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鹿の王 上橋菜穂子

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Kindle を購入して良かった!としみじみ感じた1冊(電子書籍でも1冊とカウントするんだろうか? ^^;)を読了しました。  お値段は安いうえに文庫本を待つ必要もなくこのタイミングでこの物語を読むことができたなんて!!  本日の KiKi の読了本はこちらです。

鹿の王
著:上橋菜穂子 角川書店 Kindle 版

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強大な帝国から故郷を守るため、死兵となった戦士団<独角>。  その頭であったヴァンは、岩塩鉱に囚われていた。  ある夜、犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。  その隙に逃げ出したヴァンは幼い少女を拾うが!?
※本電子書籍は「鹿の王 上 ‐‐生き残った者‐‐」「鹿の王 下 ‐‐還って行く者‐‐」を1冊にまとめた合本版です。巻末に電子版オリジナルイラストが収録されています。  (Amazon Kindle 上下合本版 内容紹介より転載)

強大な帝国・東乎瑠にのまれていく故郷を守るため、絶望的な戦いを繰り広げた戦士団「独角」。  その頭であったヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。  ある夜、一群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。  その隙に逃げ出したヴァンは幼子を拾い、ユナと名付け、育てるが―!?  厳しい世界の中で未曾有の危機に立ち向かう、父と子の物語が、いまはじまる―。  (Amazon 単行本上巻の内容紹介より転載)

不思議な犬たちと出会ってから、その身に異変が起きていたヴァン。  何者かに攫われたユナを追うヴァンは、謎の病の背後にいた思いがけない存在と向き合うことになる。  同じ頃、移住民だけが罹ると噂される病が広がる王幡領では、医術師ホッサルが懸命に、その治療法を探していた。  ヴァンとホッサル。  ふたりの男たちが、愛する人々を守るため、この地に生きる人々を救うために選んだ道は―!?  (Amazon 単行本下巻の内容紹介より転載)

久々の上橋ワールドは期待に違わず今作でも、奴隷の話あり、植民地支配がもたらすあれこれの問題あり、人種差別の問題もあり、医学もあり、異なる宗教観もあり、生態系の問題までもを含む、多すぎるぐらいの要素がぶちこまれたごたまぜ物語でありながらも、それが逆にリアリティを感じさせるという素晴らしい物語世界を披露してくれました。  先月は体調不良もあって読書が進まなかったという面もあったけれど、実はこの作品を「2度読み」してじっくりと味わっていたため冊数が進まなかったという面もあったことをまずは告白しておきたいと思います。

Review の冒頭でいきなり「著者あとがき」に触れるのもなんだけど、そのあとがき冒頭で上橋さんが仰る

自分の身体ほど、わからないものはない・・・・・。
  ここ数年、老父母と、更年期に達した自分の身体の不調にふりまわされているのですが、50の坂を越えれば、若い頃と違って、「下り坂をくだる速度を抑える」ことはできても、「ぐんぐんと上り坂に向かう」ことはないという、人の身体の容赦ない真実を感じる度に、いま、自分の身体の中でどんなことが起きているのだろうと、思うようになりました。

というのはまさに KiKi の皮膚感覚です。 (何せ上橋さんとは同世代 ← それが嬉しくもあり彼女との差に落ち込むこともあり 苦笑)  祖母が認知症だったので自分が同じ道を辿らないようにと彼女なりの努力をしていたにも関わらず結局同じ病に罹患し、今では KiKi が自分の娘であることさえ忘れてしまったばぁば。  ばぁばよりも遥かに年長でありながら未だに頭だけはしっかりしているじぃじ。  認知症に罹患したといえどもそれを除けば健康そのもので今ではほんの1年前に大腿骨を骨折したことを全く感じさせないばぁば。  頭だけはしっかりしているのに、狭心症を患い足元が覚束なくなっているじぃじ。  

認知症が加齢とともに発生する病でありながらも罹患する者としない者を両親に持つ KiKi が日々感じている 「なぜ、ばぁばだけが・・・・?(世の中には数多くいるとは言えども)」という想いは、この物語の主人公であるヴァンや物語世界で猛威をふるう黒狼病に耐性のない人々が共通して抱える大きな疑問であるだけに身につまされます。  

と同時に、今、現実社会では猛威をふるいはじめた「エボラ出血熱」のニュース報道が流されない日はなく、そのニュースで印象が薄れつつあるシリアでの「生物兵器使用疑惑」な~んていう話もこの物語で描かれる様々な出来事と何気にリンクして思い起こされ、ついつい現実世界を引き寄せながら「読まされてしまう」物語だったと感じます。

そして、病の発生ではその治療の妨げの1つとなるものに「異文化の壁」があるというのも現実世界を映しだしていると感じます。  今回のエボラ熱の発生中心地である西アフリカでは先進国の医療支援チームが現地に入ったばかりの頃には、「あの西洋人の医者の所に行くと殺されてしまう」というような噂が現地の人の間に広がり治療の妨げになったと聞きますし、彼らの埋葬文化が拡大の一因とも考えられるらしいのですが、それを一概に否定することができないのが予防の妨げになっているとか、とか、とか・・・・。  

この物語では「黒狼病」が征服民である東乎瑠〈ツォル〉の民のみ耐性がないということで、その東乎瑠〈ツォル〉の属領とならざるをえなかったアカファ王国の「呪い」であると噂され、それがさまざまな憶測や陰謀の火種となっていくうえに、宗教観の違いにより治療がままならない様子も描かれています。  そしてその背景には東乎瑠〈ツォル〉帝国から送り込まれた入植者たちによって伝統文化を踏みにじられた民族の存在があり、その入植者が持ち込んだ農産物や家畜により生態系が崩れていく様までが描かれています。  いやはや、こうなってくるとこれはもう「夢物語ファンタジー」というよりは、まさに「現実にあった(もしくはありうる)物語」と呼んでもおかしくないぐらいのものではないかしら・・・と思わずにはいられません。

お天気にはあまり恵まれず、日本各地に災害をもたらしたお盆休みも昨日で終了しました。  KiKi のお盆休み(って今では365日お休み・・・のようなお休みではないような ^^;)も昨日の小さな壁掛け持参の老人ホーム訪問でようやく一段落。  今日からは通常の日々が戻ってきました。  ま、てなわけで読了以来、放置しっぱなしだったこちらの Review を書いておきたいと思います。

天山の巫女ソニン 江南外伝 海竜の子
著:菅野雪虫 講談社

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江南の美しく豊かな湾を統治する「海竜商会」。  その有力者サヴァンを伯父にもち、何不自由なく幸せな日々を送っていた少年・クワン。  ところがクワンの落とした首飾りがきっかけとなって、陰謀に巻きこまれていく。  多くの人の心を引きつける江南の第二王子クワンの絶望と波乱に満ちた再生の物語。  (単行本扉より転載)

本編でも一種独特の魅力を放っていた隣国江南の第二王子クワン。  「第二王子」というポジションの割には決して幸せそうではなかった王子の幼少期から本編に至るまでの日々を描いた外伝でした。  クワンの右腕ともいうべきセオとの出会い、そして彼がクワンに献身的に仕えるに至るまでのお話はなかなかに読ませるものがあったと思います。  同じ故郷で暮らしながらも、その故郷に対する想いの乖離による2人の衝突の場面が描かれているのが、物語に一層の深みを与えていると感じました。

同時に、本編ではソニンを引き抜くためにセオが語った、クワンの妹、リアンに起こった災難はどうやら作り話ではなく本当のことだったことがこの外伝で判明。  本編では「作り話も大概にしろ!」のクワンの一言でうやむやになってしまった感があったけれど(でも、その話が本当であればこそのクワンのソニンに対する毒薬製造命令という点で妙に説得力はあった)、やっぱりというか、案の定というか、本当のお話だったのですね。

それにしても、江南の王様はしょ~もない!!   国内の摩擦を避けようとするあまりに、対抗できる彼の力が「鈍感力」とでも呼ぶしかないような対応で、結果、多くのことを動かしているのが自分の利益を害するものに対しての感性だけは鋭い王妃のちょっとした一言(命令とは呼べないどちらかというと独り言に近い呟き)と、それを耳にして勝手に動く重臣たちの思惑ばかり・・・・・とは。  もっとも、そうであればこその「三国中の最弱国」とも言えるのかもしれません。

読了してからかなり間が空いちゃったけど、放置しっぱなしだった「ハウル第2巻」の Review をまとめておきたいと思います。

ハウルの動く城 2.アブダラと空飛ぶ絨毯
著:D.W.ジョーンズ 訳: 西村醇子  徳間文庫

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魔神にさらわれた姫を助けるため、魔法の絨毯に乗って旅に出た、若き絨毯商人アブダラは、行方不明の夫ハウルを探す魔女ソフィーとともに、魔神が住むという雲の上の城に乗りこむが...?  英国のファンタジーの女王ダイアナ・ウィン・ジョーンズが、アラビアンナイトの世界で展開する、「動く城」をめぐるもう一つのラブストーリー。  宮崎駿監督作品「ハウルの動く城」原作の姉妹編。  (Amazon 内容紹介より転載)

もう読了してから1週間以上過ぎちゃったので、正直なところ物語の細かい部分まではその時の感想を含めてよく覚えていません ^^;  特にこの本の読書は KiKi にとって久々のヒット作、「天山の巫女ソニン」の間に挟まれ、図書館へ行くまでの繋ぎの期間(ごめんなさい DWジョーンズさん)に読んでいるので尚更です。  ま、てなわけで本日の Review は短めです。

ハウルの第2作目ということなので、ハウルやソフィーの話がメインかと思いきや、物語後半までそのハウルもソフィーも出てきません。  代わりに繰り広げられるのは「アラビアン・ナイト」の世界。  もちろんそれはタイトルからして明らかなんだけど、「ここまでハウル達を無視するか?」という印象を否が応にも抱かずにはいられません。  まあ、個人的には「アラビアン・ナイト」の世界は結構好きだから、ツマラナイというようなことはなかったんですけどね。

「空飛ぶ絨毯」、「ジン」といったアラビアものに出てくるお約束の小物はやっぱり楽しかったし、小瓶につめられた妖精みたいな「ジンニー」もいかにも、いかにもで、これが「ハウル」の続編であることを忘れかけ、この物語の進行に没頭し始めた頃、結構思わぬ形でソフィーが登場します。  そこからは一気呵成に物語が進行し、読了してみれば「なるほど、確かにこれはハウルの続編だ」と思わせる辺り、さすがです。

途中まではかなり印象深い人物だったはずの絨毯商人のアブダラさんですが、ソフィーが登場し、彼が探し求めていた「夜咲花」に再会したあたりから一挙に存在感を薄れさせ始め、そこからは女性たちの大活躍・・・・・というのは、やはりジェンダー意識の強かった(らしい)この作者さんならでは・・・・という感じがします。

 

「天山の巫女ソニン・シリーズ」本編を読了したので、引き続き外伝です。  現段階で外伝は2冊既刊されているのですが、今回図書館で借りることができたのはそのうちの1冊のみ。  残り1冊は予約してきたので今借りている人が返したら連絡がくることになっています。  これまでのところ「上橋作品群」、「クロニクル 千古の闇シリーズ」に次いでお気に入りとなった図書館本です。  これはひょっとすると我が家の蔵書として集めてしまうかも・・・・・(笑)

天山の巫女ソニン 巨山外伝 予言の娘
著:菅野雪虫 講談社

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ソニンが天山の巫女として成長したのは美しい四季に恵まれた沙維の国。  イェラが王女として成長したのはその北に草原と森林が広がる寒さ厳しい巨山の国。  孤高の王女イェラが、春風のようなソニンと出会うまで、どのように生きてきたのかを紹介する、本編「天山の巫女ソニン」のサイドストーリー。  (単行本扉より転載)

本編でも一種独特の魅力を放っていた巨山国の王女イェラ。  その強烈な個性から恐らくは多くの読者の心をつかむだろうお姫様なんだけど、彼女ほど「お姫様」という言葉が似合わない王女も少ないんじゃないかしら。  そして読者を夢中にさせる魅力はたっぷりだけど、もしも実際に彼女が存在したとして、お近づきになれるか?と言えば、恐らく世の中の大半の人はムリなんだろうと思います。

それは身分や立場が違う・・・・・というようなことではなく、恐らく彼女に相手にはしてもらえないんだろうなぁ・・・・と思わせる、人を寄せ付けない厳しさ、近寄り難さを放っているからです。  能力の差とかそういう部分もあるけれど、それ以上に彼女の心を閉ざしたかのような自分の律し方という大きな壁の前で普通の人ならどうしたらいいのかわからない・・・・・そんな印象を持たずにはいられない女性だったと思うんですよね。  しかもそれが20代の後半ぐらいで身につけたものならまだいざ知らず、「10代にして!!」というあたり、孤高と言う言葉がこれほど似合う人も滅多にいないでしょう。

多くの場合、彼女が示したような冷静さ、用心深さ、狡猾さというものは「帝王学の教育」の中で、又は「人の上に立つ経験をつむ」中で、育まれていくものだと思うんだけど、彼女のそれの身につけ方は KiKi の想像を超えたもっと壮絶なものでした。  

ただでさえ厳しい自然環境の北の国で、正妃の一人っ子として生まれたにもかかわらず、望まれた男児でなかったが故に、父王からも母妃からも愛されないのみならず存在すら認められずに育ったイェラ。  跡取りは側室の王子達だと誰しもが思っているうえに、誰にもかまわれない立場の彼女は1人でもできること、本を読み、学び、どこか冷めた目で人を観察し、生まれつき持ち合わせていた父譲りの聡明さで、自分なりに多くのことを多面的に考え、答えを導き出すことを常とするようになっていきます。

そんな生い立ちの中で彼女が得た1つの真理が、「溺愛は干渉に、期待は束縛に繋がり、祝福や励ましの言葉は時として呪いの言葉となりうる。」というものだったようです。  だからこそ、本編の彼女はあそこまで頑なな部分を持っていたのですね。

ルリユール 村山早紀

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今日、2つ目のエントリーです。  こちらは「天山の巫女ソニン・シリーズ」の残りの本を借り出そうとした際に、外伝の1冊が貸し出し中だったため、そのかわりに借りてきた1冊です。

ルリユール
著:村山早紀 ポプラ社

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黒猫工房では、あなたの大切な本を修復いたします。  魔法のような手わざ、傷んだ過去の思い出も、静かに包み込んで―  本を愛するひとの美しく不思議な物語。  (単行本帯より転載)

「ルリユール」という言葉を KiKi が初めて知ったのは、いせひでこさんの「ルリユールおじさん」という絵本で、でした。  この絵本を読了した時、KiKi はそれまで絵本を読んで味わったことがなかった深い感動を覚えました。  と、同時にその「ルリユール」という職業にある種の憧憬を覚えました。  子供時代から本は大切に扱うように教育を受けてきた KiKi の実家には多くの本があるけれど、さほど痛みのない状態のものがほとんどで、「必要に迫られていない」から実際に自分でやってみようとまでは思わなかったけれど、今ではソフトカバーの本が多いだけに、本当にお気に入りの本は補強という意味も兼ねて自分でもやってみたいと思うほどには興味があります。

時代の流れの中で、電子書籍もそこそこ活用している KiKi だけど、やっぱり紙でできた本の魅力は捨てがたく、本当に気に入った本は可能な限り「本」で揃えたいと考えがちな KiKi。  装丁が美しい本にはついつい引き寄せられがちな KiKi。  そんな KiKi にとって「ルリユール」の仕事は収入の多寡は知らないけれど、本当に素敵な職業だと感じられます。

さて、そんな「ルリユール」と題されたこの作品。  ルリユールの技に関しては期待していたほどには描写されていなかったのですが、物語全体に流れる穏やかな時間とどこか鄙びた風景、そして登場する人たちのちょっと切ない人生にホロリとさせられる作品だったと思います。

 

図書館から借り出してきた本の中で久々の KiKi にとってのヒット作、ついにここで完結です。  たまたま今日は読了本が2冊もあるうえに、「ハウル」の Review も書いていないという焦りもありで、本日の Review は短め(一般的には十分長い??)です。

天山の巫女ソニン 5. 大地の翼
著:菅野雪虫 講談社

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落ちこぼれの巫女と言いわたされ、すべてを失ったところから始まった少女の物語―。  里におりたソニンは、三つの国を知り、そこに生きる人々と交わり、悩み・悲しみ・希望・喜びを実感しながらひとりの人間として豊かな人生を歩む道を見出してゆく。  感動の最終巻。  (単行本扉より転載)

ここに至るまで KiKi のこのシリーズへの評価はかなり高かったんだけど、残念ながら最終巻は若干「肩透かしを食らった」ような印象でした。  相変わらず社会に存在する様々な矛盾に対する著者の視座で描かれた物語の大筋は評価できるんだけど、最後がちょっとねぇ・・・・。  何ていうか、イェラ王女の取った最後の行動がソニン及び沙維国に都合が良すぎやしないかなぁ・・・・と。  

不毛で終わりの見えない戦にピリオドを打つため・・・・という真っ当な理由があるのはわかるし、ここまでの巻で描かれてきた父王とのピリピリした関係からして王の決意を翻させるための劇薬みたいな処方箋なのもわかるけど、敵方に自国の弱点の情報を流すな~んていうのはチト行き過ぎの感が否めません。  普通に考えればこの行為は「売国奴」と言われても仕方のない行為なわけで・・・・。

ただ、これが児童書の限界なのかもしれないなぁ・・・・・とも思うわけです。  もっと異なる事の治め方というのも実際の社会ではあるはずだけど、何せこの物語では登場する国が三国だけだし、周辺諸国がどうなっているのかはさっぱり??だし、そこへもってきて三国入り乱れての戦乱状態に陥っちゃっているわけだから、その状態をひっくり返すためにはそれこそ「まさか?」というような策しか描き様がなかったとも言えるのかも・・・・・。


この本の前に「ハウルの動く城 2. アブダラと空飛ぶ絨毯」を読了しているので、本来ならそちらの Review を先に書くべきところなのですが、せっかく昨日図書館から借り出してきたこのシリーズ。  まずはこちらをやっつけてから「ハウル」の Review を手掛けたいと思っています。  もっともその頃には「ハウル」の感想を覚えていられるかどうかチト不安・・・・ ^^;

天山の巫女ソニン 4. 夢の白鷺
著:菅野雪虫 講談社

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「江南」を大嵐が襲い、人々の暮らしは大きな打撃を受けた。  「沙維」のイウォル王子は災害の援助のために、「巨山」のイェラ王女は密かな企みを胸に、相次いで「江南」に向かう。  「江南」のクワン王子を交えた三人は初めて一堂に会し、ある駆け引きをする。  一方、ソニンはクワン王子の忠実な家臣セオの存在に、なぜか言いようのない胸騒ぎを覚えていた...。  (単行本扉より転載)

三国の次代を担う(だろう)為政者が顔を揃えたことにより、政治的駆け引きの話が物語の中心にどっかと腰を落ち着けた印象の物語でした。  読んでいてこれが児童書であることを忘れさせられそうになること暫し・・・・。  でも為政者の思惑・外交というものの複雑さを難しすぎない言葉で語っているあたり、やはり凄い物語だと感じます。  例えて言うなら「池上彰解説風ファンタジー」とでも言いましょうか・・・・(笑)

今回の物語の中で語られる

「食料を握られるという事は、命を握られることになる。」 

というテーゼはTPP問題に直面している現代とも直結し、そこに著者の社会的視座の片鱗を見たように思いました。  特にそれを感じたのは表紙の絵にもあり、物語の中でも一幅の絵のような描写で描かれる棚田の美しい風景です。  人物名のつけ方、物語の舞台となる三国の関係から朝鮮半島を連想させるこの物語。  どこの国(エリア)を舞台にしているにしろ、これは決して狩猟系民族や騎馬民族のものではありえず、農耕系民族の物語だなぁと感じさせられます。  そうであるだけに、私たち日本人にはどこか懐かしさを覚えさせる物語になっているうえに、ここで語られる多くの社会問題にどこか現代日本社会に重なるものを感じるのは KiKi だけではないのではないかしら。

第一巻の「黄金の燕」はいかにもファンタジーというスタートの物語群だったけど、途中からこの物語はいわば普遍的に人間社会に発生し続けている多くの社会問題を扱う物語に変貌しているように感じます。


久々にお気に入りのファンタジーを見つけちゃった気分。  昨日に引き続き「天山の巫女ソニン」の第3作目です。

天山の巫女ソニン 3. 朱烏の星
著:菅野雪虫 講談社

415++F+4WhL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

イウォル王子と共に「巨山」へと向かうソニン。  国境付近で捕らえられた「森の民」を救うためだった。  一方、自分の将来を考え始めている親友ミンや、兄王の傍らで着実に仕事をこなすイウォル王子を見ているとソニンは自分が取り残されていくように思えてしまう。  やがてソニンはこの北の国で孤独で賢明な王女イェラに出会う...。  (単行本扉より転載)

昨日の Review では書き忘れたことなのですが、この物語は巨山(コザン)、沙維(サイ)、江南(カンナム)の三国が並び立つ半島を舞台の歴史物風ファンタジーです。  そして第1作では落ちこぼれ巫女のヒロイン、ソニンが天山と呼ばれる修行の地から「才能なし」ということで里に返され、その後王宮の第七王子付きの侍女となり、沙維(サイ)国内の事件に巻き込まれるお話でした。  第2作はその王子の遊学に付き添ったソニンが江南国のゴタゴタに巻き込まれるお話で、この第3作は残る1つの国、巨山国でのゴタゴタに巻き込まれちゃうお話です。

基本は巻き込まれ系ヒロインのソニンなんですが、その一つ一つの巻き込まれた事件で最善を尽くして乗り切っていく姿に清々しさを感じると共に、ソニンのみならず彼女が仕える第七王子(イウォル)の成長していく姿に齢50を超えた KiKi は微笑ましさみたいなものを感じながら読み進めています。

この物語が素晴らしいと感じるのは、主に脇役、時に主役に語らせている著者の人間観察の言葉が子供向けとは思えないほど深く鋭いこと、そして為政者の考え方と庶民の考え方の違いをはじめとする人間社会が必然的に抱える矛盾を難しくなり過ぎない言葉でさらりと描いていることです。  ことにこの第三巻では歴史が為政者によっていかに描き変えられるのかとか、ある1つの事件を解決しようとした際に立場が異なれば、異なる解決方法をとろうとするし、そこにあるのは単純な善悪ではないということがしっかりと描かれていると感じました。

本作で初出の巨山の王女、イェラが実に魅力的です。  彼女が物語の最後で吐くモノローグ

消えた星、見えない声、いなかったことにされる人々。  そういったものをわたしは忘れない。  でも、それらを見知ったうえで、わたしは行くべき自分の道をゆく。  泣くまい。  決して泣き言は言うまい。  誰のせいにもできない道を、自分から選んだのだから、それが楽なわけはない――。

が、強く印象に残ります。

昨日のエントリーで「めっきりペースダウンした読書」と書いたばかりなのですが、昨日は何故か読書が捗り(あまりの酷暑で他のことを一切する気がおきなかったとも言える・・・ ^^;)、図書館から借り出してきた本を2冊、一気に読了してしまいました。  ま、てなわけで、本日のエントリーは2冊まとめての Review となります。

天山の巫女ソニン 1.黄金の燕
著:菅野雪虫 講談社

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生後まもなく、巫女に見こまれた天山につれていかれたソニンは、十二年間の修行の後、素質がないと里に帰される。  家族との温かい生活に戻ったのもつかのま、今度は思いがけない役割をになってお城に召されるが...。  三つの国を舞台に、運命に翻弄されつつも明るく誠実に生きる、落ちこぼれの巫女ソニンの物語、第一部。  新しいファンタジーの誕生!  (単行本扉より転載)

天山の巫女ソニン 2.海の孔雀
著:菅野雪虫 講談社

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隣国「江南」のクワン王子に招かれた「沙維」のイウォル王子とソニンは、豪華な王宮や南国の華やかさに目を見張る一方で、庶民の暮らしぶりがあまり豊かでないことに疑問を持つ。  対照的な二人の王子の間で戸惑いながらも、真実を見失わずに自らの役目を果たそうとする、落ちこぼれの巫女ソニンの物語、第二巻。  三つの国の新たな歴史が動き始める!  (単行本扉より転載)

図書館で KiKi が真っ先に訪れるのは「児童書」のコーナーです。  カラフルな本が多い中、このシリーズが目を引いたのは白地に銀色の文字というシンプルさがあったように思います。  そして表紙の絵もそのシンプルさを後押しするかのように水墨画を思わせるモノトーン。  図柄はアジアン・テイストとなかなかに魅力的なものがありました。  とは言え本の場合大切なのは中身です。  最低限の情報を得ようと表紙を開いてみると、扉部分にある解説に KiKi を食いつかせるに足るキーワードがありました。

巫女  三つの国  落ちこぼれ  新しいファンタジー

この中で KiKi の関心を最も引いたのが「落ちこぼれ」です。  と言うのも KiKi はここLothlórien_Blog を開設する前、「落ちこぼれ会計人の独り言」、「落ちこぼれ会計人の Music Diary」、「落ちこぼれ会計人の本棚」という3つの Blog を運営しており、長らく「落ちこぼれ会計人」というハンドルネームを使っていたからです。  で、「落ちこぼれ」という文字を見た瞬間にこの物語の主人公ソニンのことがもはや他人とは思えず、ついつい借り出すことにしてしまったという訳です。

このシリーズは全5巻、外伝を含めると7巻が発刊されているようで、図書館でも本編5巻が並んで書棚に鎮座していました。  思い切って5巻まとめて借り出そうか?と思いつつも、万が一つまらなかった時のことを考え、とりあえず3巻を、貸出上限5冊のうち残り2巻は「都会のトム&ソーヤ」(こちらは評判がいいというただそれだけの理由で)を借りてきました。

さて、読み始めてみるとこれが期待以上に面白い。  そもそもソニンが修行していた天山の巫女の数が12人と聞けば何気に「十二国記」を思い出すし、ソニンが仕えることになった沙維の国の王子が7人で、謀略により燕になっちゃうあたりでは何気にアンデルセンの「白鳥の王子」を思い出すしとそこかしこにデ・ジャ・ヴ感を漂わせながらもオリジナリティがあるのが読んでいて楽しかったです。

わかりやすい勧善懲悪な物語・・・・・となりそうなところを、ベースは勧善懲悪なんだけど、脇役たちもそれぞれの立場から善いことも悪いこともするあたりが結構気に入りました。  と同時にソニンのお父さんの言葉や悪役のレンヒ(彼女も実は落ちこぼれ天山巫女だった)の言葉がなかなかに深くて、唸らされます。 

7月に入ってからめっきりペースダウンした読書。  久々に開催した「トールキン祭り」も長年の積読本「シルマリル」を通読・読了したことで何だか安心してしまい、今回のお祭りの最後を飾るはずだった「農夫ジャイルズ」を棚置きしてそっちのけ状態です(苦笑)  ま、これには先日久々に上京した際に友人のMさんからプレゼントされた何冊かの本の影響と、ダーリンのお付き合いで通っている図書館から借り出した本のせいもあるんですけどね。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

ハウルの動く城 1. 魔法使いハウルと火の悪魔
著:DWジョーンズ 訳: 西村 醇子  徳間文庫

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魔法が本当に存在する国で暮らす18歳のソフィーは、「荒地の魔女」に呪いをかけられ、老婆に変身してしまった。  家を出て、悪名高い魔法使いハウルの動く城に、掃除婦として住み込んだソフィーは、暖炉に住む火の悪魔と仲よくなる。  やがて、ハウルもまた「荒地の魔女」に追われていると知ったソフィーは...?   英国のファンタジーの女王ダイアナ・ウィン・ジョーンズの代表作。  スタジオジブリのアニメーション映画「ハウルの動く城」原作。  (Amazon 内容紹介より転載)

「ハウルの動く城」と聞けばジブリアニメを思い出す人が多いと思います。  実際、KiKi もDWジョーンズのファンタジー作品という印象よりはジブリアニメという印象の方が強いのが正直なところです。  「印象が強い」と言っても、KiKi 自身はそのアニメを観たことがないので、どんな作品なのかさっぱりわからないんですけどね ^^;  ま、いずれにしろ宮崎さんが映画の題材にしたお話なので、それなりの期待感は持ってこの本を手に取ってみました。  幸いなことにとあるお友達からプレゼントされたというきっかけがあったからこそ・・・・ではあるんですけどね。

読了してみて感じたのは「現代的な王道英国ファンタジー」っていうところでしょうか。  有能な魔法使いというわりにはどこかだらしなく、どこかハチャメチャなハウルと彼に協力している火の悪魔・カルシファー、そして長女コンプレックスに悩み続けるソフィーがいい味を出しています。  対して彼らが対抗することになる「荒地の魔女」はどこか小粒感が漂っています。

「指輪」のサウロンと言い、「ハリーポッター」のヴォルテモートと言い、存在そのものが放つ邪悪さのオーラという点ではかなり迫力満点なのに対し、本作の「荒地の魔女」の方はその邪悪さが噂話の域をあまり出ていないように感じます。  そして彼女が目に見える形でしでかした「悪さ」というやつが、せいぜいがソフィーをお婆さんに変身させちゃったとか、ハウルの心臓を手に入れるための呪いをかけたという程度(人の心臓を手に入れるというのは結構邪悪ではあるけれど)で、その目的もはっきりしていないので得体の知れない恐ろしさみたいなものもさほど感じさせません。

だから、物語の後半でその「荒地の魔女」とハウルの戦いが起こっても、それがこの世にある全生命に対する脅威というよりは、「個人の事情による喧嘩の激しいヤツ」という印象で切迫感には欠けているように感じました。  とは言うものの、呪いをかけられた当人にとってはこれは一大事なわけで、そういう意味での緊迫感・切実感はあるので冗長さのようなものは感じられません。  そして物語前半では「なぜ?」が語られていないので、後半でその謎解きが一挙に表出するというタイプの物語構成になっています。

こういう場合、その前半部分が「何が何やらわからないのでつまらない」となりがちなところを救っているのが、その動く城内で交わされる会話の面白さで、登場キャラクターたちのハチャメチャぶりが面白さのツボをほどよくくすぐって先を読まされちゃった・・・・・そんな印象でした。


本日も「トールキン祭り 絵本の部」です。

ブリスさん
著 & 絵:J.R.R.トールキン 訳:田中明子  評論社

41QOG9QWBPL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

車を買ったブリスさん。  目のさめるような黄色い車体に、まっ赤な車輪。  友人のドーキンズ兄弟をたずねておどろかせてやろうと、いさんで発車オーライ。  ところが、ところが―。  トールキン自筆の、しゃれたセンスあふれる楽しいイラストと、味わい深い筆蹟を収めた、ユーモアおはなし絵本。  (Amazon 内容紹介より転載)

この絵本の何よりもの魅力はやはりトールキン先生直筆の絵と筆跡が堪能できることではないでしょうか?  同じような楽しみ方ができるもう1つの絵本(?)に「サンタ・クロースからの手紙」があるけれど、あちらの文字はどちらかというと「飾り文字風」なのに対し、こちらの文字は恐らくトールキン先生の「普段使いの文字」なんだろうと思います。  

多くの外人さんの文字は KiKi なんかにしてみると「悪筆」とでも呼びたいような読みにくい文字が珍しくないのに対し、トールキン先生の文字は若干の癖はあるものの活字風でとても読みやすいと思います。  そして、この本では見開きの左ページに和訳が、右ページにトールキン先生の手による絵と英文字という作りになっていて、絵や文字が堪能できるのみならず、ついでに英語の勉強(?)までできちゃうのが嬉しいところです。  

お話はイギリス人ならではの日本人とはちょっと違うユーモア感覚(しかもどことなく偏屈で皮肉っぽい)に溢れたドタバタコメディといった趣で、読者によって好き嫌いがはっきりわかれちゃうような気もするけれど、ページ番号まで自筆で振られたこんな手作り感満載の絵本をプレゼントされたトールキン家の三兄弟が羨ましい限りです。

久々開催の「トールキン祭り」の次の1冊は絵本です。  本日のKiKi の読了本はこちらです。

ビルボの別れの歌
著:J.R.R.トールキン 訳:脇明子 絵:P.ベインズ  岩波書店

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魔法使いのガンダルフとともに冒険の旅を果たしたホビット小人族のビルボも中つ国を去る最後の旅立ちの時をむかえます。  彼の脳裏をかすめる思い出の数々を美しい絵でたどる、作者生誕100年記念出版。  (Amazon 内容紹介より転載)

まずは装丁の緑がいいですね~。  KiKi にとってエルフのイメージ・カラーは緑。  「ロスロリアン」といい「闇の森」といい森の中で暮らす種族というイメージが強いし、この「ビルボの別れの歌」の段階ではエルフ最盛期の終焉を迎え、中つ国を去ろうというのですから、生命力にあふれた新緑の色ではなく、やっぱりこの本のような深い緑色こそ相応しいでしょう。

さて、この絵本の絵を描いたのはP.ベインズさん。  あのトールキン先生の大親友のC.S.ルイスの「ナルニア」の挿し絵でも有名です。  さらにさらに、この後読み進む予定の「トールキン小品集(最近の本では「農夫ジャイルズの冒険」)」の挿し絵もこのベインズさん。  昨今の漫画チックな挿し絵とは一味もふた味も違う、どこかクラシックでどこか幻想的で、写実的ではあってもどこかコケティッシュな絵が魅力的です。

この絵本の構成としては各見開きページの上段には「指輪物語」の最後の部分、指輪所持者たちが馬で西に向かい、灰色港から旅立っていくそのプロセスが描かれ、下段には「ホビットの冒険」の様々なシーンが描かれています。  絵本の絵を見ながら、読み慣れた「ホビットの冒険」のワンシーン・ワンシーンを思い出し、ビルボと一緒に思い出に耽ることができる時間は何とも言えない贅沢なものに感じられました。


先週の日曜日のロングドライブとその後の老人ホーム訪問ですっかり体調を崩し、この1週間はネットにアクセスする元気もありませんでした。  KiKi にとってほぼ持病となっている強い吐き気を伴う眩暈にも襲われ、活字を読む元気もありませんでした。  まだまだ本調子とまではいかないけれど、今日はだいぶ気分がいいので、ここまでずっと放置状態だった読了本を Review しておきたいと思います。

仔犬のローヴァーの冒険
著:J.R.R.トールキン 訳:山本史郎  原書房

51Y4BM3D5CL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

4歳のマイケルが海岸で、お気に入りのおもちゃをなくしてしまった。  それは鉛でできた犬のおもちゃで、マイケルは海岸で遊ぶ時でさえ、手放したがらないほど気に入っていたものだった。  マイケルをなぐさめ、気を紛らわすため、父親のトールキンは即興で物語を考えた。  それはローヴァーという本物の犬が、魔法によっておもちゃの犬に変えられ、この悪さをした魔法使いを探し求めながら、様々の奇想天外な冒険をした後に、ふたたび本物の犬にもどるという物語だった。  恐ろしい竜、賢い老鯨、海の王者、月の男などが登場するこの魅力的な物語は、トールキン一家のとびきりのお気に入りとなった・・・・。

執筆されてから70年、作者トールキン自身による挿絵とともに、このファンタジー作品がついに発表された。  冗談や言葉遊びがいっぱいで、スリルやユーモアにあふれるこの物語には、無数にいるトールキンファンだけでなく、面白い物語が好きという人なら、きっと満足するに違いない。  (単行本扉より転載)

この物語が書かれたきっかけが、お気に入りのおもちゃをなくしてしまった自分の息子をなぐさめるため・・・・という極めて私的で尚且つ愛情にあふれたものであることを反映し、冒険ものとはいうものの、ハラハラドキドキというよりホンワカホッコリという暖かい空気感にあふれた物語だったと思います。  

モチーフとなっているエピソードの1つ1つは後の「ホビットの冒険」や「指輪物語」に通じるところもあるのですが、どちらかというと「北欧神話」をメインとする西洋神話群や、イギリスの典型的な言葉遊びの「マザー・グース」をかなり意識した(これは当初の対象読者が自分の子供達だった故)ものになっていると感じました。  もっとも肝心の言葉遊びの方はそこかしこに訳者の山本さんの工夫の跡が見える・・・・というだけで、英語ではどうなっていたのかは今の KiKi には知る術もないのですが・・・・。

トールキンの伝記を読んで以来、久々の「トールキン祭り」(?)を開催中です。  本日の読了本はこちら。

サー・ガウェインと緑の騎士
著:J.R.R.トールキン 訳:山本史郎  原書房

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「サー・ガウェインと緑の騎士」、「真珠」、「サー・オルフェオ」という、イギリス中世に書かれた3つの物語を、トールキンが解釈した形で現代語訳(英訳)したものを日本語に移した作品集。  (Amazon 内容紹介より転載)

あの伝記の中でも「ホビット」、「指輪物語」、「シルマリル」と同じぐらい特記されていた「サー・ガウェイン」。  そんな作品なのにこれまでなかなかこの本をちゃんと読んでみようという気分にならなかったのは、偏にこれが「日本語訳」だからです。  と言うのも、本業が言語学者であるトールキン先生はいわゆる古英語で書かれたこの作品を現代英語訳をされたわけで、それをさらに極東の言葉に移植したものにどの程度読む価値があるのかなぁ・・・・と懐疑的だったんですよね。

一方で「アーサー王関連」の本は我が日本国にも何種類もあるわけで、敢えてトールキンに拘る必要はないのかなぁ・・・・と。  英文学を学んだ人間が読むとするなら、やっぱりトールキン先生が書かれた「英語版」であるべきなんだろうと思うけど、それに手を出すほどには興味もない。  ま、そんなわけで、長らくこの本は KiKi にとって積読本でした。  (大学時代に斜め読みしたことはあったけど ^^;)

そんな本を今回読んでみる気になったのは「J.R.R.トールキン 或る伝記」を読み、トールキン先生の言語学者としての生涯に感銘を受けたからにほかなりません。  あの伝記読了以来、人知れず「久々のトールキン祭り」を開催中の KiKi です。


先日「J.R.R.トールキン 或る伝記」を読了した流れで、これまでどうしても通読という形では読了できていなかったこの大作に手を出してみました。

シルマリルの物語
著:J.R.R.トールキン 訳:田中明子  評論社

51ZYS2Y3B6L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

唯一なる神「エル」の天地創造、大宝玉「シルマリル」をめぐる争い、不死のエルフ族と有限の命を持つ人間の創世記のドラマ。  「指輪物語」に先立つ壮大な神話的世界。  上下巻をまとめ、著者トールキンの手紙も収録した新版。  (Amazon 内容紹介より転載)

「シルマリルリオン」(シルマリルの物語)は、上古の代、即ち世界の第一紀の事蹟を記したものである。  「指輪物語」は第三紀末の大いなる出来事を語ったものであるが、「シルマリルリオン」に語られていることは、それを遥かに遡る昔、一代目の冥王モルゴスが中つ国に拠点を定め、上のエルフたちがシルマリルの奪回を図ってかれに戦いを挑んだ、遠い時代から伝えられてきた伝承なのである。  -クリストファー・トールキンの「初版序文」より  (単行本扉より転載)

いや~、結構苦労しました ^^;  内容より何より、まずこの本、重い!  物語の重厚さをこの重さを以って体で実感しろ!と言われている位重い。  特に KiKi のように「お布団読書」が身についてしまっていると、この重さがあたかも苦行のようです。  そして次に襲ってくるのが「指輪物語」や「ホビットの冒険」のような物語口調というよりは、創世神話口調であるが故のある種の堅苦しさ、歴史の教科書にも似た固有名詞や出来事の列挙に冒頭からめげさせてくれちゃいます。

でも今回何とかその重圧を跳ね返して読了することができたのは、あの「J.R.R.トールキン 或る伝記」を読むことによって知った、この物語の出版に拘ったトールキン先生の想いの深さへの感動と、この物語を何十年と言う年月をかけて練り上げたその執念への敬意があったればこそでした。  

と同時にこの物語が冒頭から筋を追って書き上げられたものではなく(≒ 私たちが手にしている「シルマリルの物語」として完成されたものではなく)、トールキン先生ご自身はあっちを書いたりこっちを書いたり、書いているうちに既に書き上げたところを直したりと様々なプロセスを経た遺稿を残されただけのものだったということ、この「シルマリルの物語」はそんな断片的な遺稿を息子さんであるクリストファー・トールキン氏が可能な限り時系列に並び替え、最終稿と考えられるものを寄せ集めたものであることをしっかりと念頭に置いて取り組むことができたということにもあるように感じます。

と言うのもね、そこかしこに「既に別のところで語ったように・・・・・」というような言葉が出てくるんだけど、時に読者の立場からしてみると「え? まだ語ってもらった覚えはないけど・・・・・。  ひょっとして私が忘れちゃった??」と不安になってしまうようなことがあるんですよ。  これ、順を追って書かれたもの(最低でもそういう観点で推敲されたもの)という前提条件に立って読むから湧き上がってくる疑問なわけで、「ふ~ん、まだ語られた覚えはないけど、まあいいや。  そのうち出てくるんだろう・・・・」ぐらいな気分で読むとその度に躓くということがなくなります。  そして多くの場合、確かにページ的には後の部分でそれにまつわる逸話が詳細に語られていたりすると「なるほど・・・・」と合点がいく、そういうことがままありました。

そして、過去に挫折したもう一つの要因、「まるで教科書みたい」と感じられる固有名詞や出来事の列挙の部分に関しても、彼はこの「シルマリルの物語」で物語を書こうとしていたのではなく、言語学者として言葉が生まれるそのいきさつやその言語を考案し使う使い手の歴史を書こうとしていたというスタンスで読めば、「音を楽しむ」スタンスで眺めたり、時には読み流すということができるようになり、今回の読書では先へ進む障害とはなりえないことを発見しました。

もちろん、そうやって読み流していると、往々にして巻末の「語句解説」と本文の間をいったりきたり・・・・ということにはなるのですが、それでも既に読み終わったはずの頁を遡るのと比較すれば遥かに楽な作業だし、何よりも言葉を音として捉えることに重きを置くことによって、ストーリーを追う作業に過去の読書よりも遥かに集中することができました。  結果、細かい部分はともかくとしておおまかなストーリーは頭に残ったように感じます。

 

おでかけスケジュールがある中で児童書を読むと、Review が追いつきません ^^;  ま、てなわけで本来なら一つ一つ別建てエントリーでお話したいところ・・・・ではあるのですが、今回はまとめてエントリーです。  読了したのは佐藤さとるさんの作品2点です。

星からおちた小さな人
著:佐藤さとる 絵:村上勉 講談社青い鳥文庫

51KybKQZuyL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「矢じるしの先っぽの国、コロボックル小国」は、人間の世界からいろいろなことを学んで、めざましくかわりはじめていた。  学校をつくり、新聞を発行し、科学も学んだ。  ただ、なるべく人間とかかわらないよう、ひっそりと暮らしていた。  だが、新型飛行機の試験飛行の日、コロボックルの1人がついに人間にみつかってしまう。  コロボックルのことなど、何も知らない少年に・・・・。  (単行本扉より転載)

本朝奇談 天狗童子
著:佐藤さとる 絵:村上豊 あかね書房

51Y5854F2PL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「ややややや。」 そんな声をあげたのも、無理はない。  月の光の中で起きあがったのは、たしかにカラスだったが、ただのカラスではなかった。  飛んでいる時はわからなかったが、今見るとカラスの頭には、山伏のつけるような小さな兜巾(ときん)がある。  背中に立派な翼があるのに、肩の両脇からかわいい手が出ている。  そしてほとんど全身が、黒い羽毛に包まれているから、こんな夜には、まずカラスと見分けがつかない。  もちろん尾羽もある。  (単行本帯より転載)

相模大山のカラス天狗・九郎丸が、戦国時代の夜空を翔る壮大なファンタジー。  (Amazon 内容紹介より転載)


どちらの作品も楽しい物語でした。  今日は2冊まとめての Review なので一つ一つの作品の Review は短めです。

まずは「コロボックル物語シリーズ」の第3作。  「星からおちた小さな人」です。  相変わらず小さな人間じみたコロボックルは人間社会の発展をなぞるかのように文明的発展(?)を遂げ続けています。  でもさすがに著者の佐藤さんもコロボックルという存在が人間模倣生き物ではいけないと感じられていらしたらしく(?)ところどころに、人間のやることをひたすら真似ているわけではないというような趣旨の記述がみられます。  

そんな作者の迷いのようなものに接してみて、KiKi もちょっと考えさせられました。  よくよく考えてみればこの物語が書かれた時代は、それまでとは見違えるような変化が生活のあらゆる面で目まぐるしかった時代だったわけです。  しかもそれまでは「夢物語」と思われていた様なことが日常生活レベルで実現できるようになってきた進歩の時代。  さらには進歩≒良いことという価値観が大きかった時代でもあるわけで、KiKi が前作の Review で書いた

「どうせなら擬人化した小人ではなくどこか人間とは価値観とかものの考え方に大きな差がある生物であってくれた方が異文化交流の雰囲気が出てきてハチャメチャかもしれないけれどもっともっと楽しい物語になったんじゃないかと思わないでもありません。」

というような感想は後出しじゃんけんみたいな意見なのかもしれないなぁ・・・・と考えさせられました。  実際、KiKi もある年齢までは都会でバリバリ働いて、必要なものは稼いだ金で買えばいいという価値観で生きてきたわけで、ここ何年かで初めてそんな生活スタイルに「待った」をかけるようになったわけです。  そういう意味ではあの都会生活時代であればコロボックル社会の発展する様を「よし、よし」と上から目線で納得していたかもしれないなぁ・・・・と。


相変わらず松葉杖が手放せず、行動を著しく制限されている KiKi です。  そういう状況であるということは即ち我が家の2階にある本棚や図書館にはアクセスできないということであり、結果的にその場(1階のリビングとかお布団の中とか 笑)にいながらにして本を入手できる電子書籍に頼るしかないということを意味します。  ま、てなわけで My Kindle にアクセスしてぼけ~っと本のリストを眺めていた時に目に飛び込んできて思わず衝動買いしてしまった本が本日の KiKi の読了本です。


物語ること、生きること [Kindle版]
著:上橋菜穂子  講談社(Kindle)

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国際アンデルセン賞(児童文学界のノーベル賞)受賞!  作家になりたくて、でも、甘ったれの幸せな「夢見る夢子さん」のままじゃ作家には絶対なれないと思っていた10代。  自分で自分の背中を蹴っ飛ばし、外の世界に触れ、文化人類学の道を志した20代。  そして、その先に待ち受けていた「作家として生きつづける」という新たな登り坂......。  壮大な物語世界を生んだ作家の道程が問いかける、「読むこと」「書くこと」「生きること」とは。  (Amazon 内容紹介より転載)

図書館で上橋さんの「精霊の守り人」を借りて以来、嵌りに嵌った上橋ワールド。  その後「守り人 & 旅人」シリーズ全作、「獣の奏者」、「狐笛のかなた」、「月の森に、カミよ眠れ」、「隣のアボリジニ――小さな町に暮らす先住民」と彼女の手になる作品をそれこそ貪るように読み耽った日々が昨日のことのように思い出されます。

彼女の作品を読み進むにつけ、どこか根っこの部分で彼女の感性のようなものと KiKi 自身の感性のようなものにある種の親和性みたいなものを感じるようになりました。  そして彼女のプロフィールを眺めてみたらほぼ同い年であることが判明!  KiKi が感じる親和性の正体は「ある種の時代感覚か?」と思ったものでした。  そしてその後インタビュー記事やら岩波少年文庫の発刊60周年記念リーフレット、更には「『守り人』のすべて 守り人シリーズ完全ガイド」などを読んでみてわかったことは、彼女と KiKi は子供時代に同じような本を読んで感銘を受けていたんだなぁということでした。

先日、このエントリーでもお話したとおり、同じ物語の「瀬田訳」を読了したばかりですが、たまたま衝動買いしたこちらの存在を思い出したので、せっかくの機会・・・・・とばかりに読んでみました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ホビット ゆきてかえりし物語 (上)
著:J.R.R.トールキン 訳:山本史郎  原書房

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映画「ロード・オブ・ザ・リング」で世界中にブームをまきおこした J.R.R.トールキンの「指輪物語」。  その前章の物語「ホビット」の定本(第四版)の新訳版!  著者自筆の挿絵および各国語版の挿絵を収録。  時代を越えて読み継がれる名作の理解を助ける詳細な注釈つき。  2012年12月、3部作の第1弾「ホビット 思いがけない冒険」がついにロードショー!  (Amazon より転載)

KiKi が子供時代に出会った「ホビット」の日本語版は瀬田貞二さん訳の岩波書店のハードカバー本でした。  その後、長じてから原書房から山本さん訳の「ホビット―ゆきてかえりし物語」(↓)が出た際にこの「ゆきてかえりし物語」というフレーズに惹かれて(実際、原題・・・・かどうかははっきりしないけれど KiKi が持っている英語版 には There and Back Again という副題がついている)、読んでみようかと何度も思いました。

ホビット―ゆきてかえりし物語
著:J.R.R.トールキン 訳:山本史郎  原書房

51DFN3A19VL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ファンタジー界の金字塔「指輪物語」誕生のきっかけとなったのが本書。  著者トールキンがわが子のために書いた童話で、初版は1937年。  その後、続編となる大作「指輪物語」を書き進めるトールキンは、物語の整合性のため、前編ともいうべき「ホビット」に手を加え、2度3度と版を改めている。  51年版にはすでに邦訳があるが、本書は、アメリカのトールキン研究者ダグラス・A・アンダーソンが66年版をベースに、テキスト改訂の歴史をたどり注釈版として88年に出版したもので、本邦初の翻訳。  言ってみれば「ホビット」の決定版である。

特徴としては、著者自身によるイラストや、世界各国の翻訳版からの多様な挿絵が豊富に収められているところ。  そして、行間にときどき打たれる注ナンバー。  これは面倒であれば当然無視してかまわないが、本書は「注釈版」と銘を打つもの。  トールキンファンにとってはここがもっともおいしいところともいえる。  たとえば、闇の森を抜けて進むビルボが、巨大なクモの群れにお団子にされた仲間のドワーフたちを勇猛果敢に救出するくだりには、トールキンの談話としてこんな注釈がついている。  「話に蜘蛛の顛末をいれたのは、(中略)とくに息子の1人が激しく蜘蛛嫌いなのです。  この子をすっかり怖がらせてやろうと思って書いたのですが、この企みはまんまと成功しました」。  本書は「トールキン通」への道を約束してくれるだろう。  (Amazon より転載)

でも、結局長々とこの本を購入せずに(ついでに図書館で借りて読むこともせずに)きたのはひとえにこの「翻訳」に関して芳しからぬ評判を耳にしていたからでした。  そしてその芳しからぬ評判の中でもっとも KiKi の読書意欲を削いでくれちゃったのは、会話文の翻訳のところで「ナンタルチア」とか「サーラバイバイ」という一世を風靡(?)したかもしれないけれど死語と化しているように感じられる言葉が出てくるというお話と、ゴラムのセリフの中の "My Precious" が「僕チン」となっているというお話でした。

KiKi は辛うじて「ナンタルチア」は何気に記憶にあるものの「サーラバイバイ」はよくわからなかったし、"My Precious" の「僕チン」に至っては「何故そうなる??」と疑問符だらけ(ゴラムの "My Precious" は自分のことを言っているケースと指輪に呼びかけるケースがあるのに僕チンではその二重人格的な異様さがよく伝わってこない気がした)で、全体を読まずして「あとは推して知るべし・・・・」みたいな気分になっちゃって敬遠してここまできてしまいました。

でも映画化のおかげで比較的手を出しやすい文庫本も出たことだし、「ナンタルチア版」からは改訂もされていると聞いていたし、さらにはこちらのサイトで「ナンタルチア」や「サーラバイバイ」はともかくとして、情景描写なんかのところでは瀬田版よりも正しい翻訳になっている部分も多いということを聞きかじっていたこともあり、今回購入→読書という流れになりました。  さらに言えばトールキン・ファンの KiKi にとっては嬉しいほどの重厚な注釈(この上巻では本文246ページに対して、注釈が96ページ!)があるのも魅力でした。

ま、てなわけで注釈をいちいち参照しながら読み進めていたので上巻だけを読了するのに結構な日数がかかってしまったのですが、前評判から恐れていたほどには読みにくい訳ではなかったように感じました。  「ナンタルチア!」は消えて「驚き、桃の木、バナナの木」となっているのには結構笑えました。  「サーラバイバイ」は相変わらず・・・・・・。  「僕チン」は「愛シ子チャン」に変更されていて「僕チン」よりはいいけれど瀬田さんの「いとしいしと」のセンスにはちょっと及ばないかなぁ・・・・という感じでしょうか?(苦笑)

もう随分前にこの物語の Review は一度書いているのですが、たまたまつい先日、「ホビット 思いがけない冒険」のDVDを観たのを機に、再読してみました。

ホビットの冒険
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二  岩波書店

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ひっこみじあんで気のいいホビット小人族のビルボが、ある日、魔法使いとドワーフ小人に誘いだされて、竜に奪われた宝ものを取り返しに旅立ちます。  (Amazon より転載)

ホビットの冒険(上)
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二  岩波少年文庫

51H34SY57HL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ひっこみじあんで、気のいいホビット小人のビルボ・バギンズは、ある日、魔法使いガンダルフと13人のドワーフ小人に誘いだされて、竜に奪われた宝を取り返しに旅立ちます。  北欧の叙事詩を思わせる壮大なファンタジー。  (Amazon より転載)

ホビットの冒険(下)
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二  岩波少年文庫

515B3CQ5STL._SL500_AA300_.jpgのサムネール画像  (Amazon)

魔法の指輪を手に入れたビルボとその一行は、やみの森をぬけ、囚われた岩屋からもなんとか脱出に成功。  ビルボたちは、いよいよ恐ろしい竜スマウグに命がけの戦いを挑みます。  「指輪物語」の原点といわれる、雄大な空想物語。  (Amazon より転載)

とりあえず物語の Review は前回のエントリーでそこそこ書いているし、今回の読書でさほど違う感想を持ったわけではないので、今日の Review はちょっと違う切り口で書いてみたいと思います。

今回の読書も前回同様、KiKi が読んだのはこちら(↓)の「岩波少年文庫特装版」です。  

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実は KiKi はこの「ホビットの冒険」に関しては4種類の和訳本を持っている(英語版を含めるともっと多い ^^;)のですが、その1冊は上でご紹介した1冊目のハードカバー本です。  KiKi が子供時代に最初に読んだのはこの本でした。  その後、このブログではお馴染みになった「岩波少年文庫 全冊読破企画」をぶち上げた際に、同じく上でご紹介した2冊目、3冊目の現在市販されている岩波少年文庫版を購入しました。  今はこれら2冊は東京のマンションの本棚でお留守番中です。  その後、その企画の延長線上で古本屋さんを巡りにめぐってようやく入手したのが「特装版全冊セット」で、これは今では KiKi の宝物になっており、Lothlórien_山小舎にはこの特装版とハードカバーが置いてあります。

ハードカバー版は何と言っても思い出が詰まっている、とても大切な1冊なのですが、なにぶんにも重い・・・・・ ^^;  お布団読書にはあまり向きません。  で、結果的にハードカバー本は今では「本棚の飾り」「家具調度品の1つ」と成り下がってしまいました。  でもどうしても捨てたり売却したりする気にはなれないんですよね~。  それだけ KiKi にとって大切な品ということなんだと自分では思っています。

      

何となく鬱陶しいジェンダー思想丸出しになっちゃったゲド戦記。  気分的には「もうおなかいっぱい!」っていう感じで最後まで読み続けるのにあんまり気が進まなかったのですが、何事も途中で放り出すのはどうも苦手な性分で、手掛けてしまった以上終わりまでいくしかない・・・・・^^;  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記5 アースシーの風
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

51ZS8D0JCRL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

故郷のゴント島で妻テナー、養女テハヌーと共に静かに余生を送るゲド。  竜が暴れだし、ふたたび緊張が高まるアースシー世界。  テハヌーは王宮に呼び出され、レバンネン王から重要な使命を与えられる。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記6 アースシーの風
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

51ZllPxAOuL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

故郷の島で妻テナー、養女テハヌーと共に静かに余生を送るゲドも、70歳になった。  ふたたび竜が暴れだし、緊張が高まるアースシー世界を救うのは誰か。  (岩波少年文庫HPより転載)

気が乗らない中での読書だったので、正直なところあまりのめり込むことができませんでした ^^;  どちらかというと活字を追っているうちになんとか終わっちゃってやれやれ・・・・っていう感じでしょうか?  ところどころにはっとさせられるような記述もあるんですけど、結局どこかしらにジェンダーバイアスがかかったような記述が出てきて、そこで興ざめ・・・・・(苦笑)  KiKi 個人の結論としてはもともとのゲド戦記だった第3巻までで十分じゃないか?っていう感じです。

この作品から KiKi が読み取った一番大きなメッセージと思えるものは、「人間がこの世界をあたかも自分たちのために作りかえてきたかのように傲慢に振る舞っていることに対するある種の警鐘」という感じでしょうか・・・・。  

以前、このエントリーでも書いたように、KiKi が「ゲド戦記」を購入した頃、このシリーズは岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。  で、仕方なく今手元にある「ソフトカバー版」を Box Set で揃えたわけですが、その後だいぶ経ってから発刊された岩波少年文庫版とこのソフトカバー版の一番大きな違いは、こちらのソフトカバー版では外伝扱い(事実、外伝ではあるんだけど)で第5巻が「アースシーの風」となっているのに対し、岩波少年文庫版では第5巻がこの「ドラゴンフライ アースシーの五つの物語」と位置付けられ、「アースシーの風」は第6巻扱いになっていることでした。

で、調べてみると実際のところル=グウィン女史が書いたのも岩波少年文庫に収録されている順番だし、Wikipedia を見ると

「ドラゴンフライ」は「アースシーの風」と深いかかわりがあり、先に書かれたこちらを読むと理解が早い。

とあったので、KiKi もそのオススメに従ってまずはこちらを読んでみました。

ゲド戦記 別巻 ゲド戦記外伝
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

514Z6Y4QNCL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

アースシーを鮮やかに照らしだす五つの物語「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」と、詳細な解説を収める番外編。  ル=グウィンの構想した世界の全貌が見えてくる一冊。(ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記 ドラゴンフライ アースシーの五つの物語
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

51+788+cbHL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

5つの物語(「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」)と、作者による詳しい解説を収める〈外伝〉。  作者の構想したアースシー世界の全貌が鮮やかに見えてくる、「ゲド戦記」ファン必見の一冊。  (岩波少年文庫HPより転載)

この本に収録されている作品は以下の通り(Wikipedia より転載)です。


「カワウソ」
ロークの学院開設の功労者にして、初代守りの長、メドラ(カワウソ/アジサシ)の一生を通じて、学院の黎明期を描く。

「ダークローズとダイヤモンド」
エシーリ(ダイヤモンド)とローズの恋物語(ローズの方は真の名が明かされない)。

「地の骨」
アイハル(ダンマリ、のちにオジオン)がヘレス(ダルス)に師事した時と、二人が協力してゴントの大地震を鎮めた時の顛末。

「湿原で」
ロークから逃げ出した魔法使いイリオス(オタク)と、彼を匿った未亡人エマー(メグミ)、そしてイリオスを追ってきた大賢人ゲドの物語。

「トンボ」
「アースシーの風」の重要人物オーム・アイリアン(ドラゴンフライ)の幼年期と青春時代、ロークへの旅と呼び出しの長達との対立、竜への覚醒までを描く。

アースシー解説
アースシーの世界観について、文化や歴史、伝説などの、作者による解説。


それぞれに大筋としてはなかなか読みごたえのある物語だったとは思うのですが、正直なところ KiKi にはあまり気に入りませんでした。  今日はその「気に入らない」ことに関して Review を書きたいと思います。  

モノの本によれば第3巻と4巻の間には発表までに長い間隔があったとのこと。  そのためか、第3巻までは表紙にしろ、各章の章題の下に付されている挿し絵にしろ、それらが切り絵細工風の趣のあるものだったのに対し、この第4巻からは何気に現代ものっぽい挿し絵に変更になっています。  と同時に第3巻まではメインの読者対象が子供だったのに対し、この第4巻は大人、それもちょっと鬱積した気分を抱えた女性を対象にしているのかな?と思わないでもありません。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記4 帰還
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

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魔法の力を使い果たしたゲドは故郷ゴント島に戻り、テナーと再会する。  大火傷を負った少女も加えての共同生活が軌道にのりだした頃、三人は領主の館をめぐる陰謀に巻き込まれてゆく。  太古の魔法を受け継ぐのは誰か。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記4 帰還
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

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平和と秩序を回復するため全力を出しきったゲドは、故郷の島に帰った。  心身ともに衰えた初老のゲドに、思いがけない女性との再会が待っていた。  (岩波少年文庫HPより転載)

この物語の原語版が世に出たのが1990年、続いて日本語版が出たのが1993年なのだそうです。  いわゆる「ジェンダー」という言葉が「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の問題を扱う世界で使われ始めたのが1950年代から1960年代にかけて、その同じ言葉が社会科学の分野で使われ始めるようになった(社会・文化的に形成された性;要するに性的役割というような分野で使われるようになった)のが70年代でした。  そしてその70年代に始まった定義が80年代に入るとフェミニストの間では「ジェンダー」という言葉の当然の定義となされるようになりました。  そういう意味ではこの物語が書かれた背景には確実にアメリカ社会における「女性の社会的自立・社会進出」の影響があったことは想像に難くありません。

だから・・・・・なのか、そこかしこに「ジェンダー論」的な表現が顔を出します。  だいたいにおいて、「ゲド戦記」と銘打っている割にはこの第4巻、メインの登場人物は第2巻の「壊れた腕環」でゲドに助け出された元大巫女のテナーと彼女がひょんなことから引き取ることになった大火傷を負った少女テルー、更には彼女たちの生活を何かと助けるコケばばとよばれるまじない女っていう感じで、色々な世代の女性のオン・パレードです。  


今日は「ゲド戦記」の3巻目の Review です。  巷の噂によればジブリのアニメ「ゲド戦記」はこの巻の内容をベースにしているとか・・・・・。  その映画は観ていないし、これからもたまたまつけた TV で放映されていて他には観るものもないような状況にでも陥らない限り、特に観る予定もないので「だから何だ?」っていう感じですが、もしもジブリ映画に関する何らかの情報を期待される方が何かの間違いでこのエントリーにお立ち寄りいただいたとしたなら、このエントリーでは全くそれには触れていないことを最初にお断りしておきます。

ゲド戦記3 さいはての島へ
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

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大賢人ゲドのもとに、ある国の王子が知らせをもってきた。  彼の国では魔法の力が衰え、人々は無気力になり、まるで国中が死の訪れを待っているようだと。  ゲドはアレン王子を連れ、見えない敵を求めて旅に出る。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記3 さいはての島へ
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

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アースシーを治める大賢人となったゲドは、災いの源を断つため、若い王子をともなって最果ての地におもむき、死力を尽くして戦う。  (岩波少年文庫HPより転載)

第1巻では若造ゲド、第2巻では青年ゲド、そしてこの第3巻では初老のゲドという感じで老成していっています。  それに伴い、「才能ある魔法使いの弟子」 → 「竜人(竜と話せる人)」 → 「大賢人」と称号が変わってきています。 

さて、第2巻でゲドは世界に平和をもたらすとされる「エレス・アクベの腕環」を復元しました。  その時、KiKi は

ゲドのようにお気楽に

「見よ!  私は闇で光を見つけたぞ。  光の精を見つけたぞ。」

とか

「この人のおかげで、古き悪は滅び、 (中略) この人のおかげで、壊れたものはひとつになり、この人のおかげで、憎しみのあったところに平和がもたらされるんだ。」

な~んていう風には思えないんですけど・・・・・ ^^;

と書いたわけですが、案の定(?)、アーキペラゴ全域において魔法使いが大切にしてきた均衡が失われ、秩序とモラルが崩壊し始めていました。  そして、どうやらこの第3巻のメインプロットは「世界を平和に統治する優れた王の育成」ということになったようです。

物語によれば過去にアースシー全土の王となったマハリオンという方が、「暗黒の地を生きて通過し、真昼の遠き岸辺に達したものが私の後を継ぐであろう」と言い残したということになっています。  そして、このマハリオン亡き後、これまで800年玉座は空っぽだったとのこと・・・・・・  そして、この第3巻ではゲドを訪ねてきたエンラッドの王子アレンがゲドと共に異変の原因をつきとめ、処置をほどこす旅に同行することになるところから物語は始まります。  これはどうやらグウィン版「行きて帰りし物語」となる気配プンプンです(笑)。


KiKi が大学時代に初めて出会った物語「ゲド戦記」。  ただしその時には KiKi は何故か第1巻しか読んでいなかったように思うんですよね。  実際、今回この第2巻を読んでみても「同じようなプロットの話を読んだことがあるような、ないような?」という程度の印象だったし・・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記2 こわれた腕環
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

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アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。  青年ゲドは、平和をもたらすエレス・アクベの腕環を求めてアチュアンの墓所へおもむき、暗黒の地下迷宮を守る巫女の少女アルハと出会う。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記2 こわれた腕環
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

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アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。  力みなぎるゲドは、平和をもたらす不思議な腕環を求めて旅し、暗黒の地下で迷宮を守る巫女の少女と出会う。  (岩波少年文庫HPより転載)

この物語、前半を読み進めているうちは「どこがゲド戦記なんだ?」と思わないでもありません。  何せ、肝心要のゲドは登場しないし、色彩感溢れる世界だった前作が描くアースシーとはどこか趣を異にしたモノクロの世界、カルカド帝国に属するアチュアンという墓所が舞台なんですから・・・・・。  しかもこの墓所は光らしい光のない全くの闇の世界。  さらに言えばそこかしこに崩れやら綻び、さらには降り積もった埃なんかが充満する死臭に満ちた世界なんです。  もちろん前作出てきた「影」が象徴する物の中には「死」さえも含まれていたとは思うけれど、あちらでは確かに存在するものとして明確に描かれていた「生」の気配がこちらの作品ではほぼナシと言っても過言ではないようなスタートを切ります。

アルハ(幼名もしくは真名:テナー)は大巫女のしるしを持っている者として、6歳の頃にアチュアンの墓所に連れてこられ、テナーという真名を取り上げられ、「名なきもの」と呼ばれるこの地の精霊たちの大巫女となるべく教育を受けさせられます。  彼女が大巫女となる儀式は「玉座の神殿」で執り行われ、その儀式が象徴するのは「永遠に生まれ変わる(死を超越した もしくは 死そのものの)巫女」の再来ということのようです。  

因みにその儀式は白覆面で顔を覆われた男におおきな刀でクビを落とされるという象徴的な行為が黒装束の男たちによって止められることで始まります。  この儀式によって、普通の人間(生ける者)であったテナーは死に、「名なきもの」に捧げられた「食らわれしもの」(≒ アルハ)となるのです。  アルハとなったテナーはアチュアンの墓所の「玉座の神殿」の大巫女となり、そこは男であればどんなに身分の高いものであっても踏み入れることは許されない聖域でした。  もっと言うならそこは普通の巫女であっても立ち入られる場所が限られており、神殿の地下に広がる墓所の地下迷宮を統べることができるのは大巫女のみという実に閉鎖的な世界です。

普通の人間だったテナーがこの儀式によって得たものは何だったのか?と言うなら、誰も自分の言うことには逆らえない「大巫女」というポジションと、あの儀式で自分の首に向けられた刃のような殺意・・・・だったような気がします。  それも善悪というような価値観を超越した「ひたすら死だけを求めるような根源的な殺意」とでも呼ぶべきものだったのではないかと・・・・・。  それをさらに助長させていくのが、複雑に入り組み何年もかけて手さぐりと記憶のみでアルハが探索していった地下迷宮の「永遠に続くように思われるような暗闇」と彼女に課せられた「政治犯の抹殺」という殺人行為だったのではないかと感じます。

ただ彼女は「生けるもの」だった時代の記憶のほとんどを失っていたとはいえ、辛うじて「生につながる何か」をその奥底に持ち続けていました。  だからこそ、彼女は「大巫女のお仕事」として与えられた最初の殺人を命じた後、悪夢に悩まされる日々を送ります。  ただその悪夢の正体が何なのか?を考える力は奪われています。  何故なら彼女が6歳の頃から受け続けてきている教育には「生」が含まれていないからです。  と同時に、この第2巻の主人公がゲドではなくテナー(アルハ)という女性である意味はここにあるのではないかと KiKi は感じました。  子を産む女性ゆえに根源的に持ち続けている「生」への拘り・・・・・のようなもの。  

 

一応大学では「英文学」なんちゅうモンを学んだ KiKi が児童文学を自分の後半生のライフワークの1つと思い定め「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶち上げた頃、残念なことにこの作品は岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。  「何故??」と思いつつもないものはしょうがない・・・・と諦め、こちらのソフトカバー版で Box 入り全冊を買い揃えました。  その後数年してジブリ映画の影響もあってかこのシリーズが岩波少年文庫のラインナップに含まれた時、KiKi がどれほど歯ぎしりしたことか!!  商売って言うモンはこういうモンと思い知らされた1つの印象深いエピソードとなりました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ゲド戦記1 影との戦い
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波書店

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アースシーのゴント島に生まれた少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、真の魔法を学ぶためローク学院に入る。  進歩は早かった。  得意になったゲドは、禁じられた呪文を唱えてしまう。  (ソフトカバー版扉より転載)

ゲド戦記1 影との戦い
著:U.K.ル=グウィン 訳:清水真砂子  岩波少年文庫

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少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、ローク学院で真の魔法を学ぶ。  血気にはやる高慢なゲドは、修業中あやまって死の影を呼びだしてしまい、きびしい試練にのぞむ.  (岩波少年文庫HPより転載)

ルイスの「ナルニア」、トールキンの「指輪」と並んで、三大ファンタジーと呼ばれることもあるこの作品。  実は KiKi が初めて出会ったのは大学時代でした。  もっともこの作品に子供時代に出会っても何が何やらチンプンカンプンだったかもしれません。  それはとりもなおさず、子供時代の KiKi がゲドと同じように「明るさ」、「カッコよさ」、「美しさ」に惹かれ、物を測る尺度のかなり大きな部分が「役に立つか否か」だったことに寄っていたからです。  そう言う意味では子供時代の KiKi にはゲドが出会う師たちの言葉の1つ1つがゲド同様にピンとこなかったような気がして仕方ない・・・・・ ^^;  と、同時に影の正体が何なのか?は分からずじまいだった可能性もあるような気がしています。

でも、幸いなことに KiKi がこの物語に出会ったのは大学時代でした。  そういう意味ではユングやフロイトも少しは聞きかじっていたし、哲学的な思考というやつもわずかながら芽生えていたし、更には自分の身の回りで起こっていることを懐疑的に考え直してみるという姿勢も少しずつ生まれていた時代に読んだことにより、印象に残る作品の1つになっていたように思います。

  

近くて遠い国、朝鮮の民話なんて初めて読んだような気がします。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ネギをうえた人 朝鮮民話選
編:金素雲  岩波少年文庫

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人間はどうしてネギを食べるようになったのか?  ネコとイヌがけんかするのはなぜ?  おばあさんは悪いトラをどうやって追いはらったか ― 動物と人間がくりひろげるのどかな世界が語られる朝鮮の民話33編。  (文庫本裏表紙より転載)

今では BS チャンネルの番組表を眺めてみると、「はて、ここは日本か、韓国か??」と訝しく思っちゃうぐらい、韓流ドラマが横行している我が日本国。  これだけ四六時中韓流ドラマにさらされている割には、彼の国の文化に関しては実はさほどちゃんと認識されていないように感じるのは KiKi だけかしら??  ま、そんなことを言う KiKi 自身にしたって近くて遠い国韓国について、ましてや拉致問題でかなりお馴染みになった北朝鮮に至ってはほとんど何も知らないと言っても過言ではない人生を送ってきています。

この本のあとがきの編者の言葉にある


デンマークに生まれたアンデルセンの物語ならたいてい知っているあなたたちに、今度はこの近い隣の国の昔がたりも読んでもらいたいと思います。


はまさに KiKi 向けに語りかけられた言葉のように感じます。  でも実はこの本は1953年にはちゃんと日本に紹介されていたんですねぇ・・・・。  きっと子供時代の KiKi は岩波少年文庫のラインナップを眺めていても「朝鮮民話選」と見た瞬間に切り捨てていたんだと思います ^^;  朝鮮と言う国を蔑視まではしていなかったけれど、やっぱり心の中のどこかに西洋文化への憧れを強く抱いていた子供でしたから、心の中のどこにも「お隣の国」という意識さえ持っていなかったような気がするんですよね~。


「星降る夜」という言葉が1年のうちでももっともぴったりとはまる X'mas Eve に巷では大人気らしいこのシリーズの最終巻を読了しました。

RDG(6) 星降る夜に願うこと
著:荻原規子  角川書店

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泉水子は「戦国学園祭」で能力を顕現させた。  影の生徒会長・村上穂高は、世界遺産候補となる学園トップを泉水子と判定するが、陰陽師を代表する高柳は、異議をとなえる。  そして、IUCN(国際自然保護連合)は、人間を救済する人間の世界遺産を見つけだすため、泉水子に働きかけ始めた!?  泉水子と深行は、だれも思いつかない道のりへ踏みだす。  姫神による人類滅亡の未来を救うことはできるのか―。  ついにRDGシリーズ、完結。  (単行本扉より転載)

う~ん、前作の Review でも書いたことの繰り返しになってしまうんだけど、決してつまらない物語とは思わないんだけど、読了してみて何も心に残らないのは同じだなぁ・・・・・。  ま、今作の場合、そして KiKi の場合、第5巻までのお話があんまり心に残っていないうえに、結構間が空いちゃって(第5巻を読了したのが去年の12月18日)、「戦国学園祭」とか「影の生徒会長」とか「高柳ポチ」とか、断片的な記憶はあるものの、話がちゃんと繋がっていかないという問題があったことも否定できないんですけどね(苦笑)  

だいたいにおいて今作の冒頭で泉水子ちゃんがコンコンと眠っているところで「あれ?  何でこの子は眠ってるんだっけ??」っていう感じで、すぐに物語に乗るということができなかったし・・・・・ ^^;  こういうシリーズものはやっぱり全作完結して、ついでに言えば文庫化されてから読むのが KiKi には向いているみたいです(笑)


TV番組でもあちらこちらで「忠臣蔵」が放映される季節になってきました。  その同じ時期に、吾妻郡図書館で購入依頼を出してあったこちらが届いたという連絡を受け早速読んでみました。  KiKi のお気に入りの「白狐魔記」の最新刊、「元禄の雪」です。

白狐魔記6 元禄の雪
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探求の物語。  時は江戸時代中期、元禄十四年。  俳諧や歌舞伎など町の文化が花ひらき、人びとは天下太平の世を謳歌していた。  しかし、白狐魔丸は江戸城から強い邪気がただよってくるのを感じる。  赤穂事件がおきたのは、その直後だった。  (単行本扉より転載)

やっぱり好きだなぁ、白狐魔記。  前作で「白狐大仙(びゃっこだいせん)」な~んていう大層なお名前を白駒山の仙人から授かった白狐魔丸だったけど、やっぱりそんな立派過ぎる名前よりも白狐魔丸の方がしっくりきます。  これは白狐魔丸が持っているある種の素直さ、可愛らしさ、まっ直ぐさによるところが大きいのではないかしら??

今作は表紙からしても、タイトルからしても赤穂事件を扱っているのは読む前から明らかだったけれど、太平の元禄時代に江戸城から漂ってくるという邪気に関して言えば KiKi がイメージしていたものとは大きく異なっていました。  読む前にはこの邪気は吉良上野介と浅野内匠頭との間のスッタモンダによるものかと想像していたんだけど、太平の世ゆえの、そして徳川家独裁体制の中での大名家と幕府との間のパワー・バランスみたいなものに端を発している邪気という発想は KiKi にとってはちょっと意表をついていたのと同時に、読んでみて説得力のあるものでした。

白狐魔丸が人間社会を徘徊する際に化けるのは多くの場合が「白犬」か「人間の商人」というのは以前のシリーズからお馴染みだったけれど、今作は「生類憐みの令発令中」という状況下での「犬姿」なので、そこから出てくる物語にも説得力があり、安心して楽しめるサイドストーリーが多かったようにも感じました。

ジーク 1&2 斉藤洋

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図書館で借りて読み進めている「白狐魔記」のシリーズがなかなかお気に入りだったので、同じ著者の他の本も読んでみたくなり、同じく図書館で借り出してきてみました。

ジーク 月のしずく 日のしずく
著:斉藤洋  偕成社

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父アレス亡きあと、ジークは運命の糸のみちびかれるまま、都にのぼり、さまざまな仲間とめぐりあい、アーギスと宿命の対決をする...。  (単行本扉より転載)

ジークⅡ ゴルドニア戦記
著:斉藤洋  偕成社

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金の瞳、銀の瞳を持つジークは、故郷ジルバニア国をはなれ、親友バルやサランと共に海をわたり、ゴルドニア国へむかう。  隣国ブラウニアに攻めこまれ、ゴルドニアは窮地におちいっていた。  (単行本扉より転載)

正直なところ、「白狐魔記」ほどは面白いと思えませんでした。  でもそれは恐らく KiKi が50代の♀だからで、小学生ぐらいの時にこの物語を読んだらそれなりに感動したような気がします。  ものすご~く王道の貴種流離譚でそういう意味では先が読めちゃうんだけど、特に第1巻ではジークを取り巻く人々がとても生き生きと描かれているので、物語世界に没入しやすい物語だと感じました。  

ただ、第1巻に関して言うなら物語のクライマックスというか山場はアーギスという魔物との戦いの部分だと思うんだけど、そのアーギス退治の話が出てきてからがちょっと雑・・・・というか呆気なさすぎる感じがしちゃいました。  児童書のページ数ということで何等かの制約があったのかもしれないけれど、そこに至るまでの物語の書き込まれ方が丁寧だっただけに肝心なところへいってからが「およよ」と言っているうちに終わっちゃった・・・・そんな印象なんですよね~。

すっかりお気に入りとなった「白狐魔記シリーズ」も5冊目となりました。  調べてみると既刊は6巻みたいなんだけど、生憎吾妻郡図書館には5冊しか収蔵されていません。  購入していただくために第6巻の予約申し込みをしてきました。

白狐魔記5 天草の霧
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探究の物語。  江戸に幕府がひらかれ30余年。  九州島原で、飢饉や重税、そして信仰の弾圧に苦しむ農民が一斉蜂起した。  一揆の大将は不思議な術と眼力をもつ若者。  名を天草四郎時貞という。  (単行本扉より転載)

この物語、「人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探究の物語」となっているけれど、とどのつまり白狐魔丸の人間探究っていうのは、「人はなぜ争わずにはいられないか?」という問いかけだったんですねぇ。  もちろん時代が時代だから戦(いくさ)と無縁の話にはなりえないわけだけど、「武士は嫌い」「人が死ぬのは見たくない」と言いつつも、結局のところ戦場に身を置くことになる白狐魔丸が見ているものは戦場とか戦そのものと言うよりは「人は何のために戦うのか?」というバックグラウンドのような気がします。

第1巻の源平合戦では「兄弟の争い」と「主君のために命を投げ出す家臣の姿」を、第2巻の元寇では権力の座にあるはずの「北条家の内紛」と「海外からの侵略に対峙する幕府」を、第3巻では「幕府と朝廷の覇権争い」を、第4巻では「一向一揆」という武士ではない人たちの争いを、そしてこの第5巻の「島原の乱」では「外来の宗教とそこに絡む西欧列強の思惑」やら「信仰のための戦い(と言いつつも実は飢饉と重税に喘ぐ一般の人の反乱)」を、それぞれ描いています。

「島原の乱」というやつは、KiKi の思い込みの世界では「キリスト教徒への江戸幕府の弾圧」というイメージが強かったんだけど、実はこの反乱で担ぎ上げられた大将が「天草四郎」だったことと、最後まで抵抗した人たちがクリスチャンであったことを除けばどちらかと言えば「市民革命的な事件」という側面もあったことを今回の読書で再認識しました。  もちろん時代背景として「宗教弾圧」の空気がなかったわけではないにしろ、白狐魔丸と一緒にKiKi 自身も「人は何のために戦うのか?」について、改めて考え直してみる1つのきっかけになったように思います。    

今日も読了しちゃいました、「白狐魔記シリーズ」。  今作で白狐魔丸が関わる歴史上の人物は KiKi の大好きな織田信長さんです。

白狐魔記4 戦国の雲
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探求の物語。  南北朝の動乱から、時はくだって戦国時代。  15代つづいた足利幕府をついに滅ぼし、天下統一に名のりをあげたのは、少し前まで白狐魔丸が名も知らなかった、織田信長という男だった。  (単行本扉より転載)

ここまでのシリーズでは白狐魔丸が出会うのは誰もが知っている歴史上のヒーロー(それもどちらかというと敗戦の将)のご家来衆で、その友人を通して著名人の知己をも得るというのが定型パターンでした。  でも今回はさすが織田信長様でいらっしゃいます。  ご家来衆な~んていう面倒くさい人達はすっ飛ばしていきなりご本人が白狐魔丸とお知り合いになってしまいます。  まあ、それには蒙古襲来以来姿を消したきりの白駒山の仙人様に代わって白狐魔丸の導き手みたいな役割を担っている雅姫というキーパーソンの存在が無視できなかったりもするわけですが・・・・・(苦笑)

一応、柴田勝家とか羽柴秀吉、明智光秀な~んていう錚々たるご家来衆の面々も登場するんですけど、彼らはすっかり脇役(というより舞台装置)扱い。  逆に本能寺に攻め込んだ明智軍にひょんなことから加勢することになった、信長を「師の仇」と心に定めた「不動丸」という鉄砲名人の少年の方がスポットライトを浴びちゃっています。

歴史というものが勝者の都合によって描かれ気味であることを考えると、敗戦の将側の論理が描かれるという点でも興味深かったこのシリーズでしたが、この巻でその役割を担っているのはこの「不動丸」で、彼は最後には明智軍に顔を連ねているものの、どちらかというと一向一揆の軍勢の中にいる時間の方が長かったりします。  信長がどうして一向宗と対立することになったのか?といったあたりの状況説明がないのはちょっと食い足りなかったけれど、信長 vs. 一向一揆の戦いの凄まじさは描き尽くされていたと感じます。  

最初に図書館でこの本を見つけた時に期待していた以上に面白い「白狐魔記シリーズ」。  あまりの面白さについつい読書ペースも上がり気味です(笑)。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はシリーズ3作目のこちらです。

白狐魔記3 洛中の火
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探求の物語。  元の襲来時に、天の「気」をうごかし嵐をおこした白狐魔丸。  こんどの活躍は、五十一年後、時は室町時代初期。  楠木正成という武将と出会う。  (単行本扉より転載)

最初にちょっぴり残念だったことを告白しておくと、この巻では KiKi のお気に入りの白狐魔丸の師匠・白駒山の仙人は一度も出てきません。  50年以上の長い年月をかけてもどうやら仙人の「穢れ」は清められることがなかったようで、天竺に行ったきり音沙汰もありません。  どこか飄々としていながらも禅僧みたいに含蓄のある言葉を吐く仙人がお気に入りだった KiKi にとってこれは半端じゃなく残念なことでした。

じゃあお茶目な仙人が出て来なくて面白くなかったのか?と問われれば、そこは又別のお話し(笑)で、今巻もたっぷり楽しませていただきました。  どんどん妖術を発展させていく白狐魔丸の成長ぶりも楽しめるなら、彼が多くの人間との知己を得ることによりどんどん人間探究を深めていく姿には思わず感情移入しちゃいます。

特に今作では「楠公」こと楠木正成と知り合い、己が実は狐であることを彼には明かすな~んていうエピソードまであって、これまではどちらかというと「覗き見」的なスタンスを通してきた白狐魔丸がより深く「武士の何たるか?」、「戦の何たるか?」を考えるようになるという展開には説得力のようなものを感じました。

前回図書館で借り出した際に、借りてくる本の順番が入れ違ってしまっていたシリーズ本を借り換えてくることができました。  やっぱりシリーズものは、順番通り読みたいものですよね。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

白狐魔記2 蒙古の波
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐白狐魔丸の人間探求の物語。  「源平の戦い」のあとの長い眼りから、狐がめざめたところから、本書ははじまる。  時は鎌倉時代。  北条時宗が執権となり、日蓮は国を憂い、いまや、元の大軍がおしよせようとしていた。  (単行本扉より転載)

うんうん、やっぱり面白い!!  このシリーズはホント楽しめますねぇ。  前巻で都落ちする義経主従が無事落ち延びることができるように、攪乱作戦で大活躍した主人公の白狐魔丸。  まるでその疲れを癒すためかのように85年という長~い眠りにつき、ようやく目覚めたところから物語は始まります。  普通の人たちならそんなに長生きできなかった時代だったろうけれど、白狐魔丸とお師匠さんの2人だけ(1人と1匹だけ と言うべきか?)は、まるでその年月をひょいっと飛び越えてしまったかのように、ほとんど変わりない姿で登場します。

で、変わっていないのは2人だけで、世の中の方はめまぐるしく変化していて、義経は平泉で討たれちゃっているし、その命を出した兄頼朝もとっくにあの世へ行っちゃって、北条得宗家が栄華を極めている(?)鎌倉時代です。  前編では京都周辺をウロウロしていた白狐魔丸だけどこの物語では日本各地(除く東北 & 北海道)をあちこち歩き回ります。  

情景描写やら風俗描写なんかは結構史実に基づいているんじゃないかと思うんだけど、最後の方でいわゆる「義経不死伝説」の極め付け、「義経≒チンギス・ハーン説」まで取り入れちゃっているので、大人が読む分にはかなり楽しめちゃうけれど、子供が読んだらどこまでが史実に近い話でどこからがいわゆる「ファンタジー」なのか、混乱しちゃうきらいはあるんじゃないかと思わないでもありません。  それでもこんなに楽しめる物語だったら KiKi は身近な子供に薦めちゃうだろうなぁ・・・・・(笑)

昨日、読了した図書館本の返還 & 新たな借り出しのために吾妻郡図書館へ行ってきました。  主たる目的は村上春樹さんの著作を借りるため・・・・だったんですけど、そればっかりだと飽きちゃう(疲れちゃう?)かもしれないので、久々に児童書のコーナーに立ち寄り、今日の読了本を借りてきました。  この物語、どうやらシリーズもので6冊ほど出版されているようだったんだけど、面白いかどうかわからなかったので、棚にある左から2冊を借り出してみました。  今日の読了本はそのシリーズ第1巻であることは間違いなさそうなんだけど、もう1冊の方はどうやら第3巻だったみたい・・・・・・。  まあ、ちゃんと確認しなかった KiKi が一番悪いとは思うんだけど、こういう本を棚に入れる際には順番を守っていただきたいものです。

白狐魔記1 源平の嵐
著:斉藤洋  偕成社

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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになったきつね、白狐魔丸の人間探求の物語。  第一巻にあたる本書では、世にいう「源平の戦い」にまきこまれたきつねが、兄頼朝に追われ落ちゆく源義経一行に同行、武士の無情を目のあたりにする。  (単行本扉より転載)

さほど期待しないで読み始めたんだけど、これがなかなか面白い!(笑)  人間という動物がどんな生き物なのかを狐目線で語ってくれちゃうというあたりが、なかなかいいなぁと思うんですよね。

「狐が人を化かす」とか「霊験あらたかな白狐」といった日本人が古来から大切にしてきた伝承をベースにしつつ、そこに源平合戦の「鵯越え」のシーンを挿入(しかもそれをあからさまには書いていない)してみたり、「義経千本桜」という歌舞伎演目に登場する「狐忠信」をいやでも思い出しちゃう「キツネと佐藤忠信の友情(?)物語」が描かれたりと遊び心も満載です。

この第1巻では巣立ち(独り立ち)を始めたばかりのフツーのキツネがどんな風に「人に化身できるようなフツーではないキツネ」になったのかにもかなりページを割いていて、その過程で人間の言葉を解するようになったり、人間に「狩られるもの」として追われたりと様々な経験をするんだけど、その一つ一つの経験の中でキツネが考えたり感じたりすることが実に「それらしくて」いいんですよね~。 


今日はLothlórien_山小舎付近は小雨模様。  重苦しい霧が立ち込め、薄暗い中、机の前の窓から見える美しい紅葉が妖しく光り輝いています。  周囲の他の色はすべて霧の中に溶け込んじゃったかのようにぼやけているんだけど、紅葉のオレンジと黄色だけが鮮やかさを保っているさまは何とも不思議な光景です。  ま、そんなどことな~く妖しげな雰囲気の中、同じように妖しげなタイトルのこちらを読了しました。

妖女サイベルの呼び声
著:P.A.マキリップ 訳:佐藤高子  ハヤカワ文庫

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魔術師サイベルは、エルド山の奥深く、伝説の幻獣たちのみを友として魔術の修行に励んでいた。  そんなある日、サイベルのもとをひとりの騎士が訪れ、赤児を預けてゆく。  その赤児はサイベルの血縁であり、しかもエルドウォルド国の王子にほかならなかった。  やがてサイベルは、凄惨な王位継承争いに否応なく巻き込まれて、人間の世界の愛と憎しみを知り始める・・・・・・第1回世界幻想文学大賞に輝く不朽のハイ・ファンタジイ!  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi の手持ちの本の書影はこれ(↑)とはちょっと違って、もっとパステルチックな色使いの本なんですけど、まあ、それは置いといて・・・・・と。  なかなか読みごたえのあるファンタジーだったと思います。  だいたいタイトル(邦題)がいいですよね。  いきなり「妖女」ときたのでどんなに怖そうな女性が出てくるのかと読み始める前は思っていたんですけど、意に反して美しくも初心な(世慣れていない)女性だったので、実はちょっと拍子抜けしてしまいました(苦笑)。

物語全体のトーンは重厚で寡黙な雰囲気で、どこか神話世界を思わせます。  彼女が山奥で共に暮らしている幻獣の顔ぶれが実に魅力的です。  あらゆる謎の答を知り、吟遊詩人のように伝承民話を吟唱できる赤い眼と白い牙の猪・サイリン、ある魔術師を殺害した7人の男を八つ裂きにした青い眼の隼・ター、ある王女を幽閉中の石塔から背に乗せて救い出した大きな翼と黄金色の眼を持つティルリスの黒鳥、呪術と不可思議な魔力の持ち主として語り草となっていた巨大な黒猫・モライア、王の財宝にも匹敵する黄金のライオン・ギュールス、宝物を褥に長い間まどろんでいた竜・ギルド。

どの幻獣の姿もありありと想像できるような筆致で描かれ、しかもそれらが昨今のRPGのグラフィックスみたいな作りもの感が薄く、それぞれに固有の魅力を放っています。  これら、猪とか隼とか黒猫といったリアル感のある動物であるあたりがいいですねぇ。  一歩間違えれば普通の動物と何ら変わりはないんだけど、それでも彼らが幻獣となりうるのは彼らが持っている「物語」に端を発しているというのが実に KiKi 好みです。  ま、ちょっとだけCGっぽいパーツもあるけれど・・・・・ ^^;

さて、物語の主人公サイベルは彼らの往方(いにしえ)の名を呼ぶことによって彼らを服従させているわけだけど、この「名前」の扱い方もいいですねぇ。  ちょっと「ゲド戦記」に通じる部分もあるプロットだとは思うけれど、昨今のファンタジーのお手軽っぽい魔法よりもそこに歴史の重みとか、原初の世界の不思議みたいなものを感じさせる妖術だと思います。


昨日、久々に「吾妻郡図書館」に行ってみました。  春から秋までは野良仕事が忙しいのでに返却期限という義務(ある期間内に読み終える & ある期日までに必ず出向く)を抱えた読書には向かないと判断し、ちょっと図書館通いから遠ざかっていたのですが、そろそろ野良仕事も一段落。  ようやく図書館通いが苦にならない目途が立ちました。  ま、それだけが理由じゃなくて、もう一つ別の理由もあったんですけどね(苦笑)  そのお話は近日中にいずれ又・・・・。  ま、何はともあれ、久々の図書館本1冊目の読了本はこちらです。

グリフィンとお茶を ~ファンタジーに見る動物たち~
著:荻原規子 徳間書店

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「ナルニア国物語」のライオン王アスランは、なぜあれほど、特別な感じがするのか。  「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」が伝える、現代の人間とはまったく異なる生き方とは・・・・・。
子供の本の中だけでなく、古典や神話においても重要な役割をになっている、幻獣やさまざまな動物たち。  「勾玉」三部作、「RDG」シリーズなどで知られる、日本のファンタジーの旗手荻原規子が、幼いころから愛した「動物物語」を振り返りつつ、ファンタジーとは何か、物語が人の心にもたらすものは何かを掘り下げてゆく、珠玉のエッセイ。  ファンタジーや児童文学、神話や古典の読書案内としても楽しめます。  (単行本扉より転載)

以前からこのブログでは何度かお話しているように、荻原規子さんという作家さんと KiKi の相性は決してよいとは言えません。  とは言うものの、同世代の女性として彼女の活躍にはそこそこ興味はあるし、このブログに彼女のブログのリンクも貼ってあるしということで、この本のことは以前から知っていました。  この本は彼女の物語作品というよりはエッセイということなので、物語作品との相性はさほどよくなくても結構通じるものがあるかもしれない・・・・という淡い期待を胸に今回借り出してみました。

結論から言うと、どうやら彼女とは物語作品のみならず、エッセイであってもあんまり相性はよくないみたいです・・・・・(苦笑)  但し、やはり同世代に育った共通項というものはそこかしこにあるもんですねぇ。  彼女が幼少時代にご実家で揃えられていたという「少年少女世界の名作文学」というシリーズのお話なんかは KiKi にとっても実に懐かしい、身に覚えのある社会現象(?)のお話でした。

そうそう、あの頃は「岩波文庫」こそ既に存在していたものの「新書」なんていうのは世の中に存在していなくて、今ほど本の数や種類も多くなくて、その代わりと言っては何だけど「○○文学全集」というヤツが結構流行って(?)いてねぇ・・・・。  革装丁とまではいかないけれど、昨今のハードカバーの表紙よりはずっと厚紙の表紙、背表紙の金文字が豪華なハードカバーでサックに入っている配本形式の全集ものを1冊ずつ揃えていき2年ぐらいすると全集が自宅の本棚にド~ン!と居並ぶというパターンで購入する家庭がそこそこありました。

よくよく考えてみるとあれも敗戦で全てを失った人々が少しずつ文化的な生活を取り戻していく過渡期特有の現象だったんでしょうね。  KiKi の実家には荻原さんちの「小学館 少年少女世界の名作文学」はなかったけれど、従姉妹からのおさがりの「河出書房新社 少年少女世界の文学全集」とか、出版社は忘れちゃったけれど「少年少女 ノンフィクション全集」といった全集物がドドド~ンと本棚に鎮座していました。


マキリップの積読山崩し企画の第3弾。  前回ご紹介した本とは逆に、書影をご紹介するのが嬉しくなってしまうほど美しいこちらを読了しました

オドの魔法学校
著:P.A.マキリップ 訳:原島文世  創元推理文庫

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孤独な青年ブレンダンのもとに、オドと名のる女巨人が訪れた。  魔法学校の庭師になってほしいというオドの求めに応じたブレンダンだったが、慣れない都の生活になかなかなじめない。  一方王と顧問官たちは、歓楽街で興行する魔術師の噂に神経をとがらせていた。  件の魔術師はただの興行師か、それとも本物の魔法使いなのか。  幻想の紡ぎ手マキリップの謎と魔法に満ちたファンタジー。   (文庫本裏表紙より転載)

まずはこの表紙の絵、美しいと思いません??  KiKi はねぇ、元々ブルー系の色には滅法弱いんですよ。  冴え冴えとした空に浮かぶ月のような弓なり形。  そこにくつろいで身を預けているかのような女性1人。  そのコスチュームがこれまた美しく彼女が手にしたお面は妖しく、それだけで KiKi の美意識をグリングリンと刺激してくれちゃいます(笑)  この表紙で存分に膨らませた妄想・イメージをそのまま言語化したような物語でした。

ただね、マキリップの物語ってどうも感想が書きづらい物語ですねぇ。  というのも何か主張したいものがあるか?と問えば恐らくそれがない作家さんのような気がするんですよね。  ある種の神秘を幻想的に美しく描く才には溢れているけど、テーマは何??と戸惑っちゃう・・・・・そんな印象なんです。

マキリップの積読山崩し企画の第2弾。  画像付きでご紹介するのがちょっぴり恥ずかしい(KiKi の年齢で・・・・という意味ですけど)こちらを読了しました。

チェンジリング・シー
著:P.A.マキリップ 訳:柘植めぐみ  小学館ルルル文庫

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海で父を失った少女ペリは、海に執着する王子キールに出会い、どこか親近感を覚える。  ある時ペリがキールに頼まれるまま、見よう見まねの「呪い」を海に流すと、黄金の鎖をかけられた海竜が現れた!  さらには、その騒ぎの中に現れた謎の魔法使いリョウの魔法から、思いもよらぬ出来事がおこり...!?  さまざまな形で海に心を捕らわれた少年少女たちの解放を描く幻想ファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

この本、マキリップ本を揃えようと E-BookOff で書影を見ずにゲットしたから KiKi の手元にあるんだけど、もしもこれを本屋さんの書架で見つけたんだとしたら購入するのに戸惑っちゃっただろうなぁ・・・・。  というより、そもそも小学館ルルル文庫の棚には KiKi は最初から近づかなかっただろうなぁ・・・・・ ^^;  逆に言えば余計な先入観を持たずにネット上でポチしたおかげで出会えた本とも言えるわけで、世の中何が幸いするのかわからないものです。

いかにも少女が好きそうな挿絵、そしてシンプル & ロマンチックな物語だと感じました。  逆に言えば「影のオンブリア」のマキリップと比較すると、幻想的な雰囲気は若干パステルチックで、ついでに書きすぎの感もあって、イメージ喚起力とでも呼ぶべきものが薄めかなぁ・・・・と。  ま、端的に言ってしまえばこのルルル文庫というレーベルのせいもあるのかもしれないけれど、「お子ちゃま用マキリップ」という感じがしないでもありません。  ま、そんな風にマキリップを定義できるほどには彼女の作品を読み込んでいるわけじゃないんですけどね。(苦笑)

   

以前「本が好き!」で「アトリックス・ウルフの呪文書」が献本されていたことがあり、残念ながら KiKi はその抽選で落選しちゃったんだけど、その紹介文からマキリップという作家の作品に興味を持ちました。  以来、ブックオフやらネットオフでせっせとマキリップ作品の文庫本を集め始め、積読状態になっている本が山積みになってきました。(苦笑)  本来だったらこの本の前に「妖女サイベルの呼び声」(第1回世界幻想文学大賞受賞作)や、「イルスの竪琴 3部作」を読んでみたかったんだけど、それらはまだゲットできていないし、そろそろマキリップ作品の積読山を崩しはじめなくちゃいけないような気もするので、まずはこの作品から手を出してみました。

影のオンブリア
著:P.A.マキリップ 訳:井辻朱美  ハヤカワ文庫

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オンブリア ― それは世界でいちばん古く、豊かで、美しい都。  そこはまた、現実と影のふたつの世界が重なる街。  オンブリアの大公ロイス・グリーヴの愛妾リディアは、大公の死とともに、ロイスの大伯母で宮廷を我が物にしようとたくらむドミナ・パールにより宮殿から追いやられる。  だがそれはふたつの都を揺るがす、怖るべき陰謀の幕開けにすぎなかった・・・・・  2003年度世界幻想文学大賞に輝くマキリップの傑作ファンタジイ!  (文庫本裏表紙より転載)

何とも詩的な文体で貫かれた物語ですねぇ。  そもそも舞台背景自体が幻想的な物語です。  架空の都オンブリアを舞台にした陰謀劇なんですけど、物語のあらすじを書いてしまうとめちゃくちゃシンプルなんですよ。

豊かで美しい都の大公が死ぬ。
幼い忘れ形見の少年が大公の地位を継ぐ。
正体不明のモンスター的な女摂政が立つ。(どうやら大公を殺害した模様)
宮廷に出入する多くの人々が、摂政を除こうとし、幼い大公(もしくは別の人物)を傀儡に仕立てようとする
幼い大公の味方はふたりだけ。  そのふたりがなんとか陰謀を排除し、大公を守り通す。

恐らく大筋はこんなお話なんです。  でも、そこに絡んでくるのが、オンブリアの影に寄り添うように存在している異次元の世界、「影のオンブリア」で、そこの住人であるフェイという魔法使いとその弟子マグの存在と彼らがなす様々な事件です。

地上にある現実の都オンブリアを支配するドミナ・パール(女摂政)と、その地下に広がる魔法と幻想の街の魔女フェイ。  この二人を軸に、陰影深い物語が繰り広げられ、読む人を幻惑させます。

昨日お話したDVDの修復は、今のところ成功に至らずのまま・・・・です。  う~ん、これはどこかで諦めないといけないかもしれません。  それにしてもつくづく思うのは、あの問題のDVDが「ロード・オブ・ザ・リング」のSEE版じゃなくて良かった~!!ということです。  もしも同じ現象がこっちのDVDで発生していたら KiKi はショックのあまり寝込んでしまったかもしれません(苦笑)  そしてこちら、映画に負けず劣らず大好きな物語の第5巻を読了しました。

指輪物語 5 王の帰還(上)
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二・田中明子  評論社

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裏切り者サルマンの野望を打ち砕いた、アラゴルンはじめ指輪の仲間やローハン国の騎士たち。  かれらは、今や馬首をゴンドールの都ミナス・ティリスに転じ、ゴンドールの救援に駆けつけることとなった。  そこへ、「裂け谷」のエルロンドからアラゴルンに伝言がもたらされた。  それを聞いたアラゴルンは、ローハンの面々と別れ、「死者の道」を行くと言う。  聞くもおぞましい「死者の道」とは・・・・・。
アラゴルン一行が別れていって3日後、朝はやってこなかった。  モルドールの暗闇が全土を覆ったのだ。  攻め寄せる闇の軍勢から、必死にミナス・ティリスを防衛するゴンドール軍。  ゴンドール救援に馳せ向かうローハン軍。  そして、「死者の道」を行ったアラゴルンは・・・・・
空にはナズグルが飛び交い、風雲急を告げるなか、指輪戦争の火蓋が切られた。  (単行本扉より転載)

KiKi はね、映画の「ロード・オブ・ザ・リング」も半端じゃなく好き & 気に入っているし、原作本の「指輪物語」もそれを若干上回るぐらい好き & 気に入っているんだけど、映画の中でどうしても気に入らない箇所を1か所だけ挙げるとするなら、ゴンドールの執政・デネソール候の描き方なんですよね~。  映画のデネソール候には偉大なところ・高貴なところがほとんど感じられず、ま、端的に言ってしまえば「性格が歪んでいて、子どもを差別し、権力欲にも取りつかれた尊大でいやらしいオヤジ」に過ぎないように見えちゃうと思うんですよね。

そうであるだけに、いかにピピンがボロミアを慕っていたと言えども、彼がデネソール候に仕える決意をしたのが、お調子者の単なる思い付きに見えなくもなかったりするように感じちゃうような気がするし、仕えたのと同時にず~っと後悔しているように見えなくもない・・・・・・。  特にファラミアが望みのない戦いに出る際に、デネソール候の居室で歌を歌うシーンなんてその最たるもので・・・・。(あの歌は半端じゃなく良かったけれど)

でもね、物語のデネソール候は確かに映画で描かれていた人物に通じる負の側面は持ち合わせているものの、あそこまで「ダメっぽい執政」では決してありません。  そしてデネソール候を狂気に追いやったのは彼が覗いたパランティア(映画でピピンが覗いておかしくなった丸い石)を通したサウロンの思念だったわけで、それと重症のファラミアを前にした相乗効果でさらにおかしくなっちゃったわけで、そのあたりが描かれていないと、どうしてこの危急の時までゴンドールが持ちこたえていたのかがよくわかんなくなっちゃうと思うんですよね~。 

昨晩、早く布団に入り過ぎたせいか、はたまた暑くて寝苦しかったのかは定かではないのですが、今朝2時半頃に目が覚めてしまいました。  のどが渇いていたので、冷蔵庫で冷やしてあった麦茶を飲んだのですが、その効果(?)もあってか、その後布団に入って目を瞑ってもどうしても寝付けません ^^;  仕方ないのでその後2時間ほど読書にいそしみ、それからようやく襲ってきた眠気のため就寝 Zzz。  結局今朝は朝寝坊してしまいました。  ま、てなわけで深夜に布団の中で読了しちゃったのはこちらです。

指輪物語 4 2つの塔(下)
著:J.R.R.トールキン  訳:瀬田貞二・田中明子  評論社

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フロドは、指輪所持者として冥府モルドールに向かわねばならない、という使命の過酷さに苦悩していた。  しかし、それにつけこみ、指輪を力づくで奪おうとしたボロミアの変貌を目の当たりにして、かえって自分の使命を受け入れる決意をする。  フロドは1人、姿を消した。  しかし、忠実なサムが懸命にフロドを探し出し、2人はモルドールへの道をたどる。
仲間のところから逃げ出して1週間、エミン・ムイルの山中から何とか脱出することができた2人のそばへ、忍び寄る黒い影。  それは、今なお指輪への渇望がやまないゴクリだった。  2人はゴクリを捕らえるが、フロドには、憐れみから、ゴクリを殺すことができない。  フロドの思いが伝わったためか、指輪への執着のためか、ゴクリは、モルドールへいたる道の案内にたつことになる。  さて、行く手には・・・・・・。  (単行本扉より転載)

さて、前の巻(二つの塔 上巻)ではまったくといって出て来なかったフロ・サム・コンビですが、その穴埋めでもするかのようにこの下巻は、全巻通してフロ・サムの行程が描かれます。  こちらは息をつかせないような戦いがあるわけでもなし、描写されている景色だって荒れ地がほとんどで殺伐としているし、ダムが決壊しているわけでもエントの大行進があるわけでもなく、見どころ(?)と言えるのはせいぜいが「死者の沼地」のおどろおどろしさと、ファラミアに連れて行かれる「ヘンネス・アンヌーン」の美しさぐらい・・・・(苦笑)  

読んでいてちょっとほのぼの~とできるのはサムの「ウサギシチュー」のくだりぐらい・・・・・ということで、ある意味とっても地味~なシーンが続きます。  でも、KiKi は今回の読書を始めるにあたってこの巻を読むのをものすご~く楽しみにしていたし、「積年の疑問を今回の読書でこそ、ちゃんと解決しなくちゃ!」意気込んで読み始めた物語でもありました。


猛暑日が続いています。  しかも沖縄方面には史上稀に見る大型台風が近づいているとか・・・・・。  アメリカでは干ばつがすごいことになっているらしいし、日本のみならず世界中、あっちでもこっちでも大変なことが起こっています。  そんな中、猛暑・・・・とは言え、それでも比較的過ごし易いLothlórien_山小舎で読書にいそしんでいる KiKi です。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

指輪物語 3 2つの塔(上)
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二・田中明子  評論社

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フロドは姿を消し、サムもいなくなってしまった。  一方、ボロミアは、オークの矢に倒れ、メリーとピピンは、オークに連れ去られたもよう。  アラゴルンは悩んだ。  ガンダルフを「モリア」の坑道で失った今、自分が方針を決定しなければならない。  苦悩の末、フロドとサムは行くに任せ、メリーとピピンを救出する道を選ぶ。
オークの後を追って5日目、アラゴルン、レゴラス、ギムリの3人は、ローハン国の第三軍団の騎士たちと出会う。  彼らは、アラゴルンたちが追うオークの一団を殲滅した帰りだった。  アラゴルンは、西方古代王朝の末裔である身分を明かし、軍団長のエオメルから馬を借り受ける。
オークとローハン騎士団の戦闘跡にたどりついた3人は、メリーとピピンを見つけられないまま、ファンゴルンの森に分け入って2人を探す。  そこで一行がであったのは・・・・・。  (単行本扉より転載)

実は KiKi がこの物語全体の中でもっとも好きなのはこの部分かもしれません。  ある意味で主役であるはずのフロドはほとんど出て来ない巻なのですが、その2人に置いてけぼりを食らった格好になってしまった「旅の仲間」それぞれが、それぞれの果たすべき役割をきっちりと果たしていて、それが結局はフロドのために、そして中つ国とそこに住まう「善陣営」に属する全ての種族全体のためになっているというプロットが何とも魅力的だと思うんですよね。

特に KiKi が好きなのは「旅の仲間」の中でどちらかというとお荷物的な存在だったメリ・ピピ・コンビの活躍ぶりです。  彼らを救出するために後を追うアラ・レゴ・ギム・トリオは何と言っても武術の達人達だし、各種族代表という位置づけだし、王様までいるからどんな形であれ、大活躍するのはまあ想定内だと思うんだけど、サム & フロドに取り残されたホビットの2人が敵陣営の捕虜という絶望的な状況でスタートを切りながらも、偶然にも助けられつつエント達と出会い、彼らを動かす原動力になるのがやっぱり小気味よいと思うんですよ。  誰の味方でもないと公言していた「木の髭」に気に入られたというのも彼ら2人がホビットという種族だったからこそだと思うんですよね。

秩序だった暮しと仕事を営み、非好戦的でありながらも芯の強さを持つ種族。  平和と静けさとよく耕された大地を愛する種族。  他の種族に敢えて干渉しようとはしない種族。  そんな種族だからこそ彼らはエントやフォーンと行動を共にすることができたし、又、そうすることで彼ら自身の安全も担保されたんだと思います。

おとといの朝早く、突然携帯電話が鳴りました。  例の交通事故の知らせの際もまさに同じようなタイミングだったので「すわ!  また何かあったか??」と思わず身構えたのですが、携帯が告げる電話番号に覚えがありません。  「誰だろう、いったい??」と訝しく思いながら出てみると、遥か昔、同じ会社で働いていた大先輩の懐かしい声が聞こえてきました。

その方はもうずいぶん前に現役を引退され、いわば悠々自適生活をされていらっしゃる方なのですが、現役時代から続けていらした少年野球のボランティア監督業を今も続けていらっしゃり、たまたまそのチームの夏季合宿のため草津にいらしているとのこと。  帰りにちょっと寄らせてもらえるか?とのことだったので、喜んでお客様をお迎えし、1泊していただくことになりました。  ま、てなわけで2日ほどブログの更新ができませんでした。

とても懐かしいお客様(かれこれ10年ぶりぐらい??)だったのでとっても嬉しいご訪問ではあったのですが、本来なら火曜日から着手していなければならなかったはずのユーキャン講座の次の課題「ハウスの玄関マット」は1日遅れで今日から製作開始となってしまいました。  「ナインパッチのトートバッグ」で講座全体の受講期限まで2日、余剰日を稼いだはずだったのですが、その完成翌日を「パッチワークお休み日」にしたことが敗因となり、今では余剰日を食いつぶしてしまいました(苦笑)

ま、そんな中でも細々と・・・・・ではあるのですが、読書だけは続けていたので、ようやく「旅の仲間」の下巻を読了しました。

指輪物語 2 旅の仲間(下)
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二・田中明子  評論社

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「裂け谷」の浅瀬で黒の乗り手をふりきったフロドは、力を使いはたし、意識を失う。  目を覚ますと、そこは「裂け谷」のエルフ王エルロンドの館だった。
翌朝、館で会議が開かれた。  会議では、冥王の指輪は、オルドルイン山の滅びの亀裂に投げ入れて、消滅させるべきことが決定された。  そうするほかに、冥王サウロンの魔手から逃れる術がないからだ。  指輪の所持者はフロドとされ、同行者には、人間からアラゴルンとボロミア、エルフを代表してレゴラス、ドワーフの代表はギムリ、ホビットからはサム、ピピン、メリー、そして灰色のガンダルフが選ばれた。
「裂け谷」を後に、指輪の仲間9人は、はるかな旅をつづけ、やむなく「モリア」の坑道からカラズラス山の内部を抜けようとする。  しかし、かつてドワーフの壮大な地下宮殿だった「モリア」は、今やおぞましい生き物たちの巣窟と化していた。  一行はここで、最悪ともいえる事態に遭遇する・・・・・。  (単行本扉より転載)

第1巻は「1つの指輪の持つ力」が認識され、とにもかくにもこの恐ろしい物体をホビット庄から遠ざけることのみを目的としていた旅路の物語でした。  まだまだ「旅の仲間」も全員揃っていないうえに、極論すれば肝心要の指輪の落ち着き先が決まっているわけでもなく、あたかも現在我が国で議論されている(?)放射性廃棄物さながらに、中間貯蔵(?)場所として裂け谷に辿りついたといった有様でした。  いえ、第1巻ではまだその裂け谷にも辿りついていなかったのですから、まさに現在の我が国の放射性廃棄物もしくは震災瓦礫と似たり寄ったりの扱いを受けている「1つの指輪」です。

それがグロールフィンデルの助けもあって何とか裂け谷に辿りつき、「エルロンドの会議」が招集され、ようやく「1つの指輪をどうするべきか」の方針が決定・確認され、旅の仲間が選別されました。  そしてこの「指輪を捨てに行く旅」というフェーズに入って著しい精神的成長を示すのがフロド & サムの凸凹コンビです。  

彼らはある意味で辺境のお人よし & 世間知らずというバックグラウンドを持つが故の強さ(敵の最強兵器である指輪を味方側の武器にしたいとするボロミアの計算とは一線を画すことができる強さ)を持ち、同時に会議で決定された使命を一途に遂げようとする意志を持つことができるようになっていきます。

今年の夏の KiKi の壮大(?)なプロジェクト。  「中つ国神話探求」の中核をなす「指輪物語第1巻」を読了しました。

指輪物語 1 旅の仲間(上)
著:J.R.R.トールキン 訳:瀬田貞二 田中明子  評論社

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これは、冥府の魔王によってつくられた指輪をめぐる物語である。  遠い昔、冥王サウロンは、オロドルイン火山の火でこの指輪を鍛え上げ、自身の持つ悪しき力のすべてをこれに注ぎこんだ。  善も悪も、この指輪のまえには、成す術もなく屈服せざるを得ない。  ところが、ひょんなことから、この指輪を手に入れたホビット族のビルボが、甥のフロドにそれを譲ったことから、物語は始まる。
灰色の魔法使ガンダルフから指輪の正体を知らされたフロドは、この指輪を必死に探し求めているに違いない冥王サウロンから身を隠すため、平和なホビット庄を仲間とともに逃れ出る。  その後を追う、不気味な謎の黒の乗り手たち。  この先、どんな危難がフロドたちを待ち受けているのか・・・・・。
全世界に1億人以上の愛読者を持つ不滅のファンタジーが、ここに幕をあける。  (単行本扉より転載)

KiKi がこの版の「指輪物語」を購入したのはご多聞に漏れずあのPJの大ヒット映画「ロード・オブ・ザ・リング3部作」が公開された後でした。  もっと若い時代に読んだこの作品の単行本はビジネス本を買い漁っていた時代に「本棚ふさぎ」とばかりに古本屋さんに売り払ってしまっていて手元には残っていませんでした。  当時はまだ東京のマンション暮らしだったので、まずは文庫の方で全巻買い揃え、再読したのですが、Lothlórien_山小舎構想を練り始めた時、山小舎用の一揃えということで新たにこの版の指輪物語を全巻揃えました。

でも、この版では揃えるだけ揃えて、これまで山小舎の本棚のベスト・ポジションに位置する展示品的な装飾品であっただけで、頁を開いてこの本で読書するのは実は今回が初めて(^^;)でした。  しかも、今回は先日のエントリーでもお話した通り、これら(↓)の本で地図を辿りながらの読書だったので、テーブルの上にこの本を広げ、膝の上には「フロドの旅」を脇机には「中つ国歴史地図」を広げ・・・という、何ともスペース食いの読書となってしまいました(笑)

指輪物語 フロドの旅 ~ 「旅の仲間」のたどった道
著:B.ストレイチー 訳:伊藤盡  評論社

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「中つ国」歴史地図 ~ トールキン世界のすべて
著:K.W.フォンスタッド 訳:琴屋草  評論社

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読書をしながら地図を参照するのは今回初めての試み(本に載っていたり、付属品としてついている別冊子はよく参照するけれど)だったのですが、これが想像していた以上に楽しい旅となりました。

「ホビットの冒険」を読了したので、当然のことながらその流れで KiKi の読書は「指輪物語」に突入しています。  この物語、大、大、大好き~b-hato4-b.gif な物語なので、サックサックと読み進めていきたい気持ちもやまやまなんですけど、今回の読書ではじっくりと時間をかけて1冊1冊を味わっていきたいと思っているんですよね~。  と言うのもね、今回の読書では KiKi はこの2冊を横に置いて、それぞれを参照しながら読み進むことを目論んでいるからなんです。

指輪物語 フロドの旅 ~ 「旅の仲間」のたどった道
著:B.ストレイチー 訳:伊藤盡  評論社

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本書は、J.R.R.トールキンの壮大なファンタジー『指輪物語』の9人の旅の仲間がたどった道筋を、詳細な地図で再現したものである。  その数は実に51枚にも及ぶ。
熱烈な『指輪物語』のファンだった著者のバーバラ・ストレイチーは、トールキンの手になる地図以外に、より詳しい地図を、長い間待ち望んだ。  そしてとうとう、自らこの困難な作業に挑むことにした。  その結果、あの「中つ国」が、私たちの目の前に完全で鮮明な姿で立ち現れることとなった。  また地図には、フロドたちがナズグルから身を隠した場所、食事をした場所、野宿をした場所...に至るまでが記されている。
日本語版では、巻末に地図索引をつけた。  『指輪物語』本編の場面がどのような地形になっているのか、すぐに見つけやすいように。  さらに、訳者によって、指輪の仲間の旅の行程を日を追って詳述する解説が加えられた。  物語世界の醍醐味を再び味わう一助になることだろう。  (単行本扉より転載)

「中つ国」歴史地図 ~ トールキン世界のすべて
著:K.W.フォンスタッド 訳:琴屋草  評論社

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本書は、上古の時代の「世界」の創造から第三紀に至るまでの地理案内・歴史案内の決定版として、『シルマリルの物語』『ホビットの冒険』『指輪物語』に描かれた魔法の世界を照らし出す。
主要人物の旅路が、数百にもおよぶ地図と表によって跡づけられている。  第一紀、第二紀、第三紀の合戦や主要な場所は、すべて網羅されている。  特殊な地形の描写や、城などの設計図もあれば、「中つ国」の歴史全体を通じての気候、人口分布、言語、植生といった、テーマ別の地図もある。  詳細な説明と注釈は、これらの地図とトールキンの作品を関連づける手がかりになることだろう。
さあ、トールキンの創造した壮大な世界のいかなる場所へも、道をたどって行こう。  「中つ国」から、不死なる者の住まう西方の地まで・・・・・。  (単行本扉より転載)

この2冊はあの映画「ロード・オブ・ザ・リング3部作」が公開された時期に KiKi が買い集めた「指輪関連参考書」の中の2冊で、いずれ物語本編と一緒に読み進めてみようとLothlórien_山小舎の本棚に温めてあった(?)いわば宝物です。  あの映画のヒットがなければ、これらの本は日本語版で発売されることはなかったでしょうから、(そして上記 Amazon Link を見る限りでは後者は既に絶版か??)あの頃衝動買いをしておいて本当に良かった♪(笑)

当初は終戦記念日(← この呼び方には若干抵抗がある KiKi ですが ^^;)をはさむ1か月は半藤さんの作品を中心に、かの大戦を偲ぶ読書をしてみようか??な~んていうことも考えていたのですが、ふとこのエントリーでお話した映画のことを思い出し、今年の夏は、久方ぶりにトールキンの作品を読んでみることにしました。  因みにあの(↑)エントリーでもご紹介したけれど、今年の12月に公開が予定されているPJの映画のプロモーション・ビデオを再度ご紹介しておきましょうね。

ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ホビットの冒険(上)(下)
著:J.R.R. トールキン 訳:瀬田貞二  岩波少年文庫

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ひっこみじあんで、気のいいホビット小人のビルボ・バギンズは、ある日、魔法使いガンダルフと13人のドワーフ小人に誘いだされて、竜に奪われた宝を取り返しに旅立ちます。  北欧の叙事詩を思わせる壮大なファンタジー。  (Amazonより転載)

魔法の指輪を手に入れたビルボとその一行は、やみの森をぬけ、囚われた岩屋からもなんとか脱出に成功。  ビルボたちは、いよいよ恐ろしい竜スマウグに命がけの戦いを挑みます。  『指輪物語』の原点といわれる、雄大な空想物語。  (Amazon より転載)

「ホビットの冒険」を読むのは本当に久しぶりでした。  「指輪物語」の方は、あのPJの映画「ロード・オブ・ザ・リング3部作」の公開時にそれまで持っていたハードカバーに追加で(というよりそのハードカバーは実家に置きっぱなしにしてあって、東京のマンションの本棚にはあの本を収納する余地がなかった)文庫本を購入し、何度か読み返したものでした。  その頃も「久々に前日譚である『ホビット』も読み返してみようか??」な~んていうことを考えないでもなかったのですが、「指輪」の冒頭にかなりちゃんとしたまとめ(というかあらすじ?)が書かれているので何気にそれっきりになってしまっていました。

「指輪」のフロド & ビルボと比較すると「ホビット」のビルボは何気に可愛さ・健気さがあって、個人的には結構好き♪なんですけどね~。  KiKi は「指輪物語」の方はかなり長じてから出会った物語で、初読前にはワーグナーの「リング」の底本じゃないかと勘違いしていたな~んていうこともあって、子供時代に読んだことのある「ホビット」と「指輪」の関係性についても長いこと無知だったんだけど、「ホビット」そのものは子供時代にかなりワクワク・ドキドキしながら何度も読んだものでした。


久々の読書エントリーです。  3月に「守り人シリーズ」の再読企画をやって、その余韻に浸っていた・・・・というわけでは決してなく、図書館から借り出した本に躓き、農業シーズンが幕あけ、ついでに親戚筋に生まれた赤ちゃんイベントで旅が多く、その赤ちゃん誕生祝いだったはずのベビー・キルトが間に合わず、ついでに久々にゲームなんちゅうもんに手を出しちゃった・・・・・等々でちょっと読書から遠ざかってしまっておりました。

たまたまこの間の日曜日から昨日まで東京で用事があったために移動時間にたっぷりと読書タイムを持つことができたので、今日はその読了本のご紹介です。

黄昏の岸 暁の天
著:小野不由美  講談社文庫

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登極から半年、戴国再興に燃える泰王驍宗。  反乱鎮圧のため自ら文州に赴いた王の悲報に、留守を預る幼い泰麒は衝撃をうけ、大鳴動とともに忽然と姿を消した。  王と麒麟を突然失い、偽王の圧政が始まった戴―。  その行く末を案じ将軍季斉は命をかけて景王陽子に会うため空を翔けるが...。  (文庫本裏表紙より転載)

「魔性の子」から始まった KiKi の十二国記シリーズの読書。  いきなりの展開でビックリ仰天だったあの本の裏側(というよりこのシリーズではあっちが裏か? 笑)でどんなことが起こっていたのかを語る物語でした。  あちらの Review で「ちょっと死者の数が多すぎる・・・・」と書いた KiKi だったんだけど、その謎もようやく氷解した・・・・・そんな読後感でした。

物語の構成としては「風の海 迷宮の岸」のあれこれがあって、泰麒(高里君)がこの十二国記の世界で戴国の国王を決め、その後この「黄昏の岸 暁の天」の事件が発生。  この物語で描かれているのが十二国側で起こっていた出来事で、泰麒がワープしちゃった先の日本(蓬莱)での出来事が「魔性の子」という感じでしょうか??

色々な意味で惹きつけられ興味深く読了することができた「魔性の子」で感じた多くのKiKi の「?」に応えてくれる物語でもありました。  

2つほど不満があるとすれば、その1つはあの「魔性の子」で泰麒を食うほどの存在感を示していた広瀬さんがどうなったのかさっぱりわからない(というよりは恐らくは被害に遭っちゃった??)ということ。  そしてもう1つは「で、要するにその後戴国はどうなっちゃったわけ??」という部分がまったく描かれていないこと・・・・・でしょうか。

「月神シリーズ」から始まったたつみや作品の読書もとりあえずここで一段落です。  Amazon なんかで調べてみると他にも出版されている本があるみたいだけど、とりあえず吾妻郡図書館では見つけることができなかったので、残りはまだいずれ・・・・・ということで。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

イサナ 龍宮の闘いへ
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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不知火のきみはきさきに殺されたと知り、息子ヒコナは仇討ちに燃える。  しかし、神通力の源の宝の珠を借りに有明のきみの宮へ向かった船は、つぎつぎと敵に襲われ、イサナとクレ、そして綿津見一族の男たちも闘いの渦にまきこまれていく...。  はるかな昔、神とともに生きる海の民と、不知火海を支配する龍一族を巡る海洋冒険ファンタジー終章。  (単行本扉より転載)

まずは大団円でよかった、よかった・・・・・ということになるんでしょうけれど、正直なところこの作品に関してはいまひとつノリきれないまま終わってしまいました。  KiKi がどうしても苦手だったのがイサナの鬱陶しさ・・・・・と言いきってしまうとちょっと語弊があるかしら・・・・・・(苦笑)  前向きで明るくて自分が求めている物が何なのかを強く自覚している女の子という設定はいいと思うんだけど、彼女の「考えなしのお喋り」としか言いようのない不用意発言にはかなり辟易としちゃったんですよね~。  

上巻からず~っと色々な人に注意をされているにも関わらず、ここまでそれらの注意を聞く耳持たずで、思ったことをポンポン言っちゃうお調子者でいられるというのはいかがなものか・・・・・と。  個人的には人の顔色ばかり伺っているような女の子よりは、この物語のイサナぐらいはっきりした性格の女の子っていうのは決して嫌いじゃないんだけど、自己主張する以上は主張してよい時と場所をもう少しわきまえないと単なる「お騒がせ娘」になっちゃうような気がするんですよね~。


今日もまた、たつみや章さんの作品です。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

イサナと不知火のきみ
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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綿津見一族の娘イサナは、不思議な声に導かれ、大船を造るための大木を探しに、兄やクレとともに船出した。  やがて声のするマツの木を見つけるが、その中には龍王の子が封じこめられていて、イサナが木から助けだしたために、龍の魂をねらう悪しきものや恐ろしいシャチに追われることとなる・・・。  神とともに生きる海の民綿津見一族と、不知火の海を支配する龍一族の海洋冒険ファンタジー。  (単行本扉より転載)

KiKi は自分のことを「海の人」というよりは「山の人」だと感じているようなところがあります。  日本は四方を海に囲まれた島国で、KiKi 自身は静岡県で生まれ育ち、泳ぎはプールというよりは海で身につけ、子供時代には父親と一緒にトローリング(と言ってもマリーナなんかに係留されているようなカッコいいモーターボートではなく、ゴムボートに船外機をつけただけの船だったけれど)をはじめとする海釣りの経験もそこそこあったりする人種ではあるのですが、長じるにつれ海よりは山に惹かれるようになりました。  惹かれるという言葉だと憧れみたいなニュアンスが入っちゃうとするならば、落ち着くという言い方の方がピッタリくるかもしれません。

そうであるだけに KiKi の血の中には「弥生人の血」よりも「縄文人の血」の方が濃く残っているんじゃないかとず~っと思ってきたんだけど、ここ、高山村に来て知り合いからいただいたクマ肉が食べられないという経験をしてからこのかた、その「縄文人の裔を継ぐ者」であるという自信(?)はずいぶん揺らいじゃいました。  そう、食生活だけを考えると KiKi が好むのは肉よりは魚、つまり「山の人」というよりは「海の人」なんですよね~。  その割には相も変わらず「やっぱり KiKi は山の人」と無理やり自分に信じ込ませようとしているようなところがあります。

そうであるだけに、海洋冒険ロマンというやつは KiKi の食指にはこれまであんまり働きかけてくるものがありませんでした。  でもね、そんな KiKi であってさえも水神様の龍にだけは無関心じゃなかったりします。  それは多くの場合、山の中の水源なんかで祀られている水神様も龍のお姿をとっていたりすることとも無関係ではないのかもしれません。  ま、てなわけで、この物語も龍が出て来なかったらひょっとするとちょっぴり敬遠していたかもしれません。

   

裔を継ぐ者 たつみや章

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扱っているテーマとか世界観にはすこぶる共感しつつも、どうしても☆5つのお気に入りには入ってこないたつみや章さんの作品群。  それでもこうやって図書館で見つけると借りてきて読もうと思っちゃうあたり、やっぱり KiKi は彼女の作品が気に入っているのかなぁ??  はっきりしていることは荻原規子さんの作品よりは苦手意識が薄めだけど、やっぱり上橋菜穂子さんには敵わないと感じているっていうことぐらいでしょうか??(苦笑)  ま、何はともあれ「月神シリーズ」の外伝扱いのこちらを読了しました。

裔(すえ)を継ぐ者
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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はるか遠い昔。  月の神を奉じる縄文びとと、日の神を崇める弥生びと。  ふたつの文化が交錯したときに激烈な争いが起こった。  その戦乱の世に和平をもたらさんと、ふたりの少年が立ちあがり、やがてその甲斐があって平和への礎が築かれた。  しかし、その絆が結ばれてから五百数十年後、人々は我が祖であるかの人々の思いを受け継ぐすべをなくしていた。  そのとき新たなる運命の子がおりたつ―。  (単行本扉より転載)

本編である「月神シリーズ」よりもいささか説教臭さが強い作品ではありますが、先日 KiKi がこのエントリーで書いた「魚を捌けない人」に対する苦言とそっくりの記述があったのにはちょっとビックリしちゃいました。  そういう意味では現代人に対する警鐘の物語なんだろうなぁと感じます。  

現代の日本では「自分が生きるということ」、「生きるために食事をしているということ」、「食料を得るために他の生物を殺すということ」が1つの連環にあることを忘れがちで、「生きること」は「生きがいを得ること」だと考えたり、「食事をすること」については、ありがたいことに飢えとは無縁の食糧事情であるために食事を抜いたり食べ残しをしたり残飯を捨てたりお菓子で済ませちゃったりということを無意識にやりがちです。  食料品に至っては工業製品なみの「モノ」だと考えがち(食料となるために失われた命があることには思い至らない)なわけで、そういう意味ではこの物語の主人公サザレイシ以上に甘ったれの自分本位な人間だらけなのが今の日本と言っても過言ではないような気がするんですよね。

病弱で体も小さいということで、親兄弟から守られるようにして生きてきたサザレイシの最初の頃の生き様は現代人の甘ったれ根性・身勝手さをこれでもかっていうぐらいデフォルメして投影されているので、正直なところ読んでいてあんまり心地よいものではなかったりもするけれど、実はそれは我が身を映す鏡みたいなもの・・・・・と思い当たらないでもなくて、穴があったら入って隠れたいような気分になります。

 

水の伝説 たつみや章

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たつみや章さんの「神様三部作」の最終作。  この方の作品はファンタジーと言いつつも若干説教臭さが強いのが珠に疵だと思うんですけど、日本の伝承を扱っているファンタジーということでは楽しめる内容のものが多かったように思います。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

水の伝説
著:たつみや章  講談社文庫

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東京の学校になじめず、白水村に山村留学した内気な小学6年生、光太郎。  最初は戸惑っていたものの、少しずつ村の生活になじみ始めた矢先、運命が一変する。  川で不思議な生き物を助けたその夜、自然を司る龍神の怒りを鎮める役を担うことになり...。  少年の成長と、自然の尊さを描いたファンタジーの名作。  (文庫本裏表紙より転載)

著者が一連の作品群で訴えたいポイントなんだろうと推察される「上から目線ではない自然保護・環境保護」については、切実に伝わってくる物語だったと思います。  東京で登校拒否 & 引き篭もりになってしまっていた光太郎君が初めて持つことができた友達(と言っても前半はまるで保護者だけど 苦笑)の龍雄君が「僕は山を守る人になる!」という決心をしたというのもと~っても尊い大切にしてあげたい考え方だと思うんです。  でも、今現在、Lothlórien_山小舎をメインの生活の場としている KiKi にはそれでもこのお話がある種「綺麗ごと」に感じられちゃうんですよね~。

この物語が書かれた1995年当時は今とはまた状況が異なったということもあるんだろうと思うけれど、今、この村付近の林業の実態を考えると「山を守る人になる」という理想と現実の生活との乖離に絶望的な想いを一層強く感じずにはいられません。  

例えばこの物語では龍雄君の家が育てていた(そして山崩れで流されてしまった)立派な杉の木はそれ一本で東京で働くサラリーマンのボーナスぐらいの値段になったらしいけれど、今では国産の杉建材はそんなに高値では売れなかったりします。  Lothlórien_山小舎を建てた土地には KiKi が購入する前はヒノキが何本も植えられていたんだけど、そのヒノキも二束三文にしかならなかったと聞いています。  現代人はそういう杉やヒノキといった建材よりも「新建材」と呼ばれる加工材やら輸入物の建材、さらにはコンクリートやらモルタルで作った家ばかりを建てるようになってしまったので、市場価格が暴落してしまっているというお話を聞いたこともあります。  

この土地に植えられていたヒノキも植えた時点では何十年も先になれば1本あたりサラリーマンのボーナス分ぐらいにはなることを夢見て(?)植えられたんだろうと思うけれど、結局は国産材の価値が下がるにつれ採算の目途が立たなくなった(何せ売れる木材に育つまでの期間が長い!!)とのことで、本来なら植林され、人の手が定期的に入れられる林だったはずなのに、KiKi がこの土地を見に来たときには見放されてもう何年も放置されっぱなしの荒れた森状態でした。  因みにそのヒノキ林になる前は畑だったのだそうです。  

その畑の持ち主だった地元酪農家のHさんが、自宅からはちょっと距離があるうえに、農作業の人手が減ってしまったために畑としてはもうメンテしきれない(彼らには自宅近くに別の畑もあるうえにメインの生業は酪農です)という状況になってしまった時に、遊ばせておくのも何だし、仮に遊ばせておいたとしてもどうせ草刈りの手間は必要になってしまうからそれならば畑よりは手間が少ない(畑だと毎年耕して、作物を植えて、施肥やら草刈りをして、収穫をして、又耕しての繰り返しだけど、林だったら少なくとも耕す手間と収穫の手間は減る)山林に・・・・と植林当時は建材として人気のあったヒノキを植えたのだそうです。  でも植林してから何年か経つと建築事情が大きく変わってしまい、ヒノキと言えどもそうそうは需要がない時代を迎え、結果的に放置林となっていたっていうわけです。  下世話な言い方をするなら、彼らはヒノキ林で投資した分で発生した大損を KiKi に土地を売ることでようやく回収した・・・・・とまあ、そういう状況だったんですよね~。 

夜の神話 たつみや章

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図書館で借り出してきた「月神シリーズ」に触発され、読み始めたたつみや章さんの「神様三部作」の2作目です。  取り上げられているテーマが原子力発電所の事故ということもあり、福島原発事故のもたらす多くの社会問題真っ只中のこの時期にこの本を読むことができたことに、神様に感謝したい気分の KiKi です。

夜の神話
著:たつみや章  講談社文庫

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引っ越した田舎での生活に、馴染めずにいたマサミチ少年。  ひょんなことから神様の力によって、虫や木の声が聞こえるようになり、命の大切さに少しずつ気づいていく。  その一方、父が勤める原子力発電所で事故が発生。  兄と慕う父の同僚、スイッチョさんは被曝してしまう。  第41回産経児童出版文化賞推薦作品。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語、1993年に書かれていた物語だったのですね。  93年と言えばあのジュリアナ東京が最後の仇花を咲かせてイケイケ・ドンドン・ムードを煽っていた時代です。  あの頃、一方では夜な夜な遊び歩きお立ち台で燥ぎまわっていた人もいた一方で、こんな物語を書かずにはいられなかった人もいたということを考えると、何とも複雑な気分です。  かく言う KiKi も93年当時には何をしていたのか?と言えば某外資系会社で初めて Manager ポジションを得て、自分の市場価値を上げることに躍起になっていた時代でした。  つまりは、この物語のマサミチ君同様にツクヨミ様に「闇鬼(アンキ)」と呼ばれても仕方のない生き方をしていた時代だったと思います。

まあ、KiKi の場合はマサミチ君ほどには競争社会の中で先陣を走りたいという意欲はなかったし、都会のアスファルトの上で干からびているミミズの死骸なんかを目にするたびに「こんなところに出てきちゃったのね、あなた。  途中で力尽きちゃうなんて考えもしないで・・・・・・。  成仏してね。」な~んていうことを感じていたぐらいには人間以外の生き物も命であるという感覚だけは持ち合わせていたけれど・・・・・。  

「月神シリーズ」を図書館から借り出して読了したので、同じ作家さんの他作品も読んでみたいと考え「神様三部作」と呼ばれる作品群にも手をだしてみることにしました。  いくら外来物主流の世界とは言えどもアチラモノばかりを有り難がっているのもどうか?と思わないでもないし、肝心要の日本古来の宗教に関してはまったくと言っていいほど無知な西洋かぶれの自分に喝を入れるためにもいいかな?な~んていう殊勝なことを考えたっていうのもあります。  この本を読了したのは実は3月2日のことだったんだけど、3日 & 4日はちょっとした野暮用であちこち駆けずり回っていたので、このエントリーは今日になってしまいました。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

ぼくの・稲荷山戦記
著:たつみや章  講談社文庫

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先祖代々、裏山の稲荷神社の巫女(みこ)を務めるマモルの家にやって来た奇妙な下宿人。  腰まで届く長髪に和服の着流しの美青年・守山初彦(もりやまはつひこ)は、山と古墳をレジャーランド開発から守るために動き出す。  守山に連れられ、マモルがまみえた太古からの"存在"とは?   第32回講談社児童文学新人賞受賞の著者デビュー作。  (文庫本裏表紙より転載)

なかなか素敵な物語でした。  ただ、開発する側が「レジャーランド」という人が生きていくために必ずしも必須ではない施設を作ろうとしている会社で、明らかに「お金儲け」のために動いているという設定になってしまっているために、お話全体がある種の「綺麗事」になってしまっているのがとても残念な気がしました。  この方の作品の傾向なのか(と言ってもまだまだ大した冊数は読んでいないんだけど ^^;)、常にお話の中に登場する相手方が「悪の衣を纏っている」設定なんですよね~。  子供には分かりやすさが必要・・・・・ということなのかもしれないけれど、世の中、悪は悪の顔をしているとは限らないわけでして・・・・・・。

もっとも、そういう設定であればこそ、現代っ子の一少年がこの「環境保護運動」というような社会運動に身を投じる気にもなるんだろうけれど、逆に言えばマモル君の持つ「才」だとか稲荷神社の巫女の家系の生まれという設定があまり生かされていないお話になってしまっているのがちょっと残念でした。  まあ、「この世ならぬ者」と接触することができる・・・・・・というだけでも彼の「才」は十分すぎるほど生かされているということなのかもしれませんけどね(苦笑)


たまたま図書館で見つけたたつみや章さんの「月神シリーズ」を読了したので、何となくタイトルからして似通っている香りをプンプンと放っているこちらの積読本を読んでみる気になりました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本(2冊目)はこちらです。

月の森に、カミよ眠れ
著:上橋菜穂子  偕成社文庫

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月の森の蛇ガミをひたすら愛し、一生を森で送ったホウズキノヒメ。  その息子である蛇ガミのタヤタに愛されながらも、カミとの契りを素直に受けいれられない娘、キシメ。  神と人、自然と文明との関わりあいを描く古代ファンタジー。  (文庫本扉より転載)

KiKi の大好きな上橋菜穂子先生の1991年の著作です。  実際にはその時の作品に若干の加筆・修正を加えたもの・・・・・のようです。  ところどころ唐突なところ、粗削りにすぎるところも散見されるけれど、やっぱり上橋菜穂子は上橋菜穂子だった・・・・・・そんな感じでしょうか。  と、同時に案の定、彼女の作品は KiKi の感性にドツボで嵌ってきます。  世界観としては、先日読了したばかりの「月神シリーズ」の兄弟とでも呼ぶべき世界の物語でした。  同じように「縄文文化」と「弥生文化」の邂逅の物語だし、同じように「クニ」と「ムラ」の物語だし、同じようにアニミズム的な「カミ」を扱う物語です。  でも、KiKi にはやっぱりこっちの方が心地よい(笑)

この物語をもっとも端的に纏め上げてしまうとするならば「カミ殺し」の物語で、人間が人間の都合により古より息づいていた「カミの呪縛(掟とも言う)」を断ち切るお話です。  この物語でも「縄文文化人」と「弥生文化人」が登場するけれど、そこに善悪という対立軸はなく、強いて言うならば文明の発展の中で人間は自分たちに都合の悪いもの(自然の脅威を含む)を畏れ敬い祈る対象から、征服すべきものとして排除の対象とするようになる精神性そのものを扱った物語だということができると思います。  

図南の翼 小野不由美

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図書館で借りた本を読む間、ちょっと据え置き状態になってしまっていた「十二国記シリーズ」の6作目を読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

図南の翼
著:小野不由美  講談社X文庫

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恭国は、先王が斃れてから27年。  王を失くした国の治安は乱れ、災厄は続き、妖魔までが徘徊するほどに荒んでいた。  首都連檣(れんしょう)に住む珠晶(しゅしょう)は、豪商の父をもち、不自由のない生活と充分な教育を受けて育った。  しかし、その暮らしぶりとは裏腹に、日ごとに混迷の様相を呈していく国を憂う少女は、王を選ぶ麒麟に天意を諮るため、ついに蓬山をめざす。  珠晶、12歳の決断。  「恭国(このくに)を統べるのは、あたししかいない!!」。  (文庫本扉より転載)

前回読んだ「風の万里 黎明の空」の Review でも書いたように、KiKi はこの恭国の珠晶という女の子(と言っても王様だけど・・・・ ^^;)に並々ならぬ興味を持っていました。  恐らくもっと若い頃の KiKi であればあの子のこまっしゃくれた感じ、小賢しい感じにちょっとした反感みたいものを感じたかもしれないんだけど、この年齢まで生きてきて、社会の荒波にもそこそこ揉まれて、人の上に立つ経験もしてきた身からすると、あのセリフを衒いもなく言い切れるということだけで彼女の潔さ、傑物ぶりが頼もしく感じられることはあっても、嫌いなものではありません(笑)。

そんな珠晶の「じゃじゃ馬ぶり」が全開なのがこの物語だと思います。  まあ、「女の子は可愛くあれ」「誰からも愛される奥ゆかしさを持て」というような類の教育方針を持つ親だったら「目も当てられない・・・・(ため息)」というような女の子だとは思うけれど、もしも KiKi が彼女の母親だったら誇りに感じるだろうなぁ。  それは結果的に王になれたからというよりは、彼女の言動一つ一つが素晴らしいと感じる故なんですけどね。  

「月神シリーズ4部作」の最終作(外伝を除き)を読了しました。  う~ん、何とも不思議な読後感の物語ですねぇ・・・・・。  ま、何はともあれ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

月冠の巫王(ふおう)
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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遠いはるかな昔。  月の神を敬い、すべての自然にカムイをみてくらす縄文びとと、日の神を奉じて海の向こうからやってきた弥生びとの間に、血で血をあらう烈しい争いが起こった。  信ずる神も、言葉も、生活様式も、何もかもがちがう二つの文明の相克は深く、和解はまったく不可能に見えたのだが...。  戦乱の世に平和をもたらすべく共に行動するふたりの少年たちの熱い友情と数奇な運命を、いにしえの日本を舞台に描く。  『月神の統べる森で』(野間児童文芸賞受賞)に始まる長編四部作、ここに完結。  (単行本扉より転載)

この物語。  結局のところ、主役は誰だったんでしょうか??  物語の流れからするとポイシュマっぽさが強いんだけど、ひょっとしたら登場回数は少なかったけれど最後はポイシュマと一緒にオオモノヌシになったシクイケル??  それとも準主役っぽさが漂うワカヒコ??  まあ、KiKi 自身(というより現代日本人)がワカヒコの属する弥生系の人々が持っていた文化をベースに持ち続けている民族であるせいか、結局のところ一番感情移入できた人物はワカヒコだったように思います。  対してポイシュマに関しては彼が纏う「必要以上に理想化された人物像」の胡散臭さばかりが印象に残って、ついでに彼が「美しく清らかで優しいキャラである」と連呼され続けたことによって抱くイメージと現代的に言うなら切れちゃって半端じゃない災厄を引きおこした時の落差が激し過ぎて、正直なところちょっとついていけない感がありました。  もっとも「オオモノヌシ」とはそういう存在なのかもしれないし、自然同様に「美しくも残虐なもの」であるということを著者は謳いたかっただけなのかもしれないのですが・・・・・・。

いずれにしろ KiKi にとって最後まで残念だったのは、何となくとってつけた感が漂う 善 vs. 悪の対立軸という構図で、「ムラ」を理想化しすぎる筆致だったように感じます。  扱っている主題は壮大かつ深みがあるし、配した人物のおおまかなコンセプトは悪くないとは思うんですけどねぇ。  ついでに言えば結構 KiKi 好みの世界観ではあるし・・・・・(苦笑)

今日も「月神シリーズ」を読み進めています。  1冊目では「ちょっとなぁ・・・・」と感じられていた部分が少しずつ解きほぐされてきていて、もともと好きな世界観のお話だけに俄然楽しくなってきました(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

地の掟 月のまなざし
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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すべての自然には神が宿り、人はその恵みによって生かされている、と信じられていた縄文の時代。  数千年続いたその平和を脅かす、新来の弥生の民との闘いの火ぶたが、今まさに切られようとしていた、その時―。  縄文のムラと、弥生のクニに、それぞれの時代の命運を握る、ふたりの少年が現れた。  動物のカムイに育まれ、ムラの救い主になるべく宿命づけられたポイシュマ。  女王ヒメカの甥であるにもかかわらず、クニを逐われるワカヒコ。  ふたりの出会いが、また新たなる運命の歯車を回していく―。  第37回野間児童文芸賞に輝く「月神の統べる森で」に続く長編第2弾!  (単行本扉より転載)

天地のはざま
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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悠久の昔。  国土は月神の統べる深い森におおわれ、ムラびとたちは自然の恵みに感謝してくらしていた。  あるとき、海の向こうから日の神を奉じる民がやってきてクニをたて、数千年の平和が破られた。  戦乱の予兆のなか、いにしえの予言どおりふたりの少年が、それぞれの宿命の道を歩み始める。  「星の子」であるしるしの翡翠色の目をしたポイシュマと、高貴な血を引きながらクニを逐われたワカヒコ。  敵味方をこえ友情を結んだふたりだったが、交易の旅に出かけた塩のムラで、アヤのクニで、また絶体絶命の危機におちて―。  「月神の統べる森で」(野間児童文芸賞受賞)、「地の掟 月のまなざし」に続くシリーズ第三弾!  (単行本扉より転載)

前作、「月神の統べる森で」の Review で書いたいくつかの否定的なポイントに関して、まだまだ十分とは言えないけれど少しずつ解き明かされてきている感があって、KiKi には楽しい読書となりました。  縄文側のポイシュマと弥生側のワカヒコがそれぞれの世界に帰ってからの生活の描写が描かれるのと同時に、前作では一方的な悪役扱い(?)だった弥生側の事情も少しずつ明らかになってきたのが何よりも嬉しい2冊でした。

月と蛇が出てくるあたりは日本古代史を舞台にしたファンタジーでありながらも、ファンタジーのお膝元のケルトっぽさも感じさせ、人間っていうのは所が変わっても案外同じような感性を持って暮らしていたんだなぁと何だか嬉しくなってしまいます。  第2巻にして、この段階ではまだまだ物語も動き始めたばかりだったんですねぇ。  運命的な再会を果たしたポイシュマとワカヒコのこれからに期待が持てそうな終わり方が「地の掟 月のまなざし」。  それぞれがそれぞれの負うべき宿命に向かって歩み出すのが「天地のはざま」です。  

今日も図書館本のご紹介です。  この物語は以前「大人のファンタジー読本」でその存在を知り、以来いずれは読んでみようと考えていた本です。  ファンタジーという外来ものの概念(? カテゴライゼーション?)と日本文化の融合という取り組みには少なからず(・・・・と言うより強烈に)興味のある KiKi なのでこの本に出会える日を楽しみにしていました。  今のところハードカバーしか出ていないので、なかなか購入してまでして読む気にはなれなかったんですけどね(苦笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

月神の統べる森で
著:たつみや章 絵:東逸子  講談社

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はるか太古の昔。  山も、川も、木々も、獣も......みな、心をもった存在だった。  人もまた、月神の統べる森の恵みを受け取って生きていた。  ある時、海からきたヒメカの民は、土地をかこってクニとし、敵意をむき出しにしてムラに襲いかかった。  そして、ムラの若き長(おさ)アテルイと、美貌の巫者(ふしゃ)シクイルケは、流亡(りゅうぼう)の旅の途中、翡翠(ひすい)色の目をもつ少年ポイシュマと運命的な出会いをするのだった......。  かつて語られることがなかった神秘の縄文時代に光をあて、人々の愛と闘争を描く、たつみやファンタジー待望の新作!  (単行本扉より転載)

まずは、この表紙の東さんの絵に10点!(因みに10点満点ね 笑)  何とまあ幻想的かつ美しい絵なんでしょうか!  この表紙の絵だけで、KiKi の頭の中には様々な妄想が渦巻きます。  特に素敵だと思うのが後姿のポイシュマと思しき少年が座っている月の船と思しき曲線とその向こうに見える森が素晴らしい!!  まあ実際のところ、この絵の主役はシクイルケと思しき上半分を占めている神秘的な人物なんだろうとは思うんですけど・・・・・(苦笑)

そして肝心の物語の方ですが、世界観は8点、ストーリーテリングは残念ながら5点っていうところでしょうか??  こういうアニミズム的な世界を描く物語は大好物だし、一応著者 & 出版社の意図としては「縄文時代」を扱っているつもり・・・・・ということで、そこは素晴らしいと思うんですよ。  そして、著者があとがきで述べていらっしゃる以下の言葉(↓)には心の底から賛同・共感するし、「頑張って!!」とエールを送りたい気分がムラムラなんです。  

夜空を照らす月というのは、昔の人々にとっては、たいへんたいせつなものであったにちがいないのに、『古事記』や『日本書紀』の中には、月の神様の話はほんのちょっぴりしかありません。  このお話は、月にまつわる神話が消えてしまった謎を、私なりに考えてみたいと思って書き始めました。  それと同時に、私たちの先祖の歴史である縄文と弥生という2つの文明が出会った時代を描きだすことで、私たちの現在と未来を考えてみたいという思いもあります。  なぜなら、縄文時代には、人間と自然は共生していたからです。

ただねぇ、この「月神シリーズ」第一巻の描き方がどうにもこうにも納得がいかないんですよね~。  KiKi も「縄文時代人」と「弥生時代人」は別の人種だっただろうと思っているし、結局は「縄文時代人」が「弥生時代人」に敗北し、現代はその「弥生時代人」の延長線上にあるというおおまかな世界観については著者と同じ思いを持っています。  でも、彼らの邂逅早々に「善良 & 敬虔な縄文時代人」 vs. 「野蛮な弥生時代人」というスタートのさせ方はいかがなものかなぁ・・・・・と。  異なる価値観が対立するわけだから、どちらか一方の目線に立てば当然相手の正義は見えないものだけど、見えないなりの描き方っていうものがあるように感じちゃうんですよね~。


災路を行く者 上橋菜穂子

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絶対に素通りすることができない上橋菜穂子先生の「守り人シリーズ」の外伝です。  Amazon やら読書メーターやらから新刊発売のお知らせを頂戴し、何度本屋さんで手に取って「もう買っちゃおうか??」と思ったことか。  でも、守り人シリーズは「軽装版」で揃えている KiKi (但し同じく外伝の「流れ行く者」はハードカバーで買っちゃった ^^;) & プ~太郎の身としてはやっぱりハードカバーの単行本には手を出しづらく、とりあえず図書館で借りて読むことにして「購入依頼」を提出し早半月。  ようやく「貸出OK」の通知をいただいたので、大急ぎで借り出しに行ってきました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

災路を行く者
著:上橋菜穂子  偕成社

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「蒼路の旅人」でチャグムをさらったタルシュの鷹アラユタン・ヒュウゴ。  ヒュウゴはなぜ、自分の祖国を滅ぼした男に仕えることになったのか。  そして、バルサは、過酷な日々の中で、思春期をどう乗りこえていったのか。  題名のみ知られていた幻の作品「炎路の旅人」と、バルサの少女時代の断片「十五の我には」が収められた、「守り人」読者待望の作品集。  (単行本扉より転載)

「蒼路の旅人」 & 「天と地の守り人」で大活躍した時から興味深い人物として心に残っていたのが「タルシュの鷹 アラユタン・ヒュウゴ」でした。  もっとも、KiKi が「守り人シリーズ」にどっぷりつかっていた頃からは随分時が流れてしまったので、今となってはこの2つの物語も詳細までは覚えていないんですけどね(苦笑)  ただね、これまで「守り人シリーズ」「旅人シリーズ」そして「流れ行く者」という一連の作品の中で、シュガ、タンダ、トロガイ、ジグロというような脇役ながら興味深い人物に関してはかなり書き尽くされてきていた感があった中でただ一人、まだまだ不十分な印象を拭いきれない人物がヒュウゴでした。  

人は誰もがどこかの分かれ道で何かを選び取って今の自分に繋がる道を歩み始めるわけだけど、このヒュウゴという人物に関しては、いつ、どこで、何を選び取ったのか、何となく匂わされていることはあったように思うけれど、KiKi にはまだまだ薄ぼんやりとしていて、ちょっとした「忘れ物」のように心に残っていました。  そんなヒュウゴの物語と言われたら読まずにいられるわけがありません。 

再び雪に閉ざされてしまったLothlórien_山小舎で、薪ストーブを前に読書に耽る。  そんな贅沢な1日を過ごしてしまいました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

風の万里 黎明の空
著:小野不由美  講談社文庫

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天命により慶の国、景王となった陽子は民の実情を知るために街へ出た。  目前で両親を殺され芳国公主の座を奪われた祥瓊は、父王の非道を知り自らを恥じていた。  蓬莱から才国に流されてきた鈴は華軒に轢き殺された友・清秀の仇討を誓った。  それぞれの苦難を抱いて三少女はやがて運命の邂逅の時を迎える―。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

思うままにならない三匹の豺虎(けだもの)を前に自らの至らなさを嘆く景王・陽子の傍にはいつしか祥瓊、鈴、二人の姿があった。  "景王に会いたくて、あなたは人人の希望の全てなのだから"  陽子は呪力をたたえる水禺刀を手に戦いを挑む。  慶国を、民を守るために。  果てしない人生の旅立ちを壮大に描く永遠の魂の物語。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

これは素敵な物語ですねぇ。  「ポジションが人を作る」という KiKi も経験してきた社会における暗黙のルール(・・・・のようなもの)が見事に描かれているし、「人生は辛い事と幸せな事が半々のはずなのに、人間っていうのは、なぜか辛い事の方を大きくとらえてしまう」という人生における1つの真実も的確に描かれています。  物語は「月の影 影の海」で十二国の世界に否応なく巻き込まれてしまった「巻き込まれ系主人公」の陽子が、腹を括って「景王」であることを受け入れた後の顛末が描かれています。

前作、「東の海神 西の滄海」の Review でもちょっと書いたように、蓬莱での人生経験が「お気楽、周りに流され系の女子高生」に過ぎなかった陽子なだけに、彼女なりにかなり悲愴な覚悟をしたうえで即位した「景王」という立場・・・・ではあっても(であっただけに・・・・と言うべきか?)、正直なところ延王の物語みたいに安心感を持って読むことができませんでした。  案の定、自分が目指すべき王の姿も、自分が実現したい成果の Vision も持つことができずに戸惑う陽子の姿が何とも初々しい限りです(笑)  でも、彼女の「もがき方」「迷い方」を読んでいるうちに、それは少しずつ安心感に変わっていきました。  


今日は十二国史の中で3つ目の国「雁(えん)国」の物語です。  ここまでの物語で友情出演的にチラホラ出てきた「雁(えん)国」は他国に比べると安定して経済的にも潤っている印象の国だったのですが、ここも荒廃とは無縁ではなかった土地だったのですねぇ・・・・・。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

東の海神 西の滄海
著:小野不由美  講談社文庫

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廃墟と化した雁(えん)国の復興に励む延王・尚隆と延麒(えんき)。幼い頃に出会った更夜(こうや)の来訪になつかしさで一杯の延麒は、実は仕組まれた罠であることを疑いもしなかった。  争いごとや殺傷を忌み嫌う麒麟を人質にとられ、雁国は怒濤の騒乱にまきこまれてゆくが──。  華麗なる筆致で運命の力を謳いあげる大スペクタクル。  (文庫本裏表紙より転載)

この物語、ここまでの作品の中では最も KiKi のツボにはまった物語だったかもしれません。  何て言うか、社会性の強い物語だったと思うんですよね。  「月の影 影の海」はどちらかと言えば「陽子の物語」であって「慶国の物語」ではなかったし、「風の海 迷宮の岸」も「泰麒の物語」であって「戴国の物語」ではなかったのが、ようやくこの第三作にして「延王・延麒の物語」でありつつも「雁(えん)国の物語」になった・・・・・そんな感じでしょうか。  

まあ、最初の2作はある意味で世界観を読者の頭の中に定着させる必要があったということもあるだろうし、それ以上に主人公が年齢的にも精神的にも幼かったのに対し、本作では少なくとも主人公たちが精神的には大人であることが大きな特徴だと感じられます。


今日も十二国記を引き続き読んでいます。  この作品、単体で読んでもそこそこ味わい深いものがあるのですが、シリーズを追うにしたがってようやく世界観が馴染んできているような気がします。  今日読了したこちらの作品は「魔性の子」の裏(表?)の物語、あの「祖国喪失者 高里君」が神隠しにあっていた間、何をしていたかの物語です。

風の海 迷宮の岸
著:小野不由美  講談社X文庫

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麒麟(きりん)は王を選び、王にお仕(つか)えする神獣。  金の果実として蓬山(ほうざん)の木に実り、親はいない。  かわりに、女怪(にょかい)はその実が孵(かえ)る日までの十月(とつき)を、かたときも離れず、守りつづけるはずだった。  しかし、大地が鳴り、大気が歪(ゆが)む蝕(しょく)が起きたとき、金の実は流されてしまった!  それから10年。  探しあてた実は、蓬莱(ほうらい)で"人"として生まれ育っていた。  戴国(たいこく)の王を選ぶため連れ戻されたが、麒麟に姿を変える術(すべ)さえ持たぬ泰麒(たいき)──幼ない少年の葛藤(かっとう)が始まる!  (文庫本扉より転載)

とてつもない妖(あやかし)と対峙(たいじ)した泰麒(たいき)は、身動(みじろ)ぎもせず、その双眸(そうぼう)を睨み続けた。  長い時間が過ぎ、やがて発した言葉は、「使令に下れ」。  異界(ここ)へ連れてこられても、転変(てんぺん)もできず、使令も持たなかった泰麒は、このとき、まさに己れが「麒麟(きりん)」であることを悟(さと)った!  しかし、この方こそ私がお仕(つか)えする「ただひとり」の王と信じる驍宗(ぎょうそう)を前に、泰麒には未だ、天啓(てんけい)はないまま。  ついに、幼い神獣が王を選ぶ──故郷(くに)を動かす決断の瞬間(とき)が来た!  (文庫本扉より転載)

普通だったらこの表紙を見た瞬間に決して KiKi は手を出さないだろうなぁ・・・・・(苦笑)  大の大人の読み物としてはあまりにも子供っぽい。  それなのにこの本が手元にある理由ははっきりしていて、ことこの「十二国記シリーズ」に関しては、評判を聞いたあとで eBookOff(現在のNetOff)で出物があったさいに買い揃えたためです。  つまり装丁にはまったく拘らず、とにかく出てきたもので揃えちゃったんですよね~。  だから現在 KiKi の蔵書は大半が「講談社文庫」なんだけど、この「風の海 迷宮の岸」と「図南の翼」だけは「講談社X文庫」というアンバランスさ・・・・・・ ^^;  まあ、実際に読むときには革製のブックカバーをかけちゃっているのであんまり気にならないんですけどね(笑)

さて、この物語ですが、冒頭にも書いたようにあの「魔性の子」の主人公(?)、高里君が神隠しにあっていた間、どこで何をしていたか?という物語 & この「十二国記シリーズ」の中で「麒麟」というのがどういう存在で、「麒麟と王の関係」がどういうもので・・・・・というあたりの解説にあたる作品となっています。  もっとも読了した段階で KiKi の頭を渦巻く1つの大きな疑問が置いてけぼりを食らっちゃっています。  それは、一度は十二国の世界に引き戻されて「麒麟」となり、自分が王を指名するところまで成長したはずの高里君(というより「泰麒」)が、いつ、いかなる事情で、再度蓬莱(日本)に流されることになっちゃったのか?ということです。  まあ、そのあたりはシリーズ全作を読了すればわかってくるお話なのかもしれませんが・・・・・・。    

昨日Lothlórien_山小舎に帰ってきました。  もちろん在来線の旅の友は先日から読み始めた「十二国史シリーズ」です。  てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

月の影 影の海
著:小野不由美  講談社文庫

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謎の男、ケイキとともに海に映る月の光をくぐりぬけ、高校生の陽子がたどりついたのは地図にない国―巧国。  おだやかな風景とは裏腹に闇から躍り出た異形の獣たちとの苛烈な戦いに突きおとされる。  なぜ、孤独な旅を続ける運命となったのか、天の意とは何か。  『屍鬼』の著者が綴る愛と冒険のスペクタクル。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

容赦なく襲いかかる妖魔に水禺刀で応え、裏切りに疲れた旅の果て、陽子は唯一の親友となる半獣の楽俊と出会う。  二人は豊かな隣国、雁の国に向かい延王に謁見。  そして、なぜ陽子が過酷な試練をへて異界へ旅立つことになったか、真実が明かされるのだった。  地図にない国 - 十二国の大叙事詩が今こそ始まる。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

まだ、シリーズ中2冊しか読んでいないけれど、どうやら KiKi がこのエントリーでつけた三羽烏のお気に入り順位はほぼ確定した感があります。  荻原作品に感じるほどの「こそばゆい感」はないものの、世界観のリアルさはちょっと薄め・・・・・・。  もっともこの手のファンタジーにリアルさを求めること自体が間違っているとは思うんですけどね(笑)。  ま、恐らくは KiKi がホラー系がかなり苦手なゆえに感じる彼女の「ホラー筆致」になかなか馴染めないっていうのがあるのかもしれません。

特にこの上巻は読んでいてちょっと苦痛でした。  主人公の陽子同様に、わけもわからないまま形相からしてあんまり美しくはなさそうな(というよりおどろおどろしいような)化け物相手にひたすら戦いまくっている(しかもその戦いのパワーはこれまた得体の知れない幽霊みたいな存在に憑依されたことによあって与えられている)シーンばかりで「なんじゃ、これ?」という感じ・・・・・。  でもそのうちに巧国に住む人間に騙されたりしているあたりからは、少しずつこの世界観に馴染んでいきました。  やっぱり人間(というより KiKi 個人なのかな?)っていうのは他の動植物を相手にするよりは人間相手の方が、仮に「騙される」というシナリオであっても安心感があるみたいです(笑)  これは恐らく人間の形さえしていれば感情が推察できるような気がするという単なる思い込みによるものなんですけどね。

魔性の子 小野不由美

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本来なら「ハリポタ」を読了したところで、このブログのメイン企画「岩波少年文庫」に戻るべきところ・・・・・ではあったのですが、昨日は群馬→東京の移動という月に1度の大イベントがあったため、在来線の旅の友としてはとっても都合の悪い「岩波少年文庫」には戻ることができませんでした。  じゃ、代わりにどうするか??ということでいろいろ考えた結果、ず~っと積読状態だった小野不由美さんの「十二国記シリーズ」に手を出してみることにしました。  

上橋菜穂子さんと出会って以来、日本ファンタジー界の三羽烏と呼ばれていた(らしい)小野不由美さんの「十二国記」はいずれは読んでみようと待機させてあった作品群です。  今回、これを機会にこのシリーズを読み始めてしまうので、ここから暫くはこの作品群が続く予定・・・・です。  ま、てなわけで「十二国記シリーズ」の第1作でありながらも外伝扱いのこちらの作品からスタートです。

魔性の子
著:小野不由美  新潮文庫

51EKD3VDBHL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

教育実習のため母校に戻った広瀬は、教室で孤立している不思議な生徒・高里を知る。  彼をいじめた者は「報復」ともいえる不慮の事故に遭うので、「高里は崇る」と恐れられているのだ。  広瀬は彼をかばおうとするが、次々に凄惨な事件が起こり始めた。  幼少の頃に高里が体験した「神隠し」が原因らしいのだが...。  彼の周りに現れる白い手は?  彼の本当の居場所は何拠なのだろうか?  (文庫本裏表紙より転載)

これは何とも不思議なテイストの作品ですねぇ。  どことなくホラーの香りがしつつも、ファンタジーっぽさもあって、同時に社会風刺的な骨太さもある・・・・・。  ちょっと死者の数が多すぎるのが個人的には苦手っぽいし、若干筆致の粗さみたいなものも感じられないじゃないけれど、広瀬 & 高里の心理描写には思わず引き込まれ、楽しく読み進むことができました。

身近なところに高里みたいな子がいたら確かに不気味だし、できることなら関わり合いになりたくはないけれど、どんどん追い詰められていく広瀬 & 高里コンビの姿には思わず気持ちが寄り添っている自分を発見して驚いたことも数知れず・・・・・。  でも、それと言うのも戸惑い、悲しみ、心を閉ざさざるをえない彼らの姿を読者として見ている(読んでいる)からこその感情であって、そうでなければ自分もきっと先陣を切って積極的に・・・・とまではいかないにしろ、やっぱり彼らを糾弾する側にいることになるんだろうなぁと思うと、これもまた人間の持つエゴの1つの形であることに改めて思い至り、同時にそういう感情が自分にもしっかりとあることを認めざるを得ません。

幻の動物とその生息地 他

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今日は吾妻郡図書館から借り出してきた「ハリ・ポタ便乗本」2冊のご紹介です。  因みに KiKi はこの手の「便乗本」というやつがどちらかというと嫌いで、自分でお金を出して買ったことはありません ^^;  薄いうえに内容のほとんどない本ということであっという間に読了してしまいました(笑)。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本2冊です。

幻の動物とその生息地
著:N.スキャマンダー(実は J.K. ローリング) 訳:松岡祐子  静山社

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ドラゴンや不死鳥など約80種の魔法生物の生態と危険度を示した「ホグワーツ校指定教科書」魔法生物の本。  ハリーが使っている教科書という設定で、ハリーやロンの落書きや書き込みもあるほか、著者自身による魔法生物のイラストもある。
大人気ベストセラー「ハリー・ポッター」に登場する、ホグワーツ魔法魔術学校の指定教科書。  ハリーと同じ教科書、ダンブルドア校長イチオシの1冊。  売上金は慈善団体に寄附されるハリー・ポッター特別基金を行っている。  (Amazon より転載)

こちら(↑)は便乗本とはいえ「ハリポタの著者」が作った本だし、言ってみれば「ハリポタ小道具」みたいな位置づけなので、内容はともかくまあまあ KiKi としても許容範囲(?)の本と言えるかもしれません。  そして、もう1冊の方は、残念ながら KiKi が許せない範疇に入ってしまう本当の意味での「便乗本」です。

マグルのためのハリー・ポッター魔法百科
著:D.B.マウサー 訳:和爾桃子  早川書房

510Z6WGBS8L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ハリー・ポッターの物語には、たくさんのなぞやふしぎがあふれています。  ぜんぶで7巻もつづくこの長い冒険物語を本当に理解して、すべてのなぞときをするのは、とってもむずかしいことなのです。  本書は、マグル育ちのみなさんでも、かんたんに魔法の世界に入っていけるよう、みちびいてくれる一冊です。  第1巻から第4巻までのあらすじと、大切な場面をページ番号つきで紹介。  あのときなにが起こったかな?  あの人物はだれ?  そんな疑問もすぐに解決します。  登場人物、お菓子、道具、呪文...いくつもでてくる魔法言葉はまとめて用語集にしました。  すてきなイラストがもりだくさんのおトクなガイドブック。  (Amazon より転載)

まあ、どちらの本も「ハリ・ポタ・フリーク」の人だったら1冊ぐらい持っていてもいい本なのかもしれません。  特に「幻の~」の方はハリポタの世界観そのままに、マグル世界(人間世界)と共存している魔法界という前提条件で、マグルが気がついていないだけで実は本当にある「魔法界」の、しかもあの「ホグワーツ校」の指定教科書という位置づけの本なので、ハリーがどんな授業を受けていたのかを体感できる(?)よすがの1冊という意味では結構楽しめる本だと思います。  まあ、KiKi 個人としては「幻の動物」よりは「薬草学」の本の方が嬉しかったけれど・・・・・・(笑)

低学年用(?)の教科書の割には図が少ないのがちょっと残念・・・・・。  特にこのての話って「名前だけは聞いたことがあって知っているけれど、どんな形(みてくれ)をしている動物なのかを知らない」ことが多かったりもするので、もっと図が入っていると楽しめるのになぁと思わずにはいられません。

かなり笑えたのは「ネス湖のネッシー」と思しきものに関する記述で、一世を風靡したものの最近では滅多に聞かない話題になっちゃっているなぁと思っていたらあれは魔法界の「誤報室」とマグルの政府機関が共同してもみ消した結果、我々マグルが「でっちあげ」と思い込まされて、鎮火したひと騒動だったんですねぇ・・・・・・(笑)

 

ようやくたどり着きました、最終巻。  この物語の再読企画に取り組んだ時からわかっていたことだったけれど、やっぱり長かったぁ・・・・・・。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本(& 映画)はこちらです。

ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1
ワーナー・ホーム・ビデオ ASIN: B004LQ081U 監督: デヴィッド・イェーツ

51FhqdIn0qL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

二部構成で贈る最終章、歴史的フィナーレの幕が開く!
Part1はハリー、ロン、ハーマイオニーに課せられた使命であるヴォルデモート抹殺の鍵を握る「分霊箱」を見つけ出すところから始まる。  今や守ってくれる人も、導いてくれる師も失い、これまで以上に固い結束を求められるハリーたち。  しかし、闇の力が、しっかりと結ばれたはずの3人の絆を引き裂いていく・・・・・。  一方、かつてないほど危険な場所となった魔法界。  長いあいだ恐れられてきたヴォルデモート卿の復活が現実のものとなり、魔法省ばかりか、ホグワーツ魔法学校までもが死喰い人の支配下に置かれた今、安全な場所はもはやどこにもなくなった。
ヴォルデモート卿の命令により、ハリーを生け捕りにしようとする死喰い人の魔の手が迫る。  そして、分霊箱の手がかりを探すうちに出会った「死の秘宝」の伝説。  ほとんど忘れられた古い物語に記されたその伝説が本当なら、ヴォルデモートは、分霊箱を上回る究極の力を手に入れてしまうかもしれない・・・・・。  ハリーはまったく知らないが、彼の未来は、彼自身の過去によってすでに決められているのだ。  「生き残った男の子」になった日に、ハリーの運命は決まった。  初めてホグワーツの門をくぐったあの日からずっと積み重ねてきた準備―――  それらはすべて、このヴォルデモートとの決着の日のために・・・・・。  (Amazonより転載)

ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2
ワーナー・ホーム・ビデオ ASIN: B002UHJ9FS 監督: デヴィッド・イェーツ

51M0XE6FTrL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

史上最強のファンタジー、遂に完結。
この壮大なフィナーレで、魔法界における善と悪の間で起こる戦いは本格的な交戦へとエスカレートする。  この争いは今までで最も危険なものであり、もはや誰の身も安全ではない。  しかしながらヴォルデモートとの最終決戦の時、最後の犠牲を払わなければならないのはハリー・ポッターなのである。  そしてここに全てが終結する。  (Amazonより転載)


そしてこの原作本はこちら(↓)です。  

ハリー・ポッターと死の秘宝
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

51GFK3JURLL._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

7月31日、17歳の誕生日に、母親の血の護りが消える。  「不死鳥の騎士団」に護衛されてプリベット通りを飛び立ったハリーに、どこまでもついていくロンとハーマイオニー。  一方、あれほど信頼していたダンブルドアには、思いがけない過去が。  分霊箱探しのあてどない旅に、手掛かりはダンブルドアの遺品だけ。  (上巻裏扉より転載)

求めるべきは「分霊箱」か「死の秘宝」か。  ダンブルドアの真意はどこに。  ヴォルデモートが必死に追い求める物は何か?  最後の分霊箱を求めて、ハリー、ロン、ハーマイオニーはホグワーツに向かう。  壮絶な戦い、胸を引き裂く別れ。  果たしてハリーは「生き残った男の子」になれるのか?  ついに明かされる驚くべきハリーの運命。  (下巻裏扉より転載)

まずは映画から・・・・・。  第4作の「炎のゴブレット」以降前作の「謎のプリンス」までは単行本2冊の内容を1本の映画にまとめてしまったうえにCG重視の絵作りだったために、この物語が本質的に持っている複雑 & 面白い要素がメッタギリにされてしまっていた感が否めなかった「ハリポタ・シリーズ」ですが、今作の映画化は2部構成になっていたために、前作までの後味の悪さほどのものは感じませんでした。  相変わらず暗~い絵作りには辟易としたんですけどね^^;  まあ最終作としては可もなく不可もなくっていう感じじゃないでしょうか?  ただここまでの映画化でかなり端折ってしまったシーンが多かった分のツケもそこそこ大きくて、映画と原作本は別作品と思いつつ観ている KiKi ではあるのですが、正直映画の方はシリーズ全作で観た時あんまり後世に残る作品にはならなかったなぁ・・・・・という印象です。

物語自体が7年間の物語であるのに対し、映画化の方は10年を費やしており、ハリー・ロン・ハーマイオニー・ドラコたちの成長が著し過ぎたのはちょっと難点だったかも・・・・・。  ただでさえ、成長期にある役者さんたちなので、「賢者の石」では初々しくちっちゃくて可愛かったのが「死の秘宝」ではオッサン臭くなってしまっているのがちょっと残念・・・・・・。  「賢者の石」や「秘密の部屋」の頃のロンのおびえっぷりが可愛くて大好きだった KiKi なので、「死の秘宝」でのロンはもちろん逞しくなっているのはシナリオ通りではあるんだけど、正直なところ「ありゃま、こんなんなっちゃって・・・・・」という感じがしなくもない(苦笑)  ま、とは言いつつもそこそこ楽しませていただける最終作でございました。


今日は物語も佳境に入る「ハリポタ・シリーズ」第6作。  ようやく「ヴォルデモートがいかにして『闇の帝王 』と呼ばれる存在になっていったのか?」が語られる作品です。

ハリー・ポッターと謎のプリンス
ワーナー・ホーム・ビデオ  ASIN: B002AQTCWY  監督: デヴィッド・イェーツ

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始まりは2001年―ハリー・ポッターという名の少年が、世界に初めて魔法をかけたあの日。  そして今、史上最強のファンタジーは、ついにクライマックスの幕を開けようとしている!  いまだ明かされていない謎、秘密の結末......  すべてが解き明かされる瞬間が、いよいよ迫る!
シリーズ第6章『ハリー・ポッターと謎のプリンス』は、すべてを見届けるための、なくてはならないパスポートだ。  魔法界から、私たちが住む人間界に入り込む魔の手―。  未来を救うカギは【過去】にある!  時をさかのぼり、ついに見つけた宿敵ヴォルデモート卿の最大の弱点、隠し続けてきた命取りの秘密とは?  行く手に待ち受けるまさかの出来事。  そしてかつてない大きな悲しみが、ハリーを襲う!  (Amazon より転載)


そしてその原作がこちら(↓)です。

ハリー・ポッターと謎のプリンス
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

51VPBX8HB5L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

ヴォルデモートの復活のせいで、夏だというのに国中に冷たい霧が立ち込めていた。  そんな中を、ダーズリーの家にダンブルドアがやって来るという。  いったい何のために?  そして、ダンブルドアの右手に異変が......。  17年前の予言は、ハリーとヴォルデモートとの対決を避けられないものにした。  過酷な運命に立ち向かう16歳のハリーに、ダンブルドアの個人教授が始まる。  (上巻裏扉より転載)

新しい「闇の魔術に対する防衛術」の先生は、思いもかけない人物だった。  一方ハリーは、突然「魔法薬」の才能を発揮する。  授業はますます難しくなるが、ホグワーツの6年生は青春の真っ只中。  ハリーには新しい恋人が現れ、ロンとハーマイオニーは仲たがいする。  しかし、ドラコ・マルフォイだけは不可解な行動をとる。  最後に起こる衝撃のどんでん返し。  そして悲しい別れ。  物語は第7巻の最終章へともつれこむ。  (下巻裏扉より転載)

まずは映画から・・・・。  う~ん、これはもう何と書いていいものやら・・・・・。  以前からこの映画は「本のためのおそろしくお金のかかったプロモーションビデオ」(つまり省略が多すぎる)、「CG制作会社養成教材」(CGでドギモを抜くシーンばかり強調)という印象が強かったんだけど、ここへきて全くと言っていいほど方向性を見失ってしまった感があるんですよね~。  つまりね、原作にはないわけのわからないシーンがあるかと思えば、瑣末なところには時間をかけすぎです。  で、今作では画面が暗すぎて何をやっているのかよく見えない(← これは KiKi が老眼だから or  消費電力を節約するためにTVの明るさを落としてあるから かもしれないけれど ^^;)ためにドギモを抜かれる・・・・と言うよりは目が疲れるばかりで、終わってみると何が何だったのかさっぱりわからない・・・・・・ ^^;

ま、チンプンカンプンな映画の割には鑑賞のために消費する時間だけは長いというそんな印象でしょうか??  その長い鑑賞時間の間中、高速回転でシーンを飛ばしながら見ているような感覚に陥るんですよ。  ま、ついでに言えば KiKi は大の蛇嫌いなので、ヴォルデモート復活以来は苦手なシーンも多い・・・・・(苦笑)


初読の際にもっとも苦手な1編だったこの「不死鳥の騎士団」。  今回は再読 & 再視聴です。

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
ASIN: B000WGUSTA  ワーナー・ホーム・ビデオ  監督: デイビッド・イェーツ

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壮絶なバトルがついに始まる!  ハリーの本当の秘密、解禁。
ホグワーツ5年生となったハリーを出迎えたのは、周囲の白い目と新聞のふざけた見出し。  ハリーがヴォルデモートの復活話をでっちあげたと書きたて、ハリー・ポッターならぬハリー・プロッター(策略家)と糾弾する始末。  更に悪いことに、魔法省大臣コーネリウス・ファッジが闇の魔術に対する防衛術の新任教師として送り込んで来たドローレス・アンブリッジの「魔法省お墨つき」の授業は、ホグワーツに迫り来る闇の魔術に対しては不十分であった。  そこでハリーはロンとハーマイオニーに説得され、有志を集めて「ダンブルドア軍団」を結成、厳しい監視の目をかいくぐりながら、きたる壮絶な決戦に備えるべく秘密の訓練を開始する。  (Amazon より転載)


そして、その原作本はこちらです。

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

51HY5Q2PK8L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

復活したヴォルデモートとの戦いはいつ始まるのか?  ハリーにはなんの知らせも来ない。  そして突然ハリーは吸魂鬼に襲われる。  「不死鳥の騎士団」に助けだされたハリーは、「騎士団」が何か重大な秘密を守っていることを知る。  新学期が始まり、恐ろしい新任教授アンブリッジと黒い扉の夢に悩まされ続けるハリーに、チョウ・チャンが微笑みかける・・・・。  (単行本裏扉より転載)

大切なO.W.L.(普通魔法レベル)試験を控えた5年生は、日夜勉強に追われる。  疲れ切ったハリーは、恐ろしい夢を見る。  謎の夢は、ハリーの出生の秘密に繋がっていた。  ハグリッドの秘密、スネイプの秘密、そしてダンブルドアの秘密・・・・。  過去から未来へそれぞれの運命の糸が紡がれる。  そしてついに戦いが始まった。  立ち上がるハリーと「不死鳥の騎士団」。  しかし、悲しい死が・・・・・。  (単行本裏扉より転載)

映画の方はここまで来ると正直なところ惰性で観ている状態になっていきます。  物語自体が「夢見るファンタジー」の世界からどんどん「暗黒戦争」へ向かっているので仕方ない部分もあるんだけど、観ていて「楽しい♪」という気分になれることがほとんどないんですよね~。  かと言って怖いかって言われると音楽と魔法杖から出る光線と場面全体の暗さだけ・・・・と言っても過言ではないような絵作りに感じられちゃうので、大の大人が観ていてゾクゾクするわけでもないような・・・・・・ ^^;

前作でセドリックの死という14~5歳の少年にはきつすぎる出来事にいきなり直面させられてしまったハリーの苦悩(そのセドリックがハリーの初恋のライバルだったというおまけつき!)も、ヴォルデモートが復活したという事実を魔法省が封じ込める背景の描写も、ハリーがマスコミやら悪意なき噂話の餌食となってどんどん孤立感を深めていくというあたりの描写もすべてが中途半端なために、ハリーが単なる癇癪持ちみたいになっちゃっていて感情移入しにくいんですよね~。

この「不死鳥の騎士団」の物語のいいところの1つは現実社会の中にもある「不平等」や「差別」というものを的確に描き出しているところ、そして「集団心理」というものの醜い一面をこの「混乱期の魔法界」の動きの中に上手に盛り込んであるところだと思うんですよ。  更に言えば人は誰もが同じ価値観で生きているわけではなくて、個々人が節目節目でする選択こそがそれぞれの人生観・個性・アイデンティティというものを作り上げていく・・・・ということが描かれていることだと思うんですよね。  そして社会というのはそんな個々人の集団で構成されていて、その社会の「悪意なき群集心理」が時に道を誤り、少数派を追い詰め、孤立させたうえで社会的に抹殺していく・・・・・・。  そんな「群集心理操作術」に長けた人間が「蓋をしておきたい見たくない真実」を見事に隠ぺいし、その裏で権力を掌握していく・・・・・。

この物語にはそんな社会性が濃厚であるにも関わらず「その後のハリーに起こった出来事(しかもバトル系中心)」の映画作りになってしまっているのがとても残念でした。  そしてもう一つ。  個人的にかなり残念だったのはラストのダンブルドアとハリーの会話の中に原作にはある「ネビルに関するお話」が割愛されてしまっていたことです。  これはラストを知っているから・・・・・ということもあるんだけど、ホグワーツ(学校)では決して目立つ存在ではなかったネビルのその後の活躍(実際には今作のDA;ダンブルドア軍団における彼の頑張りとか魔法省での死喰い人との闘いぶりからその片鱗は見られるのだけど)の重要な伏線であるだけに、これが割愛されているのはせっかくのシリーズものの意味が薄れちゃう・・・・・。  まあ、この映画を制作した時点ではラストは発表されていなかったわけだから仕方なかったのかもしれないけれど・・・・・・。


今日は映画と原作本の乖離が極端に大きかった印象の「炎のゴブレット」です。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット
ASIN: B000AR94DW  ワーナー・ホーム・ビデオ  監督: マイク・ニューウェル

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世界の三大魔法学校が魔力を競い合う伝説のイベント三大魔法学校対抗試合の開催が決定した。  炎のゴブレットが各校の代表選手を選び出す中、立候補すらしていないハリー・ポッターがなぜか代表の一人に選ばれてしまう。  かくしてハリーは、ドラゴン、水魔、心を惑わす生きた迷宮などの試練に挑み、その裏に潜む「声に出して呼べないあの人」の存在を感じながら、やがて自らの因縁と対峙していくのだった。  J.K.ローリング原作の『ハリー・ポッター』シリーズ第4作目となる本作では、これまでのシリーズとは一変。  ハリー、ロン、ハーマイオニーは少年期に永遠の別れを告げ、かつて想像さえし得なかった巨大な何かに挑んでいく。  (Amazon より転載)

そしてその原作本がこちら(↓)です。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

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魔法界のサッカー、クィディッチのワールドカップが行なわれる。  ハリーたちを夢中にさせたブルガリア対アイルランドの決勝戦のあと、恐ろしい事件が起こる。  そして、百年ぶりの開かれる三大魔法学校対抗試合に、ヴォルデモートが仕掛けた罠はハリーを絶体絶命の危機に陥れる。  しかも、味方になってくれるはずのロンに、思いもかけない異変が・・・・。  (上巻裏扉より転載)

クリスマス・ダンスパーティは、女子学生にとっては待ち遠しいが、ハリーやロンにとっては苦痛でしかなかった。  ハーマイオニーのダンスのお相手は意外な人物。  そしてハグリッドにもパートナーが?  三校対抗試合の緊張の中、ロマンスが飛び交う。  しかし、その間もヴォルデモートの不気味な影がホグワーツ城を徘徊する。  ほんとうに怪しいのは誰か?  難題を次々とクリアするハリーだが、最後の試練には痛々しい死が・・・・・。  (下巻裏扉より転載)

まずは映画から。  この作品に至り、とうとう映画の方は「本のためのプロモーション・ビデオ」から「CG制作会社養成教材」になっちゃった・・・・・・という感じでしょうか??  だいたいにおいて2冊本の内容を1本の映画に納める無理があるところへもってきて、どちらかというと「ハリーをはじめとする仲良しトリオの魔術 & 精神的成長」が主題(つまりは映画的な派手さが少ない)の物語だったものを現代的な特撮重視の映画で作ろうとしたギャップが丸出しになっちゃったとしか言いようがない・・・・・^^;    

だから映画を観た後には「三校対抗試合 & ヴォルデモート卿復活の巻」という印象だけは残るものの、後はどんな話だったのか、まるで「忘却術」をかけられちゃったかのようによくわからない・・・・・ ^^;  強いて言えば「ロン、強烈ヤキモチ焼きモードに入った巻」という印象ぐらいでしょうか?(笑)  ちょっと先走った話までしてしまえば、「セドリックの死 & ヴォルデモート卿復活ニュース」後のダンブルドア vs. ファッジの対立構造をすっ飛ばしてしまったことにより、次号の話がかすれちゃったんじゃないかと思うんですよね~。  それにね、映画しか観ていない人には

「ハリー・ポッターはいつからアクション映画に変わっちゃったんだろうか??」

という疑問を抱かせてしまったのではないかしら??  無意味に長い対抗試合の第一課題「ドラゴンとの対決」シーンなんて、原作との乖離が甚だし過ぎだし、「秘密の部屋」で登場したドビーの今号での大活躍もカットされちゃっているし(なぜかドビーの役割だった第二課題のハリーの秘密兵器提供者はネビルに変更!)・・・・・・。  このあたりがちゃんと描かれないと、このハリー・ポッター物語の最大重要テーマとも言える「友情」「信頼」がどんどん薄れていっちゃうと思うんですけどねぇ・・・・・。


今日もハリ・ポタの続きを・・・・・。  かなり分厚い本にも関わらず、サックサックと読めちゃう & 観れちゃうのは、まあ暇だっていうのもあるけれど、それ以上にじっくり咀嚼するような作品じゃないからかも・・・・・・ ^^;

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
ASIN: B00008MSTU ワーナー・ホーム・ビデオ   監督: アルフォンソ・キュアロン

61+dLw-9LmL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

今回ハリーは外見も内面も驚くべき成長を遂げる13歳。  ハリーもハリーを演じるダニエル・ラドクリフたちも今までにない劇的な変化を見せる。 襲いかかる恐怖もこれまでとは趣を異にする。  人のつらい記憶を探り出し、それを糧にする吸魂鬼「ディメンター」、死を予告する死神犬「グリム」など、新モンスターもかつてないリアルな不気味さで登場。  半身半馬の「ヒッポグリフ」、人とのあいだを行き来する「狼男」。  「夜の騎士バス」、「怪物的な怪物の本」、「忍びの地図」、「ニンバス2000」を上回る最新仕様の「ファイアボルト」など、続々と登場する魔界の住人や新アイテム。  そのいずれもが格段にグレードアップされたCG効果のもと、前作をはるかに凌ぐ魔法の世界を創り出す。  なかでも圧巻は、嵐の中で繰り広げられる大迫力のクィディッチ・シーン。  さらに魔法の村「ホグズミード」などの探検で、舞台はホグワーツの外へも広がりを見せていく。

13歳になったハリーを待ち受けるのは、かつてない危機と驚愕の真実。  両親を死に追いやった凶悪犯シリウス・ブラックの脱獄に迫り来る恐怖。  不吉な死の予言さえ告げられる中、ハリーが直面する両親の死の真相。  今まで見えなかったものが見え始め、わからなかったことがわかり始める第3章。  登場人物たちの真の姿がいよいよ解き明かされていく。

1章目で彼らと出会い、2章目でその成長を見届け、3章目で初めて知る、彼らの存在の意味。  壮大な物語の根底をなす、時を超えた人物相関図が、今、明らかになる!  (Amazon より転載)


そして原作本はこちら。(↓)

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

5145PEFCY2L._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

夏休みのある日、ハリーは13歳の誕生日を迎える。  あいかわらずハリーを無視するダーズリー一家。  さらに悪いことに、おじさんの妹、恐怖のマージおばさんが泊まりに来た。  耐えかねて家出するハリーに、恐ろしい事件がふりかかる。  脱獄不可能のアズカバンから脱走した囚人がハリーの命を狙っているという。  新任のルーピン先生を迎えたホグワーツ校でハリーは魔法使いとしても、人間としてもひとまわりたくましく成長する。  さて、今回のヴォオルデモートとの対決は?  (Amazon より転載)

まずは映画へのコメントから・・・・。  この巻で感じる最大の違和感はハリーたち3人組の制服姿が著しく減ってしまったこと。  イギリスの寄宿学校というところが常に制服着用なのかどうかは知らないけれど、前2作では常に制服姿だった彼らがヤンキー少年 & 少女になってしまった(しかもホグワーツ城のセットはほぼそのまま!)ことによりイギリス・ファンタジーの世界から一挙に「ビバリーヒルズ高校白書(というタイトルのアメリカドラマが昔あった)」になってしまったみたい・・・・・。  相変わらず本のダイジェスト版的な動画作り(≒ 恐ろしくお金のかかった本のプロモーションビデオ)に終始し、第1作 & 第2作では目新しく感じられた小物類も2番煎じ、3番煎じの香りが漂い始めました。

メニュー画面でも使用されている「夜の騎士バス」シーン。  あんなに長々とやる必要はないと思うんですよね~。  ただでさえ本には書かれているのにカットされてしまっているシーンが多いだけに・・・・・・。  本作で一番大事な小物とも言える「忍びの地図」をめぐるあれこれこそ重要な話なのに、その機能のみに特化した描き方というのも納得できない!!  ま、そんなこともあってこの号より後のDVDを KiKi はリアルタイムでは購入しなかったし、中古で購入した後もタイムリーには観なかったんですよね~。  だいたい今回このシリーズを観直してみたというのも購入したきり封さえ切っていなかった最終作「死の秘宝 Part1 & 2」を暇にあかせて観てみようかと思いついちゃったからだったりするんです。  でも、間が空きすぎちゃったこともあって、本の印象も薄れちゃっているし・・・・・ということで第1作から振り返ってみようということで始まったのがこの「ハリ・ポタ企画(?)」なんですよ。

せっかく再読 & 再視聴し始めた作品なので今日もハリポタの続きを・・・・・・。  こうやって時代遅れ気味のタイミングで(& 結末やら伏線のおさまり具合を知ったうえで)この作品を振り返ってみるというのもなかなか乙なものでございます(笑)

ハリー・ポッターと秘密の部屋
ASIN: B000063UPK   ワーナー・ホームビデオ 監督:クリン・コロンバス

615oK1NRo7L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

ハリー・ポッターの夏休みは、決して楽しいものではなかった。  そんなある日、ハリーの寝室に屋敷しもべ妖精のドビーが現れ、こう警告する―― 「ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはなりません。」
ドビーはハリーを学校へ戻さないために、ロンとハーマイオニーからの手紙を止めていたのだ。  しかし、叔父叔母の家で酷い仕打ちにあっていること、本当の家はホグワーツ学校であると信じている彼にとっては、ドビーの必死の努力もむなしいものであった。  そこへロンとロンの兄達が空飛ぶ車でハリーを救い出し、温かいウィーズリー家へに迎えられた。  しかし、ハリーとロンが9と3/4番線からホグワーツ特急に乗って学校へ向かおうとすると、どういうわけか行く手を阻まれてしまう。  新学期早々遅刻ではシャレにならない。
そこで二人は例の空飛ぶ車、フォード・アングリアで学校へ向かうのだが、人間に目撃されてしまったり、学校の大切な「暴れ柳」に突っ込んでしまったりで、先生に大目玉を食らってしまう。

このハリーの活躍(?)は全校生徒の知るところとなり、彼はありがたくもない注目を浴びることになる。  闇の魔術の防衛術の新任教師である、虚栄心の強いロックハート先生は人気者の座を我が物にしようと必死だった。  そんなある日、ホグワーツのどこかにあるとされてきた「秘密の部屋」が開かれた・・という血文字が現れる。  次々と起こる謎にハリーに疑いの目が向けられる。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は再び忍び寄る魔の手と対決することを決意する・・・!  (Amazonより転載)

そして、この映画の原作がこちら・・・・・

ハリー・ポッターと秘密の部屋
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

511X2B00B0L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

魔法学校で一年間を過ごし、夏休みでダーズリー家に戻ったハリーは意地悪なおじ、おばに監禁されて餓死寸前。  やっと、親友のロンに助け出される。  しかし、新学期が始まった途端、また事件に巻き込まれる。  ホグワーツ校を襲う姿なき声。  次々と犠牲者が出る。  そしてハリーに疑いがかかる。  果たしてハリーはスリザリン寮に入るべきだったのだろうか。  ヴォルデモートとの対決がその答えを出してくれる。

KiKi はこの一連の作品(要するにシリーズ全7作)に関しては常に原作→映画の順でそれぞれ1度ずつ鑑賞してきて、今回初めて映画→原作の順で復習(?)しているのですが、現段階での KiKi の評価としては「この映画は本のためのプロモーション・ビデオ」という感じでしょうか・・・・・。  

初見の時は本が先だったので映画ではカットされている背景的なことをある程度知っていたから小道具のようなディテールとかCGの美しさ(?)を堪能することができたけれど、今回おおまかな粗筋はともかくとして本の記述の詳細をすっかり忘れてしまった状態でこの映画を観ると、そこかしこでチンプンカンプンになってしまうし、クィディッチの試合シーンとか、アラゴグ(蜘蛛のお化け)訪ねて森の中とか、ラストバトルシーン(要するにハリウッド的な見せ場)にばかり力が入っていて時間とお金をかけている代わりに、小説の持つディテールの妙味みたいな部分のほとんどが薄れてしまっているような感じがしました。


待てど暮らせど融ける気配を見せない雪景色の中、面白いTVはやっていないし、出かけるのは億劫だし、腰痛のため針仕事は進まないし・・・・・という八方塞の中、仕方なく取り出したものがありました。  池袋のマンションにはたくさんの映画DVDが置いてあるんだけど、ここLothlórien_山小舎には限られた映画DVDしか持ってきていないのですが、幸いなことに「シリーズもの」がいくつか揃っています。  そんな中、購入してから1回しか観ていないこちらに手を出してみました。

ハリーポッターと賢者の石
ASIN: B000063TJA  ワーナー・ホームビデオ 監督:クリン・コロンバス

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全世界に魔法をかけたファンタジー・アドベンチャーの最高傑作。
「ホグワーツ魔法魔術学校への入学を許可します」。  幼い頃に両親を亡くし孤独な日々を送っていた、ハリー・ポッターのもとに驚くべき手紙が届く。  ハリーの両親は名高い魔法使いで、彼もその血を受け継いでいたのだ。  魔法魔術学校での新たな生活に心躍らせるハリー。  しかし巨大な怪物トロールの出現をきっかけに、不気味な事件が起こりはじめる。  事件の核心に迫ったハリーを待ち受けていたのは、両親の死にも関わる宿命の対決だった...。  映像特典(約26分)...Disc1:オリジナル予告編
Disc2:特典映像+DVD-ROMコンテンツ付き 未公開映像、インタビュー集に加えて「ハリー・ポッター」ワールドを自ら参加して体験できるゲーム式コンテンツが満載!(ダイアゴン横丁、組分け帽子、ホグワーツ校庭etc)  (Amazonより転載)

で、せっかくの機会なので本の方も再読してみることにしました。

ハリー・ポッターと賢者の石
著:J.K.ローリング 訳:松岡祐子  静山社

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ハリー・ポッターは孤児。  意地悪な従兄にいじめられながら11歳の誕生日を迎えようとしたとき、ホグワーツ魔法学校からの入学許可証が届き、自分が魔法使いだと知る。  キングズ・クロス駅、9と3/4番線から紅色の汽車に乗り、ハリーは未知の世界へ。  親友のロン、ハーマイオニーに助けられ、ハリーの両親を殺した邪悪な魔法使いヴォルデモートとの運命の対決までの、息を飲む展開。  9歳から108歳までのファンタジー。  (Amazonより転載)

映画と原作本をほぼ同時進行で楽しむっていう楽しみ方もなかなかいいもんです。  KiKi 個人は以前このエントリーにも書いたように「映像の功罪」に関してはちょっと複雑な意見を持っている人間なんだけど、ことこの作品に関しては映画に助けられた部分が多々あります。  その1つは「ホグワーツ魔法学校の雰囲気」であり、残りの1つは「クィディッチ」という彼らのスポーツのイメージです。

西洋の石造りの建物(というよりお城)の持つ、人を威圧するような雰囲気というのはそこで長時間を過ごした人間でない限りなかなか想像するのが難しいものだけど、観光地のお城を見ただけの日本人にはなかなか馴染みのないものだし、そういうお城と同じような雰囲気を持つイギリスの寄宿学校のイメージというものも日本人とは縁遠いものだと思うんですよね。


今日は E.ファージョンの作品から。  岩波少年文庫に収録されている2冊を同時にご紹介したいと思います。

ムギと王さま 本の小べや1
著:E.ファージョン 訳:石井桃子 絵:E.アーディゾーニ  岩波少年文庫

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幼い日々、古い小部屋で読みふけった本の思い出 ― それは作者に幻想ゆたかな現代のおとぎ話を生みださせる母胎となりました。  この巻には、表題作のほか「レモン色の子犬」「小さな仕立屋さん」「七ばんめの王女」など、14編を収めます。  (文庫本裏表紙より転載)

天国を出ていく 本の小べや2
著:E.ファージョン 訳:石井桃子 絵:E.アーディゾーニ  岩波少年文庫

51V3FW5NGFL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

「現代のアンデルセン」とも称されたファージョンの美しい自選短編集(全27編)から、この巻には、表題作ほか「コネマラのロバ」「十円ぶん」「サン・フェアリー・アン」「しんせつな地主さん」「パニュキス」など13編を収めます。  (文庫本裏表紙より転載)

1巻目の「ムギと王さま」には14編、2巻目の「天国を出ていく」には13編、合計して27編のファージョンの自選短編集(その本のタイトルが「The Little Bookroom; 本の小べや」です)の全編をようやくこの年齢になって読了することができました。  KiKi が昔読んだこの物語集には2巻目の最後に収録されていた「パニュキス」はなかったんですよね~。  他にもいくつか読んだことがないなぁと思われる作品も含まれていたんですけど、少なくとも「パニュキス」に関しては作者自身が好きだった物語だったとのこと。  まあひょっとすると子供にはちょっと馴染みにくい物語かもしれませんが、少なくとも KiKi にとってはこの時期にこの版で読むことができたことは嬉しい驚きでした。

この本、一つ一つの物語もキラキラしていてとっても素敵なんだけど、それよりなにより惹かれてしまうのは挿絵です。  どれ1つをとってもため息ものなんですよね~。  モノクロ(表紙は彩色されているけれど、それでも色数をぐっとおさえてある)なのに、色が浮かび上がり、静止画なのに空気や風が香り立つような感じ・・・・・とでもいいましょうか。

そしてそれにさらに輪をかけて素晴らしいのが石井桃子さんの美しい日本語です。  これにはもちろん著者であるファージョン自身の持っている品格・・・・のようなものも大いに寄与しているとは思うのですが、それを石井さんの甘すぎず、かと言って淡々とはしすぎない絶妙なバランス感覚で選び抜かれた日本語がさらに素敵なものにしてくれている・・・・・そんな素敵な短編集だと思います。


以前から気になっていて、細々とながら・・・・も集め始めていた「光文社古典新訳文庫」。  たまたま今回岩波少年文庫に収録されていた G.ロダーリ作品を読了したということもあり、KiKi の本棚の奥の奥でほこりを被っていたこちらを引っ張り出してみました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

猫とともに去りぬ
著:G.ロダーリ 訳:関口英子  光文社古典新訳文庫

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魚になってヴェネツィアを水没の危機から救う一家。  ピアノを武器にするカウボーイ。  ピサの斜塔を略奪しようとした宇宙人。  捨てられた容器が家々を占拠するお話...。  現代社会への痛烈なアイロニーを織り込んだ、ユーモアあふれる知的ファンタジー短編集。  (文庫本裏表紙より転載)

ああ、やっぱりロダーニさんの作品は好きだなぁ・・・・。  この年齢になるまで出会えなかったのがホント残念だけど、逆に今の KiKi だから彼の作品の良さがわかるという部分も多いような気がします。  どのお話も言ってみればナンセンスの塊なんだけど、そこに風刺とか皮肉が含まれているので思わずクスクス笑いながら読めちゃうんですよね~。  短編集だから1編1編が短くて、気軽に読めちゃうわりにはどの1作にもピリリと利いた刺激(毒?)がある。  こういうユーモアセンス、KiKi は憧れちゃうんだよな~。

どの1編もとっても気に入って面白かったんだけど、特に KiKi にとってお気に入りだったのは「ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのが一番だ」 「箱入りの世界」 「ベファーナ論」 の3作です。


さて、読み始めちゃった以上は最後まで見届け(というより読み届け?)なくちゃいけないような気分で、図書館から借り出してきたこの1冊。  今日はこちらのご紹介です。

RDG(5) 学園の一番長い日
著:荻原規子 絵:酒井駒子  角川書店

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いよいよ始まった"戦国学園祭"。  泉水子たち執行部は黒子の衣装で裏方に回る。  一番の見せ場である八王子城攻めに見立てた合戦ゲーム中、高柳たちが仕掛けた罠に自分がはまってしまったことに気づいた泉水子は、怒りが抑えられなくなる。  それは、もう誰にも止めることは出来ない事態となって...。  ついに動き出した泉水子の運命、それは人類のどんな未来へ繋がっているのか。  (単行本扉より転載)

う~ん・・・・・。  やっぱり KiKi はこの作家さんとは相性が良くないのかなぁ・・・・。  背景として彼女が選んでいるものには興味があるし、和風ファンタジーというある種チャレンジングな世界に挑む姿勢は評価しているし、文章もうまいとは思うんだけど・・・・・・。  何て言うか、心に残らないんですよね~。  なんかありきたりの表層的なものしか感じないというか、何というか・・・・・。  まあ、恐らく彼女が想定している対象読者層よりも歳をとりすぎているせい・・・・だとは思うんだけど、それでも「岩波少年文庫」に収録されている作品群にはもっと感じるものがある(その作者さんがイメージしている読者層は彼女のそれよりもっと若い・・・というか幼いとわかるものであってさえも)んだけどなぁ・・・・。

まあ「今っぽい」と言えば「今っぽい」軽さなんだけど、この乙女チックさがやっぱりどうにもむずかゆい・・・・・。  ま、その原因の大半が登場する男の子たちが押しなべて、「男らしく」ないあたりに原因があるような気がしないでもありません。  いや、「男気」は発揮しているように見えるんだけど、「女の子の好きな男気」「女の子が好む男らしさ」に偏りすぎているような気がしてしょうがないんですよね~。 

先日挫折した「王国の鍵」と同じ作者の作品を読了しました。  正直なところ、「王国の鍵」のトラウマ(?)がまだ癒えていないタイミングだったので、おっかなびっくりの読書でしたが、この作品に関してはさほどの拒否反応(?)も出ないまま読了することができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

サブリエル―冥界の扉 (古王国記)
著:G.ニクス 訳:原田勝  主婦の友社

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古王国―アンセルスティエールの人間にとっては、その名を聞くだけで恐ろしいところ。  そこでは、魔術がさかえ、死霊が徘徊し、冥界への扉が常に開かれている。  古王国との『壁』に好んで近づく者はいない。  古王国出身のサブリエルは、アンセルスティエール側の『壁』近くにあるワイヴァリー学院の寮に五歳のときから入れられ、十三年間、親と離れて暮らしていた。  母は、彼女を産み落としたときに亡くなった。  父のアブホーセンは古王国きっての魔術師で、蘇ろうとする死霊たちに永遠の死を与える務めを果たしている。  その父が、サブリエルの卒業が間近にせまった今、失踪した。  サブリエルのもとには、彼の剣と魔術の道具が、不吉な化け物の手によって届けられた。  聞けば、ここ数年、『壁』の付近に出没する死霊の数が激増し、『壁』のむこう側で暮らす人々の姿がぷっつり見えなくなったという。  古王国でなにかが起こっている ― サブリエルは父を捜しに、単身、『壁』のむこう側に旅立った。  (単行本扉より転載)

この本に関しては、以前から比較的好意的な感想を何人かの読友さんから聞いていたので、いつかは読んでみようと思っていました。  でもなかなか手を出す気になれずにいた理由の一つは、主人公 & 主人公のお父さんがネクロマンサー(死霊使い)という設定なんだけど、KiKi にとって「ネクロマンサー」っていうのはRPGの「アーク・ザ・ラッド」に出てくるアンデッド系モンスターのイメージがあまりにも強烈で、そのグラフィックスと表紙に描かれている彼女のイメージがあまりにも遠すぎて、本を読んでいる間中、あのゲーム画面にいたモンスターがウジャウジャと浮かんじゃうような気がして躊躇していた・・・・な~んていうしょうもないことだったりします。

読み始めて暫くの間は当たり前のように出てくる「チャーター魔術」とか「フリー・マジック」というものがどういうものなのか、違いが何なのかさっぱりわからなくて、なかなか読み進むことができませんでした。  でも途中からはそれがはっきりとはわかっていなくてもほとんど気にならなくなって、特に主人公が壁を越えたあたりからは、風景や情景の描写に引き込まれスイスイと読み進むことができるようになりました。


図書館から連絡が入ったので早々に借り出してきました。  やっぱりこういう続き物っていうやつは可能な限り続けて読み進めるのが理想ですよね~。  でも、これを読了しちゃうと次の巻を読むことができるのはいつになることやら・・・・・。  まあ、はっきりしていることは「既に出版されている」ということなので、この第4巻を借り出しに行った際に第5巻の仕入要望も図書館に出してきました。  KiKi があまり「最新作」に興味がないのは、こういうことがあるからなんですよね~。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

RDG(4) 世界遺産の少女
著:荻原規子  角川書店

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夏休みも終わり学園に戻った泉水子は、正門でふと違和感を覚えるが、生徒会執行部として学園祭の準備に追われ、すぐに忘れてしまう。  今年のテーマは戦国学園祭。  衣装の着付け講習会で急遽、モデルを務めることになった泉水子に対し、姫神の出現を恐れる深行。  果たして会終了後、制服に着替えた泉水子はやはり本人ではなく...。  大人気シリーズ!  物語はいよいよ佳境へ。  姫神の口から語られる驚くべき事実とは...。  (単行本扉より転載)

あれ?  これってもう「佳境」なの???  あまりにもあちこち世界を広げている(ように感じられる)ので、まだまだ物語は序盤戦・・・・っていう気がしていたんだけど・・・・。  それに KiKi にとっては「姫神の口から語られる事実」は正直なところあんまり「驚くべき・・・・」とまではいかなかったんだけど・・・・・ ^^;  もちろん予想することさえできていなかったことを語ってくれちゃってはいるんですけど、所詮(っていう言い方が正しいのかどうかさえわからないけど)霊の語ることだしねぇ・・・・。  何だか色々な意味で???だけを残し、「次巻へ」で放置されちゃった、置いてけぼりを食らった小犬の気分(苦笑)です。

扱っているテーマが時空を超えた壮大なものであるにも関わらず、舞台が学園、それもかなり特殊な学園という閉鎖されている世界なだけに発生しているモタツキが何となく気になり始めている昨今です。  しかもこの壮大な物語の当事者(目線と言う方が正確かもしれないけれど)が高校生という幼さなので、アイデンティティ確立のためのもがきがこれに輪をかけちゃっているし・・・・ ^^;  やっぱりこれは大人が読むにはちょっとしんどい物語なのかもしれません。

樹上のゆりかご 荻原規子

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苦手、苦手と言いつつも、結局出版されている荻原作品にはほとんど手を出している KiKi。  やはり文章が読みやすく美しいということ、ファンタジーでありながら題材を「和」に求めているというあたりが気になるポイントなんだろうと思います。  もっとも今日ご紹介する読了本はその「和」の要素はかなり薄れ、いかにもいかにも学園ものだったのがちょっと意外だったりもしたのですが・・・・。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

樹上のゆりかご
著:荻原規子  理論社

519XAMEV4BL._SL500_AA300_.jpg  (Amazon)

なりゆきでかかわることになった生徒会執行部の活動。  合唱祭、演劇コンクールに体育祭、そして、あの事件――。  高校二年の上田ひろみが出会った「名前のない顔のないもの」とは?  (Amazon より転載)

ものすご~く正直に言ってしまうと、この物語のテーマというか、「ゆりかご」が何を象徴し、「名前のない顔のないもの」が何だったのか?は最後までよくわかりませんでした。  この物語を読んでいてひたすら感じていたのは、KiKi 自身の忘れかけていた高校時代の思い出だけ・・・・だったような気がします。

この物語の舞台となる高校と KiKi が卒業した高校は決して同じ学校ではないけれど、そこかしこに「ああ、これは○○高校; KiKi が卒業した高校 でいう所の、あの行事と同じようなものだろうなぁ・・・・」と関連付けができちゃうところが面白くもあり不思議でもあり・・・・という感じでしょうか??  ひょっとしたら旧制中学に母体を持つ高校(しかも進学校)っていうやつはどれもこれも似たり寄ったりの空気を持ち、文化を継承していたのかなぁ・・・・な~んていうことを感じ、そこにある種の不気味さみたいなものも感じました。  何ていえばいいのかわからないけれど、誤解を恐れず思いっきり端的に表現してしまうと、あの空気・文化は言ってみれば洗脳と同じだったのかもしれない・・・・・と。


巻を追うごとに謎はさして減らないまま、どんどん熾烈さ・強烈さを増す事件ばかり。  その部分にはものすご~く惹かれつつも、舞台となる「学園生活」の描写には隔絶感を抱き、なかなか複雑な読書体験となりつつある本を読了しました。  今回図書館から借り出してきているこの「RDG シリーズ」は3巻までで、4巻目はどなたかの返却待ち、5巻目は図書館の購入待ち、6巻目以降に至っては出版待ちという状態なのが何ともなぁ・・・・。  しかもこの物語、どこかでちゃんと収束するんでしょうか?(笑)  いえ、その前に仮にどこかで収束したとして、何が起こってどうなったのかをちゃんと KiKi は覚えていられるのかしら??  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

RDG(3) 夏休みの過ごしかた
著:荻原規子  角川書店

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学園祭の企画準備で、夏休みに鈴原泉水子たち生徒会執行部は、宗田真響(そうだまゆら)の地元・長野県戸隠で合宿をすることになる。  初めての経験に胸弾ませる泉水子だったが、合宿では真響の生徒会への思惑がさまざまな悶着を引き起こす。  そこへ、真響の弟真夏の愛馬が危篤だという報せが...。  それは、大きな災厄を引き起こす前触れだった。  (単行本扉より転載)

今号での最大の見せ場は宗田三姉弟(この呼び方じゃまるで「団子三兄弟」みたい! 笑)の真澄君の実態(と言っていいのかどうかわからないけれど)が明らかになる姫神登場のシーンなんでしょうけれど、そこに至るまでの記述の長ったらしく、スローペースなこと!!  まあ、現代の中高生あたりが親しみをもってこういう主題設定の作品を読むためには必要な舞台記述であることはわかるんだけど、生徒会がどうしたこうした、学園祭がどうしたこうした、SMFと言う名前のファンクラブのような秘密結社のような集団がどうしたこうしたというお話は KiKi にとってはあまりにも冗長でした。  まあ、SMFの皆さんは宗田(姉) vs. 深行(みゆき)の対決場面の黒子としては丁度いい存在だったんだろうし、次号に持ち越された「戦国学園祭(? ってそりゃ何だ?っていう感じも無きにしも非ず ^^;)」で時代劇の殺陣みたいな存在だっていうのもわかるんだけどねぇ・・・・。

結局、このペースの遅さは言ってみれば現代ではそれこそ絶滅しちゃったに等しい修験道を初めとする山岳信仰の心・・・・のようなものを、現代社会の、しかももっともそういう世界とは隔絶されていると言ってもいい若い世代に知らしめるというあまりにも壮大なプラン故の副作用のようなもの・・・・と考えるしかないのかもしれません。  でもね、KiKi が思うにこういう世界観ってRPGなんかで当たり前のように遊んでいる世代の若年層の方が受け入れやすくて(信じるという意味ではないけれど)、どちらかというと「科学万能、経済発展万歳」という根底思想の流れた教育を受けてきつつもRPGと出会うのはちょっと遅かった KiKi たちの世代(≒ それはとりもなおさず著者の世代)の方が無頓着のような気がしないでもないのですけれど・・・・・ ^^;

現在読み進めている RDG は図書館本で当然のことながら帯なんかはとっくにはずされちゃっているのですが、それでも吾妻郡図書館ではその帯部分を様々な工夫によって本の表紙とか裏表紙に切り貼りしてくれているので、そこにどんなことが書かれていたかを確認することができます。  で、このRDGの第2巻にはKiKi の大好きな上橋菜穂子さんの賛辞が帯には書かれていた模様。  曰く

さあ、風をはらんだ!

この物語が昇っていく果てを、

早く見届けたい!

とのこと。  へぇ、上橋さんもこの本を読んだんだ!(本当に読んだのか、賛辞を頼まれたから名前を貸しただけなのかはわからないけれど 苦笑)  まあ、いずれにしろ上橋さんの名前を見ると素通りできないのが KiKi の性分です。  ま、てなわけで RDG の第2巻を読了しました。

RDG(2) はじめてのお化粧
著:荻原規子  角川書店

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神霊の存在や自分の力と向き合うため、生まれ育った紀伊山地の玉倉神社を出て、東京の鳳城学園に入学した鈴原泉水子。学園では、山伏修行中の相楽深行と再会するも、二人の間には縮まらない距離があった。弱気になる泉水子だったが、寮で同室の宗田真響と、その弟の真夏と親しくなり、なんとか新生活を送り始める。しかし、泉水子が、クラスメイトの正体を見抜いたことから、事態は急転する。生徒たちはある特殊な理由から学園に集められていたのだった...。

パソコン・携帯といった現代生活の必需品を扱うことができず(使い方を知らなくて使えないのではなく、彼女が使うと電子機器が故障する!)、都会の人ごみでは変なものの存在を感じパニック症状さえ呈していた純粋培養系絶滅危惧種の泉水子ちゃんが東京の(と言っても都下だし高尾山だけど)高校に進学するという物語の展開に、正直ちょっと唖然。  いくら「自分を変えたい!」という意識があったとは言え、さらには父親の希望だったとは言え、冒険にも程があるなぁ・・・・と。  しかもその学園がどう見ても普通の学園じゃないところがいかにも嘘っぽい(笑)

そんな環境に舞台を移しただけに「山伏」「姫神」という「山系の不思議な存在」が出てきた第1巻に引き続き、この第2巻では「陰陽師」は出てくるは、「審神者(さにわ)」は出てくるは、「式神」は出てくるは、「神霊」は出てくるはで、ついていくのがちょっと大変でした。  と言うのもね、「陰陽師」はともかくとして「審神者」だの「式神」だのという言葉自体を知らない KiKi にとっては、泉水子ちゃんと同様、なかなかその環境に馴染めません ^^;  だいたい一世を風靡した「陰陽師」であってさえも、その名前ぐらいの知識しか持ち合わせていないのに、次々と色々な者が出揃い、ワンダー感だけは満載なんだけど、いったい全体こいつらは何者なのか、さっぱりわかりません。  でもね、わからないながらも、雰囲気的に何となく察することができるあたりは、やっぱり KiKi も日本人っていうことなんでしょうか??

どちらかというと苦手意識の強かった荻原作品。  でも、KiKi にとってはそれを遥かに勝る苦手意識が拭えなくなってきちゃったのがこのエントリーでご紹介した「王国の鍵」でした。  一応2巻まで図書館から借りてきていたので、最低でも2巻までは読もうと思っていたのですが、お布団読書の友としてはいいんだか、悪いんだか・・・・。  睡眠薬代わりとして本を読むのであればこれまでに読んだどの本よりもその効果は絶大で1ページと読み進まないうちにス~っと寝入ってしまいます。  一応第2巻の途中までは苦痛を感じつつも頑張って読み進める努力をしてみたんだけど、とうとうギプアップです。  で、苦手・苦手と感じつつも図書館では見つけちゃったし、直近で読んだ「風神秘抄」は結構気に入っていたし、Amazon にアクセスすると「おすすめ商品」で必ず表示されるし・・・・ということで、再び荻原作品を手に取ってみることになりました。  

RDG はじめてのお使い
著:荻原規子  角川書店

51tLNXgjH5L._SX230_.jpg  (Amazon)

山伏の修験場として世界遺産に認定される、玉倉神社に生まれ育った鈴原泉水子は、宮司を務める祖父と静かな二人暮らしを送っていたが、中学三年になった春、突然東京の高校進学を薦められる。  しかも、父の友人で後見人の相楽雪政が、山伏として修業を積んできた自分の息子深行を、(下僕として)泉水子に一生付き添わせるという。  しかし、それは泉水子も知らない、自分の生い立ちや家系に関わる大きな理由があったのだ。  (単行本扉より転載)

苦手なはずなのに荻原作品に惹かれる理由。  その1つは KiKi 自身が日本人でありながら日本文化に対して無知であるという強烈な劣等感があることと無関係ではないような気がします。  それを証拠に荻原作品の中でももっとも苦手だったのは「西の善き魔女シリーズ」で、それ以外の「勾玉三部作」とか「風神秘抄」なんかは苦手・苦手と言いつつも結構気に入っていたりもするのですから・・・・ ^^;  又、ことこのRDGに関して言うならば、酒井さんの絵がね~♪  酒井さんの絵がただでさえ好きなところにもってきて、この第1巻の女の子の巫女さんコスチューム姿が何とも興味をそそるんですよ(笑)

又、今回は「巫女」「山伏」「姫神」と和風テイストをプンプン振り撒くワードが満載なんだけど、実際のところ KiKi の日常生活とはまったく縁の薄い、言葉だけは知っているもののその実態やら誕生の背景やら彼らの存在意義(?)なんかを知らない存在がドド~ンと中心に居座っているあたり、無関心ではいられません(笑)  

吾妻郡図書館の児童書コーナーで見つけた、およそ児童書らしからぬこげ茶色の重厚感ある装丁のシリーズ。  それが本日の KiKi の読了本です。

王国の鍵 1.アーサーの月曜日
著:G.ニクス 訳:原田勝  主婦の友社

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米国では全巻ベストセラーTOP10入りをはたす超人気シリーズ。  ぜんそくの発作で絶命しようとしていたアーサーのもとに不思議な鍵がとどけられ、「ハウス」の扉が開かれた――。  ぜんそくの発作で命を落とそうとしていたアーサーのもとに、どこからともなく奇妙な男があらわれ、鍵を渡す。  ふしぎなことに、その鍵をにぎると、呼吸が楽になった。  そして、奇妙な男がいなくなったとたん、空中から手帳が落ちてきた。  なんの気なしに手帳をポケットにつっこみ、ふたたび意識を失うまぎわ、鍵を手ばなしたアーサーだったが、病院のベッドでふと枕の下に違和感をおぼえて手を入れてみると、手ばなしたはずの鍵がある。  ポケットにも、ちゃんと手帳が入っていた。  手帳には『ハウスおよびその周辺の詳細地図帳』という題が刻印されていた。  手帳をひらくと、真っ白のページにつぎつぎと文字や図がうかびあがってきた。  この鍵と手帳はいったい――?   そして『ハウス』とは?   アーサーの前にとんでもない世界への扉が開く――。  ファンタジーの天才ガース・ニクス最新作。  シリーズ全7巻中、すでに刊行ずみの巻はすべてアメリカでトップ10入りをはたしている超人気シリーズ第1巻。  (Amazon より転載)

う~ん、この本はかなりビミョーかも・・・・。  正直なところちょっと読み進めるのが苦痛でした。  世界観にも主人公にも、ついでに端役にもほとんど感情移入(と言うか、共感?)することができなくて、「ハウス」自体も何だか得体が知れないだけでちょっとなぁ・・・・っていう感じ。  何て言うのか描写のあちこちに「映画化してくんない???」っていう色気みたいなものを感じちゃって、楽しめなかった・・・・・とでも言いましょうか??

何で「映画化してくんない??」っていう色気みたいなものを感じたかと言うと、例えばハウスのスケール感とかインテリアの描写とか、アーサーと彼を襲う者の描写とか、格闘シーンとか、そのひとつひとつの描写が派手さはあっても精密さがないんですよね~。  だから例えばおどろおどろしい様子なんかの描写も映像的な描き方はしていても、そこから感じられる空気感みたいなものが希薄なんですよ。  もちろん主人公が喘息持ちで呼吸が苦しいという設定があるがゆえに、空気感を表し難いというのはわかるんだけど、それでもねぇ・・・・。


風神秘抄 荻原規子  

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荻原作品とはさほど相性がよくない・・・・・と自覚している KiKi ですが、それでもやっぱり手を出さずにはいられないあたり、ひょっとすると「イヤよイヤよも好きのうち」っていうことなんでしょうか?(笑)  勾玉三部作を読了したあたりで、「これはもう荻原作品を読むのはやめておこうか?」とさえ思ったんだけど、図書館で別の本を見つければ結局は手を出しているあたり、我ながらその原動力がどこにあるのかよくわかりません ^^;  ま、いずれにしろその図書館本を読了しました。

風神秘抄
著:荻原規子  徳間書店

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坂東武者の家に生まれた十六歳の草十郎は、腕は立つものの人とまじわることが苦手で、一人野山で笛を吹くことが多かった。  平安末期、平治の乱に源氏方として加わり、源氏の御曹司、義平を将として慕ったのもつかの間、敗走し京から落ち延びる途中で、草十郎は義平の弟、幼い源頼朝を助けて、一行から脱落する。  そして草十郎が再び京に足を踏み入れた時には、義平は、獄門に首をさらされていた。  絶望したそのとき、草十郎は、六条河原で死者の魂鎮めの舞を舞う少女、糸世に目を奪われる。  彼女の舞には、不思議な力があった。  引き寄せられるように、自分も笛を吹き始める草十郎。  舞と笛は初めて出会い、光り輝く花吹雪がそそぎ、二人は互いに惹かれあう。  だが、その場に、死者の魂を送り生者の運命をも変えうる強大な力が生じたことを、真に理解したのは糸世だけだった。  ともに生きられる道をさぐる草十郎と糸世。  二人の特異な力に気づき、自分の寿命を延ばすために利用しようとする時の上皇後白河。  一方草十郎は、自分には笛の力だけでなく、「鳥の王」と言葉を交わすことができる異能が備わっていることに気づく...。  平安末期を舞台に、特異な芸能の力を持つ少年と少女の恋を描く、人気作家の最新作。  (単行本扉より転載)

拭いきれない苦手意識を持ちつつもこの作品に興味をもった理由。  その1つはこの物語が扱っている時代に対する興味というのがあるのは否めないだろうなぁと思います。  思い起こせば KiKi が日本史に興味を持つようになったきっかけの1つにはNHK の大河ドラマがあり、その大河ドラマの中で毎回欠かさず見始めた最初の番組が「新・平家物語」でした。  そしてあの番組のナレーションで初めて聞いた

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す
おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし
猛き者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ

という「平家物語」の出だしの文言になぜか強烈に惹かれ、当時は小学生だったにも関わらず必死になってこの呪文のような文言を覚え、ついでに「口語訳 平家物語」な~んていう本を読み耽ったことを今でも覚えています。  余談ではあるけれど、これとほぼ時期を同じくして古典落語にもちょっぴり興味を持って

寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ
海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処 やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助

な~んていうこれまたよくわからない呪文のような言葉を必死になって覚えました。  どうやら当時の KiKi はこの手の現代では呪文にしか聞こえないような日本語の音に強烈に惹かれていたみたい(笑)

ま、それはさておき、保元・平治の乱と言えばまさにこの大河ドラマ「新・平家物語」の舞台となった時代です。  その時代に題材を求めたファンタジーとなれば、これは素通りするのが無理と言うものです。  とは言いつつも作家さんとの相性と言う問題もあるわけだから読み出しは正直なところ、かなりおっかなびっくりでした。

サクサク読めちゃう子供向けの「南総里見八犬伝」。  とうとう最終巻を読了してしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

南総里見八犬伝(4) 八百比丘尼
著:滝沢馬琴 編:浜たかや 画:山本タカト  偕成社

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謎の尼僧妙椿(みょうちん)の妖術で、またたくまに上総館山城主となった悪党源金太(げんきんた)改め蟇田素藤(ひきたもとふじ)。  妙椿の目的は、里見家の滅亡。  そこにあらわれたのが、犬江親兵衛、房八の息子である。  少年とは思えぬ強さで活躍、里見家の危機を救う。  八犬士たちは、里見家を守り、足利成氏(しげうじ)、上杉定正、千葉自胤(よりたね)、箙御前(えびらごぜん)等からなる宿敵連合軍をむかえうつ・・・・。  ここに、玉梓の怨念に端を発した宿命と絆の物語が、大団円をむかえる。  (単行本扉より転載)

いや~、あっという間でした。  ホント、呆気ないほどサクサクと読めちゃってちょっと唖然としているぐらい・・・・。  もっとも、この第4巻はかなりバタバタと駆け足で纏め上げちゃったという雰囲気もあって、前の3冊と比較すると何かと不満も多いんですけどね。  それとね、これはこの最終巻に限った話ではないんだけど何とな~く記憶に残っている物語とところどころ違うのがちょっと気になります。  もっとも KiKi の場合、八犬伝と言えば「例の人形劇」と「この偕成社版全4巻」と「ぶつぎれのシーンごとの人伝伝聞」しかないわけで、本家本元の原本には未だ手を出していないわけだから、「何が正か?」は知らないのです。  つまり、KiKi の記憶にある物語の断片が正しいとは言い切れないのですから、偉そうにあげつらうわけにはいきません。 ^^;

でもね、この本の編者である浜たかやさんの「あとがき」によれば、

原作を六分の一から、七分の一に縮めるのですから、原作の後半部分はおもいきって割愛し、ストーリーもかなり単純に整理しました。  約400人と言われる登場人物も、大幅に整理しました。  たとえば、籠山逸東太(こみやまいっとうた)は原作にも登場する敵役ですが、数多い敵役を整理し、籠山逸東太に兼ねさせたので、原作よりはるかに多い出番をもつことになりました。  又、安西土佐、山下小助のように、原作にはない登場人物もいます。  話の都合上、エピソードをかえた部分の多々あることもおことわりしておきます。

とのこと。  う~ん、そう言われちゃうと何だか「原本を読みたい気分」がかきたてられちゃいますねぇ。  でもね、滝沢馬琴のこの作品、言ってみれば現代のマンガのような、もしくは韓ドラのような書かれ方をしていて、要は熱狂的なファンの期待に合わせて、馬琴先生が当初考えていたストーリーからあっちへはずれ、こっちへはずれ、ある意味では連載を長引かせるために余計な挿話なんかも増えちゃっていて、特に後半にいけばいくほどその影響を受けている・・・・・と以前に聞いたことがあるんですよね~。  そうなると、やっぱり全10巻な~んていう作品を読み通せる自信はないし・・・・ ^^;  もっともあの文語調の何とも言えないリズムの文章には興味があったりもするわけですが。


昨日に引き続き、南総里見八犬伝の続き2冊を読了しちゃいました。  改めて読んでみるとかなりご都合主義だし、結構残酷な物語だったりもするんだけど、なんか嵌っちゃうんですよね~(苦笑)  で、ついでにネットを徘徊していたら、こんなお宝 Video(↓) を発見!  いや~、もう二度とこの坂本九ちゃんの歌声を耳にすることはないだろうと思っていただけに、嬉しいよぉ!!!

  

♪ めぐるめぐる めぐる因果はいぃとぉぐぅるぅまぁ ♪

ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

南総里見八犬伝(2) 五犬士走る
著:滝沢馬琴 編:浜たかや 画:山本タカト  偕成社

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犬士のあかしは、3つ。  犬のつく名字であること、体に牡丹の花のあざのあること、そして、文字の浮かぶ不思議な珠を持っていること。  犬塚信乃と芳流閣で戦った、犬飼現八と傷ついた信乃たちをたすけた犬田小文吾も、犬士だった・・・・。  孝:犬塚信乃、 義:犬川荘助、 信:犬飼現八、 忠:犬山道節にくわえ、あらたに、悌:犬田小文吾、 仁:犬江親兵衛 が登場。  犬士6人となる。

南総里見八犬伝(3) 妖婦三人
著:滝沢馬琴 編:浜たかや 画:山本タカト  偕成社

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八犬士の不明二人を探し歩く小文吾と現八。  小文吾は、妖婦船虫の策略にはまり、七人目の犬士、犬坂毛野に助けられる。  現八は、化け猫と遭遇、共に戦った角太郎が犬士とわかる。  一方、信乃は、生まれ変わった、いいなずけ浜路と再会。  孝:犬塚信乃、 義:犬川荘助、 信:犬飼現八、 忠:犬山道節、 悌:犬田小文吾、 仁:犬江親兵衛 に加え、智:犬坂毛野、 礼:犬村大角(角太郎改め) が登場、八犬士となる。

あの人形劇ではものすご~い存在感があって、どんなに少なくても1週間に1度は顔を見ていたんじゃないかとさえ感じていた「玉梓の怨霊」だけど、この物語だとあんなに頻繁にドロドロとは登場してきませんねぇ。  逆に船虫はこの2巻においてはあっちこっちに出てきます。  とても女の弱足ではこんなには神出鬼没に移動できないんじゃないかと感じちゃうぐらいに・・・・・。  しかも出てくるたんびに旦那が違うし・・・・・・。  まあ、どいつもこいつもろくな亭主じゃないから「さもありなん」ではあるけれど、何だか哀しい女性です。

funamushi.jpg  (船虫)

先日、このエントリーで「里見八犬伝」についてちょっと触れた時から、「ああ、これは近いうちに積読状態になっている『南総里見八犬伝 全4巻』を読まずにはおけないだろう・・・・・」と考えていました。  KiKi と「里見八犬伝」の出会いは今は懐かしいNHKの連続人形劇「新里見八犬伝」でした。  辻村ジュサブローさんのちょっと不思議な人形が使われていて、全編通じて出てくる「そもそもの祟りの大元」である玉梓が登場する時に太鼓がドロドロ鳴って「我こそは~、玉梓が~、怨霊~」と出てくるのが何とも恐ろしくてねぇ・・・・・。  

tamazusa25b.jpg (玉梓)

この首が痛くなりそうな大量のかんざしを震わせながら、多くの場合下から湧き上がってくるみたいな感じで出てきたんですよね~。  おお、くわばら、くわばら・・・・・・。  ま、そんな子供時代の思い出もいっぱい詰まった「南総里見八犬伝」です。

南総里見八犬伝(1) 妖刀村雨丸
著:滝沢馬琴 編:浜たかや 画:山本タカト  偕成社

61KZA5ZG83L._SL500_AA300_.jpg (Amazon)

妖婦玉梓(たまずさ)に末代まで呪われた里見義実(よしざね)。  娘の伏姫は、愛犬八房と共にいちどは命をなくすが、その霊は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、八つの珠となって、とびちり、八人の「犬士」がうまれる。  伏姫と八房に見守られた八人は友情の絆で結ばれ、玉梓の呪いを打ち砕くことになるのだが、まずは、「孝 犬塚信乃」と妖刀村雨丸を中心に物語がすすむ。  「義 犬川荘助」、「信 犬飼現八」、「忠 犬山道節」が登場、只今犬士4人。  (単行本扉より転載)

「里見八犬伝本」が多々ある中で、この本を選んだのは偏にこのイラストに惹かれたから・・・・でした。  どことなくレトロ感のあるイラストで、何とも言えない味があると思うんですよね~。  何せ KiKi の場合「八犬伝」のイメージは辻村ジュサブローさんの人形のイメージがでで~んと定着しちゃっているだけに、やっぱりアレを彷彿とさせてくれることが絶対条件だったのですよ。  まあ、いい歳の大人が読むんだし、一応人形劇のおかげであらすじはだいたい頭に入っているわけだから、岩波文庫とか河出文庫なんかの「ちゃんとした本」を読もうかなぁと思わないでもなかったんだけど、さすがに全10巻っていうのは長いし、楽しく読むにはこの本ぐらいが手頃かなぁ・・・・と思ってこちらを購入してありました。

でね、この本でこの挿絵を見ながらだと、ふと口ずさんでいる自分に気が付くんですよ。  

♪ 仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌  いざとなったら珠を出せ ♪

ってね(笑)  いや~、子供のころの刷り込みっていうやつは侮れないものです。  

薄紅天女 荻原規子

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「勾玉三部作」の最終巻、「薄紅天女」を読了しました。  このシリーズに興味を持ってからここまで思っていた以上に時間がかかってしまいました・・・・・ ^^;  まあ、それもこれも KiKi の浮気性(?)ゆえ・・・・ではあるのですけどね(笑) 

薄紅天女
著:荻原規子 絵:佐竹美保  徳間 Novels Edge

31TH41BQWRL__SL160_.jpeg  (Amazon)

「・・・今、都には天女が近づいている」  安殿皇子(あてのみこ)の口調は熱のこもったものになった。  「私の病も天女に会えば癒される。  苑上(そのえ)も知っているだろう、皇(すめらぎ)に伝わる明玉(あかるたま)の伝説を・・・・」  ・・・兄のいうことを理解しようとつとめながら、苑上は見つめた。  「・・・天女がもうすぐ来る。  ・・・すがすがしい夜明けに、朝焼けの空からわたしのもとに舞い降りてくる。  薄紅の絹をまとい、手に輝く玉を持った、心が洗われるように美しい乙女なのだ。  わたしは、手をさしのべて彼女の勾玉を受け取る。  そのときすべてが癒されるのだよ」  (本裏表紙より転載)

前2作が女性ヒロイン & 女性目線の物語だったのに対し、この物語だけは男目線・・・とまでは言い切れないけれど、勾玉を持つ者が男ということでちょっと毛色が違います。  (まあ、白鳥異伝でも菅流♂が「勾玉を持つ者」という要素を持っていたけれど・・・・ ^^;)  「白鳥異伝」の Review でハーレクインっぽさがちょっと鼻についたと書いたけれど、本作ではその匂いはかなり薄まっていると思います。  それでも KiKi の個人的な感覚からするとやっぱり「女子の作品」っていう感じが強烈で、その「女子感」にはちょっと苦手意識が働いたのも事実です。  「西の善き魔女」でも感じたことだけど、KiKi が荻原作品と相性があんまりよくないのは、この「少女マンガっぽさ」が苦手なことと無関係ではないような気がします。  

まあ、否定的な言葉から始まってしまったこの Review だけど、面白いことは面白かったんですよ。  特にあの時代(平安遷都前)を描いていながらも、蝦夷やら坂東やらといういわゆる辺境を扱っている物語というだけでも嬉しい限りです。  学校時代にはどうしても「中央目線」で歴史を追いかけることになり、権力側に「蛮族とされてしまった側」の生き方・感じ方に想いを馳せるな~んていうことはなかなかできなかった(それは KiKi だけかもしれないけれど)けれど、こういう物語を読むことによって自分と寸分たがわぬ「普通の人々」の生きざまに多くのことを考えさせられます。


白鳥異伝(下) 荻原規子

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ヤマトタケル伝説を下地にした「和製ファンタジー」の下巻。  元々がヤマトタケル好きの KiKi にとってはなかなか楽しめる物語でした。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

白鳥異伝(下)
著:荻原規子 絵:佐竹美保  徳間 Novels Edge

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「そなたの胸にはすでに4つの勾玉がそろっている・・・それ以上になぜ望むのだね」 「剣の力を滅ぼすため、そして同時に剣の主を救うためです・・・5つをそろえなくてはできないのです。  日高見(ひだかみ)の勾玉は、なぜ見つからないのでしょう・・・」  「日高見の勾玉はある」  岩姫はいい、一度目をつぶって考えてから再び遠子を見た。  「だが、そなたからはへだてられている。  そなたも菅流(すがる)もじゃ。  御統(みすまる)の主にそれを見つけ出すことはかなわぬ。  ・・・だがそなた、おそらく玉の御統の最後の主となるであろう橘の末裔(すえ)の娘に、これを言ってやることはできる。  勾玉は、勾玉だけを力とするものではない・・・・」  (本裏表紙より転載)

上巻のエントリーでも書いたように、これは結構面白かったです。  難があるとすれば、若干「ハーレクインっぽさ」が鼻につくあたりでしょうか(笑)  せっかく日本の古典、それも記紀で描かれる世界を舞台にしているわりには記紀を読んで感じる素朴さ・荒々しさとか万葉集を読んで感じる大らかさはなりを潜め、現代っぽい「綺麗さ」が大手をふるっているように感じられ、ちょっと嘘っぽい(苦笑)  でも日本神話とはあんまり接点を持たずに育っているだろう(よくは知らないけれど)現代の中高生あたりにこの物語を読むことによって日本神話に興味を持ってもらうきっかけにはいい本なんじゃないかなぁ・・・・と。

作品のプロット自体にはさほど独創的なものを感じないのですが、「大蛇の剣」や「勾玉」と言った小道具類の扱い方が見事だなぁと感じます。  個人的には歴史の教科書なんかで「勾玉」の写真を初めてみたとき、「これのどこがよかったんだろうか??」と感じていた KiKi ですが(とは言いつつも、大人になってからはあの太極図(下図↓ 参照)の片割れみたいな形に魅せられていたりする)、こういう形で出てくると「ああ、そういうこともあったかもしれない・・・・・」と妙な納得感みたいなものが得られます(笑)

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白鳥異伝(上) 荻原規子

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せっかく図書館で「これは王国のかぎ」を借り出し読了したのを機会に、以前途中で放置してしまった「勾玉三部作」の残りに挑戦することにしました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

白鳥異伝(上)
著:荻原規子 絵:佐竹美保  徳間 Novels Edge

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「・・・・三野(みの)はおちる。  ・・・かの者はつに悪しき力を発動させ、わしにはさだめを読むことはかなわなくなった・・・・」  遠子(とおこ)は小さな声でたずねた。  「かの者とは・・・小俱那(おぐな)のことですか」  「そうじゃ・・・かの力をとりおさえなければならぬ。  わしらのほかにも橘はいる・・・象子(さきこ)・・・わしら以外の橘はどこにおるか、申してみなさい」  象子はくちびるをしめしてから、暗唱するように言った。  「朝日ののぼる日高見(ひだかみ)の国、夕日の沈む日牟加(ひむか)の国、三野の国、伊津母(いづも)の国、名の忘られた国、これら5つの国には勾玉があり、5つの橘がそれを守っております。  (本の裏表紙より転載)

これは面白い!!  少々、少女マンガチックなところが気にならないではないけれど(この本の挿絵が・・・・ということではなく、筋運びが・・・・です)、ファンタジーと言えば英国物という先入観にも近いものを持っている KiKi にとっては「よくぞ日本神話をベースにこんな作品を書いていただきました!!」という想いを抱かせるに十分な面白さです。  そして何よりも嬉しいのがさすが国文学を学んだ方が書いた日本神話ベースの物語であるだけに、美しい古代の日本語を彷彿とさせる名詞の数々に出会えることです。

上記の引用文に含まれる国名しかり、巫女やヒロインの名前しかり・・・・。  現代の私たちにも決して馴染みがないわけではない「音」に当てられる文字が物珍しくもあり、想像力をかきたてられもし、石とコンクリートの文化がすっかり定着したこの国のもともとの姿に想いを馳せることができるように感じます。  それが「ストーリーの追いかけにくさ」と表裏一体になっているのが日本神話の残念なところなんですけどね~(笑)

 

日本のファンタジー界を負って立つ三羽烏のお1人と言われる荻原さん。  試しに「西の善き魔女」を読んでみたものの、正直なところさほど感銘を受けず、「勾玉三部作」の第一作はかなり興味深く読んだものの、いろいろ事情があって後が続かず(^^;)にいた KiKi です。  今回図書館で見つけたこの本をきっかけに、何とか勾玉三部作までは読了したいと考えています。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

これは王国のかぎ
著:荻原規子  理論社

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失恋して泣き疲れて眠ったあたしが目覚めたら、そこはチグリスの畔、目の前にはターバンの青年が。  月の砂漠、王宮の陰謀......アラビアンナイトの世界に飛び込んだ少女の愛と冒険の物語。  (Amazon より転載)

う~~ん・・・・・。  これは何と言ったらいい物語なんでしょうか??  もしも KiKi が今、中学生だったら結構好きになった物語だと思います。  そして、その初読体験があったうえで今の KiKi の年齢で再読したのであれば、当時の自分の感情を反芻したりするオマケも手伝って、感銘を受けたかもしれません。  でも・・・・・でも・・・・・・。

まあ、「初恋」とか「失恋」とか「親友に好きな人を取られた」いう設定(全部同じか?)が、今の KiKi にはこそばゆくて、何となく居心地が悪いんですよね~(苦笑)  もちろんその時の主人公ヒロミの感情は理解できるし、あの年齢特有のある種の自己陶酔・・・・のようなものは、KiKi にも全く覚えがないことではないんですけどね。

それにね、KiKi にとってどうしても抵抗があるのが主人公が自分のことを「あたし」と呼んでいることだったりします。  いえね、KiKi も音声的には同じように自分のことを「あたし」と呼んだ記憶はあるんですよ。  でもね、こんなことを言うと古いかもしれないけれど KiKi の子供時代には「あたし」と表記するのは間違いで「わたし」じゃなければいけなかったんですよ。  もしもこれが国語のテストだったら、「あたし」は×だったんですよ。  先生に「あたし ではなく わたし と書きましょう。」と赤字で添削されちゃうはずだったんですよ。  冒頭の「あたし」でつまづく上に、その「あたし」で始まる一人称の語り口がこれまたちょっと読みにくい・・・・・。  まあ、これは世代の問題なんでしょうかねぇ・・・・・。

以前、デルフィニア戦記を続けざまに読んだ頃から、この外伝の存在は知っていました。  その時から興味だけは持ちつつも、この C-Novels というシリーズに気恥ずかしさ・・・・・みたいなものがあって、なかなか手にすることができずにきたのが本日の読了本です。  たまたま図書館で見つけることができたので、思い切って借り出して読んでみました。

大鷲の誓い デルフィニア戦記外伝
著:茅田砂胡  中央公論新社

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大華三国の一角、デルフィニア。  かの地に二人の若者がいた。  ひとりは王国を代表する大貴族であり、国王の縁戚でもある筆頭公爵家の才気煥発な十二歳の嫡子。  一方、身分では比べものにならぬ地方貴族の子息ながらも、天才的な腕を持つ十七歳の剣士。  国王崩御の混乱の陰で彼らは戦う ― 未来を掴むそのために。  (新書本裏表紙より転載)

この装丁、正直なところ50を超えたオバハンにはちょっとキツイものがあります ^^;  そうであるだけに本編の方は文庫本で制覇した KiKi にとってこの本の文庫本発刊はとても待ち遠しいものがありました。  でも、知らないうちに出ていたんですねぇ。  今回、図書館本でこれを読了し、この(↑)Amazon Link を作ろうとPC に向かっていたら発見しました。  さらには今ではこれとは別の外伝も出ていたんですねぇ・・・・・。  ま、もう1冊の外伝の方はともかくとして、KiKi と同じようにこの(↑)装丁がちょっとキツイと思われる方のために、文庫本の方の Amazon Link も載せておきますね(笑)

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デルフィニアの黄金期を創出した「獅子王」のそばには、内乱期から数々の戦場を共にした二人の騎士団長がいた。  一人は筆頭公爵家の才気煥発な嫡子、一人は地方貴族の出身ながら卓抜した剣の腕を持つ天才剣士。  身分の異なる騎士たちの強固な絆はいかにして結ばれたか。  若武者の青春を描く待望の外伝。  (Amazonより転載)

いや~、これは結構 KiKi 好みのお話だったかもしれません。  少なくとも超人的な王妃(?)リィが出てこないだけでも(もちろんそれで薄れてしまった魅力もあるのですが)、人間模様の物語としてスンナリ読み進むことができました。  この「デル戦」の登場人物の中ではバルロに思い入れが強かった KiKi としては、あまりにも幼くて可愛い彼の姿に思わず心がくすぐられました(笑)  いや~、良い!  すこぶる良い!!  このバルロがあってのあのバルロです。

 

あちこちへ浮気をしつつ、ようやくムーミン・シリーズの最終巻に到達しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

ムーミン谷の11月
著:T.ヤンソン 訳:鈴木徹郎  講談社文庫

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まっ白な雪にとざされて、長い冬眠に入る前のムーミン谷の11月......人恋しくてムーミン家に集まってきたフィリフヨンカ、ホムサ、ヘムレン、スナフキンたち。  ところが、心をなごませてくれるはずのムーミン1家は旅に出ていて......。  フィンランドの女流作家ヤンソンが読書に贈るファンタジックで魅力的なムーミン童話の最終巻。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi は前作の Review で「次に読むことになるムーミン・シリーズのタイトルが「ムーミン谷の11月」であることから察するに、この島での生活は長続きしなかったことが想定できちゃうんだけど・・・・」な~んていう戯けたことを書いたわけですが、な、な、なんと、この本ではムーミン一家は全くと言っていいほど姿を表しません。  どうやらムーミン一家の「灯台のある島暮らし」は続行中の模様・・・・・^^;  そんなムーミン屋敷に集まってくるのはこの表紙(↑)に描かれている個性豊かな皆さんたち。  性格も考え方も生きるうえでの拘りもすべてが異質な者同士が寄り集まっているんだけど、そんな彼らの心の中の揺れ動きだとか、些細なことで衝突するドタバタ劇の中に、まるでそこに一緒にいるかの如くに寄り添っているムーミン一家の「存在感」とでも呼ぶべき気のようなもの・・・・・。

決してホラーチックでもなければ、フェアリーテール的でもなく、でもフィジカル(物理的)にはそこにいないのに、確かにそこにいる感じ・・・・・。  それが何とも不思議で同時に「ああ、これこそがムーミン一家」と感じさせてくれる物語だと思います。

  

ムーミン・シリーズの読書途中で、岩波少年文庫に逃避してしまっていました。  「シリーズ物を読もう!」という意気込みで読み始め、手元に全巻揃っているのに浮気をしたっていうところに、KiKi とこのシリーズの相性・・・・みたいなものがあったのかも!?  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

ムーミンパパ海へいく
著:T.ヤンソン 訳:小野寺百合子  講談社文庫

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かわいいムーミントロールとやさしいママ、おしゃまなミイにすてきな仲間たち。  毎日が平和すぎてものたりないムーミンパパは、ある日1家と海をわたり小島の灯台守になります。  海はやさしく、あるときはきびしく1家に接し、パパはそんな海を調べるのにたいへんです。  機知とユーモアあふれるムーミン童話。  (文庫本裏表紙より転載)

う~ん、この本はかなりビミョーだなぁ。  これって言ってみれば「ムーミンパパの中年の危機の物語 & それに振り回されるムーミン一家」っていう感じ??  タイトルこそ「ムーミンパパ海へ行く」だけど、実際に海へ行くのはパパ1人ではなくムーミン一家全員(含むミィ & 何故かモラン)だし、この引っ越しの必然性は単に「パパがムーミン谷の生活に何とはなしに物足りなくなったから」だし・・・・・。  人が(ムーミン・トロールも?)生きていくと、ある時期にこれまで満足していたはずの生活に何等かの違和感のようなものを感じるのは理解できる(実際 KiKi もそれに直面した)んだけど、どうしてもムーミンパパに感情移入できないのは、「自分が本当のところは、何を感じて生きてきたのか、ということに気づいていく」プロセスが描かれていないから・・・・・。

彼の本作でのモチベーションがただひたすら「父親たるもの、○○であらねばならない」というよくわからない義務感のみというのがねぇ・・・・・。  これって KiKi が♀だからわからない感覚なのかもしれないけれど・・・・・ ^^;  要するにこの引っ越しで彼が取り戻したかったもの(もしくは得たかったもの)が何なのか、正直なところサッパリわからないのです。  「絶対的な父権」という意味では、それはムーミン谷での生活であっても、少なくとも前作までのシリーズではちゃんと確立していたと思えるしなぁ・・・・・。  これが「ちびまるこちゃんのお父さん」だったら、理解できなくもないけれど(苦笑)

 

毎日毎日、ホント、半端じゃなくあっついですよね~。  「夏って言うのは暑いもんです。」と心の中で呪文のように繰り返してみるものの、それでも何だか納得がいかないような気分になってしまう KiKi は堪え性がないのかなぁ・・・・。  毎日毎日、滝のように流れる汗と常にジトっとした肌(うるおいな~んていう生易しいモンじゃない! 笑)の感触に、尚更「暑いセンサー」が過敏に反応し、「もう!  邪魔な髪の毛!  こんなんだったら坊主にしたい!」とか「常に水風呂につかっていたい!」などなどと、非現実的なことを考えている毎日です。

ま、そんな中読了したのはこちらです。

ムーミン谷の仲間たち
著:T.ヤンソン 訳:山室静  講談社文庫

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すてきなムーミン一家を中心に北国のムーミン谷にすむ仲間たちの楽しい生活を描いた9つの童話集。  ムーミントロールの親友で孤独と自由を愛する詩人のスナフキン、空想力豊かなホムサ、おくびょうでなき虫のスニフ......。  国際アンデルセン大賞受賞作家ヤンソンの詩情あふれる楽しいファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

これまでの作品はどちらかと言うとある1つの物語を全体では語っていて、その中で短編的にさまざまな出来事が描かれていたのに対し、本作はまったくの短編集という印象です。  1章で1人ずつ、ムーミン谷で暮らす仲間たち、どちらかというとメインのサブキャラ(メインのサブキャラって、言葉として変だけど・・・・ ^^;)ではないメンバーのエピソードが語られています。  児童書とは思えない(そもそもヤンソンさんは児童書を書こうと思っていたわけではないかもしれないけど)ような心理描写の連発にちょっと呆気にとられてしまいました。  でも、そうであるだけに逆に KiKi の年齢では読み応えのある1冊だったと思います。

本作全編を通じてヤンソンさんが語っているのは「本当の自由とは?」というテーマのような気がします。  と、同時に物質に恵まれすぎている現代の私たちに「それってホントに必要なモノ??」と問いかけ続けているようでもあります。  恐らく彼女がイメージする自由な生活っていうやつは、経済的に・・・とか物質的に・・・・というところからはちょっと乖離した世界にあるんじゃないのかな??  そんな印象を持ちました。

 

ムーミンシリーズを読み始めて、6冊目。  正直なところここまでの読書の中では「彗星」が KiKi の一番のお気に入りで、それ以外は楽しいと言えば楽しい物語だし、深いと言えば深い含蓄のある言葉にハッとさせられるシーンがあったりはしたものの、もしも★で評価をするなら3.5っていう感じだったんですよね。  でもね、6冊目にして KiKi は★を5つの作品に出会いました。  今日はその作品のご紹介です。

ムーミン谷の冬
著:T.ヤンソン 訳:山室静  講談社文庫

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まっ白な雪にとざされたムーミン谷。  パパとママといっしょに冬眠にはいったのに、どうしたわけか春がこないうちにたった1人眠りからさめてしまったムーミントロール。  はじめて知る冬の世界で彼のすばらしい冒険がはじまった......。  冬のムーミン谷を舞台にヤンソンがつづるファンタジー童話の傑作。  (文庫本裏表紙より転載)

北欧という言葉に「雪と氷に閉ざされた大地」というイメージを持つのは KiKi だけかしら??  フィンランドの童話であるにも関わらず、そんな冬には主役を冬眠させちゃう(もっともそこにこそリアリティを感じたりもするけれど)このシリーズ。  そんな中で普通だったら冬眠しているはずの季節に、なぜかパッチリと目を覚ましてしまったムーミンを描いているのがこの巻です。  さすがに北欧の作家さんが描く冬の物語であるだけに、その冬の描写が何と言っても素晴らしい!!  雪の美しさ、厳しさ、静けさが描かれています。  そして春の訪れに伴い氷が割れる音が谷中に響く様なんかは、のめり込むように読んでしまいました。

ムーミン・シリーズにお馴染みのキャラの大半(スナフキン、パパ、スニフ、スノークのおじょうさん等々)はほとんど出てこないから、彼らのファンの人たちにとってはちょっと物足らない物語になってしまうのかもしれないけれど、彼らを全員登場させないことによってムーミンが直面する孤独さとその孤独さを克服していく姿には感銘を覚えます。

自分がよく知ってるつもりだった世界が冬の間にはすっかり様子を変え、馴染みのない多くの生き物がそんな冬のムーミン谷で生きているというお話の中に、今まで全然気に掛けたこともなかった他者の存在を認めるというメッセージのようなものを感じ、ああ、このお話には深いものがあるなぁ・・・・と。  

 

「守り人シリーズ」に走りたい気持ちをぐっと抑えて、引き続き「ムーミン・シリーズ」を読み進めています。  やっぱり自分で決めてやり始めたことは最後まで貫徹しなくちゃね♪  (← その割にはこのブログのメイン素材だったはずの「岩波少年文庫」は若干、放置しっぱなし状態ですけど・・・・・^^;)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ムーミン谷の夏まつり
著:T.ヤンソン 訳:下村隆一  講談社文庫

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ジャスミンの香りにつつまれた6月の美しいムーミン谷をおそった火山の噴火。  大水がおしよせてきて、ムーミン一家や動物たちは流され、ちょうど流れてきた劇場に移り住むことにした。  ところが、劇場を知らないみんなが劇をはじめることになって......。  国際アンデルセン大賞受賞作家の楽しいファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

ムーミン谷っていうところは穏やかで時間がゆっくりと流れて美しい場所だという先入観が KiKi にはあったんだけど、思いのほか危険な所なんですねぇ。  近くに彗星が落っこちてきたり(ムーミン谷の彗星)、火山が爆発して水没したり(本書)・・・・・と、ついこの間までの日本では想像するのも難しかったような自然災害が続々と起こる場所で、ちょっとビックリ!!です。  でも、あの3.11以来ちょっぴりお勉強してみた地質学関係の本で KiKi にはお馴染みになりつつある「アイスランド」と近いんですよね、「フィンランド」って。  ひょっとしたらここで描かれているムーミン谷に火山灰が降り積もるシーンっていうのは、以前に発生したアイスランドでの火山爆発による被害状況がモデルになっているのかもしれません。  

昨年、アイスランドの火山が噴火した時はヨーロッパの航空網がマヒ状態に陥ったりしていたし、フィンランドよりは結構遠い欧州各国でも火山灰の被害があったりしたぐらいだから、ムーミン谷だけは例外・・・・というわけにはいかなかったんでしょうねぇ。

それにしても、彗星が落っこちたときも、今回の火山の噴火 & ムーミン谷の水没という大惨事にあいながらも、相変わらずどことな~くマイペースなムーミン谷の仲間たち。  幸いなことに命を落とした者がいなかったということもあるんだろうけれど、自然と共存して生きるためには彼らぐらいのいい意味での「ふてぶてしさ」が必要なんだろうなぁ・・・・・と妙なところで感動してしまいました(笑)。

読んじゃいました~。  ムーミンそっちのけで・・・・・ ^^;  で、案の定、今、KiKi は心の葛藤と戦っています。  「ムーミン・シリーズを読み進めるべきか、守り人シリーズの再読モードに入るべきか?」  やっぱり好き 266.gifなんですよね~、このシリーズ。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

「守り人」のすべて - 守り人シリーズ完全ガイド
著:上橋菜穂子 偕成社

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「守り人シリーズ」の登場人物事典や百科事典から作家・佐藤多佳子さん、翻訳家・平野キャシーさんとの対談、上橋菜穂子全著作紹介まで、一挙収録。  バルサとタンダの日常を描く、書き下ろし短編「春の光」。   (単行本帯より転載)

KiKi の大好きな、J.R.R. トールキンの「指輪物語」に追補版が必要だったのと同じように、「守り人シリーズ」の世界観も結構大きなものがあったため、読中、自作の用語集が手放せなかった KiKi。  もしもその時にこの本が手元にあれば嬉しかっただろうなぁ。  自作の用語集は鉛筆書きで作成していたので、ところどころ薄汚れてきちゃっているんだけど、この本を入手したことにより、ようやくあのノートはお役御免といった感じです。  「守り人世界探訪」では各国の地図、文化、神話、登場人物なんかがコンパクトにまとめられているし、「守り人百科事典」では「異界編」「呪術編」「薬毒編」「生物編」「食べ物編」に分けられ、独特の言葉の解説が載っています。

それにしてもこの「守り人シリーズ」、アメリカでも出版されていたんですねぇ。  そのこと自体は喜ばしいことで、KiKi もなんだかウキウキしちゃうんだけど、あの表紙の挿絵、KiKi としてはちょっとビミョーな感じ。

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ああ、バルサのイメージが崩れていく・・・・・。  この本の中でも触れられていたけれど、1冊目の MORIBITO (精霊の守り人)の絵なんて、♪ 京の五条の橋のうえ~ ♪ という音楽が聴こえてきそうです。  ジブリっぽさ全開の日本版の挿絵がベストだと思っているわけじゃないけれど(でも、悪くないとは思っている)、どうしてこの絵が採用されたのか、その裏話を聞いてみたかったなぁ。  

因みに、イタリア版の「Moribito」の方は、結構イケテルように見えるんですけどねぇ。  もっともこの装丁で子供が手を出すかどうかはビミョーかもしれないけれど・・・・・・(苦笑)

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少しずつ、少しずつではあるけれど、今月に入って「ムーミン・シリーズ」を着々と読み進めています。  今日はムーミン・トロールやスナフキンの登場場面はちょっと少ないこちらを読了しました。

ムーミンパパの思い出
著:T.ヤンソン 訳:小野寺百合子  講談社文庫

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自由と冒険を求めて海にのりだした青年時代のムーミンパパ。  ユーモラスな竜との戦い、あらしでたどりついたゆかいな王さまの島、おばけと同居したり、深海にもぐったり......  さまざまな冒険をしながら、ムーミンママと劇的な出会いをするまでをパパが書いたファンタジーあふれるムーミン童話6冊目の傑作。  (文庫本裏表紙より転載)

祝! ミィ誕生♪  アニメなんかではかなり強烈な個性を発揮していたミィがこの巻で文字通り生まれました。  でも、今のところスナフキンは生まれていない(みたい)なので、ミィがお姉さんっていうことになるんですかねぇ・・・・・。  何だか逆のように見えなくもないと思うんだけど・・・・・ ^^;  

「たのしいムーミン一家」でムーミン・パパが不幸な子供時代を送ったというお話があったけれど、まさかムーミン・パパが捨て子だったとはちょっと驚きでした。  そうであるだけに、彼の自己紹介のセリフ

「ぼくは特別な星の下に生まれた、ひとりぼっちの避難民です。」

というヤツにはちょっとだけやられちゃいました(笑)  まあ、KiKi にはちょっとだけ効果のあったこの自己紹介、何かとお忙しい「やまあらしさん」には全く響かなかったみたいですけど。

個人的にこの巻でぐっときたセリフはムーミン・パパの親友・フレドリクソンが語る以下のセリフです。

「ぼくたちは、一番大切なことしか考えないんだなあ。  君(ムーミン・パパ)は何かになりたがってる。  僕は何かを作りたいし、僕の甥(スニフのパパ)は、何かを欲しがっている。  それなのにヨクサル(スナフキンのパパ)は、ただ生きようとしているんだ。」

何だかこのパパたちの性格をそのままその子供たち(ムーミン・トロール、スニフ、スナフキン)が引き継いでいるようで、微笑ましさを感じるのと同時に、誰もがその「何か」が一体全体「何なのか」が分からなくて、分からないから尚更一所懸命なのが素敵だなぁ・・・・・と。

 

相変わらずなかなか読書が進まない毎日を送っている KiKi です。  毎朝、前の晩に読みかけだったはずの頁(寝る直前に読んでいた頁で本を裏返して枕元に置いています!)を眺めてみると、そこには記憶の欠片も残っていない文章が・・・・・ ^^;  こうして、翌日にはその「読みかけだったはずの章の頭から」読み直しが始まるという感じ。  こんなに頭に残らない読書を続けていていいんだろうか??  ましてそんなあやふやな読書で Review なんて書いていいのだろうか??  正直なところ、ちょっぴり抵抗がないわけじゃないんだけど、「こういうボケ~っとした読書の読後感を記しておくことにも何か意味があるだろう」と無理やり自分を納得させている昨今の KiKi です。  ま、てなわけで本日の読了本はこちらです。

たのしいムーミン一家
著:T.ヤンソン 訳:山室静  講談社文庫

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長い冬眠からさめたムーミントロールと仲よしのスナフキンとスニフが、海ベリの山の頂上で黒いぼうしを発見。  ところが、それはものの形をかえてしまう魔法のぼうしだったことから、次々にふしぎな事件がおこる。  国際アンデルセン大賞受賞のヤンソンがえがく、白夜のムーミン谷のユーモアとファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

「アニメ版ムーミン」も毎回欠かさず観ていたわけではないし、「コミック版ムーミン」もちゃんと読破したわけではなく、さらには「ムーミン本」も初読の KiKi は言ってみれば「ムーミン初心者」なので、ムーミン・トロールという生き物が冬眠するとは知りませんでした!!  でね、ムーミン・トロールが冬眠するというのは姿形からしてまだスンナリと受け入れられたんだけど、あの「人間ぽい外見」を持つスナフキンも冬眠するらしいというのがどうにも違和感があって、KiKi の頭はこの物語の冒頭で早くも???状態に・・・・・。  ま、スナフキンも決して人間なわけじゃないから、冬眠してもいいんだけどでもねぇっ・・・・・てね。

でもね、落ち着いてよ~く考えてみると、物語の舞台は北欧なわけで、1年の半分以上は雪に閉ざされちゃうこともあったりするエリアなわけで、本当に寝ちゃうかどうかはともかくとして、冬は家に閉じこもり気味、春の訪れと共に外に飛び出すという生活が1年間の生活リズムなんだということに考えを馳せると、ようやく次に進むことができました(笑)  そう思ってこの物語を読み進めるとそこかしこに「北欧らしさ」が漂っているように感じます。  スナフキンがさり気なく口にする「生きるってことは、平和なものじゃないんですよ」というセリフにしたって、イタリア人なんかだったら絶対に口にしないだろう言葉だよなぁ・・・・と(笑)。  どこか、暗さというか重さみたいなものを背負っているこの物語の世界観はやっぱり北欧ならのものなんじゃないかと思うんですよね。  

ま、とは言ってもムーミン・シリーズ第3作のこの「たのしいムーミン一家」に至ってようやくアニメ版等々で刷り込まれてきたムーミンのイメージ(ほんわか、ほのぼの)に近づいたなぁという印象です。  TVアニメでたま~に観たときのムーミンってちょっと「できすぎのいい子ちゃん」という印象があったりもしたんだけど、小説版でのムーミンは「いい子ちゃんばかりではない」ムーミンの姿が描かれていて、KiKi にはリアリティを感じさせてくれました。   

今朝、KiKi は午前2時に目が覚めてしまいました。  昔だったらこれくらいの時間からようやく睡眠・・・・ということも頻繁にあったんだけど、今の KiKi は夜10時には寝てしまうことが多いので、「これが同じ人間の行動なのか?」と何だかちょっと不思議な気分。  で、最近の通常の起床時刻である4時までは2時間しか余裕がありません。  ちょっぴり汗ばみ、のども乾いていたので麦茶を一杯飲んで、「さて、もうひと寝入り」と思ったものの、今度はなかなか寝付けません ^^;  ま、てなわけで、今日は実は2冊を読了しちゃいました。  もっともそのうちの1つは過去に Review を書いているので今日は本のご紹介のみで Review は省略させていただこうと思います。  本日の KiKi の読了本はこれらです。 

小さなトロールと大きな洪水
著:T.ヤンソン 訳:冨原眞弓  講談社青い鳥文庫  

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パパはいないけどもう待っていられない。  冬がくるまえに家をたてなければ。  ムーミントロールとママは、おそろしい森や沼をぬけ、あれくるう海をわたって、お日さまの光あふれるあたたかい場所をめざします。  第2次世界大戦直後に出版され、再版が待ち望まれていた、ムーミン童話シリーズの記念すべき第一作。  (文庫本裏表紙より転載)

ムーミン谷の彗星
著:T.ヤンソン 訳:下村隆一  講談社文庫

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長い尾をひいた彗星が地球にむかってくるというのでムーミン谷は大さわぎ。  ムーミントロールは仲よしのスニフと遠くの天文台に彗星を調べに出発し、スナフキンや可憐なスノークのお嬢さんと友達になるが、やがて火の玉のような彗星が......。  国際アンデルセン大賞受賞作家ヤンソンの愛着深いファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

とりあえず「ムーミン谷の彗星」の方は、比較的最近、この Review を書いているので、興味のある方はそちらをご覧ください。  で、今日の Review は「小さなトロールと大きな洪水」の方です。

まずは表紙 & 挿絵のムーミンの雰囲気が、我々に馴染みのあるあの「ぷくぷく・ポチャ」型ではない(もうちょっとスリムな感じ)ことにビックリ!!  次に、これまでムーミンの顔の輪郭(下顎部分)だと信じて疑わずにいたあの顔の下部分が実は鼻であることを知り2度ビックリ!!  更には「ムーミン・トロール」というのがムーミンの個人名だと信じて疑わずにきたのに、実はそれは種の名前だと知って3度ビックリ!!! でした。  ムーミンの変貌に比べれば、スニフはこの第1作からあんまりイメージが変わっていないんですけどね。

更にビックリしたのは、「頼りがいのあるデ~ンと構えた存在」であるはずのムーミン・パパが妻子を置き去りにしニョロニョロと放浪の旅に出ちゃったというのにも結構唖然としました。  もっとも彼が出て行ったのは私たちにも馴染みのあるあの「ムーミン屋敷」を立てる場所を求めて、そして建築するためだったようではあるのですが・・・・・。  それにしてもねぇ。

氷の花たば A.アトリー

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「時の旅人」から始まった、岩波少年文庫のアトリー作品読書。  4冊目の作品はこちらです。

氷の花たば
著:A.アトリー 訳:石井桃子/中川李枝子  岩波少年文庫

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雪道に迷った父親の命をすくい、お礼に娘を要求した白いマントの男の正体は?  表題作のほか、美しい木こりの娘の秘めた恋、「麦の子ジョン」と名のる神秘的な少年の話など、みずみずしい自然の息吹を感じさせる六つの不思議な物語。  (文庫本裏表紙より転載)

メリー・ゴー・ラウンド
イングランド中央部にある「ペン」という村に春の巡回キャラバンがやってきます。  2人子供、ジョンとマイケルはキャラバンの一員であるリーおばあさんから青銅でできた綺麗な呼子笛をもらいます。  これを吹くと.....。

七面鳥とガチョウ
七面鳥とガチョウはお城でごちそうを食べるため、ファージンゲール農場を抜け出します。  途中、コブタやクリスマス・プディング(!)なんぞも仲間に加わり、みんなでお城を占拠していた泥棒どもを追い払って.....。  「ブレーメンの音楽隊」にちょっと似たようなおはなし。

木こりの娘
暖炉の焔の中から現れる金色のクマの頼みを聞いて、木こりの娘チェリー・ブロッサムは、イラクサでクマの上着を作ってあげます。  さらに、クマは桜の花びらを縫ってチェリーの花嫁衣装を作るようにと告げます。  そして......。

妖精の船
海に出た父ちゃんの帰りを待つ息子トム。  クリスマスの朝に見たのは、小さな不思議な船でした。  乗組員はキャプテン・ダックと24匹の白ネズミ。  船が贈り物を持ってきたのは夢だったのでしょうか.....。  

氷の花たば
ある冬の日、雪の中で帰路を見失ったトム・ワトスンは、雪のように真っ白い見知らぬ男に起こされ、帰り道を教えてもらいます。  その代償としてその男が要求したものとは.....。

麦の子 ジョン・バーリコーン
おばあさんが落穂ひろいの際にムギ畑で拾ったきれいなイースターの卵。  割れると中から小さなジョン・バーリコーンが生まれます。  ジョン・バーリコーンは麦刈りを手伝い、農家に祝福をもたらすようになり.....。

本作もアトリーの短編集です。  「西風のくれた鍵」がケルトの妖精物語風だったのに対し、こちらはどちらかというと民話風。  いずれの作品も「どこかで似たような話を読んだことがあるような・・・・」と感じさせられるあたりは、やっぱりアトリーです(笑)。  それでいて、アトリーならではの自然描写の美しさは本作でも冴えていて、ひとつひとつの作品がキラキラしています。

民話風・昔話風ではあるんですけど、時代的にはやっぱりある程度現代に近い時代のお話(バスが走っていたりする)で、それでいて、これらの物語に登場する小道具・大道具の類のもの;メリー・ゴー・ラウンドの「青銅の呼子」然り、七面鳥とガチョウの「古い城」然り、木こりの娘の「廃墟」然り、バーリコーンの「教会」然り、何百年も昔からそこに存在し、時を超えて多くのことを見守り続けたものたちが、物語の展開に大きな関わりを持っています。  お話の中にそんな「時間軸」のようなものを感じさせられるのがアトリー作品の1つの特徴のような気がします。

 

せっかく「時の旅人」を読んだので、これから暫くは岩波少年文庫に収録されているアトリー作品を読んでいきたいと思います。  てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

西風のくれた鍵
著:A.アトリー 訳:石井桃子/中川李枝子  岩波少年文庫

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西風がくれた木の実の鍵で幼いジョンが知った木の秘密とは?...  表題作のほか、動物たちのことばがわかる妖精のスカーフを拾った少年の話、ピクシーに見そめられて結婚した少女ポリーの話など、幻想的で楽しい六つの物語。  (文庫本裏表紙より転載)

まずは収録されている物語をざっとご紹介しておきましょう。

「ピクシーのスカーフ」
おばあさんと荒野へコケモモを摘みに行ったディッキーは 虹色の小さなスカーフを拾います。  おばあさんにはピクシーの持ち物に違いないから捨てるようにと言われますがどうしても捨てられずこっそりポケットに入れてしまうディッキー。  すると、ディッキーは地面の下に埋まっているものが見えたり 動物の話していることが理解できたりするようになって...。

「雪むすめ」
氷で覆われた北の国を治める霜の大王と妃の氷の女王は深く愛し合っていましたが子どものいないことを寂しく思っていました。  りりしい若者である北風は世界中を旅しながら 北の国の王女にふさわしい子どもを探しましたがなかなか見つかりません。  そして、ようやく見つけた女の子とは...。

「鋳かけ屋の宝もの」
年寄りの鋳かけ屋は小さい田舎町を歩いて旅して回りながら仕事に使った金物の欠片で子どもたちにおもちゃを作ってやっていました。  ある日、大きなお屋敷で鍋の修理をした後に給仕の少年から「おもちゃの材料に...」と庭師が掘り出したという金属の塊をもらいます。  鋳かけ屋がその塊を火にかざすと、ひとりでに形を変えていき...。

「幻のスパイス売り」
1年に1度だけやって来るスパイス売りのおばあさんのもとにお城のコック長ダンブルドア夫人の下で働く見習いコック・ベッシーがスパイスを買いに走ってやって来ます。  礼儀正しく優しいベッシーにスパイス売りのおばあさんはいつも商品とは別にスパイスをもう1つ渡してくれて、「大事に取っておくように」と言うのでした...。

「妖精の花嫁ポリー」
小さな田舎家に農家の作男が妻と14人の子どもを抱え貧しい暮らしをしていました。  1番上の娘ポリーは兄弟の中でも特別の器量よしでしたが、ある夜、男の家に小さなピクシーが訪ねてきてポリーと結婚させてほしいと言います。  承知してくれれば欲しいだけ金貨をあげようと言いますがポリーの両親は「とんでもない」と即座に断ります。  すると、次の晩にまたピクシーがやって来て...。

「西風のくれた鍵」
「なぞなぞかけた といてみろ この鍵(キイ) カエデの木をあける」
西風は歌うと幼いジョンのそばにカエデの実(キイ)を投げつけて去ります。  ジョンはカエデの実の鍵で開く錠を探して回りますが見つかりません。  最後にカエデの大木の狭い隙間に実を入れてまわしてみると カチリと音がして幹の一部分が開いて戸棚のようなものが現れます。  ジョンが見た、カエデが自分の奥に隠し持っていたものとは...。

 

世の中にはとっても有名なうさぎが何匹もいるわけですが、KiKi にとって最も馴染みの深いうさぎちゃんは月に住んで餅つきに励んでいるうさぎちゃん。  2番目がこの物語の主人公のグレイ・ラビット。  そして3番目にようやく顔を出すのが、ピーター・ラビットです。  イマドキの女性なら恐らく順番は逆(しかも月に住む餅つきウサギはランクインすら果たさないかもしれない ^^;)だと思うのですが、KiKi 自身がピーター・ラビットに出会ったのはかなり遅かったんですよね~。  動物を擬人化した物語っていうのは「何歳の時にその物語に出会ったのか?」が結構キーになって親しみ具合が変わってくると思うんですよ。  ピーター・ラビットが最初に世に出たのが1902年だったのに対し、こちらのグレイ・ラビットが世に出たのは1929~1932年ということなので、ピーター・ラビットに先に出会っていてもちっともおかしくなかったはず・・・・・ではあるのですが、たまたま KiKi の場合はグレイ・ラビットに先に出会ってしまった故のランキングということでしょうか?  ま、何はともあれ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

グレイ・ラビットのおはなし
著:A.アトリー 訳:石井桃子/中川李枝子  岩波少年文庫

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働き者のグレイ・ラビットは、森の一軒家でリスや野ウサギと一緒に暮らしています。  牛乳屋のハリネズミ一家、物知りのフクロウ、おそろしいキツネなど、森の動物たちとともにくりひろげる冒険を描いた、幼年文学の傑作。  (文庫本裏表紙より転載)

大人になって多くの物語と接した後でこの物語を再読してみると、もう一匹の超有名ウサギ;ピーター・ラビットとの類似点やらその他多くの童話集のモチーフとの類似点にどうしても気がついてしまい、「何となくオリジナリティには欠ける作品だったんだなぁ・・・・」という感想を持ってしまうんだけど、それでも逆にA.アトリーならではの美しい自然描写、美しいだけではない自然描写はやっぱり際立っているなぁとも感じるわけで、ちょっと複雑な気分です。

訳者あとがきによれば、この物語の挿絵画家としては、この岩波少年文庫版のフェイス・ジェイクスよりも初版本に挿絵を描いたマーガレット・テンペストの方が高評価とのことなんですけど、KiKi の場合は最初に出会ったのが岩波書店さんのこのフェイス・ジェイクス版だったために、ピーター・ラビットの挿絵がポターのものしか考えられないのと同じように、グレイ・ラビットの挿絵はやっぱりフェイス・ジェイクスなんですよね~。  

いずれにしろ子供時代に出会った本の印象って言うのはかくも長きにわたって人の心に住みつくものか!と改めて感嘆している次第(笑)

  

時の旅人 A.アトリー

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昨日、今日とLothlórien_山小舎は雨模様。  昨日はそれでもお外仕事ができそうな程度の降り方だったのですが、ちょっと所要があって沼田まで出かけたりしていたので、結局庭仕事はお休みでした。  ま、そんな中、最近ちょっとペースダウン気味だった読書をする時間を持つことができました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

時の旅人
著:A.アトリー 訳:松野正子  岩波少年文庫

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病気療養のため、母方の古い農場にやってきたペネロピーは、ふとしたことから16世紀の荘園に迷い込む。  王位継承権をめぐる歴史上の大事件にまきこまれた少女の、時をこえた冒険。  (文庫本裏表紙より転載)

久々のアトリーです。  実は今年に入ってから「グリーン・ノウ」を読み始めたとき、「あ、これは近いうちにアトリーの『時の旅人』も再読することになるだろうなぁ。」と思っていたのです。  この物語に初めて出会ったのは KiKi 小学生の頃でした。  当時の KiKi は幽閉されているメアリー女王に感情移入したり、そんな彼女を命がけで助けようとするアンソニー・バビントンの姿に「騎士道精神」のようなものを感じたりと、どちらかというと「ロマンチック」なイメージだけを勝手に膨らませ、感銘を受けたものでした。  だから、正直なところ主人公であるはずのペネロピーにはあんまり興味がありませんでした。

それが中学生になって再読した時には、メアリーもアンソニーも、ロマンチックもどうでもよくなって(^^;)、今度はイギリスの田園風景というか、舞台となるダービシャーの描写と中世の人たちの暮らしぶりに興味をひかれ、その描写を丹念に読む読み方をしていました。  で、相変わらずペネロピーにはほとんど興味が湧かず・・・・・ ^^;

そして今回。  実に40年あまりの時を経ての再読と相成ったわけですが、やっぱりペネロピーにはほとんど興味が湧かず(^^;)、今回もっとも興味を持ったのは「時って何だろう??」ということでした。  そもそもこれまでの読書では冒頭に出てくる以下の言葉は読み飛ばしていたのです。

時あり
時ありき
時あらず
    - 日時計の銘 

これ、原文では以下のような英語になっています。

Time is
Time was
Time is not
    - Sundial Motto

この何気なく be 動詞を並べ、最後に否定するという構文がイミシンで、「時」というものについてアレコレと考えさせられます。  

以前 KiKi は「デジタル時計が嫌い」というお話をさせていただいたことがあったかと思うんだけど、ある一瞬を数字で切り出して表示するあの「デジタル時計」というヤツは忙しい現代人向きかもしれないけれど、正しい時間を瞬時に認識できるという意味で合理的・効率的かもしれないけれど、「時」というものが「今」というものが「過去」と「未来」の接続点であるのに過ぎなくて、一続きのものであることを思い起こさせません。  そこへいくとアナログの時計は一目見ただけでその「繋がり」を意識させてくれます。

 

野良仕事の合間、合間を縫って、とうとう岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品を制覇しました。  大学時代に英文学を専攻し、他の国よりはイギリス国に愛着をもってきた KiKi ですが、サトクリフが描く古い時代のブリテンに関してはほとんど無知だったと言っても過言ではないことに今更ながら気が付かされました。  せいぜいがクロムウェル以降あたりからしか知らず、世界の覇者となった以降のイギリスにばかり興味を持ち続けてきた自分が情けなくもあり、手遅れになる前(?)に気が付いたことに嬉しくもあり・・・・(笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

王のしるし(上)(下)
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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およそ2000年前のスコットランド。  奴隷の剣闘士フィドルスは、不当に王位を追われ盲目にされたダルリアッド族の王マイダーの替え玉として雇われる。  氏族の運命をかけた戦いのなかで、フィドルスはしだいに「王」になってゆく。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

マイダーから不当に王位を奪たカレドニア族の女王リアサンを、ローマ軍の砦に追い詰めたフィドルスとマイダー。  復讐はなし得るのか。  氏族を守るためにフィドルスが下した決断とは...。  人は何によって生きるかを深く問う衝撃作。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この物語を読んでいる間、KiKi は自身に起きたある出来事を思い出していました。  それは今から20年ぐらい前の事。  KiKi は当時外資系のとある会社にお勤めしていたのですが、その会社の組織はフラットでした。(要するに一番偉い外人さん;CFOがいて、その下に日本人の部門長さんがいて、その下にかなり多くのマネージャーと呼ばれるポジションの人がいて、その下はほとんど全員がスタッフという組織。)  当時、そんな組織の底辺のスタッフだった KiKi はたまたまある仕事で一番偉い外人さんの目に留まり、マネージャーに昇格していただくことになりました。  最初その話を聞いたときは「やっと今までの苦労が報われた・・・・。」と嬉しかったのですが、発表される組織図を事前に見せていただいたとき、KiKi は呆然としました。

その会社にはかなり多くの US CPA(アメリカの公認会計士資格)とかMBA(経営学修士)という資格保持者がスタッフとして働いていました。  そんな人たちとフラットな状態で普通の日本の大学卒という人もいたのですが、予定されている組織図を見ると、KiKi の部下になる人たちは全員資格保持者でした。  対して KiKi は資格とは無縁のいわば「現場たたき上げタイプ」の人材でした。  その組織図を見た瞬間 KiKi は恐れを抱きました。

「こんなすごい人たちを部下として使うなんて、KiKi にはできない・・・・・・」

と。  昇格を告げられた日の喜びはどこへやら。  すっかり自信喪失した KiKi は、思い余って一番偉い外人さんのオフィスを訪ねました。

「○○さん。  認めていただいたことはとっても嬉しかったし感謝もしています。  でも、私は普通の日本人で何一つ自分を支える資格のようなものを持ち合わせていません。  それなのにあんなすごい肩書を引っさげた人たちを部下として使うなんて、自信がありません。  この話はなかったことにしたください。」

と。      

運命の騎士 R.サトクリフ

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「高山農園企画書づくり」のための読書に若干、時間をかけぎみの昨今ではありますが、同時進行でボチボチと読み進めていますよ~、岩波少年文庫。  昨年末に連続して読み続けていたサトクリフ作品はまだまだたくさん残っているので、合間の読書はそのうちの1冊でした。

運命の騎士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

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犬飼いの孤児ランダルは、ふとしたことから、騎士ダグイヨンの孫、ベービスの小姓として育てられることになった。  ノルマン人によるイギリス征服の時代を背景に、二人の青年騎士の数奇な運命と、生涯をかけた友情を描く。  (文庫本裏表紙より転載)

サトクリフと言えばローマン・ブリテン四部作(既読の「第九軍団のワシ」「銀の枝」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」)が出世作なわけですが、そこからは時代がぐ~んと下った11世紀のイングランドとノルマンディを舞台にした歴史ロマンです。  ものすご~く大雑把に言ってしまえば第一次十字軍なんかがあった時代、「荘園」と「騎士」の時代の物語です。  

「騎士の時代」と言われるとどうしても「アーサー王」とか「シャルルマーニュ伝説」みたいなちょっとロマンチックな様子を連想しがちな日本人(それともそれって KiKi だけ? 笑)に、リアルな「騎士の生活」を感じさせてくれる物語だと思います。  領主以外は大広間の暖炉の傍で雑魚寝しているとか、その暖炉の煙突ではしょっちゅう煙が逆流するとか、オシャレ感のかけらもない生活がいきいきと描かれています。

物語としては孤児のランダルの成長物語なんだけど、KiKi はこの物語を読みながらそんな若者の成長物語・・・・というよりは、先日読了したばかりの「「里」という思想」にあった「時間的普遍性」(いつの時代も通用する普遍性)の本質・・・・みたいなものを感じていました。  と、同時に物語に流れる人生観には私たち日本人がかつては持っていた「人生とはすなわち無である」という思想に通じるものも感じました。  そういう意味では「場所的普遍性(どこでも通用する)と時間的普遍性(いつの時代も通用する)の合わせ技」的なものを感じていた・・・・とでも言いましょうか。

 

たまたま吾妻郡図書館で発見した本書。  KiKi にとって決して素通りすることのできない「ホビット」の文字に文字通り吸い寄せられ、借りてきてしまいました。  もっとも・・・・・。  こうやって「ホビットの冒険」「指輪物語」に関連する本を読んでしまうと、もう何度も何度も読み返した本であるにも関わらずそこを素通りすることができなくなってしまい、「岩波少年文庫読破計画」がますます遅れてしまうことになってしまう可能性が高くなるといういわゆる「鬼門」みたいなものなんですけどね。  そう、「ヴァルキューレの騎行」のメロディを耳にすると「リング全曲」を聴かずにはいられなかったように・・・・(笑)  ま、いずれにしろそんなリスクを抱えつつも読了した本日の KiKi の1冊はこちらです。

ホビット一族のひみつ
著:D.デイ 訳:井辻朱美  東洋書林

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初めに言葉―ホビット―ありき  「ホビットの冒険」や「指輪物語」に登場する人物や舞台の「名前」に込められたヒミツとは...?  トールキンが創りあげた壮大な物語の世界を「ことば」というものさしを使って読み解く。  ビルボの性格、ゴクリの本性、サルマンの裏切り、フロドやガンダルフと旅の仲間たちがたどった運命はすべて、名前に隠されていた!  (単行本扉より転載)   

これは面白い本でした。  トールキンと言えばオックスフォード大学で古英語を教えていた言語学者である・・・というのはプロフィールなどでよく見かけていたけれど、あの名作「ホビットの冒険」と「指輪物語」の作者という印象の方が大きすぎて、彼のプロフィールなんていうのは読み飛ばしてきちゃったように思うんですよね。  そう、強いて言えばこれらの作品の中で彼が新しい言語を作り出しているという事実以上には彼の「言語学者」というプロフィールに目を向けたことはあまりなかったんですよ。 でもね、この本を読んで初めて彼がどうしてあんなに膨大な世界観の物語を描ききることができたのか、そのエッセンスみたいなものを垣間見たような気がしました。

残念なことに KiKi は「ホビットの冒険」にしろ「指輪物語」にしろ、瀬田訳の日本語版こそは何度も何度も読み返しているけれど、英語のペーパーバックの方は読み通したことがなくて、この本を楽しむためには英語版ともっと仲良くしておけば今回楽しめた以上に、何倍も何倍も楽しむことができただろうなぁとちょっぴり悔しい気分にもなりました。 

太陽の戦士 R.サトクリフ

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昨年末からの積み残し、岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品が全作読了できていないことを急に思い出しました。  たまたま先日「吾妻郡図書館」に行き、他の本も借りてきちゃったから必ずしもチャッチャと読み進めることができるわけではないけれど、やっぱり手がけたことはちゃんと完了しなくちゃいけません(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

太陽の戦士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

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片腕のきかぬドレムは、愛犬ノドジロや親友にささえられ、一人前の戦士になるためのきびしい試練に立ちむかう。  青銅器時代を背景に、少年の挫折と成長を描いた、サトクリフの代表作。  (文庫本裏表紙より転載)

青銅器時代という歴史の教科書でも比較的アッサリと(少なくとも KiKi の学生時代はそうだった)、あくまでも鉄器時代への通過点のように扱われ、想像・イメージするのが困難な時代が舞台です。  まあ、道具が違うだけで鉄器時代初期と文化的に大差はないのかもしれないけれど、それでも人間がどんな風に自然の中で自分の居場所を築いてきたのかがサトクリフの筆致で繊細 & 詳細に描かれています。

KiKi は以前からイマドキの「自分探しブーム」というのにシニカルなスタンスを持ち続けているんだけど、この本には「自分探し」な~んていう言葉は出てこないものの「生き抜くこと」「自分の居場所を作ること」の本質が描かれていると思います。  この時代の人たちが真剣に探っていた「自分の居場所」はイマドキのそれとは大きく異なり、それを見つけることができない ≒ 動物的な意味での死(精神的な意味では決してない)を意味することだということが言えると思うんですよね。  まあ裏を返せば現代社会に於いては「死とは直結しない淘汰がある」とも言えるわけで、それはそれで厳しいものがあったりもするわけだけど、イマドキはどちらかと言うと「個人主義」の弊害とも言える社会における自分の存在位置の不明確化 → 幻想(理想ではなく)と現実のギャップ → 根拠の薄い「できるはずなのにできない」という思い込み → 苛立ち という構造が透けて見えるような気がして仕方ありません。

KiKi はね、「夢見る事」を否定する気はないんだけど、「夢を持てなければ生きているとは言えないと考える症候群」とでも呼ぶべき強迫観念には疑問を持っています。  「生き甲斐」「やり甲斐」という言葉が安直に使われるけれど、そもそも「甲斐」ってどんなもの?と辞書を引いてみると、そこに1つの答えが書かれていると思うんですよね。

  

リリス G.マクドナルド

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本日もLothlórien_山小舎は雪です。  昨日はいいお天気で前回降った雪もほぼ融けきった状態だったんですけどねぇ。  暦の上では雨水(空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ)をとっくに過ぎ、啓蟄(大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ)になろうかというタイミングなのに、空から降るものは相変わらず雪で、冬眠していた虫が穴から首を出してもすぐ引っ込めてしまいそうな状況です(笑)

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ここ高山村はどちらかというと雪が少ないエリアと聞いていたのですが、今年は例年にない降雪量(降雪日数と言うべきか?)で地球温暖化とやらはどこへ行っちゃったんだろう??と思うこと暫し・・・・。  まるで白い花を枝一杯につけたかに見える木は美しいけれど、こういう季節にもそろそろ飽きてきました。

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ま、こんなお天気だと外に出る気はすっかり引っ込んでしまい、未だ風邪が治っていないということもあり、KiKi は例の「カテドラル・ウィンドウの小物ケース」製作に励んでいます。  昨日はせっせと布切りに精を出し、いよいよ今日からピーシングです。

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ま、そんな中、先月から取り組んでいた「G.マクドナルド作品強化(?)キャンペーン」の最終作、「リリス」を読了しました。

リリス
著:G.マクドナルド 訳:荒俣宏  ちくま文庫

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時には雌豹に、時には絶世の美女に、時にはまたいたいけな老婆に変身するリリスとははたして何者か?  ルイス・キャロルやトールキンをはじめ、カスタネダなどにも大きな影響を与えた、イギリスの幻想小説作家ジョージ・マクドナルドの最高傑作。  夢見る若者たちの冒険を描いた瞑想的なファンタジー。  (文庫本裏表紙より転載)

 

せっかく岩波少年文庫でマクドナルド作品を読み始めたので、いくつか手持ちの積読状態だった「マクドナルド本」を読み進めています。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

北風のうしろの国
著:G.マクドナルド 訳:中村妙子  ハヤカワ文庫

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「北風と一緒なら誰だって寒くなんかないのよ」  ― 美しい女の姿をした北風の精は、ダイアモンド少年を幻想的な世界へと誘った。  夜のロンドンの空へ、嵐の海上へ、そして北風のうしろの国へ...。  その不思議な国から戻った少年は、想像力の翼を広げ、産業革命期の生活に疲れた人々に、優しさを取り戻させてゆく。  C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンらによって開花した英国ファンタジイの、偉大なる先駆者による古典的名作。  (文庫本裏表紙より転載)

この本を購入したのは偏にこの表紙の美しい絵に魅せられたから・・・・と言っても過言ではありません。  と、同時に KiKi にとって意外性があったから・・・・・と言う理由もあります。  と言うのもね、KiKi の漠然と抱いていたイメージとして、北風の精っていうのは女性じゃなくて男性のような気がしていたんですよ。  これはイソップ童話の「北風と太陽」の影響もあるだろうし、ギリシャ神話の影響もあると思うんですけどね。  北風の神・ボレーアスと言えばちょっと獰猛で暴力的な男神だったように思うんですよ。  だから KiKi がイメージしていたのはこの挿絵は「北風」その人(?)ではなく「北風のうしろの国(ヒュペルボレイオス)に暮らす幸せな人々」の代表なんじゃないかと思っていたぐらい!(笑)  でも、この女性、実はこの物語で描かれる「北風」その人だったんですねぇ。

KiKi にとってこれは初読の物語だったんだけど、ここで描かれる死生観には正直なところ違和感を感じずにはいられませんでした。  ただこの物語はヴィクトリア朝のイギリス人が書いたものだと考えると、さもありなん・・・・と納得できる部分もあります。  やっぱり「死 ≒ 永遠の命」と捉えるあたりはキリスト教的だなぁ・・・・と。  そういう宗教性(精神性)には若干の抵抗を感じつつも、この物語、KiKi にはとても親しみのもてるものに感じられます。  と言うのはね、そこかしこに溢れる価値観の揺れみたいなものに覚えがあるということ。  そして、ダイアモンド少年というフィルタを通して、何の固定観念にも囚われず物事を素直に見つめてみるという疑似体験をしてみたことにより、現代人 KiKi の目を通して世界を見たときとは違う一面が見えてくるような感覚の体験・・・・とでも言いましょうか、それが居心地悪くはないんですよ。  

先日に引き続き、今日も G. マクドナルドの岩波少年文庫作品です。  

かるいお姫さま
著:G.マクドナルド 訳:脇明子 画:A. ヒューズ  岩波少年文庫

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魔女にのろいをかけられて、ふわふわ浮いてしまうお姫さま。  重さがもどるただひとつの場所である湖も魔女のたくらみで干上がり、お姫さまはしだいに弱ってゆきます。  お姫さまを救う方法とは?  「昼の少年と夜の少女」も収録。  (文庫本裏表紙より転載)

この本には ↑ にもあるように表題作と一緒に「昼の少年と夜の少女」が収録されているんですけど、どちらかと言えばこちらの「昼 & 夜」の方が KiKi 好み♪  「かるいお姫さま」の方はその設定からしてナンセンスで面白いと言えば面白いんだけど、怖いと言えば怖いお話だと思うんですよね~。  待ち望まれて生まれてきたお姫さまが悪い魔女の呪いによって重さをなくしてしまう・・・・と、何だか「眠れる森の美女」を彷彿とさせるようなおとぎ話の王道(?)でスタートするんだけど、ただただ体がフワフワと浮いているだけならいろいろ不便はあっても、それはそれで楽しそうにも思えちゃう。  でもね、どうやらこのお姫さま、失ってしまったのは体の重さだけではなく、オツムの重さ・・・・というか、人間らしい感情が少し欠落しちゃっているような危うさを感じるんですよ。  どんなに深刻な状況でも笑っていて、挙句お姫さまのために、干からびそうになっている湖の水を堰き止めようと命を投げ出そうとしている王子さまを見てもケラケラと・・・・。  ここまでくると「いつもニコニコ、明るくていいねぇ♪」というレベルはとっくに通り越して、何だか寒気がしてきちゃうんですよね~。  とは言っても、そこはマクドナルド。  単なる「荒唐無稽」のお話で終わらせないあたりはさすがです。

でもね、やっぱり心にどっしりと響いてくるのは「昼の少年と夜の少女」の方だと思うんですよ。  題名からも想像できるとおり、これは夜を知らずに育った少年と昼を知らずに育った少女が出会う物語です。  とある魔女の何らかの計画(但し、その計画とやらがどんなものだったのかは最後までわからず終いなんですけどね ^^;)のために特殊な環境で2人を育てているんだけど、魔女の目を盗んだ2人は魔女が隠そうとしているそれぞれの知らない世界(少年にとっての夜、少女にとっての昼)にそれぞれ直面することになるんです。  そして、それはそれぞれの想像を絶する世界だったんだけど、この若い2人が偶然出会うことで、少しずつ驚きや恐怖を乗り越えて互いを(夜と昼を)理解しようとする・・・・というお話です。
 

先日、このエントリーでもお話したように久々に「赤毛のアン」を読み返してみて、苦手意識はさほど薄れはしなかったものの、せっかくの機会なのでこの際このシリーズを読破してみようと考えた KiKi でした。  そこで例の吾妻郡図書館で同じシリーズ(講談社の完訳クラシックシリーズ)の「アン本」を何冊か借りてきました。  で、一応は第2巻の「アンの青春」を半分ぐらいは読み進めてみたのです。  でも、敢え無く Give Up!  第1巻の「赤毛のアン」を読み通すことができたのは偏にマリラ & マシューへの共感があったことを再認識した次第です。  やっぱり主人公に魅力を感じられない本っていうのはダメみたいですねぇ、KiKi の場合・・・・・ ^^;  ま、てなわけで、せっかくの読書タイムが我慢比べになっちゃうな~んていうのは避けたかったので、「やっぱり赤毛のアンと KiKi の相性はあんまりよくないみたい」と結論付け、スッパリと読了は諦めることとしました(笑) 

じゃ、次に何を読もうか??  と考えた際、ふと頭をよぎったのはこの本のこと。  「岩波少年文庫の絶版本」ばかりを続けて読んでいた時期に出会い、大きな感銘を受け、この作者の作品をもっと読んでみたい・・・・と思いつつも放置してあることを思い出しちゃったんですよね~。  そこでこの機会に G. マクドナルドの世界に浸ってみようかなぁ・・・・・と。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

お姫さまとゴブリンの物語
著:G.マクドナルド 訳:脇明子 画:A.ヒューズ  岩波少年文庫

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山奥の館にかわいらしいお姫さまが住んでいました。  地の底に暮らす恐ろしいゴブリン小人たちが、お姫さまを誘拐しようとたくらんだことから、人間対ゴブリンのすさまじい戦いが始まります。  (Amazon より転載)

カーディとお姫さまの物語
著:G.マクドナルド 訳:脇明子 画:竹宮恵子  岩波少年文庫

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少年カーディが、地下のゴブリンの国からお姫さまを救いだしてから1年。  ふたたび王国が危機にさらされました。  カーディは、権力と富をねらって策略をめぐらす悪者たちと勇敢に戦います。  「お姫さまとゴブリンの物語」の続編。  (文庫本裏表紙より転載)

あの「金の鍵」に感銘を受けつつも、どうしてもこの本に手が伸びなかった理由。  それは、この「カーディとお姫さまの物語」の表紙の絵にありました。  どこかで見たことがある画風。  決して嫌いではないものの、明らかに「漫画」のソレに何となく抵抗を覚えちゃったんですよね~。  今回 KiKi が読んだ「お姫さまとゴブリンの物語」は少年文庫特装版の方(↑)なんだけど、今、巷で売られているものは「カーディ~」と同じコレ(↓)だし・・・・・。

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でも、この挿絵。  あの竹宮恵子さんの挿絵だったんですねぇ・・・・。  KiKi が中学生ぐらいの頃一世を風靡し、KiKi も夢中になったあの漫画家さんにこんなところで再会できるとは思ってもいませんでした。  で、人間っていうのはゲンキンなもので、誰の作品なのかわからなかった頃には「敬遠」のネタだったこの絵が、あの懐かしい時代の思い出深い漫画家さんのものだとわかった瞬間に親しみを覚えてしまうのですから・・・・・・ ^^;

  

子供時代からどちらかというと(・・・と言うよりかなり ^^;)苦手意識のあった「赤毛のアン」。  その苦手な本を今回読み返してみようと思ったのはひとえにこの装丁のおかげ(?)です。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

赤毛のアン(完訳クラシック)
著:L.M.モンゴメリー 訳:掛川恭子  講談社

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「赤毛のアン」を完訳で大人向けに編集。  カナダのプリンスエドワ-ド島でのびのびと育つ「アン」の生き方。  魅力的な島で空想の世界に頭をめぐらす、アンの少女時代を生き生きと描く。  感動をもう一度!  (Amazon より転載)

因みに現在この(↑)版は絶版みたいです。  今も販売されているのはこちら

ふとした手違いで、老兄妹に引き取られることになった、やせっぽちの孤児アン。  想像力豊かで明るい性格は、いつしか周囲をあたたかく変えていく。  グリーン・ゲーブルズの美しい自然の中で繰り広げられるさまざまな事件と、成長していくアンを綴った永遠の名作。  講談社だけの完訳版シリーズ、刊行開始。  (Amazon より転載)

この装丁、素敵でしょ♪  KiKi の大好きな「岩波少年文庫特装版」に負けず劣らずの美しい装丁だと思うんですよね~。  こういう本だと本棚にあるだけでも嬉しくなってしまうんですよ、KiKi の場合。  そうであるだけに久々の「吾妻郡図書館」でこれを見つけた時、思わず手に取ってしまったし、かつての苦手意識はどこへやら、「そうだ、久々に『赤毛のアン』を読んでみよう♪」とまで思わせてくれちゃったのです。  あ、でもさすがに借り出し制限5冊全部をこのシリーズで借りてこないだけの分別は残っていましたけどね(笑) 

KiKi のかなり頑固な「アン苦手意識」の根っこにあるもの。  それはアンのおしゃべりが KiKi には面白いとか可愛いとは感じられず、どちらかというと鬱陶しい・・・・と感じられるということ。  又アンの感情の起伏についていけないものを感じるし、彼女が時と場所を選ばず空想の世界にいってしまうのもちょっとどうなんだろう?と感じてしまうということ。  更には子供時代にはアンを引き取ったマリラ(& マシュー)の言葉や態度にも好感が持てなかったということ・・・・・。  もっともそうは言うもののこの物語で描かれるグリーン・ゲーブルズの自然描写なんかには惹かれるものもあったんですけどね(笑)

KiKi はね、子供時代に母親から「あんたは夢見る夢子ちゃんで困ったもんだ。  もっと現実的にならなくちゃ」とよくお小言をもらったんだけど、そんな時には正面切って反論こそできなかったものの心の中では言い返していたものです。  「いえいえ、お母さん。  本当の夢見る夢子ちゃんっていうのは『赤毛のアン』みたいな女の子のことだし、『赤毛のアン』が大好きだって言うタイプの女の子のことよ。  KiKi はそれに比べればず~っと現実的よ。」ってね。

ところが(?)・・・・です。  KiKi が大学生になり英文科の学生になった時、かなり多くの学友(但し女子に限る)が「今までで一番好きだったのは『赤毛のアン』です。」「英文学を専攻したいと思うきっかけになったのは『赤毛のアン』です。」と言うのを聞いてホントびっくり仰天したんですよ。  「かくも夢見る夢子ちゃんが多いのか!!」と。   で、その時も思ったのです。  「こんなに多くの人がいいって言うんだから、やっぱり魅力のある作品なのかなぁ・・・・。  KiKi には理解できないけれど・・・・ ^^;  これはどこかで読み返してみる必要があるかもしれないなぁ・・・・・」と。  もっともそう思うだけは思ったものの、今回久々にこの本を手に取るまでついぞその機会は訪れなかったんですけどね(笑)

     

妖精学入門 井村君江

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先日、たまたま O.R.メリングの「ケルト妖精シリーズ」を読了したので、ずいぶん長い間積読状態だったこの本を手にしました。

妖精学入門
著:井村君江  講談社現代新書

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ケルトの小さな神々からシェイクスピア、ピーター・パンまで、妖精の誕生・分類・系譜を網羅。多彩なカラー図版も楽しめる、はじめての妖精百科!  (新書表紙より転載)

夢魔マブ女王と17世紀の極小妖精 - 「ロミオとジュリエット」のマキューシオの台詞に「さて、君は一夜をマブの女王と過ごしたようだな、あいつは妖精の産婆だ」という一節がある。  「妖精の産婆」とは「人間の夢を引き出す、人間に夢見させる」の意で、それをマブ女王という妖精の女王に重ねているのである。  眠っている人の上に乗って悪夢を見させる夢魔(インキュバス、女はサッキュバス)とも同じに見られる。  続く台詞の中でマキューシオは、マブ女王がハシバミの殻の馬車に乗った芥子粒ほどの姿で「恋人たちの頭を通れば恋の夢、宮廷人の膝を通れば敬礼の夢、弁護士の指を通れば謝礼の夢......」を見ると述べている。  夢を見るのはマブ女王の仕業なのだ。 - 本書より  (新書扉より転載)

う~ん・・・・。  どうも KiKi は井村さんとはあんまり相性がよくないみたいです・・・・ ^^;  恐らく彼女と KiKi は魅せられている世界観みたいなものは似通っているんだと思うんだけど、彼女が書いたものを読むと、辛い・・・・・というか、眠くなる・・・・・というか、字面を追いがちになる・・・・・というか・・・・ ^^;  要するに読んでいてすっと頭にはいってくる文章じゃないんですよね~。  以前「ケルトの神話」という本の Review でも、井村さんの書き方についてどちらかというと批判っぽいことを書いちゃったけれど、この本もご多聞に漏れず・・・・っていう感じ(汗)

この本、何て言うか KiKi には井村さんの研究課程での「覚書」をそのまま読まされている・・・・そんな感じがしちゃったんですよね~。  ある種の羅列で終始していると言うか・・・・・。  そこにあまり研究者としての考察とか整理されたものを感じなくて、「へぇ、そういうのもあるんだ・・・・で??」って思って、でもその「で?」に続くものはなくて、取り残される・・・・・そんな感じ。 

 

夢の書 O.R.メリング

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O.R.メリングのケルトファンタジー最終巻、「妖精王の月」 「夏の王」 「光をはこぶ娘」の3冊の物語(登場人物?)がここに集結し、最後の大事件と直面します。

夢の書 (上)(下)
著:O.R.メリング 訳:井辻朱美  講談社

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そなたの運命の時が来た。  そなたは<闇に橋をかける光>。  そなただけが門を修復できる。  

人間とアイルランドの妖精のあいだに生まれた少女ダーナは、父の再婚を機にカナダに移り住んだが、新生活になじめず、妖精国に逃避してばかりいた。  しかし、妖精国へ通じる門が破壊される事件が起き、唯一残った門を見つけて開く使命が、彼女に託される。  そこでダーナは、門の所在が記された「夢の書」をさがして、カナダをめぐる冒険の旅に出る。  いっぽう<妖精国の友>グウェンとローレルも、謎の敵からダーナを守り、妖精国を守るため、行動を開始する。  (単行本上巻扉より転載)

土地は、よそ者には秘密を明かさぬ。  おまえはヴィジョン・クエストに出て、土地を知り、土地に出会うのだ。  スピリットがおまえを導いてくれる。  

ダーナはオオカミに変身する青年ジャンに導かれ、クリー族の老人と出会った。  そして「夢の書」を見つけるにはカナダの土地を知ることが必要だと教えられる。  そこで、カナダの文化、歴史、伝説を知るためのふしぎな旅をすることにしたダーナは、旅の終わりに、ついに「夢の書」を見つける。  しかし、妖精国へ通じる門を開けようとするダーナの行く手には、さらに大きな試練が待ち受けていた...。  (単行本下巻扉より転載)

う~ん、かなりビミョーかもしれない・・・・・。  世界観とか扱っているテーマなんかはまさに KiKi の好みのど真ん中ストレート。  決して嫌いなタイプの物語ではありません。  でも、なんとなく期待していたものと違うんですよね~。  それは「シリーズ最終巻」という先入観があるために、KiKi が勝手に膨らませていた期待とは違うというだけのことで、「こういう物語」と割り切ってしまいさえすれば、もっと楽しめたような気がするんですよ。  でもね、やっぱり思ってしまうのです。  「妖精王の月の7者のうちグウェン以外の人たちの存在感の薄さは何??」とか、「前作、『光をはこぶ娘』で妖精国の上王たる者が 『時の始まりより、つねに変わらず、人間こそが妖精国を救い続けてきた。  人間こそが「敵」の影と戦うものだ。』 と言っていた癖に、結局最終決戦をするのが人間と妖精のハーフのダーラとは何事??」とか、「挙句、最後の最後で 『人間として生きるか、妖精として生きるかを選べ』とはご都合主義も甚だしい!!」とか感じちゃったんですよね~。  で、読後感としては「せっかく前の3つの物語をベースとするならば、もっとそれらの物語を深堀りした・・・・というか、そこから広がる物語を読みたかったなぁ・・・・・」と。

これまでのシリーズとは異なり、本作では舞台をアイルランドからカナダに移します。  アイルランドのお家芸的な「妖精界」が人間の移住と共にカナダにもやってきて帰化するというアイディアは楽しいと感じたけれど、そこに世界各地の土着の多神教の神様やら神秘な存在を絡ませ、しつこいぐらいに「我らはみなひとつの家族なのだ」と言うのであれば、何もアイルランドから妖精を引っ張り出さなくても、義母アラダーナの守護神ダネーシャ(インドの神)や、ネイティブ・カナディアンの守護神とか、ドラゴンレディと1つ目的のために結集というお話でもよかったんじゃないか?と感じたり・・・・。  だいたいにおいて「妖精国の友」たる「7者」がカナダ在住じゃないからどうしたこうしたと言う割には、神秘な存在の方はグローバルに協力というのも、訳わからん・・・・とも言えたりするし・・・・・ ^^;

 

光をはこぶ娘 O.R.メリング

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O.R.メリングのケルトファンタジー第5作目、「光をはこぶ娘」を読了しました。

光をはこぶ娘
著:O.R.メリング 訳:井辻朱美  講談社

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「夏の国」の危機を救うために、上王(ハイ・キング)のことづてをルーフ王に届けてほしい。  そのお礼に、あなたの願いをかなえよう。

少女ダーナは、ある日、森で妖精の貴婦人オナーに出会い、妖精国の上王からルーフ王へのことづてを託される。  やりとげれば、自分が幼いころに家出した母親に会える - ダーナはそう信じ、使命を果たすために、妖精たちのすむ世界へと旅立つが、とちゅうには、さまざまな困難が待っていた。  そして、やっとルーフ王のもとにたどりついたとき、ダーナに知らされた真実、それは思いがけないものだった・・・・・。  (単行本扉より転載)

前作、「夏の王」が KiKi にとってはちょっとだけ粗い作りの作品に感じられたので、正直この作品を読み始めるまではおっかなびっくりでした。  でも、物語冒頭にある次の言葉に魅せられ、一挙にこの物語の世界観に親近感・・・・のようなものを抱きました。  曰く

「大地は祖先から受け継いだものではなく、子孫から借り受けたものである」

「野生の自然の中でこそ、世界は生きのびられる」

「木のあるところ、生命あり」

メリング作品には珍しく環境問題という社会問題にも触れた作品でちょっとびっくりだったけれど、作中の環境運動家が掲げるこれら(↑)のスローガンは KiKi にとって深く納得できるものであるのと同時に、KiKi が都市生活に疑問を感じ始めた頃に考えていたこととも何気にシンクロしているように感じたのです。  特に KiKi のお気に入りなのは最初のスローガン。  子供のいない KiKi にとって、何か物事を考えるときに「子孫」という観点はどうしても抜けがちなんだけど、自分の存在を考えるうえで自分の先達と自分の後に続く者という長~い時間軸の中で、「たまたま今、この瞬間に、ここにいる自分」という捉え方をするのは本当に、真剣に、必要なことだと感じるんですよね~。

 

夏の王 O.R.メリング

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先月はボストン夫人月間で、ボストン夫人の「オールドノウ物語」 & パッチワークに邁進していた KiKi。  2月に入り、これといったテーマもないため、昨年の積み残しを消化したいと思います。  まずは O.R. メリングの作品を制覇(?)し、そのあとはサトクリフ作品に進みたいと考えています。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

夏の王
著:O.R.メリング 訳:井辻朱美  講談社

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妖精たちの特別な夜―「夏至祭」の前夜、最初のかがり火の火をともす「夏の王」をさがしてほしい。  ほんとうは、あんたの妹がその使命を果たすはずだった。  妖精を信じる少女オナーは、祖父母の住むアイルランドで事故死した。  一年後、その死に責任を感じる双子の姉ローレルがふたたびアイルランドをおとずれると、妖精があらわれ、オナーは現実世界と妖精世界のはざまにいて、彼女の使命をローレルがかわりにやりとげたとき、妖精世界へ迎えられると告げる。  そこでローレルは、海賊女王やワシの王に助けられつつ、謎めいた少年イアンとともに「夏の王」をさがしはじめる。メリングのケルトファンタジー第4弾。  (単行本扉より転載)

ヨーロッパには、夏至の日妖精の力が強まって、祝祭が催されるという言い伝えがあると聞いたことがあります。  シェイクスピアの「真夏の夜の夢」は、まさに、夏至の日の夜に繰り広げられる人間と妖精の恋物語。  その「夏至」という言葉と「夏の王」という言葉が微妙にシンクロして、読み始めるまで KiKi の期待はこれ以上はないっていうほど膨らんでいました。  メリングのケルトファンタジー第4弾。  第1巻の「妖精王の月」の後日譚という位置づけの物語です。  

今号のヒロイン・ローレルの亡くなった双子の妹オナーの日記に出てくる「七者」は、「妖精王の月」で活躍したあの7人なんだろうなぁ。  彼らが登場するのを期待していたんだけど、結局彼らは出ず仕舞い。  まあ、かくも現代人は妖精世界とは別の次元で動いているわけです(笑)  でも、その代わり・・・・といっては何だけど、「妖精王の月」ではちょっと可愛そうな存在だったミディールや、妖精のお医者さん;ハートおばばなど「妖精王の月」の登場人物がちらちらと顔を覗かせるのが嬉しかった♪

今回の物語も基本的には現代のアイルランドが舞台で、2人の女の子が物語の核を成しているのは「妖精王の月」と同じなんだけど、あちらでは「妖精王」を現実の世界に連れて行こうとする物語だったのに対し、こちらでは亡くなった妹を妖精の世界へ甦らせようとする物語。  ローレルを動かしているのは亡き妹への愛であり、生前彼女の話を聞こうとしなかった自分への後悔の念。  ある意味で、ローレルの冒険は贖罪の旅となっています。  そうであるだけに、これまでの物語に比べると冒険そのものをワクワク・ドキドキ楽しむ物語というよりは、ローレルと一緒に自分の内面を見つめ直す物語になっていると感じました。 

新年企画で読み進めてきた「グリーン・ノウ物語」もとうとう最終巻です。

グリーン・ノウの石
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

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ぶあつい石の壁でできた新しいおやしき。  ロジャー少年は、この家が誇らしくてなりません。  いつまでも建っていてほしいと願う心が、やしきの未来の姿を見せてくれることに・・・・・。  (単行本扉より転載)

おやしきのすべての秘密がここに!
12世紀、まだ石づくりの家がめずらしかったころ、「グリーン・ノウ」ができました。  ロジャー少年はここを愛し、時を超えて、代々やしきにすんだ人たちと出会います。  (単行本帯より転載)

 

時代は西暦1120年、イギリスがまだ戦争に明けくれていた頃のこと。  サクソン人を征服して新しい支配者になったノルマン人の貴族が、マナーと呼ばれた領地に、お城をかねた館を建てます。  ものすごく大きな石を積み、大きな窓や暖炉や煙突をそなえた、堂々たる家です。  貴族の息子ロジャーは、この家を誇りにし、心から愛します。  そしてこれがいつまでも建っていてくれることを願うのです。  (訳者あとがきより転載)

訳者が語るこの館(↑)がグリーン・ノウのお屋敷で、その初代当主の次男ロジャーが今号の主人公です。  そしてこのロジャーが丘の上の魔法の石(お石さま)の力を借りて、未来の世界と行き来することによって、トービー、リネット、アレク゛サンダー、スーザンとジェイコブ、さらにはトーリーとオールド・ノウ夫人と出会い、友情を結びます。  今まで読んできたグリーン・ノウの物語5冊のカーテン・コールみたい・・・・(笑)  中国難民の子供「ピン」だけは出てこないんですよね。  それはやっぱり「血縁関係のなさ」なのかもしれませんね。  

読んでいて一番強く感じたのは「石の文化」ということでした。  悠久の時の流れの中で、風景が変わり、生活風習が変わり、人々の話す言葉から暮らし方までが変わってしまっても、この石の家だけは深い知恵を秘めて変わらない姿で建ち続けているのをロジャーと共に喜ぶ KiKi がいました。  そして以前からヨーロッパの世界遺産と呼ばれるものを目にするたびに「石の文化」 vs. 「木の文化」を感じていた KiKi にとって、頑強な素材である石を使った文化のある種の堅実さ、それを守ろうとする保守性、ある種の頑なさに、羨望に近い想いを抱きました。

この物語をず~っと読み続けてきた KiKi には懐かしい「聖クリストファーの像」がどういう事情で作られたのか、(トーリーの時代にはない)礼拝堂がどういう事情で建てられたのかを知ることができるのも楽しかった!!  奉公に出たきり消息の知れないロジャーの兄が帰ってくる場面も、消息が知れる場面も描かれていないけれど、ここに礼拝堂があったという事実が彼の帰還を物語り、何だかほっとします。

 

新年から始めた「新年おめでとう企画、グリーン・ノウ物語を再読してみる」もとうとう全6冊のうち5冊目です。  現代社会とは時間の流れ方が全然違うこの物語の世界観を、今、再読してみたらどんなことを感じるのか、正直多少の不安を抱えながらの読書だったのですが、Lothlórien_山小舎暮らしによってリハビリができていたせい(?)か、想像していた以上にスンナリと馴染み、読書もそこそこのペースで進んでいることが、ちょっぴり嬉しかったり驚きだったりする今日この頃です(笑)  ま、いずれにしろ、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

グリーン・ノウの魔女
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

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グリーン・ノウをうばいとろうとするおそろしい魔女メラニー。  ふたりの少年とひいおばあさんは、大切なやしきを守るため、勇気と知恵で立ちむかいます。  (単行本扉より転載)

KiKi はこのブログでも「魔女研究」というカテゴリーを置いているように、実は「魔女」っていう言葉にはかなり弱いんですよ。  何て言うか、ものすご~く「キャッチー」な言葉で、この言葉には反応せずにはいられなくて、ある種の憧れのようなものを抱いている・・・・・そんな存在(造形物)が魔女なんです。  でもね、KiKi のイメージする本物の魔女っていうのはこの物語のオールド・ノウ夫人みたいな人なんですよね~。  少なくとも白雪姫やらシンデレラに出てくる悪意剥き出しの魔女は魔女じゃない。  KiKi にとってはそういう悪意剥き出しのキャラクターっていうのは魔女の風上にも置けないヤツ(笑)で、「魔女」というよりは「人間」だと思っているようなところがあるんですよね。  そして、そういう KiKi のカテゴライゼーションにピッタリくるのが、この「グリーン・ノウの魔女」の魔女・メラニーなんです。

メラニーは、グリーン・ノウ屋敷に残っていると彼女が信じている古い魔法の本(なんでそうなるかっていうと、遠い昔、グリーン・ノウ屋敷には魔法使いが住んだことがある!から)を捜している哲学者として、オールドノウ夫人と子供達(トーリーとピン)の前に現れます。  この人、冒頭では普通のヒトなんですよ。  小柄でちょっと特徴のある歩き方をする、普通のヒト。  ただ、彼女がグリーン・ノウ屋敷に訪ねてきてからの一挙手一投足、発言の一つ一つがいちいち癇に障るタイプ。  この世の中に、ここまでいやらしい人間はちょっといないような(それでいて、このミニチュア版だったら案外いそうな)、神経を逆撫でする天賦の才に恵まれているような、要するにお友達にはしたくない感じのヒトなんです。  

で、当初は普通のヒトとして現れたメラニーなんだけど、オールド・ノウ夫人が、彼女の思い描くような反応を示してくれない(どちらかというとヤンワリと拒絶する)ことにより、本性をさらけ出して、さまざまな攻撃を次から次に仕掛けてくるんです。  この魔女、箒にも乗っていないし、呪文を唱えたりもしないんだけど(もっとも裏では唱えていたのかもしれない・・・・ ^^;)、言ってみれば人の気力を萎えさせるようなことをするんです。  オールド・ノウ夫人、トーリー、ピンが怯えたり怯んだりする描写によって、この女性の存在感が浮き彫りにされ、何だか少しずつ大きくなってくるように感じられ、その圧迫感から読み手に緊張感を与えるというあたり、さすがです。

 

さて、全6冊の「グリーン・ノウ物語」も折り返し地点を超え、第4冊目です。  そうそう!!  これこれ!!  これが子供時代にものすご~く強い印象を KiKi にもたらしたお話でした。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

グリーン・ノウのお客さま
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

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密林に生まれたゴリラのハンノーとふるさとを追われた少年ピン。  このひとりと一ぴきが、グリーン・ノウの森で、深いきずなをむすびます。  カーネギー賞にかがやく胸にしみる名作。  (単行本扉より転載)

このシリーズを久々に手に取って、ページを追うごとに初読の気持ちをしっかり思いだせたのは、この巻が一番・・・なのかもしれません。  前巻「グリーン・ノウの川」で活躍した3人組の1人、オスカーがどこかの家に引き取られ、難民孤児収容所に1人残された格好になってしまった中国系孤児のピンと、 人間に何も害をくわえることもなく平和に暮らしていたジャングルから、ただ動物園に入れられるという目的だけのために、家族を殺され、故郷を奪われたゴリラのハンノーがロンドンの動物園で出会います。  ピンは、そのハンノーの中に自分をみてしまうのと同時に、自分とは異なり毅然として自分を貫き通そうとしている強い意思の力を感じ、畏敬の念を抱きます。  子供のころ、このシーンを読んだとき KiKi は思ったものでした。  「ああ、この子はトーリーと親友になれる子供だなぁ・・・・」と。  そして前作では旅に出ていたオールド・ノウ夫人が戻ったグリーン・ノウ屋敷の描写を読んだ時には、「ああ、やっぱりグリーン・ノウのお屋敷にはオールド・ノウ夫人がいなくちゃ!!」と。

中国系難民の子供であるピンには家族がいません。  強い絆を感じていたオスカーが去ったあと、この「所属する場所を持たない少年」が抱えていた寂しさは、ジャングルから理不尽な力で拉致されてきたハンノーの抱える寂しさと通じ合うものがあり、そうであるだけに人間とゴリラが摩訶不思議な友情のような親子のような関係を結ぶという一見荒唐無稽に感じられなくもないプロットに説得力が与えられています。  でもその説得力はともすると、胸がふさがれるほどの寂しさを伴います。  

L.M. ボストン夫人の「グリーン・ノウ物語」3作目を読了しました。  うんうん、少しずつ読書の調子(波?)が戻ってきたぞ!!  お正月早々の停滞気分はやっぱりお屠蘇のせいだったのかなぁ?(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

グリーン・ノウの川
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

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夏のあいだ、グリーン・ノウのやしきを借りたのは、ビギン博士とミス・シビラというふたりの女の人でした。  ふたりは、やしきに三人の子どもたちをしょうたいします。  心おどる川の冒険が、三人をまっていました!  (単行本扉より転載)

そうそう!  すっかり忘れていたけれどこの第3作ではトーリーも、オールド・ノウ夫人も、そしてなぜか庭師のボギスも出てこなかったんですよね~。  設定としてはオールド・ノウ夫人が長~い旅行に出ていてその間、ビギン博士(これまたおばあちゃん)とミス・シビラという2人の女性がこの屋敷を借りて、2人だけで過ごすには広すぎるこのお屋敷に、難民少年のオスカーとピン、そしてビギン博士の姪のアイダの三人の子どもたちを招待する・・・・というものなんだけど、子供時代の初読の時以来の KiKi の疑問。  それはオールド・ノウ夫人とトーリーが出てこないのは良いとして、どうしてボギスまで出てこないんだろう??というもの。  普通、庭師っていうのは生物を相手にしているだけに、屋敷の主人がいないからって「一緒にお休み~♪  鬼のいぬ間に何とやら~」とはいかないだろうと思うんですけどねぇ・・・・(苦笑)  ま、それはさておき、第1巻が晩秋からクリスマス、第2巻が春、そしてこの第3巻は夏のグリーン・ノウの物語です。

で、色々疑問は尽きないものの、夏のグリーン・ノウがこれまた素敵なのですよ!!  イギリス人が川遊びに特別な想いを抱いているっていうのはこちらのエントリーでご紹介した「たのしい川べ」でもそんな指向が描かれていて有名な話だけど、この物語で出てくる3人の子供たちほど、イギリス人の川の楽しみ方を素敵に教えてくれる人たちはそうそう多くはないような気がします。  3人が真夜中にお屋敷をこっそり抜け出して、月明かりの川を漕ぎ下って行って、さまざまな幻想的な世界にめぐり合う様子の描写なんて本当に素敵で、ため息が出ちゃうぐらい!!

  

2011年度の新年おめでとう企画の「グリーン・ノウ物語再読」計画。  思っていたよりちょっぴりスローペースになってしまっていますが、順調に進んでいます。  昨日第2作を読了しました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

グリーン・ノウの煙突
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

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待ちに待ったお休み。  トーリーは、ひいおばあさんのいるグリーン・ノウのおやしきにもどってきました!  ひいおばあさんがつくるパッチワークの布から、むかし、ここに住んでいた人たちのすがたが、あざやかによみがえります。  (単行本扉より転載)

前号で描かれたのはグリーン・ノウの晩秋からクリスマスまで。  今号で描かれているのは春の景色です。  以前、岩波少年文庫に収録されていたボストン夫人の「リビイが見た木の妖精」「海のたまご」を読んだときにも感じたことだけど、彼女の作品は自然に対する目線がとっても素晴らしい!!  この物語でも「グリーン・ノウ」を取り巻く自然を今そこに生きている人間が自分の根っこにあるものとして、本能的に、あたかも自分の一部としてでもあるかのように受け入れていくという様がみずみずしくもまぶしい描写で描かれています。  

物語全体のプロットとしては 

イースター休暇で、グリーン・ノウに帰省したトーリーは、前号で出会った幻の子どもたち(つまり300年前の幽霊?)、トービー、アレクサンダー、リネットに会うことを期待していましたが、彼らに会うことは叶わず、彼らが描かれていたあの絵がロンドンの展示会に出品されていて、もしかしたら、売られてしまうかもしれないことをオールドノウ夫人に告げられます。  グリーン・ノウの厳しい財政事情を初めて知らされたトーリーは150年前に失われたことになっている『グリーンノウの宝石』を捜し出し、再びトービーたちを取り戻すことを決意します。  色々事件はあったけれど無事『グリーン・ノウの宝石』を見つけ出し、めでたし、めでたし。

という、ちょっと荒唐無稽 & 古めかしいハッピーエンドの物語 ^^;  でもね、この物語はその全体のプロットを楽しむ物語ではありません。  宝石さがしの過程でトーリーが経験する一つ一つの出来事や、失われた宝石にまつわる150年前の人々の暮らしぶりの物語をスルメイカを味わうように、じっくりしみじみと味わう物語なのです。  

今日はお正月の3日。  日本人という民族は不思議なもので、12月はいきなり「似非キリスト教徒」になって、クリスマスツリーを飾り、蝋燭でテーブルを灯していたかと思うと、それからわずか1週間とたたないうちに、今度は門松を飾り、お餅を食べ、神社にお参りに行きます(笑)。  もちろんそういうイベントを楽しむ遊び心まで否定するつもりはないんだけど、時折思うのですよ。  なんとまあ、ゲンキンな!と。   まあ、かく言う KiKi も日頃は宗教心の欠片も持ち合わせていないような生活をしていながらも、初詣ではしっかりとお願い事をしているのですから、ゲンキンな人間の1人であることに変わりはないのですけどね(苦笑)。  でもね、神社の厳かな雰囲気の中に身を置くと、何となく今の自分につながってきた先達たちの生き様に思いを馳せ、お屠蘇やお節をいただくと「日本人で良かった♪」な~んていうことをしみじみと感じたりもするわけで、そしてその先には「今年こそは!」という三日坊主になりがちなある種の未来展望なんかもあったりするわけで、自分の居場所、立ち位置の再確認という作業(?)を恥ずかしげもなくおおっぴらにできるイベントとして考えてみるとお正月というのもなかなか良いものだなぁと思ったりします。

そんな風に自分のある種のアイデンティティの確認作業をしている真っ只中、本日読了したこちらの本でもちょっと寂しい主人公が「自分の居場所」を見つけていました。  ま、てなわけで本日の、いえ、今年の KiKi の読了本第1冊目はこちらです。

グリーン・ノウの子どもたち
著:L.M.ボストン 絵:P.ボストン 訳:亀井俊介  評論社

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ひいおばあさんの家で、冬休みをすごすことになったトーリー。  そこは、イギリスでもいちばん古いおやしきのひとつ、グリーン・ノウでした。  グリーン・ノウでは、つぎつぎとふしぎなできごとがおこって...。   (単行本扉より転載)

何だか懐かしいなぁ、こういう物語。  CG映画にもってこいの派手な冒険こそないけれど、真の暗闇と古い家の持つ厳かさが醸し出す独特の威圧感と安心感がないまぜになったドキドキ感にあふれたとっても身近な(身近だった?)冒険の物語。  子供時代にこの本を読んだとき、KiKi は親戚のおばさんの家の持つ雰囲気を思い出しながら、この本に描かれた1つ1つを楽しんだものでした。  そのおばさんの家は戦前に建てられたもので、当時新築の現代風住宅に住んでいた KiKi にはあまりにも大きく、あまりにも広く、あまりにも静かで、一種の異空間という雰囲気満点の家でした。  どことなく暗くて、部屋に置かれた調度品の1つ1つに何か得体の知れないものが潜んでいるような気がして、皆が集まる居間以外の部屋に足を踏み入れること自体が冒険でした。  その家の調度品は中国っぽいものが多く(KiKi の父方の祖父は中国で税関吏(?)の仕事をしていた人だった)、決してグリーン・ノウの家にあるものと同種ではないんだけど、何となく子供の感性には「同じ匂いのするもの」と感じられたんですよね~。

最近のマンションとか、現代風建築の家ってたとえそれがどんなに高級な素材で作られたものであったとしても、古い家が醸し出すあの独特の雰囲気っていうのは、絶対に味わえないもので、それに触れたことがある人しかわからないと思うんですよ。  何て言ったらいいんだろう。  その家が見てきたいいこと、悪いこと、すべてがごったまぜになって、現在と過去が入り乱れて手を結び、静寂の中に記憶の欠片、一家の歴史と魂のようなものが息づいているような感じ・・・・。  お墓とかお寺とか神社が持つ雰囲気に共通した、馴染みのないよそよそしさではないものの、ちょっと自分の生活環境とは距離感のある感じ・・・・。  距離感を感じつつも連帯感も感じるような不思議な感覚。  

   

今日はとうとう2010年の大晦日です。  KiKi はLothlórien_山小舎から里へ下り、ついでに太平洋沿いをぐ~んと南下(西下?)して、静岡県の実家まで来ています。  お正月はここで過ごし、2日の夕方か3日の午前中にはまたLothlórien_山小舎まで戻る予定です。  何せ、あの山のような薪の束が気になって気になって仕方ないのです(笑)。  そんな中、2010年最後の1冊を読了しました。  これでサトクリフのローマ・ブリテン4部作は何とか年内にやっつけることができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

辺境のオオカミ
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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北ブリテンの辺境守備隊に左遷されたローマ軍の若き指揮官アレクシオス。  衰退の一途をたどる帝国の辺境で、挫折と挑戦、出会いと別れを経て、やがて<辺境のオオカミ>として生きる決意を固める。  ローマン・ブリテン四部作の最終編。  (文庫本裏表紙より転載)

ローマン・ブリテン4部作の最終編・・・・と言いつつも、若干これまでの3部作とは毛色が異なる物語だと思います。  どちらかといえばこれまでの3部作が主人公単独(銀の枝は2人セットだけど)の冒険という描かれ方の物語だったのに対し、この最終作は最後まで「個人」ではなく「組織の隊長」として任務を遂行する男の姿を描いた物語となっています。  他の作品との違いは他にもあって、女性がほとんど出てこないということ。  更には今作では主人公アレクシオスとアクイラ家の親族との関係性も極めて希薄・・・・・(?)で、「イルカの紋章のあるエメラルドの指輪」を受け継いでいるということぐらいしか、「家」との接点がないんですよね~。  ま、もっとも辺境の地へ左遷されちゃった男の物語なので、家だの女だのと甘っちょろいことを言っちゃいられなかったという事情はあるわけなんですけどね・・・・・^^;

KiKi の独断的 且つ 個人の趣味丸出しの4部作ランキングをつけてみるとすると、こ~んな感じでしょうか?

1. ともしびをかかげて
2. 第九軍団のワシ
3. 辺境のオオカミ
4. 銀の枝

 

サトクリフのローマ・ブリテン四部作の三作目です。  ふぅ、何とか年内にこの4部作 & 岩波少年文庫のサトクリフ・ラインナップを読了できそうです ^^;  それにしてもこれは傑作だなぁ!!  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ともしびをかかげて(上)(下)
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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衰退したローマ帝国は、450年にわたるブリテン島支配に終止符をうつ。  地方軍団の指揮官アクイラは、悩んだ末に軍を脱走し、故郷のブリテン島にとどまることを決意したが...。  意志を貫いて生きることの厳しさ、美しさを描く。  (文庫本裏表紙より転載)

山中にたてこもるブリテンの王子アンブロシウスのもとに集い、来るべき闘いにそなえるアクイラたち。  勢いを増す「海のオオカミ」ことサクソン軍との死闘の末、アクイラはなにを手に入れたのか。  ローマン・ブリテン四部作の三作め。  (文庫本裏表紙より転載)

前作「銀の枝」ではちょっと消化不良気味の感想しか抱けなかった KiKi。  そういう意味ではこの第3作を読み始めるまでは正直ビクビクものでした。  でも、「カーネギー賞受賞作品」だし、上巻の表紙の写真は KiKi 好み(?)だし、おっかなびっくりの期待を込めて読み始めたのですが、前作で感じた「中ダルミ感」は冒頭2章であっという間に吹っ飛び、この物語の世界観に吸い込まれていきました。  で、上下2巻を一気読み!(笑)  それぐらい面白かったし、魅せられたし、多くのことを考えさせられました。  「第九軍団のワシ」も KiKi の中ではかなり評価が高い作品だったんですけど、こちらの方がさらにそれを上回っている・・・・かもしれません。

前作でもケチョンケチョンの扱いだったサクソン人は今作でも引き続きケチョンケチョン・・・・ではあるものの、そこに主人公アクイラ(「第九軍団のワシ」のアクイラの子孫)の愛してやまない妹フラビアの存在と、彼女が略奪され不本意ながらも嫁ぐことになったサクソン人との間の息子、マルの存在があることにより、善 vs. 悪の対立軸からはちょっと離れ、もっと深い1人の人間の精神性・生き様というものが浮き彫りにされた、人間性回復の物語になっていることに感銘を受けました。  そいういう意味ではこれは「児童書カテゴリー」に入っている作品ではあるものの、大人が読むとさらに味わい深い作品になっていると思いました。  物語冒頭であまりにも呆気なくすべてを失ってしまうアクイラだけど、同時に彼がその冒頭で灯した「ともしび」が、物語全編で時に弱く、時に強く燃えているのが、感覚的にも視覚的にも感じられるのもすごいなぁ・・・・。  

 

銀の枝 R.サトクリフ

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岩波少年文庫のサトクリフ2作目、そして彼女のローマ・ブリテン4部作の2作目です。  正直なところ第1作の「第九軍団のワシ」ほどは KiKi に響いてくるものがなかったんだけど、それでもサトクリフらしさはたっぷり堪能できる作品でした。

銀の枝
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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百人隊長フラビウスといとこのジャスティンは、皇帝の側近アレクトスの裏切りを知り、追われる身となった。  二人は地下組織のメンバーとともに、故郷で見つけた「ワシ」を旗印に新皇帝に立ち向かう。  ローマン・ブリテン四部作の二作め。  (文庫本裏表紙より転載)

いわゆる「冒険度」(RPGのダンジョンの難易度)みたいなものがあるとしたら、「第九軍団のワシ」の方がこの「銀の枝」よりも上をいっているような気がします。  いかに不本意ながらも正規ローマ軍団を離れ脱走兵扱いされていると言えども、「狩られる」描写が細緻と言えども・・・・です。  その理由の1つは「第九軍団のワシ」のマーカスにはエスカという連れがいたと言えどもやはり「1人」だったのに対し、こちらではフラビウス & ジャスティンという2人連れだということが強く影響しているような気がします。  方や元百人隊長、方や元軍団付きの外科医という立場の違いこそあれども、この2人、「いとこ同士」という設定もあって、正直なところ個性に乏しいというか、どっちがどっちなのか混乱しやすいというか・・・・・。  それが2人の絆だと言ってしまえばそうかもしれないんだけど、KiKi には2人連れでなければならない物語設定上の理由のようなものが、はっきりしませんでした。

と、同時に「第九軍団のワシ」ではローマ人であるマーカスとブリトン人であるエスカがコンビを組んでいるからこそ発生していた様々な含蓄のあるドラマがこの物語ではほとんど発生しないんですよね~。  あのエスカに見合う登場人物と言えば「槍の男 エビカトス」と地下組織のメンバーになる「元剣闘士のパンダラス」だと思うんだけど、彼らもエスカほどには存在感がない・・・・。  KiKi はエビカトスにはかなり期待していたんだけど、ちょっと中途半端な感じが否めませんでした。  「ローマ人ではない人種」がもう少し丁寧に描かれるとこの物語にも更に深みが出てきただろうに・・・・と感じちゃうのは否めません。 

  

図書館本のサトクリフで助走期間をたっぷりと取った(?)ので、そろそろこのブログのご本尊、「岩波少年文庫」のサトクリフ作品に取り組みたいと思います。  年明けからは「グリーン・ノウ」に没頭するためにも、ローマブリテン四部作だけは何とか年内に読了したい KiKi です。  ま、てなわけで本日の読了本はその第1冊目のこちらです。

第九軍団のワシ
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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ローマ軍団の百人隊長マーカスは、ブリトン人との戦いで足を負傷し、軍人生命を絶たれる。  マーカスは親友エスカとともに、行方不明になった父の軍団とその象徴である<ワシ>を求めて、危険に満ちた北の辺境へ旅に出る。  (単行本裏表紙より転載)

この本は15年位前、一度途中まで(というよりは最初の方)を読みかけたのです。  でも、当時の KiKi は「落ちこぼれながらも会計人」として、かなりお仕事に邁進していた時期で、深夜残業・休日出勤は当たり前という生活をしており、そんな中で夜中に眠い目をこすりながら読書をするのは睡魔との闘いという側面もあったのです。  で、冒頭部分ではちょっと物語に乗り切れないものを感じ、結果、常に睡魔には負けてしまい読み通すことができない・・・・・ということを数回繰り返し、読了するのを諦めたという前科がありました。  今回は睡魔との闘いはないし、サトクリフ作品に嵌り始めているという自覚も手伝って、何とか冒頭のダラケを乗り切り、後はマーカス & エスカとあたかも共に冒険しているような気分のままラストまで突っ走ることができました。

北イングランドからスコットランドにかけての、どことなく荒涼とした、そして厳しい自然の中の描写が思わずため息をついちゃうほど美しく、そんな厳しい自然の中で生きる人たちの鍛え上げられた自尊心には心を打たれ、征服するもの vs. 征服に抗うものの関係性も克明に描かれた素晴らしい作品だと思いました。  うん、できればこの作品は中学生のころに読みたかったなぁ・・・・。  そう考えると KiKi が中学生だった頃の岩波少年文庫のラインナップにこの作品が含まれていたかどうかは定かじゃないんだけど、「岩波少年文庫 ≒ 小学生のための読み物」と勝手に決めつけていた自分が情けなくなります。

    

今日もサトクリフ作品です。  作品そのもののお話に入る前に・・・・この本の表紙って素敵だと思いませんか??  KiKi はこういう景色に何とも言えない懐かしさ、郷愁に似た思いを抱きがちなんですよね~。  樹齢何年とはわからないけれど、決して真新しい感じはしない森。  常に日が当たるわけではないから地表に生えるのは美しい苔とシダ。  1日のうちある一瞬だけこの世のものとは思えないような日差しが差し込み、凛とした空気が、大地が喜びの歌を奏でる瞬間。  こういう景色に感じるある種の安堵感故に、KiKi のLothlórien_山小舎暮らしが成立していることを改めて感じます。  ま、それはさておき、本日の KiKi の読了本はこちらです。

アネイリンの歌 ケルトの戦の物語
著:R.サトクリフ 訳:本間裕子  小峰書店

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戦にむかった三百人の兵のうち、生き残りはただひとり―。  吟唱詩人アネイリンによる、いまも伝わるケルトの叙事詩「ゴドディン」。  紀元六〇〇年のブリテンを舞台に、少年プロスパーの半生とともに、ゴドディンの世界を物語る。  (単行本扉より転載)

KiKi が高校時代の世界史で学んだ英国史では、ほんの数行で語り終えてしまっていたケルト民族(ブリトン人やピクト人)とゲルマン民族(アングル人やサクソン人)の戦い。  多くの戦の結果とその後に続く歴史以外には目を向けることさえなかった KiKi は不勉強のためこの物語のベースになっている「ゴドディン」という叙事詩の存在さえもこの本を読むまでは知りませんでした。  これで「大学時代は英文学を専攻していました。」な~んていうことは、恥ずかしくてとても言えないなぁ・・と反省することしきりです ^^;  この物語の主人公は「ゴドディン」を歌ったアネイリンでもアネイリンが歌った歌に登場する同胞隊300人の中の1人でもなく、その300人に付き従って戦場に赴いた従者のプロスパー。  この当事者でもあり傍観者でもある主人公が語るという体裁がまずは凄い!!  ある時はちょっと引きの目線で、そして又別の時は出来事真っ只中という目線で語るこの悲劇の全貌は力強いながらも、どことなく淡々としており、必要以上に感傷的にもならず、かといって他人行儀でもない不思議な魅力の文体と相まって胸に迫ります。

そしてもう1つ。  この物語の魅力を増しているのが、そのプロスパーと彼の付人奴隷、コンとの関係です。  この時代のちょっと落ちぶれたとはいえ村長(むらおさ)の息子に生まれながらも、付人奴隷と親友関係を築き、彼の口には出せない胸の奥に抑え込んだ「刀鍛冶」への道を勧めるエピソードには思わず胸が熱くなりました。  もっともこれはある意味で、プロスパーのような中途半端なポジション(付人奴隷を持ちながらも自身も300人の騎士の1人にはなりえない)に生きる者だからこそ持ち得た一種のバランス感覚の成せるわざだったのかもしれませんが・・・・・。

 

あんなに「どちらかというと苦手」と思っていたにも関わらず・・・・です。  人間っていうのはかくもゲンキンなものなのですねぇ。  今では KiKi はサトクリフ作品に嵌ってしまったみたい(笑)  まあ、これには吾妻郡図書館の影響もかなりあるんですけどね。  いえ、別にこの図書館がサトクリフ・コーナーを設けているとか、今月の推薦本みたいな形で斡旋しているというようなことではなく、1)状態のよい本を、2)KiKi の動線上に、3)見栄えよく陳列している・・・・・ただそれだけのことなんですけどねぇ(笑)  ま、いずれにしろ、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ケルトとローマの息子
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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ケルトの戦士として育った少年ベリックは、じつはひろわれたローマ人の子どもだった。  不作と疫病の年、その原因として部族を追放され、ひとり父母の地ローマへと向かった少年を待っていた運命とは...?  自分と自分の居場所を求めてさまよう若者の成長を描く、カーネギー賞作家サトクリフ渾身の長編歴史ファンタジー。  (単行本扉より転載)

ふぅ・・・・・。  あまりにも没頭して読まされてしまったが故に、最後の1行を読み終え本を閉じた瞬間、KiKi は大きなため息をついてしまいました。  そのため息にはちょっとした安堵と、何かを成し遂げたあとに感じる充足感と、長大な歌を歌い終えた際の大きな呼吸に似たような何かが含まれていたように感じます。  この日本語のタイトルがいいですねぇ。  原題は「Outcast」(「追放者」とか「見放された者」とか上橋さん風に「流れゆく者」とでも訳せばいいのでしょうか?)。  確かに居場所を失った若者の放浪物語ではあるんだけど、「ケルトとローマの息子」というタイトルが一番しっくりくるような気がします。

この本を読んでいて KiKi はずっと昔、ある友人と語り合ったことを思い出しました。  その友人との出会いは KiKi がまだとある外資系企業でお仕事をしていた時のこと。  彼は在日韓国人。  日本で生まれ、日本語を話し(逆に韓国語はほぼ「できない」と言った方が正しいかもしれない)、ある年齢からアメリカに渡って学業を終え、日本にある外資系企業に入社した人でした。  たまたま KiKi とはとある Project で一緒にお仕事をしていました。  そんな彼とある日居酒屋で話をしていました。  そこで彼は「日本人でも韓国人でもない自分」について、さらっと語ってくれました。  たまたまその年はオリンピックだったかワールドカップだったか、そんな類のスポーツの祭典の催されていた年で KiKi は彼に聞きました。

「ねぇ、じゃあ、例えば今やっているオリンピック( or ワールドカップ)みたいな世界大会がある時、あなたはどの国を応援するの?」

これに対する彼の答えは「日本も韓国も応援しない。  応援するのは好きな選手であって、○○国代表ではない。」というものでした。  更に重ねて KiKi は

「ねぇ、じゃあ、周りがどうかは別にして、あなた自身は自分のことを何人だと考えているの?」

これに対する彼の答えは「強いて言えば Global 人かなぁ・・・・・。  僕にとって国というのは意味がないのと同じだから・・・・・・。」  というものでした。

 

今日のエントリーは正直何を書けばいいのかよくわからない状態のまま、今、PCに向かっています。    と言うのも、タイトルに惹かれて図書館から借りてきた本だったにも関わらず、どうも KiKi とは相性が良くない本を読了しちゃったから・・・・・。  正直なところあまり書くこともないんだけど(^^;)、このブログは KiKi の読書記録を兼ねているので、一応エントリーは起こしている・・・・そんな感じです。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

イギリス・ファンタジーへの旅
著:岩野礼子  晶文社

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この世界と背中合わせにもうひとつの世界があり、二つの世界は秘密の扉でつながっている―。  少女の頃から読んできた物語の世界にあこがれてロンドンに住むことになった岩野さんは、街のとある場所にそんな扉を見つけて、二つの世界を自由に行き来できるようになったのです。  『指輪物語』から『ハリー・ポッターと賢者の石』まで、大人も子どももとりこにしてやまない、イギリスのファンタジー物語の魅力を解きあかす。  (単行本扉より転載)

う~ん、扱っている素材はトコトン KiKi 好みなのにどうしてこんなに読みにくいんだろうか・・・・。  正直なところ途中で読むのを辞めようかと思っちゃったぐらい、KiKi には読みにくい文章でした。  何て言ったらいいんだろう??  要するに何を伝えたい文章なのかよくわからない文章だと思うんですよね~。  書きたいことを整理しないまま、だらだらと言葉だけを羅列した・・・・そんな印象の本なんですよ。  おまけに「イギリス・ファンタジーへの旅」というタイトルの本にも関わらず、「赤毛のアン」やら「ゲド戦記」まで出てくるし・・・・・。  いえね、KiKi も「赤毛のアン」はともかくとして(実はちょっと苦手だったりする ^^;)、「ゲド戦記」は ♪ か★な★り ♪ 好きな物語なんですよ。  でもねぇ、一応タイトルが「イギリス・ファンタジーへの旅」となっている以上、最低限でもイギリスを舞台にしているかイギリス作家の物語を扱うべきなんじゃないかなぁ・・・・と。  そうでなければ、「これらの物語も自分にとってはイギリス・ファンタジーの流れを汲む作品です。  と言うのは・・・・」みたいな考察があってしかるべきじゃないかなぁ・・・・と。  

で、イギリス・ファンタジーへの旅と題されている割には、その物語の舞台を訪ねてみてのエッセイ・・・・というわけでもなさそうだし、作家の生きた世界を訪ねてみてのエッセイ・・・・というわけでもなさそうなんですよ、これが。  で、あちらこちらの章に「私がイギリスに来るようになったいきさつ」的なお話とか、「かの地で出会い、一旦は恋愛感情を抱いたけれど結果的にうまくいかなかったオノコとのあれこれ」みたいなお話が出てきて、「え~っと、ファンタジーの話はどこへいっちゃったんだ??」みたいな気分にさせられちゃうんですよ。  これって著者の読書遍歴と自叙伝のまぜこぜ本???  いやはや、何とも不思議な読書体験でした。

 

今日も吾妻郡図書館で借り出してきた本のご紹介です。  KiKi の読書の原点とも言える「イギリス児童文学(というよりファンタジー?)」の名作7つと、その作品 & 作家ゆかりの土地の案内本です。  こういう本(とんぼの本シリーズとか 笑)は眺めるだけでも楽しいので、本屋さんではついつい手にとってパラパラとめくってみて悦に入ったりもするんですけど、なかなか購入意欲までにはつながらない KiKi ^^;  たまたま図書館の棚で目を引いた・・・・のと同時に、この本の著者が先日読了した「クロニクル 千古の闇シリーズ」の訳者さんだということに気がついてしまったため、思わず借り出してきてしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

イギリス7つのファンタジーをめぐる旅
著:さくまゆみこ  メディアファクトリー

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7つのファンタジーをめぐる旅。  ビアトリクス・ポター、ルイス・キャロル、A.A.ミルン、J.M.バリ、チャールズ・ディケンズ、ケネス・グレアム、ルーシー・ボストン。  作家たちの生きた時間がよみがえる!  息づかいが聞こえる。  (Amazonより転載)

やっぱり楽しいなぁ、こういう本って!!  図版も写真もふんだんに使われていて、読む・・・というよりは眺めて楽しめるところが魅力です。  もしも KiKi が大学時代、イギリスに暫く滞在していた時期にこの本が既に出ていたなら、絶対にこの本を片手にすべての土地を歩き巡り、作者と同じように多くの事物に直接手を触れて大興奮したであろうこと、疑う余地もありません。  最もこういう本がないとそういう行動には移れなかったこと自体が KiKi が文学を学んでいく上での限界の証左だったのかもしれませんが・・・・ ^^;  まあ、正直なところ KiKi は長らく多くの物語に描かれた世界には大いなる興味を持っていても、その作品をものした作家や翻訳家にはあまり興味を抱かなかったんですよね~。  だからこの本を読んで一番の収穫だったのはこのエントリーこのエントリーでご紹介した作品の作家さんが、あの「グリーン・ノウ シリーズ」の作家さんと同一人物であることをようやく知ったこと・・・・だったかもしれません ^^;

この本で扱われている7つのファンタジーとは以下の作品です。

「ピーター・ラビットのおはなし」  ビアトリクス・ポター
「ふしぎの国のアリス」  ルイス・キャロル
「クマのプーさん」  A.A. ミルン
「ピーター・パン」  J.M. バリ
「クリスマス・キャロル」  チャールズ・ディケンズ
「たのしい川べ」  ケネス・グレアム
「グリーン・ノウの子どもたち」  ルーシー・ボストン

いずれ劣らぬ素敵な物語ばかりでしょう!!  欲を言うならこれに追加で E.ファージョン と C.S.ルイス と A.アトリー と A.ランサム と M.ノートン と J.R.R.トールキン が入っていたら、KiKiにとっては申し分のない本だったんですけどねぇ・・・・。

      

今日もサトクリフ作品です。  どうやら KiKi の「サトクリフ苦手意識」は一掃され、逆にお気に入りの作家になりつつある模様・・・・・ ^^;

闇の女王にささげる歌
著:R.サトクリフ 訳:乾 侑美子  評論社

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イギリス人なら誰もが知っている伝説の女王ブーディカ。  彼女は紀元60年、強大なローマ帝国の軛に抗してケルトの諸部族を結集し、民族の尊厳のために立ち上がった。  それは、帝国にとっては「叛乱」、ケルトにとっては「聖戦」だった。  「聖戦」ならではの、残虐で無慈悲な戦い...。  それらを包み込むようにして語る竪琴弾きの哀切な響きのなかに、古代の悲劇があざやかによみがえる。  (単行本扉より転載)

これも面白かったぁ!  いえ、面白いというのとはちょっと違うかな。  グイグイ引き込まれて読み進み、時に胸が震え、時にため息をつき・・・・と、時代を遡ってあたかも竪琴弾きの歌を広い宴会場の片隅で聴いているような錯覚を覚えました。  こちらの作品の語り部は竪琴弾き。  タイトルが与えるイメージ・インパクトと扱っている題材のショッキングさが相俟って、ゾクゾクしながら読み進むことができる物語だと思います。  学校の歴史の授業では支配者側となるローマ帝国の目線でさらっと触れられるイケニ族の叛乱。  華々しいローマの躍進の数多くの出来事の中の小さな一例にすぎない闘いだけど、そこには当たり前だけど多くの人たちの人生と生き様があって、それらは呆気なく歴史の波の中に飲み込まれていってしまう・・・・・。  そんなことを改めて感じさせてくれる読書体験となりました。

  

先日、「ケルトの白馬」を読んで以来、それまではどちらかというと苦手意識のあったサトクリフ作品に興味を持ち始めた KiKi。  ま、せっかくなので「吾妻郡図書館」で他のサトクリフ作品もいくつか読んでみることにしました。  岩波少年文庫のサトクリフ作品もちゃ~んと待機しているんだけど、それはもう少し先にとっておくことにします。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ヴァイキングの誓い
著:R.サトクリフ 訳:金原瑞人・久慈美貴  ほるぷ出版

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孤児となったイギリスの少年ジェスティンは、ヴァイキングにさらわれ、奴隷として売られた。  ある事件をきっかけに、自分の主人と兄弟の誓いをする。  そのことからジェスティンは、ヴァイキング同士のすさまじい復讐の戦いに巻きこまれてしまうことになった。  アイルランド、ユトランド半島、ロシア、黒海、そしてビザンティン帝国の都コンスタンティノープルへとつづく、思いもかけない冒険の旅がはじまったのだ...。  十世紀のヨーロッパを舞台に、自分と自分の居場所を求めて悩む若者の成長を描く、サトクリフの歴史ファンタジー。  (単行本扉より転載)

これは面白かった!!  この時代のことを正直なところあまりよく知っているとは言い難い KiKi にとっては目からウロコの作品でした。  こういう物語を読むとつくづく KiKi は思うのです。  ああ、KiKi が学んできた歴史って本当に「受験対策のための歴史だけ」だったんだなぁ・・・・ってね。  物語は主人公ジェスティンの回想という形で語られていて、ところどころ記憶が曖昧になったりぼやけたりしちゃっているがゆえに「え~!  そんな、期待だけさせてぇ!!  もっと深堀りして、語っちゃって~!!」ってなことを感じちゃう部分もなかったわけじゃないんだけど、この時代のヨーロッパ全体の状況が俯瞰できる作品だったと思います。  と同時に極東の島国に暮らし、メルカトル図法で描かれた地図が強烈に頭にインプットされている KiKi にはしっくりイメージできていたとは言い難い、アイルランド、ユトランド半島、ロシア、黒海、ビザンティン帝国の位置関係も、かなりくっきりとイメージし直すことができた作品となりました。

 

 

 

ちょっと親戚筋で不幸があったり、仕事でトラブルがあったりでバタバタしておりました。  ようやくちょっぴり落ち着いたところで、何とか読了したこちらのエントリーを書いておきたいと思います。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

エルフギフト(下) 裏切りの剣(つるぎ)
著:S.プライス 訳:金原瑞人  ポプラ社

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叫び石の戦いに勝利して王となったエルフギフト。  しかし、傷ついた弟ウルフウィアードを助けることを選んだために、オーディン神の庇護を失うことになる。  一方、異母兄アンウィンは他国の兵を借りて攻め寄せてくる。  エルフギフトを「血染めのワシの刑」にし、王位を奪おうというのだ。  ユルの祭りの夜、双子の神のように剣の舞を行うエルフギフトとウルフウィアードの頭上に、運命の剣は振り下ろされる  ―ゲルマン神話の重厚な世界が鮮やかに蘇る、愛と憎しみのファンタジー完結編。  (単行本扉より転載)

う~ん・・・・。  上下巻読み通してみて、やっぱりちょっとビミョーかも・・・・ ^^;  確かに北欧神話(というよりゲルマン神話)をベースにしていて、オーディンなんかもうま~く登場させているし、「生と死」を必要以上に美化も嫌悪もせず描ききった異色作だとは思うんですよ。  エルフギフトの最期と再生の描写なんかは迫力も満点だし、そういう意味では不満に思うことは何もないはずなんですよ。  ないはず・・・・にも関わらず、何かが足りない・・・・・。  そう感じちゃうんですよね~。  エルフギフトとウルフウィアードの「剣の舞」のシーンも必死に荘厳さ、神秘さ、美しさを表現しようとしているのはわかるんだけど、上橋さんの「闇の守り人」で読まされた「槍舞い」のシーンに圧倒されねじふせられちゃったような説得力には欠けている・・・・・。  エルフギフトの死体をオーディンが○○するシーンは「おお、ケルト!」とは思わせるんだけど、他のいくつかの本で読んだ「ドルイド」関連の記述とかケルト人の哲学に関する考察の記述ほどには、響いてこない・・・・・。  まあ、これがそういう本を読んだことがない状態で初めて目にしたものだったらもう少し異なる感動(? 感慨?)を得たのかもしれませんが・・・・・。  それか、この本は1度読んだだけでは足りなくて、2度3度と読み返してみたときに初めて伝わってくる何かがあるのか???

今から6000年前の太古の時代を扱っていた物語から、キリスト教がヨーロッパのあちらこちらでその他の信仰を押し退け始めた時代の物語へ一っ飛び!!(笑)  本日読了したこちらは、タイトルに惹かれていつかは読んでみたいと考えていた物語です。  本来なら上・下2巻読了した時点で感想を書くべきなのかなぁと思ったのですが、ま、とりあえず・・・・ということで。 

エルフギフト(上) 復讐のちかい
著:S.プライス 訳:金原瑞一  ポプラ社

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はるか昔、南イングランドのサクソン人の王国。  エルフギフトは、王と森のエルフの間に生まれ、癒しの力をもつ美しい若者。  王が死のまぎわにエルフギフトを後継ぎに指名したために、怒った異母兄らに命をねらわれることになる。  ともに暮らす人々を虐殺された彼を、美しい女戦士が母の国、異界へといざなった。  異界で戦士として鍛えられたエルフギフトの前に剣をかざして立ちはだかったのは、瓜ふたつの容貌を持つ異母弟ウルフウィアードだった。  人の世の未来を描きだすという<運命のつづれ織>は、彼らにどのような道を用意したのか...。  ゲルマン神話の世界観の下に、愛と憎しみ、現世と異界、神々と人との相克が織りなす、血と鉄と土の香りがするファンタジー。  (単行本扉より転載)

う~ん、上巻だけ読んで判断するのは危険だけど、ちょっとビミョーかも・・・・・。  KiKi の大好きな北欧神話やケルトの匂いが香りたっているわりには、あっさりしているというか、淡々としているというか・・・・・。  起こっている出来事自体はまさに「ザ・ゲルマン」っていう雰囲気で、生々しく陰惨なんだけど、それを表現する言葉があっさりしているというか、もたついているというか・・・・・・。  エルフギフトの人物造詣もどことなく中途半端な感じがするんですよね~。  半分は人間で、半分はエルフという出自を持つエルフギフトに神性があるようなないような・・・・・。  冷たいような暖かいような・・・・・。  残虐性を秘めているような、甘えん坊の愛情家のような・・・・・。  まあ、人間世界で生きていた時間が長いせいもあって、ある意味で「中途半端」であり続けることが身についてしまっているのかなぁ・・・・・。  それとも、下地となっている北欧神話のオーディン自体が「矛盾の塊」みたいな存在だから、エルフギフトもこんな中途半端な感じなのかなぁ・・・・・。

どうも KiKi は北欧神話をベースにした物語だと、常にワーグナーの「リング」と比較してしまう傾向があって、それもこの上巻の読書を辛くさせていた一因だったかもしれません。  ワルキューレといえばブリュンヒルデだろう!!みたいな感じでね(笑)  でもね、この物語のモチーフ自体は絶対に KiKi の嗜好にドンピシャリなはずなのです。  

 

最近の KiKi の読書傾向は思いっきり「ファンタジー・童話集」に偏ってきています。  ま、もともとこのブログでメインに取り扱う予定なのが「岩波少年文庫」だし、そもそもこのブログの前身「落ちこぼれ会計人の本棚」を開設した際にも「昔懐かしい物語の世界」に遊ぶことを目的としていたわけだから、これは当初の思惑通り・・・・ではあるんですけどね(笑)  で、ここいらでちょっとこれから読み進めていく本のガイドが欲しいなぁ・・・・と感じ始めていたんですよ。  で、ふと気がつけば、随分前に購入して本棚に積読状態になっていたこ~んな本があったんですよね~。

大人のファンタジー読本 未知なる扉をひらく180選
編:やまねこ翻訳クラブ  マッグガーデン

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プロの翻訳家たちが選ぶ、大人が読む異世界小説ブックガイド。  金原瑞人氏と若手翻訳家の鼎談「ファンタジーって、なんだよ?」。  「西の善き魔女」「精霊の守り人」「血族の物語」など、ハリポタ、ナルニアの次に読むファンタジーを満載。  注目の未訳書紹介、全作品詳細データ付き。  (Amazon より転載)

この本、いわゆる「読書案内本」なんですけど、結構楽しめました。  やっぱり翻訳なんていう膨大な時間を要する作業を生業とされていらっしゃる方のご紹介なので、ご紹介文そのものに作品に対する愛情・・・・というか、強い思い入れが感じられるんですよね~。  要するに「評論家」の書く「それ」とは一線を画している・・・・とでも言いましょうか。  それにね、この本のもう1つの良さは例えば冒頭の荻原規子さんの「西の善き魔女」のご紹介の下に、彼女のその他の作品「これは王国のかぎ」「空色勾玉」三部作、「樹上のゆりかご」なども紹介されているところ。  難点を言えば今となってはちょっと古い(要するに最新作の情報がない)ことと、どうやら現在は絶版状態らしい・・・・ということでしょうか??    

ま、せっかくなので、今後はこれも参考にして「ファンタジー系」の充実を図ってみようかなぁ・・・・と。  てなわけで、一応この本で紹介されているファンタジー作品の Index もぼちぼちと作成していく予定・・・・・です。  現在ある「ファンタジー・民話・童話の Index」のデザインを変えるか、別エントリーを立てるかはちょっと検討してみます。  

巨人の本 R.M=サンダーズ

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「クロニクル千古の闇シリーズ」に嵌ってしまっている間、ちょっとその存在を忘れかけていた「世界の民話館」からさらに1冊読了しました。  「魔法使い」「魔女」「竜」「悪魔」に続くのは「巨人」です。  ここまでくると凡そ「民話」に登場するメインの敵役はほぼ網羅されたんじゃないかしら?(笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

巨人の本
著:R.M=サンダーズ 訳:西本鶏介  ブッキング

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世界的な民話採集者ルース・マニング=サンダーズがよりすぐったさまざまな巨人のお話。  強く手ごわい巨人もまぬけな巨人も登場する各国の民話を収録。  (単行本裏扉より転載)

KiKi にとって「巨人」っていう存在は、多くの神話に出てくる原初の時代に生きていて神様とスッタモンダのある存在という意識の方が実は強かったりするんだけど、この本に集められている「巨人」たちは、もっと後世(?)に現れた、人間とスッタモンダのある存在ばかりです。  そしてその多くが日本語に言うところの「独活の大木」さながら、どことな~くオツムが弱くて(力だけが強い・・・・とも言える ^^;)、人間たちに退治されちゃう物語ばかり・・・・・。  ここまで徹底的に退治(≒排除)されちゃうということを考えると、西洋人にとって巨人っていうのは「屈服させなければならない相手≒大自然」ということなのかなぁ????  集められている民話に出てくる巨人の中に1人ぐらい「気は優しくて力持ち!」がいてもいいような気がするんだけど、「気が弱い巨人」はいるものの「気が優しい巨人」はいないんですよね~。  それもちょっと残念なような気がします。

とは言うものの、どれもこれも楽しい物語ばかりで、思わずクスクス笑いながら読み進めることができました。  

とうとう「クロニクル千古の闇シリーズ」も最終巻を迎えてしまいました。  正直なところ主人公のトラクがよかったのは最初の2~3巻までで、その後はトラクをとりまくウルフやレン、そしてワタリカラス族の族長フィン=ケディンにより魅力をを感じていた KiKi だけど、この物語の世界観にひたっている間の幸福感は何者にも変えがたいと感じられるものでした。  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

クロニクル千古の闇 6 決戦のとき
著:M.ペイヴァー 訳:さくまゆみこ 画:酒井駒子  評論社

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「もう待てないんです!  あの女に立ち向かうのは、ぼくの定めなんです」  ―最強の<魂食らい>イオストラと対決するため、トラクは決死の覚悟で幽霊山へと入っていく。  あとを追うレンとウルフ。  イオストラの恐ろしい企みとは?!  全世界注目のシリーズ、圧倒的な感動をよんで、ついに堂々の完結。  (単行本扉より転載)

満足のいく最終巻でした。  トラク自身の成長もそこそこ感じられる物語だったと思いますが、それより何より、ウルフ・黒毛・小石、そしてレンとの「トラクの群れ」に幸あれ!と心の底から思える物語だったと思います。  今回のハラハラ・ドキドキはトラクの盟友・ウルフとその家族に関する部分が圧巻でした。  トラク自身の旅はどちらかというと「予定調和的」 & 「毎度おなじみ的」でさらっと読み飛ばしてしまった感がなきにしもあらず・・・・・ ^^;  KiKi の場合、その物語の世界観にどれだけのめりこむことができたかの1つのバロメーターは「原書で読みたいと思うか否か」だったりもするんだけど、この物語はいつかどこかの時点で、原書にもチャレンジしてみたいと強く思いました。  だったウルフの「オオカミ語」が原書ではどんな風に書かれているのか、ものすご~く気になるんだもの(笑)

最強の<魂食らい>イオストラがどれだけものすごい存在なのかに関してはちょっと描写が足りないような気がします。  「最強、最強」と強調されているし、「人間らしさの喪失」みたいな描写でそれを語ろうとしているんだろうけれど、正直なところシアジやセシュルに比べると造詣が薄っぺらいような気がしないでもありません。  イオストラの凄さをもっとも端的に表しているのはトラクの父親の霊を呼び出しているというその一事だけ・・・・。  そんな気がしないでもなかったかなぁ・・・・。

 

「クロニクル千古の闇シリーズ」もとうとう5作目です。  どうやら、第4巻以降は第3巻で出会った「魂食らい」たち1人1人とトラクとの闘いという進め方のようですね。  前作第4巻ではレンの母親でもあり、トラクに「魂食らい」の刺青を残したセシュルとの闘い。  そして本作では第3巻で「残虐性・支配欲」というものを目一杯強調されて登場した大男、シアジとの闘いです。  そして最終作では「得たいが知れない No.1」のイオストラとの闘いが待っている模様・・・・。  ま、いずれにしろ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

クロニクル千古の闇 5 復讐の誓い
著:M.ペイヴァー 訳:さくまゆみこ 画:酒井駒子  評論社

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まさか!こんなことが!  ...大切な友人が、若い命をうばわれた。  「魂食らい」のしわざと知り、復讐を誓うトラク。  犯人を追って、自分が生まれた「深い森」へと入っていく。  そこで見つけたものは?  母がたくした思いとは?  ―さまざまな秘密が明かされる人気シリーズ第5巻。  (単行本扉より転載)

本作も挿絵を含め、グイグイと引き込まれる内容でした。  ちょっと冒頭に起こる事件がショッキングすぎたこと、シアジとの闘いがあまりにも呆気なく片がついてしまったこと、トラクが大人なんだか子どもなんだか戸惑うことを除けば・・・・ですけどね(笑)  太古の時代にスンナリと読者をいざなう筆致は相変わらず冴えていて、そこには何ひとつ不満はないし、冒頭の事件がショッキングに思えたのは KiKi 自身が結構ベイルびいきだったので、ちょっと置いておくとして、シアジとの闘いの顛末はちょっと肩透かし・・・・・。  さんざんここまで引っ張ってきた割には「へ?」と言っているうちに終わっちゃったっていう感じで、何だか煙に巻かれたみたいな気分です。  大体、火をも支配していたはずだったシアジがどうして髪の毛に引火した火でやられちゃうんだ????  そして最大の欠点に思えちゃうのが、トラクが未だに子どもなんだか既に大人なんだかわからないところ・・・・・・。

まあ、「これが青春ゆえの不安定さ」と考えられなくもないんだけど、トラクが言ったりやったりすることがどうも支離滅裂に思えちゃうんですよね~。  妙なところは「大人」のくせに、案外なところで「子ども」なんで・・・・・。  KiKi は個人的にはこれだけ「生きることが厳しい時代」に、これだけの宿命を背負って生まれた子どもは早熟であって然るべき・・・・・だと思っているので、大人っぽいトラクは結構受け容れやすいんだけど、妙なガキっぽさを示されちゃうと、第1巻ならいざ知らず、第5巻にもなって・・・・・とちょっと批判的な目で見ちゃう傾向があります。

 

「クロニクル千古の闇シリーズ」も4作目まで読み進めました。  第3巻の「魂食らい」でいきなり主人公トラクの宿敵「魂食らいたち」全員と対決させられちゃったトラクですが、ここから先は1人ずつ、片付けていくお話になるのでしょうか??  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

クロニクル千古の闇 4 追放されしもの
著:M.ペイヴァー 訳:さくまゆみこ 画:酒井駒子  評論社

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「氏族の掟に従い、おまえをハズシにして追放しなくてはならん」  ...胸に刻まれた邪悪なしるしを見られてしまったトラク。  氏族からはずされ、追われる身となる。  トラクに寄り添ってくれるのは、オオカミのウルフだけ。  すべては<魂食らい>が仕かけた罠なのか?  次々と明かされる驚くべき秘密とは?  ―想像を越える面白さのシリーズ第4弾。  (単行本扉より転載)

前巻でトラクの胸に刻まれた「魂食らい」の刺青が呼び起こすトラクの悲劇。  ああ、あんまりだ!と思う気持ちがある反面、とにかく氏族を無事に生き永らえさせるためには、トラクを「ハズシ(村八分みたいなものだけど、森で氏族に属するものに出会うことがあったら抹殺される!)」にしなければならなかった人たちのことも、理解できないわけじゃない・・・・・。  それにしても未だにトラクは青年ではなく少年なのに・・・・と思うと胸が痛みます。  本当は「生きる」って「生き抜く」ってそれだけで大変なことなんだと改めて感じさせられた1篇でした。  

この第4巻でもう1つ考えさせられたのは「群れ」というものがどういうものか?ということです。  簡単に言ってしまえば人間の「群れ」がこの物語の中の「氏族」と同義だと思うんだけど、トラクが母親から「氏族なし」とされたのは何故か?  「オオカミの群れ」と「兄貴とのちっちゃな群れ」の間で揺らぐウルフの気持ち、そして「ハズシ」という掟を作らなければならなかったこの時代の「氏族」たちの群れ意識。  そこには「隣は何をする人ぞ」世代の現代人には計り知れない「生き抜くための知恵」があったことを思うと、「個人の時代」であることが果たして幸せなことなのか否かを考えさせられます。

   

以前、こんなエントリーを書いたことからもおわかりとは思いますが、KiKi は上橋ワールドには半端ではなく心酔しちゃっています ^^;  ですから、一旦は幕を閉じたと思っていた「獣の奏者」の外伝が出ると知ったときには、心底、心が震えました。  本来なら発売と同時に即購入!してもおかしくなかった KiKi ですが、最近はちょっと図書費が嵩み気味で、ぐっと我慢!!  でもねぇ、都心の図書館だと予約待ちが半端じゃなくて読むことができるのはもっとずっと後になっちゃうんだろうなぁ・・・・。  まあ、その間期待感を熟成させておけばいいかぁ・・・・と半分開き直っていたところ、これが吾妻郡図書館だとあっという間に借りられる順番が訪れちゃって、びっくりするやら嬉しいやら!!  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本は図書館本でこちらです。

獣の奏者 外伝 刹那
著:上橋菜穂子  講談社

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王国の行く末を左右しかねない、政治的な運命を背負っていたエリンは、苛酷な日々を、ひとりの女性として、また、ひとりの母親として、いかに生きていたのか。  時の過ぎ行く速さ、人生の儚さを知る大人たちの恋情、そして、一日一日を惜しむように暮らしていた彼女らの日々の体温が伝わってくる物語集。  (単行本扉より転載)

エリンの同棲時代、エサルの若き日の恋・・・・・、本編では明かされなかった空白の十一年間が今ここに!  (単行本表紙より転載)

う~ん、これは女性だから書くことができた物語だと思います。  しかもそれはイマドキの女性ではなくて、KiKi も過ごしてきたあの何とも微妙で窮屈な「社会的男尊女卑」が残っていた時代に、キャリアを重ねてきた上橋さん世代の女性でなければ書けなかった物語ではなかったかなぁ・・・・と。  特にそんな思いを強くしたのは、エサルが若かりし頃の苦い恋を思い返す「秘め事」です。  読み方によっては単なる「不倫賛歌」とも読めなくもない、エサルとその学友の刹那的な恋。  でも、これって賛成するか否かはともかくとして、「何かを得るためには別の何かを捨てる覚悟が必要」だった時代に「自分の選択に覚悟しつつも女を自覚する」人生を歩んだ経験のある人であれば、その心の根っこにあるものに共感できる物語だと思いました。  本書の構成としては、エリンとイアルの同棲・結婚時代を書いた「刹那」、件の「秘め事」、そしてエリンの息子ジェシの成長を垣間見る「はじめての...」の3篇です。  

どの短編も上橋さんならではの人物造詣、生き方造詣で「なるほど・・・・」と頷かされるものがあるのですが、個人的には「刹那」は「なるほど、やっぱりね」という感じ。  「はじめての...」はある意味でちょっと異色で、どちらかというとエリンの生活のある一段面を覗き見した感じ(笑)。  そして「秘め事」は本編ではさほど多くを語られることのなかったエサル師の人としての奥行きを感じさせてくれる物語だったと思います。

  

「クロニクル 千古の闇」シリーズも3巻目です。  全6冊ということはちょうど折り返し地点。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

クロニクル千古の闇 魂食らい
著:M.ペイヴァー 訳:さくまゆみこ 画:酒井駒子  評論社

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「兄貴、助けて!  どこにいるの?」  ―人間の魂を罠にかけるという恐ろしい<魂食らい>。  その<魂食らい>が、トラクの大切な弟、オオカミのウルフをさらっていった。  いったい何のために?  トラクとレンは、ウルフを追って、凍りつく極北の地へ足をふみ入れる。  <ヘビの目>と呼ばれる場所でふたりが知った衝撃の事実とは?  ますますおもしろくなるシリーズ第3弾。  (単行本カバーより転載)

第1作が森、第2作が海、そしてこの第3作では氷河地帯が舞台です。  文明の力に頼り切っていて、己の持てるものを最大限利用して生き抜く術を持たない KiKi なんかでは1日ともたないような極限の世界の中、トラクの試練は続きます。  第1作、第2作と比べると色彩感も乏しく、寒さのためか全体的にくすんだトーンのまま進む本作。  何となく神秘的な雰囲気も前作までに比べると弱め・・・・のような気がします。  ま、これは KiKi がこの物語の世界観に馴染んできているせいかもしれませんが・・・・ ^^;  日本人の感性からすると「純粋」「純潔」の象徴とも言えるような真っ白な世界の中で行われる「魂食らい」たちの悪行(イメージカラーは黒? or 赤と黒?)のコントラストのみが浮かび上がるような作りになっているような気がします。

<魂食らい>たちに囚われていたウルフとようやく再会したトラク & レンコンビが傷を負い、その化膿しきった傷により命をも危うくさせているウルフの尻尾を切り落とすシーンは衝撃でした。  と、同時に KiKi は物語とは全然関係ないことを考えていました。  狩猟犬の一部の犬種では今も尻尾を切り落とす行為が行われていて KiKi はこれまでそれを「人間のエゴ」「悪魔に魂を売り渡す行為」ぐらいに考えていたんだけど、これもひょっとしたら必然性のある行為だったのかもしれないなぁ・・・・と。

確かに現代人が行っている尻尾を切り落とす行為の目的は「ドッグショーなどでよい成績を残すため」だったりしているという話もあって、狩猟犬でありながら狩りとは縁のない生活をしているにも関わらず必然性がわからないなか、尻尾を切り落としていたりもするので、それはやっぱり褒められた行為ではないような気がするけれど、ず~っと昔、トラクたちが生きていた時代、犬が人間の狩りのお供をしていた時代であれば、その狩りの最中に傷を負った犬の尻尾を「命を守るため」に切り落としたこともあったかもしれない・・・・。  いえそれ以前に傷を負いやすい尻尾を最初から切り落としておくこともあったかもしれない・・・・・・と。

 

あまりにも楽しくてサクサク読めてしまった第1巻に引き続き、第2巻も図書館本で読了です。

クロニクル千古の闇 2 生霊わたり
著:M.ペイヴァー 訳:さくまゆみこ 画:酒井駒子  評論社

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「すべての生き物の魂は、肉体に根を張っている」と、アザラシ族の魔導師は言った。  「しかし、千回もの冬がめぐるうちには、生まれてくることがあるのだよ。  ほかとはちがう者がな。  その者の魂は肉体を離れることができる。  そういうことができる者を<生霊わたり>というんだ」  トラクは息をのんだ。  「まさか!  ぼくはちがいます。  <生霊わたり>のはずがない」  ...紀元前4000年の太古の世界を舞台に、ひとりの少年が恐るべき悪の力に立ち向かう。  彼をねらう<魂食らい>とは?  はなればなれになった子オオカミウルフの行方は?  息づまる迫力のシリーズ第2巻。  (単行本カバーより転載)

第1巻に引き続き第2巻もサクサクと読み終えてしまいました。  読んでいて感じたのは第1巻の Review でも書いたことだけれど、上橋菜穂子さんの「守り人シリーズ」との類似性です。  扱っている時代も舞台設定も人物造詣も異なると言えば異なるんだけど、どこか似ている・・・・・。  それは文章の持つ息遣いのようなもの。  舞台で生きる人々の生き様の説得力の強さ・・・・のようなもの。  そしてそこに説得力があるだけに、太古の時代には人間はかくも自分が属する「村」や「里」、「族」独自の文化を持ち、そこにはそれぞれの「信仰」があり、それらの「暮らしぶり」「文化」「信仰」といったものに誇りを持っていたことが切々と伝わってきます。  昨今では新しいブームに乗り遅れまいとする風潮が強いような気がするんだけど、そしてそれを「進歩」と信じる空気があるように感じるけれど、「変わらないものを大切にする」生活にある種の羨望に似たものを感じました。

  

 

  

以前から本屋さんに行くたびに気になって気になって、何度も手には取るもののハードカヴァーであることによるちょっとした心理的バリアも働いて、どうしても購入に踏み切れなかった本を吾妻郡図書館で見つけました。  恐らく KiKi 好みの本であると KiKi のアンテナは反応を示しているのですが、まずは図書館本で読了してから購入の是非を検討しようと思っています。  実は、最近、ちょっと「図書費」がかさみ気味でねぇ・・・・。  それもこれも、岩波少年文庫で色々復刊してくれちゃったせいおかげなんですけどね(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

クロニクル千古の闇 1 オオカミ族の少年
著:M.ペイヴァー 訳:さくまゆみこ 画:酒井駒子  評論社

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「おまえに誓ってほしいことがある」父さんが言った。  「山を見つけるんだ。  "天地万物の精霊"が宿る山だ。  ...そこにしか望みはない」  ―紀元前4000年の森―  巨大なクマの姿をした悪霊に襲われた父との誓いを守り、"精霊の山"をさがす旅に出たトラク。  道連れは、生まれて間もない子オオカミのウルフ。  "案内役"とは?  精霊にささげる"ナヌアク"とは?  ...いよいよ冒険が始まる!  (単行本カバーより転載)

案の定です。  KiKi のアンテナはやっぱりさびついていなかったみたい!!  KiKi が大好きな上橋菜穂子さんの「守り人」シリーズを読み始めたときとまったく同じ興奮を味わわせてもらっちゃいました!!  やっぱり KiKi はこういう「どこかにある本当の人間の世界」から彼らの生き方、生活の仕方、道具・食べ物等々の着想を得た物語には滅法弱いみたい ^^;  最近になって KiKi は改めて気がついたんだけど、どうやら KiKi はキャラの魅力だけで引っ張っていくような物語よりも、世界観そのものに魅せられ、それをイキイキと想像できる物語が好き♪みたい・・・・・。  舞台は6000年前の原始時代・・・・ということだけど、KiKi が通常思い描いている原始時代の暮らしとはちょっと異質で、逆に今現在 KiKi が指向しているような生き方にものすご~く近い世界観 & 暮らし方の物語です。

この物語、端的に表現しちゃうと主人公自身のセリフにもあるように「だれも見たことのない山を見つけなくちゃいけなくて、だれにも答えのわからないなぞなぞを解かなくちゃいけなくて、だれもかなわないクマを倒さなくちゃいけない」という、何とも言えない宿命を背負わされてしまった少年の冒険物語なんだけど、それだけじゃない。  描かれている彼及び彼が出会う人たちの生き様が、私たちが日頃は意識することも少なくなったけれど、それでもDNAの中にでも刷り込まれているのか潜在意識の中には確かに残っていて、ふとしたはずみでそれに触れると郷愁のようなものさえ感じる「大自然に対する畏怖の念」や「そこに宿る精霊の存在を信じ敬う気持ち」・・・・そんなものを刺激してくれる・・・・そんな物語だと思いました。

 

吾妻郡図書館で発見した「世界の民話館」シリーズから「魔法使い」「魔女」に続いて KiKi にとって興味深いテーマ「竜」と「悪魔」を読了しました。

竜の本 & 悪魔の本
著:R.M=サンダーズ 訳:西本鶏介  ブッキング

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世界的な民話採集者ルース・マニング=サンダーズがよりすぐった竜のお話。  むかしから空想上の動物として、ときに神さまのように大切にされ、ときに悪者扱いで退治されてきた竜の、ダイナミックでわくわくするお話を収録。  (単行本裏扉より転載)  

世界的な民話採集者ルース・マニング=サンダーズがよりすぐった悪魔の登場するお話。  人の魂をほしがるこわい悪魔から陽気でお人よしの悪魔、人間にもやっつけられてしまう愚かな悪魔まで、ときにおそろしく、ときにふき出してしまうさまざまなお話を収録。  (単行本裏扉より転載)

今回もとても楽しむことができました。  前回の「魔法使い」「魔女」を読んだときにはあまり感じなかったのですが、今回、この2冊を読んで初めて気がついたこと。  それは「国別童話集」とか「作者別童話集」とは異なり、こうやって1つのテーマであちこちの国のお話を集めている童話集を読むと、自分の中に存在するある種の「固定概念」みたいなものが覆されるなぁ・・・・ということです。  と言うのもね、KiKi にとって「竜」とか「悪魔」のプロトタイプっていうのは、「人間に仇をなすもの」で「退治されるべきもの」だったんですよね。  もちろん中には神格化されて大切にされているものや、お茶目なものがいたりすることは知ってはいたんです。  でも、善悪二元論・・・・とまではいかないけれど、どちらかというと「忌み嫌うべき存在」の代表格が「竜」と「悪魔」だという凝り固まった先入観みたいなものがあったことに気がつかされちゃったんですよ。

この2冊を読んでいて、「竜」にしろ「悪魔」にしろ、実は中には愛すべき可愛いヤツもいることを再発見すると共に、実は「竜」とか「悪魔」以上に怖い存在なのは「人間の心」なのかもしれないと感じた次第。

 

以前 KiKi はこのエントリーでサトクリフには苦手意識があったと書いたけれど、どうやらそれは思い過ごし(?)だったみたい(笑)  と言うよりも、正確には「読む時期を誤った」と言ったほうがいいのかもしれません。  「ケルトの白馬」で感銘を受けたので、せっせと図書館からサトクリフ本を借り始めたわけですが、本日読了したこちらも感銘を受けました。  ま、てなわけで、本日の読了本です。

三つの冠の物語 ヒース、樫、オリーブ
著:R.サトクリフ 訳:山本史郎  原書房

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「黒い母」(ブラック・マザー)や「ミトラ神」「ゼウス」などの神々が生きていた世界。  戦いや対立のさなかに出会う二人の人物の間に生まれる熱い友情の絆を鮮やかに描く!  (単行本扉より転載)

こちらは古代を舞台にしたサトクリフの短編集です。  タイトルどおり3つの冠にまつわるお話で、1作目の「ヒースの花冠」が1,2世紀頃にブリテン島に住んでいたケルト人部族での物語、2作目の「樫(オーク)の葉の冠」が3,4世紀頃のピクト人と戦うローマ軍での物語、3作目の「野生のオリーブの栄冠」が紀元前ギリシャのオリンピックでの物語です。  どの作品も戦いや対立の中で出会う2人の人物の友情の物語で、その友情にこれら3つの冠が関わっているという仕掛けになっています。  舞台も登場人物もバラバラな3つの物語であるにも関わらず、この「冠」という共通項がこの物語全編を貫く「核」のような働きをしていて、彼らが示した「美しいもの」を象徴するかの如く、心に残ります。

3作品、優劣はつけ難いのですが、個人的な趣味としては最後の「野生のオリーブの栄冠」が最も好きなタイプのお話だったと思います。  やっぱり舞台装置が半端じゃなくドラマティックなんですよね~。  古代オリンピックにおけるアテネとスパルタの陸上選手の友情物語で、当時この2都市は戦争中だったのですが、「オリンピック開催のための休戦」というある種の特別期間における物語。  で、メインとなる2人が現段階では戦闘には参加していないいわゆる「未成年(≒ 少年)」で、もう間もなく大人の仲間入り(≒ 出兵)というホントに限られたタイミングに出会うんですよ。  いずれには戦に駆り出されることになることはわかっているけれど、戦自体がまだまだ実体験にはなっていないというあまりにも微妙な時期に・・・・・。

  

♪ ねぇ、ムーミン、こっち向いて  恥ずかしがら~な~いで~ もじもじしな~い~で~ ♪  何ともホンワカした雰囲気の主題歌に乗せてTVから流れてきたアニメ。  それが KiKi とムーミンの出会いでした。  実はこのアニメ作品に原作があるのを知ったのはそれから随分たってからのこと。  その原作に興味がなかったわけじゃないんだけど、当時の KiKi はビジネス書ばかりを読んでいて、凡そ童話なんていうものに投資をする余裕はなかったし、かなりせっせと働いていたため図書館に足を向ける時間もありませんでした。(何せ休日出勤は当たり前、たま~にお休みが取れたら日頃の睡眠不足の解消 & 溜まりに溜まった家事をこなすで大忙しだったのです ^^;)  で、「ムーミン本」のことはすっかり忘れ去ってしまい、「いつかは読んでみよう」と思ったことがあったことさえ忘却の彼方・・・・だった KiKi なのですが、見つけちゃいましたよぉ~ 吾妻郡図書館で!!  ズラリと並んだ「ムーミン童話全集」を!!!

ま、もともと「アニメ版ムーミン」も嫌いじゃなかったけれど大好物とまでは言えなかった KiKi なので、とりあえずお試しということで第1巻だけを借りてみました。  てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

ムーミン谷の彗星
著:T.ヤンソン 訳:下村隆一  講談社

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赤く長い尾を光らせた彗星が地球にむかってすすんできます。  ムーミン谷は大さわぎ!  ムーミントロールは彗星をしらべるために、遠い天文台へとでかけますが......。  (単行本扉より転載)

アニメ版ムーミンもさほど真剣には観たことがない KiKi ですが、ムーミンと言うと何となく「ほのぼの」という印象が強くあります。  これはあのちょっぴり間延びしたような味のある「アニメ主題歌」の功績だと思うんですけどね(笑)  で、これは児童書だし、シリーズ名も「ムーミン童話全集」だし、読み始めるまでは「ほのぼの」「明るい」「暖かい」という先入観があったのですが、第二章でいきなりそんな KiKi の勝手なイメージは覆されました。  な、な、なんと、彗星が地球に衝突して、地球が滅びるというお話なんですよ、これが!  で、そんな一大事だと言うのにムーミン・パパは地球の未来を息子に託すが如く、ムーミン・トロールとそのお友だちのスニフに真実究明の旅を申し付けるという、これまた無鉄砲なお話で・・・・・。

じゃあ、その緊迫感でグイグイ引っ張っていくお話なのかと思いきや、あと数日で地球が滅びるかもしれないという未曾有の危機の中、どこかマイペースな登場人物(?)たち・・・・・ ^^;  舞台設定だけは緊迫感があるものの、その描写もどこか「のほほん」としているし、まして登場人物たちの言動には危機感の欠片も感じられません。(笑)  でもね、ものすごく不思議なのはこのアンバランスさが案外心地よいんですよね~、これが。  普通だったら単なる「嘘っぽさ」だけが目立ち鼻白んじゃってもおかしくなさそうなところが、そうじゃない。  その鍵はやっぱりT.ヤンソンの秀逸なイラストと、彼らが交わす会話にある種の哲学的な何かが含まれていることだと思うんですよ。



 

吾妻郡図書館で借りてきた2-3冊目の本を読了しました。

魔法使いの本、魔女の本
著:R.M=サンダーズ 訳:西本鶏介  ブッキング

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世界的な民話採集者ルース・マニング=サンダーズがよりすぐった魔法使いのお話。  冷酷でおそろしい魔法使いからユーモラスでやさしい魔法使いまで、世界中から集められたスリルいっぱい、ゆめいっぱいのお話を収録。  (単行本裏扉より転載)

世界的な民話採集者ルース・マニング=サンダーズがよりすぐったさまざまな魔女のお話。  おそろしい魔力を使ってわなをしかける魔女たちと、それにたちむかう主人公たちのスリルあふれるお話を収録。  (単行本裏扉より転載)

この本、どうやら過去に発刊されていて絶版になっていたものが、復刊ドットコムの投票により蘇った作品群だったみたいです。  シリーズものになっていてシリーズ全体のタイトルが「世界の民話館」。  そして全10冊から構成されていて「魔法使いの本」「魔女の本」「竜の本」「悪魔の本」「王子と王女の本」「怪物の本」「こびとの本」「巨人の本」「人魚の本」「王と女王の本」となっているらしい。  たまたま吾妻郡図書館の「ファンタジー棚」にズラッと並んでいるのが目に入り、こういう切り口でまとめているシリーズ本って珍しいなぁと興味を持ったので借りてみました。  挿絵も素敵なコレクション本っていう雰囲気満載でしょ(笑)

とりあえず一番興味深い「魔法使い」と「魔女」を一挙に読んでみたわけだけど、正直、この本で初めて知ったというお話はなかったみたい・・・・^^;  もっとも「世界の民話館」ということだし、民話っていうのは多かれ少なかれどこか似通ったお話が多かったりもするので、ひょっとすると「旧知のお友だち」みたいな顔をしながらも何気に「お初モノ」が紛れ込んでいたかもしれないんですけどね。  でも、やっぱり KiKi はこういう「お話系」の物語って何度読んでも飽きない体質みたい(笑)

 

吾妻郡図書館で借りてきた3冊のサトクリフ作品。  最後の1冊を読了しました。  う~ん、ひょっとすると数年前に KiKi のサトクリフ苦手意識を助長したのはコレだったかもしれません・・・・・ ^^;  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

黄金の騎士 フィン・マックール
著:R.サトクリフ 訳:金原瑞人、久慈美貴  ほるぷ出版

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むかし、アイルランドはエリンと呼ばれ、五つの王国にわかれていた。  小王国のあいだの争いや血の復讐を治め、またエリンを侵略者から守るために、フィアンナ騎士団はあった。  英雄フィン・マックールは、その騎士団長だった...。  人間と妖精がいりまじって紡ぎあげられた、フィンの冒険物語は、ケルト神話の代表的な英雄物語として古くから語りつがれてきた。  鮮やかに、力強く、ときにユーモラスに、カーネギー賞作家サトクリフによって語りなおされた、ケルト神話英雄譚。  (単行本扉より転載)

昨日読了した「炎の戦士 クーフリン」が英雄叙事詩的な物語だとすると、こちらは炉辺の民話風。  読み進めている間、KiKi は「フィン・マックール」のお話を読んでいるのか、「アーサー王と円卓の騎士」のお話を読んでいるのか、混乱してしまうことがありました。  どのエピソードも、フィンとフィアンナ騎士団の戦士たちのヒロイックな騎士道精神が主軸にあって、フィン自身の活躍・・・・と言うよりは、彼が統率する騎士団の面々の物語っていう感じなところも、アーサー王の物語とそっくりです。

一般的にフィン・マックールの物語で著名なエピソードと言えば

  • 若かりし頃のフィンが、ターラの王宮に現れる妖怪を退治して、フィアンナ騎士団のチーフの座(これは元々彼の父親が占めていた座)をかちとったというお話。
  • フィンの最愛の妻がドルイド(?)の杖の一振りで牝鹿になって消えてしまったというお話。
  • フィンの息子オシーンが、妖精の娘に誘われて、海の向こうの常若国「ティル・ナ・ノグ」に行ってしまうお話。  
  • その話の後日譚である、人間世界にちょっと里帰り・・・・のつもりのオシーンが、妖精世界とは異なる時間の流れで一挙に老人になってしまう(← って浦島太郎みたい 苦笑) & 妖精世界に戻れなくなってしまうというお話。
  • フィンの後妻となるはずだったグラーニアが、彼の腹心の部下・ディアミッドと駆け落ちしてしまい、結果的に彼はもっとも信頼すべき部下を失ってしまう(& ディアミッドを慕う孫との関係もちょっとハチャメチャ)というお話。

の5つだと思うんだけど、これらは当然含まれていて、ついでにそれ以外のあれやこれやのフィン & フィアンナ騎士団のお話を寄せ集めた纏めた1冊っていう感じでしょうか。  そこそこ楽しめるお話のオンパレードで、サトクリフならではの美しい描写に心惹かれるものはあるものの、KiKi の読後感としてはワクワク感に欠けるなぁ・・・・・と。  どことなく素っ気無いと言いましょうか、あっさりしすぎていると言いましょうか、気高さに欠けるとでも言いましょうか・・・・。  

 

吾妻郡図書館で借りてきた「サトクリフ本」の2冊目を読了しました。  この本が出版されたばかりの頃に読んだときは、数ページ読むと睡魔に襲われ、どうも楽しむことができなかった印象の強かったこの本ですが、今回は何だかワクワクしながら読み進めることができました。  これは KiKi の気持ちに余裕があるせいなのか、たまたまO.R.メリングの本(「ドルイドの歌」)を読了したばかりだったからなのか、はたまたこの物語の世界観に対する KiKi の受容度量がようやく追いついてきた証なのか?(苦笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

炎の戦士 クーフリン
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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太古のむかし、太陽神ルグとアルスター王の一族の姫デヒテラとのあいだに生まれたクーフリンは、勇者ぞろいの赤枝戦士団のなかでも並ぶもののない勇者に成長した。  『アルスターの猛犬』と呼ばれ、そして「アイルランド一の戦士」とうたわれた...。  カーネギー賞作家サトクリフの手によって、力強く、迫力いっぱいに語りなおされた、ケルト神話英雄譚。  『ケルト神話 黄金の騎士フィン・マックール』と対になっていっそう魅力的なケルト世界をかたちづくる。  (単行本扉より転載)

以前はどうしてあんなに眠くなっちゃったんだろう???  それが KiKi の大きな疑問になってしまうぐらい、今回はとっても楽しめました。  いいなぁ、クーフリン。  いいなぁ、ケルトの英雄譚。  いいなぁ、この原始的でどこか荒々しい世界観。  あ、ひょっとするとこういう物語の荒々しさを難なく受け容れられるようになってきた背景には、KiKi の山小舎暮らしが功を奏している・・・・っていう面もあるかもしれません。  なんせ山で暮らしていると都会生活では目の前で見ることはないような「自然の荒々しさ」と直面することも多かったりもするので・・・・・。  メリングの「ドルイドの歌」では生き生き・溌剌とした少年というイメージの強かったクーフリンが、こちらでは戦士然としています。

とにかく1冊まるごとクーフリンの物語で、その誕生から死までの逸話を若干ぶつ切り気味・・・・ではあるものの、まとめあげた作品なので、「クーフリン入門書」という印象の物語ではないでしょうか。  と同時に「ケルト神話」と本の副題で断ってはあるものの、どちらかというと「古代英雄叙事詩」という色彩の強い物語だなぁ・・・・と。  神様も出てくることは出てくるんですけど、これってどちらかというと人間の物語。  それも偉大な英雄の一代記っていう感じなんですよね~。  でも、これ、今では絶版なんですねぇ・・・・・。  この後、読もうとしている同じシリーズの「黄金の騎士 フィン・マックール」の方はまだ販売中なのに。  

ケルトの白馬 R.サトクリフ

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昨日、KiKi はLothlórien_山小舎から一番近い図書館へ行ってみました。  村のHPをネットで見ていたらこの図書館の紹介が載っていたので、これは1度立ち寄ってみる必要があるだろう!と思って早速出かけてみたっていうわけです。  (そのご紹介エントリーは後刻アップします。)  で、せっかく行ってみたのでついでに本も借りてきました。  都会の図書館と比べると本の痛み加減が全然違うのが何だか新鮮でもあり、嬉しくもあり・・・・・(笑)。  蔵書数ではさすがに都会の図書館には叶わないかもしれないけれど、気持ちよく利用できるという意味ではこちらの図書館の方に軍配があがるかもしれません。  ま、いずれにしろ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

ケルトの白馬
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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イギリス、バークシャーの緑なす丘陵地帯には、地肌の白い土を露出させて描いた、巨大な白馬の地上絵がある。  古代ケルト人の手になるその地上絵は、力強く美しく、悠久の時を超えて命の輝きを放っている。  なぜ、どのようにして、この「アフィントンの白馬」は描かれたのか。  カーネギー賞受賞作家サトクリフが、今はもう忘れられた豊かな物語を紡ぐ。  (単行本扉より転載)

実は KiKi はサトクリフ作品っていうのは正直なところ苦手意識があったりします。  まあ、初めてサトクリフ作品に出会った頃には、まだまだ KiKi が幼すぎたせいもあるんだろうと思うんですよね。  なんていうかお子ちゃまにはちょっと物足りないワクワク感・・・・とでも言いましょうか。  「ドキドキ感はあってもワクワク感が湧いてこない作家」というのが長らく KiKi が手前勝手に描いていたサトクリフ作品に対する評価でした。  これはたまたま当時の KiKi があれやこれやと忙しすぎて、読書が絶好の睡眠剤だった時代だったから・・・・とも言えるかもしれません。  そこそこドキドキはさせてくれるんだけどワクワクしてこないので、数ページで睡魔が襲ってくる・・・・・そんな作家の筆頭だったんですよね~(苦笑)。

ま、そんな KiKi が今回この本に手を出してみたのは、このあまりにも美しい表紙の写真(「アフィントンの白馬」)に思わず目を奪われたから・・・・・でありました。  東京でも同じ本は図書館で何回か見ているんだけど、残念なことに結構ボロボロで、惹かれるものはありつつもなかなか食指がうごかなかったんですよ ^^;  第一、苦手意識のあるサトクリフだし・・・・・。  ところがこちらの図書館ではこれが新品か!と思えるほどピッカピカの本だったんですよ。  で、その美しいままの状態の本でこの写真を見ると、もともと興味は持っていた本であっただけにこれは読まずにはいられない!・・・・と。  で、ついでにこの本と同時に何冊か、過去に睡魔と闘いつつとりあえず読み通したような記憶があるものの内容はほとんど覚えていないサトクリフ作品を借りてきました。

 

歌う石 O.R.メリング

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図書館から借りてきた O.R.メリングの3作品。  最後の1冊を読了してしまいました。  ああ、何だか淋しいような、終わってしまうのが勿体ないような・・・・・ ^^;  こうなってくると居てもたってもいられず、未読の「夏の王」とか「夢の書」なんかも、次々と読み進めたくなる KiKi の困った病気が発症してしまうのです。  で、ふと気がついた時には Amazon の Market Place でO.R. メリング作品を大人買いしていました。  結局 KiKi はケルトものが半端じゃなく好きなんですよね~。  

今回はこれ以外にも図書館から借りてきちゃった本があるだけに、この勢いのまま「マピノギオン」に突き進めないのが残念でたまらないけれど、ま、それはさておき、本日の KiKi の読了本をご紹介しておきたいと思います。

歌う石
著:O.R.メリング 訳:井辻朱美  講談社

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ここがわたしの故郷なのかしら。  さもなければ、わたしの両親の生まれた場所?
自分のルーツを探しにアイルランドへ行ったケイは、山の中で見つけた巨石のアーチをくぐったとたん、4つの民族が対立しあう紀元前のアイルランドの世界へ迷いこみ、まもなく記憶をなくした少女アエーンと出会う。  そして、助けを求めて仙境の賢者フィンタン・トゥアンを訪れたふたりは、助けてもらうかわりに、トゥアハ・デ・ダナーン族のいにしえの4つの宝を探す旅に出る。  時を越え、女魔術師となったケイと、謎を秘めたアエーンの運命は......?  (単行本扉より転載)

これは Hit! です。  「妖精月の王」も「ドルイドの歌」もよかったけれど、乙女チックなきらいがあるところがちょっとビミョーだったのに比べると、この物語にはさほどそれを感じません。  他の2作同様プチ・ハーレクイン的な要素もなくはないんですけど、それ以上に叙事詩的な物語進行のパワーのほうが強くて、どちらかというと「歴史大河小説」を読んでいるような気分でした。  と、同時に過去につまみ食いをして記憶の欠片になってしまっている「侵略の書」のそこかしこが想い出され、読み進めながら空想の世界をあっちへ行ったりこっちへ行ったりすることができたという点も、KiKi にとっては嬉しいことでした。  他の2作よりもどことなく地味目な表紙も、この物語の世界観にはピッタリだなぁ・・・・と(笑)。    

読み進めているうちに感じたことの1つに、KiKi の大好きな梨木香歩さんの紡ぐ世界観と、この物語の紡ぐ世界観が微妙に似ているなぁ・・・・ということがあります。  それは梨木さんが英国留学していたから・・・・とか、彼女の描く世界にどことなくちょっと古めかしいイギリスっぽさがあったりするから・・・といったような表層的なことではなく、「この世のありようと、そこでの人間というある種しょうもない生き物の存在の対比」とか、「自然から受け取るある種のメッセージに対する感性」とか、そういう点がものすごく近しいような、そんな気がするんですよね~。

 

ドルイドの歌 O.R.メリング

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昨日読了した「妖精月の王」に引き続き、O.R.メリング作品を読了しました。  今回図書館からは「妖精月の王」「歌う石」「ドルイドの歌」の3冊を借りてきていて、日本での発刊順(「妖精王」→「石」→「ドルイド」)に読もうか、はたまた「妖精月」だけは最初に読んじゃったけれど、後は著者の発表順(「ドルイド」→「石」→「妖精王」)に読もうか、ずいぶん迷ったんですけど、最終的には著者の発表順に進んでみることにしました。  やっぱり著者の考え方というか、物語を書くことで何を伝えたいと思っているのかというようなことっていうのは著者の発表順に読んでいったほうが伝わってくるものがあるような気がするので・・・・(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ドルイドの歌
著:O.R.メリング 訳:井辻朱美  講談社

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ここは別の世界なんだ。  そうさ。  ピーターがぼくらを連れこんだんだ。  姉さんの言ったように魔法か何かでかもしれない。  そしてそこの世界に、なぜかぼくらは、しっくりなじんじゃったんだ。  ローズマリーとジミーは、謎の男ピーターの歌声にさそわれて古代のアイルランドへ迷いこみ、コノハトとアルスターの二つの王国による「クーリーの牛捕り」戦にまきこまれる。  アルスター最強の戦士クーフーリンとジミーの友情、コノハトの王子とローズマリーの恋...。  ドルイドのピーターに魔法で助けられながら、ふたりはロマンと冒険の世界にとびこんでいく。  (単行本扉より転載)

ケルト伝承の中ではとっても有名な「クーリーの牛捕り」に題材を得た、少女向けファンタジーという感じでしょうか?  メリングさんの作品2冊を読了して思うのは、やっぱり彼女の作品はどことなく乙女チックだなぁ・・・・ということです。  まあ幸いにして KiKi は♀なので、その乙女チックさ加減がさほど難点には感じられないんですけど、世の男性 & 少年にはちょっとついていきにくいものがあるかもしれません ^^;  とは言いつつも、この「ドルイドの歌」がバリバリ少女向けかっていうとそこもちょっとビミョーかもしれません。  昨日読了した「妖精月の王」は主人公も女の子2人だし、フェアリーランドを舞台にしたプチ・ハーレクイン的なお話だったと思うんだけど、今回の物語の大半は「戦記」という性格を持っているし、現代的な価値観からすると結構残忍というか、野蛮というか、荒々しい戦模様が描かれているので、羽の生えたティンカーベル的な妖精譚を求める少女衆にはちょっと受け容れがたい物語だと思うし・・・・・ ^^;

今回の物語ではカナダの姉弟があっちの世界と接点を持つことになるわけだけど、お姉ちゃんの関わり方は KiKi にとってはあまり興味をそそられるものがなくて(表紙にもなっているあっちの世界の王子様、メインとの燃え盛る炎越えのダンスのシーンは美しかったけれど・・・・)、どちらかというと伝説の英雄クーフーリンと友情を結んだ弟君の物語に魅せられました。

 

妖精王の月 O.R.メリング

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以前からず~っと気になっていて、なかなか手を付けられずにいた「忘れ物」みたいな本って誰にもあると思うんですよ。  好奇心が旺盛で興味の対象があっちへ行ったりこっちへ行ったりする傾向のある KiKi にはそういう類の本が多いんだけど(^^;)その中のひとつに挙げられるのが O.R. メリングの作品でした。  そんな作品を今回図書館で借りてくることができたのは、ラッキーでした。  ま、てなわけで本日の(実際には昨日の)KiKi の読了本はこちらです。

妖精王の月
著:O.R.メリング 訳:井辻朱美  講談社

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そなたの答えがノーでも、彼女の答えはイエスだ。  わたしは〈人質の墳墓〉から花嫁を連れていく。  フィンダファーを寝袋もろともさらいあげると、妖精王は塚山から去った。  タラの丘の〈人質の墳墓〉でキャンプした夜、別の世界にあこがれるいとこ、フィンダファーが妖精王にさらわれる。  翌朝からグウェンのいとこを連れもどす旅がはじまる。  妖精たちとの絶妙な出会いに助けられながら。  だがケルトのフェアリーランドは、グウェンにとっても魅力ある世界だった。  カナダの青少年がその年、一番おもしろかった本を選ぶルース・シュワッツ賞の1994年度受賞作。  (単行本扉より転載)

評判 & 期待に違わず、面白かったぁ!!!  この世界観!  これこそが KiKi の読書に求める「ワクワク・ドキドキ」の典型なんですよね~。  ファンタジーと言えばファンタジーなんだけど、KiKi には神話・叙事詩に近いものに感じられます。  で、舞台がアイルランドでしょ。  ベースがケルト伝承でしょ。  これはもしも誰かに素通りしろと言われていたとしても、絶対に KiKi には通り過ぎることができなかった物語だし、これからも何回か読み直してみたい作品だと感じました。  まあ、プロットが乙女チックにすぎるところが難点と言えば難点でしょうか?  でも、妖精たちの住む世界と現代の私たち人間が住む世界をここまで難なく融和させてしまっている作品という意味では、ケルト物語に興味のある男性であれば、楽しんでいただける作品なのではないかと・・・・・(笑)

主人公の2人の少女もなかなか興味深い人物造詣だと思ったけれど、それ以上に脇役的に出てくる人々、妖精たちが生き生きしていてとても魅力的です。  KiKi にとってもっとも魅力的に見えたのは最後の最後に出てくるインチ島の王、ダーラ・マクロリー。  どうやら彼はかなりの美男子らしいけれど、物語を読んでいる KiKi には彼の Visual は確認のしようがないので、これはツラに惚れたわけじゃないことだけは断言できると思います(笑)。  彼のもっとも魅力的なところ、それは普通の現代の青年としての生活とインチ島の王という2つの世界観をいとも簡単に並立させてしまっているところ。

グウェンに語る以下のいくつかのセリフに何だかぐっときちゃうんですよね~。

日本霊異記 水上勉

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先日「リビイが見た木の妖精」と一緒に図書館から借りてきた、現在絶版中の岩波少年文庫を読了しました。

日本霊異記
編:水上勉  岩波少年文庫

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もの言うしゃれこうべ、牛に生まれ変わった人、死後の世界を見てきた人...。  奈良時代の摩訶不思議なできごとを、善行・悪行にはそれぞれの報いがあるという仏教の考え方をとおして語りかける物語41編。  (文庫本扉より転載)

う~ん、なかなかビミョーな物語だなぁ・・・・・^^;  これを読んでいて最初に思ったこと。  それは「ああ、このビミョーな感じが KiKi に日本文学より英文学を選ばせた理由だったなぁ・・・・・」と。  まあ今にして思うとそれは日本文学 vs. 英文学という対比ではなくて、説教臭い物語 vs. ワクワク・ドキドキさせてくれる物語という対比なんですけどね。  編者の水上さんがあとがきでおっしゃっているように、この「日本霊異記」という物語は薬師寺のお坊様が仏教思想を民間に根付かせるために、日本各地に伝わる説話を収集してそれに説教をくっつけた物語という成り立ちであるがゆえに、どうしても説教臭くなっちゃうんですよね~。  で、その説教臭さが何となくうざったいんですよぉ ^^;  極論すれば、最後の数行がなければもっと楽しめる物語だと思うんですけどね~。

さすがに奈良時代にあった各地の説話をベースにしているだけに、かの時代の日本人(一般人)がいかに貧しく、生と死が隣り合わせの世界に生きていたのかはヒシヒシと感じられます。  そしてそんな「生きること、生き抜くこと自体がある種の偶然であり、それが楽なことではないだけに、精神的支えが必要だった」という時代背景には改めて気がつかされます。  先日読んだ「チェーザレ 破壊の創造者」でチェーザレが堕落したキリスト教世界を嘆くセリフがあったけれど、それと大差ない世界がここにもあるなぁ・・・・と感じずにはいられません。  要するに現世での苦しみを救うための抜本的な解決法が提示されているわけではなく、前世・来世とか、死後の世界がどうしたこうしたという教え。  生きることが困難であっただけに「生き抜くためには何でもアリ」となりがちな人間を戒めるための教えという意味ではどんな宗教も似たり寄ったりだなぁ・・・・と。

 

海のたまご L.M.ボストン

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先日読了した「リビイが見た木の妖精」の世界観にすっかり魅せられてしまった KiKi。  せっかく出会った素敵な作家さんなので、もう一編、彼女の作品を読んでみたいと思っていたらちょうどタイミングよく、岩波少年文庫60年記念特別復刊でこちらが発売されました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本は同じ L.M.ボストンさんのこちらの作品です。

海のたまご
著:L.M.ボストン 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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イギリス南西端に位置するコーンウォールの荒々しい海を舞台に、海の妖精トリトンと2人の少年が経験したふしぎな冒険と、3人のあいだに芽生えた友情をこまやかに美しく描いたファンタジー。  再刊。  (文庫本扉より転載)

「リビイが見た木の妖精」の自然描写も美しかったけれど、こちらも負けず劣らず素晴らしいものでした。  「リビイ」が「森、林、川、田園」が舞台ならこちらはタイトルからも明らかなように「海」を舞台にした自然賛歌です。  しかもその自然賛歌はいわゆる「観光レジャー的」なそれではなく、どちらかというと原始的・・・・というか、ありのまま・・・・というか、要するに「美しくて癒される」という類のものじゃなくて、プリミティブな信仰に近いもの。  畏れと憧憬と親しみがないまぜになったもの。  自然の厳しさは厳しいままに、現代のパック旅行のような短い、おいしいとこどりの滞在で感じられるあれこれとは完全に一線を画しています。  24時間、365日をそこで過ごして初めて見たり、感じたりすることができることを言語化した物語だと思います。

「リビイ」を読んでいる時にも感じたことだけど、本を読んでいる間中、まるで皮膚の毛穴が全開になっているのと同じように KiKi の五感が全開になって、物語の中心に位置しているイギリス人の少年、トビーとジョーが見るもの、感じるものを疑似体験しているような気分になり、何度もゾクゾクときちゃいました(笑)。  う~ん、やっぱりこういう物語はいいなぁ!!! 

「神曲_天国篇」に挫折し、「皇帝の新しい心」にも挫折してしまった KiKi。  こういうときは目先を変えるのが一番です。  楽しむための読書が苦痛になってしまっては何にもなりませんしね ^^;  で、目先を変えるんだったらやっぱり本来のこのブログの読書企画に戻るのが一番でしょう。  ま、てなわけで本日の(というより昨日の)KiKi の読了本はこちらです。

白いオオカミ ベヒシュタイン童話集
著:ベヒシュタイン 訳:上田真而子  岩波少年文庫

2010_Oct11_015.JPG  (Amazon)

森で道に迷った王さまを救い出したのは小人でした。  小人はそのお礼にと、あるものを欲しがりましたが...。  ドイツの昔話や伝説の収集家ベヒシュタインの童話は十九世紀後半の子どもたちにグリム童話と同様に好まれました。  1960年代に再評価され始めた童話集より代表作十編を日本ではじめて紹介します。  (文庫本扉より転載)

魔法使い、ヒキガエル、鳥の骨、暗い森など、など、など・・・・。  ドイツの昔話には必ずといっていいほど登場するお馴染みの、そして独特の雰囲気を持つ人物やアイテムがぞろぞろ登場する楽しい童話集です。  どの物語を読んでもそこかしこにデ・ジャ・ヴ感が漂います。  うんうん、これよこれ!  こういう何とも怪しげ(?)で、ワクワクやハラハラに満ちた物語。  これが幼かりし頃の KiKi を読書に惹き付けた魔法でした。  

作者のベヒシュタインはグリムよりも日本では知名度が低いけれど、19世紀の後半のドイツではグリムをはるかに凌いで子供たちに愛されたのだとか。  どことなく説教臭さもないじゃないけれど、やっぱり多くの人に愛された物語というのは不思議な懐かしさをもって現代の私たちにもスンナリと入ってくるような気がします。  ま、おとぎ話特有の突飛なさはあるんですけどね(笑)

この本に収録されている作品は以下の10篇です。

白いオオカミ
もてなしのいい子牛のあたま
ねがい小枝をもった灰かぶり
魔法をならいたかった男の子
おふろにはいった王さま
ウサギ番と王女
魔法つかいのたたかい
ウサギとキツネ
七枚の皮
明月(めいげつ)

この土日、KiKi の自宅近くの BookOff では「105円商品を除きほぼ全品半額セール」をやっていました。  で、たまたまその数日前に見つけてあった、過去には持っていたけれどどこかで処分してしまっていて今は手元に残っていない「岩波少年文庫」の何冊かを、この機会にゲットしようと勢い込んで出かけてみたのですが、残念なことに既にどなたかが購入されたようで、棚には残っていませんでした。  で、代わり・・・・・と言っては何だけどいろいろ物色している中で見つけた1冊が本日の読了本です。

童話の国イギリス - マザー・グースからハリー・ボッターまで
著:ピーター・ミルワード 訳:小泉博一  中公新書

41YHSMCF51L__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

イギリスはすぐれた児童文学の宝庫である。  伝承童謡の「マザー・グース」、動物を主人公とする「ピーター・ラビット」「クマのプーさん」、胸躍る英雄譚「アーサー王物語」「ロビン・フッド」、空想世界へと誘う「アリス」「ピーター・パン」など、実に多彩で層が厚い。  これらの文学はどのように読まれ、イギリスの人々の精神的バックボーンを形成しているのか。  英文学者が自らの体験をもとに二十二の名作を紹介する読書案内。  (新書本表紙扉より転載)

う~ん、これは KiKi としては失敗でしたねぇ~。  ろくろくこの解説(↑)を読まずに、本のタイトルと値段だけに惹かれて(何せ半額でしたから・・・・・)手を出したのが敗因でした。  一応大学で「英文学」な~んていうものを専攻していた KiKi にとって、これって単なる名作案内(それもものすご~く大雑把な)以上でも以下でもない本でした。  イギリスの22の児童文学を取り上げていて、著者のとりとめのない感想を書き散らしているっていう感じで、そこに魅力あるエピソードとか興味深い考察みたいなものがあるわけでもなし・・・・・。  まあ、「そういうお前のこのブログはどうなんだ?」と聞かれちゃうと痛いんだけど(^^;)、少なくとも「金をとっていない、個人の趣味ブログ」ということでお許しいただくとして・・・・・・ですねぇ。

著者のピーター・ミルワードさんと言えば「シェイクスピア研究」の世界では少しは(な~んていう言い方をすると不遜にすぎるかもしれませんが・・・・)有名な方で、KiKi の学生時代なんかにはちょっとした有名人だったので、「イギリス児童文学」に関してもう少し面白い考察が書かれていることを期待していたんですけどねぇ・・・・。  まして、いきなり最後にとってつけたように出てきた「ハリー・ポッター」に至っては正直なところ「????? ・・・・・・ ふぅ ^^;」っていう感じで・・・・・。  まあ、要するに今の KiKi にとっては時間とお金の無駄だったかな・・・・と。

扉に付された内容紹介のところ(上記参照)に「これらの文学はどのように読まれ、イギリスの人々の精神的バックボーンを形成しているのか。」とあるけれど、KiKi には「ピーター・ミルワードさんがこれらの本をどんな風に読んできたのか?」はおぼろげに伝わってきたけれど、「イギリスの人々の精神的バックボーンを形成しているのか。」に関しては全く読み取ることができませんでした。  

 

こちらのエントリーでご紹介した「針さしの物語」でメアリ・ド・モーガンの世界に魅せられた KiKi。  ならば第2作のこちらは????ということで早速手を出してみました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。  (えっと因みに「針さしの物語」はエントリーとしては今日9月1日に書いているのですが、実は8月31日に静岡出張の際、新幹線の中で読了した本だったんです。)

フィオリモンド姫の首かざり
著:ド・モーガン 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

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世にも美しいフィオリモンド姫には、おそろしい秘密がありました...。  表題作のほか、若いさすらいの竪琴ひきとその妻の哀切な物語、民話風な楽しい話など7編をおさめた、幻想的で不思議な童話集。  (文庫本扉より転載)

こちら(↑)もあちらに負けず、とっても素敵な表紙 & 挿絵だと思うし、スタイル・・・・というか絵の格式のようなものがかなり似ているので、最初は同じ人(ウィリアム・ド・モーガン; メアリのお兄さん)の手によるものかと思っていたのですが、実はこちらの挿絵はウォルター・クレインという別の方の手によるものなのだとか・・・・・。  ちょっと興味をもって、ウォルター・クレインに関しても調べてみたんだけど、メアリ & ウィリアムのモーガン一家とほぼ同時代に、ウィリアムとほぼ同じような職業を経て、ほぼ同じような芸術運動に身を投じた人だったようです。  まあ、KiKi が調べた限りではこの2人の具体的な接点みたいなものは見つけられなかったんだけど、きっとモーガン家のサロンにはやっぱり彼も出入りしていてメアリとの接点もあったんじゃないかな?と思います。

「針さしの物語」でも書いたけれど、こちら「フィオリモンド姫の首かざり」は彼女が残した出版物としては2冊目です。  1冊目に比べるとさすがに中身がより充実し、多くの示唆に富み、より哲学的・・・・というか、人間描写に深みみたいなものが出てきていると思うんですよね~。  もともと彼女の作品は女性らしい感性にあふれた女性目線の物語が多いと思うんだけど、その女性たちがグリム童話集などの女性に比べるとより主体的で、自らが行動し、そして得られる「何か」をベースにした女性目線ならではの社会批判のようなものが色濃く出ているように感じられるのですよ。  

と、同時に兄を通じて親交のあったとされる、ウィリアム・モリスらの唱えた反物質主義的なユートピアへの志向に共感していたことも作品の性格を決定付けるひとつの大きな要素になっているんじゃないかなぁ・・・・・と。  それがクラシカルでありながら、どことなく現代的で、童話世界のお約束に従っているようでいて、「えっ!  そうなっちゃうの?」と思わせるエンディングを迎えたりする彼女の作品なりの個性を生んでいるような気がするんですよね~。

 

KiKi がまだ小学校低学年の生徒だった頃、図書館で本を選ぶときの選考基準(?)の1つは、表紙や扉絵の絵柄でした。  当然のことながら作者本人だとか、その作者の国籍だとか、どの時代に生きた人だったのかだとかということにはまったく興味がなく、表紙や扉絵がどれだけワクワクさせてくれるか?というのが重要なポイントだったのです。  まず最初に表紙や扉絵で10冊が3冊まで絞り込まれ、次に裏表紙や見開きページに印刷されたコメント(KiKi がよく本の紹介の下に「○○本裏表紙より転載」と書いているアレ)を読んで2冊に絞り込み、後はまあその日のインスピレーション次第・・・・・・(笑)  まあ、そんな感じでした。  本日の KiKi の読了本は当時の KiKi だったら1発で10冊からこの1冊に絞り込んじゃっただろう素敵な表紙絵 & 挿絵の1冊です。

針さしの物語
著:ド・モーガン 訳:矢川澄子  岩波少年文庫

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美しさを鼻にかけて妖精たちの怒りを買い、鏡にも水にも自分のすがたを映せなくなった娘の話「みえっぱりのラモーナ」。  きゅうくつなお城の生活にいやけがさして逃げだしたお姫さまと、身代りの姫をめぐる話「おもちゃのお姫さま」。  地までとどく自慢の髪をすべて失った王妃のふしぎな話「髪の木」など、クラシックで幻想的な短編集。  (文庫本扉より転載)

メアリ・ド・モーガンは「お話し上手な女性」として多くの作家や芸術家にインスピレーションを与えた女性だったようなのですが、いわゆる完成された書物(出版された形で残された彼女の作品集)としては、今日ご紹介する「針さしの物語」と近々ご紹介することになる「フィオリモンド姫の首かざり」と「風の妖精たち」のみで、その3冊すべてが現在市販されているバージョンの岩波少年文庫よりも1世代前のバージョンのラインナップでは読むことができました。  (現在は「風の妖精たち」のみです。)

とってもクラシカルな雰囲気にあふれた短編集で、読みやすいと思うのですが、現在のバージョンでは3冊のうち1冊しか残っていないというのは、やっぱり「イマドキは流行らない物語」っていうことなのかなぁ???  個人的には超有名な「アンデルセン童話集」や「グリム童話集」「ペロー童話集」などと全く遜色が無いと思うんですけどねぇ~。  否、遜色がないと言うよりは、その系列にありながらもどこかに「ちょっと違う何か」が感じられる作品集のように思うのです。  なんて言うか、西洋の童話的なモチーフに寄り添いながらも、一種独特の雰囲気を持っているとでも言いましょうか??

 

たまたま今日、Amazon をチェックしていたら、KiKi にとってと~っても悩ましいニュースが載っていました。  な、な、なんと、あの上橋菜穂子さんの、あの「獣の奏者」の、外伝が出るらしい!!!!  詳細はこちらです。

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120万部突破の人気シリーズ「外伝」登場。  エリンとイアルの同棲時代、師エサルの若き日の苦い恋、息子ジェシのあどけない一瞬......。  本編では明かされなかった空白の11年間にはこんな時が流れていた!

 

で、上橋さんのコメントもあってそれは


ずっと心の中にあった
エリンとイアル、エサルの人生――
彼女らが人として生きてきた日々を
書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。
「刹那」はイアルの語り、「秘め事」はエサルの語りという、
私にとっては珍しい書き方を試みました。
楽しんでいただければ幸いです。

というもの。  いや~、これは楽しみです。  因みに予定発売日は2010年9月4日とのこと。  でも KiKi がこの本を読むことができるのはいつになることやら・・・・・・ ^^;

因みに Amazon にはこんな特集ページまでありました。  で、このページを目を見開いて眺めていたら「獣の奏者 外伝 刹那」を少し読む な~んていうリンクページがあって思わずクリック、クリック。  そしたらこ~んなページに繋がってしまいました。  ついつい調子に乗って読み始めちゃったので、結局最初の10ページのみ既読になってしまった・・・・・・ ^^;

う~ん、これは予約ボタンをポチッと押すことになってしまうんだろうか????  ああ、9月の図書購入費が恐い・・・・・・(汗)  10月に向けて「図書費予算支出」を抑えておこうと思っていた矢先だったのにぃ!!!!!  

村田エフェンディ滞土録
著:梨木香歩  角川文庫

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時は1899年。  トルコの首都スタンブールに留学中の村田君は、毎日下宿の仲間と議論したり、拾った鸚鵡に翻弄されたり、神様同士の喧嘩に巻き込まれたり...  それは、かけがえのない時間だった。  だがある日、村田君に突然の帰還命令が。  そして緊迫する政情と続いて起きた第一次世界大戦に友たちの運命は引き裂かれてゆく...  爽やかな笑いと真摯な祈りに満ちた、永遠の名作青春文学。  (文庫本裏表紙より転載)

ああ、この物語は好きだなぁ・・・・。  正直なところ「沼地の~」にはあまり感銘を受けなかった KiKi にとって、次の梨木作品に手を出すのにはささやかな抵抗・・・・というか、迷い・・・・のようなものがあったんですよね~。  でも、この物語はあの「沼地の~」を読んだ時点で感じた居心地の悪さみたいなものとは無縁でした。  今から遡ること百年以上前の土耳古(トルコ)を訪れた、古き良き日本人の美徳を満々と湛えたような留学生・村田エフェンディの、かの地で出会った各国から訪れた人々とのかけがえのない邂逅と離別の物語です。  いかにも知識人という雰囲気を持ち合わせた高潔且つ内省的な人たちも魅力的。  そしてそんな彼らが集うディクソン夫人の下宿屋(?)はあたかもサロンのようで、そこで語り合われる国家という枠組みを超えた世界観・人生観・・・・・のようなものには多くのことを考えさせられます。  

文中に出てくるローマの劇作家・テレンティウスの「わたしは人間である。  およそ人間に関わることでわたしに無縁なことは一つもない」 という言葉には是も非もなく頷かされました。  そして最後の場面で多くの苦難の末に村田のもとに辿り着いた、ディクソン・サロンの時間を共有した鸚鵡と村田の対話 「ディスケ・ガウデーレ」(楽しむことを学べ) by 村田 & 「友よ。」 by 鸚鵡 には胸を熱くさせられました。 

       

王女グリンダ(上)(下)
著:茅田砂胡  中公文庫

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国を追われた王ウォル・グリーク。  常にその傍らで王座奪回に助力し、人ならざる働きで戦女神と称えられた少女グリンダ。  内乱から三年――。  王女としてデルフィニア王宮に迎えられたグリンダを狙い、伝説の暗殺者一族が刺客を放つ!  好評のうちに完結した「デルフィニア戦記」のプレ・ストーリー決定版。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

南方の新興国家グランディスからグリンダに第一王子の妃として婚姻の申し入れが。  継承権を持たぬ王女を望む先方の思惑はどこに?  策謀の臭いをかぎ取った王女はシェラを伴いグランディスに乗り込むのだった!  好評のうちに全十八巻をもって完結した「デルフィニア戦記」のプレ・ストーリー決定版。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この本と「デル戦」との関係を正しく理解しないまま読み始めた KiKi は途中で頭が???に・・・・・。  「デル戦」ではシェラの正体を初めて知ったシャーミアンが激昂のあまり剣を抜き、イヴンがそのシャーミアンの前に立ちはだかり回復不能な傷を負ってしまい、そのイヴンの傷をリィが不思議な力で治し・・・・となっていたはずだったのに、この物語ではそんなことが起こりようのない設定になっているじゃありませんか!!  おまけにシェラが育った場所の設定も異なるし、何がどうしてどうなっているんだ??と混乱してしまったのです。  何せ KiKi の勝手な思い込みとしては、この物語、言ってみれば「デル戦」のサイド・ストーリーだと思っていたのですから・・・・・(笑)  で、下巻まで読み終え巻末の作者のあとがきを読んで初めて、この物語が「デル戦」が描かれる前に著者が書いた、別バージョンの「デル戦」だったことを知り納得した次第です。  なるほどね~。  これが「原型」だったんですね~。

両方を読んでみての感想としては、さすがに「デルフィニア戦記」の方がよく練られているな・・・・ということ。  この物語もそこそこ面白い・・・・とは思うのですけど、やっぱり「デル戦」はこの「原型」を書き上げた後で再度多くの設定を考え構築し直して書かれた作品であるだけに、世界観の厚み・・・・みたいなものが違うなぁと思うのです。  いずれにしろこうして両方を読んでみると、結局のところこの物語(デル戦 & 王女グリンダ)の主人公はウォルではなくリィだったんですねぇ・・・・・。  

デルフィニア戦記第4部 伝説の終焉Ⅰ~Ⅵ
著:茅田砂胡  中公文庫

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獅子の紋章で封じた招待状を受け、各国の使者達が大陸全土からコーラルに集う。  白亜の城では盛大な和平式典が催されるが、その陰でタンガ・パラスト両大国は飽くことなき権力への執念を燃やしていた。  偽りの宴と知りつつ、デルフィニアの国王夫妻は敢然と顔を上げ、互いの手を取り広間へと踏みだした。  (文庫本Ⅰの裏表紙より転載)

フェズ河以北の一帯、カムセンの地がデルフィニア領となって半年。  タンガの元領主らがゾラタス王の制止すら振り切り、失地回復を叫んで挙兵した。  早期鎮圧を目指し最前線で大剣を揮う戦女神リィに、再びファロットは暗殺の魔手を伸ばすのだった。  (文庫本Ⅱの裏表紙より転載)

トレニア湾にスケニアの大艦隊来襲。  国境沿いにタンガ軍二万集結  。ビルグナ砦陥落!  王妃の矢傷も癒えぬうちに、デルフィニア包囲網は厚く強固に完成されつつあった。  獅子王ウォルは防戦を余儀なくされる。  この危機に、独騎長イヴンは形勢逆転の切り札を担ぎ出すべく単身大海に乗り出した!!  (文庫本Ⅲの裏表紙より転載)

生きて戻れ―  リィの言葉に送られて、ファロット一族との血塗られた関係を清算すべく、シェラは北を目指す。  一方、別行動を取ったリィは、タンガが仕掛けた罠により、騎士団員千人の命と交換に虜囚となった。  意識を奪われた戦女神に必殺の針を手にしたレティシアが迫る―。   (文庫本Ⅳの裏表紙より転載)

リィを次期タンガ国王ナジェックの妻となす―  勝利の女神を辱め、戦意を削がんとするゾラタスの卑劣な策謀。  ウォルは国王という枷を従弟に押しつけ、国境に向け馬を駆る。  随伴するは二騎。  リィの異世界での相棒ルウと人間として生きることを決めたシェラ。  ここに、最後の戦いが始まろうとしていた。   (文庫本Ⅴの裏表紙より転載)

放浪の戦士と異世界の少女の出逢い―  すべてはここから始まった。  盟約という固い絆で結ばれた二人は、いくたの危地を乗り越え、あまたの戦に勝ち抜いて、戦士は大国の王に、少女は王と国の守護神となった。  獅子王と妃将軍が紡ぐデルフィニアの伝説が、ここに完結する。  (文庫本Ⅵの裏表紙より転載)

いや~、さすがに長かったですぅ・・・・。  でも、最後までとってもスピード感を持って読み進めることができました。  あちらこちらに突っ込みどころは満載だし、途中までは誰が誰だかわからなくなってしまうこともあった(だって何となく主要登場人物のキャラが似ているんだもん・・・・ ^^;)りしたけれど、さすがに全巻、皆さんとお付き合いしてくると最後にはそれぞれのキャラの特徴みたいなものもはっきりしてきてよかったです。  特にこの第4部はデルフィニアが迎えた最大級の動乱とそのデルフィニアを勝利に導いた勝利の女神の伝説の物語・・・・ということで山場もいっぱいありました。  

個人的には一番興味深かったのはシェラかなぁ・・・・。  そもそもはリィの暗殺者で、命じられるままに人を殺す(そこに自分の意思はない)「殺人マシーン」みたいな子だったのが、変貌していくさまはとても興味深く読み進めることができました。  で、最後の最後は、「金・銀・黒ネズミトリオ」(named by ウォル)に加盟とは・・・・・(笑)  まあ、金 & 黒ネズミはもといた世界に帰っただけだけど、その後のシェラがどうなったのか?にはとっても興味があります。  あっちの世界へ行っちゃったわけだけれどヴァンツァー(シェラも所属していた暗殺者集団ファロット一族の1人でシェラの手にかかって絶命した人)には会えたんだろうか???

 

デルフィニア戦記第3部 動乱の序章Ⅰ~Ⅴ
著:茅田砂胡  中公文庫

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リィとの一騎打ちに敗れたナジェック王子が敵軍の手に落ちたことで意気消沈するタンガの陣に、国王ゾラタス率いる援軍が到着した。  迎え撃つデルフィニア国王ウォル・グリーク。  両国の王を将とした大軍が国境の砦をはさみ対峙する。  パラストを加えた大華三国は三つどもえの戦乱に突入してしまうのか。  (文庫本Ⅰの裏表紙より転載)

「タウは銀山也」タンガ王ゾラタスに届けられた知らせは、デルフィニアに強奪されたタウ東峰が宝の山だと告げていた。  この密告こそ、タンガ挙兵を誘うべくウォルたちが仕掛けた罠であった。  しかし、鬨の声はデルフィニア西方、パラストから挙げられる。  微妙な均衡を保つ大華三国が、ついに動乱の時を迎えようとしていた―。  (文庫本Ⅱの裏表紙より転載)

グラハム卿ら西部領主たちが反旗を翻した。  身内の裏切りによりウィンザに出陣していた国王ウォルの軍は大敗、ラモナ騎士団も壊滅する。  タンガ・パラスト両国はデルフィニアに宣戦布告し、ウォルは囚われの身に...。  しかし、この一大事に何故か王妃リィは姿を消し、残された人々は国王救出に奔走する。  (文庫本Ⅲの裏表紙より転載)

国王を人質にして戦端をひらく―愚劣だが確実な作戦を用いてなお、敗北を喫したタンガとパラスト。  デルフィニアの突出をくいとめなければ滅亡するのは...。  かくして恐怖に戦く両国王は二国再連合とスケニア、さらにファロット一族を巻き込んでの起死回生の策に出た。  (文庫本Ⅳの裏表紙より転載)

隣国の版図拡大をおそれるタンガ・パラスト両国王。  彼らは、デルフィニア王妃暗殺を秘かにファロット一族へ依頼した。  暗殺集団の威信をかけ最強の術者を送りだすファロット一族―  コーラル城の華やかな喧噪に紛れ、巧妙に、精緻に張りめぐらされる暗殺の罠。  リィに最大の危機が迫る。  (文庫本Ⅴの裏表紙より転載)

うんうん、さすがに「内乱記」から「近隣各国とのすったもんだ」になってからのほうが面白いなぁ。  と言うのも、基本的にこの物語、ウォルの敵になる相手が小物すぎるきらいがあると思うんですけど、それでもさすがに相手が近隣王国の王様となってくると、少しは期待が持てそうな雰囲気が漂ってくるんですよね~。(まだ、定かではないんですけど・・・・)  それと同時にこの第3部ではウォルの本当の意味での愛妾問題とか、バルロやナシアスの恋の物語なんかもでてきて、特徴(個性)の乏しかったウォルを取り巻く人々の本質・・・・みたいなものが生き生きとしてくる感じがするんですよ。  あ、一応お断りしておくと基本的に KiKi は恋愛小説みたいなものはあんまり趣味じゃなくて、恋愛シーンにときめいたりすることは皆無なんですけどね(苦笑)。  

そうそう、そして第2部から登場したシェラも少しずつ興味深いキャラになってきています。  そしてシェラが無意識ながらもその一翼を担っていたファロット一族がなかなかいい味を出しています。  

 

デルフィニア戦記第2部 異郷の煌姫Ⅰ~Ⅲ
著:茅田砂胡  中公文庫

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デルフィニアの内乱に勝利し、ウォルは再び玉座に即いた。  黄金の戦女神とたたえられたリィもまた王女の称号をもって白亜の宮殿に迎えられた。  それから三年―平穏だった王都に暗雲が立ちこめる。  リィをつけ狙う不気味な暗殺者。  不可解な公爵家の挙兵。  陰謀を察知したウォルの決断とは。  (文庫本Ⅰの裏表紙より転載)

騎士バルロが出撃する。  叔父マグダネル卿を討つために―!  サヴォア一族の内紛とは王家失脚を企む卿と、その陰謀を阻止せんとするバルロの対立だったのだ。  卿の背後にはデルフィニアを狙う隣国タンガとパラストが蠢いていた。  この国を揺るがす危機をウォルそしてリィはいかに乗りきるのか。  (文庫本Ⅱの裏表紙より転載)

国王の下には押しかけ愛妾が出現し、王女にはタンガの皇太子との縁談が持ち込まれた。  暗殺の次は策略か!?  日頃は剛胆なウォルも無敵のリィも、敵国の謀議に激怒した。  この事態に抗すべく両者の婚姻がデルフィニアの国を挙げて敢行される。  が、厳粛な式の最中、急を告げる使者の叫びが聖堂に響きわたる。  (文庫本Ⅲの裏表紙より転載)

なんだか呆気なく読めちゃうんですよ。  で、読んでいる間つまらなかったり苦痛だったりするわけじゃないんですよ。  まあ、楽しいか?と問われるとそれも微妙なんですけど・・・・・。  でもね、読み終わった後で何かが残るかっていうと何も残っていない・・・・・そんな不思議な物語ですねぇ。  読んでいる間誰が誰だったかわからなくなるっていうことはないんです。  でも、読み終わった後で思い返してみると、ウォルとイヴンとバルロとナシアスの誰がどこでどうしたのかは思い出せないんですよ。  まあ、かろうじてウォルは王様なのでそれなりに特殊なイベントもいろいろあって区別がつきやすいんですけど、イヴンとバルロとナシアスは正直なところこんがらがっちゃう・・・・・ ^^;  

で、物語の筋とは別のところで思ってしまうのです。  こんなまるで同好会みたいな、仲良しクラブ的な人員体制(人格集団とでも言うべきか?)で1国の中枢に関わり、国を動かしていていいんだろうか??ってね(笑)  そういう意味ではシェラ(リィを暗殺しようとしている女装の男性)の感覚はある意味でとっても説得力があると思うのです。  曰く、

「この王宮は化け物の巣だ。」

まあ、化け物かどうかはともかくとして、やはりある種の異常性を感じずにはいられません。

 

何となく・・・・・読了した1冊ずつで Review を書くのがちょっとしんどいなぁと感じていたので、とりあえず第1部の「放浪の戦士」の残りを一挙に読み終えてしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

デルフィニア戦記第1部 放浪の戦士Ⅲ & Ⅳ
著:茅田砂胡  中公文庫

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