神話・宗教の最近のブログ記事

先日のエントリーでもお話しした通り、先週末から日曜日まで、KiKi は静岡県の実家へお出かけしていました。  KiKi の野良仕事好き & 本好きは恐らく父親の遺伝で、齢87歳の父はヒマさえあれば本を読んでいるような人です。  だから実家へ帰るたびに床に直置きされている文庫本の山から KiKi が興味を持てそうな本を物色しては、貰ってきます。  我が尊敬する父親の読書傾向は所謂「乱読タイプ」。  まあ、基本的には「雑学系」っていう感じでしょうか??(笑)  英文学をこよなく愛する KiKi とは異なり、英文学にはあんまり興味がないみたいです。  まして「児童書」にはまったくと言っていいほど興味を示しません。  ま、いずれにしろそんな父親から勝手にもらってきた1冊を帰省中 & Lothlórien_山小舎に戻ってから数分で読了しました。

眠れないほどおもしろい「聖書」の謎
著:並木伸一郎 三笠書房

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『聖書』がわかれば、世界がわかる!

*聖書は、神と人との「契約」の書物
*なぜ一週間は七日間なのか?
*ユダヤ人が"選民思想"を持つ理由
*ヴァチカンも公認する"エクソシスト"の秘密とは?
*ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は"同じ神"を崇めている!?......etc

おもしろすぎる"聖書の謎"に迫る一冊です!  (Amazonより転載)

世界のベストセラー聖書をと~ってもざっくりと紹介したのち、美術品や音楽での扱われ方やら、先日読了した D.ブラウン作品なんかでも取り上げられている「テンプル騎士団の話」とか、「聖母マリアの話」とか、もサラ~っと扱い、ついでにキリスト教絡みの都市伝説的なものもこれまたサラ~っと扱われているいかにも「雑学的」なお話が羅列された本です。  どれもこれも、KiKi にとっては「いつかどこかで聞いたことのある話」ばかり・・・・。  しかも深みがまったくない!!(苦笑)  まあ、長距離ドライブでお疲れ気味だったこの時期の KiKi には軽~く読めちゃう1冊でした。

一応、この本の目次を紹介しておくとこんな感じ(↓)です。

第1章: 読むだけですっきりわかる「旧約聖書」のあらすじ
      ・・・・こうしてカナンの地に「一神教」は生まれた!
第2章: 意外なエピソードも満載!「新約聖書」のあらすじ
      ・・・・なぜキリスト教は「世界宗教」に脱皮できたのか
第3章: 「聖書」がわかれば、世界がわかる!
      ・・・・歴史、名画、音楽を「見る目」が深くなる
第4章: 裏聖書に「封印された」驚きの真実
      ・・・・「正典」では絶対に認められないエピソード!
第5章: 「聖書」をめぐるミステリアスな話
      ・・・・今も世界中で起きている「不思議」と「奇跡」

    

仕事と日 ヘシオドス

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「神統記」に引き続き、ヘシオドスの「仕事と日」を読了しました。

仕事と日
著:ヘシオドス 訳:松平千秋  岩波文庫

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餓えをしのげるよう神々が我々に与えたもの、それが仕事すなわち農耕である。  こうヘーシオドスは説き、人間が神ゼウスの正義を信じ労働に励まねばならぬことわりを、神話や格言を引きつつ物語る。  古代ギリシアのこの教訓叙事詩からは、つらい現世を生き抜く詩人の肉声が伝わってくる。  『ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ』を付載。  (文庫本表紙より転載)

上記表紙に書かれた文言通り、これって「教訓詩」なんですよね~。  まあ、言ってみればできの良い兄ちゃんが遺産相続問題なんかであれこれゴタゴタの続く怠け者(?)の弟への説教・・・・とでも言いましょうか。  そうであるだけに、当時の勤勉な人々がどんな生活を送っていたのか?はとってもよくわかる物語(?)だと思いました。  

読んでみてかなりビックリだったのは、あの子供時代に慣れ親しんだ「パンドラの箱」の逸話がここに出てきたことでした。  よくよく考えてみるとギリシャ神話の数々の物語の中であのお話しほど説教くさい話はなかったわけで、なるほどなぁと1人納得していました。


神統記 ヘシオドス

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昨日のエントリーでもお話ししたとおり、図書館から借り出してきている本の続きを読むべきか、はたまた一旦ギリシャ神話シリーズ(?)を制覇すべきか、色々迷ったのですが、ここはやっぱりギリシャ神話シリーズに埋没する日々を送ってみるのも悪くないだろうとの結論に至りました。  とくにこういう神様がいっぱい出てきて、誰が誰だかわからなくなってしまうような物語は眠気と戦わざるを得ない「野良仕事シーズン」には絶対に読み進めることができません。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

神統記
著:ヘシオドス 訳:廣川洋一  岩波文庫

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ホメロスと並ぶ最古の叙事詩人ヘシオドスが唄いあげるギリシア諸神の系譜。  宇宙の始源、太古の神々の生誕から唄い起こし、やがてオリュンポスの主神ゼウスが、凄惨な戦いののち、ついに世界の統治者として勝利と栄光を獲得するに至るまでを力強く物語る。  ギリシア神話、宇宙論のもっとも基本的な原典。  (文庫本表紙より転載)

いわゆる「聖典決定版」にあたるものが存在しないギリシャ神話。  子供時代から数多の編纂もので親しんできたギリシャ神話の一つ目の原典にあたる「神統記」にまずは手をつけてみました。  実はね、この「神統記」。  KiKi は学生時代に一度は手にしたことがあるんですよ。  でも神様の家系図みたいな構成で羅列される名前の多さにうんざりとして、結局途中で放り出してしまったという前科があったりします。  今回は、せっかくの機会なので放り出さずにちゃんと最後まで読了したものの、その読み方としては結果的に雑なものになってしまいました。

詩の形態で書かれているため、言葉のリズム(のようなもの)を味わうことはできました。  そしてそのリズムを感じ取ろうとすると、恐らくこれが古代ギリシャ語で、尚且つオリュンポスの9人の詩歌女神(ムウサ)が語るという舞台か何かであれば、あのコーランの朝晩の祈りの言葉同様に、厳粛かつ音楽的なものなんだろうなぁと感じることができたように思います。  又、ところどころにあった挿話的な物語(ウラノス;父とクロノス;息子のあれやこれやとか)はじっくりと堪能することができました。  でも、本書の大半を占める「どの神様とどの神様が添寝して誰が生まれて」というあたりは正直、斜め読みになってしまいました ^^;  だって、やっぱりどう頑張ったってそこはつまんないし、覚えられるわけもないんだもの・・・・・。


稲刈り後の筋肉痛のため、立ったり座ったり & 階段の上り下りにとんでもなく苦労している今朝の KiKi です。  腰や肩・腕はどうってことないんだけど、とにかく太ももが痛くて痛くて、椅子に座るのは辛うじてOKなんだけど、床に直に座るとか布団から起き上がるな~んていう動作が90近くのおばあちゃん並みのたどたどしさ・・・・ ^^;  これで腰の曲げ伸ばしができなかったら間違いなく、昔懐かしい「おばあちゃんの立ち姿」になってしまうところです。  いや~、やっぱり日頃の運動不足の効果(?)覿面ですねぇ。  一昔前の KiKi ならいざ知らず、Lothlórien_山小舎暮らしを始めてからはもうちょっとは「肉体鍛錬」ができていたんじゃないかと期待していたんだけど、まだまだ修行不足ということのようです。  ま、そんななか、本日の KiKi の読了本はこちらです。

はじめてのギリシア悲劇
著:丹羽隆子  講談社現代新書

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人間の深層心理を切り取った最古のドラマが放つカタルシス。  西洋的教養の源泉をいきいきと読み解く。  (新書本表紙より転載)

う~ん、これはビミョーな本ですねぇ。  KiKi の場合、既に蔵書入りしていながらもその厚さからなかなか手を出せずにいるちくま文庫の「ギリシア悲劇 全4巻 (第1巻:アイスキュロス、 第2巻:ソフォクレス、 第3~4巻:エウリピデス)」への1つの弾みにでもなれば・・・・・ということで図書館から借り出してきた1冊だったんだけど、そういう意味では大正解の1冊でした。  と言うのも、

ああ、これを読むんだったら、ギリシア悲劇本編を読んだ方がいいかも・・・・・

と思わせてくれる内容だったからです。  と言うのもね、数あるギリシア悲劇から17編を選んでその「あらすじ」らしきものが抜粋されている部分がこの本のメインパーツなんだけど、正直なところその抜粋の仕方の問題なのか、あらすじのまとめ方の問題なのか、正直なところ KiKi には「う~ん、この程度の内容の話なんだろうか?」と感じられちゃうことが多かったんですよね。  要は昼ドラ的なまとめ方になっているというか、表層的な感じがしちゃうというか・・・・・ ^^;  

とは言っても「プロローグ」部分に書かれているギリシア悲劇成立の背景とか、上演された舞台や形式の解説、三大詩人のプロフィールなんかは、かなり有益な情報だったし、全部で4つ掲載されているコラムとその前に置かれた神々や古代王家の系譜な~んていうあたりは、KiKi には嬉しい部分で悲劇本編を読むだけではわからないことのイメージが膨らんで、得した1冊という印象もあったりするんですよ。  

ま、要するに、これは当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれないけれど、「ギリシア悲劇」そのものは人様のフィルターを通された「あらすじ」を読むようなものではない・・・・ということなのだろうし、逆にそれらの作品そのものではなく、それらの劇がどんな時、どんな場所で、どんな風に演じられたのかというあたりはこの手の解説本がなければ、現代の劇場で演じられる演劇との違いがわからない。  つまり両方を知ることによって、ようやく全体像が見えてくる・・・・・・そういうことなんだろうなぁと感じました。

約2年前、KiKi は阿刀田高さんの「古典に親しもうシリーズ(?)」を連続して読んでみたことがありました。  その時購入してあったものの長らく積読状態だった本を読了しました。  てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

コーランを知っていますか
著:阿刀田高  新潮文庫

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遺産相続から女性の扱い方まで厳格に、でも驚くほど具体的に、イスラム社会を規定する『コーラン』。  日本人には理解しにくいと言われるこの書も、アトーダ流に噛み砕けばすらすら頭に入ります。  神の言葉『コーラン』は、実は後悔しない人生を送るための親父の説教みたいなものなんです。  イスラムとの協調が絶対不可欠な、今だからこそ読みたい『コーラン』の、一番易しい入門書。  (文庫本裏表紙より転載)

前回、アトーダ流「古典に親しもうシリーズ」を読んだ時、既に購入済みだったにも関わらずこの本だけは残してしまったのは偏に「アトーダ流親父ギャグ」にちょっと疲れちゃったからでした。  イマドキの日本人にとってこの手の生真面目原典はあまりにも敷居が高い部分があるのはわかるし、その垣根を取っ払って「まずは知ろうとしなくちゃ始まらないじゃない!」という熱意故の文章であることはわかっていたんだけど、それでも連続して読んでいるとちょっとねぇ・・・・・ ^^;  過去に読んだ「ギリシャ神話」や「ホメロス」、「聖書」あたりは一応英文学を学んだ身にとっては比較的近しい存在だったから、尚更その辟易感が強かった・・・・・というのもあったと思います。

もっとも、この「古典に親しもうシリーズ」の中で KiKi が本当の意味で楽しみにしていたのは既に読了済みの「楽しい古事記」とこの「コーランを知っていますか」の2冊で、いきなりそこに着手するときついかなぁ・・・・ということで馴染みのある「ギリシャ神話」やら「ホメロス」に手を出したといういきさつがあっただけに、この「コーランを知っていますか」は満を持しての登場ということになります。

古事記 梅原猛

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岩波少年文庫の「古事記物語」で古事記への敷居をぐっと下げたところで、もう何冊か積読状態になっている「古事記関連本」を読んでみようと思います。  てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

古事記
著:梅原猛  学研M文庫

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「古事記」の撰者は藤原不比等である。  稗田阿礼という人物は、藤原不比等以外に考えられない。  「原古事記」には柿本人麿もかかわっていたのでは?  このような大胆な仮説を裏付けるべく、梅原猛が初めてその「古事記」の現代語訳に挑戦した記念すべき作品。  アイヌ語は縄文時代ゆかりの日本語の祖語と考える著者は、アイヌ語を学びなおして、「枕詞」など従来読み解けなかった難解な文章の意味を明らかにしていく。  (文庫本裏表紙より転載)

これはある意味で不思議な本ですねぇ。  前半部分は古事記の現代語訳、後半部分は「古事記に学ぶ」と題された梅原先生の研究論文の草稿(まだとっかかり状態で、学説になる前の所感のような雰囲気)で構成されています。  で、裏表紙に書かれている(↑)、この何とも興味深い新説に関して触れられているのは後半部分なんだけど、そこもある意味でまだ完成された状態ではなく、この説を実証するために様々な試みを用いて「古事記」を訳してみたのが前半部分・・・・ということのようです。

でね、一言一句比較してみたわけじゃないんだけど、古事記全文を取り扱っているわけではないような雰囲気なんですよね~。  取り扱っている話題自体は岩波少年文庫の「古事記物語」とほぼ同じ。  で、こちらの方が好ましいのは「古事記物語」の Review に書いた歌謡部分に関して、現代語訳した詩だけではなく、読下し文が併記されていること・・・・ぐらいでしょうか?

例の「八雲立つ」の歌はこの本では以下のように紹介されています。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(多くの雲が立っている。  その雲が多くの垣根のように、わたしの家を取り巻いている。  その中に、わたしは妻を取りこめる。  ああ、雲が垣根をつくっている。  多くの多くの垣根をつくっている。)

古文の現代語訳作品には多い翻訳の形で馴染みがある・・・・ということもあるとは思うんだけど、歌そのものを楽しめるうえに、意味もわかる、こういう形で紹介されている本の方がどことなく安心できるような気がするのは気のせいでしょうか?

 

古事記物語 福永武彦

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先日はこんな本を読んじゃったし、思い起こせば1年ちょっと前にはこんな本を読んでいたことでもあるし、そろそろ本命(?)のこちらに手を出さないわけにはいきません。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

古事記物語
著:福永武彦  岩波少年文庫

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「古事記」は、8世紀に我が国でいちばん初めに書かれた書物です。  スサノオノミコトの大蛇退治、イナバの白ウサギ、海幸と山幸、ヤマトタケルノミコトの冒険など、日本民族の息吹きをいきいきと伝える神話が大らかに語られます。  (岩波書店HPより転載)

これは「古事記入門書」としてはかなり読みやすい本だと思います。  おおまかなエピソードはほぼ網羅されているし、神様の名前もちゃんとカタカナ表記の後に漢字フリガナ(? 音だけで選ばれた当て字っぽいのも多いけど)付きだし・・・・。  古事記に出てくる神様 & 天孫の名前って、カタカナやヒラガナだけで表記されちゃうと、舌を噛みそうになっちゃううえ、古代日本人が抱いていたその人のイメージ・・・・みたいなものが伝わってこないと思うんですよね。  その顕著な例が天照大御神とか大国主命だと思うんですよ。  漢字だけであの読み方(アマテラスオオミカミ オオクニヌシノミコト)はなかなか結びつかないけれど、この漢字を読めば天照大御神が日の神であることは明白だし、大国主命が国造りの神様であることもスンナリ理解できます。

難点をあげるとすれば、古事記に記されている歌謡(と言うか和歌)の部分が現代詩っぽい文章に書き換えられているということ。  これも歌謡のままだと何を歌っているのかスンナリとはわからないから訳文は必要なんだけど、ここまで詩の形に変形されちゃうと赴きに欠けるというか、別物になってしまうというか・・・・・。

例えばとっても有名なスサノオノミコトの「八雲立つ」の歌だけどこんな感じです。

原文: 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
     ( ↑ 意味がわからないだけじゃなく、そもそも読めない ^^;)

読下し: 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
     ( ↑ 一応読めたし音の美しさは味わえるけど、意味がはっきりとは理解できない ^^;)

この本: 雲のわき出る出雲の国に、七重八重に雲はわく、八重のかきねをめぐらすように。  わたしと妻とはその中に。
     ( ↑ どんな歌を歌ったのか意味だけははっきりわかるけれど、これがあの有名な「八雲立つ」という歌であることがわからない ^^;) 

まあ、現代人にとっては日本語でありながら日本語ではない、不思議な書物をここまでわかりやすく、楽しめるものにしてくれているというだけでありがた~く思わなくちゃいけないんだろうとは思うんですけどね。

   

KiKi は学生時代、新書というヤツが大好きでした。  幅広い分野を扱っているということと言い、専門書なんかに比べると平易で読みやすい文体であることと言い、要するに「ちょっと気になった事柄」に関して、コンパクトにまとめられていて、そして要領よく(効率よく?)知った気分になるにはピッタリの本だったからです。  特に大学生になると学校で学ぶことは専門性を増してくるようになり、いわゆる一般教養的なものを補うにはちょうどよい媒体だと認識していました。  因みに、この新書、我が日本でのスタートはご多聞にもれず「岩波新書」だったらしいのですが、岩波さんによれば「古典を収録する岩波文庫に対し、岩波新書は書下ろしを中心として、『現代人の現代的教養を目的』とした」とのこと。  因みに新書の定義は

  • カバーや見返しの有無に関係なくペーパーバックスである
  • 判型はB6判より小さい40判(B全判から片面40ページが取れる大きさ)が基本だがその変形もある
  • 初版部数がある程度見込まれる廉価本で、ページ数は200前後
  • 定期かつ継続的に出版できる一般啓蒙書で読みやすさを重視
  • 書下ろしが原則で、対称とする分野は各種の解説・読物から随想まで間口は広い
  • 単発的なベストセラー狙いではなく、どちらかといえばロングセラーを指向

というのが現在の一般的な認識なのだそうです。  で、その新書。  学生時代~30代前半頃までは大好きだったにも関わらず、その後、めっきり読まなくなってしまいました。  一般啓蒙書で読みやすさを重視はいいんだけど、何となく中身が薄っぺらに感じられるようになってきちゃったんですよね~。  まあ、本の厚さ自体がせいぜい200前後となれば、濃密なものを期待する方が間違っている・・・・とは思うんだけど、何て言うか「ああ、どこかで読んだことがあるような気がする・・・・」ということがこれまたサラッと書かれているだけの本だと読後の満足感に欠けるとでも言いましょうか・・・・。 

で、若いころであれば自分が不得手とする分野に関してでも「恥ずかしくない程度には知っておきたい」という欲があったけれど、40も近くなってくるといわゆる「専門外」のことに関する好奇心が薄れてくるということもあって、勢い、自分がどちらかと言うと得意とする分野の本を手に取る機会が増え、そうなると「ああ、それ知ってる」ということが多くなってくるので、尚更その内容の薄っぺらさが気になるようになるんですよね。  ま、てなわけで最近では滅多に新書を買わなくなった KiKi なのですが、今回ついつい手を出してしまった本を本日読了しました。  

古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎
著:瀧音能之  青春新書

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神話はあくまでも神々の話であって、現実の歴史ではない。  しかしながら、神話の中に、古代人のさまざまな考えが入り混じっているのも事実である。  本書では、『古事記』や『日本書紀』を中心に神話の楽しみ方を案内しながら、同時に、古代人の思考や、古代社会の実態にも迫ってみたい。  (新書扉より転載)

なるほど、そんな意味が隠されていたのか!  スサノオの高天原追放に見え隠れする編纂者の「意図」。  「風土記」とは舞台も展開も違う「国譲り神話」の謎・・・・  遺された神々の「痕跡」が物語る古代日本の実像  (新書帯より転載)

 

ケルトの白馬 R.サトクリフ

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昨日、KiKi はLothlórien_山小舎から一番近い図書館へ行ってみました。  村のHPをネットで見ていたらこの図書館の紹介が載っていたので、これは1度立ち寄ってみる必要があるだろう!と思って早速出かけてみたっていうわけです。  (そのご紹介エントリーは後刻アップします。)  で、せっかく行ってみたのでついでに本も借りてきました。  都会の図書館と比べると本の痛み加減が全然違うのが何だか新鮮でもあり、嬉しくもあり・・・・・(笑)。  蔵書数ではさすがに都会の図書館には叶わないかもしれないけれど、気持ちよく利用できるという意味ではこちらの図書館の方に軍配があがるかもしれません。  ま、いずれにしろ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

ケルトの白馬
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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イギリス、バークシャーの緑なす丘陵地帯には、地肌の白い土を露出させて描いた、巨大な白馬の地上絵がある。  古代ケルト人の手になるその地上絵は、力強く美しく、悠久の時を超えて命の輝きを放っている。  なぜ、どのようにして、この「アフィントンの白馬」は描かれたのか。  カーネギー賞受賞作家サトクリフが、今はもう忘れられた豊かな物語を紡ぐ。  (単行本扉より転載)

実は KiKi はサトクリフ作品っていうのは正直なところ苦手意識があったりします。  まあ、初めてサトクリフ作品に出会った頃には、まだまだ KiKi が幼すぎたせいもあるんだろうと思うんですよね。  なんていうかお子ちゃまにはちょっと物足りないワクワク感・・・・とでも言いましょうか。  「ドキドキ感はあってもワクワク感が湧いてこない作家」というのが長らく KiKi が手前勝手に描いていたサトクリフ作品に対する評価でした。  これはたまたま当時の KiKi があれやこれやと忙しすぎて、読書が絶好の睡眠剤だった時代だったから・・・・とも言えるかもしれません。  そこそこドキドキはさせてくれるんだけどワクワクしてこないので、数ページで睡魔が襲ってくる・・・・・そんな作家の筆頭だったんですよね~(苦笑)。

ま、そんな KiKi が今回この本に手を出してみたのは、このあまりにも美しい表紙の写真(「アフィントンの白馬」)に思わず目を奪われたから・・・・・でありました。  東京でも同じ本は図書館で何回か見ているんだけど、残念なことに結構ボロボロで、惹かれるものはありつつもなかなか食指がうごかなかったんですよ ^^;  第一、苦手意識のあるサトクリフだし・・・・・。  ところがこちらの図書館ではこれが新品か!と思えるほどピッカピカの本だったんですよ。  で、その美しいままの状態の本でこの写真を見ると、もともと興味は持っていた本であっただけにこれは読まずにはいられない!・・・・と。  で、ついでにこの本と同時に何冊か、過去に睡魔と闘いつつとりあえず読み通したような記憶があるものの内容はほとんど覚えていないサトクリフ作品を借りてきました。

 

日本霊異記 水上勉

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先日「リビイが見た木の妖精」と一緒に図書館から借りてきた、現在絶版中の岩波少年文庫を読了しました。

日本霊異記
編:水上勉  岩波少年文庫

2010_Oct29_001.JPG (Amazon)

もの言うしゃれこうべ、牛に生まれ変わった人、死後の世界を見てきた人...。  奈良時代の摩訶不思議なできごとを、善行・悪行にはそれぞれの報いがあるという仏教の考え方をとおして語りかける物語41編。  (文庫本扉より転載)

う~ん、なかなかビミョーな物語だなぁ・・・・・^^;  これを読んでいて最初に思ったこと。  それは「ああ、このビミョーな感じが KiKi に日本文学より英文学を選ばせた理由だったなぁ・・・・・」と。  まあ今にして思うとそれは日本文学 vs. 英文学という対比ではなくて、説教臭い物語 vs. ワクワク・ドキドキさせてくれる物語という対比なんですけどね。  編者の水上さんがあとがきでおっしゃっているように、この「日本霊異記」という物語は薬師寺のお坊様が仏教思想を民間に根付かせるために、日本各地に伝わる説話を収集してそれに説教をくっつけた物語という成り立ちであるがゆえに、どうしても説教臭くなっちゃうんですよね~。  で、その説教臭さが何となくうざったいんですよぉ ^^;  極論すれば、最後の数行がなければもっと楽しめる物語だと思うんですけどね~。

さすがに奈良時代にあった各地の説話をベースにしているだけに、かの時代の日本人(一般人)がいかに貧しく、生と死が隣り合わせの世界に生きていたのかはヒシヒシと感じられます。  そしてそんな「生きること、生き抜くこと自体がある種の偶然であり、それが楽なことではないだけに、精神的支えが必要だった」という時代背景には改めて気がつかされます。  先日読んだ「チェーザレ 破壊の創造者」でチェーザレが堕落したキリスト教世界を嘆くセリフがあったけれど、それと大差ない世界がここにもあるなぁ・・・・と感じずにはいられません。  要するに現世での苦しみを救うための抜本的な解決法が提示されているわけではなく、前世・来世とか、死後の世界がどうしたこうしたという教え。  生きることが困難であっただけに「生き抜くためには何でもアリ」となりがちな人間を戒めるための教えという意味ではどんな宗教も似たり寄ったりだなぁ・・・・と。

 

今月から始めた「松岡正剛千夜千冊フォロー企画」。  昨日の第1夜に引き続き、今日は第2夜です。

松岡正剛千夜千冊 第2夜
ペガーナの神々
著:ロード・ダンセイニ 訳:荒俣宏  ハヤカワ文庫

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この世が始まるより以前のこと。  <宿命> と <偶然> が賭けをし、その勝者が絶対者の許に赴いて、こう言った - 「われのために神々を創れ」と。  かくて、この世のありとあらゆる存在が <宿命> と <偶然> のたわむれによって造られ、人間は <死> の猟犬 <時> に狩りたてられて神々に呪詛の言葉を吐きかける!  異境の神々の創造と黄昏を雄大に描いた表題作ほか、詩的イメージと神秘的美意識が結晶した「時と神々」を収録。  (文庫本裏表紙より転載)

昨日に引き続き、今日のこの本も幸いなことに KiKi の蔵書の中にありました。  このブログ、 Lothlórien を開設し「岩波少年文庫」と「神話・伝承」関係を読書カテゴリーの主軸に置こうと決めた時に、図書館で借りて読んだことはあっても蔵書が少なかったケルト系・妖精系の本を少しずつ集め始めたのですが、その中の1冊がこの「ペガーナの神々」でした。

なんて言うか不思議な物語ですよね~。  どことなくもや~っとしている世界観。  配置されている登場人物(と言っていいんだろうか??  ほとんどが神様なんだけど・・・・ ^^;)の階層だけはものすご~くはっきりくっきりしているんですけど、それ以外はもやもや~っとしているんですよ。  そのはっきりしている階層構造は簡単に言うとこんな感じです。

<マアナ=ユウド=スウシャイ> → < ペガーナの神々> → <地霊たち> → <人間の預言者> → <地球上に生きる普通の人間など>

こんなにはっきりした構造にも関わらず全体的にもやもや~っとしている一番の理由はそもそもこのヒエラルキーの中でトップに位置するはずの「マアナ=ユウド=スウシャイ」が冒頭でペガーナの神々を創る以外はこれと言った仕事もせず、スカアルという鼓手の叩く太鼓の音を BGM にただひたすらまどろんでいると言うこと!(笑)  ある意味で唯一絶対の存在であってもおかしくないポジションにいながら、ひたすら惰眠(と言うと言い過ぎかもしれないけれど)を貪っちゃっているのです。  もっともその「マアナ」であってさえしても絶対なのかどうかがはっきりしないのは、「宿命」と「偶然」の賭けの結果に従うだけの存在だということなんですよね。  

で、その「宿命」か「偶然」のどちらかのリクエストに従って「マアナ」は「ペガーナの神々(≒ 小さな神々)」を創造するんだけど、「宿命」が勝ったにせよ「偶然」が勝ったにせよ、賭け事による勝敗で「マアナ」への働きかけが行われたということは、世界創生の理由そのものからして曖昧だっていうことだと思うんですよね。  そうやって創られた神々もこれまたよくわからない神々で「戯れに」世界やら命やらを創り始めるんですよ。  で、この「戯れ」には「マアナが目覚めるまで」というタイムリミットがあって、もしも「マアナ」が目覚めてしまうと「モトイ!」とばかりに新しい世界と新しい神々が創造され、古い世界と古い神々を消し去ってしまうのだそうな・・・・。  だからペガーナの神様たちは押し黙ったまま手話で世界を創造するのだそうです。  で、挙句の果てに作者はこんなことまで言うのです。

数え切れないほどある下界と天界は、どれもこれもがこのスカアルの打ち鳴らす太鼓の音の谺(こだま)にすぎないのだ、とある者は言う。  またある者は、それら大地と星々とは、ちょうど歌声に眠りを乱された人が不思議な夢を結ぶのと同じことで、マアナがスカアルの鳴らす太鼓にうながされて結んだ、ただの夢にすぎないのだ、と言う。  けれど、どちらが嘘で、どちらが本当かは誰にもわからない。

この世が「マアナ」なるものの夢に過ぎず、「マアナ」が目覚めると共に消えてしまい、同時に神々も人々もすべてが虚しい戯れに過ぎないということは、ある意味で、約束されている終末にひたすらに向かっていくのが、神々と私たち人間とで行われる事々ということだと思うんですよね。  幻想的でもやもや~っとしていて全てが霧の中にあるような、薄絹ごしに透けて見えるような世界なんだけど、パステルチックなホンワカとしたやわらかさに包まれた世界というのとは全く異なって虚無感が支配している世界。 

神曲 煉獄篇 ダンテ

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さて、ちょっとペースダウンしてしまっていたのですが、ようやく「神曲 煉獄篇」を読了しました。  いや~、ここは結構辛かったです。  必ずしも面白くなかったわけではないのですが(とは言うもののおしまいの方は面白くなかったけれど・・・・ ^^;)、先日もこのエントリーでお話したように、そもそも KiKi にとっては「地獄」と「天国」はそれでもまだ馴染みのある概念なんだけど、「煉獄」っていうやつだけは正直「何?  それ???」っていう感じなんですよね~。  ま、とにもかくにも本日の Review はこちらです。

神曲 煉獄篇
著:ダンテ 訳:平川佑弘  河出文庫

51CzOuOd1VL__SL500_AA300_.jpg (Amazon)

二人の詩人、ダンテとウェルギリウスは二十四時間の地獄めぐりを経て、大海の島に出た。  そこにそびえる煉獄の山、天国行きを約束された亡者たちが現世の罪を浄める場である。  二人は山頂の地上楽園を目指し登って行く。  永遠の女性ベアトリーチェがダンテを待つ。  清新な名訳で贈る「神曲」第二部煉獄篇。  (文庫本裏表紙より転載)

まずは「煉獄って何?  どこ??」という疑問を払拭しておかないと、とにかく先には進めそうもないので、Wikipedeia で調べてみると、こんな説明が載っています。

煉獄(れんごく、ラテン語: purgatorium)とは、キリスト教、カトリック教会の教義のひとつ。

カトリック教会においては、神の恵みと神との親しい交わりとを保っていながら完全に清められないままで死んだ人々は、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化の苦しみを受けるとされており、この最終的浄化を煉獄という。  第2バチカン公会議以降の教会の現代化の流れにより、現代のカトリック教会においても煉獄について言及されることはほとんどない。

煉獄の教義は、教会の東西分裂以降のカトリック教会にて成立した。  このような経緯もあり正教会では煉獄を認めない。  またプロテスタント教派もルターを始めとして煉獄の教義を認めない。  古くは「浄罪界」とも訳される。

地獄は救いの無い場所天国は罪の一切無い場所と定義されるが、煉獄はキリスト者として罪の贖いを受けて救済を約束されていながら、小罪および罰の償いが残っているため、浄化を必要とする者のためにある場所と考えられている。  聖書に具体的な記述があるわけではないが、「マタイによる福音書 12章32節」において、後の世で赦される可能性が述べられていること、および、「マカバイ記 2の12章43節」において、罪を犯した死者のために執り成しの祈りを認めていることを根拠にしている。  カトリック教会は死者のための祈りのほか、死者のための施し、免償、償いのわざを勧めている。  煉獄における救済は、聖母マリアおよび諸聖人の執り成しによるとされる。  (Wikipedia より転載)

なるほどね~。  「煉獄における救済は、聖母マリアおよび諸聖人の執り成しによるとされる」から、ここにいる人たちはすすんでダンテに身の上を語り、現世に残された縁者の祈りを必要とするのでその言伝をダンテに託し、さらにはダンテ自身が最終的にはここでベアトリーチェに出会うという「神曲」のおおまかなコンセプトを決定づけているわけですねぇ。

それにしてもキリスト教の教義によって煉獄を認めたり認めなかったりというぐらいだから、キリスト教徒ではない KiKi にとってこの「煉獄」という概念がわかりにくいのも無理はないですよね。  だいたい、この「煉獄篇」の描写なんですけど、確かに地獄ほどは迫力がないものの結構「地獄まがい」のおどろおどろしい場面もあったりして、「地獄と何がどう違うんだろう??」と思ってしまう場面もなきにしもあらず・・・・・。  まあ、同時に美しい森があったり、清々しい風が吹いていたりもするので尚更のこと「正直よくわからない場所だなぁ・・・・」と。

そこでもう少しだけ「煉獄調査」を進めるために、敢えて「マタイによる福音書 12章32節」と「マカバイ記 2の12章43節」を(そこだけを)読んでみるとこんな感じです。

「マタイによる福音書 12章32節」
人の子に言い逆らう者は許される。  しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも許されることがない。  (新共同訳 聖書より転載)  

「マカバイ記 2の12章43節」
次いで、各人から金を集め、その額、銀二千ドラクメを贖罪の献げ物のためにエルサレムへ送った。  それは死者の復活に思いを巡らす彼の、実に立派で高尚な行いであった。  (新共同訳 聖書より転載)

う~ん、読めば読むほどよくわからん・・・・・・ ^^;  ま、いっか・・・・・。 

神曲 地獄篇 ダンテ

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さて、本日はようやくここにたどり着けました・・・・の、「神曲」です。  いや~、ここに辿りつく前に「チェーザレ」の Review を書いていた頃は「いつになったらメインの『神曲』にたどり着けることやら・・・・」とちょっと気弱になったりもしていたのですが(あの漫画の Review が大変だったということではなく、「神曲」自体が3冊組だし、比較的厚めの文庫本だしということで・・・・ ^^;)、ようやくたどり着けたというだけで感無量です。  そして、KiKi はこれまでの人生で3回ほど「神曲読破」に挫折しているだけに、ちょっと恐る恐るという感じで手に取りました。  でもね、今回は挫折しませんでしたよ~、まだ第一部だけだけど・・・・・(苦笑)  ま、てなわけで「神曲 3部作」の第1部、「地獄篇」の Review です。

神曲 地獄篇
著:ダンテ 訳:平川佑弘  河出文庫

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1300年春、人生の道の半ば、35歳のダンテは古代ローマの大詩人ウェルギリウスの導きをえて、生き身のまま地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出る。  地獄の門をくぐり、永劫の呵責をうける亡者たちと出会いながら二人は地獄の谷を降りて行く。  最高の名訳で贈る、世界文学の最高傑作。  第一部地獄篇。  (文庫本裏表紙より転載)

そう言っちゃなんだけど(ひょっとしたら不謹慎?)、面白かったぁ!!!!  「神曲」というタイトルからして「どこか説教じみた抹香くさい話なんじゃないか?」と思ったり、これまでにチャレンジした難解な文語調翻訳で「う~ん、よっぽど余裕がないとこれは読み終えることができない・・・・・(溜息)」という先入観があったりで、興味を持ちつつもどうしても読み進めることができなかった作品だけど、この平川版の「神曲」は「読み易い」「面白い」「翻訳日本語が美しい」の3拍子 + ギュスターヴ・ドレの挿絵のインパクトであっという間に地獄篇を読み終えてしまいました。  あ、因みにそのドレの挿絵はこちらのサイトで見ることができます。

ギュスターヴ・ドレの挿絵

以前にチャレンジした時はほとんど進まなかったせいもあって全く気がつかなかったんですけど、「神曲」ってコテコテ・キリスト教文学かっていうとそんなことはなくて、KiKi の大好きな「ギリシャ神話」とか「英雄叙事詩」とか「歴史モノ」と親和性の高い作品だったんですねぇ。  ま、そんなこともあり、やはりこの作品を本気で楽しもうと思ったら最低限 「聖書」、「ギリシャ神話」、「ホメロス;イリアス & オデュッセイア」、「古代ローマ史」の基本的知識は必須でしょうねぇ。  ま、これに追加でダンテの生きた時代のイタリア情勢も知っていればさらに面白いのかも!!  もっとも KiKi は凡そそのあたり(ダンテの生きた時代のイタリア情勢)の知識には疎いのですが、それでも微に入り細に入り付してくれている「注釈」のおかげで、とりあえず一読するには何ら不都合は感じませんでした。

また、この本では各歌の前に「平川さんの手による簡単なあらすじ」が付されているのも KiKi にとってはグッドでした。  

今週末のLothlórien_山小舎はお天気に恵まれず、色々気になる野良作業がありつつもほとんど庭や畑に出ることができませんでした。  今年の5月は晴天に恵まれた GW と同じくドピーカンだったその後の週末で「筋肉痛とお友達」状態がず~っと続いていたのですが、ようやくちょっとした小休止といった感じでした。  で、本来ならば「晴耕雨読」の雨読に没頭しているはず・・・・・ではあったのですが、ちょっと大きなお買い物の下見にかなりの時間を費やすことになってしまいました。  その大きなお買い物とはです。  そろそろ買い替え時が来ているということもあるし、KiKi の愛車は都会生活に照準を合わせたいわゆる「シティ・カー」だったので、今後の人生に合わせてそろそろ「山向きの車」「田舎向きの車」に変更しようかな・・・・・と。  ま、てなわけでちょっぴり読書の方がスピードダウンしてしまった週末でした。  そんな中、お布団読書でようやく読了したのがこちらの図書館本です。

背教者ユリアヌス(下)
著:辻邦生  中公文庫

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永遠のローマよ。  日の神は今わが生を見棄てられた!  ペルシア兵の槍に斃れたユリアヌスは、皇帝旗に包まれてメソポタミアの砂漠へと消えてゆく。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載) 

ず~っと昔、KiKi がまだ高校生だった頃、世界史の授業でこのユリアヌス帝時代のローマの歴史に関しては何を学んだのか??  この3冊を読みながら一所懸命思い返してみたのですが、正直なところほとんど記憶の端に浮かんでくるものがありませんでした。  それでも、「背教者ユリアヌス」という言葉だけは漠然と覚えている・・・・・・そんな感じです。  

今回この大著を読むことによって、挿話1つ1つの真偽はともかくとして、人となりに関してはかなり明確にイメージできるようになったような気がするし、以前このエントリーでもちょっとだけ触れた、学校時代の世界史の授業では結局のところ理解することができなかった「宗教」と「政治」がどんな風に絡まっていたのかに関してもかなり明確に頭の中が整理できたような気がします。

 

ふと気がつくと5月も終盤。  まもなく梅雨のシーズンです。  中学生の頃、校長先生の訓話の中に「4月の雨は嫌だけど、5月の花を咲かせます。」という言葉があり、長い間そんなことはすっかり忘れてしまっていたけれど、ふいに昨日その言葉だけが思い出されました。  この言葉を用いながらどんなお話をしていただいたのかは残念なことに思い出すことができないのですが、とても心に残る言葉だと思います。  因みに「マザー・グース」には、これに似たこんな歌があることを大学生の頃に知り、この歌に出会ったときもその校長先生のことを懐かしく思い出しました。

  March winds and April showers
  Bring forth May flowers.

「三月の風と四月の雨が、五月の花々を咲かせる」というほどの意味でしょうか。  又、イギリスに暫く滞在していたとき(これも大学生の頃)、これに似たような言い回しの言葉をホームステイしていたお宅のお母さんから聞き、その時も新鮮な驚きを感じると共に、その校長先生のことを薄ぼんやりと思い出したこともありました。

  A windy March and a rainy April make a beautiful May.

「三月の風と四月の雨が美しい五月をつくる」というほどの意味ですよね。  どうしてこんなことをふいに思い出したのか・・・・・。  それはたまたま今が5月の下旬であるということもあるように思うのですが、同時に本日読了した「背教者ユリアヌス(中)」の中に描かれるユリアヌスの姿に、どことなく「青臭い」ものを感じ、同時にその「青さ」に似たものを持っていた自分への郷愁のようなものがあったから・・・・・のような気がします。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

背教者ユリアヌス(中)
著:辻邦生  中公文庫

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けがれなき青年の魂にひたむきな愛の手をのべる皇后エウセビア。  真摯な学徒の生活も束の間、副帝に擁立されたユリアヌスは反乱のガリアの地へ赴く。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載)

凡そ実務肌の人間とは思えなかったユリアヌス、学究肌で理想主義者というイメージのユリアヌスが最大の危機(皇帝への反逆罪の嫌疑をかけられたこと)を乗り越え、本来なら片腕として頼みたいはずの人々に恵まれない中、混乱のガリア平定で着々と成果を挙げる姿を描いているこの中篇。  ユリアヌスの度を過ぎているように見えなくもない「御人好しさ加減」にハラハラし、現実世界に生きつつも相変わらず理想主義を貫いている姿に惚れ惚れとし、文字の小ささ & Volumeの多さを苦ともせず、あっという間に読了してしまいました(笑)。

 

本日の読了本も図書館本です。  おとぎ話、神話、ファンタジー、叙事詩、英雄伝、そして歴史物。  KiKi の読書嗜好はこれらのジャンルに偏っているようなところがあるのですが、日本人の書いた歴史物の中でもかなり大きなインパクトをもってその存在を認知しつつ(何せ文庫本3冊なので・・・・・ ^^;)、でも所詮日本人が書いた西洋史ものなんだよなぁというミョウチクリンな懐疑の目を向けつつ、長い間ず~っと気になっていた本の第1巻(上巻)を読了しました。

背教者ユリアヌス(上)
著:辻邦生  中公文庫

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ローマ皇帝の家門に生まれながら、血をあらう争いに幽閉の日を送る若き日のユリアヌス。  やがて訪れる怒涛の運命を前にその瞳は自負と不安にわななく。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、久々に「本らしい本」を読んだ!  そんな感じです。  あ、もちろんこれまでず~っとこのブログで取り上げてきた本たちが「本らしくない本」だと思っているわけではないんだけど、ある意味で気楽に楽しく、まるで日常会話を楽しむが如く読めちゃう本だったのに対し、この本はどこか居住まいを正して読まなきゃいけない本っていう感じです。  でもね、それは「読みにくい」とか「わかりにくい」とか「格調が高すぎる」ということではなく、ものすご~く引き込まれるし、スラスラ読めちゃうんだけど、でも何かが違うんですよね~。

ま、これはひょっとしたら久々に小さな活字の本だったから・・・・・なのかもしれないんですけどね(笑)  最近では老眼鏡のお世話になっている KiKi にとって、活字が小さいというのは中身はともかくとしてそれだけで正直「うへぇ~!」っていう感じがするんだけど、この本もご他聞にもれず、そんな本なのです。  これで KiKi の心の中に「前から気になっていた」というフックがなかったら、「無理!」と最初から読むのを諦めてしまったかもしれません。

でもね、最初のうちこそは字の小ささに若干辟易としていたのですけど(何せ、目が悪くなってきたところへもってきて、KiKi の読書タイムは基本的にはお布団の中、寝る寸前なので ^^;)、10ページぐらい読み進めたところでもうそれは「気にならないこと」「瑣末なこと」になってしまいました。  それぐらい引き込まれて先へ先へと読み進めていくことができました。

北欧神話 P. コラム

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せっかく「リング祭り」を開催(?)しているので、それに因んで、今日はこちらの本をご紹介したいと思います。  ワーグナーが「リング」を構成するにあたり、その原典を求めた「ゲルマン神話」「ゲルマン伝説」の1つ、北欧神話の「エッダ」をコラムというアイルランドの詩人でもあり、劇作家でもある方が「子供にもわかりやすく再話、再構築した物語」、北欧神話です。

北欧神話
著:P. コラム 訳:尾崎義  岩波少年文庫

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神の都アースガルド。  威厳にみちたオージン、力自慢のトール、いたずら好きのローキ、美しい首飾りとひきかえに夫を失った女神フレイヤなど、個性的な神々の活躍を描きます。  「エッダ」に基づいて書かれた少年少女のための北欧神話。  (文庫本裏表紙より転載)

 

今、KiKi はこれと並行して「エッダ」を読み進めているんですけど、あちらは韻文テイストを残している上に、ところどころ欠落部分があったり、話があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしているのに比べて、こちらは組み立て直しが行われているのでスンナリ読めるところが楽チンです(笑)  実はこの本は KiKi は子供時代から何度も読んでいるので、北欧神話のスタンダードは KiKi の中ではこの本になってしまっています(笑)

KiKi はね、子供時代は「神話」って大好きで、当時図書館で手にすることができるありとあらゆる神話を読み耽っては想像をたくましくしていたようなところがあるんですけど、成長するにつれて、神話と宗教の関係性(?)がよくわからなくなっていっちゃったんですよね~。  で、同時に特定の宗教に帰依していないということもあって、自分を無神論者だと思う時期があったり、一神教を胡散臭いと思う時期があったりして、30代に入ってからまた神話の世界に惹かれるようになって・・・・・という感じで「神話」とお付き合いしてきています。

そんな「神話とのお付き合い」の中で、KiKi は北欧神話ってギリシャ・ローマ神話とかエジプト神話以上に惹かれるものがあるんですよね~。  エジプト神話の神様っていうのはやっぱり神様然としていると思うんだけど、ギリシャ・ローマ神話の神様も北欧神話の神様も、神様ではあるんだけど神々しいだけじゃなくて人間臭い・・・・・というか、欠点もいっぱいあって親しみが持てるところがいっぱいあると思うんですよね。  でも、ギリシャ・ローマ神話の神様はどことなく洗練されていて優雅さを湛えているのに対し、北欧神話の神様ってもっと素朴な感じ(野暮とも言える ^^;)がして、およそ完全無欠とは言い難い・・・・・その曖昧さが好きなんですよ。

だいたい神様のちょっとした行為が、その時には目に見えるような何かを引き起こすところまでは至らないのに、結果的に「神々の黄昏」を導いていく・・・・・というのは人間の業にも通じるものがあるような気がして、神話でありながら我が事のように読むことができるというのがかなり特異だと思うんですよね。  神々の長、オージンが自分の片目を捧げてまでして得た「知恵」を持ちながらも、とある出来事で発生した賠償問題で「金・宝」による取引をしてしまう話、その取引の結果として「金・宝」に執着する一度はアースガルドから追放した強欲女の入国を許してしまう話、その女に撒き散らした毒の話、本来であればラグナロクで威力を発揮するはずだった武器を、ひとめぼれした乙女との結婚の代償として手放してしまっていた神様の話、等々が全部ラグナロクに集結していくというのがものすご~く強烈であるのと同時に、金権主義にまみれている今の自分の生活にふと引き寄せて色々なことを考えさせられるし・・・・・・。

 

過去に何度か読み始め、常に途中で挫折してしまった本をようやっと読了したので、今日はそのお話でも・・・・ ^^;  ま、もっとも今回は何とか読了した・・・・・とは言うものの、正直なところ消化しきれていない感は否めないんですけどね~。  でもまあ、読書カテゴリーのデータベース作りと割り切って(?)とにかく何かを記しておこうと思います。

ケルトの神話 女神と英雄と妖精と
著:井村君江  ちくま文庫

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この本の存在を知ったのは KiKi が大学生の時でした。  ケルトに興味を持つようになったのはアーサー王伝説の影響が大きいんだけど、KiKi は必ずしもアーサー王伝説を研究(? っていうより勉強?)していたわけではなかったので、さほど突っ込んで何かを考察してみたことはなかったんですよね。  ただ、あの物語の中でマーリンには強烈に惹かれて、「マーリンはドルイド僧らしい」 とか 「アーサー王の后のグイネヴィアは妖精だという説もある」 とか、そんな話を教授との会話の中で小耳に挟んだことがあって、「ドルイドって何よ?」「妖精って昔大好きだった御伽噺にはいっぱい出てきたけれど、そもそもどんな謂れから発祥したんだろ?」というような興味から、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてたどり着いたのが「ケルトの神話」だったんですよね~。  

でね、当時の大学の図書館にあったのはハードカバーで、まず最初に KiKi が手にしたのはそのハードカバー本でした。  前半は結構楽しく読み進めることができて、調子付いていたんだけど、途中でギブアップ・・・・。  何で挫折しちゃったのか、その理由に関してはほとんど記憶に残っていません ^^;  

 

「中世騎士物語」を読了したので、本来であればその流れにのって「シャルルマーニュ伝説」に行くべきところだと思うのですが、ここで再び寄り道したいと思います。  と言うのもね、ここのところ読書関連のエントリーだけは着々と進んでいるものの、クラシック音楽関係のエントリーを置き去りにしちゃっているなぁ・・・・という思いがふっと浮かんでまいりまして・・・・^^;  まあ、このブログにはメールフォームとかその他ブログパーツの設定作業がまるでできていないんですけど、旧ブログの方にはそれなりの部品がくっついていまして、かつての常連さんから「クラシック音楽関係のエントリーを待ってます♪」的なメールを頂戴したっていうのもありまして・・・・・。  で、以前からブログで取り上げたいなぁと思いつつもちょっと後回しになってしまっている曲をとりあげるためには、この本を読んでみる必要性があったんですよね。

カレワラ物語
訳編:小泉保  岩波少年文庫

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「カレワラ」はフィンランド国民にとって国民的勇者(or 神話・伝承的な人物)の波乱万丈の冒険譚で、「偉大なるワイナミョイネンと愉快な仲間たち」の物語であって、それがフィンランド人のアイデンティティの拠り所ともなっている・・・・・ということを知ったのは KiKi が大学生の頃。  物語としての完成度・・・・みたいな部分ではさほど KiKi の興味を惹かなかったんだけど、この本の訳者あとがきにもあるように、このカレワラに出てくる詩はすべて八音節で強弱の韻を踏んでいる(カレワラ韻律と呼ぶらしい)ということを知った時には、びっくり仰天したものでした。

 

このブログで取り上げる阿刀田高氏の「古典に親しもうシリーズ」の第6段は「新約聖書」です。  実はもう一冊「コーランを知っていますか」も入手してあるんですが、それは後日、アラビアンナイトを読んだ後にでも取り上げることにして、とりあえずはここいらでこの「古典に親しもうシリーズ」は小休止としたいと思います。  というのもね、本来であれば KiKi はブルフィンチの「ギリシャ神話」(伝説の時代)→「中世騎士物語」(騎士の時代)→「シャルルマーニュ伝説」を読み進めるはずだったのに、ギリシャ神話から思わぬ寄り道が始まって、進行方向があっちへクニャリ、こっちへクニャリ。  それぞれに面白い読み物だったからそれはそれで構わないんだけど、そろそろもともと思い描いていた路線に戻らないと、またまたブルフィンチの名作を続けて読む・・・・という企画がオジャンになってしまいそうなので(笑)  まあ、KiKi の場合、こういう企画を思い立って、着手こそするものの貫徹できないパターンっていうのは結構多いんですけどね。  これが仕事だったら「このタスクのゴールは何?  成果は何で測るの?」な~んていうことを部下たちに言ってる癖にねぇ~ ^^;

新約聖書を知っていますか
著:阿刀田高  新潮文庫

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このエントリーにも書いたように、KiKi がこのシリーズの聖書に手を伸ばしてみたのは、自分の「聖書関連」の知識がどの程度のものなのか知ってみたいという思いによるところが大きいんだけど、こと新約聖書に関して言えば、いわゆる「福音書」4種に関しては、バッハの宗教音楽を愛していることが功を奏してか、多分エッセンスはほぼ頭に入っているのかな・・・・というのが読後の第一印象でした。  もっともそれはエピソードとして知っているというのに過ぎなくて、その話にどんな宗教的な意味があるのか・・・・な~んていう部分に関してはサッパリなんですけどね。  一時期ほんの数回だけ教会で催されている「聖書研究会」に参加してみたことがあるんだけど、クリスチャンの方々が自分の経験やら何やらを語りながら、「ここでの意味は・・・・」みたいなことをお話しされていて、いわゆる世間話というか、経験談、そしてその経験で何を感じたかというお話にこそ興味は湧いたけれど、聖書に書かれている内容といちいち結びつけてあれやこれや仰っているのを聞いていても「ふ~ん、何となくこじつけっぽいなぁ。」という不遜な感想しか持てなかった KiKi なのです。

前にこのエントリーにも書いたけれど、聖書を読んでいて KiKi が一番引っかかるのは「復活」というお話。  イエス自身の布教活動における奇跡みたいなことは、阿刀田さんじゃないけれど KiKi の気持ち的には「まあ、まあ・・・・」みたいにお茶を濁しながらやり過ごしちゃうことができるんだけど、どうにもこうにも「復活」だけはねぇ~。  今回もこの本を読了してみて尚、KiKi の長年の疑問「復活って何?」は相変わらず解決できていないんだけど、一つだけ収穫があったように思うんですよね。  それはね、 KiKi は福音書こそ何度か読んでいるけれど、その後の「使徒言行録」以下「手紙シリーズ」や「ヨハネの黙示録」は通読してみたことがただの一度もなくて、ところどころ拾い読みしているに過ぎないんですよね。  で、そこを読んでいないということはイエスの死後、イエスの教えがどのように広まっていったかに関してはあんまりしっかりと認識できていなかった・・・・と言えるんじゃないかと思うんですよ。  で、その伝播の舞台装置として「復活」は絶対に必要なイベントだったんだろうな・・・・ということを今回初めて感じたんですよね。

 

英文学、西洋文化を学ぶ上で MUST (マスト)の読み物と言われているものが「ギリシャ神話」と「聖書」です。  一応英文学を大学時代に専攻していた KiKi はご多分にもれず、その両方にこれまでの人生で何度もチャレンジしてきました。  「ギリシャ神話」の方はそれでも KiKi の趣味に合っていたんでしょうね、子供時代から結構な種類の「ギリシャ神話関連読本」を読んできたし、頭にどのくらい残っているかはともかくとして一応そのほとんどの本をとりあえず通読することができているという自負があります。  

でもね、問題は聖書の方・・・・・。  これまでに何度もチャレンジしてきたし、クリスチャンでもないくせに教会の聖書勉強会みたいなものに参加してみたりもしたし(入信する気はまったくなかったけれど ^^;)、本からじゃダメなら音楽から入ってみようかと「宗教音楽」を聴きまくってみたり、美術から入ってみようとしたりとあの手この手を尽くしてきたけれど常に挫折してきた・・・・そんなトラウマに近いような感覚を持っているんですよね~。  でもね、例えば本屋さんに並んでいる「図解 キリスト教のすべて」みたいな本の目次を眺めてみると、それなりに知っている物語ばかりのような気もするし、バッハの「マタイ受難曲」なんかは音楽として大好きで何度も聴いている(≒対訳歌詞を何度も読んでいる)わけで、自分の「聖書関連」の知識がどの程度のものなのか、知ってみたいという思いも手伝って、ここのところ読み続けている阿刀田高さんの「古典に親しもうシリーズ」からこの一冊を選んでみました。

旧約聖書を知っていますか
著:阿刀田高  新潮文庫

419QCS5JKEL__SL500_AA240_.jpg     (Amazon)

「聖書」と言うとどうしても「ギリシャ神話」や「ホメロス」や「古事記」以上に身構えてしまう(やっぱり現代でも信仰者を多く抱えている宗教だという意識があるから・・・・なのかな?) KiKi としては、これまで読んできた「古典に親しもうシリーズ」ではさほど鼻につかなかったくだけた文体やオヤジギャグにちょっと辟易としたのは否めないけれど、そういう点を差し引いてもまあまあ楽しく読むことができたように思います。  何度もチャレンジしているにも関わらず未だに聖書を通読できていないことが一種のトラウマだったけれど、案外エッセンスは頭に入っていることが確認できただけでもよかったかなぁ・・・・・と。  と、同時に聖書を通読できない原因が「唯一絶対の全知全能の神」の物語であることや、ある種イスラエルの民のご都合主義的な記述のせいであること、更にはその神様が案外エゴイストであること(嫉妬深い神様らしい 苦笑)等々を認識できただけでも、この本を読んでみた価値があったように思います(笑)。

 

楽しい古事記 阿刀田高

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KiKi は大学時代、英文学を専攻していました。  大学進学を考え始めた高校生の頃、最初に KiKiが目指したのは音大でした。  ところがこのエントリーでもお話ししたように音大を目指して修行中だった KiKi は天の邪鬼にも「ピアノは大好きだけど、一生のすべてを捧げるのはいやだ!!」という思いに囚われ、結果的に音大進学を断念しました。  その後、どんな進路を選べばいいのか、正直なところ KiKi にはコレといった夢・・・・のようなものがあったわけではありませんでした。  強いて言えば時代が時代だったので「これからは英語ができなくちゃダメなんだろうな。」という曖昧模糊あ~んど漠然とした思いだけが心の片隅にありました。  でもね、ホントは大学4年間を小説三昧で過ごすことには抵抗がなかったわけじゃありません。  いかにそれが「原文」で接する文学であったとしても・・・・です。  でもまあ、音楽以外に強烈に好きだ!と思えるものが文学(というより物語)だったのは事実で、だからこそ英文学を専攻するという結論に至ったわけですが・・・・・。

でね、確かに「これからの時代は英語だよなぁ」という思いがあったのも事実ですが、同じ文学の中でも仏文や独文、日本文学の道を選ばなかったのは、仏文や独文を外したのは「やっぱり英語!」という思いがあったから・・・・だけど、日本文学を選ばなかったのは日本の物語にあまり興味をひかれなかったからということがあげられます。  大体において、KiKi が日本昔話に親しんだのは「絵本時代」だけだったと言っても過言じゃありません。  中学時代に一時期「平家物語」に傾倒していた時期があったけれど、古文の時間に学んだ「万葉集」にしろ「源氏物語」にしろ「枕草子」にしろ「方丈記」にしろ、「ギリシャ神話」や「シェイクスピアの物語集」と比較して、没頭する度合い・・・・みたいなものがものすご~く希薄だったんですよね。  

もちろん、国語の教科書で何らかの作品の一部が取り上げられているような超有名どころの作家(夏目漱石とか森鴎外とか太宰治とか志賀直哉とか宮沢賢治とかとかとか・・・・・)の作品はそれなりに読んできているし、それなりに楽しんできたとは思うんだけど、大学4年間を日本語で書かれた小説の勉強に費やすのはそれこそ勿体ないと思っていたし・・・・・。  古文の世界はそういう意味では半分ぐらいは外国語的なところもあるけれど、さほど面白そうだとは思わなかったし・・・・・・。

でもね、大学3年生ぐらいの頃、「日本人のくせに英語の本や西洋の物語にばかり没頭していていいんだろうか?」みたいなことを感じ始めた時期があるんですよね~。  でね、やめておけばいいのに岩波文庫に収録されていた本居宣長の「古事記伝」に手を出してみたことがあるんですよ。  やっぱり日本文学の原点みたいな存在は「古事記」だし、でも漢文調の「古事記」は読めたものじゃないはずだし、大学生としてはそこそこの文献を読むべきだろう・・・・みたいな変なプライドもあったりしてその選択になったわけだけど、結果はと言えば・・・・・・・・・・・・・・・数ページで挫折 ^^;

その時、岩波少年文庫に収録されている「古事記物語」に考えが及ばなかったのは前にこのエントリーにも書いたように

岩波少年文庫    小学生向け
岩波ジュニア新書  中学生向け
岩波文庫      高校生以上
岩波新書      高卒以上

というしょうもない KiKi の思い込みも一役かっていたりするわけですが、いずれにしろ「古事記」もしくは「古事記伝」は KiKi にとってどうにも「とっつきにくい書物」であることは大人になってもあまり変わりない・・・・ということだけは証明しちゃったみたいです(汗)。  でもね、それでもやっぱり「日本人たるもの・・・・」という意識が消えてなくなったかといえばさにあらず。  で、せっかくこのブログでは「岩波少年文庫読破計画」という企画をぶちあげているという事情もあることだし、起死回生・・・・ということで「古事記物語」あたりから始めてみようかな・・・・と思っていました。  で、本当であれば日本神話に関する最初のエントリーは「岩波少年文庫の古事記物語」になる予定だったのです。  

でもね、予定は未定とはよく言ったもので、「岩波少年文庫の古事記物語」を手に取る前に、今日ご紹介するこちら(↓)を手にとってしまいました。  まあ、ここ何回か阿刀田高著の「古典に親しもうシリーズ」を読み進めてきているという裏事情があり、そのシリーズの中に「古事記」もあったりしたので、この流れはある意味では必然だったのかもしれません。

楽しい古事記
著:阿刀田高  角川文庫

200301000398.jpg     (Amazon)

前半の神話的な部分(本辞というらしい)はやっぱり面白い!  イザナギ・イザナミの国造りも、アマテラスの岩戸隠れもスサノオの命のヤマタノオロチ征伐もオオクニヌシの命の因幡の白ウサギも、国引き物語も海幸彦 & 山幸彦の物語も。  あとはやっぱり神武天皇の東征とヤマトタケル伝説は、ストーリー性もあれば、歴史的事実のたとえ話的な要素もあって楽しめます。  でもね、後半の天皇家の系図的な部分(帝紀というらしい) は正直なところ、「ふ~ん」という感じ ^^;  誰と誰が「まぐわって」何人子どもを残して、「殺して」「歌って」の部分は文字を追って一応読んではいても頭には何も残らない・・・・・そんな感じでした。

 

決して阿刀田高さんのファン・・・・というわけではないのですが、「ギリシア神話を知っていますか」や「私のギリシャ神話」を読了した勢い・・・・・のようなもので、通勤電車でも比較的読みやすいだろうという思い込みのもと、同じシリーズの本を何冊か購入してみた KiKi。  今日はその中の一冊、ギリシャ神話繋がりのこちらを選んでみました。

ホメロスを楽しむために
阿刀田高  新潮文庫

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巻末に収録されている漫画家、里中満智子さんの解説にもあるように、やっぱり読み易いって言えば読み易い本だと思います。  で、KiKi も「難しいこと≒高尚」という幻想には疑問を持っているタイプの人間なので、そういう意味ではこういう本がどんどん読まれてちょっぴり敷居の高い(ような気がする)古典文学がもっともっと多くの人、特に若い世代の人たちに読まれるといいだろうなぁと感じているので、本屋さんで岩波文庫の「イリアス」や「オデュッセイア」に手を伸ばしてみたものの、肩をすくめてまた本棚に戻しているような若者にはオススメできるような気がします(笑)。

KiKi 個人としては、阿刀田氏のフィールドワークの逸話こそ楽しむことができたのですが、件の阿刀田氏の「ギリシャ神話関連書籍」を続けて読んだ直後だったせいもあって、目新しさ・・・・みたいなものはほとんど感じることができなかったかなぁ・・・・と。

  

私のギリシャ神話 阿刀田高

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今日は、先日読了したばかりの「ギリシア神話を知っていますか」に引き続き、同じ阿刀田高著の「私のギリシャ神話」をご紹介します。  この本は1999年にNHK教育テレビの人間講座「私のギリシャ神話」で用いられたテキストに、加筆修正を施し出版されたものなのだそうです。  生憎 KiKi はその番組を観ていなかったんだけど(1999年と言えば KiKi が会計人として落ちこぼれる前のこと。  きっと仕事に忙殺されていたんでしょうね~ 笑)、この本を読む限りでは面白そうな番組だったんだろうなぁと感じます。  最近NHKでやたらと宣伝している「オンデマンド」で観ることができるのかしら・・・・・。  後で調べてみようっと♪

これまた阿刀田流のギリシャ神話で先日の「ギリシア神話を知っていますか」と非常によく似た文調で書かれた(ところどころ表現までまったく一緒!)物語なので、両方読む必要はなかったかなと思わないでもありません。  KiKi の個人的趣味としてはこちらの「私のギリシャ神話」の方に軍配をあげたいかな・・・と思います。  と言うのも、さすがNHK番組のテキストとして準備されていた内容のものだけあって、カラー図版(ギリシャ神話を題材にした絵画や彫刻等々)がかなりの量で収録されており、「ギリシア神話を知っていますか」を読んだ際には手元に別の美術書を置きながらあっちの本をとりあげたりこっちの本をとりあげたりと忙しかったんだけど、その手間が省けて楽チンだったから(笑)  巻末の神々の相関図も見開きで見易かったし、巻頭の地図もこちらの方が見易かったという印象があります。

私のギリシャ神話
著:阿刀田高  集英社文庫

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これまたサクサクと読めちゃう軽~い語り口のギリシャ神話です。  そして小説家が書いたギリシャ神話だけのことはあって、神様のセリフのアテレコがとっても現代風。  パリスの審判のシーンでの3美神のセリフがこんな感じ

ヘラ       「あら、もっとも美しい女神なら私ね」
アテナ      「冗談を言わないで。  私のものでしょうが。」
アプロディテ  「なに言ってんのよ。  美しいと言えば私に決まっているじゃない。」
3人       「だれか無関係の人に決めてもらいましょ。」 

こう書いた阿刀田さん。  さすがに女神さまの会話としてはくだけすぎたと反省(?)されたのか申し訳のように 「女神たちにしてはちょっとはしたない争いが始まった。」  と続けていらっしゃいます(笑)

 

 

先日、このエントリーにも書いたことだけど、KiKi にとってギリシア神話というのは子供の頃から最も親しかった物語の1つであり、これまでの○0年足らずの人生の中で手を変え品を変えて接してきた物語だったはずなんだけど、嘆かわしいことに神様同志の相関関係とか神様の名前とかはうろ覚え、  ニンフに至っては物語のプロットだけは頭に残っていても、名前まで思い出せるのは1割程度。  結局記憶に残るのは子供時代の抄訳本で読んだほんの一部の物語だけ・・・・という有様なんですよね。  せっかくこんな Blog を開いて読書感想文のようなものを綴るようになったからには、もう少しは進歩・・・・というか、何かを頭に残したい。  そんな風に感じていたところ、こんな本に出会いました。  まあ、10年ぐらい前までの KiKi の読書傾向からするとこういう「入門書風」を装った本に手を出すことはほとんどなかったんだけど、アーサー王関連でこんな本に手を出してみて案外面白かったということもあり、今日はこの本を読んでみました。

ギリシア神話を知っていますか
著:阿刀田高  新潮文庫

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 軽~い気持ちで、ギリシア神話の世界に親しんでみたいけれど、分厚い本は挫折しそう・・・・と考えている人・・・・とか、ある程度いろいろな本でギリシア神話に親しんでいるつもりなんだけど、漠然としか頭に残っていないような気がして、一度古典文学(?)としてのギリシア神話からはちょっとだけ距離を置いてどんな物語があったか頭を整理してみたい人・・・・とかには、気楽にサクサク読めちゃう本書はいいんじゃないでしょうか。  KiKi も先日ブルフィンチの全訳を読んだばかりということもあり、その復習・・・・みたいな感覚で楽しく読むことができました。  野上弥生子さんの文体に若干の古めかしさ・・・・みたいなものを感じた際に求めていた「読み易さ」はこの本で満たされました(笑)。  もっとも、これっていわゆる「阿刀田流ギリシア神話」であることは否めないとも感じたんですけどね♪

 

  

先日、このエントリーでもご紹介したとおり、今日は子どもの頃に抄訳を、そして人生の折に触れて何度も読んできた「ギリシア・ローマ神話 付インド・北欧神話」をご紹介したいと思います。  これは超有名なトマス・ブルフィンチの「伝説(寓話)の時代;原題 The Age of Fable」の全訳本です。  ブルフィンチはこれ以外にも連作を発表しており、それらは「騎士の時代; The Age of Chivalry (中世騎士物語 岩波文庫)」と「シャルルマーニュ伝説; Legends of Charlemagne, or Romance of The Middle Ages (シャルルマーニュ伝説 中世の騎士ロマンス 講談社学術文庫)」として日本でも紹介されています。  

でね、当初の KiKi の予定ではまだ未読だった「シャルルマーニュ伝説」をゲットしたのを機にそれを読んでこの Blog で取り上げてみるつもりだったのです。  ところが、その本の「まえがき」を読んでいるうちに、どうせだったらこの三部作、古い順に読み通してみたい気持ちがムクムクと頭をもたげてきてしまいました。  と言うのも、この「ギリシア神話」にしろ「中世騎士物語」にしろ、これまでに何度も読んだはずなのに、何故か頭にほとんど残っていないんですよね~(笑)。  まあ、ギリシア神話の方はそれなりにエッセンスというか、超有名どころのお話であれば何となく頭に残っているし、色々な文学作品やら芸術作品やらに接してきたなかで反芻してきたし、星座の名前やらで親しみがあったりもするのでまだそれでもいいんだけど、「中世騎士物語」の方はどんなお話が書かれていたのか、ほとんど忘却の彼方・・・・。  たまたまちょっとした事情でいわゆる普通の本(ハードカバー)ではなく、文庫本しか読めない事情が重なった・・・・ということもあったりしたので、急遽路線変更してこの本に手を伸ばしてみた・・・・というわけです。

 

ギリシア・ローマ神話 付インド・北欧神話
著:トマス・ブルフィンチ 訳:野上弥生子  岩波文庫

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いや~、久々だったということもあるし、文体がある意味で若干古め・・・・なので読み応えがありました!(笑)  最初に夏目漱石が書いたいわゆる序文があるんだけど、それに至っては旧漢字は多いは旧かなづかいは連発されているは、文体は格調高いはで正直昨今の安易(?)な日本語で書かれた本を読みつけている今の KiKi ではついていけないんじゃないかと、自分で思いついたこの暴挙(!)に怖気づいてしまったぐらいです。

まあ、本文の方も今では日常的には使われなくなった言葉や「岩波文庫でしかお目にかかることが少なくなった漢字」もそれなりに多いんだけど、それでも物語が物語なので楽しく読むことができました。  巻末にはいわゆる「神様の系図」なんかもついているので、ちょっとした調べ物で参考資料にするにもいい本だと思います。

が、しかし・・・・・・・

    

さて、昨日に引き続き西洋の神話において「神様」というのがどういう位置づけだったのかを考察するその2です。  昨日は「キリスト教」と「ギリシャ神話」の神様について考えてみました。  今日はこの「ニーベルングの指環」の背景になっている「北欧神話」の神様です。  

氷と火炎がぶつかり合うところで、最初の生命が誕生した。  南方にはムスペルと呼ばれるところがあって、そこは踊り狂う炎でゆらめいていた。  北方にはニヴルヘイムと呼ばれるところがあって、氷で固められ、広漠とした一面の雪で被われていた。  このふたつの世界の間には、裂け目(がらんどう)があり、ギンヌンガガップ(あくびする裂け目の意)と呼ばれていた。  この世界には大地も天もなかった。  ムスペルから流れてくる暖かい空気と、ニヴルヘイムからの白霜がぶつかり合って、解けたしずくの中から最初の生命が生まれた。

それは、ひとりの巨人で、霜の巨人「ユミル」と呼ばれ、邪悪な心を持っていた。  彼が眠っている間にかいた汗により右のわきの下から一組の男女が生まれ、こすりあわせた足の間からも別の息子が生まれた。  そうして、「ユミル」はすべての霜の巨人の祖先となり、「アウルゲルミル」と呼ばれるようになった。

ギンヌンガガップでもっとたくさんの氷が溶けるようになると、今度はその流動物が一頭の牝牛となった。  この牝牛の名は「アウドムラ」である。  ユミルはこの牛から流れ出る乳の川から乳を飲んでいた。  又、この牝牛は氷を食料としていた。  あるとき、「アウドムラ」が塩辛い塊を舐めていると、その中から人間の体の一部が現われ始め、3日目には全身が現われた。  彼の名前は「ブーリ」、神々の先祖である。  彼は背が高く、美しかった。  彼は、「ボル」という息子を持ち、その「ボル」は霜の巨人族のボルソルンの娘「ベストラ」と結婚し、3人の男の子をもうけた。  その子たちの名前が上から「オーディン」、「ヴィリ」、「ヴェー」であった。 

「ボル」の3人の息子は、狂暴な霜の巨人族が気に入らず、時が経つにつれて憎むようになっていった。  彼ら3人は「ユミル」と戦い、そして「ユミル」を殺してしまった。  「ユミル」から流れ出た血はあまりにも夥しく、しかもその勢いがあまりにも強かったのでその血の洪水で霜の巨人族はベルゲルミルとその妻以外は悉く滅んでしまった。  (この2人だけは小舟に乗っていたので助かった。)

さて「オーディン」たち3人兄弟は、死んだ「ユミル」の体をギンヌンガガップの中央に運び、そこでその身体から世界を創った。   ユミルの肉塊からは大地を、骨からは山脈を、歯と顎と骨のかけらからは岩や小石を、血からは大地の回りをめぐる海や湖を、頭蓋骨からは天空を創ったのである。  さらに、炎の国ムスペルから飛んでくる炎、火の粉を捕らえ、太陽、月、星を天空に創り、ユミールの脳みそから雲を創った。  

大地の辺境の浜辺ヨーツンヘイムには生き残った霜の巨人を住まわせ(3兄弟とは犬猿の仲)、大地の内陸部にはユミルの眉毛で造った垣根で囲まれたミッドガルドと呼ぶ領域を創り、そこは人間のための領域とした。

ある日、3兄弟が海辺を歩いていると、根のついた2本の木が倒れていた。  1本はトネリコ、もう1本はニレの木である。  兄弟はそれを使って人類の男と女を創り、オーディンが魂を、ヴィリが知力と心を、ヴェーが感覚を与えた。  男は「アスク」、女は「エムブラ」と呼ばれた。  この2人がすべての人類の祖先である。

さらに3兄弟はユミルの肉塊の中で身もだえしていたウジムシに人間と同様の知力と姿を与え、彼らは岩の部屋や小さなほら穴や洞窟に住み着いた。  この人間に似たウジムシが小人と呼ばれるようになった。  

最後に3兄弟は、ミッドガルドの上に新たな世界を創り、自分たちの住みかとした。  それが彼ら神々がすむ国アースガルドである。  アースガルドは城壁に守られており、ミッドガルドとの間を虹の橋ビフレストで結んでいる。  神々は全部で24人(男神12人、女神12人)。  最年長のオーディンが神々の長老となった。

こうして起こったことの全てと世界の全ての地域は、樹の中で最も偉大で最善のトネリコの樹、ユグドラシルの枝々の下に広がることになった。  その根はアースガルドとヨーツンヘイムとニヴルヘイムに張り巡らされていて、それぞれの下には泉があり、一羽の鷹と鷲がその枝に止まっていて、一匹のリスが上へ下へと走り回り、鹿はその枝の中で跳ねながらそれを少しずつ齧り、一匹の竜ががつがつと食んでいるのである。  その樹は露を注がれているが、それは樹そのものに生命を与え、まだ生まれていないものにも生命を与えている。  ユグドラシルは過去にも現在にも存在し、またいつまでも存在し続けるのである。
(参考図書: 北欧神話物語) 


「ニーベルングの指環」の物語をより深く楽しむためには、この物語のベースとなっている北欧神話の世界観を知っておいたほうがより自由に様々な空想の世界で遊ぶことができると思います。  そこで今日からしばらくは世界各地の神話世界の中で「神様」がどのような位置づけの存在だったのかについて色々と考えてみたいと思います。

どんな神話の世界にも1番最初に出てくる物語。  それは天地創造の物語です。  例えば世界のトップ・セラー、聖書を紐解いてみましょう。  聖書の第1節はその名も「創世記」です。  どんな風に始まるのかちょっと引用してみると・・・・。

初めに、神は天地を創造された。  地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。  神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。  神は光を見て、良しとされた。  神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。  夕べがあり、第一の日である。  
(日本聖書協会 聖書 新共同訳より)

ここを読んでわかることは、神様っていうのは最初から存在していたっていうこと、そして何にもないところからこの世界を1から創り出した創造主であるっていうこと、さらには神はひとりだったっていうことです。  神様がどうやって生まれたのかは誰にもわかりません。  どこから来たのかもわかりません。  とにかく最初からそこにいたんです。  そして最初は神様しか存在しないんです。  天と地さえも・・・・。  さすが、砂漠地帯で生まれた宗教だと思いませんか?  砂漠には草も木も水もありません。  あるのは荒涼たる大地と空だけです。  昼と夜だけです。  でもその荒涼たる大地と空さえも神様より以前にあったわけじゃありません。  だから聖書(ユダヤ)の神様はまず最初に天地を創造し、光を創造した・・・・と考えられた(つまり砂漠を創造された)のでしょうね。

この世ができる前からいたのが神様で、この世を創ったのも神様なんですから、当然そんな神様は1番偉いに決まっています。  誰に教えられることもなく創造できちゃうぐらいですから全知全能なんです。  独りぼっちだから禁欲生活は当たり前、寂しさにだって慣れちゃってます。  独りぼっちだから誰かと争う必要もないので、武力は必要なくてとっても温厚で思慮に富んでいるんです。  他にすることがないから、とっても働き者なんです。  たった6日で色々な新製品を作り上げちゃうんです。  

神様はご自分に模って人を作られます。  そして「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」と仰ったものの、人が産んだり増えたりするパートナーを自分では見出せずにいるのを見てはたと考えます。  ご自身がひとりで何でもできちゃうから、人も同じようにできると勘違いしていらしたようです ^^;    

人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助けるものは見つけることができなかった。  主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。  人が眠り込むと、あばら骨の1部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。  そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。  主なる神が彼女を人のところへ連れてこられると、人は言った。
「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。
 これをこそ女(イシャー)と呼ぼう
 まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」  
(日本聖書協会 聖書 新共同訳より) 

人として創造されたのがまず「男」だったことがわかります。(同時に神様が「男」であったことも示唆しています。)  で、「女」はその男を助け、産んだり増やしたりするための補助要員、男の従属物だったこともわかります。  ユダヤの神様は最初から男尊女卑なんですよね~。  さすが、母から生まれてきたわけじゃない神様は考え方が違います。  「母」という概念が最初から(創造の段階から)欠如しています。  

 

 

昨日のエントリーで「ニーベルングの指環」に出てくる「だいじなもの」について不充分ながらご紹介させていただきました。  今日のこのエントリーはそこからもう一歩踏み込んで、この物語の背景にある「北欧神話」の世界の中で「世界樹(ユグドラシル) - トネリコの木」がどういう存在だったのかについて触れておきたいと思います。

「ニーベルングの指環」はドイツ中世の叙事詩「ニーベルンゲンの歌」や北欧神話「エッダ」、「ヴェルズンガ・サーガ」などに題材を求めた作品ではありますが、決してそれらの神話から何らかのエピソードを抜粋した物語ではありません。  ワーグナーという稀有の天才がいったんそれらの物語を吸収し、そのエッセンスを彼の頭の中で様々な空想・妄想を働かせて分解・再構築し、それをオリジナルの脚本として編み出したものです。  ですから必ずしも元の題材にあるがままの姿で全ての事象が描かれている物語ではありません。  でも、神話の世界で「ある出来事の象徴」として考えられている事物に関しては、やはり原本の持つ強いイメージが何らかの影響を与えていることは否定できないと KiKi は考えます。

ましてヴォータンの持ち物としての「槍」やノートゥング登場の舞台として選ばれたトネリコの木に関しては、この「ニーベルングの指環」の中ではあまり多くが語られることがありません。  逆に KiKi などは生まれて初めてこのオペラを観たときには第3夜の「神々の黄昏」冒頭で、3人のノルンがこの世界で起こったこと、起こりつつあることをかいつまんで語ってくれるレチタティーヴォを聴いて初めて、トネリコの木が「ものすご~くだいじなもの」であったことに気がついたくらいぼけ~っとしていました。  そしてトネリコの重要性に気がついたときに初めて、北欧神話を読み直してみて世界樹(ユグドラシル)がトネリコの木であったことを思い出したのです。  てなわけで、今日は「ニーベルングの指環」本編からはちょっと離れますが、世界樹(ユグドラシル)のご紹介をしておきたいと思います。  尚、このエントリーを書くにあたり、KiKi が参考にしたのは以下の文献です。

「北欧神話物語」 
 出版:青土社 著者:K.クロイスリーホランド 訳:山室静 & 米原まり子

 

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「ニーベルングの指環 神々の黄昏」
 出版:新書館 作:R.ワーグナー 訳:高橋康也 & 高橋宣也

 

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