岩波少年文庫の最近のブログ記事

「さすらいの孤児ラスムス」、「はるかな国の兄弟」、そして今日のエントリーの「ミオよ わたしのミオ」の3編は KiKi が昔読んだことがあるリンドグレーン本の3強でした。  たまたま NHK アニメの「山賊のむすめローニャ」の影響でこの時期に読み始めたリンドグレーン本。  現在発刊されている岩波少年文庫には子供時代には読んだことのない「エーミル」のシリーズや「わたしたちの島で」なんかもあるんだけど、それは又の機会にとっておいて、とりあえずはリンドグレーンシリーズは一旦終了したいと思っています。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ミオよ わたしのミオ
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

Mio_Min_Mio.jpeg  (Amazon)

みなしごとしてつらい日々を送っていた少年ボッセは、ある夜、別世界「はるかな国」へ迷い込みます。  王子ミオとなり、白馬とともに残酷な騎士カトーと戦う少年の耳にひびいてきたのは、王である父の声でした。  心ゆさぶる美しい物語。  (文庫本裏表紙より転載)

子供時代にこの本と「はるかな国の兄弟」を読んだ順番は、今回とは逆でこちらの作品が先で「はるかな国~」が後でした。  こちらの「ミオよ わたしのミオ」はあからさまに死については語っておらず子供心に安心して読むことができたように記憶しているのですが、今回の読書では「はるかな国」という言葉そのものに「あの世」のイメージが強烈に染みついているということも手伝って、どうしてもそういうニュアンスから離れることができないまま読み進みました。

そのせいもあったのか、子供時代には「美しさ」として捉えていた一つ一つの描写が切なさや儚さを伴い、読んでいて胸が痛みました。  子供時代にもこの物語を辛い日々を送っていたみなしごボッセの現実逃避の物語として読んでいたようなところがあったのですが、今回はボッセがどれだけ愛情に飢えていたのか、現実世界の唯一の友達ベンカをどれだけ羨ましく思っていたのか、それらの孤独に苛まれた心が夢見ざるをえなかったのが残酷な騎士カトーとの戦いに赴く冒険の物語だったのだということが子供時代よりもはるかに切実に胸に迫ってきました。

どこかもや~っとした淡い光を思わせるものに包まれている美しい「はるかな国」の描写にはこれがある種の夢であることが暗示されています。  そして、あまりに優しい父王の姿やこの世界で得ることができた親友ユムユムや父王からプレゼントされた美しい白馬ミラミスにボッセが現実世界のウップランド通りに残してきてボッセが好きだった人々(馬も含む)の面影があります。

なぜ王様は大好きだったベンカのお父さんによく似ているけどもっと美しく、もっと優しいのか?  なぜ美しい白馬ミラミスは大好きだったビール工場の老馬と同じ目つきをしているのか?  なぜユムユムはベンカに似ているのか?  なぜ「はるかな国」にある家はどの家もおとぎ話に出てくるような家なのか?  壮絶なカトーとの対決に打ち勝ち、カトーに囚われて鳥に姿を変えられていた子供達が皆無事に戻ったのに、なぜ囚われた子供達のために啼いていたなげき鳥が啼きやまないのか?  それらの全てがボッセの孤独の深さを物語り、同時にボッセの絶望が生み出した幻影であることを感じさせます。


今日もリンドグレーン作品です。  ある意味ではこれまでに読んだリンドグレーン作品の中で KiKi の一番のお気に入り作品かもしれません。

さすらいの孤児ラスムス
著:A.リンドグレーン 訳:尾崎義  岩波少年文庫

Rasmus.jpeg  (Amazon)

孤児院をぬけだした少年ラスムスは、アコーディオンをかなでる陽気な風来坊オスカルに出会い、いっしょに旅をします。  ところが、ラスムスがピストル強盗事件の現場を見てしまったことから、ふたりは犯人に命をねらわれてしまいます。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi の子供時代、いわゆる「孤児」の物語はそれこそ掃いて捨てるほどありました。  そんな中には最初から孤児の子もいれば、ある時期までは保護者がいたのに、何らかの事情で孤児になってしまった子のお話もありました。  そしてそういう物語を読むたびに

両親がいて、その保護下にあって、贅沢ではなくても飢えることはなくて、理不尽な暴力にさらされることもなければ、寒さに震えることもない

という自分の境遇に幸せを感じ、KiKi にとってはどうでもいいと思われるような細かいことにやたらと口うるさい母親も、色々説教する割には自分も似たようなことをしている勝手な父親に対して日頃感じていた不満の欠片を反省し、「まあ許してあげよう」なんぞと偉そうに思った(← まあその程度の反省だったわけですが ^^;)ものでした。

そんな数多くの物語の中でこの作品がちょっと他作品と異なっていると子供心に感じたのは、物語の主人公、ラスムスが孤児院にいる時代に感じていた様々な出来事に対する感想の部分の記述でした。  特に印象的だったのが、孤児院の子供をもらいにきた子供のいない夫婦(特にその奥さん)と初めて面会する際の孤児たちの気持ちの描写でした。

小さくて巻き毛で綺麗な女の子はもらわれやすい
(≒ 針毛でいつもどこかしら薄汚れている男の子である自分を貰ってくれる人は滅多にいない)

そんなラスムスの諦めの気持ちとそれでもひょっとしたらという期待の気持ちが何とも言えない寂しさ・うら悲しさを感じさせ、子供ながらに文字通り胸が痛かった記憶があります。  そしてその胸の痛みがあればこそ、ラスムスが孤児院を飛び出すに至る「自分の力で僕の親になってくれそうな大人を探すんだ!」という気持ちにストレートに寄り添うことができたものでした。

とは言え、やっぱり齢わずか9歳の男の子の1人旅。  特に最初の一晩は危なっかしいことこのうえない。  何だかこのまま不幸への街道まっしぐら・・・・・となるかと思えば、最初に出会った大人が「善良な優しい人」だったことにより、ほっとさせられます。  でもまあ、定職についている風でもない、逆立ちしても裕福のゆの字も転げ落ちて来なさそうな風来坊なんですけどね。

イマドキの子供であれば仮にどんなに人のよさそうな顔のおじさんでも、相手がパリッとしたスーツを着ておらず、いかにも風来坊、アコーディオン片手に流しのようなことをしている人物についていこうな~んていうことは滅多に思わないだろうことを考えると、そこにある種の「時代」と共にラスムスが置かれていた環境に対する気持ちの切実さを感じます。

さて、そんな風来坊ですが、KiKi たち世代の「週刊マーガレット」愛読者にとっては憧れの存在だった、フランス革命の時代を駆け抜けた男装の麗人と同名でオスカルとおっしゃいます。  KiKi にとってこのオスカルという名前は最初はこの物語のオスカル以外の何者でもなかったのですが、その後の成長過程であっちのオスカル様と出会い、今回この物語を再読してみるまでこっちの風来坊がオスカルであることはすっかり忘れていました。  もちろん「ラスムスが家出2日目に出会う実にいい人!」という記憶はしっかり残っていたんですけどねぇ・・・・・。 


NHK アニメに触発されて「山賊のむすめローニャ」を読んで以来、岩波少年文庫に収録されているリンドグレーン作品を読み進めています。  あまりに懐かしく、又楽しかったのでついついスピードアップ。  本日の KiKi の読了本はこちらの2冊です。

カッレくんの冒険
著:A.リンドグレーン 訳:尾崎義  岩波少年文庫

Blomkvist_2.jpeg  (Amazon)

難事件を解決して、一躍名探偵の名声を博したカッレくんは、平穏な夏休みをもてあましていた。  ある日、遊び仲間のエーヴァ・ロッタが高利貸し殺人の犯人を見かけたことから、ふたたび大事件にまきこまれ、捜査にのりだす。  (文庫本裏表紙より転載)

名探偵カッレとスパイ団
著:A.リンドグレーン 訳:尾崎義  岩波少年文庫

Blomkvist_3.jpeg  (Amazon)

バラ戦争を続行中の白バラ軍は、有名な工学博士を父にもつ5歳の少年、ラスムスの誘かい事件にまきこまれる。  スパイ団のアジトの島へ連れさられたラスムスやエーヴァ・ロッタを救うため、カッレくんがまたまた大活躍!  (文庫本裏表紙より転載)

このシリーズ、カッレ君が活躍する事件の方はどんどんエスカレートしていくんですよね~。  もちろん犯罪は犯罪であって、青島刑事(← かなり古い?)じゃないけれど、「事件に大きい小さいはない!」んだけど最初の「名探偵カッレくん」の事件はせいぜいがコソ泥だったのが、第2作「カッレくんの冒険」では殺人事件だし、第3作「名探偵カッレとスパイ団」では産業スパイときています。

そしてつくづく感じるのは、カッレ君の名探偵ぶりもさることながら、エーヴァ・ロッダの「事件まきこまれ体質」とでも呼びたいような事件を引き寄せるパワーみたいなもの。  もちろん彼女の責任ではないんだけど常にトラブルの中心にはエーヴァ・ロッダがいます。  第1作では犯人がエーヴァ・ロッダのおじさんだったし、第2作では殺人事件直後の犯人の唯一の目撃者が彼女でした。  そして第3作では彼女がたまたま母性本能をくすぐられちゃった相手が産業スパイ一味の人質になる・・・・と。  

しかもその拉致現場をたまたま見たのみならず、一緒にさらわれる道をエーヴァ・ロッダが自ら選ぶわけで、まさに「事件を呼び込む女」そのものです(苦笑)  でも、そうやって考えてみるとこの一連の物語、実は時代を変えた「騎士道物語」と呼んでもいいのかもしれません。


先日、NHKアニメの影響で「山賊のむすめローニャ」を読了しました。  その Review でも書いたことだけど、KiKi にとって「山賊のむすめローニャ」は「アニメ化された以上先に原作を!」というモチベーションなくしてはこのタイミングで手に取る作品ではありませんでした。  そう、リンドグレーンだったらすでに読了しこのブログでも取り上げた「ピッピ」、「やかまし村」が当然先だし、この「カッレくん」のシリーズも「ローニャ」よりは先でなくてはならなかった作品だったはずなのです。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

名探偵カッレくん
著:A.リンドグレーン 訳:尾崎義  岩波少年文庫

Blomkvist_1.jpeg  (Amazon)

名探偵を夢見るカッレくんは、ある日エイナルおじさんの怪しい行動に第六感を働かせ、捜査を始めます。  宝石窃盗団に迫ったカッレくんは、仲良しのアンデス、エーヴァ・ロッタとともにお城の地下室に閉じこめられてしまいますが...。  (文庫本裏表紙より転載)

子供時代の KiKi がこの本を手に取ったきっかけは「シャーロック・ホームズ」でした。  「ホームズ」により探偵という存在に興味を持ち、その後江戸川乱歩の明智小五郎シリーズにはまり(金田一少年はカッレ君よりも後だった)、近くの神社の縁日で買ってもらった子供用の虫眼鏡で探偵ごっこに精を出していた頃、この作品を読んで子供ながらにものすごい探偵ぶりを示すカッレ君にも憧れを抱いたものでした。  もっとも KiKi の場合は観察力とか集中力に欠けるものがあったし、手近なところに怪しい行動をする大人もいなかったので、探偵業はまったく板につかなかったんですけどね(苦笑)

そしてこの「カッレ君」に出会い、探偵業よりも今度は「バラ戦争」に触発され、世界史上の本物の「バラ戦争」の何たるかを知らないまま、さらには KiKi が所属した「白バラ軍」の戦士達が「カッレ君」の物語を知らないまま、まるごと物語の真似をしたような遊びに興じた時期があったことも楽しかった思い出の1つです。

子供時代には軽業的な体操競技(鉄棒とかでんぐり返しとか)が極めて苦手だった KiKi なので、さすがに「命知らずのサーカス団」を結成したことはなかったけれど、この物語で描かれる子供達の遊びの世界は当時の KiKi にとってはまさに遊びのバイブルで、お転婆な自分をエーヴァ・ロッタに見立て1人悦に入っていたようなところもなかったとは言えません。  もっとも晩熟の日本人のことですからそこに子供っぽい恋愛感情のようなものが生まれる余地は全くなく(鈍感だっただけかもしれないけれど)、とにかく駆け回り大声を出し、ワイワイやる楽しさに没頭していた時代だったように記憶しています。

体調不調からの復帰エントリーの1本目は、NHKアニメの影響というのもあるけれど、やっぱりこのブログの柱である「岩波少年文庫全冊読破企画」への拘りというのもあってこちらの作品を選びました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。  (大好きな上橋ワールド、「鹿の王」の Review は後日、もう少し体調の良い日にじっくりと取り組む予定です。)

山賊のむすめローニャ
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

Ronja.jpeg  (Amazon)

落雷でまっぷたつになった古城に、2組の山賊が住んでいました。  片方の首領にはひとり娘のローニャが、もう一方にはひとり息子のビルクがいました。  仲よくなった2人は、争ってばかりいる親たちを仲直りさせようとしますが...。  (文庫本裏表紙より転載)

リンドグレーン作品は大好きだったけれど、実はこの物語に関しては KiKi は初読です。  何となく「山賊のむすめ」という設定に子供時代の KiKi には興味が沸かなかったのです。  だいたいにおいて山賊だの海賊だのというのは子供時代の KiKi にしてみれば悪役の筆頭で、当時の勧善懲悪が当たり前というある種のガチガチの倫理観に照らしてみれば、そんな稼業のヒロインにはろくな結末を思い描くことができないし、これが息子ならいざ知らず娘となると同性の KiKi にとってはあんまり有り難くなさそうな臭いがぷんぷん漂っているような気がしたのです。

ま、てなわけでこのブログで「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶちあげた際にも、この作品はリストにこそ載せたものの実際に手に取って読んでみるのはず~っと後になるだろうなぁと思っていました。少なくとも「カッレくん」や「はるかな国の兄弟」や「さすらいの孤児ラスムス」よりは絶対後になると確信していました。  そして実際のところ今日まで手を出さずに来ています。  それが今このタイミングで他にも未読本がいっぱいあるのにこの作品に手を出したのはもちろん宮崎吾朗さんのNHKアニメ「山賊のむすめローニャ」放映がきっかけであることは否めません。  

第1回の放送から先週土曜日の第5話までアニメを先行して観終えた後、「これは先に原作を読んでおきたい!」と思わせてくれるものがあったのでついに手に取った・・・・そんな感じです。  そしてそのきっかけになったのはこの物語でもアニメでも出てきたローニャとビルク、2人の実に子供らしい発言がきっかけでした。  その1つ目は一仕事して強奪品を持ち帰ってきた山賊たちにローニャがかける一言

「今日もいっぱいなっていたのね。」

というセリフです。  どうやらローニャは果実が木に実るように強奪品はどこかに実っているものだと思っているらしい・・・・(苦笑)  なるほど山賊稼業の何たるかを知らず、自然の中でのびのびと育てば一味が一仕事して持ち帰るものは言ってみれば山仕事をして山の恵みを手にして帰ってきたと思うのが自然と言えば自然なわけです。  そんな彼女が本当のことを知ったらどう考えるのだろうかということに俄然興味が湧いてきました。

そして2つ目のきっかけは今度はビルクのセリフで、自分たちの住む城をとりまく森を「私の森」、そこに住まう動物たちを「私のキツネ」と呼ぶローニャに

「きみの子ギツネだって!  きみの森!  子ギツネたちは自分自身のものさ、わかるかい?  それに、あの子らがすんているのは、キツネたちの森だ。  その森はまた、オオカミたちのだし、そしてクマたちの、オオシカたちの、野馬たちの森だ。  (中略)  おまけに、これはぼくの森だ!  そして、きみの森さ、山賊むすめ、そう、きみの森でもある!  だけど、きみがこの森を自分ひとりのものにしときたがるんなら、きみは、ぼくがはじめてきみを見た時におもったより、ずっとばかだってことだよ。」

この2つを耳にした時、彼らがこの後成長していく過程でいわゆる「山賊稼業」とどう折り合いをつけていくのか?にとても興味を持ちました。  と同時に「○○は誰のモノ」といういわゆる所有権に対する考え方の相違がある意味で「山賊」とか「海賊」という稼業を成り立たせてもいるわけで、これは昔 KiKi が安直なイメージで「山賊のむすめローニャ」というタイトルから想起していたものとは異なる展開が期待できそうな気がしてきたのです。


沼津の実家から帰宅するのとほぼ同時に雨続きの毎日に突入しました。  おかげさま(?)で、読書が捗ること、捗ること(苦笑)  本日の読了本は「ランサム・サーガ 第8作」です。

ひみつの海(上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

613-aemDrUL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

船の赤ちゃん、ブリジットも加わり、浮き沈みする秘密の島々の探検に乗り出した子どもたち。  白地図に調査した場所を一つ一つ描きこんでいきます。  ところが、そこは地元の部族、ウナギ族のなわばりで・・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

ひみつの海(下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

611T015nQzL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ウナギ族の協力をえて、秘密の島々の地図を仕上げていく子どもたち。  ところがロジャとティティ、ブリジットが「紅海」を横断中、潮が満ちてきてしまい・・・・。  戦いあり、うたげあり、もりだくさんの夏休み。  (文庫本裏表紙より転載)

「ランサム・サーガ」も8作目。  全12作のうち現段階で岩波少年文庫から発刊されているのは次の第9作までです。  このままのペースで読み進めていくとあっという間に手持ちの「ランサム・サーガ」は終わってしまうし、次の発刊がいつになるのかさっぱりわからないし(何せ第1作の「ツバメ号とアマゾン号」は2010年7月発刊で、現段階で最後の第9作「六人の探偵たち」は2014年4月発刊と4年もかかっているんです!)、どうしたもんだか・・・・。  旧訳のハードカバーであれば図書館にあることがわかっているけれど、せっかく新訳で読み始めたんだしなぁ・・・・などと、あれこれ考えてしまう今日この頃です。

ま、それはさておき、前作(「海へ出るつもりじゃなかった」)で、心ならずも子供達だけでの夜間航行 & 外洋航海を成し遂げちゃったウォーカー家の子供達。

子供たちの中に船に対するトラウマやら何やら、お母さんの心配性のエスカレートなどが起こらなければいいのですが・・・・・。

な~んていう KiKi の心配こそまさに取り越し苦労 ^^;。  子供達は相変わらず冒険心満々だし、ウォーカー父さん & 母さんも全然堪えた様子もなく、次の冒険に子供達を送り出します。  しかもこれまでは「小さすぎる」という理由でいつも置いてけぼりだった末娘「船の赤ちゃん、ブリジット」まで引き連れての探検旅行です。

もっともこの探検旅行、当初は子供達だけではなくウォーカー父さん & 母さんも同行する所謂「家族旅行」として企画・準備されていたものだったのですが、あとは出発するばかりというタイミングでウォーカー父さんは勤め人の哀しさで海軍大臣から急遽の御下命を受け休暇返上となってしまったのです。  これが日本だったら「お父さんのお仕事の都合だから仕方ないでしょ。  今回は我慢しなさい。」となりそうなところが、さすがはウォーカー夫妻。  あんな大事件があった直後だというのに快く子供達だけでの探検旅行を許してあげちゃいます。

しかも子供達だけでの探検旅行の名目(?)が「島流し」とはやっぱり太っ腹さ加減(+ ユーモア・センス)が半端なもんじゃありません。  

さて、こうして出発することになる「島流し」の旅なんだけど、ただ漠然と流されてロビンソン・クルーソーのようにキャンプをするだけでは終わらないのがこの「ランサム・サーガ」のいいところです。  これまでもウォーカー家の兄妹は「極地探検」とか「金鉱探し」といった凡そ日本人からみるとスケールの大きな大人びた遊びに興じていたわけですが、今回の探検の目的は「地図作り」。  しかもその地図の作り方が巻末の解説によればあの伊能忠敬さんと同じ手法だというのですから驚きです。  

今日の読了本は「ランサム・サーガ 第7作」です。  沼津帰省中に遅れに遅れてしまったブログエントリーのタイミングがこれでようやく読了本に追いつきました。

海へ出るつもりじゃなかった(上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61kUPGDYFlL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

河口の町ピン・ミルにやってきたツバメ号の乗組員たちは、ゴブリン号をあやつる青年ジムと知り合い、いっしょに川をくだることに。  ところがジムがいない間に、船は錨を失い、河口から外海に流されてしまいます。  (文庫本裏表紙より転載)

海へ出るつもりじゃなかった(下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61NjybNnsiL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

悪天候のなか、外海に流れでてしまったゴブリン号は、ひきかえそうとするジョンやスーザンの必死の努力にもかかわらず、北海を東へまっしぐらに進みます。  やがて嵐の一夜が明けると・・・。  スリルに富んだ物語。  (文庫本裏表紙より転載)

まず最初にこの物語を読んでいる途中で気がついたことがあります。  それは「ヤマネコ号の冒険」では KiKi の読み方は間違っていた・・・・ということです。  あの Review で KiKi は

ここまでの「ランサム・サーガ」の物語の Review の中で KiKi はある意味で手放しでキャプテン・フリントを褒めちぎってきたけれど、そんな KiKi の評価はこの「ヤマネコ号の冒険」で地に堕ちました。  ダメでしょう、こういう大人は!!

KiKi の気分としては、この「ランサム・サーガ」がギリギリの境界線で保っていたある種の良心みたいなものがこの1作によって粉々に壊されてしまった・・・・・そんな気分なんですよね~。

などとケチョンケチョンな評価をしたわけですが、どうやらあの「ヤマネコ号の冒険」はツバメ号とアマゾン号のクルーたちがキャプテン・フリントと一緒にとある冬休みの遊びとして創作した「冒険物語」だったらしい・・・・・。  つまり子供たちによる「宝島 & ロビンソン・クルーソー オマージュ作品」という位置づけの物語だったようです。  そうであると分かれば、あの荒唐無稽な筋書きも納得できるものだと思うし、キャプテン・フリントの大人げなさも理解できます。

そしてこの作品を読むことによって、これまでは子供達にかなり自由にやらせているように見えたウォーカー母さん(ツバメ号クルーのお母さん)も「ここまではOK、ここからはダメ」という境界線をかなり明確に持っていた人であるということや、自由奔放に遊びまわっているように見える子どもたちも自分たちの夏休みの行動の自由というものが、母親に言いつけられている「自由の枠組み」からは絶対に外れないという信頼に基づいているということをかなりしっかりと自覚している物語であることが分かります。

この物語に至って、実は子供たちにとって「海」というのが未知の体験ゾーンであったことが伝わってくるし、同時に湖や川以上の危険を孕んでいる「海」はウォーカー母さんの価値観でははっきりとNGエリアだったこともわかります。  にも関わらず子供たちは不可抗力により海に押し流されちゃうことからこの作品のタイトルは実にわかりやすく「海へ出るつもりじゃなかった」(We didn't mean to go to Sea)。  タイトルからして「ごっこ遊び」ではない物語であることがひしひしと伝わってきます。

今回はアマゾン号のクルーもD姉弟も登場せず、ツバメ号のクルーと本シリーズ初登場のウォーカー父さん、そしていつ何時でも「もっとも友好的な現地人」だったウォーカー母さんと常に子供たちの世界から置いてけぼりを食らう末娘のブリジットの物語です。  そして子供達が不可抗力で海へ出ちゃうことになる船(ゴブリン号)を提供してくれたのが間もなく大学生になろうかというジムという青年です。  

ジム青年も本当は子供達と一緒に川筋だけをクルーズさせる予定だったのですが、ガソリン調達のために少しの間だけ船を降りている間に交通事故にあってしまいます。  河口付近にちゃんと停泊させたはずのゴブリン号で留守番していたのはツバメ号のクルーたちだけ(つまり子供達だけ)なのですが、そこは子供ゆえの悲しさ、予定よりも時間がかかりすぎている中で船を係留し続けるために気を付けなければいけないことまでには気が回りません。

潮の満ち引きの影響をもろに受ける河口では水位の変動が激しく、ジムがゴブリン号を停船させた時には必要十分だった碇をつなぐ鎖の長さが足りなくなり、結果碇が碇本来の役割を果たさなくなってしまいます。  しかも急激な天候の変化で濃霧があたりを覆い、視界もどんどん悪くなっていきます。  途中でジョンは碇を引き摺っていることに気がつくのですが、心理的動揺も手伝って上手く処理することができません。

ここからの物語の展開はスリル満点で正直、心臓によくない(苦笑)。  だいたいにおいて各章のサブ・タイトルからしてどんどん状況が悪くなっていることを匂わせています。

第6章: なにも、おこるはずがない
第7章: ジムは、ずいぶん長くかかっている
第8章: ビーチエンド・ブイ
第9章: 霧の中をただよう
第10章: 海へ出る
第11章: 今度は、だれの責任?
第12章: 船酔いのくすり


沼津滞在中にほぼ読了していた「ランサム・サーガ 第6作」です。

ツバメ号の伝書バト(上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61upmEVSzsL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

猛暑の夏、ツバメ号、アマゾン号の乗組員とDきょうだいは、高原で金鉱をさがすことに。  伝書バトで連絡をとりあい、ますます活動範囲を広げます。  ところがあやしげな「つぶれソフト」が行く先々にあらわれます。  (文庫本裏表紙より転載)

ツバメ号の伝書バト(下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61I-cv4b1dL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

見つけたものは、はたして金?  炭を焼き、溶鉱炉をつくり、自分たちだけで確かめようとする子どもたち。  ところが年上のジョンやナンシイがいない間に、ロジャとティティ、ドロシアが眠りこんでしまい・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

久々のツバメ号 & アマゾン号のクルーたち、そしてD姉弟が全員集合した夏休みの物語です。  イースター休暇に猛特訓して AB船員になった D姉弟を含めた3家の兄妹たちのセーリング物語が始まるのかしら?と大いに期待して読み始めた KiKi だったのですが、今回のお話は船からは離れた山の中の物語。  冒頭でこそセーリング・シーンがちょっぴり出てくるものの、彼らのお得意の島でのキャンプの話もなければ、海賊ごっこの話もありません。

なんでそんなことになっちゃったのか?と言うと、この夏休みの大切なタイミングに子供達の保護者はアマゾン海賊のブラケットお母さんだけという状況なんです。  子供達が生き生きと「自立キャンプ生活」を送るために、ツバメ号のクルーのお母さんやキャプテン・フリントが見えないところで果たしてきた役割の大きさが否応なく感じさせられます。  ブラケットお母さんも決して物わかりの悪いタイプではないものの、余所様(それも2軒)の子供たちを預かる立場になっちゃっているうえに、ブラケット家ではリフォームの真っ最中・・・・ということもあり、てんてこ舞いしています。  そんな彼女が子供達を安全に遊ばせるために譲歩できたのはいつでも目が届く家の庭でのキャンプが限界でした。

でもそんな状況の中で冒険精神だけでできているようなあのナンシィがいつまでも大人しくしていられるわけがありません!(苦笑)  様々な条件付き(しかもその条件の全てがナンシィには耐え難い)で何とか勝ち得たのが、家から離れたところの農家の庭でのテント生活でした。  そしてこの農家さんがこれまで子供たちがお世話になったどの農家さんよりもある意味で普通の人(つまり子供たちの自主性にばかりは任せておけないタイプ)で、子供達の火の始末には不安があるから自炊なんてもってのほか、食事は一切農家のおばさん仕切り(≒ 食事の時間やらその他細々としたことに制約が出てくる)というこれまたストレスフルな状況を上塗りしてくれちゃいます。

ま、てなわけで前半の山場の1つが子供たちがそんな環境の中で完全に自立したキャンプ生活を勝ち取るまでのあれこれになっています。  

これまでの物語の中でも子供たちはそこかしこの農場のおばさんにお世話になっているんだけど、その人たちは日本人の KiKi の目には「物わかりが良すぎる」と感じられるほど子供たちの自立心を尊重し、最低限の危機管理を任せ切るだけの太っ腹な人たちだったことがこの物語で証明されました。

今回子供達がお世話になったタイソン農場のおばさんはある意味では現代日本の大人とそっくりで「子供のすることは危なっかしい」という価値観をなかなか崩せない人です。  決して意地悪な人ではないのですが、子供たちにばかり感情移入して読むと「大障害以外のナニモノでもない」人になっちゃっています。  でも分別ある日本人の大人として彼女の弁護をしておくなら、これにはたまたま今回の物語の舞台では日照りが続いていて普段なら豊かな水が流れているはずの渓流が涸れ切っちゃっていたりして、万が一どこかに火がついたらとんでもない山火事になるという背景もあるわけですが・・・・・・。 


沼津の実家へ留守宅メンテナンスのために帰省していたため、ずいぶん長い間ブログエントリーをお休みしてしまいました。  一応、移動時には常にPCを携帯しているのですが、留守宅メンテナンスの際はとにかく忙しいんです。  今回も沼津の家には1週間滞在したのですが、朝から晩まで働きづめで夕飯が終わって入浴するとほぼそのままバタン・キューで爆睡状態に・・・・(苦笑)  

土曜日(7日)に帰路についたのですが、この道のりでは大雨のためあちらこちらで高速道路が通行止めになっていて、普通なら5~6時間で帰ってこられるはずのところ、沼津を出たのがお昼前(11時にはなっていなかった)なのに、Lothlórien_山小舎に辿りついたのが23時頃になってしまいました。  

長距離移動と睡眠不足でヘトヘトな身体に鞭打って、昨日は実家の状況報告 兼 じぃじからリクエストのあった様々なモノの配達のため老人ホームを訪問しました。  ま、てなわけで今日は身体がどんよりと重いうえに節々が痛み、正直起きているのがかなり辛い・・・・。  でも、ここで昼寝と洒落こんでしまうと今度は夜休めなくなりそうなので、今、PCに向かっています。  ま、てなわけでずいぶん前に読了していたこちらの Review を記憶に頼りながら書いてみたいと思います。

オオバンクラブ物語(上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

51Vic-zE8cL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ディックとドロシアは、水郷ノーフォークで、地元の少年トムと知り合い、念願のセーリングを学ぼうと、胸をおどらせます。  ところがトムが、オオバンの巣を守るために、好き放題の観光客たちと対立して・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

オオバンクラブ物語(下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

51UcWaKYvjL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

いざこざを逃れ、ノーフォーク南部をめぐる航海に出発したトムたち。  ポートとスターボードも、船から船へ乗りついであとを追います。  しつこい観光客たちもからんで、水辺を舞台に追跡劇がくりひろげられます。  (文庫本裏表紙より転載)

個人的にはあまり気に入らなかったシリーズ第3作(このブログでの「ランサム・サーガ Review」 では第4作目になっちゃったけど)、「ヤマネコ号の冒険」を読了した際、この先この物語はどっちの方向へ向かって行っちゃうんだろう?とちょっとおっかなびっくりだった KiKi なんだけど、この第5作「オオバンクラブ物語」を読んでみてほっと一安心。  ・・・・・というより、あの「長い冬休み」で初登場したD姉弟のその後のお話であることを知り、安心を通り越して大喜びしてしまいました。

ツバメ号 & アマゾン号クルーたちに大いに感化されたD姉弟は子供らしいライバル心(?)から次に彼らと会う前(つまり次の夏休みまで)にセーリングをこっそりと学んで、彼らの遊び世界から置いてけぼりを食らわないようにと考えます。  そこに何とも都合の良いことにイースター休暇をノーフォーク湖沼地帯で過ごすチャンスが転がり込んできます。  

彼らを招待してくれたミセス・バラブルは、昔、姉弟のお母さんの女学校の先生だった人で、弟さんと2人で休暇を過ごすために船を一隻借りたのにたまたまその弟さんは仕事の都合で来られなくなり、姉弟を招待してくれたのです。  ところがその船(ティールズ号)に着いてみると、ミセス・バラブルだけでは船を動かせないので、船に泊まるだけという事実が判明。  

落胆を必死で隠そうとする姉弟と、それに気がつくミセス・バラブル。  そこに再び別のチャンスが飛び込んできます。  土地の少年トム(鳥類保護運動をしている)が少し前から傍若無人な振る舞いが目立ち土地の人たちからちょっぴり白眼視されていた団体観光客とトラブルを起こしてしまい、彼らから逃げ隠れしなければならない状況に陥っていたのです。  土地っ子のトムはツバメ号 & アマゾン号のクルーたちも顔負けのセーラーなので、ティールズ号を動かしながらD姉弟にセーリングの手ほどきをしつつ、観光客から逃げ続けるということでお互いの利害が一致します。


昨日のブログエントリーを書き終えた直後、雨が降り始めました。  でも、その雨の音が普段とはあまりにも違うので思わず窓の外を見てビックリ bikuri.gif


な、な、なんと雹が降っているではありませんか!!  TVのニュースなんかで「雹が降った」という話は最近割と耳にするようになっていたけれど、実物を見たのは KiKi の小学生時代以来。  思わずカメラを取り出し撮影しちゃったぐらい KiKi にとっては珍しいものでした(苦笑)

2014_May29_005.JPG

正直、我がLothlórien_山小舎の屋根の耐久性を心配しちゃったほど、バリバリと物凄い音をたてて数分間降り続きました。  その後は普通の雨になり、1時間後にはお日様の日差しが眩しいくらいに天気は回復。  いや~、自然の力って不思議なことがいっぱいです。

さて、そんな中、雹が降るな~んちゅう自然現象はちっぽけなことと感じさせられるような物語を読了しました。 

ヤマネコ号の冒険 (上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

612tfz2dL2L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

老水夫ピーター・ダックと、帆船ヤマネコ号で船出したツバメ号、アマゾン号の乗組員たち。  初めて味わう海での航海は、不安と喜びでいっぱい。  ところがぶきみな海賊、ブラック・ジェイクがつきまとい・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

ヤマネコ号の冒険 (下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61YGOMkXPvL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

赤毛の少年、ビルもくわわり、ピーター・ダックのカニ島にたどりついた一行。  ついに始まった宝さがし。  ところが突然の暴風に地震、はては海賊までがおそってきて・・・・。  無事に宝は手に入るのか?  海洋冒険物語。  (文庫本裏表紙より転載)

ここまでの「ランサム・サーガ」の物語の Review の中で KiKi はある意味で手放しでキャプテン・フリントを褒めちぎってきたけれど、そんな KiKi の評価はこの「ヤマネコ号の冒険」で地に堕ちました。  ダメでしょう、こういう大人は!!  この「ヤマネコ号の冒険」を読んだ後であればあの「長い冬休み」の最後の方でナンシィのお母さんが口にしたセリフ

「それから、たぶん、本当のことが分かったら、他の人と同じくらいジムおじさん(≒ キャプテン・フリント)の罪ってことになるんでしょうね・・・・・・。」

には文句なしで同意していたことでしょう。  子供達の「ごっこ遊び」にとことん付き合って、リアリティ演出にひと肌もふた肌も脱ぎ、それでいて目だたないところで安全確保要員として走り回る姿には「こうありたい大人の姿」と憧れさえ抱いたけれど、この「ヤマネコ号の冒険」のように大人が自分と老水夫ピーター・ダックと2人だけという状況で子供達にとっては初となる海への航海、しかも遠洋航海に出かけ(まあ、そこまではいいとして)、しかもふとしたことで耳にした「宝探し」に夢中になって他のことは冷静に考えられなくなり、しかもその同じ宝を本物のかなり物騒な海賊が狙っていることがわかっていながら、子供だらけの一行をその宝があるらしいカニ島に導くなんていうのは真っ当な大人のすることじゃありません。

もちろんこの物語が「ロビンソン・クルーソー」とか「宝島」に触発された「海洋冒険もの」として書かれた物語であることは百も承知です。  でも、KiKi の気分としては、この「ランサム・サーガ」がギリギリの境界線で保っていたある種の良心みたいなものがこの1作によって粉々に壊されてしまった・・・・・そんな気分なんですよね~。


知らなかったから仕方のないことだけど、この「ランサム・サーガ」を第1巻の「ツバメ号とアマゾン号」しか子供時代に読んでいなかったことがほとほと悔やまれます。  もしも子供時代にこの物語をすべて読了していたら KiKi にとって物凄い宝物になっていただろうに・・・・・。  ま、それでもこの年齢になって年甲斐もなく「岩波少年文庫全冊読破企画」なんちゅうことを思いついたがゆえに、そして岩波書店さんがこの傑作を少年文庫ラインナップに加えてくださったご英断の恩恵を受けて、生あるうちにこの物語に出会えたことを感謝!です。

長い冬休み (上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61dJCaEFoKL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

冬休み、ディックとドロシアは、ボートをこぐ六人 - ツバメ号とアマゾン号の乗組員と友達になります。  そりゃスケートの毎日!  やがて湖がこおり、子供達はハウスボートを「フラム号」に仕立てます。  (文庫本裏表紙より転載)

長い冬休み (下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

616Mte2z9NL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

氷にとざされた「フラム号」での楽しい日々。  キャプテン・フリントの帰還、ナンシイの復活を得て、子どもたちは<北極>探検に乗り出します。  ところが、先に出発したディックとドロシアがふぶきにあって・・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

発刊された順番に読み進めてしまったため、「ツバメの谷」に続く作品としてこの「長い冬休み」を読了しちゃったんだけど、読了した今、改めて文庫本の裏扉を見てビックリ!  実はこの「長い冬休み」は「ランサム・サーガ」の第4作で第3作は「ヤマネコ号の冒険」(発刊されたのは5番目)だったらしい・・・・・ ^^;  もう!  紛らわしいことをしないで欲しいわ、岩波書店さん!!

ま、それはさておき、今回の読書ではしょっぱなからちょっと唖然とさせられました。  いきなり登場したディック & ドロシア姉弟(D姉弟)に「誰だ、そりゃ??」と困惑することしきり・・・・。  読み進むうちに彼らがツバメ号の4人兄妹 & アマゾン号の2人姉妹とお友達になる都会育ちの別の姉弟であることがわかってほっと一息つきました。  と言うのも、KiKi にとって今となっては「よく知ったお友達感覚」の2つの船のクルーたちの次の冒険物語を読む心積もりでいたのに、そのしょっぱなに見ず知らずの人が登場してきたらそりゃあビックリするってもんでしょう?

しかもね、ドロシアの方は昔の KiKi を彷彿とさせるような女の子だったからまだいいようなものの、ディックの方は天体とか鉱物なんていうおよそ KiKi の好奇心の琴線には触れて来ないようなものに夢中な理系男子。  眼鏡までかけちゃって、どこかぬぼ~っとした雰囲気を漂わせ、描かれた風貌だけだと凡そ親しくなれそうもないような男の子だったのですから・・・・・。

でも読み進めるうちに、都会育ちのこの2人が現代人に限りなく近い(要するに舟の扱い方を知らず、火の扱い方もどこか危なっかしく、ロープもろくに結べない)存在であることに気がつくと逆に妙な親近感を覚えるようになります。  しかもこの2人、都会育ちではあるものの、結構肝が座っています。  滞在先の農家からちょっと離れたところにある廃屋もどきの古い納屋を「天文台」と呼び、子供2人だけで暗くなってから、そこまで歩いていこうというのですから・・・・。  

こうしてたどり着いた納屋(もとい 天文台)で「火星への通信ごっこ」という思いつきの灯火信号でツバメ号のクルーたちが滞在する別の農家と初めて接触を図るシーンでは KiKi も彼らと一緒に何だか期待でドキドキしてしまいました。  その信号に気がついたツバメ号のクルーたちが翌朝天文台を訪問することによって彼らは出会います。  そして実に子供らしく「出会ってしまえばお友達」となっていく様子は微笑ましい限りです。

とは言っても、お互いが相手との距離感をおっかなびっくり図りつつであるところが、小学校のクラス替え直後の雰囲気タップリで、リアリティ満載です。  そして海賊たちの感化を受けながら都会育ちの2人が少しずつ、少しずつサバイバリストに変身していく様子に思わず目を細めたくなります。


先日のエントリーでもお話した通り、KiKi はこの「ランサム・サーガ」の第2作目からは今回が初読です。  久々に読んだ「ツバメ号とアマゾン号」が思っていた以上に楽しめたのでこの作品を読むのを楽しみにしていました。  幸い(?)、今日は雨の一日で読書にはピッタリ♪  ウォーカー家の兄妹と一緒に一足早い夏休みを堪能しました。

ツバメの谷 (上)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

61+fq1KWGKL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

『ツバメ号とアマゾン号』の冒険から一年、ふたたびなつかしい湖にやってきたウォーカー家の4人きょうだい。  新たに発見した秘密の場所「ツバメの谷」でキャンプを始め、また冒険に乗り出します。  (文庫本裏表紙より転載)

ツバメの谷 (下)
著:A.ランサム 訳:神宮輝夫  岩波少年文庫

51WQ3wKMkmL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ブラケット家のきびしい大おばさんの監視もなくなって、やっとナンシイとペギイが合流。  6人は、カヌーや山登りを楽しみます。  ところが帰り道、ティティとロジャが霧にまかれて迷子になってしまい...。  (文庫本裏表紙より転載)

今作では1年ぶりの夏休みを謳歌しようと張り切っていたウォーカー家の兄妹を物語の冒頭で事件が襲います。  ちょっとした長男ジョンの判断ミスからツバメ号が座礁、そして沈没・・・・・。  ウォーカー父さんが言うところの「ノロマ」な失態に落ち込みつつもこのミスからの立ち上がりが凄い!!  ジョン船長はどこかの国のフェリーの船長とは大違いでクルー全員を小さい順に逃したうえで、沈没した船をすくいあげるための方策までちゃんととったうえで船を離れ、全員が無事に避難できたところでまずホッと溜息です。

そうそう、生きていく中では「思ってもいなかったこと」やちょっとした判断ミスでトラブルが起きるのは決して珍しいことじゃない。  不運にもそれが起こってしまった時にどんな行動をとることができるのか?が一番大切であることをこの兄妹は彼らの行動を通してやんわりと教えてくれます。  船の修理の大掛かりな部分はキャプテン・フリントの尽力やら本職の船大工の力が必要だったけれど、沈没した船を自分たちだけの力で引上げるあたりの描写では、不覚にも思わずうっすらと涙目になりつつ読み進めました。  

さて、冒頭でそんな大事件が起きちゃったので、彼らのヤマネコ島でのキャンプ生活の貴重な足を失なってしまって、彼らの夏休みはどうなっちゃうのかしら?とやきもきさせられたんだけど、そこはさすが肝っ玉の太いウォーカー母さん。  転んでもただでは起きない兄妹が新たに発見したキャンプ地をちゃんと偵察したうえで、予定外の場所でのキャンプ生活を快く認めてくれます。  このウォーカー母さんの絶大な信頼の根っこには時に「現地人化」(≒ 常識人化)する長女スーザンの存在が欠かせません。

このスーザンのバランス感覚が物凄いんですよね~。  兄妹全員が「子供達だけのキャンプ生活」をしつつもある一定の規律からはみ出さないように、病気にならないように、怪我をしないように、少しでも気持ちよく過ごせるようにとありとあらゆる細かいことに気を配り、それでいて必要以上に口やかましくもなく、子供らしい遊びの世界でのノリだって悪くない、本当にできた女の子なんです。  子供達だけのキャンプ生活の中ではウォーカー家の小さなお母さんの役割を「自分が果たすべきもの」と考えて、黙々と実行している姿には尊敬の念すら覚えます。

そして兄妹の中では一番「夢見る夢子ちゃん資質」の高いティティが実にいい!!  どこか空想の世界に浸り切っちゃって空想と現実の境が曖昧なところもあるティティだけど、ハイキングの途中で霧にまかれて迷子になったうえに弟のロジャが捻挫をして動けなくなってしまうと、ちゃんと現実的な判断を下し、勇気をもってそれを1人で実行できる姿に感動ものです。  ホント、何て理想的な子供達なんでしょうか!!  理想的でありながら、嘘っぽさが実に少ないのも彼らの特徴だと感じ入ります。

何となく鬱陶しいジェンダー思想丸出しになっちゃったゲド戦記。  気分的には「もうおなかいっぱい!」っていう感じで最後まで読み続けるのにあんまり気が進まなかったのですが、何事も途中で放り出すのはどうも苦手な性分で、手掛けてしまった以上終わりまでいくしかない・・・・・^^;  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記5 アースシーの風
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

51ZS8D0JCRL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

故郷のゴント島で妻テナー、養女テハヌーと共に静かに余生を送るゲド。  竜が暴れだし、ふたたび緊張が高まるアースシー世界。  テハヌーは王宮に呼び出され、レバンネン王から重要な使命を与えられる。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記6 アースシーの風
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

51ZllPxAOuL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

故郷の島で妻テナー、養女テハヌーと共に静かに余生を送るゲドも、70歳になった。  ふたたび竜が暴れだし、緊張が高まるアースシー世界を救うのは誰か。  (岩波少年文庫HPより転載)

気が乗らない中での読書だったので、正直なところあまりのめり込むことができませんでした ^^;  どちらかというと活字を追っているうちになんとか終わっちゃってやれやれ・・・・っていう感じでしょうか?  ところどころにはっとさせられるような記述もあるんですけど、結局どこかしらにジェンダーバイアスがかかったような記述が出てきて、そこで興ざめ・・・・・(苦笑)  KiKi 個人の結論としてはもともとのゲド戦記だった第3巻までで十分じゃないか?っていう感じです。

この作品から KiKi が読み取った一番大きなメッセージと思えるものは、「人間がこの世界をあたかも自分たちのために作りかえてきたかのように傲慢に振る舞っていることに対するある種の警鐘」という感じでしょうか・・・・。  

以前、このエントリーでも書いたように、KiKi が「ゲド戦記」を購入した頃、このシリーズは岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。  で、仕方なく今手元にある「ソフトカバー版」を Box Set で揃えたわけですが、その後だいぶ経ってから発刊された岩波少年文庫版とこのソフトカバー版の一番大きな違いは、こちらのソフトカバー版では外伝扱い(事実、外伝ではあるんだけど)で第5巻が「アースシーの風」となっているのに対し、岩波少年文庫版では第5巻がこの「ドラゴンフライ アースシーの五つの物語」と位置付けられ、「アースシーの風」は第6巻扱いになっていることでした。

で、調べてみると実際のところル=グウィン女史が書いたのも岩波少年文庫に収録されている順番だし、Wikipedia を見ると

「ドラゴンフライ」は「アースシーの風」と深いかかわりがあり、先に書かれたこちらを読むと理解が早い。

とあったので、KiKi もそのオススメに従ってまずはこちらを読んでみました。

ゲド戦記 別巻 ゲド戦記外伝
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

514Z6Y4QNCL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アースシーを鮮やかに照らしだす五つの物語「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」と、詳細な解説を収める番外編。  ル=グウィンの構想した世界の全貌が見えてくる一冊。(ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記 ドラゴンフライ アースシーの五つの物語
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

51+788+cbHL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

5つの物語(「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」)と、作者による詳しい解説を収める〈外伝〉。  作者の構想したアースシー世界の全貌が鮮やかに見えてくる、「ゲド戦記」ファン必見の一冊。  (岩波少年文庫HPより転載)

この本に収録されている作品は以下の通り(Wikipedia より転載)です。


「カワウソ」
ロークの学院開設の功労者にして、初代守りの長、メドラ(カワウソ/アジサシ)の一生を通じて、学院の黎明期を描く。

「ダークローズとダイヤモンド」
エシーリ(ダイヤモンド)とローズの恋物語(ローズの方は真の名が明かされない)。

「地の骨」
アイハル(ダンマリ、のちにオジオン)がヘレス(ダルス)に師事した時と、二人が協力してゴントの大地震を鎮めた時の顛末。

「湿原で」
ロークから逃げ出した魔法使いイリオス(オタク)と、彼を匿った未亡人エマー(メグミ)、そしてイリオスを追ってきた大賢人ゲドの物語。

「トンボ」
「アースシーの風」の重要人物オーム・アイリアン(ドラゴンフライ)の幼年期と青春時代、ロークへの旅と呼び出しの長達との対立、竜への覚醒までを描く。

アースシー解説
アースシーの世界観について、文化や歴史、伝説などの、作者による解説。


それぞれに大筋としてはなかなか読みごたえのある物語だったとは思うのですが、正直なところ KiKi にはあまり気に入りませんでした。  今日はその「気に入らない」ことに関して Review を書きたいと思います。  

モノの本によれば第3巻と4巻の間には発表までに長い間隔があったとのこと。  そのためか、第3巻までは表紙にしろ、各章の章題の下に付されている挿し絵にしろ、それらが切り絵細工風の趣のあるものだったのに対し、この第4巻からは何気に現代ものっぽい挿し絵に変更になっています。  と同時に第3巻まではメインの読者対象が子供だったのに対し、この第4巻は大人、それもちょっと鬱積した気分を抱えた女性を対象にしているのかな?と思わないでもありません。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記4 帰還
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

518V405D53L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

魔法の力を使い果たしたゲドは故郷ゴント島に戻り、テナーと再会する。  大火傷を負った少女も加えての共同生活が軌道にのりだした頃、三人は領主の館をめぐる陰謀に巻き込まれてゆく。  太古の魔法を受け継ぐのは誰か。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記4 帰還
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

41T5WvTwuDL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

平和と秩序を回復するため全力を出しきったゲドは、故郷の島に帰った。  心身ともに衰えた初老のゲドに、思いがけない女性との再会が待っていた。  (岩波少年文庫HPより転載)

この物語の原語版が世に出たのが1990年、続いて日本語版が出たのが1993年なのだそうです。  いわゆる「ジェンダー」という言葉が「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の問題を扱う世界で使われ始めたのが1950年代から1960年代にかけて、その同じ言葉が社会科学の分野で使われ始めるようになった(社会・文化的に形成された性;要するに性的役割というような分野で使われるようになった)のが70年代でした。  そしてその70年代に始まった定義が80年代に入るとフェミニストの間では「ジェンダー」という言葉の当然の定義となされるようになりました。  そういう意味ではこの物語が書かれた背景には確実にアメリカ社会における「女性の社会的自立・社会進出」の影響があったことは想像に難くありません。

だから・・・・・なのか、そこかしこに「ジェンダー論」的な表現が顔を出します。  だいたいにおいて、「ゲド戦記」と銘打っている割にはこの第4巻、メインの登場人物は第2巻の「壊れた腕環」でゲドに助け出された元大巫女のテナーと彼女がひょんなことから引き取ることになった大火傷を負った少女テルー、更には彼女たちの生活を何かと助けるコケばばとよばれるまじない女っていう感じで、色々な世代の女性のオン・パレードです。  


今日は「ゲド戦記」の3巻目の Review です。  巷の噂によればジブリのアニメ「ゲド戦記」はこの巻の内容をベースにしているとか・・・・・。  その映画は観ていないし、これからもたまたまつけた TV で放映されていて他には観るものもないような状況にでも陥らない限り、特に観る予定もないので「だから何だ?」っていう感じですが、もしもジブリ映画に関する何らかの情報を期待される方が何かの間違いでこのエントリーにお立ち寄りいただいたとしたなら、このエントリーでは全くそれには触れていないことを最初にお断りしておきます。

ゲド戦記3 さいはての島へ
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

51Z135YPBDL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

大賢人ゲドのもとに、ある国の王子が知らせをもってきた。  彼の国では魔法の力が衰え、人々は無気力になり、まるで国中が死の訪れを待っているようだと。  ゲドはアレン王子を連れ、見えない敵を求めて旅に出る。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記3 さいはての島へ
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

518DGoDpraL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アースシーを治める大賢人となったゲドは、災いの源を断つため、若い王子をともなって最果ての地におもむき、死力を尽くして戦う。  (岩波少年文庫HPより転載)

第1巻では若造ゲド、第2巻では青年ゲド、そしてこの第3巻では初老のゲドという感じで老成していっています。  それに伴い、「才能ある魔法使いの弟子」 → 「竜人(竜と話せる人)」 → 「大賢人」と称号が変わってきています。 

さて、第2巻でゲドは世界に平和をもたらすとされる「エレス・アクベの腕環」を復元しました。  その時、KiKi は

ゲドのようにお気楽に

「見よ!  私は闇で光を見つけたぞ。  光の精を見つけたぞ。」

とか

「この人のおかげで、古き悪は滅び、 (中略) この人のおかげで、壊れたものはひとつになり、この人のおかげで、憎しみのあったところに平和がもたらされるんだ。」

な~んていう風には思えないんですけど・・・・・ ^^;

と書いたわけですが、案の定(?)、アーキペラゴ全域において魔法使いが大切にしてきた均衡が失われ、秩序とモラルが崩壊し始めていました。  そして、どうやらこの第3巻のメインプロットは「世界を平和に統治する優れた王の育成」ということになったようです。

物語によれば過去にアースシー全土の王となったマハリオンという方が、「暗黒の地を生きて通過し、真昼の遠き岸辺に達したものが私の後を継ぐであろう」と言い残したということになっています。  そして、このマハリオン亡き後、これまで800年玉座は空っぽだったとのこと・・・・・・  そして、この第3巻ではゲドを訪ねてきたエンラッドの王子アレンがゲドと共に異変の原因をつきとめ、処置をほどこす旅に同行することになるところから物語は始まります。  これはどうやらグウィン版「行きて帰りし物語」となる気配プンプンです(笑)。


KiKi が大学時代に初めて出会った物語「ゲド戦記」。  ただしその時には KiKi は何故か第1巻しか読んでいなかったように思うんですよね。  実際、今回この第2巻を読んでみても「同じようなプロットの話を読んだことがあるような、ないような?」という程度の印象だったし・・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記2 こわれた腕環
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

5187CMRZJML._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。  青年ゲドは、平和をもたらすエレス・アクベの腕環を求めてアチュアンの墓所へおもむき、暗黒の地下迷宮を守る巫女の少女アルハと出会う。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記2 こわれた腕環
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

51sfkCx7AOL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。  力みなぎるゲドは、平和をもたらす不思議な腕環を求めて旅し、暗黒の地下で迷宮を守る巫女の少女と出会う。  (岩波少年文庫HPより転載)

この物語、前半を読み進めているうちは「どこがゲド戦記なんだ?」と思わないでもありません。  何せ、肝心要のゲドは登場しないし、色彩感溢れる世界だった前作が描くアースシーとはどこか趣を異にしたモノクロの世界、カルカド帝国に属するアチュアンという墓所が舞台なんですから・・・・・。  しかもこの墓所は光らしい光のない全くの闇の世界。  さらに言えばそこかしこに崩れやら綻び、さらには降り積もった埃なんかが充満する死臭に満ちた世界なんです。  もちろん前作出てきた「影」が象徴する物の中には「死」さえも含まれていたとは思うけれど、あちらでは確かに存在するものとして明確に描かれていた「生」の気配がこちらの作品ではほぼナシと言っても過言ではないようなスタートを切ります。

アルハ(幼名もしくは真名:テナー)は大巫女のしるしを持っている者として、6歳の頃にアチュアンの墓所に連れてこられ、テナーという真名を取り上げられ、「名なきもの」と呼ばれるこの地の精霊たちの大巫女となるべく教育を受けさせられます。  彼女が大巫女となる儀式は「玉座の神殿」で執り行われ、その儀式が象徴するのは「永遠に生まれ変わる(死を超越した もしくは 死そのものの)巫女」の再来ということのようです。  

因みにその儀式は白覆面で顔を覆われた男におおきな刀でクビを落とされるという象徴的な行為が黒装束の男たちによって止められることで始まります。  この儀式によって、普通の人間(生ける者)であったテナーは死に、「名なきもの」に捧げられた「食らわれしもの」(≒ アルハ)となるのです。  アルハとなったテナーはアチュアンの墓所の「玉座の神殿」の大巫女となり、そこは男であればどんなに身分の高いものであっても踏み入れることは許されない聖域でした。  もっと言うならそこは普通の巫女であっても立ち入られる場所が限られており、神殿の地下に広がる墓所の地下迷宮を統べることができるのは大巫女のみという実に閉鎖的な世界です。

普通の人間だったテナーがこの儀式によって得たものは何だったのか?と言うなら、誰も自分の言うことには逆らえない「大巫女」というポジションと、あの儀式で自分の首に向けられた刃のような殺意・・・・だったような気がします。  それも善悪というような価値観を超越した「ひたすら死だけを求めるような根源的な殺意」とでも呼ぶべきものだったのではないかと・・・・・。  それをさらに助長させていくのが、複雑に入り組み何年もかけて手さぐりと記憶のみでアルハが探索していった地下迷宮の「永遠に続くように思われるような暗闇」と彼女に課せられた「政治犯の抹殺」という殺人行為だったのではないかと感じます。

ただ彼女は「生けるもの」だった時代の記憶のほとんどを失っていたとはいえ、辛うじて「生につながる何か」をその奥底に持ち続けていました。  だからこそ、彼女は「大巫女のお仕事」として与えられた最初の殺人を命じた後、悪夢に悩まされる日々を送ります。  ただその悪夢の正体が何なのか?を考える力は奪われています。  何故なら彼女が6歳の頃から受け続けてきている教育には「生」が含まれていないからです。  と同時に、この第2巻の主人公がゲドではなくテナー(アルハ)という女性である意味はここにあるのではないかと KiKi は感じました。  子を産む女性ゆえに根源的に持ち続けている「生」への拘り・・・・・のようなもの。  

 

一応大学では「英文学」なんちゅうモンを学んだ KiKi が児童文学を自分の後半生のライフワークの1つと思い定め「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶち上げた頃、残念なことにこの作品は岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。  「何故??」と思いつつもないものはしょうがない・・・・と諦め、こちらのソフトカバー版で Box 入り全冊を買い揃えました。  その後数年してジブリ映画の影響もあってかこのシリーズが岩波少年文庫のラインナップに含まれた時、KiKi がどれほど歯ぎしりしたことか!!  商売って言うモンはこういうモンと思い知らされた1つの印象深いエピソードとなりました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記1 影との戦い
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

5151160SSDL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アースシーのゴント島に生まれた少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、真の魔法を学ぶためローク学院に入る。  進歩は早かった。  得意になったゲドは、禁じられた呪文を唱えてしまう。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記1 影との戦い
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

51fw2UoPzNL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、ローク学院で真の魔法を学ぶ。  血気にはやる高慢なゲドは、修業中あやまって死の影を呼びだしてしまい、きびしい試練にのぞむ.  (岩波少年文庫HPより転載)

ルイスの「ナルニア」、トールキンの「指輪」と並んで、三大ファンタジーと呼ばれることもあるこの作品。  実は KiKi が初めて出会ったのは大学時代でした。  もっともこの作品に子供時代に出会っても何が何やらチンプンカンプンだったかもしれません。  それはとりもなおさず、子供時代の KiKi がゲドと同じように「明るさ」、「カッコよさ」、「美しさ」に惹かれ、物を測る尺度のかなり大きな部分が「役に立つか否か」だったことに寄っていたからです。  そう言う意味では子供時代の KiKi にはゲドが出会う師たちの言葉の1つ1つがゲド同様にピンとこなかったような気がして仕方ない・・・・・ ^^;  と、同時に影の正体が何なのか?は分からずじまいだった可能性もあるような気がしています。

でも、幸いなことに KiKi がこの物語に出会ったのは大学時代でした。  そういう意味ではユングやフロイトも少しは聞きかじっていたし、哲学的な思考というやつもわずかながら芽生えていたし、更には自分の身の回りで起こっていることを懐疑的に考え直してみるという姿勢も少しずつ生まれていた時代に読んだことにより、印象に残る作品の1つになっていたように思います。

  

沼津への帰省中に割り込んできた「電子書籍積読本読了企画(? 企画というほどのものでもなかったけれど ^^;)」によりちょっと中断されて思いのほか時間がかかってしまったけれど、再び「岩波少年文庫」に戻ってきました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

二年間の休暇 (上)
著:J.ヴェルヌ 訳:私市保彦  岩波少年文庫

61IwCscSTbL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

休暇で六週間の航海に出るはずだった寄宿学校の生徒たち。  ところが船が流され、嵐のはてに無人島に漂着してしまう。  少年たちは力を合わせて、島での生活を築きあげていく。  「十五少年漂流記」として知られる傑作冒険小説。  完訳。  (文庫本裏表紙より転載)

二年間の休暇 (下)
著:J.ヴェルヌ 訳:私市保彦  岩波少年文庫

51U0gjsB4wL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

さまざまな困難にもめげず、無人島の生活を充実させていく少年たちだったが、ブリアンとドニファンが対立を深めてしまい・・・・・。  そんなとき、島に悪漢が上陸し、ドニファンに危機がせまる。  少年たちは、無事に故郷に帰ることができるのか?  (文庫本裏表紙より転載)

最近ではこの物語の標題も「二年間の休暇; Deux Ans de Vacances」という著者がつけたタイトルどおりに翻訳された本が多いようですが、KiKi の子供時代にはもっぱら「十五少年漂流記」というタイトルで知られていました。  だから恥ずかしながらこの本が出版されたのを知った時、KiKi 自身はこの物語があの「十五少年漂流記」であることをちゃんと認識していませんでした ^^;  ま、それはさておき、子供時代に KiKi が読んだその「十五少年漂流記」は先日ご紹介したこの「世界少年少女文学全集」の中の1冊で抄訳版でした。  ですから今回が「全訳版」の初読体験となります。

以前、「ロビンソン・クルーソー」の Review にも書いたけれど、あの本といいこの本といい、KiKi の子供時代にはどちらかといえば「男の子向き」の本としてカテゴライズされていたように思うんですよね。  実際、KiKi も抄訳版の「十五少年」を楽しく読んだけど、当時の自分とは異なりやたらと生活力旺盛な彼らにどこか「できすぎ」的な感想を抱いたうえに、「冒険」とか「自活」というお話にはあまり興味がなかったせいもあって、何度も何度も繰り返し読むには至りませんでした。

その後、大学時代に W.ゴールディングの「蠅の王」に出会い、どうやら KiKi の頭の中ではこれら2冊の本がごっちゃになってしまっていたようです。  時代設定も、ストーリーも、「漂流記」という共通点こそあれ全然違うのにね・・・・・(苦笑)  だから今回の読書では時折、「あれ?  こうだっけ??」と戸惑うことも多く、そういう意味では初読と同じくらいの驚きや意外性に楽しませてもらいました(笑)

   

今日はこちらの3冊をまとめて Review したいと思います。

やかまし村の子どもたち
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

61Y855XZ3XL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

やかまし村には、家が3軒きり、子どもは男の子と女の子が3人ずつ、ぜんぶで6人しかいません。  でも、たいくつすることなんてありません。  ひみつの手紙のやりとりをしたり、かくれ小屋をつくったり、毎日楽しいことがいっぱい!  (文庫本裏表紙より転載)

やかまし村の春・夏・秋・冬
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

1141290.gif  (Amazon)

やかまし村は、スウェーデンの小さな農村。  クリスマスにはショウガ入りクッキーを焼き、復活祭には卵パーティーで大盛り上がり!  夏休みには宝物を探しに湖の島へ。  子どもたちの四季おりおりの遊びやくらしを、生き生きと描きます。  (文庫本裏表紙より転載)


やかまし村はいつもにぎやか
著:A.リンドグレーン 訳:大塚勇三  岩波少年文庫

51ZJ6Xnm7+L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

やかまし村の子どもたちは、楽しいことを見つける天才!  リーサが子ヒツジを学校へ連れていったり、みんなでオッレの歯をぬく作戦をたてたり、宝箱をめぐって男の子と女の子がかけひきをしたり・・・・・陽気な話がつづきます。  (文庫本裏表紙より転載)


やかまし村は、たった3軒の家で構成されている村で、そこで暮らす3人の男の子 & 3人の女の子(その後+1人の赤ちゃん)の日常が描かれています。  その6人の子供達の中の8歳の少女の一人称で語られる「遊びの毎日」は実に生き生きとしていて、少なくとも KiKi ぐらいの年齢の読者には遠く離れた国のお話でありながらも違和感を感じさせない物語なんじゃないかしら?  同じ作者の「ピッピ」のように奇想天外な登場人物が出てくるわけでもなし、「カッレ」のように大きな事件が起こるわけでもない。  でも読んでいて「あった、あった!  こういうこと。  KiKi の子供の時はね・・・・・。」と似たような体験を思い出させる何とも懐かしく、微笑ましい物語の宝庫でした。

登下校の際に石の上を歩くことを仲間内の決まりとして、万が一何かの拍子で地面に足をつけちゃうようなことがあったら「死んだことにする」な~んていう遊びは KiKi にも覚えがあります。  もっとも KiKi たちの時代は、その遊びには子供なりにちゃんとした(?)本当の理由がありました。  当時は舗装道路と言えば自動車道路限定でした。  そして急増していた「交通事故」から学童自動を守るために通学路は畑の中とか民家の軒先が指定されていて、そこは未舗装だったんですよね。  だから一度雨でも降ろうものならそこかしこに水たまりができちゃって、そこを歩くと靴はドロドロになるし、下手をすると靴下まで泥水が浸み込んで気持ち悪いことこのうえない。  だからどうにかして靴をドロドロにしないために石の上を飛んで歩くというのは必要に迫られていたことでもあったんです。

でも、それをそのまま口にしちゃったら余りにもつまらないし、まして程よい距離感で都合の良い石があるわけでもなし。  だからそこに遊びの要素を持ち込んで、「石から落ちたら死んじゃうということにしよう!」となったんですよね。  この物語を今回再読するまで、そんなことはすっかり忘れていたんだけど、読み進むにつれて飛び石下校にまつわるアレコレを鮮明に思い出しました。  本来「靴を汚さないため」の飛び石下校だったはずなのに、子供の跳躍力ではとうてい辿りつけない石しか見つけられなかった時に「えいや!」とばかりに飛んでみたら、結局大きな水たまりのど真ん中に落っこちて、挙句そこで足を滑らせて靴はおろか、スカートからブラウスまでドロドロになっちゃって、帰宅するや否や母に叱られたことまで思い出しちゃった・・・・・ ^^;

KiKi が「岩波少年文庫全冊読破企画」を思いつき、少しずつ文庫本のコレクションを始めて何年かが過ぎた頃、大学時代の指導教授の退官を嘗ての教え子たちでお祝いする食事会が企画されました。  その教授は英文学の教授だったのですが、そこに「同僚」としてひっそりと、実に控えめな風情で同席されていたのがこの本の翻訳者の私市先生でした。  この先生に KiKi は大学1年生のとき「フランス語講座」でお世話になったのでとても懐かしく、久々にお会いできたことがとても嬉しかったことを覚えています。  

その後、暫くして「岩波少年文庫」の「海底二万里」の訳者が誰あろうその私市先生であることを知りました。  ま、てなわけで不肖の教え子としては、これまで何度も挫折してきたこの物語、今回は覚悟してじっくりと最後まで投げ出さずに読むことを自分に課すことになりました。(苦笑)  本日の KiKi の読了本はこちらです。

海底二万里 (上)(下)
著:J.ヴェルヌ 訳:私市保彦  岩波少年文庫

61JK2ZFBTSL._SL500_AA300_.jpg  61KCZ1TYXAL._SL500_AA300_.jpg
   (Amazon)             (Amazon)

潜水艦「ノーチラス号」にとらわれの身となった、フランスの博物学者アロナックス教授、青年コンセイユ、カナダ人の銛打ちネッド・ランド。  思いがけない探検の旅に出た3人は、海底の神秘にふれて驚嘆する。  海洋冒険小説の名作。 (文庫本上巻裏表紙より転載)

太平洋から、インド洋、紅海、地中海を経て、ついにノーチラス号は未知の南極へと向かった。  海中で氷に閉じこめられてしまった潜水艦は、刻一刻と酸素が欠乏してくる...。  地上の人間社会を憎む、謎めいたネモ船長の正体は?  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この本はね~、子供時代から何度手に取ってみたことでしょうか??  ところが途中までで挫折したことが何と多かったことか!!  とにかく海洋生物の描写(しかもそれが写生的な描写というよりも 門・綱・目・科・属・種などで分類したお話)が続くところや、潜水艦の構造や動力の仕組みなんかの説明が続くところは文系頭脳の KiKi にはチンプンカンプンでねぇ。  これがせめて脇にこの物語に出てくる海洋生物が網羅されている図鑑でもあればまだ読み進むことができたような気もするんですけど、そうじゃないとその列挙のあたりで必ず睡魔に負けるんですよ(苦笑) 

本屋さんでこの本を見つけた時、「岩波少年文庫だから少年向けの抄訳版で読みやすいのかなぁ・・・」と淡い期待を胸に手に取ったんですけど、さすが(?)私市先生!  完訳版ですか。  それだけで正直なところ溜息モノで何度棚に戻しかけたことか・・・・・。  でも「岩波少年文庫全冊読破企画」なんですから、やっぱり避けては通れないし、嘗てお世話になった先生への敬意ということもあり購入に至ったわけです。  もっともそれからかなり長い間「積読状態」にしちゃっていたんですけどね(苦笑)

さて、今回の読書でも案の定、海洋生物の分類の辺りはやっぱり退屈。  ある意味でそこは半ば読み飛ばし状態で先へ進もうとするんですけど、結構その話の分量が多い・・・・ ^^;  でも今回は読破が目標ですから睡魔と戦いながらも先へ先へと読み進むと文学的な海底冒険描写あり、不思議な発見ありとなかなか楽しむことができました。  これであの生物分類記述が半分位だったら、超お気に入りの物語になるだろうなぁと感じることができました。

さて、いざ読了してみると、実に様々なことを考えさせられました。  今回の Review ではそのあたりについて記録しておきたいと思います。

連日、介護についてのエントリーに重きを置きつつある KiKi ですが、ちゃんと読書の方も着々と進めていますよ♪  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

オタバリの少年探偵たち
著:C.D.ルイス 訳:脇明子  岩波少年文庫

51JjBCH0HTL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

第二次大戦直後のイギリスで、戦争ごっこにあけくれる少年たちの物語。  ある日、みんなでかせいだお金が消えてしまいます。  犯人を見つけ、お金をとりもどそうとするうちに、いつのまにか、悪党一味の大犯罪があきらかに・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

物語冒頭はどこか先日読了したばかりの「飛ぶ教室」を彷彿とさせます。  メインの登場人物たちは男の子たちばかりだし、その子たちのリーダー的存在である二人の少年、テッドとトピーが率いるグループに分かれて戦争ごっこをしているあたりは「あれ?  つい最近、似たようなお話を読んだばかりのような・・・・」と思わせるに十分でした。  しかもその後も舞台背景やらやっていることこそ違えども、いかにも男の子的な友情と対立が描かれているあたりも、「お国や時代は違えども、いずこも男の子の遊びはこんなもの。」という感じです(笑)  ついでに、子供たちに無条件に好かれる大人(先生)が出てくるあたりもね。

この物語が「飛ぶ教室」とはやっぱり別物であることを感じさせるのは物語の途中からです。  対立する2つのグループの中のとある少年が学校の教室の窓ガラスを割ってしまったことから、その2つのグループはあの「三銃士」の「全員はひとりのために。  ひとりは全員のために。」な~んていうことを言いながら講和条約を結び、その窓ガラス代をみんなで協力して弁償するという素晴らしい判断をします。  でも時は第二次大戦直後。  子供どころか親だってその日を暮らすのが精一杯。  ましてこの主犯(?)の男の子に至っては両親を失って親戚に引き取られ肩身の狭い思いをしている毎日なので、保護者に「学校の窓ガラスを割っちゃったから、お金を頂戴」なんて言える状況ではありません。  

彼らはいくつかのグループに分かれてあれやこれやと知恵を絞って、お金を稼ぐ算段をし更にはそれを実行するわけですが、ここがこの物語の最初の見せ場になっています。  靴磨きのための作戦の部分なんて思わずクスリと笑っちゃいます。  路上売りのお手伝いをする辺りは「へぇ!  なかなかこの子たち、逞しいじゃん!!  将来はきっといい営業マンか広告マンになるんだろうなぁ」な~んて思わせてくれるしね。  このプロジェクト、名付けて「ガラス屋作戦」。  こんな状況であってもどこか「遊び半分」なのが、さすが男の子です。(笑)

で、彼らの努力の甲斐もあって彼らが試算した窓ガラス代にはお釣りがくるほどお金は集まったんだけど、な、な、なんとそのお金がなくなっちゃうんですよ。  当然疑惑はそのお金を預かった男の子に向けられます。  するとせっかく結んだ講和条約はいきなり吹っ飛んで、再び元の2つのグループ(若干の人員配置の変更アリ)に分かれ、今度は「法廷ごっこ」です。  対立するグループのリーダーが裁判官 & 検察で、弁護人もちゃんといます。  で、この裁判の結果、「何びとも有罪と証明されるまでは無罪であり、罪を証明する義務は検察側にある」という大人顔負けの論理性のもと審議保留となり、今度は「探偵ごっこ」に突入です。


ノスタルジックな物語のようでいて、どこかよくわからないところのある物語を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ぼくらはわんぱく5人組
著:K.ポラーチェク 訳:小野田澄子  岩波少年文庫

51wOiLuVdwL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ぼくたちわんぱく5人組は、毎日それは忙しい。  だって、面白いいたずらが次々に浮かんでくるんだもの。  空箱を集めて街を作り火事遊びをしたり、ネズミをトランクに入れてお手伝いさんを驚かせたり、もちろんけんかもする...。  アウシュヴィッツ強制収容所に消えた作者が、チェコスロヴァキアの小さな田舎町で過ごした黄金の子供時代に思いを馳せて綴った遺作。  (文庫本扉より転載)

物語の最初の方は、ある意味では微笑ましく、ある意味では眉をひそめちゃうようなわんぱく坊主のいたずら物語です。  まあ、子供時代には優等生で、学級委員な~んていうことをしていて、ついでに女の子だった KiKi からしてみると、「いたずらの度が過ぎている」を思わないでもないお話の連続なんですけどね。

だって、この子たち、やたらと「火遊び」が好きなんですよ。  時代というのもあったのかもしれないし、住宅が密集する日本とは環境そのものが違うのかもしれないけれど(要するに子供が「火遊び」をしても飛び火して大惨事になるような環境じゃなかった)、それでもこんな遊び方が許されていいのか?と思わずにはいられなかったりするんです。  ま、だからこそ今の岩波少年文庫のラインナップからは外されちゃったのかもしれませんけどね。

友だち同士の喧嘩だとか、ちょっとしたことで「もうあんなヤツとは遊ばない!」と宣言したりするあたりは、実に子供らしい性急さが滲み出ていて、そんなことを言っていた舌の根も乾かないうちに結局は又つるんでいたずらに興じたりするあたりは、どこか KiKi 自身の子供時代にも似たような経験があったりもして、「ああ、あるある、こういうことって・・・・・」とノスタルジックな感慨に耽ります。

イマドキの子供とは違って外的な刺激がほとんどなかった時代の田舎の子供には、自分の街にごく稀に訪れるちょっとした非日常(映画とかサーカスとか)が、2020年東京招致のオリンピックに負けず劣らずの一大イベントで、そこになんとか連れて行ってもらうために心の中で疼き続ける「いたずら心」を子供としてはかなり無理をした自制心を働かせて、「いい子」を演じようとする気持ちなんかは痛いほどよくわかります(苦笑)。  KiKi 自身、友達と比較するとかなり少ない「お小遣い」しかもらっていなかったので、何かしたい(例えば映画を観に行きたいとかお祭りに行きたいとか)と思うと常に親の許可を得る必要があったから、そういう希望を口にする際には常にバーターで「親の意に沿ういい子」でなきゃいけないという強迫観念みたいなものがありましたから・・・・・。

でもね、後半に至って主人公のペーチャが猩紅熱にかかって、その熱の中で妄想する「象を飼う」まではいいとして、インドに行くだの、そのインドでわんぱく仲間の1人がマハラジャの一人娘と恋に落ちて結婚することになるだのというあたりは正直なところ「は?  何?  それは???」っていう感じでした。  熱に浮かされた状態だから「何でもアリ」なのはわかるけど、それにしても「なぜにインド?  なぜに結婚??」という感じがしないでもありません。


まぼろしの白馬 E.グージ

| コメント(0) | トラックバック(0)

The brave soul and the pure spirit shall with a merry and a loving heart in herit the kingdom together.

雄々しき魂と清らなる心をもてるもの、ほがらかなる精神とやさしき愛をもてるものとともにこの王国を継承すべし

本日の KiKi の読了本はこちらです。

まぼろしの白馬
著:E.グージ 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51UsumiICpL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

古い領主館にひきとられた孤児の少女マリアは、館にまつわる伝説に興味を抱き、その謎を解こうと大はりきり・・・・・。  活発で明るいマリアは、暗い館の生活を一変させ、周囲のおとなたちを事件にまきこみます。  ロマンチックな物語。  (文庫本裏表紙より転載)

この本は初読だったんですけど、一読して感じたのは「ああ、この本を子供の頃に読んだら今よりももっともっと夢中になっていたんだろうな」ということでした。  とにかく女の子が憧れるだろうありとあらゆるものが美しい言葉で描かれているんですよね~。  舞台となる古風なお城然り。  少女のサイズに作られた入口(つまり大人は入れない)の自分だけの部屋然り。  美しい家具・調度の数々然り。  毎日誰かが用意してくれる綺麗な洋服や美味しそうな食べ物の数々然り。  館を取り囲む美しい庭園とのどかな田園風景然り。  登場する地名や人の名前までもが、きれいなものを連想させます。  シルバリーデュー(銀のしずく)村とか、パラダイスの丘とか、ムーン・エーカー館とか、とか、とか・・・・。

ま、逆に言えば思春期の男の子だったらこの物語の描写は甘ったるすぎて「とてもじゃないけど読んじゃいられない!」という気分に陥る可能性大なのかもしれません。  もちろん美しい物語であることに変わりはないんだけど、やっぱり「少女の夢」っていう雰囲気があまりにも濃厚な作品だと感じました。

特にそれを感じるのは、物語の中盤から出てくる悪役たちの描写なんですよ。  色彩鮮やかな荘園の中で暗い松林に潜んでいるという明暗の対比とか「黒い男たち」という呼び方でその残虐さや不気味さを象徴しようとしているんだけど、そんな彼らの描写がどこか中途半端というか精気に乏しいというか・・・・・・。  いかにも女の子が空想の中で描く「不気味で悪い奴ら」という感じで、真に迫ってくる存在感・現実感みたいなものが希薄なんですよね~。  彼らの生業が強奪であることは所謂伝聞の形でそこかしこに描かれるんだけど、その割には荘園で暮らしその被害を被っている一般人の生活の悲惨さみたいなものもほとんど描かれていないし・・・・・。

秘密を胸にもって帰るっていうのが、クローディアの望みなのよ。  天使には秘密があったので、それがクローディアを夢中にもさせたし、重要にもさせたのですよ。  クローディアは冒険がほしいのではないわね。  お風呂や快適なことがすきでは、冒険むきではありませんよ。  クローディアに必要な冒険は、秘密よ。  秘密は安全だし、人をちがったものにするには大いに役だつのですよ。  人の内側で力をもつわけね。

原題「ベシル・E・フランクワイラー夫人のファイルの山から: From The Mixed-Up Files of Mrs. Basil E. Frankweiler」が邦題「クローディアの秘密」になっちゃった理由はこの作中のフランクワイラー夫人の一言(↑)にあるんですねぇ・・・・。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

クローディアの秘密
著:E.L.カニグズバーグ 訳:松永ふみ子  岩波少年文庫

51XCZ72160L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

少女クローディアは、弟をさそって家出をします。  ゆくさきはニューヨークのメトロポリタン美術館。  そこでこっそり生活をするうちに、2人はミケランジェロ作とされる天使の像にひきつけられ、その謎を解こうとします。  (文庫本裏表紙より転載)


この本を読むたびに KiKi が思い出すのは KiKi がクローディアと同じぐらいの年齢だった頃、やっぱり「家出」をしたくなっちゃった時のことです。  何が直接の原因だったかのかは忘却の彼方なんだけど、ある日「絶対に今日こそ『家出』を決行するんだ!」と決心した KiKi はクローディアと同じように親に置手紙を書きました。


1週間の家出  KiKi


ってね。  で、その KiKi の家出は1週間はおろか1日ともたなかったんだけど、半べそをかきながら帰宅した KiKi を母は物凄い勢いで叱り飛ばしました。  自分の計画が失敗だったこと、さらには母親にこれ以上はないっていうほど怒られて意気消沈した KiKi を見て、父は笑ってこう言いました。


あのなぁ、KiKi。  期限付きの家出っていうのはないんだぞ。  そういうのは「家出」じゃなくて「旅行」って言うんだ。


ってね(苦笑)    ま、それはさておき、クローディアには「生まれた時から一番上の子供で、その上女の子だったというそれだけの理由で、下の子たちのお手本になるようないい子でいなくちゃいけなくて、女の子らしく弟の世話や家事手伝いをさせられるうえに、それを怠るとお小遣いが減額される」という不公平に抗議するという家出をするうえでの大義名分がありました。  さらには同じことの繰り返しである日常への倦怠感がそれに拍車をかけ、自分は家出をするんだと思い込んでいました。

でもね、本当の家出の理由は実は別のものだったんだろうと、過去に「1週間の家出」を企画して遂行できなかった KiKi は思うんですよ。  彼女がしたかった家出というのは「親の庇護からの脱出」だったんじゃないのかなってね。  実は KiKi 自身、上にも書いたように「1週間の家出の直接の原因」はまったく覚えていないんだけど、はっきり覚えているのは親に何がしかの不満を持つぐらいまでに親から精神的に分離し始めている感覚があったこと、別の言い方をするならば親への感情が絶対的なものではなくなってきていたということなんです。

要するに自我の目覚めっていうヤツですね。  だから親が望む優等生であることもイヤ、親にあれしろこれしろと言われるのもイヤ、ましてやそれにちょっと反抗すると親が立場の優位性をふりかざし「お小遣いの減額」というような痛い所をついてくるのは理不尽だという想い・・・・・。  でも、それは親を嫌いになったということではないし、まして「困らせてやろう」な~んていう悪意を抱かせるほどのものではないんです。  それどころか、自分が家出な~んていうことをしでかしたら親がものすごく心配するだろうということもよくわかっていて、それを回避するためにクローディアにしろ KiKi にしろちゃんと手を打つんですよ。

ところがそこはやっぱり子供なんです。  子供特有の無邪気な浅はかさとしか言いようのないことしか思いつかないんですよ。  クローディアは「心配しないで」と書いておけば親は心配しないだろうとタカをくくっているし、KiKi は期限付きならOKだろうとこれまたタカをくくっている・・・・みたいな。  まあ、KiKi が期限付きにしたのは親を安心させるためばかりではなくて、生活能力がクローディアよりも未発達だったうえにクローディアにはいたスポンサー(弟のジェイミー)がいなかったから、自分の所持金では1週間が限界だろうと思っていた(実際には1週間も無理であることがすぐに判明)というのもあるんですけどね。

クローディアと KiKi の家出の類似点は今の親元での生活が耐えられないというほどのものではなく、逆に「家なき子」や「小公女」の主人公たちのような厳しい生活は自分には耐えられないことも分かっているということだと思うんです。  まして時間が来ればゴハンができてきて、いつも洗濯された洋服を着ることができているのは「親のおかげ」であることもちゃんと分かっているんです。   だからクローディアはメトロポリタン美術館を家出先に選ぶし、KiKi はどこへ行くかは決められないけれどとりあえず期限だけを決めていたりするんです。

そしてクローディアと KiKi の家出の相違点は KiKi の方が著しく計画性に欠けていたのに対し、クローディアの方は「計画をたてる5分間は、探し回る15分間に匹敵するのよ」と別の場面で言うように、用意周到です。  確かに思い付きとしては「メトロポリタン美術館」なんていうのは素晴らしいと思うけど、実際の深夜の美術館なんていうのはもっと不気味なんじゃないかなぁ。  そこは姉弟二人連れという心強さがあったのかもしれないけど、KiKi だったら動くはずのない展示物(彫像とか石棺の蓋とか)が動いたような気がして眠れなかった・・・・・みたいなことがあってもおかしくないと思うんだけど、この姉・弟はひたすら無邪気に遊びまわっています ^^;


聊斎志異 蒲松齢

| コメント(0) | トラックバック(0)

岩波少年文庫、朝鮮文学に引き続いて読了したのは中国文学で、アジアしている今日この頃です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

聊斎志異
著:蒲松齢 編訳:立間祥介  岩波少年文庫

518SM441D4L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)    (Amazon)

こおろぎになった少年、菊の精の姉弟、豆つぶのように小さい犬、美女に化けた狐、なぞの仙人 ・・・ 伝説などをもとに、人間と幽霊・妖精・動物たちとの不思議な交流を描いた中国の清時代の短編集。  (文庫本扉より転載)

KiKi の手元にあるこの本は1997年版で上の写真と同じ背表紙が水色のものなので、画像はそちらを使いました。  Amazon Link は左が KiKi のものと同じバージョン(つまり現在では古本でしか入手できない版)、右が現在発刊されているバージョンのものです。

この岩波少年文庫版には全部で31編の短編(これが本当に短いの!)が収められています。  全編は12巻、494編もあるらしいのですが、我が日本国で比較的入手しやすい岩波文庫の本作であってさえも92編しか収められていないようです。  アジアン・テイストのショートショートといった雰囲気でなかなか楽しめる物語集だと思いました。

でも生まれて初めてこの本のことを知った時は、タイトルが読めなくてねぇ・・・・・。  今でこそ何のためらいも迷いもなく「りょうさいしい」と読めるようになったけれど、中学生ぐらいまでは「ああ、あの柳みたいな字で始まる中国の物語集ね」な~んていう風に記憶していたことが思い出されます。

登場するのは必ずしも人間ばかりとは限らず、幽霊だの妖精だの動物たちが人間とほとんど変わることない「この世に生きとし生けるもの」として登場し、登場する人物と一緒に酒を酌み交わして仲良くなっちゃったりします。  そんなホノボノ感と、死体の首をすげかえるだの遺体を盗むだのというホラーチックな話がゴタマゼになっていて(でも不思議とおどろおどろしさはない 笑)、まあハチャメチャと言えばハチャメチャな話が多いんだけど、例えば風邪をひいて高熱にうなされながら読むには最適なんじゃないかという「夢うつつ読書」向きの本だと感じました。  何せ、KiKi はこれを読みながら夏目漱石の「夢十夜」を思い出したぐらいですから・・・・・(笑)


近くて遠い国、朝鮮の民話なんて初めて読んだような気がします。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ネギをうえた人 朝鮮民話選
編:金素雲  岩波少年文庫

51VNEYpC4zL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

人間はどうしてネギを食べるようになったのか?  ネコとイヌがけんかするのはなぜ?  おばあさんは悪いトラをどうやって追いはらったか ― 動物と人間がくりひろげるのどかな世界が語られる朝鮮の民話33編。  (文庫本裏表紙より転載)

今では BS チャンネルの番組表を眺めてみると、「はて、ここは日本か、韓国か??」と訝しく思っちゃうぐらい、韓流ドラマが横行している我が日本国。  これだけ四六時中韓流ドラマにさらされている割には、彼の国の文化に関しては実はさほどちゃんと認識されていないように感じるのは KiKi だけかしら??  ま、そんなことを言う KiKi 自身にしたって近くて遠い国韓国について、ましてや拉致問題でかなりお馴染みになった北朝鮮に至ってはほとんど何も知らないと言っても過言ではない人生を送ってきています。

この本のあとがきの編者の言葉にある


デンマークに生まれたアンデルセンの物語ならたいてい知っているあなたたちに、今度はこの近い隣の国の昔がたりも読んでもらいたいと思います。


はまさに KiKi 向けに語りかけられた言葉のように感じます。  でも実はこの本は1953年にはちゃんと日本に紹介されていたんですねぇ・・・・。  きっと子供時代の KiKi は岩波少年文庫のラインナップを眺めていても「朝鮮民話選」と見た瞬間に切り捨てていたんだと思います ^^;  朝鮮と言う国を蔑視まではしていなかったけれど、やっぱり心の中のどこかに西洋文化への憧れを強く抱いていた子供でしたから、心の中のどこにも「お隣の国」という意識さえ持っていなかったような気がするんですよね~。


寄り道のせいでやたらと時間がかかってしまった「宝島」に対し、こちらはあっという間に読了してしまいました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

森は生きている
著:S.マルシャーク 訳:湯浅芳子  岩波少年文庫

51VVH2NG9KL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

気まぐれな女王が、真冬に4月の花マツユキソウをほしいといいだし、国じゅう大さわぎ。  継母の言いつけで吹雪の森に分け入った少女は、12の月の妖精たちに出会います・・・・・。  スラブの民話をもとにつくられた楽しい児童劇。  日本でもたびたび上演されています。  (文庫本扉より転載; KiKi の手元にあるのは現在販売されている版ではなくその前に発刊されていた1990年発刊の第47刷版です。)

この物語の Review をエントリーとして書くのは初めてだけど、実は再読です。  それも初読が子供の頃だったというわけではなく、大人になってから初めて読んだ物語です。  実は KiKi はこのブログを開設する際に「岩波少年文庫全冊読破企画」なるものをぶち上げたわけですが、それより何年か前からこの企画自体は細々と遂行していました。  そしてその初期の段階に手にした中の1冊がこの本でした。  

戯曲ということもあるんだろうけれど、とにかく情景描写がダイナミックで美しいんですよ。  いわゆるト書き部分の情景描写もさることながら、登場人物たち(時に森の動物たちも含む)が語る言葉の端々からもロシアの冬の森の厳しい情景が目に浮かぶようです。  特にダイナミックさと美しさを感じさせるのは12人の月(month)の精たちが、季節外れの命令を出した女王のために冬の真っ只中にマツユキソウを探し当てなくちゃいけないことになった少女のために季節を早送りするところの描写です。  よくネイチャー系の番組で定点カメラの映像を早回ししているのがあるけれど、それに音と空気感が合わさったような感じで、これを舞台上で再現する演出家の方は大変だろうなぁと思わずにはいられません。

さて、初読の際は戯曲ということもあり、民話に題材をとっている物語ということもあって素朴な美しい物語だなぁ・・・・というぐらいの感想しか抱かなかったのですが、今回の読書ではかなり色々なことを考えさせられました。  今日はそのお話をしてみたいと思います。


宝島 R.L.スティーヴンスン

| コメント(0) | トラックバック(0)

この物語の読書中にちょっと浮気をして「ハリー・ポッター 死の秘宝」の再読なんていうことをしてしまったのでちょっと読了するのに時間がかかってしまいました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

宝島
著:R.L.スティーヴンスン 訳:海保眞夫  岩波少年文庫

514ZBERDE1L._SX230_.jpg  (Amazon)

ジム少年は、トレローニさんや医者のリヴシー先生とともに、フリント船長が埋めた莫大な財宝を探しに出帆した。  が、船のコックとして乗り組んだ一本足の海賊シルヴァーがおそろしい陰謀を企んでいた...。  海洋冒険小説の名作。  (文庫本裏表紙より転載)

今回、この物語の読書中にちょっと浮気をしちゃったのは、決してこの物語がつまらなかったからじゃなくて、たまたまダーリンの入院前に体力温存のために映画(DVD)鑑賞なんちゅうことをしていて、その時たまたま観たのが「ハリー・ポッターシリーズ」で、その映画の中でどうしても腑に落ちない点が出てきたので本で確認したくなっちゃったからでした。  因みにその腑に落ちない点というのは「分霊箱」のお話で、早トチリの KiKi は分霊箱は7つあると確信していたんです。(実際には分霊箱は6つでヴォルテモートの肉体に宿る魂1つと合わせて7つということだった)  それにも関わらず3つ目の分霊箱をロンが破壊した際に「残りはたった3つ」と言う所で「あれ?  計算が合わない・・・・・。」と思っちゃって、映画では端折っちゃった(と思われる)分霊箱1つは何かをどうしても知りたくなっちゃったんですよね~ ^^;

で、わざわざ「死の秘宝」を全部読み返してみたんだけど、やっぱり本の中身も映画と一緒で、結局この読書では謎は解けませんでした。  でもさすがに「謎のプリンス」まで読み返してみる気力は湧いてこず、結局インターネットで「ハリー・ポッター 分霊箱」で検索。  そして見つけたいくつかの解説を読んでやっと合点した次第。  こんな結末になるなら、最初からネットで調べれば良かった・・・・・・(苦笑)

ま、てなわけで「分霊箱の謎」が解けたところで再びこの「宝島」に戻ってきました。  「ロビンソン・クルーソー」を読了したのが9月16日。  この「宝島」を読了したのが9月21日。  別にスピードを重視した「全冊読破企画」ではないから、1冊に何日かかろうが大した問題ではないんだけど、この程度の厚さの本で、しかも哲学書みたいな難解な本ならいざ知らず5日もかけたとは何気に不満足・・・・・。  今度からは寄り道はできるだけしないように!と自分を戒めた次第です。

さて、本題。  「宝島」です。  こちら、このエントリーにも書いたように、KiKi の子供時代には「男の子の必読本」みたいな位置づけの物語でした。  正直なところ、この「宝島」や「ロビンソン・クルーソー」あたりがこの宮崎駿氏の推薦リストに載っているということ自体がある意味で「時代」を感じさせるような気がしないでもありません。  イマドキの子供たち(特に男の子)はこの2作品を読んでいたりするのかなぁ??  KiKi であってさえ、この2冊に関しては「元祖 海洋冒険小説」というような捉え方をしているところがあったりするぐらいですから、イマドキの子供たちにしてみればもっともっと「古臭い物語」という印象があっても不思議じゃないような気がします。

そしてね、読了してみて感じるのは昨今の刺激に満ちた「アドベンチャーもの」と比べるとどことはなしに地味な気がしないでもない・・・・。  決して物語としての起伏がないわけじゃないし、面白いんだけどそこかしこに感じるこの「地味」という感想の根っこにあるのは何なのかしら?  色々考えてみて、思い当たったポイントがあるのでそのお話をしてみたいと思います。

  

台風18号が襲来し、それこそ「経験したことがないような暴風」にLothlórien_山小舎がキシキシと泣き続けるなか、「元祖 サバイバル小説」とでも呼ぶべきこちらの物語を読了しました。

ロビンソン・クルーソー
著: D.デフォー 訳:海保眞夫  岩波少年文庫

51VDQRBBFTL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

航海に出たロビンソン・クルーソーは、嵐にあい、たったひとり絶海の孤島に打ちあげられてしまう。  わずかな食糧と道具をたよりに、どうしたら生きのびることができるだろうか―。  近代小説の原点ともなった冒険物語の古典。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi の子供時代、男の子の必読本といってもいいような物語だったのがこの「ロビンソン・クルーソー」や次に読む予定の本「宝島」、そして「十五少年漂流記」といったあたりの物語だったように思います。  対する女の子の必読本は「赤毛のアン」とか「若草物語」とか「ローラ物語」。  そういう意味ではこの「ロビンソン・クルーソー」、KiKi も小学生時代には「タイトルだけは知っている男の子のための冒険のお話」という認識をしていたように思います。

で、中学生になってから「いくら男の子の本とは言え、この超有名な物語を素通りしてもいいんだろうか?」なんぞという殊勝なこと(?)をチラッと考え、学校の図書館から借り出してきて少しだけ読んでみたものの「人肉食の蛮人」が登場するに至りギブアップ(苦笑)  で、それから大学生になるまで一切関わらずに過ごしてきました。

大学で一応「英文学部」なるものに所属するに至り、「英文学史」の授業にも出てきたこのエポック・メイキング的な物語を素通りしたまんまじゃいかんだろうなんぞという2度目の殊勝な想い(?)を抱き、今度は「とりあえず最後まで読了すること」を自分に課して初めて通読。  その頃はロビンソン・クルーソーのサバイバリストとしての物語というよりはどちらかというと「キリスト教宣教の本」という印象で読了しました。  そして今回の読書に至りました。

 

飛ぶ教室 E.ケストナー

| コメント(0) | トラックバック(0)

KiKi の子供時代、自宅でもっともお世話になったのは岩波少年文庫と親戚のお姉さんからのお下がりだった河出書房新社(だったと思う)の「少年少女世界文学全集」でした。  そしてこの「飛ぶ教室」はその「少年少女世界文学全集」の中の1冊として読みました。  そういう意味では岩波少年文庫版は今回が初読となります。  もっともその「文学全集」の方の読書はあまりにも昔のことなので、2つを比較できるような読み方はできないんですけどね(苦笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

飛ぶ教室
著:E.ケストナー 訳:池田香代子  岩波少年文庫

51BhQThq1ZL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。  個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。  寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます。  (文庫本裏表紙より転載)

恐らく KiKi が初めてこの物語を読んだのは小学校の低学年から中学年にさしかかる(2年生か3年生)頃だったと思います。  当時の KiKi には正直なところこの物語のよさがさっぱりわかりませんでした。  と言うのも、舞台は男の子ばかりが暮らすドイツのギムナジウムです。  しかも物語の冒頭で印象的に(?)登場する男の子は大食らいときています。  挙句ギムナジウムに通う男の子が実業学校に通う男の子たちに拉致され、それを助けにギムナジウム組が殴り込み・・・・・ ^^;  寮生活の何たるかも知らなければ、男だけの世界に流れる流儀みたいなものにも疎く、ついでに「暴れん坊」が苦手だった当時の KiKi にしてみれば「なんじゃ、こりゃ?」の世界だったのです。

でもね、もう少し成長して小学校を卒業するちょっと前ぐらいのタイミングで読んだときにはこの同じ物語がスッと心に沁みこんできたんですよね~。  これは小学校生活の中で男の子っていうのはどういう生き物なのか、その行動原理にどんな気持ちがあるのかということが何となく理解できるようになってきていたということもあっただろうし、初読の際には読み飛ばしていた大食らいの男の子の将来の夢がボクサーであることもちゃんと理解できていたからだと思うんですよね。  実業学校の子供たちが別の学校の子供を拉致するという設定にはリアリティは感じられなかったけれど、協力して仲間を助けるという義侠心とか、伝統的な対立意識とか、勇気ある行動に憧れる気持ちといったものがある程度身近なものに感じられる年齢になっていたからだと思います。

狭い世界で暮らしている少年たちが見せるある種の純粋さはキラキラと眩しかったし、どんなに仲間が大勢いてそれが素晴らしい仲間だったとしても、その中の個人には何かしらの問題・悩みのようなものがあって、その何かに時に押しつぶされそうになったり、抗ったりするわけだけど、その時は結局1人ぼっちなんだよなぁということも考えさせられました。  ただ、その決着をつける過程で、あるいは何らかのしっぺ返しを食らったときには周りには誰かがいてくれるのがいい。  それは仲間であることもあれば、この物語に出てくる2人の魅力的な大人、「正義さん」と「禁煙さん」のような「子供の心を忘れてはいないけれど、そこにホンモノの知恵も身につけた懐の広い大人だったりもすれば最高です。  そして思ったものでした。  「私もこういう本当の意味で良識のある大人になりたい。」と・・・・・。

 

昨日のエントリーでもお話したように、今日から暫くの間の「岩波少年文庫 全冊読破企画」の書籍選択はかつてこのエントリーでお話した「宮崎駿選 岩波少年文庫の50冊」に則って進めていきたいと思います。  ま、てなわけでその記念すべき再開第1作はこちらの作品となりました。

長い長いお医者さんの話
著:K.チャペック 訳:中野好夫  岩波少年文庫

51T504J7TZL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

チェコの文豪カレル・チャペックの楽しい童話集。  親切な町のお医者さんたちや、働き者の郵便屋さんなどが活躍する、しゃれたおとぎ話を9編。  兄ヨセフのゆかいな挿し絵とともに、多くの人たちに愛されてきた現代の古典。  (文庫本裏表紙より転載)

この本はね、子供時代に学校の図書館で何度も借り出したお気に入りの童話集だったんですよ。  でもその後、この物語のことはすっかり忘れてしまって、さらに言えば子供時代には作者が誰かな~んていうことはあんまり気にしていなかったので誰の作品なのか知らないまま KiKi は大人になっちゃったんです。  で、大人になったら同じチャペックの「園芸家12ヵ月」(↓)に出会ってクスクス笑いをさせてもらって、ふと気が付けば「この2つ、同じ作家の作品じゃあ~りませんか!」となってそれからますます愛着がわくようになったという物語集です。

2013_Sep13_002.JPG  (Amazon)

チェコの生んだ最も著名な作家カレル・チャペックは、こよなく園芸を愛した。  彼は、人びとの心まで耕して、緑の木々を茂らせ、花々を咲かせる。  その絶妙のユーモアは、園芸に興味のない人を園芸マニアにおちいらせ、園芸マニアをますます重症にしてしまう。  無類に愉快な本。  (文庫本裏表紙より転載)

この「園芸家12ヵ月」の Amazon Link の文庫本の表紙は KiKi がご紹介している写真のものとは別(Amazonの方が新しい)なんだけど、KiKi がご紹介しているこっち(↑)のこの絵が本日読了した「長い長いお医者さんの話」でも挿絵を担当しているお兄さんの絵で、実にほのぼのとした味わいのある絵なんですよね~、これが。  お話もどこかとぼけたところのある語り口(それはどちらの本にも共通している)なだけに、この挿絵との相乗効果には絶大なものがあると信じて疑わない KiKi です。

さて、我が家には実はこの「長い長いお医者さんの話」は2冊あったりします。  1冊は冒頭でご紹介した現在も販売されているこのヴァージョン。  そしてもう1冊は「岩波少年文庫 愛蔵版 全30巻」の中の1巻でこちらは装丁が実に美しいんですよ。  しかもハードカバー。  実はこれ、KiKi の宝物です。

2013_Sep13_001.JPG

こういう装丁の本、KiKi の子供時代には多かったんですよね~。  日本の製本技術は優れているから現在のソフトカバー本であっても、アメリカなんかのペーパーバックと比較すればはるかにしっかりできていて、その割にはお値段も安くて文句のつけようもないとは日々感じていることだけど、それでもこういう厚紙仕様で風格のある本っていうのは本を読む前の心構えみたいなものを読む側に要求する独特のオーラを放っています。  で、せっかくだから今回はこちらの愛蔵版で・・・・と最初は思ったんですよ。  でも結局読了したのは冒頭でご紹介した現在市販されているソフトカバー本の方にしました。  その理由はね、実は現在市販されているソフトカバー本の方が収録作品数が多かったんです。


例の足の指の骨折がなかなか治らない(← と言っても治療らしい治療はしておらずテーピングだけしか処置はしていないから当たり前なのかもしれませんが ^^;)KiKi。  始末に負えないのはテーピングして靴下を履いて、例のサンダル or スリッパ履きなら歩くのに全く支障がなく痛みも感じないことで、それでもちょっと冷えたりお風呂でお湯につけたりするとジワ~っと痛みが走るし、お天気が悪いとどことなくグジグジと痛むような気がするし、まして患部を手の指で押さえたりするとちょっとズキンとくるぐらいの状態だから、なかなか積極的にお医者さんに行こうというモチベーションが湧いてこないこと(苦笑)  何せLothlórien_山小舎からそれなりの病院に行こうと思うと車で30分ぐらい山道をドライブしなくちゃいけないんですよね~。  それに来週にはダーリンのステント手術の入院も控えているので、それが終わるまでは何となく「KiKi が病院通いをしている場合じゃない!」というような意識が働きます。

ま、そんなちょっとモンモンとした状態の中、「岩波少年文庫全冊読破企画」の方は着々と進んでいます。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ウサギどん キツネどん
著:J.C.ハリス 訳:八波直則  岩波少年文庫

51+VbxQO9DL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アメリカ南部の綿畑で働くリーマスじいやの物語る黒人の民話。  りこうなウサギどん、ずるいキツネどんたちが、人間顔負けの活躍をするこの本は、「アメリカのイソップ」として世界中に知られています。  (文庫本扉より転載)

この本は「岩波少年文庫 創刊60年記念フェア」「リクエスト復刊」された1冊です。  2010年の10月に復刊され、11月3日の文化の日に購入。  それから昨日に至るまで我が家で積読状態だった1冊ということになります。  今回たまたまこの本を選んだのもこれといった特別な理由があったわけではなく、「岩波少年文庫全冊読破企画」を再開するにあたり、ふとこの特別装丁の本が目に留まって「そう言えばこの時購入した13冊のうちほとんどが手つかずのまんまだったなぁ・・・・」と思い出したからにすぎません。  そういう意味では KiKi にとってこの物語が特別思い入れのある作品というわけではなかったんですよね~。

でもね、「リーマスじいや」という名前には何となく聞き覚えがあったし、畑仕事の合間のお年寄りの民話語りということでかなりの期待をもって読み始めました。


KiKi はかねてから岩波書店児童書編集部さんが発刊している「やかましネットワーク」という機関紙を購読しています。  その2013年7月号(No.46)が沼津での同居介護生活中にLothlórien_山小舎に届いていたんですけど、つい先日までその中身を確認していませんでした。  開封してみると今年は「岩波書店創業100年」なのだそうで、それを記念した別の小冊子「岩波少年文庫 読者が選ぶこの1冊」が同梱されていました。  今日はその小冊子の中の「なにを選ぶか困った時は」というコーナーで紹介されていて興味をもったこちらを読了しました。

くろて団は名探偵
著:H.J.プレス 訳:大社玲子  岩波少年文庫

51L3i2ZwhnL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

<くろて団>のメンバーは、男の子3人と女の子1人、それにリス1ぴき。  犯人を追いつめる手ぎわのよさといったら、警察顔負けだ。  さあ、あなたも絵をじっくり見ながら、<くろて団>といっしょに4つの事件のなぞを解いてみよう!  (文庫本裏表紙より転載)

これは実に楽しめる本でした。  物語3頁+イラスト1頁の合計4頁で1章が出来ていて、イラスト頁には犯人が残した手がかりなんかが描かれていてそれを読者が探し出すという趣向の本で、その答は次の章の最初の方に書かれているため答え合わせもすぐできます。  言ってみれば「ウォーリーをさがせ!」にイラストクイズがついた軽妙なミステリー小説・・・・っていう感じでしょうか。  ただ難点を言うなら今となっては老眼がすすんでしまっている KiKi にとってこのサイズの絵は特にお布団の中だと実に見難い・・・・ ^^;  細かく描きこまれたイラストであるだけに、時に目がチカチカとしてしまい就寝前の読書としてはちょっと疑問だったことでしょうか?


「指ぬきの夏」が結構気に入ったので、岩波少年文庫に収録されている同じエンライトの作品、「土曜日はお楽しみ」を引き続き読んでみました。

土曜日はお楽しみ
著:E.エンライト 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

51HpRXuthuL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

土曜日は、何かが起こる!  4人きょうだいの結成したぼうけんクラブは、夢いっぱい、ゆかいな事件もいっぱい。  おさげを切って大変身したり、サーカスへでかけて迷子になったり、子どもたちがニューヨークの街をかけまわります。  (文庫本裏表紙より転載)

これも楽しい物語でした。  正直、できれば子供時代にこの物語を読みたかったなぁ。  子どもらしい発想がそこかしこに溢れていて、今となっては子供時代が遠い思い出となりつつある KiKi には甘酸っぱいやら、羨ましいやらで、何だかとてもまぶしいものを覗き見しちゃった・・・・・そんな気分にさせられる物語でした。

物語の主人公はメレンディ家の4人兄妹です。  上から♀、♂、♀、♂と実に見事に半々に分かれていて、それぞれの性格が又いいからとにかくバランスがいいんですよ。  いちばん上のモナはまだ大人にはなりきれない、でも長女ということもあってやっぱりどこか落ち着きを感じさせる夢見がちな女の子。  2番目のラッシュは、そんなお姉ちゃんをからかったり冷やかしたりするヤンチャなところもあるけれど、実は優しい男の子。  3番目のランディはなかなかのアイディアマン(ウーマン?)で、活気にあふれる女の子。  末っ子のオリバーはまだ6歳なんだけど、みんなに邪魔者扱いされちゃうような甘ったれでもキカン児でもない。  そしてこの兄妹、実に仲がいいんですよね~。  一人っ子だった KiKi はそれだけでも垂涎モノです。

彼らにはお母さんはいないんだけど、その代わりに家のことはすべて取り仕切ってくれている優しくも口うるさいばあやのカフィがいます。  そしてお父さんは懐が深くて子供たちに常に暖かい眼差しを注いでくれています。  そんな彼らの遊び場は「オフィス」と呼ばれている大部屋で、壊れかけたような家具ばかりが置かれている部屋なんだけど必要以上に大人たちが干渉してくるわけではないいわば自治区みたいな所。  何だか KiKi が子供時代に欲しかったもの全てを持っているような兄妹なんです。


指ぬきの夏  E.エンライト

| コメント(0) | トラックバック(0)

北方水滸を読了したので、ここからは暫くの間 KiKi のライフワークの1つ、「岩波少年文庫全冊読破企画」に戻って読書の秋は児童書三昧で過ごしていきたいと思います。  久々の岩波少年文庫の1冊目はこちらです。

指ぬきの夏
著:E.エンライト 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

51LoA4Wq5PL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ガーネットは、ぐうぜん川で銀の指ぬきを見つけます。  その日から、すてきなことや冒険でいっぱいの夏がはじまりました。  森の中にある石灰炉に泊まったり、ヒッチハイクして家出をしたり...。  農園の暮らしのみずみずしい描写が光る秀作。  (文庫本裏表紙より転載)

久々の岩波少年文庫ということで、何から手をつけるべきか結構迷いました。  未読(このブログ上はという意味ですけど)の大作シリーズもの(例えばドリトル先生とかナルニアとかゲド戦記とか)にもかなり心惹かれたんですけど、あれこれ考えて選んだ1冊は結局かなり地味目のこちら(↑)となりました。  この物語は初読です。  

そしてこの本を選んだ理由は実にシンプルで、今現在ばぁばのひざかけを作成中の KiKi にとって「指ぬき(シンブル)」はとっても身近な物体だったから・・・・・ ^^;  実は読み始めるまでは「針さしの物語」みたいに針さし、指ぬき目線の人間観察の物語を想像していたんですけど、実は全然違う構造の物語でした。  「指ぬきの夏」というタイトルではあるけれど、ガーネットという少女のひと夏の経験の物語で指ぬきはその冒頭にチョロっと出てくるに過ぎません。  

ただこの指ぬきを拾った時からガーネットの周りではいろいろな信じられないような出来事が発生し、ガーネットは「やっぱりこれは魔法の指ぬきだったんだ。  この指ぬきが運んでくれたこの素晴らしい夏をこれからず~っと『指ぬきの夏』として記憶していこう!」というお話で、タイトルが「指ぬきの夏」。  そういう意味では KiKi の期待をあっさりと裏切ってくれちゃったプロットの物語だったんですけど、これがなかなかにいい味の物語だったんですよね~。


水滸伝 下 施耐庵

| コメント(2) | トラックバック(0)

「北方水滸」、「楊令伝」を読了したのを機に、子供時代から本当に久方ぶりに再読してみたこの「少年文庫版 水滸伝」。  とうとう最終巻を読了しました。

水滸伝 下
作:施耐庵  編訳:松枝茂夫  岩波少年文庫

51ZFYQB843L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

梁山泊の義士たちは世の不正にたちむかう。  その勢力に朝廷も注目し、宋江は皇帝の命を受けて軍をすすめ大活躍するが...。  世の中に不満をもち英雄の出現を待ちこがれる人々に支えられてきた血わき肉おどる物語。  (文庫本裏表紙より転載)

最後の最後、全64章の第59章になってようやく108人の豪傑たちが梁山泊に集合しました。  そこに至るまでの108人の人物紹介とも言うべき、個別エピソードの数々は多分にご都合主義的、刹那主義的、ハチャメチャではあったけれどそれでも結構面白かったのと比べ、全員揃った後はバタバタと戦の話が羅列されて終わりっていう感じ(要するに手に汗握る戦闘シーンみたいなものは皆無 ^^;)で、何とも残念・・・・・。

でもまあ、KiKi にしてみると「時の権力」 vs. 「抵抗勢力」ということで読み始めたつもりだった物語がいきなり皇帝の下っ端になるという展開に目がテンになってしまい、そっちの残念感の方がより大きかったかもしれません。  北方水滸では最後の最後まで梁山泊は梁山泊だったのにねぇ・・・・・。  ま、時代ということを考えれば分からないわけじゃないけど、ホンネを言えば 

「何だよ。  反乱軍かと思いきや、それはタテマエで要するに就職活動みたいなものだったのかよ??」

っていう感じ?(苦笑)   宋江に至っては梁山泊のリーダーでありながら

「じぶんは不幸にして罪人とはなったが、朝廷に対していささかの異心を抱いたことはなかった。」

な~んて言っちゃって、天子さまからの招安を受けると有頂天っていう風情だし、そして詔勅を受けて向かったいくつもの戦で仲間たちをどんどん失っちゃうしで、KiKi がメンバーだったらこんなリーダーの下はご遠慮被りたいっていう感じです。

 

水滸伝 中 施耐庵

| コメント(0) | トラックバック(0)

昨日に引き続きこちらの中巻を読了しました。

水滸伝 中
作:施耐庵  編訳:松枝茂夫  岩波少年文庫

51HF24GZPDL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

虎退治で名をはせた大酒飲みの力持ち武松は、罪をつぐなうために行者の道を選ぶ。  宋江は各地で様々な事件に巻きこまれながら仲間を増やしてゆく。  平和を愛し不正を憎む、民衆の願いと祈りがこめられた物語。  (文庫本裏表紙より転載)

いやはや、なかなかもってこれは激しい物語ですねぇ。  上巻の Review で KiKi は登場人物の1人、魯智深について

あっち(北方版)の魯智深はイマドキの言葉で言えば「フィクサー」だったり「メンター」だったり「プロモーター」だったり「プロデューサー」だったりともっと知的な雰囲気が漂っていたんですけど、これじゃ単なるハチャメチャな暴れん坊じゃん!

と書いたわけだけど、その時からあっち(北方水滸)では108人の豪傑たちを梁山泊に集めるうえでスカウトマンさながらに暗躍していた魯智深がこっち(少年文庫)では単なる暴れん坊にすぎなくて、尚且つ、楊志と一緒に山塞にこもりっきりだったら、どうやって人を集めるんだろうと思っていました。

そうしたら宋江の名声というかブランドに勝手に引き寄せられてくるか、さもなければ味方に取り込むために家を焼きはらっちゃったり(帰る場所をなくすため)、濡れ衣を着せたり(居場所をなくすため)、奥さん・子供を殺しちゃったり(未練を残させないため)と目的を達成するためには手段を選ばないハチャメチャぶり・・・・・・ ^^;  どうやら現代日本人と彼らを比較すると「卑怯」という概念が大きく異なるようです。

  

水滸伝 上 施耐庵

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日もこのエントリーでお話したとおり、北方水滸 & 楊令伝を一巡したのを記念(?)して、子供時代以来久々のこちらを読了しました。

水滸伝 上
作:施耐庵 編訳:松枝茂夫  岩波少年文庫

51BW1XYVS6L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

武芸の達人や妖術使いたちなど、宋江をはじめ108人の豪傑が梁山泊に集まって、弱きを助け強きをくじいて大活躍。  「三国志」「西遊記」とともに、中国と日本で長く愛読されてきた、豪快な物語。  (文庫本裏表紙より転載)

この作品紹介の文章にもある「三国志」「西遊記」は子供時代に読んだときからかなり気に入り、ストーリーも詳細まで・・・・とはいかないまでも大筋ではしっかり頭に残っていたのに比べ、こちらの「水滸伝」はほとんど印象に残っていませんでした。  ただ、「北方水滸」を読み始めた際に強烈に感じたのは

「あれ?  この水滸。  昔読んだものとかなり違うような気がする。」

ということでした。  今回、本当に久々にこの上巻を読んでみて「気がする」どころかやっぱりこの2つは似て非なるモノであることを改めて認識しています。

そもそも子供時代にどうしてこの物語がほとんど心に残らなかったのかと言えば、少なくともこの上巻に関して言うならば、登場人物の誰も彼もが気が短い(苦笑)  そして酒癖が悪い。  「好漢」って何? と思わずにはいられない・・・・・。  そんな感じなんですよね~。

冒頭の「洪大尉、百八の妖魔を逃がすこと - 物語の発端」で、しょ~もない役人がしょ~もない感覚でお寺に封印されていた魔王を解き放ってしまうというお話があり、ある意味で「役人」とか「公権力」みたいなものを絶対悪として規定しているように読めちゃうんですよね。  そしてそうであるだけに役人を殺したり役人の金を奪ったりという行為が「好漢」として世に認められる必須条件みたいに読めたりもすれば、あそこで逃がした妖魔が百八ということで梁山泊に集う豪傑の人数が百八であることにより「妖魔」≒「好漢」みたいに読めちゃったりもするわけで、内容を覚えていないだけにこの先がちょっと楽しみです。

  

注文の多い料理店 宮沢賢治

| コメント(0) | トラックバック(0)

宮崎さんの豆本で紹介されている岩波少年文庫の順番にのっとって・・・・ではあるものの、ある意味では岩波少年文庫シリーズの中でも日本文学の中の真打といってもいいような本に到達しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

注文の多い料理店 イーハトーヴ童話集
著:宮沢賢治  岩波少年文庫

51Y2W768GGL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「すきとおったほんとうのたべものになること」という賢治の願いがこめられた童話集「注文の多い料理店」を、挿し絵とともにすべて収める。  他に「永訣の朝」「雨ニモマケズ」など、独特のことばでつづられた詩11編を収録。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi にとって宮沢賢治の作品っていうのは最初の出会いが国語の教科書(記憶は定かではないんだけど、たしか「注文の多い料理店」が載っていたように思う)で、その後学校図書館でいくつかの本を読み、この本にも収録されている「雨ニモマケズ」は小学校高学年だったか中学校低学年だったかははっきりしないんだけど、暗唱する課題が課されたことがあったように思います。  中学校低学年で暗唱することが課された詩に島崎藤村の「千曲川旅情の歌」があったので、多分「雨ニモマケズ」の方は小学生だったように思うんですけど、そのあたりの記憶はちょっと曖昧です。

当時の KiKi にとって賢治の言葉っていうのはかなり難しくて、それは彼が使っている方言に理由があったり、ちょっと古めかしい言葉であることに理由があったりもしたんだけど、要は彼の言葉で描写されているものの漠然とした雰囲気だけは伝わってくるものの、それが表現している事象そのものの輪郭がどこかぼやけている感じがして、言葉を読んでそこからクリアな映像が頭の中で描けるわけではない曖昧さ・・・・みたいなものに随分悩まされたものでした。

そういう意味では賢治の作品を「わかったつもりになっていた」年齢は中学校高学年ぐらい、ある意味で「感性」もまだまだ柔らかくてそれでいてどことはなしに「夢見がち」であることが許されていた年代だったように思います。  高校生になって大学受験だの進路だのという世界が身近になる頃にはどことなく・・・・ではあるんだけど「今は封印すべき作品を書いた作家」というイメージで捉えていたように思います。  

読書カテゴリーのエントリーがここのところずっと「光文社古典新訳文庫」だったんですけど、今日は久々の「岩波少年文庫」です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

トム・ソーヤーの冒険(上)
著:M.トウェイン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

5116BCJ521L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ミシシッピ川沿いの小さな村を舞台に、わんぱくな少年トムが浮浪児ハックを相棒に大活躍するゆかいな冒険物語。  因習にとらわれがちな大人たちに逆らってたくましく生きる子どもたちの姿を描きます。  世界中の人々から熱狂的に愛されてきた少年文学の傑作。  (文庫本扉より転載)

トム・ソーヤーの冒険(下)
著:M.トウェイン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51XK23DEJDL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

トムは仲良しのベッキーと二人で、奥深い真っ暗な洞穴で迷子になり、三日三晩とじこめられてしまいます・・・・・。  大人たちの思惑をよそに、自然の中で自由にのびのびと生きる子どもたちの夢と冒険を描いた名作。  (文庫本扉より転載)

トム・ソーヤーの物語は確かに小学生の頃に読んだ記憶はあるんだけど、今回再読してみるまでどんな物語だったかはすっかり忘れていました。  記憶に残っていたのは「トム・ソーヤー & ハックルベリー・フィン」という名前とハックが浮浪児だったこと、そして二人の少年がやんちゃだったこと。  そして女の子だった KiKi には必ずしも理解できているとは言い難い「男の子の世界」が描かれた物語だったこと・・・・・ぐらいでしょうか??  あ、あと舞台がミシシッピだったことは絶対に忘れられません。  だってこの物語で「ミシシッピ」という名前を初めて知り、わざわざ地図帳でそれがどこなのか調べた思い出があるぐらいですから(笑)

子供時代には同様に「ハックルベリー・フィンの冒険」も読んだはずなんですけど、こちらも御多分に漏れずどんなお話だったか、まったく記憶にありません ^^;  残念なことにこちらは岩波少年文庫のラインナップには含まれていないようです。  そうそうハックと言えば、KiKi の大好きなアメリカ・TVドラマ「ザ・ホワイトハウス」のトビー(ホワイトハウス広報部部長)の息子の名前がハックだったっけなぁ(笑)

まそれは置いといて、今回再読してみてトムとハックが思いのほか危険な目にあっていたことを再認識し、ちょっとびっくりしてしまいました。  夜中に家を抜け出してあちこちフラフラしていたり、挙句殺人現場を目撃しちゃったり、真犯人が別の人間に罪をきせるのを見ていたり、良心の呵責に耐えかねて真犯人を告発したり、迷子になった洞穴でいきなりその真犯人と出くわしたり・・・・・。  こんなに刺激的なお話しだったっけ???  

子供時代からこの物語に対して抱いていたイメージってもっと軽めの事件の連発で、トムやハックが微笑ましいという感じだったんだけど、正直なところこの年齢になった KiKi にはポリーおばさんのご苦労が身に沁みちゃうような気分です(笑)。

ここのところちょっと「光文社古典新訳文庫」が続いたので、今日は久々に岩波少年文庫です。  でも次の読書エントリーは「学生時代を懐かしんで - あの名作を光文社古典新訳文庫でもう一度」企画(?)からの1冊になるだろうと思います。  今年の秋の読書はこの2つのシリーズで埋め尽くされそう・・・・。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

真夜中のパーティー
著:P.ピアス 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

  (Amazon)

なぞめいたおとなりさん。  宝物の秘密の貝。  子どもの日常生活におきる、小さいけれど忘れがたいふしぎなできごとのかずかず。  「トムは真夜中の庭で」の作者による、夢と現実の世界を行き来する印象的な8つの短編をおさめる。  (文庫本裏表紙より転載)

フィリパ・ピアスという作家の名前は「トムは真夜中の庭で」「まぼろしの小さい犬」という2つの作品と密接に結びついている KiKi にとってこの本は今回が初読でした。  で、この本を今回手に取ってみたきっかけはこのブログの柱企画「岩波少年文庫全冊読破計画」の一環であるのと同時に「宮崎さんの推薦文」にもあったわけですけど、初めて宮崎さんの推薦文の中にこの本が入っているのを見た時には、逆に思ったものでした。  「あれ??  どうして、『トム~』の方じゃないんだろう??」と。

そうであるだけにこの物語への期待値は否応なく高かったことをまずは白状しておきたいと思います。  そしてその期待はまったく裏切られなかったということも・・・・・・。

まずは、この表紙の絵がいいですねぇ~。  そしてこの短編集1編1編の表紙頁にある挿絵が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。  これらの挿絵はフェイス・ジェイクスという方が描かれたものです。  因みにこの方、同じ岩波少年文庫の中ではアトリーの「時の旅人」とか「グレイ・ラビットのおはなし」の挿絵も手掛けていらっしゃいます。  どの作品での挿絵もムード満点でこれらの作品が持つ空気感を見事に視覚化した挿絵ばかり・・・・・だと思います。      

「フランバーズ屋敷の人びと」4部作を読了しました。  この「愛ふたたび」と題された第4部は先の3部完成後12年という時を隔てて、読者の要望に応える形で執筆されたものとのことです。

フランバーズ屋敷の人びと 4 愛ふたたび(上)
著:K.M.ペイトン 訳:掛川恭子  岩波少年文庫

516sPL70LBL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

屋敷の主となったクリスチナは、使用人ディックと再婚した。  戦時下の困難にもかかわらず、家庭も、農場も、すべてうまくいくかにみえた。  しかし、瀕死の重傷を負ったマークが屋敷にもどり、感情のもつれが新生活をおびやかす。  (文庫本裏表紙より転載)

フランバーズ屋敷の人びと 5 愛ふたたび(下)
著:K.M.ペイトン 訳:掛川恭子  岩波少年文庫

51hnac-ZLTL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

クリスチナとディックは、階級のちがいを愛でのりこえて結婚したはずだった。  しかし、考え方も感情もかみあわず、二人の関係はどうしようもなくこわれていく。  何を求め、誰を愛するのか、クリスチナは再び決断のときを迎える。  (文庫本裏表紙より転載)

第3部「めぐりくる夏」で感じた KiKi のある種の失望感はこの第4部を読むことにより確定的になりました。  う~ん、あの第1部で感じた期待値は何だったんだろう??  これは KiKi 自身が平和な時代に経済的に自立した生き方を長年してきてしまった故に感じざるをえない「時代遅れ感」のなせる技か、はたまた著者の描く人物たちの変貌のせいか??

できるだけ好意的に捉えようとは試みてみたんです。  日本人には理解しがたい「複雑怪奇 & 根深いイギリスの階級社会のしがらみ」が根底にある物語故だろうとか、はたまた第一次大戦という近代戦中・後の混乱期を生き抜く人々の物語故だろうとか、とか、とかね。  でもこの第3部、そして第4部を読了する過程で、KiKi にはクリスチナという人物が「その時々のクリスチナの気分・状況で都合のいい男の間をフラフラしているだけの女」に感じられ、どうにもこうにも共感することができませんでした。


第1巻を読了した時はかなりの期待感をもって第2巻に臨んだのですが、案外あっという間にその期待が萎んでしまった感アリです。  ま、だからこそこの Review が2巻まとめてとなっちゃっているんですけどね。  読書スピードが若干あがったように見えるのは、実はここ2日ほど背中やら肩やらが半端じゃなく痛くて(50肩かしらん? 苦笑)、チクチク作業に邁進することができなかったからです ^^;

フランバーズ屋敷の人びと 2. 雲のはて
著:K.M. ペイトン 訳:掛川恭子  岩波少年文庫

51T0Gbyh9jL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

結婚の約束をして、フランバーズ屋敷を出たウィルとクリスチナ。  第一次世界大戦目前、ウィルは、時代の最先端をゆく飛行機に魅せられ熱中する。  そんな彼を、クリスチナは喜びや苦しみに心かきみだされながら、必死に愛する。  (文庫本裏表紙より転載)

フランバーズ屋敷の人びと 3. めぐりくる夏
著:K.M. ペイトン 訳:掛川恭子  岩波少年文庫

51qwYVnFRpL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

夫ウィルが戦死し、クリスチナはフランバーズ屋敷にもどってきた。  主を失い、あれはてていた屋敷を、クリスチナは農場として復活させようと決心する。  そんな彼女を支えるのは、かつて屋敷で馬丁をしていたディックだった。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語、恐らくは KiKi が漫画「キャンディ・キャンディ」なんかを読んでいた時代だったらもうちょっと惹かれるものがあったかもしれません。  どことなく舞台設定が似ているんですよね~、あのマンガと。  でもキャンディとクリスチナだったらキャンディの方が魅力的かも・・・・・です。  これはキャンディの方がバイタリティにあふれた女性でクリスチナの方は頑張ってはいるものの、所詮「お嬢様」の域を出ていないから・・・・なのかもしれません。

第2部の「雲のはて」はカーネギー章を、第3部までの3部作でガーディアン章をとったとのことなんですけど、第2部、第3部と進むにつれ、KiKi にはあの第1部でも感じた「あまりにベタなプロット」が少々どころじゃないほど鼻につき始め、現代を生きる KiKi から見るとクリスチナの「世間知らずの金持ちのお嬢さんの悪意なき無神経さ」が嫌味に感じられるようになり、「これはセックスアピールの少ないハーレクイン・ロマンスか?」みたいな気分が盛り上がってきてしまいました。  (因みに KiKi はあの一世を風靡した「ハーレクイン・ロマンス」っていうやつが大嫌いです。)


さて、何気に再開してしまっている「岩波少年文庫読破計画推進シーズン」ですが、せっかくならまずはあのスタジオ・ジブリの宮崎さんの推薦本から片付けていこうかな・・・・と。  ま、てなわけで「とぶ船」に続く読書本は宮崎さんの取り上げ順に従いこちらになりました。

フランバーズ屋敷の人びと 1.愛の旅だち
著:K.M.ペイトン 訳:掛川恭子  岩波少年文庫

51Z6YmY9koL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

20世紀初頭のイギリス。  12歳の孤児クリスチナはフランバーズ屋敷にひきとられてきた。  相反する価値観を持つマークとウィルの兄弟、心やさしい馬丁のディック。  彼らとの交流を通じて、クリスチナは自分の人生の在り方を選ぶ。  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、参りました。  読んでいて次々と出てくるあまりにもベタなプロットの数々に辟易としそうになりつつも、これが案外面白い・・・・・(苦笑)  この巻でのメインの登場人物、クリスチナ、マーク、ウィリアムズ、そしてディックの心理描写が巧みで思わず引き込まれちゃうのと、クリスチナがどちらかといえば前時代的な女性でありながらも、その思考の端々に近代的な想い(直感?)が顔を出すために、現代日本に住む私たちにも古き良き時代(?)のイギリス的な価値観みたいなものが、妙な説得力をもって迫ってくるんですよね~。

ま、逆に言えば、ふとしたはずみにクリスチナが感じる直感めいた想いを決して深堀しようとはしない姿に拍子抜けだったりもするわけですが・・・・・・(苦笑)  でも、そこで拍子抜けするのは KiKi が紛れもない現代人である証左なわけで、物語の背景となる文化・時代を考えればクリスチナは十二分に「現代的な感覚の持ち主」であることに気が付かされます。


意図していたわけではなかったのですが、今年の秋の KiKi の読書は久々に「岩波少年文庫読破計画推進シーズン」となりそうな模様(^^;)です。  と言うのも今はチクチク作業を最優先としているため図書館に行ってなくて、自宅の蔵書を手当たり次第に読んでいるから・・・・なんですけどね。  ま、てなわけで、久々にこちらの企画の完遂も同時に目指して、本日の KiKi の読了本はこちらです。

とぶ船 (上)(下)
著:H.ルイス 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51MRKAPXSTL._SL500_AA300_.jpg  519AAGMDHZL._SL500_AA300_.jpg
        (Amazon)            (Amazon)

ピーターがある日、うす暗い小さな店で手に入れた古い小船は、なんと魔法の「とぶ船」でした。  ピーターたち4人きょうだいはこの船で、エジプトやウィリアム征服王時代のイギリス、北欧神話の世界にまで冒険旅行をします。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

4人きょうだいは、とぶ船で時間旅行を続けます。  ウィリアム征服王時代のマチルダを現代に連れてきたり、古代エジプトやロビン・フッドの時代では、はらはらどきどきの大冒険。  歴史の舞台をかけまわる、タイム・ファンタジーの傑作。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この物語はホント懐かしい!!  そして大好きで繰り返し読んだ子供時代の思い出が鮮やかに蘇ります。  思い起こせば「北欧神話」に初めて出会ったのはこの本だったし、イギリスという国、英文学に半端じゃない興味を持ったきっかけもこの本でした。  4人兄弟の長男ピーターが「今持っているお金全部とーーそれからもう少し」を払って、不思議なおじいさんから買った船が魔法の船だったという出だしからして子供時代の KiKi をワクワクさせてくれました。 

子供時代にはこの「もう少し」がとっても素敵なフレーズに思えたものでした。  そして「本当に欲しいもの」に出会うことができたなら、「思っていた金額とそれからもう少し」を使ってでも手に入れるというその行為そのものが何だかとても大事なことに思え、そういう出会いができたピーターに憧れたものでした。  そんな「私だけのコレ」に拘る気持ちを忘れ去り、それに似た代用品をついつい購入しがちになってしまったのはいつからだったんだろう??

    

昔(KiKi の子供時代)の岩波少年文庫のラインナップにはなかった「今だから読むことができる」こんな本を読了しました。

ジャータカ物語 インドの古いおはなし
訳:辻直四郎/渡辺照宏  岩波少年文庫

51ESAFJ58ML._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

おしゃかさまの前世の姿を物語る、インドの古い仏教説話集。  「サルと人食い鬼」「どろぼうと宝物」「金のハクチョウ」「あわてウサギ」「天下一の弓の名人」「バラモン僧とヘビ」など、深い知恵にみちた30のおはなしを選びました。  (文庫本裏表紙より転載)

インドの民話って子供時代にそれと知って読んだことがないように思うんですよね。  どちらかというと、それをベースにした仏教説話(今昔物語とか)という形で似たようなお話を読んだような記憶はあるし、奈良は法隆寺の玉虫厨子に描かれた「飢えたトラに我が身を捧げるお釈迦様」の図象で見たことはあるものの、それらの馴染みある物語のいくつかが「ジャータカ」を出典としていることは今回の読書で初めて知りました。

この本にはおしゃか様の前世の姿、つまりは「菩薩(ボーディサッタ); 後にブッダになる人(生き物)」の物語が30編集められています。  仏教の世界では輪廻転生、要するに生まれ変わるという概念が生きているわけですが、お釈迦様もお釈迦様になる前には随分と色々なものに生まれ変わっては修行をなさったものです。

「輪廻転生」という概念はお釈迦様みたいな偉い人に限ったことではなく、一般的なことなんだということが否応なくわかるのは物語の語り出しの部分です。  ここに収録されているお話の全てが・・・・・というわけではないけれど大半の物語の出だしがこんな文句から始まっています。


むかしむかし、ブラフマダッタ王が、ベナレスの都で国をおさめていたころのことです。


別にその王様の治世に限っていろいろな出来事があったとしてもいいんだけど、この名前の王様がこの都で国を治めていた頃に、ボーディサッタは「猿」になったり、「鵜」になったり、「象」になったり、「イヌ」になったり・・・・・。  人間よりも寿命の短い生き物になるだけだったらまだしも、「金持ちの商人の息子」にもなれば、「王様の補佐役」にもなるし、「バラモン僧」にもなる・・・・・と八面六臂(?)の大活躍です。


前作を読んでからずいぶん間が空いてしまったのですが、ようやくこちらの続編を読了しました。

プー横丁にたった家
著:A.A.ミルン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

517PMW9KWDL._SX230_.jpg  (Amazon)

おなじみのクリストファー・ロビンと仲間たちが住む森へゆくと、わたしたちはいつでもすてきな魔法の冒険に出会えます―。  プーやコブタたちのところへ、はねっかえりのトラーがあらわれました。  『クマのプーさん』の続編。  (文庫本裏表紙より転載)

前作の Review でもちょっと触れたけれど、実は KiKi はこのプーさんの物語、若干の苦手意識がありました。  その苦手意識を醸成したのは間違いなく「クマのプーさん」の冒頭 及び 最後の「プーさん受難シーン」(要するにぬいぐるみのプーさんが階段を引きづられるシーン)にあるわけですが、そういう意味ではこの「プー横丁にたった家」の方は、その苦手なシーンを彷彿とさせるような描写がない分、気楽に、そして楽しく読むことができます。  

今回、前作を読了してから間を空けたのは実は意図的で、この年齢になっても未だに感じるあのシーンの違和感が冷めるのを待っていたっていうことがあったりします(苦笑)。

いつもお世話になっている「本が好き!」の新サービス、Rook。  そちらでこんな本棚(私の魔女教本)を作ってあった KiKi が、そこに追加することになった1冊を読了しました。 

黒ねこの王子カーボネル
著:B.スレイ 訳:山本まつよ  岩波少年文庫

517oHnBw4eL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

十歳の女の子ロージーは、夏休みなのに遊びの予定がありません。  ところが、買いものにでかけた市場で、思いがけなく魔女のほうきとネコを手に入れます。  それは、ふしぎな冒険の幕開けでした...!  心おどるファンタジーの秀作。  (文庫本裏表紙より転載)

まずはこの表紙の絵がいいですよね~。  空飛ぶ箒にまたがった女の子と黒ねこ。  まるで「魔女の宅急便」を彷彿とさせるシーンです。  これでとんがり帽子を被っていて大釜で何か得体の知れないものをグツグツと煮ていたらもうそれだけで無条件に魔女認定できちゃうところ(笑)です。  でも実はこの女の子、魔女じゃありません。  彼女(ロージー)が跨っている箒こそ「魔女の箒」なんだけど、彼女自身は普通の女の子です。

そんな普通の女の子(しかもできすぎといっていいほど良い子)が、何の予定もないひと夏の夏休みに、生活費を稼ぐためのアルバイトでもしようかと購入した箒(これが、偶然にも魔女の箒だった!) & それにグリコのおまけの如くについてきた黒猫が物語の発端で、これらを手にしてしまったことによりロージーが体験することになった楽しくワクワクするようなちょっとした冒険の物語が描かれます。  

 

2年前の8月、猛暑を吹っ飛ばせ!とばかりに読んだこちらの続編がこの夏に発刊されました。  本当だったら「今年の8月の猛暑を再び吹っ飛ばせ!」とばかりに読みたかった本ではあったんだけど、今年の夏は「トールキン月間」としていたため積読状態が続き、結局9月にずれこんでしまいました。

これが東京だったらまだまだ残暑が厳しいんでしょうから「遅ればせながら」とは言え「季節外れ」とまではいかなかったんでしょうけど、ここLothlórien_山小舎付近は朝晩めっきり冷え込むようになってきたし、昼間だってじっとしていたら汗だくな~んていうことは一切なくなってきている(さすがに野良仕事をすると汗びっしょりですけど ^^;)ので、やっぱりタイミングを逃しちゃった感は否めません。

南から来た男 ホラー短編集2
編訳:金原瑞人  岩波少年文庫

51phFN67pNL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

好評ホラー短編集第二弾。  緊迫感あふれるロアルド・ダールの表題作をはじめ、スティーヴンソン、ウェルズ、ブラッドベリ、デ・ラ・メア、フォークナーらによる、英米ホラーの傑作11編を収録。  訳者によるポーの翻案をふくむ、全編新訳。  (文庫本裏表紙より転載)

以前、このエントリーでもお話したように KiKi にはかなり重症気味なホラー苦手意識があります。  とにかく「ホラー」の文字を見たり、それっぽいおどろおどろしい表紙を見たりすると、どんなに評判の良い本でもできるだけ近寄らないように(本屋さんでもその棚を遠巻きに歩く)したくなる拒絶反応に近いものが出てきちゃうんですよね。  

でも、前の巻の「八月の暑さの中で」の読後感は想像していた以上にさわやかなものだったし、今回も同じ金原さんの編纂だし、こと岩波少年文庫に関しては一応全冊読破を目標に掲げているわけだから、この本を避けて通るわけにはいきません。  ・・・・って言うか、これといった根拠はないんだけど「このシリーズなら絶対にいける!」という確信に近いものがありました。

この巻に収録されているのは以下の作品群です。

★収録作品★
 エドガー・アラン・ポー「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」(翻案)
 ロアルド・ダール「南から来た男」
 オー・ヘンリー「家具つきの部屋」
 H・G・ウェルズ「マジックショップ」
 ウォルター・デ・ラ・メア「不思議な話」
 アルジャーノン・ブラックウッド「まぼろしの少年」
 フォークナー「エミリーにバラを一輪」
 エリザベス・ボウエン「悪魔の恋人」
 ブラッドベリ「湖」
 スティーヴンソン「小瓶の悪魔」
 エレン・エマーソン・ホワイト「隣の男の子」

G.ロダーリの作品を続けて読んだということもあって、その流れでこちらの積読本にも手を出してみました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

マルコヴァルドさんの四季
著:I.カルヴィーノ 訳:関口英子  岩波少年文庫

41lm-YvDRlL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

都会のまんなかに暮らしながらも、心うばわれるのは、季節のおとずれや生きものの気配。  大家族を養うため、家と会社のあいだを行き来するマルコヴァルドさんのとっぴな行動とユーモラスな空想の世界が、現代社会のありようを映しだします。  (文庫本裏表紙より転載)

まずはこの表紙の腰をかがめたおっさんの何とも言えないとぼけた表情が◎です。  で、この表紙の絵やら本をパラパラとめくった時に目に入る挿絵を見る限りではどれもこれもどことなく風刺的 & おとぼけ風の印象を持ち、ほのぼの~としていつつもちょっぴりピりっと風刺が効いたお話、例えて言えば新聞なんかに掲載されている4コマ漫画的な物語を連想するわけです。  ところがどっこい、これが読んでみるとちょっと違うんですよね~。

物語のタイトルにもなっているマルコヴァルドさんはとある町(都会と言うべきか?)で会社勤めをしている中年の男性です。  会社勤めと言ってもいわゆる「ホワイトカラー系」ではなく「ブルーカラー系」の労働者です。  当然のことながら会社の廊下を風をきって颯爽と歩き、高収入を得ているタイプではなく、ま、はっきり言ってしまえば貧乏暮しを余儀なくされているおじさんです。

そしてこのマルコヴァルドさん、「貧乏子だくさん」の言葉通り、6人のお子さんを抱え、最初は半地階みたいな部屋に、次には屋根裏部屋に住むようなファッショナブルという言葉とは無縁の生活をし、言ってみればギリギリの生活を送っている生活者です。  借金まみれで家賃の滞納は当たり前、日々の食事もギリギリという生活ぶりらしい・・・・。  周りには豊かなものがいっぱいあるにも関わらず、それとは無縁の生活を送っていて、そのことに全く傷ついていないわけではないものの、基本的には「現代風」と呼ばれるものに関しては根っこの部分では興味を持っていない、ちょっと超然とした人物です。


せっかく G.ロダーリのこの本を読了したので、数か月ほど積読状態になっていた同じロダーリ作品もこの際読んでみることにしました。

兵士のハーモニカ
著:G.ロダーリ 訳:関口英子  岩波少年文庫

514xg6XOYaL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

兵士が手にしたハーモニカには、人の心をおだやかにし、争いごとをおさめるふしぎな力があった。  表題作のほか、「カルッソとオモッソ」「皇帝のギター」など、人間の真実を軽快な言葉とユーモアで語った「現代版おとぎばなし」18編。  (文庫本裏表紙より転載)

やっぱりロダーリさんの作品は好きだなぁ。  この本は短編集で一つ一つがとても短いので、さらっと読めちゃうんだけど、どのお話にも風刺やら毒気やらユーモアやらがあって、何とも言い難いホンワカとした読書の喜びがしっかりと残る物語ばかりだと思うんですよね。  

「現代版おとぎばなし」というだけのことはあって、どの物語からも子供時代に読んだ懐かしいおとぎ話の空気が漂ってくるんだけど、そこに黴臭さ・古めかしさはほとんどなくて、ちょっとだけ洗練された(ここ、大事!です。  洗練が大手を振っているわけじゃなく、ちょっとだけなんです)現代風がそよいでいる・・・・そんな感じです。

当初は終戦記念日(← この呼び方には若干抵抗がある KiKi ですが ^^;)をはさむ1か月は半藤さんの作品を中心に、かの大戦を偲ぶ読書をしてみようか??な~んていうことも考えていたのですが、ふとこのエントリーでお話した映画のことを思い出し、今年の夏は、久方ぶりにトールキンの作品を読んでみることにしました。  因みにあの(↑)エントリーでもご紹介したけれど、今年の12月に公開が予定されているPJの映画のプロモーション・ビデオを再度ご紹介しておきましょうね。

ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ホビットの冒険(上)(下)
著:J.R.R. トールキン 訳:瀬田貞二  岩波少年文庫

51H34SY57HL._SL500_AA300_.jpg  515B3CQ5STL._SL500_AA300_.jpg
      (Amazon)             (Amazon)

ひっこみじあんで、気のいいホビット小人のビルボ・バギンズは、ある日、魔法使いガンダルフと13人のドワーフ小人に誘いだされて、竜に奪われた宝を取り返しに旅立ちます。  北欧の叙事詩を思わせる壮大なファンタジー。  (Amazonより転載)

魔法の指輪を手に入れたビルボとその一行は、やみの森をぬけ、囚われた岩屋からもなんとか脱出に成功。  ビルボたちは、いよいよ恐ろしい竜スマウグに命がけの戦いを挑みます。  『指輪物語』の原点といわれる、雄大な空想物語。  (Amazon より転載)

「ホビットの冒険」を読むのは本当に久しぶりでした。  「指輪物語」の方は、あのPJの映画「ロード・オブ・ザ・リング3部作」の公開時にそれまで持っていたハードカバーに追加で(というよりそのハードカバーは実家に置きっぱなしにしてあって、東京のマンションの本棚にはあの本を収納する余地がなかった)文庫本を購入し、何度か読み返したものでした。  その頃も「久々に前日譚である『ホビット』も読み返してみようか??」な~んていうことを考えないでもなかったのですが、「指輪」の冒頭にかなりちゃんとしたまとめ(というかあらすじ?)が書かれているので何気にそれっきりになってしまっていました。

「指輪」のフロド & ビルボと比較すると「ホビット」のビルボは何気に可愛さ・健気さがあって、個人的には結構好き♪なんですけどね~。  KiKi は「指輪物語」の方はかなり長じてから出会った物語で、初読前にはワーグナーの「リング」の底本じゃないかと勘違いしていたな~んていうこともあって、子供時代に読んだことのある「ホビット」と「指輪」の関係性についても長いこと無知だったんだけど、「ホビット」そのものは子供時代にかなりワクワク・ドキドキしながら何度も読んだものでした。


クマのプーさん A.A.ミルン

| コメント(0) | トラックバック(0)

ディズニー・アニメにもなり、キャラクター・グッズも売れている超人気者(らしい)プーさん。  でも天邪鬼の気味がある KiKi は子供時代からさほど興味がもてないキャラクターでした。  そもそも彼の国ではテディ・ベアなるものが子供の世界とは不可避かもしれないけれど、少なくとも KiKi の子供時代にはテディ・ベアなるものはそんなに身近なものではなかったし、テディがつかないクマさんも日本のおとぎ話の世界で大活躍することもない。  恐らくこれが犬のぬいぐるみをモデルにしたお話だったら子供時代の KiKi ももっと楽しめたと思うんですけどねぇ・・・・。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

クマのプーさん
著:A.A.ミルン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51MKNG2YHRL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

世界一有名なクマ、プーさんが活躍する楽しいファンタジー。  幼い少年クリストファー・ロビンが、美しいイギリスの森を舞台に、プーやコブタ、ウサギ、ロバのイーヨーなど、仲良しの動物たちとゆかいな冒険をくりひろげます。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語に対する KiKi の苦手意識を育んだ第一の理由。  それはこの表紙の絵にあると言えます。  E.H.シェパードの絵そのものは素晴らしく、特に文中の挿絵として描かれている擬人化されている動物たちの絵なんかは微笑ましい限りなんだけど、どうにも苦手なのはこの表紙の絵とラスト・シーンの挿絵なんですよ。  テディ・ベアが当たり前の国ではこんな子供の姿は当たり前なのかもしれないけれど、クリストファー・ロビンに引っ張られたクマさんが頭を下に向けて階段を引きづられるなんて、それだけで許せない!(苦笑)

KiKi が子供時代に与えられた人形がすべて子供サイズの KiKi の手でも抱きかかえられる範囲の大きさだったということもあるけれど、KiKi にとってお人形は抱きしめる対象でこそあれ、引きづる対象ではありませんでした。  悪意なく、単なる不注意で人形を落とすようなことがあった場合にも、母には叱られたものでした。  

「ほら、お人形が痛いって泣いているでしょう!」

ってね。  そんな教育を受けてきただけに、ましてKiKi が幼年期を過ごした家は平屋の借家だったせいもあるけれど、階段の段々を引きづって歩くなんて!!  KiKi の子供や孫がもしこんなことをしたら、すかさずお人形を取り上げてお説教・・・・・ということになるんじゃないかしら(苦笑)  

子供時代に何度もチャレンジして挫折した本の筆頭と言えばこの本です。  身近な生き物に興味がなかったわけじゃないけれど、虫を虫眼鏡で観察してみたいと思えるほどには興味をそそられたことが皆無だった KiKi にとって、この本はかなり苦痛でした。  子供時代にはこの本を読むのだったら昆虫図鑑を眺めている方がまだ楽しいとさえ思っていました。  そんなこの本を今回とりあげてみたのは偏にこの豆本で宮崎氏が紹介していらしたからです。

ファーブルの昆虫記(上)
著:J.H.ファーブル 編訳:大岡信  岩波少年文庫

51NK5AWHKAL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

わたしたちのまわりにいる虫はどんな暮らし方をしているのだろう?  ファーブルの著した「昆虫記」の中から、上巻では、幼虫時代の長いセミ、狩りのうまいカマキリ、ふんをころがすオオタマオシコガネなど興味深い虫の話を選んだ。

最初のセミの話まではそれなりに興味深く読むことができたんだけど、コオロギ、カマキリと進むにつれだんだん辛くなり(^^;)、コハナバチでは既に苦行と化し、オオタマオシコガネ(フンコロガシ)あたりでは気を失ってしまったみたい・・・・・・(苦笑)  虫の世界の弱肉強食ぶりやら生命・遺伝の神秘やらに心を動かされなかったわけじゃないけれど、もうじゅうぶんっていう感じ??

虫の世界の出来事をじっくりと観察し、擬人化した筆致で描いていらっしゃるファーブルさんの功績には頭を下げるけれど、嫌いというほどではないけれど「虫という生物」にさほどの興味を持たない人種である KiKi には、子供時代も大人になった今もこの本は合わないようです。  これでこの本にもっと図版が多ければ別の反応もあったかもしれないんですけどね。

  

イワンのばか トルストイ

| コメント(2) | トラックバック(0)

月が変わったところで再び岩波少年文庫に戻ってきました。  同時進行で光文社古典新訳文庫も読み続けていく予定です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

イワンのばか
著:トルストイ 訳:金子幸彦  岩波少年文庫

2012_Feb02_001.JPG 51R719R36VL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

ロシアの文豪トルストイの民話のなかから、「イワンのばか」「人は何で生きるか」「人には多くの土地がいるか」など、子どもの読み物にふさわしい物語を選びました。  農民の悲哀をみごとに描きながら、人生の愛と真実について深く語りかけます。  (岩波書店HPより転載)

せっかく「罪と罰」を読了したので、ここいらでもう一つ19世紀の偉大なロシアの文豪の作品を読んでみました。  もっとも「戦争と平和」とか「アンナ・カレーニナ」とか「復活」はちょっと重そうだったので(^^;)この本に逃げちゃった・・・・・というところでしょうか??  

貴族の生まれでありながらも先日読了した「グレート・ギャッツビー」のトムやデイジーとは異なり、トルストイは自分の生きている世界の矛盾やら貧富の差といった問題を直視し続け、悩み多い人生を歩んだ人であることがこれらの短編を読んでもそこかしこから漂ってきます。  短編ばかりが収められたこの本を読むとロシアの文豪もやたらと長い話を書くばかりではなかったんだなぁ・・・・と妙なところで感心したりもして(笑)。

ここに収められている物語は以下のようなラインナップになっているのですが、どの1編も今の年齢の KiKi にはあれこれ考えさせられる物語ばかりでした。

イワンのばか
人は何で生きるか
人には多くの土地がいるか
愛のあるところには神もいる
ふたりの老人
二人の隠者
小さい話 (小鳥、 年寄りの馬、 ふたりの兄弟と黄金、 大くま星座)
カフカースのとりこ


「ガリヴァー旅行記」と同じように子供時代に絵本で読んだきりご無沙汰だったロシア民話を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

せむしの小馬
著:エルショーフ 訳:網野菊 絵:V.プレスニャコフ  岩波少年文庫

2012_Jan17_001.JPG (Amazon)

ばかといわれるイワンと、彼に忠実につかえるせむしの小馬がくりひろげる奇想天外なお話。  火の鳥をつかまえたり、クジラにのみこまれた船を救ったり、数々の冒険を経たイワンは、立派な若者となり、しあわせをつかみます。  ロシア民話をもとにしたこの詩物語は、世界中の子どもたちに読みつがれています。  (文庫本扉より転載)

この本、今では絶版なんですね~。  これはやっぱり「せむし」という差別用語扱いされている言葉がタイトルに入っているからなんでしょうか??  それとも「詩物語」というヤツがイマドキは流行らないから・・・・・なんでしょうか?  でも、散文調のものばかり読んだり味わったりするっていうのはどうなのかなぁ・・・・・。  文学を発展させてきた1つの重要な形態だし、何より民話っていうヤツは元はと言えば口承文学なわけで、そこにはリズムとか反復という「調子」があって生きるわけで、そういう情緒は大切にしたいなぁと KiKi なんかは感じちゃうんですけどねぇ。

ま、正直なところ、この本の訳者さんはそのあたりではかなりご苦労されていらっしゃることが行間から滲み出ています(笑)。  まあ、こういうことは1つの言語(要するに母国語)を習得する過程の子供時代にはまったく理解も想像もできなかったことだけど、なまじ「英文学」な~んていうものを学んでしまった人間には、そこはかとな~く感じられちゃうんですよね~。  でも、確かにご苦労の後は垣間見えるんだけど、ところどころにそれゆえの古めかしさ(要するにどことなく文語調)があったりもするんだけど、KiKi の世代であれば恐らくさほど抵抗なく読めてしまう日本語だと感じました。

  

土曜日には読了していた本なんですけど、「どんど焼き」エントリーに追い出されて(?)ご紹介がちょっと遅れてしまいました。  本日・・・・ではなく、一昨日の KiKi の読了本はこちらです。

小さい牛追い
著:M.ハムゼン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51ECZBZCGSL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

ノルウェーの農場に住む四人きょうだいは、両親といっしょに村じゅうの牛をあずかって、山の牧場で夏をすごします。  ゆたかな自然のなかで遊び、はたらき、のびのびと生きる子どもたちの素朴な日常を、あたたかく描いた名作。  (文庫本裏表紙より転載)

牛追いの冬
著:M.ハムゼン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51KXKMNPWXL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

ランゲリュード農場の四人きょうだいは冬を迎えました。  楽しいクリスマス、スキーやボーイ・スカウトごっこ・・・・・わくわくすることがいっぱいです。  ノルウェーの美しい自然と愛情ゆたかな家庭から生まれた「小さい牛追い」の続編。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語は何てったってあの「石井桃子さん」の翻訳だし、岩波少年文庫創刊初期からのお馴染み作品だったみたいなんだけど、KiKi にとっては実はお初でした。  この本の存在を知ったのは実はこの本(↓)を読んだときで、この本の中にある対談集の中で多くの方々が絶賛されていらっしゃるので、何だか大切なことを見落としていた悔しさ・・・・・みたいなものを感じたんですよね~。  

なつかしい本の記憶 岩波少年文庫の50年
編:岩波書店編集部  岩波少年文庫

61MXJ0YEBNL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

ユニークな三組のきょうだい対談(中川季枝子・山脇百合子、 池内紀・池内了、 岸田衿子・岸田今日子)、斎藤惇夫講演「岩波少年文庫とわたし」のほか、雑誌のエッセイ等を収録。  子どもと大人のための、個性あふれる楽しい読書案内。  (文庫本裏表紙より転載)

その後、いろいろな対談やら何やらを雑誌なんかで見るにつけ、何と言っても「中川季枝子さんの絶賛作品」であることを知りました。  あっちでもこっちでも中川さんは「小さい牛追い」の話をされていらっしゃるんですよね~(笑)


岩波少年文庫の中の「シャーロック・ホウムズ・シリーズ」の中で唯一読み残してあった1冊を読了しました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。  (これ以外の「まだらのひも」、「最後の事件」、「空家の冒険」の Review はこちら

シャーロック・ホウムズ バスカーヴィル家の犬
著:C.ドイル 訳:林克己  岩波少年文庫

51E5VQDZBGL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

荒れ地の旧家バスカーヴィル家に伝わる魔犬の伝説。  領主の謎の死をめぐり、後継者からの依頼をうけて、ホウムズとワトスンは館を訪れるが...。  怪奇と幻想にいろどられた長編。  (文庫本裏表紙より転載)

以前、このエントリーにも書いたことだけど、本作に関しても「まるで初読のように新鮮、でもそれと同時に何となく物足りなさみたいなものも感じてしまった」という感想でしょうか・・・・・。  ストーリーの詳細までは覚えていないまでも、ホウムズ・シリーズの中でもっともドキドキし、不気味さで震えあがった物語だったはずなんですけどねぇ・・・・・。  特に魔犬がねぇ。  いえね、KiKi の記憶の中ではこの魔犬がもっと頻出していて、不気味さをかきたててくれちゃっていたように思うんだけど、今回再読してみたら実は最後の方にちょっぴり姿を現しただけで、「あれ??  こんな風に呆気なく出てきて、しかも呆気なくやられちゃうんだったっけ??」っていう感じ(苦笑)。

今にして思うと、ホウムズ・ワトソンコンビがこの魔犬の伝説を初めて聞かされるところから、まるで妄想のように自分の中でその犬のイメージを膨らませ、その後のバスカーヴィル館をとりまく荒涼としたムーアの描写の中で勝手にそのイメージをさらにおどろおどろしくしていたのは KiKi 自身だったのかもしれません ^^;


昨日の「不思議な国のアリス」は読み通したのは今回が初めてだったけれど、それでも過去に途中までは何回か読んだことがあった分、まだとっつきやすかった・・・・・。  でも、その続編となると・・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

鏡の国のアリス
著:L.キャロル 訳:脇明子 絵:J.テニエル  岩波少年文庫

517WDAD9R4L._SX230_.jpg  (Amazon)

鏡を通りぬけると、そこはチェスの国。  おしゃべりする花やハンプティ・ダンプティ、ユニコーンたちに出会いながら、アリスは女王をめざします。  『不思議の国のアリス』に続く、イギリス児童文学の古典。  (文庫本裏表紙より転載)

う~ん、この物語は難解だなぁ。  正直なところ KiKi にはよくわかりませんでした。  ダジャレ的なものが多すぎるうえに、これが「訳文」であることを考えると、「正しい反応の仕方」がまったくわからないんですよね~。  もちろん、この手のナンセンス文学に「正しい反応の仕方」な~んていうものがあるのかどうかはわからないんですけどね。  でも、やっぱりダジャレっていうやつは「オリジナル言語」で語られて初めて面白さがあるものだと思うし、この物語のように「マザー・グース」を多用している物語ではそれに親しんでいる下地みたいなものも要求されるような気がするんですよ。

ついでに言えば、トランプ遊び(ふしぎの国~)にしろ、チェス(鏡の国~)にしろ、KiKi の場合はあんまり遊びとして馴染んでいないので、そこもちょっとねぇ・・・・・。  訳者の脇さんはあとがきで

チェスの規則を知らないとお話が楽しめないんじゃないかと心配する必要はありません。

と仰っていますが、チェス盤になぞらえた世界で物語が進行している以上、やっぱり知らないよりは知っている方が楽しめることが多いんじゃないかと、半分僻み根性も手伝って感じてしまうのです。  とにかく KiKi には最初から最後までよくわからなかった・・・・・ということもあっての物言いだとは分かっているんですけどね。


子供時代から何度も挑戦し、その度に挫折を繰り返してきた、半ば KiKi のトラウマとなりかけている物語をようやく読了しました(ため息・・・・)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ふしぎの国のアリス
著:L.キャロル 訳:田中俊夫 絵:J.テニエル  岩波少年文庫

2012_Jan10_001.JPGのサムネール画像 (Amazon)

おおあわての白ウサギを追いかけてアリスが穴に飛びこむと、奇妙で不思議な冒険がはじまります。  オックスフォードの数学者が創り出した、ユーモアに満ちたイギリス児童文学の古典。  (岩波書店HPより転載)

今回 KiKi が読んだのは「岩波少年文庫 特装版」の中の1冊ですが、現在市販されている版は脇明子さんの改訳版みたいですね。  一応、その情報も載せておきますね。

不思議の国のアリス
著:L.キャロル 訳:脇明子 絵:J.テニエル(多分・・・)  岩波少年文庫

51HBGG6AWFL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

冒頭にも書いたんだけど、この物語、これまでに何度もチャレンジしてきたんですよ。  (もっとも子供時代だけ・・・・だけど)  でも、その都度挫折してきたんですよね~。  こういう夢見がちな物語が嫌いだったわけじゃないんです。  でも、たいてい挫折するのが「ウィリアムじいさん、年をとった」の歌あたりか、「3月うさぎのお茶会」あたりでねぇ。  ま、要するに元歌を知らない詩のパロディのさらにその訳文を読んでもチンプンカンプンだったし、当時の日本では(というより静岡県あたりでは)風習として馴染んでいないお茶会の席で、凡そ意味を成しているとは思えない会話を繰り広げるということにつまらなさを感じちゃっていたんだと思うんですよね~。  

もちろんそのほかの物語で英国の「お茶会文化」のことはある程度想像していたんです。  でも、それはこんなハチャメチャなものではなく、女の子だったら誰もが憧れるようなオシャレで素敵な社交の場でなくちゃ、子供時代の KiKi には到底受け入れられなかったんです。  何せ時代的には縁側で日本茶をすすりながらお漬物かお煎餅を頬張るのが当時の「日本のお茶会(?)」でしたから・・・・。  紅茶な~んていうのはそんなにしょっちゅう飲めるものではなかったし、まして「素敵なティーセット」な~んていうものは見たこともなかったような時代だったんですもの。 

でもね、その後長じるにつれ、「マザー・グース」な~んていうものの存在を知り、「英語の音の面白さやリズムの面白さ」で歌い継がれる物語のことを少しは理解できるようになった頃に思ったのです。  

そうか、この物語はきっと日本語で読んじゃダメなんだ!  英語で読むべき物語なんだ。  和歌や俳句が日本語でなければ味わい深くはならないのときっと同じことなんだ!

ってね。  で、大学に進学することになって、その学部が英文学部になることが決まった高校3年生の初春、KiKi は心に誓ったのです。  「大学生活4年間の間に、『不思議の国のアリス』を原語で読んでみよう!」・・・・・と。  ところがその誓いは東京の街の刺激の強さの前には脆くも崩れ去り、結果、未だに「有名な割には英語でも日本語でもちゃんと読んだことのない物語」として KiKi に残され続けていたのでした(苦笑)。

 

「秘密の花園」から始まった、バーネット夫人作品の岩波少年文庫・ラインナップ。  この「消えた王子」が最後となります。

消えた王子(上)
著:F.H.バーネット 訳:中村妙子  岩波少年文庫

5194hx51WEL._SL500_AA300_.jpgのサムネール画像 (Amazon)

すべては祖国サマヴィアを救うため!  ―マルコ・ロリスタンは、尊敬する父のまえで忠誠を誓い、きびしい訓練をつんでいた。  ロンドンの下町で、マルコは、足の不自由な少年ラットと運命的な出会いをする。  バーネットの知られざる傑作。  (文庫本裏表紙より転載)

消えた王子(下)
著:F.H.バーネット 訳:中村妙子  岩波少年文庫

51U+5TD55RL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

マルコはラットとともに、秘密組織の重要任務を父からたくされる。  「ランプがともった」という決起の合図をつたえるため、ふたりはヨーロッパ各地をめぐる命がけの旅に出る。  はたして、伝説のイヴォール王子はあらわれるのか?   (文庫本裏表紙より転載)

「秘密の花園」「小公子」「小公女」の3作は KiKi の子供時代から超有名な作品で、どれもこれも10度とは言わず読み込んだ物語だったけれど、この「消えた王子」だけは知らなかったなぁ。  この本が岩波少年文庫から発刊された時(2010年2月)、この物語の著者の「フランシス・ホジソン・バーネット」という人があの「バーネット夫人」と同一人物なのかどうか、KiKi は疑っちゃったぐらいです(苦笑)  と言うのも、KiKi が子供時代に読んだ「秘密の花園」~(以下3冊)の著者名をフル・ネームでは知らなかったから・・・・・なんですけどね。  

まあ、バーネット夫人の書く物語だから「宮廷もの」もしくは「貴族系」の物語なんだろうなぁと考えていた KiKi の予想をあっさり裏切ってくれちゃいました。  もちろん最後は「王家」なんですけどね。


昨日、図書館から新たな本を借り出してきました。  その本を今日はご紹介します。

本へのとびら 岩波少年文庫を語る
著:宮崎駿  岩波新書

31dZ7riRS2L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

「生まれてきてよかったんだ、と子どもにエールを送るのが児童文学」。  アニメーション界のトップランナーとして世界的に注目される著者が、長年親しんできた岩波少年文庫の中からお薦めの五〇冊を紹介。  あわせて、自らの読書体験、児童文学の挿絵の魅力、そして震災後の世界についてなど、本への、子どもへの熱い思いを語る。  (新書本扉より転載)

この本が出版されたことはずいぶん前から KiKi は知っていました。  確か、Amazon からのメールか何かで知ったように思います。  それを知った当初はあまり詳細を調べないまま「以前手に入れたこれと基本的には同じ内容の本なんだろうな。」と思い込み、敢えて読む必要はないような気がしていたのですが、よくよく調べてみたらこの小冊子からの転載部分と、あの頃TVで放映された「ジブリの本棚」の対談からの書き起し部分と、さらにはあの3.11以後のインタビューを再構成した部分とに分かれているということだったので、一度は読んでみようと考え今回図書館から借りてきました。

この本を読んでみて、KiKi がここLothlórien_山小舎生活を模索し始め、この Lothlórien_Blog を開設しようと思い立った(というより「岩波少年文庫読破企画」をぶち上げた)頃に感じていたことが、ここに言語化されていると強く感じました。


小公女 F.H.バーネット

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日読了した「小公子」に引き続き、バーネット夫人の傑作「小公女」を読了しました。  今回 KiKi が読了したのは古本屋さんで入手したイラスト入り表紙・函入・ハードカバー本です。  (下記の Amazon Link とは異なる版です。)  因みに「岩波少年文庫創刊60年 おすすめブックガイド 昔も、今も、そして、これからも」という小冊子によれば、この版が発売開始になったのは1967年のことだったようです。  そして1974年にオイル・ショックの影響を受けて、簡素なソフトカバーの軽装版に変更となり、それと同時に新刊活動を開始されたとのこと。  この本(↓)の発刊情報によれば岩波少年文庫の「小公女 初版」は昭和29年3月で、このKiKi の手持ち本そのものは昭和47年(1972年)10月の第16刷とのこと。  当時の販売価格は400円となっています。

小公女
著:F.H.バーネット 訳:吉田勝江  岩波少年文庫

2012_Jan06_001.JPG  (Amazon)

大好きな父と別れて、ロンドンの寄宿学校に入学したセーラは、プリンセスとよばれて大事にされます。  しかし、父の死により、無一文のみなしごに―。屋根裏部屋での、つらい毎日が始まります。  ところが、ある日、夢のようなできごとが起こったのです!  逆境の中でも、やさしさと勇気を失わないセーラの姿を、豊かな想像力で細やかに描き、永遠の名作として親しまれている物語。  (Amazon より転載)

子供時代(小学校低学年~中学年)のKiKi を魅了してやまなかったこの物語。  当時の純粋さ(?)を失った今の KiKi が読むと「う~ん、なんかなぁ・・・・・・(ため息)」っていう感じです。  子供時代には幸福の絶頂から不幸のどん底に落ちたセーラが自尊心を持ち続ける姿に感銘を受け、そんな彼女の強さや気高さに見習うべきところが多いように感じたものだったのですが、大人になった今 KiKi がこの子を前にすると正直なところ「何て可愛げのない、何て物質主義に犯された、何て生意気な女の子なんだろう」と思わずにはいられなかったんですよね~。

確かにセーラは「優しい心根」の子供だったらしい・・・・とは思うんだけど、その優しさは多分に恵まれた私 vs. 可愛そうな○○ というある種の優越感あってのもののように感じられるし、貧乏のどん底にあった際にも「もしも私が本物の公女さまだったら・・・・・」というのも、ある意味で「本来の私はこんな身分の者ではない」というある種の選民思想の表れのように感じられるし、要するに上流社会出身者の見栄っ張りの屈折バージョンに見えちゃうんですよ(苦笑)


小公子 F.H.バーネット

| コメント(0) | トラックバック(0)

日本を代表するアニメーターの宮崎駿さんが、「岩波少年文庫発刊60周年記念」で配布された「岩波少年文庫の50冊」という小冊子に網羅された作品及びそれらの作品を書いた作家の別作品(但し、原則として岩波少年文庫に収録されているものに限る)を読破する企画。(はぁ、長い・・・・・ ^^;)  今日は「秘密の花園」の作者バーネット夫人の出世作をご紹介します。

小公子
著:F.H.バーネット 訳:脇明子  岩波少年文庫

51q4nIsU83L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

アメリカで生まれ育った少年セドリックは、一度も会ったことのない祖父のあとつぎになるために、イギリスに渡ることになった。  貴族である祖父は高漫で頑固な人物だったが、セドリックの無邪気で温かい心にふれ、しだいに変わっていく。  (文庫本裏表紙より転載)

「小公子」「小公女」と言えば、KiKi にとっては小学校低学年時代の愛読書でした。  そうであるだけに大人になって「岩波少年文庫読破企画」をぶちあげた時、現在販売されている作品リストをあれこれ調べていて、これら2冊が絶版になっていることを知り、少なからずショックを受けたことを思い出します。  「あの KiKi の愛読書が絶版とは!  星の王子さまは再販に再販を重ね、とぎれることなく売り続けられているのに!!」ってね。  仕方なく古本屋さんをあちこちウロウロして、「小公女」だけは見つけることができて蔵書入りを果たしていたんだけど、「小公子」の方はどうしても見つけられずに残念に思っていました。  諦めかけた頃、岩波書店のHPだったか、「やかましネットワーク」だったかで、「新訳準備中」のニュースに接し、ようやく昨年11月に復刊したのがこの「小公子」です。

最初にこの物語に出会った小学校低学年の頃には「セディのような性格のよい子にならなくちゃ!」と思い、何度も読み返すうちに「セディのお母さんみたいな素敵なレディになれるように頑張らなくちゃ!」と思い、結果どちらも挫折したなれの果てが今の KiKi です(苦笑)  そうそう、逆に言えば「こんな人にだけはなっちゃいけない!」と思っていたセディのお爺さん、ドリンコート伯爵の方にこそ「うんうん、わかるわかる・・・・」と頷いている自分に気が付き、ちょっと唖然・・・・・・。  まあ、それだけこの老伯爵の心理描写が巧みだっていうことだとは思うんですけどね(笑)


KiKi と同世代で本が好きな女の子だったら、絶対と言っていいほど素通りはしていない物語。  そしてあの梨木香歩さんをして解説本(?)を書かせたほどの物語。 (← 梨木さんファンの KiKi ではあるのですが、この解読本は実は未読です ^^;)  そんな物語を読了しました。

秘密の花園(上)
著:F.H.バーネット 訳:山内玲子  岩波少年文庫

51KEKP5M4TL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

遠いインドでいちどに両親を失ったメアリは、イギリスの田舎のおじさんの家にひきとられました。  そのお屋敷には、入口の鍵がかかったまま、十年間誰も入ったことがないという「秘密の庭」がありました...。  バーネットの名作。  (文庫本裏表紙より転載)

秘密の花園(下)
著:F.H.バーネット 訳:山内玲子  岩波少年文庫

51QSSXGKC4L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

真夜中の出会いをへて仲よくなったメアリとコリン。  二人とディコンは、秘密の庭を生き返らせることと、魔法の実験に熱中します。  いきいきしはじめたコリンを、お屋敷の召使いたちはふしぎに思いはじめますが...。  (文庫本裏表紙より転載)

思えば KiKi がLothlórien_山小舎生活を志向するようになった根っこにはこのての子供時代に夢中になって読んだ「少女向け小説」の影響が多分にあるのではないかしら・・・・・。  自分ではそれをさほど自覚はしていなかったんだけど、この物語の前半の主人公メアリ同様に体調がイマイチすぐれなく(これは KiKi の場合、女性特有の加齢による退化現象だったけど)て、どことなくいつもイライラしているような気分になって、自分でも「何だか最近の私ってつむじまがり・・・・」と感じ始めた時期に、無性に今の生活を夢想するようになったんですけど、そこには自然のパワーを借りながら再生していくメアリのイメージが漠然とではあるもののあったような気がするんですよね~(苦笑)

バーネットさんが書いた子供向け小説としてはこの作品と「小公子」、「小公女」の3つが超がつくほど有名で、小学校低学年~中学年ぐらいの KiKi はこの3冊は何度も何度も読み返したものでした。  今回はこの後、その「小公子」、「小公女」も読み進む予定なんだけど、同じ岩波少年文庫から割と最近になって発刊された「消えた王子」も読んでみようと思っています。  この作品はお初なだけに今からとても楽しみです。


今年の KiKi の初読書は、子供時代に大好きだった本の2冊目「岩窟王モンテ・クリスト伯」でした。  昨年末最後を飾った「三銃士」の流れで久々の再読となったわけですが、期待に違わずとっても楽しい初読書となりました。

モンテ・クリスト伯(上)
著:A.デュマ 編訳:竹村猛  岩波少年文庫

516MFKSGGWL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

新しい船長として将来を期待される青年エドモン・ダンテス。  婚約披露宴の席上で突然逮捕され、地下の牢獄にとじこめられたエドモンは、囚人の神父に導かれてあらゆる教養を身につける。  14年後、脱獄した彼は、モンテ・クリスト伯を名乗り、自分をおとしめた人々への復讐の念に燃えるのだった...。  (文庫本裏表紙より転載)

モンテ・クリスト伯(中)
著:A.デュマ 編訳:竹村猛  岩波少年文庫

511WF41GJPL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

パリの社交界にデビューするや、モンテ・クリスト伯は、たちまち人気の的に。  かつて自分に陰謀をはたらいた知人やその子息たちのあいだにうずまく、欲望と秘密の数々をつぶさに掌握する。  巨万の富と強靭な意志をたよりに、モンテ・クリスト伯は、着々と復讐の準備を進めていった。  (文庫本裏表紙より転載)

モンテ・クリスト伯(下)
著:A.デュマ 編訳:竹村猛  岩波少年文庫

5120DWXRQ0L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

モルセール、カドルス、ヴィルフォール、ダングラール・・・・・人を欺き名誉と地位を欲しいままにしてきた男たちが迎える結末とは。  「待つこと、そして希望を持つこと」  モンテ・クリスト伯が残した最後の言葉の意味とは。  愛と正義に貫かれた壮大な人間ドラマのクライマックス。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi が生まれて初めてこの作品に接したのも「三銃士」同様、岩波少年文庫版ではなく「少年少女世界文学全集」の1冊でした。  当時のこの物語のタイトルは「岩窟王」。  その後、学校の図書館で「モンテ・クリスト伯」というタイトルの本を見つけた時、まさか同じ物語であるとは考えもしなかった KiKi はその本を借り、「何だか、どこかで一度読んだことがあるような話だよなぁ・・・・」と思いつつページをめくり、10ページほど読み進んだところでようやく「なんだ、これって岩窟王じゃない!」と確信した・・・・という思い出があります。

同じような経験をしたのがユーゴーの「レ・ミゼラブル」で、こちらも最初に読んだ本のタイトルが「ああ、無情」でその後図書館で見つけた「レ・ミゼラブル」を借りてみて冒頭数ページで「なんだ!」となりました。 

当時はこれらが「フランスもの」であるという自覚はなく、ついでに言えば作者が誰かにもさして興味はなく、これらの「洋物」は「翻訳もの」であるということにも考えが及ばなかった(それだけ幼かったわけですが ^^;)のでタイトルだけで本を選んで読んでいたんですよね~。  まあ、子供にそういう勘違いを起こさせるという意味ではあの「和訳タイトル」はいかがなものかと思わないじゃないけれど、とは言いつつもなかなかセンスの良い和訳タイトルだと思います。

2011年最後の1冊を読了しました。  昔から大好きだったこの物語で締めくくることができたのが何とも言えず嬉しいb-hato4-b.gif  では、子供時代からの KiKi のお気に入り本の1冊をご紹介しましょう。

三銃士(上)
著:A.デュマ 訳:生島遼一  岩波少年文庫

51QD4Z7DF2L._SX230_.jpg  (Amazon)

田舎からパリにやってきた若き騎士ダルタニャンは、さっそく王と枢機卿が争う宮廷の陰謀にまきこまれてしまう。  ダルタニャンは、親友となった三人の騎士とともに、命がけで、イギリスへわたった王妃のダイヤをとりもどそうとする。  (文庫本裏表紙より転載)

三銃士(下)
著:A.デュマ 訳:生島遼一  岩波少年文庫

51158XQHEJL._SX230_.jpg  (Amazon)

王と枢機卿の争いはつづく。  ダルタニャンは三人の騎士たちとの友情を守り、愛する人に心を捧げながら、剣をふるう。  宗教の対立、国と国との争いを背景に、腕をきそい、策略をめぐらす騎士たちの活躍を描いた、デュマの傑作。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi が生まれて初めて読んだ「三銃士」の物語は岩波少年文庫ではありませんでした。  かと言ってそれが「完訳版か?」と問われれば、今となっては確認のしようもないのですが恐らくは抄訳版だっただろうと思います。  何せ「少年少女世界文学全集」というような類の全集物の中の1冊だったのですから・・・・・。  ただはっきりと覚えているのはこの岩波少年文庫版よりはかなり長い物語で、ここまで「ダルタニャン」だらけの物語ではなかった・・・・ということです。  

この岩波少年文庫版では訳者の生島さんご本人が「あとがき」で仰っているように、「ダルタニャンの活躍するところを忠実に残し、他の部分は省略して1冊にまとめました。」という内容で、そういう意味では若干の物足りなさもあるのですが、KiKi のお気に入りの三銃士の1人、アトスに関しては結構きっちりと描かれていたので大満足です。

先日読了した「本の小べや」でせっかくファージョン作品をご紹介したので、今日は同じファージョンの岩波少年文庫収録本「リンゴ畑のマーティン・ピピン」をご紹介したいと思います。

リンゴ畑のマーティン・ピピン(上)
著:E.ファージョン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

511MKEK6B7L._SX230_.jpg  (Amazon)

恋人から引き離されて井戸屋形に閉じこめられている少女ジリアンを、六人の娘たちが牢番として見張っています。  リンゴ畑を通りかかった旅の歌い手マーティン・ピピンは、娘たちの前で、美しく幻想的な恋物語を語ります。  (文庫本裏表紙より転載)

リンゴ畑のマーティン・ピピン(下)
著:E.ファージョン 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51Y4ZHTAR4L._SX230_.jpg  (Amazon)

陽気なマーティン・ピピンがリュートを奏でながら語る、ロマンチックな六つの恋物語。  すっかり心を奪われた六人の若い娘たちは、井戸屋形のかぎをマーティンにわたしてしまいます。  サセックス州の美しい自然を舞台にした名作。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語は好き・嫌いがはっきりと別れちゃう物語なんじゃないかしら?  そして恐らくは多くの男性からは「こそばゆくて読んじゃいられない・・・・」という拒否反応を食らっちゃう物語のような気がします。  かく言う KiKi もこの本の対象年齢である中学生~高校初年度ぐらいの年代だったら(ま、要するに「恋に恋する世代」だったら・・・・っていうことだけど)、今よりはワクワク・ドキドキしながら読めた本のような気がします。  でも、今の年齢になるとねぇ・・・・・。  ちょっとビミョー・・・・・かな。


今日は E.ファージョンの作品から。  岩波少年文庫に収録されている2冊を同時にご紹介したいと思います。

ムギと王さま 本の小べや1
著:E.ファージョン 訳:石井桃子 絵:E.アーディゾーニ  岩波少年文庫

51W9D20K47L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

幼い日々、古い小部屋で読みふけった本の思い出 ― それは作者に幻想ゆたかな現代のおとぎ話を生みださせる母胎となりました。  この巻には、表題作のほか「レモン色の子犬」「小さな仕立屋さん」「七ばんめの王女」など、14編を収めます。  (文庫本裏表紙より転載)

天国を出ていく 本の小べや2
著:E.ファージョン 訳:石井桃子 絵:E.アーディゾーニ  岩波少年文庫

51V3FW5NGFL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「現代のアンデルセン」とも称されたファージョンの美しい自選短編集(全27編)から、この巻には、表題作ほか「コネマラのロバ」「十円ぶん」「サン・フェアリー・アン」「しんせつな地主さん」「パニュキス」など13編を収めます。  (文庫本裏表紙より転載)

1巻目の「ムギと王さま」には14編、2巻目の「天国を出ていく」には13編、合計して27編のファージョンの自選短編集(その本のタイトルが「The Little Bookroom; 本の小べや」です)の全編をようやくこの年齢になって読了することができました。  KiKi が昔読んだこの物語集には2巻目の最後に収録されていた「パニュキス」はなかったんですよね~。  他にもいくつか読んだことがないなぁと思われる作品も含まれていたんですけど、少なくとも「パニュキス」に関しては作者自身が好きだった物語だったとのこと。  まあひょっとすると子供にはちょっと馴染みにくい物語かもしれませんが、少なくとも KiKi にとってはこの時期にこの版で読むことができたことは嬉しい驚きでした。

この本、一つ一つの物語もキラキラしていてとっても素敵なんだけど、それよりなにより惹かれてしまうのは挿絵です。  どれ1つをとってもため息ものなんですよね~。  モノクロ(表紙は彩色されているけれど、それでも色数をぐっとおさえてある)なのに、色が浮かび上がり、静止画なのに空気や風が香り立つような感じ・・・・・とでもいいましょうか。

そしてそれにさらに輪をかけて素晴らしいのが石井桃子さんの美しい日本語です。  これにはもちろん著者であるファージョン自身の持っている品格・・・・のようなものも大いに寄与しているとは思うのですが、それを石井さんの甘すぎず、かと言って淡々とはしすぎない絶妙なバランス感覚で選び抜かれた日本語がさらに素敵なものにしてくれている・・・・・そんな素敵な短編集だと思います。


さて、腰痛で痛む腰を摩りながら(上京した日から痛くてたまらなかったのです 涙)ようやく昨日Lothlórien_山小舎に帰ってきました。  となると、当然のことながらせっかく始めた企画を進めることをおろそかにするわけにはいきません。  ま、てなわけで昨日の KiKi の2冊目の読了本はこちらです。

バラとゆびわ
著:W.M.サッカレイ 訳:刈田元司  岩波少年文庫

515EFO-zx+L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

パフラゴニアのギグリオ王子は、たいへんなお人よし。  ポケットにお金さえあれば、たとえ王冠を失っても気にしない。  王子はいとこのアンジェリカ姫に夢中になるのですが、それは姫がつけている魔法のゆびわのためなのでした......。  19世紀イギリスを代表する作家サッカレイが少年少女のために書いた、風刺のきいたおとぎ話。  (文庫本扉より転載)

この本に関してはね~、ちょっと悲しい出来事が KiKi にはあるのですよ。  まずはこちら(↓)をご覧ください。

2011_Dec23_001.JPG

そうなんです。  何故か2冊持っているんですよ。  左側は「岩波少年文庫創刊60年 リクエスト復刊」の1冊で、右側は「岩波少年文庫 復刻版シリーズ」の1冊です。  で、KiKi が入手した順番としては右側が先で左側が後。  因みに左側を購入した際には右側の本で既に1回読んだことがある状態でした。  にも関わらず、どうして左側の1冊を購入することになっちゃったか?っていうとね、実は宮崎さんのせいなんです。(・・・・と、人のせいにしてみる ^^;)  と言うのもね、この本に寄せられた例の「50選」でのコメントはこんな感じだったんですよ。

おとぎ話ですが、力も知恵もない少年が、かしこく力強くなっていく物語です。  子供時代に、ぼくはこの本からなんという大きなはげましと、なぐさめを受けたことでしょう。  兄弟にも友人にも言えないひみつの大事な本でした。

でね、このコメントを読んだ際に KiKi としてはこの本の自分が覚えている粗筋と、このコメントの内容が全然フィットしなかったんですよ。  で、ついでに言うと、復刻版でサラッと読んだとき、さほど大きな感動を受けたわけではなくて、印象にも残らなかったので、この本のタイトルをちゃんと覚えなかったんですよね~。  で、リクエスト復刊の販売が発表された時、KiKi はこの本を「蔵書」として正しく認識していなかったうえに、宮崎さんの絶賛(?)があったから、これは買わなくちゃ!と思っちゃったっていうわけです(笑)  で、後になって色々整理していたら同じ本が2冊あることに気がついちゃったっていうわけです。   


先日読了した「チポリーノの冒険」がかなり気に入り、ついでにこの作品の作家さんにも興味をもった KiKi。  せっかくのチャンスなので岩波少年文庫に収録されているこちらも読んでみました。

青矢号 おもちゃの夜行列車
著:G.ロダーリ 訳:関口英子  岩波少年文庫

51bi-faRjOL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

年に一度、子どもたちがプレゼントを心まちにしている夜のこと。  ショーウィンドーにならぶおもちゃたちは一大決心、みんなで青矢号にのりこみ、お店をぬけだします。  めざすは、まずしいフランチェスコの家!  ゆかいで感動的な大冒険。  (文庫本裏表紙より転載)

イタリアっていう国に関しては、「ローマ帝国」と「ルネッサンス」とぐらいにしか興味がなかった KiKi なのでかの国の文化風習っていうヤツにはとんと疎かったりするのですが、かの国のいわゆるクリスマス・イブに該当するイベント(?)が1月6日のエピファニー祭り(公現祭)というお祭りで、トナカイに乗ったサンタさんではなく、箒に乗った魔女ベファーナさんがプレゼントを配って歩くという KiKi にとってはおニューの情報にまずはびっくり!!でした。  そして、そんな魔女と同じ名前のベファーナさんというおばあさんがいわゆるおもちゃ屋さんを営んでいて(と言いつつも彼女もやっぱり箒に乗って配って歩いているから「現代的な魔女の末裔」っていうことかもね 笑)、商売である以上無料奉仕っていうわけにはいかなくて、誰もがプレゼントをもらえるわけではない・・・・というところから物語が始まります。

まあ訳者の「まえがき」によれば、この魔女ベファーナさん。  ご先祖様(?)の方も誰にでもプレゼントをあげていたわけじゃなくて、「いい子にはプレゼント(どうやら昔はお菓子だったみたい)、悪い子には炭」をあげていたらしいので、誰もがプレゼントをもらえるわけではないのはこの物語のベファーナさんに限ったことではなかったみたいなんですけどね。  で、著者のロダーリは言ってみれば「子供はみんないい子。  差別するのはよくない。」という考え方を持っていらした方のようで、「いい子、悪い子」という区分そのものに反対だったみたいなんだけど、だからと言って「悪い子でもOKよ」というような教育ママが目を吊り上げちゃいそうなお話はさすがに書くことができなかったため(?)か、設定を「経済的に余裕のある家の子、貧しい家の子」という対立軸を設定してこの物語を書いたよう(← というのは KiKi の勝手な想像ですけど)ですねぇ。

  

さて、先日もお話したとおり、今日も「宮崎駿さん推薦の50冊」を読んでみる企画の第2弾です。  今回 KiKi が読了したのはこちらです。

チポリーノの冒険
著:G.ロダーリ 訳:関口英子  岩波少年文庫

51Vc2qAHDNL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

ここは野菜と果物たちの暮らす国。  玉ねぎ坊やのチポリーノが、無実の罪で牢屋に入れられてしまったお父さんを救いだそうと大活躍。  仲間たちと力をあわせて、わがままなレモン大公やトマト騎士に立ちむかいます。  痛快な冒険物語。  (文庫本裏表紙より転載)

これは一見(というより一読)、とっても楽しい物語ですねぇ。  でも、実は楽しい物語というよりはかなり深い物語です。  登場人物(?)たちは野菜や果物の姿を借りていてとってもユーモラスなんだけど、実は真面目に一所懸命に生きている庶民たちの姿とその上に胡坐をかいている支配者階級を風刺しているし、物語のプロット自体は独裁制から共和制へと流れていく歴史を描いている・・・・という、なかなかに練りこまれた作品なんです。  著者の人間観察の力は大変なもので、人物造形(? と呼ぶべきなのか、野菜造形と呼ぶべきなのか? 笑)は本当に巧みです。  だいたいにおいて悪役にも思わず「クスッ」と笑えちゃうあたりの描写がホント絶妙で、シンプルな勧善懲悪の物語には決してなっていない(大きな流れとしてはそうなんだけど)のが素晴らしいと感じました。

因みにこの本に対する宮崎さんのコメントは以下のようなもので、さすがアニメーターのコメントですよね・・・・・(笑)

P.235より (挿絵が転載されている  因みにKiKi の読んだ版ではこの挿絵は235頁ではなく241頁に掲載されている)

このレモン大公、強そうでいいでしょ。  ヨーロッパ風の漫画というのかな。  トマト騎士なんかも、顔が丸いんだけど、口元にしわが残してあって、表情はこうしてつくるんだと勉強になりました。

お話はもちろんおもしろいのですが、挿絵がとくに上手で愉快で、とても楽しめます。  トマト騎士とかチビレモン兵とか、ぼくは大好きになって、絵の描き方でずいぶん影響を受けました。  

  

さて、宮崎駿さんの「岩波少年文庫の50冊」で推薦されている本を順番に読み進める企画。  早速その第1作からお話ししたいと思います。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

星の王子さま
著:S.テグジュペリ 訳:内藤濯  岩波少年文庫

41C00CC2KGL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

サハラ砂漠に不時着した孤独な飛行士と,「ほんとうのこと」しか知りたがらない純粋な星の王子さまとのふれあいを描いた永遠の名作。  初版本に基づき挿絵を改めた新しいエディション。  (岩波書店HPより転載)

現在市販されている版は上記のように「初版本に基づき挿絵を改めた新しいエディション」のものらしいのですが、生憎、KiKi の手持ちのこの本はそんな新しいものではありません。  新しいどころか古いことこのうえない、厚紙でできたサック付き、本の表紙はそのサックよりもさらに厚紙で装丁され、更には読みかけの頁にはさむ紐までついた昔ながらの「本らしい本」です。  現在の版では表紙もカラーで綺麗だけど、KiKi の本は訳者があとがきで

この訳本でも、もとの色どりをそのまま複製したかったのですが、出版の方の事情が許さないので、しかたなくあきらめました。  残念です。

な~んていうことをわざわざ仰っている(事情が許さない≒ペイしない なんでしょうねぇ)ぐらい古い本。  昭和43年4月の第27刷で当時の価格で240円。  まあ今の240円と当時の240円ではその価値が全然違うけど(な~んていうことをここに書くこと自体が「数字の好きな大人」の証拠ですよねぇ 苦笑)、まあそれくらい古い本で、古本屋さんに漂うのと同じ、古い本独特のちょっとかび臭いような香りを放っています(笑)  因みにその本はこんなお顔をしています。

2011_Dec15_001.JPG

左側が紙サック、右側が本です。  いやはや、こんな本をよくもまあ度重なる引っ越しの際にも捨てることなく、今まで持ち続けてきたモンです。  しかもこの本がどの本よりも好きな愛読書だったというならいざ知らず、子供時代(小学生の時と中学生の時)と大学時代、そして大人になってからと今回の読書も含めて5回しか読んでいないにも関わらず・・・です。

この本に寄せた宮崎さんのコメントはこんな感じでした。

最初に読み終えた時の気持ちが忘れられません。  言葉にすると何か大切なものが抜け出てしまうような気がして、だまりこくってシーンとしていました。  一度は読まなければいけません。  大人になったら、同じ作者の「人間の土地」も読んでください。  (「岩波少年文庫の50冊」より転載)


東京の町はクリスマス・ムード満載!!  あっちもこっちも原発事故後の節電キャンペーン中であることが別次元の出来事かの如く、キラキラしたイルミネーションで飾られ、あっちの店こっちの店とそこいら中で「年末商戦」が繰り広げられています。  今回の東京滞在で KiKi が呆気にとられたもの。  それは電気店がこぞってキャンペーンをやっている「スマホ」やら「iPad を筆頭とするモバイル端末」の大混戦の姿でした。  ついこの間やっと「光通信」の恩恵を受けたばかりで、いわゆるモバイル回線の未設エリアで暮らしているとそんなものを持っている人にも会わなければ、その必要性も感じないモノが今や東京では当たり前の世界なんですねぇ。  でも、それって本当に必要なモノなのかなぁ。  KiKi は田舎にいる限りその必要性は一切感じないし、なくてもとっても幸せなんだけど・・・・・。  う~ん、よくわからん。  でも、もしも東京で暮らす時間が増えると、やっぱり KiKi も欲しくなるんだろうなぁ・・・・・。  これが東京の麻薬・・・・というか媚薬・・・・。

ま、何はともあれクリスマス・シーズンに突入したのは都会も田舎も同じなわけでして・・・・。  てなわけでこの時期に読みたいと思っていた本を読了しました。

クリスマス・キャロル
著:C.ディケンズ 訳:村山英太郎  岩波少年文庫

51249X8MRBL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

クリスマスの前夜、幽霊に導かれて親しい友人の家々を訪れたスクルージは、けちんぼうな自分が皆に嫌われていることを知ります。  そして最後に、未来の幽霊に見せられたのは、自分のお葬式でした・・・・。  (文庫本扉より転載)

ここ(↑)でご紹介している Amazon リンクは現在市販されている「岩波少年文庫」のものであるのに対し、今回 KiKi が読了したのは、昔入手した古い版のもので、訳者はその当時のものを記載させていただいています。  現在市販されている岩波少年文庫では脇明子さんの「新訳」に変わっています。  表紙の挿絵もこれとは異なるので、新訳では本文中の挿絵も変わっているのではないかしら・・・・・。  因みに KiKi が今回読んだのはこちら(↓)の版です。

2011_Dec14_007.JPG

やっぱり「旧訳」っていうせいもあるんでしょうね、ところどころ訳に不自然なところがあったり、訳文から想像できちゃう英語版の書き方(一応大学では英文学専攻だったので、何となくわかる 苦笑)みたいなものが気になったりもしたけれど、まあまあ、それは置いておくことにしましょう。  あのディケンズの名作の1つが岩波少年文庫に収録されているのは嬉しい限りです。  大作が多い中でディケンズ作品の入り口としてはまずまず・・・・なんじゃないでしょうか??

もっとも、KiKi の子供時代ならいざ知らず、現代の日本の子供たちがこの「キリスト教的説教臭さ」を受け入れてくれるのかどうか・・・・はちょっと疑問かもしれません。  特に過去の幽霊が見せてくれたあの「スクルージ少年」がどうして今の「スクルージさん」になってしまったのかは詳らかにはされていないし、いかに自分の葬式シーンを見せつけられたからと言って、それをきっかけにいきなり「いい人」になってしまうという転換はちょっと時代がかっている・・・・と言えなくもないような気がします。


今昔ものがたり 杉浦明平

| コメント(0) | トラックバック(0)

岩波少年文庫の日本昔話シリーズも今日で一旦お休みになります。  満を持して登場したのはこちらです。

今昔ものがたり
編:杉浦明平  岩波少年文庫

51C89TS8VAL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

大どろぼうの話、いもがゆの話、大きな鼻の和尚さんの話、命知らずの武士の話、きつねや化け物との知恵くらべ...。  「今は昔」と語りつがれ、平安時代の人びとの生活と心をいきいきと伝える「今昔物語集」から、ふしぎで面白い39話。  (文庫本裏表紙より転載)

平安時代に編まれた全31巻、1059話の大書「今昔物語集」の中から、厳選された物語が収められています  実際の「今昔物語」の方は仏教説話がかなりの量を占めるそうなのですが、この少年文庫版では仏教説話はほんの少しで、武士が活躍する話、庶民の生活の話、泥棒の話、ちょっと怪談調の物の怪やら幽霊やらが出てくる話と硬軟織り交ぜた物語集になっていて楽しむことができます。

この本の中にも「キツネにだまされた日本人」の話が複数話収録されていて、それを読むにつけてもこの本のことを思い出します。  KiKi 自身、人間がキツネにだまされるな~んていうのは子供騙しのおとぎ話の世界のこと・・・・と考えて過ごしてきた時代が長いんだけど、こうやって昔話で語り継がれてきた「馬鹿しキツネの物語」を読み返してみると、だますキツネもだまされた(と考えている)人間もどこか大らかで、「嘘っぱち」と切り捨ててしまうにはあまりにも生き生きとしていて、「一度でいいから騙されてみたい・・・・」とさえ感じてしまいます(笑)。


昨日のエントリーでせっかく我が母校の先輩が編纂された「おとぎ草子」を読了したので、今日も引き続き先輩に敬意を表し、こちらを読了しました。

星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句
編:大岡信  岩波少年文庫

5194V52TAQL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

何度も口ずさんで、五七調のリズムのよさ、ことばのひびきを楽しもう。  時代をこえて脈々とうたいつがれてきた和歌や俳句。  季節やくらしを題材にした美しい表現やユーモラスな感受性の宝庫から、194作を選びました。  (文庫本裏表紙より転載)

世の中には俳句や和歌を趣味とする大人も多いけれど、あいにくそのての雅な趣味を持たずに大人になってしまった KiKi。  でも、久々にこの本で数多の和歌や俳句を読んでみると、今さらながら「日本語の美しさ」と「日本人の美意識」、「季節感」といったものに驚かされます。  この本に収録されている194編の作品の中で、既に KiKi がどこかで読んだことがあるものが約半数。  そのまた更に約半数が未だにちゃんと暗唱できる句だったのが嬉しかった(笑)。  最近ではすっかりご無沙汰の「百人一首」に含まれている詩もあり、そう言えば小学生の頃、100首全部を覚えたものだっけ・・・・などと感慨にひたったりもして・・・・。

標題の「星の林に月の船」はこの本にも収録されている柿本人麻呂の

天(あめ)の海に  雲の波立ち  月の船
    星の林に  漕ぎ隠る(かくる)見ゆ

から採ったものなのだそうですが、たまたまこの本を読了した昨日は三日月だったようです。  (この歌の大意は 「天は海。  雲はその海に立つ波。  三日月の船がそこを滑って星の林に漕ぎ隠れていく」 というほどの意味で、まさにこの日のために歌ったかのような和歌であることに偶然とはいえちょっぴり運命的なものを感じてしまいました。

 

おとぎ草子 大岡信

| コメント(0) | トラックバック(0)

岩波少年文庫の日本昔話シリーズ、第4弾。  本日はKiKi の母校の先輩でもある大岡信氏編のこちらを読了しました。

おとぎ草子
編:大岡信 岩波少年文庫

51EBB5DCAWL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

おなじみの「一寸法師」に「浦島太郎」、いじめにたえて幸福を手に入れた「鉢かづき」姫、若い娘たちをさらう恐ろしい大江山の「酒呑童子」・・・・・  遠い昔に生まれ、人びとに愛されてきたおとぎばなし7編を、いきいきとした日本語で。  (文庫本裏表紙より転載)

大岡信氏の名前を見たり聞いたりするたびに、KiKi の記憶に蘇るもの。  それは大岡氏の出身校でもあった我が母校の「化学」の授業風景です。  当時の化学の先生も我が先輩だったようで、ついでに大岡氏と同学年でご友人だったらしいんですよね~。  で、「モル沸点上昇」だの「凝固点降下」だのの解説(と言うより「お受験用化学問題集」の解答方法の解説)の合間に、「大岡君がどうしたこうした。」「大岡君が新聞で連載している『折々の歌』がどうしたこうした。」な~んていうお話をされていて、ただでさえわけがわかんない化学が全然分かるようにならない・・・・という、ある種のトラウマと共にKiKi に刷り込まれたお名前が大岡信先生なんですよね~(苦笑)

そうであるだけに、同じく我が先輩でもあった井上靖先生のご本はほぼ読破している KiKi なんだけど(特に旧制沼津中学時代付近の自伝的作品である「しろばんば」、「夏草冬涛」、「北の海」あたりは在校中には何度も何度も読み返したものでした)、大岡信先生のご本には学生時代も、さらにはその後の社会人時代にもなんとなく手を出しそびれてしまってきています ^^;  さすがにここまで年齢を重ねてくると未だにちゃんと理解できていない「モル沸点上昇」も人生初の赤点経験もどうでもよいこととなり、そろそろ先輩に敬意を表してちゃんと作品に接したいなぁと思わないでもない・・・・んですけどね(笑)

結局、大岡先生のご本をちゃんと手に取って読んだ最初の1冊は岩波少年文庫の「星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句」(このブログではまだご紹介していませんが)だったりするわけですが、このブログで大岡先生のお名前を登録するのはこちらの「おとぎ草子」が第1冊目となりました。    

RDGに触発されて始めた岩波少年文庫の日本昔話シリーズ第3弾。  今回はたった1本のわらしべから長者さんにまで出世(?)した楽しい物語「わらしべ長者」他21編が収録された民話選集です。

わらしべ長者 - 日本民話選
作:木下順二 画:赤羽末吉  岩波少年文庫

51PMPSTJKQL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

昔から人びとの間に語りつがれてきた民話を、その語り口をいかして再話。  おなじみの「かにむかし」「こぶとり」「彦市ばなし」をはじめ、味わいぶかい「天人女房」「あとかくしの雪」など22編を収める。  (文庫本裏表紙より転載)

昨日、エントリーを書いた「かもとりごんべい」と比較すると、方言度(と言う言葉があるかどうかわからないけれど、日本全国あちこちの方言が使われている度合い)は低いものの、以前TVでやっていた「まんが日本昔ばなし」の市川悦子さん & 常田富士男さんの語り口を彷彿とさせる文調の昔話語りがとっても心地よい作品ばかりでした。  まあ、それもこれも劇作家として有名な木下順二氏の手による再話・・・・ということがあるのかもしれません。  惜しむらくはこの中に「夕鶴」が入っていなかったこと(笑)  あのお話、好きだったんですよね~。

KiKi の宝物である「岩波少年文庫 特装版」にもこの物語選集は「日本民話選」として収録されていたんだけど、そちらは13作品で1冊となっていました。  現在市販されており、今回 KiKi が読了したこちらの「わらしべ長者 - 日本民話選」では22編。  9編も増えているのでお得感が満載です。  装丁はやっぱり「特装版」には負けちゃうんですけどね(笑)

2011_Nov25_001.JPG

RDGに触発されて読み始めた岩波少年文庫の日本昔話シリーズ。  「宇治拾遺ものがたり」に引き続き読了したのはこちらです。

かもとりごんべい ゆかいな昔話50選
編:稲田和子 絵:宮田奈穂  岩波少年文庫

513WPTRGE5L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

語りつがれた日本の昔話の中から、笑いを誘うおかしな話を選りすぐりました。  「仁王門のはじまり」、「ねずみ経」、「とろかし草」、「うばすて山」など、方言の味わいを残したリズミカルな楽しい50編。  (文庫本裏表紙より転載)

これは楽しい本ですね~ ^o^  昔話の典型的な例にもれず、どのお話もとっても短いんだけど、言葉が生きていて、いかにも「口承文学」っていう感じがして、ちょっと寒さが厳しくなってきた今の季節にはぴったりです。  今回 KiKi はたまたま薪ストーブの前に座ってこの本を読み進めていたんだけど、こういうお話は囲炉裏端こそ似つかわしい(笑)  しかもこの物語群の楽しい所は、採話したそれぞれの地方の方言で語られているところなんですよね~。  火の前でどことなく間延び感のある方言で語られる昔話はそれだけで心がほっこりしてくるような気がしませんか?

今回、KiKi は自分のためにこの本を黙読したわけだけど、思わず何度も音読したくなる衝動に駆られました。  特にリズミカルな語り口で綴られている部分なんかは黙読するのは惜しくなっちゃったぐらい!  それぞれの物語の末尾にどこの民話なのかもカッコ書きで付されていて、その地方の風土(「雪が多い」とか「海がある」とか「寒冷地」とか「温暖な気候」とか、とか、とか)にも思いを馳せながら読むと物語の味わい深さも一入です。


たまたま今、RDG(レッド・データガール)を4巻まで読了した・・・・ということで、そこに出てくる「修験者」とか「陰陽師」なんかとあながち無関係とは言えないこの本を読んでみました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

宇治拾遺ものがたり
編:川端善明  岩波少年文庫

511MHBY3W9L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「こぶとり」「大どろぼうの大太郎」「腰折れ雀」「うんぷてんぷふりわけ双六」をはじめ、鬼や狐の活躍する話、美しい話、こわい話が集められた鎌倉時代の説話集から、昔も今も変わらない人の心のふしぎさを描いた、小さな物語47編。  (文庫本裏表紙より転載)

一応、このブログの「読書カテゴリー」は「岩波少年文庫読破企画」から発端して書き連ね始めたといういきさつがあるため、常に岩波少年文庫で未だにエントリーを起こしていない作品が気になり続けている KiKi。  今回はたまたま、「RDG」を4巻まで読了し、「第5巻」が図書館に入荷するまでの待ち時間というタイミングだったので、ちょっぴり日本の古典をベースにした作品で未読作品を読んでみたい衝動にかられました。  そこでまず手にしたのがこちらの「宇治拾遺ものがたり」です。  

いやはや、こうやって「少年文庫」とはいえ日本の古典を読んでみると、いかに KiKi が「絵本 or おとぎ話」以来、母国日本の民話から離れていたのかを改めて実感させられますねぇ。  同時にここに収められている47編の物語のうち、半分以上は生まれてこの方読んだこともない物語ばかりで、正直なところ「日本人としてこれでよかったんだろうか??」と思わずにはいられなかったりもします ^^;  特に KiKi の場合は国語の授業や古文の授業で勉強した物語以外は、ホント、おとぎ話でしか日本の民話と接してこなかったからなぁ・・・・・。   

きつねのライネケ ゲーテ

| コメント(0) | トラックバック(0)

岩波少年文庫読破計画をぶちあげ、全冊(のつもり)の Index を作成していた時、そのラインナップの中にゲーテの名前を見つけた KiKi はビックリ仰天したものでした。  あのゲーテ、「ファウスト」や「若きウェルテルの悩み」や「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」を書いたゲーテ、ワイマール公国の宮廷顧問を務めたゲーテ、「18世紀の知性の象徴」のような存在だったゲーテが少年文庫にラインナップされるような作品を書いていたなんて!!ってね。  でもね、この物語、実はゲーテの創作ではなかったみたいです。  ヨーロッパで多くの人に知られていた「狐物語」という物語に題材を求め、そこにゲーテなりの人生観・・・・というか、社会観を若干付け加え深みを増した物語にしあげた作品がこの「きつねのライネケ」とのこと。  ま、何はともあれ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

きつねのライネケ
著:ゲーテ 編訳:上田真而子  岩波少年文庫

41D-h25kFrL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

ヨーロッパに古くから語りつがれてきた、悪がしこいきつねライネケの物語。  ライオン王の御前で、狼、うさぎ、にわとりなど、動物たちがつぎつぎにきつねの悪行をうったえる。  言葉たくみに王をだまし、死刑をのがれたライネケは...。   (文庫本裏表紙より転載)

この岩波少年文庫版「きつねのライネケ」は読者対象として小学5.6年生を想定しているようです。  つらつらと思い出してみるに、KiKi がその年齢層だった頃、子供のための読み物というものの大半は「勧善懲悪」「予定調和」の物語ばかりだったように思います。  そうであるだけに KiKi は読中、まるで当然の事でもあるかのように「ああ、最後にはライネケには罰が当たるんだろうなぁ」と思いながら、ライネケの口から出まかせ答弁を楽しんでいました。  ところが・・・・です。  な、な、なんとライネケは勝利を収め、ライオン王の片腕となって動物王国(?)の重鎮となってしまうなんて!!!

でもね、よくよく考えてみるとまさにゲーテさんが最後の最後に仰る言葉どおり

さてさて世の中とはこんなもの、いつの時代でも、永久に変わりないのではないだろうか。

だよなぁ・・・・・と。  とは言うものの・・・・・・。  こんな救いのない終わり方の物語が児童文学であって、いいんだろうか???とちょっと複雑な気分です。  だってこれじゃ「憎まれっ子、世にはばかる」だし、「正直者は馬鹿を見る」だし、「最後に勝つのは悪賢いヤツ」みたいじゃない・・・・・・。  (まあ、現実としてはそういう側面もなくはないけどさ・・・・・) 

たまたま手持ちで未読の図書館本がなくなってしまった(要するに返却 - 新規借り出しをしていない)ので、KiKi の岩波少年文庫コレクションの中から未読のものを読んでみることにしました。  子供時代には所謂「物語系」の本が好きで、まして現実の冒険ものにはさほど興味がなかった KiKi には初読本となります。

エヴェレストをめざして
著:J.ハント 訳:松方三郎  岩波少年文庫

2011_Sep26_001.JPG  (Amazon)

1953年5月、世界最高峰のエヴェレスト(チョモランマ)は、ついに人類の足跡をしるした。  長年にわたる入念な踏査と周到な準備、国境を越えた人々の友情と団結の力、チャレンジ精神 - この隊をひきいたイギリス遠征隊の隊長みずからが若い人たちに語る感動的な冒険物語。  (文庫本扉より転載)

人類初の・・・・・という物語が数多ある中で、KiKi にとって最も縁遠く、ついでに興味の対象にならなかったのがこのエヴェレスト登頂をはじめとする「肉体酷使系冒険物語」です。  基本的には「山好き」の KiKi だけど、そんな KiKi にとって「エヴェレスト(チョモランマ)」とか「K2」というのは KiKi の分類では「山カテゴリー」に属するものではなく、「極所カテゴリー」に属するもので、それに人生をかける人たちを尊敬(? というより驚嘆?)こそすれど、自分に引き寄せて何かを考える対象物にはなりえません。  要するに軟弱なのです(苦笑)

最近では NHK BS なんかで数多くのネイチャー番組が放映され、それらを観ることはよくあるのですが、そんな時 KiKi の口をついて出てくるのは

「信じられない!!  よくもまあ、あんな所まで行ってみようと思うものだこと!  KiKi なら挑戦したら1億あげると言われても絶対に行きたくない!!」

という言葉だったりします。  よくよく考えてみると映像として見せてくれるものに関しては敢えてチャンネルを合わせてまでして観る癖に(まあ、これには最近のTV番組に対する幻滅・・・・みたいな感情があって、他に観るモノがないという事情もあるのですが)、こんな発言をするのですからゲンキンなものです。  でね、映像としてだったら観てみたいと思う癖に、こういう本に関しては子供時代から今に至るまでさほど興味を持たずに生きてきたというのも、甚だゲンキンなものです。  まあ、そういう意味ではこの Blog で「岩波少年文庫全冊読破プロジェクト」を立ち上げていたが故に古本屋めぐりをしてまでして手にすることになった1冊と言えます。     

ここ何日か別件でバタバタしていてほとんど PC に向かう時間が取れませんでした。  結果、読了からかなり日にちが経ってしまったのですが、この Blog は KiKi の読書記録を兼ねているので、数日前に読了したこちらの本のご紹介をしておきたいと思います。

西遊記(上)(中)(下)
著:呉 承恩 編訳:伊藤 貴麿  岩波少年文庫

51S43230F4L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

花果山の石から生まれた孫悟空は、72通りの変化の術を使って、縦横無尽の大活躍。  インドへ経典を取りに行く三蔵法師を助け、数かずの妖魔を退治しながら冒険の旅を続ける。  (岩波書店HPより転載)

51D6QGEAJTL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

三蔵法師と、孫悟空・猪八戒・沙悟浄の一行は、あるときは国王の病を治すために妙薬を作り、またあるときは、妖怪たちを退治し、困難を切り抜けながら旅を続ける。  (Amazon より転載)

51PCWYWY6RL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

唐の国からはるばる仏典を求めてやってきた三蔵法師たちは、ついに霊山の頂上に到着する。  そして、大事をなしとげた三蔵法師・孫悟空・猪八戒・沙悟浄はそれぞれ新たな道へ。 ― 大冒険旅行の完結編。  (Amazon より転載)

先日読了した「ガリヴァー旅行記」と同じように、西遊記も子供時代に絵本で出会ったきり、ちゃんと読んだことのない物語の代表選手です。  孫悟空、猪八戒、沙悟浄、三蔵法師というメインの登場人物の名前は知っているし、悟空の武器、「如意棒」の名前も知っている。  でも、正直言うと KiKi は今回の岩波少年文庫の西遊記を読むまで「にょいぼう」が「如意棒」という字を書くことさえ知りませんでした。  いえ、知らなかっただけではなく、どんな字で書くのか興味を持ったことさえありませんでした。  中国語を知らない KiKi が原典を読んだことはないのはまあ当然のこととしても、言ってみれば兄弟分の文字文化を持つ中国の物語であるにも関わらず、その物語に出てくる小道具の名前がどう書かれるのかに興味さえ持たなかったことに今更ながら気がつき、ちょっと唖然としました ^^;

 

さて、今日ご紹介するこの本。  実は KiKi は2日ほど前(というより昨日の早朝2時ごろ)に読了した本でした。  まるで遠足の前の日の子供みたいに、寝付けなかった KiKi は布団の中であっちへ転がりこっちへ転がり・・・・・。  羊を数えてみたりもしたんだけど、どうしても眠れません。  観念して起き出し本棚の前に移動し、比較的活字の大きな岩波少年文庫を物色しました。  そうして手に取ったのがこの読了本です。

魔法のアイロン
著:J.エイキン 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

2011_Sep14_037.JPG (Amazon)

ジョンが宝くじで当てた、ごく普通のアイロンが、隣り近所をまきこむ大騒動のもとになり...。  ストーリーテリングの名手エイキンが、昔話の伝統にのっとりながらも自由で個性的なユーモアやファンタジーを展開させた、ふしぎなお話9編。  (文庫本扉より転載)

現在市販されている岩波少年文庫のエイキン作品と言えば、「アーミテージ一家のお話全3巻;おとなりさんは魔女、ねむれなければ木にのぼれ、ゾウになった赤ちゃん」なんだけど、この1つ前の岩波少年文庫のシリーズでは「とんでもない月曜日」とこの「魔法のアイロン」が販売されていました。  このうち「とんでもない月曜日」は「アーミテージ一家のお話全3巻」の抜粋みたいなものなので現在の版の方が充実しているわけですが、こちらの「魔法のアイロン」の方は絶版状態です。  個人的にはこちらのちょっと民話風な物語はかなり好き♪なので、こちらが絶版状態なのは寂しい限り・・・・・。  いずれは再販してくださる予定があるのでしょうか??  収録されている物語は以下の9編です。

「めいわくな贈り物」
「オウムになった海賊と王女さま」
「魔法のアイロン」
「料理番になった王女さま」
「腕のいい庭師のお話」
「失業した音楽師たち」
「一晩じゅう立っていた王さま」
「ふしぎなレコード」
「三つめの願い」


「やりこみ系ゲーマー」だった KiKi が親類の子供に触発されて始めたドラクエのエンディングを未だに迎えていないにも関わらず、それをそっちのけで再び読書三昧の日々を送っています。  その理由の1つは夏の農繁期を過ぎちょっぴり時間に余裕ができてきたことにもあるけれど、それ以上に以前ほどはゲームの世界にのめりこめなくなっていることもあるような・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ほんとうの空色
著:B.バラージュ 訳:徳永 康元  岩波少年文庫

518lmiEecfL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

フェルコーは貧しい母親と二人暮らし。  少年が、野原の花の汁でつくった青い絵の具で空を描くと、その空にほんものの太陽や月や星が輝きだしました。  少年は、つぎつぎと不思議な出来事にめぐりあいます。  みずみずしいハンガリーの名作。  (文庫本裏表紙より転載)

以前から KiKi はハンガリー民謡とかジプシーの音楽なんかを聴くと、「異国情緒」というよりは「親近感・・・・のようなもの」を感じ、日本人と気質が合う民族という印象があったりしたんだけど、この物語を読んでいても同じような郷愁に近いものを感じました。  

物語冒頭では貧しい少年の描写から始まっているので、昔よく読んだタイプの「貧困の中で幸せを見つける」というプロットの物語なのかなぁ・・・・と思い、中盤で野原の花の汁でつくった青い絵の具が出てくると、いわゆる手仕事世界系のほのぼの文学かなぁ・・・・と思い、その絵の具で描かれた絵の空にほんものの太陽や月や星が輝きだすとそのあまりのシュールさに唖然とし、と、同時にこの物語がどこへ向かって語られているのかチンプンカンプンに・・・・ ^^;  描写は美しいんだけど、いったいこの物語のテーマは何なんだろう????ってね。

全てが KiKi の中で解決したのは最後も最後、ラスト2ページでした。

 

今日も吾妻郡図書館で借り出してきた岩波少年文庫を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

月曜日に来たふしぎな子
著:J.リーブズ 訳:神宮 輝夫  岩波少年文庫

510J336Z65L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

「月曜日に来たふしぎな子」のために大騒動にまきこまれる親切なパン屋さん一家の話、腕はいいのに怠け癖のある「エルフィンストンの石工」、ほかに「おばあさんと4つの音」「11羽の白い鳩」など、民話風な楽しいお話 6編。  (文庫本裏表紙より転載)

著者のジェイムズ・リーブズという方はイギリスの詩人・作家で、神話や伝説、昔話やマザーグースなどの伝承文学の魅力を子供に伝える仕事に大きな業績を残した方・・・・とのことなんだけど、大学で英文学を専攻したはずの KiKi にはまったく馴染みのない作家さんでした。  この物語も「岩波少年文庫」に収録されていなくて、未だに KiKi の蔵書には入っていなくて、そんな本を図書館で探すという労を取っていなかったら絶対に出会うことのなかっただろう物語だと思います。

比較的短い読みやすい小品が6編収められている短編集で、それこそベッドタイムストーリーにはもってこいの簡素さで、なかなか魅力のある作品集でした。  収録されている作品は以下の6編です。

月曜日に来たふしぎな子
おばあさんと4つの音
水兵ランビローとブリタニア
エルフィンストーンの石工
フーの花瓶
11羽の白い鳩

どの作品にもどこかで読んだり聞いたりしたことがあるような素朴さと懐かしさがありつつも、ちょっぴりピリっとくるようなエスプリや現代感覚があり、なかなか新鮮な読後感でした。

 

今日は吾妻郡図書館で借り出してきた岩波少年文庫の「シャーロック・ホウムズシリーズ」3冊を読了しました。

シャーロック・ホウムズの冒険
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫  (Amazon)

探偵小説の古典として、世界中の人々に愛読されてきたシャーロック・ホウムズの短編の中から、「赤毛連盟」「まだらのひも」「口の曲がった男」など6編を、特に少年少女のために選んだ。  (文庫本扉より転載)

シャーロック・ホウムズの回想
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫  (Amazon)

シャーロック・ホウムズが初めて手掛けた事件「グロリア・スコット号」ほか、「マスグレイヴ家の式詞」「せむし男」「海軍条約事件」。  そして「最後の事件」でホウムズは悪人教授モリアーティーと共にライヘンバッハの滝つぼへ・・・・・・。  (文庫本扉より転載)

シャーロック・ホウムズ帰る
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫  (Amazon)

死んだはずのホウムズが3年ぶりに姿を見せ、いつもながらの観察力と推理力を発揮して再び活躍し始める。  残されためがねを手掛かりに、本棚の後ろの隠し部屋にひそむ犯人を見つけ出す「金縁の鼻めがね」ほか、5編。  (文庫本扉より転載)

2011_Sep10_009.JPG

我が吾妻郡図書館に所蔵されていたのは、現在市販されているシリーズよりも1つ前の岩波少年文庫のシリーズのため、上記の Amazon リンクでも中古販売の情報しか網羅されていません。  それぞれのシリーズがほぼ以下のような対応になっていると思われるのですが、現段階では KiKi は未確認です。

「シャーロック・ホウムズの冒険」 → 「シャーロック・ホウムズ まだらのひも」
「シャーロック・ホウムズの回想」 → 「シャーロック・ホウムズ 最後の事件」
「シャーロック・ホウムズ帰る」 → 「シャーロック・ホウムズ 「空き家の冒険」

で、かつてのシリーズではこの3冊のみが「岩波少年文庫」のホウムズ・ラインナップだったものが現在の版ではこれに加えてもう1冊、「シャーロック・ホウムズ バスカーヴィル家の犬」が出版されています。  以下に現在の版の Amazon Link もご紹介しておきますね。

シャーロック・ホウムズ まだらのひも
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫

1145210.gif  (Amazon)

探偵小説の古典として長いあいだ愛読されてきたシャーロック・ホウムズの短編の中から、「赤毛連盟」「口のまがった男」「まだらのひも」「名馬シルヴァー・ブレイズ」など6編。  (岩波書店HPより転載)

シャーロック・ホウムズ 最後の事件
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫

1145220.gif  (Amazon)

ホウムズが初めて手がけた事件の思い出という形で書かれた「グロリア・スコット号」ほか、「マスグレイヴ家の式辞」「海軍条約事件」など5編を収める。  宿敵モーリアーティ教授との決闘を描いた「最後の事件」では、ホウムズが教授とともにライヘンバッハの滝つぼに姿を消す。 - 歴史小説の香りもただよわせる短編集。  (岩波書店HPより転載)

シャーロック・ホウムズ 空き家の冒険
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫

1145230.gif   (Amazon)

宿敵との決闘で滝つぼに消えたホウムズが、3年ぶりに姿を現わし、ワトスンと再会する。  「金ぶちの鼻めがね」、つぎつぎに壊されるナポレオンの像の謎を解く「6つのナポレオン像」など、5編を収める。  (岩波書店HPより転載)

シャーロック・ホウムズ バスカーヴィル家の犬
著:C.ドイル 訳:林 克己  岩波少年文庫

1145240.gif (Amazon)

荒地の旧家バスカーヴィル家に伝わる、身の毛もよだつ魔犬の伝説。  領主の謎の死をめぐって、後継者から依頼を受け、ホウムズとワトスンは、館を訪れるが...  怪奇と幻想に彩られた長編。  (岩波書店HPより転載)

 

吾妻郡図書館から借りてきた残り2冊。  さほど期待していなかった本だったんだけど、あまりにも面白くて一気に読了してしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ジーンズの少年十字軍 上・下
著:T.ベックマン 訳:西村由美  岩波少年文庫

41P3RXyOvEL__SL500_AA300_.jpeg  41xRDRj6oCL__SL500_AA300_.jpeg
     (Amazon)                            (Amazon)

オランダの少年ドルフは、知りあいの博士が発明したタイムマシーンに乗って13世紀へ―。  思いがけず彼は何千人もの子どもたちの真っただなかに巻きこまれてしまう。  この大集団は、羊飼いの少年ニコラースの率いる少年十字軍だった!  (文庫本上巻裏表紙より転載)

一行は、イタリアのジェノヴァをめざして険しいアルプス山脈を越える。  寒さや飢えや病気でつぎつぎと倒れていく大勢の子どもたち...。  ドルフは、この少年十字軍には恐ろしい陰謀がひそんでいることをかぎつける。  ドルフの運命は?  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この本、たまたま KiKi の岩波少年文庫ライブラリーの蔵書にはまだなっていなくて、それを図書館でたまたま見つけたので借りてみたんです。  まだ購入していない理由も、図書館で見つけた際にさほど期待しなかった理由も、その両方が同じものでした。  つまりね、「ジーンズ」という言葉と「十字軍」という言葉があまりにもミスマッチで奇をてらったもののように感じられて仕方なかったんですよね~(苦笑)  「なんじゃ、そりゃ」っていう感じ。  でね、読み始めて最初の2章くらいまでは正直さほど心を動かされることはありませんでした。

時を旅するというテーマは古今東西、あちこちに様々な物語があるけれど、この物語の旅立ちは正直なところ、かなりいただけない・・・・・。  ハリウッド映画の「Back to the Future!」のエメット・ブラウン博士(通称ドク)よりも魅力に欠ける2人の博士が開発したタイムマシーンに乗って過去へ旅したいと渇望する主人公のドルフの姿にも、さほど感情移入することができなかったし・・・・・・。  更には「タイムマシーン」みたいな複雑怪奇な機械を発明できるほどの頭脳を持った人たちが、フランスとドイツを間違えちゃう(機械の不具合だったのかもしれないけれど)な~んていうのは、どう考えても物語として破綻しているように感じられました。  

ところが・・・・・です。  彼が巻き込まれたのがニコラースという本人曰く「神の啓示を受けた」少年が引率する少年十字軍の行列だったというあたりから、物語の世界がグググッと迫ってくるようになりました。  これはハチャメチャな説得力に欠ける冒頭とは大違い!!  この少年十字軍の有様が語られるあたりから、KiKi は完璧にこの物語の世界観の中に引き込まれてしまいました。

 

図書館本の返却日との兼ね合いで、ちょっぴりゲームはお預けとし、何とか読了した「ガリヴァー旅行記」の後編です。  (1)は童話でもお馴染みの「小人国」と「大人国」での顛末だったわけですが、本日読了した(2)は KiKi にとっては初読となる「飛び島(ラピュタ)」と「馬の国」の物語です。

ガリヴァー旅行記(2)
著:スウィフト 訳:中野好夫  岩波少年文庫

1145380.gif (Amazon)

1726年に書かれて以来、世界中の大人と子どもに愛読されてきた名作。  船医のガリヴァーが航海に出て見聞したふしぎな国々「小人国」「大人国」での奇想天外な事件を語る。  (岩波書店HPより転載)

船医のガリヴァーが4つの航海で見聞したふしぎな国々「小人国」「大人国」「飛び島」「馬の国」での奇想天外な事件を記した旅行記。  1726年に発表されて以来、豊かな空想力と強烈な社会風刺で、世界中の大人と子供に愛読されてきた。  (文庫本扉より転載)

先日もお話したように、ここ(↑)でご紹介している Amazon Link は現在も入手できる新刊本なので、上下2巻構成にはなっていないのですが、KiKi が図書館から借りてきたのはこれよりも1つ前のシリーズの岩波少年文庫で、2巻構成になっています。  Amazon の情報だけではかつての2冊が1冊に編集されたものなのか、はたまたかつての2冊目に掲載されていた物語はカットされてしまって「小人国(リリパット)」「大人国(プロブディンナグ)」の物語のみになってしまったのかはちょっとわかりませんでした ^^; (山小舎の近くには本屋さんがないので、確認できていません。)

2011年9月15日追記:

本日、東京の本屋さんで確認しました。  現在販売中のこの(↑)岩波少年文庫では「小人国(リリパット)」「大人国(プロブディンナグ)」の物語のみになっていました。

因みに KiKi が読んだ「岩波少年文庫の前のシリーズ」の2冊の装丁はこんな感じ(↓)です。

2011_Sep04_001.JPG

ジブリ・アニメで有名になった「ラピュタ」の大元がこんなところにあったのにまずビックリ!  そして、KiKi も日々お世話になっている「ヤフー!」の大元もこんなところにあったのに2度ビックリ!でした。  大学時代の英文学史の講義で「ガリヴァー旅行記の諷刺の神髄は3度目及び4度目の航海にある」と学んだことは先日のエントリーでもお話したけれど、なるほど、その意味がようやく腑に落ちました。  確かにこの「飛び島」 & 「馬の国」での出来事に関しては、徹底した「人間批判」の精神が満ち満ちていて、読んでいてちょっと辛くなるぐらい・・・・(^^;)でした。

その批判精神があまりにも徹底しているだけに、KiKi のような凡人には逆に「そこまで毛嫌いしなくても・・・・」とさえ感じられちゃったぐらい・・・・・。  ここまで批判精神が徹底すると、ある面、生き辛かっただろうなぁ・・・・・。  ま、だからこそ著者の最期はかなりさびしいものだったみたい(この本のまえがきによれば、「不幸な、狂い死ぬような一生を送った」とのこと)です。  まあ、それも「さもありなん」っていう感じです。

 

40代を迎えた頃から、コレクション(収集)を始めた岩波少年文庫。  そのきっかけは以前このエントリーでもお話したように東京のマンションの本棚の整理をしていたら、前後2列縦隊の奥に潜んでいた岩波少年文庫の「ギリシア・ローマ神話(上)(下)」を発見したことにありました。  何故か捨てずに取ってあったこの「岩波少年文庫」との再会がなければ、今、こんな Blog を書いている KiKi はいなかっただろうと思います。  そんな中、かつては持っていたはずなんだけど、どこかの時点で「ギリシア・ローマ神話」とは異なり、廃棄の道を歩んでしまった物語の1つがこの「ガリヴァー旅行記」です。  いずれは新刊で購入することになるだろうと思いつつも、コレクションしなければならない(?)本がまだまだ多いためついつい後回しになってしまっている「有名でありながらちょっと悲しい運命」を辿っているこの物語。  先日吾妻郡図書館でたまたま発見することができたので、借りてきました。

ガリヴァー旅行記(1)
著:スウィフト 訳:中野好夫  岩波少年文庫

1145380.gif (Amazon)

1726年に書かれて以来、世界中の大人と子どもに愛読されてきた名作。  船医のガリヴァーが航海に出て見聞したふしぎな国々「小人国」「大人国」での奇想天外な事件を語る。  (岩波書店HPより転載)

船医のガリヴァーが4つの航海で見聞したふしぎな国々「小人国」「大人国」「飛び島」「馬の国」での奇想天外な事件を記した旅行記。  1726年に発表されて以来、豊かな空想力と強烈な社会風刺で、世界中の大人と子供に愛読されてきた。  (文庫本扉より転載)

ここ(↑)でご紹介している Amazon Link は現在も入手できる新刊本なので、上下2巻構成にはなっていないのですが、KiKi が図書館から借りてきたのはこれよりも1つ前のシリーズの岩波少年文庫で、2巻構成になっています。  Amazon の情報だけではかつての2冊が1冊に編集されたものなのか、はたまたかつての2冊目に掲載されていた物語はカットされてしまって「小人国(リリパット)」「大人国(プロブディンナグ)」の物語のみになってしまったのかはちょっとわかりませんでした ^^;  

KiKi が初めてこの物語(ガリバーの物語)に出会ったのは、絵本でした。  印象に残っているのはちょうどこんな感じ(↓)の挿絵で、まだまだ純粋な心を持っていた子供時代にはこの小人国にポンと放り込まれてしまったガリバーの運命にワクワク・ドキドキしたものでした。

1211811029_500x232.jpeg

でもね、絵本で出会ってしまった物語っていうのは悲しいもので、無意識のうちに「もう読んだことがある」という意識が働きがちで、しかもガリヴァーの物語に関しては絵本で描かれていた世界と岩波少年文庫で描かれている世界のギャップが激しすぎて、小学校低学年では難しすぎ、小学校高学年では「絵本にもなっているガリバーなんて今更・・・・・」という意識も出てきて、結局「小人国」「大人国」の物語が収録されている「ガリヴァー旅行記(1)」こそ斜め読み状態で1~2回読んだものの、「ガリヴァー旅行記(2)」に至っては購入してもらうことさえなく、学校の図書館でも手に取ってみようとはほとんど思いませんでした。  だって、当時の岩波少年文庫にもまだあらすじさえ知らない物語のラインナップがいっぱいあったのですもの・・・・・・。

そして中学生になると「岩波少年文庫」というシリーズのタイトルに対する KiKi の偏見から「このシリーズは小学生以下が読むもの」という意識が出てくるので、結果的にこの歳になるまで「ガリヴァー旅行記」を味わって読んだことはなかったと言っても過言ではありません ^^;

 

農作業の忙しい季節に入って以降、めっきり読書量の減ってしまった KiKi です。  冬場の農閑期は時間もいっぱいあるし、ついでに体がさほど疲れていないので、お布団に入ってからしばらくの時間はゆったりと本を読むこともできるのですが、今の季節はダメですね~。  布団をかぶる → 3分と経たない間に爆睡 っていう感じで、1ページ読み進むことさえ稀で、結果「読みかけ本」ばかりが増えてしまっています。  ま、そんな中、何とか読了することができたのがこちらです。

カイウスはばかだ
著:H.ウィンターフェルト 訳:関楠生  岩波少年文庫

51VDK+h1BSL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

古代ローマの小さな学校に通う、七人のやんちゃな少年たち。  ある日の授業中に書かれた「カイウスはばかだ」といういたずら書きが、思わぬ事件を巻き起こして......。  ユーモアたっぷり、元気いっぱいの、ドイツ児童文学の名作。  (文庫本裏表紙より転載)

面白かったぁ!!  この本はその存在さえも KiKi は知らなくて、たまたま6月の岩波少年文庫の新刊本だったために、「岩波少年文庫全冊読破!」を目標に掲げている以上避けては通れない・・・・という余りにも消極的な理由で手にした1冊だったんだけど、これは本当に面白い物語だと思いました。  舞台が古代ローマということだったので、サトクリフばりのちょっと難しめのお話かと最初は思ったんだけど、たまたま舞台が古代ローマというだけで、ここに描かれている少年たちの姿には古代っぽさはほとんどなくて、これが現代日本を舞台にしている物語だったとしても通用しちゃうような気がします。  もっとも子供たちが巻き込まれる事件の方は、現代っぽさは皆無なんですけどね(笑)

この物語。  一応、謎解き系の物語なのであんまり深く内容には触れられないんだけど、発生する事件の犯人やその動機はかなり意外!だし、物語の最後を締めくくるクサンチップス先生の一言がシャレていて、物語としてのバランスも見事だし、もっと早くこの物語を読むことができていたら、きっと「大好きな物語の中の1冊」になっただろうと思います。

実はね、ものすご~く正直に言っちゃうと、KiKi のお気に入りは主役である少年たちの方じゃなくて、彼らを教育しているクサンチップス先生の方なんですよ。  冒頭の登場の仕方からすると、偏屈で頑固で学者肌のおじいさんっていう感じで、お世辞にも「お友達になれそうなタイプ」ではないんだけど、次に登場した際の挿絵の先生は可愛いし、その後の登場の仕方もなかなかピリっとくるし、上にも書いたけれど物語の最後も見事に引き締めてくれるし・・・・・。  物語を読み終えたときには、「う~ん、この先生とお友達になりたいなぁ」と本気で思っちゃったぐらい!(笑)

114206a.gif

(↑)この洋服ダンスの扉の中で、さるぐつわを噛まされ、ロープでぐるぐる巻き状態になっているのが、クサンチップス先生

 

今日は久々に読書記録です。  たまたま今週は木曜日に東京での出稼ぎ仕事があり、最近では我が家の愛犬ノルンを上州高山農園のお仲間に預かっていただけるようになったので、今回の KiKi の移動手段は電車でした。  電車・・・・と言っても「新幹線」な~んていう高価なものは利用しませんよ(笑)  今の時点ではLothlórien_山小舎と東京の移動交通手段を「経済的」という観点だけからみると 電車(ローカル線、特急料金なし) < マイ・カー(但し ETC 割引フル活用) < 新幹線 という構図になっているため、KiKi の選択は常に前者の2つのうちのどちらか・・・・ということになっています。

で、電車(ローカル線、特急料金なし)を選択すると片道の移動時間に要するのがざっと3時間半。  山にいると野良仕事に追われまくっている今の KiKi にとっては、この電車での移動時間は貴重な「ボケ~っとする時間」になっています。  今回、往路(群馬 → 東京)ではせっかくの機会ということもあり思う存分ボケ~っとしたのですが、さすがに3時間半という時間をただボケ~っとしているというのはあまりにも手持無沙汰 ^^;  ま、てなわけで復路(東京 → 群馬)では本でも読みつつボケ~っとしようかな・・・・・と考えました。  そんなモードのときにもピッタリな、重すぎない(重さ的にも、内容的にも)本という意味で、岩波少年文庫は重宝するんですよね~(笑)

ま、てなわけで、本当に久々に東京の大型書店に立ち寄り、新刊で未入手だった岩波少年文庫を2冊購入し、湘南新宿ラインに乗り込みました。  そのうちの1冊が本日の KiKi の読了本です。

バレエものがたり
著:アデル・ジェラス 訳:神戸万知  岩波少年文庫

51sw+cBZLlL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

舞台の上のロマンチックなおどりの世界が、物語になりました。  お姫さまや王子さま、美しい乙女や奇妙な生きものたちが、恋をしたり、変身したり、幽霊になったり、ふしぎな魔法のお話をくりひろげます。  「ジゼル」「コッペリア」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「火の鳥」の6話を収録。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi はバレエというものを劇場なんかでは観たことがありません。  「バレエ音楽」には少しは精通しているという自覚があるのですが、正直なところ舞台芸術としての「バレエ」にはさほど興味を持つこともなく、この歳まで生きてきました。  東京から群馬にメインの生活舞台を移すことを検討し始めた時にも、「コンサートやオペラを今までのように気楽に楽しむことができなくなるなぁ・・・・」とちょっぴり残念に思えたけれど、「バレエが観られなく」というような発想は頭の片隅を過ることさえありませんでした。  そういう意味では「バレエ音楽を聴くためにバレエのあらすじを知っておこう!」と考えたことはあっても、オペラほどには真剣にそのシナリオを理解しようとしたことがありませんでした。

今回読んだこの本は「随分昔に、一度はあらすじとして何か(その多くはレコードのライナーノーツだったりする ^^;)で読んだことがある物語の復習編」という感じで楽しむことができました。  チャイコフスキーの3曲(白鳥、美女、くるみ割り)こそ、かなりはっきりとあらすじを覚えていたけれど、「ジゼル」「コッペリア」は「こんな話だったっけ??」状態だったし、「火の鳥」は管弦楽版から入った KiKi だけに物語としてちゃんと認識したのは今回が初めてだったと言っても過言ではありませんでした。

 

氷の花たば A.アトリー

| コメント(0) | トラックバック(0)

「時の旅人」から始まった、岩波少年文庫のアトリー作品読書。  4冊目の作品はこちらです。

氷の花たば
著:A.アトリー 訳:石井桃子/中川李枝子  岩波少年文庫

516BKHWAFWL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

雪道に迷った父親の命をすくい、お礼に娘を要求した白いマントの男の正体は?  表題作のほか、美しい木こりの娘の秘めた恋、「麦の子ジョン」と名のる神秘的な少年の話など、みずみずしい自然の息吹を感じさせる六つの不思議な物語。  (文庫本裏表紙より転載)

メリー・ゴー・ラウンド
イングランド中央部にある「ペン」という村に春の巡回キャラバンがやってきます。  2人子供、ジョンとマイケルはキャラバンの一員であるリーおばあさんから青銅でできた綺麗な呼子笛をもらいます。  これを吹くと.....。

七面鳥とガチョウ
七面鳥とガチョウはお城でごちそうを食べるため、ファージンゲール農場を抜け出します。  途中、コブタやクリスマス・プディング(!)なんぞも仲間に加わり、みんなでお城を占拠していた泥棒どもを追い払って.....。  「ブレーメンの音楽隊」にちょっと似たようなおはなし。

木こりの娘
暖炉の焔の中から現れる金色のクマの頼みを聞いて、木こりの娘チェリー・ブロッサムは、イラクサでクマの上着を作ってあげます。  さらに、クマは桜の花びらを縫ってチェリーの花嫁衣装を作るようにと告げます。  そして......。

妖精の船
海に出た父ちゃんの帰りを待つ息子トム。  クリスマスの朝に見たのは、小さな不思議な船でした。  乗組員はキャプテン・ダックと24匹の白ネズミ。  船が贈り物を持ってきたのは夢だったのでしょうか.....。  

氷の花たば
ある冬の日、雪の中で帰路を見失ったトム・ワトスンは、雪のように真っ白い見知らぬ男に起こされ、帰り道を教えてもらいます。  その代償としてその男が要求したものとは.....。

麦の子 ジョン・バーリコーン
おばあさんが落穂ひろいの際にムギ畑で拾ったきれいなイースターの卵。  割れると中から小さなジョン・バーリコーンが生まれます。  ジョン・バーリコーンは麦刈りを手伝い、農家に祝福をもたらすようになり.....。

本作もアトリーの短編集です。  「西風のくれた鍵」がケルトの妖精物語風だったのに対し、こちらはどちらかというと民話風。  いずれの作品も「どこかで似たような話を読んだことがあるような・・・・」と感じさせられるあたりは、やっぱりアトリーです(笑)。  それでいて、アトリーならではの自然描写の美しさは本作でも冴えていて、ひとつひとつの作品がキラキラしています。

民話風・昔話風ではあるんですけど、時代的にはやっぱりある程度現代に近い時代のお話(バスが走っていたりする)で、それでいて、これらの物語に登場する小道具・大道具の類のもの;メリー・ゴー・ラウンドの「青銅の呼子」然り、七面鳥とガチョウの「古い城」然り、木こりの娘の「廃墟」然り、バーリコーンの「教会」然り、何百年も昔からそこに存在し、時を超えて多くのことを見守り続けたものたちが、物語の展開に大きな関わりを持っています。  お話の中にそんな「時間軸」のようなものを感じさせられるのがアトリー作品の1つの特徴のような気がします。

 

せっかく「時の旅人」を読んだので、これから暫くは岩波少年文庫に収録されているアトリー作品を読んでいきたいと思います。  てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

西風のくれた鍵
著:A.アトリー 訳:石井桃子/中川李枝子  岩波少年文庫

51HFQ2Z3NML__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

西風がくれた木の実の鍵で幼いジョンが知った木の秘密とは?...  表題作のほか、動物たちのことばがわかる妖精のスカーフを拾った少年の話、ピクシーに見そめられて結婚した少女ポリーの話など、幻想的で楽しい六つの物語。  (文庫本裏表紙より転載)

まずは収録されている物語をざっとご紹介しておきましょう。

「ピクシーのスカーフ」
おばあさんと荒野へコケモモを摘みに行ったディッキーは 虹色の小さなスカーフを拾います。  おばあさんにはピクシーの持ち物に違いないから捨てるようにと言われますがどうしても捨てられずこっそりポケットに入れてしまうディッキー。  すると、ディッキーは地面の下に埋まっているものが見えたり 動物の話していることが理解できたりするようになって...。

「雪むすめ」
氷で覆われた北の国を治める霜の大王と妃の氷の女王は深く愛し合っていましたが子どものいないことを寂しく思っていました。  りりしい若者である北風は世界中を旅しながら 北の国の王女にふさわしい子どもを探しましたがなかなか見つかりません。  そして、ようやく見つけた女の子とは...。

「鋳かけ屋の宝もの」
年寄りの鋳かけ屋は小さい田舎町を歩いて旅して回りながら仕事に使った金物の欠片で子どもたちにおもちゃを作ってやっていました。  ある日、大きなお屋敷で鍋の修理をした後に給仕の少年から「おもちゃの材料に...」と庭師が掘り出したという金属の塊をもらいます。  鋳かけ屋がその塊を火にかざすと、ひとりでに形を変えていき...。

「幻のスパイス売り」
1年に1度だけやって来るスパイス売りのおばあさんのもとにお城のコック長ダンブルドア夫人の下で働く見習いコック・ベッシーがスパイスを買いに走ってやって来ます。  礼儀正しく優しいベッシーにスパイス売りのおばあさんはいつも商品とは別にスパイスをもう1つ渡してくれて、「大事に取っておくように」と言うのでした...。

「妖精の花嫁ポリー」
小さな田舎家に農家の作男が妻と14人の子どもを抱え貧しい暮らしをしていました。  1番上の娘ポリーは兄弟の中でも特別の器量よしでしたが、ある夜、男の家に小さなピクシーが訪ねてきてポリーと結婚させてほしいと言います。  承知してくれれば欲しいだけ金貨をあげようと言いますがポリーの両親は「とんでもない」と即座に断ります。  すると、次の晩にまたピクシーがやって来て...。

「西風のくれた鍵」
「なぞなぞかけた といてみろ この鍵(キイ) カエデの木をあける」
西風は歌うと幼いジョンのそばにカエデの実(キイ)を投げつけて去ります。  ジョンはカエデの実の鍵で開く錠を探して回りますが見つかりません。  最後にカエデの大木の狭い隙間に実を入れてまわしてみると カチリと音がして幹の一部分が開いて戸棚のようなものが現れます。  ジョンが見た、カエデが自分の奥に隠し持っていたものとは...。

 

世の中にはとっても有名なうさぎが何匹もいるわけですが、KiKi にとって最も馴染みの深いうさぎちゃんは月に住んで餅つきに励んでいるうさぎちゃん。  2番目がこの物語の主人公のグレイ・ラビット。  そして3番目にようやく顔を出すのが、ピーター・ラビットです。  イマドキの女性なら恐らく順番は逆(しかも月に住む餅つきウサギはランクインすら果たさないかもしれない ^^;)だと思うのですが、KiKi 自身がピーター・ラビットに出会ったのはかなり遅かったんですよね~。  動物を擬人化した物語っていうのは「何歳の時にその物語に出会ったのか?」が結構キーになって親しみ具合が変わってくると思うんですよ。  ピーター・ラビットが最初に世に出たのが1902年だったのに対し、こちらのグレイ・ラビットが世に出たのは1929~1932年ということなので、ピーター・ラビットに先に出会っていてもちっともおかしくなかったはず・・・・・ではあるのですが、たまたま KiKi の場合はグレイ・ラビットに先に出会ってしまった故のランキングということでしょうか?  ま、何はともあれ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

グレイ・ラビットのおはなし
著:A.アトリー 訳:石井桃子/中川李枝子  岩波少年文庫

51WGENC5XJL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

働き者のグレイ・ラビットは、森の一軒家でリスや野ウサギと一緒に暮らしています。  牛乳屋のハリネズミ一家、物知りのフクロウ、おそろしいキツネなど、森の動物たちとともにくりひろげる冒険を描いた、幼年文学の傑作。  (文庫本裏表紙より転載)

大人になって多くの物語と接した後でこの物語を再読してみると、もう一匹の超有名ウサギ;ピーター・ラビットとの類似点やらその他多くの童話集のモチーフとの類似点にどうしても気がついてしまい、「何となくオリジナリティには欠ける作品だったんだなぁ・・・・」という感想を持ってしまうんだけど、それでも逆にA.アトリーならではの美しい自然描写、美しいだけではない自然描写はやっぱり際立っているなぁとも感じるわけで、ちょっと複雑な気分です。

訳者あとがきによれば、この物語の挿絵画家としては、この岩波少年文庫版のフェイス・ジェイクスよりも初版本に挿絵を描いたマーガレット・テンペストの方が高評価とのことなんですけど、KiKi の場合は最初に出会ったのが岩波書店さんのこのフェイス・ジェイクス版だったために、ピーター・ラビットの挿絵がポターのものしか考えられないのと同じように、グレイ・ラビットの挿絵はやっぱりフェイス・ジェイクスなんですよね~。  

いずれにしろ子供時代に出会った本の印象って言うのはかくも長きにわたって人の心に住みつくものか!と改めて感嘆している次第(笑)

  

時の旅人 A.アトリー

| コメント(0) | トラックバック(0)

昨日、今日とLothlórien_山小舎は雨模様。  昨日はそれでもお外仕事ができそうな程度の降り方だったのですが、ちょっと所要があって沼田まで出かけたりしていたので、結局庭仕事はお休みでした。  ま、そんな中、最近ちょっとペースダウン気味だった読書をする時間を持つことができました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

時の旅人
著:A.アトリー 訳:松野正子  岩波少年文庫

51CM23KWVVL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

病気療養のため、母方の古い農場にやってきたペネロピーは、ふとしたことから16世紀の荘園に迷い込む。  王位継承権をめぐる歴史上の大事件にまきこまれた少女の、時をこえた冒険。  (文庫本裏表紙より転載)

久々のアトリーです。  実は今年に入ってから「グリーン・ノウ」を読み始めたとき、「あ、これは近いうちにアトリーの『時の旅人』も再読することになるだろうなぁ。」と思っていたのです。  この物語に初めて出会ったのは KiKi 小学生の頃でした。  当時の KiKi は幽閉されているメアリー女王に感情移入したり、そんな彼女を命がけで助けようとするアンソニー・バビントンの姿に「騎士道精神」のようなものを感じたりと、どちらかというと「ロマンチック」なイメージだけを勝手に膨らませ、感銘を受けたものでした。  だから、正直なところ主人公であるはずのペネロピーにはあんまり興味がありませんでした。

それが中学生になって再読した時には、メアリーもアンソニーも、ロマンチックもどうでもよくなって(^^;)、今度はイギリスの田園風景というか、舞台となるダービシャーの描写と中世の人たちの暮らしぶりに興味をひかれ、その描写を丹念に読む読み方をしていました。  で、相変わらずペネロピーにはほとんど興味が湧かず・・・・・ ^^;

そして今回。  実に40年あまりの時を経ての再読と相成ったわけですが、やっぱりペネロピーにはほとんど興味が湧かず(^^;)、今回もっとも興味を持ったのは「時って何だろう??」ということでした。  そもそもこれまでの読書では冒頭に出てくる以下の言葉は読み飛ばしていたのです。

時あり
時ありき
時あらず
    - 日時計の銘 

これ、原文では以下のような英語になっています。

Time is
Time was
Time is not
    - Sundial Motto

この何気なく be 動詞を並べ、最後に否定するという構文がイミシンで、「時」というものについてアレコレと考えさせられます。  

以前 KiKi は「デジタル時計が嫌い」というお話をさせていただいたことがあったかと思うんだけど、ある一瞬を数字で切り出して表示するあの「デジタル時計」というヤツは忙しい現代人向きかもしれないけれど、正しい時間を瞬時に認識できるという意味で合理的・効率的かもしれないけれど、「時」というものが「今」というものが「過去」と「未来」の接続点であるのに過ぎなくて、一続きのものであることを思い起こさせません。  そこへいくとアナログの時計は一目見ただけでその「繋がり」を意識させてくれます。

 

野良仕事の合間、合間を縫って、とうとう岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品を制覇しました。  大学時代に英文学を専攻し、他の国よりはイギリス国に愛着をもってきた KiKi ですが、サトクリフが描く古い時代のブリテンに関してはほとんど無知だったと言っても過言ではないことに今更ながら気が付かされました。  せいぜいがクロムウェル以降あたりからしか知らず、世界の覇者となった以降のイギリスにばかり興味を持ち続けてきた自分が情けなくもあり、手遅れになる前(?)に気が付いたことに嬉しくもあり・・・・(笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

王のしるし(上)(下)
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

61S2B3n-M9L__SL500_AA300_.jpeg  51a0e4gqkoL__SL500_AA300_.jpeg
     (Amazon)                           (Amazon)

およそ2000年前のスコットランド。  奴隷の剣闘士フィドルスは、不当に王位を追われ盲目にされたダルリアッド族の王マイダーの替え玉として雇われる。  氏族の運命をかけた戦いのなかで、フィドルスはしだいに「王」になってゆく。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

マイダーから不当に王位を奪たカレドニア族の女王リアサンを、ローマ軍の砦に追い詰めたフィドルスとマイダー。  復讐はなし得るのか。  氏族を守るためにフィドルスが下した決断とは...。  人は何によって生きるかを深く問う衝撃作。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この物語を読んでいる間、KiKi は自身に起きたある出来事を思い出していました。  それは今から20年ぐらい前の事。  KiKi は当時外資系のとある会社にお勤めしていたのですが、その会社の組織はフラットでした。(要するに一番偉い外人さん;CFOがいて、その下に日本人の部門長さんがいて、その下にかなり多くのマネージャーと呼ばれるポジションの人がいて、その下はほとんど全員がスタッフという組織。)  当時、そんな組織の底辺のスタッフだった KiKi はたまたまある仕事で一番偉い外人さんの目に留まり、マネージャーに昇格していただくことになりました。  最初その話を聞いたときは「やっと今までの苦労が報われた・・・・。」と嬉しかったのですが、発表される組織図を事前に見せていただいたとき、KiKi は呆然としました。

その会社にはかなり多くの US CPA(アメリカの公認会計士資格)とかMBA(経営学修士)という資格保持者がスタッフとして働いていました。  そんな人たちとフラットな状態で普通の日本の大学卒という人もいたのですが、予定されている組織図を見ると、KiKi の部下になる人たちは全員資格保持者でした。  対して KiKi は資格とは無縁のいわば「現場たたき上げタイプ」の人材でした。  その組織図を見た瞬間 KiKi は恐れを抱きました。

「こんなすごい人たちを部下として使うなんて、KiKi にはできない・・・・・・」

と。  昇格を告げられた日の喜びはどこへやら。  すっかり自信喪失した KiKi は、思い余って一番偉い外人さんのオフィスを訪ねました。

「○○さん。  認めていただいたことはとっても嬉しかったし感謝もしています。  でも、私は普通の日本人で何一つ自分を支える資格のようなものを持ち合わせていません。  それなのにあんなすごい肩書を引っさげた人たちを部下として使うなんて、自信がありません。  この話はなかったことにしたください。」

と。      

運命の騎士 R.サトクリフ

| コメント(0) | トラックバック(0)

「高山農園企画書づくり」のための読書に若干、時間をかけぎみの昨今ではありますが、同時進行でボチボチと読み進めていますよ~、岩波少年文庫。  昨年末に連続して読み続けていたサトクリフ作品はまだまだたくさん残っているので、合間の読書はそのうちの1冊でした。

運命の騎士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

51650xq6W-L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

犬飼いの孤児ランダルは、ふとしたことから、騎士ダグイヨンの孫、ベービスの小姓として育てられることになった。  ノルマン人によるイギリス征服の時代を背景に、二人の青年騎士の数奇な運命と、生涯をかけた友情を描く。  (文庫本裏表紙より転載)

サトクリフと言えばローマン・ブリテン四部作(既読の「第九軍団のワシ」「銀の枝」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」)が出世作なわけですが、そこからは時代がぐ~んと下った11世紀のイングランドとノルマンディを舞台にした歴史ロマンです。  ものすご~く大雑把に言ってしまえば第一次十字軍なんかがあった時代、「荘園」と「騎士」の時代の物語です。  

「騎士の時代」と言われるとどうしても「アーサー王」とか「シャルルマーニュ伝説」みたいなちょっとロマンチックな様子を連想しがちな日本人(それともそれって KiKi だけ? 笑)に、リアルな「騎士の生活」を感じさせてくれる物語だと思います。  領主以外は大広間の暖炉の傍で雑魚寝しているとか、その暖炉の煙突ではしょっちゅう煙が逆流するとか、オシャレ感のかけらもない生活がいきいきと描かれています。

物語としては孤児のランダルの成長物語なんだけど、KiKi はこの物語を読みながらそんな若者の成長物語・・・・というよりは、先日読了したばかりの「「里」という思想」にあった「時間的普遍性」(いつの時代も通用する普遍性)の本質・・・・みたいなものを感じていました。  と、同時に物語に流れる人生観には私たち日本人がかつては持っていた「人生とはすなわち無である」という思想に通じるものも感じました。  そういう意味では「場所的普遍性(どこでも通用する)と時間的普遍性(いつの時代も通用する)の合わせ技」的なものを感じていた・・・・とでも言いましょうか。

 

先日読了した「ホビット一族のひみつ」と一緒に図書館から借りてきた岩波少年文庫を読了しました。   KiKi はこと「岩波少年文庫」に関してだけは全冊読了、全冊コレクションを目標としているのですが、この本は未だに KiKi のコレクションには入っていません。  現在の絶版本はともかくとしてとにかく現在入手できる本に関しては早く全冊揃えたいところなんですけどね~。  因みにこの本は1980年に初版本が出たもののいったん絶版になり2003年に復刊したという歴史のある本です。  1度絶版の憂き目にあっているということは商業ベースで物を考えたとき、「ペイしない」という判断がなされたということの証左でもあると思うので、問題なく入手できるうちに購入しておかなくちゃいけません >_<  

思い出のマーニー (上)(下)
著:J.ロビンソン 訳:松野正子  岩波少年文庫

51Y8YNQRASL__SL500_AA300_.jpeg  51B8NGGKQHL__SL500_AA300_.jpeg 
     (Amazon)                           (Amazon)

養い親のもとを離れ、転地のため海辺の村の老夫婦にあずけられた少女アンナ。  孤独なアンナは、同い年の不思議な少女マーニーと友だちになり、毎日二人で遊びます。  ところが、村人はだれもマーニーのことを知らないのでした。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

ある日、マーニーは、無人のさびしい風車小屋でアンナを置き去りにし、姿を消しました。  彼女をさがすうちにアンナは、マーニーの思いがけない秘密を知りました...。  ドラマチックな体験をした思春期の少女の物語。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この本が未だに KiKi のコレクションには入っていない理由。  それは簡単なことで、今回が初読、つまりこのブログで「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶちあげるまで、そもそもこの本の存在を知らなかったことにあります。  コレクションって言うヤツは基本的にはその対象物に何等かの思い入れがあって、どうしても蔵書として取っておきたい!と感じさせる本が優先されるのは至極真っ当なこと。  存在さえ知らなければ「集めよう!」とは思わないわけです。  この企画をたちあげた際に KiKi は岩波少年文庫のリストを作成したのでその時に初めてこの本の存在を認識したわけだけど、未読だっただけに今日に至るまで相変わらず KiKi のDB上では「未所有フラグ」がたっているだけで「ウィッシュ・フラグ」も立たず、放置されてきました。

そしてこの本を読了した今、KiKi はDB上に大慌てでウィッシュ・フラグを立てるに至りました。  これは良い!!  すこぶる良い!!!

 

太陽の戦士 R.サトクリフ

| コメント(0) | トラックバック(0)

昨年末からの積み残し、岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品が全作読了できていないことを急に思い出しました。  たまたま先日「吾妻郡図書館」に行き、他の本も借りてきちゃったから必ずしもチャッチャと読み進めることができるわけではないけれど、やっぱり手がけたことはちゃんと完了しなくちゃいけません(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

太陽の戦士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

51TNKZKFRCL__SL160_.jpeg (Amazon)

片腕のきかぬドレムは、愛犬ノドジロや親友にささえられ、一人前の戦士になるためのきびしい試練に立ちむかう。  青銅器時代を背景に、少年の挫折と成長を描いた、サトクリフの代表作。  (文庫本裏表紙より転載)

青銅器時代という歴史の教科書でも比較的アッサリと(少なくとも KiKi の学生時代はそうだった)、あくまでも鉄器時代への通過点のように扱われ、想像・イメージするのが困難な時代が舞台です。  まあ、道具が違うだけで鉄器時代初期と文化的に大差はないのかもしれないけれど、それでも人間がどんな風に自然の中で自分の居場所を築いてきたのかがサトクリフの筆致で繊細 & 詳細に描かれています。

KiKi は以前からイマドキの「自分探しブーム」というのにシニカルなスタンスを持ち続けているんだけど、この本には「自分探し」な~んていう言葉は出てこないものの「生き抜くこと」「自分の居場所を作ること」の本質が描かれていると思います。  この時代の人たちが真剣に探っていた「自分の居場所」はイマドキのそれとは大きく異なり、それを見つけることができない ≒ 動物的な意味での死(精神的な意味では決してない)を意味することだということが言えると思うんですよね。  まあ裏を返せば現代社会に於いては「死とは直結しない淘汰がある」とも言えるわけで、それはそれで厳しいものがあったりもするわけだけど、イマドキはどちらかと言うと「個人主義」の弊害とも言える社会における自分の存在位置の不明確化 → 幻想(理想ではなく)と現実のギャップ → 根拠の薄い「できるはずなのにできない」という思い込み → 苛立ち という構造が透けて見えるような気がして仕方ありません。

KiKi はね、「夢見る事」を否定する気はないんだけど、「夢を持てなければ生きているとは言えないと考える症候群」とでも呼ぶべき強迫観念には疑問を持っています。  「生き甲斐」「やり甲斐」という言葉が安直に使われるけれど、そもそも「甲斐」ってどんなもの?と辞書を引いてみると、そこに1つの答えが書かれていると思うんですよね。

  

キュリー夫人 E.ドーリイ

| コメント(0) | トラックバック(0)

今日も計画停電は見送りとのこと。  と言うことでネットの情報をいろいろチェックしていたらこんな記事に出会いました。  

関西首長 「西から東を、日本を元気に」過剰自粛に『待った!』

まあ、いろいろな考え方があるだろうけれど、KiKi はとりあえず大きな被害もなく、同時に関東圏のような電力不足による計画停電という問題を抱えていない西日本が、東日本に遠慮してあれこれ自粛したり、下を向く必要はないと思います。  必要がないだけではなく、個人的には「本当に勝手なお願いで申し訳ありませんが、今は日本を支えてください」と頭を下げたいぐらいです。  

ま、それはさておき、あんまりこのブログの趣旨と離れたエントリーばかり書いていてもしょうがないし、いつもお邪魔している YO-SHI さんのブログのこちらのエントリー

直接の被災者でなくとも、地震の後では心理面を含めて生活が変わってしまいました。  特に関東ではその影響はとても大きい。  そんな時に「前と同じ」日常が感じられることは、とても大事なことなのかもしれません。

という記述を読み、なるほどと KiKi もそろそろ「普通の」「前と同じ」類のエントリーに戻りたい、戻るべきだろうと思いました。  計画停電が実行される日にはエントリーを書かない・・・という自分に課したルールまでは撤回する気分ではないけれど、これからのエントリーでは「読書」「音楽」「山小舎暮らし」をメインとしたエントリーに戻りたいと思います。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

キュリー夫人
著:E.ドーリイ 訳:光吉夏弥  岩波少年文庫

51CvlUHVbpL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

ロシア占領下のポーランドで貧しい少女時代を過ごし、パリで苦学したマリーは、やがて物理学者キュリーと結婚する。  不屈の研究生活をつづけ、ついにラジウムを発見し、ノーベル賞を受けたキュリー夫人の生涯。  (文庫本扉より転載)

 

古事記物語 福永武彦

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日はこんな本を読んじゃったし、思い起こせば1年ちょっと前にはこんな本を読んでいたことでもあるし、そろそろ本命(?)のこちらに手を出さないわけにはいきません。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

古事記物語
著:福永武彦  岩波少年文庫

51D0C6SVXVL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

「古事記」は、8世紀に我が国でいちばん初めに書かれた書物です。  スサノオノミコトの大蛇退治、イナバの白ウサギ、海幸と山幸、ヤマトタケルノミコトの冒険など、日本民族の息吹きをいきいきと伝える神話が大らかに語られます。  (岩波書店HPより転載)

これは「古事記入門書」としてはかなり読みやすい本だと思います。  おおまかなエピソードはほぼ網羅されているし、神様の名前もちゃんとカタカナ表記の後に漢字フリガナ(? 音だけで選ばれた当て字っぽいのも多いけど)付きだし・・・・。  古事記に出てくる神様 & 天孫の名前って、カタカナやヒラガナだけで表記されちゃうと、舌を噛みそうになっちゃううえ、古代日本人が抱いていたその人のイメージ・・・・みたいなものが伝わってこないと思うんですよね。  その顕著な例が天照大御神とか大国主命だと思うんですよ。  漢字だけであの読み方(アマテラスオオミカミ オオクニヌシノミコト)はなかなか結びつかないけれど、この漢字を読めば天照大御神が日の神であることは明白だし、大国主命が国造りの神様であることもスンナリ理解できます。

難点をあげるとすれば、古事記に記されている歌謡(と言うか和歌)の部分が現代詩っぽい文章に書き換えられているということ。  これも歌謡のままだと何を歌っているのかスンナリとはわからないから訳文は必要なんだけど、ここまで詩の形に変形されちゃうと赴きに欠けるというか、別物になってしまうというか・・・・・。

例えばとっても有名なスサノオノミコトの「八雲立つ」の歌だけどこんな感じです。

原文: 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
     ( ↑ 意味がわからないだけじゃなく、そもそも読めない ^^;)

読下し: 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
     ( ↑ 一応読めたし音の美しさは味わえるけど、意味がはっきりとは理解できない ^^;)

この本: 雲のわき出る出雲の国に、七重八重に雲はわく、八重のかきねをめぐらすように。  わたしと妻とはその中に。
     ( ↑ どんな歌を歌ったのか意味だけははっきりわかるけれど、これがあの有名な「八雲立つ」という歌であることがわからない ^^;) 

まあ、現代人にとっては日本語でありながら日本語ではない、不思議な書物をここまでわかりやすく、楽しめるものにしてくれているというだけでありがた~く思わなくちゃいけないんだろうとは思うんですけどね。

   

先日に引き続き、今日も G. マクドナルドの岩波少年文庫作品です。  

かるいお姫さま
著:G.マクドナルド 訳:脇明子 画:A. ヒューズ  岩波少年文庫

61WNCXY8BXL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

魔女にのろいをかけられて、ふわふわ浮いてしまうお姫さま。  重さがもどるただひとつの場所である湖も魔女のたくらみで干上がり、お姫さまはしだいに弱ってゆきます。  お姫さまを救う方法とは?  「昼の少年と夜の少女」も収録。  (文庫本裏表紙より転載)

この本には ↑ にもあるように表題作と一緒に「昼の少年と夜の少女」が収録されているんですけど、どちらかと言えばこちらの「昼 & 夜」の方が KiKi 好み♪  「かるいお姫さま」の方はその設定からしてナンセンスで面白いと言えば面白いんだけど、怖いと言えば怖いお話だと思うんですよね~。  待ち望まれて生まれてきたお姫さまが悪い魔女の呪いによって重さをなくしてしまう・・・・と、何だか「眠れる森の美女」を彷彿とさせるようなおとぎ話の王道(?)でスタートするんだけど、ただただ体がフワフワと浮いているだけならいろいろ不便はあっても、それはそれで楽しそうにも思えちゃう。  でもね、どうやらこのお姫さま、失ってしまったのは体の重さだけではなく、オツムの重さ・・・・というか、人間らしい感情が少し欠落しちゃっているような危うさを感じるんですよ。  どんなに深刻な状況でも笑っていて、挙句お姫さまのために、干からびそうになっている湖の水を堰き止めようと命を投げ出そうとしている王子さまを見てもケラケラと・・・・。  ここまでくると「いつもニコニコ、明るくていいねぇ♪」というレベルはとっくに通り越して、何だか寒気がしてきちゃうんですよね~。  とは言っても、そこはマクドナルド。  単なる「荒唐無稽」のお話で終わらせないあたりはさすがです。

でもね、やっぱり心にどっしりと響いてくるのは「昼の少年と夜の少女」の方だと思うんですよ。  題名からも想像できるとおり、これは夜を知らずに育った少年と昼を知らずに育った少女が出会う物語です。  とある魔女の何らかの計画(但し、その計画とやらがどんなものだったのかは最後までわからず終いなんですけどね ^^;)のために特殊な環境で2人を育てているんだけど、魔女の目を盗んだ2人は魔女が隠そうとしているそれぞれの知らない世界(少年にとっての夜、少女にとっての昼)にそれぞれ直面することになるんです。  そして、それはそれぞれの想像を絶する世界だったんだけど、この若い2人が偶然出会うことで、少しずつ驚きや恐怖を乗り越えて互いを(夜と昼を)理解しようとする・・・・というお話です。
 

先日、このエントリーでもお話したように久々に「赤毛のアン」を読み返してみて、苦手意識はさほど薄れはしなかったものの、せっかくの機会なのでこの際このシリーズを読破してみようと考えた KiKi でした。  そこで例の吾妻郡図書館で同じシリーズ(講談社の完訳クラシックシリーズ)の「アン本」を何冊か借りてきました。  で、一応は第2巻の「アンの青春」を半分ぐらいは読み進めてみたのです。  でも、敢え無く Give Up!  第1巻の「赤毛のアン」を読み通すことができたのは偏にマリラ & マシューへの共感があったことを再認識した次第です。  やっぱり主人公に魅力を感じられない本っていうのはダメみたいですねぇ、KiKi の場合・・・・・ ^^;  ま、てなわけで、せっかくの読書タイムが我慢比べになっちゃうな~んていうのは避けたかったので、「やっぱり赤毛のアンと KiKi の相性はあんまりよくないみたい」と結論付け、スッパリと読了は諦めることとしました(笑) 

じゃ、次に何を読もうか??  と考えた際、ふと頭をよぎったのはこの本のこと。  「岩波少年文庫の絶版本」ばかりを続けて読んでいた時期に出会い、大きな感銘を受け、この作者の作品をもっと読んでみたい・・・・と思いつつも放置してあることを思い出しちゃったんですよね~。  そこでこの機会に G. マクドナルドの世界に浸ってみようかなぁ・・・・・と。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

お姫さまとゴブリンの物語
著:G.マクドナルド 訳:脇明子 画:A.ヒューズ  岩波少年文庫

2011_Feb22_002.JPG  (Amazon)

山奥の館にかわいらしいお姫さまが住んでいました。  地の底に暮らす恐ろしいゴブリン小人たちが、お姫さまを誘拐しようとたくらんだことから、人間対ゴブリンのすさまじい戦いが始まります。  (Amazon より転載)

カーディとお姫さまの物語
著:G.マクドナルド 訳:脇明子 画:竹宮恵子  岩波少年文庫

1141090.gif (Amazon)

少年カーディが、地下のゴブリンの国からお姫さまを救いだしてから1年。  ふたたび王国が危機にさらされました。  カーディは、権力と富をねらって策略をめぐらす悪者たちと勇敢に戦います。  「お姫さまとゴブリンの物語」の続編。  (文庫本裏表紙より転載)

あの「金の鍵」に感銘を受けつつも、どうしてもこの本に手が伸びなかった理由。  それは、この「カーディとお姫さまの物語」の表紙の絵にありました。  どこかで見たことがある画風。  決して嫌いではないものの、明らかに「漫画」のソレに何となく抵抗を覚えちゃったんですよね~。  今回 KiKi が読んだ「お姫さまとゴブリンの物語」は少年文庫特装版の方(↑)なんだけど、今、巷で売られているものは「カーディ~」と同じコレ(↓)だし・・・・・。

51MQZTEK59L__SL500_AA300_.jpeg

でも、この挿絵。  あの竹宮恵子さんの挿絵だったんですねぇ・・・・。  KiKi が中学生ぐらいの頃一世を風靡し、KiKi も夢中になったあの漫画家さんにこんなところで再会できるとは思ってもいませんでした。  で、人間っていうのはゲンキンなもので、誰の作品なのかわからなかった頃には「敬遠」のネタだったこの絵が、あの懐かしい時代の思い出深い漫画家さんのものだとわかった瞬間に親しみを覚えてしまうのですから・・・・・・ ^^;

  

三国志(下) 羅貫中

| コメント(2) | トラックバック(0)

TVの影響で読み始めた「岩波少年文庫版三国志」もこれが最終巻です。

三国志(下)
著:羅貫中 訳:小川環樹・武部利男  岩波少年文庫

5154Y2ARVVL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

玄徳は志なかばで病死し、栄華を極めた曹操も死ぬ。  玄徳の志をついだ軍師孔明もまた、秋風の吹く五丈原で没する。  戦乱の時代をいろどった英雄たちは次々と世を去り、やがて司馬炎の天下統一へとむかう。  (文庫本扉より転載)

関羽の死から始まり、続々と「三国志」でのおなじみメンバーが亡くなっていくこの巻。  正直読み進めるのがとっても辛かった!!  あんなに強かった関羽があんな最期を迎えるとは!!  あんなにお茶目(?!)だった張飛が部下に寝首をかかれるとは!!  劉備も病没、曹操も亡くなり、魏・呉・蜀の三国の覇者の中で最後まで生き残ったのがこの物語ではもっとも存在感が薄かった(^^;)孫権というのも何となく皮肉に感じないでもありません。

偉大な存在がどんどんいなくなる中で一際輝きを増すのが孔明なんだけど、その孔明も五丈原で没すると、後はさほど心ときめくようなこともなく、ひとまわり小粒の将軍たちの戦国絵巻っていう感じで、最後に晋の司馬炎が天下統一。  天下は統一したかもしれないけれど、司馬氏の中でも司馬炎ってさほどの存在感をこの物語の中で示しているとは言い難く、孔明と丁々発止の戦をした司馬懿ほどには魅力がありません。

 

三国志(中) 羅貫中

| コメント(0) | トラックバック(0)

最近ではなかなか読書が進まなくなってしまっている KiKi ですが、ようやく「岩波少年文庫版 三国志」の中巻を読了しました。

三国志(中)
著:羅貫中 訳:小川環樹・武部利男  岩波少年文庫

51PZD0082AL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

玄徳の蜀、曹操の魏、孫権の呉と、天下は三国の対立時代に入る。  彼らは、ある時はきばつな策略で人の裏をかき、ある時は並はずれた力で相手を圧倒しながら波乱万丈の戦いをつづける。  (文庫本扉より転載)

上巻の最後でようやく諸葛孔明を三顧の礼で迎え入れた劉備玄徳。  この中巻は三国志物語の中の最大の見せ場・・・・とも言える「赤壁の戦い(レッドクリフ)」を中心に展開します。  諸葛孔明は荊州(けいしゅう)の劉表のもとに身を寄せ、いわば流浪の身だった劉備に対し、曹操への対抗策として「天下三分の計」を説きました。  すなわち、劉備が荊州と益州を領有し、劉備、曹操、孫権とで中国を大きく三分割し、まずは国力を蓄えてその後孫権と結んで曹操に対抗し、天下に変事があった際には曹操を打倒し漢王朝を再興する、というものです。  ああじゃこうじゃと屁理屈や言い訳の多い(?)劉備に対し、いかにも現実的な諸葛孔明です。  

映画「レッドクリフ」ではかなりやんわりと描かれていた孫権の呉の名将周瑜 vs. 諸葛孔明の関係は、この物語ではかなり緊張感があり、その後周瑜は気の毒になるぐらい孔明に翻弄されて(いいように手のひらの上で転がされて? 笑)病没。  劉備は蜀に兵を進めて成都を攻略後、さらに定軍山で夏侯淵を破って漢中王となり、これをもってようやく諸葛孔明に勧められた「天下三分の計」が実現・・・・というところで幕となります。

三国志(上) 羅貫中

| コメント(0) | トラックバック(0)

先週、たまたまTVを観ていたら「レッド・クリフ Part1」が放映されていて、2週連続で 「Part 1」「Part 2」を観られることを知りました。  さらには毎週月曜日の夕方6時から BS フジで「中国ドラマ 三国志」が放映されていること(先週は第2回だった)を知りました。  これは何だか「三国志づいているなぁ」と感じ、ならば・・・・とこの機会を逃さず、岩波少年文庫に収録されている「三国志」を読んでみることにしました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

三国志(上)
著:羅貫中 訳:小川環樹・武部利男  岩波少年文庫

51H2Q92TYXL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

うちつづく戦乱に苦しむ人民を見て、玄徳は関羽・張飛と兄弟の契りを結び、軍師孔明をむかえて天下統一をめざす。  英雄・豪傑が入り乱れ力の限りを尽くして戦う勇壮なドラマがここに始まる。  (文庫本扉より転載)

「西遊記」「水滸伝」「金瓶梅」と並ぶ中国四大奇書の1冊「三国志」。  どれも原本(の訳本)を読み通すにはちょっと骨が折れるのですが、この岩波少年文庫版(「金瓶梅」は未収録)だと気楽に読むことができます。  それは抄訳と言いつつも、削り過ぎず、物語のエッセンスは大切に、いわゆる冗長に過ぎるところや子供が読むにはちょっとエロティックすぎる(?)部分のみを削った、読み物になっているからだと思います。

岩波少年文庫の「三国志」は上・中・下の3巻から構成されていて、今日読了した「上巻」は、劉備・関羽・張飛の3人が兄弟の契りを結ぶ「桃畑の誓い」から「魏国の創立」、「呂布の処刑」、「三顧の礼」までが描かれています。  因みに「三国志」は漢が衰え、晋が統一するまでの魏、呉、蜀三国の時代を描いた歴史書で、これをもとに羅貫中が小説にしたものが「三国志通俗演義」と呼ばれる読み物で、この岩波少年文庫版三国志はその「三国志通俗演義」の抄本です。

ひとつひとつのエピソードはじっくり味わうと面白いうえに、考えさせられることも多いのですが、登場人物が多いうえに、長年の事について次から次へと書かれているので、事柄の羅列気味なのは否めません。  ましてこの上巻ではあの「赤壁(レッドクリフ)の戦い」は出てこないし、ようやく諸葛孔明が劉備に仕えるようになったばかり・・・・という段階ですから、「レッドクリフ」の世界観を期待して読むとがっかりするかもしれません ^^;

 

今日はとうとう2010年の大晦日です。  KiKi はLothlórien_山小舎から里へ下り、ついでに太平洋沿いをぐ~んと南下(西下?)して、静岡県の実家まで来ています。  お正月はここで過ごし、2日の夕方か3日の午前中にはまたLothlórien_山小舎まで戻る予定です。  何せ、あの山のような薪の束が気になって気になって仕方ないのです(笑)。  そんな中、2010年最後の1冊を読了しました。  これでサトクリフのローマ・ブリテン4部作は何とか年内にやっつけることができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

辺境のオオカミ
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

51K6pSpOK8L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

北ブリテンの辺境守備隊に左遷されたローマ軍の若き指揮官アレクシオス。  衰退の一途をたどる帝国の辺境で、挫折と挑戦、出会いと別れを経て、やがて<辺境のオオカミ>として生きる決意を固める。  ローマン・ブリテン四部作の最終編。  (文庫本裏表紙より転載)

ローマン・ブリテン4部作の最終編・・・・と言いつつも、若干これまでの3部作とは毛色が異なる物語だと思います。  どちらかといえばこれまでの3部作が主人公単独(銀の枝は2人セットだけど)の冒険という描かれ方の物語だったのに対し、この最終作は最後まで「個人」ではなく「組織の隊長」として任務を遂行する男の姿を描いた物語となっています。  他の作品との違いは他にもあって、女性がほとんど出てこないということ。  更には今作では主人公アレクシオスとアクイラ家の親族との関係性も極めて希薄・・・・・(?)で、「イルカの紋章のあるエメラルドの指輪」を受け継いでいるということぐらいしか、「家」との接点がないんですよね~。  ま、もっとも辺境の地へ左遷されちゃった男の物語なので、家だの女だのと甘っちょろいことを言っちゃいられなかったという事情はあるわけなんですけどね・・・・・^^;

KiKi の独断的 且つ 個人の趣味丸出しの4部作ランキングをつけてみるとすると、こ~んな感じでしょうか?

1. ともしびをかかげて
2. 第九軍団のワシ
3. 辺境のオオカミ
4. 銀の枝

 

サトクリフのローマ・ブリテン四部作の三作目です。  ふぅ、何とか年内にこの4部作 & 岩波少年文庫のサトクリフ・ラインナップを読了できそうです ^^;  それにしてもこれは傑作だなぁ!!  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ともしびをかかげて(上)(下)
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

51m3TBdwMSL__SL500_AA300_.jpeg  51-Xzu+53DL__SL500_AA300_.jpeg
      (Amazon)                            (Amazon) 

衰退したローマ帝国は、450年にわたるブリテン島支配に終止符をうつ。  地方軍団の指揮官アクイラは、悩んだ末に軍を脱走し、故郷のブリテン島にとどまることを決意したが...。  意志を貫いて生きることの厳しさ、美しさを描く。  (文庫本裏表紙より転載)

山中にたてこもるブリテンの王子アンブロシウスのもとに集い、来るべき闘いにそなえるアクイラたち。  勢いを増す「海のオオカミ」ことサクソン軍との死闘の末、アクイラはなにを手に入れたのか。  ローマン・ブリテン四部作の三作め。  (文庫本裏表紙より転載)

前作「銀の枝」ではちょっと消化不良気味の感想しか抱けなかった KiKi。  そういう意味ではこの第3作を読み始めるまでは正直ビクビクものでした。  でも、「カーネギー賞受賞作品」だし、上巻の表紙の写真は KiKi 好み(?)だし、おっかなびっくりの期待を込めて読み始めたのですが、前作で感じた「中ダルミ感」は冒頭2章であっという間に吹っ飛び、この物語の世界観に吸い込まれていきました。  で、上下2巻を一気読み!(笑)  それぐらい面白かったし、魅せられたし、多くのことを考えさせられました。  「第九軍団のワシ」も KiKi の中ではかなり評価が高い作品だったんですけど、こちらの方がさらにそれを上回っている・・・・かもしれません。

前作でもケチョンケチョンの扱いだったサクソン人は今作でも引き続きケチョンケチョン・・・・ではあるものの、そこに主人公アクイラ(「第九軍団のワシ」のアクイラの子孫)の愛してやまない妹フラビアの存在と、彼女が略奪され不本意ながらも嫁ぐことになったサクソン人との間の息子、マルの存在があることにより、善 vs. 悪の対立軸からはちょっと離れ、もっと深い1人の人間の精神性・生き様というものが浮き彫りにされた、人間性回復の物語になっていることに感銘を受けました。  そいういう意味ではこれは「児童書カテゴリー」に入っている作品ではあるものの、大人が読むとさらに味わい深い作品になっていると思いました。  物語冒頭であまりにも呆気なくすべてを失ってしまうアクイラだけど、同時に彼がその冒頭で灯した「ともしび」が、物語全編で時に弱く、時に強く燃えているのが、感覚的にも視覚的にも感じられるのもすごいなぁ・・・・。  

 

銀の枝 R.サトクリフ

| コメント(0) | トラックバック(0)

岩波少年文庫のサトクリフ2作目、そして彼女のローマ・ブリテン4部作の2作目です。  正直なところ第1作の「第九軍団のワシ」ほどは KiKi に響いてくるものがなかったんだけど、それでもサトクリフらしさはたっぷり堪能できる作品でした。

銀の枝
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

51tSDZLEBFL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

百人隊長フラビウスといとこのジャスティンは、皇帝の側近アレクトスの裏切りを知り、追われる身となった。  二人は地下組織のメンバーとともに、故郷で見つけた「ワシ」を旗印に新皇帝に立ち向かう。  ローマン・ブリテン四部作の二作め。  (文庫本裏表紙より転載)

いわゆる「冒険度」(RPGのダンジョンの難易度)みたいなものがあるとしたら、「第九軍団のワシ」の方がこの「銀の枝」よりも上をいっているような気がします。  いかに不本意ながらも正規ローマ軍団を離れ脱走兵扱いされていると言えども、「狩られる」描写が細緻と言えども・・・・です。  その理由の1つは「第九軍団のワシ」のマーカスにはエスカという連れがいたと言えどもやはり「1人」だったのに対し、こちらではフラビウス & ジャスティンという2人連れだということが強く影響しているような気がします。  方や元百人隊長、方や元軍団付きの外科医という立場の違いこそあれども、この2人、「いとこ同士」という設定もあって、正直なところ個性に乏しいというか、どっちがどっちなのか混乱しやすいというか・・・・・。  それが2人の絆だと言ってしまえばそうかもしれないんだけど、KiKi には2人連れでなければならない物語設定上の理由のようなものが、はっきりしませんでした。

と、同時に「第九軍団のワシ」ではローマ人であるマーカスとブリトン人であるエスカがコンビを組んでいるからこそ発生していた様々な含蓄のあるドラマがこの物語ではほとんど発生しないんですよね~。  あのエスカに見合う登場人物と言えば「槍の男 エビカトス」と地下組織のメンバーになる「元剣闘士のパンダラス」だと思うんだけど、彼らもエスカほどには存在感がない・・・・。  KiKi はエビカトスにはかなり期待していたんだけど、ちょっと中途半端な感じが否めませんでした。  「ローマ人ではない人種」がもう少し丁寧に描かれるとこの物語にも更に深みが出てきただろうに・・・・と感じちゃうのは否めません。 

  

図書館本のサトクリフで助走期間をたっぷりと取った(?)ので、そろそろこのブログのご本尊、「岩波少年文庫」のサトクリフ作品に取り組みたいと思います。  年明けからは「グリーン・ノウ」に没頭するためにも、ローマブリテン四部作だけは何とか年内に読了したい KiKi です。  ま、てなわけで本日の読了本はその第1冊目のこちらです。

第九軍団のワシ
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

518ihNgQbGL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

ローマ軍団の百人隊長マーカスは、ブリトン人との戦いで足を負傷し、軍人生命を絶たれる。  マーカスは親友エスカとともに、行方不明になった父の軍団とその象徴である<ワシ>を求めて、危険に満ちた北の辺境へ旅に出る。  (単行本裏表紙より転載)

この本は15年位前、一度途中まで(というよりは最初の方)を読みかけたのです。  でも、当時の KiKi は「落ちこぼれながらも会計人」として、かなりお仕事に邁進していた時期で、深夜残業・休日出勤は当たり前という生活をしており、そんな中で夜中に眠い目をこすりながら読書をするのは睡魔との闘いという側面もあったのです。  で、冒頭部分ではちょっと物語に乗り切れないものを感じ、結果、常に睡魔には負けてしまい読み通すことができない・・・・・ということを数回繰り返し、読了するのを諦めたという前科がありました。  今回は睡魔との闘いはないし、サトクリフ作品に嵌り始めているという自覚も手伝って、何とか冒頭のダラケを乗り切り、後はマーカス & エスカとあたかも共に冒険しているような気分のままラストまで突っ走ることができました。

北イングランドからスコットランドにかけての、どことなく荒涼とした、そして厳しい自然の中の描写が思わずため息をついちゃうほど美しく、そんな厳しい自然の中で生きる人たちの鍛え上げられた自尊心には心を打たれ、征服するもの vs. 征服に抗うものの関係性も克明に描かれた素晴らしい作品だと思いました。  うん、できればこの作品は中学生のころに読みたかったなぁ・・・・。  そう考えると KiKi が中学生だった頃の岩波少年文庫のラインナップにこの作品が含まれていたかどうかは定かじゃないんだけど、「岩波少年文庫 ≒ 小学生のための読み物」と勝手に決めつけていた自分が情けなくなります。

    

埋もれた世界 A.T.ホワイト

| コメント(0) | トラックバック(0)

せっかく見つけた「吾妻郡図書館」。  これはこの図書館を使い倒すぞ!とばかりに、またまた出かけていって借りていた本を返却するのと同時に、新しい本を借りてきました。  せっかくなので、KiKi が未入手の岩波少年文庫の絶版本をメインに探してみました。  いろいろあることはわかったので、まずはその中の1冊を借り出し、本日読了しました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

埋もれた世界
著:A.T.ホワイト 訳:後藤冨男  岩波少年文庫

2010_Nov14_001.JPG (Amazon)

シュリーマンが一生の夢をかけたトロイア、ピラミッドの国エジプト、バビロニア帝国の栄えたメソポタミア、ユカタン半島のマヤ - これらの代表的な4つの地方の発掘を通して、埋もれた遺跡から古代の社会をよみがえらせる考古学者たちの仕事を感動的に描いた物語。  (文庫本扉より転載)

KiKi はね、歴史に興味のある方だとは思っていたのですが、正直なところ「シュリーマンの物語」だけは知っていたものの、この物語の中に出てくるその他の古代遺跡を発掘した多くの考古学者のことはほとんど知りませんでした。  学校で学んできた歴史の教科書や美術の教科書で、彼らのお仕事の成果物である多くの遺物の写真を見てきているけれど、KiKi にとってそれらの遺物は「太古の昔から存在していたもの」にしか見えず、ミュケーナイの獅子門も、アガメムノンの金の仮面も、ティリュンスの壁画も、ミノスの宮殿も、ツタンカーメンの棺も、アッシリアの翼のある牡牛も、マヤのピラミッドも、すべて「そこにあったもの」という認識しか持っていませんでした。  それらの遺物が長い年月の間地中もしくはジャングルの中に埋もれていて、それを発掘する作業を行った人がいたことに対して、何ら感慨を持ったことがなかった・・・・・と言っても過言ではありません。

文字で書かれた歴史の始まる以前のことがわかるようになったきっかけとしての遺物には興味があったし、それらの遺物を作り上げた人類の叡智とか、技術力に感銘を受けたことは多々あっても、それらを今、目の当たりにすることができるようになるために働いた人たちに思いを馳せたことがなかったのです。  たまたまシュリーマンに関しては、子供時代に読んだ何かの物語で知ることがあったし、長じてシュリーマン自身の著作「古代への情熱」を読んだこともあり、ある程度は知っていたけれど、第二第三のシュリーマンがいたことに思い至ることさえなかったとは情けない限りです。

  

金の鍵 G.マクドナルド

| コメント(0) | トラックバック(0)

子供の頃からイギリス文学にはお世話になり、大学時代に英文学を専攻していた KiKi ですが、な☆ぜ☆か、G.マクドナルドだけは縁が薄くて、この著者の名前や作品名や英文学史上(特に児童文学において)の功績に関してのみはそこそこ親しかったものの、実はこれが初めてのマクドナルドです。  そう、KiKi にとっては彼の作品よりもハンバーガーでこそお馴染みの名前、それがマクドナルドでした。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

金の鍵
著:G.マクドナルド 訳:脇明子  岩波少年文庫

mcd1.jpeg (Amazon)

虹のたもとで見つけた金の鍵を持つ男の子が、妖精の国にまよいこんだ女の子と一緒に鍵穴をさがす旅に出る「金の鍵」。  ほかに、「魔法の酒」「妖精の国」を収録。  神秘的なファンタジー短編集。 (文庫本扉より転載)

しまったぁ!!!  これは KiKi の一生の不覚・・・と言っても過言ではなかったかもしれません。  これこそもっと早くに読んでおくべき物語でした。  思いっきり KiKi 好みのお話ばかりじゃありませんか!!  そして、この美しい文体!!!  どの作品も妖精が登場する幻想的で神秘的ないかにも英国らしいファンタジー。  個人的には表題作の「金の鍵」が一番素敵だと感じました。  この物語に登場する「おばあさま」や女の子と金の鍵を持つ男の子の導き手となる「魚」、さらには「海の老人」「大地の老人」「火の老人」にどんな意味が込められているのか、そしてさらには彼らが最終的に目指していた「影たちがやってくる源の国」がどこのことなのか、まだまだ KiKi の頭の中では空想(妄想?)が整理しきれていないんだけど、漠然とイメージできたのは「生命」そして「成長」(熟成? かな??)という言葉。  う~ん、この物語はこれからも時々手にとって読み返すことになりそうな予感がしています。

「魔法の酒」も結構好きな物語。  「カラソイン」(≒ 魔法の酒)っていったいどんなお酒だったんですかねぇ・・・・。  著者がイメージしていたお酒の種類は何だったんだろう??  そもそもこの名前はいったいどこから引っ張り出してきて、どんな意味が込められていたんだろう???  結構そのことが気になって仕方なかったんですけど、まあ、それはともあれ、この物語のプロット、「主人公の少年が妖精達との関わりを通して、世界の真実の姿と自分自身のあるべき本当の姿を理解する」っていうのもかなり KiKi 好みのお話なんですよね~。 

      

岩波少年文庫の73冊目を読了しました。  この物語はかなり痛かったなぁ・・・・。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

木いちごの島をとりかえせ
著:C.セフトン 訳:鈴木孝志  岩波少年文庫

2010_Nov11_002.JPG (Amazon)

ノーラは北アイルランドの小さな海辺の村ヘッドランドに住んでいる。  ある日、この村に都市ベルファストの学生たちが、野外学習のためにやってきた。  第一日目から、村の子たちと学生たちは激しく反目しあう。  ふたつのグループの対立は、やがて思わぬ悲劇をひきおこす。  民族間、宗教間の抗争がつづく、不安定な社会で傷つけられる子どもたちの姿を描いた異色作。 (文庫本扉より転載)

この物語、普遍性のあるテーマを扱っていると言えばそうかもしれないけれど、やっぱりアイルランドという国の成り立ちを知らないで読むと、ちょっと戸惑ってしまう作品かもしれません。  と言うのも、そもそも物語の舞台となるヘッドラインの子どもたちとそこを訪れた都市部ベルファストの学生たちがどうして反目しあうのか?がよくわからないから・・・・・・。  上記の扉に書かれた情報にある「民族間、宗教間の抗争がつづく、不安定な社会」に関する描写っていうのはあまりにもさりげなくて、特に子供の読者だと読み飛ばしてしまうような気がするんですよね~。  岩波書店さんが想定している読者層は「小学上級以上」とのことなので、尚更です。  KiKi はね、読書をする際には「あとがき」とか「解説」っていう巻末の何ページかは読了後に読むほうがいいと考えているタイプの人間なんだけど、ことこの本に関しては「あとがき」を先に読むことをオススメしたいと思います。

この本が扱っている普遍的なテーマっていうのは「争いの本質」とか「争いのエスカレートの仕方」といったことだと思うんだけど、そのベースにある複雑な建国事情、宗教観の対立、貧富の差といった要素は、その国に生まれ育った人間であれば肌身にしみて感じていることかもしれないけれど、アイルランドから遠く離れた極東の島国の子供では、なかなか理解しがたいと思うんですよ。  まして今の日本の生活環境は良くも悪くも豊かだし・・・・・。  もっとも KiKi が子供時代を過ごした高度成長からバブルに至るまでの時代に比べると、現在の「勝ち組 vs. 負け組」といった対立軸とか「長引く不景気の中で広がる格差」みたいなものを経験している子供たちのほうが、彼らの裏にある事情に敏感に反応することができるのかもしれませんが・・・・・

 

野うさぎの冒険 B.B.

| コメント(0) | トラックバック(0)

このブログの目玉企画(?)の1つ、「岩波少年文庫全作品読破企画」も早いもので 72 冊目(上下巻組のものなどは2冊とカウント)を迎えました。  結構読み進めてきたよなぁ・・・・と思う反面、Index 頁を見ると、まだまだ先は長いなぁとため息をついたり、うんにゃ、まだまだ楽しめるとウキウキしたり・・・・・・。  最近では一旦絶版になったものが続々と復刊してきているし、先日読了した「ガラガラヘビの味」のように新刊もないわけじゃないから、最終的に全部で何冊になるのか、本当に読破することができるのかは計り知れません ^^;  ま、ライフワークの1つとしてはなかなかいい選択だったかなと自画自賛している今日この頃です。  てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

野うさぎの冒険
著:B.B. 訳:掛川恭子  岩波少年文庫

2010_Nov11_001.JPG  (Amazon)

夏のはじめに生まれた野ウサギの子リーパスにとって、世界は危険にあふれていた。  空からはカラスやフクロウが、やぶのかげではキツネが小動物の生命をねらっている。  だが、いちばん恐ろしい敵は人間と人間がつれ歩く猟犬だ...。  リーパスがすごした、危険と冒険に満ちた最初の一年間を、愛情こめて描く。  (文庫本扉より転載)

これはかなり KiKi 好みの作品ですね~。  児童書によくあるような野生動物を擬人化した物語ではなく、うさぎはうさぎとして、鳥は鳥として、ふくろうはふくろうとして、人間は人間として描かれている物語です。  どういうことかって言うとね、要するに主人公のリーパスが喋ったり洋服を着たりすることはなく、畑仕事をしたり食事の支度をしたりすることもなく、うさぎらしく普通に野原で生活していて、時々人間の畑を荒らしたり、それゆえに狩人に狩られそうになったり、罠をしかけられたりするお話なんですよ。  で、リーパスの気持ち・・・・みたいなことは書かれているんだけど、それが野生動物の動作を見て、「何がこのうさぎを駆り立てて、故にこの動作になっている」という著者の繊細かつ暖かい観察眼によって解釈されたもので、それをみずみずしい文体で表現してくれているので、この物語を読んでいる間中、まるで自分が神様か妖精にでもなって地上で起こっているあれやこれやを静かに眺めている・・・・そんな気分にさせてくれる物語なんですよね~。

まあ、難点があるとすれば、リーパスがあまりにも運のよすぎる野うさぎだということぐらいでしょうか??  結構危ない目に何度も何度も会うリーパスなんだけど、まるで「水戸黄門」や「銭形平次」や「暴れん坊将軍」みたいに最後の方ぎりぎりで何故か生き永らえちゃう(笑)  最初に鉄砲で撃たれたときは片耳に穴が開いたものの逃げおおせるし(でも無傷じゃないところがいい!)、畑でトラクターにあわやひかれそう・・・・となるとちょうど日が沈みかけてその日の農作業が終わっちゃうし、猟犬に追われて逃げ惑ううちに電車に轢かれそう・・・・となったら30秒の差で身をかわし、代わりに猟犬が轢かれちゃって追跡劇も終わっちゃうし、リーパスの宿敵とも言うべきトムじいさん(人間)が仕掛けた罠や待ち伏せでもあわや!というところで、別の動物が餌食になって助かっちゃうし・・・・・。  まあ、どれもこれもパターンとしてはありうること・・・・なので不自然すぎるということはないし、主人公が死んじゃったらお話はそこで終わりなのでこの手のご都合主義は許容範囲ではあるんですけどね(苦笑)

 

まほうのレンズ R.ヒューズ

| コメント(0) | トラックバック(0)

昨日までは「吾妻郡図書館」で借りてきた図書館本を読んでいたのですが、今日は「東京都豊島区立図書館」で借りてきた、現在では絶版になっている岩波少年文庫を読了しました。  いや~、どうどうと利用できる図書館が2つあると楽しいなぁ!(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

まほうのレンズ
著:R.ヒューズ 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

1121310.gif (Amazon)

人間と人形をあべこべにしてしまう魔法のレンズがひきおこす珍騒動、たいくつすると電話線をつたって相手の家に遊びに行っていた女の子が帰れなくなる話、中古のバイクを勇んで乗り回していたはずなのにいつのまにかワニにまたがっていた若者の話...。  ありきたりのおはなしでは満足できないあなたにおくる、奇想天外な物語14編。  (文庫本扉より転載)

これは・・・・・どう評価したらいい作品なんだろう???  ストーリーは奇想天外って言えば奇想天外なんだけど、どちらかというとデタラメっていう感じ??  ある朝起きてみたら子供が目をキラキラさせながら寄ってきて「あのね、あのね、夕べ変な夢を見たんだよ。  それでね・・・・。」といった感じで興奮して前後の脈絡もちょっと怪しいままお喋りされちゃったお話・・・・みたいな感じとでも言いましょうか・・・・・ ^^;  ところどころホラーっぽさ(でも KiKi の苦手な血みどろホラーではないパターン)やら、ナンセンスさが顔を見せる何とも不思議な物語集です。  まあ、思わずクスッと笑っちゃうような描写もあったりするんだけど、要するに何が言いたいのかわからないまま唐突に終わっちゃうお話も多くて、ちょっと肩透かしを食らったような気分になったりもします。  まあ、「ありきたりのおはなしではないおはなし」であることだけは間違いありません。

じゃあ、嫌いか?っていうとそうでもないんですよね~、これが!  どちらかというと KiKi は結構好き b-hato4-b.gif かもしれません、こういうお話。  表題作の「まほうのレンズ」や「ガートルードと人魚」、「ガートルードの子ども」、そして「三げんの宿屋」なんかはブラック・ユーモア的な要素もあるし、「ガラスだまの国」なんかは言ってみれば反戦小話みたいな感じだし、「クモの宮殿」なんかは日本語で言うところの「言わぬが花」のお子ちゃま版みたいな感じで、楽しませてもらいました。

 

図書館の返却日までに読み終えなくちゃ!と頑張っていた最後の1冊を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ぼくがぼくであること
著:山中恒  岩波少年文庫

514J04S36RL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

優等生ぞろいの兄妹のなかで、ひとりダメ息子の秀一。  小言ばかりの母親にいや気がさした秀一は、家を飛び出し、ある農家へ転がりこむ。  つぎつぎと起こるスリリングな事件、大人との激しいぶつかり合い - 力強く成長する少年の姿を描く。  (文庫本裏表紙より転載)

これは面白い!!  面白い・・・・のと同時に多くのことを考えさせられる物語でした。  でも正直なところ子供時代にこの本を読んでいたら、KiKi には秀一の気持ちが今ほどは理解できなかったような気がします。  なぜなら、KiKi は秀一タイプの子供ではなく、どちらかと言えば妹のマユミタイプの子供だったと思うので・・・・・。  つまり、そこそこ勉強もできるし、大人の気に入る子供を演じることもできる子供。  まあ、マユミとの違いがあったとすれば、「自分を可愛く見せる」というセンスには欠けていた(少なくとも KiKi は外見的な可愛さにはあまり重きを置いていなかった女の子だったので 苦笑)し、マユミほど陰湿じゃない(少なくとも告げ口をするのはあまり好きじゃなかった)ぐらい・・・・かも ^^;

母親のヒステリックさ加減はちょっとオーバーな気がしないでもなかったけれど、KiKi の母親世代(物語の母親と近い世代)の専業主婦で子供に期待の多くを寄せているタイプっていうのは多かれ少なかれ、この物語の母親と同じような部分を持っていたような気がします。  本人は子供と家族のために一所懸命なんですよ。  でも、ある意味で世間知らずで、ある意味で閉鎖的で、ある意味で理想主義者。  だからいわゆる「いい子」のステレオタイプには甘くて、秀一みたいなタイプの子供は大の苦手なんですよね~。  で、秀一が女の子だったら、親にも負けない口(物言いと言うか、お喋りと言うか)で自分を表現することもできたりするんだけど、残念なことに秀一は口下手な男の子なわけですよ。  だから、自分を、自分の考えていることや感じていることをどう表現したらいいのか、わからないんですよね~。  で、子供のほうが黙っていることをいいことに、親の方はガンガン押し込んでくるし、対する子供はとりあえず今この時点での嵐が通り過ぎるのを待っている・・・・・。

 

水の子 C.キングスレイ

| コメント(0) | トラックバック(0)

今週末までに図書館に返却しなければならない本があと2冊残っています。  そのうちの1冊をやっとこさっとこ読了しました。  こちらは初読です。  ず~っと昔、「英文学史」でタイトルと著者名だけは知っていたけれど、ず~っと読む機会を逸していた1冊です。

水の子
著:C.キングスレイ 訳:阿部知二  岩波少年文庫

2010_Nov03_001.JPG (Amazon)

煙突掃除の少年トムは、仕事中お屋敷のおじょうさんの部屋に入ってしまい、泥棒とまちがわれて逃げるうちに、川に落ちて「水の子」となります。  トムが川を旅しながら、女神の愛情ある導きによって魂の救いを得るまでを描くファンタジーの古典。  (文庫本扉より転載)

う~ん、これは正直辛かった・・・・・。  その辛さは切なくて・・・・とか、悲しくて・・・・とかといった物語の登場人物への感情移入から出てくる辛さではなくて、とにかく読み通すのに苦痛を伴ったという辛さ・・・・だったんですよね~。  このブログで「岩波少年文庫全作品制覇!」という目標を掲げてさえいなかったら、恐らく途中で「や~めた!!」と放り出してしまっていただろうと思います ^^;  最初のうちは期待しながら読み始めたのですよ。  みなしごで煙突掃除をしている可愛そうな少年な~んていう人物造詣は結構昔なじみで KiKi には懐かしいものだし、「水の子」というタイトルからは「水の精」みたいな連想が湧いてくるわけで、そういう世界観の物語は嫌いじゃない KiKi のことですから(笑)。  でもね、この本はぎゅっとまとめてみるとそういう世界観であることに違いはないんだけど、脱線が多すぎるんですよ。  だから物語にのめりこもうとする度に、待ったをかけられちゃうんですよ。  

その脱線の種類がこれまた KiKi にとっては苦痛の種で、1つはいかにもキリスト教的なお説教話。  そしてもう1つは話の大筋とは全く関係ない、キングスレイさんの知識大公開とでも呼ぶべき「博物学的見識のご披露」。  これが長い、長い、長い・・・・・・ ^^;  ところどころで美しい水の世界の描写があったり、科学万能主義への批判があったり、KiKi 自身も最近ではかなり疑問を感じている功利主義への問いかけがあったりして、決して嫌いな類のお話ではないはずなんだけど、とにかく読み通すのが辛かったぁ!!!!

    

日本霊異記 水上勉

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日「リビイが見た木の妖精」と一緒に図書館から借りてきた、現在絶版中の岩波少年文庫を読了しました。

日本霊異記
編:水上勉  岩波少年文庫

2010_Oct29_001.JPG (Amazon)

もの言うしゃれこうべ、牛に生まれ変わった人、死後の世界を見てきた人...。  奈良時代の摩訶不思議なできごとを、善行・悪行にはそれぞれの報いがあるという仏教の考え方をとおして語りかける物語41編。  (文庫本扉より転載)

う~ん、なかなかビミョーな物語だなぁ・・・・・^^;  これを読んでいて最初に思ったこと。  それは「ああ、このビミョーな感じが KiKi に日本文学より英文学を選ばせた理由だったなぁ・・・・・」と。  まあ今にして思うとそれは日本文学 vs. 英文学という対比ではなくて、説教臭い物語 vs. ワクワク・ドキドキさせてくれる物語という対比なんですけどね。  編者の水上さんがあとがきでおっしゃっているように、この「日本霊異記」という物語は薬師寺のお坊様が仏教思想を民間に根付かせるために、日本各地に伝わる説話を収集してそれに説教をくっつけた物語という成り立ちであるがゆえに、どうしても説教臭くなっちゃうんですよね~。  で、その説教臭さが何となくうざったいんですよぉ ^^;  極論すれば、最後の数行がなければもっと楽しめる物語だと思うんですけどね~。

さすがに奈良時代にあった各地の説話をベースにしているだけに、かの時代の日本人(一般人)がいかに貧しく、生と死が隣り合わせの世界に生きていたのかはヒシヒシと感じられます。  そしてそんな「生きること、生き抜くこと自体がある種の偶然であり、それが楽なことではないだけに、精神的支えが必要だった」という時代背景には改めて気がつかされます。  先日読んだ「チェーザレ 破壊の創造者」でチェーザレが堕落したキリスト教世界を嘆くセリフがあったけれど、それと大差ない世界がここにもあるなぁ・・・・と感じずにはいられません。  要するに現世での苦しみを救うための抜本的な解決法が提示されているわけではなく、前世・来世とか、死後の世界がどうしたこうしたという教え。  生きることが困難であっただけに「生き抜くためには何でもアリ」となりがちな人間を戒めるための教えという意味ではどんな宗教も似たり寄ったりだなぁ・・・・と。

 

海のたまご L.M.ボストン

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日読了した「リビイが見た木の妖精」の世界観にすっかり魅せられてしまった KiKi。  せっかく出会った素敵な作家さんなので、もう一編、彼女の作品を読んでみたいと思っていたらちょうどタイミングよく、岩波少年文庫60年記念特別復刊でこちらが発売されました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本は同じ L.M.ボストンさんのこちらの作品です。

海のたまご
著:L.M.ボストン 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

51VOYTNK55L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

イギリス南西端に位置するコーンウォールの荒々しい海を舞台に、海の妖精トリトンと2人の少年が経験したふしぎな冒険と、3人のあいだに芽生えた友情をこまやかに美しく描いたファンタジー。  再刊。  (文庫本扉より転載)

「リビイが見た木の妖精」の自然描写も美しかったけれど、こちらも負けず劣らず素晴らしいものでした。  「リビイ」が「森、林、川、田園」が舞台ならこちらはタイトルからも明らかなように「海」を舞台にした自然賛歌です。  しかもその自然賛歌はいわゆる「観光レジャー的」なそれではなく、どちらかというと原始的・・・・というか、ありのまま・・・・というか、要するに「美しくて癒される」という類のものじゃなくて、プリミティブな信仰に近いもの。  畏れと憧憬と親しみがないまぜになったもの。  自然の厳しさは厳しいままに、現代のパック旅行のような短い、おいしいとこどりの滞在で感じられるあれこれとは完全に一線を画しています。  24時間、365日をそこで過ごして初めて見たり、感じたりすることができることを言語化した物語だと思います。

「リビイ」を読んでいる時にも感じたことだけど、本を読んでいる間中、まるで皮膚の毛穴が全開になっているのと同じように KiKi の五感が全開になって、物語の中心に位置しているイギリス人の少年、トビーとジョーが見るもの、感じるものを疑似体験しているような気分になり、何度もゾクゾクときちゃいました(笑)。  う~ん、やっぱりこういう物語はいいなぁ!!! 

先日、「松岡正剛千夜千冊フォロー」のための本を図書館から借り出し、何とか読み進めようとしたのですが「皇帝の新しい心」と「バベッジのコンピューター」で挫折し、ついでに図書館の返却日もオーバーしてしまった KiKi。  いかに自分ひとりでは選ばない本と出会うチャンス・・・・とは言え、やはり興味のない分野っていうのはあるもんですね~(苦笑)  ま、それはさておき、昨日はとにかくその借りっ放しの本を返却するために図書館へ行きました。  今日はそこで借りてきた本を読了したのでご紹介したいと思います。

リビイが見た木の妖精
著:L.M.ボストン 訳:長沼登代子  岩波少年文庫

2010_Oct24_009.JPG  (Amazon)

木の妖精ドリュアースのために家を探しまわるリビイ。  化石を温めて太古の生命をよみがえらせるロブ。  自然や「時」の不思議に出会った少年少女の驚きを描く二編。  (文庫本表紙扉より転載)

今回 KiKi が図書館から借り出してきた岩波少年文庫は KiKi の未入手本から5冊です。  内4冊は現在絶版となっているものばかり。  ま、そのうちの1冊は今回の60年記念でリクエスト復刊されるんですけどね。  その5冊をリストアップしておくと

リビイが見た木の妖精 著:L.M.ボストン
星のひとみ 著:トペリウス
日本霊異記 編:水上勉
水の子 著:C.キングスレイ
ぼくがぼくであること 著:山中恒

です。  その中からこの1冊をまず手に取ったのは、たまたま数日前に発見したこちらのサイトの影響によるものです。  数日前、KiKi は遅まきながら「岩波少年文庫を読んでサイトを作成している人っているのかな?」と思いつき、色々調べていたんですよね。  そしたら、やっぱり世の中には似たようなことを考える人がいるもんですねぇ~(笑)  こちらのサイト・オーナーさんがこういう企画を考えられたくだり、全作品読破を決意されるにあたり取られた行動のひとつひとつがあまりにも KiKi とそっくりで思わずクスッと笑ってしまいました。  で、まあ、それはさておき、こちらのサイト・オーナーさんが「人気Best10、大人に薦める5冊、子供に薦める5冊」というコーナーを作成されていて、その中の「大人に薦める5冊」の中の1冊にこの「リビイが見た木の妖精」を挙げられています。  ま、てなわけで、同じようなことを思いついた先輩(?)に敬意を表し、まずはこれを読んでみるべきだろうと考えたっていうわけです。

う~ん、これは素敵な物語でした。  この本に収録されている「リビイが見た木の妖精」も「よみがえった化石へび」も KiKi の大好きな世界観です。  もっとも爬虫類が大の苦手な KiKi にとって「よみがえった化石へび」は蛇の描写部分になると何だか落ち着かない気分になったりもしたんですけどね(笑)  どこが素敵かって、まずは美しい自然の描写が挙げられます。  そしてそれ以上に KiKi を魅了したのはこの2つの物語で紡がれる自然に対する素朴で、素直な畏敬の念・・・・・とでも呼ぶべきもの。  

美しくも厳しい田園での暮らしの中で、主人公の都会育ちの少女リビイはごくごく自然に、素朴に、そして本能的に「岩にも、空気にも、風や、水や、木にも精がいるし、それに、オオカミや、ヒキガエル、ヒツジや、フクロウのすがたになってあらわれる精もいる」と思うようになります。  そして美しい木の妖精ドリューアスと出会うことになるんですけど、そのシーンのなんと幻想的なことか!!  でも、リビイはその素敵な経験の詳細をお喋りしないで「心の中に大切にしまっておくことにした」そうなので、KiKi もこれ以上のお喋りは慎んでおきたいと思います。

  

以前、このエントリーでもお話した創刊60年記念のリクエスト復刊の詳細(?)が岩波書店のHPにアップされていました。  

request_fukkan.jpeg

fukantop.jpeg

ああ、やっぱりこれはかつて出ていた「特装版」とか「復刻版」と似たような特別装丁でしたねぇ・・・・。  って言うことはですよ。  これはやはり18点というあまりにも中途半端な復刊冊数が気になるんですよね~。  これまでの特別装丁版は常に30冊セットでしたから・・・・・・。

でも、この手の特別装丁版は発売されると足が早くて、あっという間に売り切れちゃうんですよね~。  (限定販売だったりするので・・・・・・)。  過去において KiKi は「特装版」は結構なお値段を払って古本屋さんでゲットしなくちゃならなかったし・・・・・・。  う~ん、どのタイミングでどんな揃え方をすれば後悔せずに済むんだろうか・・・・・・。  岩波書店さんもずいぶん罪な出し方をしてくれたものです。

 

追記:2010年10月23日

今日、本屋さんへ行ってこれらの本の実物を見てきました。  結果、わかったこと。  過去に出された「特装版」とか「復刻版」は表紙の紙質も通常の少年文庫とは異なる厚紙仕様、通常であれば紙の栞が挟まれているものが栞紐(しおりひも)だったのに対し、今回のリクエスト復刊は現在のソフトカバー部分の装丁が上の写真にあるようなデザインになっているだけのもの・・・・・だったんですね。  こうなると、KiKi としては既に入手済みの「特装版」や「復刻版」とダブッているものは必要ないし、他にも既に古本屋さんで入手済みの「隊商」とか「キュリー夫人」もいらないっていう結論になりました。  既に絶版になってしまっていてなかなか入手できなかったものが再版されてラッキー♪っていうことでしょうか(笑)        

 

   

ちょっとここのところバタバタしていて、読書も音楽鑑賞も、さらにはブログ更新もサボリ気味でした。  実際、読書の方は「読みたい気持ちはあれどもなかなか落ち着いて本を手にとることができない」状態が続いていました。  夜、寝る前には一応、お布団の中で本を開くのです。  でも、ものの5分とたたないうちに睡魔に襲われ、ふと気がつくと本を片手に電気は煌々とつけっ放しのまま寝入り、朝を迎える・・・・・そんなことが数日続いていました。  こう言うときにその5分で読んだ部分っていうのはいけませんねぇ。  ほとんど頭に印象が残っていないんですよ。  で、仕方なくもう一度読み返してみると、何となく「ああ、ここは読んだ・・・・ような気がする。」と思う。  デジャヴ感からだらける。  で、先へ進む前に寝入る・・・・の繰り返しでした。  でも、昨晩はいい音楽(?)を聴いた余韻も手伝ってか、かなりじっくりと読書をすることができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

台所のおと みそっかす
著:幸田文 編:青木奈緒  岩波少年文庫

51FDEXV2NGL__SL500_AA300_.jpg (Amazon)

父・露伴の没後、文筆の道に進んだ幸田文。  歯切れのいい文章には定評がある。  人情の機微をつづる「台所のおと」「祝辞」、生い立ちを語る「みそっかす」、露伴の臨終を描いて圧巻の「終焉」など、孫娘青木奈緒の編んだ幸田文作品集。  (文庫本裏表紙より転載)

幸田文さんと言えば、幸田露伴のお嬢さん。  ず~っと昔、幸田露伴の「五重塔」を読んだ直後に、そのお嬢さんである幸田文さんの「父・こんなこと」を読んでみようとしたことがあるのですが、当時の KiKi にはどことなく古臭く感じられる一切合財(特に露伴さんのあれこれ)が何となくうざったくて、なかなか前へと読み進めることができず挫折したというありがたくない思い出があります。  そして当時の KiKi は日本人の女流作家の描く日常的なアレコレを言語化したものに対する興味がすこぶる薄くて、そのことが「読み進められない挫折感」をさらに助長しました。  何て言うか、生活臭が強すぎてつまんない・・・・というような感じでしょうか?

まあ、当時の KiKi は夢見る夢子ちゃんで、颯爽としたカッコイイ将来(その実際の姿がどんなものか、具体的に何をしているのか等々はおぼろげではっきりしていないんだけど・・・・・ 苦笑)を追い求めていた ので、普通の日本人の(幸田一家が普通かどうかは置いておいて・・・・・ ^^;)、普通の生活が書かれた物語というだけで何となく胡散臭く感じていたし、同時に興味もなかったのです。  だって考えてみてもくださいよ。  自分の将来は日本ごとき狭い島国には閉ざされず、世界を股にかけて、何事かを成しているはず・・・・・なのです。  まかり間違っても、普通の家の普通の主婦になっているな~んていうことはあってはならなかったのです。  生活というものが人生に直結しておらず、人生に思い描くのは何らかの「社会的成功」だったのです。  そんな子供が幸田文さんの世界に共感できるわけがない!!(笑)  

一昨日もお伝えしていたように、ここ最近、KiKi の「岩波少年文庫読破企画_日本文学の巻」が続いています。  で、今日の読了本はこちらです。

走れメロス 富嶽百景
著:太宰治  岩波少年文庫

51N3YHJ3Q6L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

友情の究極の姿を描き感動を呼ぶ「走れメロス」、「富士には月見草がよく似合う」の名文句で知られる「富岳百景」、日本昔話を意表をつく展開で語る「お伽草子」や「女生徒」など、短編の名手太宰治による、ユーモアと明るさを秘めた8編。  (文庫本裏表紙より転載)

これまた久々の太宰作品です。  太宰治の作品は多感だった(だろうと思われる)高校時代に結構はまって、片っ端から手を出して読んだことがありました。  で、その頃はある種の妙な感性の一致を見出したことにより、彼の世界観をすっかりわかったつもりになってしまい、それ以降、再びページを開いてみようと思わなかった作家の代表の1人でもあります。  ま、そんなわけですから、今回実に○0年ぶりぐらいに、岩波少年文庫版の太宰作品を読み返してみることになり、正直、ちょっとした期待で胸が弾むのと同時に、不安もありました。  高校時代の KiKi を魅了した作家ということは、今の KiKi にとってはあんまり感銘を受けない作家であるという可能性が高いということになってしまうので・・・・・ ^^;

で、読み終わってみての感想ですが、「走れメロス」はまあ、可もなく不可もなく。  富嶽百景は KiKi の出身が静岡県であるということもあり、作品そのものに対する感慨よりもある種の郷愁を誘われた(実は中学生の頃、美術の時間に富士山の写生をしたことがあり、その際にわざと「月見草」を入れたことがあった)という感じ。  太宰に嵌った高校時代の KiKi なら大いに共感した「女生徒」は今の KiKi にとっては何となくメンドクサイ感じ・・・・・(苦笑)。  魚服記も昔だったら妙に感情移入したように思えるけれど、今の KiKi にとっては読み流す作品・・・・・っていう感じでした。

そんな中、昔の KiKi なら読み流して終わってしまっただろうと思われる「お伽草子」(浦島さん & カチカチ山)と、同じく昔の KiKi なら、眉根をしかめてしまってあまり味わおうとしなかっただろうと思われる「畜犬談」には妙に心惹かれるものがありました。    

夏目漱石、芥川龍之介と読み進めてきたら、何だか無性に日本文学@岩波少年文庫を読み進めたくなってきてしまった KiKi。  こうなったら、もうあと何冊かはこの路線で突っ走ってみようかなと思います。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

山椒魚 しびれ池のカモ
著:井伏鱒二  岩波少年文庫

5159B71CP8L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

岩穴に閉じ込められた山椒魚の心の動きを描く「山椒魚」、はく製作りの名人と弟子の少年がまきこまれる騒動「しびれ池のカモ」のほか、「おコマさん」「屋根の上のサワン」を収録。  人間と動物への鋭い眼差しと、ユーモアに満ちた短編集。  (文庫本裏表紙より転載)

井伏鱒二と言えば、本日の読了本の「山椒魚」、そして「黒い雨」。  そして「ドリトル先生シリーズの翻訳」がまず思い浮かびます。  そんな KiKi にとって「しびれ池のカモ」、「おコマさん」、「屋根の上のサワン」の3作は今回が初読の作品でした。  超有名な「山椒魚」はKiKi 自身、子供の頃に読書感想文を書いたこともあるし、何もこのブログであらためてご紹介しなくても、ネット上には様々な方の様々な読後感が見受けられる(だろう)と思われるので、今日の KiKi のエントリーは残りの3作の中から、もう1つの表題作「しびれ池のカモ」をメインに書き連ねてみたいと思います。

「しびれ池のカモ」が中編、その他の3作が短編という感じでしょうか。  1作、1作、少しずつ書き方・・・というか、スタイル(筆致とでも呼ぶべきもの)に違いがあってとても楽しめる1冊だと思います。  どの作品もとても味わい深い趣があると思うのですが、特に KiKi のお気に入りになったのが、「しびれ池のカモ」です。  自然に対する著者の暖かい眼差しを感じるのと同時に、「人間」というしょうもない生き物をどことなく風刺しているようなテイストも感じられ、思わず2度、3度と読み返してしまった作品です。 

羅生門 杜子春 芥川龍之介

| コメント(0) | トラックバック(0)

「夏目漱石 - 寺田寅彦 - 中谷宇吉郎 という師弟作品を続けて読んでみる企画」(それにしても KiKi は企画モノ好きですねぇ~。  我ながら呆れてしまう・・・・ ^^;)遂行中の KiKi ですが、漱石先生の次に選んだ作品は寺田寅彦さんの「柿の種」です。  で、これを一挙に読み進めようとしたのですが、そんな KiKi に寺田先生が仰るのです。  「なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」・・・・・・と。  幸い、KiKi は今のところ「心が忙しくはない」んだけど、一挙に読んでしまおうという目論見は著者の思惑とはかけ離れてしまうわけで、それはちょっと申し訳ないかな・・・・・と。   ま、てなわけでとりあえず「柿の種」を1節読んだところで、一旦頁を閉じ、ならば・・・・と「内田百閒」にいってみようか、「野上弥生子」にいってみようかと色々考えてみたのですが、結果的に次に手にしたのは、やはり拘らずにはいられない「岩波少年文庫の日本文学作品」でした。  芥川龍之介も一応、「夏目漱石門下」と言えば門下だし・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

羅生門 杜子春
著:芥川龍之介  岩波少年文庫

51P3QXV6X0L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

日本・中国の古典に題材をとった「羅生門」「杜子春」「鼻」「芋粥」をはじめ、「魔術」「トロッコ」など、人の心をするどく描いた11の短編と、生きることへの警句集「侏儒の言葉」をおさめる。  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、こちらもホントお久しぶりの芥川作品の数々です。  芥川作品はそれこそ KiKi の小学生時代、夏休みや冬休みの宿題、読書感想文の課題本だったり、通常の学期の「○学年課題図書」なんかによくなっていて、ここに収録されているほとんどの作品を学校の課題の一環として繰り返し繰り返し読み込んだ記憶があります。  最後の数行にどことはなしに「道徳的」というか、「説教じみた」ことが書かれているのが、そういう「○○図書」に選抜された理由の1つだったんでしょうね。  子供時代からそういう「大人の好む良い子の条件」みたいなことに嗅覚の効くほうだった KiKi はよくその「読書感想文コンクール」などで、大人が喜びそうな文言を添えることによって賞状をもらったりしたものでした。  ま、実際のKiKi はそんなに素直な子でもいい子でもなかったから、大人からは見えないところでペロっと舌を出したりしていたんですけどね(苦笑)

因みにこちらに収録されている全作品は以下のとおりです。

蜘蛛の糸
魔術
杜子春
犬と笛
トロッコ
仙人
羅生門

芋粥
幻灯
蜜柑
侏儒の言葉    

この中で読んだことがなかったのは「侏儒の言葉」だけでした。  「蜘蛛の糸」に至ってはストーリーのみならず「カンダタ」という男の名前まで何故かくっきりはっきり記憶していたぐらい!(笑)  さすがに「漢字でどう書くか」までは覚えていなかったんですけどね。  昔、確かに読んだことがあるんだけど、タイトルだけ見て話のあらすじが思い出せなかったのは「魔術」。  でも、冒頭の2ページぐらいを読んでいるうちに、「ああ、あの話か!」と思い出すことができました。

 

坊っちゃん 夏目漱石

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日、中谷宇吉郎さんの「雪」を読み、寺田寅彦さんとの師弟関係に思いを馳せたとき、夏目漱石 - 寺田寅彦 - 中谷宇吉郎 という子弟ラインの著作を続けて読んでみたい気分になりました。  で、せっかくなら「岩波少年文庫全冊読破」に結び付けられないかと考えて既版の夏目漱石作品を探してみたら、とりあえず「坊っちゃん」だけが収録されているようです。  そこで早速、手に取ってみました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

坊っちゃん
著:夏目漱石  岩波少年文庫

51HSZGRCE8L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

四国の中学に数学の教師として赴任した江戸っ子の坊っちゃん。  校長の〈狸〉や教頭の〈赤シャツ〉は権力をふりかざし、中学生たちはいたずらで手に負えない。  ばあやの清を懐かしみながら、正義感に燃える若い教師の奮闘の日々が始まる。  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、久しぶりです。  この物語を初めて読んだのは KiKi が小学校高学年の頃だったと記憶しています。  で、小学生にも関わらず当時の KiKi は背伸びしたい年頃だったためか、はたまた今ほど「少年文庫」そのものが充実していなかったためかは定かではないのですが、KiKi の父親の蔵書である「日本文学全集」の中の1冊として読んだことを思い出します。  当時の KiKi には坊っちゃんの「べらんめい調」がなかなか受け容れがたくてねぇ・・・・・ ^^;

かと言って「狸」も「赤シャツ」も好きにはなれなくて、「マドンナ」に至っては理解の外にある女性で、比較的好意的に受け容れることができたのが「山嵐」。  で、実は一番理解できたのが「うらなり君」だったんですよね~。  で、いずれにしろ当時の KiKi にはこの「坊っちゃん」という作品がいいんだか悪いんだかまったくわからなかったことをまずは白状しておきたいと思います。

 

「神曲_天国篇」に挫折し、「皇帝の新しい心」にも挫折してしまった KiKi。  こういうときは目先を変えるのが一番です。  楽しむための読書が苦痛になってしまっては何にもなりませんしね ^^;  で、目先を変えるんだったらやっぱり本来のこのブログの読書企画に戻るのが一番でしょう。  ま、てなわけで本日の(というより昨日の)KiKi の読了本はこちらです。

白いオオカミ ベヒシュタイン童話集
著:ベヒシュタイン 訳:上田真而子  岩波少年文庫

2010_Oct11_015.JPG  (Amazon)

森で道に迷った王さまを救い出したのは小人でした。  小人はそのお礼にと、あるものを欲しがりましたが...。  ドイツの昔話や伝説の収集家ベヒシュタインの童話は十九世紀後半の子どもたちにグリム童話と同様に好まれました。  1960年代に再評価され始めた童話集より代表作十編を日本ではじめて紹介します。  (文庫本扉より転載)

魔法使い、ヒキガエル、鳥の骨、暗い森など、など、など・・・・。  ドイツの昔話には必ずといっていいほど登場するお馴染みの、そして独特の雰囲気を持つ人物やアイテムがぞろぞろ登場する楽しい童話集です。  どの物語を読んでもそこかしこにデ・ジャ・ヴ感が漂います。  うんうん、これよこれ!  こういう何とも怪しげ(?)で、ワクワクやハラハラに満ちた物語。  これが幼かりし頃の KiKi を読書に惹き付けた魔法でした。  

作者のベヒシュタインはグリムよりも日本では知名度が低いけれど、19世紀の後半のドイツではグリムをはるかに凌いで子供たちに愛されたのだとか。  どことなく説教臭さもないじゃないけれど、やっぱり多くの人に愛された物語というのは不思議な懐かしさをもって現代の私たちにもスンナリと入ってくるような気がします。  ま、おとぎ話特有の突飛なさはあるんですけどね(笑)

この本に収録されている作品は以下の10篇です。

白いオオカミ
もてなしのいい子牛のあたま
ねがい小枝をもった灰かぶり
魔法をならいたかった男の子
おふろにはいった王さま
ウサギ番と王女
魔法つかいのたたかい
ウサギとキツネ
七枚の皮
明月(めいげつ)

今日、KiKi は体調不良のためお仕事をお休みしています。  先週の半ばからちょっと風邪気味で咽喉が痛くて嫌~な予感はあったんですよね。  でも、先週は今手掛けているプロジェクトの関係でひょっとしたら今後アライアンスを組んでご一緒させていただくことになるかもしれない会社の方たちと打ち合わせの予定が入っていたので、大事をとってお休みする・・・・・というわけにはいかなかったのです。  で、予定通りに出張して、予想通りにホテルで風邪を悪化させ、恐れていた通りに週末から発熱・・・・(苦笑)  ま、今日はようやく微熱程度までに熱も下がったんですけど、ほとんどの時間をお布団の中で過ごしていました。  「風邪には睡眠が一番」とは言うものの、週末からひたすら寝っ放しなので、もはやそうそう寝付けるものでもありません。  で、何か本を・・・・と考えたんですが、こんな日はとてもじゃないけれど小難しい本(例の「皇帝の新しい心」ね ^^;)なんかは読む気にもなれません。

そうしたらふと思い出したのです。  この間何気なく観ていた NHK の「週刊ブックレビュー」でこの夏 KiKi が購入したきり「積読」状態だったこの本を紹介していたことを。  まあ、KiKi はあんまり良い詩の読者じゃないんだけど、今日みたいな日にはぴったりかも♪と手に取ってみました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ガラガラヘビの味 アメリカ子ども詩集
編訳:アーサー・ビナード & 木坂涼  岩波少年文庫

51Ql+JzEyqL__SL500_AA300_.jpg (Amazon)

「お行儀なんか気にしなくていい。  そのまま指でつまんで、がぶっとかぶりついて大丈夫。」(「詩の食べ方」)。  とびきりおいしい62篇のアメリカの詩を、どうぞめしあがれ。  捨てるところはなんにもないはず!  (文庫本裏表紙より転載)

この本、正直タイトルを見た時には「えぇ?? (疑いの目)」っていう感じだったんですよ。  このイラストのヘビはどことなく可愛げがあるものの、ガラガラヘビですよ。  しかも、その味とは、何て趣味の悪いタイトルだろう・・・・・ってね。  恐らく「岩波少年文庫全冊読破」という企画がなかったら、そしてこの(↑)裏表紙に書かれていたコメントがなかったら、KiKi はこの本を「見なかったことにする・・・・・」と即座に棚に戻してしまったんじゃないかと思います。  でもね、そうしなくてよかった!というのが KiKi の読後感。  KiKi は決して良い詩の読者じゃないっていう自負があるんだけど、この本に掲載されている詩はどれも楽しく読むことができました。  いや~、食わず嫌いをしなくて本当に良かった、良かった♪(笑)

掲載されている詩の作成年代もばらばら、筆者の知名度もばらばら、そして歌われているテーマも、詩の作り方もてんでんばらばら。  でも、なんて自由で楽しい詩集なんでしょう。  第1句が内容紹介にも書かれている「詩の食べ方」という詩なんだけど、ほんと、お行儀だの、詩を味わうためのお作法(なんていうものがあるのかどうかも知りませんが・・・・ ^^;)も、何も気にならない、無邪気に素直に、子供の心で読むことができる詩ばかりだと思います。

編者のお二人があとがきでこの詩集について対談されていらっしゃるんだけど、その中に素敵な言葉がありました。

この「ガラガラヘビの味」のメンバーに共通しているのは、詩はみんなのもの、生活とつながるもの、だれでも入れる空間だといった基本姿勢だろう。

特権階級の遊びじゃなく、会員制クラブでもなく、だれにでも開かれていると。

いえね、KiKi はさすがに「特権階級の遊び」とまでは思っていなかったけれど、「ある種の鋭い感受性の持ち主たちによる会員制クラブ」みたいなところが「詩」という世界にはあるような、そんな偏見みたいなものがあったんですよね~。  何て言うか「感受性の繊細さが共通していないとわからない世界」みたいな・・・・・ね。  でも、この本にとりあげられている詩たちには、普通っぽさ、普通の生活の中で発する誰にも共通する想いみたいなものが溢れていて、何て言うかとっつきやすさ・・・・みたいなものを感じました。  もっともそうは言っても、自分が「好きだなぁ、これ♪」と思える詩っていうのは限られていたりもするのですけどね(苦笑)    

せっかく「松岡正剛千夜千冊フォロー」のカテゴリーを作成し、その Index まで完成させた(これが半端じゃない冊数で案外大変だった!)のに、全然フォロー活動に着手していない KiKi。  これはある程度計画的に読み始めていかないと、冗談抜きでこちらの寿命が追いつきません。  まあ、それがメインの読書カテゴリーじゃないからいいと言えばいいんですけど、作っちゃった以上はせめて手がけるぐらいの前向きな姿勢が必要なのが人の世の良識っていうモンではないかと・・・・・ ^^;  で、あらためて作っちゃった Index を第1夜からじっくりと見直し・・・・・・と思ったら、その第1冊で引っかかってしまいました。  第1夜は中谷宇吉郎さんの「雪」だったんですねぇ。

で、そのままそこへ進むんだったらこの(↑)良識に沿った読書活動となったりもするわけですが、同時進行で「岩波少年文庫全作品読破企画」を遂行中の KiKi のこと。  ここで気がついてしまうわけですよ。  そう言えば岩波少年文庫に「雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集」っていうヤツがあったなぁ・・・・と。  ま、てなわけで、「そろそろ松岡さんフォロー企画にも手をつけなくちゃ♪」と考えた矢先に「岩波少年文庫企画」に寄り道です(苦笑)。

雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集
編:池内了  岩波少年文庫

5120G7EHV2L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

雪の結晶の美しさに魅せられた物理学者・中谷宇吉郎。  「雪の十勝」「雷獣」「立春の卵」「線香花火」「地球の円い話」「イグアノドンの唄」「湯川秀樹さんのこと」など、科学のおもしろさや科学者たちとの交流について語るエッセイ21編。  (文庫本裏表紙より転載)

この本の大元のエッセイを書かれた中谷宇吉郎博士って、以前 KiKi が同じく岩波少年文庫で読んで「しまったぁ~!!  この本はもっと早く読んでおきたかったぁ!!!!」と後悔(?)した「科学と科学者のはなし」の寺田寅彦さんのお弟子さんだったんですねぇ。  最初に「あとがき」から読んで、その一事をもってして俄然この本に興味を持った KiKi。  ついでに言うと、この本の後には「千夜千冊」の「雪」が待ち構えているわけですから、かなりの期待感で胸を膨らませながら、読み進めていきました。

が・・・・・・・・

正直なところ、中谷宇吉郎さんの文章には寺田寅彦さんの文章ほどには興味も感銘も受けなかったことをまずは白状しておきたいと思います。  これは偏に KiKi が根っからの理系人間ではないことに原因があるのかもしれません。  寺田さんの文章にはさすが夏目漱石の直弟子だっただけのことはあって、なんと言うか文系人間にも受け容れやすいある種の「語法」のようなものが備わっているのに対し、こちらの本はどちらかというとやっぱり理系頭脳の人の文章っていう感じがそこかしこに漂っているんですよね~。

もちろんすべてのエッセイからバリバリ理系臭が放たれているわけではなくて、ところどころにとても興味深い話も書かれていたりするのですが、どちらかというと、ものすご~くおりこうさんの男の子が優れた指導者の元でしっかりと纏め上げた「夏休みの自由研究 理科編」のレポートみたいな感じがするんですよね。  

寺田さんのエッセイをまとめた「科学と科学者のはなし」の方は、身の回りの様々な出来事に対して、どんな「科学者の着眼点」があるのかということを、本当に楽しく書いてくれていて「ほうほう、なるほど、なるほど。  それは気がつかなかったけれど、そう言われてみると知りたい!  知りたい!!  で、どうして????」と素人をうま~く導入してくれているようなところがあるんですけど、中谷さんのこちらのエッセイの方は、そこがある意味あっさりしていて、テーマありき・・・・みたいなところがあるように感じられるんですよ。  で、その後の実験過程とか物理の小難しい話みたいなところを丁寧に比較的平易な文章で書いてくださっているんだけど、テーマそのものに興味が持てないとその後に書かれていることはなかなか身を入れて読み進められないし、実験過程をいろいろ読まされても、実験って言うのは自分でやってみて初めて面白さがわかるようなところがあるから、何となく字面を追って終わってしまうんですよね~。  

 

ここのところちょっとチェーザレに浮気しちゃっていましたが、平行してこちらも忘れずに読み進めていました。  先日こちらのエントリーでご紹介した「ぼうしネコとゆかいな仲間」の続編です。  ま、てなわけで本日の読了本はこちらです。

ぼうしネコのたのしい家
著:ジーモン&デージ・ルーゲ 訳:若林ひとみ  岩波少年文庫

512YRQM7G7L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

「ぼうしネコ」の家にゆかいな動物たちが住みはじめて、まもなく1年になります。  つぎつぎと事件の起こった1年でした。  今晩は一周年記念のパーティーです。  家主さんからプレゼントが・・・・さて、何でしょう?  (文庫本扉より転載)

ネコの家での奇妙な共同生活が始まって1年の間に、ずいぶんと騒がしい事件が起きましたが、そのなかには、巨人に襲われたり、家を乗っ取られそうになったり、大雪の日に出かけたネコが凍った道で滑って町中をぐるぐるまわりつづけたり...。  いよいよ騒々しさをます11人の共同生活の1周年記念パーティーの日がきました。  (Amazon より転載)

うんうん、やっぱりこれは楽しい物語だなぁ。  この本で起こる出来事は Amazon から転載した上記(↑)にほとんど書かれているんだけど、とにかく台本調の書き方をしているので、まるで実際に目の前で起こっていることみたいにイメージしやすいんですよね~。  で、会話があまりにも生き生きしているのでついつい物語の世界に没頭しちゃうんですよ。  どうしてこんなに楽しめるのか、色々考えてみたんだけど、訳者さんがあとがきでも仰っているみたいにこの「ぼうしネコ」の家に集まっている面々はかなり変わっているとはいえ、でも誰もがどこかで1度会ったことがある人に感じられちゃうところだと思うんですよね。  

変なのは言ってみれば動物だから・・・・だし、かなりデフォルメされていたり、行動パターンが変だったりするからおかしく感じるだけで、言っていることや大事にしていること、会話の中でポンポン出てくるある種のキーワードみたいなものが、何となく馴染み深いんですよ。  もちろん物語を読んでいる間は、「ああ、これって誰それさんそっくり・・・・」と思いつつも、ちゃんとそれを言ったりしたりしているのはこの物語の登場人物動物で入れ替わっちゃうことはないんですけど、そうであるだけに何となくこの変な住民たちに妙な親近感を持っちゃうんですよね~(笑)

 

今日も現在絶版中の岩波少年文庫です。  正直、こちらの作品はさほど期待しないで読み始めました。  と言うのも、ドイツでこの作品が本として発表されたのが1980年、日本で単行本が出たのが1991年。  KiKi はもうすっかり大人になった年代だったわけですが、特にこれといってこの物語の評判を聞いたこともありません。  岩波少年文庫になったのが1997年・・・・・にも関わらず今では絶版状態なわけですから、そう言っちゃなんだけど「たいして売れなかった本らしい・・・・」という先入観がどうしても付きまとっちゃうんですよね~。  ま、そんな KiKi の本日の読了本はこちらです。

ぼうしネコとゆかいな仲間
著:ジーモン&デージ・ルーゲ 訳:若林ひとみ  岩波少年文庫

510SKASCHZL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

プラム通りの大きな家に、帽子をかぶったネコがひっこしてきました。  ネコはこの家にただよう「不幸な子供時代」の雰囲気を取り除こうと、次々に陽気な同居人を探してきます。  その生活ぶりは・・・・  (文庫本扉より転載)

帽子の好きなおしゃれなネコが、一軒家に住んでいます。  このネコの家には、どういうわけか、奇妙なひとたちがつぎつぎと集まってきます。  寝ているうちに後ろ向きに歩く癖のあるラマ、発明好きのふたごの兄弟、切れた電球コレクターのムカデなど、全部で11人の共同生活ぶりを楽しく語ります。  ドイツで人気の人形劇の原作。  (Amazon より転載)

これは楽しい!!!  最初にさほど期待していなかった KiKi ですが、その期待(?)を見事に裏切ってくれました。  ドイツの童話ってどうしても「グリム」のイメージが強くて、こんな風にナンセンスで、こんな風に風刺の効いた物語を期待していなかっただけに、尚更楽しい物語だと思います。  訳者の若林さんもあとがきで仰っているように、「ドイツモノなのにどことなくイギリス風」というのが KiKi も大きく頷いちゃう感想です。

「ぼうしネコ」本人(?)もかなり面白い、愛すべきキャラクターだと思うんだけど、それ以上に笑えるのがこの「ぼうしネコの家」に集まってきたあまりにも個性的な面々です。  で、この居住者たちが人間の大家さんを振り回している姿が何とも言えず滑稽なんですよね~。  よくもまあ、これだけ変な人たち(生き物たち・・・・と言うべきか?)が集まったものです。

  

クオレ アミーチス

| コメント(0) | トラックバック(0)

今日も現在絶版中の岩波少年文庫です。  KiKi が小学生の頃には「道徳の時間」にこの本の中の物語がテキストになったことがあったように記憶しています。  そんな記憶があるだけに、今回も「何となく説教臭いお話だなぁ・・・・・」と思ってしまうかもしれないという危惧を抱きつつ、この本を手に取ってみました。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

クオレ
著:E.D.アミーチス 訳:前田晃  岩波少年文庫

2010_Sep07_001.JPG (Amazon) (Amazon)

小学4年の純真な少年エンリーコの日記に、「母をたずねて三千里」「フィレンツェの少年筆耕」「難破船」などの話や、父母の真情あふれる手紙を添えた、愛の物語。  百年間にわたって、子供たちに友情と正義とを訴えつづけてきたイタリアの名作。  (文庫本扉より転載)

う~ん、いい話だぁ!  確かに説教臭いと言えば説教臭いし、現代感覚からすると冗長に感じられるところもないわけじゃないけれど、それでもこの本の説教は KiKi には鼻につかないんですよね~。  それは根底に「人に対する尊敬」だとか「親子の間に流れる愛情(それもベタベタしたものではない)」だとか「自分を育ててくれた人・国に対する感謝」だとか、ちょっと眩しすぎるけれどそれでも可能であればそういう気持ちを自分も持ちたいと思わせてくれる、人間の根源にある「社会性への指向」みたいな部分の一番ピュアな形が描かれているからなんじゃないかしら。  「国のため、家族のために尽くす」というテーマのエピソードが数多く収められていて、「愛国心が希薄だ」という自覚がある KiKi にとっては、それが鬱陶しく感じられても不思議じゃないと思うんだけど、何故かこの物語だと突っ込みも忘れて「うんうん」と頷いちゃったりして、逆に自分を恥ずかしく思っちゃったりもするんですよ(苦笑)。  

もちろんそれには大人になった今の KiKi にはイタリアという国の成り立ちに対する理解・・・・・みたいなものがあるということも大きな一因だとは思うんですけどね。  今ではオシャレなファッションと美味しいフードばかりが注目されるイタリアだけど、この国の歴史を辿ってみるとホント、波乱万丈っていう言葉がピッタリで、1880年代であってもまだまだこんなオシャレとは程遠い世界にあったんだなぁ・・・・と改めて彼の地に思いを馳せることしきりです。 

今日も現在絶版中の岩波少年文庫です。  こちら、往年の少女たちの愛読書の1冊だったように記憶しているのですが、そんな中、子供時代の KiKi には正直なところ、どこがいいのかさっぱりわからなかった物語です ^^;  ま、そんな物語を大人になった今、読み返してみて何か感じるものがあるかどうか?  それを確認してみたくて手に取ってみました。  はてさて、この選択が吉と出るか凶と出るか、請うご期待!というところです。

四人の姉妹 (上)(下)
著:オールコット 訳:遠藤寿子  岩波少年文庫

2010_Sep05_001.JPG (Amazon) (Amazon)

父を南北戦争に送ったマーチ家では、メッグ、ジョー、ベス、エィミの四人姉妹が母を助けながら、貧しい中にも楽しい日々を送っていました・・・・・。  「若草物語」として愛され、読みつがれている、アメリカ児童文学の名作。  (文庫本扉より転載)

「四人の姉妹」というとどんな物語なのかご存じない方も「若草物語」と言えば、特に女性ならかなり多くの方が「ああ!、 あれ?」と思われるのではないでしょうか?  少なくとも KiKi が小学生だった時代には女子小学生にとっては必読本と言ってもいいほど人気の高かった作品ですね。  多くの友人たちが「私はメッグ・タイプ」「私はジョー・タイプ」と自分と姉妹の類似点を探したり、「誰それがいいよね♪」と評したりしていたものでした。  そんななか、KiKi も一応「必読書」ということで読んでみたことはあるのですが、正直なところ、どこがいいのかさっぱりわかりませんでした。  今回、この本を手にとって見たときも、正直なところ「う~ん、これはもっと後回しにしようなかなぁ・・・・・」と思ってしまったくらい、食指が動かなかった物語なのです ^^;

どうしてあの時代の KiKi にとってさほど面白い物語でなかったのかと言えば、友人たちが興じるほど KiKi には「私は○○タイプ」と言えるほど、自分が気持ちを寄せる相手を四姉妹の中に見出すことができなかったし、憧れて「○○がいいよね♪」と言える存在もいなかったというのが大きな理由だと思うんですよね。  もっといえば KiKi 自身が子供時代には「自分の家は貧しいか裕福か?」ということにはまったく無頓着だったし、いつも親戚のお姉さんのお古ばかりを着ていてそれが当たり前だと素直に受け容れていた身としては、ファッションにやたらと気を遣う姉妹の心理がまったく理解できなかったし、さらには自分を省みる際に常に「神様」が出てくるのもしっくりこない・・・・・ ^^;  要するに共感できるところが何ひとつなかったのです。

でもまあ、大人になった今であれば、ひょっとしたらマーチ家のお母さんとか、お隣のローレンスさんとか、いわゆる物語の脇役に当たる人たちに何らかの共感を得られるかもしれない・・・・・。  そう思いながら読み進めました。

 

黒馬物語 シュウエル

| コメント(0) | トラックバック(0)

今日も現在絶版中の岩波少年文庫の1冊を読みました。  この本は KiKi にとって懐かしい1冊です。

黒馬物語
著:A.シュウエル 訳:土井すぎの  岩波少年文庫

2010_Sep03_001.JPG (Amazon)

つややかな美しい毛なみをもつ黒馬が、生まれ育った牧場やなつかしい母親のもとを離れて、ひろい世の中で体験したさまざまな出来事を語ります。  馬をこよなく愛した作者が熱い思いをこめて、人生のよろこびと悲しみ、愛と真実をつづった感動的な物語。  (文庫本扉より転載)

この物語を初めて読んだとき、KiKi はびっくりしたのです。  と言うのも、「馬の自叙伝」っていう感じで、とことん馬目線になって、馬の言葉(と言っても当然それは人間言葉 ^^; なんだけど、要するに1人称が馬なんです。)で書いている物語なんですよ。  でもね、物語冒頭が「わたしが~」で始まっているんだけど、最初は「わたし≒馬」とは思えなくて、そのすぐ後に「小さい頃は草が食べられないので」と出てきたとき、「え?  く、草??  そりゃ大きくなったって食べられなさそう・・・・」とまず思って、次に「あ、ひょっとして わたし≒馬 だったの?」って思って、もう一度冒頭に戻って読み直しちゃった・・・・・  そんな思い出があります。(苦笑)

いかに当時の KiKi が鈍感であったとしても、冒頭の文章が馬っぽい(?)、いかにも馬が言いそうな(?)、凡そ人間とはかけ離れた感性で何かを語っているのであれば、さすがの KiKi も「わたし≒馬」という公式がすんなりと頭に刷り込まれたと思うんだけど、そうじゃないところがこの物語の吸引力に大きな貢献をしていると思うんですよ。  物語最初の一文を引用してみるとこんな感じです。

わたしがよくおぼえている、さいしょの場所は、きれいにすみきった池のある、ひろびろとした、気持ちのいい牧場でした。  茂った木が何本か、池の上にしだれるように立っていて、池の深いほうには、トウシン草やスイレンが生えていました。  牧場の生け垣のむこうは、一方に、耕した畑が見え、反対側に、木戸をこえて、主人の家が見えました。  そして、家のわきには、道がとおっていました。 ・・・・・・・・

ま、こんな感じです。  ね、凡そこの文章から「わたし≒馬」という公式がすぐに成立するとは考えられないと思いませんか?  でもね、そうであるだけに、まだ幼かった KiKi にも「馬にも人と同じように気持ちというものがある」ということだけは、感覚的につかむことができたような気がするんですよ。

 

今月からは60周年記念の岩波少年文庫の現在絶版になっている物語を集中的に読んでいきたいと思います。  今日ご紹介するのは1996年に初版が発刊された日本の物語。  こちらも表紙の純日本風の絵柄に惹かれて手に取った1冊です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

あそびあいてはおばあさん
著:木島始 画:梶山俊夫  岩波少年文庫

51WVHSKKNAL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

おかあさんの入院中、ちいさなカオルのさびしさをまぎらわしてくれたのはおばあさん。  もみじ焼きを作ってくれたり、手まり歌を歌ったり、そして不思議なお話で、カオルを幻想的な世界につれていってくれた。  (文庫本扉より転載)

この本の表紙も素敵なんですよね~。  千代紙や日本てぬぐいなんかにありそうな図柄が、なんとはなしに KiKi の和心をくすぐります。  よくよく眺めてみると、どことなくグロテスクだったり、ちょっと恐ろしかったりもするのですが、これが日本人が元来持って生まれているある種の世界観なんだと思うんですよね。  だから、そのグロテスクさや歪みのようなものの中に美を見出すとでも言いましょうか・・・・・。  今、たまたま NHK の朝ドラで「ゲゲゲの女房」というのをやっていて、妖怪大好き人間の水木しげるさん一家の物語の中で「見えないけれど、そこにおる」とか「怖いけど面白い」というキャッチフレーズ(?)が何度もくり返されているけれど、それにかなり近い世界観がこの挿絵にも、この物語にも流れていると思います。

そして、お年寄りがどんどん社会の重荷でもあるかのような扱い方をされているように感じられなくもない昨今、こういう物語が伝えてきた世代を超えた人と人のつながりに何となくほっとしたものを感じます。  ただねぇ、このおばあさん & カオルの遊び方と現代の子供の遊び方にはあまりにも大きな乖離があるので、こういう物語は今では廃れちゃうんでしょうねぇ・・・・・。

元来、子供っていうのは面白いお話を聞くことに目がないと思うんだけど、「面白い」という感性自体も時代とともに変わってきてしまっているのは、事実だと思うんですよね。  KiKi の子供時代はこの物語にあるような「おばあさんの昔語り」や「お父さんの思い出話」を聞くことがとっても楽しいことで、面白いことだったけれど、イマドキの子供たちはこういうお話にどういう反応を示すのかなぁ??  子供のいない KiKi には想像もつかないけれど、何となく・・・・ではあるんだけど、中学生になった KiKi が興味を示さなくなっていたのと同じような反応の仕方でイマドキの小学生、下手をすると幼稚園児であってさえも、この物語を捉えるんじゃないか?  そんな気がしました。

 

KiKi が「岩波少年文庫は侮れないぁ」と思うのは、素晴らしい文学作品を多く含んでいることはもちろんですが、こういう作品までとりあげているところなんですよね~。  なんせこの作品、漫画なんですから!!  セリフ抜きの 2~9コマ漫画で、風刺が効いているうえに上質のユーモアに溢れた作品なんです。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

おとうさんとぼく (1)&(2)
著:e.o.プラウエン 訳:上田真而子  岩波少年文庫

2010_Sep01_005.JPGのサムネール画像
(Amazon)      (Amazon)

ちょっとふとりぎみの「おとうさん」、人がよくて、少し子どもっぽくて、それでいて人情味ゆたか。  おかっぱ頭の「ぼく」、いたずらやけんかが好きな男の子。  この名コンビがくりひろげる日常生活の諸相を、愛情をこめて、単純明快な線で描き、たちまちベストセラーになったドイツ生まれのコママンガの古典。  (文庫本扉より転載)

これは本当に楽しい漫画だと思うんですよね。  どことなく「おとうさん」が「サザエさんちの波平さん」に似ているんですよ。  波平さんから「父親の威厳」をごっそりそげ落として、お茶目なところだけを残したらこうなるんじゃないかっていうような雰囲気なんです。  で、「ぼく」は「カツオ君」をもっと幼くして、ついでに「現代っ子ぽい計算高さ」をごっそりそげ落として、「やんちゃさ」だけを際立たせるとこうなるんじゃないかっていうような雰囲気です。

でもね、1巻の巻末にある上田真而子さんの解説を読むと、この著者の e.o. プラウエンという人の壮絶な人生に言葉を失うのと共に、ナチス支配下のドイツでそのナチスに睨まれつつも、これだけ愉快な作品を描いた著者の精神力と人間性に頭を下げざるをえないような気分になります。  もっとも、KiKi はそんなことを斟酌しながら読むべき本ではないような気がするし、純粋にこの普遍的なクスッと笑える人情話に身を委ねて、楽しませてもらうべき作品のような気がします。

読者が子どもであればきっと「ぼく」に感情移入して、「ああ、こんなお父さんだったらいいのに!」と羨ましく思うんだろうし、大人であればきっと「おとうさん」に感情移入して、「こんな風に童心に帰って子どもと遊べたら愉しいだろうなぁ。  でも、大人の分別が邪魔してこうはできないけれど・・・・・」と思うのと同時に、とは言いつつも、自分の子どもとの触れ合い方を思わず省みちゃうんじゃないかしら(笑) 

こちらのエントリーでご紹介した「針さしの物語」でメアリ・ド・モーガンの世界に魅せられた KiKi。  ならば第2作のこちらは????ということで早速手を出してみました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。  (えっと因みに「針さしの物語」はエントリーとしては今日9月1日に書いているのですが、実は8月31日に静岡出張の際、新幹線の中で読了した本だったんです。)

フィオリモンド姫の首かざり
著:ド・モーガン 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

514EBEXND9L__SL500_AA300_.jpeg(Amazon)

世にも美しいフィオリモンド姫には、おそろしい秘密がありました...。  表題作のほか、若いさすらいの竪琴ひきとその妻の哀切な物語、民話風な楽しい話など7編をおさめた、幻想的で不思議な童話集。  (文庫本扉より転載)

こちら(↑)もあちらに負けず、とっても素敵な表紙 & 挿絵だと思うし、スタイル・・・・というか絵の格式のようなものがかなり似ているので、最初は同じ人(ウィリアム・ド・モーガン; メアリのお兄さん)の手によるものかと思っていたのですが、実はこちらの挿絵はウォルター・クレインという別の方の手によるものなのだとか・・・・・。  ちょっと興味をもって、ウォルター・クレインに関しても調べてみたんだけど、メアリ & ウィリアムのモーガン一家とほぼ同時代に、ウィリアムとほぼ同じような職業を経て、ほぼ同じような芸術運動に身を投じた人だったようです。  まあ、KiKi が調べた限りではこの2人の具体的な接点みたいなものは見つけられなかったんだけど、きっとモーガン家のサロンにはやっぱり彼も出入りしていてメアリとの接点もあったんじゃないかな?と思います。

「針さしの物語」でも書いたけれど、こちら「フィオリモンド姫の首かざり」は彼女が残した出版物としては2冊目です。  1冊目に比べるとさすがに中身がより充実し、多くの示唆に富み、より哲学的・・・・というか、人間描写に深みみたいなものが出てきていると思うんですよね~。  もともと彼女の作品は女性らしい感性にあふれた女性目線の物語が多いと思うんだけど、その女性たちがグリム童話集などの女性に比べるとより主体的で、自らが行動し、そして得られる「何か」をベースにした女性目線ならではの社会批判のようなものが色濃く出ているように感じられるのですよ。  

と、同時に兄を通じて親交のあったとされる、ウィリアム・モリスらの唱えた反物質主義的なユートピアへの志向に共感していたことも作品の性格を決定付けるひとつの大きな要素になっているんじゃないかなぁ・・・・・と。  それがクラシカルでありながら、どことなく現代的で、童話世界のお約束に従っているようでいて、「えっ!  そうなっちゃうの?」と思わせるエンディングを迎えたりする彼女の作品なりの個性を生んでいるような気がするんですよね~。

 

KiKi がまだ小学校低学年の生徒だった頃、図書館で本を選ぶときの選考基準(?)の1つは、表紙や扉絵の絵柄でした。  当然のことながら作者本人だとか、その作者の国籍だとか、どの時代に生きた人だったのかだとかということにはまったく興味がなく、表紙や扉絵がどれだけワクワクさせてくれるか?というのが重要なポイントだったのです。  まず最初に表紙や扉絵で10冊が3冊まで絞り込まれ、次に裏表紙や見開きページに印刷されたコメント(KiKi がよく本の紹介の下に「○○本裏表紙より転載」と書いているアレ)を読んで2冊に絞り込み、後はまあその日のインスピレーション次第・・・・・・(笑)  まあ、そんな感じでした。  本日の KiKi の読了本は当時の KiKi だったら1発で10冊からこの1冊に絞り込んじゃっただろう素敵な表紙絵 & 挿絵の1冊です。

針さしの物語
著:ド・モーガン 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

516BRD1MWVL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

美しさを鼻にかけて妖精たちの怒りを買い、鏡にも水にも自分のすがたを映せなくなった娘の話「みえっぱりのラモーナ」。  きゅうくつなお城の生活にいやけがさして逃げだしたお姫さまと、身代りの姫をめぐる話「おもちゃのお姫さま」。  地までとどく自慢の髪をすべて失った王妃のふしぎな話「髪の木」など、クラシックで幻想的な短編集。  (文庫本扉より転載)

メアリ・ド・モーガンは「お話し上手な女性」として多くの作家や芸術家にインスピレーションを与えた女性だったようなのですが、いわゆる完成された書物(出版された形で残された彼女の作品集)としては、今日ご紹介する「針さしの物語」と近々ご紹介することになる「フィオリモンド姫の首かざり」と「風の妖精たち」のみで、その3冊すべてが現在市販されているバージョンの岩波少年文庫よりも1世代前のバージョンのラインナップでは読むことができました。  (現在は「風の妖精たち」のみです。)

とってもクラシカルな雰囲気にあふれた短編集で、読みやすいと思うのですが、現在のバージョンでは3冊のうち1冊しか残っていないというのは、やっぱり「イマドキは流行らない物語」っていうことなのかなぁ???  個人的には超有名な「アンデルセン童話集」や「グリム童話集」「ペロー童話集」などと全く遜色が無いと思うんですけどねぇ~。  否、遜色がないと言うよりは、その系列にありながらもどこかに「ちょっと違う何か」が感じられる作品集のように思うのです。  なんて言うか、西洋の童話的なモチーフに寄り添いながらも、一種独特の雰囲気を持っているとでも言いましょうか??

 

ぼんぼん 今江祥智

| コメント(0) | トラックバック(0)

このエントリーでお話した新刊ラッシュの岩波少年文庫で購入したばかりの1冊を読了しました。  この本はまさにこの日(8月12日)に仕入れてきたばかりの1冊です。  で、今年の KiKi の「終戦記念日付近であの時代を考えてみる企画」(← いつから企画になったんだ???っていう感じでしょうか?  でも、ブログでエントリーを書くという形ではお初っぽいかもしれませんが、一応 KiKi の年間スケジュールとしてはこれってもう何年も続いている恒例企画なのです 笑)は一旦ここで終了です。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ぼんぼん
著:今江祥智  岩波少年文庫

41wShbIId6L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

洋が小学3年生の年、突然おとうちゃんがたおれた。  そして、戦争がはじまった。  軍国主義の波にもまれながらも、ほのかな恋心にめざめる少年の成長を、元やくざの佐脇さんが見守る。  大阪弁にのせて、人間の真実にせまる作者の代表作。  (文庫本裏表紙より転載)

う~ん、この本は凄い!!  戦時中の話だからめちゃめちゃ暗いかと言えばそんなことはなく、あの時代の市井の人たちの暮らしぶり(とは言え、タイトルからもわかるように、どちらかというと裕福な家の子の話だけど)や、時代の空気感はちゃ~んと伝わってくるし、そして最後の最後で大阪空襲の悲惨さもきっちりと描かれていて、時に笑い、時にハラハラし、時にじ~んとくるといった感じで、物語の世界にぐいぐい引き込まれながら読み進めることができました。

構成もものすご~く凝っていると思うんですよね。  物語冒頭は昭和16年、主人公の小松洋(小学4年生)は中1のお兄ちゃん洋次郎に連れて行ってもらったプラネタリウムで、10万年後には北極星が北にはないことを知るというエピソードで始まります。  でね、これは彼らにとっては大問題なんですよ。  だって、学校では北極星は必ず北にあると教えられてきたのですから。  この日、2人の兄弟は「この世に確かなもの、永遠に変わらないものなど実はないらしい。」ことを知るんです。  とは言うものの、それはすぐ先にあることではなくて10万年後のことだから、まあいいかと一時は思うんですけど、その直後に父親が病没し、それを追うように祖母も亡くなります。  そしてその年の暮れには日本は米英との戦争に突入します。  

でも、それは最初のうちは、どこか遠くの場所で行われている出来事なので、洋君一家の生活をさほど脅かすことはありません。  まして、大本営の発表だけを聞いていれば(そして実際もそうなんだけど)洋君が大好きな相撲取りのいる部屋の力士が連戦連勝しているのと同じく、日本は勝ちっぱなしなのですから。  でも、少しずつ何かが変わり始めます。  まずはお兄ちゃんの雰囲気が変わり、ノートの紙質が悪くなり、食糧が乏しくなり、人びとの笑顔が少なくなり、最後には大阪大空襲で家も町もなくなってしまうんです。  でもね、そこに至るまで洋君は実に生き生きと生活しているんですよ。  まあ、洋君が生き生きとしていられるのは「みごとに堅気の人ではない」佐脇さんという大人の男の人が同居していて、大きな翼で彼ら母子家族を影に日向に見守ってくれているから・・・・・というのが大きいんですけどね。  

俗に言う戦争文学であるにも関わらずどことなく明るいのは、語り口にもあると思うんです。  この物語の大半は大阪弁で語られているんですけど、ポンポン機関銃のように飛び出してくる大阪弁じゃなくて、どことなくのほほんとしているんですよ。  で、ついでに洋君がけっこう飄々とした男の子なので、どこかちょっととぼけているというか、トンチンカンというか、そんなところのある子なんです。  で、もっと言えばこの洋君、未だに「男」ではなくて「男の子」だもんだから、あの時代にあってしてもプチ恋愛というか、女の子との触れあいを必要以上に避けようと不自然になるわけでもなく、かといってませているわけでもなく、何とも自然体・・・・というか、不器用というか、微笑ましいというか・・・・・(笑)

 

つい先日、このエントリーで岩波少年文庫復刊60年記念で現在絶版状態の18冊が復刊されることに関してお話させていただきましたが、昨日 KiKi の手元に届いた「やかましネットワーク 40号」(岩波書店児童書編集部作成の小冊子;無料)に最終的に決定された復刊18冊が載っていました。

 1. 星のひとみ (トペリウス作、 万沢まき訳)
 2. ウサギどんキツネどん (ハリス作、 八波直則訳)
 3. ジュンとひみつの友だち (佐藤さとる作)
 4. 銀のスケート ハンスブリンカーの物語 (ドッジ作、 石井桃子訳)
 5. 隊商 キャラバン (ハウフ作、 高橋健二訳)
 6. 木曜日はあそびの日 (グリパリ作、 金川光夫訳)
 7. 火の鳥と魔法のじゅうたん (ネズピット作、 猪熊葉子訳)
 8. よろこびの日 ワルシャワの少年時代 (シンガー作、 工藤幸夫訳)
 9. ささやき貝の秘密 (ロフティング作、 山下明生訳)
10. 合言葉は手ぶくろの片っぽ (乙骨淑子作)
11. 海のたまご (ボストン作、 猪熊葉子訳)
12. 闘牛の影 (ヴォイチェホフスカ作、 渡辺茂男訳)
13. 夜が明けるまで (ヴォイチェホフスカ作、 清水真砂子訳)
14. 地下の洞穴の冒険 (チャーチ作、 大塚勇三訳)
15. 石の花 (バジョーフ作、 佐野朝子訳)

これ(↑)が前回、ご紹介した既に決定されていた復刊本リストだったんですけど、残り3冊は以下のようなラインナップになっています。

16. キュリー夫人 (ドーリー作、 光吉夏弥訳)
17. バラとゆびわ (サッカレイ作、 刈田元司訳)
18. ニーベルンゲンの宝 (シャルク作、 相良守峯訳)

いや~、なかなか錚々たる顔ぶれですねぇ。  しかも、しかも、です。  どうやら今回のこの復刊では「特別装丁で」一斉販売されるとのこと。  これまでもあった特別装丁の「特装版」(1990年) & 「復刻版」(1992年)はきっちりと押さえている KiKi としては、これは悩ましいところです。  だってねぇ、18冊のうち4冊は「特装版」 もしくは 「復刻版」と被っているんですよね~。  「特装版」 も 「復刻版」もとっても素敵な装丁だっただけに、それが揃っているっていうのはそれだけで KiKi としてはニンマリしちゃうようなところがあるんですよ。  

である以上、これはきれいにセットで揃えたい(被っていてもOKと割り切って)という気持ちが半分、まあ今回は今のところ18冊という中途半端さ(かつての2種類の特別装丁のシリーズは共に30冊という非常にキリのよい冊数だった)であることを考えると、これはこのあと追加の12冊が企画されやっぱり30冊になるのか、はたまた今回はこの中途半端なまんまでいこうとしているのか、をきちんと見極めたうえで、どうするか決めようという気持ちが半分。  ま、要するにその辺がはっきりしていないために、どんな資金繰りを考えればいいのか判然としないで困っているっていう感じです。

これに追加で、同じこちらのエントリーでこれら18冊の復刊とは別に新訳で出る予定の物語としてザルテンの「バンビ」とロダーリの「チポリーノの冒険」をご紹介してあったんですけど、これに追加で(もしくは「チポリーノの冒険」はお蔵入り???  そのあたり判然としません。  何せ岩波さんが出している刊行物で記述内容に違いがあるので・・・・・)、バーネット夫人の「小公子」 & 「小公女」の新訳の準備も進んでいるようです。

う~ん、そうなってくるとかえすがえすも残念なのは「アンクル・トムの小屋」とか、「黒馬物語」とか、「ジャングル・ブック」とか、「ワンダ・ブック」とか、「せむしの小馬」とか、「ジェーン・アダムスの生涯」とか、「アンナプルナ登頂」とか、とか、とか、とか・・・・・・、KiKi のお気に入りで現在絶版中の何冊かがリストに入っていないことなんですよね~。 

でね、今回判明した残りの3冊はどれもこれも「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」で選ばれている作品ばかり・・・・・。  う~ん、やっぱり「あの宮崎監督が選んだ50冊なら読んでみよう」というような読者を目当てにして追加したラインナップってことですよね。  こうなることがわかっていたら宮崎さんには50冊なんてケチな選別ではなく100冊とか200冊とか選んでもらっておけばよかったんじゃないかというような気がしないでもない・・・・・^^;  (もっともこの50冊のうち、今回の復刊後も絶版状態になるものが約1割あるんですけどね)

ま、いろいろ残念だったり、頭が痛かったりと、複雑な心境でもあるのですが、総じて見ると KiKi にとっては非常に喜ばしい「創刊60年記念」となりそうです(笑)。 

 

今年の八月の暑さは尋常ではないような気がするのは KiKi だけでしょうか?  昨年までは東京はともかくとして、少なくとも Lothlórien_山小舎 に行きさえすれば朝夕はとっても快適に過ごすことができていたのに、今年に限って言えばその時間帯であっても涼を感じられないことが何度もありました。  これから毎年これが続くのか、はたまた今年限りのことなのかはKiKi には予測もつかないのですが、もしもこれが続くのであれば今は設置していないクーラーを設置することを視野に入れなければなりません。  

ま、そんなクソ暑い(失礼 ^^;)日が続く中、岩波少年文庫創刊60年記念(?)で刊行されたこちらを読んでみました。

八月の暑さのなかで ホラー短編集
編訳:金原瑞人  岩波少年文庫

51HYkYemArL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

英米のホラー小説に精通した訳者自らが編んだアンソロジー。  エドガー・アラン・ポー、サキ、ロード・ダンセイニ、フレドリック・ブラウン、そしてロアルド・ダールなど、短編の名手たちによる怖くてクールな13編。  全編新訳。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi はね、以前にこのブログでもお話したことがあったと思うけれど、どちらかというと「ホラー」っていうやつが苦手です。  でもね、昔はそんなには苦手意識がなかったはずなのです。  子供時代はポーの作品の愛読者でもあったぐらいですから・・・・・。  それがいつから苦手になってきたかと言えば、「背筋がゾクっとくるようなホラー」は決して苦手じゃないんだけど、「おどろおどろしく、グロテスクなホラー」はダメ、つまりあとがきで金原さんが仰っている「血や内臓が飛び散ったりする派手なホラー」っていうやつが苦手なのです。

今回この本を購入するに当たってはちょっとだけ迷いました。  だって副題に堂々と「ホラー短編集」って入っているし、帯には「脳みそも凍る13の物語」となっているんですもの・・・・・。  いかに岩波少年文庫全冊読破企画を遂行中とは言え、脳みそが凍っちゃうっていうのはちょっと困るし・・・・(笑)。  でもね、それでもこの本に手が伸びたのは偏に金原さんのあとがきにあった

血や内臓が飛び散ったりする派手なホラーは入れていないから、どうか安心して欲しい

の一言と、目次ページを見た時に感じた、デジャブ感に誘われて・・・・・ということがありました。  それにかつては愛読していたポーの作品に「こまっちゃった」な~んていうとぼけたタイトルがあったっけ???という目新しさも手伝っていたと思います。  因みにこの本には以下のような作品(13編)が収録されています。

もくじ
1. こまっちゃった  エドガー・アラン・ポー(原作)/金原瑞人(翻案)
2. 八月の暑さのなかで  W・F・ハーヴィー
3. 開け放たれた窓  サキ
4. ブライトンへいく途中で  リチャード・ミドルトン
5. 谷の幽霊  ロード・ダンセイニ
6. 顔  レノックス・ロビンスン
7. もどってきたソフィ・メイスン  E・M・デラフィールド
8. 後ろから声が  フレドリック・ブラウン
9. ポドロ島  L.P.ハートリー
10. 十三階  フランク・グルーバー
11. お願い  ロアルド・ダール
12. だれかが呼んだ  ジェイムズ・レイヴァー
13. ハリー  ローズマリー・ティンパリ
  訳者あとがき
         

ジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」公開を機に、久々に読み返してみた「小人の冒険」シリーズ(もっとも最後の数冊は初めて読んだような気がしないでもない・・・・ ^^;)。  とうとう最終話が終わってしまいました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

小人たちの新しい家
著:M. ノートン 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

51QCYeyRWbL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

劇的な脱出をはたした小人の一家は、ふたたび川をくだり、ようやく静かな古い牧師館にたどりつきます。  はたして、そこは一家にとって安心してくらせるすみかとなるのでしょうか。  「小人の冒険シリーズ」最終巻。  (文庫本裏表紙より転載)

文庫本のあとがき(訳者のことば)によれば、この最終話「小人たちの新しい家」はその前の「空をとぶ小人たち」から21年という年月を経たのちに再び書かれた物語なのだそうです。  発表されたのが1982年。  その時には既に「大人」と呼ばれる年代に入っていた KiKi は英文学を学んでいたとは言えども、この作品のことは一切知らず、気にも留めないで過ごしていたことになります。  今にして思えば当時の KiKi は花のお江戸で自由を満喫し、将来に対するさしたる不安も感じることなくコンパだなんだと浮かれていた時代です。  そんな時代にノートン女史はある種の危機感をもってこの物語を描いていたんだなぁと思うと、時代に踊らされていた(率先して踊っていたというべきか ^^;)自分が情けないような気分になりました(苦笑)。

ちょっとポッド父さんの語り口がこれまでの4冊とは変わってしまっているのが残念(これは訳者の違いからくるものなのか、英文そのものも既に21年という年月を経て変わっているのかは不明)ですけど、相変わらず含蓄のある言葉が満ち溢れています。

そうだ。  わしらは想像力を使わにゃいかんよ。  そしてむかしのやり方にもどるんだ。  できるだけな。  (中略)  借り暮らしやは、それなしには生きられんものだけを借りるんだ。  遊びごとにやるんじゃない。  貪欲のためでもない。  それに怠けるためでもないんだ。  借り暮らしやにとって、借りるってことは - あんたらにゃよくわかっとるだろうが、たったひとつの手だてなんだ・・・・・  生き残りの、だ。

この言葉を読んだとき、KiKi の頭には先週末に収穫したこのトウモロコシの映像がまざまざと浮かんできました。

2010_Aug08_021.JPG

う~ん、「それなしには生きられんものだけ」だったかもしれないけれど、これはちょっと借りすぎってもんじゃないだろうか??(笑)

小人っていうとどうしても KiKi がイメージしてしまうのは、「指環物語」のホビット族じゃないけれど、ウサギとネズミの化身・・・・・みたいなイメージなんだけど、我が家の収穫物の多くはウサギなのか、ネズミなのか、モグラなのか、タヌキなのか、はたまた鳥なのか定かではないんだけど、多くの野生動物に借りられっぱなしです。  でもまあ、それでも自分のお腹を満たす分ぐらいは何とかなっているし、もっと言えば、これらの収穫物も種を蒔いたり、水をやったり、肥料をやったりはしているものの「大地からのインゲン(≒ 人間)の借り物」とも言える訳だから、「それなしには生きられん分」までやられなければ良しとすべきなんでしょうね(笑)    

今日、KiKi は久々に「岩波少年文庫」を仕入れ(?)に、池袋のジュンク堂へ足を運びました。  と言うのも、KiKi は岩波少年文庫のHPを定期的にチェックしているのですが、ここのところ急に新刊発刊ラッシュが続いていたのです。  で、その店頭で「岩波少年文庫創刊60年」というタイトルの小冊子を見つけました。  そうかぁ・・・・・、KiKi が子供時代からお世話になったこのシリーズがこの世の中に出てからもう60年になるんですねぇ・・・・・・。  どおりでここへきて新刊がいきなり続々と出だしたわけだ!!!  岩波書店さんのことだから、以前にもあった「復刻版」とか「特装版」みたいな x0 冊セットみたいなものも企画されているんでしょうか??  因みに岩波少年文庫の創刊は1950年の12月25日とのこと。  60周年 & クリスマスの抱き合わせ企画で何かありそうな予感が・・・・・。

20100512-1-1.jpeg

で、その小冊子を見ていたら、KiKi がこのブログでも今年になってからとりあげていて大のお気に入りの作家でもある、上橋菜穂子さん & 梨木香歩さんの「少年文庫お気に入り」が紹介されていたりして、そしてそのお二方のお気に入りが KiKi にとっても半端じゃなくお気に入りの作品だったりして、何となく嬉しくなってしまいました。

でね、その小冊子を舐めるようにじ~っと読み込んでみたら、もっと嬉しいことが書かれていたのです。  それは今年の10月にいきなり18冊もの旧作が復刊されるとのこと。  それも今では入手困難になってしまっていた本ばかり!! (それでも KiKi はそのうちの一部は既に古本で入手済みだったりもするのですが ^^;)  これを朗報と言わずして何と言いましょうか!!!  因みにその18冊(のうちの一部)は以下のようなラインナップになっているようです。

 1. 星のひとみ (トペリウス作、 万沢まき訳)
 2. ウサギどんキツネどん (ハリス作、 八波直則訳)
 3. ジュンとひみつの友だち (佐藤さとる作)
 4. 銀のスケート ハンスブリンカーの物語 (ドッジ作、 石井桃子訳)
 5. 隊商 キャラバン (ハウフ作、 高橋健二訳)
 6. 木曜日はあそびの日 (グリパリ作、 金川光夫訳)
 7. 火の鳥と魔法のじゅうたん (ネズピット作、 猪熊葉子訳)
 8. よろこびの日 ワルシャワの少年時代 (シンガー作、 工藤幸夫訳)
 9. ささやき貝の秘密 (ロフティング作、 山下明生訳)
10. 合言葉は手ぶくろの片っぽ (乙骨淑子作)
11. 海のたまご (ボストン作、 猪熊葉子訳)
12. 闘牛の影 (ヴォイチェホフスカ作、 渡辺茂男訳)
13. 夜が明けるまで (ヴォイチェホフスカ作、 清水真砂子訳)
14. 地下の洞穴の冒険 (チャーチ作、 大塚勇三訳)
15. 石の花 (バジョーフ作、 佐野朝子訳)

で、それとは別にザルテンの「バンビ」とロダーリの「チポリーノの冒険」が同じく10月に新訳で発売されるとか!!!  これは今年の10月以降のために「岩波少年文庫貯金」をしておかなくてはならないかもしれません ^^;

で、時を同じくして「借りぐらしのアリエッティ」を上映中のジブリさんでは、「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」なるものを開催されているそうな・・・・・。  で、肝心要(KiKi が顔を出せるという意味で)の「池袋会場」での催しは8月4日~8月8日に開催されていたのだそうです。  う~ん、最近ではこの手の情報へのアンテナが錆び付き気味の KiKi は見逃しちゃったよぉ・・・・・。  なんでもその会場では「特製ミニ本プレゼント」(会場でお買い物をした先着100名のみ)があったらしい・・・・・・ ^^;  欲しかったなぁ。  因みにこのイベントですが以下のようなスケジュールになっているそうです。

池袋西武 (8月4日~8月8日)
神戸阪急 (8月11日~8月17日)
京都イオン高の原ショッピングセンター (8月21日~8月29日)
北海道ルスツリゾート (9月4日~9月19日)
松坂屋名古屋店 (9月22日~10月11日)
鹿児島タカプラ (10月16日~11月7日)

う~ん、どうして東京は池袋の会期だけが短いんでしょうかねぇ・・・・・・。 

 

M. ノートンの「小人たち」シリーズは子供時代に全冊読んだような気もするし、最初の2-3冊しか読んでいないような気もするし、はっきりとした記憶がありません。  確実なことは「床下の小人たち」と「野に出た小人たち」だけは何回か読んだことがある・・・・ということだけです。  今回、せっかくの機会なので5冊全部を読んでみようと試みているわけですが、今日までに読了した2冊は読み終わった今であっても「読んだことがあるような気もすれば、初めて読んだような気もする・・・・・」というかなり曖昧な印象です。  まあ、それだけ当時の KiKi は「床下」&「野に出た」以外の物語には思い入れが少なかったということなのかもしれません。  ま、何はともあれ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

川をくだる小人たち & 空をとぶ小人たち
著:M. ノートン 訳:林容吉  岩波少年文庫

513RAC53PBL__SL500_AA300_.jpeg  519HE3N7PRL__SL500_AA300_.jpeg
      (Amazon)                           (Amazon)

森番の小屋でいとこの家族と再会した小人の一家でしたが、ここも安住の地ではありませんでした。  下水管を通って外へ出た一家は、やかんにのって川をくだりますが、新しい旅には大きな危険がまちかまえていました。  (文庫本裏表紙より転載)

模型の村(リトル・フォーダム)にたどりついた小人の一家は、平和な生活もつかのま、見物客めあてのプラターさんに誘拐されてしまいます。  とじこめられた屋根裏部屋から、気球をつくってなんとか脱出しようと試みますが・・・・・。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語はいいなぁ・・・・・。  大人になった今、こうやって読み返してみる(ひょっとするとこの2冊は初めてかもしれないけれど)と、本当に大切なことが数多くこの物語には含まれていると感じられます。  自らの手を使って工夫をしながら生活を豊かにするということ、自分の力で自分の生き様を守り構築していくということ、生きていくためにそして生活を継続させるために何かを選択する際に必要な覚悟について、勇気と無謀の違いについて・・・・・・そういうことが、この小人一家を見舞う災難とそれに伴う冒険の描写の中でさりげな~く書かれているのが、とにかく好印象です。  

そして、ここまで進んでくるとポッド、ホミリー、アリエッティの性格もほぼはっきりしてきており、ホミリーに至ってはこの間で少しずつ変わってきているところもありで、何か起こるたびにそれぞれの反応の仕方が読んでいて楽しくて仕方がない!(笑)  彼らに関わってくる人間たちもどんどん多種多様化してきているのも楽しいし、なかなか安住の地にたどり着けない小人一家が Closed な家の中からまずは野原に出て、次に川をくだって、空まで飛んじゃうという波乱万丈ぶりも本当に楽しめます。  (これがもしも自分の身に降りかかったことだったら、「よくもまあ、次から次へと・・・・。」と辟易としちゃいそうだけど・・・・・ ^^;)

  

最近では滅多に観なくなってしまったのですが、実は KiKi はジブリ・アニメが大好きだった時期があります。  正直なところ「もののけ姫」あたりからはちょっと食傷気味・・・・なんですけどね(苦笑)  ま、それはさておき、ジブリが又々新しいアニメを公開しているようです。  恐らくこれも KiKi はTVで放映でもされない限り観ないだろうとは思うのですが、これを機会に久方ぶりにその原作を読んでみようと思い立ちました。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

床下の小人たち & 野に出た小人たち
著:M. ノートン 訳:林容吉  岩波少年文庫

519S35PSM3L__SL500_AA300_.jpeg  51X1J0D0RBL__SL500_AA300_.jpeg
      (Amazon)                           (Amazon)

イギリスの古風な家の床下に住む小人の一家。  生活に必要なものはすべて、こっそり人間から借りて暮らしていましたが、ある日、小人の少女がその家の男の子に見られてしまいます―。  カーネギー賞を受賞した、イギリスファンタジーの傑作。  「小人シリーズ」の第1作。  (文庫本裏表紙より転載)

床下にひっそりと住んでいた小人の一家は、人間に見つかり、野原へ脱出します。  はじめての野原で、小人の少女アリエッティは野イチゴつみを楽しみ、野育ちの小人スピラーと友だちになります。  けれども、戸外の生活は危険がいっぱいです。  (文庫本裏表紙より転載)

この本を初めて読んだころ、KiKi もちょうど箱に入れて大切にしていたボタンをなくしてしまった直後でした。  当時の KiKi は洋服と言えば親戚のお下がりばかり・・・・だったのですが、そのボタンがついていた服はそんな中、珍しくも KiKi のために新品を購入してもらったもので、さすがにその頃にはもう小さくて着られなくなってしまい、ボタンだけをまるで宝物のようにしてとっておいたのです。  その大切なボタンの行方がわからなくなってしまったことは当時の KiKi にしてみると大事件で何日も何日も家中を探し回り、大騒ぎしていました。  そんな最中に出会ったこの物語。  そして、

「ああ、うちにもポッドやホミリー、そしてアリエッティみたいな小人がいるんだ。  そして KiKi のあの宝物のボタンをアリエッティみたいな女の子が大切にしてくれているんだ。」

と信じ込むことにより、ようやく諦めがついた・・・・・そんな気分になったことを思い出します。  

人間の生活に依存しながら、床下に暮らしている小人たち。  その設定が今回読み返してみてもとても素敵だと思いました。  どこがいいかって、この小人たちが人間から借りてくるものが、「仮に人間がなくなったことに気がつくことがあっても、そんなに気にしないような些細なもの」であるところ。  確かにメイおばさんの弟が言うように、彼らの「借りる」という行為は「返す」という行為とはセットになっていないので、「盗む」という行為とさして変わりはないかもしれないけれど、それでも「些細なもの」でありすぎちゃうために微笑ましさが先に立ってしまうんですよね~。

でもね、よくよく考えてみると人間だってある意味では立派な「カリモノヤ」だと思うんですよ。  太陽の光、そして大地の恵み。  大地の恵みの方はそれでもまだ種を蒔いたり、苗を植えたり、肥料をあげたり、水をやったりとしているからひょっとすると「カリモノ」とは又別のモノかもしれないけれど、それでもやっぱり最近の KiKi にはこれも立派な「カリモノ」の1つに過ぎないように感じられます。  そうやって考えてみると、人間が自然の恵みをある意味「当然のもの」として享受している姿と、「人間は自分たちを養うために存在しているもの」と考えている小人たちの姿が微妙にシンクロしているように感じられなくもありません(苦笑)


 

ここのところ梨木さんの本を読んでいる KiKi ですが、彼女のエッセイの中には時々「たのしい川べ (原題:The Wind in the Willows)」について言及されている箇所があります。  KiKi も子供時代には2,3回は読んだことがあるこの本。  でも、最近ではどんな物語だったかはっきりと思い出すことができません ^^;  このブログのそもそもの企画「岩波少年文庫全冊読破計画」も最近ではサボリ気味・・・・ということもあり、せっかくの機会・・・・ということもあり久々に手に取ってみることにしました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

たのしい川べ
著:ケネス・グレーアム 訳:石井桃子  岩波少年文庫

51NKCZ9ABZL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

人里はなれた静かな川べで素朴な暮らしを楽しんでいるモグラやカワウソたち。  わがままで好奇心旺盛なヒキガエル。  小さな動物たちがくりひろげるほほえましい事件の数々を、詩情ゆたかに描いた田園ファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

そうそう、こんなお話だった!!  読み進めていくうちにこの本を初めて読んだ小学生の頃に気持ちが少しずつ戻っていくようで、なんだかくすぐったいような、甘酸っぱいような不思議な感覚でした。  出てくる動物の種類は違えども新美南吉の本を読んでいるときと同じような、著者の小さな動物(命)に寄せる暖かい眼差しに気分がホンワカしてきます。  と、同時にこの本は「自然賛歌」の本でもあり、「家賛歌」の本でもあるように感じます。  「田園ファンタジー」という言葉がいったいいつ頃できて、市民権(?)を得たのか、そしてそれが意味するものが何なのか、正直なところ KiKi にはよくわからないけれど、ポコリ、グブリ、ボコッというような水音が今にも聞こえてきそうな自然描写に思わず頬も緩みます。

イマドキの感覚からすればこの物語の主人公は「波乱万丈ヒキガエル」になりそうなところですが、実際のところは穏やかにゆったり(?)と日々を過ごしているネズミ君とモグラ君。  実際、訳者の石井桃子さんがこの本を始めて翻訳されたときの邦題は「ヒキガエルの冒険」というタイトルだったのだそうです。  (日本に初めて紹介されたのは中野好夫さんの抄訳で「たのしい川べ」だったらしい)  でもね、KiKi にとってこの物語の主役はどう転んでも、やっぱりネズミ君とモグラ君なんですよね~。

  

先日このエントリーでお話した内山節さんという方とその著作に興味をもった KiKi はこの方の本を探しに図書館に行ってみました。  ほとんどの本はその図書館には置いてなくて、同じ区立図書館の別の館にはあるとのことで予約(取り寄せ)を依頼し、そのまま手ぶらで帰るのも癪だなぁ・・・・と思って他の本を物色していたら、KiKi の蔵書にはまだ仲間入りしていない、そして現在では絶版状態のこの本(↓)を見つけました。  見つけた時が読む時です!!(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

銀のスケート(ハンス・ブリンカーの物語)
著:M.M.ドッジ 訳:石井桃子  岩波少年文庫

(Amazon)

スケート大会の1等賞の銀のスケート靴と、記憶をなくしたお父さんが埋めたはずの千ギルダー。  これらの行方をめぐって、ハンスとグレーテルの兄妹がオランダを舞台にくり広げる感動的な物語。  (文庫本扉より転載)

この本はねぇ、子供の頃学校の図書館で読んで、当時はまだオランダという国のことをよく知らなかったんだけど、小説なのか、オランダ紹介本なのか、はたまたオランダ旅行記なのかよくわからない(^^;) ようなところがあるこの本を読み進めながら、想像力をたくましくしていたことを思い出すんですよね~。  と同時にこの本の中でも紹介されている「ハールレムの英雄」というお話(1人の少年がふとしたことで見つけた堤防の水漏れを大災害を予防するために自分の手でふさぐというお話)は、今となっては記憶が定かじゃないんだけど、国語の教科書だったか道徳の教科書だったかにも載っていて、「あ、これはあの『ハンス・ブリンカーの物語』にあったお話だ!」と何だかウキウキしちゃったという思い出もあります。

あとがきで石井桃子さんがこの本と同じ年に出版された「ふしぎの国のアリス」のこと、10年後に出版された「トム・ソーヤの冒険」のことに触れられ、これら3冊の本が 子供の読み物が、やっと修身の本からわかれはじめた頃に生まれた、少年少女小説の先駆とも言えるということ、それら3冊の本が今日もなお、出版された時と同じように読まれているというのは、おもしろいこと・・・・と仰っているのですが、とっても残念なことに、先の2冊は21世紀の今でも「岩波少年文庫」から刊行されているけれど、この「銀のスケート(ハンス・ブリンカーの物語)」は絶版というのも又、時の流れを感じさせます。

  

 

Podcast な~んていう新しいものにチャレンジしようと悪戦苦闘しつつも、ノスタルジーの世界にもどっぷり浸りたい・・・・という相矛盾する衝動とのお付き合いを余儀なくされている(・・・・・って、別に誰に強制されたわけでもなし、好きであっちにもこっちにも手を出しているだけなんですけど・・・・)最近の KiKi。  KiKi の子供時代にはなかったものとの遭遇と、子供時代には身の回りにあふれていたのに長い間ちょっとほったらかし気味だったものの再発見。  あっちの時間軸、こっちの時間軸を与えられた24時間の中でウロウロしている KiKi にとって、「本来なら時計が刻むはずのない、プラスαのもう1時間」な~んていうものは、「是非是非、どんなことをしてでも手に入れたいものリスト」のトップ3に楽々ランクインしちゃうんじゃないかしら・・・・・。  本日の KiKi の1冊はそんな時間のお話です。  

トムは真夜中の庭で
著:フィリパ・ピアス 訳:高杉一郎  岩波少年文庫

1140410.gif   (Amazon)

知り合いの家にあずけられて、友だちもなく退屈しきっていたトムは、真夜中に古時計が13も時を打つのをきき、昼間はなかったはずの庭園に誘い出されて、ヴィクトリア時代のふしぎな少女ハティと友だちになります。  「時間」という抽象的な問題と取り組みながら、理屈っぽさを全く感じさせない、カーネギー賞受賞の傑作です。  (岩波少年文庫HPより転載)

トムとハティが遊んだ「庭園」の描写に心を奪われ、「なんて素敵なお庭なんだろう!!」と憧れとも羨望ともつかない想いを抱き、何度も何度も読み返していた自分の姿がページを進めるにつれて鮮明に蘇ってきました。  でもね、当時の KiKi は「時間」ということに対する感性・・・・・のようなものは、未だに育まれておらず、どちらかというとおばあさん(バーソロミュー夫人)の夢とトムの夢がたまたま一致した・・・・ぐらいの認識しかしていなかったように思います。  だいたい子供時代というものは「もう時がない」な~んていうことは考えもしないし、まして、今日と明日・・・・ぐらいしか意識の底にはなくて、過ぎてしまった過去を振り返ることも滅多になく、果てしない未来はただひたすらはてしない先の事・・・・だったように思うんですよね。

でも、大人になった今、読み返してみると、当時は風景描写にばかり気が向いていたけれど、(そしてその描写は相変わらず雄弁でワクワク・ドキドキはさせてくれるんだけど、)それ以上に「トムにとってのこの時間の意味」だとか、「ハティにとってのこの時間の意味」により多くの興味が移行していることに気がつきます。  と、同時に子供時代は大人っていうのは何だかとてつもなくすごいもんで、色々なことを知っているし、子供よりも多くの楽しみがありそうだし、自由そうだし羨ましいなぁ・・・・な~んていうことを思っていたところもあったような気がするけれど、結局のところ、実は大人だとか子供だとかそんなことは、関係ないような、そんな気分にさせられます。  特に最後にトムがバーソロミュー夫人を抱きしめるシーンに至っては、ヘンテコな恋愛小説よりもず~っとずっと、素敵なラブシーンだなぁ・・・・と。

 

とうとう岩波少年文庫に収録されている「ローラ物語全5巻」が完結してしまいました。  先日のエントリーでもお話したように本の厚みからしてあっという間に終わっちゃうだろうなぁ・・・・とは思っていたのですけど、なんだかとっても呆気なかったような気がします。  ま、なにはともあれ、今日の KiKi の読了本はこちらです。

わが家への道 ローラの旅日記
著:ローラ・インガルス・ワイルダー 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

51H2CYT1RDL__SL500_AA240_.jpg (Amazon)

1894年7月、ローラたちは酷暑のなかを、自分の土地をもとめて馬車の旅に出る - その時のローラの旅日記と、のちに娘ローズが書いた当時のワイルダー一家の生活の記録をおさめるノンフィクション。  (文庫本裏表紙より転載)

子供時代にこの「ローラ物語」は何度も読んだはずなんだけど、その中でもっとも印象に残っていないのがこの「わが家への道」でした。  今手元にあるこの岩波少年文庫の裏表紙の情報によればこの本の読書推奨年齢(?)は「中学以上」になっているようなんですけど、実は KiKi が学校の図書館でこれらの本を借りて読んでいたのは小学生の時でした。  まだまだ子供だった KiKi にとって、物語仕立てのこれまでの本(岩波少年文庫には収録されていない「大きな森の小さな家」から「農場の少年」までを含め)とは明らかに異質なこの本はさほど興味を引くものではなかったんだと思います。

でも大人になった今、この本を再読すると、ここに描かれている情報の一つ一つが興味深いものでした。  一番興味深かったのはローラが記録している気温(笑 いかに自然が厳しかったとはいえ、ここまでものすごい暑さは変だろう・・・・・)ではなく、掲載されている様々な写真類でしょうか?  何よりもびっくりしたのが「『この楽しき日々』の頃のアルマンゾ」という写真です。  結構 KiKi 好みのいい男 266.gifじゃありませんか!(笑)  表紙の写真のアルマンゾはちょっとオッサン臭くなっちゃっていますけど・・・・。

ま、それはさておき、子供時代の KiKi にとってこの「わが家への道」があまり興味深いものではなくて、今の KiKi にとっては興味深いというのは、やっぱり「家」に対する意識の持ち方の違い・・・・みたいなことに原因があるように感じました。  KiKi にとって子供時代の「家」っていうのは、自分がどうにかして手に入れてメンテして日々の営みを築き上げていく場所・・・・というよりは、「そこにあるもの」「与えられたもの」だったと思うんですよね~。  極論すれば家事ひとつとってもその行為は「お手伝い」に過ぎなくて、「主体的に生活を営む」というレベルとは大きな隔たりがあったと思うんですよね。  でも大人になるにつれてその一つ一つが現実に自分の手でこなしていかなければならないものになっていった・・・・・。  その積み重ねがあって初めて、ローラたちがこの旅にどんな夢を託していたか・・・・とか、気に入る土地を探すというのがどういうことか・・・・とか、そういう部分に感情移入できるようになったように思います。

  

  

岩波少年文庫の「ローラ物語」も残すところあと2冊。  「長い冬」 から 「この楽しき日々」 まではそこそこ厚みのある本だったのですが、残りの2冊「はじめの四年間」と「わが家への道」はそれらに比べるとちょっと薄め・・・・なんですよね~。  KiKi は読書する際、必ず Ashford のブックカバー(文庫本ならこちら、新書ならこちら; 岩波少年文庫は新書用のものを使用)をかぶせて持ち歩くんですけど、本の厚みにあわせて折り返しを調節する部分に余裕があるかないか・・・・で手に持った感じと同じように本の厚みを感じるんです。  

で、「長い冬」 から 「この楽しき日々」 までは「新書用」のカバーなだけにちょっとブックカバーがちっちゃいかなぁ・・・・と感じながら持ち歩いていたんですが(新書って厚みのある本はあんまりないものね)、残りの2冊はおさまりがいい感じ。  と、同時に本を手に取るたびに「なんだかもうすぐ終わっちゃいそうで寂しいなぁ」と感じます。  ま、それはさておき、本日の KiKi の読了本はこちらです。

はじめの四年間
著:ローラ・インガルス・ワイルダー 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

51NJ0CK9ZCL__SL500_AA240_.jpg (Amazon)

ローラは結婚して、厳しい開拓地で新しい家庭を築く。  長女ローズの誕生、小麦の大被害、生まれて間もない長男の死など、さまざまな出来事を経験しながら、明日への希望を持ちつづけて過ごした新婚の4年間。  (文庫本裏表紙より転載)

 

「この世はすべて公平にならされている。  金持ちは夏に氷を得て、貧乏人は冬に氷を得る。」  農業での成功を夢見るアルマンゾ(この本の中では愛称の「マンリー」で統一されています)がまるでお題目のように唱え続ける言葉です。  どことなく自虐的な感じがしないでもない・・・・と考えてしまうのは、いくら田舎暮らしに憧れているとはいえ、やっぱり KiKi が都会っ子になっちゃった証拠なのかなぁ・・・・と考え込んでしまいました。

とにかくローラの新婚時代の最初の4年間は苦労の連続です。  それにね、子供時代に読んだ時には気がつかなかったんだけど、前編の「この楽しき日々」でアルマンゾが新築した2人の新居はアルマンゾが DIY で建てたわけじゃなくて、借金してまでして(まあ、現在の日本ではそれが当たり前・・・・とも言えるわけですが)大工さんに建ててもらった家だったんですねぇ。

彼らの苦労は天災、病気、大火事、どんどん膨らんでゆく借金、そして長男の死ととどまる所をしりません。  う~ん、これは厳しい。  そんな描写を読み進めていくと、ホント、ローラじゃないけれど 「これで成功だといえるのかしら?」 と感じずにはいられません。  

どうやらローラは実は農業はやりたくなかったらしいんだけど、だったら何をやりたかったんだろう??  子供時代は大草原で暮らしていたローラだけど、やっぱり途中から「町の子」になっちゃったようなところがあるのかもしれませんね。  学校の先生も経験しているし、お針子として洋品店で働くことも経験しているから、やっぱり第一次産業よりは第二次産業が、第二次産業よりは第三次産業がいいなぁと思っていたのかもしれません。

    

KiKi のお気に入りのTV番組の1つがNHKの「趣味の園芸ビギナーズ & やさいの時間」です。  で、この番組では早くも春の準備・・・・ということで「畑の土づくり」の話題が取り上げられているのですが、Lothlórien_山小舎付近は相変わらずの雪化粧で、土づくりな~んていうのはまだまだ先!っていう感じです。  逆に言えば雪が降らなくなったら大急ぎで作業に取り掛かり、来年の冬が訪れる前にせっせと野菜作りに励まなくちゃいけない、そんな土地柄でもあります。

「自然っていうやつはなかなか厳しいなぁ」と感じることが多い今日この頃なんですけど、そんな KiKi なんかよりももっと厳しい自然の中で頑張っていた人たちの物語を読み進めながら、近い将来の移住計画への心構え(?)に励んでいる KiKi です。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

この楽しき日々
著:ローラ・インガルス・ワイルダー 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

5126XSV6M5L__SL500_AA240_.jpg  (Amazon)

15歳のローラは、念願がかなって教職につき、新しい生活をはじめる。  孤独な下宿生活、生徒たちへの不安、そしてアルマンゾとの楽しい馬車の旅。  行動力あふれるローラが18歳で結婚するまでを描く青春編。  (文庫本裏表紙より転載)

タイトルこそ「この楽しき日々」だけど、冒頭はおよそ「楽しい」という感じではありません。  まあ、どちらかというと、回顧録として「あの頃はホント、しんどいと思ったけれど、それもこれも過ぎ去った今となっては楽しい思い出♪」という感じでしょうか?(笑)  とにかくびっくりしちゃうのが、ローラが望まれて行ったはずの学校・・・・であるにも関わらず、彼女が下宿することになった家庭の雰囲気です。  最初のうちはぶっきらぼうな奥さんの態度に途方に暮れているという状態だから、まだまだ「まあそんな人もいるよね」という感じなんだけど、その奥さんが夜中に刃物を振り回して「東部に帰りたい!」と繰り返すシーンの描写に至ると、さすがの KiKi も「う~ん、こんな下宿先は願い下げだぁ!」とビックリ仰天です。  まして当時のローラは15歳。  いかに早熟な時代・・・・とは言え、これは本当に辛かっただろうなぁと思います。

もっともこのどこかホラーチックな奥さんも気の毒と言えば気の毒な方だと思うんですよね~。  やっぱり当時の開拓民の生活の苦しさ、自然との闘いの壮絶さっていうのはよほどの覚悟をもって臨んだとしても、半端なものじゃなかったと思うんですよね。  KiKi もね、このエントリーでご紹介した元地主さんのご夫婦に初めてお会いした時、「この方たちは本当に苦労をされていらしたんだなぁ」とお顔や手を見ただけで胸が痛んだし、もっと情けないところで言えば、今回、Lothlórien_山小舎でたかがお湯が出なくなっただけで、オロオロしちゃいましたから・・・・・^^;  

そうそう、この週末も KiKi はLothlórien_山小舎で過ごしていたんだけど、今回のメインの目的は前回雪に閉ざされてしまった際に壊してしまったガス湯沸かし器の修理のためでした。  修理業者さん曰く、この週末のお天気が良くて比較的暖かい状態でのLothlórien_山小舎の水道水の水温は3℃なのだそうです。  あの雪に閉ざされていた時は1℃ぐらいだったんだろう・・・・ということで、それを聞いただけでも震えがきちゃいました(笑)

でも、ローラの家族やこのホラーチックな奥さんの暮らしている環境はもっともっと厳しいわけで・・・・・。  だいたい「冬場の生活水は氷を溶かして作る」という環境なわけですよ。  きっとあのKiKi がぶるってしまった冷たかった水と同じくらい、もしくはそれよりも冷たい水を使っての家事。  身を刺すみたいに痛かっただろうなぁ・・・・・。  で、それで豊かに暮らせるならともかくとして、最初の何年間かは「労多くして実り少なし」という状況だっただろうから、気持ちも荒もうっていうものです。

でも、ローラにとってある意味ラッキーだったのは、彼女の未来の夫、アルマンゾがそんな彼女を週末には必ず帰宅できるように「アッシー君」を買って出てくれていたこと。  ま、我らがローラはこと色恋沙汰に関するとかなり奥手・・・・というか、鈍感でいらっしゃるようで(笑)、毎週毎週彼が吹雪の中であってさえも迎えにきてくれているにも関わらず

「お礼なんか、いいですよ。  ぼくがくるとわかっていたんでしょう」
「あら、いいえ、知りませんでした」

な~んて言っちゃうあたり、呆れちゃうと言うか、笑っちゃうと言うか・・・・・。

ブログのお化粧直しに夢中になっていた間も若干スピードダウンはしたものの、読書 & 音楽鑑賞にはそこそこ励んでいた KiKi。  あまり長い間それを放置しておくと年齢が年齢なだけに、印象やら考えさせられたことを忘れちゃう(^^;)ので、とにかく何らかの読後感を記録として残しておきたいと思います。  てなわけで今日の KiKi の1冊はこちらです。

大草原の小さな町
著:ローラ・インガルス・ワイルダー 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

51YJTK1NMHL__SL500_AA240_.jpg (Amazon)

ローラたちの一家は厳しい冬にそなえて町に移ってきた。  町での暮らしは、農場育ちのローラ姉妹にとって楽しいことばかりではなかった。  姉メアリとの別れ、先生との対立、クラスメートのいじめ、将来への不安とあこがれなど、さまざまな体験をとおして成長してゆくローラが描かれる。

「この世で暮らすのは、闘いですよ。  ひとつにたちむかったと思ったら、すぐに次のがあらわれるんですから。  ずっとそうだったし、これからもつづくのよ。  そういうものだとさっさと覚悟してしまえば、楽になって、今持っている幸せに感謝できるようになりますよ。」

波乱万丈(?)だった「長い冬」と比較すると、穏やかな生活の営みが細やかに描かれる本編ですが、その中で唯一と言っていいかもしれない厳しさ、「自然 vs. 人間」のさまが描かれている「第9章 ブラックバード」に出てくるかあさんの言葉です。  「この世で暮らすのは闘い。  早くそれに気がつき、覚悟する」というのは本当に必要なことだと KiKi も思います。  但し、闘う相手を間違えちゃいけないと思うんですけどね(笑)。

このシリーズを再読してみようと思ったきっかけは、この冬の Lothlórien_山小舎の大雪 & 寒さにびっくりしちゃって、それに負けない「力」を得たいと思って「長い冬」を手に取ってみたから・・・・・だったんだけど、こうやって2冊目を読了してみると、KiKi が山小舎暮らしみたいなことを志向してきた、その気持ちの原点がどこにあったのかがぼんやりとではあるものの、ほんのちょっぴり見えてきたような気がします。  だいたいにおいて、この物語を子供の頃に夢中になって読んでいた・・・・というところに KiKi のある種の根強い懐古趣味みたいなものがあったように思うんですよね~。  

でもね、KiKi の場合は高度成長期に子供時代を過ごしてきているわけだから、モノに不足こそしていないけれどさほど多くは持っていなかった時代とモノがあふれ始めた時代の両方を体感しているので、この物語に描かれている時代に感情移入するのは比較的簡単なんだけど(それでも KiKi の両親の世代からしてみると、甘い感傷にしか見えないかもしれないけれど ^^;)、モノが既にあふれている現代に生を受け、子供時代を過ごしている「イマドキの子供たち」には、さっぱり理解できない世界なのかもしれません。

ま、それはさておき、KiKi の現代アメリカの食事情考察(?)では、アメリカの食べ物っていうのはホントに味気なくて、短時間でさっとできてお腹が膨れればそれでよし・・・・みたいな食べ物が多いっていう印象が強いんだけど(ジャンクフードの類とか・・・・)、この物語に出てくるローラのかあさんや開拓時代の奥さんたちが作る食事っていうのはどうしてこんなにも美味しそうなんでしょうねぇ??  食べ物の描写が出てくるたびに「う~ん、是非お相伴にあずかりたい!」と思いました。  (さすがに「長い冬」の食糧不足期の食べ物だけは、「お相伴にあずかりたい」というよりは「経験のためにちょっとだけなら試してみようかな?」ぐらい・・・・だけど ^^;)

  

岩波少年文庫特装版入手♪

| コメント(0) | トラックバック(0)

以前からず~っと探し続けていた「岩波少年文庫特装版(全30冊)セット」。  ついに、ついに、ついに入手しちゃいましたぁ~!!!!  たまたまある日、Amazon で他の本を探していたら、Market Place で価格付で表示が出ているのを見つけたんですよぉ。  でもね、正直なところちょっとお高め ^^; だったので、その日は我慢したんです。  数ヶ月様子を見て、誰かが購入しちゃったら、やっぱりあのお値段では KiKi との相性が悪かったと思おう。  それでも売れ残っていたら、これは KiKi のために売り出されたんだと思おう。  そんな風に考え、ず~っと様子見をしていたんです。

 

 

 

それから数ヶ月。  

 

 

 

これが、いつチェックしても売れてないんだなぁ。  で、とりあえずショッピングカートにだけは登録して最後の購入ボタンは押さない状態でさらに2カ月、様子を見ていたんです。  でも、やっぱり誰も買わない・・・・・・ ^^;  これはもう KiKi に「買ってくれ!」と切々と訴えているような気がしてきちゃってねぇ。  で、ついつい購入ボタンをポチッと押してしまったのが先週のこと。

そうしたら昨日、これが手元に届いたんですよ。  届くや否や、どんな状態の本なのかチェックしたくて、段ボールのガムテープを引きちぎり、梱包材をビリビリと破きと我ながら雑な扱いをしているなぁ・・・・とちょっと反省。  でもね、「コンディション: 中古商品 - 良い  2函入り。  背ヤケ僅少あれど本文は未読の様子にて良好」 だったので、実はちょっと心配していたんですよね~。  例え、ちょっとばかり品質的には悪いものであっても我慢しようという覚悟はしていたつもり・・・・・(と言いつつも「背ヤケ~」の文章がポチッの決め手だった ^^;)だったんですけど、お値段がお値段だっただけに、チェックせずにはいられない・・・・・そんな感じでした。

 

 

ところが・・・・・・・

 

 

これがびっくりするぐらい美本なの!!  もしも KiKi が出品者だったら「コンディション:中古商品 - 非常に良い」とつけたかったぐらい!!!  きっと本棚に長いこと置いてあってそこそこお日様を浴びちゃったんでしょうね。  たしかに背は僅かにヤケていますけど、それが気になって仕方ない・・・・・というほどのことでもありません。  一番大事なタイトルもラクラク判読できるし、全然問題ありません。  逆に背以外はまるで新品みたいな状態で、そちらの方が驚き!です。  

因みにこの特装版、1990年に岩波少年文庫創刊40年を記念して出版されたもので、サイズは現在の岩波少年文庫と一緒なんだけどハードカバーで(これは復刻版も同じ)、表紙デザインにはウィリアム・モリスの壁紙が使われているので、見た感じがものすご~く豪華なんですよね~ こ~んな感じ

  k1394178847.jpg    3451_1_00.jpg 

何だか持っているだけで豊かな気分になっちゃいそうな装丁だと思いませんか?  

全30冊のラインナップも豪華絢爛、これぞ名作の宝庫!(続きのページを参照)っていう感じです。  う~ん、これは絶対に KiKi の家宝にしたいなぁ。  いずれにしろ、これらの名作をこの装丁の本で読んだら一際味わい深いんじゃないかと思うと、読書欲がムラムラと湧いてきます。  やっぱり本っていうのは中身も大事だけど本全体が醸し出す雰囲気・・・・みたいなものにも可能な限り拘りたいよなぁ。  その点、こういう装丁の本だと有難味が違うなぁ・・・・・と全30冊を眺めてニヤニヤしている KiKi は傍から見たら大いに変な奴かもしれません(苦笑)

 

雪に閉ざされたLothlórien_山小舎で、あまりの寒さに震えているさなか、「いやいや、こんな程度でオタオタしてはいけない!  もっとすごい寒さもあるんだから・・・・・  例えば・・・・・・」ということで記憶の壺を覗いてみました。  そして最初に思い出したのが小学校高学年の頃、何度も読み返したこのローラの物語でした。

長い冬
著:ローラ・インガルス・ワイルダー 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

1145150.gif  (Amazon)

ローラたちの一家が住む大草原の小さな町を、長くて厳しい冬がおそう - 大自然とたたかいながら、力強く生きていったアメリカ開拓期の人々の生活がいきいきと描かれる。  (文庫本裏表紙より転載)  

でもね、当初は大好きだったこの物語なんだけど、ある時期を境に KiKi はこの物語には手を出さないようになってしまいました。  それは、「大草原の小さな家」というTVドラマがNHKで放映されるようになってからでした。  

物語だけを読んでいた頃の KiKi の中のチャールズ父さんは筋骨隆々ではあるんだけど、どちらかというと細面の髭面で、爽やかさみたなものとはちょっと無縁な無骨な男だったんだけど、ドラマを観るようになってからはマイケル・ランドンの顔しか思い浮かばないんですよね~。  ドラマとしてはハマリ役だったと思うけれど、チャールズ父さんにはあんな都会的なカッコよさは思い描いていなかった KiKi はそのギャップになかなか慣れることができなくてねぇ・・・・・。  慣れないにも関わらず、KiKi がイメージしていた父さんはどんどん薄れていっちゃうのが怖くもあり、淋しくもあり・・・・・・。  

TVや映画(要は映像)で作品を観ると「なるほど、こうだったのかぁ」と理解しやすい部分も多い半面、想像の愉しみがなくなっちゃうなぁ・・・・・・

それが子供ながらも KiKi が感じたことでした。  でね、そうなると本を読む楽しさが半減しちゃったような気がしたんです。  KiKi の場合、読書っていう行為のモチベーションになっていたのは「知識を得たい」とか「正しいことを知りたい」というような高尚(?)なものじゃなくて(それも皆無とは言わないけれど)、ある種のものすご~い手前勝手な自己満足を得るための娯楽だったんですよね~。  それがどんな自己満足かと言えば、物語に言葉で描かれている世界を色々想像してみて脳内映画化をすること(笑)  これがもっと上手にできて物語の全編が映像化できるようであれば KiKi は映画監督とか舞台監督のお仕事ができると思うんだけど、残念なことに多くの場合はシーンブツ切れなんですよ ^^;  特に外国の物語だと想像できる限界・・・・・みたいなものが多かったし。  そんな調子だからその想像は極めて個人的で凡そ万人受けするかどうかわからないようなシロモノではあるんだけど、そこがたまらなく楽しかったんですよね~。

 

 

 

230px-Michael_Landon.jpg 都会的なカッコよさを湛えるチャールズ父さんマイケル・ランドン  

ま、そういう意味では KiKi は決してドラマも映画もアニメも嫌いなわけじゃないけれど、正直、自分がまず本で出会って大好きになった物語が映像化されるな~んていう話にはどちらかと言えば懐疑的になっちゃう(笑)傾向があります。  でもね、これが逆だったらいいんですよ。  映像作品が先で小説が後ならね。  想像力は物語が先の場合よりも働かないのは事実だけど、その作品を知ることができた・・・・という満足感があるし、時間が限られている映像作品ではカットされているシーンが楽しめちゃうから(笑)  その典型的な例が、「ティファニーで朝食を」だった(カポーティの小説は大学生になるまで読んだことがなかった ^^;)し、「魔女の宅急便」でした。  ま、身勝手な話だ・・・・とわかってはいるんですけど、所詮娯楽なんだから、目いっぱい身勝手でもいいんじゃないかと自己擁護しちゃうチャッカリ者です(笑)

ま、今回、久々にこの本を読んでみようと思ったのは、もちろんこのブログの「岩波少年文庫読破企画」の一環でもあるんだけど、それ以上に、さすがにあのドラマの印象はだいぶ薄れてきたのでそろそろいいかな・・・・・と思ったからでもあるんですよね。  さて、では何はともあれ、この物語のお話をしましょう。

   

以前に NHK BS で放映されているアニメ番組に感化(?)され、「少女ポリアンナ」と「ポリアンナの青春」を読んだけれど、今回もその第2段(?)  たまたま留守録でなぜか録画されていたアニメ番組「わたしのあしながおじさん」を観たことにより、急遽、懐かしさがこみあげてきて手にとって読み返してみてしまった本をご紹介したいと思います。

あしながおじさん
著:ジーン・ウェブスター 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

1140970.gif  (Amazon)

孤児のジュディは、名前を名のらないある人物の援助で大学に入ります。  そのひとを「あしながおじさん」と名づけたジュディは、楽しい生活ぶりをせっせと手紙に書いて報告します。  ユーモアとあたたかい愛が全編にあふれる永遠の名作。  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、ホント久しぶりでした。  小学生の頃、少なくとも5回は読んだことがあるような気がする「あしながおじさん。」  訳者の谷口由美子さんがあとがきで「手紙の書き方はすべてこの本で教わった」と仰っているとおり、この本はジュディのあしながおじさん宛ての手紙のみ(冒頭数ページを除く)で構成されています。

KiKi は谷口さんとは異なり、この本から手紙の書き方を教わったという実感はないんだけど(手紙を書くのは全然苦じゃなかったし、どちらかというとスラスラと書けちゃった方なので)、でも彼女の手紙には子供時代も、そしてストーリーを知っている今、再読している間も、ある種翻弄され、ある種魅了されながら読み進めていく・・・・そんな物語だと思います。

とにかくジュディの手紙が面白いんですよ。  文体がコロコロ変わるのも面白いし、トピックもコロコロ変わる。  それにね、女の子の手紙だなぁと思わずにはいられないのは、こんなところ(↓)です。

ジョン・スミスと呼んでほしいというような人に、最大の敬意をはらうといっても、それはなかなかむずかしい注文です。  なぜ、もう少し個性のある名前を選ばなかったんですか?  これじゃまるで「馬のつなぎ杭様」とか、「物干し竿様」に書いているみたいじゃありませんか。  (最初の手紙 初年度9月24日の手紙)

自分を援助してくれている、但し自分のことは詮索されたくないという篤志家の方を相手に最初の手紙でその名前についてとやかく言う(笑)  挙句の果てにどこから出てきたのか「ジョン・スミス」≒「馬のつなぎ杭」 or 「物干し竿」という発想!(笑)  正直なところ KiKi も一応は♀だけど、この発想の転換(と呼べるものなんだろうか?)には唖然としてしまいます。  でもね、もちろん不快感はないんですよね~。

そうかと思うと、こんな手紙もあります。

今日、あたしが習ったことをちょっと聞いてください。  「正角錐台の側面積は、両底面の周囲の和と台形の高さの積の二分の一に等しい。」  うそみたいですけど、ほんとうです ― あたし、ちゃんと証明できますよ!  おじさんには、あたしがどんな服を持っているか、お話していませんよね。  ドレスが6着あって、すべて新しくて、きれいで、あたしのために買ったものです - 誰か、年上の人からのおさがりなんかじゃありません。  おじさんは、おそらくおわかりにならないでしょうね、これが、孤児の人生にとって、まさに画期的なことだということを。  (初年度11月15日の手紙)

数学の話をしたいたかと思うと、いきなりドレスの話!!  しかも、「証明できますよ!」と言うからにはその話が続くのかと思いきや、言いきっておしまい(笑)  恐らく、大人、そして特に男性がこの手紙をもらったら、「数学の証明」から思考回路が離れ切っていない状態でいきなり「ドレス」だから、肩透かし・・・・というか、ガクっとくるというか、そうなっちゃうだろうなぁ(笑)  これはどう考えても女の子の書く文章の特徴のような気がすると可笑しくて、可笑しくて(笑)

これがもっと進むとこんなことまでジュディは書き始めます。

おじさん、シフォンだの、ベネチア風ポイントレースだの、手ししゅうだの、アイルランド風鉤針編みだのということばが、男の人たちにとって、何の意味もないつまらにことばだと思うと、男の人って、なんてうるおいのない人生を送っているのだろう、とつくづく思ってしまいます。  ところが、女の人は、たとえ、興味を持っていることが、たとえば赤ちゃん、細菌、夫、詩、召使い、平行四辺形、庭、プラトン、ブリッジ、とにかく何にしろ ― 基本的に、そして常に服装には興味を持っているものなんです。  (3年目の12月7日の手紙)  

KiKi は正直なところどちらかというとファッションには疎い方だし、服装への興味は♀の割にはかなり薄い方だと思うので、必ずしもジュディのこの意見には手放しで賛同できなかったりもするんだけど、KiKi がジュディの女の子らしさを感じるのは、そこよりも、興味を持っていることの羅列の仕方です。  何で赤ちゃんの次が細菌で、召使いの次が平行四辺形で庭の次がプラトンなんだ????  この発想の回転の仕方はまさに女性的だと思うんですよね~(笑)

 

北欧神話 P. コラム

| コメント(2) | トラックバック(0)

せっかく「リング祭り」を開催(?)しているので、それに因んで、今日はこちらの本をご紹介したいと思います。  ワーグナーが「リング」を構成するにあたり、その原典を求めた「ゲルマン神話」「ゲルマン伝説」の1つ、北欧神話の「エッダ」をコラムというアイルランドの詩人でもあり、劇作家でもある方が「子供にもわかりやすく再話、再構築した物語」、北欧神話です。

北欧神話
著:P. コラム 訳:尾崎義  岩波少年文庫

1145500.gif  (Amazon)

神の都アースガルド。  威厳にみちたオージン、力自慢のトール、いたずら好きのローキ、美しい首飾りとひきかえに夫を失った女神フレイヤなど、個性的な神々の活躍を描きます。  「エッダ」に基づいて書かれた少年少女のための北欧神話。  (文庫本裏表紙より転載)

 

今、KiKi はこれと並行して「エッダ」を読み進めているんですけど、あちらは韻文テイストを残している上に、ところどころ欠落部分があったり、話があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしているのに比べて、こちらは組み立て直しが行われているのでスンナリ読めるところが楽チンです(笑)  実はこの本は KiKi は子供時代から何度も読んでいるので、北欧神話のスタンダードは KiKi の中ではこの本になってしまっています(笑)

KiKi はね、子供時代は「神話」って大好きで、当時図書館で手にすることができるありとあらゆる神話を読み耽っては想像をたくましくしていたようなところがあるんですけど、成長するにつれて、神話と宗教の関係性(?)がよくわからなくなっていっちゃったんですよね~。  で、同時に特定の宗教に帰依していないということもあって、自分を無神論者だと思う時期があったり、一神教を胡散臭いと思う時期があったりして、30代に入ってからまた神話の世界に惹かれるようになって・・・・・という感じで「神話」とお付き合いしてきています。

そんな「神話とのお付き合い」の中で、KiKi は北欧神話ってギリシャ・ローマ神話とかエジプト神話以上に惹かれるものがあるんですよね~。  エジプト神話の神様っていうのはやっぱり神様然としていると思うんだけど、ギリシャ・ローマ神話の神様も北欧神話の神様も、神様ではあるんだけど神々しいだけじゃなくて人間臭い・・・・・というか、欠点もいっぱいあって親しみが持てるところがいっぱいあると思うんですよね。  でも、ギリシャ・ローマ神話の神様はどことなく洗練されていて優雅さを湛えているのに対し、北欧神話の神様ってもっと素朴な感じ(野暮とも言える ^^;)がして、およそ完全無欠とは言い難い・・・・・その曖昧さが好きなんですよ。

だいたい神様のちょっとした行為が、その時には目に見えるような何かを引き起こすところまでは至らないのに、結果的に「神々の黄昏」を導いていく・・・・・というのは人間の業にも通じるものがあるような気がして、神話でありながら我が事のように読むことができるというのがかなり特異だと思うんですよね。  神々の長、オージンが自分の片目を捧げてまでして得た「知恵」を持ちながらも、とある出来事で発生した賠償問題で「金・宝」による取引をしてしまう話、その取引の結果として「金・宝」に執着する一度はアースガルドから追放した強欲女の入国を許してしまう話、その女に撒き散らした毒の話、本来であればラグナロクで威力を発揮するはずだった武器を、ひとめぼれした乙女との結婚の代償として手放してしまっていた神様の話、等々が全部ラグナロクに集結していくというのがものすご~く強烈であるのと同時に、金権主義にまみれている今の自分の生活にふと引き寄せて色々なことを考えさせられるし・・・・・・。

 

今日はここ何回か連載した石川栄作教授の「ニーベルンゲン関連」の著作のベースにある叙事詩の傑作「ニーベルンゲンの歌」をご紹介したいと思います。  当分の間 KiKi の読書カテゴリーのエントリーはこの「ニーベルンゲン関連本」に関するエントリーが続いちゃうと思いますが、悪しからず・・・・。  何せ今年のテーマなもんで ^^;

ニーベルンゲンの歌
訳: 相良守峯  岩波文庫

510X6D9P3NL__SL500_AA240_.jpg

51TJFY8XGRL__SL500_AA240_.jpg  (Amazon)  (Amazon)

ニーベルンゲンの宝を守る竜の血を浴びて不死身となったジーフリト。  だが妃クリエムヒルトの兄グンテル王の重臣ハゲネの奸計により殺されてしまう。  妃の嘆き、そして復讐の誓い。  こうして骨肉相喰む凄惨な闘いがゲルマン的忠誠心の土壌のうちに展開する。  均整のとれた美しい形式と劇的な構成をもち、ドイツの「イーリアス」と称せられる。  (前編表紙より転載)

夫ジーフリト暗殺に対する復讐を誓ったクリエムヒルトは、その手段としてフン族のエッツェル王の求婚に応じた。  そして10余年、宮廷に兄グンテル王、めざす仇ハゲネらを招いた彼女は壮絶な闘いの上これを皆殺しにする。  しかし自身も東ゴート族の老将の手で首をはねられる。  戦いは終り、あとにエッツェル王ら生者の悲嘆を残して幕は閉じられる。  (後編表紙より転載)

 

ニーベルンゲンの宝
著:G. シャルク 訳:相良守峯  岩波少年文庫(特装版)

2010Jan11_001.JPG  (単独では販売していないようです。
                    特装版_30冊セットで Amazon)

 ドイツのえら~い学者さんが、「ドイツ文学史」というたいそうな本の第1巻に 「ドイツの作家精神の生んだ最大の産物、ドイツ人気質をもっとも完全に、かつ明瞭にあらわしている作品、そして万一ドイツ民族がこの世から消え失せた暁に、この民族の名をもっとも輝かしく世にのこすべき作品をあげよとならば、我々はそれをただ二編の文学に局限することができるであろう。  それはすなわちニーベルンゲンの歌ゲーテのファウストである。」と絶賛した・・・・とされる、「ドイツのイリヤス」とも呼ばれる作品です。  この本をこの文庫で通して読んでみるのは何年ぶりのことでしょうか。  せっかくリングで年明けを迎えた今年だからこそ再読する気になった本・・・・と言えるかもしれません。

イリヤスの方が古いにも関わらず、一応あちらは「ホメロス作」ということで全世界共通認識が持たれているのに対し、こちらの方が新しいにも関わらずこちらは「パッサウからウィーンに至るドナウ地方出身の詩人」という以上には作者に関して世界的な統一見解というものが持たれていません。  そしてこの叙事詩は「ニーベルンゲン詩節」と呼ばれる一種独特の形式、リズム感で書かれている韻文なのだそうですが、ドイツ語の読めない KiKi にはそれがどれほど素晴らしいものなのか、正直なところ漠然・・・・としかわかりません。  もっともこの韻文を翻訳されていらっしゃる相良守峯さんのご努力のおかげで、とっても味わいのある訳文がいかにも「歌」という雰囲気を醸し出してくれています。

前編は19歌章、後編は20歌章から成り、ゲーテは「前編はより多く華麗、後編はより多く強烈。  しかし両編ともその内容において、また形式において、相互にまったく均衡を保っている。」と仰っているとか・・・・、確かにその通りで前編はきらびやかな宮廷生活描写や明るいジーフリトのおかげでゴージャス感に溢れています。  これに対して後編はクリエムヒルトの結婚 & リュエデゲールの元での祝宴あたりまでは辛うじて華麗な感じを保っているものの、それでもどこかに最後にぱっと燃えさかるロウソクの炎のような、そして仇花的な雰囲気もあり、グンテル王御一行様がエッツェル王の宮殿に到着してからは血みどろ、力(Power)のインフレ、火責め、壮絶・・・・・と恐ろしい世界が繰り広げられ、そして誰もいなくなった・・・・(嘆息) っていう感じです。

過去にこの本を読んだときはゲーテのいう「両編とも内容 & 形式において、均衡を保っている」というのが理解できなかったんですよね。  どちらかというと、前編では貞淑な乙女チックなクリエムヒルトの変貌がおよよ・・・・だったり、前編であれだけ存在感を示していたプリュンヒルトが後編では消え去ってしまっておよよ・・・・だったり。  でもね、今回は例の石川教授の2つの著作 (1) (2) と並行して読み進めていたために、ゲーテのいう「保たれている均衡」というのがどういうことなのか KiKi にもよく理解できたように思います。 

ついこの間、体調不良により会社をお休みした日、何気なくTVのスイッチを入れたら「愛少女ポリアンナ」というアニメが放映されていました。  見るともなしに見ていたらポリアンナの「よかったさがし」の話が出てきて、ちょっと曖昧になった記憶をたどってみました。  確か KiKi が子供の頃に読んだ物語ではヒロインの名前がちょっとだけ違うんじゃなかったっけ????  で、子供時代にこのアニメの原作(?)を読んだ時、正直なところ KiKi はこの物語にはさほど感銘を受けなかったような気がするんだけどなぁ~ ^^;  でもね、あの頃は感銘を受けなかったにも関わらず、何故か今度はちょっとは感動しちゃっているような気がしないでもない。  そう思うと、ひょっとしたら今、あの物語を読み返してみれば感動できるのかどうかを知ってみたい・・・・・。  そんな気持ちがムクムクとこみあげてきました。  ま、てなわけで今日はこちらをご紹介したいと思います。

少女ポリアンナ/ポリアンナの青春
著:エリナー・ポーター 訳:谷口由美子  岩波少年文庫

1141020.gif   1141030.gif   (Amazon)  (Amazon)

いかにも「女の子向け」の表紙ですね~(笑)  KiKi はどちらかというと、こういう表紙の本って中身がどうか・・・・という前に苦手意識が働いちゃうんだけど大丈夫だろうか・・・・・(苦笑)  TVのアニメの方(↓)のイラストだと全然そういうことがなかったんだけど、やっぱり着ているものの違いかなぁ・・・・。

pollyanna_1.gif    

子供の頃、KiKi は1日にTVは1時間以内と決められていました。  当時、KiKi は静岡県の田舎町で育っていたので、東京では何チャンネルの放送が受信できたのか知らないのですが、小学校低学年の頃の KiKi の家のTVで受信できるTVは NHK と NHK 教育とSBS(TBS系列の静岡放送)の3チャンネルのみでした。  小学校高学年になる頃、これにテレビ静岡(FUJI系列)が加わりました。  ま、いずれにしろその少ないチャンネルの中でMAX 1時間という制限だったわけで、それが「少なすぎる!」と気になるようなレベルではありませんでした。

そんな KiKi が必ず観ていた番組・・・・というと、日曜日の夜8時からの「大河ドラマ」と土曜日の夜8時からの「8時だよ!全員集合」。  そして週日の夕方、大相撲から引き続きニュースを経て「NHK連続人形劇シリーズ第5作目;新八犬伝」の3本でした。  大人になってからの KiKi の映画鑑賞の趣味は「コスチュームもの」にかなり偏っているんだけど、それは大人になってから固まった嗜好・・・・というよりは、どうやら子供時代のTV番組に端を発しているようです(笑)  そんな KiKi が歴史にそこそこの興味を持つようになったのはある意味で必然・・・・と言えるかもしれません。  だからこそ、このLothlórien(Blog)の読書カテゴリーも「神話・宗教」「叙事詩・英雄伝・騎士物語」「歴史」「塩野七生」「司馬遼太郎」だし・・・・・ ^^;  (← エントリーが少ないのは、「塩野七生」さん作品や「司馬遼太郎」さん作品は過去に何度も読んでいて、現在本棚に収まっているだけの状態になっているため)  

で、このブログを開設するにあたり「岩波少年文庫」を大人の目で読み返してみるという無謀な企画をぶちあげたわけですが、その時、これまでに発売された岩波少年文庫の全作品を読み返してみようと思ったのはよいものの、その全作品リストを作成している過程で難題にぶちあたっちゃったんですよね~。  それはね、子供の頃、確かに岩波少年文庫で何度も読んだ記憶があり、表紙の絵や色調さえもなんとなく思い出せる本が、岩波少年文庫のHPを見ても載っていなかったりすることに気がついちゃった・・・・・ということ。  で、このリストを作成するために「なつかしい本の記憶 - 岩波少年文庫の50年」という本を参照したり、手持ちの少年文庫の巻末の既刊本紹介ページを参照したりと結構大変だったんですよね~。  でもね、リストの方はあれやこれやの手段で何とか作成できたのでよいとして(完成度がどれほどのものかはわからないのですが・・・ ^^;)、もっと重要な問題は、すでに絶版になってしまった本をいかにして入手するか・・・・ということなんですよね~。  で、それから KiKi の古本屋めぐり及び古本屋サイトの放浪が始まりました。  なんせ、昨今の図書館の蔵書も新刊本に入れ替わっちゃっていたりするし・・・・・

ま、そんな数年に及ぶ古本屋(含むサイト)めぐりの中でようやく見つけた2冊を今日はご紹介したいと思います。  (何と長い前置きでしょうか! 苦笑)

人間の歴史の物語 上・下
著:ヴァン・ローン 訳:日高六郎/日高八郎  岩波少年文庫

033c.JPG  (Amazon)

この本はね~、中学時代に KiKi は初めて手にとって読んでものすご~く感銘を受けた本でした。  この本が自宅にあった記憶はないので、恐らく学校の図書館で借りて読んだ本だと思うんだけど、もしも当時の図書カードが今も残っていたら(残っているわけないか・・・・ ^^;)恐らく KiKi の名前が5~6回は載っているんじゃないかしら。  中学生にはちょっと難しかったような気がしないでもないんだけど、動物がこの地球に生存できるようになってから第一次世界大戦までを俯瞰してギュッとコンパクトにまとめつつ幅広い観点で歴史を物語った本なんですよね~。

KiKi のライフワークの1つ、岩波少年文庫読破計画の一環でずいぶん前に購入してあった「復刻版全30巻」。  考えてみるときちんと全冊読み通した記憶がありません。  最近のソフトカバーの本とは異なり新書サイズとはいえきちんとしたハードカバーで、小さいながらも本そのものが「愛蔵版にしてね♪」と訴えかけてきているような感じがします。  愛蔵版とは言え、蔵にしまいっぱなしじゃあまりにも可哀想・・・・ということで、これからLothlórien(山小舎)に訪問するたびに一冊ずつ抜き出して読み進めていこうと思います。  その記念すべき第1作は最近東京創元社のシリーズ(「○○いろの童話集」)で読み進めているアンドルー・ラングの自作童話です。

りこうすぎた王子
著:アンドルー・ラング 訳:光吉夏弥  岩波少年文庫復刻版

055.JPG   (Amazon)

さすがに「○○いろの童話集」を編纂した人の作品だけのことはあって、世界童話のコアな部分(訳者のあとがきによると「粹」≒すぐれたもの と「道具立て」)があちらこちらに垣間見え、思わずほほえましい気分にさせられます。  たとえばね、このりこうすぎた王子(プリジオ王子)の住んでいるお城に「夏の間」というお部屋があるらしいんだけど、そこにはたくさんの肖像画がかかっていて、中にはプリジオ王子のひいおばあさんであるシンデレラがガラスの靴を履いている絵もあれば、長靴をはいたネコが玉座の肘に座っているカラバ侯爵の絵もあり、ず~っと祖先にあたる眠りこけたお姫様(眠れる森の美女)の絵もあったりするらしい(笑)  

で、この物語はこのプリジオ王子(待ち焦がれて授かった王子様)の洗礼式から幕開けするんだけど、その洗礼式に仙女を呼ぶとか呼ばないとかいうことが起こってみたり、結局呼ばれていない仙女たちが大挙してお祝いにかけつけて贈り物を授ける・・・・とか、ほんとどこかで読んだことがあるような出来事が目白おしなんですよね~。  この物語では「仙女」となっている単語。  原本を読んでいないから確証はないんだけど、恐らくこの翻訳が今の時代だったらこれはやっぱり「妖精」と訳されるんじゃないかと思うんだけど、そこが敢えて「仙女」となっているのも、結構楽しい♪なぁ・・・と(笑)

  

アンドルー・ラングの「あおいろの童話集」を読んで以来、ず~っと気にかかっていた本。  それが「アラビアン・ナイト」でした。  たまたま先週、すでにクラシック音楽カテゴリーで既にエントリーを書いている「シェエラザード」を久々に聴いた・・・・ということもありまして(笑)、やっぱりどうしても今のうちに読んでおきたい気分がモリモリと湧き上がってきました。  ま、てなわけで今日の1冊(というより2冊)はこちらです。

アラビアン・ナイト(上)(下)
編:ディクソン 訳:中野好夫  岩波少年文庫

1140900.gif   1140910.gif   (Amazon)  (Amazon)

 

アラビアン・ナイトの中の物語で KiKi が一番最初に出会ったのは「アリ・ババと40人の盗賊」で、次に出会ったのが「アラジンと魔法のランプ」でした。  どちらも絵本の世界で初めて出会った物語だったんですけど、最近のお子さんだとひょっとすると「絵本」の前に「ディズニー・アニメのアラジン」で先に出会っちゃったりするのかもしれませんね(笑)  因みにこの岩波少年文庫に収録されている作品は以下の通りです。

 

<上巻>

船乗りシンドバッドの1回目の航海
船乗りシンドバッドの2回目の航海
船乗りシンドバッドの3回目の航海
船乗りシンドバッドの4回目の航海
船乗りシンドバッドの5回目の航海
船乗りシンドバッドの6回目の航海
船乗りシンドバッドの7回目の航海
アラジンと魔法のランプ
ペルシア王と海の王女
べーデル王とジャウワーラ姫

 

<下巻>

ヘビの妖精と二匹の黒犬
シナの王女
魔法の馬
ものいう鳥
アリ・ババと40人の盗賊
漁師と魔物

KiKi はクラシック音楽と文学が大好物なわけですが、本屋さんとかCDショップってものすご~く似ているところがあるなぁと思っているんですよね。  世の中に本屋さんやCDショップが全部でいくつあるのかは全然見当もつかないんですけど、その多くのお店が KiKi が欲しいものを売っていなかったりするんですよ。  

例えばCDショップの場合。  KiKi の大好きなクラシック音楽のCDコーナーがやたら狭いうえに、いわゆる「オムニバスCD」しか売られていないお店。  そんなお店が数多くあります。  特に地方都市ではその傾向が顕著で、KiKi はLothlórien(山小舎)の近くで「ここ!」というCDショップを見つけることができていません。  まあ、今のところは KiKi のメインの生活拠点は池袋なので、HMV池袋店にド~ンと大きなクラシックコーナがあるから不自由はしていないし、最近では Amazon のクラシックコーナーも充実してきたし、HMVやタワーのネットショップもあるから山篭りをしても途方に暮れる・・・・な~んていうことはないだろうと安心していられるんですけどね(笑)  

同じ様に、本屋さんの場合、マンガや大衆小説やベストセラーだけを並べている本屋さんが多々あります。  こういうお店には KiKi の大好物の「岩波少年文庫」を例にとると「星の王子様」が置いてあればいい方で、岩波文庫もほんの数冊、ちくま文庫に至ってはゼロ。  後はひたすら「ドラマ化された作品」とか「映画化された作品」しか置いてなかったりします。  まあこちらも池袋には幸いなことに「ジュンク堂」とか「LIBRO池袋本店」なんかがあるので、大抵の本はそこで調達できるので困っていないのですが、Lothlórien(山小舎)の近くで「ここ!」という本屋さんを見つけることができていません。  こちらも山篭りしたら Amazon のお世話になりっ放しだろうなぁ・・・・・(苦笑)

で、そんな本屋さんには絶対に置いていない本で以前からタイトルと評判だけは聞き知っていたものの、未だかつて一度も手に取ってみたことがなかった本がですね、な、な、なんと自宅近所の「ブックオフ」の棚に並んでいたのです。  いや~ブックオフもなかなか侮れません(笑)  そんじょそこらの上記のようなお店では出会うはずのないものが時々あったりするんですから!!  (そう言えば、以前このエントリーでご紹介した「マーラー交響曲全集 指揮:バーンスタイン」もブックオフでゲットしたCDでした。)  ま、てなわけで本日の一冊はこちらです。

灰色の畑と緑の畑
著:ウルズラ・ヴェルフェル 訳:野村泫  岩波少年文庫

1145650.gif     (Amazon)

この本はね、「知っている人は知っている、知らない人は知らない」典型的な本だと思うんですよね~。  KiKi もずいぶん長い間、この本のタイトルは知っていたし、問題作ということである分野の方々の間では色々議論されていた本であることは知っていたけれど、正直なところこれまで手にとってみる機会がありませんでした。

  

貧富の差、皮膚の色による差別、戦争の悲惨、孤独な老人たち、両親の離婚など、現代社会がかかえるさまざまな問題を、若い人たちに考えさせる意欲作。  散文詩のような簡潔な文体でつづった14編。  (岩波少年文庫のHPより転載)

 

ここに書かれているのはほんとうの話である、だからあまり愉快ではない。  これらの話は人間がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている。  南アメリカのフワニータ、アフリカのシンタエフ、ドイツのマニ、コリナ、カルステンなど、多くの国の子どもたちがそのむずかしさを体験することになる。  ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。  そういう話は人に多くの問いをかける。  答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。  これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。  

(著者まえがきより転載)

先日、読書メーターを通じてお知り合いになれた四季さんのブログをお訪ねしたら、ピッピ三連作の Review がエントリーされていました。  たまたま KiKi も「この Lothlórien の次の岩波少年文庫カテゴリーのエントリーはピッピシリーズにしようかなぁ・・・・」と思っていたので、何だかとても嬉しくなってしまって、まるで四季さんに後押しされるかのような感じで懐かしいこの三連作を手にとってみました。

長くつ下のピッピ     ピッピ船にのる     ピッピ南の島へ

1140140.gif   1140150.gif  1140160.gif

(Amazon)                       (Amazon)                     (Amazon)

作: アストリッド・リンドグレーン  訳:大塚勇三  岩波少年文庫 

 「あしながおじさん」にヒントを得て、作者リンドグレーンの小さい娘が、「ねえ、長くつ下のピッピって女の子のお話を作って」と母に頼んだ。  そこで生れたのがこの世界一つよい少女の物語だった。  自由ほんぽうに生きるピッピに、子どもは自分の夢の理想像を発見し、大人は愛さずにはいられない野育ちの永遠な少女を見出す。

ピッピは友だちをつれて町に買物に行きマネキン人形の手を1本買ったり、久しぶりに学校へ出て皆と遠足に行き、その途中馬をいじめる馬方をこらしめたりします。  ある日「ごたごた荘」に1人のお客がありました。  それこそ行方不明だったピッピの父エフライム船長でした。  ピッピはお父さんと南の海へ行こうとしますが...。

自由な生活を楽しんでいる世界一強い女の子ピッピが、こんどは友だちのトミーやアンニカ、馬やサルもいっしょに連れて、お父さんと南太平洋の島に出かけます。  ゆかいなピッピの第3話。

(岩波書店 HP より転載)

 

小学生の頃に最後に読んだきりず~っとピッピとは疎遠になっていた KiKi なので、正直なところあのピッピの天衣無縫さ・・・というか荒唐無稽さについていけるかどうか、実はおっかなびっくりで手に取ってみたんですよね。  特に KiKi は子供時代、物語のヒロインに自己投影・・・・というか変身願望を持ちながら読むことが多かったにもかかわらず、ピッピの物語に関して言えば「ピッピになりたい」とは思わず(・・・・というより思えず? 苦笑)「ピッピの友だちのアンニカになりたい」と思っていた物語であるだけに不安は一入だったんです。  でもね、四季さんが「相変わらず楽しい! ピッピ、可愛い!」と書いてくださっていたので「これは KiKi もなんとかなるかも?!」と思ったし、それ以上に大人になって再読してみて「やっぱりアンニカになりたい」と思うかどうか、それを確認してみたい・・・・・というのが一番の楽しみでした。

結論から言うとね、大人になってしまった KiKi はあいも変わらず「ピッピにはなれない」のはおんなじで、じゃあアンニカになりたいと思うかと言うと、「なりたいかなりたくないかと聞かれればなりたいけれど、もしもアンニカになったらハラハラし通しで身が持たないかも・・・・」というのが正直なところです。  いえね、多分ものすご~く楽しめると思うんですよ、ピッピと一緒なら。  でもね、毎日ピッピと遊べるかというと一日おきか3日に一度ぐらいが一番楽しめそう・・・・ そんな気分なんですよね~(苦笑)  これはひょっとすると今ではKiKi がピッピが頓着しない「大人の理屈」とか「大人がつくりあげた社会秩序」みたいなものに縛られる側ではなく、その枠組みを作る側にいるからじゃないか・・・そんな風に感じるんですよね~。

KiKi は決して「大人の理屈」や「大人がつくり上げる社会秩序」が絶対に正しいとは思っていないし、それに反するものを徹底的に排除したいとまでは思わない(というより、そう考えることは一歩間違えると危険だとさえ思っている)んだけど、ピッピがすぐ隣の近しい友だちでいられるほどはもう若くないんですよ、きっと。  ピッピの言動に時に眉をしかめ、時に一緒に大笑いする、そんな立ち位置にいるような気がします。  でね、「ピッピ南の島へ」の解説を落合恵子さんが書いていらして、その中でイングリッド・アルビドソンさんという方の書かれた書評を紹介されているんだけど、これがまさにツボを得ている・・・・そんな気がするんです。  落合さんも少し長いけれど・・・・と断り書きをされつつ引用されているその書評をこちらに転載するとね

・・・・・長くつ下のピッピは、1940年代の子供の、すべての限界やしきたりをうち破る向こうみずな天才である。  ピッピは彼女が思う通りに行動し、警察や学校や、社会の秩序にその能弁さと超自然的な力で対抗する。 (略) ここには、子供が常に読みたいと思う魅力的なアナーキズムだけでなく、明るい輝きを放つユーモアと日常のリアリティーあふれるすばらしい冒険がある。 (略) その陽気な思いつきに関しては子供自身の不服従のメカニズム、アナーキズムはけなされることなく、賛美される。 (略) おとながこのような無邪気な遊びに対して道徳的な憤慨をもって反応する社会に子供が暮らすならば、かれらがそれに耐えるためにも、長くつ下のピッピのような本が必要とされる。

 

そうそう、本当にそうだと思うんですよね~。  KiKi の今回の読後感をとっても高尚な文章で書こうとするとこの文章以上のものは1ヶ月かけても書けないと思うんだけ