歴史関係の最近のブログ記事

ひとつ前のエントリーでご紹介した本を読了しました。  たまたま読了した直後は夏バテピークですぐにブログエントリーをおこす元気もなかったのですが(実は今日もまだ何気に不調・・・・ ^^;)、感想を忘れないうちに記録しておきたいと思い、今日は PC に向かっています。

日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦
編:NHKスペシャル取材班  新潮社

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昭和55年。  東京・原宿にある旧海軍将校のOB団体「水交会」に、日本海軍の中枢にいたエリートたちが集まった。  元大尉から中将まで、参加者はのべ40人。  月1回の会合は「反省会」と呼ばれ、平成3年まで130回以上、開かれた。  「戦争の真実を語り残す」という目的のもと、「門外不出」を条件に、会はすべて録音されていた。  開戦を巡り陸軍と海軍では水面下でどのような動きをしていたのか、特攻作戦の本当の発案者は誰でどのような理由で決行されたのか、戦後の東京裁判で海軍軍人を守るために、海軍はどのような手をうったのか----など、幅広いテーマが議論されたのである。  録音されたテープは計400時間。  時には出席者間で激論を交わし、戦時中は雲の上の存在だった上官に真実を厳しく追及する場面もあった。  この貴重な記録を基に、証言者、その遺族、関係者や史・資料など、広範な関連・裏付け取材を行い、埋もれていた太平洋戦争の裏面史に光をあてる。  (Amazon 内容紹介より転載)

編者名でもわかるとおり、こちらの本は「NHK スペシャル」で放映された番組のいわば編集後記のような本でした。  東京・原宿にある旧海軍将校のOB団体「水交会」で130回近く開催された日本海軍の中枢にいたエリートたちによる「反省会」のテープが出てきたところから話は始まります。  元大尉から中将まで、参加者はのべ40人。  「戦争の真実を語り残す」という目的のもと、「門外不出」を条件に、その会の様子のすべてが録音されていたとのこと。  

日本では東京裁判の結果等から、「海軍善玉説」がまことしやかに語られてきたけれど、陸軍だけが糾弾された歴史にはどこか納得のいかないものを常々感じていた(但し、自分で色々調べてみて何らかの根拠があったからというわけではありません。  感覚的に『胡散臭い結論だよな』と思っていたにすぎません。)KiKi にとって、その海軍のお偉方(といっても本当の意味でのトップではなく、その直下にいた将校レベルですが)が仮にも「反省会」と名付けた会合で語られた内容に興味を持ち、図書館から借り出してきました。  

読了して感じることは、タイトルから期待される日本海軍400時間の証言を題材にはしているし、その中から拾った証言そのものもかなり抜粋されて記載はされているものの、それを聞いた取材班面々の想いのような記述が多すぎるうえに、ある1つのトピックに対する反省会上での応酬といった部分の緊迫感のようなものは全く感じられず、正直なところ肩透かしを食らったような気分を持ったことをまずは記載しておきたいと思います。

もちろん、録音テープだけでは証言内容を正確に把握することはできないので、証言を実証するためという意味もあって、NHK取材陣が公文書館や士官の遺族を回るという気が遠くなるような検証過程が描かれるのは、ある意味ではフェアなことなわけですが、どうしてもその苦労の中で生まれてきた「戦争を知らず、現代感覚で事象に向かった際に感じる取材班面々のある種の想い」が出てくるのはやむをえないこと・・・・とはいえ、それがこの大事な証言に向かった際に必ずしも是とすべきものなのかどうか、疑問を感じずにはいられませんでした。  そしてそんな彼らのバイアスを通した著述からだけ何かを感じるのは間違っているだろうという自制心を常に要求されたことによる疲労感が残る読書体験だったように思います。

小説十八史略(4) 陳舜臣

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豪雪にまみれ、雪かきやら何やらで忙殺されて疲労も Max に近い中、何とか読了したのが古代中国史の中でももっともゴチャゴチャしていて何が何やらわからない時代のお話・・・・・。  学生時代もちんぷんかんぷんだったけど、せっかくの今回の読書も己の生存のための格闘の中では字面を追って終わりというのに近い状態でほとんど身につくことなし・・・・・(涙)  でもまあ、せっかく読了したので記録ぐらいはちゃんと残しておこうと思います。

小説十八史略(4)
著:陳舜臣  講談社文庫

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三国志時代、それは中国史上でもっとも波乱に富み、もっとも興味深い時代である。  後漢の無法政治の闇のかなたからヒーローの時代の光が差す。  諸葛亮孔明と劉備の親交、曹操の権謀、孫権の術数など、人々は躍動し、蠢動する。  そして、次なる隋の大統一達成まで、時の流れは瞬時のよどみもない。  (文庫本裏表紙より転載)

この第4巻がカバーしているのは、三国志の時代から、司馬炎の晋、さらには五胡十六国というゴチャゴチャしていてどうしても記憶に残らない乱世を経て迎えた南北朝時代、そして最終的には隋により南北が統一されるまでです。  馴染みのある三国志時代まではかなり楽しく読むことができたんだけど、そこから先は正直ちょっぴり苦痛な読書となりました。

と言うのも入り乱れる民族の数だけは増えるんだけど、建っては滅びる大小さまざまな王国に個性みたいなものがまったく感じられないんですよ。  生まれては消えていく王国はそれぞれ出自こそ違えども、どれもこれもが似たりよったりの興亡の経緯を見せるうえに、滅びる時にその原因となる出来事も似たりよったり・・・・・。  このこと即ち記憶に残らないということとも同義なわけで、連日の雪かき作業で疲労困憊している身には誰が誰やら、何が何やらという感じです。  結果、印象に残るのは「よくもまあこれだけ多くの覇者が生まれては消えていったもんだ」ということと、「ホント、中国人っていうのは激しいわねぇ・・・・」ということぐらい ^^;

あっちも短命ならこっちも短命。  あっちでも皆殺しがあればこっちでも皆殺しという感じで、まあそれが「乱世」というものなのかもしれないけれど、「和を以って尊しとなす」という精神文化の国に生まれ育った KiKi には唖然とするしかないような物語の連続です。  


頁だけは着々と進むものの、ほとんど何も・・・・・と言っていいほど記憶には残っていかない「中国史」です。  全6巻のうちようやく前半を読み終えました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

小説十八史略(3)
著:陳舜臣  講談社文庫

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名君武帝を得て、空前の黄金期を迎えた前漢にも、やがて衰退の風が吹き始める。  西暦8年、帝位を簒奪した王莽は新を樹てた。  しかし、その政権は余りにもあっけなく滅ぶ。  ― 英雄は激動の時代に生まれる。  大陸も狭しと濶歩した梟雄豪傑たち、そして美姫。  その確執葛藤の織りなす人間模様を活写。  (文庫本裏表紙より転載)

この巻では武帝がもたらした前漢の全盛期から同じ武帝末期の失政とそれに端を発する前漢の衰退と滅亡。  続く王莽の時代、さらには後漢の成立と外戚・宦官の横暴によるその衰退。  そしてそんな中で発生した黄巾の乱とそれが契機となった群雄の登場までがカバーされています。  要するに最後の方であの超有名な「三国志」の登場人物たちが少しずつ顔を見せ始めます。

「三国志」(「三国志縁起」をベースにした物語集というべきか)だけはそこそこ読んできた KiKi ですが、その三国志の時代に至るスッタモンダをあらためて知ることができたという意味ではかなり貴重な読書体験になりました。  これだけ乱れに乱れていたら、そりゃあ弱肉強食、群雄割拠の時代が訪れるには十分すぎるほどの時代背景だよなぁ・・・・・と。  と同時に、このシリーズを読了したら早速着手しようと準備している「北方謙三 史記・武帝記」の読書へは大きなモチベーションとなる1冊でした。


高校時代から苦手意識の元凶となっていた中国史。  とは言えお隣の国 あ~んど 文化的には我が日本国は何かとお世話になった国の歴史ですから、覚える・覚えないはともかくざっと俯瞰してみようと読み始めたシリーズの2巻目です。  ま、たまたま父の蔵書として手元にあったから読み始めたんですけどね(苦笑)

小説十八史略(2)
著:陳舜臣  講談社文庫

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始皇帝死後、陣勝、呉広の乱に端を発し、中国大陸はふたたび戦乱の渦にまきこまれた。  項羽、劉邦の相次ぐ挙兵。  大秦帝国はもろくも滅んだ。  そして劉邦と項羽の争いは劉邦に凱歌があがる。  漢の誕生である。  文帝、景帝につづいて即位した武帝は、漢に黄金時代をもたらす。  時代を動かす英雄たちの足跡。  (文庫本裏表紙より転載)

この巻では始皇帝の晩年から、項羽と劉邦の争い、そして漢の成立、武帝の登場までが描かれています。  物語自体は楽しく読んだものの、読了した今、じゃあ書かれていたことの中で何を覚えているのか?と自問してみると、読み始める前とほとんど変わらず、秦を倒したのは漢の高祖(劉邦)で、その後パッとしない後継者が何代かいて武帝が登場・・・・というだけのもの。  ただ項羽と劉邦の戦いについては久々に文字になっているものを読んだので、かなりワクワクしたという記憶だけは鮮明です(苦笑)

我が国の豊臣秀吉同様、どうしても「成り上がり者」の印象の強い劉邦だけど、やたらと血筋のよろしい方と比較して、どこか底知れない魅力みたいなものを感じさせると思います。  

結構面白かったのは、漢建国後の女性たちの暗躍ぶりのお話で、皇帝の寵姫にとんでもないことをしちゃう皇后さんのお話はさすがにゾッとしちゃう(だってそのなぶり殺しぶりは人間のすることとは思えない・・・・ため息)けど、それ以外の女性たちのやっていることはもう少しソフトで(とは言っても自分に都合の悪い人は殺しちゃうわけだから決して心から感心はできないけど)、彼の国の歴史の鮮烈な部分をあらためて認識したように思います。

      

じぃじの趣味の1つは中国文化史探求です。  その流れの中で「水墨画」に手を出したり、「篆刻」に手を出したり、「囲碁」に手を出したり、「陶芸」に手を出したり(← 中国文化のような日本文化のような・・・・という感じですが ^^;)という流れがあるのですが、どれ一つとして極めてはいません(苦笑)  ただあれにもこれにも手を出したということは「広く浅く」知識を蓄えたということにも通じていて、ちょっとした博学ぶりを示しています。  現在お世話になっている老人ホームでも施設長さんから「本当に幅広く色々なことをご存知で、お話していると勉強になります。」なんぞと言われています。

さて、そんな「中国文化史探求」の趣味の中でもっとも長続きしているのが読書による知識の整理という分野で、暇な老人ホーム暮らしの中で KiKi に対してもっとも注文が多いものの一つに「本の調達」というお仕事が挙げられます。  特に12月は病院生活が長かったため、読書でもしていなければ暇で暇でしょうがなかったみたい・・・・・。  何せ入院の原因となった病気が「狭心症」ですから、日がな一日ベッドの上で過ごすことが余儀なくされていたのですから・・・・・。  そんな時期にじぃじからのリクエストで調達した本を「せっかく手元にあるわけだから・・・・・」と KiKi も読み進めてみることにしました。  本日はその第1作目です。

小説十八史略(1)
著:陳舜臣  講談社文庫

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夏に先だつ幾千年、中国中原に君臨した神々。  時代は下り、やがて殷へ。  暴君紂王を倒して次なる世界を開いたのは周だった。  その周を大動乱をへて秦に統一される。  ― 英雄は激動の時代に生まれる。  大陸も狭しと潤歩したあまたの梟雄豪傑たち、そして美姫。  その確執葛藤の織りなす人間模様を活写。  (文庫本裏表紙より転載)

高校時代の世界史の授業の中でもっとも苦手だったのは「古代中国史」でした。  まるで日替わりメニューのように、次々と表れる王様 & 国々。  しかもその大多数がいわゆる「当用漢字」にはないような漢字で書かれ、しかも表れては消える(復興したりもする)ので何が何やらちんぷんかんぷんでした。  中学時代のKiKi は「歴史」を「暗記科目」とは考えていなかったのですが、高校に入って世界史を学ぶようになってから、必然的(?)に「暗記科目」扱いしないと授業のスピードについていけないというジレンマに陥り、結果的に「世界史」という科目を得意科目から苦手科目に大転落させたという苦~い経験を持っています。

この第1巻はまさにその KiKi が超苦手としていた「古代中国史」の時代を扱っています。  案の定、次々と表れる王様の名前やら国名に翻弄されながら、知識として蓄えられることは何一つないまま読了してしまいました ^^;  でも、そこは「テスト」のない気楽さも手伝い、「あんなこともあった、こんなっこともあった」というエピソードの羅列としては楽しく読むことができました。  「誰が、いつ、あんなことをした」は相変わらず頭には残っていないんですけどね。

  

つい先日、このエントリーでお話したように、ほんの少しだけ Kindle の操作を理解したことによって何とか読むことができるようになった「吉川英治・宮本武蔵」を早速読み始めてみました。   「吉川英治・三国志」の方は現段階では全巻通読できないことが判明したのでしばらくの間、お休みです(苦笑)

宮本武蔵 01 序、はしがき
著:吉川英治 青空文庫

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宮本武蔵 02 地の巻
著:吉川英治 青空文庫

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野に伏す獣の野性をもって孤剣をみがいた武蔵が、剣の精進、魂の求道を通して、鏡のように澄明な境地へ達する道程を描く、畢生の代表作。若い功名心に燃えて関ケ原の合戦にのぞんだ武蔵と又八は、敗軍の兵として落ちのびる途中、お甲・朱実母子の世話になる。それから一年、又八の母お杉と許婚のお通が、二人の安否を気づかっている作州宮本村へ、武蔵は一人で帰ってきた。  (Amazon 吉川英治文庫の内容紹介より転載)

世の男性諸氏にとっては「宮本武蔵」という名前は何らかの憧れをもって語られることが多いのではないかと思うのですが、残念なことに(?) KiKi は一応♀なので、これまでの人生の中でさほど彼という人物に興味をもったことがありませんでした。  時代小説・歴史ものは昔から好きだったうえに「吉川英治の宮本武蔵」とくればそこそこ評判も良かった作品なので、文学作品としての興味は辛うじて持ちあわせていたけれど、それ以上でも以下でもない・・・・・・そんな感じでした。

ま、その程度の興味なのでこの「吉川・宮本武蔵」は大学時代に斜め読みでサラサラッと一読したことはあれど、恐らくあまり熱意を持って読んだという感じではなかったのでしょうね。  正直なところ、さほど感銘を受けたとは言い難い読書だったうえにどんなお話だったのかもうろ覚え状態でした。  ま、逆に言えばその程度の「いい加減読書」しかしていなかったということもあって、以前から「機会があればもう一度読んでみよう」という思いだけは抱き続けてきた作品でした。

今回、Kindle で無料本として Get できたのはそういう意味では KiKi にとっては「神の恩寵」と言っても過言ではないような出来事で、迷わず最初のダウンロード本として選んでみました。 

「三国志」の方もそうだったけど「01 序」は本当に序文だけ・・・・・(笑)  でも、ここを読んでみると作者「吉川英治さん」がこれらの作品・その世界観・登場人物たちにどんな想いを抱いているのかがじんわりと伝わってきて、それが作品を読み進めていく中であたかも地下を流れる伏流水の如く、表面的には何ら声高な主張はしていないものの、「なくてはならないもの」「作品に流れるある種の生命線」のようにじわじわと伝わってくる感じがします。  と同時に、イマドキの本では滅多に味わえない何とも深みのある語彙選択・日本語のリズム感の美しさみたいなものが感じられます。


楊家将 上 北方謙三

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北方水滸・楊令伝をとりあえず読破した記念に、楊令とその養父楊志のご先祖様の物語にもちょっと手を出してみたくなりました。  ま、それより何より、たまたま沼津の実家にこの本があったから読んでみる気になったという方が的を射ているかもしれませんけど・・・・(苦笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

楊家将 上
著:北方謙三  PHP文庫

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『水滸伝』『楊令伝』に脈打つ楊家の魂、ここにあり!  宗建国の英雄・楊業とその一族。  過酷な運命のなかで光り輝き、青面獣楊志、楊令にも語り継がれた漢たちの熱き闘い。  (文庫本帯より転載)

中国で「三国志」を超える壮大な歴史ロマンとして人気の「楊家将」。  日本では翻訳すら出ていないこの物語だが舞台は10世紀末の中国である。  宋に帰順した軍閥・楊家は、領土を北から脅かす遼と対峙するため、北辺の守りについていた。  建国の苦悩の中、伝説の英雄・楊業と息子たちの熱き戦いが始まる。  衝撃の登場を果たし、第38回吉川英治文学賞に輝いた北方『楊家将』、待望の文庫化。  (文庫本裏表紙より転載)

「北方水滸」で早々に命を散らすことになる青面獣楊志、そしてその養父の死を目の当たりにするあたりからかなり特異な光を放ち始め、挙句、続く「楊令伝」ではタイトル・ロールを演じることになる楊令。  そんな2人のルーツ(と言っても楊令は楊志の養子だから厳密な意味ではルーツとは言えないかもしれないけれど)ともいうべき宋建国の英雄・楊業とその一族の物語ということで、ついつい手を出してしまった1冊です。  全2巻のうち現段階ではまだ上巻なので話は始まったばかり・・・・・という感もなきにしもあらずですが、年代的にはこの後に続く水滸伝、楊令伝でも描かれた文官 vs. 武官の確執とか、多くの小国が建っては滅びていくその空気感みたいなものがじわ~っと漂ってくる物語だと思いました。

さて、この楊業さん、現代の少子高齢化日本では想像できないほどの子沢山で7人の息子と2人の娘がいるそうな・・・・。  そしてこの男の子たちがそれぞれ「武家の男」として鍛え上げられているわけだけど、それぞれが少しずつ資質が異なり、戦の仕方や配下の兵との接し方も違うらしい。  そのあたりの書き分けみたいなものは「水滸伝」や「楊令伝」と比較するとちょっと粗いような気もするんだけど、これは上下2巻という冊数の少なさによる部分も大きいのかもしれません。


一挙に2冊読了!

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さて、一昨日からLothlórien_山小舎に帰ってきている KiKi ですが、昨日はお天気も不安定、長距離ドライブの疲労も手伝ってほぼ丸一日ウダウダと過ごしていました。  もちろんウダウダしている時、ただ単にぼ~っとしているわけではなく(何せ KiKi はあのばぁばの血を引いているのですから、ぼ~っとばかりしていたら認知症への道をまっしぐらとなってしまいます!)、こういう時のためのお友達が 読書 & 音楽鑑賞なのです。

本来なら限られた時間の我がグランド・ピアノとの対面なので、久々のピアノ弾きまくりといきたいところなのですが、ピアノを弾くっていうのは案外体力が必要なんですよね~。  蓄積疲労と頭が少しぼ~っとしている状態でピアノを弾いてもいいことは1つもないことは長年の経験でよ~くわかっています。

ま、てなわけで、お布団の上でゴロゴロしながら、最近ではなかなか集中して読書タイムを持つことができずにいたので、実家から持ってきた本を読んでいたらあっという間に読了してしまいました。  で、本来ならここで久々の読書カテゴリーの「感想文」アップといきたいところなのですが、残念なことに今読んでいる本はシリーズもの。  (北方謙三さんの「楊令伝」のしかも第9巻という真ん中辺 ↓)  中途半端なエントリーを書いてもそれはそれ、ストレスの素です。


楊令伝 9
著:北方謙三  集英社文庫

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歴戦の同志を失いながらも、梁山泊軍は、童貫軍と全軍あげてのぶつかり合いを続けている。  乱戦の中、戦場の中央に陣取る郭盛軍は少しずつ前進を始めた。  童貫は『幻』の旗に向かい、岳飛は楊令軍を止めるべく疾駆する。  一方、金軍は宋領深く南下し、青蓮寺は北の大商人たちの財産接収を始めていた。  歴史が大きく動こうとするなか、ついに楊令と童貫が戦場で邂逅する。  楊令伝、圧巻の第九巻。 (文庫本裏表紙より転載)

でね、早速次へ・・・・・と思ったら、最近ではめっきり読書ペースが落ちているので不覚にも KiKi は実家からこの先(第10巻以降)を持ってくるのを忘れちゃっていました・・・・・^^;  何せ1日で1冊読了な~んていうのは昨年末以降、ほとんどの時間を沼津で暮らすようになってから初めての経験だったもので・・・・・・。

でね、実は「北方水滸 & 楊令伝」は電子書籍でも買ってあったので(文庫本の方は父の蔵書)そちらで続きを・・・・・と思ったら、どうしたことか、SONY Readers の調子が悪くページ変更に恐ろしく時間がかかる症状が出てしまっていて、こんなんじゃ読書中のストレスがたまったものではありません。

しかも・・・・・です。  実は、つい先日、Sony Readers から司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の配信が始まったばかりでそれもダウンロードしてあったんだけど、こちらも同じ症状でとてもじゃないけど読書意欲を削ぐ時間のかかりようです。  ま、てなわけで仕方ないのでLothlórien_山小舎の本棚に鎮座している文庫本のこちらに手を出し、結果的にそれも読了してしまいました。


竜馬がゆく 1
著:司馬遼太郎  文春文庫 

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「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。  坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。  かれは土佐の郷士の次男坊にすぎず、しかも浪人の身でありながらこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。  竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説全8冊。  (文庫本裏表紙より転載)

この「竜馬がゆく」は学生時代に何度か読了しているんだけど、せっかくこのタイミングで電子書籍化されたので、久々に読んでみようと思っていたんですよね~。  で、わざわざ電子書籍で購入したにも関わらず相変わらず文庫本で読んでいるところが情けないんだけど、それでもせっかく購入したのに読むに読めないというのはもっと精神的によろしくないような気がしたので手を出しちゃったというわけ。  

山崎豊子氏の「不毛地帯」を読んでいた時から、一度は読んでおこうと考え待機させていた本をようやく読了しました。  本日の KiKi の読了本はこちらです。

瀬島龍三 ― 参謀の昭和史
著:保阪正康  文春文庫

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陸代を優秀な成績で卒業し、太平洋戦下の大本営作戦参謀を務め、戦後は高度経済成長期に商社の企業参謀、さらに中曾根行革で総理の政治参謀として活躍 - 激動の昭和を常に背後からリードしてきた瀬島龍三。  彼の60年の軌跡を彩る数々の伝説を検証し、日本型エリートの功罪と歴史に対する指導者の責任を問うノンフィクション力作。  (文庫本裏表紙より転載)

瀬島は、太平洋戦争時には大本営作戦参謀、高度経済成長期には商社の企業参謀、そして中曽根政権下の行政改革では臨調・行革審の政治参謀として活躍した昭和史そのものの参謀ともいえる人物である。  本書は、その参謀を身近に見てきた多くの人間にインタビューすることにより、もう一つの昭和史を描き出そうとしたものである。
瀬島は戦時に作戦参謀として多くの作戦にかかわり、東京裁判に証人として出廷、さらにその後はシベリアで抑留生活を送るなど、その体験からして本来ならば昭和史の貴重な証言者としての役割を果たすべき人物でもある。  しかし彼は、いついかなる場面においてもその真髄には触れず、周辺のごく瑣末な部分にのみ冗舌となる。  おそらくそうした真髄を語らない姿勢がまた、瀬島が常に参謀として「上司の信頼をもって」生き続けてこられた理由なのだろう。
著者は、綿密な取材によって瀬島が語らない昭和の裏側をかなりの部分明らかにしている。  しかし、瀬島自身に対するインタビューを終えた感想は「知りたかったことになにひとつ正確には話してくれない」ということだった。  おそらく、瀬島が語らなかったことは、そのまま昭和史の闇の中へ消えていくのだろう。  ただ一つ、瀬島の大本営参謀としての本音がもっとも正直に吐露されていると思われる『北方戦備』という自らが記した大著は、一般の人間は閲覧することのできない、防衛庁戦史室という密室に寄託されているということである。(杉本治人)  (Amazonより転載)

「不毛地帯」を読んでいる間にも何度も感じたことだけど、山崎豊子氏の描く「壱岐正」なる人物はあまりにも理想化されすぎていて、どこかリアリティに欠けていた(そうであればこその「物語」ではあるかもしれないけれど)ように思うんですよね。  で、その「壱岐正」のモデルとしてある意味で一世を風靡した「瀬島龍三」なる人物に関して興味を持ったわけだけど、この本を読んでみての感想は「やっぱり壱岐正は現実にはいなかった、フィクションだった」ということでしょうか??

個人的には瀬島龍三という人物に関して、実際に会って話したことも一緒に仕事をしたことがあるわけでもない KiKi 自身は肯定でも否定でもない立ち位置にいるつもりなんだけど、こと山崎豊子氏の作品に関する評価としては、題材をリアル世界に求めるのは構わないとしても、氏の作品が世論に及ぼす影響に関してもう少し慎重であってもよかったんじゃないのかなぁと思わないでもありません。  

もしも瀬島龍三氏が保阪氏がこの本で言っているように自分のイメージを巧みに「壱岐正」にすり替えていったようなところがあったとしたなら、そんな欺瞞行為に走った瀬島氏ももちろん褒められたものではないけれど、彼自身にも生活があるわけで、自分と家族が戦後を生き抜いていくために格好の「復権イメージ」、しかもどう読んでも自分をモデルにしているとしか読めない人物像がそこにあり、尚且つ世間がそのイメージを称賛していたとしたら、それを意識しないことは難しいだろうし、ましてそのイメージを壊すようなことはなかなかできるものではないというのもわからないではありません。  


例の交通事故事件が発生する前に読み始め、凡そ2/3 を読み進めたあたりで事故の第一報を受け、そこから約2週間、読書どころではない生活をしている間に、その本に書かれていたことをすっかり忘れ去ってしまった、そんな本をようやく読了しました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

逆説の日本史 10. 戦国覇王編 - 天下布武と信長の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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企んだのは朝廷か将軍義昭か、はたまたイエズス会か?  謎に包まれた本能寺の変の真相に迫る第十巻。  信長は残虐な無神論者ではなく、敬虔で寛容な政治家だった。  歴史学界の定説を覆し、「信長論」の新たなる地平を切り拓く野心的な歴史ノンフィクション待望の文庫化。
第1章: 織田信長の変革編 - 将軍義昭との抗争
第2章: 信長 vs. 宗教勢力の大血戦編 - 安土宗論にみる宗教弾圧の正当性
第3章: 新しき権力の構築編 - 大坂遷都計画と安土城の謎
第4章: 本能寺の変 - 明智光秀、信長暗殺の真相  (文庫本裏表紙より転載)

顕如は「生き仏」である。  だとしたら、それに対抗するためには「生き神」になるしかないではないか。  顕如が「来世の幸福」を保証する「生き仏」なら、信長は「現世の幸福」を実現する「生き神」たらんとしたのである。
つまり、信長が生きていれば、天正12年おそくとも13年頃、秀吉とは比べものにならない強固な統一政権が生まれ、秀吉のような国内戦のロスもなく外征に乗り出すことができたに違いないのである。
あの「無神論者」と評された信長ですら、天皇を海外に言わば「島流し」にするという方法は考えていたようだが、抹殺についてはまったく考えていないのである。  では、なぜそうなのか?  (文庫本表紙より転載)

「日本の歴史上の人物の中で誰に一番惹かれるか?」と問われると躊躇することなく「織田信長」と答えてきた KiKi にとってこの巻は実に楽しみだった巻でありました。  そういう意味では一気に読み終えたかったにも関わらず途中で突発事項が発生し、読みかけ状態で放置せざるを得なくなってしまったことがあの理由によるものでなかったら、ひょっとしたら本気で怒り出しちゃったかもしれません(笑)  

宗教心が希薄だと言われる日本人の気質の大元には信長が戦闘的な宗教集団と徹底して戦い、結果、この時期以降の大半の日本人が異なる宗教もしくは宗派間での血なま臭い争いから解放されることになったことにも起因するという井沢氏の分析には、心から賛同します。  世界中の歴史を見てもこの時期以降の日本の歴史ほど「政教分離」が徹底できていた世界はそうそう滅多にあるものではありませんから・・・・。

 

文句を言いつつもずっと読み続けている「逆説の日本史シリーズ」もとうとう9巻目です。

逆説の日本史 9. 中世野望編 ‐ 鉄砲伝来と倭寇の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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日本人の根本原理である「和の精神」が崩壊した下克上の時代を生き抜いた戦国武将たち。  織田信長、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条早雲らの「天下人たる資質」を徹底検証する。  混迷の時代にあって、"覇者の条件"とは何かを問う井沢流歴史ノンフィクションの白眉、待望の文庫化!

第1章: 琉球王国の興亡編

第2章: 海と倭寇の歴史編

第3章: 戦国、この非日本的な時代編

第4章: 天下人の条件Ⅰ 武田信玄の限界編

第5章: 天下人の条件Ⅱ 織田信長の野望編  (文庫本裏表紙より転載)

ポルトガル人は完成品である鉄砲を輸出して大儲けしようと思っていたのに、日本人はなんと鉄砲伝来の翌年に、国産化に成功してしまったのである。  ハイテク大国日本は何も今に始まったことではない。

私が「16世紀の倭寇」はほとんど中国人だと主張するのは、それが「真実」だからだ。  しかし、中国人の多くはそうは思わないだろう。  「倭寇は日本人の海賊のことで、日本人の残虐性の象徴だ」というのは、16世紀以来中国人の心の中にある一種の「民族的信仰」のようなものだからだ。

「16世紀の倭寇」は、「明の失政に起因する国内問題」として扱うべきだろう。  したがって「倭寇」という名称も適当ではない。  別の用語を用いるべきである。  (文庫本表紙より転載)

この巻はかなり楽しむことができました。  日本史を学生時代に学んでも「琉球史」に触れる機会は全くと言っていいほどないなか、第1章の「琉球王国の興亡編」は未知のことを知るという意味でかなり面白かったし、ついでに KiKi にとっては日本という国のアジアにおけるポジション(文字通り位置・地形的存在)についてあれこれ考察してみるいい機会になりました。  第2章の倭寇に関する記述も、倭寇と呼ばれている海賊軍団が必ずしも日本人集団でなかったことは知っていたけれど、実は日本人は多くても2割程度という具体的な数字を知ることができたのは収穫でした。

第2章でかなり印象的だったのは織田信長が定宿としており、結果的に命を落とすことになった「本能寺」が火縄銃を扱うのに欠かせない「煙硝ルート」だったというくだりでした。  鉄砲を扱うためには火薬が必要で、その火薬は煙硝がないと生産できず、しかもその煙硝は日本には産出しないというのははじめてちゃんと認識した事柄だったし、鉄砲が伝来した種子島の宗旨が法華宗(日蓮宗)でその本山が本能寺というのは今回初めて知りえた知識でした。  なるほどね~、井沢氏が「日本史における宗教的側面は極めて重要」と力説するわけです。

出歩くには暑すぎ、田んぼも畑もない東京では、やることも大してなく読書が進むモンですねぇ(苦笑)  もっとも東京での正しい暮らし方、「忙しく仕事をしていた」頃には、お布団の中だけが読書タイムで常に睡魔との戦いだったので、たまたま今の KiKi が東京ではやることが他にないだけなんですけどね。  ま、てなわけで本日の(厳密には昨日の) KiKi の読了本はこちらです。

逆説の日本史 8. 中世混沌編 ‐ 室町文化と一揆の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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なぜ世阿弥の名前に「阿弥」がつくのか?  応仁の乱の原因は"日本史上最大の悪妻"日野富子の嫉妬だった!?  既成の秩序や価値観が崩壊する一方で宗教が隆盛を極め、新たな文化が花開いた「室町」という時代の胎動、来るべき群雄割拠の予兆を説きおこす。
第1章: 「懶惰の帝王」足利義政編 - 無責任将軍が招いた応仁の乱
第2章: 日野富子と傀儡政権編 - 「半将軍」細川政元のクーデター
第3章: 国一揆と一向一揆編 - 律令制度の崩壊と新しい土地システム
第4章: 室町文化の光と影編  (文庫本裏表紙より転載)

朝鮮半島にも怨霊信仰はある。  しかし、大きく違うのは、怨霊のタタリは信じるが、それを危険なもの不浄なものと捉え、できるだけ避けようとする朝鮮半島に対し、日本はそれを丁重に鎮魂し、その行為によって御霊(=善神)に転換させようとする。  つまり、日本の怨霊は、少なくとも世阿弥の夢幻能に出てくる怨霊は、鎮魂済みの「神」なのである。
偶発的な政治バランスによるものではなく、堅固な思想的背景を持つ「一揆」として加賀一向一揆がある。  この一揆にはまさにカリスマ的なリーダーが存在する。  そのリーダーあってこそ、この「独立国」は成功を収めた。  そのリーダーの名は阿弥陀如来という。  (文庫本表紙より転載)

この巻は今までの中で一番読みやすかったかもしれません。  井沢節も未だ健在・・・・ではあるものの顕在というほどではないうえに、KiKi 自身があんまりよく理解できていない時代の話であるために「うっそぉ!!」と思うことがほとんどなかった・・・・・というのがその大きな理由なのかもしれません。

正直なところ、KiKi は「応仁の乱」っていうヤツのことがよくわかっていなかった(名前だけは知っていたし、嫌になるほど長い争いだったことや都を疲弊させたことは知っていたけれど、根本的に誰と誰が何のために争っていたのかを理解していなかった)から、その輪郭がうすぼんやりと・・・・ではあるものの、ようやく理解できてきたような気がするし、同時に「惣国」というもののことを全くと言っていいほど知らなかったので、「惣国一揆」と「一向一揆」のどこが根本的に異なるのか?を丹念に解説してくれていたのも有難かったです。  まあ、この著者の言うことですからどこまで信じていいのか?は甚だ疑問ではあるんですけどね・・・・・・(苦笑)


本が好き!の献本をいただいたことにより、ちょっと間が開いてしまった「逆説の日本史シリーズ」読書。  チクチク・タイムの増加に伴い、ちょっとペースダウンしていたんですけど、ようやく第7巻を読了しました。

逆説の日本史 7. 中世王権編 - 太平記と南北朝の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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日本歴史上未曽有の戦乱期、その記録をなぜ「太平記」と名付けたのか?  "天皇家乗っ取り"という野望成就を目前にして急死した足利義満は暗殺されたのか?  数々の謎を秘めた南北朝の世に斬り込む「逆説の日本史シリーズ」文庫、待望の最新刊。
第1章: 尊氏対後醍醐天皇
第2章: 「太平記」に関する小論編
第3章: 尊氏対直義編
第4章: 「日本国王」足利義満の野望編
第5章: 「恐怖の魔王」足利義教編  (文庫本裏表紙より転載)

道鏡と将門は「天皇そのもの」になろうとしたのではない。  義満は違う。  義満は「皇統」から遠く離れた血筋でありながら「皇帝」でもなく「新皇」でもない「天皇そのもの」になろうとした。  厳密に言えば、義満は自分の息子である義嗣を天皇にし、天皇家そのものの乗っ取りをはかったのである。
天皇家が、現実の権力を失ってからも、権威を保ち続けていたのは、国に宗教を司る権利つまり祭祀権を持っていたからだが、義満はこれも手中に収めた。  「天壌無窮」の神話に対し、「百王説」という新しい神話も流布させた。  食い止めることのできる人間は一人もいない。  いわば義満は、天皇家出身以外の人間で、もっとも限りなく「天皇」に肉薄した男なのである。  (文庫本表紙より転載)

KiKi の日本史の知識の中でもっとも欠落しているのが「大正以降の近現代史」なんですけど、それに次ぐ欠落度合の激しい時代がこの室町時代です。(まあ古代史も必ずしも親しいわけじゃないんですけど・・・・ ^^;)  王朝文化華やかな平安時代と鎌倉時代では価値観から中心の場所まで大転換があったという意味で印象的だったし、織田信長という時代精神へのチャレンジャーもやっぱり印象的なわけだけど、足利政権っていうヤツはとかく影が薄い・・・・・というか、鎌倉幕府の延長線上にある覇者が変わっただけの政権っていう印象なんですよね。

もちろん、京都観光の目玉である「金閣・銀閣」もこの時代だし、私たちが「純日本風」という言葉でイメージするあれこれの出発点がこの時代にあることは百も承知で、そういう意味では「文化史」的には興味深い時代だとは思ってきたけれど、政治史・経済史という観点に立った時、何となくぱっとしない時代だなぁ・・・・・と思っていたようなところがあります。

何となくぱっとしないから興味を惹かないし、興味を惹かないから益々知らないまんま状態が放置されてしまいます。  又、戦後教育を受けてきた KiKi にとって皇統図っていうヤツはどちらかというと「知らなくても困らないこと」という範疇に入る知識だったように感じていたせいもあって、この時代のキーワードの1つ「南北朝の分裂」というヤツも単語としては知っていたし、その後の「南北朝合一」というヤツも単語としては知っていたけれど、これらの事件がどういうことだったのか?に関してはあんまり真剣に考えてみたことがありませんでした。  否、考察してみようと思ったことさえありませんでした。


チクチク作業邁進の煽りを食らって(?)、ちょっと時間がかかってしまった「逆説の日本史」読書。  ようやく第6巻を読了しました。

逆説の日本史 6. 中世神風編 ‐ 鎌倉仏教と元寇の謎
著: 井沢元彦  小学館文庫

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「神国」ニッポンは元冦勝利の"奇蹟"により何を失ったのか?!  鎌倉幕府滅亡の背景を掘り起こしながら、責任の所在が曖昧で、危機管理能力が欠落しているという現代日本の病巣の淵源を明らかにする。  昨今の有事論争をまつまでもなく、この国の今を生きるものにとって示唆的な警世の書、待望の文庫化。
第1章:鎌倉以前の仏教編
第2章:浄土門の聖者たち編
第3章:道元と日蓮編
第4章:元寇と日本人編
第5章:後醍醐天皇の野望編
第6章:後醍醐天皇の新政編  (文庫本裏表紙より転載)

日本が世界最強の元に勝てた最大の原因は、鎌倉武士の奮戦でも「神風」でもない。  大陸と日本の間に海が存在した、ということなのである。  モンゴル騎兵の最大の弱点が「海」であった。
後醍醐天皇は、宋学という当時最先端の「輸入経営哲学」によって、日本を改造しようとし失敗した。  日本の学者は、後醍醐の性格に問題ありとする人が多いが、むしろ後醍醐の「政治理念」が日本の根本的な統治理念である「血統信仰」に抵触するものであったことが、新政失敗の最大の原因ではあるまいか。  (文庫本表紙より転載)

冒頭で KiKi は「チクチク作業邁進の煽りを食らって(?)、ちょっと時間がかかってしまった『逆説の日本史』読書。」と書いたけれど、今回の読書に時間がかかってしまったのにはそれ以外にも理由があります。  それは冒頭3章の仏教の歴史を俯瞰した部分で、ここの内容が仮に著者が言うように「表層的」であったにしても実に読み応えのある部分だったからです。  著者が歴史学会のお歴々をメッタギリにして悦に入っている感もあるこのシリーズの中で、それらのちょっと過激な(に見えなくもない)権威筋に対する攻撃性がなりをひそめ、KiKi には極めて読みやすい文体(要するに著者の自己主張の薄い文体)で要約してあり、読み飛ばす余地がほとんどなかったんですよね~。

対して後半3章は「逆説の日本史スタイル」に戻ろうと抗っている感がそこかしこに見られ、文章自体もかなり粗雑な印象を受けます。  そうであるだけに、後半3章に入って「斜め読み体制」と言うか「読み飛ばし体制」に逆戻りし、そこからは一気に読了した・・・・・そんな雰囲気がなきにしもあらず・・・・です。


第1巻から「怨霊信仰」「言霊信仰」をベースに話が進んできた感のあるこの「逆説の日本史」。  さすがに武家政権の誕生という時期になると「それだけでは話が進まない」状態になってくるのは自明の理です。  何せ人を殺すことにためらいを持たない(持ってばかりもいられないと言うべきか)武士の時代に「怨霊」を怖れてばかりいてはいられないわけでして・・・・・。  「さて、どうなる井沢節?」という興味に引っ張られ読了したのがこちらです。

逆説の日本史 5. 中世動乱編 - 源氏勝利の奇蹟の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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源氏はいかにして平家を打倒し、武士政権を樹立していったのか。  その解明の鍵は、"源源合戦" にあった。  また、義経は「戦術」の天才でありながらも頼朝の「戦略」を理解することができなかった。  日本人が八百年にわたって錯覚してきた『平家物語』、そして「義経伝説」の虚妄を抉る。
第1章:源頼朝と北条一族編 - 「源源合戦」「幕府成立」を予見した北条時政の謀略
第2章:源義経と奥州藤原氏編 - "戦術の天才" 義経が陥った「落とし穴」
第3章:執権北条一族の陰謀編 - 鎌倉「幕府」を教える歴史教科書の陥穽、 ほか全5章。  (文庫本裏表紙より転載)

幕府政治というのは、公家たちの律令政治に対するアンチテーゼであった。  その根本は、律令政治が結局実務的には「何もしない」コトダマイズム(= 空想主義)の政治であるのに対し、幕府(武家)政治というのはリアリズム(= 現実主義)にのっとった政治である、ということだ。  では、武士たちの現実主義とは最終的には何を指すのかといえば「汗水たらして開拓した土地はその開拓者のものだ」ということだ。  この「一所懸命」によって鎌倉幕府は、そして武家政治は、作られたのである。  (文庫本表紙より転載)

一般的日本人にとって、平安時代から鎌倉時代への転換の一大イベントと言えば「源平合戦」という認識が強い中、実はこれは「源源合戦」だったというのはちょっとした驚きの視点でした。  よくよく考えてみると木曽義仲と源九郎義経の話を知識としてちゃんと認識していたにも関わらず、その部分に関してはさほどじっくりと考えたことのなかった我が身を省みて、ちょっと情けなくなったりもして・・・・・(苦笑)

ただ、その後しばらく続く「頼朝は実は単なる神輿に過ぎない」という話とか「戦術には長けていても戦略には無頓着の義経」という話に関してはちょっぴり冗長に感じてしまいました。  少なくとも KiKi にとってはそこらへんの認識は決して新しいものではなかった(既に人口に膾炙されていると認識していた)からです。  鎌倉時代においてなぜ源氏が3代で終わってしまったのか?というあたりにしても・・・・・です。  そんな中で秀逸だと感じたのは鎌倉幕府の体制図を持ち出し、実際にはその体制図に描かれている組織・・・・というか機能・・・・というかが同時並列していた時期はないに等しかったというくだりで、なるほど、それまでにない体制を作るということはそういうことなんだろうなと納得させられてしまった気分です。

相変わらず、くどくてまどろっこしい文章なんだけど、それでも気になって先を読み進めちゃうんですよね~。  この文体は本音の部分では大嫌いなはずの KiKi なんだけど、それでも先を読みたいと思うのは、このシリーズに書かれていることの正誤はともかくとして、とかく「政治史」、「人物史」に偏りがちな歴史本の中では、珍しく文化史的、思想史的、民俗史的なアプローチをとっているということに惹かれるものがあるからなんだろうと結論している今日この頃です。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

逆説の日本史 4. 中世鳴動編 - ケガレ思想と差別の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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日本人の「平和意識」には、ケガレ思想に基づく偏見があり、特に軍隊というものに対する見方が極めて厳しく、「軍隊無用論」のような世界の常識では有り得ない空理空論をもてあそぶ傾向が強い。また、なぜ世界でも稀な「部落差別」が生れたのか。差別意識を生むケガレ忌避思想を解明し、その精神性の本質に迫る。
第1章:「古今和歌集」と六歌仙編 - "怨霊化" を危険視された政争の敗者
第2章:良房と天皇家編 - 平安中期の政治をめぐる血の抗争
第3章:「源氏物語」と菅原道真編 - ライバル一族を主人公にした謎、 ほか全7章  (文庫本裏表紙より転載)

ケガレ思想は、怨霊信仰・言霊信仰と共に日本が生まれた時からあり、日本人の思想と行動に甚大な影響を与えている。  そして、その最も重大な影響とは何か?  それは、ケガレは「差別」を生むということなのである。
逆に言えば、日本人にとって真の「平和運動」とは、軍事力を一切排除すること、になる。  とにかく何が何でも軍隊を廃止さえすれば、平和は実現すると信じることにもなる。  軍隊という「平和を害する」ケガレさえ除去すれば、キレイな平和つまり真の平和が実現することになるからである。  しかし、これはまったくの迷信であり、事実としても間違っている。  少なくとも、これまでの歴史における平和というものは、日本人の忌み嫌う「ケガレ」た手段によって実現されているのである。  (文庫本表紙より転載)

このシリーズを読んでいて痛切に感じるのは、「やっぱり週刊誌の連載記事だった本なんだなぁ」ということです。  と言うのもこのシリーズを読んでいると、連載当時のTVやら新聞やらでどんなことが騒がれていて、どの政党が政権を取ってどんな政治を行っていたのか?がそこかしこに見え隠れするんですよね~。  で、その時点で著者がどんな立ち位置で何を考えていたのかはそれこそ鬱陶しいほど力説されているんだけど、テーマとしている話の焦点がボケがちと言うか、置いてけぼりを食らいがちと言うか・・・・・。  もちろん最終的にはそのテーマに戻ってくるし、それなりの結論は出ているんだけど、読了後に強く印象に残るのはクドクドと語っていた「時事的話題」になってしまう・・・・・。

歴史現象と現代を比較して、日本人という民族が持っているある種の特質についてあれこれ考察するという著者の姿勢には感銘を受けるし、目の付け所も面白いと思うんだけど、その自己主張があまりにもくどいために「歴史考察としてのバランス」を著しく欠いていて、逆に彼が主張する仮説そのものまでもが胡散臭く感じられちゃう(要するに自分の主張を強弁するためのぶっ飛び仮説に見え始めてしまう)副作用を読者に与えているような気がします。  

そういう意味では話は面白いんだけど酒癖のやたら悪いオヤジにつきあわされて、ご高説を延々と聞かされる羽目に陥って、結構うんざりしてしまっていて、とは言いつつも、ところどころに入る「トリビア的話題」だけはやたら面白くて、次に誘われたらきっと又一緒に飲みに行っちゃう(但し、「トリビア的話題」以外のところは聞き流しておけばいいや・・・というスタンス)んだろうなぁと思っている・・・・・というのと近い感覚で、このシリーズを読み進めているような気がします(苦笑)

内容自体は面白いと思いつつも、著者の学会に対する攻撃性にちょっと辟易としている感もあるこのシリーズ。  とは言ってもせっかくそこそこの巻数を揃えちゃっていることだし、目の付け所には興味もあり(それは副題にも表れていたりもして)、さらに読み進めてしまっています。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

逆説の日本史 3. 古代言霊編 - 平安建都と万葉集の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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「軍隊と平和憲法」論争の原点は平安京にあった ‐ 意表を衝く問題提起の根底にあるものとは、「天皇(家)および平安政府の軍備放棄というのは、日本史上極めて重大な、エポックメーキングな出来事である」(あとがきより)なぜか、著者はその理由の一つは「言霊」であると説く。  日本人固有の言霊信仰という新たな視点から、日本史の真実に迫る。  第1章:道鏡と称徳女帝編 - 愛人騒動をデッチ上げた「藤原史観」  第2章:桓武天皇と平安京編 - 遷都を決意させた真相と風水説  第3章:「万葉集」と言霊編 - 誰が何の目的で編纂したのか  (文庫本裏表紙より転載)

船岡山という山は標高120メートルしかない。  山というよりはまさに「岡」だ。  平安京の中心線がこの山を通っているということは、平安京が「四神相応」つまり風水説によって設計された都であることを示しているのだ。
「平安遷都」は政治史で「万葉集成立」は文化史で扱う - これはマチガイなのである。  なぜなら、日本の政治、特に古代から中世の初め頃までの政治は「呪術政治」であり、それゆえに政治と文化はきっちり分けられないのだ。
国家に対して不満を抱いている人、もっと具体的にいえば「あの人達は無実なのに死刑にしたのは不当だ」と考える人にとっては、無実で死んだ人達の歌を語り伝えることは、「反逆」ではなく「鎮魂」になる。  (文庫本表紙より転載)

井沢氏の文体に慣れてきたせいか、はたまた先の2巻と比較すると「学会批判」の分量及び舌鋒が緩んできたせいか、この巻に関しては比較的楽しく読み進むことができました。  相変わらず話があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりもするけれど、それも KiKi にとっては許容範囲と感じられる程度になってきたようにも感じます。  少なくともあっちこっちへ飛んでようやく本論に戻ってきたときに最初の2巻では時折感じた「矛盾のようなもの」がほとんどなく読了することができたと思うんですよね。

それに今回のお話はテーマがなかなか良かったと思うんですよね。  称徳天皇 & 道鏡の名誉回復(?)の話も説得力があったし、平安京が怨霊からのシェルターとして建都されたという話(ついでに同時代に行われた蝦夷征伐を「鬼門」という考え方になぞらえる話)も「なるほど、言われてみれば確かにそうだったかもしれない」と思わせるものがあったし、そして何よりも説得力があったのは万葉集について書かれた部分でした。


先般、上京した際にブックオフに並んでいたこのシリーズを第7巻まで大人買い(?)しちゃっているので、とりあえず先に進んでみることにしました。  ま、てなわけで、本日の KiKi の読了本はこちらです。

逆説の日本史 2. 古代怨霊編 - 聖徳太子の称号の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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なぜ聖徳太子には「徳」という称号が贈られたのか?   『日本書紀』は天武天皇の正体を隠すために編纂された。  奈良の大仏は怨霊鎮魂のためのハイテク装置だった... など、日本人の「徳」の思想と怨霊信仰のメカニズムを解明する衝撃の推理。  「彼がだれよりも日本の歴史を愛し、日本人とはなにかと問い掛け続けている存在であるのは承知している。  井沢元彦は歴史という大海をたった一人で渡る冒険者なのだ。  日本の歴史は井沢元彦を得たことでいっそう面白くなった」(高橋克彦氏解説より)。  (文庫本裏表紙より転載)

「徳」は最高の人格者であることを示すと同時に、本来は「王者としての必須条件」を示す文字だ。  そういう文字を、本当はそうではなかった王者に与えることが「鎮魂」と考えられたに違いない。
日本にはそういうキリスト教的な最高神はいない。  天罰というのは天照大神の下す罰だとは誰も思っていない。  もちろん仏でもなければ、現人神たる天皇でもない。  その候補は「怨霊」しかいない。
「聖」というのは、本来怨霊となるべき人が善なる神に転化した状態を表現した文字だということだ。  その「聖」と「徳」の名を持つ太子の日本の「まつりごと」の歴史における地位は、限りなく大きい。  (文庫本表紙より転載)

この巻に関しては面白い部分が多々ありつつも、KiKi にとってはかなり不満な内容でした。  それは目次を見た段階でもある程度予想はついていたことだったんですけどね。  因みにこの巻の目次はざっと以下のような感じです。

第1章:聖徳太子編 - 「徳」の諡号と怨霊信仰のメカニズム
第2章:天智天皇編 - 暗殺説を裏付ける朝鮮半島への軍事介入
第3章:天武天皇と持統女帝編 - 天皇家の血統と「日本書紀」の作為
第4章:平城京と奈良の大仏編 - 聖武天皇の後継者問題と大仏建立

あれ?  あれれ???  どうして「大化の改新」の章がないんだ???  あの権勢をふるった「蘇我氏」があれよあれよという間に歴史から姿を消していったあの一大事(乙巳の変)が抜けているというだけで、KiKi にとっては何となく中途半端感が漂っちゃったんですよね~。  特にそれまでの時代は天皇という存在が脈々と続いていたとは言えども、天皇を中心とした中央集権国家というよりは、飛鳥豪族を中心とした政治が行われていた(と学んできていた)だけに・・・・・。  

そしてね、なおさら感じるのは怨霊になることができるのは「天孫」たる「皇室の人間だけ」だったという前提条件があるのかもしれないけれど、(そんなことないよね??  だって彼の「怨霊説」の中には菅原道真がしょっちゅう出てきているぐらいだから)井沢氏の説の骨格を成しているといっても過言ではない「怨霊」、しかもかなり「パワフルな怨霊」になりそうな存在として、蘇我氏を忘れちゃいけないように思うんだけど・・・・・。  まあ、飛鳥寺が存続しているうえにあそこに鎮座している飛鳥大仏は日本最古という有り難~い誉れで伝わる仏像ということなので、あれが蘇我氏の「怨霊封じ」の象徴なのかもしれませんが・・・・・・。

先日、たまたまTVをつけたら 「BS歴史館」という番組をやっていて、その日のテーマは「古代史最大のミステリー 邪馬台国の魔力に迫る」というものでした。  なかなか興味深く観ることができ、と同時に俄然日本の古代史に惹きつけられてしまったということがあって、山崎豊子さんの「二つの祖国」を読み進めている最中・・・・ではあるものの、長らく積読状態だったこちらに思わず手を出してしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

逆説の日本史 1. 古代黎明編 - 封印された「倭」の謎
著:井沢元彦  小学館文庫

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教科書ではわからない日本史の空白部分に迫る。  従来の歴史学界の権威主義、史料至上主義、呪術観の無視、以上の三大欠陥を指摘しながら古代史の謎を推理、解明していく。  日本人の「わ」の精神のルーツは?  宮内庁が天皇陵の学術調査を拒み続けるのはなぜか?  あの出雲大社はオオクニヌシノミコトの怨霊を封印するために建てられた「霊魂の牢獄」ではなかったか?  当時最高の知識人であった聖徳太子はなぜ、「和」こそが日本人の最高の原理としてあげたのか?  など。  まさに、歴史こそミステリーの宝庫である。  (文庫本裏表紙より転載)

「倭」から「和」への転換、これは一体どうして行われたのだろうか。  つまり「ワ」とは「輪」であり「環」なのだ。  倭とは実は「環」であり、古代日本人は、集落のことを「環」と呼んでいた。
日本人の「わ」の精神を乱すもの、つまり怨霊は封印されねばならなかった。  すなわち、出雲大社はオオクニヌシノミコトの怨霊を封印するために建てられた「霊魂の牢獄」であった。
聖徳太子は当時最高の知識人であった。  その第一級の知識人が「最高の法律」を制定するにあたって、その第1条に「和が一番大事だ」という言葉を置いたのである。  なぜ、そんなことをしたのか、それはこの「和」こそが日本人に一番大事な原理だと判断したからではないのか。  (文庫本表紙より転載)

なかなか面白い読み物でした。  この本で書かれていることの真偽をとやかく言うほどの知識のない(ついでに言うと古文書に親しんだ経験もない)KiKi には、この本の説を鵜呑みにしていいのかどうかの判断まではつかなかったけれど、子供時代から今に至るまで古代史を見た時に感じたいくつかの「?」に対する1つの見解とか、手前勝手に膨らませていた個人的な妄想と合致するような説が書かれていたという意味では、「ああ、やっぱりこういうことを考える人がいたんだ!」と何となく嬉しくなるような読み物でもありました。

全編にくどいほど出てくる学会批判にはちょっと辟易としたけれど、歴史を暗記物・知識として学んできた KiKi にとっては、学問とは一線を画した歴史との向き合い方・・・・という意味でも楽しむことができた本だったと思います。  特に古代史においては KiKi が学生時代に学んだ古代史と現在の学校教育でなされている古代史には少なからず違いがあることを知っているだけに、教科書を金科玉条の如く覚えようとしていた(仮に何らかの疑問を持ったとしてもさほど深追いせずに「事実はそうだった」と鵜呑みにしようとしていた)自らの姿勢を問い直すという意味でも、なかなか興味深い読書体験だったと感じました。



最後のロシア皇帝 植田樹

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本来だったら「本が好き!」で献本いただいた本やら、現在進行中の「不毛地帯」を読み進めなくちゃいけないところだったのですが、たまたま東京でお仕事の連絡待ちをしている最中に池田理代子さんの「オルフェウスの窓(外伝を含め 全10巻」なんぞに手を出してしまった流れで、ついでにこの本にも手を出してしまいました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

最後のロシア皇帝
著:植田樹  ちくま新書

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ニコライ二世治世下のロシアは彼の意思に反して政情悪化の一途をたどり、ロマノフ王朝だけでなく、聖なるロシアそのものが徐々に沈んでいった。  時代を隔てて冷静に見ると、それは巨大な帝国が虚飾の栄光の陰で穏やかな死に赴く過程に他ならなかった。  ニコライ二世の目の前で聖なるロシアが奈落に向かって漂流していく。  (新書本表紙より転載)

皇帝ロマノフ二世(← タイプミスではありません。  本の扉の文章をそのまま転載しています)とその家族が西シベリア・エカテリンブルグで革命派によって銃殺されたニュースは当時世界を震撼させるものだった。  だがこの事件は、近年その遺骸が発掘されるまで、その後七十年もの間なぜか歴史の闇の中に置き去りにされたままにあった。  ソ連邦時代を通じて政府当局者さえその所在を知り得なかった事実は一体何を物語っているのだろうか。  皇帝一家の遺骸発掘を契機に次々と明らかにされる記録や報道をもとに、隣国ロシアの知られざる歴史の暗部に光をあてる著者会心の力作。  (新書本扉より転載)

KiKi の学生時代、日露戦争やら第一次大戦、そしてロシア革命そのものはそれなりに授業で扱われたことはあったものの、やはり東 vs. 西(もしくは民主主義国家 vs. 共産主義国家)という対立軸が顕著だった時代なだけに、ロシア史というのはさほど重要視されていなかったように思います。  と、同時に西欧社会(含むアメリカ)に追いつけ・追い越せという時代でもあっただけにロシアは正に近くて遠い国で、ついでに得体の知れない国という刷り込みのようなものさえもがあったように感じます。

そうであるだけに、この悲劇の最後のロシア皇帝は「大津事件」やら「日露戦争」やらでも我が日本国との因縁が決して浅くはない皇帝だったにも関わらず、それらの単語のキーワードとして以上の存在感をもって KiKi に迫ってきたことはほとんど皆無でした。  又、今回のこの本の読書のきっかけとなった「オルフェウスの窓」も大人になってから初めて読んだ KiKi にとっては「ベルばら」でフランス革命に興味を持ったほどにはロシア革命への興味をかきたてられるきっかけにはなりえませんでした。

そしてどちらかと言えば「ロマノフ王朝の秘宝(隠し財産)」とか「アナスタシア生存説」とか「怪僧ラスプーチンの醜聞」といった極めてワイドショー的な謂れのイメージばかりが先行し、ますますもって「得体の知れない国」感覚が際立ち、その行き着く果てに「臭いものには蓋」的な回避行動に走っていた・・・・そんな気がしないでもありません。


本の歴史 B.ブラセル

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今日は久々に岩波少年文庫から離れて、KiKi の積読本の中から1冊選んでみました。  KiKi の大好きな「本」そのものについて書かれた本です。

本の歴史
著:B.ブラセル 監修:荒俣宏  知の再発見双書80 創元社

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手書き時代の古代から、印刷術が発明され愛書趣味や書物愛が確立したものの規制によって印刷業が危機に瀕した中世、そして飛躍的に発展した近代まで、書物の辿った歴史を明らかにする。  (Amazon より転載)

KiKi の子供時代、もちろんすでに世の中には「文庫本」というものが存在していたけれど、それでも「本」と言えば厚い表紙で、カバー(サック状のもの)もついていて、持つと手にずっしりときて・・・・・というのがスタンダードだったように思います。  そんな「重厚感のある本」であるだけに、保存にもよく耐え、親から子へ受け継がれていく1つの財産だったとも言えるのではないでしょうか??  

これが「文庫本だらけ」となってしまうと、凡そ財産という感じはせず、その扱いも心なしかゾンザイになっていくところがあるように感じます。  それを証拠に KiKi の実家にはちょっとした本棚があるのですが、そこに収められているのはサック付き厚紙装丁のいわゆる「全集物」ばかり。  同じデザインの本がズラッと並んでいる姿は壮観でちょっとした見応え・・・みたいなものがあります。(価値のある豪華本があるわけではないんですけどね 笑)  これらの本は KiKi が小学生から高校生までの間に父親が少しずつコレクションしていったもので、父が生まれ育ちある程度の時間を過ごした後、東京大空襲により燃え尽きてしまった池袋のご本家にあった本棚のイメージを持ちつづけながら収集した本ばかりです。

で、今、帰省すると KiKi が大学進学以降に父が買い集めた(と言うよりは乱読タイプの父がせっせと読んだ)文庫本(当然のことながらこちらの方が冊数は多い)が山とあったりもするのですが、こちらは床に直置き状態でうず高く積まれ、その山が崩れ始めると段ボールに移し替えて今度はその段ボールが山と積まれる・・・・・という保存状態で、その扱いの差は歴然としています。  近くにブックオフな~んていうものも昔ながらの古本屋なんていうものもないので、「本を処分する」という発想がない父はひたすら本を集め続けているわけだけど、見ていて気の毒になるぐらいこれらの「文庫本」は放置されているイメージがあります。  本の中身自体は必ずしも駄本というわけではないんですけど、装丁の違いがこういう差別(?)を生んでいるのは間違いないようです。 

 

NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」で今を時めく向井理君が演じていた水木センセイ。  TV版になる前の「ゲゲゲの鬼太郎」は KiKi の子供時代に「少年マガジン」に連載されていて、親戚のお兄さんから借りた漫画で初邂逅した KiKi だったけれど、正直なところあの画風にはどうしても馴染めず、でもお話は面白いので片目をつぶって読んでいた記憶があります。  たまたまその親戚は歯医者さんをしていて、KiKi の母親がアルバイトで月末(月初?)になると保険の点数計算をしに行っていたので、一緒についていくと無造作に投げ出してある「少年マガジン」が読み放題だったんですよね~。  ま、それはさておき、件の「ゲゲゲの女房」で水木センセイが南方の土人さんと親しくされていらしたような描写があって、KiKi のイメージする戦争体験物語とはちょっと異なるお話が聞けるかもしれない・・・・な~んていう期待があり、今回長らく積読状態だったこの本を手に取ってみました。

水木しげるのラバウル戦記
著:水木しげる  ちくま文庫

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太平洋戦争の激戦地ラバウル。  水木二等兵は、その戦闘に一兵卒として送り込まれた。  彼は上官に殴られ続ける日々を、それでも楽天的な気持ちで過ごしていた。  ある日、部隊は敵の奇襲にあい全滅する。  彼は、九死に一生をえるが、片腕を失ってしまう。  この強烈な体験が鮮明な時期に描いた絵に、後に文章を添えて完成したのが、この戦記である。  終戦直後、ラバウルの原住民と交流しながら、その地で描いた貴重なデッサン二十点もあわせて公開する。  (文庫本裏表紙より転載)

たまたま年末・年始にかけて、「池上彰の現代史講義」とか「池上彰の20世紀を見に行く」な~んていう「池上先生シリーズ」の世界史の復習番組をせっせと観ていた直後だったということもあって、激戦地として知られるラバウルであの水木センセイがどんな経験をされたのか、とても興味深かったんですよ。  何せ、水木センセイの場合、その戦地で片腕を失くされたという壮絶な体験をされていらっしゃるだけに、さぞやご苦労の多かったことだろう・・・・・と。

ところが意外や意外、「戦記物」と言えば付き物(?)の悲愴感・切迫感が極めて薄い・・・・・。  もちろん場所は戦地だし、乏しい物資の中で行軍ばかりしている陸軍さんだから悲愴感を漂わせようと思えばいくらでも漂わせられるエピソードが網羅されている割には「ホノボノ感」やら「ワクワク感」やらがそこはかとな~く漂ってくるんですよ。  それと言うのも、ここに登場する「水木二等兵」は凡そ兵隊さんらしくないんです。  勇ましさもないかわりに、臆病さも微塵もなくどこか飄々としているんですよね~。  戦争をさせられるために南方へ向かわされたにも関わらず、何だか珍しいもの・文化のあふれる南方世界に好奇心丸出しで本気でそれらを楽しんじゃうある種の「ふてぶてしさ」に満ち溢れているんです。


このブログのメイン企画「岩波少年文庫」をちょっとお休みして、群馬⇔東京の移動時間のための読書・・・・ということで、以前父親の本棚から頂戴してきた本を選びました。  今日の KiKi の読了本はこちらです。

伝説の名参謀 秋山真之
著:神川武利  PHP文庫

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バルチック艦隊を日本海軍が破ることができるか―。  これが日露戦争の勝敗を決する最も大きな分水嶺であった。  国家存亡の危機に立った明治日本が、まさに背水の陣で戦った「日本海海戦」。  伝説の如く語り継がれるその勝利に日本を導いたのが、参謀・秋山真之である。  この一戦に勝つために生まれて来たかのような、彼の戦略・戦術に賭けた生涯を勇壮に描き上げる、長編歴史小説。  (文庫本裏表紙より転載)

今週末には最終回を迎えるNHKのドラマ「坂の上の雲」。  原作の司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」も大好きだけど、あれって全部で文庫本8巻もあるので、まだまだ読了しなくちゃいけない岩波少年文庫がヤマとある KiKi にとっては再読するのはちょっぴり重荷・・・・(苦笑)  ま、それだけじゃなくて、たまたま以前実家に帰ったとき父の読み終わった文庫本の山(床に直置きしてあって、まさに山!)の中を物色していて見つけちゃったので、自分では絶対に買わないだろうと思っていた本だっただけに、お断りしたうえで拝借してきちゃいました。

まあ KiKi は個人的には「坂の上の雲」の影響で彼よりはお兄さんの好古さんの方に興味が湧いちゃった人間なんですけど、この本を読み終わった今、同じPHP文庫の「秋山好古 - 明治陸軍屈指の名将」の方を買ってまでして読むかどうかはビミョーっていうところでしょうか。  だいたい、これ、「歴史小説」って言える本なんですかねぇ・・・・・。  どことな~く、「坂の上の雲」を要約しただけの本っていう印象が拭えません。


以前、東京は有楽町の三省堂で時間調整のためブラブラしていた際、ちょっとしたスペースを割いて平積みされていた本がありました。  「山川 ○○史」というPOPに引き寄せられついつい手に取ってはみたものの、その時はカラー口絵の頁だけをざっと眺めてみて、「どこかで見たことがある写真ばっかり。  ひょっとしたら KiKi が使っていた世界史の教科書と同じなのかなぁ。  そう言えばあの教科書はどこへ行っちゃたんだろう??  大学進学のために上京した際に実家に残しておいてその後の改築で捨てられちゃったのかなぁ・・・・」な~んていうノスタルジックな想いに囚われてそれでおしまい(笑)でした。  実際のところ KiKi は大人になってからこんな本とかこんな本を入手してあって、それこそ「もういちど世界史を学ぶ」のであれば、「なんちゃって教科書」よりはこっちの方が役に立つだろうと考えたのでこの本は購入には至りませんでした。  でも、たまたま図書館でこの本に再会したのを機にここいらで「なんちゃって教科書」に戻って、それこそもういちど世界史をざっくりと俯瞰し直してみるのもいいかもしれない・・・・と思い今回借り出してみました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

もういちど読む山川世界史
編:「世界の歴史」編集委員会  山川出版

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高校の世界史教科書を一般読者のために書き改めた通史。  1冊で世界の歴史を明瞭・簡潔に叙述し、その全体像を示す。  多数のコラムを設け、現代世界の理解に役立つテーマを解説する。  日々変化する世界をとらえ、ニュースの背景がわかる社会人のための教科書。  (Amazonより転載)

何とまあ、面白味もへったくりもない本でしょうか??  ここまで総花的 & 事実の羅列のみの本だと目が活字の上をすべっていって、結果頭には何一つ残らない(少なくとも KiKi には)という事実をつきつけられ、ある意味読書に使った時間を返してほしいと思っちゃうような本でした。  強いて言えば KiKi の学生時代の教科書に比べると「現代史」に近づけば近づくほど読みやすくなる(要するに背景的なことが少しは細かく書かれ始める)ということと、時々挿入されている「コラム」部分に面白味がある・・・・というのが長所と言えば長所ですかねぇ・・・・。  

で、改めてこの本を手に取って眺めてみてふと感じたのは、KiKi が高校時代に使っていた「山川 世界史」(確か表紙の色は渋い緑だったような気がする)の教科書はもっとぶ厚かったような・・・・・。  さらにはそれをひとまわり小さくしたサイズの「用語集」も同時に使用していたような・・・・・。  さらには年表 & 世界史地図もあって、世界史の勉強をする際には机の上にこれに追加で「参考書」が広げられ、その全部を読み込んで初めて理解に及んだことが多かったこと等々を思い出しました。


昨日ご紹介した「眠れないほど~」と同じように、父から頂戴してきた2冊目を読了しました。

読めばすっきり!よくわかる日本史
著:河合敦 角川SSC新書

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高校の現役日本史教師である著者が講義形式で書いた、読むだけで日本史の流れや複雑な内容がすっきりわかる1冊。  歴史を振り返れば、いま世の中で起こっているさまざまな疑問への答えが見つかることは多いもの。  そして、旧石器時代から21世紀までの日本史を通して読むことで、日本とは、日本人とは、についてもう一度考えるきっかけにもなる。  また、これまでの歴史常識がくつがえるような、最新の学説もふんだんに盛り込んだ、大人が楽しめる歴史読本。  (新書本裏表紙より転載)

KiKi は子供時代、歴史の授業が大好きでした。  もちろん年号を覚えたり、世界史のあちらの国の王様の名前(と言うより○世の番号)を覚えたりするのは正直苦痛だったけれど、どんな時代にどんな事件があって、その背景にはどんなことがあったのか?にはとても興味があり、人間の営みに思いを馳せるのはワクワクするような楽しみでした。  ある意味でおおまかな歴史の流れに関してはそこそこ頭に残っている自信はそれなりにあったりもします。  そんな KiKi がこの本に興味を持った理由。  それは偏に、KiKi が学んだ「過去の日本史」と「今の日本史」の違いを知りたいという興味からでした。

この本の「はじめに」に書かれている

新説や発掘の成果によって、定説はくつがえるのです。  ためしに、お子さんの日本史教科書を開いてみてください。

縄文時代のはじまりは、5000年も古くなっています。  仁徳天皇陵は大仙古墳と名称が変わっています。  日本最古の貨幣も和同開珎ではなく、富本銭という聞き慣れないお金になっています。  さらに驚くのは、鎌倉幕府をつくった源頼朝や室町幕府を創設した足利尊氏の肖像画が教科書から消えていることです。  なぜならこれらの肖像画が、じつは本人を描いたものではないことがわかったからです。  もっとビックリするのは、聖徳太子の記述です。  近年では厩戸王(うまやどのおう; 聖徳太子)と記され、推古天皇の脇役のように書かれています。

という文章に接し、子供のいない KiKi には「お子さんの日本史教科書」に触れるチャンスはまったくないので、せめて自分の知識のアップデートをするためにもこの本ぐらいは読んでみようか!と考えたっていうわけです。  「大仙古墳??  何?  それ・・・・」  「日本最古の貨幣は和同開珎じゃないの!!  そんな馬鹿な!!  じゃあその『富本銭』っていうのはどんな貨幣なの??  見たことない!!」  「ええ!!  あの頼朝さんや尊氏さんの肖像は間違っていたの??  じゃあ、あれらはいったいどこの誰??」    

何せ KiKi は学校を卒業して以来、歴史とはあんまり縁のない生活をしてきているので、新聞なんかで新説の発表に関する記事を見かけても「見出しをチョロっと読んでおしまい!」という態度で接してここまで来ちゃったんですよね~。  歴史を知っても「おまんまの足し」にはならなかったし・・・・・・ ^^;  でもいくら「おまんまの足し」にならなくたって、一応四大卒の身としては「一般常識」ぐらいは身に着けておきたいじゃないですか!!

野良仕事の合間、合間を縫って、とうとう岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品を制覇しました。  大学時代に英文学を専攻し、他の国よりはイギリス国に愛着をもってきた KiKi ですが、サトクリフが描く古い時代のブリテンに関してはほとんど無知だったと言っても過言ではないことに今更ながら気が付かされました。  せいぜいがクロムウェル以降あたりからしか知らず、世界の覇者となった以降のイギリスにばかり興味を持ち続けてきた自分が情けなくもあり、手遅れになる前(?)に気が付いたことに嬉しくもあり・・・・(笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

王のしるし(上)(下)
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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およそ2000年前のスコットランド。  奴隷の剣闘士フィドルスは、不当に王位を追われ盲目にされたダルリアッド族の王マイダーの替え玉として雇われる。  氏族の運命をかけた戦いのなかで、フィドルスはしだいに「王」になってゆく。  (文庫本上巻裏表紙より転載)

マイダーから不当に王位を奪たカレドニア族の女王リアサンを、ローマ軍の砦に追い詰めたフィドルスとマイダー。  復讐はなし得るのか。  氏族を守るためにフィドルスが下した決断とは...。  人は何によって生きるかを深く問う衝撃作。  (文庫本下巻裏表紙より転載)

この物語を読んでいる間、KiKi は自身に起きたある出来事を思い出していました。  それは今から20年ぐらい前の事。  KiKi は当時外資系のとある会社にお勤めしていたのですが、その会社の組織はフラットでした。(要するに一番偉い外人さん;CFOがいて、その下に日本人の部門長さんがいて、その下にかなり多くのマネージャーと呼ばれるポジションの人がいて、その下はほとんど全員がスタッフという組織。)  当時、そんな組織の底辺のスタッフだった KiKi はたまたまある仕事で一番偉い外人さんの目に留まり、マネージャーに昇格していただくことになりました。  最初その話を聞いたときは「やっと今までの苦労が報われた・・・・。」と嬉しかったのですが、発表される組織図を事前に見せていただいたとき、KiKi は呆然としました。

その会社にはかなり多くの US CPA(アメリカの公認会計士資格)とかMBA(経営学修士)という資格保持者がスタッフとして働いていました。  そんな人たちとフラットな状態で普通の日本の大学卒という人もいたのですが、予定されている組織図を見ると、KiKi の部下になる人たちは全員資格保持者でした。  対して KiKi は資格とは無縁のいわば「現場たたき上げタイプ」の人材でした。  その組織図を見た瞬間 KiKi は恐れを抱きました。

「こんなすごい人たちを部下として使うなんて、KiKi にはできない・・・・・・」

と。  昇格を告げられた日の喜びはどこへやら。  すっかり自信喪失した KiKi は、思い余って一番偉い外人さんのオフィスを訪ねました。

「○○さん。  認めていただいたことはとっても嬉しかったし感謝もしています。  でも、私は普通の日本人で何一つ自分を支える資格のようなものを持ち合わせていません。  それなのにあんなすごい肩書を引っさげた人たちを部下として使うなんて、自信がありません。  この話はなかったことにしたください。」

と。      

運命の騎士 R.サトクリフ

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「高山農園企画書づくり」のための読書に若干、時間をかけぎみの昨今ではありますが、同時進行でボチボチと読み進めていますよ~、岩波少年文庫。  昨年末に連続して読み続けていたサトクリフ作品はまだまだたくさん残っているので、合間の読書はそのうちの1冊でした。

運命の騎士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

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犬飼いの孤児ランダルは、ふとしたことから、騎士ダグイヨンの孫、ベービスの小姓として育てられることになった。  ノルマン人によるイギリス征服の時代を背景に、二人の青年騎士の数奇な運命と、生涯をかけた友情を描く。  (文庫本裏表紙より転載)

サトクリフと言えばローマン・ブリテン四部作(既読の「第九軍団のワシ」「銀の枝」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」)が出世作なわけですが、そこからは時代がぐ~んと下った11世紀のイングランドとノルマンディを舞台にした歴史ロマンです。  ものすご~く大雑把に言ってしまえば第一次十字軍なんかがあった時代、「荘園」と「騎士」の時代の物語です。  

「騎士の時代」と言われるとどうしても「アーサー王」とか「シャルルマーニュ伝説」みたいなちょっとロマンチックな様子を連想しがちな日本人(それともそれって KiKi だけ? 笑)に、リアルな「騎士の生活」を感じさせてくれる物語だと思います。  領主以外は大広間の暖炉の傍で雑魚寝しているとか、その暖炉の煙突ではしょっちゅう煙が逆流するとか、オシャレ感のかけらもない生活がいきいきと描かれています。

物語としては孤児のランダルの成長物語なんだけど、KiKi はこの物語を読みながらそんな若者の成長物語・・・・というよりは、先日読了したばかりの「「里」という思想」にあった「時間的普遍性」(いつの時代も通用する普遍性)の本質・・・・みたいなものを感じていました。  と、同時に物語に流れる人生観には私たち日本人がかつては持っていた「人生とはすなわち無である」という思想に通じるものも感じました。  そういう意味では「場所的普遍性(どこでも通用する)と時間的普遍性(いつの時代も通用する)の合わせ技」的なものを感じていた・・・・とでも言いましょうか。

 

太陽の戦士 R.サトクリフ

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昨年末からの積み残し、岩波少年文庫に収録されているサトクリフ作品が全作読了できていないことを急に思い出しました。  たまたま先日「吾妻郡図書館」に行き、他の本も借りてきちゃったから必ずしもチャッチャと読み進めることができるわけではないけれど、やっぱり手がけたことはちゃんと完了しなくちゃいけません(笑)  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

太陽の戦士
著:R.サトクリフ  岩波少年文庫

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片腕のきかぬドレムは、愛犬ノドジロや親友にささえられ、一人前の戦士になるためのきびしい試練に立ちむかう。  青銅器時代を背景に、少年の挫折と成長を描いた、サトクリフの代表作。  (文庫本裏表紙より転載)

青銅器時代という歴史の教科書でも比較的アッサリと(少なくとも KiKi の学生時代はそうだった)、あくまでも鉄器時代への通過点のように扱われ、想像・イメージするのが困難な時代が舞台です。  まあ、道具が違うだけで鉄器時代初期と文化的に大差はないのかもしれないけれど、それでも人間がどんな風に自然の中で自分の居場所を築いてきたのかがサトクリフの筆致で繊細 & 詳細に描かれています。

KiKi は以前からイマドキの「自分探しブーム」というのにシニカルなスタンスを持ち続けているんだけど、この本には「自分探し」な~んていう言葉は出てこないものの「生き抜くこと」「自分の居場所を作ること」の本質が描かれていると思います。  この時代の人たちが真剣に探っていた「自分の居場所」はイマドキのそれとは大きく異なり、それを見つけることができない ≒ 動物的な意味での死(精神的な意味では決してない)を意味することだということが言えると思うんですよね。  まあ裏を返せば現代社会に於いては「死とは直結しない淘汰がある」とも言えるわけで、それはそれで厳しいものがあったりもするわけだけど、イマドキはどちらかと言うと「個人主義」の弊害とも言える社会における自分の存在位置の不明確化 → 幻想(理想ではなく)と現実のギャップ → 根拠の薄い「できるはずなのにできない」という思い込み → 苛立ち という構造が透けて見えるような気がして仕方ありません。

KiKi はね、「夢見る事」を否定する気はないんだけど、「夢を持てなければ生きているとは言えないと考える症候群」とでも呼ぶべき強迫観念には疑問を持っています。  「生き甲斐」「やり甲斐」という言葉が安直に使われるけれど、そもそも「甲斐」ってどんなもの?と辞書を引いてみると、そこに1つの答えが書かれていると思うんですよね。

  

KiKi は学生時代、新書というヤツが大好きでした。  幅広い分野を扱っているということと言い、専門書なんかに比べると平易で読みやすい文体であることと言い、要するに「ちょっと気になった事柄」に関して、コンパクトにまとめられていて、そして要領よく(効率よく?)知った気分になるにはピッタリの本だったからです。  特に大学生になると学校で学ぶことは専門性を増してくるようになり、いわゆる一般教養的なものを補うにはちょうどよい媒体だと認識していました。  因みに、この新書、我が日本でのスタートはご多聞にもれず「岩波新書」だったらしいのですが、岩波さんによれば「古典を収録する岩波文庫に対し、岩波新書は書下ろしを中心として、『現代人の現代的教養を目的』とした」とのこと。  因みに新書の定義は

  • カバーや見返しの有無に関係なくペーパーバックスである
  • 判型はB6判より小さい40判(B全判から片面40ページが取れる大きさ)が基本だがその変形もある
  • 初版部数がある程度見込まれる廉価本で、ページ数は200前後
  • 定期かつ継続的に出版できる一般啓蒙書で読みやすさを重視
  • 書下ろしが原則で、対称とする分野は各種の解説・読物から随想まで間口は広い
  • 単発的なベストセラー狙いではなく、どちらかといえばロングセラーを指向

というのが現在の一般的な認識なのだそうです。  で、その新書。  学生時代~30代前半頃までは大好きだったにも関わらず、その後、めっきり読まなくなってしまいました。  一般啓蒙書で読みやすさを重視はいいんだけど、何となく中身が薄っぺらに感じられるようになってきちゃったんですよね~。  まあ、本の厚さ自体がせいぜい200前後となれば、濃密なものを期待する方が間違っている・・・・とは思うんだけど、何て言うか「ああ、どこかで読んだことがあるような気がする・・・・」ということがこれまたサラッと書かれているだけの本だと読後の満足感に欠けるとでも言いましょうか・・・・。 

で、若いころであれば自分が不得手とする分野に関してでも「恥ずかしくない程度には知っておきたい」という欲があったけれど、40も近くなってくるといわゆる「専門外」のことに関する好奇心が薄れてくるということもあって、勢い、自分がどちらかと言うと得意とする分野の本を手に取る機会が増え、そうなると「ああ、それ知ってる」ということが多くなってくるので、尚更その内容の薄っぺらさが気になるようになるんですよね。  ま、てなわけで最近では滅多に新書を買わなくなった KiKi なのですが、今回ついつい手を出してしまった本を本日読了しました。  

古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎
著:瀧音能之  青春新書

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神話はあくまでも神々の話であって、現実の歴史ではない。  しかしながら、神話の中に、古代人のさまざまな考えが入り混じっているのも事実である。  本書では、『古事記』や『日本書紀』を中心に神話の楽しみ方を案内しながら、同時に、古代人の思考や、古代社会の実態にも迫ってみたい。  (新書扉より転載)

なるほど、そんな意味が隠されていたのか!  スサノオの高天原追放に見え隠れする編纂者の「意図」。  「風土記」とは舞台も展開も違う「国譲り神話」の謎・・・・  遺された神々の「痕跡」が物語る古代日本の実像  (新書帯より転載)

 

三国志(下) 羅貫中

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TVの影響で読み始めた「岩波少年文庫版三国志」もこれが最終巻です。

三国志(下)
著:羅貫中 訳:小川環樹・武部利男  岩波少年文庫

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玄徳は志なかばで病死し、栄華を極めた曹操も死ぬ。  玄徳の志をついだ軍師孔明もまた、秋風の吹く五丈原で没する。  戦乱の時代をいろどった英雄たちは次々と世を去り、やがて司馬炎の天下統一へとむかう。  (文庫本扉より転載)

関羽の死から始まり、続々と「三国志」でのおなじみメンバーが亡くなっていくこの巻。  正直読み進めるのがとっても辛かった!!  あんなに強かった関羽があんな最期を迎えるとは!!  あんなにお茶目(?!)だった張飛が部下に寝首をかかれるとは!!  劉備も病没、曹操も亡くなり、魏・呉・蜀の三国の覇者の中で最後まで生き残ったのがこの物語ではもっとも存在感が薄かった(^^;)孫権というのも何となく皮肉に感じないでもありません。

偉大な存在がどんどんいなくなる中で一際輝きを増すのが孔明なんだけど、その孔明も五丈原で没すると、後はさほど心ときめくようなこともなく、ひとまわり小粒の将軍たちの戦国絵巻っていう感じで、最後に晋の司馬炎が天下統一。  天下は統一したかもしれないけれど、司馬氏の中でも司馬炎ってさほどの存在感をこの物語の中で示しているとは言い難く、孔明と丁々発止の戦をした司馬懿ほどには魅力がありません。

 

三国志(中) 羅貫中

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最近ではなかなか読書が進まなくなってしまっている KiKi ですが、ようやく「岩波少年文庫版 三国志」の中巻を読了しました。

三国志(中)
著:羅貫中 訳:小川環樹・武部利男  岩波少年文庫

51PZD0082AL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

玄徳の蜀、曹操の魏、孫権の呉と、天下は三国の対立時代に入る。  彼らは、ある時はきばつな策略で人の裏をかき、ある時は並はずれた力で相手を圧倒しながら波乱万丈の戦いをつづける。  (文庫本扉より転載)

上巻の最後でようやく諸葛孔明を三顧の礼で迎え入れた劉備玄徳。  この中巻は三国志物語の中の最大の見せ場・・・・とも言える「赤壁の戦い(レッドクリフ)」を中心に展開します。  諸葛孔明は荊州(けいしゅう)の劉表のもとに身を寄せ、いわば流浪の身だった劉備に対し、曹操への対抗策として「天下三分の計」を説きました。  すなわち、劉備が荊州と益州を領有し、劉備、曹操、孫権とで中国を大きく三分割し、まずは国力を蓄えてその後孫権と結んで曹操に対抗し、天下に変事があった際には曹操を打倒し漢王朝を再興する、というものです。  ああじゃこうじゃと屁理屈や言い訳の多い(?)劉備に対し、いかにも現実的な諸葛孔明です。  

映画「レッドクリフ」ではかなりやんわりと描かれていた孫権の呉の名将周瑜 vs. 諸葛孔明の関係は、この物語ではかなり緊張感があり、その後周瑜は気の毒になるぐらい孔明に翻弄されて(いいように手のひらの上で転がされて? 笑)病没。  劉備は蜀に兵を進めて成都を攻略後、さらに定軍山で夏侯淵を破って漢中王となり、これをもってようやく諸葛孔明に勧められた「天下三分の計」が実現・・・・というところで幕となります。

三国志(上) 羅貫中

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先週、たまたまTVを観ていたら「レッド・クリフ Part1」が放映されていて、2週連続で 「Part 1」「Part 2」を観られることを知りました。  さらには毎週月曜日の夕方6時から BS フジで「中国ドラマ 三国志」が放映されていること(先週は第2回だった)を知りました。  これは何だか「三国志づいているなぁ」と感じ、ならば・・・・とこの機会を逃さず、岩波少年文庫に収録されている「三国志」を読んでみることにしました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

三国志(上)
著:羅貫中 訳:小川環樹・武部利男  岩波少年文庫

51H2Q92TYXL__SL500_AA300_.jpeg (Amazon)

うちつづく戦乱に苦しむ人民を見て、玄徳は関羽・張飛と兄弟の契りを結び、軍師孔明をむかえて天下統一をめざす。  英雄・豪傑が入り乱れ力の限りを尽くして戦う勇壮なドラマがここに始まる。  (文庫本扉より転載)

「西遊記」「水滸伝」「金瓶梅」と並ぶ中国四大奇書の1冊「三国志」。  どれも原本(の訳本)を読み通すにはちょっと骨が折れるのですが、この岩波少年文庫版(「金瓶梅」は未収録)だと気楽に読むことができます。  それは抄訳と言いつつも、削り過ぎず、物語のエッセンスは大切に、いわゆる冗長に過ぎるところや子供が読むにはちょっとエロティックすぎる(?)部分のみを削った、読み物になっているからだと思います。

岩波少年文庫の「三国志」は上・中・下の3巻から構成されていて、今日読了した「上巻」は、劉備・関羽・張飛の3人が兄弟の契りを結ぶ「桃畑の誓い」から「魏国の創立」、「呂布の処刑」、「三顧の礼」までが描かれています。  因みに「三国志」は漢が衰え、晋が統一するまでの魏、呉、蜀三国の時代を描いた歴史書で、これをもとに羅貫中が小説にしたものが「三国志通俗演義」と呼ばれる読み物で、この岩波少年文庫版三国志はその「三国志通俗演義」の抄本です。

ひとつひとつのエピソードはじっくり味わうと面白いうえに、考えさせられることも多いのですが、登場人物が多いうえに、長年の事について次から次へと書かれているので、事柄の羅列気味なのは否めません。  ましてこの上巻ではあの「赤壁(レッドクリフ)の戦い」は出てこないし、ようやく諸葛孔明が劉備に仕えるようになったばかり・・・・という段階ですから、「レッドクリフ」の世界観を期待して読むとがっかりするかもしれません ^^;

 

今日はとうとう2010年の大晦日です。  KiKi はLothlórien_山小舎から里へ下り、ついでに太平洋沿いをぐ~んと南下(西下?)して、静岡県の実家まで来ています。  お正月はここで過ごし、2日の夕方か3日の午前中にはまたLothlórien_山小舎まで戻る予定です。  何せ、あの山のような薪の束が気になって気になって仕方ないのです(笑)。  そんな中、2010年最後の1冊を読了しました。  これでサトクリフのローマ・ブリテン4部作は何とか年内にやっつけることができました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

辺境のオオカミ
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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北ブリテンの辺境守備隊に左遷されたローマ軍の若き指揮官アレクシオス。  衰退の一途をたどる帝国の辺境で、挫折と挑戦、出会いと別れを経て、やがて<辺境のオオカミ>として生きる決意を固める。  ローマン・ブリテン四部作の最終編。  (文庫本裏表紙より転載)

ローマン・ブリテン4部作の最終編・・・・と言いつつも、若干これまでの3部作とは毛色が異なる物語だと思います。  どちらかといえばこれまでの3部作が主人公単独(銀の枝は2人セットだけど)の冒険という描かれ方の物語だったのに対し、この最終作は最後まで「個人」ではなく「組織の隊長」として任務を遂行する男の姿を描いた物語となっています。  他の作品との違いは他にもあって、女性がほとんど出てこないということ。  更には今作では主人公アレクシオスとアクイラ家の親族との関係性も極めて希薄・・・・・(?)で、「イルカの紋章のあるエメラルドの指輪」を受け継いでいるということぐらいしか、「家」との接点がないんですよね~。  ま、もっとも辺境の地へ左遷されちゃった男の物語なので、家だの女だのと甘っちょろいことを言っちゃいられなかったという事情はあるわけなんですけどね・・・・・^^;

KiKi の独断的 且つ 個人の趣味丸出しの4部作ランキングをつけてみるとすると、こ~んな感じでしょうか?

1. ともしびをかかげて
2. 第九軍団のワシ
3. 辺境のオオカミ
4. 銀の枝

 

サトクリフのローマ・ブリテン四部作の三作目です。  ふぅ、何とか年内にこの4部作 & 岩波少年文庫のサトクリフ・ラインナップを読了できそうです ^^;  それにしてもこれは傑作だなぁ!!  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ともしびをかかげて(上)(下)
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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衰退したローマ帝国は、450年にわたるブリテン島支配に終止符をうつ。  地方軍団の指揮官アクイラは、悩んだ末に軍を脱走し、故郷のブリテン島にとどまることを決意したが...。  意志を貫いて生きることの厳しさ、美しさを描く。  (文庫本裏表紙より転載)

山中にたてこもるブリテンの王子アンブロシウスのもとに集い、来るべき闘いにそなえるアクイラたち。  勢いを増す「海のオオカミ」ことサクソン軍との死闘の末、アクイラはなにを手に入れたのか。  ローマン・ブリテン四部作の三作め。  (文庫本裏表紙より転載)

前作「銀の枝」ではちょっと消化不良気味の感想しか抱けなかった KiKi。  そういう意味ではこの第3作を読み始めるまでは正直ビクビクものでした。  でも、「カーネギー賞受賞作品」だし、上巻の表紙の写真は KiKi 好み(?)だし、おっかなびっくりの期待を込めて読み始めたのですが、前作で感じた「中ダルミ感」は冒頭2章であっという間に吹っ飛び、この物語の世界観に吸い込まれていきました。  で、上下2巻を一気読み!(笑)  それぐらい面白かったし、魅せられたし、多くのことを考えさせられました。  「第九軍団のワシ」も KiKi の中ではかなり評価が高い作品だったんですけど、こちらの方がさらにそれを上回っている・・・・かもしれません。

前作でもケチョンケチョンの扱いだったサクソン人は今作でも引き続きケチョンケチョン・・・・ではあるものの、そこに主人公アクイラ(「第九軍団のワシ」のアクイラの子孫)の愛してやまない妹フラビアの存在と、彼女が略奪され不本意ながらも嫁ぐことになったサクソン人との間の息子、マルの存在があることにより、善 vs. 悪の対立軸からはちょっと離れ、もっと深い1人の人間の精神性・生き様というものが浮き彫りにされた、人間性回復の物語になっていることに感銘を受けました。  そいういう意味ではこれは「児童書カテゴリー」に入っている作品ではあるものの、大人が読むとさらに味わい深い作品になっていると思いました。  物語冒頭であまりにも呆気なくすべてを失ってしまうアクイラだけど、同時に彼がその冒頭で灯した「ともしび」が、物語全編で時に弱く、時に強く燃えているのが、感覚的にも視覚的にも感じられるのもすごいなぁ・・・・。  

 

銀の枝 R.サトクリフ

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岩波少年文庫のサトクリフ2作目、そして彼女のローマ・ブリテン4部作の2作目です。  正直なところ第1作の「第九軍団のワシ」ほどは KiKi に響いてくるものがなかったんだけど、それでもサトクリフらしさはたっぷり堪能できる作品でした。

銀の枝
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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百人隊長フラビウスといとこのジャスティンは、皇帝の側近アレクトスの裏切りを知り、追われる身となった。  二人は地下組織のメンバーとともに、故郷で見つけた「ワシ」を旗印に新皇帝に立ち向かう。  ローマン・ブリテン四部作の二作め。  (文庫本裏表紙より転載)

いわゆる「冒険度」(RPGのダンジョンの難易度)みたいなものがあるとしたら、「第九軍団のワシ」の方がこの「銀の枝」よりも上をいっているような気がします。  いかに不本意ながらも正規ローマ軍団を離れ脱走兵扱いされていると言えども、「狩られる」描写が細緻と言えども・・・・です。  その理由の1つは「第九軍団のワシ」のマーカスにはエスカという連れがいたと言えどもやはり「1人」だったのに対し、こちらではフラビウス & ジャスティンという2人連れだということが強く影響しているような気がします。  方や元百人隊長、方や元軍団付きの外科医という立場の違いこそあれども、この2人、「いとこ同士」という設定もあって、正直なところ個性に乏しいというか、どっちがどっちなのか混乱しやすいというか・・・・・。  それが2人の絆だと言ってしまえばそうかもしれないんだけど、KiKi には2人連れでなければならない物語設定上の理由のようなものが、はっきりしませんでした。

と、同時に「第九軍団のワシ」ではローマ人であるマーカスとブリトン人であるエスカがコンビを組んでいるからこそ発生していた様々な含蓄のあるドラマがこの物語ではほとんど発生しないんですよね~。  あのエスカに見合う登場人物と言えば「槍の男 エビカトス」と地下組織のメンバーになる「元剣闘士のパンダラス」だと思うんだけど、彼らもエスカほどには存在感がない・・・・。  KiKi はエビカトスにはかなり期待していたんだけど、ちょっと中途半端な感じが否めませんでした。  「ローマ人ではない人種」がもう少し丁寧に描かれるとこの物語にも更に深みが出てきただろうに・・・・と感じちゃうのは否めません。 

  

図書館本のサトクリフで助走期間をたっぷりと取った(?)ので、そろそろこのブログのご本尊、「岩波少年文庫」のサトクリフ作品に取り組みたいと思います。  年明けからは「グリーン・ノウ」に没頭するためにも、ローマブリテン四部作だけは何とか年内に読了したい KiKi です。  ま、てなわけで本日の読了本はその第1冊目のこちらです。

第九軍団のワシ
著:R.サトクリフ 訳:猪熊葉子  岩波少年文庫

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ローマ軍団の百人隊長マーカスは、ブリトン人との戦いで足を負傷し、軍人生命を絶たれる。  マーカスは親友エスカとともに、行方不明になった父の軍団とその象徴である<ワシ>を求めて、危険に満ちた北の辺境へ旅に出る。  (単行本裏表紙より転載)

この本は15年位前、一度途中まで(というよりは最初の方)を読みかけたのです。  でも、当時の KiKi は「落ちこぼれながらも会計人」として、かなりお仕事に邁進していた時期で、深夜残業・休日出勤は当たり前という生活をしており、そんな中で夜中に眠い目をこすりながら読書をするのは睡魔との闘いという側面もあったのです。  で、冒頭部分ではちょっと物語に乗り切れないものを感じ、結果、常に睡魔には負けてしまい読み通すことができない・・・・・ということを数回繰り返し、読了するのを諦めたという前科がありました。  今回は睡魔との闘いはないし、サトクリフ作品に嵌り始めているという自覚も手伝って、何とか冒頭のダラケを乗り切り、後はマーカス & エスカとあたかも共に冒険しているような気分のままラストまで突っ走ることができました。

北イングランドからスコットランドにかけての、どことなく荒涼とした、そして厳しい自然の中の描写が思わずため息をついちゃうほど美しく、そんな厳しい自然の中で生きる人たちの鍛え上げられた自尊心には心を打たれ、征服するもの vs. 征服に抗うものの関係性も克明に描かれた素晴らしい作品だと思いました。  うん、できればこの作品は中学生のころに読みたかったなぁ・・・・。  そう考えると KiKi が中学生だった頃の岩波少年文庫のラインナップにこの作品が含まれていたかどうかは定かじゃないんだけど、「岩波少年文庫 ≒ 小学生のための読み物」と勝手に決めつけていた自分が情けなくなります。

    

今日もサトクリフ作品です。  作品そのもののお話に入る前に・・・・この本の表紙って素敵だと思いませんか??  KiKi はこういう景色に何とも言えない懐かしさ、郷愁に似た思いを抱きがちなんですよね~。  樹齢何年とはわからないけれど、決して真新しい感じはしない森。  常に日が当たるわけではないから地表に生えるのは美しい苔とシダ。  1日のうちある一瞬だけこの世のものとは思えないような日差しが差し込み、凛とした空気が、大地が喜びの歌を奏でる瞬間。  こういう景色に感じるある種の安堵感故に、KiKi のLothlórien_山小舎暮らしが成立していることを改めて感じます。  ま、それはさておき、本日の KiKi の読了本はこちらです。

アネイリンの歌 ケルトの戦の物語
著:R.サトクリフ 訳:本間裕子  小峰書店

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戦にむかった三百人の兵のうち、生き残りはただひとり―。  吟唱詩人アネイリンによる、いまも伝わるケルトの叙事詩「ゴドディン」。  紀元六〇〇年のブリテンを舞台に、少年プロスパーの半生とともに、ゴドディンの世界を物語る。  (単行本扉より転載)

KiKi が高校時代の世界史で学んだ英国史では、ほんの数行で語り終えてしまっていたケルト民族(ブリトン人やピクト人)とゲルマン民族(アングル人やサクソン人)の戦い。  多くの戦の結果とその後に続く歴史以外には目を向けることさえなかった KiKi は不勉強のためこの物語のベースになっている「ゴドディン」という叙事詩の存在さえもこの本を読むまでは知りませんでした。  これで「大学時代は英文学を専攻していました。」な~んていうことは、恥ずかしくてとても言えないなぁ・・と反省することしきりです ^^;  この物語の主人公は「ゴドディン」を歌ったアネイリンでもアネイリンが歌った歌に登場する同胞隊300人の中の1人でもなく、その300人に付き従って戦場に赴いた従者のプロスパー。  この当事者でもあり傍観者でもある主人公が語るという体裁がまずは凄い!!  ある時はちょっと引きの目線で、そして又別の時は出来事真っ只中という目線で語るこの悲劇の全貌は力強いながらも、どことなく淡々としており、必要以上に感傷的にもならず、かといって他人行儀でもない不思議な魅力の文体と相まって胸に迫ります。

そしてもう1つ。  この物語の魅力を増しているのが、そのプロスパーと彼の付人奴隷、コンとの関係です。  この時代のちょっと落ちぶれたとはいえ村長(むらおさ)の息子に生まれながらも、付人奴隷と親友関係を築き、彼の口には出せない胸の奥に抑え込んだ「刀鍛冶」への道を勧めるエピソードには思わず胸が熱くなりました。  もっともこれはある意味で、プロスパーのような中途半端なポジション(付人奴隷を持ちながらも自身も300人の騎士の1人にはなりえない)に生きる者だからこそ持ち得た一種のバランス感覚の成せるわざだったのかもしれませんが・・・・・。

 

あんなに「どちらかというと苦手」と思っていたにも関わらず・・・・です。  人間っていうのはかくもゲンキンなものなのですねぇ。  今では KiKi はサトクリフ作品に嵌ってしまったみたい(笑)  まあ、これには吾妻郡図書館の影響もかなりあるんですけどね。  いえ、別にこの図書館がサトクリフ・コーナーを設けているとか、今月の推薦本みたいな形で斡旋しているというようなことではなく、1)状態のよい本を、2)KiKi の動線上に、3)見栄えよく陳列している・・・・・ただそれだけのことなんですけどねぇ(笑)  ま、いずれにしろ、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ケルトとローマの息子
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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ケルトの戦士として育った少年ベリックは、じつはひろわれたローマ人の子どもだった。  不作と疫病の年、その原因として部族を追放され、ひとり父母の地ローマへと向かった少年を待っていた運命とは...?  自分と自分の居場所を求めてさまよう若者の成長を描く、カーネギー賞作家サトクリフ渾身の長編歴史ファンタジー。  (単行本扉より転載)

ふぅ・・・・・。  あまりにも没頭して読まされてしまったが故に、最後の1行を読み終え本を閉じた瞬間、KiKi は大きなため息をついてしまいました。  そのため息にはちょっとした安堵と、何かを成し遂げたあとに感じる充足感と、長大な歌を歌い終えた際の大きな呼吸に似たような何かが含まれていたように感じます。  この日本語のタイトルがいいですねぇ。  原題は「Outcast」(「追放者」とか「見放された者」とか上橋さん風に「流れゆく者」とでも訳せばいいのでしょうか?)。  確かに居場所を失った若者の放浪物語ではあるんだけど、「ケルトとローマの息子」というタイトルが一番しっくりくるような気がします。

この本を読んでいて KiKi はずっと昔、ある友人と語り合ったことを思い出しました。  その友人との出会いは KiKi がまだとある外資系企業でお仕事をしていた時のこと。  彼は在日韓国人。  日本で生まれ、日本語を話し(逆に韓国語はほぼ「できない」と言った方が正しいかもしれない)、ある年齢からアメリカに渡って学業を終え、日本にある外資系企業に入社した人でした。  たまたま KiKi とはとある Project で一緒にお仕事をしていました。  そんな彼とある日居酒屋で話をしていました。  そこで彼は「日本人でも韓国人でもない自分」について、さらっと語ってくれました。  たまたまその年はオリンピックだったかワールドカップだったか、そんな類のスポーツの祭典の催されていた年で KiKi は彼に聞きました。

「ねぇ、じゃあ、例えば今やっているオリンピック( or ワールドカップ)みたいな世界大会がある時、あなたはどの国を応援するの?」

これに対する彼の答えは「日本も韓国も応援しない。  応援するのは好きな選手であって、○○国代表ではない。」というものでした。  更に重ねて KiKi は

「ねぇ、じゃあ、周りがどうかは別にして、あなた自身は自分のことを何人だと考えているの?」

これに対する彼の答えは「強いて言えば Global 人かなぁ・・・・・。  僕にとって国というのは意味がないのと同じだから・・・・・・。」  というものでした。

 

今日もサトクリフ作品です。  どうやら KiKi の「サトクリフ苦手意識」は一掃され、逆にお気に入りの作家になりつつある模様・・・・・ ^^;

闇の女王にささげる歌
著:R.サトクリフ 訳:乾 侑美子  評論社

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イギリス人なら誰もが知っている伝説の女王ブーディカ。  彼女は紀元60年、強大なローマ帝国の軛に抗してケルトの諸部族を結集し、民族の尊厳のために立ち上がった。  それは、帝国にとっては「叛乱」、ケルトにとっては「聖戦」だった。  「聖戦」ならではの、残虐で無慈悲な戦い...。  それらを包み込むようにして語る竪琴弾きの哀切な響きのなかに、古代の悲劇があざやかによみがえる。  (単行本扉より転載)

これも面白かったぁ!  いえ、面白いというのとはちょっと違うかな。  グイグイ引き込まれて読み進み、時に胸が震え、時にため息をつき・・・・と、時代を遡ってあたかも竪琴弾きの歌を広い宴会場の片隅で聴いているような錯覚を覚えました。  こちらの作品の語り部は竪琴弾き。  タイトルが与えるイメージ・インパクトと扱っている題材のショッキングさが相俟って、ゾクゾクしながら読み進むことができる物語だと思います。  学校の歴史の授業では支配者側となるローマ帝国の目線でさらっと触れられるイケニ族の叛乱。  華々しいローマの躍進の数多くの出来事の中の小さな一例にすぎない闘いだけど、そこには当たり前だけど多くの人たちの人生と生き様があって、それらは呆気なく歴史の波の中に飲み込まれていってしまう・・・・・。  そんなことを改めて感じさせてくれる読書体験となりました。

  

先日、「ケルトの白馬」を読んで以来、それまではどちらかというと苦手意識のあったサトクリフ作品に興味を持ち始めた KiKi。  ま、せっかくなので「吾妻郡図書館」で他のサトクリフ作品もいくつか読んでみることにしました。  岩波少年文庫のサトクリフ作品もちゃ~んと待機しているんだけど、それはもう少し先にとっておくことにします。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

ヴァイキングの誓い
著:R.サトクリフ 訳:金原瑞人・久慈美貴  ほるぷ出版

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孤児となったイギリスの少年ジェスティンは、ヴァイキングにさらわれ、奴隷として売られた。  ある事件をきっかけに、自分の主人と兄弟の誓いをする。  そのことからジェスティンは、ヴァイキング同士のすさまじい復讐の戦いに巻きこまれてしまうことになった。  アイルランド、ユトランド半島、ロシア、黒海、そしてビザンティン帝国の都コンスタンティノープルへとつづく、思いもかけない冒険の旅がはじまったのだ...。  十世紀のヨーロッパを舞台に、自分と自分の居場所を求めて悩む若者の成長を描く、サトクリフの歴史ファンタジー。  (単行本扉より転載)

これは面白かった!!  この時代のことを正直なところあまりよく知っているとは言い難い KiKi にとっては目からウロコの作品でした。  こういう物語を読むとつくづく KiKi は思うのです。  ああ、KiKi が学んできた歴史って本当に「受験対策のための歴史だけ」だったんだなぁ・・・・ってね。  物語は主人公ジェスティンの回想という形で語られていて、ところどころ記憶が曖昧になったりぼやけたりしちゃっているがゆえに「え~!  そんな、期待だけさせてぇ!!  もっと深堀りして、語っちゃって~!!」ってなことを感じちゃう部分もなかったわけじゃないんだけど、この時代のヨーロッパ全体の状況が俯瞰できる作品だったと思います。  と同時に極東の島国に暮らし、メルカトル図法で描かれた地図が強烈に頭にインプットされている KiKi にはしっくりイメージできていたとは言い難い、アイルランド、ユトランド半島、ロシア、黒海、ビザンティン帝国の位置関係も、かなりくっきりとイメージし直すことができた作品となりました。

 

 

 

以前 KiKi はこのエントリーでサトクリフには苦手意識があったと書いたけれど、どうやらそれは思い過ごし(?)だったみたい(笑)  と言うよりも、正確には「読む時期を誤った」と言ったほうがいいのかもしれません。  「ケルトの白馬」で感銘を受けたので、せっせと図書館からサトクリフ本を借り始めたわけですが、本日読了したこちらも感銘を受けました。  ま、てなわけで、本日の読了本です。

三つの冠の物語 ヒース、樫、オリーブ
著:R.サトクリフ 訳:山本史郎  原書房

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「黒い母」(ブラック・マザー)や「ミトラ神」「ゼウス」などの神々が生きていた世界。  戦いや対立のさなかに出会う二人の人物の間に生まれる熱い友情の絆を鮮やかに描く!  (単行本扉より転載)

こちらは古代を舞台にしたサトクリフの短編集です。  タイトルどおり3つの冠にまつわるお話で、1作目の「ヒースの花冠」が1,2世紀頃にブリテン島に住んでいたケルト人部族での物語、2作目の「樫(オーク)の葉の冠」が3,4世紀頃のピクト人と戦うローマ軍での物語、3作目の「野生のオリーブの栄冠」が紀元前ギリシャのオリンピックでの物語です。  どの作品も戦いや対立の中で出会う2人の人物の友情の物語で、その友情にこれら3つの冠が関わっているという仕掛けになっています。  舞台も登場人物もバラバラな3つの物語であるにも関わらず、この「冠」という共通項がこの物語全編を貫く「核」のような働きをしていて、彼らが示した「美しいもの」を象徴するかの如く、心に残ります。

3作品、優劣はつけ難いのですが、個人的な趣味としては最後の「野生のオリーブの栄冠」が最も好きなタイプのお話だったと思います。  やっぱり舞台装置が半端じゃなくドラマティックなんですよね~。  古代オリンピックにおけるアテネとスパルタの陸上選手の友情物語で、当時この2都市は戦争中だったのですが、「オリンピック開催のための休戦」というある種の特別期間における物語。  で、メインとなる2人が現段階では戦闘には参加していないいわゆる「未成年(≒ 少年)」で、もう間もなく大人の仲間入り(≒ 出兵)というホントに限られたタイミングに出会うんですよ。  いずれには戦に駆り出されることになることはわかっているけれど、戦自体がまだまだ実体験にはなっていないというあまりにも微妙な時期に・・・・・。

  

埋もれた世界 A.T.ホワイト

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せっかく見つけた「吾妻郡図書館」。  これはこの図書館を使い倒すぞ!とばかりに、またまた出かけていって借りていた本を返却するのと同時に、新しい本を借りてきました。  せっかくなので、KiKi が未入手の岩波少年文庫の絶版本をメインに探してみました。  いろいろあることはわかったので、まずはその中の1冊を借り出し、本日読了しました。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

埋もれた世界
著:A.T.ホワイト 訳:後藤冨男  岩波少年文庫

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シュリーマンが一生の夢をかけたトロイア、ピラミッドの国エジプト、バビロニア帝国の栄えたメソポタミア、ユカタン半島のマヤ - これらの代表的な4つの地方の発掘を通して、埋もれた遺跡から古代の社会をよみがえらせる考古学者たちの仕事を感動的に描いた物語。  (文庫本扉より転載)

KiKi はね、歴史に興味のある方だとは思っていたのですが、正直なところ「シュリーマンの物語」だけは知っていたものの、この物語の中に出てくるその他の古代遺跡を発掘した多くの考古学者のことはほとんど知りませんでした。  学校で学んできた歴史の教科書や美術の教科書で、彼らのお仕事の成果物である多くの遺物の写真を見てきているけれど、KiKi にとってそれらの遺物は「太古の昔から存在していたもの」にしか見えず、ミュケーナイの獅子門も、アガメムノンの金の仮面も、ティリュンスの壁画も、ミノスの宮殿も、ツタンカーメンの棺も、アッシリアの翼のある牡牛も、マヤのピラミッドも、すべて「そこにあったもの」という認識しか持っていませんでした。  それらの遺物が長い年月の間地中もしくはジャングルの中に埋もれていて、それを発掘する作業を行った人がいたことに対して、何ら感慨を持ったことがなかった・・・・・と言っても過言ではありません。

文字で書かれた歴史の始まる以前のことがわかるようになったきっかけとしての遺物には興味があったし、それらの遺物を作り上げた人類の叡智とか、技術力に感銘を受けたことは多々あっても、それらを今、目の当たりにすることができるようになるために働いた人たちに思いを馳せたことがなかったのです。  たまたまシュリーマンに関しては、子供時代に読んだ何かの物語で知ることがあったし、長じてシュリーマン自身の著作「古代への情熱」を読んだこともあり、ある程度は知っていたけれど、第二第三のシュリーマンがいたことに思い至ることさえなかったとは情けない限りです。

  

吾妻郡図書館で借りてきた3冊のサトクリフ作品。  最後の1冊を読了しました。  う~ん、ひょっとすると数年前に KiKi のサトクリフ苦手意識を助長したのはコレだったかもしれません・・・・・ ^^;  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

黄金の騎士 フィン・マックール
著:R.サトクリフ 訳:金原瑞人、久慈美貴  ほるぷ出版

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むかし、アイルランドはエリンと呼ばれ、五つの王国にわかれていた。  小王国のあいだの争いや血の復讐を治め、またエリンを侵略者から守るために、フィアンナ騎士団はあった。  英雄フィン・マックールは、その騎士団長だった...。  人間と妖精がいりまじって紡ぎあげられた、フィンの冒険物語は、ケルト神話の代表的な英雄物語として古くから語りつがれてきた。  鮮やかに、力強く、ときにユーモラスに、カーネギー賞作家サトクリフによって語りなおされた、ケルト神話英雄譚。  (単行本扉より転載)

昨日読了した「炎の戦士 クーフリン」が英雄叙事詩的な物語だとすると、こちらは炉辺の民話風。  読み進めている間、KiKi は「フィン・マックール」のお話を読んでいるのか、「アーサー王と円卓の騎士」のお話を読んでいるのか、混乱してしまうことがありました。  どのエピソードも、フィンとフィアンナ騎士団の戦士たちのヒロイックな騎士道精神が主軸にあって、フィン自身の活躍・・・・と言うよりは、彼が統率する騎士団の面々の物語っていう感じなところも、アーサー王の物語とそっくりです。

一般的にフィン・マックールの物語で著名なエピソードと言えば

  • 若かりし頃のフィンが、ターラの王宮に現れる妖怪を退治して、フィアンナ騎士団のチーフの座(これは元々彼の父親が占めていた座)をかちとったというお話。
  • フィンの最愛の妻がドルイド(?)の杖の一振りで牝鹿になって消えてしまったというお話。
  • フィンの息子オシーンが、妖精の娘に誘われて、海の向こうの常若国「ティル・ナ・ノグ」に行ってしまうお話。  
  • その話の後日譚である、人間世界にちょっと里帰り・・・・のつもりのオシーンが、妖精世界とは異なる時間の流れで一挙に老人になってしまう(← って浦島太郎みたい 苦笑) & 妖精世界に戻れなくなってしまうというお話。
  • フィンの後妻となるはずだったグラーニアが、彼の腹心の部下・ディアミッドと駆け落ちしてしまい、結果的に彼はもっとも信頼すべき部下を失ってしまう(& ディアミッドを慕う孫との関係もちょっとハチャメチャ)というお話。

の5つだと思うんだけど、これらは当然含まれていて、ついでにそれ以外のあれやこれやのフィン & フィアンナ騎士団のお話を寄せ集めた纏めた1冊っていう感じでしょうか。  そこそこ楽しめるお話のオンパレードで、サトクリフならではの美しい描写に心惹かれるものはあるものの、KiKi の読後感としてはワクワク感に欠けるなぁ・・・・・と。  どことなく素っ気無いと言いましょうか、あっさりしすぎていると言いましょうか、気高さに欠けるとでも言いましょうか・・・・。  

 

吾妻郡図書館で借りてきた「サトクリフ本」の2冊目を読了しました。  この本が出版されたばかりの頃に読んだときは、数ページ読むと睡魔に襲われ、どうも楽しむことができなかった印象の強かったこの本ですが、今回は何だかワクワクしながら読み進めることができました。  これは KiKi の気持ちに余裕があるせいなのか、たまたまO.R.メリングの本(「ドルイドの歌」)を読了したばかりだったからなのか、はたまたこの物語の世界観に対する KiKi の受容度量がようやく追いついてきた証なのか?(苦笑)  ま、いずれにしろ本日の KiKi の読了本はこちらです。

炎の戦士 クーフリン
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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太古のむかし、太陽神ルグとアルスター王の一族の姫デヒテラとのあいだに生まれたクーフリンは、勇者ぞろいの赤枝戦士団のなかでも並ぶもののない勇者に成長した。  『アルスターの猛犬』と呼ばれ、そして「アイルランド一の戦士」とうたわれた...。  カーネギー賞作家サトクリフの手によって、力強く、迫力いっぱいに語りなおされた、ケルト神話英雄譚。  『ケルト神話 黄金の騎士フィン・マックール』と対になっていっそう魅力的なケルト世界をかたちづくる。  (単行本扉より転載)

以前はどうしてあんなに眠くなっちゃったんだろう???  それが KiKi の大きな疑問になってしまうぐらい、今回はとっても楽しめました。  いいなぁ、クーフリン。  いいなぁ、ケルトの英雄譚。  いいなぁ、この原始的でどこか荒々しい世界観。  あ、ひょっとするとこういう物語の荒々しさを難なく受け容れられるようになってきた背景には、KiKi の山小舎暮らしが功を奏している・・・・っていう面もあるかもしれません。  なんせ山で暮らしていると都会生活では目の前で見ることはないような「自然の荒々しさ」と直面することも多かったりもするので・・・・・。  メリングの「ドルイドの歌」では生き生き・溌剌とした少年というイメージの強かったクーフリンが、こちらでは戦士然としています。

とにかく1冊まるごとクーフリンの物語で、その誕生から死までの逸話を若干ぶつ切り気味・・・・ではあるものの、まとめあげた作品なので、「クーフリン入門書」という印象の物語ではないでしょうか。  と同時に「ケルト神話」と本の副題で断ってはあるものの、どちらかというと「古代英雄叙事詩」という色彩の強い物語だなぁ・・・・と。  神様も出てくることは出てくるんですけど、これってどちらかというと人間の物語。  それも偉大な英雄の一代記っていう感じなんですよね~。  でも、これ、今では絶版なんですねぇ・・・・・。  この後、読もうとしている同じシリーズの「黄金の騎士 フィン・マックール」の方はまだ販売中なのに。  

ケルトの白馬 R.サトクリフ

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昨日、KiKi はLothlórien_山小舎から一番近い図書館へ行ってみました。  村のHPをネットで見ていたらこの図書館の紹介が載っていたので、これは1度立ち寄ってみる必要があるだろう!と思って早速出かけてみたっていうわけです。  (そのご紹介エントリーは後刻アップします。)  で、せっかく行ってみたのでついでに本も借りてきました。  都会の図書館と比べると本の痛み加減が全然違うのが何だか新鮮でもあり、嬉しくもあり・・・・・(笑)。  蔵書数ではさすがに都会の図書館には叶わないかもしれないけれど、気持ちよく利用できるという意味ではこちらの図書館の方に軍配があがるかもしれません。  ま、いずれにしろ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

ケルトの白馬
著:R.サトクリフ 訳:灰島かり  ほるぷ出版

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イギリス、バークシャーの緑なす丘陵地帯には、地肌の白い土を露出させて描いた、巨大な白馬の地上絵がある。  古代ケルト人の手になるその地上絵は、力強く美しく、悠久の時を超えて命の輝きを放っている。  なぜ、どのようにして、この「アフィントンの白馬」は描かれたのか。  カーネギー賞受賞作家サトクリフが、今はもう忘れられた豊かな物語を紡ぐ。  (単行本扉より転載)

実は KiKi はサトクリフ作品っていうのは正直なところ苦手意識があったりします。  まあ、初めてサトクリフ作品に出会った頃には、まだまだ KiKi が幼すぎたせいもあるんだろうと思うんですよね。  なんていうかお子ちゃまにはちょっと物足りないワクワク感・・・・とでも言いましょうか。  「ドキドキ感はあってもワクワク感が湧いてこない作家」というのが長らく KiKi が手前勝手に描いていたサトクリフ作品に対する評価でした。  これはたまたま当時の KiKi があれやこれやと忙しすぎて、読書が絶好の睡眠剤だった時代だったから・・・・とも言えるかもしれません。  そこそこドキドキはさせてくれるんだけどワクワクしてこないので、数ページで睡魔が襲ってくる・・・・・そんな作家の筆頭だったんですよね~(苦笑)。

ま、そんな KiKi が今回この本に手を出してみたのは、このあまりにも美しい表紙の写真(「アフィントンの白馬」)に思わず目を奪われたから・・・・・でありました。  東京でも同じ本は図書館で何回か見ているんだけど、残念なことに結構ボロボロで、惹かれるものはありつつもなかなか食指がうごかなかったんですよ ^^;  第一、苦手意識のあるサトクリフだし・・・・・。  ところがこちらの図書館ではこれが新品か!と思えるほどピッカピカの本だったんですよ。  で、その美しいままの状態の本でこの写真を見ると、もともと興味は持っていた本であっただけにこれは読まずにはいられない!・・・・と。  で、ついでにこの本と同時に何冊か、過去に睡魔と闘いつつとりあえず読み通したような記憶があるものの内容はほとんど覚えていないサトクリフ作品を借りてきました。

 

ちょっと間があいてしまったのですが、「戦前 & 戦中篇」に続く「戦後篇」をようやく読了することができました。  どちらも結構な厚さの本ではあったのですが、好奇心を持続しながら読むことができた昭和通史の1冊だと感じます。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

昭和史 1945 - 1989
著:半藤一利  平凡社ライブラリー 

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授業形式の語り下ろしで「わかりやすい通史」として絶賛を博した「昭和史」シリーズ完結篇。  焼け跡からの復興、講和条約、高度経済成長、そしてバブル崩壊の予兆を詳細にたどる。  世界的な金融危機で先の見えない混沌のなか、現代日本のルーツを知り、世界の中の日本の役割、そして明日を考えるために、今こそ必読の一冊。  毎日出版文化賞特別賞受賞。  講演録「昭和天皇・マッカーサー会談秘話」を増補。   (文庫本裏表紙及び Amazon より転載)

これまで KiKi は昭和史に関連する本を一切読んでこなかったわけではないのですが、それは例えば「満州国」について書かれた本だったり、「日中戦争」に関して書かれた本だったり、「太平洋戦争」に関して書かれた本だったり、「東京裁判」に関して書かれた本だったり、「安保闘争」に関して書かれた本だったりと、ある意味で事象の1つ1つを捉えた本ばかりだったような気がします。    

それらの既読本と比較してこの「昭和史 2冊セット」は非常によくまとまった「昭和通史」だったために、様々な事件が発生する時代の空気感、事件ごとの因果関係をリアルに感じながら読み進めることができたと思います。  ちょっと笑っちゃったのが KiKi の所持本の1冊「昭和史 著:遠山茂樹 今井清一 藤原彰  岩波新書」に関して評論家の亀井勝一郎さん & 半藤一利さんの会話

「あの本を読んだかね?」 「読みました」  「面白いかね」 「いやぁ、くそ面白くもありません」  「どこが一番悪いと思うかね」 「あそこには血の通った人間が書かれていません」 「そうか君もそう思うか」

というのが紹介されていて、実は KiKi はこの本は学生時代から何度もチャレンジしているものの、ただの一度もちゃんと読み通すことができていなかったのですけど、その理由はやっぱり面白くなかったからだったのか!と得心できちゃったこと(笑)  やっぱり歴史は、そこでうごめく人たちの「人間」が感じられないと、学生時代の丸暗記系の読み物になっちゃうんですよね~。

この「戦後篇」は後半になると自分が生きてきたリアルな時代の記述がバンバンと出てきて、その頃は当然のことながら KiKi も子供だったので、断片的 & ショッキングなニュース映像だけは頭に残っていたものの「それがどんな出来事だったのか?」を深く考えずにここまできてしまったようなことが多々あるわけですけど、それらがそこそこ整理できたような気がしたのも収穫でした。

 

昭和史のお勉強をもう少し進めるためには、やはり日清・日露の両戦争とその時代の世界情勢をきっちりと頭に描きなおす必要があるように感じました。  ただ、そうなってくると振り返らなければならない事件があまりにも多く、言ってみれば「教科書的」にエッセンスを抽出してくれている本をまずは読みたくなってきます。  で、あれやこれや考えてみたのですが、そうなってくると「歴史のお勉強」をしている人たちの世代向けの本に目が向きます。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

大日本帝国の時代 (日本の歴史【8】)
著:由井正臣  岩波ジュニア新書

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日清・日露の戦勝に酔いしれた近代国家日本は、その後急速に軍国主義化を強め、朝鮮や満州を植民地化して、ついに前後十五年にわたる無謀な戦争を強行した。  日本人はもとよりアジアの人びとに深い心の傷を負わせたこの戦争は、一体なぜ起こったのか?  その謎を解明しつつ、大日本帝国が今日に残した問題を考える。  (新書裏表紙より転載)

この時代のことをあれこれ考える際に、どうしても世界規模の帝国主義動向のダイナミズムやら、一つ一つの戦争や事変のあらまし、さらにはそこで出てくる歴史的登場人物がどうした、ああしたということに捕われがちになります。  もちろんこの本でもそのあたりに関しては、比較的客観的な記述で説明されているとは思うのですが、それより何より今回この本を読んでいて KiKi が一番感じたこと。  それはもっと別のことでした。  それはアジアの小国日本が背伸びしながらも弱肉強食の帝国主義世界を相手にするために、払ってきた一般人の犠牲(・・・・・と言うか、貢献・・・・と言うか)の大きさです。

明治維新後の生産性が高いとはまだまだ言い難いアジアの辺境国日本が大国清やロシア、果ては米英と戦争をするために、無理して大きな借金を抱えながら軍備をしたということ、私たちの祖先が生活していくのに最低限必要な物資さえも潤沢とは言い難い生活を続けながらそんな「お国」を支えていたということ、そこに発生していた「無理」を省みる余裕があったとはお世辞にも言えない歴史時間の中で、私たち日本人が置き去りにしてこざるをえなかったものの存在。  そして、そんな貧しい時代を経た人たちが拘らずにはいられなかった「豊かさ」の本質。  ・・・・・そんなことに想いを馳せる読書となりました。

その時代、もしくは戦後世代のやってきたことが「正しかった」とか「正しくなかった」とかそんなことではなく、今の「飢餓」とは無縁で、雨露を凌ぐ屋根や壁には守られ、次から次へと発売される「本当に必要なものかよくわからないもの」に囲まれた生活を送っている贅沢な日本人には想像することさえ難しいような貧しさの中を生き抜いてきた祖父・曽祖父・さらにはその前の世代の日本人にはホント、頭が下がります。  と同時に、そんな「我慢すること」が骨身に沁みついてしまっている世代の生き残りとも言える100歳を越えるお年寄りの方々が、所在さえわからないまま放置されても気がつかずにきてしまうようになった現代社会。  そこにあまりにも大きなギャップを感じずにはいられません。  

本来であれば「昭和史 戦後篇」を読み進めていくべきところだとは思うのですが、せっかく頭の整理が少しできたように感じられるところなので、「戦争関連本」を何冊か読んでおこうと思い立ちました。  で、とりあえず過去に一度は読んでいる本ではあるのですが、まずは比較的読みやすいところで「新書」にでも手を出してみようかな・・・・・と。  てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

あの戦争は何だったのか
著:保坂正康 新潮新書

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戦後六十年の間、太平洋戦争は様々に語られ、記されてきた。  だが、本当にその全体像を明確に捉えたものがあったといえるだろうか―。  旧日本軍の構造から説き起こし、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした"真の黒幕"とは誰だったのか、なぜ無謀な戦いを続けざるをえなかったのか、その実態を炙り出す。  単純な善悪二元論を排し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯一無二の試み。  (新書本扉頁より転載)

前回の「昭和史」とこの本を2冊続けて読むことにより、ある意味でポイントになる様々な出来事の時間軸 & 因果関係みたいなものがある程度頭に定着できたような気がします。  まあ、それがいつまで持続できるのか?と言うと、最近の KiKi は甚だ心許ないんですけどね ^^;  この本で結構面白かったのは第1章の「旧日本軍のメカニズム」でしょうか。  まあ、こういうことは男子はそれなりに興味を持っていて知っていたりもするのかもしれませんが、少なくとも KiKi はこういう機会でもないと、自主的に調べてみようとは思えない分野だったので・・・・・。  ただ、せっかく陸海軍士官の養成方法や徴兵制、軍隊の組織にまで触れるならさらにもう一歩踏み込んで、職業軍人の教育の核には何があり、徴兵制の中で(もしくは当時の時代の空気感の中で)、一兵卒がどんなメンタリティを持っていたのかにまで言及してくれるといいのになぁと思いました。

で、問題は第2章の「開戦に至るまでのターニングポイント」。  事実(起こったこと)を淡々と述べているあたりまでは、まあいいとして「真の"黒幕"の正体・・・・」という節で KiKi はびっくり仰天してしまいました。  この本は再読本だったはずなんですけど、こんな大事な(・・・・というかびっくりするような)ことが書かれていたことに何ひとつ注意を払ってこなかったなんて・・・・・・。  曰く、東條さんの「項目再検討会議」での海軍第一委員会の調査報告では当時の日本の石油の備蓄量は2年も持たないとの結論だったが、実は、日本には石油はあったのだ・・・・・・と。  それのみならず開戦理由の正当化をしたかった海軍が意図的にとある民間会社が海外で石油合弁会社を設立するというプロジェクトを立ち上げたのに、軍が圧力をかけて意図的に潰してしまったのだ・・・・・と。

  

そうなの?????

    

まあ確かに、著者が色々と書き並べている当時の状況から考えてみると、海軍にも開戦したい理由はいろいろあったかもしれないし、それはそれで一つの推論としてありえる話かもしれないとは思えるんだけど、ここでこの本の一番弱いところは、これを証明できる統計的データがあるわけでもなし(実ははっきりしたところは誰にもわからなかったのかもしれないけれど ^^;)、この話の論拠が「陸軍省軍務課にいたある人物によると・・・・」という甚だ心許ない出典だというところ。  にも関わらず、

太平洋戦争開戦について、最初に責任を問われるべきなのは、本当は海軍だったのである。

ってそんな乱暴な・・・・・ ^^; 

まあね、気持ちはわからなくもないんですよ。  だってあの東京裁判を見ても、戦犯として裁かれた人たちのほとんどは陸軍の人たちで、あたかも「海軍は良識派」みたいな風潮(空気?)があったけれど、それは疑問だとは KiKi も思っているし・・・・・。  ただねぇ、「真の黒幕」「裏の黒幕」「表面的な黒幕」ってそんなに拘る必要があるんでしょうか???

 

終戦記念日をはさみ、音楽にしろ読書にしろ、ちょっと重めのものを選択している今日この頃です。  ところで私たち日本人は8月15日を「終戦記念日」と呼んでおり、多くの行事もこの日に行われていたりもするのですが、厳密に言えば8月15日というのは昭和天皇の「玉音放送」の日なんですよね~。  あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」以外の部分は現代日本語の素養しかない KiKi にとっては文字で書かれたものを読まない限りは、何を仰っているのかさっぱりわからない難解な日本語に満ち満ちた昭和天皇の肉声が発せられた日です。

今回読了した「昭和史 1926 - 1945」を読み終わっての KiKi の率直な感想としては、本来我々日本人は9月2日のミズーリ号艦上で行われた「降伏文書調印の日」をもって「終戦記念日」とすべきなのではないか?・・・・・と。  未だに8月15日を「終戦記念日」としていることに日本人の陥りやすい「情緒重視」の側面を引きずり続けていると言うか、「あの戦争を真っ当に再評価しようとしていない姿勢」の一端のようなものを感じます。  ま、何はともあれ、本日の KiKi の読了本はこちらです。

昭和史 1926 - 1945
著:半藤一利  平凡社ライブラリー

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授業形式の語り下ろしで「わかりやすい通史」として絶賛を博した「昭和史」シリーズ戦前・戦中篇。  日本人はなぜ戦争を繰り返したのか - 。  すべての大事件の前には必ず小事件が起こるもの。  国民的熱狂の危険、抽象的観念論への傾倒など、本書に記された五つの教訓は、現在もなお生きている。  同じ過ちを繰り返さないために、今こそ読み直す一冊。  (文庫本裏表紙より転載)

KiKi には子供がいないので、昨今の学校教育で歴史がどのように教えられているのか知る由もないのですが、少なくとも自分が学生だった時代には「昭和史」というのは「受験に必要な最低限の事件の名前と発生年、その概略のあらまし」のみを覚えるもの・・・・・・という位置づけだったと思います。  だから、この本の裏表紙に書かれているような「通史」としての理解とはかけ離れたものが昭和史の理解だったと言っても過言ではありません。  大人になってから「これじゃいかん!」と幾つかの本を読んでみたことは何度もあるのですが、多くの場合それらの本も1つ1つの事件(そこそこの期間を取り扱っていたにしろ)に主眼が置かれているため、更にはそれぞれの本の著者の私見に振り回され、「あっちの本ではこう言うし、こっちの本ではこう言うし、結局のところどうだったんだ?」と悩まされることが多く、正直なところ「さっぱりわからない!」というのが未だに KiKi の昭和史理解レベルです。  そういう意味ではこの本は頭の中を整理するのにはとても重宝しました。

現在販売されている様々な昭和史関連の書籍の個別タイトルとして、終戦記念日をはさむこの時期に放映されるTV番組の個別タイトルとして、歴史年表の1行の記述としてのみ頭に残っている様々な出来事がどのような因果関係にあるのか・・・・とか、そこでどんな人たちが何を考え、悩み、決断し(もしくは決断せずに)1つ1つの事件が発生したのかの概略はだいぶすっきりと整理できたような気がします。

欲を言えばこの本では、それなりの状況説明として当時の中国の状況やらソ連の状況、米英のスタンス等々に関してさらっとは書かれているのですが、ちょっと深みが足りないかな・・・・という印象です。  KiKi は当時の日本人が犯した様々な過ちを正面から見据える必要があるだろうとは思っているけれど、少なくとも戦争に至る道には「日本が単独で原因を作った」要素もあったかもしれないけれど、「相手があって、当時の価値観があって、自ずとできあがっていると見えた道程」みたいなものもあったはずだと思うのです。  そこをきちんと理解しなければ反省も学ぶこともできないのではないか・・・・・と。  もちろん KiKi は「当時の日本人は決して間違ってはいなかった」とは思っていないんですけどね。

 

「背教者ユリアヌス」を読んでしまったことにより、再燃してしまった KiKi の「歴史物熱」(笑)  その勢いでこのブログでも長らく放置状態だった「ローマ人の物語」に着手することになってしまいました。  過去において(もうずいぶん前のことにはなってしまったのですが・・・・ ^^;)「ローマは一日にして成らず」「ハンニバル戦記」「勝者の混迷」と読み進め、エントリーも書いていたので、今回は文庫本にして第8巻。  「ユリウス・カエサル ルビコン以前」からの再スタートとなります。

ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前 (8), (9), (10)
著:塩野七生  新潮文庫

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生涯を通じて彼を特徴づけたことの1つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。  楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。  そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。  幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。  そして、過去に捕われずに未来に目を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。  (文庫本第8巻カバーより転載)

ガリア戦役の叙述を試みる私は、キケロが軽蔑した「諸々のことをくっつけて歴史を書く馬鹿者」にあえてなるだろう。  なぜなら、カエサルは、相当に事情に通じている同時代人に向けて書いたのである。  (中略)  私は、諸々のことをくっつけながらも、カエサルの叙述の仕方、ないし彼の肉声に、可能なかぎり近づこうと努めるだろう。  なぜなら、私の書こうと試みているのは、カエサルという人間である。  そして、人間の肉声は、その人のものする文章に表れる。  (文庫本第9巻カバーより転載)

カエサル生涯、自分の考えに忠実に生きることを自らに課した男でもある。  それは、ローマの国体の改造であり、ローマ世界の新秩序の樹立であった。  ルビコンを越えなければ、「元老院最終勧告」に屈して軍団を手離せば、内戦は回避されるだろうが新秩序の樹立は夢に終わる。  それでは、これまで50年を生きてきた甲斐がない。  甲斐のない人生を生きたと認めさせられるのでは、彼の誇りが許さなかった。  (文庫本第10巻カバーより転載)

さすが、塩野さんが「永遠の片想いの相手」と公言して憚らない相手、ユリウス・カエサルの物語だけのことはあります。  文庫本にして、全部で6冊!!!  本日読了したのはその6冊のうちの最初の3冊で、世の中に数ある「シーザー伝」の中でも比較的語られることが少ないルビコン以前(「賽は投げられた!」の前)の物語です。  KiKi はね、どうしてカエサルの「ガリア戦役」を書いた本が比較的少ないのか以前から不思議に思っていたのですが、どうやらその責任(?)の一端はキケロさんにあったみたいですねぇ。  「諸々のことをくっつけて歴史を書く馬鹿者」なんて言われちゃあ、塩野さんのように「熱烈な片想い」でもしていなくちゃ、なかなか書き物をしてみような~んていう心意気は湧いてこないものです(笑)

だからこそ・・・・・というわけでもないのでしょうが、カエサルの残した「ガリア戦記」や「内乱期」以前の物語にも章を割いているのが塩野さんのこの「ローマ人の物語」の楽しいところではないでしょうか?  どちらかというとシニカルな目線を持っていらっしゃる(・・・・と KiKi は感じているのですが)塩野さんの真骨頂なのが「カエサルと金」、「カエサルと女」の章だと思うんですよね。  KiKi はね、人の持っている本質的な部分っていうのはそれが「仕事」に於いても、「私生活」に於いても、「恋愛」に於いても共通して表れると思っているんだけど、そういう観点でこの2つの章を読むと「カエサルがカエサルたりえていた本質」が凝縮されているように思うんですよ。

  

今週末のLothlórien_山小舎はお天気に恵まれず、色々気になる野良作業がありつつもほとんど庭や畑に出ることができませんでした。  今年の5月は晴天に恵まれた GW と同じくドピーカンだったその後の週末で「筋肉痛とお友達」状態がず~っと続いていたのですが、ようやくちょっとした小休止といった感じでした。  で、本来ならば「晴耕雨読」の雨読に没頭しているはず・・・・・ではあったのですが、ちょっと大きなお買い物の下見にかなりの時間を費やすことになってしまいました。  その大きなお買い物とはです。  そろそろ買い替え時が来ているということもあるし、KiKi の愛車は都会生活に照準を合わせたいわゆる「シティ・カー」だったので、今後の人生に合わせてそろそろ「山向きの車」「田舎向きの車」に変更しようかな・・・・・と。  ま、てなわけでちょっぴり読書の方がスピードダウンしてしまった週末でした。  そんな中、お布団読書でようやく読了したのがこちらの図書館本です。

背教者ユリアヌス(下)
著:辻邦生  中公文庫

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永遠のローマよ。  日の神は今わが生を見棄てられた!  ペルシア兵の槍に斃れたユリアヌスは、皇帝旗に包まれてメソポタミアの砂漠へと消えてゆく。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載) 

ず~っと昔、KiKi がまだ高校生だった頃、世界史の授業でこのユリアヌス帝時代のローマの歴史に関しては何を学んだのか??  この3冊を読みながら一所懸命思い返してみたのですが、正直なところほとんど記憶の端に浮かんでくるものがありませんでした。  それでも、「背教者ユリアヌス」という言葉だけは漠然と覚えている・・・・・・そんな感じです。  

今回この大著を読むことによって、挿話1つ1つの真偽はともかくとして、人となりに関してはかなり明確にイメージできるようになったような気がするし、以前このエントリーでもちょっとだけ触れた、学校時代の世界史の授業では結局のところ理解することができなかった「宗教」と「政治」がどんな風に絡まっていたのかに関してもかなり明確に頭の中が整理できたような気がします。

 

ふと気がつくと5月も終盤。  まもなく梅雨のシーズンです。  中学生の頃、校長先生の訓話の中に「4月の雨は嫌だけど、5月の花を咲かせます。」という言葉があり、長い間そんなことはすっかり忘れてしまっていたけれど、ふいに昨日その言葉だけが思い出されました。  この言葉を用いながらどんなお話をしていただいたのかは残念なことに思い出すことができないのですが、とても心に残る言葉だと思います。  因みに「マザー・グース」には、これに似たこんな歌があることを大学生の頃に知り、この歌に出会ったときもその校長先生のことを懐かしく思い出しました。

  March winds and April showers
  Bring forth May flowers.

「三月の風と四月の雨が、五月の花々を咲かせる」というほどの意味でしょうか。  又、イギリスに暫く滞在していたとき(これも大学生の頃)、これに似たような言い回しの言葉をホームステイしていたお宅のお母さんから聞き、その時も新鮮な驚きを感じると共に、その校長先生のことを薄ぼんやりと思い出したこともありました。

  A windy March and a rainy April make a beautiful May.

「三月の風と四月の雨が美しい五月をつくる」というほどの意味ですよね。  どうしてこんなことをふいに思い出したのか・・・・・。  それはたまたま今が5月の下旬であるということもあるように思うのですが、同時に本日読了した「背教者ユリアヌス(中)」の中に描かれるユリアヌスの姿に、どことなく「青臭い」ものを感じ、同時にその「青さ」に似たものを持っていた自分への郷愁のようなものがあったから・・・・・のような気がします。  ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。

背教者ユリアヌス(中)
著:辻邦生  中公文庫

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けがれなき青年の魂にひたむきな愛の手をのべる皇后エウセビア。  真摯な学徒の生活も束の間、副帝に擁立されたユリアヌスは反乱のガリアの地へ赴く。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載)

凡そ実務肌の人間とは思えなかったユリアヌス、学究肌で理想主義者というイメージのユリアヌスが最大の危機(皇帝への反逆罪の嫌疑をかけられたこと)を乗り越え、本来なら片腕として頼みたいはずの人々に恵まれない中、混乱のガリア平定で着々と成果を挙げる姿を描いているこの中篇。  ユリアヌスの度を過ぎているように見えなくもない「御人好しさ加減」にハラハラし、現実世界に生きつつも相変わらず理想主義を貫いている姿に惚れ惚れとし、文字の小ささ & Volumeの多さを苦ともせず、あっという間に読了してしまいました(笑)。

 

本日の読了本も図書館本です。  おとぎ話、神話、ファンタジー、叙事詩、英雄伝、そして歴史物。  KiKi の読書嗜好はこれらのジャンルに偏っているようなところがあるのですが、日本人の書いた歴史物の中でもかなり大きなインパクトをもってその存在を認知しつつ(何せ文庫本3冊なので・・・・・ ^^;)、でも所詮日本人が書いた西洋史ものなんだよなぁというミョウチクリンな懐疑の目を向けつつ、長い間ず~っと気になっていた本の第1巻(上巻)を読了しました。

背教者ユリアヌス(上)
著:辻邦生  中公文庫

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ローマ皇帝の家門に生まれながら、血をあらう争いに幽閉の日を送る若き日のユリアヌス。  やがて訪れる怒涛の運命を前にその瞳は自負と不安にわななく。  毎日芸術賞にかがやく記念碑的大作!  (文庫本裏表紙より転載)

いや~、久々に「本らしい本」を読んだ!  そんな感じです。  あ、もちろんこれまでず~っとこのブログで取り上げてきた本たちが「本らしくない本」だと思っているわけではないんだけど、ある意味で気楽に楽しく、まるで日常会話を楽しむが如く読めちゃう本だったのに対し、この本はどこか居住まいを正して読まなきゃいけない本っていう感じです。  でもね、それは「読みにくい」とか「わかりにくい」とか「格調が高すぎる」ということではなく、ものすご~く引き込まれるし、スラスラ読めちゃうんだけど、でも何かが違うんですよね~。

ま、これはひょっとしたら久々に小さな活字の本だったから・・・・・なのかもしれないんですけどね(笑)  最近では老眼鏡のお世話になっている KiKi にとって、活字が小さいというのは中身はともかくとしてそれだけで正直「うへぇ~!」っていう感じがするんだけど、この本もご他聞にもれず、そんな本なのです。  これで KiKi の心の中に「前から気になっていた」というフックがなかったら、「無理!」と最初から読むのを諦めてしまったかもしれません。

でもね、最初のうちこそは字の小ささに若干辟易としていたのですけど(何せ、目が悪くなってきたところへもってきて、KiKi の読書タイムは基本的にはお布団の中、寝る寸前なので ^^;)、10ページぐらい読み進めたところでもうそれは「気にならないこと」「瑣末なこと」になってしまいました。  それぐらい引き込まれて先へ先へと読み進めていくことができました。

丹生都比売 梨木香歩

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本日も図書館から借りてきた本を読み進めています。  あ、因みに今回図書館から借りてきたのは以下の9冊。

梨木香歩作品

  この庭に - 黒いミンクの話
  丹生都比売(におつひめ)
  水辺にて

辻邦生作品

  背教者ユリアヌス (上)
  背教者ユリアヌス (中)
  背教者ユリアヌス (下)

茅田砂胡作品

  デルフィニア戦記 第一部放浪の戦士 (1)
  デルフィニア戦記 第一部放浪の戦士 (2)
  デルフィニア戦記 第一部放浪の戦士 (3)

一応、今のところこの順番(↑)で読み進めていきたいと思っています。  で、昨日の読了本が「この庭に」で、本日の読了本はこちらです。

丹生都比売
著:梨木香歩  原生林

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持統天皇の治世を舞台に、丹生都比売という姫神と、水と、銀とに彩られた、草壁皇子の少年の日々を描く。  (Amazon より転載)

この図書館本に入る前に読んでいたのが「空色勾玉」。  たまたま今 KiKi が集中して視聴している Podcast が「歴史ラジオ」「NipponArchives 万葉集~ココロ・ニ・マド・ヲ~」と何故か「日本探訪モード」に入っているのは偶然なんでしょうか?  それとも何かのめぐり合わせなのでしょうか??  日本人なのに案外日本のことを知らないという反省とも焦燥ともつかない想いを KiKi が抱くようになったのが10年くらい前からのこと・・・・。  そしてLothlórien_山小舎を構えてからは特に「万葉集」には興味を抱くようになっていきました。  それは意外と万葉集には「東歌(あずまうた)」が多く収録されていることに気がついたからです。

そして万葉集の中でも超有名な歌、高校の古文の授業でも学んだ歌がいわゆる相聞歌で、

あかねさす 紫野行き 標野行き
  野守は見ずや 君が袖振る    額田王

紫草の にほへる妹を 憎くあらば
  人妻ゆえに われ恋ひめやも   大海人皇子

こんなにもおおらかな恋歌を交わした人たちはどんな人たちだったんだろう?  それが KiKi が大海人皇子に興味を持った最初のきっかけでした。  そして、壬申の乱を知り、天智・天武・持統の3天皇を知り、その物語の中で大海人皇子(後の天武天皇)と鸛野讃良皇女(後の持統天皇)の息子である草壁皇子という存在を知りました。  

でもね、この時代の政権争いにおける悲劇のヒーローとしては、どうしても大友皇子や大津皇子に座を譲らざるを得ない皇子様だと思うんですよね~。  草壁皇子も若くして亡くなられる方だし、時代も時代なので、今はまだ知られていない(KiKi が知らないだけかもしれませんけど ^^;)何らかの物語があるのかもしれませんが、恐らくはこの物語で描かれているように「強者」というよりは、線が細い人だったんでしょうね。  いすれにしろちょっと地味・・・・というか、存在感が薄い・・・・皇子様、そんな草壁皇子が主人公の物語なのですから、梨木さんも面白い人に目をつけたものです(笑)

 

さて、なかなか重量感のある本やら音楽やらにひたっている今日この頃・・・・・ですが、ここいらで「ニーベルンゲン繋がり」ではあるものの、若干軽め(?)の本を読んでみようかな?と思います。  ま、これを「軽い」と見るか、「重い」と見るかは人それぞれだとは思うんですけど・・・・・ ^^;  その1冊とはこちら(↓)です。

「ニーベルンゲンの歌」の英雄たち
著:W. ハンゼン 訳:金井英一/小林俊明  河出書房新社

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KiKiはねぇ、とにかく「ニーベルンゲン」で始まる書物を探しまくった過去がありまして・・・・。  その時に比較的入手しやすい(お値段的に・・・・だったり、絶版になっていない・・・・という条件だったり)もの、もしくは何となくフィーリングで「コレ!」と思ったものを少しずつ買い集めてきたっていう経緯があります。  ま、その際に今年に入ってからこれまでにご紹介してきている本だとか随分昔のことになっちゃうけどご紹介したこの本だとかを揃えたわけですが、今日ご紹介しているこの本はそのリストの中から購入したわけではありません。  じゃ、これを購入したいきさつは・・・・・と言えば、ズバリ書店で見かけたこの表紙の雰囲気・・・・・であります。

ど真ん中にある真っ赤な剣(バルムンクでしょうか?)も何だかカッチョイイし、左端の青緑っぽい色で描かれた「ジークフリート竜を退治する」の絵もいいし、ど真ん中の中世戦闘絵巻っぽい絵も何ともキャッチーでねぇ(笑)

で、本屋さんで立ち読み状態で「まえがき」部分をさらっと流してみたら、「ニーベルンゲンの歌」に登場する人たちは歴史上人物の誰にあたる?を探った本・・・・とのこと。  ま、真偽のほどはともかくして、こういうお話って悠久のロマンを感じて、想像するだけでも楽しいじゃないですか!  

古い世の物語には数々のいみじきことが伝えられている。
ほまれ高い英雄や、容易ならぬ戦いの苦労や、
よろこび、饗宴、哀泣、悲嘆、また猛き勇士らのあらそいなど、
あまたのいみじき物語を、これからおん身たちに伝えよう。
   (「ニーベルンゲンの歌」 第1歌謡 岩波文庫 相良守峯  より転載)

古(いにしへ)の譚話(ものがたり)に数々の奇しきことども語り伝へらる。
誉れ高き偉丈夫(ますらを)ばら、いとどしき艱難辛苦、
歓喜(よろこび)と饗宴(うたげ)、涙と歎きのことども、
さては勇しき武夫(もののふ)の闘ひの奇しき話をいざ談り(かたり)申さん。
   (「ニーベルンゲンの歌」 第1歌謡 東洋出版 服部正巳  より転載)

相良さんの訳の方が断然読み易いけど、服部さんの訳だと文語調で雰囲気があっていいですね~。  ま、そんな「古の譚話」とやらにどんなものがあったのか興味は尽きず・・・・・ということで購入した本がこの本っていうわけです。  因みにこの本でルーツが検討されている「ニーベルンゲンの歌」の登場人物はこんな感じです。

グンター王
ブリュンヒルト
ジークフリート
ハーゲン・フォン・トロニエ
リューディガー・フォン・ベッヒェラーレン
エッツェル王
クリームヒルト
ディートリッヒ・フォン・ベルン
フォルカー・フォン・アルツァイ

うんうん、メジャーどころは押さえてありますね、ヒルデブラントを除くと・・・・・(笑)

 

「明治」という国家(上)(下)
著:司馬遼太郎 NHKブ ックス

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暁闇の海に一条の光を求めて

「明治」は清廉で透きとおった "公" 感覚と道徳的緊張=モラルをもっていた。  維新を躍進させた風雲児・坂本龍馬、 国家改造の設計者・小栗忠順、 国家という建物解体の設計者・勝海舟、 新国家の設計助言者・福沢諭吉、 無私の心を持ち歩いていた巨魁・西郷隆盛、 国民国家の形成を目指した彼ら "明治の父たち(ファーザーズ)" は偉大であった。  本書は、明治草創の精神を捉え直し、「明治国」という人類普遍の遺産を巨細に語りつくす。  これは、著者畢生の日本論であり、鮮明な日本人論である。  (上巻 カバー扉より転載)

 

彼方の国、蜃気楼のような

二十世紀は「明治」に始まり、いま、その総括の時期にある。  激動の昭和が終わり平成となった年は、世界史の一大転換期でもあった。  時代のうねりは、歴史を書きかえ、人々は、自らの行く手に思いを馳せる。  歴史の中に、鮮やかな光芒を放った "「明治」という国家"、その「かたち」を、「人々」を、真摯に糺しながら、国民国家の形成を目指した " 明治の父たち(ファーザーズ)"の人間智と時代精神の核と髄とを、清冽な筆致で綴り、日本の国家と日本人のアイデンティティに迫る。  (下巻 カバー扉より転載)

本来であれば「坂の上の雲」を読み進めるはずなのですが、たまたま 「学問のすすめ」 に寄り道してしまい、その中で著者の斎藤さんが紹介されていたこの 『「明治」という国家』 に興味を持ってしまい、先にこちらを読了してしまったので、読書記録をつけておきたいと思います。  いや~、この2冊。  かなり面白かったです。

子供の頃から日本史の中では「鎌倉幕府の成立」の頃、「戦国末期から徳川幕藩体制の確立」の頃、そして「幕末から明治維新」の頃という、それまでの体制から大きな変換を迎える時期にもっとも興味を持っていた KiKi なんだけど、実はその興味を持続させ勉強を続ける根気には欠け(って秋山真之さんの真似してみただけなんだけど・・・・^^;)、疑問には思ったものの自分なりの解釈が確立できていなかったいくつかのポイントに関して、この本は「なるほど。  そういう考え方もあるか!  そういう観点で推論するのもありか!」と得心させてくれたことが多かったです。

特に面白かったのは上巻では「第三章 江戸日本の無形遺産 "多様性"」という章、そして下巻ではいわゆる「あとがき」にあたる「"モンゴロイド家の人々"など」という章です。

  

日本を教育した人々 斎藤孝

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先日「現代語訳 学問のすすめ」を読んだ際、巻末で紹介されているちくま新書のその他の本の紹介ページでこの本に興味を持ち、Amazon Market Place で中古本を購入しました。  最近では Book-Off とか Amazon Market Place で「ちょっと読んでみようかな?」と思った本を廉価で購入できるのは KiKi のような乱読系の人間にはとってもありがたい限りです。  なかなか図書館に足を運ぶ時間が作れない(ちょっとだけ遠いし、図書館に行くと数時間はそこで過ごしてしまうことになるので、それなりの時間的余裕がないとちょっとねぇ・・・・・)KiKi にとっては図書館と同じくらい重宝しています。  そうそう、本格的に山篭りするようになると、Lothlórien_山小舎のある村にはそもそも図書館っていうものがないんだっけ・・・・・ ^^;  これは問題だよなぁ・・・・・。

ま、それはさておき、ここのところ「のだめ」ばっかりに注力していた観がなきにしもあらずのこのブログ。  でも、決して漫画しか読んでいなかったわけではないのですよ。  てなわけで、今日はようやく読了したこちらのご紹介です。

日本を教育した人々
著:斎藤孝  ちくま新書

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極東の島国で資源にも乏しい日本は、「教育」を半ば国民的な「宗教」として国力を築いてきた。  ところが今日、いじめや学力崩壊によって、その「教育」が壊れつつある。  背景には社会的国民的紐帯の解体という、より深刻な問題が横たわっている。  日本人を日本人たらしめた教育とは、どのようなものだったのだろうか。  日本を教育したといえる、松下村塾の吉田松陰、慶応義塾の福澤諭吉、木曜会の夏目漱石、戦後日本人に巨大な影響を与えた司馬遼太郎を例に、彼らの言説と行動の教育作用の分析をとおして、その問いに答える。  (新書本カバー扉より転載)

「教育改革」の文字を見ない日はない・・・・・と言っても過言ではない昨今、では、どんな教育改革をしようとしているのか?、そもそも何のための教育か?、といったことが明確に見えてこない・・・・・そんな想いを KiKi は抱えています。  いったい何をどのように変えていこうとしているんだろう?  その方向性は正しいのだろうか?  恥ずかしながら最高学府を出ているにも関わらず、KiKi 自身がこれといった明確な Vision を持ち合わせていません。  でも、40代を迎える頃から、自分自身の生き方を見直す必要性を感じ始めたのとほぼ同時に、この国に今一番必要なものは「教育改革」なんじゃないか?という漠然とした想いも感じ始めていた KiKi。(Vision もないくせにねぇ~ ^^;)  そんなこともあってこの本に興味を持ちました。  

 

坂の上の雲を再読し始めたのを機に、何だか急に日本の歴史への興味がプクプクと膨らんできてしまった KiKi。  西洋ものへの興味も尽きないところだし、岩波少年文庫読破計画もまだまだ道のりは遠いというのに、あちらこちら浮気をしていていいんだろうか?という疑問を抱えつつも、やはり関心のある時に関心のある本を読みたいのが人情と言うもの。  で、こちらも再読・・・・ではあるのですが、KiKi の家の本棚でどど~んと存在感を主張している「岩波ジュニア新書」の「日本の歴史シリーズ(全9巻)」をこの際読んでみようと思います。  今日はその第一冊目です。

日本の歴史【1】 日本社会の誕生
著:吉村武彦  岩波ジュニア新書

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私たち「日本人」の祖先は、一体いつ、どこからこの列島に来たのか?  稲作の起源は?  邪馬台国の最新の学説は? - 現代考古学の最先端の成果に基づいて贈る最新の「日本」前史。  原始以来の私たち日本人の歴史の要所要所をコンパクトに理解するために最適な、ジュニア新書版「日本の歴史」(全9冊)の第1巻。  (新書裏表紙より転載)

いや~、岩波ジュニア新書っていうのもなかなか「すごいもん」ですねぇ。  正直なところここまで読み応えがあるとは思ってもいませんでした。  まあ、歴史を専門に研究されていらっしゃる方とか、歴史に特別な興味を抱いていらっしゃる方からするとこれでも大雑把過ぎたりとか情報が古かったり(1999年9月20日 第1刷発行)とかあるのかもしれませんが、特に「古代」には疎いド素人の KiKi からすると、「へぇ」の連発でした(苦笑) 

それに、KiKi が習った古代史とも大きく異なっているのが稲作の始まったタイミング!  新聞なんかで「かつては弥生時代から稲作が始まったと言われていたが、実際は縄文時代から始まっていた!」みたいなことは聞きかじって(読みかじって?)いたんだけど、それをいわゆる「歴史関連書籍」でちゃんと読んだことがなかったので、そのあたりの記述もかなり興味をもって読み進むことができました。

     

先日のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」視聴をきっかけに、遅まきながら読んでみたくなってしまった福澤諭吉の「学問のすすめ」。  さすがに文語体の原文では敷居が高そうだったので、まずは現代語訳のこちらを手に取ってみました。  それにしても・・・・同じ日本語のはずなのに文語体ではどうにもこうにも読みにくい・・・・というのが最高学府を終了しているはずの人間の言うことなんだろうか? ^^;  恐らくあの世の福澤諭吉先生も天の上から我々を見下ろして、深々とため息をついていらっしゃることでしょう。  「だから、あれほどよく学べと諭したつもりだったのに・・・・・」と。

現代語訳 学問のすすめ
著:福澤諭吉 訳:斎藤孝  ちくま新書

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この本、「学問のすすめ」というタイトルが冠されているために、不勉強な KiKi は学生向きの勉学の推奨本なのかなぁ・・・・と勝手に思い込んでいました。  で、大学生の頃、一度だけ岩波文庫に収録されている文語調の「学問のススメ」を手にとってみたこともあるのですが、英文科の学生だった KiKi にとって英語以上に外国語に思えてしまい(^^;)、結果的に読了することができませんでした。  文語調って格調が高すぎて当時の KiKi にとって(ひょっとすると今も?)は敷居が高すぎたんですよね~。  でも、KiKi が矛盾していたのは英文科で「シェイクスピア」なんかは結構読んでいて、日本語の古い言葉は敬遠していたのに、古英語にはチャレンジしていたのは何だったんだろう?(笑)

ま、それはさておき、実際に今回この「現代語訳 学問のすすめ」を読んでみて思ったのは、これって決して学生向きの勉学推奨本な~んていう類の本ではないなぁ・・・・と。  まあ、読み進めていく中で「読み易く」はあったんだけど、正直なところあまりにも表現がくだけていて(ふざけているということではなく、現代風にかみくだいてあって)、どこまで原典に忠実なんだろうか?という疑問は持ったものの、「気概」を持って生きるとはどういうことか とか 物事の「筋」を見極めるためには学問(勉強のための勉強ではない真の学問)が必要である とか、現代にも通じる様々な問題提起がなされているのがとても新鮮であるのと同時に、これを書かれたのがいまだサムライ精神が死に絶えていなかった明治初期であることに強烈な驚きを感じました。

 

先週末、 KiKi は実家に行かなくてはならない事情があり、新幹線で移動しました。  その往復の移動中に何とか第三巻を読了することができました。  全八巻のうち第三巻という未だ半分にも達していないところで、主人公の1人、正岡子規を失ってしまいました。  初めてこの物語を読んだとき(何年も前)には主役一人をこんなタイミングで失って、この物語はどうなっちゃうんだ????という素朴な疑問に包まれてしまった KiKi でしたが、何度目かの再読・・・・・ということで今回はそのあたりに関してはなんとな~く過ごしてしまうことができました(笑)

坂の上の雲(三)
著:司馬遼太郎  文春文庫

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日清戦争から十年 - じりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。  「戦争はありえない。  なぜならば私が欲しないから。」とロシア皇帝ニコライ二世はいった。  しかし、両国の激突はもはや避けえない。  病の床で数々の偉業をなしとげた正岡子規は戦争の足音を聞きつつ燃えつきるようにして、逝った。  (文庫本裏表紙より転載)

第三巻の最初の一章でこの物語の主人公、正岡子規を見送った司馬遼太郎さん & 読者。  で、それに続く章の書き出しで

この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。  子規は死んだ。  好古と真之は、やがては日露戦争のなかに入ってゆくだろう。

とさらっと言ってのけられる司馬さんに思わず失笑。  正直なところ KiKi の個人的な感想としては同じ司馬さんの長編小説「竜馬がゆく」はもっと「小説・小説風」しているのに対し、この作品ではご本人自身が「どう書き進めるべきか迷いつつ書きあげた」作品だったことが、この第三巻あたりから如実に表れてくるような気がします。  うまく説明できないんだけど、小説としてプロットがきっちりとできあがっていてそれに沿ってフィクションを交えながら筋書きを追っていく・・・・・という手法ではなく、極力司馬さんが入手した資料の事実のみをピックアップし、折に触れその資料を読んでいる司馬さんご自身の主観的な記述を心がけている・・・・・そんな風に感じるんですよね~。  とは言うものの、元が新聞小説だったという制約(その新聞の立ち位置とか)はないはずもなく・・・・・・。

  

NHKのHPによると、今年の年末スペシャルドラマ「坂の上の雲」の放映予定は以下のようになっているとのこと。

  • 第1回:少年の国
  • 第2回:青雲
  • 第3回:国家鳴動
  • 第4回:日清開戦
  • 第5回:留学生

で、来年の放映予定は・・・・・といえば

  • 第6回:日英同盟
  • 第7回:子規、逝く
  • 第8回:日露開戦
  • 第9回:広瀬、死す

ま、そんなわけで「日英同盟」までは何とか読み終わっておかなくちゃいけないと思い、せっせと読み進めております。

坂の上の雲 (二)
著:司馬遼太郎  文春文庫

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戦争が勃発した・・・・・。  世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか20数年の小国を根底からゆさぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。  陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。  一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力との対決を決意する。  (文庫本裏表紙より転載)

 

この第二巻は日清戦争から始まり、日露戦争前々夜まで・・・・という感じです。  列強のそれぞれの思惑と明治日本に暮らす軍人・政治家・俳人の時代感覚の対比がとても面白いと感じました。  この物語の主人公3名(秋山好古、秋山真之、正岡子規)のそれぞれが何を考え、どんなことをしていたのかも楽しく読むことができましたが、それ以上に陸奥宗光だとか小村寿太郎、清国の李鴻章や西太后、さらには悲劇(?)の海将丁汝昌、ロシア帝国のアレクサンドル3世&ニコライ2世、ウィッテ、クロパトキン 等々のそれぞれがどんな立ち位置で何を考えていたのかを司馬さんの記述をベースに想像するのは、実に楽しい時間でした。

この「坂の上の雲」という物語、この巻ぐらいから主人公3名を追いつつも、日清日露の時代のありとあらゆる人たちの全体描写の小説(明治時代という時代を主人公とした小説)という色あいを濃くしていくと個人的には思っているのですが、それでも3人の若者の目線がまだまだ明確に描かれている巻だと思います。

先週末、大河ドラマ「天地人」が最終回を迎えました。  今回の大河ドラマは結果として KiKi にとってはあまり面白いものではなかったけれど、子供時代からの習性(?)で何となく「大河ドラマ」だけは観ずにはいられない KiKi (苦笑)。  最終回が終わっての感想としては

「どうせだったら上杉景勝が主役のドラマの方が面白かったんじゃないだろうか?」

というものでした。  ま、この感想には多分に「北村一輝ファン」という要素も後押ししているような気がしますが・・・・。  色っぽいよね~、北村一輝。  特に目がいい!  

ま、それはさておき、最終回が終わったあとは来年の大河の予告編が流れました。  来年は「竜馬」だということは知っていたんだけど、竜馬役は福山雅治かぁ。  この配役も KiKi のイメージとはちょっと違うなぁ。  KiKi の妄想の中では「新撰組」の時の江川洋介の方がなんとなく竜馬のイメージにはピッタリくるんだけどなぁな~んていうことを考えていたら、来年の大河の紹介と並んで、もう一つのドラマの紹介がありました。  スペシャルドラマ「坂の上の雲」です。

まあ、2年ぐらい前(?)から本屋さんで、いきなり「坂の上の雲」が平積みされて、「ドラマ化決定!!」な~んていう POP が踊るようになって、ず~っと昔、読んだことがあるもののPOPと一緒に KiKi も踊らされて文庫本を揃えなおしたぐらいだから、ある種この放映を楽しみにしていた部分はあるんだけど、びっくりしたのは3年がかりで放映するのだとか!!  確かに長いお話だけど同じように長い(ひょっとするともっと長い?)「翔ぶが如く」は1年の大河ドラマだったのに凄いなぁ~と妙なところで感動してしまいました。  で、NHKのサイトで調べてみたところ、3年がかりで放映・・・・とは言うものの、今年の年末から始まって、毎年年末スペシャルという形で3年がかりで放映するらしい・・・・・。  なるほど、そういうことですか。  でも、この放送スケジュールだと正直なところ第2部(2010年秋)を放送する頃には第1部(2009年11月~12月)の内容を、第3部(2011年秋)を放送する頃には第1部と第2部の内容を忘れちゃいそうだ!

とは言うものの、司馬作品は数あれど、KiKi にとってこの「坂の上の雲」はベスト3にランクインする作品なだけに期待度は半端なものじゃありません。  日清・日露の両戦争を描かなくちゃいけないわけだし、それだけで映画になっちゃうような「旅順の攻防」やら「二百三高地の激戦」やら「日本海海戦」がどんな風に描かれるのか、とっても楽しみです。  そう言えばずいぶん前に「二百三高地」という映画を観たけれど、豪華キャストだったよなぁ。  今回の「坂の上の雲」も当代としては超豪華キャストなんだけど、あの映画に比べると何となく小粒感が否めませんが・・・・・(苦笑)

ま、いずれにしろ、そんなこんなで今週末には放映される第1回放送の予習を兼ねて、久々に読み返してみたくなっちゃいました。  たまたまこのLothlórien(Blog)では「司馬遼太郎カテゴリー」は作ってあるものの、肝心要のエントリーの方が現段階では皆無・・・・というのも前からちょっとだけ気になっていたことですし・・・・・(笑)

坂の上の雲 (一)
著:司馬遼太郎  文春文庫

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明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。  この時期を生きた四国松山出身の三人の男達 - 日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長編小説全八冊    (文庫本裏表紙より転載)

この第一巻は「青春群像物語」っていう印象がものすご~く強いんですよね。  この物語の三役、秋山好古、秋山真之、そして正岡子規の3名が世に出る前(もしくは出たとしても未だ暗中模索時代)が丁寧に描かれています。  現代を生きる KiKi たちと価値観の大転換があった維新直後の明治期の彼らでは、当然環境も異なれば道徳観やら義務感やらも異なるわけだけど、それでも「青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、こまったことにそのエネルギーを智恵が支配していない。」という言葉に代表される若者特有の悶々とした感じ、「自分は何者であるのか?」「自分は何をなしとげるべき人間なのか?」を真摯に考える青年たちの姿(特に真之 & 子規)に、すがすがしさと羨ましさがないまぜになったような感慨を持ちます。  まあ、好古さんの場合は「考え込んでいる暇はない。  なりゆきの中で最善を尽くすのみ!」というタイプだったみたいですけどね・・・・・(笑)

  

子供の頃、KiKi は1日にTVは1時間以内と決められていました。  当時、KiKi は静岡県の田舎町で育っていたので、東京では何チャンネルの放送が受信できたのか知らないのですが、小学校低学年の頃の KiKi の家のTVで受信できるTVは NHK と NHK 教育とSBS(TBS系列の静岡放送)の3チャンネルのみでした。  小学校高学年になる頃、これにテレビ静岡(FUJI系列)が加わりました。  ま、いずれにしろその少ないチャンネルの中でMAX 1時間という制限だったわけで、それが「少なすぎる!」と気になるようなレベルではありませんでした。

そんな KiKi が必ず観ていた番組・・・・というと、日曜日の夜8時からの「大河ドラマ」と土曜日の夜8時からの「8時だよ!全員集合」。  そして週日の夕方、大相撲から引き続きニュースを経て「NHK連続人形劇シリーズ第5作目;新八犬伝」の3本でした。  大人になってからの KiKi の映画鑑賞の趣味は「コスチュームもの」にかなり偏っているんだけど、それは大人になってから固まった嗜好・・・・というよりは、どうやら子供時代のTV番組に端を発しているようです(笑)  そんな KiKi が歴史にそこそこの興味を持つようになったのはある意味で必然・・・・と言えるかもしれません。  だからこそ、このLothlórien(Blog)の読書カテゴリーも「神話・宗教」「叙事詩・英雄伝・騎士物語」「歴史」「塩野七生」「司馬遼太郎」だし・・・・・ ^^;  (← エントリーが少ないのは、「塩野七生」さん作品や「司馬遼太郎」さん作品は過去に何度も読んでいて、現在本棚に収まっているだけの状態になっているため)  

で、このブログを開設するにあたり「岩波少年文庫」を大人の目で読み返してみるという無謀な企画をぶちあげたわけですが、その時、これまでに発売された岩波少年文庫の全作品を読み返してみようと思ったのはよいものの、その全作品リストを作成している過程で難題にぶちあたっちゃったんですよね~。  それはね、子供の頃、確かに岩波少年文庫で何度も読んだ記憶があり、表紙の絵や色調さえもなんとなく思い出せる本が、岩波少年文庫のHPを見ても載っていなかったりすることに気がついちゃった・・・・・ということ。  で、このリストを作成するために「なつかしい本の記憶 - 岩波少年文庫の50年」という本を参照したり、手持ちの少年文庫の巻末の既刊本紹介ページを参照したりと結構大変だったんですよね~。  でもね、リストの方はあれやこれやの手段で何とか作成できたのでよいとして(完成度がどれほどのものかはわからないのですが・・・ ^^;)、もっと重要な問題は、すでに絶版になってしまった本をいかにして入手するか・・・・ということなんですよね~。  で、それから KiKi の古本屋めぐり及び古本屋サイトの放浪が始まりました。  なんせ、昨今の図書館の蔵書も新刊本に入れ替わっちゃっていたりするし・・・・・

ま、そんな数年に及ぶ古本屋(含むサイト)めぐりの中でようやく見つけた2冊を今日はご紹介したいと思います。  (何と長い前置きでしょうか! 苦笑)

人間の歴史の物語 上・下
著:ヴァン・ローン 訳:日高六郎/日高八郎  岩波少年文庫

033c.JPG  (Amazon)

この本はね~、中学時代に KiKi は初めて手にとって読んでものすご~く感銘を受けた本でした。  この本が自宅にあった記憶はないので、恐らく学校の図書館で借りて読んだ本だと思うんだけど、もしも当時の図書カードが今も残っていたら(残っているわけないか・・・・ ^^;)恐らく KiKi の名前が5~6回は載っているんじゃないかしら。  中学生にはちょっと難しかったような気がしないでもないんだけど、動物がこの地球に生存できるようになってから第一次世界大戦までを俯瞰してギュッとコンパクトにまとめつつ幅広い観点で歴史を物語った本なんですよね~。

楽しい古事記 阿刀田高

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KiKi は大学時代、英文学を専攻していました。  大学進学を考え始めた高校生の頃、最初に KiKiが目指したのは音大でした。  ところがこのエントリーでもお話ししたように音大を目指して修行中だった KiKi は天の邪鬼にも「ピアノは大好きだけど、一生のすべてを捧げるのはいやだ!!」という思いに囚われ、結果的に音大進学を断念しました。  その後、どんな進路を選べばいいのか、正直なところ KiKi にはコレといった夢・・・・のようなものがあったわけではありませんでした。  強いて言えば時代が時代だったので「これからは英語ができなくちゃダメなんだろうな。」という曖昧模糊あ~んど漠然とした思いだけが心の片隅にありました。  でもね、ホントは大学4年間を小説三昧で過ごすことには抵抗がなかったわけじゃありません。  いかにそれが「原文」で接する文学であったとしても・・・・です。  でもまあ、音楽以外に強烈に好きだ!と思えるものが文学(というより物語)だったのは事実で、だからこそ英文学を専攻するという結論に至ったわけですが・・・・・。

でね、確かに「これからの時代は英語だよなぁ」という思いがあったのも事実ですが、同じ文学の中でも仏文や独文、日本文学の道を選ばなかったのは、仏文や独文を外したのは「やっぱり英語!」という思いがあったから・・・・だけど、日本文学を選ばなかったのは日本の物語にあまり興味をひかれなかったからということがあげられます。  大体において、KiKi が日本昔話に親しんだのは「絵本時代」だけだったと言っても過言じゃありません。  中学時代に一時期「平家物語」に傾倒していた時期があったけれど、古文の時間に学んだ「万葉集」にしろ「源氏物語」にしろ「枕草子」にしろ「方丈記」にしろ、「ギリシャ神話」や「シェイクスピアの物語集」と比較して、没頭する度合い・・・・みたいなものがものすご~く希薄だったんですよね。  

もちろん、国語の教科書で何らかの作品の一部が取り上げられているような超有名どころの作家(夏目漱石とか森鴎外とか太宰治とか志賀直哉とか宮沢賢治とかとかとか・・・・・)の作品はそれなりに読んできているし、それなりに楽しんできたとは思うんだけど、大学4年間を日本語で書かれた小説の勉強に費やすのはそれこそ勿体ないと思っていたし・・・・・。  古文の世界はそういう意味では半分ぐらいは外国語的なところもあるけれど、さほど面白そうだとは思わなかったし・・・・・・。

でもね、大学3年生ぐらいの頃、「日本人のくせに英語の本や西洋の物語にばかり没頭していていいんだろうか?」みたいなことを感じ始めた時期があるんですよね~。  でね、やめておけばいいのに岩波文庫に収録されていた本居宣長の「古事記伝」に手を出してみたことがあるんですよ。  やっぱり日本文学の原点みたいな存在は「古事記」だし、でも漢文調の「古事記」は読めたものじゃないはずだし、大学生としてはそこそこの文献を読むべきだろう・・・・みたいな変なプライドもあったりしてその選択になったわけだけど、結果はと言えば・・・・・・・・・・・・・・・数ページで挫折 ^^;

その時、岩波少年文庫に収録されている「古事記物語」に考えが及ばなかったのは前にこのエントリーにも書いたように

岩波少年文庫    小学生向け
岩波ジュニア新書  中学生向け
岩波文庫      高校生以上
岩波新書      高卒以上

というしょうもない KiKi の思い込みも一役かっていたりするわけですが、いずれにしろ「古事記」もしくは「古事記伝」は KiKi にとってどうにも「とっつきにくい書物」であることは大人になってもあまり変わりない・・・・ということだけは証明しちゃったみたいです(汗)。  でもね、それでもやっぱり「日本人たるもの・・・・」という意識が消えてなくなったかといえばさにあらず。  で、せっかくこのブログでは「岩波少年文庫読破計画」という企画をぶちあげているという事情もあることだし、起死回生・・・・ということで「古事記物語」あたりから始めてみようかな・・・・と思っていました。  で、本当であれば日本神話に関する最初のエントリーは「岩波少年文庫の古事記物語」になる予定だったのです。  

でもね、予定は未定とはよく言ったもので、「岩波少年文庫の古事記物語」を手に取る前に、今日ご紹介するこちら(↓)を手にとってしまいました。  まあ、ここ何回か阿刀田高著の「古典に親しもうシリーズ」を読み進めてきているという裏事情があり、そのシリーズの中に「古事記」もあったりしたので、この流れはある意味では必然だったのかもしれません。

楽しい古事記
著:阿刀田高  角川文庫

200301000398.jpg     (Amazon)

前半の神話的な部分(本辞というらしい)はやっぱり面白い!  イザナギ・イザナミの国造りも、アマテラスの岩戸隠れもスサノオの命のヤマタノオロチ征伐もオオクニヌシの命の因幡の白ウサギも、国引き物語も海幸彦 & 山幸彦の物語も。  あとはやっぱり神武天皇の東征とヤマトタケル伝説は、ストーリー性もあれば、歴史的事実のたとえ話的な要素もあって楽しめます。  でもね、後半の天皇家の系図的な部分(帝紀というらしい) は正直なところ、「ふ~ん」という感じ ^^;  誰と誰が「まぐわって」何人子どもを残して、「殺して」「歌って」の部分は文字を追って一応読んではいても頭には何も残らない・・・・・そんな感じでした。

 

ティベリウスとガイウスのグラックス兄弟は、兄が7ヶ月、弟は2年の実働期間しかもてなかったにしても、そしてその間に実行された改革のほぼすべてが無に帰してしまったにしても、成長一路であった時代を終って新時代に入ったローマにとって、最初の道標、つまり一里塚を打ち立てたのである。  これが彼らの、歴史上の存在理由である。  なぜなら、ローマ人も紆余曲折はしながらも、結局は兄弟の立てた道標の示す道を行くことになるのだから。  (文庫本_第6巻帯より)

ルキウス・コルネリウス・スッラは、「元老院体制」としてもよいローマ特有の共和制という「革袋」を、懸命に修繕しようと努めたのである。  あちこちのほころびもただ単に古くなったがゆえであり、丈夫な革きれをあてて補強した革袋の中には、新しい葡萄酒を入れれば、まだ充分に使用可能であると信じていたのだった。 (中略)  「革袋」はもはや捨てるしかなく、捨てて新しいものを創り出すしかないという考えは、彼らの理解を越えていたのである。  (文庫本_第7巻帯より)

41T392YAXCL__SL500_AA240_.jpg 419VQ443PNL__SL500_AA240_.jpg(Amazon) (Amazon)

世界史の授業を受けていた頃、ローマ史の中で「ポエニ戦争」と「カエサル」とその後のアウグストゥスから始まる帝政と五賢帝の時代だけはそこそこちゃんと勉強した自負もあり、そこそこどんなお話も「そうそう、こういう時代だと習ったっけ・・・・。」というような記憶があるのですが、「ポエニ戦争後」から「カエサル登場」までの時代に関することに関してはまったく記憶の欠片にありません。  おおかたその時代を扱っていた授業の時は気を失っていたか、友達に代返を頼んでクラブの部室に篭っていたか、はたまた思春期に入ったばかりで気になる異性のことで頭がいっぱいだったのか、のいずれかであろうと思われます ^^;  

本当であれば「習ってないよ!」と嘯きたいところなんですけど、今 KiKi の手元にある山川出版の参考書(詳説 世界史研究 2003年第11刷)を見る限りでは「内乱の一世紀」という標題で約1ページが割かれているのできっと授業でも何らかの説明があったことでしょう。

で、塩野さんのタイトルが「勝者の混迷」で山川の参考書のタイトルが「内乱の一世紀」ですから、ゴタゴタ、グチャグチャ、斬った張ったのハチャメチャな時代であったこと間違いなしです。  と言うことで、安定成長の時代よりはこういうドロドロした時代に興味が出てきた最近の KiKi にとっては楽しみなシリーズに突入です。

文庫本で2冊のこのシリーズ、1冊目はグラックス兄弟の悲劇と主にマリウスの時代を、2冊目はマリウスとどことなく似ているところもありながら、でも実態はおそらく相反する個性を持っていたと考えられるスッラの時代とそれに続くポンペイウスの時代を扱っています。

う~ん、どんな人たちで何をしたのかはまったく記憶にないけれど、上記の名前だけを見ると、どこかで聞き覚えのある名前ばかり・・・・。  っていうことは、やっぱり受験勉強の丸暗記では何か覚えたことがあるんだろうなぁ・・・・。

 

 

知力では優れていたギリシア人なのに、経済力に軍事力にハンニバルという稀代の名将までもっていたカルタゴ人なのに、なぜローマに敗れたのか。  それを、プロセスを一つ一つ追っていくことで考えていただければ、著者である私にとってはこれ以上の喜びはない。  この第Ⅱ巻(文庫 3・4・5)でとりあげる時代は第Ⅰ巻で述べたローマ人の築きあげたシステムが、その真価を問われる機会でもあったからである。 (文庫本_第3巻帯より)

紀元前218年の5月、29歳のハンニバルは、準備した全軍を率いてカルタヘーナを出発した。 (中略)  大軍を率い象まで連れてアルプスを越えたハンニバルこそ、その後の2,200年、歴史に興味を持たない人でも話には聴いている、有名な史実になった。  だが、彼は2,000年経った後でも拍手喝采されたいために、あの冒険を行ったのではない。 (中略)  なぜアルプス越えを強行したのか、という疑問が頭をもたげてくる。  (文庫本_第4巻帯より)

二人の武将は、左と右に分れて丘を降りた。  史上有名な「ザマの会戦」は、明朝を期して決行されることになったのである。  これは、カルタゴ対ローマ、五万対四万の会戦であることの他に、戦略戦術の上での師と弟子との、はじめての対決でもあった。 (中略)  「ザマの会戦」は、戦役の行方を決すると同時に、地中海世界全体の将来をも決する戦闘になるのである。  (文庫本_第5巻帯より)

 

   

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古代ローマ史の圧巻といえばやっぱりポエニ戦役ですよね~。  実は塩野七生さんが「ローマ人の物語」の執筆を始めたというニュースを聞いたとき、KiKi が一番楽しみにしていたのがこのローマ vs. カルタゴの戦いの物語。  象を連れてアルプス越えをしたハンニバルのお話を是非じっくりと読んでみたかったのです。  彼女じゃないけれど世界史の教科書(および参考書)ではあまりにもあっさりと通り過ぎてしまうこの世界史上の大事件、単行本で一冊丸々、文庫本にして三冊の物語がどんな風に紡がれるのか、興味深々でした。


いや~、圧巻でした。  地図やら布陣図やら図表がそこそこ盛り込まれているために、とってもわかりやすかったし、著者一流の筆致により、ナポレオンが尊敬していたと言われるハンニバルの人となりも、漠然とではあるもののわかってきたような気がしました。

とにかく冒頭が素晴らしいんですよ。  第一次ポエニ戦役がなぜ勃発したのかについて書き起こしている部分の説得力たるやものすごいものがあるんです。  もちろん KiKi も世界地図ぐらいは何度も見たことがあるし、世界史の授業を受けたときには山川出版の図録(年表とか地図がいっぱいの副読本?)を穴の開くほど眺めていたつもりだったけれど、彼女の以下のような記述に勝る状況判断が自力でできた例がないんですよね。

 

長靴を思わせるイタリア半島の「つま先」に、今にも触れそうな感じでシチリアがある。  イタリア本土とこのシチリア島をへだてる海峡は、シチリア最東端の都市メッシーナの名をとって、古代からメッシーナ海峡と呼ばれてきた。  最短距離ならば、わずか3キロ。  本土側の連絡船の発着地ヴィラ・サンジョヴァンニからメッシーナの港まででも、7キロしか離れていない。  この間を結ぶ連絡船に乗れば、コーヒーを注文して、それをゆっくりと飲み終る頃には着いている。

 

そりゃ、近いわ!  コーヒー一杯分の距離に危機が迫っていたら、そりゃ、焦るだろう!  しかもそれが本土防衛のための前哨線であれば何とかしなくちゃいけないと思うだろう!!  で、本来であれば本土防衛のために始まったはずのポエニ戦役がハンニバルという稀代の戦術家&打倒ローマに燃える気概に触れちゃったら、戦争が長引くこともあるだろう!!  まして、本土に上陸されちゃったら「何とかしなくては!」という防衛意識にも火が点いちゃうだろう!!!

 

 

知力では、ギリシア人に劣り、体力では、ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術力では、エトルリア人に劣り、経済力では、カルタゴ人に劣るのが、自分たちローマ人であると(中略)ローマ人自らが認めていた。  それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。  一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。(中略) あなたも考えてほしい。  「なぜ、ローマ人だけが」と。  (文庫本_第1巻帯より)

ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、それは開放性ではなかったか。  軍事力や建設面での業績は、それを確実にするためになされた表面にあらわれた現象であって、それだからこそ、ローマ戦士の軍靴の響きはとうの昔に消え、白亜に輝いた建造物の数々も瓦礫の山と化した現代になってなお、人々は遠い昔のローマを、憧れと敬意の眼差しで眺めるのをやめないのではないだろうか。  (文庫本_第2巻帯より)

 

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ローマの誕生からポエニ戦争の少し前までを扱ったこの2冊。  この本を KiKi が読んでみる気になったのは上記引用した第1巻の帯に書かれている著者本人の言葉に強烈に好奇心がくすぐられたからでした。  「確かに、なぜローマ人だけが・・・・?」と。

 

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