2013年10月アーカイブ

KiKi が大学時代に初めて出会った物語「ゲド戦記」。  ただしその時には KiKi は何故か第1巻しか読んでいなかったように思うんですよね。  実際、今回この第2巻を読んでみても「同じようなプロットの話を読んだことがあるような、ないような?」という程度の印象だったし・・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記2 こわれた腕環
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

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アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。  青年ゲドは、平和をもたらすエレス・アクベの腕環を求めてアチュアンの墓所へおもむき、暗黒の地下迷宮を守る巫女の少女アルハと出会う。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記2 こわれた腕環
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

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アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。  力みなぎるゲドは、平和をもたらす不思議な腕環を求めて旅し、暗黒の地下で迷宮を守る巫女の少女と出会う。  (岩波少年文庫HPより転載)

この物語、前半を読み進めているうちは「どこがゲド戦記なんだ?」と思わないでもありません。  何せ、肝心要のゲドは登場しないし、色彩感溢れる世界だった前作が描くアースシーとはどこか趣を異にしたモノクロの世界、カルカド帝国に属するアチュアンという墓所が舞台なんですから・・・・・。  しかもこの墓所は光らしい光のない全くの闇の世界。  さらに言えばそこかしこに崩れやら綻び、さらには降り積もった埃なんかが充満する死臭に満ちた世界なんです。  もちろん前作出てきた「影」が象徴する物の中には「死」さえも含まれていたとは思うけれど、あちらでは確かに存在するものとして明確に描かれていた「生」の気配がこちらの作品ではほぼナシと言っても過言ではないようなスタートを切ります。

アルハ(幼名もしくは真名:テナー)は大巫女のしるしを持っている者として、6歳の頃にアチュアンの墓所に連れてこられ、テナーという真名を取り上げられ、「名なきもの」と呼ばれるこの地の精霊たちの大巫女となるべく教育を受けさせられます。  彼女が大巫女となる儀式は「玉座の神殿」で執り行われ、その儀式が象徴するのは「永遠に生まれ変わる(死を超越した もしくは 死そのものの)巫女」の再来ということのようです。  

因みにその儀式は白覆面で顔を覆われた男におおきな刀でクビを落とされるという象徴的な行為が黒装束の男たちによって止められることで始まります。  この儀式によって、普通の人間(生ける者)であったテナーは死に、「名なきもの」に捧げられた「食らわれしもの」(≒ アルハ)となるのです。  アルハとなったテナーはアチュアンの墓所の「玉座の神殿」の大巫女となり、そこは男であればどんなに身分の高いものであっても踏み入れることは許されない聖域でした。  もっと言うならそこは普通の巫女であっても立ち入られる場所が限られており、神殿の地下に広がる墓所の地下迷宮を統べることができるのは大巫女のみという実に閉鎖的な世界です。

普通の人間だったテナーがこの儀式によって得たものは何だったのか?と言うなら、誰も自分の言うことには逆らえない「大巫女」というポジションと、あの儀式で自分の首に向けられた刃のような殺意・・・・だったような気がします。  それも善悪というような価値観を超越した「ひたすら死だけを求めるような根源的な殺意」とでも呼ぶべきものだったのではないかと・・・・・。  それをさらに助長させていくのが、複雑に入り組み何年もかけて手さぐりと記憶のみでアルハが探索していった地下迷宮の「永遠に続くように思われるような暗闇」と彼女に課せられた「政治犯の抹殺」という殺人行為だったのではないかと感じます。

ただ彼女は「生けるもの」だった時代の記憶のほとんどを失っていたとはいえ、辛うじて「生につながる何か」をその奥底に持ち続けていました。  だからこそ、彼女は「大巫女のお仕事」として与えられた最初の殺人を命じた後、悪夢に悩まされる日々を送ります。  ただその悪夢の正体が何なのか?を考える力は奪われています。  何故なら彼女が6歳の頃から受け続けてきている教育には「生」が含まれていないからです。  と同時に、この第2巻の主人公がゲドではなくテナー(アルハ)という女性である意味はここにあるのではないかと KiKi は感じました。  子を産む女性ゆえに根源的に持ち続けている「生」への拘り・・・・・のようなもの。  

 

さて、ここまでの「え? そうだったの?? 認知症」シリーズのエントリーでは、ばぁばの認知症介護の現場で発生した「寝かせてもらえないこと」「何でも拒否症状 with 暴言 & 暴力」、さらには「のべつまくなしのゴハン攻撃」の3つについてお話させていただいてきました。  残るは2つ。  今日は「家中のコンセント抜き歩きプロジェクト」についてです。

ばぁばは認知症に罹患する前は「実によくできた主婦」でした。  何をするにも「やりっ放し」「出しっ放し」「点けっ放し」という欠点を持つじぃじを補佐して、片づけをしまくり後始末を恙なく終え、点けっ放しの電気を消し、出しっ放しの水道の栓を閉めて歩くということを文句の1つも言わずに黙々とやっていました。  この結婚以来50年位続けてきた「生活維持活動」は認知症に罹患してもどこか根本にあたる部分だけは残るようでして・・・・・・(苦笑) 

もっとも片付けに関して言うなら昔なら「あるべき場所に戻す」ことができていたのが、今では行き当たりばったりでたまたま目についた押し入れの中に突っ込んでみたり、冷蔵庫やら食器棚といったばぁばが「入れ物」としか認識できなくなってしまった「箱もの」の中に押し込むようになってしまったので、同居介護を始めた KiKi にしてみれば「出しっ放しのままにしておいてくれた方がよっぽど楽」だったりもしたわけですが・・・・・。  そして「点けっ放し」に関して言うなら、KiKi が入浴中の浴室の照明を消されちゃうわけですから良し悪しという感じだったわけですが・・・・・・。  

そしてその「点けっ放し」を放置できない習慣の延長線上に突如として出現したのが、「家中のコンセント抜き抜きプロジェクト」でした。  例えば充電中の携帯電話然り、例えば Windows Update やバッテリーリフレッシュ真っ最中のPC然り、例えば光通信のルーター然り、例えば家族が観ている真っ最中のTV然り、例えば稼働中のエアコン然り、例えば炊飯中の炊飯器然り、例えば洗濯中の洗濯機然り・・・・・。  とにかくコンセントが差さっているのを目にすると片っ端から抜いて歩くのです。

ばぁばが手をつけなかったのは(と言うよりは実際はコンセント自体が見えなかったから手を出さなかっただけだろうけれど ^^;)冷蔵庫のコンセントぐらいのものです。  傾向としてはパイロット・ランプがチカチカしているコンセントはとにかく気になって仕方ない。  ばぁばなりのロジックによれば


「火事になる」


とのことで、何度説明してもコンセントが差されたままであっても安全であることを理解しません。  

一応大学では「英文学」なんちゅうモンを学んだ KiKi が児童文学を自分の後半生のライフワークの1つと思い定め「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶち上げた頃、残念なことにこの作品は岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。  「何故??」と思いつつもないものはしょうがない・・・・と諦め、こちらのソフトカバー版で Box 入り全冊を買い揃えました。  その後数年してジブリ映画の影響もあってかこのシリーズが岩波少年文庫のラインナップに含まれた時、KiKi がどれほど歯ぎしりしたことか!!  商売って言うモンはこういうモンと思い知らされた1つの印象深いエピソードとなりました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記1 影との戦い
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

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アースシーのゴント島に生まれた少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、真の魔法を学ぶためローク学院に入る。  進歩は早かった。  得意になったゲドは、禁じられた呪文を唱えてしまう。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記1 影との戦い
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

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少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、ローク学院で真の魔法を学ぶ。  血気にはやる高慢なゲドは、修業中あやまって死の影を呼びだしてしまい、きびしい試練にのぞむ.  (岩波少年文庫HPより転載)

ルイスの「ナルニア」、トールキンの「指輪」と並んで、三大ファンタジーと呼ばれることもあるこの作品。  実は KiKi が初めて出会ったのは大学時代でした。  もっともこの作品に子供時代に出会っても何が何やらチンプンカンプンだったかもしれません。  それはとりもなおさず、子供時代の KiKi がゲドと同じように「明るさ」、「カッコよさ」、「美しさ」に惹かれ、物を測る尺度のかなり大きな部分が「役に立つか否か」だったことに寄っていたからです。  そう言う意味では子供時代の KiKi にはゲドが出会う師たちの言葉の1つ1つがゲド同様にピンとこなかったような気がして仕方ない・・・・・ ^^;  と、同時に影の正体が何なのか?は分からずじまいだった可能性もあるような気がしています。

でも、幸いなことに KiKi がこの物語に出会ったのは大学時代でした。  そういう意味ではユングやフロイトも少しは聞きかじっていたし、哲学的な思考というやつもわずかながら芽生えていたし、更には自分の身の回りで起こっていることを懐疑的に考え直してみるという姿勢も少しずつ生まれていた時代に読んだことにより、印象に残る作品の1つになっていたように思います。

  

今日は久々にクラシック音楽関係のエントリーを。  と言うのも、現在 KiKi は自分のピアノレッスン曲としてモーツァルトのピアノソナタ K. 310(300d) とメンデルスゾーンのロンド・カプリッチオーソ Op. 14 の2曲に取り組んでいたんだけど、どちらもそろそろ熟成期に入ってきたので、ず~っと昔、この先生から教えを受けていた頃に言われたことを思い出して、そろそろ次の曲の譜読みを開始しようと考えたからです。  そしてその候補に選んだのが今年になって更新したばかりのこのリスト(いつかは弾きたい曲リスト)にも入っているこの曲です。

ショパン バラード第1番 Op. 23
ユニヴァーサル・クラシック  ASIN: B001RVITEA 演奏:C.ツィマーマン(pf)

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本格的なピアノの練習を再開してまだたった4か月。  本当だったらあのリストの中のもう少し難易度の低い曲(例えばグリーグの「抒情小曲集」とかシューマンの「幻想小曲集」とかチャイコフスキーの「四季」とかマクダウェルの「森のスケッチ」あたり)を手掛けるべきかな?とも考えたんですけど、そちらはもっと KiKi が年老いて、運動能力が衰えてからの楽しみにとっておくことにしました。  

と言うのもね、あの先生に言われたことの中に「新しい大曲に取り組むことができる限界は50代までと考えておいた方がいい」というのがあるんですよ。  で、自分の最近の衰え方(体力、気力、視力、記憶力)や認知症に罹患したばぁばの様子(アルツハイマーが遺伝するならば、ばぁばの姿は将来の KiKi の姿とも言える)を見ているとこの言葉が現実のものとして迫ってきている危機感(?)みたいなものをヒシヒシと感じずにはいられない今日この頃・・・・。  だったら、残された50代の日々のうちに「本命候補たち」にできるだけたくさん手をつけておく必要がある・・・・・と思っちゃったっていうわけです。

因みにこの「バラード 第1番」は東京でピアノレッスンを受けていた最後の頃に半分位譜読みをしたことがありました。  そういう意味では「中途半端に手をつけた作品」として認識されているため、KiKi としては何となく落ち着かない気分にさせられちゃう目の上のタンコブ的な存在だったんですよね。

 

蠅の王 W.ゴールディング

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先日、ヴェルヌの「二年間の休暇」を読了した際に、自分が過去に読んだ「十五少年漂流記」と「蠅の王」をごっちゃに記憶していたことに気がついちゃったので、もう一度2つの作品をちゃんと読み比べておこうと思い立ちました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

蠅の王
著:W.ゴールディング 訳:平井正穂  新潮文庫

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未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。  大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へと駆りたてられてゆく...。  少年漂流物語の形式をとりながら、人間のあり方を鋭く追究した問題作。  (文庫本裏表紙より転載)

「二年間の休暇」で KiKi が感じていた「できすぎ感」みたいなものの正体は、やっぱりこちらの作品にあるリアリティに多分に影響されたものであったことが確認できました。  あっちの作品とこっちの作品で大きく異なる点の1つに「少年たちが既に顔見知りだったか否か」というポイントがあると思うんだけど、「二年間の休暇」では無人島に漂着した少年たちの行動規範に「協力し合って生き延びるんだ」という強い合意が常に存在したけれど、この「蠅の王」ではその行動規範自体がものすごく緩い・・・・。  これはやっぱりそれなりの統率・秩序があった寄宿学校で暮らしていた子供たちが漂流したのか、たまたま今回の旅で一緒になった子供たちが漂流したのかの違いによる部分が大きいと思うんですよね。

とは言っても、やっぱり小さな子供達というのはあの「二年間の休暇」の中の下級生たちほどは聞き分けの良いものではないのが本当だと思うし、漂着生活の中では着るものに不自由したり、髪が伸び放題になってボサボサになったりするのが自然だし、森に自生する果実を手当たり次第に食べていたらお腹を壊したりするのもリアルで、そういう面ではやはりこの作品の方が真実味はあると感じられました。  

「二年間の休暇」では漂着した少年たちの中にたまたま貴族趣味の少年たちがいて彼らが「腕の良いハンター」だったという前提条件さえありました。  だから、食肉を得るためには島に自生する動物を銃で撃ってそれから捌くというどちらかというと洗練された(?)手段で行われていたのに対し、こちらの少年たちは時代こそ下れど銃を持ちません。  そのため彼らは食肉を得るために野性の豚をなぐり殺すという、結果は同じでもどこか凶暴性があるように感じられる手段になってしまっているのが印象的です。  そしてその延長線上に彼らが好んで歌い・踊る、あのセリフがまるで物語の通奏低音のように流れます。

「獣ヲ殺セ! ソノ喉ヲ切レ! 血ヲ流セ!」

時代背景的には「二年間の休暇」の方が古い時代に起こった出来事なんだけど、どちらかと言えばあちらの物語は環境こそ変われど少年たちがやっていることは常に「普通の生活ができていた頃」の延長線上にあります。  そこに比べてこちらの物語の少年たちの生活は文明社会から一気に狩猟時代に突き落とされた感があり、そのギャップの中で喘いでいる印象があります。

  

じぃじのひざかけ 進捗状況

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沼津の実家で終了させていたじぃじのひざかけのチョキチョキ作業。  その後10月15日にはお布団の上にピースを並べて布の配置を決め、一段ずつの束作り(↓)を終了していました。

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今回のキルトは一段が7枚のピース、それが9段繋がる63枚のピースで構成されます。  だからこうやって1段ずつ布を束にして保管しておかないと何が何やら判らなくなってしまうのです ^^;

その後実家の庭仕事の合間やら伊豆高原の老人ホーム見学への合間やらを縫って少しずつ繋ぎ始め、さてLothlórien_山小舎に帰り着いたからあっという間にキルトトップはできあがるだろう・・・・・と思っていたんですけど、それ以来疲れ & 帰宅の安堵のせいか風邪をひいてしまいました ^^;  ついでにずっとお天気が悪いことにより KiKi の持病といってもいいような「低気圧不調」にも悩まされ続け、なかなか完成にこぎつけません(涙)

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こちら(↑)が今日現在の KiKi のアトリエの風景なんですけど、左上の籠の中がこれから繋ぐピースの束、左下が、今まさに繋ぎ始めるピースの束、そして右下の箱の中が各段ごとに繋ぎ終えたものです。

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とりあえず繋ぎ終えたのが5段。  布の上に置いた白い紙に「5」って書いてあるんですけど、この写真ではそれがよく見えないみたいですねぇ・・・・。

そしてこれから繋がなくちゃいけないのが後4段。

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今日はこれからこれを少しずつ繋いでいきます。  何とか日曜日までにキルトトップを完成させ、どんなに遅くとも11月1日からはキルティングに入りたいと思っているんですけど、どうなることやら・・・・・。  いずれにしろ可能ならクリスマス・プレゼントに、どんなに遅くともお年玉代わりにじぃじにプレゼントできるように頑張りたいと思っています。


沼津への帰省中に割り込んできた「電子書籍積読本読了企画(? 企画というほどのものでもなかったけれど ^^;)」によりちょっと中断されて思いのほか時間がかかってしまったけれど、再び「岩波少年文庫」に戻ってきました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

二年間の休暇 (上)
著:J.ヴェルヌ 訳:私市保彦  岩波少年文庫

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休暇で六週間の航海に出るはずだった寄宿学校の生徒たち。  ところが船が流され、嵐のはてに無人島に漂着してしまう。  少年たちは力を合わせて、島での生活を築きあげていく。  「十五少年漂流記」として知られる傑作冒険小説。  完訳。  (文庫本裏表紙より転載)

二年間の休暇 (下)
著:J.ヴェルヌ 訳:私市保彦  岩波少年文庫

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さまざまな困難にもめげず、無人島の生活を充実させていく少年たちだったが、ブリアンとドニファンが対立を深めてしまい・・・・・。  そんなとき、島に悪漢が上陸し、ドニファンに危機がせまる。  少年たちは、無事に故郷に帰ることができるのか?  (文庫本裏表紙より転載)

最近ではこの物語の標題も「二年間の休暇; Deux Ans de Vacances」という著者がつけたタイトルどおりに翻訳された本が多いようですが、KiKi の子供時代にはもっぱら「十五少年漂流記」というタイトルで知られていました。  だから恥ずかしながらこの本が出版されたのを知った時、KiKi 自身はこの物語があの「十五少年漂流記」であることをちゃんと認識していませんでした ^^;  ま、それはさておき、子供時代に KiKi が読んだその「十五少年漂流記」は先日ご紹介したこの「世界少年少女文学全集」の中の1冊で抄訳版でした。  ですから今回が「全訳版」の初読体験となります。

以前、「ロビンソン・クルーソー」の Review にも書いたけれど、あの本といいこの本といい、KiKi の子供時代にはどちらかといえば「男の子向き」の本としてカテゴライズされていたように思うんですよね。  実際、KiKi も抄訳版の「十五少年」を楽しく読んだけど、当時の自分とは異なりやたらと生活力旺盛な彼らにどこか「できすぎ」的な感想を抱いたうえに、「冒険」とか「自活」というお話にはあまり興味がなかったせいもあって、何度も何度も繰り返し読むには至りませんでした。

その後、大学時代に W.ゴールディングの「蠅の王」に出会い、どうやら KiKi の頭の中ではこれら2冊の本がごっちゃになってしまっていたようです。  時代設定も、ストーリーも、「漂流記」という共通点こそあれ全然違うのにね・・・・・(苦笑)  だから今回の読書では時折、「あれ?  こうだっけ??」と戸惑うことも多く、そういう意味では初読と同じくらいの驚きや意外性に楽しませてもらいました(笑)

   

ダーリン & KiKi が同居介護をしていた約半年、最初にめげたのは「寝かせてもらえない」ことでした。  そして次に精神的に滅入らせてくれちゃったのは「何でも拒否症状 with 暴言 & 暴力」でした。  知り合いやらご近所さん、親戚の方たちなんかに

「ご両親も KiKi ちゃんには感謝されているわね~♪」

な~んていうことをよく言われたものですが、実態は「感謝」なんていう言葉とは程遠い・・・・・。  何せ、何でも拒否しまくりのうえ、時に暴言や暴力が飛んでくるわけですし、そこまでいかなくても口癖のように言うのは「意地悪された。」、「嫌なことばかり言う。」、「ほっといて!」の3拍子。  別に感謝して欲しいと思っていたわけではないけれど、こちらの善意が悉く通じない相手との共同生活というヤツは「じゃあ、勝手にしろ!」という気分をもたげさせるには十分すぎるわけでして・・・・。

そんなささくれた気分でいる時に、「ご両親も~」みたいな発言を聞かされるとその方に悪意がないことは百も承知なんだけど、正直な所かなり複雑な気分になります。  そのお一人お一人にわが家の生活実態を説明する気力もなければ、ばぁばがそこまで壊れてしまっていることを宣伝するのも悲しすぎるわけで、適当に

「はぁ。  だといいんですけど。」

みたいな受け答えをすることになります。  すると、これまた善意丸出しで

「絶対、そうよぉ~。  そうに決まっているじゃない。  あなたにも生活があるのに大変よねぇ・・・・。  偉いわぁ。」

なんていう念押しまでされちゃうと、返す言葉にも詰まります。  「偉くなんかないよ。  だって今日も『じゃあもう勝手にしろ!』な~んて思ったぐらいだし・・・・・。」と思い出し、自己嫌悪に陥ります。  そして、同居していなかったらできていただろうあれこれが否応なく思い出され、情けなさや焦燥感を感じたり、何をしてあげても感謝されるわけではないことを逆に思い知らされ、その事実に少なからず傷ついたりもします。  でも介護の実際はそんな個人的な想いに浸っている余裕はありません。  だいたい「お茶をゆったりと飲む」ことさえできなかったりもするのです。  今日はそのお話です。

先に挙げた2つに追加で KiKi を滅入らせてくれちゃったのは、「朝から晩までのべつまくなしに続くゴハン攻撃」でした。  要介護4の認知症患者は満腹中枢も正常には機能していない(?)ので自分が食事をしたか否かは覚えていません。  だから、最初のうちはばぁばのこのゴハン攻撃は 「何かを食べさせてほしい」という意思表示だと思っていました。  でも、しっかりと3度の食事はしていたので食べ過ぎでお腹を壊してもいけないと思って、このセリフを聞くたびに「ふわふわのお煎餅を2枚ぐらい」 とか 「りんごを一切れ」とか、いわゆる「おやつ」を出したりしてみました。  それでも結局

「ごはん、ゴハン、ご飯」

と言い募ります。  これが食事から30分とか1時間以上経過しての発言だったらまだいいんだけど、たった今ご飯を食べ終わり、ようやく食器のあと片付け終わって「さてお茶でも一服・・・・・」と椅子に座りかけた時なんかにもやられるわけです。  そこで仕方なく

「朝ごはんは今、食べたのよ。  忘れちゃった??  お昼ごはんまではまだ4時間以上あるから、しばらくはご飯のことはお休みにしない?」

な~んてことを言ってみるわけですが、返ってくるのは

「私は食べていませんよ。」

という返事か

「あら、そうなの。  じゃあ、もうちょっとしたらお昼の支度をしなくちゃね。」

のどちらかで、「食べていない」という時はとにかく何かを食べさせなければ治まらないし、「もうちょっとしたら」という時は、そのもうちょっとが1分と立たないうちに経過して、また

「今日のご飯は?」

と言い続け、これがエンドレスで続きます。  これにはほとほと参りました。  でもね、そうこうしているうちにこの「ゴハン攻撃」にはいくつかのバリエーションがあることに気がつきました。  「今日のご飯は?」で終わってしまうことが多いんですけど、ごく稀にそれにもう少し長いセンテンスが続くんですよ。  それはね、

「今日のご飯は何を食べたいですか?」 

「今日のご飯は何人ですか?

「今日のゴハンはもう仕掛けてあるんだったかしら?

というようなもので、まるでお母さんが子供や亭主に問いかけているような雰囲気なんです。  この時点でばぁばは全くと言っていいほどお料理ができなくなってしまっていたし、仮にばぁばに1人で食事の支度をさせてみると、冷蔵庫に入っているもの(時には食材そのまま)をテーブルに並べてボンヤリしているのが関の山だったので、KiKi は無意識のうちに「ばぁばにはもう食事の支度はできない」→「食べさせてあげるのが当たり前」→「ばぁばも食べさせてもらうのが当たり前だと思っている」と決めつけていたようなところがあったんだけど、どうやらばぁばはできる・できないは別にして「食事の支度をして食べさせてあげたい。」と思っているのではないか?  そんな風に思い当りました。  多くを忘れ去った記憶の残骸として「主婦のつとめを果たさなければ」という意識だけは残っているんだ・・・・と。  

自分がもう料理はできないことは忘れていて、仮に上記の質問に「今日はトンカツがいいかな。」「今日の食事は全部で4人よ。」「ゴハンはまだ仕掛けていないからよろしくね♪」と返事をしたとしても、それが実行できるわけではないけれど、それでも「何かを作って食べさせたい」という意識だけはものすご~く強いのかもしれない・・・・。  そうだとしたらとにかく何かを作ってもらう(一緒に作るというべきか?)のが一番かもしれない・・・・・。


昨日 Review した「日本人が知らない世界と日本の見方」と同様に、過去に Sony Point 消化のために購入した「電子書籍積読本」を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

嘘だらけの日米近現代史
著:倉山満  扶桑社新書

41TPDQMXHJL._SX230_.jpg  (Amazon) (Sony Readers)

リンカーンは極悪人、ウィルソンは狂人、ルーズベルトはスパイ、クリントンは破壊者etc.  ペリーを鼻であしらっていた江戸幕府。  アメリカを怯えさせた大日本帝国。  ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った日本etc.  気鋭の憲政史研究者が本当の歴史を明らかにする。  (Amazon より転載)

いやはや、面白い本(?)が世の中にはあるものです。  しかも Amazon のカスタマー・レビューを眺めてみると結構多数の人が読んでいるうえに、星の数でいくと平均レーティング(?)が4.1??  まあこの本を購入して読んでみた KiKi が言うのも何ですけど、どうやら「昨今の日本が右化しつつある」という世界の認識はあながち間違っていないのかもしれません ^^; 

KiKi は基本的にはこの本に書かれている「アメリカとはこんな国」という記述の大半は正しいと思っています。  それでも、この本には心の底から同調することができません。  何て言うかどこか喧嘩腰(しかもその喧嘩の相手が誰だかよくわからない ^^;)なうえに、煽動的な空気が充満している気がして、それが鼻について仕方ない・・・・。  さらに言えばアメリカをぼろくそに言っている割には著者の論旨の進め方は極めてアメリカ的で、ある意味で善悪を極端に分けて、どこから引用したのかも定かではない「通説」と呼ぶ考え方を提示し、これに対してこれまた極端な皮肉や罵声を浴びせかけてメッタギリにしている感じがします。  これって、KiKi がよく知っていたかつての上司(米系企業で本社から送り込まれてきていたトップマネージメント)の皆々様方の喋り方にそっくりです(苦笑)

アメリカという国は確かに著者が言うように「正義は我にあり」と妄信し、その正義をたてに善悪の二極対立構造を演出したうえで、彼らが「悪」とみなした相手を徹底的に叩き潰す・・・・・みたいな傾向が強いけれど、それはこの本もそっくり一緒だと感じました。


14日~19日にかけての群馬→沼津→伊豆高原→沼津→東京→群馬(老人ホーム経由)の旅の間、現在遂行中の「岩波少年文庫全冊読破企画」のための1冊、「二年間の休暇」を持ち歩いていました。  でも結局そちらには手をつけず、実家にいる時しか読むことができない世界少年少女文学全集の中から「ジャングル・ブック」をまずは読了しました。  さてその次は?と考えた時、スケジュールの関係でとても読了できそうになかった「世界少年少女文学全集」のその他の作品は諦め、東京で区役所とか金融機関を歩き回りながら読むのに便利な電子ブックに手を出しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

日本人が知らない世界と日本の見方
著:中西輝政  PHP電子

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「戦争の教訓」は第二次世界大戦ではなく第一次世界大戦にあった!  トルコはなぜEUに入れない?  「アンチ・グローバリゼーション」へ向かう世界潮流とは?  社会人を含めて聴講希望者が多く講義録の刊行が待たれていた授業が、満を持してこのたび、書籍の形で世に出ることになった。  解説学問に成り果てた従来の国際政治学の枠組みを超えて、日本の国家像と戦略を指し示すことで、「世界と日本の見方」がクリアになる一冊。  ゆとり教育で学ぶ世代が増え、日本人自身が世界はもちろん、「日本の見方」さえわからなくなっている現在、本書はそれらを知る絶好の機会といえよう。  元となった京都大学での講義は「現代国際政治」と銘打ったものであるが、テーマは近代日本史から戦争の仕組み、革命の正体、世界秩序の構築といったものまで幅広く、読んでいて飽きさせない。  さらに歴史の因果関係や国同士のかけひきを知るなど、大人が読んでこそ楽しめる授業内容である。  (Sony Reader Store より転載)

この本は別に以前から読みたいと思っていたわけでもなく、存在を知っていたわけでもありませんでした。  たまたま9月の末で有効期限が切れてしまう Sony Point があって、捨てちゃうのも勿体ないし何かあれば・・・・と Sony Reader Store を覗いてみたらその切れちゃうポイント見合いの本の中で、「これなら読んでみてもいいかも♪」と思えたのがこの本だけだったので、とりあえず購入してみました。  大学を卒業して早○0年余り。  たまにはアカデミックな本を読んでみるのもいいかなぁ・・・・なんぞと殊勝なことを考えてみたっていうわけです。

実は KiKi は大学時代(2回生から3回生に進学する時)にそれまで専攻していた「英文学」でこのままいくのか、はたまた別の方向に進むのか悩んだ時期があったんですよね~。  その時に考えた別の方向っていうヤツが「国際関係論」で、たまたま大学の一般教養課程で選択した「国際関係論」の授業に嵌っちゃって、学問としてはこっちの方が面白そう!なんぞと考えたんですよね~。  その時は、当時の指導教授(英文学の教授)に相談して、結局は説得されて英文学の道を継続することにしたんだけど、心の中のどこかに「国際関係論」とか「国際政治論」への興味はわずかながらもくすぶり続けていたんですよね。  ま、てな背景があって見つけたこの本だったので、「あの京大での現代国際政治の講義」という帯(電子書籍だから帯はないけど・・・・ ^^;)の文言は実に魅力的だったっていうわけです。

さて、読了してみてまず思うのは、「え?  これがあの京都大学の講義??」ましてや「3回生や4回生も聴講生には含むレベル?」というのが率直なところでした。  何て言うか、「天下の京大にしてこのレベル??」と思っちゃった(苦笑)  もちろん読み物としては面白かったし、アカデミックな世界からは随分遠のいた今の KiKi にしてみれば忘れかけていたあれこれを反芻できて楽しい読書体験だったんだけど、京大みたいな最高峰に位置するとされる大学での講義であってさえも KiKi が卒業した大学のあの「国際関係論」の授業と比較して、決して高いレベルとは感じられない・・・・・。  これが現代日本の知的文化レベルだとするとちょっと将来を危ぶんでしまいそうな想いに囚われました。

我儘なじぃじ

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じぃじは大正生まれ。  7人兄弟の末っ子です。  戦争体験があるうえに子供時代に住んでいた池袋のお屋敷は東京大空襲で焼け落ちてしまったので人並みの苦労はしてきているのですが、それでも父親(KiKi の祖父)がお金持ち(但し早世)だったため、静岡県は興津なる町(西園寺公望の別邸やら井上馨、伊藤博文の養子の博邦、松方正義らの別荘があった所)に別荘を持っていたので復員後に帰る家はあったし、その別荘という名前のお屋敷にもお手伝いさんがいたりした、いわゆるお坊ちゃん育ちです。  金持ちの末っ子で年長の兄弟とは親子ほども歳が離れ、お手伝いさん付きですから当然のことながらかなりの我儘です。

祖父が金持ちだったとは言え、本人はしがないヒラの教員だったし、祖父の遺産はその大半が戦争で失われてしまったため、KiKi が育った環境は決してお金持ちのそれではなく、いわゆる普通のサラリーマン並みの生活でした。  でも、じぃじは独立するまで「お坊ちゃん」として育てられた人なので、どこか金持ち趣味的なところがあります。

その金持ち趣味が顔を出すのはまずは食べものです。  着る物や時計・靴といった装身具系、車というような道具系にはまったく拘りを持たない人で、スーパーの安売り製品や大衆車で満足できちゃうんですけど、食べ物に関してはちょっとうるさいんですよね。  キャビアやらフォアグラといった高級食材に対する拘りはないけれど、お茶なんかはスーパーのお徳用とか玄米茶は論外だし、コーヒーもインスタントはダメ。  紅茶も日東紅茶はダメだし、ティーバッグも許せない。  牛肉は輸入肉は論外で黒毛和牛の切り落としならOKみたいな感じです。

そんなじぃじなので、当然のことながら老人ホームの食事が口に合いません。  現在入居している老人ホームは体験入居の際から「食事が口に合わない」と言っていたのですが、認知症を患い要介護4のばぁばと一緒に入居できる環境だったために「食事はそのうち慣れる・・・・」と言って自分で複数の候補の中から選択した場所であるにもかかわらず、KiKi が訪問するたびに文句を言っています。

さて、そんなじぃじの所に、実家で暮らしていた頃に資料を集めた中の1つの老人ホームからお手紙が届きました。  当時、その老人ホームは満床で受け入れてもらえる余裕がなかったため、候補から外されていたところだったんですけど、たまたま今回空き部屋ができたので、勧誘のお手紙を実家に送って下さったのです。  現在、実家は留守宅になっているので、郵便局に郵便物の転送依頼を出してあります。  結果、老人ホームにその手紙(宛名は KiKi 宛)が転送されてきたわけです。

そのホームは住み慣れた静岡県であるうえ、じぃじの大好きなエリアでもある「伊豆高原」にあります。  そして同封されたパンフレットには静岡県ならではの駿河湾で採れた魚のお刺身やら天ぷらの写真が載っていました。  そんなものを見ちゃった暁にはじぃじの我儘癖がムクムクと頭をもたげ、いてもたってもいられなくなっちゃうこと間違いなしです。  そして案の定、前回 KiKi がばぁばのひざかけをお届けしに老人ホームへ行った際に、「ここを見てきてくれ」とのたまいました。


さて、退院して以来、とにかく夜も寝なければ昼も寝ない(つまり昼夜逆転ではない)で、家の中を徘徊して回るばぁばでしたが、これ以外にも「え? そうだったの??」となってしまったことが多々あります。  その中の1つは「何でも拒否症状」です。  しかもこれ、静かに拒否するだけならまだしも、時に暴力(と言っていいかはわからないけど)や暴言がついて回ります。

ばぁばの最初の KiKi に対する暴力はお風呂の中。  退院して2ヶ月ほどは毎日お風呂介助をしていたのですが、その際にとにかく気に入らないこと(しかもこれに法則性のようなものがないだけにタチが悪い)があると、盥を投げつける、お湯をぶっかける、石鹸を投げつける、叩くと様々なことをしてくれました。  さっき法則性がないと書いたけれど、そもそもお風呂に介助者がついてくることが気に入らないのですよ。  でも、大腿骨を骨折して人工骨頭を入れたばかりのばぁばは、とにかくお尻をついてしゃがむことが禁じられていました。  でも、お風呂という場所はしゃがむ機会のやたらと多い場所なんです。

特に我が家の場合、じぃじもばぁばも、何十年というものお風呂の椅子を使ったことがありません。  洗い場でしゃがんで体を洗って80年以上の人生を過ごしてきました。  だから、せっかく介護保険で調達したお風呂グッズの用途を理解しません。  ばぁばにしてみると介護用シャワーチェアーなんぞは洗い場を狭くした邪魔くさいもの以上でも以下でもないのです。  そのうえ自分が骨折した記憶がないから、どんなに説明してもシャワーチェアーに坐ることを拒否します。

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KiKi としてはお風呂場でしゃがんでから再び立とうとした時に変な力が足にかかって、お医者さんが仰っていたように人工骨頭が外れちゃって再び手術な~んていう辛い思いはさせたくないし、ましてあの看護婦さんたちとの攻防戦を繰り返すのは御免こうむりたいわけで、何とかこの椅子に座ってもらおうと言葉を尽くすのですが、ばぁばにしてみるとこれまでの自分なりのお風呂流儀を踏襲したいうえに、とにかく指図されることが気に入りません。

結果、手近なところにある洗い桶をひっつかんで投げつける、石鹸(ボディシャンプーの類は使わないので、「♪牛乳石鹸、良い石鹸♪」を使用)をひっつかんで投げつける、意味不明のことを叫ぶと大騒ぎです。  体に触れると嫌がることはわかっていたので、KiKi は決してばぁばの身体には触れなかったので物を投げつけられるだけで済んだけど、それでもとにかく拒否が凄いんです。  KiKi が睡眠不足からくる貧血でぶっ倒れた日、じぃじがお風呂介助を交代してくれました。  でもじぃじは「体を触られることを嫌がる」ことを理解しておらず、無理やりこのシャワーチェアーに座らせようとばぁばの肩に触れたらしいんですよね。  要するに力づくで座らせようとしたわけです。  すると、こちらには強烈なピンタが飛んできたとのこと・・・・・ ^^;

時は2月。  正真正銘の真冬です。  毎日、毎日 KiKi はお風呂介助が終わるとなぜかずぶ濡れになっていて風邪をひきそうでした。  これでばぁばの動きからほんのちょっとの間でも目を離しても大丈夫な状態だったら、一緒に裸になってお風呂に入っちゃったほうがよかったぐらいです。  でも、オチオチとお風呂につかっていられる状態でもなかったため結局はこちらは洋服を着たままお風呂介助エプロンを装着してのお風呂介助でした。  さて、ようやく入浴が終わると、今度はそのずぶ濡れ状態のまま、次のお仕事が待っています。  それは着替え介助です。

ばぁばはボタンを留めたり外したり、ファスナーを上げたり下げたりといった着衣の動作にはまったく問題がありませんでした。  ところが問題は別の所にあって、その第一が「何をどの順番で着たらいいのかわからない」ということがありました。  要するに「はい、じゃあまずはこれを着て・・・・・  次はこれね」と順番に手渡していけば1人で洋服を着ることができても、すべてを1人でやらせようとすると、本来下に着るべきもの(たとえば下着)を何かの上に着ちゃったり、目につくところにじぃじの衣類なんぞが置いてあればそれを着ちゃったりとメチャクチャでした。

そのうえ、お風呂介助が必要だった時期は骨折した側の足が上に上げられないので、パジャマのズボンを履くにしろ、靴下を履くにしろ、足を通すところまでは介助が必要でした。  ところがこれが気に入らない。  こちらはずぶ濡れの体を拭く余裕もない中での着替え介助なので、できるだけさっさと着替えさせたいのに、意味不明のお喋りをしてなかなか着替えようとしてくれなかったり、ようやく着替えが始まってもすぐ手が止まっちゃったりもして、とにかく時間がかかります。  そのうえ、ズボンや靴下の足通しの介助をしようとすればそれを拒否するうえに、日によっては足蹴(骨折していない方の足で)が飛んできます。  ばぁばに蹴られて鼻血が出たこと数度・・・・・。

幸い、もう若くはないとは言え、まだまだ反射神経がさほど衰えていない KiKi は辛うじて足蹴をかわすことによって鼻血程度で済んだけど、あれ、当たり所が悪ければどうなっちゃったことやら・・・・・。  しかも悲しいのは鼻血を流している KiKi を見ても、自分が足蹴を食らわせたことは一瞬のうちに忘れちゃっているので


「あら、あなた、どうしたの??  鼻血が出ているわよ。  何かにぶつけた??  綿はどこだったかしら・・・・・。  大丈夫??  少し横になった方がいいんじゃないかしら??」


な~んていうことを実に心配そうに言うんですよ。  のど元まで


「何かにぶつけたんじゃなくて、あなたに蹴られたの。」


と出かかるんだけど、その事実を突きつけたところで反省するわけでもなし(だって自分が蹴った記憶がそもそもない)、こちらの言うことを信用するわけでもなし、ただ単に


「私に意地悪なことを言うイヤな人」


という印象だけを残す(不思議なことに何をしたかとかどんなことが起こったかという記憶は一瞬のうちに消えちゃうのに、「あいつは嫌な人」「この人は優しい人」という記憶だけは残るんですよね~、これが)ことになるので、半分涙目になりながら


「大丈夫、大丈夫。」


と答えるしかありません。  この涙、蹴られた痛さ、他でもない自分の母親から蹴られたというショック、その認識のない母へのショックといろいろ入り混じった涙なんだけど、何かにぶつけた痛みか何かだと勘違いしているらしいばぁばは、涙をふくためのタオルを手渡してくれたり、背中をさすってくれたりとやたら優しかったりします。  その姿が逆に哀れで、止まりかかった涙が又噴出してくるので文字通りこちらは全身びしょ濡れです (苦笑)


本日の KiKi の読了本は子供時代の KiKi の宝物、「世界少年少女文学全集」の中の1冊からこちらの作品です。

ジャングル・ブック
著:R.キップリング 訳:西村孝次  河出書房新社 世界少年少女文学全集第4巻 イギリス編3より

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インドのジャングル。  赤ん坊の頃、狼の一群に紛れ込んだ人間の少年モーグリ。  熊のバルーや黒豹のバギーラの深い愛情に包まれ、賢く勇敢に成長する。  宿敵の虎シーア・カーンとの命をかけた闘い!  ディズニーアニメの名作の小説版。  (Amazon の同タイトル本の解説より転載)

この本では写真にもあるように「宝島」とこの「ジャングル・ブック」の2篇が収録されています。  そのため、「宝島」の方は全訳なんですが、「ジャングル・ブック」の方は抜粋版となっています。  実は「ジャングル・ブック」というのは長編ではなくて、短編集のような形の物語集です。  その中で「モーグリの兄弟」、「カーの狩り」、「虎! 虎!」の3編は狼に育てられた人間の少年モーグリが主人公となっており、それ以外の「白あざらし」、「リッキ・ティッキ・ターヴィ」、「象トゥーマイ」、「女王さまの召使たち」にはこのオオカミ少年は登場せず、彼が暮らすジャングルとは別の世界のお話になっています。  でも、もちろん作品全体のタイトルが「ジャングル・ブック」であることから明らかなように全ての物語で動物は登場するし、この動物たちが実に「人間臭い動物」たちであるという特徴を持っています。

今回、KiKi が読了したこの「文学全集」の中の「ジャングル・ブック」で取り上げられているのは上記7編の短編のうち「モーグリの兄弟」、「カーの狩り」、「虎! 虎!」 そして 「リッキ・ティッキ・ターヴィ」の4編で、オオカミ少年モーグリの物語は全て、そしてそれに追加でマングース vs. コブラの戦いにハラハラドキドキさせられるお話という構成になっています。  日本にマングースという動物が持ち込まれたのは明治時代で、目的はハブ退治だったらしいのですが、結果は惨憺たるものでハブを退治する代わりにニワトリやアヒル、野鳥などを襲いながら次第に数を増やしていったのだそうです。  そして、ついには沖縄にしかいない貴重な生き物・ヤンバルクイナが生息する森林地帯にまで生息範囲を広げてしまったとのこと。

今では「のだめちゃん」のおかげで私たち日本人にもそこそこ馴染みのあるマングースですが、KiKi 自身、ホンモノのマングースを見たことがなかったのですが、ネットで調べてみると数多くのマングースの写真が出てきます。

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↑ 何気に愛らしいマングース


でも、その気になると実は凄いんです!  こんな写真まで見つけることができました。

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↑ マングース vs. コブラの死闘(の剥製)


「リッキ・ティッキ・ターヴィ」の描写でマングース vs. コブラの闘いの激しさはかなり認識していたつもりだったけれど、こうやって剥製とはいえ実物の戦いぶりを確認すると怖いですねぇ・・・・・・・。


KiKi を培った本たちのご紹介

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せっかく実家に帰省したのに、生憎のお天気で当初予定していた作業ができなくなってしまいました。  台風が近づいていることは知っていたけれど、いろいろ都合があってこのタイミングでしか長距離移動ができなかったため、ここで強行してみたんだけど、奇跡は起こらず家籠り状態です。

ま、てなわけで、今日は実家でしかできないことをしてみたいと思います。  つまり実家に置いてある KiKi の蔵書(というより親を含む親類の皆々様から買い与えられた蔵書)のご紹介です。  かなりの量の本があるんですけど、今日はとりあえず「文学全集」とカテゴライズされるあたりをご紹介しておきたいと思います。  子供時代の KiKi の読み物はその大半がここでご紹介する全集と岩波少年文庫だったと言っても過言ではないと思います。  まずは・・・・・・

世界少年少女文学全集 全24巻 河出書房新社

こちら責任編集のメンバーが錚々たる顔ぶれです。  阿部知二、川端康成、高橋健二、坪田譲治、米川正夫、渡辺一夫の方々。  厚紙のサック、布張りの表紙で何冊か積めば漬物の重石にもピッタリの重量級です。(↓ 真ん中の段の青い背表紙のヤツです。)

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今回の帰省中の読書用に KiKi は岩波少年文庫の「二年間の休暇」の上下2巻を持ってきたんですけど、せっかく実家にいるのでLothlórien_山小舎でも読めるそれは横に置いておいて、この中の1冊を選んで昨晩から読み始めました。  それがこちら(↓)

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「宝島」はついこの間岩波少年文庫で読了したばかりだから、今さらこの本で読んでみるつもりはなかったけど、「ジャングル・ブック」の方は現在販売されている岩波少年文庫のラインナップの中には入っていません。  もちろんこの本は子供時代に読んだんだけど、どんなお話だったか今ではすっかり忘れちゃっている(主人公がオオカミ少年だったことはボンヤリと覚えているけど)ので、この機会に再読しておこうと思っちゃったっていうわけです。


今日はこちらの3冊をまとめて Review したいと思います。

やかまし村の子どもたち
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

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やかまし村には、家が3軒きり、子どもは男の子と女の子が3人ずつ、ぜんぶで6人しかいません。  でも、たいくつすることなんてありません。  ひみつの手紙のやりとりをしたり、かくれ小屋をつくったり、毎日楽しいことがいっぱい!  (文庫本裏表紙より転載)

やかまし村の春・夏・秋・冬
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

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やかまし村は、スウェーデンの小さな農村。  クリスマスにはショウガ入りクッキーを焼き、復活祭には卵パーティーで大盛り上がり!  夏休みには宝物を探しに湖の島へ。  子どもたちの四季おりおりの遊びやくらしを、生き生きと描きます。  (文庫本裏表紙より転載)


やかまし村はいつもにぎやか
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

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やかまし村の子どもたちは、楽しいことを見つける天才!  リーサが子ヒツジを学校へ連れていったり、みんなでオッレの歯をぬく作戦をたてたり、宝箱をめぐって男の子と女の子がかけひきをしたり・・・・・陽気な話がつづきます。  (文庫本裏表紙より転載)


やかまし村は、たった3軒の家で構成されている村で、そこで暮らす3人の男の子 & 3人の女の子(その後+1人の赤ちゃん)の日常が描かれています。  その6人の子供達の中の8歳の少女の一人称で語られる「遊びの毎日」は実に生き生きとしていて、少なくとも KiKi ぐらいの年齢の読者には遠く離れた国のお話でありながらも違和感を感じさせない物語なんじゃないかしら?  同じ作者の「ピッピ」のように奇想天外な登場人物が出てくるわけでもなし、「カッレ」のように大きな事件が起こるわけでもない。  でも読んでいて「あった、あった!  こういうこと。  KiKi の子供の時はね・・・・・。」と似たような体験を思い出させる何とも懐かしく、微笑ましい物語の宝庫でした。

登下校の際に石の上を歩くことを仲間内の決まりとして、万が一何かの拍子で地面に足をつけちゃうようなことがあったら「死んだことにする」な~んていう遊びは KiKi にも覚えがあります。  もっとも KiKi たちの時代は、その遊びには子供なりにちゃんとした(?)本当の理由がありました。  当時は舗装道路と言えば自動車道路限定でした。  そして急増していた「交通事故」から学童自動を守るために通学路は畑の中とか民家の軒先が指定されていて、そこは未舗装だったんですよね。  だから一度雨でも降ろうものならそこかしこに水たまりができちゃって、そこを歩くと靴はドロドロになるし、下手をすると靴下まで泥水が浸み込んで気持ち悪いことこのうえない。  だからどうにかして靴をドロドロにしないために石の上を飛んで歩くというのは必要に迫られていたことでもあったんです。

でも、それをそのまま口にしちゃったら余りにもつまらないし、まして程よい距離感で都合の良い石があるわけでもなし。  だからそこに遊びの要素を持ち込んで、「石から落ちたら死んじゃうということにしよう!」となったんですよね。  この物語を今回再読するまで、そんなことはすっかり忘れていたんだけど、読み進むにつれて飛び石下校にまつわるアレコレを鮮明に思い出しました。  本来「靴を汚さないため」の飛び石下校だったはずなのに、子供の跳躍力ではとうてい辿りつけない石しか見つけられなかった時に「えいや!」とばかりに飛んでみたら、結局大きな水たまりのど真ん中に落っこちて、挙句そこで足を滑らせて靴はおろか、スカートからブラウスまでドロドロになっちゃって、帰宅するや否や母に叱られたことまで思い出しちゃった・・・・・ ^^;

今日は「今日は移動日」のエントリーだけで終わらせる予定だったんだけど、食事の後、じぃじのひざかけのチョキチョキ作業を進めていたらそれが終わっちゃったので、一応もう1つエントリーを起こしておくことにしました。


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明日はこれを家具の置かれていない6畳間にせいせいと広げて布の配置を決めて、チクチク作業に着手する予定です。  もっとも、今回は用事があるからこそ実家に来ているわけで、そのもともと予定されていた作業を優先しなくちゃいけないから、どこまで進められるかは定かではないんですけどね。(苦笑)  

いずれにしろ今日は10月14日。  何とか年内に作り終えて「お年玉がわり」にじぃじにプレゼントできるといいんだけどなぁ・・・・・。  でもきっと又、直前で何か起こって予定通りにはいかないんだろうなぁ・・・・・。

今日は移動日

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今日は群馬→沼津の移動日でした。  朝の10時過ぎにLothlórien_山小舎を出て、ガソリンの給油をし、車のディーラーに寄ってエンジンオイルの交換をしてもらって、後はSA以外はどこにも寄らずまっすぐ高速を走り続けて実家に到着したのが午後5時20分。  疲れたぁ・・・・・。  てなわけで本日のエントリーはこれでお終い。  明日以降に「介護日記」の続きとか「やかまし村シリーズの Review」などのエントリーを書く予定です。

さて、ここで退院して以降のばぁばの日常生活の様子をすこしお話しておきたいと思います。  認知症の人の生活って実際に同居して一緒に暮らしてみないとわからないことがいっぱいあります。  昨年の12月のばぁばの緊急入院まで、KiKi は時折実家に帰省してはじぃじとばぁばの様子をそれなりに注意して観察していたつもりでした。  

でも、ひょっとしたら KiKi が訪ねた際にはある種の緊張状態でばぁばの症状が隠されていた部分があったのかもしれません。  もっとも、じぃじの話によれば入院前と退院後のばぁばでは別人のようになってしまったということだし、入院初日に看護婦長さんが仰っていたように KiKi の目から見てもばぁばは入院生活により一挙に認知症が悪化したとしか思えないところもあるんですけどね。

さて、入院生活中、ばぁばは数多くの問題行動をしでかしちゃったわけですが、これにどんな理由があるのか?を考えてみると「自分が思っているような排泄ができない」ということがきっかけになっていることが多かったように感じられました。  考えてみれば「排泄」という行為はある意味で人が人として生きるための根幹にある行為とも言えます。  何もわからない赤ちゃんならいざ知らず、オムツや尿取パッドで用を足すというのはある意味では屈辱的だし、昔はトイレのことを「はばかり」と呼んでいたように、どこか羞恥心と密接に関わる行為でもあります。

どんなに小さな子供でもトイレに入っているところを覗かれるのはイヤなものだし、まして見つめられている中で用を足すな~んていうのはせっかく出そうだったものも引っ込んじゃうということは自分にあてはめてみても容易に想像できることです。  ですから KiKi はある意味では自宅に帰って、使い慣れたトイレで、自分1人で用を足す(その後水洗で流して処理をするところまで含めて)ことができるようになればばぁばの問題行動は激減するのではないかと期待していました。

確かにあれほど繰り返された「おしっこ問答」は必要なくなったし、トイレと居間は隔離されているから不快感も激減したし、用を足す際には個室に籠ることもできるので羞恥心を刺激することもなくなったわけで、その部分では落ち着きを取り戻したのは事実でした。  でも、「排泄」の問題が解決しても次の問題が勃発するということがあっという間に表面化してきました。

その第一が屋内の徘徊でした。  せっかくじぃじとばぁばの居室を1階に移したものの、かつての自分の部屋が2階にあったということもあってか(でも、その家が自分の家であることさえわからなかったりもするんですけど・・・・・)、とにかく歩き回るんですよ。  

「階段は危ないからできるだけ使わないでね。」

「何で?」

「足の骨を折っちゃったこと覚えてる??  左足の付け根のあたりは、まだ痛いでしょ?」

「そうなのよ、何でこんなんなっちゃったのかしら?  歳をとるっていや~ね。」

「痛いのは歳をとったからじゃなくて、足の骨を折っちゃったからよ。  今はまだ完全には治っていないの。  だから階段で又転ぶと大変なことになっちゃうでしょ。」

「そうね。  わかりました。  階段は使わないようにします。」

そう言った30秒後には又、階段を上ったり下りたりし始めます。  退院してから3日ぐらいは我が実家の階段には手すりが装着されていなかったので、危なっかしいことこのうえない。  ダーリンがホームセンターで手すりを購入してきて、間に合わせに装着するまでは四六時中目を離せませんでした。

  

さて、半ば病院から追い出されるような形で退院することになったばぁば。  入院中にお願いした介護保険の認定調査を終えるや否や、その翌日にはあたふたと病院を後にしました。  KiKi は事前に約束していた退院時刻の2時間前には病室に行ったのですが、既に全ての荷物が雑然とビニール製の大袋に投げ込まれ、その荷造りの仕方にも「早く出て行ってくれ」と言わんばかりの気配が充満しているようでした。

「お忙しい中、荷物を纏めておいてくれたんだから・・・・」とできるだけ善意に解釈する努力はしてみたんだけど、家に帰って尿取パッドから紙オムツ、着替え、バスタオル、洗面用品といったものが全てゴチャマゼなうえ、順不同(尿取パッド10枚の上に歯ブラシ、紙オムツ5枚の上に着替え1着、尿取パッド10枚の上にバスタオル1枚、紙オムツ10枚の上にコップ・・・・みたいな感じ)に詰め込まれている様子から、いかにも投げ込んだという雰囲気が伝わってきて、とても悲しい気分になったことを覚えています。

ただ、「ばぁばが最後にしでかした事件のことを考えると、文句を言えた義理ではない」と思わざるをえず、結局は深々と頭を下げて「本当にお世話になりました。  入院中はご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。」と挨拶していました。  その気持ちに嘘偽りはないものの、お会いする看護婦さんやヘルパーさんたちが皆一様に晴れ晴れとした表情で、これまで以上ににこやかな様子なのにも何気に傷ついていました。

もちろん「退院を祝う」という気持ちがそこになかったとまでは思いません。  でも、これまでのアレコレからどうしても卑屈な気分になっちゃって、心の中で「厄介払いができてよかったですねぇ」と悪魔の KiKi が囁いているのを止めることまではできませんでした。  そしてそんな自分にも自己嫌悪。  でも、そんなことをゴチャゴチャと考えている余裕はありません。  いざベッドから降りて車に向かうとなったその瞬間から、病室の備品を持ち帰ろうとしたり、訳の分からないことを口走るばぁばを興奮させず、人様にご迷惑をかけさせず、転倒させずに誘導するだけでどっと疲労感が襲ってきました。

リハビリに関しては、まだあと2ヶ月ぐらいは続けた方がいいと言われていて、この時点では介護保険認定も下りていないということもあって、訪問リハビリを受ける資格の問題もあるため、週に2回、病院のリハビリ室に通うということで打ち合わせがしてありました。  と同時に退院後の執刀医の初診断(これが医療保険でリハビリを受けるために必須だということを後で知った)を退院の2日後に予定していると通達されました。  ばぁばの執刀医の先生は週一でその病院にいらっしゃる先生だったので、そのスケジュール自体は理解できたのですが、あと2日で診断だったらそれまで入院させておいてくれてもいいのに・・・・という想いが KiKi の頭をかすめました。  

でもまあ、その2日の間に又、ご近所の病室に不法侵入して用を足すようなことが起こったら目も当てられません。  病院から言われることは全て「はい、はい。」と受け入れ、病院が組むスケジュール通りに動くことが KiKi の中では当たり前になりつつありました。  それに輪をかけて手を焼くのがじぃじの対応で、これまでの病院のやり方に心底怒っていたじぃじは「もうこんな所には来たくもないし、1時間といたくない!」なんぞと我儘なことを言います。  まだまだリハビリでお世話にならなくちゃいけないのに、どこか喧嘩腰なじぃじをできるだけ急かして車まで連れて行きました。

車のドアを閉めた瞬間、誰にも聞こえる大きなため息を1つ。  自宅に帰り着いて、お茶を飲んで、じぃじとばぁばを新しい部屋に誘導して二人きりになった瞬間に、ダーリンが

「お疲れさん。  それにしてもすごい溜息だったなぁ。  車に乗った時。」

と笑いながら KiKi に言ったぐらいです。  

       

KiKi が「岩波少年文庫全冊読破企画」を思いつき、少しずつ文庫本のコレクションを始めて何年かが過ぎた頃、大学時代の指導教授の退官を嘗ての教え子たちでお祝いする食事会が企画されました。  その教授は英文学の教授だったのですが、そこに「同僚」としてひっそりと、実に控えめな風情で同席されていたのがこの本の翻訳者の私市先生でした。  この先生に KiKi は大学1年生のとき「フランス語講座」でお世話になったのでとても懐かしく、久々にお会いできたことがとても嬉しかったことを覚えています。  

その後、暫くして「岩波少年文庫」の「海底二万里」の訳者が誰あろうその私市先生であることを知りました。  ま、てなわけで不肖の教え子としては、これまで何度も挫折してきたこの物語、今回は覚悟してじっくりと最後まで投げ出さずに読むことを自分に課すことになりました。(苦笑)  本日の KiKi の読了本はこちらです。

海底二万里 (上)(下)
著:J.ヴェルヌ 訳:私市保彦  岩波少年文庫

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潜水艦「ノーチラス号」にとらわれの身となった、フランスの博物学者アロナックス教授、青年コンセイユ、カナダ人の銛打ちネッド・ランド。  思いがけない探検の旅に出た3人は、海底の神秘にふれて驚嘆する。  海洋冒険小説の名作。 (文庫本上巻裏表紙より転載)

太平洋から、インド洋、紅海、地中海を経て、ついにノーチラス号は未知の南極へと向かった。  海中で氷に閉じこめられてしまった潜水艦は、刻一刻と酸素が欠乏してくる...。  地上の人間社会を憎む、謎めいたネモ船長の正体は?  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この本はね~、子供時代から何度手に取ってみたことでしょうか??  ところが途中までで挫折したことが何と多かったことか!!  とにかく海洋生物の描写(しかもそれが写生的な描写というよりも 門・綱・目・科・属・種などで分類したお話)が続くところや、潜水艦の構造や動力の仕組みなんかの説明が続くところは文系頭脳の KiKi にはチンプンカンプンでねぇ。  これがせめて脇にこの物語に出てくる海洋生物が網羅されている図鑑でもあればまだ読み進むことができたような気もするんですけど、そうじゃないとその列挙のあたりで必ず睡魔に負けるんですよ(苦笑) 

本屋さんでこの本を見つけた時、「岩波少年文庫だから少年向けの抄訳版で読みやすいのかなぁ・・・」と淡い期待を胸に手に取ったんですけど、さすが(?)私市先生!  完訳版ですか。  それだけで正直なところ溜息モノで何度棚に戻しかけたことか・・・・・。  でも「岩波少年文庫全冊読破企画」なんですから、やっぱり避けては通れないし、嘗てお世話になった先生への敬意ということもあり購入に至ったわけです。  もっともそれからかなり長い間「積読状態」にしちゃっていたんですけどね(苦笑)

さて、今回の読書でも案の定、海洋生物の分類の辺りはやっぱり退屈。  ある意味でそこは半ば読み飛ばし状態で先へ進もうとするんですけど、結構その話の分量が多い・・・・ ^^;  でも今回は読破が目標ですから睡魔と戦いながらも先へ先へと読み進むと文学的な海底冒険描写あり、不思議な発見ありとなかなか楽しむことができました。  これであの生物分類記述が半分位だったら、超お気に入りの物語になるだろうなぁと感じることができました。

さて、いざ読了してみると、実に様々なことを考えさせられました。  今回の Review ではそのあたりについて記録しておきたいと思います。

今年の秋の KiKi のパッチワーク作業。  ばぁばのひざかけに引き続き、今度は じぃじのひざかけ作成にとりかかりました。  こうして結局は手元には残らないものを作り続けることになるのかしらん??(笑)  でもまあ、さしあげる相手があって何かを作るというのは考えようによってはか★な★り幸せなことなのかもしれません。  例えばゴハン。  1人分だけ作るとなると時によっては面倒くさいばかり・・・・という気分になっちゃうところ、食べさせる相手がいると少しぐらい体調が優れなくても結構ヤル気が湧いてきたりしますもんね♪

さて、昨日は届いたキットの布の水通しとアイロンがけのみで作業が終わっちゃったので、今日からようやく製図 & チョキチョキ作業に着手です。  この時点ではせっかくの一枚布を切り刻んでいるわけで、内心、「な~にをやってんだか?!」と思うこともあったりするんですけど、これがシンプルな四角つなぎであってさえも縫い合わされて、一枚布では到底味わえない風情を醸し出してくれるのを目にすると、「あ~、やって良かった♪」って思うんですよね~。  そこがパッチワークの最大の魅力です。

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今回のチョキチョキ作業は以前このエントリーでお話した「拘りのハサミ」でチョキチョキしています。  確かに以前使っていたハサミと比較すると布の切れ味が少しはいいんだけど、あの「糸切りバサミ」ほどには感動しないのは何故??  

それだけ「糸切りバサミ」は以前使っていたモノが悪かった・・・・っていうことなのかしらん??  考えてみると「布切りバサミ」の方は一応その名も「パッチワークばさみ」。  専用品だったんですよね~。

    

さて、齢88のじぃじの付き添いのまま、何とか継続されていたばぁばの隔離病棟入院生活。  ダーリン & KiKi はその間、午前と午後の2回(それぞれ2時間ずつ)のお見舞い(実家と病院の往復の移動を合わせると3時間半ずつぐらい)を続け、その合間合間に役場へ行ったり、地域統括支援センターに行ったりしつつもばぁばの帰宅準備のための大掃除 & お部屋の引っ越しに取り掛かりました。  

ばぁばの入院までじぃじとばぁばは2階の和室に和布団を敷いて就寝していたのですが、無事帰宅となっても階段はできるだけ使わない方がいいし、まして大腿骨を骨折した人は和の生活はもうできないと病院から言われていました。  そこで1階の空き部屋(と言っても色々な物が雑多に置かれていた)を退院後の2人の寝室と決め、そこに KiKi が子供時代に使っていたベッドを入れたり、昼間に過ごす部屋にゆったりしたタイプの椅子を新たに購入したりと大改造です。  同時に家中の段差という段差を調べ上げ、後日打ち合わせすることになるリホームの資料を作ったりと大忙し。

そうこうしているうちに、ばぁばのリハビリは着々と進み、ようやく病室にポータブル・トイレを入れるまでに回復してきました。  例の尿取パッドを使用中の「おしっこ問答」には誰もが辟易とし始めていた頃だったので、病院の理学療法士さん & 作業療法士さんから

「そろそろ、お部屋にポータブル・トイレを入れましょう。」

と言われた時には、ようやくこれであの「おしっこ問答」からは解放されると家族一同、ほっと胸をなでおろしました。  でも、そんなに事は単純ではなかったことをあっという間に思い知らされることになりました。

多くのことを忘れちゃっているばぁばなわけですが、変な(?)ことは覚えているんですよね~。  その筆頭が「これまで自宅で使用していたトイレは水洗だった」ということでした。

ポータブル・トイレが病室に運び込まれた時は、それを持ってきてくれた作業療法士さんにも丁寧にお礼を言ったし、「これで尿取パッドとはさよならできるわね?」と声をかけられると曖昧に頷いていたばぁばでしたが、今度はそのポータブル・トイレが自分の寝るベッドの脇に置いてあること、用を足した後に流す水道栓がついていないことにすさまじい抵抗を始めました。

もちろん、相変わらず自分が骨折をしたことも、手術を受けたことも、術後のリハビリのために入院中であることも忘れちゃっています。  そしてそのトイレで用を足すことを拒否します。  とは言え、ばぁばの病室は相変わらず看護婦さんが言うところの「隔離病棟」です。  「療養病棟」のトイレからはもっとも距離のある部屋にいる以上、まだそこまで通うことができるほどには回復していません。

少しだけ幸いだったのは以前の「おしっこ問答」では「今はまだ歩けないという話」と「尿取パッドを装着中という話」、更には「尿取パッドは優秀だ」という3つの組み合わせを全て理解しないといけなかったのがポータブル・トイレに変更になったことにより後の2つは言わなくても済むようになったこと(要は話のポイントが以前よりシンプルになったということ)・・・・・ぐらいでしょうか?

只、その代わりに今度は

「水はどうやって流すの?」

「このトイレは水は流れないの。」

「じゃあ、出しちゃったものはどうやって始末されるの?」

「ヘルパーさんか私がちゃんと片付けるから心配しないで。」

「いやよ、そんなの。  私はちゃんと水が流れるトイレに行けますから・・・・・。」

という会話にとって代わられただけ・・・・・だったんですけどね。  以前の「おしっこ問答」では1回につき30~1時間だったのが、今度の「おしっこ問答 Ver 2」では20~30分ぐらいに短縮されたことぐらいが良かったこと・・・・・だったでしょうか?(苦笑)  

ま、てなわけで、せっかく病室に運び込まれたポータブル・トイレは唯一の利用者にその利用目的を最後まで理解されないまま、病室に置かれていることになりました。  一応、家族が「おしっこ問答 Ver2.」の末に使用を促すことにより、ちゃんとその役目は果たしてくれましたけど・・・・。  ただ、ばぁばが病室にあるポータブル・トイレの存在を最後まで理解することができなかったという現実が次の大事件の遠因となったのも確かなことでした。


さて、散々だった KiKi の付き添いから1夜あけ、長距離ドライブ直後の初めての病院泊まり、夜中から明け方にかけてのばぁばの大乱闘で1時間ちょっとしか眠れず、挙句かなり手厳しい言葉を立ち聞きしちゃって気分はドンヨリ、重い頭痛と重い体を引き摺った KiKi を次に襲ったのは、執拗に繰り返される「おしっこ問答」でした。  

手術が終わるまでのばぁばはベッドに括りつけられたままの日々を送っていたのですが、事排泄に関しては比較的落ち着いていました。  と言うのも、小の方は尿道カテーテルが入れられ、本人に何ら自覚がないままに排泄終了となっていましたし、大の方はオムツでそれなりに(と言うよりこれもそこそこ凄まじかったけど ^^;)抵抗は示したものの、回数が圧倒的に少ないうえ、ばぁばの場合異食もなければこねくりまわすといった問題行動もなかったため、介護者の負担がさほど大きいものではありませんでした。

ところが手術が終わり尿道カテーテルが外された時から、介護家族は一日に何度も、そしてこれが始まると30分~1時間ぐらいはこれ一色となってしまう「おしっこ問答」に振り回されることになりました。  ばぁばの手術は大腿骨骨折ですから、手術直後は当然のことながら自力でトイレに行くことはできません。  ところが、肝心要のご本人は、自分が骨折したことも、手術を受けたばかりであることも、今はまだリハビリの初期段階で1人では歩けないことも覚えていません。  記憶にあるのは問題なくトイレに行くことができていた自分だけです。

まだリハビリの時間以外は動き回ること自体を禁止されていた初期の頃(ちょうどこれが KiKi の付き添い時とタイミングが重なりました)、尿取パッドを使用していたのですが、とにかくこれを理解することができません。  

「ここはトイレはどこ?」

「あのね、トイレはとっても遠いから今は行けないの。」

「どうして?」

「あなたは足の骨を骨折しちゃったから、まだ歩けないのよ。」

「骨折?  どうして??」

「転んじゃったらしいわよ。」

「何で?」

「さあ、夜中だったから、寝ぼけちゃっていたか、暗くて何かに躓いちゃったか・・・・。」

「じゃあ、おしっこはどこでするの?」

「今はここでするしかないの。」

「ここってどこ??」 (あたりを見回しトイレを探す素振り・・・・)

「ここよ。  このベッドの上。」

「いやよ!!  だってビチャビチャになっちゃうじゃない。」

「大丈夫。  今はこれを着けているから。」 (尿とりパッドの実物を見せる)

「これ?  これを今、私は付けているの?」

「そう。  これはね、生理のナプキン、覚えてる?  その何百倍もパワーがあって、あなたのおしっこの3回分ぐらいはちゃんと吸収してくれるの。」

「そんなもの必要ないわよ。  私はトイレぐらいちゃんと1人で行けますから。」

「あのね、ここのトイレはもの凄~く遠いし、今はまだ1人じゃ行けないの。」

「どうして?」

「あなたは足の骨を折っちゃったから、まだ歩けないの。」

「でも、おしっこしたい時はどうすればいいの?」

「今はここでするしかないの。」

「ここってどこ??」

「ここ、ベッドの上」

「嫌よ!  だってビチャビチャになっちゃうじゃないの。」

「大丈夫、これが全部吸ってくれるから。  これを今付けているのよ。  これ、生理のナプキンの何百倍も吸収してくれるから、ベッドは絶対に汚れないの。」

「へぇ・・・・・そうなの凄いわね。  で、ここはトイレはどこ??」

(以下上記を繰り返すこと20回以上)

少しでもばぁばの心配(濡れたベッドの上に横たわる自分のイメージ)を軽減しようと、本来だったら必要のないビニール風呂敷を準備してお尻の下に敷いてみたり、オムツのTV CM みたいに尿取パッドに水を吸わせて見せたりとありとあらゆる手段で納得させようとしても、尿取パッドの優秀性を一時的に納得することはできても、全体の理解にまでは及びません。  「自分が骨折した事」「今は歩けないという事」を忘れちゃうから、オムツの話に納得しても今は自分がトイレに歩いていけないことを忘れちゃう、骨折のことを思い出させた頃にはオムツの強力さの話は忘れちゃうという繰り返しです。

挙句、

「そんなにおしっこに行かせたくないんなら、我慢するからいい!」

と金切声をあげる始末。  そんなばぁばに手を焼いて、「どうすりゃいいんだ?」と途方に暮れていると、又々看護婦長さんが病室に顔を出しました。  ばぁばの拘束紐がしっかり結ばれているのを確認すると、

「KiKi さん、ちょっと・・・・・・。」

と又病室から呼び出されました。  背後から「トイレ、トイレ」と叫ぶ声が聞こえるなか、ばぁばは放置で KiKi は仕方なしに婦長さんに連れられて病室を出ました。  内心、「こんな状態で放っておいていいんだろうか?」と気が気じゃないわけですが、昨晩の大騒ぎ、今朝がたナース・ステーションで立ち聞きしたことがありますから、冷や冷やものです。


ちょっと暗いエントリー(KiKi の介護生活の思い出話)が続いているので、ここいらでもうちょっと前向き(?)な話題を1つ。  つい先日、ばぁばのひざかけが完成してプレゼントしたお話をさせていただきました。(完成時のエントリー喜ぶばぁばのエントリー)  で、ばぁばにひざかけをプレゼントした日にはおまけのお話が2つほどありました。  そのうちの1つはもう間もなく、別のエントリーでお話することになると思うので今日はちょっと横に置いておきますね。  で残りの1つが今日のこのエントリーの主題です。

実は・・・・ですね。  先日、あのキルトをばぁばにプレゼントした時、その場に同席していた同じ老人ホームに入居しているじぃじがその様子をじぃ~っと無言のまま見つめていました。  でね、そのじぃじの眼差しが実に雄弁で、と~っても羨ましそうにしているんですよね。  で、暫くは無言状態に耐えて(?)いたんだけど結局黙ってはいられなくなったらしくて、口を開いたんです。  何を言うのかな?と思えば

「最近、だいぶ寒くなってきたから夜、足元が冷えるんだよ・・・・・。」

なんぞとぼそっとのたまうのです。  ま、何気に「自分にも何か作って欲しいなアピール」をしているっていう感じでしょうか(笑)

わが家の場合、本来なら年長の父が何事も優先になってもおかしくないはずのところが、じぃじは「要支援1」だし頭もしっかりしているし、とりあえず自力歩行もできれば食事も問題なしという状態です。  対するばぁばは「要介護4」でアルツハイマー型認知症で、問題行動も結構激しく・・・・・ということで、どうしても何事も母優先になっちゃいます。  そういう意味では実に可哀相な爺様なんですよね~。(苦笑)

でも、KiKi だって決してじぃじのことを忘れていたわけでも蔑ろにしていたわけでもありません。  実はいつもお世話になっているベアーズ・ ポーさんの夏のセールの際にあの「オールド・ファッションド・キルト」と一緒に「お昼寝キルト Ver. 5」(↓)を同時購入させていただいていました。  これはこの「お昼寝キルト Ver.5」をじぃじ用にと考えてのことでした。 

 

2013_Aug08_IMG_8337.jpgのサムネール画像


ただね、実はこれには裏話があって、その時から本当ならじぃじ用は同じショップの「チェックとストライプのキルトキット」(↓)がいいだろうなぁと思っていたんですよ。  ただ、その時点ではそのキルト・キットは Sold Out で販売停止中だったんですよね。  で、次善の策ということで選んだのが「お昼寝キルト」だったんです。  もちろんこの「お昼寝キルト」も、KiKi 個人としてはと~っても気に入っているものだからこそ購入させていただいたわけだけど、齢89の爺様向けにしてはちょっと可愛すぎるでしょ? (笑)


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ところが数日前、ベアーズ・ポーさんのサイトにお邪魔してみたら、この「チェックとストライプのキルト」が復活販売されているじゃあ~りませんか!  そうなると、どう考えてもじぃじ用のキルトは「お昼寝キルト」よりも「チェックとストライプのキルト」の方がよさそうに思えてきました。 

ま、てなわけで10月6日の夜に注文メールを発信。  そして今日、そのキットが到着しました。

    

さて、夜中のトイレ通いが原因で、病院から追い出されることになった付添人のじぃじ。  なんとかじぃじを傷つけないようにということで「体が辛いだろうから・・・・」とか「適度なタイミングで交代も必要だから・・・・」とか「今後の介護生活のことを考えたら私たちが倒れるわけにはいかないんだから・・・・」等々と言葉を選びながら交代を促すんですけど、なかなか首を縦に振りません。  「お前たちも沼津と群馬を移動したばかりで疲れているんだから・・・・」とか「私は軍隊時代にもっと辛いことを経験しているし、鍛え上げているから大丈夫・・・・」とか「どうせ家に帰ってもばぁばのことが心配で眠れないんだから・・・・」なんぞと言い募ります。  挙句、「私はもう共倒れは覚悟しているけど、お前たちに倒れられたらそれこそ大変なんだから・・・・」なんぞという訳のわからないことまで言い出す始末です。

そこで仕方なく看護婦長さんに言われたことをかいつまんで伝え、病院としては入院患者ではないじぃじの心配まではできないし、何かあった時には責任が取れないからと言っていることを伝えました。  それを聞いたじぃじはさすがにかなり傷ついた表情をしていたのですが、一応納得はしてくれて、その日の夜は試しに KiKi と交代することに同意してくれました。  まあ、その間も周りで起こっていることにはまったく無関心のばぁばが執拗に繰り返す「おしっこ問答」(この詳細は後日、お話します。)に悩まされ、頭は爆発しそうです。  

さて、いよいよ面会家族が帰るという段になると、ばぁばの激しい抵抗が始まりました。  じぃじが

「じゃあ、明日又、会いに来るからね。  今日は私は家に帰るけど、 KiKi が泊まってくれるから淋しくないだろう?」

と声をかけると、悲痛な声で

「やだ!!  置いてかないで!  KiKi って誰?  そんな人、知らない!!」

と叫びます。  娘のことがわからないばぁばしてみれば、じぃじに置いて行かれることだけが不安をかきたてる要因で、叫ばずにはいられないほどであることは頭ではわかります。  でも、KiKi にしてみればそれこそ群馬→沼津の移動の直後で、せめてこの夜ぐらいは家でゆっくり休みたいのが本音なのに、それに輪をかけての拒絶を耳もとで叫ばれると、そのショックたるや生半可なものではありません。  

最初に KiKi のことが判らなかった時のショックも半端なものではなかったけれど、この時の KiKi は半ば放心状態。  目の前にいる母は母であって母でない人。  見知らぬ老婆以外のナニモノでもありません。  そんな状態のばぁばを前に今度は一度は納得したじぃじが KiKi に向かって言い始めます。

「ほら、こんな状態だから・・・・。  交代してあげようっていうお前の気持ちは嬉しいし、病院の言っていることもわからないじゃないけど、やっぱり付き添いは私じゃなきゃダメだと思うぞ。」

と半分諦めたような、半分勝ち誇ったような口調です。  再び「付き添い交代議論」を繰り返し始めている KiKi たちを尻目にばぁばは

「みんなで私を捨てようとしている!  私のことが嫌いになったんですか!?  だったら私はどこか他所へ行きます!!」

と叫び続け、ベッドから降りてこようとします。  くどいようですが、ばぁばは大腿骨を骨折し、この時点ではまだまだちゃんと歩ける状態ではありません。  でも残念ながら認知症に侵されたばぁばの脳は自分が骨折したことも、手術を受けたばかりであることも、リハビリの最中であることもすぐに忘れてしまうのです。  その為、家族全員が揃って面会している時間以外はベッドに拘束されていました。  ふと目を離した隙に骨折していたことを忘れてベッドから降りようとして、又は歩き回ろうとして再び転ぶようなことにでもなったら、目も当てられないからです。  でもこの2度目の「付添人交代議論」を KiKi たちが繰り広げている間は家族全員が病室に顔を揃えている状態だったので、拘束が解かれていました。

この議論には積極的には参加していなかったダーリンがベッドから降りようとするばぁばを必死になって押しとどめようとしたのですが、「火事場の馬鹿力」とはよく言ったもので、どこか遠慮のあるダーリンよりも必死度で勝るばぁばの力の方が上をいっています。  慌てて議論を中断し、加勢に加わるじぃじ & KiKi。  でも3人掛かりで押さえようとすればするほどばぁばの興奮度はそれに比例してアップしていきます。  家族の場合、ここで力づく・・・・とはどうしてもいかず、宥めたりすかしたりしながらベッドの上に居続けさせよう、興奮を鎮めようとするわけですが、とにかくベッドから降りること以外には何も考えていないばぁばには太刀打ちできません。

そしてこの大騒ぎに気がついた看護婦さんが数人、病室に飛び込んできました。  そして KiKi たちの目の前で暴れるばぁばを押さえつけ、ベッドに括りつけました。  もちろんばぁばの悲痛な叫びはそれまで以上に激しいものになり、病室は修羅場と化しました。  ばぁばの叫びがすすり泣きに変わった頃、じぃじが看護婦さんに向かって KiKi に対するよりもさらに勝ち誇ったような口調で

「もうこの人(ばぁば)には娘のことがわからないんです。  だから付き添いは私じゃなければダメなんです!  しかも娘は長距離移動で疲れているんです。  私は疲れていません!」

と言い募ります。  本来ならここで KiKi が何かを言うべきだったんでしょうけど、KiKi 自身はつい先ほど耳もとで叫ばれた「KiKi って誰?  そんな人知らない!!」ショックの延長線上にあって、目の前で起こっている全ての出来事が現実とは思えないまま、ただひたすら茫然としていました。  すすり泣き続けているばぁばの背中を機械的に、ほとんど何の感情も湧かないまま撫で続けていました。  その後、看護婦長さんとじぃじの間で何事やら会話が交わされていたのですが、すべてが無声映画みたいな感じで KiKi の耳にはほとんど何も届きませんでした。

     

さて、完全看護のはずの病院から終日の付き添いを依頼(というより命令?)されてしまった KiKi。  ここで大きな問題が発生しました。  何せ、ダーリン & KiKi は緊急事態ということでとにかく取るものもとりあえず・・・・という状態で KiKi の実家に帰省していました。  つまり自分たちの着替えだって必要最低限のものしか持ってきていなかったし、何よりも自分の家の始末だって十分とは言えない状態で飛び出してきていました。  

冷蔵庫の中には生ものを含め食料品がいっぱい詰まっている(何せ山小舎暮らしでは近くにお店がないから、どんなものであれストックが必要なんです)し、一応水道の水抜き(← これ、山小舎暮らしだと冬には絶対に必要です。  これをちゃんとしておいたって水道管が凍り付いて後日色々なトラブルが発生したぐらいですから)だけはしてきたけど、気になるところは一杯あります。  更に、税金や社会保険関係だってこれまで村役場に直接納税に行っていたからこのままいつ終わるとも知れぬ介護生活に突入しちゃったら「滞納 → 延滞金」となっちゃうこと確実だし、更に更にダーリンの通院予定日だって控えていました。

当然のことながら KiKi たちの移動には我が愛犬のノルンちゃんもご同行なわけだけど、ワンコグッズ(餌とかおしっこシーツとか)だって我が家には在庫がいっぱいあるのに実家に運んだのはほんのその一部です。  これらはもちろん実家付近でも購入可能だけど、餌なんかは一応「賞味期限」みたいなものもあるので、みすみすその在庫の全てをゴミ箱に捨てちゃってもいいやと思えるほどにはダーリン & KiKi はお金持ちでもありません。  冬越えするための最低限の畑仕事だってまだ残っていたし、とにかくこのままなし崩し的に実家に居続ける前に、何はともあれ一度は自分たちの家に帰らなければいけませんでした。

もっと言うならこの時点でダーリンは通院している病院から過去に心筋梗塞で入れたステント部分の血流を確認するために一度検査入院を考えた方がいいと勧められていて、それをどうするかも相談しなくちゃいけませんでした。  その準備の一環として通常の通院(これは薬をもらうため)以外にもいくつかの「通い検査」の日程も既に組まれていました。  つまり、ダーリン & KiKi は可能な限り沼津にいることはできても、このまま沼津で即同居と決められる状態にはありませんでした。

ところがばぁばが入院した病院はそんなこちらの都合には全く頓着せず、「何はなくても付き添いだけはしてもらわなければ困る」という勢いで迫ってきます。  結局この時は齢88の爺様が付き添いをすることになりました。  実際問題として、ダーリン & KiKi は群馬へ行かなくちゃいけないし、爺様は1人では生活できない人だし、そうじゃなくてもばぁばのことが心配で夜もろくろく眠れないじぃじは自分からその役目を買って出てくれました。

正直なところ、年寄りにそんなことはさせたくなかったけれど、状況が状況(つまり物理的に付き添いができるのはじぃじだけだった)だし、じぃじ自身もばぁばの側にいて様子を見ていた方が安心できると言うし、何よりもばぁばはもはや KiKi のことを忘れちゃっているわけで、見ず知らずの人間だとばぁばが思っているKiKi が付き添うよりはじぃじが側に居てくれた方が落ち着くことも確かです。  ま、てなわけで、それから約1週間、ダーリン & KiKi はLothlórien_山小舎に一時帰宅し、じぃじが付き添うことになりました。

   

さて、ここまでは「介護保険」に関してあれこれ綴ってきたわけですが、そして、これまでお話してきた以上にこの後もこの介護保険に関しては「え? そうだったの??」と思うことが満載なわけですが、ここでちょっと寄り道してこの「介護保険申請」と並行して発生していた事件についてお話しておきたいと思います。  よく「介護家族の孤立化」という話を耳にしますが、KiKi 自身がそれを最初に痛感したのが今日からお話する事件(?)と介護保険申請手続き上で発生したあれこれ(その1、 その2、 その3)が同時発生したことにより追い詰められた気分に陥ったことが原因でした。

このブログでは何度もお話しているように、KiKi の介護生活はばぁばが自宅台所で転倒し、大腿骨骨頭骨折という大怪我を負ったことから始まっています。  帰省翌日にばぁばの入院した病院を訪ねた KiKi は嫌になるくらいたくさんの書類を渡され、それに署名・捺印し、色々な人から色々なことを聞かされと大忙しでした。  その中で病院がしきりに強調していたのは

「ここは完全看護の体制を敷いている病院ですから、ご家族の付き添いはご遠慮いただいています。」

ということでした。  我が家の場合、これはある意味では願ってもいないシステムでした。  大正生まれのじぃじは家事一切ができない昔気質の人です。  ばぁばがいなければご飯も食べられなければ、洗濯も掃除もできない、自分の着替えがどこにあるのかさえ正確には把握していない、そんな人なんです。  しかも「片づける」ということが昔から苦手な人で、どんなものでも出したら出しっ放し、やり始めたらやりっ放し。  その面倒を見ながら・・・・となると毎日お見舞いに行くのが精一杯。  とてもじゃないけれど付き添いな~んていう洒落たことができるような状態ではありませんでした。

しかも・・・・です。  これまでの KiKi は帰省しても自分にあてがわれた部屋かリビングにいることが多く、ましてじぃじとばぁばの寝室の押し入れの中だとか、洋服ダンスの中なんて覗いたこともなかったんですけど、いざばぁばがいないということでそれらを空けてみたらビックリ仰天!  何事もキチンとしていたばぁばだったはずなのに、洋服ダンスの中の洋服はメチャクチャだし、押し入れに至っては「ここはゴミ入れか?」というように雑多なものが詰め込まれ、ものすごいことになっていました。

ま、てなわけで、お見舞いに行かない時間には家中の大掃除に着手し、たまっていた洗濯物やら洋服ダンスに押し込まれていた「最後に洗ったのはいつ?」というような衣類を洗濯したりと大忙し。  買いだめしたまま仕舞い込んで変色しちゃっているお砂糖だとか、ペットボトルに色がついちゃって見た目もドロドロになっているお醤油やらを廃棄処分したりと、とにかく休む暇もありません。

それでもばぁばの手術が終わるまでの数日は忙しいながらもそこそこ普通っぽい生活ができていました。  それはたまたまばぁばが入院した病室がナース・ステーションのお隣の個室だったこと、更には尿道カテーテルを装着されていたために、この後発生する「おしっこ問答」に煩わされることがなかったからです。  ばぁばが緊急入院したのは12月27日の夜でした。  その病院では整形外科の先生はすべて「通い」の先生で、特に大腿骨骨頭骨折の処置ができる先生は週一でその病院にいらっしゃる先生でした。  年末年始を挟んだというタイミングの悪さも手伝って、手術予定日は1月4日になり1週間余りは痛み止め以外には手を下すこともできないまま時間を過ごさざるを得ませんでした。

  

このエントリーでもお話したように、今日は午後からできたてほやほやの「オールド・ファッションド・キルト」を引っ提げて、じぃじとばぁばのご機嫌伺いに行ってきました。  今日はお天気が悪かったので、「黄昏症候群」の傾向もあるばぁばはご機嫌斜めである可能性がとても高かったのでそれなりの覚悟をしての訪問だったんですけど、とりあえずお迎えの第一声は比較的明るかったのでほっと一安心。  で、早速あのできたてほやほやをプレゼントしました。  すると・・・・・


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見てください、この満面の笑み!!  広げちゃってポーズをとって写真におさまろうとするなんてこれ以上の表現はないだろうというぐらいの喜びの表現で、こちらが嬉しくなっちゃったぐらいです。  本当、久しぶりにこの笑顔を見られただけでも、このキルトを作った甲斐があったというものです。


もっとも・・・・・・・・


帰りしなに、


「じゃあ、○○さん。  今日プレゼントしたひざかけ、寒いときには使ってね♪」


と声をかけた時には


「はぁ?  プレゼント??  ひざかけってどれ???」


とのお答え(因みにキルトは丁寧に畳んでベッドの上)だったので、使ってもらえる可能性は限りなくゼロに近いかもしれません(苦笑)     

やっと完成しました!  ばぁばのひざかけ、「オールド・ファッションド・キルト」です。  途中、汗まみれになって手が止まったり、五十肩(?)で完成が危ぶまれたりと色々ありました。  でも、できあがってみればそんなことは遠い昔の空の下(つい最近の出来事もあったけど・・・・・)。  何はともあれめでたい!!  今日の午後はこれを引っ提げて、じぃじとばぁばのご機嫌伺いです。


ま、てなわけで、あくまでも記録としてこの完成をお祝いし、お披露目しておきたいと思います。  では行きますよ。  まずはドラムロール。  そして


  パンパカパ~ン!!





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以前のエントリーにも書いたけど、シンプルな四角つなぎに落としキルトというジミも地味。  何のひねりも細工もないキルトです(苦笑)  でも大事なことは本格的な寒さが襲ってくる前にプレゼントするということだからこれはこれで良しとすることにしましょう。

    

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椅子の背もたれにひっかけるとこんな感じ。  布の配置はもっと何とかなったんじゃないか?と思わないでもないけれど、まぁ、さほど悪くもなさそうだから、これも又良しとしておきましょう(苦笑)  

これを畳んで(↓)


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100円ショップで購入したラッピング袋に入れて(↓)プレゼントの恰好が整いました。  東京だったらオシャレなラッピング用品が佩いて捨てるほど売られているけれど、この辺りではどこへ行けばそれらが入手できるのかさっぱりわかりません ^^;  ベイシアだとかカインズホームを訪ね歩いてみたけれど見つけられず、結局カインズホームのお姉さんに教えてもらった売り場候補地が100円ショップでした。  

「80歳を過ぎたおばあちゃんへのプレゼントにこの袋?」と思わないでもなかったけれど、そこはまあ仕方ありません。  田舎暮らしが身についてくると「あるもので間に合わせる精神」がどんどん鍛え上げられます。


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さて、ばぁばはこのプレゼントを喜んでくれるでしょうか??  何事であれ「プレゼント」と言えばその瞬間だけはそこそこ喜んでくれるだろうけど、一瞬の後にプレゼントされたことは忘れちゃうんだろうなぁ・・・・。  そして最大の難関は使ってくれるかどうかなんだけど、そこは期待しすぎると悲しくなっちゃうこともあるだろうから、できるだけ淡々と事実だけを受け入れる心の準備はしておかないとね。        


申請手続きだけで介護家族をイライラさせてくれちゃったばぁばの介護保険。  それから1週間、どこからも誰からも何の連絡も入りません。  まあ、ばぁばの場合、大腿骨骨頭骨折後のリハビリという用事もあるし、認知症の問題もあるわけで、更には入院代支払いで家計が破綻するということでもなかったために、入院が長引いたからといって問題があるわけでもなかったからいいんですけど、いったいいつになったら退院日程が決められることやら・・・・・・。

そしてそこから更に3日ほどが過ぎ、病院から帰宅してみると我が家の留守電にメッセージありのランプが灯っていました。  留守電メッセージは件の「認定調査の役場委託先」からで、認定調査の日程についてお話したいとのこと。  「家電ではなく携帯にと、申請書にも書いたし、窓口でも念を押したのに・・・・・。」とここでも又プチ・イラ!(苦笑)  でもまあ、これは役場の怠慢かはたまた委託先のうっかりかは定かじゃないから・・・・・と自分を納得させます。  とは言っても、KiKi のプチ・イラの矛先は当然あのあんちゃんに向けられていたわけですが・・・・・・(笑)

そして、留守電メッセージをいただいたのが金曜日の夕方、折り返し電話をできたのが月曜日の朝一とここでロスタイム2日。  そこからようやく認定調査の日程の打ち合わせが始まったのでした。  結果的に認定調査の日程は KiKi が病院から「いつでも退院OK」というお話をいただいてから2週間後でした。

認定調査に来ていただいた方はさすがにこういうケースを扱いなれていらっしゃる方で「役場から来ました」な~んていう無粋なことは一切仰らず、「○○さん、お久しぶりです。  入院されたと伺ったのでお見舞いに来ました。」と名乗ってくださり、最初は警戒心丸出しだったばぁばも笑顔を見せるようになり、穏やかなムードで本人との面談は終了しました。  基本、「ええかっこしい」のばぁばは調子よく調査員さんと会話をします。  ただ、自分の苗字は忘れちゃってるし、自分の誕生日も答えられないし、調査員さんが来る直前には「私は誰?」「私の名前は?」「この人(じぃじ)はあなたの何?」と予習をしてあったのに、じぃじのことは「お兄さん。」  KiKi のことは「お友達」と紹介するお惚けぶりを発揮していました(苦笑) 

ばぁばとの面談が終了すると調査員さんは病室の外に KiKi を呼び出し、ばぁばとの問答がどのくらい正確だったのかの確認やら最近のばぁばの様子の聞き取り調査をされました。  その後、病院の看護婦さんからも聞き取りをされるとのことでした。  そのうえで最後には「できるだけ早く認定結果が出るよう、善処させていただきます。」とまで仰ってくださいました。  あの役場のあんちゃんではなく、この人と直接申請手続きができれば良かったのに・・・・・と思ってしまうほど、介護家族を安心させる術をお持ちの方でした。

そしてその認定調査の翌日、ばぁばは無事(?)退院。  後は認定結果を待つだけとなりました。

ばぁばの退院の翌日、既に「地域包括支援センター」の計らいで決まっていたケアマネさんとの打ち合わせがありました。  本来なら認定結果が出てからケアマネさんが決まるというのが正規の流れなんですけど、我が家の場合はあの役場のあんちゃんを除くと関係者の誰もがその緊急性を認識してくださって対応していただけたのには本当に助かりました。  そしてそのケアマネさんに認定調査の状況をお伝えし、認知症というよりは「大腿骨骨頭骨折」の関係で必要となる「お風呂グッズ」のお話やら、自宅改修(バリアフリー)のお話などを進め、最後に再び「認定調査」のお話に戻りました。


連日、介護についてのエントリーに重きを置きつつある KiKi ですが、ちゃんと読書の方も着々と進めていますよ♪  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

オタバリの少年探偵たち
著:C.D.ルイス 訳:脇明子  岩波少年文庫

51JjBCH0HTL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

第二次大戦直後のイギリスで、戦争ごっこにあけくれる少年たちの物語。  ある日、みんなでかせいだお金が消えてしまいます。  犯人を見つけ、お金をとりもどそうとするうちに、いつのまにか、悪党一味の大犯罪があきらかに・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

物語冒頭はどこか先日読了したばかりの「飛ぶ教室」を彷彿とさせます。  メインの登場人物たちは男の子たちばかりだし、その子たちのリーダー的存在である二人の少年、テッドとトピーが率いるグループに分かれて戦争ごっこをしているあたりは「あれ?  つい最近、似たようなお話を読んだばかりのような・・・・」と思わせるに十分でした。  しかもその後も舞台背景やらやっていることこそ違えども、いかにも男の子的な友情と対立が描かれているあたりも、「お国や時代は違えども、いずこも男の子の遊びはこんなもの。」という感じです(笑)  ついでに、子供たちに無条件に好かれる大人(先生)が出てくるあたりもね。

この物語が「飛ぶ教室」とはやっぱり別物であることを感じさせるのは物語の途中からです。  対立する2つのグループの中のとある少年が学校の教室の窓ガラスを割ってしまったことから、その2つのグループはあの「三銃士」の「全員はひとりのために。  ひとりは全員のために。」な~んていうことを言いながら講和条約を結び、その窓ガラス代をみんなで協力して弁償するという素晴らしい判断をします。  でも時は第二次大戦直後。  子供どころか親だってその日を暮らすのが精一杯。  ましてこの主犯(?)の男の子に至っては両親を失って親戚に引き取られ肩身の狭い思いをしている毎日なので、保護者に「学校の窓ガラスを割っちゃったから、お金を頂戴」なんて言える状況ではありません。  

彼らはいくつかのグループに分かれてあれやこれやと知恵を絞って、お金を稼ぐ算段をし更にはそれを実行するわけですが、ここがこの物語の最初の見せ場になっています。  靴磨きのための作戦の部分なんて思わずクスリと笑っちゃいます。  路上売りのお手伝いをする辺りは「へぇ!  なかなかこの子たち、逞しいじゃん!!  将来はきっといい営業マンか広告マンになるんだろうなぁ」な~んて思わせてくれるしね。  このプロジェクト、名付けて「ガラス屋作戦」。  こんな状況であってもどこか「遊び半分」なのが、さすが男の子です。(笑)

で、彼らの努力の甲斐もあって彼らが試算した窓ガラス代にはお釣りがくるほどお金は集まったんだけど、な、な、なんとそのお金がなくなっちゃうんですよ。  当然疑惑はそのお金を預かった男の子に向けられます。  するとせっかく結んだ講和条約はいきなり吹っ飛んで、再び元の2つのグループ(若干の人員配置の変更アリ)に分かれ、今度は「法廷ごっこ」です。  対立するグループのリーダーが裁判官 & 検察で、弁護人もちゃんといます。  で、この裁判の結果、「何びとも有罪と証明されるまでは無罪であり、罪を証明する義務は検察側にある」という大人顔負けの論理性のもと審議保留となり、今度は「探偵ごっこ」に突入です。


1月7日、ネットからダウンロードした申請書フォーマットに必要項目を自宅で記入し、町役場の「保険福祉課」に足を運んだ じぃい、ダーリン & KiKi。  対応に現れた窓口職員は20代後半ぐらいの、いかにも世間知らず、いかにもお役所人間という「福祉」という言葉とは見た目およそ相性のよくなさそうな兄ちゃんでした。

提出書類を一瞥したこの兄ちゃん、開口一番、こう言ってのけました。


「手術されたばかりなんですよね。  じゃあ、退院日程が決まったらもう一度申請に出直してください。  この保険の趣旨は自宅生活を送れるようになるまで回復した時に「介護認定」することになってます。  手術直後はどうしても重症なように見受けられ、介護認定が必要以上に重くなって限られた財源を多く拠出することになりますから。」


えっとですね、KiKi も落ちこぼれながらも会計人としてその兄ちゃんの社会人生活の倍以上の時間を社会人として過ごしてきた人間ですから、言っていることはわかります。  でもね、物には言い方ってモンがあると思うんですよね。  制度の財政事情の話なんていうのは、はっきり言えば「他人事」の間はそれなりに大事だけど、当事者ともなればそれより大事なことが出てきちゃうんです。  しかも・・・・・です。  ばぁばが入院しているのは人工骨頭を入れたことによる要するに「整形外科」分野で、介護認定が必要なのは「認知症」の方なんですけど・・・・・・  そう思った KiKi の頭に病院の看護婦長さんの言葉やら、地域統括センターの方の言葉が蘇ります。

「役所は渋るかもしれない・・・・。  病院が申請するようにと言っていると言え。  骨折が申請理由ではなく認知症が問題なんだと言え。 etc. etc.」  そこでちょっとムッとするのを必死で抑え、できるだけ穏やかな声音で KiKi が口を開きます。


「あの、仰ることはわかるんですけど、病院からも地域包括支援センターからも、早く早くとせかされていますし、第一母の場合は整形外科の手術ゆえの問題と言うよりは認知症の・・・・・。」


するとその KiKi の言葉が終わらない前に、まるで遮るかのように


とにかく本来退院されてご自宅に戻られてから『認定調査』というのが正しくて、申請書によれば認定調査の場所は病院となっていますから、調査員を病院に送ることは送りますけど、それは退院スケジュールが決まってからです。」

「財源は限られているんですから。」


とまるで保険金詐欺をしようとしている人間に対応しているかの如く一方的かつ高圧的です。  しかも、KiKi が口を開きそうな気配を見せる度にこの決まり文句を声高に言い募り、KiKi に次の言葉を発する暇さえ与えようとしません。  そのあまりの高飛車な態度に思わず感情的になりそうなのを、「これもばぁばの今後のため。  お役所と喧嘩してもいいことは1つもない。」とぐっとこらえました。  そんな2人のやりとりを半分ツンボのじぃじはオロオロしながら見守っています。  この時ほど KiKi は「じぃじの耳が聞こえなくてよかった」と思ったことはありません。  こんなやりとりをちゃんとじぃじが聞き取ることができていたら、KiKi より先にじぃじの方が


「あんた、そんな言い方はないだろう!!  こちらは病院や地域包括支援センターに言われて手続きに来てるんだ。  そもそも人を保険金詐欺扱いするとは何事だ!!」


と怒鳴って大ゲンカをしていたことでしょう。

この時、KiKi は思いました。  公務員たる者、公共の利益を守るのが仕事ですし、限られた財源の中で住民サービスを行うのは大変なことだと思います。  とは言うのもの、仮にも「保険福祉課」な~んていう名前のところに配属された人は、もうちょっと人間的に成熟していただかないといらぬトラブルを生むなぁ・・・・・と。

  

先日このエントリーを書いて以来、どうも気分がモヤモヤとしている KiKi。  何にモヤモヤしているのか?と言えば「認知症介護現場の実際」がほとんど社会的には理解されていないような気がすることに端を発しているような気がしてきました。  KiKi 自身もこのLothlórien_Blog に「介護日記」というカテゴリーを設けてわずかばかりのエントリーを書いてきたけれど、どちらかと言えば「愚痴」に近いようなエントリーばかりで、どんなことが起こり、どんなことをして、その時にどんなことを感じ、どんな風に自己嫌悪に陥ったのかを文字にする時間的余裕も精神的余裕も持ち合わせていませんでした。

世の中には「認知症」について書かれた本や「介護生活」について書かれた本が数多く存在しています。  KiKi 自身もそういう本には何冊もお世話になったし、実際の介護生活で役に立った情報をいくつももらったのは事実です。  でも、それらの本に共通していたのはどこか「綺麗事」が書かれていたなぁということでした。  我が国では高齢化の進展とともに、認知症の人数も増加しています。  65歳以上の高齢者では平成22年度の時点で、7人に1人程度とされているのだそうです。  でも残念ながら決して他人事ではないこの認知症と向き合う生活がどんなものなのかについての情報はまだまだ足りていないように感じます。

介護疲れから主介護者が亡くなったケースもあります。  献身的な介護の末に限界に達し、被介護者を殺めてしまうケースもあります。  心中と言う痛ましい決断を下すに至ったケースもあります。  介護の実際を経験したことのない方の目から見れば「なぜ?」「追い詰められる前にできることがあったんじゃないの?」と思われることも多いのではないかと思います。  でも、KiKi 自身も手こそ下さなかったけれど心の中では何度もばぁばを抹殺したくなったし、何もかも投げ出して逃避したいと考えたことが何度もありました。  そこには KiKi の弱さがなかったとは言いません。  でもその時は「そうしなければ私がばぁばに殺される」とさえ感じていたのも又事実です。

認知症の症状は人によって千差万別なところがあります。  そういう意味では KiKi が経験・見聞してきたケースはほんのその一例で認知症に罹患された方全てにあてはまるわけではないし、認知症介護の現場で起こる出来事はそれこそケース・バイ・ケースです。  でも、認知症患者を抱えた介護家族は多かれ少なかれ、「まさか?が休みなく継続する日常」を、「終わりの見えない希望がないとしか思えないような生活」を送っているのは事実です。  ですから今後このカテゴリーでは綺麗ごとは極力排し、その実際がどんなものなのかを、KiKi の記憶が鮮明なうちに、しかもじぃじとばぁばを老人ホームに預けることによって、かなり精神的に落ち着いてきた今、できるだけ赤裸々に記述しておきたいと思います。  これは今しかできないことのような気がするのです。

今日はまずその第一弾。  介護保険に関するお話からです。

  

ノスタルジックな物語のようでいて、どこかよくわからないところのある物語を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ぼくらはわんぱく5人組
著:K.ポラーチェク 訳:小野田澄子  岩波少年文庫

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ぼくたちわんぱく5人組は、毎日それは忙しい。  だって、面白いいたずらが次々に浮かんでくるんだもの。  空箱を集めて街を作り火事遊びをしたり、ネズミをトランクに入れてお手伝いさんを驚かせたり、もちろんけんかもする...。  アウシュヴィッツ強制収容所に消えた作者が、チェコスロヴァキアの小さな田舎町で過ごした黄金の子供時代に思いを馳せて綴った遺作。  (文庫本扉より転載)

物語の最初の方は、ある意味では微笑ましく、ある意味では眉をひそめちゃうようなわんぱく坊主のいたずら物語です。  まあ、子供時代には優等生で、学級委員な~んていうことをしていて、ついでに女の子だった KiKi からしてみると、「いたずらの度が過ぎている」を思わないでもないお話の連続なんですけどね。

だって、この子たち、やたらと「火遊び」が好きなんですよ。  時代というのもあったのかもしれないし、住宅が密集する日本とは環境そのものが違うのかもしれないけれど(要するに子供が「火遊び」をしても飛び火して大惨事になるような環境じゃなかった)、それでもこんな遊び方が許されていいのか?と思わずにはいられなかったりするんです。  ま、だからこそ今の岩波少年文庫のラインナップからは外されちゃったのかもしれませんけどね。

友だち同士の喧嘩だとか、ちょっとしたことで「もうあんなヤツとは遊ばない!」と宣言したりするあたりは、実に子供らしい性急さが滲み出ていて、そんなことを言っていた舌の根も乾かないうちに結局は又つるんでいたずらに興じたりするあたりは、どこか KiKi 自身の子供時代にも似たような経験があったりもして、「ああ、あるある、こういうことって・・・・・」とノスタルジックな感慨に耽ります。

イマドキの子供とは違って外的な刺激がほとんどなかった時代の田舎の子供には、自分の街にごく稀に訪れるちょっとした非日常(映画とかサーカスとか)が、2020年東京招致のオリンピックに負けず劣らずの一大イベントで、そこになんとか連れて行ってもらうために心の中で疼き続ける「いたずら心」を子供としてはかなり無理をした自制心を働かせて、「いい子」を演じようとする気持ちなんかは痛いほどよくわかります(苦笑)。  KiKi 自身、友達と比較するとかなり少ない「お小遣い」しかもらっていなかったので、何かしたい(例えば映画を観に行きたいとかお祭りに行きたいとか)と思うと常に親の許可を得る必要があったから、そういう希望を口にする際には常にバーターで「親の意に沿ういい子」でなきゃいけないという強迫観念みたいなものがありましたから・・・・・。

でもね、後半に至って主人公のペーチャが猩紅熱にかかって、その熱の中で妄想する「象を飼う」まではいいとして、インドに行くだの、そのインドでわんぱく仲間の1人がマハラジャの一人娘と恋に落ちて結婚することになるだのというあたりは正直なところ「は?  何?  それは???」っていう感じでした。  熱に浮かされた状態だから「何でもアリ」なのはわかるけど、それにしても「なぜにインド?  なぜに結婚??」という感じがしないでもありません。


つい先日このエントリーでお話したように、全行程の中でもっとも時間を要する(← KiKi の場合はってことです。  キルティングが苦手じゃない人にとってはピーシングの方が時間を要するのかもしれません)キルティング作業が終わり、後は完成を待つだけ・・・・だったばぁばのひざかけ。  昨日はさっそく仕立てに取り掛かるためキルト綿をチョキチョキする作業をしていました。

まずは表布から大きくはみ出している部分をざっと切り落とし、次に表布よりも2㎜内側まで縫い代部分を切り落とす作業に取り掛かってみたんですけど、途中でギブアップせざるをえない事態に陥りました。  と言うのもね、その細かな細かな作業をしていたら途中で背中がバリバリに張ってきて、「こりゃ、いかん。  ちょっと体操・・・・・」とばかりに腕を回そうとしたら背中を激痛が走るという大惨事(?)が発生しました。

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こんなところで作業がストップしています ^^;  え、よくわからない??  ココですよ、ココ。

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思い起こせばあのベビーキルト作成時も、途中で腰痛がひどくなって作業を中断せざるをえなくなって、結果出産には間に合わなかったんだよなぁ・・・・・。  KiKi は予定していたタイミングには作品を間に合わすことができない星の下にでも産まれたのかしらん・・・・。  それともお仕事の現役時代にプロジェクト・マネージメントをしている際に「Due! Due!」とうるさく言っていた罰が当たったのかしらん・・・・・(苦笑)

これがベビーキルトの時みたいに、まだ作品としての形もはっきりしないうちの肉体的トラブルだと「早々に開き直る」という裏ワザ(?)も発動しやすいんだけど、ここまで形が見えている(↓)状態だと悔しいやら情けないやらで何となく落ち着きません。

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2013年9月の読書のまとめです。  先月の前半は「北方水滸」、途中からは岩波少年文庫1色となりました。  

2013年9月の読書メーター
読んだ本の数:16冊
読んだページ数:4988ページ
ナイス数:60ナイス

まぼろしの白馬 (岩波少年文庫)まぼろしの白馬 (岩波少年文庫)感想
物質的には豊かな環境に暮らしつつも、どこか現実感に乏しい少女。  ある意味で俗世間にはほとんど汚されず、美しい空想の翼を広げることを心の喜びとしていた少女。  この物語に濃厚に漂うどこか夢見がちな雰囲気はそんな作者の実生活の中で純粋培養された結晶みたいなものなのかもしれません。
読了日:9月29日 著者:エリザベスグージ


クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))感想
クローディアの家出の本当の理由は「親の庇護からの脱出」だったんじゃないのかな?  親に何がしかの不満を持つぐらいまでに親から精神的に分離し始めている感覚、別の言い方をするならば親への感情が絶対的なものではなくなってきていたということなんだろうと思うんです。  要するに自我の芽生えってヤツです。  そうであればこそ、「家に帰る時は出てきた時とは違う自分になっていたい。  そのためにはミケランジェロ作(?)の天使像の秘密を解明することが絶対に必要なこと。」という突拍子もない理屈も成り立ちます。
読了日:9月26日 著者:E.L.カニグズバーグ


聊斎志異 (岩波少年文庫 (507))聊斎志異 (岩波少年文庫 (507))感想
暗くて視界が効かない中で聞こえてくる物音、風に揺れるろうそくの火が描き出す揺れ動く影というような舞台背景があってこそ立ちのぼってくる魑魅魍魎の世界。  その中にポツネンと1人置かれたか弱い存在である自分を意識すると、その孤立感・隔絶感が次第に社会における自分の存在感の希薄さとないまぜになっていく感覚。  そういうものが感じられるような気がしました。  そうこうしているうちに幽鬼とであってさえもお友達になれちゃうという摩訶不思議な連帯感とも呼べるような感覚まで生まれてきたりもする・・・・。  夢うつつの世界
読了日:9月25日 著者:蒲松齢


ネギをうえた人―朝鮮民話選 (岩波少年文庫)ネギをうえた人―朝鮮民話選 (岩波少年文庫)感想
少しは知っている中国の民話にもどことなく似ているような似ていないような、我が日本国の民話にも似ているようなところもあるけどどこか違う・・・・。  もっと言えば「こんな話、グリムにもあったよなぁ」な~んていうことを感じることもあったんだけど、何故か途中から「え?  そっちへ行っちゃうの??」と予想を裏切ってくれたりして、知っているパターンを外されて意表を突かれることが多かったように感じます。  それにしても表題作の冒頭は結構意表をついています。  ネギ好きで良かった・・・・ ^^;
読了日:9月24日 著者:


森は生きている (岩波少年文庫)森は生きている (岩波少年文庫)感想
現代人の生活ぶりは実はこの物語の女王様とさして変わりはないのかもしれません。  女王様は季節外れの「マツユキソウ」を所望し、そのためには籠いっぱいの金貨と暖かい衣類を報酬として支払うと言います。  私たち現代人は1年中スーパー・マーケットの棚から「本来夏野菜であるはずのトマト、キュウリ、ナス」を買い、「本来冬野菜であるはずの白菜」を対価を払うことで得ています。  私たちは「当たり前」のこととして、「対価を支払う当然の権利」としてそうしていて、その背景に何があるのかについて滅多なことでは考えようとはしません
読了日:9月23日 著者:サムイルマルシャーク


宝島 (岩波少年文庫)宝島 (岩波少年文庫)感想
昨今の刺激に満ちた「アドベンチャーもの」と比べるとどことはなしに地味な気がしないでもない・・・・。  その原因はジム少年の向こう見ずな行動(別の言い方をすれば「冒険」)の話を始める際に、必ずと言っていいほど出てくるフレーズのせいだと思うんです。  曰く「私の選択は無謀であったが結果的にそれが私たちの幸運を招くことになったのだ。」  つまり読者は結果オーライであることを知ったうえでジム少年の冒険を読むことになるので、「海そのものや海賊との死闘」やら「捕虜生活」の話はどうしてもどこか緊張感に欠けちゃう・・・。
読了日:9月21日 著者:R.L.スティーヴンスン


ロビンソン・クルーソー (岩波少年文庫)ロビンソン・クルーソー (岩波少年文庫)感想
「サバイバリスト、ロビンソン・クルーソー」というよりは「生活者、ロビンソン・クルーソー」という印象を強く抱きました。  ただ物語の根底を流れている発想がやっぱりどこか「大英帝国」的だし、人種的偏見みたいなもの(しかも悪意はさほど強くない)がそこかしこに香り立つし(特にフライディという名のカリブ人の従者を得るあたりから)、大航海時代から帝国主義時代に至るまでの発想(ただ単に漂着して仮住まいしただけなのに、その無人島の所有権を当たり前のように主張する)があっさりと出てくるのは時代のせいなのかなぁ・・・・。
読了日:9月16日 著者:ダニエル・デフォー


飛ぶ教室 (岩波少年文庫)飛ぶ教室 (岩波少年文庫)感想
この物語、児童文学の体裁をとっているし、実際小学校高学年から中学校低学年ぐらいまでの読み物としては素晴らしいと思うけど、案外、大人にこそ読んでもらいたい読み物なのかもしれません。  ま、ちょっと直球勝負すぎて白々しいと感じちゃうところもあるかもしれないけれど・・・・・。  でもね、寺田寅彦先生名付けるところの「国民的健忘症」の日本人、せめて本の中でぐらい「理想論かもしれないけど、やっぱりこういうことって大事だよね。  ちゃんと考えないと・・・・・。」と思う時間も大切なんだと思います。
読了日:9月14日 著者:エーリヒケストナー


長い長いお医者さんの話 (岩波少年文庫 (002))長い長いお医者さんの話 (岩波少年文庫 (002))感想
ここに収録されているお話はどれもこれもおとぎ話風のホンワカムードのお話ばかり(これには挿絵の影響もかなりあります)なんだけど、話の進め方に至っては結構奔放であっちへ飛んだりこっちへ飛んだりするんですよね~。  でもそれが不思議と不快じゃなくて何だかチャペックモードに乗せられているうちにスイスイと読み進めちゃうんですよ。  で、もともと語られたお話に忘れた頃に戻ってきたりもして、挙句そこでちょっと意表をつかれるようなこともあって、どこか人を食っていると言うか手玉にとって遊んでいるというかそんな物語集です。
読了日:9月12日 著者:カレル・チャペック


ウサギどんキツネどん―リーマスじいやのした話 (岩波少年文庫 (1003))ウサギどんキツネどん―リーマスじいやのした話 (岩波少年文庫 (1003))感想
日本人の感覚からするとキツネは悪賢いヤツだけどウサギはさほど悪人キャラではないと思うんだけど、こちらのお話ではウサギどん、かなりのワルです。  でもね、落ち着いて考えてみると見た目は愛らしいのに案外悪賢いウサギどんがいて、どちらかというと悪役キャラが板についているはずのキツネどんがこれといった理由もなく痛い目にあわされるというのはある種の「世の不条理」みたいなものを視覚化できている構図なのかもしれません。  しかも語り部が南部の黒人奴隷のおじいさんなんですから・・・・・。
読了日:9月11日 著者:J.C.ハリス


くろて団は名探偵 (岩波少年文庫)くろて団は名探偵 (岩波少年文庫)感想
これは実に楽しめる本でした。  物語3頁+イラスト1頁の合計4頁で1章が出来ていて、イラスト頁には犯人が残した手がかりなんかが描かれていてそれを読者が探し出すという趣向の本で、その答は次の章の最初の方に書かれているため答え合わせもすぐできます。  言ってみれば「ウォーリーをさがせ!」にイラストクイズがついた軽妙なミステリー小説・・・・っていう感じでしょうか。  ただ難点を言うなら今となっては老眼がすすんでしまっている KiKi にとってこのサイズの絵は特にお布団の中だと実に見難い・・・・ ^^;
読了日:9月9日 著者:ハンス・ユルゲン・プレス


土曜日はお楽しみ (岩波少年文庫)土曜日はお楽しみ (岩波少年文庫)感想
これも楽しい物語でした。  正直、できれば子供時代にこの物語を読みたかったなぁ。  子どもらしい発想がそこかしこに溢れていて、今となっては子供時代が遠い思い出となりつつある KiKi には甘酸っぱいやら、羨ましいやらで、何だかとてもまぶしいものを覗き見しちゃった・・・・・そんな気分にさせられる物語でした。  文庫本の訳者のあとがきによれば実はこの物語、4冊のシリーズものの第1巻なんだそうです。  で、どうやら残りの3巻は邦訳されていないみたい・・・。  谷口さんの訳で4冊セットで出してくれないかなぁ。  
読了日:9月9日 著者:エリザベス・エンライト


指ぬきの夏 (岩波少年文庫)指ぬきの夏 (岩波少年文庫)感想
この物語、とっても良質な児童書ではあるものの、イマドキの子供たちがどれくらいこの内容に興味を持ったり、この物語世界をイメージすることができるのか、ちょっと不安に感じました。  KiKi のようにもともと田舎モンで子供時代に土に触れた経験があり、そして今もLothlórien_山小舎で世捨て人みたいな暮しをしている人間にとっては余りにもリアリティに溢れた素敵な物語だったんですけどねぇ。
読了日:9月7日 著者:エリザベス・エンライト


水滸伝 (19)  旌旗の章 (集英社文庫)水滸伝 (19) 旌旗の章 (集英社文庫)感想
この巻単体で物語の評価をするなら正直なところ KiKi にとってはさほど面白い本ではありませんでした。  過去にも似たような記述を読んだような気がする戦闘シーンが全体に占める割合が多く、さもなければ続編に続く布石の物語のオン・パレードという印象なんですよね。  滅びの物語だから仕方ないとは言え最後の3巻ぐらいは好漢たちの死にざまの描写もどこか淡々としているし(まあ数が多いうえに戦場のお話だから仕方ないとも言えるけど ^^;)、周辺情報の描き方も物語の最初の頃に比べるとやっぱり雑さ加減が散見されます。
読了日:9月7日 著者:北方謙三


水滸伝 18 乾坤の章 (集英社文庫)水滸伝 18 乾坤の章 (集英社文庫)感想
う~ん、何とはなしにここへきてお話の進め方がちょっと乱暴になってきているような気がしないでもありません。 もちろん童貫さんが出てきた辺りから「あとは滅びるだけ」が運命づけられている梁山泊なので、秦明さんや林冲さんが亡くなるのは仕方ない流れであるとはいえ、どこか雑さ加減が散見されるような気がするんですよね~。 さらに言えば楊令君の活躍の仕方がどこからどう見ても「楊令伝」への布石になっちゃっているんですよ。  だから「童貫軍 vs. 梁山泊の決着は次の『楊令伝』でね~。」って言われている気分・・・^^;
読了日:9月5日 著者:北方謙三


水滸伝 17 朱雀の章 (集英社文庫 き 3-60)水滸伝 17 朱雀の章 (集英社文庫 き 3-60)感想
この巻でかなり印象的だったのは公孫勝が語る彼の生い立ちの物語でした。  原典では道術の仙人・羅真人の弟子という設定で、風を呼んだり神兵を呼び寄せたりという妖術使い系の人物で、途中からは梁山泊を抜けて修行の道に戻っちゃったりもしていたわけだけど、こっちの公孫勝は当然のことながらそんな摩訶不思議な人物というわけではありませんでした。  それでも普通の人では決してなかったその背景にあった物語がまるでダンテの「神曲」もどき・・・・・。  
読了日:9月1日 著者:北方謙三

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