ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編 村上春樹

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このエントリーは実際には11月1日に書いているのですが、エントリー日付としては10月31日としています。  その理由はたいしたもんじゃなくて、11月1日付では恒例の「先月の読書のまとめエントリー」を書かなくちゃいけないこと、実際の10月31日は紅葉見物に出かけたため、エントリーが書けなかったので空いちゃっていること・・・・・によるんですけどね(苦笑)  いずれにしろ、こちらを読了したのは10月31日だったので、ま、こういうインチキ(日付操作)も許されるかな・・・・と。  てなわけで、10月31日の KiKi の読了本はこちらです。

ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥
著:村上春樹  新潮文庫

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「今はまちがった時間です。  あなたは今ここにいてはいけないのです」 しかし綿谷ノボルによってもたらされた深い切り傷のような痛みが僕を追いたてた。  僕は手をのばして彼を押し退けた。  「あなたのためです」 と顔のない男は僕の背後から言った。  「そこから先に進むと、もうあとに戻ることはできません。  それでもいいのですか?」  (本文より)  (文庫本裏表紙より転載)

物語と直接関係はないけれど、この小説の副題(?)から受ける KiKi のイメージについてちょっと触れておきたいと思います。  第1部の副題が「泥棒かささぎ編」、第2部の副題が「予言の鳥編」、そして第3部が「鳥刺し男編」です。  これってクラシック音楽好きの人なら見ただけでイメージするのが「ロッシーニの歌劇 どろぼうかささぎ」、「シューマンのピアノ組曲 森の情景の第7曲」、そして「モーツァルトの歌劇 魔笛」だと思うんですよね。

でね、これらの曲名(もしくは作曲家名)から KiKi がイメージするものはちょっと言葉がきついかもしれないけど、「耳触りの良さ、どこか淡白で表層的であんまり心に残らない」、「暗くて寒い森の中で迷子になっちゃった心細さ、不安、混乱、正気と狂気紙一重」、「よくわからない存在ながらハッピーエンドでよかったよかったのパパゲーノ」っていう感じでしょうか?  

で、そのイメージを持ちながら読んでいるせいか、この小説の構造が実にこれ(↑)とマッチしている感じがしちゃうんですよね~。  (第3部はまだわからないけど・・・・ ^^;)  第1部の Review エントリーで書いた「この雑多な混沌こそ村上ワールドだなぁ・・・・・と。  要するにどこか受動的というか、傍観者的というか、主体性がないというか・・・・・。」はまさにロッシーニの音楽にも通じるように感じられるんですよね~。   

そして第2部の副題は「予言の鳥」なわけだけど、この曲って聴き方にもよるけれど、どこか不気味さのある曲だと思うんですよ。  この曲の持つ底知れなさはこの物語に登場する井戸を上から覗きこむ時に感じるゾクッとした感覚、そしてKiKi 自身は井戸の底から上を見上げたことはないけれど、恐らくそんな状況に陥ったら感じるだろう「閉塞感」「暗闇に対する恐怖」といった感情に通じるものがあるような気がするんですよね~。  

この曲の KiKi のお気に入りの演奏はシプリアン・カツァリスのものなんだけど、彼の演奏する「予言の鳥」を初めて聴いた時には背筋にゾクッとするものが走ったことを今でも覚えています。  さらに言うとね、これがピアノ・ソロ曲だということにも何気に意味・・・・みたいなものを感じるんです。  この第2部は絶望的なまでの孤独・空虚がまとわりつく物語で、これはアンサンブルではありえない物語だと思います。

さらに、さらに、この曲は「ここで終わり」というけじめ的な部分(音楽用語的に言えば解決)が欠落している音楽だと思うんです。  まあシューマンのピアノ組曲の中の1曲1曲にはこの「終わったんだか終わってないんだかよくわからない終わり」は数多くて(というのはそもそも組曲はその中の1曲1曲が単体で演奏されることは想定していない)、別に珍しいことでも何でもないんだけど、逆に言えばそういう個別の曲をバラバラに聴くような聴き方をすると、置いてけぼりを食らったような戸惑いだけが残る・・・・・そんな楽曲なんですよね~。  この置いてけぼり感も第2部のこの物語とどこか共通しているように感じます。

さて、音楽との兼ね合いはこの辺にしておいて、物語について簡単に触れておきたいと思います。  この物語の主人公の岡田亨さんは第1部冒頭でいきなり無職になり、飼い猫が行方不明になりました。  そして主夫業に徹する生活を送り始めたわけですが、明確な展望や目標があるわけでもなく、端的に言ってしまえば「何となく日々を過ごし」ていました。  そうこうしているうちに、よくわからない女性たちが周りにワラワラと現れるんだけど、その誰一人とも明確な人間関係を築くこともなく、道端ですれ違う人たちと何が違うか?と言えば「名前を知っている」「名前と顔が一致する」「何度か言葉を交わしたことがある」という程度の関わりを持つのみの生活です。

そうこうしているうちに奥さんのクミコさんが疾走し、「彼」という人間を定義する衣がどんどん失われていきます。  職業についている間は「法律事務所に勤務する岡田さん」だったのが単なる「岡田さん」になり、猫がいるうちは「飼い猫、ワタヤノボルちゃんの飼い主の岡田さん」だったのが、これまた単なる「岡田さん」になり、クミコさんと夫婦生活を営んでいるうちは「出版社に勤務しているクミコさんのダンナの岡田さん」だったのが、これまた単なる「岡田さん」になりました。  

こうして彼を定義づける社会的なポジションを位置づける言葉を悉く失った末に彼がたどり着いたのは、「何者でもない自分」であり、剥げるものを全て剥ぎ取ってしまえば「単なる肉片にすぎない自分」であるという袋小路に陥ったような虚無感でした。  特にご近所の空家の庭にある水が枯れた井戸の底で過ごした何日間かで、それまで以上に社会と隔絶された空間に身を置き、自分がそこにいることを知っている人間は1人しかおらず、更にはその1人がどういう心づもりかはさておき結構物騒なセリフを吐いたうえで井戸の蓋をして立ち去るに至り、彼は「人」としての自分よりも「肉体を持つ物体」としての自分を見つめるようになります。

そんな非日常の日々の中で、彼はそんな自分の中に存在する自分を定義する核になる「何か」を感じたりもします。  渇き、飢え、穏やかな死(ひょっとしたら壮絶かも!?)をイメージしてもおかしくない環境の中で、彼の思考はそちらには向かわず、自分を自分たらしめているものに思考が向かいます。  でもそれが何なのかは、明確にはわかりません。  そしてそんな日々を送った末に彼が得た結論は「彼を彼たらしめている何かがどういうものであるのかは、どこかから啓示のように降ってくるものでも、待っていれば誰かに与えられるものでもなく、自分でつかむしかないものである」ことに気が付きます。

ただそんな風に「気が付いた」だけで、じゃあこれからどうしよう・・・・とか、何をしよう・・・・・というほど能動的なものは相変わらず彼にはまだ生まれていません。  強いて言うなら「逃げないことに決めただけ」です。  


この物語ってある意味では「人は多いんだけど誰もが孤独な都会」を描き、「希薄な人間関係しか築くことができない人たちの人間性喪失」を描き、「自分らしさというのは自分が辿ってきた道とそこでの自分の選択の中からしか生まれないものであること」を描き、「現代都市社会の閉塞感」を描いています。  これってある意味では「都市の無機質さ」への抵抗であり、「学校教育以来、私たちが刷り込まれてきたある種の一般常識」への抵抗であり、「一時、ブームにもなった『表層的な自分探し』」への抵抗だと KiKi には感じられました。

でもね、同時に KiKi は思うのです。  自分が何者であるのかを規定するのは実は自分ではないんじゃないか・・・・・・と。  ある年代を迎えた時、KiKi はこの物語の岡田亨と同じように「自分のことがわかっているつもりになっている(た)けれど実はわかっていない(いなかった)のかもしれない。」という自覚が芽生えるようになりました。  そして、例えば大学のゼミやクラブの仲間に、例えば会社の同僚や先輩に「KiKi って、○○な人だよね。」と言われることに違和感を覚えたり抵抗を覚えたりして苛立つ時期もあったんだけど、ある時期から「ああ、この人(達)の目には KiKi は○○な人っていう風に映るんだ。  つまり、そういう要素が目につく存在であること自体は否定のしようのないことなんだ。」と感じるようになりました。

結局、人は人の中で、もっと言えばこの地球上の生きとし生けるものと共存しながら存在している以上、それらとの関わりを無視した世界では生きてはいけません。  「生きる」というのは、特に「ただ単に存在しているという以上に生きる」というのは、結局は他者との関わり(ここで言う他者とは人間には限らず・・・・ですけど)なしには成し遂げられないことだと思うんです。  そして他者は何らかの形で「私」を評価します。

例えば飼い犬なら「信頼できる飼い主」とか「意地悪な飼い主」といった風に。  例えば他人なら「あの人は○○な人」といった風に。  例えば農作物なら「畑を耕し、水をくれ、肥料をくれる人」といった風に(言葉では語らないけれど収穫物でそれを示してくれます)。  

そんな周囲の評価というのは、それに流されて一喜一憂するようなものではないにしろ、自分と言う存在を定義する1つの表現であること自体は否定のしようのない事実だと思うのです。  もしも自分を自分がイメージしている「心地よいと感じられる定義語」で語ってもらいたいと思うなら、その言葉がイメージされる具体的な行動を考えて考えて考え抜いて、その一つ一つの行動を日頃から実践し続けるその「積み重ね」によるしかありません。  そしてその具体的な行動をすることがどうしても自分の性に合わなかったり、苦痛に感じられるならその「定義語」は自分にはそぐわない、似合わない衣だと観念するしかないのではないかと・・・・・。

人は行動し、どんなに狭い世界であろうと、世の中を大きく動かすような広い世界であろうともそこで共存している何かに影響を及ぼし、影響を及ぼされ、受動し受動されて存在しています。  時にそれまでの殻を打ち破りたい衝動にかられたり、受動されなかった寂しさに苛まれたり、受動できない何かに苛立ったりするにしろ、それらの衝動、寂しさ、苛立ちこそが「自分が確たる存在としてそこにいた証」以外のナニモノでもないと思うのです。

この物語の中の岡田亨さんは、KiKi には存在感のない人に感じられます。  何に喜び、何を嫌い、何が好きで、何を大切にしているのか、極めて希薄な人に感じられます。  温厚で人当たりも悪くなく、頭も悪くなさそうではあるけれど、仕事がない以上に名前がなくても不思議ではないと感じられてしまうほどに・・・・・。  そう、この物語では「名前」という私たち日本人の誰もが当たり前のように持っているものも、自分を特定する1つの衣(もしくは皮膚・・・みたいなもの)にすぎないように感じられます。  

「何になりたいかではなく何をするか?」 「何をするかではなく何をしなかったのか?」 結局、人間が行き着くところはそんな禅問答みたいなところなんじゃないかと、この物語を読んでいて強く感じました。

さて残すところはモーツァルトの魔笛(≒ 鳥刺し男)です。   この物語の中のパパゲーノは誰なんでしょうかねぇ・・・・。  因みにモーツァルトの歌劇のパパゲーノは「夜の女王」の国に住んでいます。  そして彼は地位や名誉、宗教、理想の生き方といったことにはまったく無頓着です。  彼にとって大事なことは、かわいい女房を持って、子孫を残すことだけ・・・・・とてもシンプルです。  そう言えば岡田亨 & クミコ夫妻には堕胎という過去があったっけなぁ。  なぜそういう結論に至ったのかは相変わらず放置されたままのプロットになっているわけだけど、そこが第3部では何らかの意味を持ってくるのかしら・・・・・。

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このページは、KiKi (Brunnhilde)が2012年10月31日 23:17に書いたブログ記事です。

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