出しちゃうのは危険だけど、今回の福島原発の事故が発生するまで、考えたことも 否 考えようとしたことさえなかった多くの事を知ることができたように思います。  印象的だったのは2006年に第1刷が発行されたこの本に今まさに起こっていることがそのまま「見てきたこと」でもあるかのように描かれている・・・ということです。  その記述を読んだ時、KiKi はこれまで「
読了日:03月21日 著者:西尾 漠


図説 地図とあらすじでわかる!続日本紀と日本後紀 (青春新書インテリジェンス)図説 地図とあらすじでわかる!続日本紀と日本後紀 (青春新書インテリジェンス)
読了日:03月21日 著者:

 

 


図説 地図とあらすじでわかる!風土記 (青春新書インテリジェンス)図説 地図とあらすじでわかる!風土記 (青春新書インテリジェンス)
読了日:03月21日 著者:

 

 


キュリー夫人 (岩波少年文庫 2076)キュリー夫人 (岩波少年文庫 2076)
キュリー夫人は子供の頃の KiKi のアイドルでした。  いえ、決して物理学とか科学に興味があったから・・・・ということではなく、女性ながらも偉大な功績を遺した人物ということで「女だって頑張ればヒトカドノモノになれる!」というお手本みたいな人だったからです。  だから子供時代には何種類もの「キュリー夫人伝」を読んだし、ひょっとしたらこの本もその中の1冊だったかもしれません。  超人的な女性で「見習おう」というよりは、「恐れ入りました」と思わず萎縮しちゃう人物像ではあるけれど、現代人にはなかなか見られない本
読了日:03月20日 著者:エリナー・ドーリイ


古事記講義 (文春文庫)古事記講義 (文春文庫)
読了日:03月10日 著者:三浦 佑之

 

 


古事記 (学研M文庫)古事記 (学研M文庫)
これはある意味で不思議な本ですねぇ。  前半部分は古事記の現代語訳、後半部分は「古事記に学ぶ」と題された梅原先生の研究論文の草稿(まだとっかかり状態で、学説になる前の所感のような雰囲気)で構成されています。  で、裏表紙に書かれている(↑)、この何とも興味深い新説に関して触れられているのは後半部分なんだけど、そこもある意味でまだ完成された状態ではなく、この説を実証するために様々な試みを用いて「古事記」を訳してみたのが前半部分・・・・ということのようです。  でね、一言一句比較してみたわけじゃないんだけど、
読了日:03月09日 著者:梅原 猛


古事記物語 (岩波少年文庫 (508))古事記物語 (岩波少年文庫 (508))
これは「古事記入門書」としてはかなり読みやすい本だと思います。  おおまかなエピソードはほぼ網羅されているし、神様の名前もちゃんとカタカナ表記の後に漢字フリガナ(? 音だけで選ばれた当て字っぽいのも多いけど)付きだし・・・・。  古事記に出てくる神様 & 天孫の名前って、カタカナやヒラガナだけで表記されちゃうと、舌を噛みそうになっちゃううえ、古代日本人が抱いていたその人のイメージ・・・・みたいなものが伝わってこないと思うんですよね。  その顕著な例が天照大御神とか大国主命だと思うんですよ。  漢字だけであ
読了日:03月08日 著者:福永 武彦


リリス (ちくま文庫)リリス (ちくま文庫)
いや~、何とも難解な、禅問答を読んでいるような物語でした。  実は風邪をひいていたという以上にこの物語の難解さにちょっと手こずっていたということもあって3月の読書がなかなかはかどらなかったのです。  で、KiKi は普段であればあとがきは読了後にしか読まないことにしているんだけど、今回はちょっとあとがきをつまみ食いしちゃったんですよね。  そうしたら訳者の荒俣さん曰く「この作品を、めくるめく色彩に満たされた音楽として味わうことが、まず重要だと思います。」とのこと。  これを読んで KiKi はある意味開き
読了日:03月06日 著者:ジョージ・マクドナルド,George MacDonald,荒俣 宏


古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎 (青春新書INTELLIGENCE)古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎 (青春新書INTELLIGENCE)
戦後教育を受けてきた KiKi にとって日本の神話物語というのはさほど近しいものではなく、子供時代に絵本で親しんだ「因幡の白兎」と「八岐大蛇」のお話、「海幸・山幸」のお話ぐらいしかさっと思い出せるものがありません。  「ギリシャ神話」や「北欧神話」、さらには「ゲルマン神話」には興味を持って、多くの本も読み、絵画も見てそれなりに親しんでいるのに、肝心要・自国の神話には疎いというのはいかがなものか?  そんなことを感じ始めたのは40代を迎えてからでした。  とは言うものの、漢文調の日本の古典を読む根気は失いつ
読了日:03月06日 著者:瀧音能之

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