2012年10月アーカイブ

このエントリーは実際には11月1日に書いているのですが、エントリー日付としては10月31日としています。  その理由はたいしたもんじゃなくて、11月1日付では恒例の「先月の読書のまとめエントリー」を書かなくちゃいけないこと、実際の10月31日は紅葉見物に出かけたため、エントリーが書けなかったので空いちゃっていること・・・・・によるんですけどね(苦笑)  いずれにしろ、こちらを読了したのは10月31日だったので、ま、こういうインチキ(日付操作)も許されるかな・・・・と。  てなわけで、10月31日の KiKi の読了本はこちらです。

ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥
著:村上春樹  新潮文庫

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「今はまちがった時間です。  あなたは今ここにいてはいけないのです」 しかし綿谷ノボルによってもたらされた深い切り傷のような痛みが僕を追いたてた。  僕は手をのばして彼を押し退けた。  「あなたのためです」 と顔のない男は僕の背後から言った。  「そこから先に進むと、もうあとに戻ることはできません。  それでもいいのですか?」  (本文より)  (文庫本裏表紙より転載)

物語と直接関係はないけれど、この小説の副題(?)から受ける KiKi のイメージについてちょっと触れておきたいと思います。  第1部の副題が「泥棒かささぎ編」、第2部の副題が「予言の鳥編」、そして第3部が「鳥刺し男編」です。  これってクラシック音楽好きの人なら見ただけでイメージするのが「ロッシーニの歌劇 どろぼうかささぎ」、「シューマンのピアノ組曲 森の情景の第7曲」、そして「モーツァルトの歌劇 魔笛」だと思うんですよね。

でね、これらの曲名(もしくは作曲家名)から KiKi がイメージするものはちょっと言葉がきついかもしれないけど、「耳触りの良さ、どこか淡白で表層的であんまり心に残らない」、「暗くて寒い森の中で迷子になっちゃった心細さ、不安、混乱、正気と狂気紙一重」、「よくわからない存在ながらハッピーエンドでよかったよかったのパパゲーノ」っていう感じでしょうか?  

で、そのイメージを持ちながら読んでいるせいか、この小説の構造が実にこれ(↑)とマッチしている感じがしちゃうんですよね~。  (第3部はまだわからないけど・・・・ ^^;)  第1部の Review エントリーで書いた「この雑多な混沌こそ村上ワールドだなぁ・・・・・と。  要するにどこか受動的というか、傍観者的というか、主体性がないというか・・・・・。」はまさにロッシーニの音楽にも通じるように感じられるんですよね~。   

先日、このエントリーで予告した「図書館通い再開」の最大の原因をお話するタイミングがやってまいりました。  ま、もったいつけるようなお話でもないんだけど、それはこの度残念ながら(?)「ノーベル文学賞」を逃してしまった村上春樹さんの著作を可能な限り読んでみようと思いたったから・・・・・なんですよね~。

実は KiKi は大学時代はちょっとした村上春樹ファンでした。  田舎からぽっと出てきた冴えない女子大生だった KiKi にとって村上春樹さんの小説っていうのは、どこかくすぐられるものがあったんですよね~。  自分が何者なのかがよくわからず、その実態が何なのかよくわからないながらも持ち合わせていたある種の自尊心との狭間の中で、彼の書く言葉はどこか近しく、どこか眩しく、そしてどこか深く感じ入るものがありました。

社会人になって2~3年ぐらいの間、KiKi は学生時代から1冊ずつ揃えていた村上作品(翻訳ものを含む)の文庫本を大切に大切にマンションの本棚に並べていました。  そして折に触れそれを取り出してはパラッと開いた頁に紡がれている言葉を味わったり、きちんと再読したりということを繰り返していました。

そんな KiKi が村上作品の読書をパタリとやめ、ついでにそれまで大切にしてあった文庫本を一気に自宅近くの古本屋(当時はブックオフはなかった)に持ち込んで処分してしまおうという衝動に駆られ、実際にその行動に及んでしまったのは「ノルウェイの森」の発刊とほぼ時期を同じくしていました。  どうしてそんな衝動にかられたのか?を今思い返してみると大きく分けて2つの要因があったように思います。

1) もともと天邪鬼の気がある KiKi は「ベストセラー」という言葉にある種の嫌悪感に近い感情を持っています。  そしてマスコミが「ノルウェイの森」をとりあげる度に、自分ではよくわからない反発心のようなもの・・・・・を覚え、「ノルウェイの森だけは絶対に読むまい!」 → 「自宅にある村上本も、そろそろ卒業しようか?」 → 「ええい! この際全部処分しちゃえ!!」というプロセスを経て売却に至った。

2) それまでの作品で KiKi が感じていた村上ワールドのキーワードは「個人主義」、「アイデンティティの模索」、「社会通念とは相容れない個性」、「都会的な孤独」みたいなものだったんだけど、それって学生時代ならいざ知らず社会人、それも組織人としてはある意味で邪魔な感性なんじゃないか?と思い始めていた。

ということだったんですよね。  あ、念のために言っておくと上記の2)はこれが正しいかどうかはともかくとして、KiKi のアンテナに引っかかっていたキーワードっていう意味です。  

学生時代には概念的な世界に身を浸すのも結構、自我が確立される過程で自分の深淵を覗きこむのも結構、でも社会人となったらそうそう「自分、自分」とは言っていられない・・・・・。  「他の中の己」、「社会との関係性の中の自分」、「自分の果たすべき役割」みたいなものに拘らなくちゃいけないんじゃないか??  彼の扱う小説の題材は良くも悪くも「見逃しがちな小市民の個視点の小宇宙」というイメージで、それって深く考えているようでいて実は概念を弄繰り回しているだけなんじゃないか??  そんな風に感じちゃったんですよね~。

それが悪いと言いたいわけじゃないんです。  でも、ただでさえそっち方向には思考が向きがちな自分が敢えてそっちばかりに目を向けるような読書生活を送っていたら、KiKi 自身は社会に、組織に、そして他人に何ら能動的な関係性を築けない人間になってしまうんじゃないか??  そんな本能的な危機感みたいなものを抱いちゃったんですよ。

ま、てなわけで、それ以来どんなにバカ売れしていようが、村上作品とは距離を置いた生活をしてきた KiKi なんですけど、最近になってまた「久々に村上作品を読んでみてもいいかもしれない・・・・・」と思い始めたんです。  これは、今現在、KiKi が会社員生活をしていないことと関係があるかもしれないし、会社員時代にかなりディープな「社会的に責任ある立場」を経験してきたことによるある種の精神的余裕のせいかもしれません。  そこへここへきての彼の「ノーベル文学賞候補報道」です。

KiKi の個人的な感覚からすると KiKi が知っている彼の作品はノーベル文学賞に相応しい作品とはあんまり思えないんだけど、KiKi が見ないふりをしている間に何かが大きく変わったのかもしれないし、ここらでいっちょ読んでみようかな・・・・と。  でも、「一度は大々的に処分しちゃった本たち」なわけで、買うのはちょっと癪に障る・・・・・(苦笑)  ま、てなわけで、手っ取り早い所で図書館本ですませてみようかな・・・・・と。

とまあ、まえがきが長くなっちゃったんですけど、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ
著:村上春樹  新潮文庫

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「人が死ぬのって、素敵よね」  彼女は僕のすぐ耳もとでしゃべっていたので、その言葉はあたたかい湿った息と一緒に僕の体内にそっともぐりこんできた。  「どうして?」と僕は訊いた。  娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。  「質問はしないで」と彼女は言った。  「それから目も開けないでね。  わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。  (本文より)  (文庫本裏表紙より転載)

久々の村上作品をこの「ねじまき鳥クロニクル」にしたのは、特にこれといった意味はなく、たまたま吾妻郡図書館に文庫本で全巻揃っていたのがこの作品だったからです。  でもまあ、ある意味でかつて「話題騒然」だった作品からスタートするのも悪くないかな・・・・・と思ったのは事実ですけどね。


吾妻郡図書館から借り出してきた本2冊目を読了しました。  こちらはたまたま書架で見かけ、表紙の絵の雰囲気とタイトルに惹かれて「お試し気分」で借りた1冊です。

古書店めぐりは夫婦で
著:L.&N.ゴールドストーン 訳:朝倉久志  ハヤカワ文庫

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あなたは誰かに本を贈る時、古書店に行きますか?  古い本なんてとんでもない、新刊本を買うに決まってる?  わたしたち夫婦もそう思っていました。  誕生日の贈り物に決めた『戦争と平和』が、地図や美しい挿絵も付いてたった10ドルで古書店で買えると知るまでは。  こうしてボストン、シカゴ、ニューヨークへと果てなき古書収集の旅が始まったのです ― 古書・稀覯本の世界に魅せられた夫婦が繰り広げる、心躍る宝探しの旅。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi が日本人でよかったなぁと感じることの1つに所謂廉価版書籍(文庫とか新書とか)の装丁が案外しっかりしていることが挙げられます。  そしてそれらの廉価版書籍のお値段が比較的安易に手が届く範囲にあることも・・・・・。  それと比較するとアメリカなんかのペーパーバックと呼ばれる本は紙質はわら半紙をちょっとよくした程度、背表紙の糊付け部分は見るからにいい加減で、ちょっと扱いを間違えるとバラバラと分解してしまいそうな印象があります。

もちろん海外の、センスの良いインテリアにも似合いそうな革装丁の本なんかを見ると、それに憧れる気分も多分に持ち合わせてはいるんだけど、そういう高価な本の場合、先祖代々の遺産として残された蔵書でもない限り、自力でそこそこのコレクションを持とうな~んていうことを目論むのは夢の又夢という気分になり萎えてしまいます。  ところが我が日本国の場合、古今東西あらゆる名著と呼ばれる本を二世代ぐらいは持ちそうな品質の本で揃えることは、手が届く範囲の収集と言えるような気がします。  そう、実際にはそれであってさえもそこそこ難しいことではあるけれど、この「気がする」と感じられることが重要だと思うんですよね。

まあ、逆に言えば、結局はそんな手近なところにある文庫本をせっせと収集するのが一般的な「愛書家」の限界で、そんな愛書家の死後、遺族が残された書籍を処分するにしてもブックオフあたりに持ち込んで二束三文で流通していってしまうことが表層的な文化しか根付かない一因になってしまう部分もあるのかもしれませんけど・・・・・・ ^^;  

昨日、久々に「吾妻郡図書館」に行ってみました。  春から秋までは野良仕事が忙しいのでに返却期限という義務(ある期間内に読み終える & ある期日までに必ず出向く)を抱えた読書には向かないと判断し、ちょっと図書館通いから遠ざかっていたのですが、そろそろ野良仕事も一段落。  ようやく図書館通いが苦にならない目途が立ちました。  ま、それだけが理由じゃなくて、もう一つ別の理由もあったんですけどね(苦笑)  そのお話は近日中にいずれ又・・・・。  ま、何はともあれ、久々の図書館本1冊目の読了本はこちらです。

グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~
著:荻原規子 徳間書店

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「ナルニア国物語」のライオン王アスランは、なぜあれほど、特別な感じがするのか。  「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」が伝える、現代の人間とはまったく異なる生き方とは・・・・・。
子供の本の中だけでなく、古典や神話においても重要な役割をになっている、幻獣やさまざまな動物たち。  「勾玉」三部作、「RDG」シリーズなどで知られる、日本のファンタジーの旗手荻原規子が、幼いころから愛した「動物物語」を振り返りつつ、ファンタジーとは何か、物語が人の心にもたらすものは何かを掘り下げてゆく、珠玉のエッセイ。  ファンタジーや児童文学、神話や古典の読書案内としても楽しめます。  (単行本扉より転載)

以前からこのブログでは何度かお話しているように、荻原規子さんという作家さんと KiKi の相性は決してよいとは言えません。  とは言うものの、同世代の女性として彼女の活躍にはそこそこ興味はあるし、このブログに彼女のブログのリンクも貼ってあるしということで、この本のことは以前から知っていました。  この本は彼女の物語作品というよりはエッセイということなので、物語作品との相性はさほどよくなくても結構通じるものがあるかもしれない・・・・という淡い期待を胸に今回借り出してみました。

結論から言うと、どうやら彼女とは物語作品のみならず、エッセイであってもあんまり相性はよくないみたいです・・・・・(苦笑)  但し、やはり同世代に育った共通項というものはそこかしこにあるもんですねぇ。  彼女が幼少時代にご実家で揃えられていたという「少年少女世界の名作文学」というシリーズのお話なんかは KiKi にとっても実に懐かしい、身に覚えのある社会現象(?)のお話でした。

そうそう、あの頃は「岩波文庫」こそ既に存在していたものの「新書」なんていうのは世の中に存在していなくて、今ほど本の数や種類も多くなくて、その代わりと言っては何だけど「○○文学全集」というヤツが結構流行って(?)いてねぇ・・・・。  革装丁とまではいかないけれど、昨今のハードカバーの表紙よりはずっと厚紙の表紙、背表紙の金文字が豪華なハードカバーでサックに入っている配本形式の全集ものを1冊ずつ揃えていき2年ぐらいすると全集が自宅の本棚にド~ン!と居並ぶというパターンで購入する家庭がそこそこありました。

よくよく考えてみるとあれも敗戦で全てを失った人々が少しずつ文化的な生活を取り戻していく過渡期特有の現象だったんでしょうね。  KiKi の実家には荻原さんちの「小学館 少年少女世界の名作文学」はなかったけれど、従姉妹からのおさがりの「河出書房新社 少年少女世界の文学全集」とか、出版社は忘れちゃったけれど「少年少女 ノンフィクション全集」といった全集物がドドド~ンと本棚に鎮座していました。


マキリップの積読山崩し企画の第3弾。  前回ご紹介した本とは逆に、書影をご紹介するのが嬉しくなってしまうほど美しいこちらを読了しました

オドの魔法学校
著:P.A.マキリップ 訳:原島文世  創元推理文庫

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孤独な青年ブレンダンのもとに、オドと名のる女巨人が訪れた。  魔法学校の庭師になってほしいというオドの求めに応じたブレンダンだったが、慣れない都の生活になかなかなじめない。  一方王と顧問官たちは、歓楽街で興行する魔術師の噂に神経をとがらせていた。  件の魔術師はただの興行師か、それとも本物の魔法使いなのか。  幻想の紡ぎ手マキリップの謎と魔法に満ちたファンタジー。   (文庫本裏表紙より転載)

まずはこの表紙の絵、美しいと思いません??  KiKi はねぇ、元々ブルー系の色には滅法弱いんですよ。  冴え冴えとした空に浮かぶ月のような弓なり形。  そこにくつろいで身を預けているかのような女性1人。  そのコスチュームがこれまた美しく彼女が手にしたお面は妖しく、それだけで KiKi の美意識をグリングリンと刺激してくれちゃいます(笑)  この表紙で存分に膨らませた妄想・イメージをそのまま言語化したような物語でした。

ただね、マキリップの物語ってどうも感想が書きづらい物語ですねぇ。  というのも何か主張したいものがあるか?と問えば恐らくそれがない作家さんのような気がするんですよね。  ある種の神秘を幻想的に美しく描く才には溢れているけど、テーマは何??と戸惑っちゃう・・・・・そんな印象なんです。

今日はモーツァルトのカルテット「ホフマイスター」です。  モーツァルトのカルテットはその大半がセットもので作曲順に「ミラノ・カルテット」、「ウィーン・カルテット」、「ハイドン・セット」とそれぞれ6曲ずつ続き、この「ホフマイスター」がポツンと存在したあと、「プロシア王・セット」3曲で終わりとなります。  そういう意味ではセットものに属していない第1番の「ロディ」と第20番の「ホフマイスター」がちょっと特異な存在と言えるかもしれません。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第20番 K. 499 「ホフマイスター」
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

Mozart_SusukeQ.jpgのサムネール画像  (Amazon)

このカルテットはフランツ・アントン・ホフマイスター(1754年 - 1812年)という作曲家 兼 音楽出版者のために作曲されたために「ホフマイスター」(Hoffmeister)の愛称で呼ばれています。  因みにこのホフマイスターさん、モーツァルトからはカルテットを捧げられ、ベートーヴェンからは「もっとも愛しい兄弟」と呼ばれるなど、当時はそこそこの人物だったみたいです。  今では音楽史の研究家ならともかく、一般的にはモーツァルトのこのカルテットがなければ忘れられちゃった名前・・・・そんな存在なのではないかしら??

充実した「ハイドン・セット」の後に続くカルテットはどんな曲かしら?と期待満々で聴いてみると、これが何とも情緒にあふれた優しい音楽なんですよね~。  こんな優しい音楽が捧げられた人は、どんなお顔をされているのかしら?と検索してみると・・・・・

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こ~んな風貌の方みたいです・・・・○×△□  う~ん、何だか曲のイメージと違うなぁ・・・・・(苦笑)  


今日は「ハイドン・セット 第6曲」、「不協和音」の愛称で親しまれているカルテットを聴いてみました。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第19番 K. 465 「不協和音」
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

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この曲を KiKi が初めて聴いたのは、中学校か高校の音楽の時間でした。  当時の音楽鑑賞の時間にモーツァルトのお茶目エピソードと一緒にこの曲と「音楽の冗談」の別名で知られるディヴェルティメント(K. 522)を聴きました。  当時の KiKi は既にピアノレッスンでもっとものすごい不協和音バリバリの曲を弾いていたりもしたので、「これのどこが不協和音なんだ??」と思った記憶が鮮明に残っています。

この曲が「不協和音」と呼ばれるようになったいきさつは第1楽章の序章部分、チェロが 刻む8分音符にのって不気味さ、混沌とした暗闇を思わせるような半音階が重ねられてゆくことによるわけですが、実際には弦楽器特有の残響音によって不協和音に聴こえる部分があるというだけのことで、不協和音を長々と響かせるような音作りにはなっていません。

その後のロマン派の音楽やら現代音楽を聴いてきた現代人の耳には決してびっくりするような音使いでもなければ、「不協和音だ~!」と騒ぐほどのものでもないのですが、モーツァルトの前にこのような音使いをした著名な作曲家がいたのか?と問われれば恐らく「否」と答えるしかないわけで、そういう意味では「当時としてはかなりアバンギャルドな挑戦だった」と言わざるをえないのではないかと感じられます。

実際、この曲のこの冒頭部分に関しては、モーツァルト もしくは記譜職人の間違いと言われていた時間もかなり長かったりするわけですから・・・・・。  

マキリップの積読山崩し企画の第2弾。  画像付きでご紹介するのがちょっぴり恥ずかしい(KiKi の年齢で・・・・という意味ですけど)こちらを読了しました。

チェンジリング・シー
著:P.A.マキリップ 訳:柘植めぐみ  小学館ルルル文庫

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海で父を失った少女ペリは、海に執着する王子キールに出会い、どこか親近感を覚える。  ある時ペリがキールに頼まれるまま、見よう見まねの「呪い」を海に流すと、黄金の鎖をかけられた海竜が現れた!  さらには、その騒ぎの中に現れた謎の魔法使いリョウの魔法から、思いもよらぬ出来事がおこり...!?  さまざまな形で海に心を捕らわれた少年少女たちの解放を描く幻想ファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

この本、マキリップ本を揃えようと E-BookOff で書影を見ずにゲットしたから KiKi の手元にあるんだけど、もしもこれを本屋さんの書架で見つけたんだとしたら購入するのに戸惑っちゃっただろうなぁ・・・・。  というより、そもそも小学館ルルル文庫の棚には KiKi は最初から近づかなかっただろうなぁ・・・・・ ^^;  逆に言えば余計な先入観を持たずにネット上でポチしたおかげで出会えた本とも言えるわけで、世の中何が幸いするのかわからないものです。

いかにも少女が好きそうな挿絵、そしてシンプル & ロマンチックな物語だと感じました。  逆に言えば「影のオンブリア」のマキリップと比較すると、幻想的な雰囲気は若干パステルチックで、ついでに書きすぎの感もあって、イメージ喚起力とでも呼ぶべきものが薄めかなぁ・・・・と。  ま、端的に言ってしまえばこのルルル文庫というレーベルのせいもあるのかもしれないけれど、「お子ちゃま用マキリップ」という感じがしないでもありません。  ま、そんな風にマキリップを定義できるほどには彼女の作品を読み込んでいるわけじゃないんですけどね。(苦笑)

   

以前「本が好き!」で「アトリックス・ウルフの呪文書」が献本されていたことがあり、残念ながら KiKi はその抽選で落選しちゃったんだけど、その紹介文からマキリップという作家の作品に興味を持ちました。  以来、ブックオフやらネットオフでせっせとマキリップ作品の文庫本を集め始め、積読状態になっている本が山積みになってきました。(苦笑)  本来だったらこの本の前に「妖女サイベルの呼び声」(第1回世界幻想文学大賞受賞作)や、「イルスの竪琴 3部作」を読んでみたかったんだけど、それらはまだゲットできていないし、そろそろマキリップ作品の積読山を崩しはじめなくちゃいけないような気もするので、まずはこの作品から手を出してみました。

影のオンブリア
著:P.A.マキリップ 訳:井辻朱美  ハヤカワ文庫

51ME53A3MTL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

オンブリア ― それは世界でいちばん古く、豊かで、美しい都。  そこはまた、現実と影のふたつの世界が重なる街。  オンブリアの大公ロイス・グリーヴの愛妾リディアは、大公の死とともに、ロイスの大伯母で宮廷を我が物にしようとたくらむドミナ・パールにより宮殿から追いやられる。  だがそれはふたつの都を揺るがす、怖るべき陰謀の幕開けにすぎなかった・・・・・  2003年度世界幻想文学大賞に輝くマキリップの傑作ファンタジイ!  (文庫本裏表紙より転載)

何とも詩的な文体で貫かれた物語ですねぇ。  そもそも舞台背景自体が幻想的な物語です。  架空の都オンブリアを舞台にした陰謀劇なんですけど、物語のあらすじを書いてしまうとめちゃくちゃシンプルなんですよ。

豊かで美しい都の大公が死ぬ。
幼い忘れ形見の少年が大公の地位を継ぐ。
正体不明のモンスター的な女摂政が立つ。(どうやら大公を殺害した模様)
宮廷に出入する多くの人々が、摂政を除こうとし、幼い大公(もしくは別の人物)を傀儡に仕立てようとする
幼い大公の味方はふたりだけ。  そのふたりがなんとか陰謀を排除し、大公を守り通す。

恐らく大筋はこんなお話なんです。  でも、そこに絡んでくるのが、オンブリアの影に寄り添うように存在している異次元の世界、「影のオンブリア」で、そこの住人であるフェイという魔法使いとその弟子マグの存在と彼らがなす様々な事件です。

地上にある現実の都オンブリアを支配するドミナ・パール(女摂政)と、その地下に広がる魔法と幻想の街の魔女フェイ。  この二人を軸に、陰影深い物語が繰り広げられ、読む人を幻惑させます。

今日も昨日に引き続き、モーツァルトの「ハイドン・セット」第3曲を聴いてみたいと思います。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第16番 K. 428
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

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この曲には逸話があります。   偉大なる物理学者、アインシュタインによるとモーツァルトは前作第15番のニ短調カルテットを作曲したすぐあとにこの曲(変ホ長調)を書き上げ、さらにその1年後に第17番の「狩」を作曲したのですが、「ハイドン・セット」を「セットもの」として完成させる際にはこの曲ではなく現在ではハイドン・セット第4曲として知られる「狩」を第3曲として指定し、この曲は第4曲とされていたというのです。

又、別の説によれば第15番がニ短調、そしてこの曲が変ホ長調、「狩」が変ロ長調という調性なんですけど、これを順番を入れ替えるとちょうど♭(フラット)の数が1つずつ増えていくことになるんです。  (これがよく分からない人は子供時代の音楽の教科書を確認してみましょう 笑)  そうするとある種の規則性みたいなものがあるように見えるでしょ。  ま、KiKi にはこの説はこじつけに感じられるんですけどね(笑)

たかが曲の順番・・・・と思われる方もいらっしゃると思うんです。  でもね、KiKi にはフラットの数云々と言う話はともかくとして、アインシュタインが語っていた構成をモーツァルトが意図していたという話は別の意味で妥当に感じられます。  というのもね、モーツァルトという作曲家のバランス感覚を思えば、第2曲ニ短調のあの哀愁に満ちた曲想の次はやっぱり明るい曲の方がしっくりくると思うんですよ。  

特に、この時代の曲というのは「ミラノ・カルテット」しかり「ウィーン・カルテット」しかり、そしてこの「ハイドン・セット」しかりで、6曲を連続して演奏されるべき曲のかたまりとして捉えて出版・演奏されていたと考えられるからです。  

クラシック音楽にさほど親しんでこなかった方はこんな疑問を持ったことがありませんか??  それは「どうしてクラシック音楽には第○楽章な~んていうのが連なっているんだ?」ってね。  現代に暮らす私たちにしてみると曲は1曲であって、その中に楽章な~んていうややこしいものを持たせるよりも、別の曲は別の曲とした方がさっぱりしていいんじゃないか?ってね。  

その1つの答えはね、要するにクラシック音楽には「バカの一つ覚え」という発想ははなからなくて、いくつかの異なる主張(時に喜びと哀しみというような相反する主張さえも)を有機的につないで、大きな人間の精神世界を描くというスタイルが確立されていたから・・・・と KiKi は思っています。  同じ調子の連続じゃあ、人間、飽きてしまいますから・・・・(笑)  その異なる主張をつなぐために必要になってくるのが調性だったり、ある特定の印象的なリズムだったり、その他もろもろのルールだった・・・・と。


今日はモーツァルトの「ハイドン・セット」の第2曲。  人口に膾炙された副題こそ持たないものの名曲の誉れ高く、ハイドン・セットの中で唯一の短調のカルテットです。  この曲、もう半端じゃなく KiKi は好きなんですよね~。  特にこの曲は秋という季節がとってもよく似合う・・・・。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第15番 K. 421
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

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この曲、実はモーツァルトの妻コンスタンツェが第一子を出産するのとほぼ同じ時期に作曲された曲です。  現代人の感覚だったら喜ばしいはずの出来事を前に、どうしてこんな短調の曲を??と思わないでもありません。  しかもまるでモーツァルトの不安が的中したかのごとく、この時誕生した赤ちゃんは早世してしまいます。  でも、モーツァルトは決してその赤ちゃんの悲劇を予言してこんな曲を書いたわけではありません。

KiKi がまだまだお子ちゃまだった頃には、KiKi はその理由を当時の出産の危険度の高さを案じていたためか、はたまた父になる不安のためかと感じていたんだけど、今回この音楽を聴いていて別のことを感じました。

それはね、自分の子供が生まれてくるというその現実の前でモーツァルトが初めて我が事として認識した「新しい生命の誕生といずれは消えていく自分」というある種の諦念、もっと言えば「死」を初めて意識したその内心の吐露だったんじゃないのかなぁ・・・・と。

実際、この「ハイドン・セット」あたりからモーツァルトは聴衆に迎合しない・・・・と言うか、自己表現の世界に踏み込んでいったように感じるんですよね~。  要するに「職人音楽家」から「独立した芸術家」へ移行しようとしていた・・・・とでも言いましょうか。  これも現代的な言葉で言えば「自分がこの世で成し遂げるものを希求し始めた;存在意義を求めた」という感じ。  そしてそれは「死」という概念とは決して切り離せないものだったのではないか?と。

特にこの曲は全体のバランスもさることながら、瞬間瞬間の美しさの際立つ音楽だと思うんですよ。  まるで人間の一生と同じように・・・・・。  そうであるだけに KiKi はこの音楽には「ロマン派」に通じるものを感じるんですよね~。  ロマン派まではいかないにしても、古典派とロマン派の橋渡し的存在だったシューベルトにはかなり近しい音楽だなぁ・・・・・と。  

Rook で作った本棚

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本が好き! の新サービス;Rook (と言ってもずいぶん前だけど)から、そのサービスで KiKi が作った本棚がブログに貼り付けられるというメールを頂戴しました。  どんな風になるのか試してみたくてこのテストエントリーを書いています。  本当だったらサイドバーに置くブログパーツとして貼り付けてみたいところなんだけど、まずはエントリーとして置いてみたいと思います。

これまでに5つか6つほど本棚を作っているんだけど、せっかくエントリーに載せる以上、見た目が美しいのがいいなぁ・・・・。  

ま、てなわけで以下の3つを載せてみます。


1)本棚にあるだけで幸せな気分になる美装丁本



2)本棚にあるだけで幸せな気分になる絵本


3)どうしても捨てられない本棚ふさぎのマンガたち


な~るほど、こんな風に貼り付けられるのか・・・・・。  次はサイドバーでもテストしてみたいと思います♪  

本が好き!から献本をいただきました。  多謝 kiss1.gif  

KiKi はこれまで創元推理文庫とはさほど親しい間柄ではなかったんだけど、本が好き!のおかげ様をもって、少しずつこのジャンルの本の面白さに目覚め始めているような気がします。

マッドアップル
著:C.メルドラム 訳:大友香奈子  創元推理文庫

61ecXbD7y0L._SX230_.jpg  (Amazon)

アスラウグは母とふたりで暮らしていた。  野草を食べ、薬草を煎じる毎日。  母が今日欲しがっているのは、毒のあるマッドアップル...。  2007年、アスラウグにかけられているのは殺人未遂と第一級謀殺の容疑。  ほんとうに彼女は母親とおばといとこを殺したのか?  証言のたびに、浮かび上がる万華鏡のような事件の様相。  真実は?  全米図書館協会ベストブックに選ばれた、気鋭の処女作。  (文庫本裏表紙より転載)

この本は正直なところ、KiKi にとってはかなり「読みにくい」類の本でした。  魔女に憧れている KiKi ではあるけれど、その割には野草とか薬草の知識が乏しいのに、それらが次から次へと出てくること、さらには田んぼ仕事やら畑仕事をして「美味しいもの」を食べることにはかなり貪欲な KiKi には、どんなに贔屓目に考えてもあまり「美味しそうには感じられない」食べものを食す生活を送っている主人公 & 彼女をとりまく人たちにその一点だけでもなかなか共感しづらいことが挙げられます。

人間の精神的な部分の半分ぐらいは食生活による部分が大きいと考えている KiKi にとって、これはちょっとした、それでいてどうしても拭い去れない違和感を感じさせるには十分でした。  しかもそこに処女懐胎だとか、キリスト教プロテスタント教派の1つらしいペンテコスト派な~んていう KiKi にとっては馴染みもなければ、正直なところ興味も持てなさそうな会派の話まで出てきちゃうので、かなりとっつきにくかった・・・・ ^^;  

さらに言えばどうもこの表紙の絵がねぇ・・・・。  頭ばっかり大きくてそれと比較して手足が極端に小さい女の子の絵は小学生時代に図工の授業で「こういう絵を描いてはいけない」と教えられてきた構図そのままで、それも何気に KiKi の「いびつ観」を募ってくれちゃいます。

さらにさらに、文章がちょっとねぇ・・・・。  英語という言語は常に主語がはっきりしている言語のはずなんだけど、時にそれがわかりにくかったり、やたら短い文章の羅列が相互の脈略もよくわからないままに続いたり・・・・・。  唐突にデンマーク語(?)と思しき言葉が出てきたり・・・・  とにかく「普通じゃない」「一筋縄ではいかない」雰囲気だけが盛り上げられて、置いてけぼりをくらった不安感みたいなものを感じながら読み進む・・・・そんな読書だったように感じます。

でも、それでもそこそこのペースで読み進み、読了できてしまったのは、この物語の構成が2003年の KiKi には理解しがたい世界での出来事(この部分はアスラウグの独白といった趣で、どちらかというと彼女にとっては真実かもしれないけれど、その独白を現代社会に息づいている社会通念と照らせば信用しきれないと感じさせ不安感を煽る)と2007年に起こった彼女にかけられた殺人容疑の裁判での検察・弁護人・本人を含む証人との一問一答の描写をいったりきたりしていることにより、「何が起こっていたのか?」が少しずつ解きほぐされていくことによるのだと思います。

昨晩、Lothlórien_山小舎では薪ストーブに今年の初火入れをしました。  朝晩、めっきり冷え込むようになった・・・・・とはいうものの、実際には11月まで可能な限り薪ストーブ使用は控えたかったんですけど、それでも昨日初火入れを行ったのには訳があります。  それはね、これ(↓)と関係があります。

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これ、覚えています??  これに対応する以前の煙突の写真は?と言えば

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これなんだけど、違いが分かるかなぁ・・・・・。  ヒントは煙突トップ付近の風景の違いなんですけどね~。  

答はね、以前、このエントリーでもお話したように、以前の状態の煙突では煙突トップのお掃除ができなくて、そのために煙が逆流して家の中が煙たくなって、危うく KiKi の燻製ができあがってしまうところだったんですよ。  で、今年の春、村の鉄工所にお願いして煙突にのぼるための鉄製のはしごをかけてもらったんです。  煙突トップはとりはずし可能な仕様になっているので、その取り外し作業を行う際の支えとなる「腰支えパーツ」付き!(笑)

で、今年の薪ストーブ & 煙突掃除はバッチリ・・・・・・のはずなんだけど、何せ煙突の中っていうのは真っ暗なわけです。  外せる場所は全部外して、煙突掃除用ブラシでゴシゴシやったんだけど、ちゃんとお掃除ができているかどうかは燃やしてみないとわからなかったりするわけです。

ま、てなわけで、昨日はそのテストのための初火入れとなったっていうわけです。  え?  何でそのテストそのものを11月にやらなかったのか?って??  

それはね、目指しているのは11月本稼働だけど、いつ何時半端じゃない寒さが襲ってくるかは定かじゃないし、その震っちゃうほど寒い中で煙突掃除なんてあんまりしたくないでしょ♪

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久々にこのガラス窓越しに見る炎は相変わらず素敵でした。  何年か前の「酒好き」だった時代の KiKi ならこの炎を眺めながらグラスをくゆらせたいほど・・・・・(笑)  今の KiKi はこの素敵な炎の前で熱い日本茶をすすっています。  


モーツァルトのカルテットを順番に聴きながらエントリーを書いてきているわけですが、今日から傑作の誉れ高い「ハイドン・セット」に突入します。  「ミラノ・カルテット」、「ウィーン・カルテット」とそれぞれの時期に6曲ずつのカルテットを書いてきたモーツァルトが「ウィーン・カルテット」から9年という年月を経て書いたのが「ハイドン・セット」の6曲です。  今日はその第1曲目、「春」という副題で呼ばれることもある K. 387 のカルテットです。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第14番 K. 387 「春」
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

Mozart_SusukeQ.jpgのサムネール画像  (Amazon)

子供が音楽教室などで習う曲もそうだけど、難易度が低い曲と高い曲を比較すると、もちろん曲の構成やら音の厚みやらという部分の違いも大きいけれど、わかりやすいところで言うと「曲の長さ」というヤツに1つの傾向があったりします。  もちろん「曲が長ければ難しい」というほどシンプルなものではないのですが、それでも短い曲は比較的技術的にも簡単なことが多い(誤解のないように言い添えるならこれは曲の良し悪しとは関係ありません)のはある種の真実だと思います。 

モーツァルトのカルテットにもこのシンプルな法則は見事に当てはまり、「ミラノ・カルテット」はその大部分が1曲全部を演奏しても10分弱、「ウィーン・カルテット」はその大半が15分強だったのに対し、このハイドン・セット第1番の K. 387 は約30分です。  

一つ一つの楽章が長く、凡そ考えられる限りのありとあらゆる技法がそれぞれの楽章で見事に駆使され、音の厚み、各声部の絡み合いもそれまでのカルテットとは一線を画していて、モーツァルトの成熟を否が応もなく感じずにはすまされません。  因みにこの「ハイドン・セット」、献呈された相手は当然の如くハイドンで、モーツァルトは以下のような献辞を書いたとされています。

田焼き

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昨年は稲刈りの後、藁ぽっちづくりに精を出したのですが、今年は藁ぽっちは作らず、コンバインで刈った稲はすべてそのまま粉砕して畑に播いてもらいました。  というのもね、去年作った藁がまだまだ山のように我が家の「駐車場だったけれど納屋になっちゃったスペース」にあふれているからです。  今年の藁の消費量を考えるともうあと何年も新しい藁は必要じゃないぐらい・・・・・(笑)

で、そのまま腐らせて田んぼの肥料にしてもよかったんだけど、例の地元材木業者のHさん曰く、今年の我が田んぼは豊作だったので勢い藁の量も多く、生のまま田んぼに混ぜ込んでしまっても腐って肥料になるのに時間がかかり過ぎるかもしれない・・・・とのこと。  豊作の翌年の耕作というのは結構難しかったりもする(地味の問題とか)ので、今年は田焼きをやってみることを勧められました。

去年も村のあちこちの田んぼで「田焼きの風景」は見かけたものの、自分たちはやってみなかったので、今年は興味本位に試してみることにしました。  ただ、当然のことながら「焼く」ためには火をつける藁が渇いていなくちゃいけないわけだけど、あの稲刈り以降、昼間は快晴でも夜は雨が降るという天気が多かったのでうまく火がつくかどうか、ちょっと自信はなかったんですけどね(苦笑)

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田んぼ一面に散らばっていた藁を平らにならし、風の向きを見ながら火をつけました。  

    

注文の多い料理店 宮沢賢治

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宮崎さんの豆本で紹介されている岩波少年文庫の順番にのっとって・・・・ではあるものの、ある意味では岩波少年文庫シリーズの中でも日本文学の中の真打といってもいいような本に到達しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

注文の多い料理店 イーハトーヴ童話集
著:宮沢賢治  岩波少年文庫

51Y2W768GGL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「すきとおったほんとうのたべものになること」という賢治の願いがこめられた童話集「注文の多い料理店」を、挿し絵とともにすべて収める。  他に「永訣の朝」「雨ニモマケズ」など、独特のことばでつづられた詩11編を収録。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi にとって宮沢賢治の作品っていうのは最初の出会いが国語の教科書(記憶は定かではないんだけど、たしか「注文の多い料理店」が載っていたように思う)で、その後学校図書館でいくつかの本を読み、この本にも収録されている「雨ニモマケズ」は小学校高学年だったか中学校低学年だったかははっきりしないんだけど、暗唱する課題が課されたことがあったように思います。  中学校低学年で暗唱することが課された詩に島崎藤村の「千曲川旅情の歌」があったので、多分「雨ニモマケズ」の方は小学生だったように思うんですけど、そのあたりの記憶はちょっと曖昧です。

当時の KiKi にとって賢治の言葉っていうのはかなり難しくて、それは彼が使っている方言に理由があったり、ちょっと古めかしい言葉であることに理由があったりもしたんだけど、要は彼の言葉で描写されているものの漠然とした雰囲気だけは伝わってくるものの、それが表現している事象そのものの輪郭がどこかぼやけている感じがして、言葉を読んでそこからクリアな映像が頭の中で描けるわけではない曖昧さ・・・・みたいなものに随分悩まされたものでした。

そういう意味では賢治の作品を「わかったつもりになっていた」年齢は中学校高学年ぐらい、ある意味で「感性」もまだまだ柔らかくてそれでいてどことはなしに「夢見がち」であることが許されていた年代だったように思います。  高校生になって大学受験だの進路だのという世界が身近になる頃にはどことなく・・・・ではあるんだけど「今は封印すべき作品を書いた作家」というイメージで捉えていたように思います。  

読書カテゴリーのエントリーがここのところずっと「光文社古典新訳文庫」だったんですけど、今日は久々の「岩波少年文庫」です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

トム・ソーヤーの冒険(上)
著:M.トウェイン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

5116BCJ521L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ミシシッピ川沿いの小さな村を舞台に、わんぱくな少年トムが浮浪児ハックを相棒に大活躍するゆかいな冒険物語。  因習にとらわれがちな大人たちに逆らってたくましく生きる子どもたちの姿を描きます。  世界中の人々から熱狂的に愛されてきた少年文学の傑作。  (文庫本扉より転載)

トム・ソーヤーの冒険(下)
著:M.トウェイン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51XK23DEJDL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

トムは仲良しのベッキーと二人で、奥深い真っ暗な洞穴で迷子になり、三日三晩とじこめられてしまいます・・・・・。  大人たちの思惑をよそに、自然の中で自由にのびのびと生きる子どもたちの夢と冒険を描いた名作。  (文庫本扉より転載)

トム・ソーヤーの物語は確かに小学生の頃に読んだ記憶はあるんだけど、今回再読してみるまでどんな物語だったかはすっかり忘れていました。  記憶に残っていたのは「トム・ソーヤー & ハックルベリー・フィン」という名前とハックが浮浪児だったこと、そして二人の少年がやんちゃだったこと。  そして女の子だった KiKi には必ずしも理解できているとは言い難い「男の子の世界」が描かれた物語だったこと・・・・・ぐらいでしょうか??  あ、あと舞台がミシシッピだったことは絶対に忘れられません。  だってこの物語で「ミシシッピ」という名前を初めて知り、わざわざ地図帳でそれがどこなのか調べた思い出があるぐらいですから(笑)

子供時代には同様に「ハックルベリー・フィンの冒険」も読んだはずなんですけど、こちらも御多分に漏れずどんなお話だったか、まったく記憶にありません ^^;  残念なことにこちらは岩波少年文庫のラインナップには含まれていないようです。  そうそうハックと言えば、KiKi の大好きなアメリカ・TVドラマ「ザ・ホワイトハウス」のトビー(ホワイトハウス広報部部長)の息子の名前がハックだったっけなぁ(笑)

まそれは置いといて、今回再読してみてトムとハックが思いのほか危険な目にあっていたことを再認識し、ちょっとびっくりしてしまいました。  夜中に家を抜け出してあちこちフラフラしていたり、挙句殺人現場を目撃しちゃったり、真犯人が別の人間に罪をきせるのを見ていたり、良心の呵責に耐えかねて真犯人を告発したり、迷子になった洞穴でいきなりその真犯人と出くわしたり・・・・・。  こんなに刺激的なお話しだったっけ???  

子供時代からこの物語に対して抱いていたイメージってもっと軽めの事件の連発で、トムやハックが微笑ましいという感じだったんだけど、正直なところこの年齢になった KiKi にはポリーおばさんのご苦労が身に沁みちゃうような気分です(笑)。

秋景色

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めっきり秋らしくなった日が続いています。  昨日携帯に届いた「高山村応援団メールマガジン」によれば、おらが村ではつい先日7℃まで気温が下がったこともあったようです。  どうりで最近ではチラチラと横目でストーブを眺めつつ、上着を着込むという日が多いわけです。  まだまだ紅葉にはちょっと早いものの、村はすっかり秋景色です。

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村のあちこちの田んぼはこ~んな風景(↑)だし、先日稲刈りのお手伝いをお願いしたMさんからはこんなもの(↓)をいただきました。

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立派な栗でしょう??  でも、実はここだけの話、KiKi は生の栗ってこれまでの人生の中で自力で処理したことがないんですよね~。  たまたまこの栗を頂戴した次の日、村の栗林で栗の実を拾った・・・・な~んていうこともあったので、今年は購入してみました、栗剥き器。

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でもね、使い慣れていない器具っていうのはなかなかうまく扱えないモンです。  なかなか綺麗に剥くことができず、結局途中でギブアップ(苦笑)です。  秋の味覚と言えば「栗ごはん」が有名だけど、基本的に混ぜご飯・炊き込みご飯関係よりは白米を好む KiKi はこれまでの人生の中で「栗ごはん」を炊いたことがありません。  辛うじて「松茸ご飯」だけは炊いたことがあるけれど、それだってごくごくたまに、しかも幸運にもタダで松茸が入手できた時だけだし・・・・・・(笑)

今回はたまたま栗をそこそこの量入手できたので「栗ごはんにチャレンジしてみようか?」な~んていうことを考えないでもなかったんだけど、この分ではやっぱり今年も断念することになるのかもしれません。  せっかく作った「自家米」はやっぱり「大好きな白米」で美味しくいただきたいしねぇ・・・・・。


ここのところず~っとクラシック音楽関係のエントリーから遠ざかっていました。  今日は、久々に手掛け始めている「モーツァルトの弦楽四重奏曲を全曲聴いてみる企画」に戻りたいと思います。  ま、てなわけで本日の KiKi のBGMはこちらです。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第13番 K. 173
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

Mozart_SusukeQ.jpgのサムネール画像  (Amazon)

「ウィーン・カルテット」の最終曲にあたるこの曲。  KiKi は好きなんですよね~、これ。  モーツァルト初期のカルテットには珍しい短調で始まるこの曲。  青年モーツァルトがハイドンの毒気にあてられて熱に浮かされて書いちゃったような趣たっぷりで、どこか「吹っ切れた感」もあり、どこか「新しい境地が見え始めている期待感」みたいなものもあるとても充実した音楽だと思うんですよね~。

第1楽章 アレグロ・マ・モルト・モデラート
第2楽章 アンダンティーノ・グラツィオーソ
第3楽章 メヌエット(トリオ)
第4楽章 アレグロ

という構成なんだけど、この構成のバランス感もいいし、最終楽章にはフーガをもってきて作曲技法の充実も存分に示してくれます。

米袋の輸送

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今年は1反の田んぼで8俵半の収穫を得ることができた新米ですが、自宅消費分と家族に分ける分を差し引いてもまだまだ余裕があります。  ま、てなわけで昨年来「もしもタップリ取れたら1俵1万円で分けてあげる♪」と約束していた東京時代の友人に声を掛けました。  昨年は収穫量も少なかったのでこの約束を果たすことができなかったんですけど、今年は自信をもって販売(?)することができます。

で、収穫量自体は確かに問題ないんですけど、いざそれが実際に発生することとなると、ハタと行き詰ってしまったのが「これをいかにして配送するか?」です。  これが重大問題になる1つの理由は、ここLothlórien_山小舎が文字通り山の中にあるという事実にあります。  実はここで過ごす時間がたっぷり増えて以来、往来を走るトラックなんかを注意深く見ていたんだけど、「黒ネコヤマト」のトラックは大きいのから小さいのまで毎日走っているんだけど、それ以外は郵便局の車だけ・・・・と言っても過言ではない状態なんですよね~。

日本で1番・・・かもしれない日通さんでさえ、引っ越しトラックとメール便トラックならごくごくたまに見かけるけれど、それ以外でお見かけしたことはほとんどありません。  その友人からは「送料の虎」なるHP を紹介してもらったんだけど、ここが通常のサービス・エリアに含まれていない会社にお願いすることは当然できないわけで、もっと言えば荷物を持ち込むサービスセンターの場所がわかっていて、尚且つそこが極端に遠くない手段を探さざるを得ません。    

幸いなことに「ヤマト」さんの方は荷物を預ける場所も知っているうえに、このエリアの配送担当者のお兄ちゃんとは携帯電話の番号を交換し合っている(ちょっとした留守、例えば田んぼに出ているような時に荷物が届くと、それをどうするべきか電話がかかってくる)間柄だし、郵便局なら村の中にあるので、どこへ運べばいいのか & その距離感を熟知しています。

ま、てなことを考えるとどうしても配送手段として妥当と思われるのは「ヤマトさん」か「郵便局」にならざるを得なかったりするわけですが、と~っても気になるのが「最大重量制限」です。  普段なら気にも留めずに宅急便をお願いしちゃうわけだけど、今回の荷物は重さ約30㎏です。

てなわけで、ヤマトさんのHPにアクセスしてみたら宅急便で扱えるのは25㎏までとのこと。  念のために近くのサービスセンターに電話で確認してみると、やはり25㎏までであるうえ、米袋をさらに段ボールの箱か何かに入れろとのこと。  その風体込みで25㎏となると当然のことながら肝心要の玄米は25㎏以下にしなくてはなりません。  それに、こんな大きな袋(↓)を入れられる段ボール箱なんてどこで入手すればいいのかさっぱり見当もつきません(苦笑)

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日の名残り K.イシグロ

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光文社古典新訳文庫に収められている「シェイクスピアもの」を読み続けてきたのですが、戯曲が続いたのでちょっと普通の小説が読みたくなってきてしまいました。  何を読もうか選別している中で、「高慢と偏見」「嵐が丘」とカントリー・ハウスものが続いたので、同じ系統で進んでみようかな・・・・な~んていうことを思いついちゃいました。  で、カントリー・ハウスもので、手持ちで、まだブログエントリーを書いていなくて・・・・・と取捨選択しているうちに辿りついたのが本日の KiKi の読了本です。

日の名残り
著:K.イシグロ 訳:土屋政雄  ハヤカワepi文庫

51XAP48A79L._SX230_.jpg  (Amazon)

品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。  美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。  長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々―過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。  失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作。  (文庫本裏表紙より転載)

思い起こせばこの物語はほんのちょっとした偶然から KiKi の蔵書となった1冊でした。  大学3年生の時、専攻していたゼミで「G.グリーン」に取り組み、その当時は和訳本はハードカバーの「G.グリーン全集」しかなかったのが、ハヤカワepi文庫という新しい文庫シリーズにはかなりの作品が網羅されていることを何かのきっかけで知ったんです。  で、ちょっとした懐かしさも手伝って池袋のジュンク堂にそれらの「G.グリーン作品集」を「大人買い」をしに出かけたら、ついつい他の本にも目移りしちゃってねぇ・・・・・。

で、結局その時購入したのは「G.グリーンの作品」のみならず、「A.クリストフ」を3冊(当時はまだ2冊だったかもしれない)と、この「K.イシグロ」を2冊、他にも何か購入して結果1万円超のお買いものになりジュンク堂特製の緑色のバッグを Get したことを今でもよ~く覚えています。  その後そのバッグ欲しさ(← これが結構しっかりしているバッグで使い勝手がよい!)にジュンク堂でのお買い物は常に1万円ちょっとを狙ったものでした(苦笑)

その時の読書は「A.クリストフ」→「K.イシグロ」と進み(肝心要の「G.グリーン」の方は未だに再読していなかったりする ^^;)、どちらの作家にも深く感銘を受けたことをよ~く覚えています。  特にこの「日の名残り」は、これから KiKi 自身がどんな風に生きていこうかと考え始めた時期と重なっていただけに、心に深く残りました。   

本が好き!から献本いただきました。  多謝。 ozigi.gif

聖地をたどる旅 熊野
著:原水音 アールズ出版

41zzNSWQJsL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

熊野に暮らす著者が教える、地元民しか知らない特別な熊野のスピリチュアル・スポットを集めました。  古代から続く大いなる自然崇拝の心は、変わらず地元の人々の心に受け継がれています。  世界遺産ブームに沸いた数年前から月日は流れ、今、この地を訪れる人々は、ある種の精神的支えを求め、混迷の世に生きる意味を自問自答し、見えない明日への希望を模索するような、内省的な旅をする人が増えてきているといいます。  1000年以上前から人々が祈りを捧げてきた聖地、熊野の中でも、手垢に汚されていない聖なる場所を訪ねてこそ、自分を見つめ直す最高の旅になるのかもしれません。
政治的制圧、宗教弾圧、繰り返される自然災害......。  熊野は、幾多の苦難に見舞われるたび、力強くよみがえってきた、よみがえりの郷です。
そんな力強いエネルギーがみなぎる大自然の聖地、熊野がもつスピリチュアルな魅力をまとめた、新しい熊野ガイドBookです。  (Amazonより転載)

熊野という地名は KiKi にとってある種の憧れの地名でした。  日本の歴史の中で「熊野詣」と言えば超有名だし、現代に暮らす私たちよりもはるかに自然と身近におつきあいしてきた古代の人々が神聖視してきた場所っていうのはそれだけで何か大きな力があるような気がするんですよね~。

特にこの「熊野」という土地は山が多いから KiKi のような「海よりは山」人間にはたまらない魅力を放つ場所だと思うんですよ。  これでこの場所が東京からもっと近くて、さらにはあそこまで水系の災害の多くない場所だったら、恐らく KiKi のLothlórien_山小舎の第一候補地に間違いなく選ばれていたエリアだと思います。

この本ではそんな熊野の必ずしもメジャーとは言い難い場所までもをとりあげ、周辺地図も収録され、図版も多い・・・・とまさに至れり尽くせりのガイドブックだったと思います。  又、個人的には最後の章で触れられていた「熊野の食 ~四季折々の美味~」を興味深く読みました。  土地柄的には決して地味豊かとは言い難い(ようするに田んぼや畑が作りにくい)場所に暮らしてきた人々がどんなものを食してきたのか?は他の旅行ガイド本ではなかなか出会えない情報なのではないかと感じられました。

新米ごはん

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昨日、今年の玄米8.5俵をゲットし、内2.5俵を田んぼの持ち主の I おばあちゃんやら日頃からお世話になっている村の仲間にお歳暮代わりにおすそわけ。  残る6俵のうち1俵目の玄米から白米約10㎏分を精米しました。  今年の新米が我が家の米櫃に最初の10㎏分、収まりました。

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↑ 玄米を村の精米機に投入したところ。

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↑ 精米された白米が米櫃に投入されているところ

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↑ 精米の過程でできる「米ぬか」を回収しているところ

これで我が家の来年の主食とおしんこは安泰です(笑)  たまたま今朝の朝食で購入してあったお米は食べつくしたタイミングだったので今日の夕飯からは「とれたての新米」をいただきます。

稲の乾燥 & もみ殻取り

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昨日稲刈りをした稲をMさんにお預けし、一晩乾燥機で乾燥していただきました。  今日はそのお米からもみ殻を取り、玄米にして袋詰めする作業が行われました。  大半の作業は機械がやってくれるわけですが、それでも袋を広げたり、玄米30㎏づめの袋ができあがったら袋の口を閉じ、運搬するトラックに積載するという作業があります。  昨年はお願いしていたお宅で袋詰めまで全部終わらせていただき、軽トラに荷積みして運ぶだけ・・・・・というお手軽さだったんですけど、今年は袋詰め作業から経験させていただくことになりました。

一晩かけて乾燥させたお米を計量・袋詰めする機械に投入されます。

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この写真の右側に写っている箱型の機械が乾燥機 兼 もみ殻除去機です。  そして手前左側に向かってにょっきり出ている筒状の管を通って手前の袋詰めの機械に投入されます。

この機械では最後に余計なごみを吹き飛ばし、くず米を選別したうえでこの写真の左側にある排出口から玄米が出てくる仕掛けになっています。

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バイクのヘルメットみたいな形状のところの下がその排出口です。  そして下で受けている袋は手作業でここに設置し、この袋に30㎏充填されると機械が自動的に止まります。  袋の下には電子秤があり、重さはヘルメットみたいな形状の所にデジタル表示されます。

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そして満タンになったら袋を入れ替え次の充填を開始するわけですが、そこだけは人力が必要となります。  30㎏の玄米の入った袋を運ぶにはさすがに KiKi も力不足なので、KiKi の担当は1つの袋に充填している間に次の袋を準備することと、満タンになった袋を男性がどけてくれた後、用意してあった次の空袋をセットし、充填再開のスイッチを入れることになりました。

2012年稲刈り

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日本列島の東海上を台風が進んでいく中、今日は稲刈りが決行されました。  朝、起きた時はここLothlórien_山小舎付近の空模様は必ずしもよくなくて、正直なところ「今日もダメかぁ・・・・(ため息)」と思ったりもしていたのですが、今年の稲刈りをお願いしていた M さんからお電話を頂戴し、「今日、やるべぇ。」とのこと。  半分空模様を気にしながら・・・・・ではあったのですが、何はともあれ田んぼに向かいました。

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田んぼに到着して空を見上げると、雲が一面に漂ってはいるものの、辛うじてところどころから青空がのぞいています。  田んぼ近くの小山を見上げ、そこにお天気の神様がいらっしゃるかどうかは知らないんですけど、苦しいときの神頼みということで「お天気がよくなりますように」とお祈りを捧げました。

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昨年、稲刈りをお願いした方は何から何までやってくださって、ある意味 KiKi達 は見ているだけ・・・・と言っても過言ではない状態だったのですが、その業務委託料がちょっとお高かった(と言ってもぼられちゃったわけではありません)ので今年は昨年よりも安価でお願いできる M さんを例の地元材木業者のHさんがご紹介くださいました。  昨年よりは安価でお願いできる代わりに、今年は自分達でやらなければならない作業が多々あります。

まずは田んぼの4隅の稲刈りです。  今年も稲刈り作業の大半はコンバインでやっていただくことになるのですが、機械を田んぼに入れるため & コーナー部分で方向転換をするためのスペースが必要なため、田んぼの4隅は手刈りで稲を刈ってそれらのスペースを確保します。  今年は3.5枚の田んぼに作付しているので 4 x 4 = 12 箇所を約2m 四方分ぐらい手刈りします。

お願いしていた M さんちのおじいちゃんの作業が10時からということだったので、8時半に田んぼに出て4隅の刈り入れを始めました。  すると予定より1時間近く早くMおじいちゃんがコンバインに乗って田んぼに姿を現しました。  そして田んぼを一瞥すると、稲に降り積もっている朝露を落とすために稲を竹の棒でたたいて回れとのこと。  そこで田んぼの中に入っていって「露払い」に着手しました。  露払いが終わり、まだし終えていなかった4隅の手刈りに着手している横で、Mおじいちゃんは1番下の田んぼからコンバインで刈取り作業を始めました。


台風一過の田んぼ 2012年版

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昨晩、東京からLothlórien_山小舎に帰ってきました。  帰り道に例の交通事故の赤ちゃんのご機嫌伺いもついでにしてきてしまったので、思っていたよりも帰宅時刻が遅くなり、山道は深い霧で怖かったぁ!!  いきなりへっぴり腰状態でトロトロと運転せざるをえなくなる KiKi の横を、この霧(& この山道)には慣れっこになっていると思しき人々が次々と追い抜いて行きました。  そのテールランプを追いかける方が良く見えないセンターラインやらとぎれとぎれのガードレールに目を凝らしながら運転するよりは安全だろうと頭ではわかっていても、カーブの多い所ではどうしても遅れてしまい、間を開けられてしまう KiKi。  まだまだ村のひよっこでございます(苦笑)

さて、一夜明けた今朝、東京にいる間ず~っと気になっていた田んぼの様子を見に行ってみました。  週末の台風がどんな悪さをしてくれちゃったのか、気が気ではありませんでした。  新たな台風が硫黄島のあたりをウロウロしているという話も聞きますし、今週中には何とか稲刈りを終えてしまいたいところだけど、もしも昨年同様の倒れ方をしていたら、結局「手刈り」になってしまうかもしれません。

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およ、およよ??  去年よりはいいんでないかい??  確かにそこそこなぎ倒されているところもないじゃないけれど、去年の倒され方と比べれば可愛いもの・・・・・・のような気がします。  去年は「まるでそこをたつまきが通り過ぎたんじゃないか?」と思えちゃうほどの哀しさだったけれど、今年はある意味「想定内」の風被害状況のように見受けられます。

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「学生時代を懐かしんで - あの名作を光文社古典新訳文庫でもう一度企画」 推進中です。  今日はシェイクスピアの喜劇として位置づけられている「ヴェニスの商人」です。

ヴェニスの商人
著:W.シェイクスピア 訳:安西徹雄  光文社古典新訳文庫

410Em6vVydL._SX230_.jpg  (Amazon)

裕福な貴婦人ポーシャへの恋に悩む友人のため、貿易商アントニオはユダヤ人高利貸しのシャイロックから借金をしてしまう。  担保は自身の肉1ポンド。  商船が難破し全財産を失ったアントニオに、シャイロックはあくまでも証文どおりでの返済を迫るのだが...。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語も抄訳本ではあるものの、子供時代に最初に出会いました。  当時の KiKi がしていた大きな勘違いが2つあって、その1つは「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」と思い込んでいたんですよね。  そしてもう1つの大きな勘違い(というよりこれはシェイクスピア自身がそういう役回りを与えているという側面もある)が、シャイロックを文字通り「冷酷無比・極悪非道人」と思い込んでいたということがあげられます。

そして大学生になってこの物語を全訳本で再読した際に初めて、最初の勘違い「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」が間違いであったことに気が付きました。  タイトル・ロールはやたらと印象深いこの悪役ではなく、物語の中では自分の胸部の肉を担保に借金をしちゃったな~んていうショッキングな設定が与えられている割にはなぜか存在感の薄いアントニオだったんですよね~。

物語のプロットとしてはこのアントニオ、あんなとんでもない契約をしたばっかりに、そして事業の失敗という運の悪さ(後、それが誤った情報であることが伝えられる)も手伝ってあわや・・・・という状況に陥るわけですが、逆に言えばそれだけの存在とも言えるわけであまりにも存在感のあるシャイロックと比較すると影が薄いとしか言いようがありません。  

それに対して物語全体を動かしているのはシャイロックからアントニオが借りた金を又借りした格好になっているバッサーニオとその借金の原因とも言えるポーシャのコンビ、そして悪役のシャイロックであることは明白です。  にも関わらずこの物語、どうしてタイトルが「ヴェニスの商人」なんでしょうか??  実はコレ、KiKi の長年の疑問なんです(苦笑)

  

今日から10月。  早いものですねぇ。  今年も残り3か月です。  そこで恒例の2012年9月の読書をまとめておきたいと思います。  「読書の秋」ということもあり、全部で26冊。  「ヴェニスの商人」の感想は後日。

2012年9月の読書メーター
読んだ本の数:26冊
読んだページ数:7200ページ
ナイス数:37ナイス

ヴェニスの商人 (光文社古典新訳文庫)ヴェニスの商人 (光文社古典新訳文庫)感想
物語全体を動かしているのはシャイロックからアントニオが借りた金を又借りした格好になっているバッサーニオとその借金の原因とも言えるポーシャのコンビ、そして悪役のシャイロックであることは明白です。  にも関わらずこの物語、どうしてタイトルが「ヴェニスの商人」なんでしょうか??  実はコレ、KiKi の長年の疑問なんです(苦笑)
読了日:9月30日 著者:ウィリアム シェイクスピア


ジュリアス・シーザー (光文社古典新訳文庫)ジュリアス・シーザー (光文社古典新訳文庫)感想
一般大衆というものは「英雄」や「強いリーダー」を求めがちであり、盲目的にある個人や思想を崇拝しがちで、それに相容れない者との軋轢はいつの世にもありうるものだなぁ・・・・と。  「英雄」・「強いリーダー」に相容れない者の背景にあるのは「嫉妬」だったり「信念」だったりするわけだけど、それを大衆にアピールする際にまこと便利に使われるのが「正義」という一見もっともそうなその実得体の知れない概念であるというのは人間というしょうもない生き物が先天的に持っている「他力本願思考」の証左なのかもしれません。
読了日:9月28日 著者:シェイクスピア

リア王 (光文社古典新訳文庫)リア王 (光文社古典新訳文庫)感想
この物語、絶対権力者が陥ったある種の時代錯誤・傲慢さの為せる業とも見えるわけで、そこにこそ悲劇性があるように KiKi には感じられました。  狂人となったリアが嵐の中で彷徨う姿は確かに悲劇的だけど、道化の存在やらグロスター伯に迫害された長男、エドガーとの出会い等々があり、悲劇的でありつつもどこか喜劇的なように感じられました。
読了日:9月27日 著者:シェイクスピア

真夜中のパーティー (岩波少年文庫 (042))真夜中のパーティー (岩波少年文庫 (042))感想
子供がさり気ない日常の一コマの中で感じているある一時点での気持ちを、情景描写の中で描ききった作品。  著者がこういう形で描いてくれなかったら、失われたまんまになってしまったかもしれない・・・・と思わせる。
読了日:9月25日 著者:フィリパ・ピアス

嵐が丘〈下〉 (光文社古典新訳文庫)嵐が丘〈下〉 (光文社古典新訳文庫)感想
ヒースクリフは「持たざる者」から「持つ者」に生まれ変わることだけがこの不当な世界から自分を解放してくれる唯一の方法だと信じ、ついでに自分を蔑んだ人々に復讐できるとも思ってしまったのではないかしら??  そしてその「持つ者」になった時、自動的に自分の手に転がり込んでくるはずのものは恋慕の対象だった初代キャサリンだったんだろうな・・・・と。  だから彼は嵐が丘を手に入れてもキャサリンを手に入れられなかった時、恐らく辛うじて残っていたかもしれない「人間性」みたいなものを失ってしまい、そこから先は現代的に言えば
読了日:9月24日 著者:エミリー ブロンテ

嵐が丘〈上〉 (光文社古典新訳文庫)嵐が丘〈上〉 (光文社古典新訳文庫)感想
初代キャシーを含むアーンショー家の面々ですけど、唯一 KiKi がご近所さんとしておつきあいしてもいいかなぁと思えたのは、ヒースクリフをリヴァプールの街角で拾ってきたご主人のみです。  でもそんなご主人にしても「どういうつもりで彼を拾って家まで連れ帰ってきたのか、今後彼をどんな風に育てるつもりなのか?」に関してあまりにも「考えなし」なのが気に入りません。 そうでなくても「人種差別」や「階級差別」の激しい環境(嵐が丘周辺はある程度隔離されているとはいえ)の中です。  肌の色も育ちも名家であるアーンショー家
読了日:9月22日 著者:E・ブロンテ

高慢と偏見(下) (光文社古典新訳文庫)高慢と偏見(下) (光文社古典新訳文庫)感想
高校時代の KiKi は「高慢≒ダーシー」「偏見≒エリザベス」というような表面的かつシンプルな構造でこの物語を捕えていたんだけど、実は違っていてこの物語に登場するすべての人に「高慢と偏見」の両方がその人の持っている資質なりの形で備わっている(あのミセス・ベネットやウィリアム・コリンズであってさえも!)ことに気がついた時、初めてこの物語が名作と呼ばれる由縁がわかったような気がしました。
読了日:9月21日 著者:ジェイン オースティン

高慢と偏見(上) (光文社古典新訳文庫)高慢と偏見(上) (光文社古典新訳文庫)感想
この物語、恐らく KiKi は今回の読書が4回目だと思います。  最初に読んだのが高校生の頃。  当時の KiKi にはどこが面白いんだかさっぱりわかりませんでした。  そもそもあの有名な出だし 「独身の男性で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だと言うのが、おしなべて世間の認める真実である。」からして当時の KiKi には気に入りませんでした。  これはもう KiKi のような現代女性には夢物語としか言いようのないシンデレラ・ストーリーに違いないと冒頭から確信させられちゃうなんて・・・
読了日:9月20日 著者:ジェイン オースティン

フランバーズ屋敷の人びと 5 愛ふたたび(下) (岩波少年文庫)フランバーズ屋敷の人びと 5 愛ふたたび(下) (岩波少年文庫)感想
物語では結局クリスチナはマークを選び、そんな彼女の選択を後押しするかのごとく、「夫に先立たれた妻が、夫の兄弟と結婚できるようにするための法律修正案」(そもそもそれが法律によって禁止されていたというのもビックリだったけれど、教会閥の決めた法律であることを知り納得。  修正案が出された背景は大戦により多くの男性が亡くなった 即ち 世の中未亡人だらけ)が可決しそうな~んていう話が唐突に出てきます。  これを読んだとき、天邪鬼の KiKi は「娯楽小説にいきなり社会小説の要素を持ち込んだ結果として支離滅裂なお話に
読了日:9月20日 著者:K.M.ペイトン

フランバーズ屋敷の人びと 4 愛ふたたび(上) (岩波少年文庫)フランバーズ屋敷の人びと 4 愛ふたたび(上) (岩波少年文庫)感想
第3部、そして第4部を読了する過程で、KiKi にはクリスチナという人物が「その時々のクリスチナの気分・状況で都合のいい男の間をフラフラしているだけの女」に感じられ、どうにもこうにも共感することができませんでした。
読了日:9月19日 著者:K.M.ペイトン

フランバーズ屋敷の人びと 3 めぐりくる夏 (岩波少年文庫)フランバーズ屋敷の人びと 3 めぐりくる夏 (岩波少年文庫)感想
第一部で感じられたクリスチナが時折見せる「目覚めの兆し」みたいなものが悉くなかったものとされていっちゃっている感じで、何だか読み心地が悪いんですよ。  ウィルの死後フランバーズ屋敷に戻るのはいいとしても、手前勝手にかつての雇女中ヴァイオレットが産んだ子供(実はマークの子供)を引き取ると決めてかかったり、女手一つではどうにもならない農園経営をディックが必ず助けてくれると勝手に思い込んだりと「金と身分があれば何でも通用する」と無邪気に思えちゃう貴族階級の身勝手さ(しかも本人にはその自覚も悪意もないところが始末
読了日:9月18日 著者:K.M.ペイトン

フランバーズ屋敷の人びと2 雲のはて (岩波少年文庫)フランバーズ屋敷の人びと2 雲のはて (岩波少年文庫)感想
第1部でも感じた様々な描写の躍動感みたいなものは少なくとも第2部の「雲のはて」までは生きていると感じます。  そして、飛行機黎明期の「ヒコーキ野郎」の情熱とか、宮崎さんが絶賛していた「飛行機そのものの描写」みたいなものは確かに凄いと思わされます。  これが女性作家の手になるものである(旦那のアドバイスが多々あったのかもしれないけれど)ことを考えれば尚更です。  でも、そんなある意味男性的な世界観の描写とハーレクイン・ロマンスばりの女々(おんなおんな)したリアル感に乏しい感情的な描写のギャップがどうもねぇ・
読了日:9月18日 著者:K.M.ペイトン

フランバーズ屋敷の人びと〈1〉愛の旅だち (岩波少年文庫)フランバーズ屋敷の人びと〈1〉愛の旅だち (岩波少年文庫)感想
読んでいて次々と出てくるあまりにもベタなプロットの数々に辟易としそうになりつつも、これが案外面白い・・・・・(苦笑)  この巻でのメインの登場人物、クリスチナ、マーク、ウィリアムズ、そしてディックの心理描写が巧みで思わず引き込まれちゃうのと、クリスチナがどちらかといえば前時代的な女性でありながらも、その思考の端々に近代的な想い(直感?)が顔を出すために、現代日本に住む私たちにも古き良き時代(?)のイギリス的な価値観みたいなものが、妙な説得力をもって迫ってくるんですよね~。
読了日:9月17日 著者:K.M. ペイトン

とぶ船〈下〉 (岩波少年文庫)とぶ船〈下〉 (岩波少年文庫)感想
一つ一つの冒険も楽しいものなんだけど、それより何より、KiKi にとってこの本が特別だったのは最後の1章があるから・・・・・だと思うんですよね。  そもそもこの船をピーターに売ってくれた不思議なおじいさんはオーディン(というより「さすらい人?」 笑)で、この船を購入した後はどうしても見つけることができなかったお店とそのお店があった路地を「船を返す」と決めたピーターにだけは見つけることができたっていうのが何とも素敵!!  そしてそのおじいさんに船を返すとおじいさんの方もピーターが購入当時に支払った金額をその
読了日:9月15日 著者:ヒルダ・ルイス

とぶ船〈上〉 (岩波少年文庫)とぶ船〈上〉 (岩波少年文庫)感想
この物語はホント懐かしい!!  そして大好きで繰り返し読んだ子供時代の思い出が鮮やかに蘇ります。  思い起こせば「北欧神話」に初めて出会ったのはこの本だったし、イギリスという国、英文学に半端じゃない興味を持ったきっかけもこの本でした。  4人兄弟の長男ピーターが「今持っているお金全部とーーそれからもう少し」を払って、不思議なおじいさんから買った船が魔法の船だったという出だしからして子供時代の KiKi をワクワクさせてくれました。  子供時代にはこの「もう少し」がとっても素敵なフレーズに思えたものでした
読了日:9月15日 著者:ヒルダ・ルイス

ジャータカ物語―インドの古いおはなし (岩波少年文庫)ジャータカ物語―インドの古いおはなし (岩波少年文庫)感想
どのお話も説教くさいといえば説教くさいんだけど、物語としてはシンプルなうえに楽しくて、安心して読み進めることができる説話集だと思います。  「アラビアン・ナイト」や「イソップ物語」に通じるものがあるように感じられました。
読了日:9月14日 著者:

プー横丁にたった家 (岩波少年文庫(009))プー横丁にたった家 (岩波少年文庫(009))感想
この巻の最後でクリストファー・ロビンがぬいぐるみ遊び(だけ)に興じていられた子供時代と決別する様子が描かれているんだけど、ここがとにかくすごい!!  クリストファー・ロビンがプーたちと別れを告げること ≒ プーもコブタもカンガもルーもイーヨーもトラーもが生き生きとした存在からモノに変わってしまう ということだし、「頭が悪いクマ」が「おもちゃ箱の中にしまわれた物体」「子供時代を象徴したモノ」に変わってしまうということなのが、このファンタジーが提示している最大のリアル感だと思います。  そう、所詮ぬいぐるみで
読了日:9月14日 著者:A.A. ミルン

黒ねこの王子カーボネル (岩波少年文庫 161)黒ねこの王子カーボネル (岩波少年文庫 161)感想
アイテムで楽しませてくれ、それっぽい呪文でも楽しませてくれ、ついでに決して経済的には豊かではなく、ようやく日々を無事に営んでいるとっても地味なロージーの日常にひょんなことから訪れた非日常のあれこれにワクワクさせてくれ、更には続編はどうしたって書けなくなってしまうような結末の潔さに不思議な感銘を覚える読書だったと思います。
読了日:9月12日 著者:バーバラ スレイ

南から来た男 ホラー短編集2 (岩波少年文庫)南から来た男 ホラー短編集2 (岩波少年文庫)感想
収録作品リストを眺めれば、この本に収録されている作品の作者たるやホント錚々たるメンバーで、読む前から「駄作はありえない」と思える安心感があるうえに、そんな作者たちの作品ばかりなだけに読んでみるとストーリー・テリングの巧みさに魅せられちゃう。  KiKi と同じように「ホラーって苦手・・・・ ^^;」って思っている人にも安心してオススメできる作品集だと思います。
読了日:9月11日 著者:

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)感想
都市生活、文明社会、資本主義社会、拝金主義等々を揶揄しながらも、そこに何とも言えない優しいまなざしを注いでいるカルヴィーノ。  子供向けというよりはひょっとすると大人向けの「現代風民話」かもしれません。
読了日:9月10日 著者:イタロ・カルヴィーノ

兵士のハーモニカ――ロダーリ童話集 (岩波少年文庫)兵士のハーモニカ――ロダーリ童話集 (岩波少年文庫)感想
「現代版おとぎばなし」というだけのことはあって、どの物語からも子供時代に読んだ懐かしいおとぎ話の空気が漂ってくるんだけど、そこに黴臭さ・古めかしさはほとんどなくて、ちょっとだけ洗練された(ここ、大事!です。  洗練が大手を振っているわけじゃなく、ちょっとだけなんです)現代風がそよいでいる・・・・そんな感じです。
読了日:9月5日 著者:ジャンニ・ロダーリ

修道院の第二の殺人 (創元推理文庫)修道院の第二の殺人 (創元推理文庫)感想
「ヴィクトリア朝時代のエジンバラ」、しかも事件の舞台は「修道院」ということから KiKi が勝手に期待していた趣みたいなものがほとんど生かされていないお話になっちゃっているような気がするんですよね。  その時代特有の雰囲気・香りみたいなものが全くといっていいほど漂ってこない・・・・・と言いましょうか?  捜査手法がクラシカルなことを除くとこれが現代を舞台とする物語であっても全然困らないような描き方しかしていないように感じられちゃったんですよね~。
読了日:9月5日 著者:アランナ・ナイト

しばわんこの和のこころ〈2〉四季の喜びしばわんこの和のこころ〈2〉四季の喜び感想
日本人をやって50年超を過ごしているはずの KiKi がどうしてこういうことを柴犬に教えてもらわなくちゃいけないんだろう???  しかもこの柴犬(しばわんこ)、KiKi よりも姉さん被り & 割烹着姿が様になっています(笑) こういう本がもてはやされるということ 即ち 核家族化がもう後戻りできないほどに進んでしまったという証左なんでしょうね。
読了日:9月4日 著者:川浦 良枝

しばわんこの和のこころしばわんこの和のこころ感想
本来ならおばあちゃんとかおかあさんとか、身近な先達から教わるはずの様々な「日本人の暮らしぶり」、「礼儀作法」、「歳時記的なイベントの正しい過ごし方」等々のいわゆる「先祖伝来の和の知恵」をなぜか柴犬に教えてもらうというこのシリーズ、絵の可愛さもさることながら、なかなか内容が深く「知っているつもり」だった様々な和の文化についてやんわりと知の軌道修正をしてくれます。
読了日:9月4日 著者:川浦 良枝

羊飼いの指輪――ファンタジーの練習帳 (光文社古典新訳文庫)羊飼いの指輪――ファンタジーの練習帳 (光文社古典新訳文庫)感想
この本の楽しさは「作られた物語」を味わうのと同時に「私ならこうするのに・・・・」とか「こんな結末はどうかな??」と空想し、似非(エセ)作家気分を味わえちゃうことなんじゃないかしら??  ファンタジー作家志望の人の「練習帳」にはまさにピッタリの教材かもしれません。  もっとも KiKi は最初の2篇ほどは普通に本を読むように印刷されている物語をそのまま追っかけてしまったので、3つの選択肢の中で自分に一番フィットする結末はどれ??という楽しみ方しかできなくて、一番おいしそうなおまけ部分は堪能しきることができま
読了日:9月3日 著者:ジャンニ ロダーリ

エジンバラの古い柩 (創元推理文庫)エジンバラの古い柩 (創元推理文庫)感想
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、通称「イギリス」という呼び名の裏に潜む複雑な民族感情に思いを馳せる読書だったと思います。
読了日:9月1日 著者:アランナ・ナイト

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