2012年11月アーカイブ

あばれはっちゃく 山中恒

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随分前に岩波少年文庫に収録されている「ぼくがぼくであること」を読んでとても気に入ったので、長年ず~っと食わず嫌いをしていて、かつてドラマ化もされたことがあるこちらを読んでみました。

あばれはっちゃく
著:山中恒  理論社

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わがあばれはっちゃくこと桜間長太郎はズルくてヘンクツな大人を見るとガゼン闘志がわいてくる。  子どもだと思って油断しているテキをむこうにまわして、ギャフンとイッパツ大作戦。  (単行本扉より転載)

KiKi の子供時代、腕白坊主が主人公の物語っていうのはどうも苦手でした。  どちらかと言うと優等生で大人好きのする子供だった KiKi にとって、男の子の「男の子らしさ」みたいなものは好感が持てるような類のものではなく(どちらかと言うと鬱陶しかった ^^;)、恐らくクラスメートにはっちゃくみたいな子がいたら、できるだけ関わらないでいようとしちゃったように思います。  

でも月日の流れというのは恐ろしい(?)もので、昔だったらどちらかというと「関わらないようにしよう」と思っちゃっていたような子が今の KiKi には微笑ましくてたまらない・・・・・(笑)。  勉強ができないところも、いつもいたずらばかりしているようなところも、時に泥だらけ鼻水だらけという決して美しいとは言えないような風貌も、頭のてっぺんにあるはげに至るまで「可愛いなぁ」と思うのですよ。

子供時代には見えなかった(というより見ようとしなかった)、はっちゃくの奥底にある優しさ、正義感みたいなものがしみじみと感じられるようになったっていうことなんでしょうねぇ。  はっちゃくがかっこいいのは弱い者いじめをしないところです。

初干し柿 & 切干大根作り

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昨日、岐阜の親戚から自家製のお野菜やら岐阜名物の柿の詰め合わせ(?)が届きました。  中身は大根2本、蕪が紅白1本ずつ、里芋10個、キウイ10個、富有柿いっぱい、筆柿いっぱい といったところです。  この親戚も家庭菜園をやっていらして、双方で採れたものを年に1~2度送りあったりしています。  お互いに作る物がダブっていたりもする(今回のケースでは大根と里芋は我がLothlórien_庭先農園でも作っている)んですけど、気候の関係で採れる時期に差があったりもするので、それはそれで双方ありがた~く物々交換しています。

大根に関しては我が家の大根はまだ収穫していないんですけど、今年は沢庵を漬ける予定。  もちろん全部を沢庵にしちゃうわけではないんですけど、今回せっかく送っていただいた野菜の中にも大根があったので、とりあえず2本のうち1本は切干大根に、もう1本は烏賊かブリと煮付けていただく予定です。

でもそれより何より、今回の目玉は「筆柿」です。  ここLothlórien_山小舎に居を構えて以来、いつかは挑戦しようと思っていたけど未だに経験していなかったのが「干し柿作り」でした。  そこへ「さあ、これでお試しあれ」と届いたのが今回の筆柿です。  早速、チャレンジしてみることにしました。

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恐らく「正しい干し柿の吊るし方」なるものがあるんだろうと思うんですけど、適当にヘタ部分を縛ってみただけなので、ちょっとバランスがよろしくありません ^^;  ま、これが吉と出るか凶と出るかは1か月後のお楽しみ・・・・・といったところでしょうか??(笑)  いやはやそれにしても立派な筆柿です。  

干し柿を作る工程としては、皮をむく → 熱湯を通す → ヘタ部分を紐で結び干す → 1週間ほどしたら柿を揉む → 2週間ほどしたら焼酎を霧吹きする → さらに干す(たまに揉む) というのが一般的なようです。

さて、ここで出てきた柿の皮ですけど、これも無駄にはしません。  先ほどもお話したように今年はLothlórien_庭先農園 で収穫する大根を沢庵にする予定があります。  この沢庵漬けの甘味付けに最適とされているのが干した柿の皮です。  

一昨日、たまたまつけてあったTVで「小澤征爾さんと音楽で語った日 ~チェリスト・宮田大・25歳~」という番組をやっていました。  この番組、以前にも観たことがある記憶があったのですが、他に観たい番組もなかったので、そのまま最後まで観続けました。  ま、てなわけで、せっかく始めた「ベートーヴェン・ピアノソナタ特集企画」をちょっとお休みして、今日はこちらを聴いてみたいと思います。

F.J. ハイドン チェロ協奏曲第1番 Hob.VIIb-1
演奏:フルニエ(vc)

今日は画像はナシです。


Lothlórien_山小舎生活での音楽鑑賞は iPod に入っているデータで行っているため、よほど鮮明に記憶に残っているCDでない限り、コレと特定することができない KiKi です。  まあ、そこに入っているデータを見る限りではソリストがフルニエであることと、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団との競演であることだけははっきりしています。  でも、LP時代ならいざ知らずCD時代になって買い替えたフルニエのCDってジャケットがどんなだったか?とか、どこの会社のものか?といった肝心な情報はちょっと忘却の彼方にいっちゃってるんですよね~。

ま、それはさておき。  KiKi が生まれた頃までこの曲はその存在だけが知られていたものの楽譜は発見されていませんでした。  それが1961年にプラハで楽譜が発見され,一気に知られるようになりました。  作曲されたのは1765~67年頃と言われ、ハイドンが楽長を務めていたエステルハージ家の宮廷楽団のチェロ奏者、ヨーゼフ・フランツ・ヴァイグルのために作曲されたのだそうです。  そんな再発見されてから歴史の浅い曲ではあるものの、今では多くのチェリストに弾かれている古典的なチェロ協奏曲となっています。  実際、KiKi が iPod に入れて持ち歩いている音楽データだけでも、J.D.プレ、このP. フルニエ、そしてJ.シュタルケルという錚々たる顔ぶれの演奏になっています。


ジーク 1&2 斉藤洋

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図書館で借りて読み進めている「白狐魔記」のシリーズがなかなかお気に入りだったので、同じ著者の他の本も読んでみたくなり、同じく図書館で借り出してきてみました。

ジーク 月のしずく 日のしずく
著:斉藤洋  偕成社

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父アレス亡きあと、ジークは運命の糸のみちびかれるまま、都にのぼり、さまざまな仲間とめぐりあい、アーギスと宿命の対決をする...。  (単行本扉より転載)

ジークⅡ ゴルドニア戦記
著:斉藤洋  偕成社

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金の瞳、銀の瞳を持つジークは、故郷ジルバニア国をはなれ、親友バルやサランと共に海をわたり、ゴルドニア国へむかう。  隣国ブラウニアに攻めこまれ、ゴルドニアは窮地におちいっていた。  (単行本扉より転載)

正直なところ、「白狐魔記」ほどは面白いと思えませんでした。  でもそれは恐らく KiKi が50代の♀だからで、小学生ぐらいの時にこの物語を読んだらそれなりに感動したような気がします。  ものすご~く王道の貴種流離譚でそういう意味では先が読めちゃうんだけど、特に第1巻ではジークを取り巻く人々がとても生き生きと描かれているので、物語世界に没入しやすい物語だと感じました。  

ただ、第1巻に関して言うなら物語のクライマックスというか山場はアーギスという魔物との戦いの部分だと思うんだけど、そのアーギス退治の話が出てきてからがちょっと雑・・・・というか呆気なさすぎる感じがしちゃいました。  児童書のページ数ということで何等かの制約があったのかもしれないけれど、そこに至るまでの物語の書き込まれ方が丁寧だっただけに肝心なところへいってからが「およよ」と言っているうちに終わっちゃった・・・・そんな印象なんですよね~。

昨日は我が高山村の伝統文化の1つ、国登録無形民俗文化財である「尻高人形」の定期公演でした。  本来なら今日のブログのエントリーはこの人形浄瑠璃の観劇 Review になる予定だったのですが、残念なことに撮影してきた写真映像がどれもこれも暗すぎてちょっと情けないことになっちゃっていることに加え、定期公演会場がと~っても寒くて、結果的に最後まで観劇できなかった(ラストから2つ目までは我慢していたんだけど、最後の演目だけは寒さに挫けて断念してしまった)ということもあって、今日のエントリーは読書記録と相成りました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

わたしたちが孤児だったころ
著:K.イシグロ 訳:入江真佐子  早川書房

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1990年代初め、上海の租界で暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。  貿易会社に勤める父と、強い倫理観をもつ美しい母が、相次いで、謎の失踪を遂げたのだ。  どうやら、当時問題となっていたアヘン貿易絡みの事件に巻き込まれたらしかった。  以来、イギリスに戻り、探偵を志してきたクリストファーは、名門大学を出て念願の探偵となり、ロンドンの社交界でも名を知られるようになった。  いつかこの事件を解明し、両親を探し出したいと願い続けてきた彼は、日中戦争が勃発し混迷をきわめる上海へ舞い戻るが・・・・・。  現代イギリス最高峰の作家が、失われた過去と記憶への旅をスリリングに描く、至高の物語。  (単行本裏表紙より転載)

日本生まれ、英国育ちのカズオ・イシグロという作家のことを初めて身近に感じたのは早川書房が2001年に刊行した「ハヤカワepi文庫」が書店に並び始めた頃でした。  それまでもブッカー賞受賞作家として名前だけは知っていたものの、単行本はお値段が高いうえマンションの既に満杯になっている本棚に入る余地もなく、どちらかというと「気にはなりつつもスルーしている作家」という位置づけでした。

「ハヤカワepi文庫」にカズオ・イシグロ作品が含まれていることを知った時、できれば全冊揃えたいなぁとは思ったんだけど、同じ epi文庫に「グレアム・グリーン作品集」が含まれていたということもあって、結局入手したのはブッカー賞受賞作である「日の名残り」ともう1冊のみで、今日に至るまで未読のままきてしまいました。  KiKi にとってグレアム・グリーンは大学時代にゼミで扱われた「思い出の作家」だったために、イシグロさんよりは優先順位が高かったんですよね~(苦笑)

その後、カズオ・イシグロという作家のことはちょっと忘却の彼方にあったんですけど、昨年末、電子書籍リーダーを購入し、購入時にサンプルとして入っている無料の抜粋版の書籍の中に「わたしを離さないで」があり、それを見たのを機に「そう言えば彼のことは気になっていたけど、『日の名残り』以外は未読だったなぁ」と思い出し、どうせなら彼の作品をこれを機会に読んでみようと思い立ちました。  そして、先般吾妻郡図書館でこの本を見つけたので、手持ちの epi 文庫に先駆けてまずはこの作品を読んでみようと思うに至りました。     

昨日から開始した「ベートーヴェン・ピアノソナタ特集企画」。   今日の1曲は KiKi の感覚としては「ベートーヴェン節」がいよいよ始まったぞと思わずにはいられない第3番です。

ベートーヴェン ピアノソナタ第3番 Op. 2-3
ASIN: B00000E4TV  演奏:C. アラウ (pf)

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この曲はねぇ、何て言うかベートーヴェンの「生みの苦しみ」みたいなものがそこはかとな~く漂ってくるソナタだと思うんですよね。  そもそも Op.2 の他の2曲よりもスケールが大きいし、造形と言う観点から見てもがっちりと作りこんである感じがするし、楽譜をさらっと眺めてみても技巧的にいきなり何段階も上がったなぁ・・・・と思わずにはいられないんですよね。  第2番のソナタで KiKi は「どこか教本的」という表現をしたけれど、ここに至ってそういう「教本臭」みたいなものが一掃されているんです。

と同時に、どこかしら即興風のところもあって、「がっちり作りこんでいるようでいて、統一感には少し乏しい」とも感じさせるものがあって、「自分なりのソナタ」を作りたいという意思が先走っているようなそんな印象もあるんです。  そういう意味ではなかなか面白いソナタだと思います。  

モーツァルトのカルテット全曲の Review を終了し、さて、次はどのシリーズでいくべきか、結構悩みました。  考えてみるとこのブログ(・・・・というよりこのブログに統合した「落ちこぼれ会計人の Music Diary」というべきか?)では、シリーズで系統だてて何かを聴くというよりは、その日その日の気分で聴きたい音楽を聴いて感想を書くというスタイルをとってきたので、リストを眺めてみると穴だらけなんですよね~。  一応完結しているのはベートーヴェンの交響曲とカルテット、そしてモーツァルトのカルテットだけだし・・・・・ ^^; 

ブログをスタートさせた時点ではクラシック音楽のみを扱うブログだったから、何かをずっと追っかける形式だと途中で飽きちゃったり疲れちゃうような気がして「その日の気分で」というスタイルにしてきたわけだけど、今では「読書」あり、「パッチワーク」あり、「野良仕事」あり、「クラシック音楽」ありというゴタマゼブログと化しているので、せっかくなら完結シリーズものをいくつか持ちたいなぁと考えるに至りました。

で、次のテーマなんですけど、あれこれ考えた末、やっぱりこれしかないかな・・・・と。  KiKi のライフワークとでも呼ぶべき「ベートーヴェン・ピアノソナタ全集」であります。  これを抜きにして KiKi のクラシック音楽ファン・ライフはないわけで、いつまでもこれを放置しておくわけには参りません。  ま、てなわけで本日より「ベートーヴェン・ピアノソナタ特集企画」を開始することにしました。  ベートーヴェンのピアノソナタに関してはこれまでに1番、8番(悲愴)、17番(テンペスト)、23番(熱情)、29番、30番、31番、32番のエントリーを書いているので、それ以外・・・・・ということになります。  今日はその第1曲目、第2番のソナタです。

ベートーヴェン ピアノソナタ第2番 Op. 2-2
ASIN: B00000E4TV  演奏:C. アラウ (pf)

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超がつく有名曲の多いベートーヴェンのピアノソナタですけど、そんな中でも初期、特に「悲愴」前のピアノソナタはさほど一般的ではないのではないかしら??  かくいう KiKi 自身もピアノ・レスナーでありながらも初期のソナタにはほとんど見向きもしない時期が長かったことを白状しておきましょう。  第1番はさすがに最初の1曲(実際にはこれ以前にも習作みたいな3曲の「選帝侯ソナタ」とか「ソナチネ」なんかもあったりするわけですが)ということで、そこそこ注目したりもしていたんだけど、第2番から第7番までのソナタはこのアラウの全集を入手するまでちゃんと聴いたことがありませんでした。

因みに KiKi のベートーヴェンのピアノソナタCDのコレクションはかなりの数に及ぶんだけど、このアラウを入手する前に全集ものとして持っていたのは名盤の誉れ高い「バックハウス」と今は懐かしい六本木 WAVE で大安売りをしていたからたまたまゲットした「ハイドシェック」の2つだったんだけど、どちらもこれらの初期ソナタに関しては1回ずつ聴いたのみでそれ以降手を出したことはありませんでした。

果たして聴いた時期の問題か、はたまた演奏家の力によるものかは定かではないんだけど、このアラウ盤を聴いて初めて KiKi はこの初期のソナタの魅力に目覚めたようなところがあります。  それまでは何となく「教本的な曲だなぁ・・・・」と感じていたんですよね~。

すっかりお気に入りとなった「白狐魔記シリーズ」も5冊目となりました。  調べてみると既刊は6巻みたいなんだけど、生憎吾妻郡図書館には5冊しか収蔵されていません。  購入していただくために第6巻の予約申し込みをしてきました。

白狐魔記5 天草の霧
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探究の物語。  江戸に幕府がひらかれ30余年。  九州島原で、飢饉や重税、そして信仰の弾圧に苦しむ農民が一斉蜂起した。  一揆の大将は不思議な術と眼力をもつ若者。  名を天草四郎時貞という。  (単行本扉より転載)

この物語、「人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探究の物語」となっているけれど、とどのつまり白狐魔丸の人間探究っていうのは、「人はなぜ争わずにはいられないか?」という問いかけだったんですねぇ。  もちろん時代が時代だから戦(いくさ)と無縁の話にはなりえないわけだけど、「武士は嫌い」「人が死ぬのは見たくない」と言いつつも、結局のところ戦場に身を置くことになる白狐魔丸が見ているものは戦場とか戦そのものと言うよりは「人は何のために戦うのか?」というバックグラウンドのような気がします。

第1巻の源平合戦では「兄弟の争い」と「主君のために命を投げ出す家臣の姿」を、第2巻の元寇では権力の座にあるはずの「北条家の内紛」と「海外からの侵略に対峙する幕府」を、第3巻では「幕府と朝廷の覇権争い」を、第4巻では「一向一揆」という武士ではない人たちの争いを、そしてこの第5巻の「島原の乱」では「外来の宗教とそこに絡む西欧列強の思惑」やら「信仰のための戦い(と言いつつも実は飢饉と重税に喘ぐ一般の人の反乱)」を、それぞれ描いています。

「島原の乱」というやつは、KiKi の思い込みの世界では「キリスト教徒への江戸幕府の弾圧」というイメージが強かったんだけど、実はこの反乱で担ぎ上げられた大将が「天草四郎」だったことと、最後まで抵抗した人たちがクリスチャンであったことを除けばどちらかと言えば「市民革命的な事件」という側面もあったことを今回の読書で再認識しました。  もちろん時代背景として「宗教弾圧」の空気がなかったわけではないにしろ、白狐魔丸と一緒にKiKi 自身も「人は何のために戦うのか?」について、改めて考え直してみる1つのきっかけになったように思います。    

今日も読了しちゃいました、「白狐魔記シリーズ」。  今作で白狐魔丸が関わる歴史上の人物は KiKi の大好きな織田信長さんです。

白狐魔記4 戦国の雲
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探求の物語。  南北朝の動乱から、時はくだって戦国時代。  15代つづいた足利幕府をついに滅ぼし、天下統一に名のりをあげたのは、少し前まで白狐魔丸が名も知らなかった、織田信長という男だった。  (単行本扉より転載)

ここまでのシリーズでは白狐魔丸が出会うのは誰もが知っている歴史上のヒーロー(それもどちらかというと敗戦の将)のご家来衆で、その友人を通して著名人の知己をも得るというのが定型パターンでした。  でも今回はさすが織田信長様でいらっしゃいます。  ご家来衆な~んていう面倒くさい人達はすっ飛ばしていきなりご本人が白狐魔丸とお知り合いになってしまいます。  まあ、それには蒙古襲来以来姿を消したきりの白駒山の仙人様に代わって白狐魔丸の導き手みたいな役割を担っている雅姫というキーパーソンの存在が無視できなかったりもするわけですが・・・・・(苦笑)

一応、柴田勝家とか羽柴秀吉、明智光秀な~んていう錚々たるご家来衆の面々も登場するんですけど、彼らはすっかり脇役(というより舞台装置)扱い。  逆に本能寺に攻め込んだ明智軍にひょんなことから加勢することになった、信長を「師の仇」と心に定めた「不動丸」という鉄砲名人の少年の方がスポットライトを浴びちゃっています。

歴史というものが勝者の都合によって描かれ気味であることを考えると、敗戦の将側の論理が描かれるという点でも興味深かったこのシリーズでしたが、この巻でその役割を担っているのはこの「不動丸」で、彼は最後には明智軍に顔を連ねているものの、どちらかというと一向一揆の軍勢の中にいる時間の方が長かったりします。  信長がどうして一向宗と対立することになったのか?といったあたりの状況説明がないのはちょっと食い足りなかったけれど、信長 vs. 一向一揆の戦いの凄まじさは描き尽くされていたと感じます。  

最初に図書館でこの本を見つけた時に期待していた以上に面白い「白狐魔記シリーズ」。  あまりの面白さについつい読書ペースも上がり気味です(笑)。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はシリーズ3作目のこちらです。

白狐魔記3 洛中の火
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探求の物語。  元の襲来時に、天の「気」をうごかし嵐をおこした白狐魔丸。  こんどの活躍は、五十一年後、時は室町時代初期。  楠木正成という武将と出会う。  (単行本扉より転載)

最初にちょっぴり残念だったことを告白しておくと、この巻では KiKi のお気に入りの白狐魔丸の師匠・白駒山の仙人は一度も出てきません。  50年以上の長い年月をかけてもどうやら仙人の「穢れ」は清められることがなかったようで、天竺に行ったきり音沙汰もありません。  どこか飄々としていながらも禅僧みたいに含蓄のある言葉を吐く仙人がお気に入りだった KiKi にとってこれは半端じゃなく残念なことでした。

じゃあお茶目な仙人が出て来なくて面白くなかったのか?と問われれば、そこは又別のお話し(笑)で、今巻もたっぷり楽しませていただきました。  どんどん妖術を発展させていく白狐魔丸の成長ぶりも楽しめるなら、彼が多くの人間との知己を得ることによりどんどん人間探究を深めていく姿には思わず感情移入しちゃいます。

特に今作では「楠公」こと楠木正成と知り合い、己が実は狐であることを彼には明かすな~んていうエピソードまであって、これまではどちらかというと「覗き見」的なスタンスを通してきた白狐魔丸がより深く「武士の何たるか?」、「戦の何たるか?」を考えるようになるという展開には説得力のようなものを感じました。

前回図書館で借り出した際に、借りてくる本の順番が入れ違ってしまっていたシリーズ本を借り換えてくることができました。  やっぱりシリーズものは、順番通り読みたいものですよね。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

白狐魔記2 蒙古の波
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐白狐魔丸の人間探求の物語。  「源平の戦い」のあとの長い眼りから、狐がめざめたところから、本書ははじまる。  時は鎌倉時代。  北条時宗が執権となり、日蓮は国を憂い、いまや、元の大軍がおしよせようとしていた。  (単行本扉より転載)

うんうん、やっぱり面白い!!  このシリーズはホント楽しめますねぇ。  前巻で都落ちする義経主従が無事落ち延びることができるように、攪乱作戦で大活躍した主人公の白狐魔丸。  まるでその疲れを癒すためかのように85年という長~い眠りにつき、ようやく目覚めたところから物語は始まります。  普通の人たちならそんなに長生きできなかった時代だったろうけれど、白狐魔丸とお師匠さんの2人だけ(1人と1匹だけ と言うべきか?)は、まるでその年月をひょいっと飛び越えてしまったかのように、ほとんど変わりない姿で登場します。

で、変わっていないのは2人だけで、世の中の方はめまぐるしく変化していて、義経は平泉で討たれちゃっているし、その命を出した兄頼朝もとっくにあの世へ行っちゃって、北条得宗家が栄華を極めている(?)鎌倉時代です。  前編では京都周辺をウロウロしていた白狐魔丸だけどこの物語では日本各地(除く東北 & 北海道)をあちこち歩き回ります。  

情景描写やら風俗描写なんかは結構史実に基づいているんじゃないかと思うんだけど、最後の方でいわゆる「義経不死伝説」の極め付け、「義経≒チンギス・ハーン説」まで取り入れちゃっているので、大人が読む分にはかなり楽しめちゃうけれど、子供が読んだらどこまでが史実に近い話でどこからがいわゆる「ファンタジー」なのか、混乱しちゃうきらいはあるんじゃないかと思わないでもありません。  それでもこんなに楽しめる物語だったら KiKi は身近な子供に薦めちゃうだろうなぁ・・・・・(笑)

「ノルウェイの森」である種のショックを受け、ちょっと若かりし頃の自分の感性を再確認したくなって手に取ってみた「風の歌を聴け」で自分の変化に戸惑い、そしてもうちょっと「自分」を確認してみたくなって読み進めてみたのがこの作品です。

1973年のピンボール
著:村上春樹  講談社文庫

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さようなら、3フリッパーのスペースシップ。  さようなら、ジェイズ・バー。  双子の姉妹との「僕」の日々。  女の温もりに沈む「鼠」の渇き。  やがて来る一つの季節の終り ― デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。  (文庫本裏表紙より転載)

前作の「風の歌を聴け」が物語と呼ぶよりはかなり散文詩的だったのに対し、かなり物語的に変貌しているのがこの第2作です。  でも扱っている空気・・・・というか風潮みたいなものはどちらも共通していると思います。  自分固有の世界観(ものさし)が世の中の趨勢からしてみるとあまりにも「取るに足らないもの」であることに苛立ち、反面そのような独自のスタイルを持たなくても生きてしまえることのできる「生」をイージーなものと捉えるある種の絶望、でもそんなものは「生」とは呼べないんじゃないかと疑問を抱き続けざるを得ない消すことのできない違和感。  そんなものが「春樹節」とでも呼ぶべき一種独特の筆致で描かれた物語だと思います。

この2作目を再読してみてようやく、前作の Review でも書いた KiKi の感想

初めて村上作品に出会ったのは KiKi 自身が「まだナニモノにもなっていなかった時代」だったし、「ひとかどのモンにはなれそうにないことを骨身にしみて自覚し始めていた時代」だったし、「KiKi とはまったく関わりのないところで世の中は動いていると否応なく思い知らされていた時代」だったから、その虚無感みたいなものにストレートに感電することができたように思うんですよね。

が正しい認識だったことを確認できたように思います。  ある意味で80年代って、そしてその時代に「モラトリアム」していられた世代にとっては特に、イージーな時代だったと思うんですよね。  景気は良かったし、物には不自由していなかったし、就職だって売り手市場(除く女子大生)だったし・・・・・。  そんな中で浮かれていてもそこそこ生きていけちゃったりもしたわけだけど、心ある者は胸の中のどこかで

「世の中、そんなに甘いもんじゃないんじゃないか??」

という燻るような懐疑心を抱いていたように思います。  ただ、その懐疑心は深まりも長続きもしなかった・・・・・そんな時代だったように思うんですよね~。  (それともこれは KiKi だけだったのかなぁ??)


風の歌を聴け 村上春樹

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先日、ベストセラーだった「ノルウェイの森」を読了し、どうにもこうにも気に入らなかった KiKi。  あれ?  村上春樹ってこんなんだっけ??  昔(学生時代)、嵌ったはずのこの人の作品がこうまで鼻につくのはどうしてなんだろう??  あの頃の KiKi の感覚が今とはあまりにも違っているのか、はたまた村上春樹氏の方が変わったのか??  その答えが知りたくて、○0年ぶりぐらいにこちらを読んでみることにしました。

風の歌を聴け
著:村上春樹  講談社文庫

21JXNBHKBAL._SL160_.jpg  (Amazon)

1970年の夏、海辺の街に帰省した「僕」は、友人の「鼠」とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。  2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受け止めてやるうちに、「僕」の夏はものうく、ほろ苦く過ぎ去っていく。  青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。  群像新人賞受賞。  (文庫本裏表紙より転載)

結論からすると、村上春樹氏はほとんど変わっていなくて大きく変わってしまったのは KiKi の方だったようです。  そして、この KiKi の変化は「いい・悪い」は別として村上氏のどこか冷めた傍観者的な社会への視線に対し、学生時代ならいざ知らず、今の KiKi は人間社会の中にどっぷりつかって、そこで何等かのコミットメントを結びながら生きてきた年月の積み重ねでできているようなところがあるわけで、そのスタンスというか、立ち位置の違いにあるように感じました。

初めて村上作品に出会ったのは KiKi 自身が「まだナニモノにもなっていなかった時代」だったし、「ひとかどのモンにはなれそうにないことを骨身にしみて自覚し始めていた時代」だったし、「KiKi とはまったく関わりのないところで世の中は動いていると否応なく思い知らされていた時代」だったから、その虚無感みたいなものにストレートに感電することができたように思うんですよね。

と同時に、KiKi 自身も英米文学部に在籍し、村上春樹氏が好む「カポーティ」、「チャンドラー」、「フィッツジェラルド」、「カーヴァー」といった作家の作品に出会い、それまで読んできた文学とはちょっと違う香りのする文学にちょっと酔わされちゃっていた時代だったことも無関係ではなかったように思います。  

今この物語を「ねじまき鳥」や「ノルウェイ」を読了した後に読み返してみると、それらの作品のモチーフとなっている出来事、感覚、といったものは既にここに出ていることに驚かされました。  学生時代にこの作品は何度も何度も読み返していたはずなのに、先日「ねじまき鳥」や「ノルウェイ」を読んでみた時は思い出しもしなかったことにもかなりビックリしました。  

なぜ、それらの読中にこの作品のことを思い出さなかったのか?を考えてみると、要するにこの物語はある意味でサティの音楽にきわめてよく似ていて、「環境文学」というか「時代の空気を読む文学」ではあったものの、それ以外は自分に何も残さなかった文学だったんだということがわかります。  

村上春樹氏のノーベル文学賞候補報道に乗せられ、久々に村上春樹本に手を出している KiKi です。  そんな春樹本の中で発刊と同時に手を出さないことに決め、ついでにそれまで持っていた春樹本を一挙に処分した思い出(?)の作品を読了しました。

ノルウェイの森 (上)(下)
著:村上春樹  講談社文庫

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暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。  僕は一九六九年、もうすぐ二十歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。  限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。  (文庫本裏表紙より転載)

51rix39uWhL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと―。  あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。  自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。  等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。  (文庫本裏表紙より転載)

う~ん、正直なところ、これ、一体全体どういう物語なのかさっぱりわかりませんでした。  これがバカ売れした理由も KiKi には見当もつきません。  「ねじまき鳥」の方は読んでいてまだ「ある種の感覚」が揺さぶられるような気がしたけれど、こっちは何だかスポーツ新聞とか男性週刊誌に載っている KiKi があんまり評価しない「官能小説」とどっこいどっこいという印象でした。

「性」を扱うのは構わないし(それで顔を赤くしちゃうほど初心ではない)、ある程度露骨な性描写があってもそんなのには動じない程度には成熟(?)している自負のある KiKi だけど、この物語のそれは正直なところ不快感以上のものを感じることはありませんでした。  

そんな描写が多い中にクラシック音楽やら60年代~80年代の洋楽ヒットチャートみたいな音楽の話が出てくるのも、何気に許せない(苦笑)  この物語に出てくる様々な音楽のうち半分ぐらいは KiKi 個人にとっても何等かの思い出と密接に関わっている音楽であるということもあって、何だか KiKi の思い出まで冒涜されたような気分になってしまいました。

いよいよモーツァルトのカルテットも最終曲となってしまいました。  本日の KiKi のBGMはこちらです。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第23番 K. 590
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

Mozart_SusukeQ.jpgのサムネール画像  (Amazon)

注文主からは6曲のセットものを依頼されていたにも関わらず、3曲で筆を折ることになってしまったモーツァルト。  もちろんそこにはモーツァルトの短い生涯という生命のタイムリミットがあったということも大きな要因だけど、この曲を聴いてみるとそれ以上にモーツァルトはもうこれで「書き尽くした」というある種の達成感と同時に諦念に支配され、もうこれ以上は書けなかったのではないか?  そんな気がしてきます。

KiKi はこの曲を聴いていると、注文主のことを意識している「音楽職人モーツァルトの献呈作品」というよりは、「芸術家モーツァルトの心情告白」という気がして仕方ないんですよね。  実際、この曲は注文主に献呈される前に出版社に売却しているという話をどこかで聞いたことがあります。  何でもプロシアの王様は案外金払いが悪かったらしい・・・・・ ^^;  注文が6曲だったのに対し3曲しかできあがっていないわけだから、「どの面下げて献呈できるか!」という部分もあったのかもしれないけれど、経済的困窮に陥っていたモーツァルトにとっては金払いも悪いし、時間もないし、もう「王様の注文」な~んていうのはどうでもいいことになってしまっていたのかもしれません。

確かにこの四重奏の作曲のきっかけはプロシア王からの注文があったからです。  でも第22番を書いている時点で注文主のことはそっちのけ(苦笑)で、どこか死期を覚悟をした人間の純粋な内面的な音楽しか書けなくなってしまっていたんじゃないかしら。  そしてこの第23番では彼の心情告白はさらに高みにまで登りつめ、人間の本質に迫るような音楽を書き残した・・・・・そんな感じがするんですよね。

昨日、読了した図書館本の返還 & 新たな借り出しのために吾妻郡図書館へ行ってきました。  主たる目的は村上春樹さんの著作を借りるため・・・・だったんですけど、そればっかりだと飽きちゃう(疲れちゃう?)かもしれないので、久々に児童書のコーナーに立ち寄り、今日の読了本を借りてきました。  この物語、どうやらシリーズもので6冊ほど出版されているようだったんだけど、面白いかどうかわからなかったので、棚にある左から2冊を借り出してみました。  今日の読了本はそのシリーズ第1巻であることは間違いなさそうなんだけど、もう1冊の方はどうやら第3巻だったみたい・・・・・・。  まあ、ちゃんと確認しなかった KiKi が一番悪いとは思うんだけど、こういう本を棚に入れる際には順番を守っていただきたいものです。

白狐魔記1 源平の嵐
著:斉藤洋  偕成社

51YRW56EBAL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになったきつね、白狐魔丸の人間探求の物語。  第一巻にあたる本書では、世にいう「源平の戦い」にまきこまれたきつねが、兄頼朝に追われ落ちゆく源義経一行に同行、武士の無情を目のあたりにする。  (単行本扉より転載)

さほど期待しないで読み始めたんだけど、これがなかなか面白い!(笑)  人間という動物がどんな生き物なのかを狐目線で語ってくれちゃうというあたりが、なかなかいいなぁと思うんですよね。

「狐が人を化かす」とか「霊験あらたかな白狐」といった日本人が古来から大切にしてきた伝承をベースにしつつ、そこに源平合戦の「鵯越え」のシーンを挿入(しかもそれをあからさまには書いていない)してみたり、「義経千本桜」という歌舞伎演目に登場する「狐忠信」をいやでも思い出しちゃう「キツネと佐藤忠信の友情(?)物語」が描かれたりと遊び心も満載です。

この第1巻では巣立ち(独り立ち)を始めたばかりのフツーのキツネがどんな風に「人に化身できるようなフツーではないキツネ」になったのかにもかなりページを割いていて、その過程で人間の言葉を解するようになったり、人間に「狩られるもの」として追われたりと様々な経験をするんだけど、その一つ一つの経験の中でキツネが考えたり感じたりすることが実に「それらしくて」いいんですよね~。 


今日はLothlórien_山小舎付近は小雨模様。  重苦しい霧が立ち込め、薄暗い中、机の前の窓から見える美しい紅葉が妖しく光り輝いています。  周囲の他の色はすべて霧の中に溶け込んじゃったかのようにぼやけているんだけど、紅葉のオレンジと黄色だけが鮮やかさを保っているさまは何とも不思議な光景です。  ま、そんなどことな~く妖しげな雰囲気の中、同じように妖しげなタイトルのこちらを読了しました。

妖女サイベルの呼び声
著:P.A.マキリップ 訳:佐藤高子  ハヤカワ文庫

518XNE854YL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

魔術師サイベルは、エルド山の奥深く、伝説の幻獣たちのみを友として魔術の修行に励んでいた。  そんなある日、サイベルのもとをひとりの騎士が訪れ、赤児を預けてゆく。  その赤児はサイベルの血縁であり、しかもエルドウォルド国の王子にほかならなかった。  やがてサイベルは、凄惨な王位継承争いに否応なく巻き込まれて、人間の世界の愛と憎しみを知り始める・・・・・・第1回世界幻想文学大賞に輝く不朽のハイ・ファンタジイ!  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi の手持ちの本の書影はこれ(↑)とはちょっと違って、もっとパステルチックな色使いの本なんですけど、まあ、それは置いといて・・・・・と。  なかなか読みごたえのあるファンタジーだったと思います。  だいたいタイトル(邦題)がいいですよね。  いきなり「妖女」ときたのでどんなに怖そうな女性が出てくるのかと読み始める前は思っていたんですけど、意に反して美しくも初心な(世慣れていない)女性だったので、実はちょっと拍子抜けしてしまいました(苦笑)。

物語全体のトーンは重厚で寡黙な雰囲気で、どこか神話世界を思わせます。  彼女が山奥で共に暮らしている幻獣の顔ぶれが実に魅力的です。  あらゆる謎の答を知り、吟遊詩人のように伝承民話を吟唱できる赤い眼と白い牙の猪・サイリン、ある魔術師を殺害した7人の男を八つ裂きにした青い眼の隼・ター、ある王女を幽閉中の石塔から背に乗せて救い出した大きな翼と黄金色の眼を持つティルリスの黒鳥、呪術と不可思議な魔力の持ち主として語り草となっていた巨大な黒猫・モライア、王の財宝にも匹敵する黄金のライオン・ギュールス、宝物を褥に長い間まどろんでいた竜・ギルド。

どの幻獣の姿もありありと想像できるような筆致で描かれ、しかもそれらが昨今のRPGのグラフィックスみたいな作りもの感が薄く、それぞれに固有の魅力を放っています。  これら、猪とか隼とか黒猫といったリアル感のある動物であるあたりがいいですねぇ。  一歩間違えれば普通の動物と何ら変わりはないんだけど、それでも彼らが幻獣となりうるのは彼らが持っている「物語」に端を発しているというのが実に KiKi 好みです。  ま、ちょっとだけCGっぽいパーツもあるけれど・・・・・ ^^;

さて、物語の主人公サイベルは彼らの往方(いにしえ)の名を呼ぶことによって彼らを服従させているわけだけど、この「名前」の扱い方もいいですねぇ。  ちょっと「ゲド戦記」に通じる部分もあるプロットだとは思うけれど、昨今のファンタジーのお手軽っぽい魔法よりもそこに歴史の重みとか、原初の世界の不思議みたいなものを感じさせる妖術だと思います。


今日もモーツァルトのカルテット、「プロシア王」です。  先日に引き続きその第2番、SQ全体では第22番のカルテットを聴いてみました。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第22番 K. 589
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

Mozart_SusukeQ.jpgのサムネール画像  (Amazon)

前作からほぼ1年後、モーツァルトの死の1年前に書かれた音楽です。  こちらも例の「チェロ弾きの王様」に捧げたカルテットなんですけど、前曲とは雰囲気が随分異なります。  どちらもチェロが大活躍する音楽であることには変わりないんですけど、前作はいかにも宮廷受けしそうな、「ミラノ・カルテット」にも通じるような明るさと優雅さを誇る音楽だったのに対し、こちらは何とも表現のしようのない「寂寥感」が滲む音楽なんですよね~。

晩年のモーツァルトが経済的に困窮していたことは事実としてよく知られていますが、そんな中「王様からのオファー」という絶好のチャンスを得たモーツァルトが、言わば「お金のために」、「演奏される場所を念頭に置きながら」書いたのが第1番なら、まるで「自分の遺作を意識して書いた」かのように聴こえないでもない第2番っていうほどの差がこの2曲にはあるように感じられます。

先日、吾妻郡図書館から借り出してきた5冊のうち、最後の1冊をようやく読了しました。

ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編
著:村上春樹  新潮文庫

41ZdzgSy64L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

僕の考えていることが本当に正しいかどうか、わからない。  でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。  これは僕にとっての戦争なのだ。  「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。  「僕は君を連れて帰る」僕はグラスを下に置き、毛糸の帽子を頭にかぶり、脚にはさんでいたバットを手に取った。  そしてゆっくりとドアに向かった。  (本文より)  (文庫本裏表紙より転載)

いやはや長い物語でした。  そこかしこに何かしら感じるものはあったものの、全体としてみると結局よくわかんない物語でした(苦笑)

何となく・・・・・ではあるんですけど、話を広げすぎちゃっている印象を持ちました。  KiKi の知っていた「個人を突き詰め、その精神世界をどんどん深堀り(もしくは浮彫)にしていく」物語の顔を取りつつも、どんどん世界を横(半径、距離)にも縦(時間軸)にも広げすぎちゃっていて、どこか散漫な感じです。

印象的だったのは第2部の Review で KiKi は

「何になりたいかではなく何をするか?」 「何をするかではなく何をしなかったのか?」 結局、人間が行き着くところはそんな禅問答みたいなところなんじゃないかと、この物語を読んでいて強く感じました。

と書いたわけだけど、まるでそれに反論するかのようにこの第3部で村上氏が

何をしたかではなくて、何をしたはずかなのだ。

と書いていることで、ここを読んだとき思わず、「あ、そっち??」と思ってしまいました(苦笑)

今日は再びモーツァルトのカルテットに戻ります。  モーツァルト最後のカルテット・セット、「プロシア王全3曲」の第1曲です。

モーツァルト 弦楽四重奏曲第21番 K. 575
ASIN: B0002Z83NO  ズスケ・カルテット

Mozart_SusukeQ.jpgのサムネール画像  (Amazon)

この曲(とそれに続く全3曲)が「プロシア王」と呼ばれるのは、これらの作品がプロシア王、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の依頼により書かれたことによります。  1789年にパトロンの一人だったカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵と一緒にドイツ旅行をしたモーツァルトは、ベルリン宮廷で御前演奏を行いました。  その際に国王自らが弦楽四重奏曲6曲と王の長女、フリーデリケ・シャルロッテ王女のためのピアノソナタ6曲の作曲を依頼したとされています。

因みにこの国王からの依頼(カルテット6曲とピアノ・ソナタ6曲)のうち、実際にモーツァルトが完成させることができたのは「プロシア王」の名前で知られる3曲のカルテットとK. 576 のピアノソナタ(第18(17)番)1曲の4曲のみでした。  

このフリードリヒ・ヴィルヘルム2世、チェロの名手で宮廷内に楽団をもっていらしたらしい・・・・・。  で、金も権力も、そしてチェロ演奏の技術をも持ち合わせていた(?)この王様にハイドンも弦楽四重奏曲(プロイセン四重奏曲、作品50)を、ベートーヴェンもチェロ・ソナタ(第1番と第2番)を献呈しているというクラシック音楽史では無視できない王様でいらっしゃいます。

そんな背景があるため、このカルテットではやっぱりチェロ・パートが印象的です。  もちろんモーツァルトはおろかハイドン以降、チェロという楽器は必ずしも通奏低音担当楽器ではなくなっていたのですが、モーツァルトのこれまでのカルテットと比較してもチェロがメロディを奏でる部分がいっぱいで、KiKi のような「チェロ好き」にはたまらないカルテットです。  

シューマン 森の情景 Op. 82

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最近のクラシック音楽関連エントリーは、ず~っとモーツァルトのカルテットだったんですけど、今読み進めている村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」に触発され、今日はこんな曲を聴いてみました。

シューマン 森の情景 Op. 82
ASIN: B00005S0G3  演奏:シプリアン・カツァリス(pf)

41TA71K7TQL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)


「森の情景」、「森」、と言えば、我がLothlórien_山小舎はまさに森のすぐ脇にある山小舎なんですよね~。  で、音楽のお話に触れる前に本日現在の我が窓から見える「目の前の森の情景」をまずはご紹介しておきたいと思いますね。(笑)

2012_Nov02_001.JPG

KiKi がPCの前に坐り、PCが置いてあるテーブル越しにその向こうの窓を眺めると、今まさにこんな風景(↑)が広がっています。  目と鼻の先に日々色づいていくモミジを眺めるっていうのはなかなか乙なモンなんですけど、最近ではこれが「当たり前」となりつつある KiKi です ^^;  ここに山小舎を構えた初年度には「ワォ~!!」と歓声をあげたんですけどねぇ・・・・。

2012_Nov02_003.JPG

さすがに座ったまま & ガラス窓越しというのはいかにも横着のし過ぎだよなぁ・・・・・とばかりに窓を開けて、今一番美しいと思われる部分を撮影したのがこちら(↑)です。  数日前まではまだまだ緑色部分が多かったんですけど(そしてまだまだこの木の下の方の葉っぱはそんな緑色がチラチラしているんですけど)、着々とお色直しが進んでいます。


さて、今日ご紹介しているCDは実は KiKi が持っているものとはジャケットが異なるんですけど、まあテルデックのCDで録音年代も演奏者も同じだから、現在市販されているものはこちらなんだろうと判断してこのブログにも載せています。  このCDにはOp.82 の「森の情景」だけではなく、Op. 15 の「子供情景」、そして Op. 124 の「音楽帳」というシューマンの比較的小規模なピアノ組曲3つがカップリングされています。

個人的に、KiKi は「子供の情景」に関してはホロヴィッツ盤の方が好きなんですけど、ことこの「森の情景」に関してはこのカツァリス盤がベストな選択だと思っています。 



      

2012年10月の読書のまとめです。

2012年10月の読書メーター
読んだ本の数:13冊
読んだページ数:4068ページ
ナイス数:41ナイス

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)感想
「何になりたいかではなく何をするか?」 「何をするかではなく何をしなかったのか?」 結局、人間が行き着くところはそんな禅問答みたいなところなんじゃないかと、この物語を読んでいて強く感じました。
読了日:10月31日 著者:村上 春樹

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)感想
この雑多な混沌こそ村上ワールドだなぁ・・・・・と。  要するにどこか受動的というか、傍観者的というか、主体性がないというか・・・・・。
読了日:10月29日 著者:村上 春樹

古書店めぐりは夫婦で (ハヤカワ文庫NF)古書店めぐりは夫婦で (ハヤカワ文庫NF)感想
この本はたまたまお互いの誕生日プレゼントのコストを抑えるために、古書店を訪れた夫婦が古書の魅力に目覚め、蔵書を作るために東奔西走するという「愛書家」には面白い顛末が書かれた本です。  当初は10ドルからスタートした彼らの「古書収集」があっという間にコストアップしていく様子は時にユーモラスで、時に共感を覚え、ヒートアップのし具合が自分の懐具合ではとてもついていけなくなった時点で羨望交じりに呆れる(^^;)・・・・というプロセスが楽しめるお話でした。
読了日:10月28日 著者:ローレンス ゴールドストーン,ナンシー ゴールドストーン

グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~感想
荻原さんやル=グウィン(ゲド戦記の作者)が追及している「ファンタジーとは何か?」というテーマは実は KiKi 自身も追及しているテーマの1つなんだけど、これって「ある世代特有の拘り」のような気がします。  恐らくは、TVゲームが当たり前のように存在している時代に育った人たちは「ファンタジーとは何か?」な~んていうことを敢えて突き詰めて考えようとは思わないんじゃないのかなぁ・・・・・。
読了日:10月27日 著者:荻原 規子

オドの魔法学校 (創元推理文庫)オドの魔法学校 (創元推理文庫)感想
普通の人間には駆使することができず、ついでに理解することができないある種の力と普通の社会生活を恙なく過ごしたいと欲する人間が共存する1つの方法論はこの物語のタイトルにもなっている「オドの魔法学校」のように世俗権力によるガジガジの管理下に置く・・・・・というのが手っ取り早い対処方法なわけだけど、それってある時間を経れば必ず歪が生まれるわけでして・・・・・・。  原始的に「魔法」と呼ばれてきたものと、集団生活の規律というヤツはそもそも相性がよくないんだよなぁ・・・・・というある種当たり前のことを再認識する読
読了日:10月26日 著者:パトリシア・A. マキリップ

チェンジリング・シー (ルルル文庫)チェンジリング・シー (ルルル文庫)感想
海に帰りたいのに帰れない王子キール。  ほんとうは陸に生まれた者なのに、海につなぎとめられてしまっている海竜。  そして、父の命と母の思考を自分から奪い去った海に「呪い(まじない)」をかけようとするペり。  この3人が「影のオンブリア」のデュコンとマグ同様に「どこにも属し、どこにも属していない」感じがして、マキリップの描きたいものはそこにあるのかなぁ・・・・・な~んていう感想を持ちました。
読了日:10月23日 著者:パトリシア・A. マキリップ

影のオンブリア (ハヤカワFT)影のオンブリア (ハヤカワFT)感想
1回の読書でどこまでこの物語を読み解くことができたのか、はなはだ不安なんだけど、1つだけはっきりしていることは、恐らくこの物語、人が主人公の物語ではないんだろうな・・・・ということです。  恐らくこの物語の主人公はこの「オンブリア」という都そのものだったんだろうなぁ・・・・と。  まるで、吟遊詩人がリュートを片手に歌い語るバラッドのような物語だったと思います。 この二重都市を表現するのに用いられている小道具の扇がこれまた雰囲気満点なんですよね~。
読了日:10月21日 著者:パトリシア・A・マキリップ

マッドアップル (創元推理文庫)マッドアップル (創元推理文庫)感想
この本は正直なところ、KiKi にとってはかなり「読みにくい」類の本でした。  でも、それでもそこそこのペースで読み進み、読了できてしまったのは、この物語の構成が2003年の KiKi には理解しがたい世界での出来事(この部分はアスラウグの独白といった趣で、どちらかというと彼女にとっては真実かもしれないけれど、その独白を現代社会に息づいている社会通念と照らせば信用しきれないと感じさせ不安感を煽る)と2007年に起こった彼女にかけられた殺人容疑の裁判での検察・弁護人・本人を含む証人との一問一答の描写をいった
読了日:10月16日 著者:クリスティーナ・メルドラム

注文の多い料理店―イーハトーヴ童話集 (岩波少年文庫 (010))注文の多い料理店―イーハトーヴ童話集 (岩波少年文庫 (010))感想
物語の中で出てくる擬態語が素晴らしい!!  これって音の洪水が溢れている都市部では絶対に出て来ない擬態語だと思うんですよ。  青空や夕焼け空の中を突き抜けるように響く鳥の声、すべての音を吸い込んでしまったような深い雪の中、枯葉の舞う音だけが響き渡る林の中、そんな環境に身をおいた時に初めて「そうそう、これしかない!!」と思わせるような擬態語ばかりだと感じます。 と同時に、これらの物語はひょっとしたら農耕民族だらけだった時代の日本へのある種のオマージュなのかもしれない・・・・・とも感じられるんですよね。
読了日:10月13日 著者:宮沢 賢治

トム・ソーヤーの冒険〈下〉 (岩波少年文庫)トム・ソーヤーの冒険〈下〉 (岩波少年文庫)感想
今回再読してみてトムとハックが思いのほか危険な目にあっていたことを再認識し、ちょっとびっくりしてしまいました。  夜中に家を抜け出してあちこちフラフラしていたり、挙句殺人現場を目撃しちゃったり、真犯人が別の人間に罪をきせるのを見ていたり、良心の呵責に耐えかねて真犯人を告発したり、迷子になった洞穴でいきなりその真犯人と出くわしたり・・・・・。  こんなに刺激的なお話しだったっけ???   子供時代からこの物語に対して抱いていたイメージってもっと軽めの事件の連発で、トムやハックが微笑ましいという感じだったん
読了日:10月11日 著者:マーク トウェイン

トム・ソーヤーの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)トム・ソーヤーの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)感想
トム・ソーヤーの物語は確かに小学生の頃に読んだ記憶はあるんだけど、今回再読してみるまでどんな物語だったかはすっかり忘れていました。  記憶に残っていたのは「トム・ソーヤー & ハックルベリー・フィン」という名前とハックが浮浪児だったこと、そして二人の少年がやんちゃだったこと。  そして女の子だった KiKi には必ずしも理解できているとは言い難い「男の子の世界」が描かれた物語だったこと・・・・・ぐらいでしょうか??  あ、あと舞台がミシシッピだったことは絶対に忘れられません。  だってこの物語で「ミシシッ
読了日:10月10日 著者:マーク トウェイン

聖地をたどる旅 熊野聖地をたどる旅 熊野感想
この本ではそんな熊野の必ずしもメジャーとは言い難い場所までもをとりあげ、周辺地図も収録され、図版も多い・・・・とまさに至れり尽くせりのガイドブックだったと思います。  又、個人的には最後の章で触れられていた「熊野の食 ~四季折々の美味~」を興味深く読みました。  土地柄的には決して地味豊かとは言い難い(ようするに田んぼや畑が作りにくい)場所に暮らしてきた人々がどんなものを食してきたのか?は他の旅行ガイド本ではなかなか出会えない情報なのではないかと感じられました。 ただ個人的には「スピリチュアル」という言
読了日:10月7日 著者:原 水音

日の名残り (ハヤカワepi文庫)日の名残り (ハヤカワepi文庫)感想
たまたま出会った見知らぬ人の言葉に、夕日が沈むのを待ちその夕日に涙するスティーブンスは、ひょっとしたらその夕日の姿に大英帝国の凋落と不遇の最期を迎えた敬愛する卿の姿と1人老いていくばかりの自分を重ねていたのかもしれません。  でも、見知らぬ人の言う「いちばんいい時間」というその意味は沈みゆく寂寥感だけではなく、次に上りくるものへの期待もあるわけで・・・・・。  この物語の読後感が暖かく かつ 喜ばしく感じられるのは、男泣きに泣いていたスティーブンスが夕日の中での後悔の後、もう次のことを考えているからだと思
読了日:10月6日 著者:カズオ イシグロ

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